黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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 轟々と吹き荒れる極寒の大地。燎原の火のごとく大地を埋め尽くす雪。照らされることのない大地。僕はロシア機関帝国のクルスク地方に生まれた。一世紀前ならマイナス10°を下回ることはなかったと老人たちは言う。しかし、今は違う。世界を覆い尽くした灰色の空は太陽だけでなく暖かさまで人々から奪った。

 だから、ここでは生きると言うことは戦いだ。このロシアが機関帝国と号するようになってからそう時間は経っておらず、国の隅々まで機関の恩恵を受けることができず、機関の恩恵を受けるのは機関都市とその近隣だけだ。自分のところのような田舎はそもそもそんな望みを持つことさえ無駄だ。だからみんな本格的な寒さが来る前に薪をできるだけ集めて越冬する。

 

 ああ、寒い。ああ、暗い。ああ、辛い。なぜこのような生を送らなければならない。この灰色の世界はなぜこんなに人を、動物を、植物を拒絶する。そんな世界だから毎年冬に凍死する人はいる。次は誰が死ぬのか、そこには赤子も老人も、男も女もない。ただ冷たくなるだけだ。

 だから俺はこの国を変える。誰も凍えることなく、誰も飢えることなく、暖かさを享受することのできる国に。その為になんだってやる。そうさ、その為に俺はなんだって――

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 今朝のサンクトペテルブルクの空は晴れだ。いつもより明るく、暖かい。もうすぐ寒い季節の終わりが見えてきそうだ。

 コンスタンチン先輩がモスクワに行ってから一週間が経った。特に変わったこともなく時間が過ぎていく。いつものようにアカデミーに行き、授業を終えたらバレエのレッスン。

 あの日以来もう来ないと思っていた、そんな繰り返しが、そんな当たり前が、今は美しく、眩しく、尊い。

 

 一部を除いて、

 

「――ねぇタマーラ。もうアカデミーは目の前なんだし、流石にそろそろ手を離しても――」

 

「ダメよアンナ。あの男がいつ、どこで、あなたを狙っているかわからないんだから」

 

 タマーラは私が出かける際に必ず手をつないで同行すること以外は。

 あの日以来、ユーリーさんとタマーラがあって以来、本当に四六時中手を繋いでいる。正直私は二日三日でこの厳戒態勢が終わると思っていたが見込みが甘かった。それほどまでタマーラの中でユーリーさんは警戒対象なのだろう、周りには笑顔で挨拶しているのに周囲の警戒を一瞬たりとも解いていない。朝も周りのことを警戒してか、普段なら早起きしてアカデミーの部室で練習するのに、今朝もタマーラの自室で一緒に基礎練習をした。練習が終わった後もタマーラは何かブツブツ言っていた。全部は聞こえなかったが音楽がどうのこうのというくたいしか拾えなかった。

 そして今現在も警戒は途切れず、それでいて勉強やバレエの練習は精細を欠いておらず、周りには疲れた顔を見せず笑顔でいる。その二重人格のような姿勢はまるでスパイ小説で出てくるエージェントみたいだ。

 

 その標的たるユーリーさんはこの一週間姿を見ていない、もちろんどこからか見守っているとは思うけど、それでもあれ以来姿を見ないのは少し心配だ。

 ユーリーさんは、たぶん、いつもどこかであんな怪物たちと戦っているんだと思う。そう思うと、怖くなる。ユーリーさんはユーリーさんで強いと思うけど、でも、私はユーリーさんたちがいる世界を知らない。あの世間を騒がせた《白い男》でさえ二年前から姿を現さない。それはつまり、彼をもってしても敗れた相手がいるかもしれない世界。そんなモノが自分たちのすぐ近くあると思うと怖くなる。本当に。

 私はそんな不安を表に出さないように、出ないようにしつつ、タマーラと今日もアカデミーへ行く。

 

おはようございます(ドーブリョ・ウートラ)Ms(ガスパジャー)アンナ・パヴロワ。Msタマーラ・カルサヴィナ。二人で登校、しかも手をつないでとは、仲良きことは美しきかな」

 

 ウラジミール先輩が恭しく頭を下げながら挨拶をしてくれた。優しい微笑みを絶やさず、にこやかに。

 

「おはようございます。ウラジミール先輩」

 

「おはようございますウラジミール先輩、この一週間同じ挨拶ご苦労様です」

 

 本当にウラジミール先輩はこの一週間、一言一句違わず同じ挨拶をしている。そして、その挨拶している時のウラジミール先輩は普段私たちが見ないニヤニヤした顔をしている。コンスタンチン先輩がいないから少々羽目を外しているのかもしれない。

 

「これは失礼、いやなに、この一週間満面の笑みを浮かべながら手を繋ぐMsタマーラと少々恥ずかしそうに頬を紅く染るMsアンナを見たらね」

 

 ――普段紳士然としたウラジミール先輩にしては慇懃無礼と取れそうな、とれる態度をとるのは本当に珍しい、なにか心境の変化でもあったのかな? それとも、ストレスでも溜まっているのかな?

 

「ええそうですとも私たちは仲いいですよ。だから、ウラジミール先輩には悪いですけど私たちの間に入れる隙間なんてないんですよ。ええそうですとも、あの小僧にも入れる隙間なんかないんだから」

 

 タマーラはもう開き直るを通り越して、威張る、いや、威嚇をしている。

 そんな私たちをウラジミール先輩は手を顎に添えて見くる。正確には私たちが繋いでいる手を見ている。そこになにか面白いものでもあるようには見えないが、なぜか見ている。

 そして、妙に神妙な顔でタマーラに問いかける(地雷を踏みに行く)

 

「――しかし、以前から気になっていたんだが、君にそこまで言わせる男とはいったいどんな奴なんだMsタマーラ・カルサヴィナ? 興味が尽き」

 

 ウラジミール先輩の言葉が途中で止まった。止めたのはタマーラの眼光だ。先程まで演じ、被っていた笑顔と言う仮面を脱ぎ捨て、ただ、思ったことを聞こうとしただけのウラジミール先輩をまるで仇敵のような目で見ている。その威圧感たるやウラジミール先輩どこか周囲の人たちにまで伝わり、みんな一歩引いて固まっている。

 その原因を作り出したウラジミール先輩は額に汗を滴ながらもこの空気を打破しようと思考している。しかし、あの秀才のウラジミール先輩をもってしても正解が見つからないのか黙っている。そのまま異様に長かつた五秒をある人が打ち破った。

 その人は、

 

「おはよう。かわいい後輩たちと親愛なる同輩、今日は良い天気だね。最も前世紀を知る人たちからすれば《曇り空》と言うだろうけどね。

 それはそうと、なんだねこの空気。妙に剣呑としているがそれはいけない。ああ、大いにいけない。なぜならこれほど綺麗な空のした、こんなにギスギスした雰囲気は繊細なMsアンナ・パブロワの精神衛生上によくない。と言うわけでMsアンナ・パブロワ、速くアカデミーに行こう。そして今度君のバレエを僕一人に見せてほ」

 

 ウラジミール・シューホフ先輩だ。シューホフ先輩は流れる水のように私の手を握っていた手をほどき、ほどかれた手を自分が握りアカデミーに私を連れて行こうと歩き出そうとする。”歩き出そうと”したら、

 

「待てシューホフ」「待ってくださいシューホフ先輩」

 

 空いている私の手をタマーラが、シューホフ先輩の襟をウラジミール先輩ががつかんで止められた。その際シューホフ先輩はカエル(リャグーシカ)が鳴くような声を出した。私は偶然にも両端から引っ張られて言葉にならない悲鳴を上げたのだが二人は気にすることなくシューホフ先輩を詰問する。

 

「おいシューホフ、なにMsアンナ・パブロワを連れて行こうとしているんだ」

 

「そうよシューホフ先輩、アンナは私と一緒に仲良く(・・・・・)アカデミー行くところなんです。邪魔しないでください」

 

 二人とも私の心配よりも、私を連れて行こうとしたシューホフ先輩の行動を問題視している。シューホフ先輩は単純に私を気遣ってとってくれた行動だと思う。だけど二人には違うように見えたのか、さっきとは違う空気だけど、でも、今度は私が完全に逃げられないようになった。周りはと言うと場の空気の変化に、正確にはタマーラの矛先がシューホフ先輩に向いたので今のうちにとそくさと逃げていった。

 ――ああ、こんな時にコンスタンチン先輩がいてくれたら……少なくともこんな空気にはならなかったかな?

 

「いやいや、僕はさっき言った通りMsアンナ・パブロワの精神衛生上よくないから連れ出そうとしたんだが、何か問題でも?」

 

「問題も何も、その言い方だとまるで私たちがアンナをいじめているみたいじゃないですか」

 

「そこまでは言いていない、けれども(くだん)のMsアンナ・パブロワは困った顔をしていたし、今もしている。僕はそんな彼女を見ていたくない。ならば連れ出すの紳士として当然だろう。いや、王子かな」

 

 するとシューホフ先輩は絵本で出てくる王子様みたいに膝を地面に着け私の手の甲に口づけをする。地面に接したズボンの膝部分が煤こけた雪で汚れても気にすることない。その様は以前このアカデミーでは珍しい異文化学習に際に見た合衆国の映画(キーノ)の男優さんみたいな仕草だ。このアカデミーでそういったことをする人は珍しく、ユニークなシューホフ先輩すごいなと感心する。

 周りも動き出していたその動作を止めて、止めて見ている。タマーラとウラジミール先輩も見ている。見ているが、二人ともシューホフ先輩を目を細めて見ている。まるで、何かを確かめているかのように。

 ――ただ、本当にシューホフ先輩が映画の俳優さんみたいに振る舞う者だから、もっと、合衆国の色々な映画が見たいなと思う。だってにこの国の映画は記録映画ばかりで、少しつまらないから。

 

「――おいシューホフ、なぜかMsアンナ・パブロワが落ち込みだしたぞ。お前何かしたのか?」

 

「え、いや、そんなことはしていないつもりなのですが……」

 

「アンナ、シューホフ先輩に何かされたの?」

 

 私がこの国の映画に関して落ち込んでいるのをみんなが勘違いし始めていた。

 

「ち、違うよ。ほら、シューホフ先輩がこの前の合衆国の映画の俳優さんみたいに見えて、それでこの国の映画ももう少し、英語でいうところの『エンターテインメント』な物もできないのかな~~って、ちょっと落ち込んだだけで。あ、もしもそうなったら私でも映画に出れるかな。うん。そうなっても恥ずかしくないようにもっと練習しなきゃ。

 そうと決まればタマーラ、今から走っていけば五分くらいは練習できるよね?」

 

「ええ、たしかに急げばそれくらいは練習できるけど」

 

「じゃあ急ぎましょタマーラ」

 

 ――だって、もしそうなったら、みんなに、今よりももっと多くの人にあの《輝き》を《美しいもの》みんなに届けれると思うと、頑張らなきゃって、みんなに伝えたいから。

 私は戸惑っているタマーラの手を強く握りしめ走り出す。後ろで、そんな私たちを見て苦笑いしている二人に見送られながら。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 ここはロシア帝国のとある場所、そこに一人の男がいる。

 

「やっと見つけたぞ黒い道化師(ラスプーチン)

 

 血も、目も、服も、思想も、すべてが赫い男。

 

 全てを、この街も、この国も、この大地でさえ赫く染めようとする男がここに。

 

 しかし、次の瞬間、辺りいったを《闇》が覆う。

 

「おやおや、おやおや。これはこれは《赤鉄》の、いや、《赤錆の男》ではあ」

 

 話す声は、仮面の男だ、薔薇の華の。異形の男だ、黒い僧衣の。周囲を満たす黒よりも尚、色濃い《霧》だ、《闇》だ。否、既にそれは《混沌》だ。

 その言葉が途中で切られた。否、潰された。赤鉄の右腕が、赤く、全てを溶解させ、染める右腕にのど元を握り潰ぶされようとしている。

 

 しかし、

 

「熱い、嗚呼、熱い、なんて熱い殺意(思い)なんだ。でもね、その熱い思いは私に向いていない。それは別のところに向いている。それは悲しい」

 

 黒い道化師は喋り続ける。まるで何事もないように。

 

「ふん。このような所にいたのが運の尽きだ。あのまま無能な皇帝の傍を侍っていればよかったものを」

 

 赫い男も喋る。まるでいつもの事でもと言うように。さして珍しくもないように。

 

「ああ、彼の出番はまだ先」

 

 また潰される。否、喉を握りつぶした。勢いに任せて握ったその反動で顔は上へ飛び、胴体は地面へと落ちる。

 だが、

 

「あはははははははは、本当に君はつまらないね。ああつまらない。滑稽だ。しかし、君の部下たちは面白い。だから、ああだから今度は君の部下たちに挨拶でもしてこよう」

 

 声が響く。赫い男とは違う声。黒い道化師の声が響く。

 

「そして、彼の行く末が、この国の行く末が楽しみだ。いったいどんな風に僕を殺してくれるか(愛してくれるか)楽しみだ。

 では赤錆の男、良き青空を」

 

 黒い道化師の声がやむ、そこにあった黒い道化師の胴体も、首から上もなく。《闇》も晴れた。

 そこになんの痕跡もなく、ただ、どこにでもある街の風景があるだけだ。

 赫い男は再度辺りを見渡し、なんな感慨もなく、(モール)のように無機物的に、駆動する機械のように、その場を静かに去っていった。




遅くなりました。うん。遅くなりました。

あと、前から度々出てくる単語の説明忘れを一つ。

メスメル学。通称メスメル。
《碩学協会》の一員であった天才碩学メスメルによって確立された学問。別名を心理学という。
人間の心理、精神の全容を解き明かすための学問であり、現在では結社の碩学であるフロイトによって継承されている。
世界中の大学、高等教育機関で扱われている。

『黄雷のガクトゥーン』用語集より引用

実際の心理学よりも応用が利く、というかスチームパンクシリーズ全般でなんでもありな所がある。

では親愛なるハーメルン読者の皆様良き青空を。

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