黒雪のコモリオム --What a beautiful Fakes -- 作:ジンネマン
2-1
照明に照らされる。舞台が照らされる。劇場が照らされる。
黄色を基調とした舞台には扉はない。ここは出ることも、入ることも出来ない。
何者も見たことない程の大きな劇場。誰も見たことない意匠の壁と観客席。如何な人も見たことのない舞台装置。
見たことない観客席、壁、舞台、各所に施されたシンボル・・・・。疑問符を三つ合わせたようなソレ・・。
人を嘲笑うのとも違う感情が込められたシンボル。人も英知や経験を遠く高みから見下ろされている感覚に囚われる。
ならばこの舞台は何の為の舞台か。
ここはたった一つの演目の為の舞台。ここはたった一つの戯曲の為の舞台。ここはたった一つの狂気に彩られた舞台。
その劇場には誰もいない。観客も、楽団も、役者も、裏方も、誰もいない。
あるのは狂気だけ。一人の王が望み、一人の王が見て、一人の王が嗤う。
「ねぇペルクナス。ねえハヤト。僕はまた間違えるんだろうか。僕はまた過ちを繰り返すんだろうか」
黄衣の王は問う、そこは虚空、聞く者は不在、応えるものも不在、故の黄色の劇場。
「今度こそは、今度こそは、そう願い、思い、長い間繰り返した来た」
これは懺悔か、悔恨か、いや違う。
「ああペルクナス、君は僕を忌避し嫌悪するだろうね。僕は君のようになりたいと、君のようにありたいと行動してきたが、結局のところ結末は一緒、多くの人を助けることはできても、本当に助けたかった人はこの手から滑り落ちる。
ハヤトも僕を恨んでいるだろうね。僕さえいなければ、僕さえ関わらなければ、もっとまともな、もっとましな死に方を出来たかも知れないのだから。特に、ソウジには悪いことをした。本当に………」
これは忸怩だ。慚愧だ。彼は許しを乞うていない。なぜなら、
「――そうだよね。僕は君たちに許してもらう資格はない。だがら、せめて、僕は、救えなかった人の何倍、何十倍、もっと多くの人を救うことを誓うしかない。それ以外に君たちに、みんなに償うことはできないから。
はは、どこまで行っても誰かの真似しかできないね。僕は」
だが、王は気付かぬ。どれだけ己を恥じようとも、どれだけ己の行為を悔いようとも、許しを請わぬとも、真に己を省みても、
それに気づかぬ限り、彼の悲劇は、その連鎖は、どこまでも続く。彼が望まぬ方向へと、どこまでも。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
喧騒が、アカデミーに通う生徒、講師たちの喧騒が大きくなってくる。それが嬉しくって私は頬を緩ませる。あれからそんなに時間は経っていないのに。
私たちがユーリーさんに助けられてから数えて二日、私を取り巻く事情を簡単に教えてもらってから一日。つまり、今日にいたる。昨日はあらかじめユーリーさんが寮監さんに私たち二人がアカデミーを休むことを伝えてもらっていたから、一日暇が出来てタマーラと一緒にゆっくりできた。普段の安息日でも私たちバレエダンサーは練習場で次の公演のための練習をすることが多い。特に公演を控えた時は朝から晩まで練習することが定番だ。もちろん日々の柔軟やバーレッスン(タマーラの部屋には簡易的なバーと折り畳み式の姿見が複数ある)を欠かしてはいない。
しかし、ここで気を付けないといけないのが私たちが休んだ理由だ。私たちは一昨日に暴漢に襲われて、そこに
そうして私はみんなに言えない事を胸に秘め、いつも通りの私を演じる。それがこれからも続くと思うと辛い。
「
後ろから挨拶してきたのはウラジミール先輩だ。そして、私たちは今日は朝から、違う、昨日からずっと手をつないでいる。食事中でさえその手を外すことなく、隣で、しかも利き手とは逆の手で器用に食事をしていた。手を離したのはトイレとバレエの練習の時だけだった。そのことは口外することではないけど、寮の人は知っているから秘密と言うわけでもないけど、でも、ちょっと恥ずかしい。
「おはようウラジミール先輩。ええそうですとも私たちは仲いいですよ。そして、大切なアンナに《悪い虫》が付かないように見張るのも当然ですよ」
悪い虫、それはユーリーさんのことだ。昨日タマーラとの初邂逅でとんでもない自己紹介をして以来、タマーラはユーリーさんに最大限の警戒をしている。
「? 悪い虫? Msアンナ・パヴロワもついに社交界にデビューしたのかな?」
「――アンナにはまだ早いですよ! ただでさえ私がいない隙にあんな男に面識を持ってしまって…………あーーーーあの小僧! 今度会ったらただじゃすまさん」
「……おはようございますウラジミール先輩」
「ああ、おはようMsアンナ・パヴロワ。
ウラジミール先輩が私に小言で話しかけてきた。ウラジミール先輩もあんなタマーラを見るのは初めてだからだ。かく言う私も初めてで、最初は夢ではないかと疑ったくらいだ。
「
私とウラジミール先輩は静かに、なにやら呪詛を呟き始めたタマーラを見る。すると、そんな私たちの視線に気付いたタマーラは襟を正し、話題を変えようとウラジミール先輩に声をかける。
「それでウラジミール先輩あのバ……ゲフン、コンスタンチン先輩はいないんですね」
タマーラの一言で私も気づく、いつもウラジミール先輩と一緒のコンスタンチン先輩がいないことに。
「いやね、Msタマーラ・カルサヴィナ。別に私たちはいつも一緒というわけではない、確かに一緒にいることは多いが大概はコンスタンチン先輩の手伝いだ。それに、いまコンスタンチン先輩は帝都にいない」
「え? それ「それはどういうことですかウラジミール先輩!?」」
ウラジミール先輩に疑問を問いかけようしたらタマーラに先に言われてしまった。というか、タマーラが自分よりも背の高いウラジミール先輩の胸倉をつかんで壁に迫っていた。端から見たらカツアゲに見えてしまいそうなくらい怖い表情をしているからなおさらだ。
「Msタマーラ・カルサヴィナ落ち着て。話すから、話すから」
「ねえタマーラ落ち着いて、ほら周りも見ているし」
当事者たるウラジミール先輩は両掌を自分とタマーラの間にだして落ち着くように説得する。私もタマーラの肩に手を乗せて落ち着くよう促す。そんな私たちの声が届いてタマーラはウラジミール先輩から一歩二歩と引き、深呼吸をして再度ウラジミール先輩に向き直る。
「――それで、ウラジミール先輩。コンスタンチン先輩は今どこにいるんですか?」
「ああ、昨日モスクワに行ったよ」
「なんでですか!?」
タマーラがまたウラジミール先輩をつるし上げようとするのを止めた。なぜかタマーラはコンスタンチン先輩が絡むと沸点というか、感情の振れ幅が極端になるのは不思議だ。
「はぁ。Msタマーラ・カルサヴィナ、最後まで、落ち着いて聞いてくれ。頼むから。
まだ一限目まで時間はあるとはいえ、この調子だったらいつまでたっても話が進まない」
「はい。わかりました。自重します」
ウラジミール先輩は僅かに、ほんの僅かにタマーラをまじまじと観察して安全かどうかを確認してから慎重に口を開く。
「――じゃあ改めて、コンスタンチン先輩はいま飛空艇関連の学会のためにモスクワにいるよ。ほら、この間から飛空艇には門外漢の私をつれては朝早くから研究室に入り浸っていたのはそのためだよ」
「なんだ、そうだったんですね。そうならそうだと早く言ってくださいよ」
ウラジミール先輩はタマーラの言葉に呆れ、右手で顔を覆い左右に振る。
「もういい。兎に角そういうことだからじ「待ってください」――なんだいMsタマーラ・カルサヴィナ」
言うことは言い終えたとして一限目の教室に向かおうとするウラジミール先輩をタマーラが引き止める。タマーラにはまだ聞きたいことがあるようだ。そう、私も一つ聞きたいことが残っている。それは、
「なんで先輩方は私たちに黙っていたんですか? その学会は急に決まったわけではないのでしょ?」
ウラジミール先輩はその事だけは聞いてほしくなかったと、そう言わんばかりに、凄く苦い顔している。その後も腕組をしあっちこっちに目を泳がせて逡巡して、その間ずっとタマーラの鋭い視線にさらされて、うーんうーんと悩んでいると横からその回答が来た。
「コンスタンチン先輩が当日に驚かせようと二人には秘密にしていたんだよ。それでいざ当日に二人は休んでいて肩透かしにあい、わざわざ療養しているだろう後輩たちにいらぬ心配をかけまいと静かにモスクワに旅立ちました。と言ういきさつだよお二人さん」
「シューホフ」
「「シューホフ先輩」」
「おはよう二人とも。あと、僕の事はウラジミールでもいいよ。むしろそう呼んでくれ」
ウラジーミル・シューホフ先輩、気さくで時折私みたいな田舎者にもナンパめいたことをしてくるユニークな人。専攻は構造学と建築学、他にも
「シューホフ、お前いつからいたんだ」
「君がそこの女性に迫られているあたりからだよ。それよりも早く行こう、それなりに時間が迫っているからね」
ウラジーミル・シューホフ先輩が腕時計を私たちに見せる。そう言えば周りの喧騒も随分少なくなっている。このまま遅刻するとまたレフ先生に何されるかわからないからみんな何も言わずに走り出す。
案の定校門の前にはレフ先生がいた。みんなレフ先生とは目を合わそうとせずに通り過ぎようとする。そんなみんなをレフ先生は睥睨している。レフ先生には珍しく、こんなギリギリの登校なのに何も言わずに通すのは本当に珍しい。私はそんな先生が気になってチラリと覗く。
今朝はレフ先生に何かされることはなかったが……そのレフ先生の瞳が、暗い雪のような瞳が、私を見るその瞳が憤怒の炎に燃え盛ってっていた。
私は酷く、全身が凍るような悪寒に襲われた。
一瞬呼吸さえ忘れるほどに。
私はそのまま無呼吸のままレフ先生から出来る限り速く走って教室に向かう。あとになって青い顔をしていることをタマーラに心配されたが、なんでもないと押し通した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ここは帝都サンクトペテルブルクのとある裏路地、ここに大きく歪な獣の影が刻み付けられた裏路地。
そこに一人の男がいる。
血も、目も、服も、思想も、すべてが赫い男。
赫い男は地面に刻み付けられた陰に手で触れ、裏路地全体を見渡す。どんな痕跡も見逃さぬように用心深く。
「ここにおりましたか閣下」
赫い男の背後にもう一人の男が現れる。
静かに、深く、深き海の声の。光さえ通さず、届かず、屈折するほど黒のような青いスーツを纏う細身で長身男。
深き男は赫い男、閣下と呼ぶ男の背後に膝を着き頭を下げる。
「同志ジェルジンスキー。例の件はどうした?」
「は、
そう、モスクワに出来ていた隙は故意に作られたもの、その目的はモスクワに侵入した者たちを泳がせ、その協力者やパイプ役を燻りだし一網打尽にするための作戦。そのため一部の最高幹部にも知らせず、極秘に進めていた。だが秘匿していたばかりに仲間に妨害されると言う誤算が生じた。
「残りの7人はどうした?」
「…………残りの7名は同志スターリンに同行した同志ベリヤの手によって……」
深き男が言いよどむ。彼はその7人の現状を想像しその顔は怒りに染め、今この場にでもその男が居ようものなら即座に殺しているほどの殺意をその身に滾らせている。
「そうか、その7人は子女で、ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤの辱めうけているのか。それは災難だな。ならば、その苦しみから解放してやらねばならないな」
「――閣下!」
深き男は顔を上げる。その顔は歓喜に、この男が7名の子女を救済しようとしていると、そうしようとしていると思い欣喜雀躍しそうになるの堪える。
しかし、
「ああ、その者たちを我ら管轄のアカデミー
深き男の希望は打ち砕かれる。
「……は? それは、どういうことでしょうか閣下?」
深き男は赫い男に問う、その先は聞くべきではないし、聞いてはならないと理性が訴える。しかし、深き男は理性を叩き伏せて問う。それがどんな不条理でも責任の一端は自分にもあるから。
「以前スターリンから提案された党員の一部の者たちの全身を
「
――――深き男は理解を拒む――――
――――拒むが、それさえ拒絶して叫ぶ――――
「あなたは何を言っているんですか!!!! そんなのできるわけないじゃないですか!!!! 気でも狂ったんですか!!?」
深き男は立ち上がり赫い男に詰め寄る。
「同志ジェルジンスキー。わたしは冷静だよ」
「ならばなぜ!! なぜ!! そのようなことを言うんだ!!?」
深き男は問う。そして、あわよくば止めよとさえする。しかし、しかし、その程度この男は止まらない。
「必要だからだ」
「必要――――だと」
「ああ、必要だ。いくら個が強くともこの国を変えることはできない。それほどにこの国は広大だ。そして、その国のためには数がいる。勿論弱者では務まらない、絶対なる強者でなければならない。そのための機関機械化、
「――そんなこと、神が許されると」
深き男は膝をつき項垂れる。深き男は絶望に陥っている。しかし、赫い男はそんなことに頓着しない。
「神など関係ない、これはわたしの意志だ。
それとわたし一時期帝都を離れる。わたしとスターリンがいないとなれば
立ち去る赫い男に深き男は目もくれない。いま、彼にはそんなこと気にする余裕のないくらい、深く、深い絶望に沈んでいる。
遅くなりました。え?遅くなった理由?実は……章タイトルが思いつかなかったからです!いやーそのあたり何も考えずに始めましたからね。うん。話の大まかな流れや登場人物は決めていたのにね。つまり、
では親愛なるハーメルン読者の皆様良き青空を。