東方先代録   作:パイマン

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萃夢想編その三。


其の二十八「萃夢想」

 満月の夜。

 今夜、博麗神社で前代未聞の大宴会が行われていることは、幻想郷の人間も妖怪も知っている。

 

 ――どんな宴会が繰り広げられているのか?

 

 誰もが固唾を呑んで、そんな想像を思い思いに浮かべていた。

 人が人肉を食らい、妖怪が同族の血を啜る、地獄のような光景が生まれているのではないか。

 宴会とは名ばかりで、幻想郷でも有数の実力者達が何かしらの密談を交わしているのではないか。

 あるいは『鬼』などという伝説の妖怪を交えて、それこそ想像すら及ばない狂宴が行われているのではないか――。

 そんな凄惨で陰湿な非参加者達の想像とは裏腹に、博麗神社の宴は至極真っ当に賑わいを見せていた。

 酒を飲んでいる。

 料理を味わっている。

 誰もがおおむね、この場を楽しんでいた。

 

「お前さんは、随分と静かに酒を飲むんだな」

 

 霊夢は手酌で飲んでいた。

 今は一人だったが、少し前まで周りには常に誰かが居座っていた。

 最初はレミリア、次に紫、そしてついさっき空になった皿を下げるついでに咲夜が新しい料理を運んできたのである。

 一杯の酒を交え、少しばかり話もした。

 その咲夜が去った今、入れ替わるように霊夢へ声を掛けたのは勇儀だった。

 

「あんたは……」

「勇儀だ。星熊勇儀」

 

 酒瓶と巨大な盃を両手に、この宴会場を練り歩いていた勇儀は、霊夢の隣へどっかりと腰を降ろした。

 霊夢はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

 

「腰落ち着けてるんじゃないわよ。どっか別の相手を探しなさい」

「ハッキリと物を言うなぁ、気に入った」

 

 勇儀は豪快に笑った。

 目の前の歳若い人間に、奇妙な魅力を感じている。

 先程から時折様子を伺っていたが、一人で飲む姿が不思議と孤独を感じさせない。

 厳かな儀式を見ているような、何処か惹き付けられるものが、霊夢の姿にはあった。

 本人が特に望んでもいないのに、常に誰かしらが彼女の傍で酒を飲みたがるのは、その独特の雰囲気のせいかもしれない。

 勇儀は事前に霊夢に抱いていた興味を、より大きなものへと膨らませた。

 

「霊夢と呼んでいいかい? 私のことは勇儀でいい」

「好きにすれば」

「お前さんには、ずっと前から興味があった」

「母さんから聞いたの?」

「その通り」

 

 霊夢の盃が空になったのを見計らって、勇儀は持参した酒を注いだ。

 その仕草があまりに気安かったので、霊夢は当たり前のようにそれを受けていた。

 

「お前さんは、いずれ私を退治する人間らしい」

「……何それ、それも母さんが言ったの?」

「うん。お前の母にぶちのめされた後でな、言われたんだよ」

「理由もなしに、妖怪を退治はしないわ」

「つまり、理由があれば退治をするわけだ」

「それはもちろんよ」

「それが鬼であってもか」

「何であってもよ」

 

 霊夢は勇儀の眼をまっすぐに見返して、断言した。

 

「良い女だなぁ、お前さんは。ますます気に入った」

 

 射抜くような視線から、霊夢の胸中にある如何なる思想や信念を悟ったものか。

 勇儀は心底嬉しそうに笑った。

 

 ――よく笑う奴ね。

 

 霊夢は初めて見た鬼という存在に対して、そんな感想を抱いていた。

 忘れ去られた妖怪である。

 地底での鬼退治を取り上げた新聞で初めて知識として知り、あの母と死闘を繰り広げ、重傷を負わせた妖怪として、その強大な力だけは実感していた。

 恐れはなかったが、警戒はあった。そして、経緯はどうあれ、母を傷つけた相手への敵意も。

 ぼんやりと黒いイメージだけを抱いていた霊夢の前に現れた当の鬼は、しかし思わぬ印象を抱かせる相手だった。

 確かに強そうだ。大きく、存在感があり、力強く、野卑とも取れる荒々しさがある。

 そして、何よりも陽気であった。

 その印象の理由が、勇儀がよく浮かべる楽しげな笑顔にあると気付いたのだ。

 鬼とは、こんなによく笑う妖怪なのか――。

 

「あんたは……変わってるわ」

「そうかい?」

「退治するって言われて、楽しそうにする妖怪なんて初めて見る」

 

 霊夢は率直に言った。

 楽しんでいる――というのが、この星熊勇儀という妖怪の一番の特徴であるように感じた。

 この人妖の思惑が入り混じった宴会の中にあって、目の前の鬼は誰よりも楽しみ、誰よりも笑っていると思った。

 

「鬼とは、そういう妖怪だ」

 

 勇儀は笑って返すだけだった。

 それ以上は何も言わない。意味深げな返答である。

 鬼という種族に対して、それ以上追求することを面倒に感じた霊夢は、ため息一つで自分を納得させて、注がれた酒を一口飲み下した。

 その淡泊な反応を、やはり勇儀は楽しむように眺めていた。

 

「お前さんは、楽しんじゃいないのかい?」

「つまらなくはないわよ。料理もお酒も、食べたことないくらい美味しいわ」

「だが、酒の飲み方は誰よりも静かだ。見たところ、親しい奴がいないわけでもないだろうに、誰とも騒がず、静かに飲んでいる。誰かが傍に居る時も、必ず言葉を交わし終えてから酒を飲んでいたしね」

「いつから見てたのよ」

「酒は苦手か?」

「いいえ、結構飲める方だと思うわ。美味しいとも感じる」

「なら、酒を飲んで楽しくはならないか? 愉快になって、気が緩むとか……酔うことを楽しもうとは思わないか?」

「そうね。あたしには、お酒とは『そういう物』じゃないって印象があるのよね」

 

 霊夢はまた一口、静かに酒を飲み下した。

 その仕草は、勇儀の言うとおり楽しむものではなく、厳かにすら感じる儀式のようだった。

 

「――戦った後は、酒で憎しみを追い出すのさ」

 

 ぽつりと、霊夢が言葉を洩らす。

 そのたった一言で、伺うような勇儀の瞳が強い興味の光を帯びた。

 

「ほう?」

「母さんが、お酒を飲む時に言っていた言葉よ」

「先代が、か」

「あたしが初めてお酒という物を知ったのは、母さんが飲んでいる姿を見た時だった」

「確かに、先代も酒は飲む。しかし、あまり好んで飲む様子じゃなかったな」

「お酒が好きなのかどうかは、あたしも知らない。でも、母さんは必ずお酒を飲む時があった。それは、いつも妖怪退治に出掛けて、帰ってきた日の夜だったわ」

 

 呟くと共に、幼少の記憶をハッキリと思い浮かべる。

 母の姿は、どんなに昔の記憶であっても色褪せることはない。

 霊夢の脳裏には、神社に捧げられた酒瓶から一杯だけの酒を注ぎ、それを静かに飲む母の厳かな姿が蘇っていた。

 ある日、その飲み物が何であるかを尋ね、そこから更に疑問を口にした時、母は先程の言葉を言ったのだ。

 

「戦った後に残る濁った憎しみを、酒で血から追い出すんだ……ってね」

「……なるほど」

 

 まるで先代から直接聞いたかのように、勇儀はその言葉にしみじみと感じ入っていた。

 

「今も昔も、厳しい女だったんだなぁ」

「母さんは、酒で酔うようなことはしなかった。

 その姿が印象強かったからね、あたしも自然と倣うようになったってわけ。似ても似つかない物真似だけどね」

「いや、そんなことはない。お前さんの酒に対する姿勢が、しっかりと伝わってきたよ」

「どうかしら? あたしは、母さんほど妖怪を退治することに感慨を抱いていないと思うわ」

「――」

「そういう人間なのかもね」

 

 そんな、他人事のように素っ気無い言い方の中に一抹の寂しさがあることを、勇儀は敏感に感じていた。

 先代と霊夢は血の繋がらない親子である。

 その事実を知らない者は、二人が本物の親子であることを疑わない。

 容姿や仕草、強さ――二人が親子であると納得の出来る点の方が多いのだ。

 しかし、何よりも霊夢自身が義理の母と娘であるという関係に境目を感じているのだと、勇儀は知った。

 知って、ますます博麗霊夢という少女に興味を持った。

 

 ――なんとも意外な、可愛い一面じゃあないか。

 

 霊夢の内心を察して、気まずさを抱くどころか、むしろ愉快に感じていたのである。

 

「面白いなぁ、お前さんは」

 

 笑いながら言う勇儀に対して、霊夢は呆れたような視線を向けた。

 

「今の話の何処が面白いのよ」

「いや、なに。私の勝手な感想さ。それよりも、飲もう」

「飲むけど……何よ、別にあたしと飲んでも楽しくないわよ。母さんの所へでも行きなさいよ」

「それは私が決めることだ。安心しな、騒ぎはしないよ。お前さんの傍で飲むなら、静かに飲む。それでいいだろう? 隣に居させてくれ」

 

 勇儀は、再び空になった霊夢の器に注いだ。

 そして、自身にも手酌で酒を満たすと、一人で乾杯をするように盃を掲げた。

 もちろん霊夢はそれに付き合わなかった。

 

「騒がずに酒を楽しむことも出来る。今しばらく、お前さんと静かな酒を飲もう」

 

 気を悪くした風もなく、勇儀の顔には相変わらず陽気な笑顔が浮かんでいる。

 何がそこまで楽しいのだろうか?

 霊夢は鬼という妖怪を、ますます不思議に感じていた。

 

 

 

 

 さとりは、勇儀と霊夢のやりとりを聞いていた。

 会話ではなく『やりとり』である。

 この騒がしい宴の中で、二人のささやかな会話を聞き取れるほど耳は良くない。

 しかし、第三の眼によって心の声はイメージ付きで嫌でも入ってくる。

 霊夢の心を読み終えた上で、さとりは思った。

 在りし日の博麗の親子。

 少女の憧憬が、さとりにはしみじみと見て取れる。

 いい台詞だ。

 感動的だな。

 

 ――って、『うしおととら』の台詞じゃねーか!

 

 霊夢が語った過去の先代の言葉に対するツッコミだった。

 多分、当時の先代は漫画のキャラの行動にあやかってみたくて酒を飲み、娘の純粋な質問に格好をつけてあんな返答をしたのだろう。

 外見には出ないのをいいことに、内心ドヤ顔で取り繕っている姿が容易に想像できる。

 

 ――娘への影響に、本人が無自覚というのがまた救えないわね。

 

 こうして地上の人妖の心を読むことで、先代の言動がどのように捉えられており、またそこにどれほど勘違いが生じているのか、さとりは理解し始めていた。

 確かに、他人の言葉や行動の意図を正確に理解することは難しい。

 何気ない行動が思わぬ意味で受け取られ、他人に大きな影響を与えることは多い。

『親の心子知らず』というが、子が見る親の姿というのも大なり小なり誤解が混じるものなのだろう。

 しかし、それにしても先代に関するそれは影響の規模も数も多すぎではないか。

 宴会の最中、雑多に流れてくる人妖の心の中にある、先代への印象と自分の知る彼女の実態を比べて、深く思う。

 あるいは、これは先代自身の能力に何か関係するものなのか――。

 そんなことを、さとりは一人で考えていた。

 

「何を考えているの?」

 

 隣から声が聞こえた。

 さとりの隣に座っているのは、アリスである。

 

「さて」

 

 さとりは曖昧に返答した。

 アリスはそれを追及するような真似はしない。

 元々興味などなかったかのように『そう』と相槌を打って、それで終わりである。

 一つの空間にこれだけの数の人妖が入り混じる中で、他人との接触を避けつつ最終的にさとりが選んだ場所が、このアリスの隣だった。

 静かで、落ち着けそうだったから。

 それだけの理由である。

 アリスもまた、さとりが隣に座ることを拒まなかった。

 そして、不思議なことに、そんな数奇な巡り合わせでありながら、さとりとアリスは二人してお互いにこれといった興味や関心を持っていないのだった。

 ならば何の為に、酒の席で隣り合っているのか。

 何の為でもないから――互いに相手に何も要求しない、強制しない、無関心であることが、二人にとって都合が良かったからだった。

 

「アリスさんの隣は落ち着きますね」

「そう?」

「ここは、私には少し騒がしい」

「それは、実際の騒音が? それとも、心の声が?」

「両方です」

「私は、騒がしくないのかしら?」

「ええ、まるで置物ですね」

「褒められてるのかどうか、複雑ね」

 

 二人はそれがこの場での義務のように酒の入った器を持ち、部外者であるように宴の喧騒を眺めていた。

 今回の主役である先代の周りが、殊更騒がしかった。

 フランドールと美鈴がべったりと傍に居座っている。そこへ、いつの間にかレミリアと咲夜が加わって、ちょっかいを掛けるように魔理沙がやって来ていた。

 その中心で先代は静かに微笑んでいるが、さとりだけには彼女の内心が誰よりもお祭り騒ぎになっていることが分かっている。

 少し離れた場所に、八雲紫と八意永琳の重鎮二人が座している。

 酒を楽しむことは片手間に、この宴会を見守る――というよりも観察しているような、静かな様相だった。

 そんな二人の元へ、宴会場を一回りして楽しんできた幽々子が笑いながら料理とお酒を持参してやって来る。

 彼女達の従者は、それぞれの主を甲斐甲斐しく世話していた。

 今は二人で飲んでいる勇儀と霊夢も、いずれ賑やかさの輪の中へ含まれていくだろう。

 皆が、真っ当に宴会を楽しんでいる。

 心から発せられる、大きな声、小さな声、多くの言葉、少ない言葉――様々に入り混じって、さとりの『第三の眼』に否が応にも入り込んでくる。

 この場へ呼んでくれた先代の素直な好意が嬉しくないわけではないが、やはりそれでも、自分には辛い。

 地上は、合わない。

 さとりはそう感じる自分にも僅かに嫌気が差しながら、そっとため息を吐いた。

 

「疲れたのかしら?」

「いえ、お構いなく」

 

 さとりの様子の変化を、アリスが目敏く気付く。

 何かと細かいところに気付き、それをフォローする為の行動にそつがない。

 それでいて、心の中がまるで無機物のように平坦で物静かな部分が、さとりは気に入っていた。

 人形を操る魔法使い『アリス・マーガトロイド』――それが、さとりの知る彼女の大まかな情報である。

 先代から事前に得た知識や印象からは『常識人で、お節介焼き』といった人物像を描いていたが、実際にこうして会ってみれば、イメージはかなり違う。

 人形を操るというが、これではまるでアリス自身が人形である。

 彼女は、この宴会に対して何ら想うところはないらしい。

 楽しんでいないが、嫌がってもいないし、面倒にも感じていない。

 先代巫女の復帰への祝いなど、もちろん頭の片隅にもない。

 ならば、何故自分はここにいるのか?

 そう自問して、魔理沙に連れられてここへ来るまでの道中を思い返していたのを、さとりは能力で読み取っていた。

 それすらも記憶の整理でしかない。

 そして、アリスがそのまま思考を完結させてしまったことに、驚いてもいた。

 魔理沙に連れられて、ここにいる。

 だから、そのままここに在る。

 自分が来たくてここへ来たのではないと自覚しながら、宴会に参加したことに後悔もせず、帰ってしまおうという発想すら湧かない。

 彼女の心には、色が無い――と。さとりは感じていた。

 周囲の出来事に、あるいは世界そのものに、彼女は酷く無関心なのだ。

 

「アリスさんは、疲れていませんか?」

「いいえ」

「しかし、この宴会を楽しんではいないようだ」

「そうね。アナタには取り繕っても意味はないわけね」

「ええ。貴女の興味を惹くものが、この場には無いようですね」

「そうね。無いわね」

 

 アリスは何処までも平坦に答えた。

 その平坦さが、逆にさとりの好奇心を煽った。

 この宴会の場は、心の声が騒がしすぎる。だから、耳を塞ぎたくなる。

 しかし、アリスの傍だけはぽっかりと空間が空いたように静かで、心の声も小さく、言葉少ない。故に、耳を澄ませたくなる。

 さとりは周囲の騒音を遠ざけるように、アリスの心に集中した。

 彼女の中には、浮かんでは消えるイメージがある。

 人型のイメージだ。

 誰かを思い浮かべ、それを思い出そうとして、しかし失敗し、イメージが霧散してしまう。

 そんなことを、アリスは繰り返しているのだ。

 周りには無関心のまま、時折思い出したように、ただ決して飽きることなく、自己の内側へ思考を埋没させている。

 

 ――これか。

 ――これが、彼女が世界に無関心である理由か。

 ――彼女は、いつもこのおぼろげなイメージが気に掛かっているのか。

 

 さとりは、アリスの心に浮かんでいるイメージに対して、無意識に集中していた。

 そして、驚くべきことに、それはさとりが知っているイメージだった。

 

「……その人って『神綺』じゃないですか」

 

 意表を突かれて驚いたが故に、さとりは思わず声に出して呟いていた。

 アリスは、その声を聞き漏らさなかった。

 勢いよく、さとりの方を振り返る。

 

「今、何て言ったの?」

 

 アリスはさとりを問い詰めた。

 顔付きが一変していた。

 何か怖いものを感じる、静かな迫力を秘めた声色である。

 彼女の心に感じていた色褪せたイメージが、一気に塗り潰されていく。

 心を読まずとも、さとりには分かった。

 

「今、『誰』の名前を言ったの?」

 

 ――やべ、地雷踏んだ。

 

 さとりは今更悟った。

 

 

 

 

 ――宴が始まり、一刻も過ぎただろうか。

 

 この宴に何時如何なる終わりがあるものか誰も分からなかったが、少なくともまだ半ばも過ぎていないはずだった。

 まだ、誰も酔っていない。

 酒は入っているが、妖怪はもちろん、一部の人間の参加者達も顔を赤くすらしていない。

 空腹に美味い料理を詰め込み、初対面が大半である周囲の者達を探るように言葉を交わし、その合間に少しの酒を飲む。

 今はまだ、そういう平和な段階である。

 時間が進めば、宴の様相も変わっていくだろう。

 純粋に宴を楽しむだけが目的ではない者達は、少なくともそういった段取りを予定していた。

 特に、紫と永琳は古明地さとりの実態を探るという一番の目的がある。慎重になっていた。

 ゆっくりと状況は変わっていく。

 先代との談笑を切り上げたレミリアが『さて、件の覚妖怪とやらを試してみるか』と挑戦的な気分で席を立つ。

 勇儀の良い意味での強引さに釣られた霊夢が、賑やかな母の元へ向かおうとする。

 それに気付いた魔理沙が、気まずい思いをして、この場をどうやったら自然に去れるのか悩む。

 そして、今まさにさとりが自らの失言によってアリスの大いなる興味を惹く。

 宴の流れが変わり始めていた。

 しかしその時、一番の変化は宴の内からではなく外からもたらされた。

 最初にそれに気付いたのは先代だった。

 

「――新しく、人が来たようだ」

 

 気配を察知出来る先代が、博麗神社に近づく者達に気が付いた。

 知った気配である。

 立ち上がって、それを出迎える。

 周りの者達が、釣られるように先代の視線を追う。

 夜空の闇に同化するような黒い翼を持った人影が三つ、神社へ向かって飛んできていた。

 魔理沙がその正体を見極めようと、眼を凝らして呟く。

 

「あれは、天狗か?」

「射命丸文、姫海棠はたて、犬走椛だ」

「すごいな、おふくろさん。見えるのか?」

「気配で分かる。眼に頼るな、気を探るんだ」

「……なるほど」

 

 魔理沙には『気』というものがよく分からなかったが、先代の助言の概要を大まかに掴み、感心したように頷いた。

 もちろん魔理沙は、その助言自体が漫画の受け売りであることを知らない。

 先代は、境内に降り立った天狗達を迎えた。

 その顔には、親しい者ならかろうじて分かる程度の表情の変化があった。

 先代は、文達の突然の来訪を内心で迷惑に思うどころか歓迎していた。

 妖怪の山からやって来た三人は、はたてを先頭にして宴会の参加者達と向き合った。

 

「ちょっと文、なんであたしに先に行かせるのよ? あんたが一番足が速いのに」

「いいから、早く用事を済ませて頂戴。目立ちたくないんだから」

「……このクソへたれ」

「なにおう」

「いや、声潜めてて全然凄めてないし、椛の背中に隠れてるし」

「はたてさん」

「何よ? 椛もちょっとコイツを甘やかしすぎで――」

「周りを待たせています」

 

 椛に指摘されたはたては、ようやく周囲の状況に眼を向けた。

 既に、宴会の場にいる全ての人妖が突然現れた天狗達に注目している。

 宴会の参加が自由であることは事前に新聞などで告知され、その新聞に関わっているのは天狗である。

 この場を訪れる者としてそれほど不自然ではなかったが、それでも各々には奇妙は緊張感があった。

 向けられる警戒の視線を、はたては一切怯むことなく真っ直ぐに見返す。

 得体の知れぬ者、あるいは逆に名高い者、誰を相手にしても怯んだ態度ではない。

 それらの中で唯一、目の前の三人に欠片の警戒も抱いていない先代が無造作に歩み寄った。

 

「あの――」

「うぇあ!?」

 

 先代と面と向かった途端に、はたては奇声を上げて視線を逸らした。

 

「宴会に、参加しに来てくれたのか?」

「い、い、いや……違うん、だけど」

「そうか」

「いやっ! 違うけど、それも違うのよ! お祝いしたい気持ちがないわけじゃないの、誤解しないでね!? あのっ、復帰おめでとう!」

「ありがとう」

「……フ、フヒッ」

 

 何処か的の外れた先代の礼だったが、好意的な笑みを向けられたこと自体をはたては単純に喜んだ。

 先程までの威風堂々とした様相が無残に崩れ、形容し難い笑顔と気持ちの悪い笑い声が洩れる。

 先代を前にして、単なる挙動不審なだけの役立たずになってしまったはたてを眺めていた文は、諦めたかのように大きなため息を吐いた。

 

「――どうも、先代巫女様。事態が切迫していますので、社交辞令の祝言は省略させていただきますね」

 

 はたてとは逆に、普段の調子を取り戻した文が慇懃無礼に頭を下げた。

 

「切迫とは、どういうことだ?」

「異変です。しかも、かなり危機的な状況です。博麗の巫女と八雲紫が居られたら、こちらへ」

「詳しい話を聞きましょう」

「面倒臭いわね」

 

 先代と並ぶように、紫と霊夢が文の前に歩み出る。

 二人だけでなく、その場の全員に聞こえるように文は朗々とした声で状況を告げた。

 

「地底より鬼が出現しました。鬼の四天王『伊吹萃香』様を筆頭に、幻想郷全土へ既に散開しております。

 数はおよそ百。その目的に統一性は無く、人食いから始まり、里の襲撃、スペルカード・ルールを無視した強者との決闘、果ては幻想郷の管理システムそのものへの謀反まで、多様に含んでいるようです」

 

 先程まで渋っていた様子とは打って変わり、そんなとてつもないことを文は淀みなく説明したのだった。

 それを真正面で受けた三人の内、先代の表情に変化は無く、霊夢は僅かに顔を顰め、紫は口元を扇で覆った。

 宴会の場に、陽気な賑やかさではない不穏な騒がしさが広がった。

 誰もが事態の深刻さを理解したのだ。

 鬼が敵に回るということの脅威を実感しているからだった。

 当然のことである。

 その鬼が、今この場にも居るのだから。

 どよめきの後、自然とその場の視線が集中した。

 鬼の四天王の一人である星熊勇儀。

 

「――って、ここに鬼いるんじゃないの!?」

 

 はたてがようやく我に返って驚きの声を上げた。

 何を今更、とばかりに文が呆れたような表情を浮かべる。

 しかし、はたての言葉は多くの者の内心を代弁していた。

 

 ――地底から現れた鬼が、幻想郷を襲っている。

 

 寝耳に水の知らせである。

 事態の詳細も、鬼の側の意図も分からない。

 ただ、その行動からひしひしと伝わる、幻想郷に住む者全てへの敵意だけはハッキリとしていた。

 

 ――ならば、同じ鬼である勇儀はどうなのか?

 

 宴の中で薄れていた、彼女への警戒と疑念が、今や初対面時のそれよりも大きくなってそれぞれの心に湧き上がっている。

 多くの視線に晒されながら、勇儀は盃に視線を落としたまま、薄い微笑を浮かべていた。

 自然な体勢である。

 そこから不穏な気配や、何らかの企みを読み取ることは出来ない。

 しかし、だからこそ底知れない威容が感じられた。

 霊夢が離れた為、勇儀の傍には今誰もいない。

 無意識に誰もが近づけなくなっていた。

 

「あんたは、敵でいいの?」

 

 最初に切り出したのは、はたてだった。

 少なからず言葉と盃を交わし、勇儀の人となりに触れた宴の参加者達が慎重に真意を測ろうとする中、部外者である彼女は刃のような鋭さと実直さで尋ねる。

 傍らの文は『またか』と内心で思いながら引き攣った笑みを浮かべた。

 椛が刀に手を掛ける音を聞いて、更に胃が痛くなる。

 

「真っ直ぐに訊くんだなぁ」

 

 無遠慮なはたての言動に対して、勇儀はむしろ面白がっていた。

 

「天狗にしては、肝の据わった奴だ」

「鬼は回りくどい言い方が嫌いなんでしょう? あんたも真っ直ぐに答えなさいよ」

「萃香がそう言ったのかい?」

「言ったわ。あいつは博麗の巫女を殺して食う、と言った」

「『あいつ』か……いいなぁ、遠慮がなくて。それで、お前さんはどうした?」

「蹴り飛ばしてやったわ」

 

 勇儀は声を上げて笑った。

 

「そいつぁ豪気だ」

「あんたも同じ鬼の四天王。今回の件に、あんたは繋がっているの?」

「もし、そうだとしたらどうする?」

「はんっ、回りくどい言い方が好きなのね」

 

 鬼を相手に、真っ向から退かずに受け答えするはたてを、誰もが固唾を呑んで見守っていた。

 はたては勇儀へ、既に半ば敵意を抱いている。

 余計な軋轢を生む、危険な問答である。

 しかし、勇儀の真意を探るのにこれほど単刀直入な方法はない。

 文が――内心では先代も――戦々恐々とするのを尻目に、はたては勇儀を睨み付けた。

 

「あんたは、地底の妖怪でありながらここへ呼ばれた。その意味を分かっているんでしょう?」

「ああ」

 

 はたてと勇儀は、同じように一度先代を見た後、再び視線を合わせた。

 

「もし、あんたが伊吹萃香と結託していたのなら」

「なんだ?」

「あんたはこの子を裏切ったことになる」

「だったら、どうする?」

「ここに居る価値は無いわ。地獄まで吹っ飛ばしてやる」

 

 断言するはたての瞳には、怒りが燃えていた。

 まだ勇儀が敵であると決まったわけではない。

 先走った感情であった。

 しかし、それを向けられる当の勇儀は不愉快などと欠片も思っていない。

 ただ、はたての言動から様々な意味を読み取って、より面白いと感じているだけだった。

 かつて文から聞いた話の中に『はたて』という天狗がいたことを勇儀は思い出していた。

 彼女は先程、先代を『この子』と無意識に呼んでいた。

 思い返せば、はたての言った『博麗の巫女』とは当代の霊夢ではなく、先代のことを指していたのだろう。

 はたてにとっての博麗の巫女は、未だに彼女なのだ。

 断片的だが様々な事実を知り、勇儀は堪えきれずに笑った。

 

「変わったのかねぇ。それとも、私が気付かなかっただけなのかねぇ……」

 

 盃を置き、ゆっくりと立ち上がって服装を正す。

 

「天狗ってのは、こんなに面白い奴らだったんだなぁ。なあ、文?」

「……はへ? な、何がですか、勇儀さん」

「こっちの話だよ」

 

 慌てる文の様子を楽しむように一瞥すると、勇儀はそれまでの飄々とした態度を一変させた。

 背筋を伸ばし、同じように真っ直ぐと、自分を見つめる人妖を見回して、最後にはたてを見据えた。

 

「答えよう。嘘は言わない。

 ――私は萃香の意思を知っていた。地底で起こった私と先代との決闘を切欠に、いつか喧嘩をしに、地上へ出ようと言っていたんだ」

 

 全員に緊張感が走った。

 それを尻目に続ける。

 

「いずれ、萃香が具体的な行動を起こすだろうとは分かっていた」

 

 ――その上で、誰にも教えなかった。

 

 勇儀は言外にそう言っているのだ。

 緊張の中に殺気が混じり始める。

 しかし、勇儀はやはりそれらの気配に頓着した様子もなく、むしろ言った後で力の抜けた笑みを浮かべた。

 

「それだけだ、私の知っていることは」

「……それだけって?」

「萃香の『具体的な行動』ってやつがどんなものなのか、私は知らなかったし、知らされもしなかったってことさ。今回の件は、私も初耳だ。どうやら、先代との決闘を十分楽しんだ私は仲間外れにされちまったみたいだね」

「無関係ってこと?」

「萃香の意思を誰にも教えなかったから、共犯とも取れる。まっ、好きに受け止めな」

「ふーん」

 

 勇儀の言葉は、何処か投げやりである。

 詳しい説明も、言い訳もない。

 本来ならば、拭えない不信感を残す言い方だったが、勇儀が言うとむしろ逆の効果がある。

 さっぱりとした答え方だった。

 余計な言い繕いをしない勇儀の実直さが、そのまま信用へと繋がってしまう。

 現に、はたては敵意と興味を同時に失ったかのように、気のない相槌を返すだけだった。

 勇儀が無害であると、既に認めてしまっているのだ。

 それに釣られるように、周りの者達も緊張を戸惑いへと変えていく。

 文が――内心では先代も――密かに安堵する中、一段落した会話の隙間に滑り込ませるように、紫が言葉を発した。

 

「では、古明地さとりは此度の件には、どのように関わっているのでしょうか?」

「…………はい?」

 

 唐突に話を振られたさとりは、間の抜けた声を上げた。

 

 

 

 

 ――なんなのだ、これは? どうすればよいのだ!?

 

 私はいきなり異世界から新宿に飛び出したドラゴンの気持ちで内心叫んでいた。

 いきなり『鬼が幻想郷を襲撃した』って、あーた……超展開にも程があるでしょ! 

 え、ちょっと待って。

 異変って……この宴会はどうなるの?

 いや、分かってるよ。

 本当に緊急事態だって言うなら、酒なんて飲んでる場合じゃねえって話だけどさ。

 で、でも……。

 そんな……。

 宴会……楽しみにしてたのに……これから、だったのに……。

 う……ううう……あんまりだぁ……っ。

 

 あァァァんまりだァァアァ~~~!!!

 

 ――ふう、スッキリしたぜ。

 一通りトチ狂った後、私は精神的動揺から立ち直っていた。

 柱の男が落ち着く為にやってた行動に倣ってみたが、本当にスッキリと意識を切り替えることが出来たぜ。

 私の思い込みの効果もあるかもしれないが、やっぱり漫画の先人は偉大だな。

 そして、こんな時ばかりは年季の入った鉄面皮が非常に便利だった。

 ここまでの流れを、全て内心に隠して行えたからだ。

 まあ、やっぱり残念な気持ちは消えないが、それでも冷静に現状と向き合わなくてはいけない。

 周囲の会話の邪魔をせずに落ち着くことが出来た私は、はたてと勇儀のやりとりを聞いて、状況を整理した。

 勇儀に共犯の疑いが掛かった時はさすがに緊張したが、早まって口を出さずに見守ったのは正解だったらしい。

 無難に、勇儀自身が無関係であると断言してくれた。

 もちろん、信じるか信じないかって話になるだが、私に関してはそんなの愚問だよね。

 原作のキャラクター像なんて曖昧なものだけじゃない。実際に死闘を繰り広げた私だけが持つ信頼感があるのだ。

 ……しっかし、はたてに関しては色々な意味で意外だったなぁ。

 鬼に対して一歩も退かない姿がマジ男前。

 まあ、男前を通り越してほぼ喧嘩腰の姿勢はちょっとビビったりもしたが。

 でも勝手な思い込みである頼りない印象が、完全に拭い去られてしまった。なんか私ってば自然と『この子』扱いされちゃってるし。

 実年齢差を考えたら当然かもしれないけどね。

 けど、なんだろう……ちょっと『お母さん』って呼んでみたくなるような。

 ……って、何考えてるんだ私は!? 落ち着いたと見せかけてトチ狂ったままか!

 落ち着け、私。バカなことを考えている暇は無い。

 とりあえず、萃香を首謀者とした今回の異変について、大体理解した。

 勇儀ではないが、実のところ私にもこの事態への心当たりがある。

 原作で言う『東方萃夢想』の展開だ。

 萃香が幻想郷のメンバーと戦うっていう点だけだが、共通している。

 原作では宴会をする為という割と平和的な理由だったり、エンディングで他の鬼も呼ぼうとしたけど誰も応じなかったという無難なオチだったりしたのだが――つまり、これが私が関わることで生じた差異なのか。

 なんつーか……悪化しすぎじゃね?

 他の鬼、来てるじゃん。

 私、もう戦犯なんじゃね?

 鬼って東方原作では最強の妖怪だったはずだが、それが百ってお前……。

 しかも、目的がそれぞれ違うらしいから、萃香を倒して終了って話でもないみたいだし、メタルクウラも真っ青だわ!

 挙句、スペルカード・ルールを無視という話である。

 ま た 『異変解決(物理)』 か !

 ……やばいなぁ。

 何がやばいって、スペルカード・ルールが上手く浸透しなくなるんじゃないかって懸念である。

 単純に異変の規模も、その敵戦力も前代未聞の脅威である今回。果たして、どういう対処をしたものか?

 頭の悪い私では名案も浮かばず、思わず紫を頼るように視線を向けた時である。

 

「では、古明地さとりは此度の件には、どのように関わっているのでしょうか?」

 

 紫は、さとりに疑いの眼差しを向けていた。

 ああ、そうか。

 鬼は地底に居たんだもんね。

 さとりはその地底の管理者だもんね。

 そのさとりが宴会に出てきた夜に、示し合わせたように鬼が幻想郷を襲ってるんだもんね。

 そりゃあ、何かあるって疑っちゃうよね。

 ――最悪だ!!

 

「……何か、誤解をされているようですね。私は無関係ですよ」

「そうでしょうか?」

「具体的には、どのような疑いを向けられているんですか?」

「例えば、この宴会に多くの有力者を集め、鬼の動向を隠しやすくした――とか」

「今回の宴会は、先代の提案したものですよ。私はそれに偶然呼ばれただけです」

「貴女が、そのように先代巫女を誘導したという疑いもあるわね」

 

 思わぬところから紫の推測へ援護が飛んできた。

 永琳である。

 なんで?

 

「誤解です。私には、鬼に命令する権力もありません」

「命令ではなく、誘導だとしたら?」

「幻想郷に仇なすつもりはありませんし、意味もありませんよ」

「貴女は鬼に命令が出来ないと言ったわね。ならば、地底で貴女の権威に従わない鬼が退治されても、貴女には利益のある話じゃないかしら」

 

 さとりの逃げ道を塞ぐように、二人の賢者から次々に繰り出される筋の通った推論。

 それを、さとりは表情を変えずに受け止めていた。

 しかし、私には分かる。

 皆、さとりのことを知らないか、何かとんでもない誤解を交えて見ているみたいだから気付かないんだろうけど、私にはよく分かる。

 

 ――あれ、アカン奴や!

 ――完全に内心でテンパってる顔や!

 

 あと、視線は向けてこないけど、私に対する非難の声が超聞こえる。すんげえ私に悪態吐いてる。絶対に錯覚ではない。

 そもそも、紫も永琳も間違っている。

 なんか二人に言われたら思わず納得しちゃいそうだけど、その推論は全部見当違いなのだ。

 さとりは無実である。今回の件には、正真正銘何の関係もない。宴会も、私が言い出して、さとりには無理をして来てもらったのだ。

 これは、非常にマズイ流れだ!

 

「待て、紫」

 

 紫と永琳の影響で不穏になり始めた空気に、私は慌てて割り込んだ。

 と、とにかくフォローをするんだ!

 他の皆までさとりを疑い出したら、もう収拾がつかなくなる!

 

「さとりを疑っても、根本的な解決にはならないだろう?」

 

 焦っていたこともあり、上手く紫達を説得してさとりの疑いを晴らす自信のなかった私は、思わず他人の台詞にあやかっていた。

 う゛……っ、なんか嫌な感じの言い方になっちゃったな。

 

「……先代?」

 

 案の定、紫も突然口を出してきた私に対して訝しげな表情を浮かべている。

 言い方も悪かったかもしれない。

 でも、間違ったことは言ってないし……。

 

「首謀者が伊吹萃香という鬼なのか、それとも目の前にいる古明地さとりなのか、どちらなのかによって異変の全貌は変わってくるわ」

「でも今は、そんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない」

 

 今度は永琳に、そう反論する。

 ……あ、あやかる人物間違えたか?

 なんか自分で言ってて無駄に反感を覚えるような言い方だった。

 永琳はおろか、傍らの霊夢まで変な眼で私を見てくる。

 しかし、ここまで来たら、強引にでも押し切るしかない。

 さとりの事情を説明し始めると、私の秘密まで明かさなくてはいけないので、余計に話が拗れて長くなってしまうのだ。

 とにかく今は、さとりから無駄な疑いを逸らせて、問題への直接的な対処をして欲しかった。

 全員の意識が私へと移ったのをチャンスと見て、無理矢理話を進めた。

 

「鬼の襲撃に対処することが先決だ。紫、私達は如何動けばいい?」

「……ええ、そうね」

 

 紫は顰めていた眉を戻し、普段通りの冷静な口調で応えてくれた。ありがたい。

 ……扇で口元隠してるのが気になるけど。

 感情を殺してる時の癖なんだよなぁ、あれ。隠してるだけで、含むところはあるわけか。

 すまん! 私のことを不審に思ってもいいから、とにかく今は案をくれ!

 

「まずは、鬼の動向を探ることが先決でしょう。幻想郷の何処へ、どのような比率で散ったのか、知らなければなりません」

「幻想郷の結界を調べれば、把握出来るかと」

 

 それまで紫の傍らに黙って佇むだけだった藍が、おもむろに進言した。

 結界というと、幻想郷全体を覆う二つの大結界のことか。

 外界を拒む作用だけでなく、応用することで内部を走査することも可能らしい。

 すごいです、藍しゃま。私、元博麗の巫女なのに、そういうの全然知らないです。無能ですいません。

 藍に嫌われる理由が、ちょっと分かったような気がした。

 

「しかし、少々時間が掛かるでしょう」

「それには及びません」

 

 声を上げたのは、意外にも椛だった。

 

「既に、鬼の動向は私が探っております」

「ほう、如何にしてだ?」

「この千里を見通す眼にて」

「千里眼の能力か。良い性能だ。名を名乗れ」

「犬走椛」

「では、椛。紫様に詳細を告げよ」

「はっ」

 

 初対面のはずの藍と椛は、当たり前のように上下関係を築き、それを前提に淀みなく意思疎通していた。

 あの藍が、椛のことを認めたっぽいのも驚きである。

 ……いいなぁ、椛は名前で呼ばれて。

 私の本名って藍も知ってるはずなのに、これまで一度も呼ばれたことないっすよ。

 

「百の鬼の内、半数以上が人里を襲撃しており、ここに数が最も集中しております」

「伊吹萃香の居場所が知りたいわね」

「人里を襲う鬼の中に、姿がありました」

「既に、襲撃の最中なのね?」

「今はまだ、火の手までは上がっていません。里にも対処する者がいるようです。しかし、惨事が広がるまでは時間の問題かと」

「迅速な報告をありがとう。感謝いたします」

 

 椛は無言で頭を下げた。

 やっぱり、かっこいいわー。ただ無愛想なだけの私とは違うわー。

 しかし、話を聞く限り、のんきにしていられる余裕はないようだ。

 やはり、私の思うとおり早急な判断が必要だったのだ。

 っつーか、紫! 早く人里に行かせてくれ、慧音とか超心配!

 

「霊夢には、人里へ向かってもらうわ」

 

 私の訴えるような視線を受けて、それでも紫はまず優先して博麗の巫女である霊夢に指示を出した。

 

「人里でいいのね?」

「被害の規模が最も大きくなると予想され、また幻想郷においても重要な拠点よ。人間の代表として、そこを『博麗の巫女』が守らなければならない」

「分かってるわ」

 

 半数以上が集まっているとはいえ、鬼は他にもいる。そして、その分被害は広がる。

 紫は、それらの犠牲よりも、人里のそれを優先したのだ。

 博麗の巫女が、人間の為に戦う――それをアピールすることも必要だと含んでいる。

 冷静で、冷徹な判断だった。

 私はそれに不満を抱かない。

 紫を責めるようなことはしない。

 正しいからだ。

 そして、信じているからだ。

 私だって元は博麗の巫女。人間一人に出来ることがどの程度なのか、分かっちゃいるし、自惚れてもいない。

 

「私も行こう」

 

 そして、だからこそ私も動く。

 先代だからとか言ってられない。

 動けるうちは動かなくっちゃ。馬鹿はそれしか知らんのですよ!

 

「ええ。萃香の目的には貴女との戦いも含まれているようだから、敵の戦力を一箇所に集めることが出来るでしょう」

 

 つまり、餌になれって話である。

 紫のアイデアに不満はない。むしろ、満足している。

 フフフ……いいねぇ。シンプルになってきた。昔を思い出すな、紫よ。

 

「ただし、鬼と戦う際にはこれを使って頂戴」

 

 そう言って、紫は私に陰陽玉を渡してきた。

 霊夢の持っている物とはデザインが微妙に違う。白黒模様の黒の部分が、濃い紫色になっている。

 うーん、結界の効果があるっていうのは何となく分かるんだけど……。

 

「私には結界は使いこなせないと思うが」

「いいえ、これに仕組んだ結界の術式は防御用の物ではないわ。

 使えば、これを中心にした一帯の境界をズラす――簡単に言えば、貴女を含む範囲内の対象を結界内に閉じ込める作用を持っているのよ。そして、その対象に人間だけは無条件で外すよう設定してある」

「つまり?」

「鬼が貴女を狙って集まった時に使えば、貴女と鬼だけを閉じ込めた空間が出来る。そこで戦えば、周りに被害は及ばないわ」

 

 なるほど、つまり『ディバイディング・ドライバー』……だな?

 私は一瞬で理解した。

 こういう時、アニメとかの知識があると理解しやすくていいよねー。

 

「そして、貴女の戦いが誰かに見られることもない」

 

 納得顔の私とは裏腹に、紫は僅かに表情を曇らせていた。

 

「これ以上、先代巫女である貴女が現在の幻想郷の異変に関わる姿を知られるわけにはいかないわ。

 ましてや、スペルカードを使えない貴女が、かつての力をもって妖怪を退治する様を見られては困るのよ。それでは、前時代の幻想郷に戻ってしまう」

「――」

「貴女の名声が高まるのは良い。でも、伝説は伝説のまま終わらなければならない。貴女が、幻想郷の未来を先導してはならない。それは当代の巫女の役割なのだから」

 

 紫の告げる内容は、全く当然のものだった。

 私に気を遣っているのか、何処か悲痛さの滲み出る表情だったが、もちろん当人である私が何も気にしてはいないのだ。

 ……むしろ、私の方が気まずい。

 やっぱさぁ、拙かったんだよ。永夜異変で月ふっ飛ばしたの。

 正直、今この場で紫に面倒掛けた分、土下座したい気持ちだったが、そんなことをしている場合じゃないのも分かっている。

 私は平静を装いながら、静かに頷いた。

 

「私の戦争は終わった」

 

 いつか、紫に言った時のように偉大な老兵の言葉にあやかる。

 

「だが私にはまだ、やらなければならない事が残っている。それを成しにゆくだけだ」

 

 ――まあ、さすがに彼みたいに自殺するわけじゃないしね。

 陰ながら霊夢を支援しよう。親として、そして先達として。

 私の決意を聞いて、紫は『ありがとう』と泣きそうな微笑を浮かべた。

 ふつくしい……。

 やる気出てきた。

 

「――霊夢。ならば、貴女のすべきことは分かるわね?」

「相手のやり方に付き合うなってことでしょ。分かってるわ。博麗の巫女である、あたしの仕事よ」

 

 霊夢は懐に仕舞ったスペルカードを見せながら、紫に答えた。

 原作の萃夢想では、直接的な物理攻撃を交えながらも、スペルカードの使用自体は徹底して守られていた。

 あの変則ルールは、こういうことだったのか。

 思わず納得してしまう。

 しかし、難しいことには変わりないな。スペルカード宣言って、実戦では結構な隙になると思うし。

 どうなるか不安だが――でも、そこは霊夢を信じなきゃ駄目だよね。

 

「私は飛んでいくけど、母さんはどうするの?」

「走っていては、迂回する時間が無駄になる。霊夢に運んでもらって、私も空を行こうと思うが……」

「はいっ! だったら、あたし達天狗にお任せ! っていうか、具体的にはこっちの射命丸文にお任せ!」

「は……はたてェ!? あんたは唐突に何を……っ!」

「緊急事態なのよ? いつも幻想郷一って自称している速さを、ここで活かしなさい」

「……何が狙いなのよ、あんたは?」

「少しはあの子の助けになれっつってんのよ、この駄目親」

「親とか、何おぞましいこと言ってんの……っ」

「うっさい、この根性曲がり」

 

 突然はたてが提案し、その後何やら文と二人して小声で言い合いを始めてしまった。会話の後半が聞き取り辛い。

 親? いや、違うな。オーヤ? イミフ、何かの暗号か?

 よく分からないが、文が運んでくれるなら速くてありがたいなぁ。

 ……それに、文と一緒に飛ぶのって楽しみだし。

 随分昔の記憶だが、未だに鮮明に覚えている、私が初めて見た天狗の後ろ姿が思い浮かんだ。

 あの姿って憧れなんだよね。

 内心で浮かれながら、私はこの場を発つ前にそっとさとりの元へ近づいた。偶然にも、勇儀が傍にいるしね。

 

「すまん、さとり。そういうことになった」

「……色々言いたいことはありますが、今はいいです。とりあえず、気を付けて」

 

 相変わらずドライそのものなさとりの対応に、何処か安心しながら、今度は勇儀に向き直る。

 勇儀も複雑な立場になっちゃったよね。

 私が去った後で、また変に揉めなきゃいいんだけど。

 それから、一応確認しておかなければ――。

 

「勇儀。私は鬼と戦うことになるだろう」

「ああ、遠慮はしないでくれ。いや、むしろ油断するんじゃあない。鬼はな、強いぞ?」

 

 言われるまでもない。

 勇儀との勝負の結果を、私の実力勝ちなんて欠片も思っちゃいないよ。

 

「先代、私に望むことはないか?」

「望むこと?」

「事情を知らされていなかったとはいえ、幻想郷で暴れようとしている奴らは皆私の同胞だ。萃香は、私の親友さ。

 私は何か行動するつもりはなかった。萃香達の加勢も、地上の為に戦う気もなかった。しかし、私に勝ったお前が命じるなら、私は拒まない。百の同胞だって血祭りに上げてやる」

 

 ……なにそれこわい。

 勇儀はなんか凄い覚悟をしていたみたいだが、私はもちろん最初からそんなつもりなんてなかった。

 っつーか、私と勇儀は友達でしょ。

 命令するとか、そういうのは無いから。

 

「本当の友人は、対等なものだ。私が勇儀に命令することなど、何一つない」

「――」

「だが、一つだけ。私の代わりにさとりを守ってくれ。頼む」

「……『頼む』か。任せておきな、この星熊勇儀が引き受けた」

 

 勇儀は力強く請け負ってくれた。

 おおう、なんか異様に頼もしいな。オイ。

 助かるよ、ありがとう。

 ――これでいいでしょ、さとり? だからそんな『私を置いて行くんですか。なんか周りに変な誤解がある不安な状況で私を一人にするんですか。そうか、つまり君はそういう奴だったんだな』って眼で見るのはやめてください。

 言いたいことは嫌って程伝わるからさ、これで勘弁して、

 逃げるようにさとりから離れると、なんだかんだで話は纏まったらしく、物凄く嫌そうな顔で文が私を待っていた。

 

「行きますよ、先代様。人里に運んだら、そこまでですからね? 絶対に一緒に戦うとかしませんからね? 天狗が人間の為に戦う義理はないんですから」

「分かっている。ありがとう」

「なんですか、その礼は。皮肉ですか」

「いや、違うが……」

「おお、うざいうざい」

「……すまん」

「ふんっ。さっさと行きますよ」

 

 やはり、文には迷惑な話だったらしい。気まずい……。

 文は強引に私を抱えると、凄い勢いで急上昇した。

 満月の夜空を、私は飛ぶ。

 すぐ傍を、霊夢が付き添うように飛ぶ。

 向かう先は人里。

 鬼との戦いが待つ場所だ。

 私は気を引き締めた。

 

 ――ところで、些細な疑問が一つ。

 

 なんで、さとりの近くにアリスが寄り添ってたんだろう?

 いつの間に仲良くなったんだ、あの二人。

 

 

 

 

「頼むわよ。霊夢、先代――」

 

 八雲紫にとって、祈りとは最も無駄な行為である。

 妖怪である自分に祈りを捧げる場所などない。

 しかし、祈ることが何の利益も生まず、また同時に何の害にもならないというのなら――祈らずにはいられなかった。

 自らの認めた巫女と、認め始めた彼女の娘の為に。

 

「あの二人だけに全てを任せるつもりではないでしょう?」

 

 感慨にふける暇を許さぬように、永琳が訊いた。

 鬼が襲っているのは人里だけではない。

 その人里にしても、かの妖怪の強さを知る紫からすれば、規格外とはいえたった二人の人間に全てを任せるのは危険だと判断していた。

 二人だけではない。例え、自分自身が戦力として加わったとしても、それでも足りない。

 鬼とは、それほどまでに恐ろしい妖怪なのだ。

 そして、それが更に数を頼みに襲って来ているのだ。

 紫は振り返り、既に宴会の空気など吹き飛んでしまった参加者達の顔を見渡した。

 

「此度は幻想郷そのものの危機。この異変解決の為、幻想郷の管理者『八雲紫』の名の下に皆様の協力を募りたいと思います」

 

 そう告げ、紫は深々と頭を下げた。

 主が頭を下げる姿に、藍もまた倣う。

 さすがにこの状況で周りを牽制するような真似はしない。

 しかし、完璧に取り繕った表情の下に大きな不服を抱えていることは間違いなかった。

 八雲紫が頭を下げる――その意味は、重い。

 

「その前に一つ、確かめておきたいことがあるわ」

 

 最初に切り出したのは、永琳だった。

 ただし、言葉と共に動いた視線の先は紫ではない。

 さとりだった。

 

「今一度、確認するわ。貴女は今回の件に全く関係が無いのね」

「ありません」

「例えば、私がこの場で貴女に土下座をし、靴を舐めてみせれば、永遠亭への襲撃をやめさせることは出来るかしら?」

「師匠!?」

「黙ってなさい、ウドンゲ」

 

 狼狽する鈴仙を視線で黙らせ、永琳は問い詰めた。

 彼女の言葉が本気か否か、さとりには能力を使ってよく分かる。

 

「……本気ですか」

 

 さとりの声色は、呆れよりも畏怖が混ざっていた。

 

「どうなの?」

「無理です。理由は、先程私が説明したままです。私は、本当に今回の件とは関係がありません」

「ならば、もう言うことはないわ。行くわよ、ウドンゲ」

「……は、はい!? 行くって、何処へですか!?」

「姫をお守りするのよ」

 

 そう言って、永琳は本当にこの場から風のように去ってしまった。

 先程の紫の頼みなど、歯牙にも掛けていない。

 紫の提案を、軽く見ているわけではないのだ。

 ただ、永琳にとって輝夜の存在が何よりも重いだけなのだった。

 紫はそれを理解していた。

 だからこそ、咄嗟に止めようとする藍を抑えた。

 永琳と鈴仙は、そのまま博麗神社から飛び去っていった。

 

 ――八意永琳の行動に関しては、おおむね予想通り。

 

 紫は何処までも冷静に状況を見据えていた。

 

 ――だが、古明地さとりの言動はどうか?

 

 そして、冷静だからこそ、この状況で誰もが目先の動きに捉われる中、さとりのこれまでの動向に不審を感じていた。

 鬼の襲撃を知った時から生まれた、さとりへの疑念。

 それは今や、無視出来ぬほど大きなものとなりつつある。

 それを後押しするのは、先代の言動だった。

 

『さとりを疑っても、根本的な解決にはならないだろう?』

『でも今は、そんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない』

 

 明らかにさとりを庇う意図のある言動。

 一見正論ではあるが、普段の先代からは到底考えられない強引な話題の転換だった。

 先代の行動が全て、幻想郷やそこに住む者達を想ってのものなのだと分かっている。

 その決意は彼女がここを発つ時の言葉からも、痛いほど伝わった。

 だからこそ、ただ一点――あの時のさとりに関わった瞬間に抱いた、自分らしからぬ先代の言葉への不信感と反感を、紫は違和感として捉えていた。

 先代の尊い信念。

 それを巧妙に摩り替えて、自らの利益としている者がいる。

 それが、あの古明地さとりではないのか?

 やはり今夜の宴会。その始まりから、全てさとりが関与していたのではないのか?

 もしも、そうであるのならば――。

 

 ――許すことは出来ない。決して。

 

 未だ読み切れぬさとりの真意自体は棚上げして、紫はその決意だけを明確に固めていた。

 

「他の方々の意思は如何なるものでしょうか?」

 

 永琳が去った後、残った者達へ向けて紫は尋ねた。

 その言葉に『期待』はない。

 ただ、パーセンテージで表された予測があるだけである。

 親友である西行寺幽々子の協力は固い。しかし、この危険な異変においては絶対ではない。

 残った二人の天狗は協力してくれるだろうが、彼女達が組織ぐるみで何処まで動いてくれるつもりかは、まだ分からない。

 さとりと勇儀の二人は、むしろ手を出さない方がありがたい。幸い、先代が勇儀に頼んだおかげで、彼女は守りに入るだろう。

 アリスは未知数。先程から、何故かさとりの傍に居る理由が気に掛かる。

 紅魔館は当主であるレミリアの気分次第で、どうとでも転ぶだろう。賭けである。

 ただの人間である魔理沙は論外だった。何の戦力にもならない。

 僅かな時間、酒を酌み交わした程度で、人妖の溝が埋まることなどないのだ。

 ましてや、この場に中心である先代巫女はいない。

 全ては、あの永夜異変の時のまま――。

 

「――無いわよねぇ、人間の為に戦う理由なんて」

 

 おもむろに、レミリアが笑った。

 誰に対するものとも知れぬ、嘲笑だった。

 

「少なくとも、このレミリア・スカーレットが戦う義理など無い」

「お嬢様……」

「でも、小母様が……」

 

 レミリアの言葉に、不満を浮かべるのは美鈴とフランドールだけだった。

 咲夜は沈黙を貫いている。

 二人の縋るような視線を無視して、レミリアは更に続けた。

 

「私が戦うのは、自らの矜持の為だけよ。つまり――『今』『此処』で、だ」

 

 意味深げな言葉だった。

 その真意を探る前に、レミリアが唐突に椛の方へ視線を向けた。

 

「おい、犬走と言ったな。人里に最も多くの鬼が集まっているのは分かった。では、二番目は何処だ?」

「此処です」

 

 椛は淀みなく答えてみせた。

 

「伊吹萃香様を先頭に、この博麗神社へ、来ます」

 

 レミリアの瞳は、その時間違いなく『未来』を見据えていた。

 

「来た」

 

 まさに、その時である。

 境内に続く階段から、何か大きなものが昇ってくる感覚を、全員が感じた。

 覚えのある気配である。

 それは星熊勇儀がやって来た時と、ほぼ同じ圧迫感だった。

 違う点は、それが凄まじく速く、勢いのあることだった。

 強烈な暴風が下から吹き上げるように、博麗神社の境内へ『鬼達』が姿を現した。

 人の形をした者。

 人の形をしていない者。

 手足が人のそれの倍の数ある者もいれば、手足どころか胴体すらない頭だけの鬼もいた。

 大小様々なそれが、地を踏み、また夜空を舞い、幻想郷の人妖の前に鬼としての姿を現したのだ。

 

「ふむ、数は……二十程度か。多いなァ。多い分『忘れ去られた妖怪』とやらのありがたみが薄れるなァ。そこの鬼一匹の方が、よっぽど存在感があるわ」

 

 レミリアの軽口に、勇儀だけが笑って応えた。

 レミリア以外の紅魔館の者達がそうであるように、ほとんどの者が、現れた鬼の群れが放つ、まさに『鬼気』と呼べるものを受けて戦慄していた。

 これが鬼である。

 勇儀とは違う。

 敵対する存在となった、これから戦わねばならない相手となった、鬼の脅威である。

 

「いいねぇ、地上にも活きのいい奴らがいるもんだなぁ」

 

 満を持して、萃香が現れた。

 勇儀と同じように、階段を登って真っ当に境内へ足を踏み入れている。

 その仕草自体が、既に他の鬼と一線を画しているような迫力があった。

 

「お前が伊吹萃香か」

 

 誰もが様子を伺う中、レミリアは無造作に前に進み出ていた。

 

「人里を襲っている鬼の中に居た、と聞いたが?」

「ああ、そっちにも行ってるよ」

「なるほど、分身か何かか」

「吸血鬼のチンケな使い魔と一緒にする無ぇ。我が分け身は、幾つにも散らばり、全ての鬼と同行している。

 人を食いたい鬼がいれば共に人を攫い、強者との決闘を望む鬼あらばそれを見届ける――この伊吹萃香は、此度の異変の正真正銘元凶よ!」

 

 萃香は胸を張って、言い放った。

 清々しく、だからこそ何処までも恐ろしい言葉だった。

 彼女は今まさに、幻想郷そのものへ宣戦布告をしたのだ。

 紫は、自分を一瞥する萃香の視線に気付いた。

 対等な友だと思っていた相手である。

 だからこそ、もはや言葉を交わす必要も無く、紫は悟ったのだ。

 伊吹萃香は、今や対等の『敵』となったのだと。

 

「フン、つまり喧嘩を売りにきたのだな?」

 

 周りを囲む鬼と、それを率いる萃香に場が呑まれそうになる中で、レミリアは最もそれに抗う者だった。

 今はまだ、直接の戦いは始まっていない。

 佇む萃香に対して、レミリアもまた立っているだけである。

 しかし、二人の体から眼に見えない何かが立ち昇っている。

 互いのそれが触れた瞬間、煙のように混ざり合うことなく、逆に押し合っているかのようだった。

 その二つのモノの間に挟まれた空間が、悲鳴を上げるように歪んで見えるのだ。

 

「舐められたものだ。今目の前に居る貴様も、所詮分身だろう」

「そりゃあ、舐めもするさ。新参の妖怪がよう、血を吸う程度の鬼がよう、本場の鬼に対等な喧嘩出来ると思うんじゃぁないよ」

「ハハハッ、勘違いも甚だしい。私をお前ら下等妖怪の亜種などと思うな。

 この東方の地における呼び名を当て嵌めただけで、それを本質と誤解する浅はかさ。滑稽すぎて、言葉も無い」

「お前は『鬼』じゃないのかい? じゃあ、お前は何なんだい?」

「知れたこと――」

 

 レミリアは嘲笑った。

 その背中に、蝙蝠のような黒い羽が広がる。

 鬼が角を持つように、レミリアだけが持つ漆黒の羽である。

 まるで満月の影響を受けたレミリア自身の力を反映するように、普段のそれよりも肥大化した翼が周囲を威圧した。

 

「私は『赤い悪魔』 私は『不死の女王』 私は『化け物』――近代西洋の闇を支配したスカーレット家の現当主たる私が、古びた妖怪風情に劣る道理無し!」

「ほざけ、小娘がぁ!!」

 

 レミリアの強烈な挑発に、堪えきれずに鬼が襲い掛かった。

 萃香の傍らに立っていた鬼である。

 完全な人型で細身の男性的な体格だが、両腕だけが異様に長い。真っ直ぐに伸ばせば、まるで槍である。

 鋭利な爪を供えた指を束ねれば、その先端はまさに槍の穂先そのもの。

 それを心臓目掛けて突き出した。

 レミリアは回避する素振りすら見せず、その一撃に貫かれる。

 噴水のような出血が、傷口から噴き出した。

 

「いいぞ、貴様の『挑戦』を受けよう」

 

 逆流する血を口からも溢しながら、レミリアは愉快そうに笑っていた。

 

「では、スペルカード宣言だ――」

「馬鹿め!」

 

 悠長とも思えるほどゆったりとした動作は、敵にとって隙だらけだった。

 カードを取り出そうとしたレミリアの腕を、鬼の爪が斬り飛ばす。

 心臓を貫いた腕を引き抜き、自由になった両腕で、同時に腹を突き刺す。

 小柄なレミリアの胴体は、血液ごと内臓を全て押し出されて、その腕に両断された。

 凄惨な光景である。

 泣き別れになった下半身が地面に力なく落ち、片腕を失った上半身は――そのまま鬼を見下ろすように宙に浮かんでいた。

 

「小物は勝負を急ぐから品がない」

 

 レミリアは、いつの間にかその口に血塗れのスペルカードを咥えていた。

 

「何ぃ!?」

「いいか、幻想郷のルールを無知な鬼に教えてやる。宣言は優雅にするんだ――紅符『不夜城レッド』」

 

 レミリアが宣言をした瞬間、自身を中心に十字架を形取った魔力が吹き上がり、密着していた鬼の全身を飲み込んだ。

 炎にも血にも見える真紅の閃光の中へと悲鳴が消え、空高く吹き飛ばされた鬼はきりもみしながら地面に叩きつけられていた。

 スペルカードに示された技には違いないが、弾幕ごっこで使用されるような非殺傷のものではない。

 圧倒的なまでの破壊力である。

 その攻撃を放ったレミリア自身は、倒れた鬼とは対照的に、受けたダメージをその場で完治させてしまっていた。

 満月における吸血鬼の不死性は凄まじい。

 千切れた下半身を繋ぐなどというレベルではない。一から再構築し、レミリアは何事も無く両足を地に着けていた。

 

「すごいなぁ、言うだけのことはある」

 

 戦いを眺めていた萃香は、のんきに笑っていた。

 しかし、その笑顔には怖いものがある。

 

「でもなぁ……舐めてるとしか思えないなぁ、スペルカード宣言とかさ。最初から、その技をぶつけていればよかったんだ。隙だらけだったじゃないか。わざとなのかい?」

 

 笑みに隠して、萃香の苛立った気配が感じ取れた。

 結果的に能力の差で押し負けてしまったが、実戦において正しいのは襲った鬼の方のはずなのだ。

 わざわざスペルカードを唱えている暇があったら、その間に攻撃をした方が良い。

 いや、良い悪いではなく、それが本当の意味での『全力』である。

 つまり、レミリアは手を抜いたのだ――と。萃香は捉えていた。

 そして、それが許せなかった。

 そんな萃香の怒りを尻目に、レミリアは嘲笑と上からの目線を崩さなかった。

 

「舐めてるのかと言われれば、舐めている。わざとかと言われれば……そうとも、わざとだよ」

「なにぃ?」

「なあ、鬼。お前ら、喧嘩を売りにきたんだろう? この幻想郷のルールを無視して、好き勝手に暴れにきたんだろう? そんなお前達の下等な行為に、私が付き合う道理があると思っていたのか?」

 

 レミリアは心底馬鹿にしたように鼻で笑い飛ばした。

 パックリと割れた三日月のような口から、長い舌を垂らす。

 

「バァカ、勝手に一人で踊ってろ。私は私のルールで、私の守るべき矜持で、お前達の相手をしてやるよ」

「てめぇ……っ」

 

 萃香が押し殺したような声を洩らす。

 鬼という種族そのものを格下に見るような、一貫したレミリアの言動に腹が立っているはずだった。

 しかし、萃香は同時に何処か喜んでもいるのだった。

 それは、鬼特有の感覚なのかもしれなかった。

 鬼は、笑うのだ。

 

「分かりやすいじゃねぇか! その薄っぺらなカードとお前の矜持とやらを、鬼の拳骨で打ち砕いてやる!」

「よかろう、相手をしてやる! 次のスペルカードはこれだ!」

 

 両手を広げ、レミリアは再び大げさすぎるほどの仕草でカードを掲げた。

 何処までも隙だらけの構えであり、何処までも雄大な姿でもある。

 虚勢とも取れる、意味のない優雅さ。

 しかし、その姿に不思議と惹き付けられるものがあった。

 少なくとも、この場にいる鬼以外の者達――幻想郷の住人達は、レミリアのスペルカードを掲げる姿に惹かれていた。

 特にその中で、レミリアを見上げる紫の瞳は尊敬すら含んでいる。

 紫は微笑んでいた。

 鬼の襲撃を知って以来初めて浮かべた、余裕を感じる笑みだった。

 紫は今まさに、レミリア・スカーレットを対等の存在と認めたのだった。

 

「さあ、このレミリア・スカーレットに挑みたい鬼は前に出ろ!」

 

 レミリアの一喝に、萃香だけではなく他の鬼達もにわかに騒ぎ始めた。

 

「っかぁー! 何処までもわしらを下に見よる! これだから南蛮の妖怪は好かんのぉ!」

「頭ァ、俺にやらせてくれ! あの餓鬼の面ァ、歪めたる!」

「まて、俺だ! 俺が先だ!」

「待てコラァ! まだ俺との勝負は終わってねぇぞぉ!!」

 

 不夜城レッドを受けて再起不能になったかと思った鬼まで立ち上がっていた。

 全身をズタズタに引き裂かれていたが、傷は全て表面だけに留まり、致命傷には至っていない。

 先程の攻撃そのものは、全く手加減をせずに放った全力の一撃である。

 それをまともに受けて、それでも立つのだ。

 レミリアは鬼という種族が共通して持つ、恐るべき頑強さを実感した。

 

 ――こんな奴らが、全部合わせて百か!

 

 しかし、その脅威を表情には決して出さない。

 何処までも優雅に、余裕綽々に、強大な敵の群れを手招きしてみせる。

 

「競うな競うな、見苦しい。私のように誇り高き貴族と、泥臭い土着の民じゃぁ格が違いすぎるのよ。

 我が力を捻じ伏せ、矜持を打ち砕きたくば、真円を描く今宵の月を越えて、この命に届いてみせよ――!」

 

 放たれるレミリアの魔力が、満月を赤く染める。

 鬼が拳を振り上げて咆哮を放ち、スペルカード宣言がそれを迎え撃つように響き渡った。




<元ネタ解説>

「酒で憎しみを~」

漫画『うしおととら』で復讐の符術師ヒョウが呟いた台詞。彼もまた、この言葉を符術の師匠から受け売りとして聞いている。
ちなみに「ヒョウ」という漢字は非常に難しく、パソコンによっては表示できないかもしれないのでカタナカで示す。
知りたければ漫画を読めばいいじゃない。

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