冬虫夏草   作:鈴木_

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04 芦原

棋院に一番近いコンビニへ買出しに出たところ、偶然女流の桜野さんと遭遇し、彼女もこれから棋院に行くところだというので一緒に行こうということりなり、

 

「それで、塔矢先生の新婚生活ってどうなんですか?」

振ってくる話題は絶対それだよね、みなさん。

研究会に参加している塔矢門下の棋士を捕まえれば、そりゃあちょっとくらい聞きたくなる気持ちも分かるよ。

でも研究会内でのことなら分かるけれど、新婚生活のことまで分かるわけないじゃないか。

 

「3人とも仲良く生活しているみたいですよ。アキラもこれといって彼女に不満があるわけでもない様子だし」

 

「3人共通の趣味は囲碁ですものねー」

 

夫婦円満、家庭円満の秘訣は相互理解と共通の趣味だとか何とか、午後のワイドショーが言ってた気がするが、

 

「だけど……saiと知らず彼女を見つけた塔矢先生もだけど、彼女もよく自分の父親より年上の男と結婚する気になったと思うよ……」

 

男の方は若い子を掴まえたと賞賛されるかもしれないが、女の子の方を考えると……本当にその決断は正しかったのかと頭を捻ってしまう。

最後は本人同士がそれでよければ、いくら他人が何を言ってもどうしようもないんだけれど。

それでも、家政婦さん以外は男しかいなかったあの塔矢家に、可愛い女子高生がいる光景というのは、いまだに違和感がある。

「そうかしら?私は塔矢名人いいと思いますケド」

 

「えっ!桜野さんも枯れ専!?」

 

「違います!失礼な!そういう意味ではなく、付き合う恋人としてではなく、結婚相手としてよくよく塔矢先生を見れば、かなりイイ線いってると思いますよ」

 

「どこが!?だってあと数年で還暦だよ!?」

 

「経済力は今更言う必要なし。浮気の可能性もほぼゼロなのは、これまでの経歴が証明済み。容姿だって別にデブとか頭ハゲてるわけでもないし、至って和服の似合う渋い男性で十分通りますよ。オマケに先生は囲碁界No.1の実力者。saiだった彼女にしてみればこれ以上の好条件の結婚相手はいないと思いますね。まぁ、確かに塔矢先生のご年齢は考え物ですが、彼女が良ければ歳なんてどうでもいいんですよ」

 

「……女性が現実主義ってホントだったんだね」

 

 

「男が夢見がちなだけなんです」

 

そう断言されると、反論できません。

年下だけど、桜野さんの方が自分より人生達観しているんだね……。

って、棋院に入る建物の角から中の様子を伺って、長い髪を垂らした見覚えある後ろ姿は、

 

「ヒカルちゃん?」

 

「えっ?」

 

女子高生の制服姿の女の子がクルリと振り向けば、ほらやっぱり。

 

「芦原さんか、びっくりしちゃったっ」

 

「ヒカルちゃんこそどうしたの?こんなところで。塔矢先生に何か急用?」

 

 

「急用ってほどでもないんだけど、ちょっと……」

 

うっすら頬を染め、俯きつつもごもごと口ごもりながらも、ここ(棋院)にヒカルちゃんがわざわざ来た目的が塔矢先生ってことは当たりなわけか。

プロでもない自分が棋院に顔を出すのは気が引けると言って、あんまりここに近寄りたがらないこの子が来るからにはそれなりの理由があるんだろうけれど、恥じらいながらも来てしまうその理由に興味心をそそられないわけがない。

 

「芦原先生、その子、もしかして……」

 

おっと、今は自分ひとりじゃなかった。

桜野さんもいたんだった。

そして桜野さんの目は、まさしくハンター・・・・。

 

「えっと、紹介するね。こちらが塔矢先生と結婚した塔矢ヒカルちゃん。それと、こっちが桜野さん、塔矢先生や僕らと同じプロ棋士だよ」

 

「はっ、はじめまして!塔矢ヒカルですっ!!」

 

スクールバックと小さな紙袋を両手に抱え、90度以上腰を折ってヒカルちゃんが深々とご挨拶。

そういえば、塔矢先生の研究会に来るプロ棋士はみんな男だから、もしかして女性のプロ棋士にヒカルちゃんが会うのは初めてだったりするのかな。

 

「こちらこそ、はじめまして。桜野です……って……」

 

桜野さんの身体が、なんかフルフル震え初めて、あ、壊れた。

 

「可愛い――!!初めて見たけどホント美少女じゃないっ!テレビの言ってることなんて半分大げさだろうって思ってたのに、うんっ!塔矢先生やるわね!」

 

桜野さんの勢いに押されて、顔を横に向けられたり、さらさらロングヘアーの髪を触られたり、為すがままのヒカルちゃん。

そりゃあ、テレビもまだ未成年で一般人の女の子の顔を映すのは個人情報にひっかかるから、どの番組もヒカルちゃんの顔にはモザイクかけてましたもんね。

あとは同級生という他の生徒からの証言くらいでしか、ヒカルちゃんの容姿は知られていませんよ。

でも、女の人の目から見てもヒカルちゃんは美少女なんだなー。

同姓の目は厳しいっていうのに、すごいぞヒカルちゃんっ!

しかも可愛いだけじゃなく、囲碁も最強に強い!

 

「まぁまぁ、桜野さん。ヒカルちゃんがびっくりしているし」

自分が結婚した相手でもないのに、塔矢門下というだけで、ちょっと優越感に浸りながら、余裕ぶってヒカルちゃんと桜野さんの間に入ろうとしたら

「塔矢先生を探しているの?だったら私が先生のところまで案内してあげるから一緒に行きましょ」

あっさり桜野さんに無視され、ヒカルちゃんを棋院へ連れ去られてしまいましたよ、緒方さん。

普段大人しくてか弱い女性のこういうときの勢いって、なんでこんなに凄まじいんでしょうね……。

僕がヒカルちゃんを案内しようと思ったのに、まったく相手にもされてませんでした(涙)

僕に出来ることといえば、2人の後を追うくらいです。

しかも、

「芦原先生、私、ヒカルちゃんに棋院の中を案内しますから、塔矢先生が何していらっしゃるか聞いてきてもらえませんか?」

僕は喜んでパシリです。

 

笑顔で手を振って見送られ、足早に事務所に行けば、塔矢先生のスケジュールの打ち合わせをしているところだと聞かされた。

5冠もタイトル持っていれば、対局日程が過度に詰まってしまうから、ある程度、他の対戦棋士に都合をつけて日程調整しないといけないのは仕方ないことだよね。

その先生の負担を軽くするためにも僕ら下の棋士がもっと頑張らないといけないんだろうけれど、ヒカルちゃんと結婚してから、さらに塔矢先生ってば破竹の勢いで連勝してるから僕にはとても無理です。

ここは一発、緒方先生あたりに頑張ってもらうしかありません。

 

でも、打ち合わせ中の塔矢先生が、ヒカルちゃんが今、棋院に来ていると知ったらどんな顔をするのかちょっと楽しみだったり。

それを考えると、すぐすぐヒカルちゃんのところには戻らず、先生の打ち合わせが終わるのを待ってしまう。

 

30分ちょっとして、カチャリ、と部屋の戸が開き、待ってましたとばかりに振り向く。

「塔矢先生」

 

「芦原くん?どうかしたのかね?」

「実はヒカルちゃんが先生に用があるらしくて今棋院に来てるんですよ」

「ヒカルが?」

その名前に反応したのは塔矢先生だけじゃなく、事務所にいた事務員たちも同じで。

これまで一度も棋院に近寄ろうとしなかったヒカルちゃんが何故棋院に?と塔矢先生も首をかしげている。

そして事務員達も名前だけしか知らない、プロ以上に強い女子高生が、棋院に来ていると知ってざわつきはじめた。

いくらプロより強くても、本人にプロになる意思がなく、そして夫は現5冠の名人。

囲碁界にとってみれば喉から手が出るほど欲しい逸材なのに、塔矢先生という鉄壁の守りがいるから手が出せないんだよね。

南無阿弥陀仏!

「桜野さんがヒカルちゃんを棋院の中案内しているんで、すぐ呼んできます」

「いや、いい。私が行こう」

そういうなり、さっさと先を歩き始めた塔矢先生の後を気分良くついて行くのだけれど、すぐに周囲が変にざわついている気配に気付き、パタパタと足早にどこかへ向かおうとしている一人を捕まえて聞けば

「一般対局室で乃木先生が女子高生と対局しているらしいんですが、どうも乃木先生の方が負けそうらしくて」

「女、女子高生って……」

それってヒカルちゃん以外いないだろう?

しかも一般対局室って、プロじゃない一般の人が対局するところだよね。

そこで何で乃木先生とヒカルちゃんが打ってるんだい、桜野さん……。

 

塔矢先生と一般対局室に向かえば、すでにそこにはこんもり人だかりが出来ていて。

けれど塔矢先生の姿に気付くと、モーセが海を分けたように道が出来たので、感謝しつつ前へ行った。

そして中心には乃木先生と、予想通りヒカルちゃんが対局していた。

 

「桜野さん、塔矢先生連れてきたんだけど、何でまたヒカルちゃんが乃木先生と対局してるの?」

小声で桜野さんに尋ねれば、

 

「偶然すれ違ってヒカルちゃんを紹介したら、一局打とうってことになったんですよ。どうせ塔矢先生はスケジュールの打ち合わせでまだまだかかるって言うし、乃木先生にそんなこと言われたら私なんかじゃ断れないですよ」

うん、僕でもきっとそれは断れないだろうな。

けれど、塔矢先生もじっと盤面を見ているけれど、僕が見る限りでも……ヒカルちゃん強いよ、マジで……。

乃木先生の表情が険しくなってるし、脂汗かいてるじゃないか。

塔矢先生もだけど、ヒカルちゃんも何気にさらに強くなってるよね。

もう2人だけの世界って感じで、誰も2人の世界に干渉できません。

それからまた30分くらいして

「負けました……」

「ありがとうございました」

 

ヒカルちゃんが見事勝ちましたとさ。

そして人垣からもどよめきが起こった。

「信じられん……」

乃木先生が自分が負けた盤面を見ながら小さく呟く。

その気持ちは僕もよくわかりますよ。

女子高生に負けた事実より、女子高生がこんなに強いことが信じられないんですよね。

塔矢先生が女子高生で一般人のヒカルちゃんと結婚したことは知っていて、そのヒカルちゃんが半端なく強いことも知っていても、知っているのと実際打ってみるのでは全く違うんですよね。

 

ふう、と一息ついて、ヒカルちゃんは打った碁石を片付け、すぐに塔矢先生が隣にいることに気付き

「あっ、先生!」

 

「いい対局だった。乃木先生、ありがとうございました」

ヒカルちゃんに一局打ってくれた乃木先生に、塔矢先生が頭を下げ礼を言う。

「いえ、こちらこそありがとうございました。噂では聞いていましたが、本当にお強い。これでプロじゃないというのが信じられませんよ」

 

乃木先生の素直な賞賛に、塔矢先生は微笑みを返すだけで、ヒカルちゃんの方を振り向き

「ヒカル、私に用があると聞いたのだが?」

「ううんっ!そんな急ぎの用ってほどじゃないの!」

「しかしそのためにわざわざ棋院に来たんだろう?」

「えっと、それは……でも用ってわけでもなくて……棋院の帰りに先生に会えればいいなってくらいで……」

もじもじと両手の指を絡めてヒカルちゃんは俯いてしまった。

ほんと可愛いなー。初々しいなー。健気だなー。なんでこの子は塔矢先生がよかったんだろー。

「今日ね、家庭科の実習で……クッキー焼いたの……それでね、先生に食べてもらえたらなって……」

スクールバックともう一つ、持っていた小さな紙袋を先生の方におずおずと差出す。

その紙袋を受け取り中を覗いた先生も

 

「なるほど。では早く家に帰って一緒にお茶にしようか」

うーーーーーーーーわーーーーーーーーーー。

家庭科の調理実習で作ったクッキーをわざわざ渡すためだけに棋院に来たのか、この子はっ……。

家で待っていれば、いずれ塔矢先生は帰ってくるのに、少しでも早くクッキー渡したかったんだろーなー。

ていうか、五十路の男と女子高生に見せつけられるとは。

すでに塔矢先生の研究会で何度も見慣れているつもりだったけど、それが棋院だと破壊力と被害が半端無いよ。

2人のらぶらぶな光景に免疫のない周囲や、新婚生活に興味があったらしい桜野さんまで何も言えないみたいですよ。

「そっちのバッグも持とう」

クッキーの入った紙袋のほかに、ヒカルちゃんが持っていたスクールバックの方も塔矢先生が持とうとして

「ダメ!こっちはいいの!!」

ヒカルちゃんに思いっきり拒否された。

さっきまでらぶらぶだった相手をそこまで拒絶するような何がそのバッグに入っているの?という疑問はさらなるラブオーラで吹き飛ばされた。

 

「だからこっちは」

スクールバックを持とうとした先生の手をヒカルちゃんが握る。

つまり、さっき先生を拒否したのは、手を繋ぎたいためらしく……

「えへへ」

 

照れ笑いするヒカルちゃんの手を、塔矢先生も握り返し、すっごい満面の笑顔。

そりゃ、先生の手が両手ともふさがってたら手繋げないもんね。

 

「では帰ろうか」

「うん!」

「それでは失礼します」

「桜野さん芦原さんありがとう!それじゃっ!」

挨拶してからその場を立ち去るも、2人はしっかり手を繋いでいて、残されたこちらは死屍累々。

ヒカルちゃん、君はあんまり棋院に来ないほうがいいかもしれない。

君と塔矢先生のラブオーラに関係者だけじゃなく一般人までそのオーラに当てられそうだ。

 

その中でも特に乃木先生なんかは、塔矢先生とヒカルちゃんの姿にショックを受けたようで、瞬きすら出来ないでいる。

「乃木先生、大丈夫ですか?」

これは相ダメージ大きいなと思いながら声をかけると、ぐっと右手を握り締め

「わ、わしだってまだまだっ……」

それだけは絶対にナイナイ。

 

 


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