冬虫夏草   作:鈴木_

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06 緒方

偶然信号機の赤信号で車をストップさせたその交差点近く。

骨董店らしき店のウインドウを覗く見覚えある少女に、ハンドルを回し行き先を変更する。

本当ならこの道に路上駐車は良くなかったが、すぐに戻れると道路脇に駐車した。

どうせ見つけた少女を捕まえて、車で家まで送るだけだ。

「学校帰りに寄り道か?」

声をかけると、ハッとヒカルがふりかえる。

しかしその目は、見られたくないところを見られてしまったようなバツの悪そうな表情で、とにかく歓迎されていないことだけは確かだろう。

「緒形さん……」

「どれか気になるようなものでもあったのか?」

ヒカルに構わず話しを続け、ヒカルが見ていただろうウインドウを覗く。

そこには、思春期の女の子が好みそうなキラキラした装飾品などはひとつもなく、価値の分からない皿や茶碗が並べられているだけだった。

だが、ヒカルの視線は迷うことなく、並べられた皿の中から一点だけを見ている。

すると、1人店の中に入っていき、仕方なく後を追った。

「おじさん、店のウインドウに飾られてる四角の皿、いくら?」

おい。本気であんな皿が欲しいのか?

年頃の女の子が骨董なんかに興味持つのは少し早すぎるぞ。

「四角い皿?ああ、あれは50万だ」

皿がどれか見もせずに、女子高生にぼったくりもいいところだな、このオヤジ。

仮にも客相手に、そんな不遜な態度は見ているこっちも嫌な気分になる。

「もういいだろう、ヒカル。お前の小遣いじゃとても」

無理だと続けようして、ヒカルがスクールバックから財布を取り出し、中からカードを出したのは流石に眉間に皺が寄った。

カードの名義は「トウヤコウヨウ」。

いくら妻とはいえ、先生は16の女子高生にカードなんか持たせているのか!?

幸せボケ過ぎる!!

「カードで」

「やめろ、ヒカル。いくらなんでもその金額は衝動買いの域を超えてる!」

カードを差し出した腕を掴み、止めさせようとする。

しかし

「邪魔しないで!私はあのお皿が欲しい!絶対今すぐあのお皿が欲しいの!」

ギッ、と睨まれ、掴んだ腕を振りほどかれる。

素直に驚いた。

いつも能天気に笑って、悩みなど何もなさそうに、無邪気に塔矢先生にくっついて碁を打っているイメージしかなかったヒカルが、こんな鋭い目で誰かを睨むことがあるのか。

「おじさん、お願い」

「ま、毎度どうもっ……」

思わぬカモに、店のオヤジが、それまでの態度を一変させ媚び諂いながらヒカルからカードを受け取り会計処理していく。

頭痛で頭が痛い。

どんなに囲碁が強かろうと、ヒカルはやはりまだ世間知らずの女の子だ。

欲しいものがあると、無性に欲しくなり衝動買いをする。

しかも、塔矢先生のカードで買いたい放題。

すぐにカードを取り上げないと、金銭感覚が麻痺するぞ。

会計を済ませ、木の箱に入れられた皿をヒカルは受け取るて満足そうに大事に両手で抱えている。

「家まで送るから……」

呆れてそれしか言えん。

まだ金銭感覚が馬鹿になっていないうちに、しっかり修正しなくては。

「ホント?ありがと、緒形さん」

欲しいものが手に入って上機嫌のヒカルに重い溜息がもれる。

後でたんまり塔矢先生に叱ってもらわなくては。

そして塔矢先生にも弟子の身分で差し出がましいが、一言苦言を呈しておかなくては……。

女の衝動買いほど怖いものはないんだ。

「ただいまー!!」

 

「おかえりなさい」

 

「かよさんただいまっ!お腹空いちゃった!今日の晩ご飯何!?」

 

「はいはい、今日はヒカルちゃんの大好きなから揚げですよ。ですから、手を洗ってウガイして、あと少し待ってね」

 

玄関に入るなり、靴をそろえるのもそぞろに、ヒカルは台所へ走っていき、家政婦のかよさんに晩ご飯の催促。

50万の皿を買ったことを塔矢先生に報告するのは、後回しか。

マズイな。

これは本腰を入れて今からしっかり修正しなくてはならんな。

 

また溜息が……。

 

「塔矢先生……」

 

「ヒカルを家まで送ってくれたみたいだね、ありがとう。ところでどうしたのかね。そんな暗い顔をして」

 

暗くもなります。

頭も痛いです。

買い物依存症女の卵をこんな身近に見つけたんですから。

 

「実は、塔矢先生に大変言い難いことではあるのですが……」

 

と、さっきの出来事を塔矢先生に伝える。

いくら夫の年収が憶越えだろうと、16歳の女子高生にカードを持たせて、50万の衝動買いをホイホイさせるのはいかがなものか。

それが自分で稼いだ金ならまだいいが、自身は高校生で親と夫に食わせてもらっている身分なんだ。

そして、その50万も、二十歳になれば200万ぐらいをコンビニでサンドイッチでも買う感覚で買い物するようになる。

女という生き物は、実に末恐ろしいというのに。

 

どんなに目に入れても痛くないくらい可愛い妻でも、財布の紐だけはしっかり締めておかなくてはならない。

 

「なるほど。それはすまなかった。ヒカルにも後でしっかり言っておこう」

 

「カードを取り上げるおつもりは……」

 

「カードは、そうだね。やはり生活費や諸々があるから持たせておいた方がいいんだが、金額制限をかけておこう。それで高額な衝動買いは避けられるだろう」

 

結局、金額制限止まりですか……。

最善の予防策はやはりカードを取り上げるのが一番効果的なんだが、これ以上先生に強く言うことも出来ん。

くれぐれもキツク注意してくださいね、と念押しして塔矢家を後にしたが、さてどうなることか。

塔矢先生がどこまでヒカルに強く言えるか分からんが、今度から俺もしっかり目を光らせて注意する必要がありそうだな。

 

ハァ……。

 

また一つ幸せが逃げたじゃないか。

 

 

++++++++

 

 

 

ヒカルの部屋の障子が慣れた手付きですっと開き、行洋が部屋に入ってくる。

入る前に声はかけなかったが、ヒカルがそれに対して目くじらを立てることはなく、畳の上に敷かれたラグマットの上に直接寝転がり、むしろ行洋が部屋に来るのを待っていたかのように隣に行洋が耳触りの良い衣擦れの音を立て座るのを楽しそうに見ていた。

 

「緒方君に苦言をこぼされたよ」

 

「ごめんね、行洋が怒られちゃったね」

 

済まなそうにヒカルが謝るが、行洋は首を横に振り苦笑するだけで、一言も咎めることはなかった。

寝転がるヒカルの前に、木の箱から出されただろう皿を見て

 

「これが骨董店で買ったという皿かね?」

 

「うん。綺麗でしょ。でもね、このお皿にはちょっと仕掛けがあって」

 

言いながらヒカルは台所から持ってきたのだろう花瓶を皿に傾け、中の水を買ってきた皿に注ぎ入れる。

すると、

 

「ほぅ、これは見事だな」

 

思わず行洋の口から感嘆の声が漏れた。

水を入れたとたんに、皿の底に薄い桃色の花模様が浮き上がり、水を入れる前の皿とはまったく印象が変わった。

水を入れる前は皿の縁に描かれた藍の色だけが落ち着いた印象を与えていたのに、水を入れ花模様が現れると、華美過ぎない、けれど優美でとても美しい皿に生まれ変わった。

 

「花器は花を活けてこそ花器。弥衛門の傑作だよ。特別な上薬塗ってるから、他の作品とは違って見えるんだ。囲碁指南に招かれて京の御所行ったとき、一度だけ見たことあるから覚えてた」

 

うっとりとその美しい皿を眺めるヒカルに、行洋もまた微笑みを浮かべた。

 

 

 

 


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