東方先代録   作:パイマン

5 / 66
紅魔郷編ラスト。


其の五「紅魔郷」

 五人の中で、その光景に最も衝撃を受けたのは魔理沙だった。

 霊夢がやられた。

 墜ちた。

 

「霊夢っ!」

 

 地面に墜落した霊夢の体にしがみ付き、懸命に呼びかけた。

 誰かに敗北し、傷を負って、ましてや死に追いやられる様など欠片も想像出来なかった親友が、鮮血に染まって倒れている。

 出血の酷さで全身が赤く見え、一体どこに傷を負ったのか一目では分からない程だ。

 同時に、魔理沙も冷静に霊夢の状態を見られないほど混乱していた。

 

「大丈夫。脈はあるし、気を失っているだけね」

 

 いつの間にか傍らにしゃがみこんだ咲夜が、魔理沙に代わって冷静に霊夢の腕を取り、状態を調べていた。

 二人の居た位置も、フランドールの傍ではなく、距離を取ったパチュリーの近くへと移動していた。

 時間停止能力を使って、少しでも安全な場所に移動させたのだ。

 

「傷は左腕ね。肉が抉れているけど、骨まで達してはいないわ」

「致命傷じゃ……」

「ないわね。そもそも、あの高所からの落下で首の骨を折る危険性の方が高かったわ。無意識なのか、飛んで速度を軽減したようね」

「あの土壇場で、なんとまあ」

 

 更に状態と状況を解析する咲夜に対して、パチュリーが他人事のように感心していた。

 咲夜による止血と、パチュリーによる治癒魔法の施術が行われている間に、魔理沙はフランドールの方へ視線を走らせた。

 霊夢の安否が判明したからといって、あの元凶がいる限り安心できる状況ではない。

 次に何処へ矛先を向けるか分からない狂気の吸血鬼は、意外にもその場を動くことなく、呆けた表情で自らの右手を見つめていた。

 

「んー?」

「……フラン」

 

 一人首を傾げるフランドールに対して、レミリアが慎重に声を掛ける。

 

「んむぅ……?」

「部屋に戻りなさい。いい? 彼女は……」

「おっかしいなぁ」

「フラン? 聞いているの?」

「うーんと、ねぇ」

 

 そっと傍らにまで近寄ったレミリアを一瞥すると、おもむろに右手を差し出した。

 

「え?」

「ドカーン」

 

 握り締める。

 次の瞬間、レミリアの呆けた顔が赤い霧となって吹き飛んだ。

 首から上を綺麗に失ったレミリアの体は、一瞬グラリと傾き、しかし落下を始める寸前で持ち直す。

 砕け散った頭部は、吸血鬼特有の不死性によってすぐさま再生した。

 

「アハハッ、上手くいった! やっぱりちゃんと壊れるんだぁ」

「フ……フラン、何をするの!?」

 

 頭を完全に復元しながらも、レミリアの顔は青褪めていた。

 今のはただ破壊されただけだった。しかし、フランドールの能力は物理的な威力だけでなく、吸血鬼の再生能力も含めて肉体を破壊することが出来る。

 そうなれば、再生そのものが出来ない。

 

「うんっ、さっきはちょっと狙いを外しちゃったんだね。よーし、今度はしっかり狙うよぉ」

「フラン、やめろと言っているのよ!」

 

 フランドールの標的は変わっていなかった。

 倒れた霊夢と、その周囲に集まった魔理沙達に視線を移したフランドールを、レミリアが止めようと腕を掴む。

 視線が掴まれた一点に注がれ、やがて酷く剣呑な色に染まってレミリアに向けられた。

 

「お姉様……邪魔」

 

 腕を振り払う、などという生易しい対応ではなかった。

 刃のように鋭い爪を伸ばし、それで実の姉の体を切り裂こうと深く薙ぎ払う。

 レミリアはその一撃を片腕で受けながらも、フランドールに呼びかけた。

 

「やめなさい、あの人間を殺すことは許さない!」

「あれれっ、どうして? ねえ、お姉様。お父様って殺されたんでしょ?」

「あの男は、死んで当然だった!」

「当然? なんで?」

「アンタ、アイツに何をされたか忘れたの!?」

「覚えてるよぉ、お父様は色んなことをしてくれたよ? うん、そうだよ。お父様なんだよっ」

「何を……っ」

「お父様なんだから、『家族』なんだよ!」

 

 レミリアは、言いかけていた言葉と共に息を呑んだ。

 こちら覗き見るフランドールの瞳が、あまりに純粋過ぎて、逆に狂気という一色に染まりきってしまっているのかと思った。

 

「『家族』を殺されたら、怒るものなんでしょ? お姉さまが、そう教えてくれたじゃない」

 

 言った。その通りだ。

 本当に昔の話だ。母を失った時のことをフランドールに話し、そこで家族について教えた。

 家族を傷つけられ、殺されたのなら、怒っていい。怒るものなのだ。

 

「母を……殺したのはっ、あの男だろうが!」

 

 フランドールのあまりに純粋で無垢な疑問に耐え切れず、レミリアは吐き出すように叫んだ。

 

「でも、わたしお母様って知らないもの」

 

 再び、言葉を失った。

 母はフランドールを生んだ直後に殺された。妹は母の愛情はおろか、顔すら知らないのだ。

 

「お母様を知っているのは、先に生まれたお姉様だけだもの」

「あ……ぅ……」

「わたしが知っているのは、お父様だけだもの」

 

 フランドールの言葉の一つ一つが刃となってレミリアの心を突き刺した。

 何かに抵抗しようとしていた全身の力が、不意に抜けていく。

 拘束が緩んだ瞬間、フランドールは躊躇わずに、レミリアの顔面を殴り飛ばした。

 吹き飛ばされていく先へ、追撃の魔力弾を連続で叩き込む。

 弾幕ごっこの為の見栄えや量を重視したものではなく、力を収束させて殺傷力を向上させた弾丸が、レミリアの体を引き裂いた。

 

「お姉様が、わたしに教えたんでしょ? 何でも知ってるお姉様がさぁ!」

 

 狂気の笑みがいつの間にか憤怒の形相へと変貌していた。引き攣ったままの口元が、無理矢理笑みの形に歪めている。

 まるで実の姉を恨みきっているかのように苛烈な攻撃がレミリアへ襲い掛かった。

 爆発と共に血飛沫と肉片が空中で飛び散り、再生する端から新たな攻撃が肉体を破壊した。

 一方的な戦いだった。

 しかし、どれだけ攻撃を加えても、フランドールの怒りは無尽蔵であるかのように治まらない。

 

「……レミリアは、なんで反撃しないんだ?」

 

 状況を見定めていた魔理沙は思わず呟いていた。

 霊夢の治癒に集中しながら、パチュリーが答える。

 

「反撃しないのではないわ。出来ないのよ」

「フランドールの方が能力は上ってことか?」

「確かに、彼女の能力は破壊に特化しているわ。あの能力の前には防御は意味がない。

 でも、反撃出来ない理由は、レミィ個人の事情よ。妹であるフランドールに対して、強い負い目があるの」

 

 自分が死にそうになっても抵抗出来ないほどの負い目なのか?

 魔理沙は視線でそう訴えた。

 疲れたようなため息が返ってくる。呆れて出たものではない。何かを嘆くような声色で、パチュリーは説明した。

 

「あの娘は父親に虐待されていたと言ったわね。

 レミィは逆よ。フランドールが虐待されている一方で、姉であるレミィは虐待されるどころか、スカーレット家の長女として最高の保護と教育を受けていた」

「……なんだと?」

「差別したのよ、あの父親がわざと。虐げられる妹の目の前で、姉を優遇したの。

 それ以外のことを、レミィには強要しなかったわ。妹の虐待に堪りかねて、姉が手助けしたり、慰めようとすることも止めなかった。ただ、眺めて楽しんでいたのよ」

 

 語りながら、パチュリーは無意識に自らの喉元に触れていた。

 忌々しい感触が過去の記憶と共に蘇ってくる。

 既に滅んだあの男の呪いが、未だこの紅魔館全体を覆っているような錯覚を覚えた。いや、錯覚などではない。

 

「親として接することのないあの男に代わって、レミィはフランドールに何度も語りかけたらしいわ。自分の愛も道徳も説いた。

 でも、それを素直に受け止められるはずがない。姉は父親に優しくされ、記憶にない母親さえ知っている。そういう境遇に、あの男は二人を置いたのよ」

「クソヤロウ……ッ!」

「まさにその通り。そして、だからこそあの男は報いを受けた。でも、今はもうそんなことどうでもいい話だわ。

 レミィは、フランドールに反撃出来ない。罪悪感と後ろめたさがあるから。あのまま攻撃を受け止め続けるしかない。

 そしてフランドールも、もう唯一の肉親である彼女の言葉さえ聞き入れることは出来ないでしょうね」

 

 パチュリーはやるせなさに力なく首を振り、魔理沙は血が滲まんばかりに拳を握り締めた。

 沈黙する二人を一瞥し、咲夜が立ち上がる。

 

「咲夜、行くのね?」

「……私は、全てが終わった後の紅魔館に拾われた身です。

 事情は分かりました。しかし、この身はレミリアお嬢様に捧げたもの。過去未来関係なく、あの方を守る為の刃と成るものです」

 

 忠義を映した瞳で小さく微笑むと、咲夜はレミリアとフランドールの戦いに割って入るべく飛翔した。

 

「わたしは……どうすればいい?」

 

 縋るように尋ねる魔理沙に対して、パチュリーは何も言うことが出来なかった。

 アナタには関係のない話だわ、と。本来ならそう断言してやるべきだろう。人間である彼女には、ここは既に死地だ。

 しかし、それを告げることは出来なかった。

 魔理沙と同じように、パチュリー自身もこの状況で何かに縋りたかった。

 あまりに悲しく、不毛な諍いを続ける姉妹の間に割って入る何者かを期待せずにはいられなかった。

 

「私は……」

「とりあえず、腕の治療に専念してもらえる?」

 

 苦悩する二人の間に、第三者の声が割り込んだ。

 

「霊夢! 大丈夫なのか?」

「頭がガンガンするわ」

 

 魔理沙の腕の中で目を覚ました霊夢は、自分の片腕の状態を無視して、顔を顰めながらぼやいた。

 

「そっちじゃないだろ!? おい、左腕が抉られてるんだぞ。痛くないのかよ?」

「痛いわよ。もう滅茶苦茶痛いわ」

「当たり前だろ、見てるだけでも痛いぜ」

「でも、身内でもっと痛そうな人見てるし」

 

 普段通りの口調で誤魔化されそうだったが、霊夢は額に脂汗を滲ませ、両目を充血させていた。

 耐え難い程の激痛が走っていることは間違いない。

 それを、への字に結んだ口の中で歯を食い縛って耐えているのだ。

 

「なるほど、母さんの仏頂面はこうやって出来たのね」

 

 痛みからの現実逃避かと思えるほど明後日の方向へ霊夢は頷いていた。

 仏頂面っていうか凛々しい顔だと思うけど。美人なんだからもっと笑えばいいとは思うな。いや、それは霊夢も同じか。

 そこまで意味のない思考を巡らせて、魔理沙は自分が未だ混乱から抜けていないことを自覚した。

 上半身を起こした霊夢を、パチュリーは冷静に観察する。

 

「腕を治して、どうしようというの? 妹様と戦うつもり?」

「あいつが能力であたしを殺せなかったのは、狙いが外れたからじゃない。あたしにはそういう能力と技があるのよ」

 

 防御を無視する破壊能力。その発動を受けた霊夢が死を予感した瞬間に使った技が、被害を腕一本に抑えたのだ。

 

「あの能力を、あたしなら無効化できる。あとは、攻撃の為に両腕を使える状態にする必要があるわ」

「両腕が使えれば、どうなるの?」

「月夜の吸血鬼を殺しきるには、片腕だと辛いのよ」

 

 伺うようなパチュリーの視線を、いっそ冷徹とも言えるほど真っ直ぐに見返して、霊夢は躊躇なく答えた。

 幻想郷の管理者である博麗の巫女の責務。

 迷いなどなかった。

 

「妹様を、滅ぼすつもりなのね」

「なあ、霊夢。アイツは……」

「そりゃあ、何か事情はあるでしょうよ」

 

 霊夢は縋るような魔理沙の言葉を、容赦なく遮った。

 

「妖怪の命は、人間のそれより長い縄と同じだわ。

 捻れ、絡めば、解くのは容易ではない。時間が経つほど結び目は固くなる。ゆっくりと、緩めてやることも出来るでしょうけど」

 

 二人の瞳を交互に睨みつける。

 

「他人のあたしが最善と思える方法は、根元から断ち切ることね」

 

 そう言いきる霊夢の顔つきは、特に普段の彼女を知る魔理沙にとって酷く恐ろしげに映った。

 己に課せられた責務を果たす為には、神であろうと鬼であろうと斬り捨てる無情の巫女がそこにいた。

 それから霊夢は黙り込み、パチュリーをじっと見据えた。

 自分の意思は伝えた。止めたければ、治療を放棄すればいい。そう言っているのだ。

 そうすれば、霊夢は何も出来ないだろう。いや、違う。怪我を抱えたままフランドールに挑み、どちらかが死ぬのだ。

 パチュリーは、目の前に突き付けられた選択肢のいずれも選びたくはなかった。

 では、最良の選択とは何なのか?

 孤独なフランドールの心に語りかける為の理路整然とした言葉の数々が浮かび上がってくるが、そんなものは単なる文字と音でしかないと分かっていた。

 誰かが、彼女の傷ついた心に踏み込まなければならないのだ。例え、それが心の傷を開き、踏み荒らす行為であったとしても。

 でも、今ここにはその『誰か』がいない。

 人の心に踏み込む『権利』などというものが存在するのならば、それを最も持つはずの両親は死に、唯一残った姉は罪悪感から動くことが出来ない。

 レミリアはフランドールへ何かを訴えかけることなど出来ないだろう。責め立てられることを自らへの罰だと信じているのだから。

 誰もいない。今のフランドールの傍には、本当に誰もいないのだ。

 霊夢の選択は、いっそ正しいのではないか――自分の中の理性がそう囁き、パチュリーは臍を噛んだ。

 誰か……。

 

「わたしが行くぜ」

 

 今度は二人分の視線が、魔理沙に集中した。

 

「何処へ? 何しに?」

「フランドールの所へ、時間稼ぎにな」

 

 霊夢の無感情な視線に屈することなく、魔理沙は笑った。

 

「どっちにしろ、霊夢の腕はすぐには治らないだろ?

 レミリアを庇いながら戦ってる咲夜だけじゃ、もうもたない。時間稼ぎくらい、人間のわたしにも出来るぜ」

「玩具にされて、お終いよ」

「上等。子供は遊ぶもんだぜ。せいぜい時間を忘れるほど遊んでやるさ」

 

 魔理沙の笑みは、自分では気付いていないが引き攣っている。

 怯えに負けて心に躊躇いが生まれる前に、魔理沙は背を向けて戦場へと飛び出して行った。

 パチュリーは思わずそれを呼び止めようとしたが、結局口を噤み、一呼吸置いて霊夢の治療に集中し始めた。

 

「急ぎなさい」

 

 霊夢が急かす。

 それは彼女自身が、理由の分からない焦りを僅かに抱き始めたからだった。

 

 

 

 

 咲夜の決死の援護や呼びかけにも反応せず、レミリアは押し黙ったままフランドールの怒りの矛先となり続けていた。

 何かを口にすればそれが都合のいい言い訳としか響かず、抵抗すればそれが妹への追い討ちになるのだと思い込んでいた。

 しかし、延々と姉に怒りをぶつけ続けるフランドールは、むしろ時間が経つほどに激し、狂気に歪みきった顔からは笑みなどとうに消え失せている。

 互いが互いを無意識のうちに傷つけ、煽り、そして追い詰めていた。

 

「ああああああ゛あ゛! うざったいなぁ!!」

 

 腕から銀のナイフを生やしたフランドールは、もう片方の手で頭を掻き毟った。

 複雑に絡み合う姉妹の心境を尻目に、激しさを増す戦場の中で咲夜はただ一人迷いを見せず、冷静で的確に立ち回っていた。

 飛び交う魔力弾や直接攻撃の中を、時間停止の能力を駆使して飛び回る。

 月夜の吸血鬼に対しては決定的となる攻撃手段を持たないが、レミリアを庇いながら状況を拮抗させ続けていた。

 

「消えろぉぉぉぉっ!!」

 

 苛立ちがピークに達したフランドールが喚き散らす。

 冷静さを失った相手ほど御しやすいものはないと咲夜は判断していたが、その基準が人間であることを失念していた。

 フランドールの手から炎が立ち昇り、巨大な剣を形作るように一直線に伸びた。

 それを勢いよく薙ぎ払う。

 周囲を巻き込む為の大振りな攻撃に対して、咲夜は冷静に時間を停止させて、巻き添えを食らう位置にいるレミリアを抱えて死角へ移動する。

 そして、能力を解除した瞬間、凄まじい激痛と灼熱感が体内を駆け巡った。

 

「か……っ!?」

 

 声が出ない。喉と肺が焼ける。

 フランドールの炎の剣は、想像を絶する高熱によって周囲の空気を焼き尽くしていた。人間を蒸し殺せるほどの熱を、咲夜は肺に取り込んでしまったのだ。

 二度目の呼吸が出来ない。両目が酷く痛む。一瞬で意識が朦朧とし、咲夜は落下した。

 

「咲夜、しっかりしなさい!」

 

 咄嗟にレミリアが抱えて地面との激突を阻止したが、その腕の中で咲夜は気絶していた。

 フランドールが炎の剣を振りかぶるのが見えた。

 例え自分が攻撃を耐えられても、人間である咲夜は死んでしまう。

 レミリアの心に初めて攻撃への恐怖が湧き、咲夜を失うことへの強い抵抗感がついに体を突き動かす。

 自らの魔力で槍を形成し、無意識にそれをフランドールへ向かって叩き込もうとした瞬間、横合いから星を模った無数の弾幕が二人の間を流れていった。

 

「……わぁ」

 

 色とりどりの星が流れていく様を見て、フランドールの瞳から一瞬だけ狂気が消え失せた。無垢な子供の感嘆が漏れる。

 周囲に放った弾幕の残滓を纏いながら、魔理沙が颯爽と二人の間に割って入った。

 

「今の星はアナタ? とっても綺麗ね」

「お褒めに預かり光栄だぜ、お嬢さん。わたしと遊んでくれたら、もっと見せてやるぜ?」

「遊ぶ? 人間って脆いわ。どうやって遊べっていうの?」

「教えてやるぜ。今日始まったばかり、流行の最先端をいく遊びだ」

 

 魔理沙はこれみよがしにスペルカードを掲げ、弾幕を放った。

 多彩な弾幕は、殺傷力こそ微小なものの、圧倒的物量でフランドールを包み込んでいく。

 

「あはっ、綺麗」

 

 嬉々として弾幕を全身に浴びるフランドールが、スペルカード・ルールを全く理解していないのは明白だった。

 だが、好奇心だけは引くことが出来たようだ。

 魔理沙は内心で予定通りに事が運んでいることにほくそ笑み、同時に自分は何をやっているんだと後悔に涙した。

 人食い猛獣の前で、ラッパを吹きながら気を引いているような気分だった。

 

「こーんな感じかな?」

 

 興に乗ったフランドールが、魔理沙を真似るように弾幕を放つ。

 それは美しさや規則性を排した、単なる殺傷力に特化した物量攻撃に過ぎなかった。

 迫り来る死の雨を、魔理沙は必死に掻い潜る。

 

「くそっ、何が世界の要素を上手く運用する、だ!?」

 

 膨大な魔力量に物を言わせた力技に対して、悪態が吐いて出た。

 奇跡のような回避を続けながら、それが同じ賽の目を出し続けるような幸運でしかないと自覚した魔理沙は、正面対決以外の道をすぐさま模索する。

 

「おい、遊びの内容を変更しないか!? 室内でチェスとかおすすめだぜ!」

「あはははっ、いかにもお姉様が好きそうな遊びね! わたし、嫌いだなぁ!」

「藪蛇かっ。おい、聞けよ! わたしは、お前と話がしたいんだ!」

「わたしもだよ。わたしも、誰かとお話したいよぉ!」

 

 生と死が目まぐるしく行き交う中、魔理沙はかろうじてフランドールを一瞥することが出来た。

 さっきまで笑い声が聞こえたはずだ。

 なのに、視界に映る彼女の顔は能面のように表情は消え失せている。

 

「でもさ……」

 

 つい先程まで無邪気にはしゃぐ子供を相手にしていたと思ったのに、気が付けば世の中の全てに絶望した亡者がそこにいる。

 

「だぁれも、わたしを見て話してくれないっ!」

 

 絶叫と共に、フランドールから殺意を纏った無数の弾幕が溢れ出した。

 体を滑り込ませる僅かな隙間すらない。ただ圧倒的な死の壁が迫って来ていた。

 

「マスタースパーク!」

 

 回避出来ないと判断した魔理沙はミニ八卦炉を構えて、発射した。

 直線の軌道でありながら、広範囲に渡って放たれた極大の魔力波がフランドールの弾幕を飲み込んだ。

 しかし、標的を貫通して破壊する為に高密度に生成された殺傷用弾幕は、その魔力波にもかき消されずに魔理沙へ向けて殺到する。

 ――そんなの、ありかよ!?

 魔理沙は悪態すら言葉に出来ず、無言のまま死に飲み込まれようとしていた。

 と――、地上からまばゆい光が広がり、それは轟音を伴って津波のようにフランドールの弾幕を押し流した。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 自身のマスタースパークに似た強大な力の奔流が過ぎていくのを目の当たりにして、魔理沙は混乱した。

 自分が助かったことや、自分に味方が現れたこと以上に驚いたのは、それが全く未知の一撃だったことだ。

 魔力でも霊力でもない。マスタースパーク以上の、ただ膨大なエネルギーとしか感知出来ないものだった。

 その場にいる全ての者の視線が、攻撃の放たれた地上の一点に集中する。

 そこにいたのは、たった一人の人間だった。

 

「霊夢の、おふくろさん……?」

 

 魔理沙は呆然として、両手を上下逆さに合わせて前に突き出した奇妙な構えの先代巫女を見つめた。

 驚きと同時に、ある種の納得があった。

 この混迷し、激化する戦況の中へ乱入する者として、これ以上なく適役ではないかと思ってしまった。

 先程の攻撃を放ったと思われる構えを解き、彼女が真っ直ぐに見据える先には、同じように地上を見下ろすフランドールがいた。

 

「……あはっ」

 

 フランドールの顔が歪む。笑みの形でありながら怒りに染められ、縋りつくように瞳が揺れ、それらが混ざり合った狂気の表情に。

 

「見つけた」

 

 右腕を、ゆっくりと先代巫女へ差し出す。

 

「みぃつけたぁ」

 

 レミリアがそれを凝視した。

 警告を口にしようとして、先代巫女に対する複雑な感情が喉を詰まらせる。

 

「お前を壊せば、何かが変わるんだ。きっと。たぶん。ぜったい」

 

 根拠のない確信に縋るように告げ、右手を開く。

 それに対し、先代巫女はただ自然体で佇むだけだった。

 

「きゅっとして」

 

 防御も回避も不可能な破壊の手が、彼女の命を握る。

 能力が、発動する。

 その寸前。

 

「ドカ――ッ!!?」

 

 衝撃。

 爆音と共に、フランドールは地面に叩き落された。

 遅れて、傍観していた全員に驚愕が走り抜ける。

 地が震え、砂煙が舞い上がり、ようやく何らかの攻撃が先手を打って行われたのだと理解した。

 

「……今、何をしたんだ?」

 

 放心状態のまま呟いた魔理沙の言葉が、フランドールを含む全員の心境を代弁していた。

 ただ一人。それを為した先代巫女本人だけは、何も変わらず、無造作に佇んでいる。

 隕石が落ちたかのような落下の跡から、フランドールが立ち上がった。

 

「ぐっ、ぅぅ……っ」

 

 そのゆっくりとした仕草は余裕によるものではなく、全く逆の混乱と動揺に支配されていたからだった。

 浮かび上がっていた狂気の形相は、未知への驚愕と警戒に歪んでいる。

 

「……お前、なんかぁっ!」

 

 再び右腕を突き出す。

 今度は何かを感じる猶予など持たなかった。ただ目の前の敵を破壊することだけに集中していた。

 そんなフランドールの激しい殺意を嘲笑うかのように、再び衝撃が彼女を吹き飛ばした。

 誰も攻撃を察知できない。

『気が付いたら』としか言いようのない間隔で、凄まじい力で殴り飛ばされたかのような轟音が響き、フランドールが倒れた光景を見て、ようやく認識出来る。

 今度は紅魔館の壁に激突して、崩落した瓦礫に埋められていた。

 知覚出来ない攻撃の一方で、先代巫女もいつの間にか右手を前に差し出していた。

 拳を握っていない為、単純な打撃ではない。おそらく。

 そこに至る過程や動作が全く感知出来なかった。

 しかし、何がしか行われたであろう一連の動きが、フランドールを襲った攻撃と連動しているのは確かだった。

 だが、明確に分かるのはそれだけだ。

 先代が『気が付いたら』攻撃を繰り出しており、フランドールが『気が付いたら』それの直撃を受けて吹き飛んでいる。

 全ての者が、目の前の現象に追いつけないのだ。

 

「原理は、分からないけれど……」

 

 パチュリーが汗を滲ませながら、掠れた声で呟いた。

 

「彼女の――先代巫女の攻撃は、妹様にも知覚出来ない速さで行われ、しかもその速さで確実に先手を取っている。能力の発動より先へ割り込める」

 

 まさに必勝の方法だ、と。それを聞く誰もが戦慄した。

 再び先代が全く実体の掴めない『攻撃態勢』へ戻ると同時に、瓦礫の中で人影が蠢いた。

 二つ。

 三つ。

 四つ。

 人影が増える。

 

「まずい、フランが分身したわ!」

 

 レミリアは思わず叫んでいた。

 四人に分身したフランドール達は、そのいずれもが幻影などという曖昧なものではなく、確固として存在している。

 恐るべき力を宿したまま、四人の同一吸血鬼はあっという間に展開して先代巫女を取り囲んだ。

 

『あはははっ、今度こそ壊れちゃえ!』

 

 四人分の狂気が共鳴し合って不協和音となる。

 ありとあらゆるものを破壊する能力を宿した右手が四本。逃れようのない位置で同時に差し出された。

 それを見る者全てが、窮地に対して各々の判断のまま動き出そうとする。

 そして。だが、やはり――誰よりも先んじて動いたのは先代巫女の手だった。

 相対するフランドールが一瞬だけ認識できた。

 ――祈るように合掌し、右手を下ろす。

 ただそれだけの動作を極限まで自然に、無駄なく、静かに、そして早く行う。

 その一連の動作に連動して、彼女の全身に纏う力も向かうべき標的へと流れて行き、そして炸裂した。

 他者に捉えられるのは、最後の結果のみだった。

 四人のフランドールが、真上からの衝撃によってほぼ同時に押し潰された。

 

「……は?」

「マジかよ……」

 

 状況を凝視していたレミリアと魔理沙が呆けたように呟き、幾分か冷静な霊夢とパチュリーは言葉もない。

 彼女達が見たものは、やはりフランドールが叩き潰された瞬間だけだった。

 そして、だからこそ全員が己の目を疑い、一瞬だけ映った物を錯覚だと感じてしまったのだ。

 攻撃が放たれた瞬間、先代巫女の背後に四本の腕を振り下ろす巨大な観音像が見えたような気がした。

 

「……おい、霊夢」

 

 四人から一人に戻り、地面に仰向けに倒れたまま、もはやピクリとも動かないフランドールを十分に観察してから、魔理沙は霊夢の下へ戻った。

 

「お前の言ってた、アイツの能力を無効化出来る技って、まさか……」

「そんなわけがないでしょーが」

 

 先代巫女に震える指を向け、自分にまで畏怖するような視線を向ける魔理沙を霊夢が呆れたように否定した。

 もちろん、一番呆れているのは魔理沙に対してではなく、あのとんでもない自身の母親に対してだった。

 

「アレはあたしも初めて見るわ」

「他にもなんか見たことあるのかよ……」

 

 いつの間にか、動かせるほどに回復した左腕の調子を確かめる。もはやそれを振るう機会はなくなったのだが。

 戦いは終了した。

 しかし、まだ状況が終息したわけではない。

 未だにハッキリとしない、おそらく攻撃の構えであったものを解いた先代巫女は、倒れたフランドールに向かってゆっくりと歩き出した。

 霊夢がそれを追うように近づいて行く。この状況を先代巫女に委ねるつもりなのか、あるいはその判断を見定めようというのか。

 魔理沙とパチュリーが顔を見合わせ、無言で続く。

 今回の異変を異常な方向へと暴走させた元凶であるフランドールの下へ、全てが集結しようとしていた。

 

 

 

 

 紅魔館へ向かったら、娘とその友人達がガチの殺し合いをしていたでござるの巻。

 

 えっ、私? これは私のせいなの? 責任とって首括るしかないの?

 紅魔館の空中ではフランちゃん――いや、さすがに実際に対面してないし馴れ馴れしいか――フランドールとそれ以外の全員が戦っている。

 魔理沙が空中戦を繰り広げる様を、気絶した咲夜を抱えたレミリアが険しい表情で見守り、離れた地上には怪我をした霊夢とそれを治療するパチュリーがいた。 

 霊夢の怪我に関しては、目にした瞬間ホントに肝が冷えた。幸い、大事はなさそうだが。

 そして、おそらく全ての被害の元凶であるフランドールは、最高にハイって感じで暴れまくっている。

 あれって弾幕ごっこじゃないよね。制圧射撃だよね。

 なんという修羅場。

 発端がどういうものなのかは分からないが、この諍いに私の過去の所業が関わっていることは間違いない気がする。

 よしっ、まずは二人の戦闘に割り込んでジャンピング土下座することから始めようか!

 そんな感じにテンパった状態で駆け出そうとした時、フランドールが絶叫と共に一際凶悪な弾幕を放った。

 

「だぁれも、わたしを見て話してくれないっ!」

 

 その悲痛な叫びが、理由も分からず私の胸を抉った。

 ……なんで子供にあんな顔させてるんだ?

 若干混乱気味だった頭が一瞬で冷えた。

 しかし、悠長に思考に没頭する暇はない。放たれた弾幕はマスタースパークでさえかき消すことが出来ず、殺意の雨となって魔理沙に襲い掛かる。

 冷えたはずの頭がまた焦りで沸騰した。

 ボム無効で残機根こそぎ持ってくとかルール違反でしょう!?

 魔理沙を跡形もなく消し飛ばそうと迫る弾幕に対して、私は慌てて自身の攻撃を割り込ませた。

 上下に合わせて突き出した両手の先から、マスタースパークばりの光の奔流が放出され、横合いから弾幕を一気に飲み込んだ。

 あぶねぇ……ギリギリだったわ。

 思わず奥の手の一つを使ってしまった。これって実戦で使ったことあんまりないんだよね。

 まあ、構えから分かるようにこの技の大本はあのアレのリスペクトである。

 収束した力を一気に解き放つ高火力広範囲の遠距離攻撃。マスタースパークなども含めて類似の技が多いし、本家の技名は恐れ多くて名乗れないので、私は便宜上『博麗波(はくれいは)』と呼んでいる。

 ……いや、恥ずかしいから絶対口に出しては呼ばんけどね。

 それにこの技は高威力なのだが体力の消耗には微妙に釣り合いが取れていないのと、破壊力が大きすぎて弾幕には危険なので使い勝手は悪いのだ。

 だから実戦であまり使わない。

 しかし、それでも私の奥の手には変わりないのだ。何故なら、この技は浪漫だから。

 

「みぃつけたぁ」

 

 攻撃の後、さてどうしたものかとフランドールの出方を伺っていたら、やはりというか私を見て完全に友好的じゃない笑みを浮かべた。

 うん、嬉しそうな笑顔だけど、どう見ても獲物を見つけた野獣って感じの笑みだね。

 

「お前を壊せば、何かが変わるんだ。きっと。たぶん。ぜったい」

 

 やはり父親を殺したことを恨まれているのか、と考えていた私は、その言葉を聞いて疑念を抱いた。

 なんだ? 私に殺意を抱いているというのは分かるが、親の仇討ちに燃えるといった感じではない。

 どちらかというと声には覇気すらなく、何かに縋りつくような弱弱しさが見えるのだ。

 これは、私の罪悪感が生む都合のいい錯覚なのか?

 分からん。

 分からん、けど……ごめんよ、フランドール。私はお前に殺されてやるわけにはいかない。

 ケジメはつける。報いも死後、必ず受ける。ちょうど、この世界には閻魔様もいるしね。

 ――でも。今の私はまだ、霊夢の母親なんだな。

 死ぬわけにはいかないんだ!

 

「きゅっとして」

 

 フランドールの右腕が私に向けられる。

 彼女の持つ『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』は一度捉えられれば、防御が通じず、回避も出来ないチートぶりだ。

 発動されれば、私にその死を逃れる術はない。

 よって、ここでもう一つの奥の手を使う。

 その構えである、両手を胸の前で合わせた合掌の形へ静かに持っていく。

 

「ドカ――ッ!!?」

 

 フランドールの声が私の放った一撃に飲み込まれてかき消えた。

 苦節数十年。あの祈りと正拳突きの日々が実を結んだ果てに完成したのが、この不可避の一撃だった。

 美鈴の時もそうだったが、身も蓋もない話、妖怪を人間が倒すのに確実な方法は『行動される前に倒す』という先手必勝に限る。

 吸血鬼を殺すには、棺桶で眠っている間に心臓に杭を打ち込むのが一番有効であるように。様々な能力を持つ強力な妖怪相手では、如何に相手の手段を封じて攻撃するかが重要なのだ。

 そこで、コレ。

 あの会長の修行によって得た、極限まで突き詰めた動作のスピードとスムーズな力の流れによって、相手に感知も予測もさせない攻撃である。

 今のところ、実戦で一番効果を上げている技だ。

 ちなみに、この辺の理屈を忘れて強い妖怪とガチで殺り合ったりすると、吸血鬼異変時の私のようになってしまうので注意。

 いや、当時はその場の空気やテンションに乗せられてて、つい……。

 そんな風に、色々と余計なことも考えてしまったが、もはや『体に染み付いた』としか表現出来ない程自然に繰り出される私の攻撃は、悉くフランドールから先手を奪っていた。

 滅ぼすつもりはないが、威力を抑えることも難しい技なので、紅魔館の壁まで吹っ飛ばしてしまった。

 そこで、今度はフランドールが四人に分身する。原作の例のスペカになる奴だな。

 なるほど、これで標的は四つに増えた。

 四人を同時に倒さない限り、一人でも能力を発動出来れば私は即死する。なんとも理不尽な話だ。

 

 ――なので、四人同時に潰す。

 

 振り下ろした右手に連動して、四つの衝撃波がフランドール達を押し潰した。

 これにて、戦闘終了。

 さすがに吸血鬼でもしばらくは動けまい。

 

 今の技はもちろん会長の『百式観音』だが、実は最後に『もどき』が付く。

 何故なら、私は会長みたいに千手観音を具現化させて行使することが出来ないからだ。あれって本当に像がぶん殴ってるらしいね。

 あの世界の『念』って、単なる人体から発するエネルギーというより、ある種の『法則』みたいなんだよね。

 だから、さすがに修行などで再現は難しいし、この辺は『波紋』が使えるのに『幽波紋』が使えないのと同じ理由なのだ。

 そもそも、私は自分の使っている『力』がどういうものなのか、実はあんまり理解していない。

 紫に博麗の巫女としての修行を見ていてもらった時は、それを『霊力』と呼んでいたが、さっきの離れた敵を殴る際の衝撃波とか『博麗波』で放出する光波とか、また違った種類の力っぽい。

『波紋』なんて、そのまんま別種の人体エネルギーだしね。

 まー、私としては『肉体の延長として使える力』とだけ理解出来れば、呼び方や捉え方なんて別にどうでもいい話だ。

 魔力だろうが霊力だろうがストレッチパワーだろうが、使えるならなんでもいいんです。

 漫画によって呼び方違うだけで、みんな大体同じものだし。

 

 とにかく、これ以上問題が大きくならない内に戦闘を終わらせた私は、改めてフランドールと話をするべく、彼女の下へ歩み寄った。

 まずは真意を確認しなければならない。

 私を恨んでいるのか? 私をどうしたいのか? これから先、どうするのか?

 私が応えられることもあれば、拒否せざるを得ないこともあるだろう。

 いずれにしろ、一筋縄ではいかないだろうなぁと頭を悩ませながら近づくと、不意に横からレミリアが割って入ってきた。

 決然とした表情の中、僅かな怯えを含んだ瞳をこちらに向けて、倒れたフランドールを庇うように仁王立ちする。

 ……えっ、なにその反応傷つくんですけど。

 

「先代巫女――。色々と複雑な思いもあるけれど、最終的にアナタには助けられたと感じている。感謝しているわ」

 

 そう告げられた私は、内心混乱してシェーの状態だった。

 父親を殺されて恨んでいると思っていた相手に、何故かいきなり感謝していると言われてしまった。

 分からん。全然、状況が分からなくなってきた。

 ゆ、ゆかりん近くにいないの? 誰か私に説明して!

 

「でも……どうか、フランまで殺さないで。今回の件は、全て私に責任がある」

 

 あげく命乞いまでされて、私は混乱の極みにいた。

 殺すとかなにそれこわい。

 やんない。やんないから、むしろこっちから頭下げるのでまず一から話し合うというのはいかがでしょうか?

 下は足から上は顔面まで、動揺のあまり硬直して動けない私は、懇願するレミリアを前にただじっと佇むことしか出来なかった。

 周りのフォローを期待するも、霊夢とか皆が事の成り行きを見守ろうとしているだけだし。

 あの、ホント誰か分かりやすく説明してくださいお願いします。

 

「……別に、いいじゃない。殺してよ」

 

 正直、私には収集のつけられない状況へ、更に爆弾が投下された。

 仰向けに倒れまま、とんでもないことを言い出したフランドールに対して、レミリアが目を剥く。

 

「何を言っているの、フラン!?」

「その人は巫女で、妖怪を退治する役割を持つんでしょ。

 だったら、異変を長引かせて、博麗の巫女を殺そうとしたわたしを退治するのが自然じゃない」

「アナタ……最初から」

「どっちでもよかったんだよ。ソイツを殺しても、他の誰かを殺しても、誰も殺せなくても。何がどう変わるかなんて、全然分からなかったんだから」

 

 フランドールは地面に投げ出した四肢のように、全てを放棄した投げやりな様子で言い捨てた。

 やっぱり、私には彼女達の事情や気持ちが分からない。

 ただ、多分だけど……彼女は、すごく疲れていたんじゃないかと思う。

 

「お父様が、普通じゃなかったことくらい分かってる」

 

 どうやら、あの男は彼女達にとっていい親ではなかったらしい。

 私は一つ理解出来た。

 だからといって、私が父親を奪ったことで今の状況へ陥っていることは変わらないし、家族で幸せに暮らす未来の可能性を失ったのも間違いない。

 それが二人にとって良かったのか悪かったのかは、私には永遠に理解出来ないだろう。

 

「でも、どうしようもないよ。わたしにはお父様しかいなかった。それももう、いなくなっちゃんだから」

 

 フランドールは笑っていた。

 狂気など感じられない。ただ弱った子供が浮かべる、置き去りにされた後のような力のない笑みを。

 

「わたしの傍には、もう誰もいない」

 

 私は悟りきったようなその言葉に、思わず拳を握り締めた。

 

「ち、違う……フラン、私……っ」

「誰も……」

 

 必死に語りかけようとするレミリアが、まるでそこにいないかのように振舞う。

 私は、心の底から湧き上がる熱い感情のままフランドールに歩み寄った。

 

「わたしがいなくなったって、誰も悲しまないんだからさぁ」

 

 ――はいっ、我慢の限界キタコレ!

 なぁにを言っちゃってるんですか、この子はァ!?

 私はフランドールの胸倉を掴み上げると、驚きに見開いた眼を真っ直ぐに睨み付けた。

 

「甘ったれた事言ってんじゃあねーぞッ! このクソガキがッ! もう一ペン、同じ事をぬかしやがったら、テメーをぶん殴るッ!」

 

 ……やった。

 やってしまった。

 ああっ、思わず湧き上がった感情のままに怒鳴ってしまった。しかも興奮してたから、他人の台詞で怒ってるあたりが救えない。

 おまけに、考えるより先に叫んでたから支離滅裂。ぶん殴るって、もうさっき殴ってるじゃないか私のバカ。

 でも……子供がさ、『死んでもいい』とか『誰も悲しまない』とか言っちゃ駄目だって。

 もう泣きそうな表情で心配してる傍らのレミリアにもっと眼を向けなさい。実の姉でしょ。

 いきなり怒鳴りつけたことを棚に上げてしまうが、そこだけは私もハッキリと怒ってるよ。

 自分だけで悲しいことや苦しいことを処理しちゃって、一人で死ぬ結論を出すことは絶対に許されないことだからね。

 だが、それ以上に私が怒りを抱いているのは、この子にこんなことを言わせてしまう事情全てだった。

 っていうか、親! 親何してんだよテメー、一番気付くべき立場にいるんだろうが。子供にこんな顔させてんじゃねーよ! こんなこと言わせてんじゃねーよ!

 私もうブチギレですよ。出て来いよ、一度ぶっ飛ばしてやるよ!

 具体的には心臓素手でぶち抜いて――もうやってるじゃねえかぁぁーっ! あのクソ紳士、もっと苦しめとけばよかった!!

 いや、待て。

 興奮してる場合か。落ち着け、私。

 親が何してたかなんて今更もうどうでもいいんだ。

 今、重要なのはフランドールのことなんだ。私が怒りの発散場所を探したところで何の意味もない。

 

「ぁ……ぅ」

 

 私の剣幕に、フランドールは呆けたようにこちらを見返すだけだった。

 上手く言葉が出てこない。

 それは私の方も同じだ。次の言葉が出てこない。

 このまま説教すればいいのか、慰めればいいのか。

 どちらも違う気がする。他人事への自己満足か同情をそれぞれ言葉に摩り替えただけのような気がする。

 私はこの子の親ではない。赤の他人だ。種族さえ違う。

 しかし、私はこの子を叱った。

 傍に誰もいないと、蹲って嘆くこの子を怒鳴って無理矢理こちらへ顔を向けさせた。

 ここまで踏み込んだのだ。今更後退ることなんて出来ない。

 

「自分が死んでも、誰も悲しまないなんて……絶対に言うんじゃない」

 

 結局、私がかろうじて口に出来たのは、そんな当たり前のことだった。

 他にも、いろいろ語るべきことがあるのかもしれない。

 私の知らない事情も踏まえて話し合って、そこにレミリアも加えて――。

 しかし、今何よりも必要なのはフランドールを真っ直ぐに見据えて、語りかけること。それ自体なのだと私は考えていた。

 互いに、ただ見つめ合うだけのまま、しばらく沈黙が過ぎる。

 

「…………あの」

 

 フランドールが、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。

 また、しばらくの間沈黙が続く。

 私は辛抱強く待った。

 

「ごめん……なさい……」

「……何がだ?」

「もう……死ぬなんて、言いません……っ」

 

 フランドールは、本当に掠れそうな小さな声で、それでも叱られたことに対して謝った。

 叱られたことを受け入れ、しっかりと謝ったのだ。

 私は内心で安堵した。

 私なんかが気を揉む必要も無く、この娘はちゃんと自分で正しい答えを導き出した。

 だったら、叱った私がすることは決まっている。

 

「よく出来た。偉いぞ、フラン」

 

 私は自然とこの子をそう呼び、そっと頭を撫でていた。

 

「お前が死んだら、悲しむ人がいるよ」

 

 君の姉であるレミリアや、今は違うかもしれないがいずれきっとそうなる紅魔館の皆。そして私も含めて。

 フランは撫でられるまま、呆然と私を見上げていたが、やがてその瞳に涙を溜めると、私の胸に顔を埋めて大声で泣き出した。

 おー、よしよし。

 間違ったことをしたら、叱られて、謝って、そのことを褒められる。

 親の教育と愛は、与えられて当然のものなんだ。

 それをフランに与える奴がこれまでいなくて、これからも現れないのなら……オーケー、分かった。

 私がやる。

 残りの人生全て賭けてでも、やる。私がこの子の心に踏み込んだ一歩は、きっとそれくらい重いものなのだと自覚したのだった。

 

 ……ところでさっきから背骨がギシギシ言ってるんだが?

 抱きつくのはいいけど、吸血鬼の腕力を考慮してもらえると嬉しいなっていでででででっ!?

 

 

 

 

 それは、フランドールが過ごした495年間の無情な時間に投げ込まれた波紋だった。

 目の前の人間に怒鳴られた時、彼女が最初に感じたのは純粋な驚きであり、すぐに様々な疑問がそれに代わった。

 怒鳴られるという経験は、実は初めてのことだった。

 父親は自分を見る時いつも残酷な愉悦を顔に浮かべていたし、姉は何かを必死に伝えようとする一方で自分に怯えていたような気がする。

 フランドールは、生まれて初めて本気で怒られたのだ。

 不思議な気持ちだった。

 殴ると言われたのに、それは先程の戦いで巫女自身がしたことや父親が笑いながら自分にするような行為とは全く違うものに思えた。

 娘を傷つけられたからかとも思った。家族を傷つければ、怒るものだからだ。

 でも、それも違う気がする。

 何故、この人はこんなにも真っ直ぐにわたしの眼を見るんだろう?

 この人の視線と言葉には『恨み』だとか『嫌悪』だとか、人を『侮辱』するようなものは何も感じられない。

 本気になって、自分を怒っている。

 そうしてくれている。

 空っぽだったフランドールの胸に、熱いものがこみ上げてきた。

 こんなにも強く、大きな感情が自分の中の一体何処に隠れていたのか不思議だった。

 自分を見つめる強い視線に急き立てられるように、フランドールは言葉を探した。何か言わなければいけない気がする。

 口にするべき言葉を探しながら、その欠片さえ見つけられない、これまでの自分の空虚な時間に愕然とした。

 これまで何も感じていなかった495年間の時間に対して悲しみすら抱いた。

 本当に、何もないのか?

 こんな時、どんな言葉を返せばいいのかさえ分からない。そんな中身のない日々を自分は送ってきたのか?

 必死に考えた末に、フランドールが思い出したのは姉であるレミリアに教えられたことだった。

 家族を――大切な人を傷つけられれば、怒る。

 死んでもいい、と。自分自身を傷つけようとした行為が、目の前の人間を怒らせたのだ。

 だから、この人は本気で怒ってくれたのだ。

 家族でもなんでもないはずなのに。

 

「ごめん……なさい……」

 

 自然と、言うべき言葉が口から出ていた。

 同時に本当の家族である姉のことを想っていた。

 何故、彼女がいつも自分に語りかけることに必死になっていたのか、今になって理解出来たような気がする。

 

「もう……死ぬなんて、言いません……っ」

 

 そうして謝るフランドールの頭を、優しい手のひらが撫でてくれた。

 ――よく出来た。

 ――偉いぞ。

 目の前の人はそう言って褒めてくれた。ただ数言、謝っただけなのに。

 父親が面白半分で自分を責め立て、殴られ、存在しない怒られる理由を理解できないまま媚びるように謝った時とは違う。

 自分の為に本気で怒ってくれた人に対して、間違っていたことを理解して謝り、そのことを褒められた。

 初めての経験だった。

 胸の奥に溜まり続け、焼けてしまうのではないかと思うほど熱くなった感情の渦。もう堪え切れなかった。

 周囲の物事に流されるまま、投げ出していた全身に強い力が戻るのを感じる。

 強すぎるそれらの衝動を、自分ではどうにも出来ず、目の前の人間に縋りつくように抱きついた。

 両目から溢れ出そうとする熱を堪える為に、その人の胸に顔を埋めた。

 全身で感じられる相手の暖かな体温と、背中に回された包み込むような腕の感触が、感情を押さえるどころか最後の枷を外した。

 もう我慢出来ない。

 我慢なんかしなくていい。

 

 フランドールは生まれて初めて、今確かにそこにいる誰かの腕の中で――泣いた。

 

 

 

 

「責任を取って、私がフランの母になろう」

「却下ですわ」

 

 一世一代の私の決意は、笑顔の紫にあっさり切り捨てられた。

 え、駄目なの? いろいろと自分のやっちゃったことも含めて考えた結論なんすけど……。

 周りの皆の視線も驚きだとか呆れの色ばかりで、私自身と俯いてもじもじしているフラン以外なんか浮いてる状況だった。

 うむ、唐突すぎたか。恥ずい。

 

「とりあえず、貴女は少し黙っていてくださいな。

 もう十分、場を混乱させましたけれど、これ以上話をややこしくしないで頂戴」

 

 この場を仕切る者として、紫が呆れたように言った。

 あの後、唐突に登場した紫は、面識のある者や初対面の者それぞれの反応を無視して、自分の立場などを改めて明かし、今回の異変やその終息に関して話し合うことを提案したのだ。

 正直、事態の収拾に全く目処のついていなかった私がそれに賛同し、なし崩しに全員が紅魔館の客間に集まることになった。

 紅魔館で発言力のある者として美鈴まで参加しているが、唯一咲夜だけが負傷の為別室で安静にしている。

 先程まで敵同士だったり、暴走してしまったり、突然出てきた初対面の大妖怪だったりで、なんとも混沌とした状況で顔を合わせているが、とりあえず皆この場に納まっていた。

 

「さて、ではまず今回の異変に関して」

 

 幻想郷の代表者とも言える紫が、改めて話を切り出した。

 

「レミリア・スカーレット。博麗の巫女との決闘に対して、敗北を認め、紅い霧を消しますか?」

「ええ。私の負けだわ」

「よろしい。では、今回の異変はこれにて解決」

 

 なんかもうお役所仕事としか言いようのない、事務的な流れであっさり一つの問題が決着する。

 まあ、出来レースであった事情を知っている者としては、むしろ納得出来る話だけどね。

 釈然としない顔をしている魔理沙と、何故か紫を警戒しまくっている霊夢には堪えてもらうしかない。

 

「さて、次はスペルカード・ルールを破った者への罰。まずは紅美鈴」

「えっ、あれってスルーしないんですか!?」

「レミリア、当主として下す処罰は?」

「一週間、館中の便所掃除」

「では、この問題もこれで解決」

「ええええええっ!?」

 

 美鈴への罰も超スピードで決着。投げやりすぎてちょっと不憫。

 

「では、最後にフランドール・スカーレットについて」

 

 今回の一番の問題点が挙げられた。

 ルールを無視したこともそうだが、博麗の巫女である霊夢を殺そうとしたことが事態を拗れさせている。

 博麗の巫女とは、今回のスペルカード・ルールを提唱したように、幻想郷の秩序の管理者なのだ。

 そして、それ以上に幻想郷を包む大結界の要となる役職でもある。

 その巫女を殺そうとすることは、この幻想郷そのものを脅かすことに他ならない、と――実はかなり大事だったりする。

 まあ、私と霊夢がそうであるように他人でも代替わりは可能なので、そのまま結界の破壊に繋がるわけではないし、そもそも私が現役の頃は死にかけることも珍しくなかった。主に修行のせいとかで。

 要は、博麗の巫女はこの地の存亡に関わる重要な役割であり、それ故に幻想郷の妖怪は巫女を重視し、最終的には従わざるを得なくなる。

 妖怪による異変の発生は、絶対者である博麗の巫女が介入することでいずれ解決に繋がる。言ってみれば既に完結した流れなのだ。

 理不尽に思えるかもしれないが、幻想郷はそういった物事の循環で成り立っている。

 その前提を、幻想郷に住む者でありながら破壊しようとしたことが、フランの罪となっているのだろう。

 結論としては、この事実を隠蔽するか……たぶん紫なら何らかの処罰を見せしめとして与えるのが普通だ。

 さすがに、封印とか滅ぼすとかはしないと思う。

 でも、私が外の知識と常識を持つ人間だからこそ考えるのかもしれないが、ここに温情を挟む余地があってもいいのではないだろうか。

 フランには事情があったのだ。

 それを考慮することは、別に筋違いではないだろう。

 ――さて、では具体的にどう意見するか?

 それで冒頭の話に戻るわけだが、私がフランの親代わりになって、責任を持って今後の矯正や教育に努めていくって提案はあえなく却下された。

 何故だ。

 いろいろ説明が足りなかったかもしれないが、いい考えだと思ったのに。

 やっぱり、実の姉であるレミリアから引き離すという点がマズイのかなあ。

 心情的にも、血の繋がりと私より遥かに長い年月妹を思ってきた彼女を蔑ろにするのは確かによろしくない。

 となると……レミリアも一緒に娘にするという案でどうだろう? お母さんって呼んでくれるかしら?

 いや、紅魔館の当主の親に人間が納まるってのは問題か? 部下とかもいるし。

 

「……なら、紅魔館の住人全てが娘になるというのはどうだ?」

「どうだ、じゃありません」

 

 神妙な表情で思い付きを言葉にして呟いたら、紫に頭を殴られた。痛い。

 

「さっきからおふくろさんの様子がおかしいぜ」

「あー、あたしもあんなの初めて見たわ」

「顔を合わせるのは二度目だけど、意外な面を見たわね」

「結構、魅力的な提案かも……」

「美鈴、自重しなさい」

 

 周りからはなんか色々好きに言われてしまっている。

 フランは黙ったままだけど、こちらをチラチラ伺って、時折恥ずかしそうに俯いてるし。かわいい。

 紫は頭痛を堪えるように、額に軽く手を当てると、気を取り直して周囲を見回した。

 

「それではフランドール・スカーレットへの処罰について。

 当主であり肉親であるレミリア・スカーレットに一任します。今後の彼女の管理とその責任についても同じ。今回の異変の間に起こった事態については、隠蔽するという方向で。

 これでよろしいかしら、レミリア?」

「……随分と、甘い処置ね」

「二度目はありませんわ――。

 それに、そこの先代巫女には何か考慮することがあるようですし、厳罰を下してこれ以上厄介な案を挙げられても疲れます」

 

 ジト眼で私を見るゆかりん。『困ります』ではなく『疲れます』の辺り、私に呆れてるのが分かる。

 すんまそん。でも、その優しさに感謝。

 

「貴女も、本当に自分の立場を理解しているのかしらね?

 軽率な発言は控えなさい。考えなしの言動より先に、自分が周りにどう思われているのかを理解しなさいな」

 

 紫に少し真面目に怒られた。

 分かってますって、私は紫が思うほど鈍い人間じゃない。

 フランを娘にするなんて発言がどれだけ常識はずれでおかしなことなのか十分に理解している。

 その上で、なのだ。

 フランの今後を担う覚悟も無しに、彼女を叱ったり、抱き締めたりしたわけじゃない。

『子供を正しい未来へ導く』『自分の意思を持って未来を選べるようにする』両方やらなくちゃいけないのが、母親のつらいところだな。覚悟はいいか? 私は出来てる――。

 

「……全然理解していないって顔ね」

 

 自分でも確固たる決意を持った表情を浮かべていたと思うのだが、何故か紫にはダメ出しされた。

 えっ、これでも駄目なの?

 

「だから、もっと自分の周りに気を配りなさい。もう霊夢に睨まれるのはうんざりよ、私」

「気安く呼ぶんじゃないわよ、妖怪」

 

 呆れを通り越して脱力している紫に対して、何故か険悪な様子の霊夢。

 あれ? 紫の素性に加えて、霊夢には彼女が私と同じ育ての親みたいなものだと説明はしたはずなんだが。

 急に親しくなられても親として妬ましくなるが、なんで逆にそこまで嫌ってるの?

 妖怪という点を除いても必要以上に紫に敵意を持つ霊夢と、その娘からたまに向けられる何かの抗議の視線の理由が分からず、私は気まずげに黙り込むしかなかった。

 結局、紫の言う通りなのか?

 わ、分からん……。

 

 

 

 

「――なんとも、騒がしい夜だったわね」

 

 全ての者が在るべき場所に戻り、部屋にレミリアと二人きりになると、パチュリーは窓の外を眺めながら呟いた。

 夜が明けようとしている。

 

「フランは?」

「眠ったわ。地下の破られた封印は修復していないけれど」

「ええ、それは明日からでかまわない」

 

 不安定な精神に制御しきれない強大な力を持つフランドールが暴れるのを防ぐ為に、封印を施していたのはパチュリーだった。

 もうその必要がない、とはさすがに言えない。

 あの娘は、あまりに長い時間傷つきすぎた。気が狂ってしまうほどに。

 495年間分の痛みが、たった一夜で全て癒えるはずはない。彼女から奪われた分と同じだけの、穏やかな長い時間が必要なのだ。

 しかし、それでも。

 今夜だけはかまわないだろう。

 きっと今夜だけは、あの娘は悪い夢を見ない。

 

「……495年間、私は一体何をしてきたのかしらね?」

 

 この場に親友だけしかいないことを確認して、レミリアは自嘲の呟きを漏らした。

 今夜、多くのことが変わった。

 この紅魔館に巣食った父の呪いを、少しでも振り払う為に今回の異変を起こした結果、最良とも思える現状を手に入れた。

 だが、それは果たして誰の手によるものか。

 長い年月を掛けて、自ら振りほどくどころか縛られ続けるしかなかった、自分と妹の呪縛を打ち砕いたのは皮肉にも人間だった。

 レミリアは己の無力さと情けなさを噛み締めていた。

 

「アナタもまた、親を失った子供だったということよ」

 

 親友を気遣い、あえて素っ気無くパチュリーは告げた。

 

「無力な子供だったから許されるとでも?」

「子供は親から離れ、大人になるってこと」

「ふん、私より年下のくせに随分と語るわね」

「積み重ねた年月が心の成長を伴うとは限らない。妹様の495年間が、その成長に何も貢献しなかったようにね」

 

 レミリアの剣呑な視線を受け流し、自分の語った内容に対して思い直したように首を振る。

 

「いえ、少し違うわね。

 少なくとも、アナタから受けた言葉によってあの娘は何かを学んでいた。そうでなければ、きっと先代巫女の言葉にも応えることは出来なかったでしょう」

「なによそれ……慰めているつもり?」

「事実よ」

 

 パチュリーの淡々とした口調からは冷たさを感じたが、むしろそれが下手な慰めの意味を持たせず、真実としてレミリアの心に浸透した。 

 レミリアは自嘲を止め、これまでの出来事や今夜起こったことを一つ一つ整理していった。

 恐ろしかった父。

 傷つけられた妹。

 抑圧された日々。

 そこからの突然の開放。

 そして今夜、唐突に与えられた自由の中で呆然と佇むしかなかった自分に、強引にもたらされた変化。

 

「甘ったれるな、か……」

 

 博麗の巫女に叩きつけられた、容赦の無い言葉がいつまでも胸に残る。

 

「親子揃って、吸血鬼に厳しい奴らね」

 

 そう呟いて不貞腐れる親友の横顔を一瞥し、パチュリーは思わず苦笑した。

 

 

 

 

 紅魔館での話し合いが終わり、紫から今回介入したことへの軽い小言や美鈴との再会の約束なども受けて、私は霊夢と魔理沙の三人で帰路についていた。

 お互い住む場所は違うが、その場で解散することなく自然と三人で夜明け間近の道を歩いている。

 私を挟む形で三人が並んで歩き、隣の魔理沙は今夜の戦いの興奮が残っているのか、色々と積極的に私に話し掛けてくる。

 やれ、あの光線はなんだの、背中に観音様が見えただの――え、それマジ?

 とにかく、そんないい意味で騒がしい魔理沙に反して、霊夢の方はずっと黙りっぱなしだった。

 紅魔館で話し合ってる間も、必要最低限しか話していないような気がする。

 更に加えるなら、私に対して全然話し掛けてくれてない。

 どういうことなの……。

 なんで、娘に無視されてるの? こんなに霊夢を怒らせるようなことしたっけ?

 話を聞きながら、内心青褪めてチラチラ隣を伺っていると、それに気付いた魔理沙がなにやら『任せておけ』と言わんばかりの笑顔で頷いた。

 

「おい、霊夢。お前も何か話せよ。一月に一回しか会えない人なんだろ。拗ねて黙り込むなよ」

「は? 別に拗ねてないし」

 

 拗ねてる……のか? 不機嫌なのは確実に分かるけど。

 霊夢は冷め切った視線で一瞥したが、魔理沙はそれに全く怯まず、むしろ愉快そうに笑った。

 

「安心しろよ。お前のおふくろさんは、お前を愛してるぜ」

「なんだか分からんが、その通りだ」

 

 とりあえず、魔理沙の言葉に便乗して真摯な気持ちを打ち明けたが、霊夢の反応は頭痛を堪えるような仕草だった。

 なによその紫みたいな反応。

 今回の私は完全に間抜け扱いされている。これでも真面目に考えてるのに……。

 

「わたしも無敵の巫女って感じてたけど、意外と普通に落ち込むみたいだぜ? あんまりその人いじめるなよな」

 

 それだけ言うと、魔理沙は突然箒に跨って、去り際に『またな!』と手を振って飛んで行ってしまった。

 その後ろ姿を、霊夢は睨んで見送っていた。

 なんか、余計に状況を引っ掻き回されて置いてかれた気分。

 とりあえず、私達も帰ろうか、と霊夢を促した。

 二人だけになった道。

 喋る者がいなくなったせいで、沈黙が続く。

 うーむ、話題が見つからない。

 そういえば、霊夢の腕の傷の具合はどうだろう? 一応、包帯を巻いているが、パチュリーの話ではもう動かせるらしい。

 肉を抉るほどの重傷だったという話だ。

 霊夢には公式チート技があるから大丈夫だと思ってたんだが、不測の事態なんて幾らでも起こるものだと痛感した。

 博麗の巫女というのは、幻想郷のルールに守られる存在であると同時に、それを守らせる為に違反への実力を行使しなければいけない役割なんだな。

 危険なことは、これから幾らでも起こり、霊夢は自らそこへ飛び込まなければいけない。

 心配なのは当然だけどね。危険な目に遭うことが、そのまま霊夢の不幸へ繋がるわけではないということも理解している。

 博麗の巫女という務めに抵抗を感じているのなら無理はさせないんだが、霊夢自身が望んでいるし、天職でもあるしなぁ。

 結局、私が勝手にやきもきしているだけの独りよがりなのかしらん?

 

「……母さん」

 

 いろいろと悩む私だったが、不意に霊夢が声を掛けてきた。

 なんだかんだ言っても、霊夢が私を蔑ろにすることはない。

 ささやかなことだけど、ちょっと嬉しい。

 

「あたしって、母さんに怒られたことあったかしら?」

 

 んー? なんだか唐突な話題だね。

 そういえば、私ってば霊夢を怒鳴ったりした記憶ないかな。

 基本、教えたことは一を知って十を理解する要領の良さがあるし、人としての倫理観もしっかり持っている。

 まあ、妖怪には対応がちょっと苛烈なところがたまにキズって程度だね。

 そんな感じに答えると、霊夢はなにやら難しい顔で考え込み始めた。

 

「……母さんが、あたしに対して本気で怒るのって、どんなこと?」

 

 あらら、それはまた返答しづらい質問だ。

 正直な話、霊夢が私を本気で怒らせるというのは想像出来ない。

 例えば、人里で虐殺行為を働くとか、フランのように自分を粗末にするとかか?

 どれも霊夢では在り得ないと断言出来ることばかりだ。

 そういう確固たる信頼があった。

 その上で、霊夢の質問にあえて答えるとするなら。そうだねぇ――。

 

「怒る、というのは違うかもしれない。ただ、私が絶対に受け入れられないことはある」

「それは?」

 

 別に特別なことじゃないんだけどね。

 

「私より、不幸になることだよ」

 

 親の望みとしては、こんなもんです。

 傷ついても、命の危険にさらされても、それが霊夢自身の選んだことなら仕方ない。

 私はただ、親として勝手に心配して、邪魔にならない範囲で手助けしてあげたいだけだ。

 霊夢が出した答えや、掴み取った結果によって、幸せだと感じてくれるのならそれでいいのだ。

 

「……そっか」

 

 ちゃんとした質問の答えになっていないような気がしたが、霊夢は何か納得したかのように小さく頷いた。

 ふむ、なんだか晴れやかな表情になったようで大変結構。

 霊夢に嫌われたままとか、私の心労がマッハだからね。

 ……って、あら?

 いつの間にか霊夢が私の手を握っている。

 やだ、ツンの後にこのさりげないデレ……我が娘ってば、マジ侮れん!

 内心ヘヴン状態になりながら、私は繋いだ手を握り返した。

 

 霊夢と私。二人並んで手を繋ぎ、人里が見える位置まで歩く。

 朝日が顔を出し始めた。

 日の光に照らされる風景は、紅い霧が消え、久しぶりに幻想郷本来のものとしての姿を現していく。

 それを眺めながら、私は今回の異変が解決したことを実感した。




<元ネタ解説>

「百式観音」

コミック「HUNTER×HUNTER」に登場する技。
限りなく無駄の無い初動によって、相手に察知されずに攻撃できる。
本来は念能力によって、実体化した観音像が直接攻撃する。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告