黒雪のコモリオム  --What a beautiful Fakes --   作:ジンネマン

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プロローグ

 あの日。彼はこの星に降り立った。

 そこはとても寒い土地。地上の大半の生命を拒絶した土地。地上の大半の植物を排斥した土地。

 そんな水墨画のような灰色の世界に彼はいた。いや、正確には色彩の乏しい殺風景な大地の中心。きれいな円形に抉られ剥き出しの大地。その大きな窪地の外は|まるでお伽噺に出てくる巨人に踏み倒されたように木々が放射状に薙ぎ倒されている。《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》

 彼曰く、これでも被害は抑えたつもりなのだが、それでもこの惨事はいかんともし難く。必然この地の地図を書き直す未来しかない。

 

 そして、彼がこの地に降り立際の衝撃による静寂がが過ぎ去り、白い雪と()てつく針のような寒風が窪地一帯を包んだ。その中心に立つ彼は上を見上げる。地上で吹き(すさ)む風とは裏腹に、二十世紀の灰色の天盖とは違う。排煙によって染められたそれ(・・)とは違う純粋な雪雲の空には未だに大きな穴が穿たれたままだった。

 

 その穴より覗く蒼穹(あおぞら)。二十世紀にはお伽噺とさえ言われる青色(幻想)の空が大地と彼を照らす。

 

 この時の彼はいつ自分がいつ降り立ったかは正確には覚えていない。せいぜいこの国の名が『ロシア帝国』とエカテリーナという女がいたことぐらいしか覚えてはいない。それでもこの星に降り立った理由は明確に覚えている。

 なにかを見たくって、なにかを知りたくって、なにかを感じたくって、この星に降り立った。

 自分が産み出した戯曲しか知らない彼は、自分の戯曲以外のなにかを見たくって、知りたくって、感じたくって、この星に降り立った。

 

 そして、その願いは早々に叶えられ、延々と続く物語(悲劇)が始まった。

 例えば、晩年幻聴と幻覚に苛まれる音楽家。

 例えば、死神と言う名の騎士に追われた親子。

 例えば、耳を切り落とした悲劇の画家。

 

 だが、その結末に彼は関心がなかった。いや、理解をしていなかった。

 彼がその事に気付くのはまだ先。彼がその事を知るのもまだ先。彼がその事に絶望(■■)したのはまだ先。

 彼が極東の彼らに逢い、真に後悔するのはまだまだ先の話。

 それを真に、理解しようとも、回り、廻り、まわる。回転悲劇は回り続ける。止まらない回転。

 

 止めるために、停めるために、彼は■■■(・・・)を探し求める。それだけでは駄目だとわかりつつも、他に方法が見つからず、探し求める――――

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 今日は1902年1月7日。私がアカデミーに入ってから初めてのクリスマス。

 この国では元来欧州とは違う暦だったのだか、欧州好きで有名なヒョートル一世の時に欧州と同じ暦となったのだか、長年の習慣はそうそう変わるものではなく、12月25日に祝う人々は少数で大半の人は年が明けの1月7日にクリスマスを祝う。こうなった理由の一説にはロシア人の欧州嫌いが根強いとも、ただ欧州被れのヒョートル一世への反骨とも言われるが、少なくとも私たち一般市民は1月7日に祝う。

 この日はクリスマスの定番『くるみ割り人形』と主催者の要望でマリンスキーの若手主体の、私とタマーラも舞台に立った『白鳥の湖』『火の鳥』は幕を閉じ、私やタマーラ、マリンスキーのみんなは制服や礼服、思い思いのドレスに着替えて社交界というなの慰労会に参加する……はずだったのだか、私はそれほど疲れていなかったし、それよりも明日の公演が控えているからもっと練習したくってドレスに着替えることなく、タマーラに言付けを頼んでアカデミーに直行した。

 

 この日は灰も雪もそれほど降ってなく、風も穏やかなとても静かな日だった。街を歩く人たちも外食の後なのか、それとも郊外のダーチャ(セカンドハウス)からの帰りなのか、とっても幸せそうで暖かな笑顔だ。

 因みにロシアの子供たちがプレゼントを貰うのは年末、今から一週間前だ。この国でプレゼントを配るのは欧州で一般的なサンタクロース(聖ニコライ)ではなくジェド・マロース(極寒おじいさん)とその孫のスネグーロチカ(雪の娘)だ。幼少部の子達に限っては1月7日にアカデミーに行くとプレゼント貰えたりする。

 無論私は幼少部には行かない。そんな子供じゃないしね。けれどもちゃんとプレゼントは貰った。しかも三つもだ!

 ただ、なんで三つもプレゼントが貰えたかは不明だ。昔私がジェド・マロースを一目見たくって夜更かした夜に靴下の下にプレゼントを置こうとしたお父さん(アチェーツ)を見つけて問い詰めた時に教えてくれたことがあった。

 

『いいかいアンナ。ジェド・マロースも多忙なんだよ。近年この国も人口増加に伴い彼の仕事も多忙で一人ではロシア中の子供たちにプレゼントを贈ることができないんだ。

 そこで彼は自分と同じ格好をしてくれる人や、子供のいる家のお父さんお母さんにプレゼントを前もって渡しておいて、当日に子供たちに贈るように頼むんだよ。

 これはみんなに秘密だよ』

 

 つまりこれは何らかの手続きの不備で私のところに三つもプレゼントが来たということ、これはジェド・マロースに返還すべきかとタマーラに聞いたら。

 

『いいんじゃない別に返還しなくっても。そもそもそのプレゼントも手紙も突然送られてくるものだから住所なんて記載されてないだろうし、今更返されても向こうも困るからありがたく貰っておきなさい』

 

 返還先がわからないならどうしようもない。だからタマーラの言う通りにありがたく貰っておくことにした。

 そう自分に言い聞かせて、ちょっと背徳感もあるが、それ以上にたくさんプレゼントが貰えたのが嬉しかった。

 ただ、プレゼントが届けられた年末のあの日はコンスタンチン先輩が飲ませてくれた妙に美味しいジュースを飲んだあと記憶が曖昧なのと、その後深夜に物音と三人ほどの口論があった気がしたのだが、その時に限ってまぶたは石のように重く、身体に至っては全身鉛になったかと錯覚するくらいに重かったのと、やはり意識がぼんやりしてその後の記憶がない。

 

 次の朝にはジェド・マロースのために用意していたクッキーと牛乳が少し散乱していたのはたぶん三人のジェド・マロースが争った結果なのかな?

 その事もタマーラに聞いてみたが、返ってきた答えは肯定で、しかも三人のジェド・マロースの中に一人食い意地が張ったジェド・マロースがいるとも言っていた。

 もしかしてタマーラはジェド・マロースと知り合いがいるのかと聞いた。そしたら、

 

『な〜いしょ。お子様なアンナにはわからないかもしれないけどね。女は秘密が多いほど魅力的になるものなのよ』

 

 そう言って私をはぐらかすタマーラ。

 ――でも、その時のタマーラは普段とは違う、蠱惑的な雰囲気を醸し出した大人の女性に見えた。いまの私じゃ逆立ちしてもできない魅力的なタマーラ。認めたくないけども子供っぽい私じゃとても真似できない。とても素敵なタマーラ。

 

 クリスマスで思い出したが、私がバレエを初めて見たのはアカデミーに入る前、私が9歳の時の1月7日クリスマス。この日、私は初めてバレエを見た。それはとてもとても綺麗で、とてもとても美しかった。

 あんまり裕福ではない我が家で、本来なら年明けのクリスマスのご馳走に使うはずだったお金の一部を使って家族でバレエを観に来た。

 ううん。違う。クリスマスのお金どうのこうのとは関係なく素敵だった。

 本当に素敵で、本当に綺麗で、その日その時に私の将来の夢が決めたのだ。

 もちろん親からの反対はあったが、それを必死に説得して条件付きではあるが、やっとのことで了解を得ることができた。

 

 その条件は高等教育課程からの入学。同じ帝都サンクトペテルブルクに住んでいるとはいえ、私は上流階級のことにあまり無知だった。もちろんアカデミーの人たち全員が上流階級の人とは限らない。今では広く一般の人もいるけれども一定以上の人はそうなのだ。

 だから最低限以上に勉強以外の様々なことを知らなければならないというのが親の意見。最もその中には幼い私を寮暮らしとはいえ一人では色々無理だと判断もあったらしい。もっとも後から聞いてみれば好きなことばかりやって体を壊さないかの心配の方が大きかったらしい。全く我が親ながら失礼な話だ。

 ――もちろん自分が好きなことに夢中になりやすいのは自覚しているけど、そこまでではないと思う……思います。

 

 その後の数年間、私は必死に勉強した。言葉の是正からテーブルマナーに社交ダンスの仕方など、貧しいゆえの情報の少なさと生活費を切り詰めなければならなかったこともあり、この数年間は本当に大変だった。無論私も家の仕事や家事を手伝ったりしたがそれでも大変だった。

 ようやく約束の年になり私はアカデミーの門を叩いた。自慢ではないが元来物覚えがいい方だったのが幸いし、最近頻繁に聞くようになった《エイダ主義》と古くはエカテリーナ二世が切り開いてくれた女性の社会進出の功績も後押し、更には振り付け師の人にバレエに適した体型と言われたこともあって私は、帝国サンクトペテルブルグ碩学アカデミー付属帝室マリインスキー劇場舞踊学校に入学ができた。

 

 やっとの思いで入学してからは苦労の連続だったけども、それでもタマーラや飛空艇研究会のみんな、各学部の講師や教授の方々、修道士(モナーフ)ニコライや正教会の人たちも、アカデミーに来るまでは目にするどころか関わり合いことさえ無理だった。

 ううん。他に見たことのない貴重な本や資料、篆刻動画に記録されている過去の名バレエダンサーの舞台が私の世界を大きくしてくれた。

 こんな素敵な場所にこれたことはとても、とても、とても素敵なことで。神様には感謝してもし足りない。

 

 だからこそ願わずにはいられない。こんなにも素敵な演目がいつまでも続きますように――

 暖かく優しい演目が続きますように。

 日常と言う名の舞台が幕引き来ないように。

 今日と言う閉幕のあとの開幕がありますように。

 

 歩きを止めて顔を少し上げて、ほんの少し瞠目して祈る。

 祈り。願い。乞う。

 声には出さないけど、あの灰色雲の上にいるであろう神様に届くように。

 この《きれいなもの》と《うつくしいもの》に終わりが来ないように。

 

 ――真摯に――

 

 早く見つけて

 

 目を開けると頬に一筋の涙。いま一瞬、小さな声と視界の端に誰かが見えた。黄色い誰か、その胸には黒い縞瑪瑙のメダル。

 目を瞑っていたのに見えた光景と理由もなく頬を流れる涙に違和感を覚え、辺りを見回しても誰もいない。気配すらない。

 ――でも、いまたしかに、ううん。たぶん気のせい。涙も思い出し泣きだ。

 

 そう思い、涙を拭い気を取り直す。せっかくのクリスマスに暗い気分でいるのは損だ。

 ――さあ、明日の練習で…も、

 練習の為に社交界を抜け出したのを思い出すのと同時に、綺麗な街のクリスマスイルミネーションなどを見て、幸せそうな家族連れを見て、思い出した。まだ今年のクリスマス風景の写真を撮っていないことに、昨年から昨日までアカデミーに寝泊まりして、朝から晩まで練習に夢中で風景写真を撮っていないことに。

 ――しまったーーーー!!

 

 昨年、部活動で初めて貰って、初めて触って、初めて使った篆刻写真機。型は古いものの私のお気に入り。

 写真機を支給されて以来、私にとってバレエと並ぶほど好き写真撮影。年末は練習に夢中になりすぎて忘れていた写真撮影。

 ――急がなきゃ!

 善は急げ、私は荷物部屋に乱暴に置き、外行(いくら汚れても傷ついても問題ない丈夫な服)の服に着替えると寮母さまに急ぎ外出届を提出して外に出た。まだお昼を少し過ぎた程度で人も多い。そんななか私はあちらこちらに写真機を向けて、いいな~と思った風景を逐一写真に収めながら、今日中にめぼしいものは撮ってしまうと躍起になる。

 ――だって、明日からはまた練習の毎日で、外で写真を撮っている暇もないかもしれないから。

 

 走る。

 走る。

 走る。

 

 ひた走る。今日と言う素晴らしき日を写真に残しておきたいから。心に残しておきたいから。みんなにもたくさん見せたいから。みんなにも喜んでほしいから。

 ――だから、精一杯頑張らないと!

 

 そんな、なんでもないようで特別な毎日ととても特別な一日を繰り返し幕開く演目。日常。

 でも、そんな小さな願いは聞き届けられなかった。この二日後に、あの大惨事が起こるとは誰も知らなかった。誰も予期できなかった。誰も止められなかった。

 そこら静かに回り始めた。私の回転悲劇。このロシア全体を回りだした回転悲劇。

 

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 

 チクタク。

 チクタク。

 チクタク。

 

 その影で蠢く《赫》。《黒》を駆逐せんと燃え上がる《赫き者》。

 すべてを染め上げる狂気の《赫》が地の底から鳴動する。

 




遅くなりました。

さて、構想を一部練り直しして、プロローグを落とします。
練り直しの主な要点は以下の通りです。

①血の日曜日事件の日付変更。
②キャラクターの口調の変更。
③日付の随時書き足し。

①は思うところがあったのと、色々調べるとやっぱり無理があると思うったからです。
②はキャラの口調が余りにも似通っている、とうか無個性が過ぎるのでこちらも随時書き直しまあす。
③は日付がないと今後やりづらくなる部分が出てきたので、こちらも随時書き足しですね。

あと①の為に二部と三部でお話に齟齬が大いにありますが、ちゃんと直しますので今は少し待て下さい。

今回の報告はこのくらいで、では親愛なる皆様方。良き青空を。

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