其の二十六「宴」
「……この先代巫女って奴、ヤバすぎる」
部屋で一人、そう呟いたのは火焔猫燐であった。
燐の手の中には、新聞があった。
射命丸文が発行する『文々。新聞』である。
本来ならば、地上にしか発行されていないそれを、この地底は地霊殿のペットである燐が持っている理由は、主人である古明地さとりにあった。
およそ三月ほど前に、この地霊殿へ射命丸文当人が地上から訪れたことがあった。
その時、地霊殿と地上からの来訪者の間で何があったか、何か話し合われたのか、燐は知らない。
ただ、その日以来、定期的にこの新聞が地底世界への入り口前に届くようになり、燐はさとりの命令でそれを取りに行くのが仕事の一つとなっていた。
さとりは、この新聞を愛読してる。
娯楽を感じているのか、それとも地上の動向を探る為の必要性から読んでいるのかは分からないが、とにかく主人の日課となっていることを燐は知っていた。
そして、読み終わった新聞を処分するのも燐の新しい仕事である。
この時、燐もまた気まぐれに処分する前の新聞を読むようになった。
良い意味と悪い意味、両方の意味を持つ興味からである。
地上には少なくとも『三匹』の化け物がいることを、燐は知っていた。
出来れば、二度とお目にかかりたくないが、その内の一人である『八雲紫』は自分の主人とも関係のある妖怪である。
しかも、最近になってその関係は徐々に深まりつつある。
恐ろしい、おぞましい妖怪だ。
しかし、八雲紫自身と彼女が管理する地上の情報は、少しでも知っておかなければならない。
主人のことを想っての、健気な行動だった。
「こいつが五体満足に戻ったって話だけでも不安だったのに、まさかこんな……」
燐は、最初に地底と地上が関わり始めた日から、ここ最近までの出来事、人妖の動き、その関係をおおまかに把握していた。
――先代巫女。
本名すら定かではない、ただ一人の人間。
こいつが全ての中心だった。
この巫女が地底を訪れ、そこから全てが動き始めた。
人間の身でありながら、鬼の星熊勇儀を下した本物の化け物。
ただそれだけでも恐ろしい相手なのに、そこへ八雲紫と風見幽香という大妖怪が関わってくる。
地底の方でも、勝負に負けた勇儀はもちろん、地霊殿に招いた際に親友のお空が――そして、最も重要なこととして主人であるさとりが、この人間と友好関係を持ってしまったのだ。
非常に厄介な関係だった。
少なくとも、燐はさとりと先代の繋がりを、そう捉えていた。
「地上にも、こいつを抑えられる妖怪はいないのか」
燐が今、苦い顔をして眼を通している新聞は最新の物である。
その前の新聞の内容が『地上でのある異変を経て、先代が勇儀によって負わされた足の傷を完治させた』というものだった。
それを知った勇儀は、宴会でも開かんばかりに喜んでいた。
主人であるさとりが表情に出さず、内心では喜んでいたことも、ペットである燐にはよく分かった。
事実、めでたい話である。
しかし、燐は主人の喜びに共感する気にはなれなかった。
その気持ちは、今回の新聞を読み終えてますます強まっている。
新聞には、復活した先代巫女の過去の偉業について編集された内容が載っていた。
最も代表的な『地底の鬼退治』を筆頭として、現役時代の妖怪退治の数々。何処から仕入れたのか、風見幽香との関係。先代の持つ力や技の解説――。
読み終えてみれば、新聞全てが先代巫女の記事である。
捏造や誇張でない証として、当時の写真や他の文献の引用まで、事細かで分かりやすい編集だった。
そう、分かりやすいからこそ、先代巫女という人間の全貌が燐には嫌というほど理解出来たのだ。
あの巫女は、主人にとって――いや、地底そのものにとって厄種である。
人間にしては強すぎる。
他の人妖との繋がりが広すぎる。
挙句、引退したはずの博麗の巫女の後継者として治まっているのが当人の娘である。
地上にも地底にも、また様々な意味で影響力の強すぎる存在だった。
「……駄目だよ、さとり様。こいつ、関わるにゃ危険すぎるよ!」
燐は心配せずにはいられなかった。
重すぎる。この人間は、気軽に友好関係を結ぶには、あまりにも重すぎる力と立場を持っているのだ。
今のところ、特に問題は起きていないが、今後何が起こるか分からない。
その結果、どんな大事に地底が、果てはその管理者であるさとりが巻き込まれるのか、不安で仕方ないのだった。
自分の主人は、周りの評価に反して純朴で穏やかな妖怪である。
荒事に向いた性格ではないし、力だって強くない。
地底の管理者などと持ち上げられて、実際は良いように顎で使われていることを、燐はずっと気にしていた。
そんな愛する主人を、これ以上厄介事に関わらせたくなどなかった。
問題の先代巫女が、度々さとりを訪ねて地底にやって来ていることは知っている。
本来ならば地上からの行き来は様々な取り決めがあるが、先代はほとんど特例としてそれを素通りしていた。
その陰に、地上の管理者である八雲紫の計らいがあることは間違いない。
この時点で、ヤバい。
権力に融通の利く人間である。
これまで先代がさとりを訪れる理由は、いずれも大したことのないものばかりだった。
互いの立場を軽く見すぎているという点を除けば、本当に気安い友人同士の微笑ましい交流だった。
――しかし、大変失礼ながら、さとり様には今後あんな奴との付き合いは自重していただきたい!
燐は新聞を仕舞うと、さとりの部屋へと向かった。
如何なる偶然か。今日、問題の先代が地霊殿を訪れていた。
今は、さとりの部屋で二人だけで会っているはずである。
毎回先代巫女を送り届ける八雲紫は、地底に同行することなく、地上に残っている。
時折先代に同行してくる変な妖精も、今日はついてきていない。
だから、どうする?
厄介な奴を、この場で暗殺でもして闇に葬るか?
そんなことをしても取り返しのつかない事態になるだけだし、何より自分の実力で可能な方法とは思えない。
しかし、このまま大人しく先代を地上に帰し、再び訪れるのを繰り返すことも看過できない。
考えが纏まらないまま、燐はさとりの部屋に辿り着いていた。
ドア一枚越しである。きっと、さとりは自分の接近に気付いているだろう。
それでも、迂闊に中へ入る気にもなれず、燐は恐る恐るドアを開けて中の様子を伺った。
(二人で何をしているのか――に゛ゃっ!!?)
覗き込んだ先の光景に、燐は驚愕した。
思わず声すら出ないほどの衝撃だったのは、逆に幸いである。文字通りの絶句だった。
さとりと先代。
二人は向かい合って座っていた。
ただし、さとりが椅子に足を組んで腰掛けているのに対して、先代は床に直に座っている。しかも、正座である。
頭を、深々と下げていた。
先代は、さとりに対して土下座をしていたのだ。
「――貴女には失望しました」
さとりが囁く程度の小さな声で言った。
それは足元にいる先代へ向けた言葉だったのだろう。
しかし、燐はまるで自分が言われたかのようなショックを受けていた。
普段は優しい主人から想像も出来ない程、恐ろしく冷たい声だった。
こんな――。
こんな冷たい声が、さとり様の口から出てくるなんて――。
「……すまない」
「謝るだけなら馬鹿でも出来ますよ」
吐き捨てるように罵るさとりに対して、先代は頭を下げたままである。
あの星熊勇儀を退治した恐るべき人間が、何一つ反論することなく這い蹲っている様を見て、燐は驚きを通り越して戦慄すら感じていた。
さとりは、組んでいた足を解くと、そのまま爪先で先代の顎を引っ掛け、無理矢理顔を上げさせた。
「謝罪には、もっと誠意を込めてください」
「……すみませんでした」
「それだけですか?」
「許して下さい」
「ふん」
眼を疑うような光景だった。
あまりに呆然としすぎて、燐は自分が一体何の為にこの場へやって来たのか、半ば忘れてしまった。
足蹴にされながら懇願する先代と、それを冷たく見下ろすさとり。
蔑む者と蔑まされる者。
絶対的な上下の関係が、二人の間には存在している。
どちらの、どの姿も、燐にとっては想像もしていなかったものだ。
(ど……どうなってんの? 二人は、少なくともこれまで普通の友人同士だったはずなのに……それとも、これはあたいが今まで知らなかった本当の姿だっていうのかい!?)
燐の胸に、急に不安と恐怖が湧き上がってきていた。
それはこの部屋を訪れる前に感じていたものとは、また別の意味を持った感情だった。
燐は、今初めて敬愛する主人であるさとりを――恐ろしい、と。そう感じていた。
そして、混乱する燐は今自分が居る状況を失念してしまっていた。
「――お燐! 貴女、見ているわねッ!」
「ひっ!?」
僅かに開いたドアの隙間越しに、覗き見ていた燐の瞳を、さとりの鋭い眼光が射抜いた。
先代を見下していたはずのさとりは、いつの間にか隠れている燐の方を睨みつけていたのだ。
考えてみれば、当たり前のことだった。
さとりの能力ならば、ドア越しに燐の心を読んで近くに居ることを容易く看破出来る。燐自身も、分かっていたはずのことだった。
燐はガタガタと震えながら、ドアを完全に開けようとした。
本当は、ドアを閉じて逃げ出したかった。
大好きな主人を前にして、そんな気分になるのは初めてのことだった。
「ドアは開けなくて結構」
燐の心を読み、さとりが先手を取って制した。
「そのままドアを閉めて、ここから去りなさい。今、大切な話をしているのよ」
「は、はい。分かりました……っ」
「――お燐」
さとりの視線に耐え切れずに下を向いていた燐は、呼ばれて思わず顔を上げた。
そして、それを後悔した。
「勘違いしないで頂戴ね。私と彼女の関係は、良好よ。ねえ、先代?」
「はい」
何処か不自然に感じるさとりの作られた微笑と、力無く従順な先代の返事。
燐は湧き上がる恐怖を抑えきれず、慌てて頭を下げると、すぐにドアを閉めた。
これ以上、見ていたくなかった。
(あたいは、ひょっとしてとんでもない思い違いをしていたんじゃないか……?)
逃げるようにさとりの部屋から走り去りながら、何故か溢れてくる涙を必死で堪える。
不安だった。
怖かった。
それらの感情を、あろうことか敬愛するさとりへと向けている自身自身が信じられなかった。
(あたいが知らなかっただけで、さとり様の本当の姿は、まさか――)
あの部屋で見た光景を、しばらくは忘れられそうにはなかった。
まるで悪夢のように。
◇
おりんりんが慌ててドアを閉めると、すぐに遠ざかっていく足音が聞こえた。
さとりは取り繕った笑顔を浮かべたまま、閉ざされたドアを見続けている。
……え、えーと。
とりあえず、さとりん。
DIO様の物真似、結構似てたZE!
「床じゃなくて焼けた鉄板に正座したいなら、そう言ってくださいよ。すぐに用意させますから」
サムズアップした私を養豚場の豚を見るような視線で見下ろして、さとりは恐ろしいことをサラッと言い捨てた。
――すんませんでしたっ!!
再びその場で土下座する私。
恥も外聞もない。ついでに言うなら、今の状況に不満も反発もない。
私が土下座するのは当然。私の自業自得だからだ。
私はさとりが許してくれるまで、喜んでコメツキバッタになるぜ!
「……顔を上げてください。今のは、別に貴女が悪かったわけじゃありません」
そうなの?
「ええ。お燐の心を読んで、誤解されたことが分かったから、少し憂鬱になっただけです」
ふーむ、誤解ね。
……確かに、今の私とさとりの状態を顧みてみれば、他人の眼にどう映るのか簡単に想像出来る。
あれだね、テーマを付けるとするなら『女王様と私』って感じ?
「そうですね、まさにそんな感じの印象をお燐に与えてしまったんですよ。
誤解を解こうと思ったら、全然信用してなかったし。このままでは、お燐の私を見る眼が変わってしまいそうです」
ははっ、まあ仕方ないよね。
あの時のさとりんってば、私も怖かったもん。
「そーですねー、私怒ってましたもんねー?
あ・な・た・の、せいなんですよ分かってるんですか反省してるんですか、本当に!」
珍しく声を荒げながら、さとりは引き攣った笑顔を近づけてきた。
両手で私の頭を挟み込み、ギリギリと力を込めながら、これでもかという怒りを燃やして睨みつけてくる。
さとりの力が弱いので全然痛くないのだが、怒りの形相はかなり迫力があった。
「すまない」
「さっきからそればっかりですね。実は事の深刻さを理解していないんじゃないですか?
苦労するのは私なんですよ。貴女がある事ない事勝手に吹きまくって、辻褄合せやフォローを私に丸投げして……挙句、それをしなきゃいけない相手が全員一筋縄ではいかない大物ばかり!」
私の頭蓋骨の頑強さに諦めたさとりは、今度は頬を挟み込んでタコの口にしようとしてきた。
さ、さすがにそれはやめて! ブサイクになっちゃうぅ!
「しゅまにゃい」
「謝るくらいなら、最初からやらないで下さいよ。
ちょっと考えれば、フォローのしようがないことくらい分かるでしょ? 妖怪の賢者も知らなかった情報を、どうやって私が手に入れられるっていうんですか」
さとりが怒っている理由――それは、私が永遠亭で永琳に問い詰められた際に暴露してしまった情報と、そこから捏造してしまった情報の発信源についてだった。
幻想郷の中で、紫にすら察知されずに隠れ住んでいた永琳達。
原作知識を元にその所在を探し出した私は、そこで永琳にどうやって自分達を見つけ出したのか疑問と不審を抱かれた。
そこから更に失敗を重ね、永琳が医者であるという思い込み、その根拠、最も隠し通したかった輝夜の存在など――事情を知らない永琳からすれば不可解としか言えない情報の数々を持っていることを、知られてしまったのだ。
それらの情報を何処で手に入れたのか?
当然『原作ゲームの設定から知りました』なんて答えられるはずもない。
追い詰められた私がその場しのぎの為に出した切り札こそ――『それは全部、古明地さとりって奴の仕業なんだ』って感じの返答だったのだ!
「そうですね。死んで下さい」
「すみませんでした。許して下さい」
私は今一度、先程と同じ謝罪を繰り返して、頭を床に擦りつけた。
ねっ、自業自得でしょ?
……。
…………。
いや、あの……茶化してる場合じゃないってのは、理解してます……。ホント、すみませんでした。
割と本気でさとりに合わせる顔がない私。
「……まあ、貴女の謝罪が本気であることは十分に分かってます。考えるより先に、土下座した時は何事かと思いましたけど」
今回、地霊殿を訪れた理由の一つはこれである。
永琳に言い終えた時点で、既に無茶振りだと自覚はしてたからね。
さとりには土下座すべき、と考えていたのだ。
冗談で誤魔化したりはしない。土下座が必要だと思ったら、私は躊躇なくやるよ。
「その誠意を汲んであげたいところなんですけど……正直、問題が大きすぎて、素直に許せません。足蹴にしたことも、謝りませんよ」
さとりは恨みがましく言った。
わ、分かってますって……。
でも、本当になんとかならんもんかね?
過ぎたことはしょうがない、なんて私に言えた義理じゃないが、それでも言ってしまった手前、さとりには何とかしてもらいたい。
「簡単に言いますねぇ」
さとりは心底疲れたようなため息を吐いた。
怒りが収まったというより、ただ単に疲れて萎えてしまった様子である。
私が恐る恐る顔を上げると、さとりは複雑そうな表情を浮かべながらも、無言で空いた席を勧めてきた。
好意に甘えて、私もさとりと向かい合うように座る。
「そもそも私だって貴女と事情は同じなんですよ。
面識すらない八意永琳という人物に関して私が知っているのは、貴女から『原作』を聞いたからです。結局、情報の大元はそこから出ているわけですから、私に話を振られようが説明する内容に変わりはありません」
「無理か?」
「違うことを語れというのなら、つまりそれは嘘を吐くことと同じです」
まあ……そうなるんだよねぇ。
私はさとりに誤魔化せ、と――つまり、騙してくれと言っているのだ。
しかも、紫や永琳を相手に。
……やべ、冷静になって考え直すと、なんかスゲー無茶振りしてる自覚が出てきた。
「八意永琳の実際の人となりは知りませんが、八雲紫と同レベルなどと言われたら、嫌というほど危険性が分かります。どうやって誤魔化せって言うんですか?」
立場的には『地底の管理者』であるさとりは紫と同等なんだからさ、強気に言い切ってみせれば、なんとか通じないかね。
私の想定ではこんな感じだったんだが――。
紫に問い詰められたさとりは、一変して不敵な笑みを浮かべた。
そこには、絶対的な強者としての自信があった。
『私が本気になった場合、心を読める範囲がどれくらい延びるか分かりますか?
仕方ありません。よく分かるように、貴女達の長さで教えてあげましょう。
――13kmや』
ド ン !
このような感じで凄んでみせれば、紫や永琳でもさすがにビビって……。
「いや、無理でしょ」
一瞬でダメ出しされた。
そんな、私の脳内ではこの後に紫が戦慄の表情で『なん……だと……っ』と呻く姿が浮かんでいたのに。
「さすがにそれはハッタリが過ぎるというか、一発で見破られると思います」
「しかし……」
「しかしも何も、実際にそんな範囲まで心を読めないんですから、すぐにボロが出ますよ」
えぇー、無理なの?
地霊殿に居ながらにして、地上の全ての人妖の心を読み解き、あらゆる情報は思うが侭――とか、旧地獄の支配者に相応しい能力じゃね?
「いやいや、勝手に人の能力を拡大解釈しないで下さい。
そもそも『旧地獄の支配者』なんて肩書き自体が、今でも明らかに不相応というか、ハッキリ言って誤解みたいなものです」
ああ、確かにそんなことをたまに愚痴ってたね。
「そうです。旧都を仕切っているのも、実質勇儀さんの力ですからね。
私が地底の支配者のように見えるのは、この地霊殿という場所と、立場と、あとは与えられた仕事によって、印象付けられたからでしょう」
「紫はそのことを……」
「多分、理解しているでしょう。私なんて地底世界に干渉する為に利用される立場ですよ。
貴女が初めて地底を訪れた時だって、八雲紫が私に『スペルカード・ルールの施行』という仕事を押し付けてきたんですからね」
確かに、紫ならさとりの実力くらい見抜いているかもしれない。
紫の深遠なる頭脳は、私なんかには計り知れないものだろうからね。
ぐぬぬっ、ハッタリで誤魔化そうなんて浅はかな話だったか。
しかし、だとすると一体どうしたものか――。
「……いえ、お茶を濁すという意味でなら、そのハッタリも混ぜた対処法は有効かもしれませんね」
えっ、どういうこと?
「考えてみれば、八雲紫や八意永琳のような駆け引きに長じる人物が、馬鹿正直に今回のことを尋ねてくる可能性は低いはずです。
まさか敵対心を煽ろうともしないでしょうし、事を荒げないよう、遠回しに探りを入れてくるのが普通だと考えられます。それに対して、明確にではなく、有耶無耶に答えてしまえば、案外誤魔化せるかもしれません」
「有耶無耶に?」
「ええ。結局、向こうが探ってくるということは、得体の知れない情報源に関して警戒しているという意味ですからね。
逆に『如何にも何か隠してますよ』といった態度を見せて、具体的な内容を避けた意味ありげな受け答えをしてみせれば、どちらも警戒を強めて、そうそう深く踏み込もうとはしない――はず」
な……なるほど!
序盤に顔見せするボスキャラにありがちな『伏線らしきものを呟いて、相手の疑心と警戒を煽る』という手法で行くのか!
いいぞ、さとりん。紫達が情報の出所を絶対に知らないという点を逆手に取った、素晴らしい攻略法だ。
「ただし、これには問題が一つ」
さとりは神妙な顔で呟いた。
「どう考えても、こんな対応をする私は二人に好かれないどころか逆に更なる警戒をされるだろうということです。
私に被せられた不相応な評価が、ますます深まってしまうということですね」
……すみません、さとりさん。
本当、すんません。
「まあ、いい加減嫌味も言い飽きたので、もういいですけどね」
三度、土下座を敢行しようとした私を、さとりが苦笑しながら止めた。
いいのか、さとり?
それを、やってくれるのか?
「今回の問題に対して、この辺が最適な落とし所だと思いますしね。
……いいですよ、やります。貴女と口裏を合わせましょう。
八雲紫に対して多少ハッタリを効かせておくというのも、案外私にとって利になることかもしれませんし」
――それに何より、この方法がそこまで通じるとは思ってません。
さとりは、肩を竦めてそう付け足した。
確かに、紫がさとりの実力を正確に見抜いているというのなら、どれだけ意味深な態度と会話をしてみせようが、それを鵜呑みにするはずがない。
せいぜい、二の足を踏む程度の警戒か。
さとりに対して『万が一』『ひょっとしたら』といった一握りの不安や脅威でも感じてくれれば、それで十分話は誤魔化せるだろう。
「そうですね、それくらいが妥当でしょう」
オーケイ、分かった。
本当に苦労を掛けることになってしまったが、どうかよろしく頼む。
「仕方ありませんね。引き受けました」
ありがとう、心の友よ!
マジでさとりには頭が上がらなくなってしまったな。
いや、本当にね。私に出来ることなら何でも協力しますんで、必要なら言って下さい。
口裏合わせが必要になったら、話を振ってもらえれば全面的にさとりに合わせるからね。
私にも多少は立場や肩書きがあるし、その影響が何かしら役に立つかもしれない。
「八雲紫が相手の場合、貴女が関わればある程度融通が効くかもしれませんね。頼りにしてますよ」
うむっ。紫に嘘を吐くのは本当に心苦しいが、致し方ない。
私の失敗の尻拭いの為に、さとりには無理をさせているんだ。私だって、多少の無理は通さなければいけないだろう。
勘弁してね、ゆかりん。
「――さて。それで、この話はこれで纏まったわけですが」
土下座から始まった一つの話し合いを終え、密かに安堵した私の前で、さとりがパンッと手を合わせた。
それが意識を切り替える合図であったかのように、話題も変わる。
「まだ用件があるんですよね?」
「分かるか」
「話を切り出す前に少し考えたのを読み取りましたからね。
謝る為だけに、わざわざ八雲紫に依頼してまで地底へ来たわけではないんでしょう?」
「ああ」
「それで、貴女は『宴会がどうの』とか考えていたみたいですが」
「そうだ」
そうなんだ、さとり。
私は、気付いてしまったんだよ。
メタな話になるが『紅霧異変』『春雪異変』『永夜異変』と、原作の主だった異変がこれまで起こってきた。
さすがに番外編的な作品まで含めた細かい時系列は分からないので、完全に原作通りどうかは分からないが、いずれも異変未解決なんて問題が起こることもなく、しっかり順当に解決されているワケだ。
「個人的には複雑な心境ですね」
え、なんで?
異変解決すると困るの?
「『原作通り』という点が、です。このまま行けば、お空が地霊殿で異変を起こすことも確定するワケですから」
う゛……っ、すまん。不謹慎だったかな?
「いえ、ちょっと思っただけです。今の段階で先を憂いても仕方ありません。未来は変えられるかもしれませんしね。
とにかく、今話す内容ではありませんでした。すみません。どうぞ、話を続けて下さい。順当に異変が解決されていって、それの何処に貴女は引っ掛かっているんですか?」
うん。まあ、地霊殿の異変に関しては、その時になったら私も友人として可能な限り協力するからね。
それで、異変が解決するのはいいんだ。
問題は、その後なんだ。
――実は、これまで異変解決の後で一度も宴会をしていないんだ。
「……それが何か問題ですか?」
問題だよ、大問題だよ!
異変解決の後は、その異変の首謀者も含めて皆で宴会をする――ここまでがテンプレでしょうが! 帰るまでが遠足です!
この宴会によって、異変の中で互いに争った者同士が酒を酌み交わし、新たな仲間として迎えられるのだ。
これを抜かして、真の異変解決とは言えない!
「それはこの世界を『東方Project』というフィクションの視点で捉えた、貴女だけの思い込みじゃないですか?」
いや、違う。
実際に、宴会をやってないことで現実にも弊害が出てる。
「どんな?」
うん、前々から気になってたんだけどね――霊夢を中心にした人妖関係、悪くね?
「結局は娘のことですか」
いや、だってさぁ! 本当にこれ、心配なんだって!
比較するのもおかしいかもしれないが、私の知る原作と比べて、霊夢の周りの人間や妖怪の関係が疎遠だったり、酷ければ険悪だったりするのだ。
まず、友達の魔理沙の場合。これまで安定した仲の良さだったのだが、永夜異変以降ちょっとギクシャクしているように見える。
その異変でパートナーとなり、正式に親交を持ったはずの紫とは全然仲が進展していない。
進展していないというのは、つまり霊夢が紫を嫌ったままということだ。今回、地霊殿へ紫に連れて行ってもらうことを説明したら、露骨に嫌そうな顔してたし。
対する紫も、そんな霊夢の態度を全く気にしない様子だったので、どっちにも仲良くしようとする意思がないと取れる。
それ以外にも、紅霧異変を切欠に神社を訪れるようになるはずのレミリアは来ないわ、妖夢のことを尋ねたら『誰だっけそれ?』とか言うわ、永遠亭の関係者に至っては関心すら抱いてねえ!
これは、由々しき事態である。
博麗神社といえば、参拝客より、特に理由もないのに人外が集まる賑やかな場所のはずだ。
幻想郷で宴会といったら、まず此処! っていうくらい印象がある。
それなのに、私の頃と大して変わらないというのは、どう考えてもおかしい。
「友好関係なんて、個人の自由だと思いますけど」
いいや、それもこれも宴会をしてないせいだね。断言出来る。
交流の場や切欠がないから、霊夢も周囲に興味を持たないし、誰もうちの霊夢の良さが分からないのだ。
でなければ、私の娘がこんなにボッチなはずがない!
「……うん、まあ本気でそう思ってるみたいなんで、もう何も言いません。
それで、貴女はそれを解消する為に、これまでの異変に関わった者を全て集めて宴会をしたい、と。誰もやらないから、自ら主催しようというワケですね」
その通り!
「でも、半分くらい自分が楽しみたいからなんですね」
……そ、そうです。
私も皆で楽しく宴会してみたいです。
「正直で宜しい。まあ、私に隠し事が出来ないだけですけど」
元々、隠すつもりもなかったけどね。
霊夢のことを想っての考えなのは確かだし、私自身が宴会をやりたいという気持ちも間違いない。
他にもね、私が親しくなった人達が、その人達同士で仲良くなって、そういった友好の輪が更に広がればいいな、と考えたりもしている。
この宴会について、まだ呼び掛けもしていないからどれだけの人や妖怪が集まるのか分からないけど、少しでも多く参加してくれたら嬉しい。
ちなみに、宴会を開催する理由として『先代巫女の足の完治を祝う為』という、一応れっきとしたものを考えている。
ただ、この理由だと必然的に私個人の祝い事になるから、どれだけ人数が集まるかちょっと不安なんだけどね。
「貴女の人望なら、きっとたくさん集まりますよ」
嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
それじゃあ、早速その人望を使わせてもらおうかな。
というワケで、さとり。
一緒に宴会――やらないか。
「え、嫌ですけど」
即答!?
「普通に宴会なんか参加したくないですし、何より私の立場では参加出来ません。地上でやるんですよね?」
一応、博麗神社でやる予定。
まだ霊夢にも相談してないけど。
「じゃあ、無理です。地底と地上の取り決めを忘れたワケじゃないでしょう。貴女は、あくまで例外なんですよ」
それに関しては問題ない……と、思う。
取り決めとは言うけど、地上と地底が絶対に不可侵という掟ではないはずだ。
それぞれの管理者から許可が得られれば、どちらの住人も行き来が出来るって話だし、正確には私だけが本当の例外ってワケじゃない。でしょ?
「……まあ、それは確かに。私も一度、お燐を地上へ使いに出してますからね」
そもそも原作でも、この辺の取り決めって形骸化している雰囲気があったんだよね。
地底の異変の始まりは、火焔猫燐が地上に怨霊を送り込んだからだし、この行動も独断でやったものだ。
異変解決後はなし崩しに地底との交流も始まってるくらいだから、原作と時期が違うだけで、地底の妖怪が地上を訪れること自体はそれほど問題ではないはずだ。
もちろん、無断でなんてやらない。ちゃんと紫にお願いするよ。
その上で、許可をもらえる見込みは十分にあると思ってる。
「最悪、許可が出るまで拝み倒す……ですか。強引ですね」
にひひっ、それだけさとりと宴会したいと思ってちょーだい。
別に地上と地底の関係に干渉したいとか大それた考えがあるわけじゃない。
ただ、友達を宴会に誘うのに、ちょっとだけ融通してもらいたいと思ってるだけなのだ。
「でも、私は嫌だって言ってますよね。そこは、どうするつもりですか?」
そう尋ねるさとりの表情は、何処か面白そうに笑っていた。
能力を使って、私の考えていることなんて何もかも見抜いているだろう。
でも、私はあえて言葉にして伝える。
駆け引きとか、そんなものは通用しないし、やる意味もない。
私にあるのは、ただ真っ直ぐな気持ちだけだ。
「紫と同じだ。頼み込むしかない」
「へえ。我侭なことですね」
「そうだな、私の我侭だ」
「それを聞くということは、私が無理をするということです。迷惑を被ります。それでも、貴女は我侭を通しますか?」
「……それでも、私はさとりと一緒に宴会がしたい」
「どうしても?」
「どうしても。お願いします」
私は頭を下げて、頼み込んだ。
そのまま顔を上げない。さとりから色よい返事が来るまで、頼み込むつもりだった。
自分でも、本当に我侭だって自覚はある。
こんなに相手のことを顧みずに、自分の欲求を押し通すなんて初めてのことだ。
さとりの表情は分からないが、そんな私の必死な様子を見下ろして、やっぱり面白そうに笑っているんだろうか?
「頼む」
黙ったままのさとりへ、私は更に続けた。
心の底からお願いする。
「一生のお願いだ」
「……ぷっ」
子供みたいな台詞を言ってしまった私に対して、さとりは堪えきれずに吹き出していた。
押し殺したような笑い声が聞こえて、恐る恐る顔を上げてみれば、さとりが口を押さえて肩を震わせていた。
「分かった、分かりました。宴会に参加する。貴女には負けたわよ」
さとりは目元を拭いながら、そう答えてくれた。
さとりん……ッ、優しいさとりん……ッ! 感謝! 圧倒的、感謝……ッ!
嬉しさのあまりカイジばりにボロボロと涙を零す私。内心で、だけど。
それでも、感じている気持ちは本物だ。
さとりが宴会に参加したくない理由は、大体分かっている。
そもそも、彼女は他者との接触を嫌って地底へと移り住んだのだ。
それを再び地上へ招き、あろうことか多数の人妖が集う宴会に参加させようなど、迷惑以外の何物でもないだろう。
私は分かっていた。
分かっていて、無理を言ったのだ。
さとりには、もう『ありがとう』しか言えない。
謝るのは違うと思う。
だから、無理を聞いてくれて、ありがとう!
「これも友情、ということにしておきましょうか。貴女にとって、初めての我侭だったみたいですしね」
まあね。ここまで図々しい真似して、我ながら驚きだわ。
しかし、今はそれ以上に喜びが勝る。
やったぞ。私は、最初にして最大の賭けに勝ったのだ!
これで宴会は、もう成功したようなもんさ!
他の宴会に必要な準備と段取りまで、やる気がムンムン湧いてくるじゃねぇか、オイ?
「私が参加して、宴会がつまらなくなっても知りませんよ。なにせ、私は怨霊にも嫌われる妖怪ですから」
私が嫌ってないからいいの!
これが友情ってもんだ。
フフフッ。そして、さとり。私はスルーなどしないぞ。
さっき、ようやく私に対してタメ口を利いてくれたことをな!
さあ、さとり。これを切欠にもう敬語はやめて、よりフレンドリーにいこうぜ。
宴会では、他の皆にも私の『親友』であることをアピールして、友好的な妖怪である印象を抱いてもらう作戦だ。
「ああ、それに関しては完全に却下で。絶対に駄目です」
完全に揺るぎようのない拒否の姿勢を取るさとり。
えぇー、どうしてそれは駄目なの?
「貴女と必要以上に仲良く見えると、周りに不審に思われるからです。厄介事は御免ですよ」
友情は何処行ったのさ!?
「友情にも重さがあります。私の平穏よりは軽いので、あしからず」
さとりはニヤリといった感じの、意地の悪い笑みで答えた。
ひ、酷い……!
厄介事とか絶対考えすぎだと思うけどなぁ。
私が誰と仲良くしようが、別に誰も気にしないと思うんだけど。
博麗の巫女は引退したんだし、立場から来る影響なんて、そんなに無いよ。
「少なくとも、八雲紫には貴女との関係を快く思われていないと感じますけどね」
紫が?
何、私とさとりの仲が良いから嫉妬してるとか?
挙句、それを理由にさとりを嫌うなんて……想像出来んな。そこまで短絡的じゃないって。
「短絡的じゃないから、怖いんですけど……。
まあ、これは私の勝手な不安ですから、気にしないで下さい。どうせ、彼女の心は読めませんからね」
ふむ……まあ、さとりの考えまではどうこう言わんよ。
紫とは仲良くして欲しいけど、それこそ友好関係は個人の自由だしね。
宴会でのふれあいが、何かの切欠になってくれれば良しとしよう。
タメ口に関しては、今後私達の友情パワーが更に高まっていけば、自然と解決するはずだしね。
だって、わざわざアピールしなくても私とさとりは既に『親友』だし。
大切なことなので、二回強調しました。
「そう思うんならそうなんでしょうね。貴女の中では」
……私の持つ前世の知識と触れ合っているせいか、最近返し方にも鋭さが出てきたね。
私がネタを振る度に翻弄されていた当初のさとりとは全然違う。
「貴女とは適当に付き合うくらいが丁度いいですよ。疲れますし」
まあ、そんな冷ややかな対応もさとりならご褒美なんですけどね。
「馬鹿。それで、用件はこれで終わりですか?」
ん、そうだね。宴会の日時とかの具体的な内容は決まり次第、また改めて知らせるよ。
帰りに勇儀にも宴会のことは誘おうと思ってる。
紫がどこまで許可してくれるのかは分からないけど、さとりも一緒に連れて行きたい友達とかいたら、一緒に頼み込んでみるよ?
「いえ、地霊殿からは私だけが行くつもりです。
お空はまだ地上へ連れて行くには実力も分別も未熟ですし、お燐は地上を怖がっているみたいなんですよね」
お燐、一体何があったんだ……?
「あまり目立ちたくないですしね。もし、勇儀さんが参加するなら、どうあっても目立つと思いますけど」
考えてみれば、地上を去った鬼だしね。
しかも、その種族の中でさえ有名と来た。
これで、鬼の存在が事前に知られてなかったら、流石に大騒ぎになるだろうから勇儀は誘えなかっただろうなぁ。
「ああ、そういえば地底での戦いを新聞に載せたんでしたね。勇儀さん個人に焦点を当てて、鬼という種族の現状に関してはぼかしていた、上手い編集具合だったと思いますよ」
おっ、さとりも文々。新聞読んでるんだね。
そうそう、文が本当に上手いことまとめてくれてね。鬼について、地上でも知ってる人や妖怪が増えたんだよ。
もちろん、霊夢を始めとして、今回の宴会に誘う予定の皆が鬼については事前に知っているはずだ。
これによって、初対面での摩擦は少なくなるだろう。
「天狗が作った新聞だけあって、鬼の強さ、恐ろしさについても、しっかり書かれてましたね」
そういえば、地底なのに地上の新聞なんて読めるの?
「以前、射命丸さんを連れて地霊殿に来たでしょう? あの時から、新聞を届けてもらえるようになりました。しかも、無料で」
なんという太っ腹。
文とそこまで親しかったっけ?
「いえ。勇儀さんも読みたかったらしくて、本人に『お願い』したんですよ。
勇儀さん自身は、気軽に頼んでみた程度だったんですけど、頼まれた当人は……まあ、心境はお察しということで」
射命丸ェ……。
天狗って、本当に鬼には頭が上がらんのね。
……宴会には文とかも誘おうと思ってけど、勇儀が参加するならやめといた方がいいかな。
「それで、もう勇儀さんの所へ行きますか?」
いや、さっきも言ったけど帰りに寄るつもり。
紫が迎えに来るのは明日なんだよね。
「じゃあ、うちに泊まっていきます?」
ウィ。お世話になります。
「いきなりでしたから、ご飯とか簡単な物しか用意出来ませんよ」
いや、さとりと一緒に食べれるなら何でも美味しいから十分だよ。
ついでに、お風呂なんかもいただけちゃったり?
「贅沢な客ですねぇ」
えへへ、この前入れてもらった温泉が凄く気持ちよかったからね。気に入ってしまったんだよ。
「今回は足も動くんですから、勝手に入ってください」
背中流しっこしようぜ!
「嫌ですよ。いやらしい」
なんでよ!?
◆
『博麗神社にて、百鬼夜行の大宴会開催予定!』
数日後、文々。新聞にはそんな見出しが大々的に載っていた。
記事を兼ねた、参加者募集の広告でもあった。
先代が文に頼んで、今回に限り購読者以外にもこの新聞を配らせたのだ。
宴会の目的は『先代巫女の復帰祝い』である。
共に祝いたい者、興味を持った者は随時参加を受け付けているという旨が書かれていたが、もちろん一般的な人間や妖怪がそれに参加しようなど思うはずがない。
既に参加の決定している者の名前も合わせて載っていたが、いずれも大妖怪ばかりだ。
――文々。新聞の購読数を一気に増やした鬼退治の記事で話題となった『星熊勇儀』
――その地底の管理者である謎多き大妖『古明地さとり』
――対する地上の管理者であり、妖怪の賢者『八雲紫』
――宴会の為に敷地を提供し、また同時に当日の監視も兼ねる博麗の巫女『博麗霊夢』
――そして、今回の宴会の発案者にして主役である復活した最強の博麗『先代巫女』
他にも、先代巫女が主催ということもあり、参加が予想される人妖は大物ばかりである。
これらが当日、博麗神社で一堂に会し、宴会を開くというのだ。
まさに人外魔境。『百鬼夜行』の比喩に偽りなし。
宴会の裏側で、何らかの巨大な陰謀が渦巻いていると勘繰る者が出てくるのも、仕方のないことだった。
普通の人間や妖怪は恐れ戦き、参加はもちろん、当日神社へ近づこうとする者すらいないだろう。
始まる前から大事である。
記事のネタとしては上等すぎる内容に、文は先代の依頼を喜んで引き受け、大々的に告知したのだった。
ちなみに、当人もまた宴会に誘われたが、丁重に――吐きそうな顔で猛烈に首を横に振って――参加を断っている。
当日、取材を出来ないからこそ、今回の記事には気合いが入っているのだ。
宴会に向けて日々が過ぎていく中、参加者は続々と増えていった。
――紅魔館より。
「お姉様! 宴会、宴会だよ!!」
「はいはい、落ち着きなさいな」
興奮するフランドールを、レミリアが件の新聞を片手に諌めた。
しかし、表情は微笑ましげに、はしゃぐ妹を見つめている。
「あら、時間帯は夜なのね」
「これはお嬢様達への配慮ではないでしょうか?」
「そうですね、これは紅魔館に是非とも参加して欲しいという先代の厚意に違いありません。これは断れませんよ。先代様の復帰を、一番に祝うべきは私達ということです。ねっ」
普段通り落ち着いた物腰の咲夜と、対照的に興奮を隠し切れない美鈴。
美鈴は具体的な言葉を使わなかったが、フランドールと並んで見れば、二人が全く同じことを考えていることは簡単に分かった。
レミリアは思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、外見は考え込むようなポーズを見せた。
「ふーむ。夜なのはいいんだけど、奇しくもこの日は満月ね。私達、吸血鬼の力が増すと同時に気も昂ぶる時間帯だわ。
さて、どうしたものか。参加したいのは山々だけれど、果たして今のフランに自制が効くかしら? 万が一、暴れたり、物を壊したりして、宴会を台無しにしてしまうワケにはいかないしねぇ……」
「わ、私、頑張るよ!」
「あら、大丈夫とは言ってくれないのかしら?」
「うっ……ん。やっぱり、絶対に大丈夫なんて言えない。その時になってみないと分からないけど、もし我慢出来なくなったら、迷惑になる前に帰るよ。だから、お願い! お姉様っ!」
フランドールの健気であると同時に、冷静で理知的な答えを聞いて満足したレミリアは、今度こそ満面の笑みを浮かべた。
「よく言ったわ、フラン。一緒に宴会へ参加しましょう」
「やったーっ!」
「よかったですね、妹様! なに、当日は私もいますから、いざとなったらお任せ下さい!」
「えっ、なんで美鈴まで行くって話になってるのかしら? あんた門番でしょ?」
「おぉぉじょぉうさまぁぁぁあ゛~っ!!」
「じょ、冗談よ! コラ、鼻水垂らすな!!」
縋りつく美鈴を、レミリアは慌てて引き剥がした。
そんな慌しい様子の傍らで、澄まして立っている咲夜は、誰が口を挟むまでもなく同行が決定している。
参加者は宴会の為の酒や料理を持ち寄ることになっていた。そういった点で、咲夜は紅魔館の参加メンバーの要であった。
ちなみに、パチュリーは宴会へ参加しないことになった。
「私は遠慮しておくわ。外出は苦手だし、喘息じゃお酒の席にも付き合えそうにないしね」
パチュリーは、レミリアの誘いにそう返答した。
「当日は、美鈴の代わりに紅魔館の留守番でもしてるわよ。
満月の夜は他の妖怪も騒ぐ。かつてない人外の宴が繰り広げられる魔性の夜ともなれば、何が起こるか分からないしね」
「すみません、私も遠慮しておきます」
「いや、誰もあんたは誘ってないわよ。小悪魔」
「マジですか? 酷いですね、妹様に泣きついてみましょうか」
「やめなさい」
なんだかんだ言いながら、小悪魔もパチュリーに付き合って紅魔館に残ることとなった。
――紅魔館の主にして、気高い吸血鬼『レミリア・スカーレット』
――その当主の妹にして、紅魔館秘蔵の幼き吸血鬼『フランドール・スカーレット』
――人間でありながら吸血鬼に仕える悪魔のメイド『十六夜咲夜』
――逆に妖怪でありながら先代巫女を信奉する紅魔館の古参『紅美鈴』
以上が参加者となった。
――人里より。
「なんだかすごいことになってるわねぇ」
「まったくだな、かつてない異変だぞ」
妹紅と慧音は二人で新聞を読んでいた。
仕事の合間の休憩である。
薪割りの代行という、妹紅の鍛錬を兼ねた仕事だった。
今の妹紅は、この仕事も『ちょっとした小遣い稼ぎ』程度の認識でやり遂げてしまえるようになっている。
「慧音はこれに参加するの?」
「いや、当日は満月らしいしな。やめておくよ」
この理由を、妹紅は『人里に残って妖怪の起こすトラブルを警戒する為』と解釈した。
実際に、それもあったが――慧音は複雑な心境を、上手く表情の下に隠していた。
「妹紅はどうするんだ?」
自然な形で話題を逸らす。
妹紅は少しだけ考えてから、答えた。
「私もやめておくわ。第一、師匠の復帰祝いは私達だけで一度やったしね」
「ああ、私もそう考えていた」
「じゃあ、当日は慧音の家にでも泊まって、一緒に人里の警邏でもしようかしら」
「いや、それは……拙い」
「拙い?」
「うむ。その、満月の夜は……拙いのだ」
言葉を濁す慧音を、妹紅は不思議そうに見つめていた。
もちろん、この二人を含めて人里から宴会へ参加しようなどと考える剛の者は出てこなかった。
――香霖堂より。
「いや、行かないよ」
霖之助は、新聞を片手にやって来た魔理沙へそう答えた。
予想通りなようでいて、意外とも取れる返答に、魔理沙は複雑そうな表情を浮かべた。
「香霖って、霊夢のおふくろさんと親しいんだろ?」
「ああ、古い付き合いだね」
「怪我した時も見舞いに行ったらしいじゃないか」
「怪我を負ったのなら大事だ。だけど、怪我が治ったのなら、めでたい話ではあっても大事じゃない」
「なんだよー、それ」
薄情とも取れる物言いに、魔理沙は口を尖らせた。
しかし、実のところ魔理沙も霖之助の人となりというものをよく分かっている。
この淡泊さが単なる性格や性分であり、先代に対する冷たさでないことは察しているのだ。
魔理沙が不満を感じているのは、別のことだった。
「悪いけど、付き添いはまた別の人に頼んでくれ」
「な、なんのことだぜ?」
「実は、先代が魔理沙より先にここへ来ていたんだ。もちろん、彼女にも断っておいたけどね。
今回の宴会に関しては色々と考えてたみたいで、悪いとも思ったよ。なんでも、宴会を開いた理由の一つは霊夢の為らしい」
「……霊夢の、為?」
「これを切欠に、色々な人や妖怪と知り合って欲しいそうだ。あと、そうだな……魔理沙とも仲直りして欲しいってさ」
言われて、魔理沙の顔が赤くなった。
「べ、別に霊夢と喧嘩なんてしてないぜ!」
「そうなのかい? 僕は詳しい話を聞いてないからね。そうか、先代の考え違いか」
わざとらしく惚ける霖之助の横顔を、魔理沙は唸りながら睨みつけていた。
もちろん、当人は涼しい顔で無視している。
やがて、魔理沙は持っていた新聞を霖之助に投げつけると、踵を返した。
その背中へ、無遠慮極まりない調子で霖之助が声を掛ける。
「それで結局、魔理沙は宴会に参加するのかい?」
「知らない!」
――迷いの竹林より。
「姫様は参加しないってさ。っつか、参加するって言っても師匠が止めただろうけどね。参加者ヤバすぎ。
そんで、当の師匠は何やら暗躍中。あの異変以来、八雲紫と胡散臭い繋がりが出来たみたいだし、何か考えてるだろうと思うけど何考えてるかは不明ね」
「なんで考えるの? 宴会は楽しむだけでしょ」
「うん、そうね。真理だわ。あんた、やっぱり頭いいわね」
「やっぱり? あたいって天才?」
「うん、天才。天才つまり最強。あんた最強」
「マジでか!? あたい、サイキョーか!」
「そうそう、最強。あ、筍焼けた」
「食べる!」
「熱いよ」
「あっちぃ!?」
「だから言ったじゃん」
てゐとチルノである。
妖怪兎と氷の妖精。迷いの竹林で、最近よく見られるようになった奇妙なコンビは、焚き火を囲んで賑やかに騒いでいた。
竹林の中といっても、場所は妹紅の住処となっている家屋の前である。家主は今はいない。
あの異変以来、毎日ではないにしろ、この場所へは当時の仲間が自然と集まる溜まり場となっていた。
「ほら、水」
「ありがと……でも、なんであたいまで宴会に行っちゃいけないの?」
「あんたは宴会に呼ばれてないでしょ」
「でも、新聞には参加自由って書いてあったよ」
「あちゃー、あんたとうとう漢字読めるようになっちゃったのか。先生も余計なことしてくれるなぁ」
「なんでよ!? 褒めてよ!」
「分かった。ほら、頭出して」
てゐは同じくらいの体格のチルノを『いい子いい子』した。
「えへへっ」
「偉いんだけどさ、真面目に説明するとあんたには分かり辛いかと思ってね」
「どういうこと?」
「うーん、つまりね。宴会は危険かもしれないって話なのよ」
「危険なの?」
「参加する奴らが大物ばっかりだしね。
まず、主催する先代巫女の意図が不明。普通、復帰祝いなんて本人じゃなくて周りがやるものでしょ。だから、この理由は単なる建前に思える。
そんな謎の先代の呼び掛けに、それでも大勢の人妖が応じて、普通なら在り得ない大物同士が一つの場所で顔を合わせる。当然、和気藹々とはいかんでしょう。
種類の違う火薬を一箇所に集めるようなもんだね。いつ、どんな爆発が起こるか分かったモンじゃないよ」
「……お師匠は、皆で仲良く宴会したいんじゃないの?」
必死に考えて捻り出したチルノの答えを聞き、てゐは苦笑しながら『だったらいいねぇ』と相槌を打った。
馬鹿にしている様子ではなかった。
本当に、そうならばいいと考えているのだった。
「チルノは知らないだろうけどさ、昔は鬼って言えば誰もが震え上がるくらい恐ろしい妖怪だったのよ。今じゃあ、皆忘れかけてるけどね。
鬼が関わる宴ってのは、人間からすれば阿鼻叫喚の地獄と同じさ。そんな鬼が参加する宴会に、人間も一緒に出て楽しもうっていうんだ。本当に、常識じゃ測れない夜になるのは間違いないよ」
「それがなんで危険なの?」
「さぁて、案外あんたなら大丈夫かもしれないけど……ね」
てゐは曖昧に言葉を濁した。
それ以上何も言わないてゐを探るように見つめていたチルノは、やがて腕を組んで考え込み、それほど時間を掛けずに腕を解いた。
「つまり、てゐはあたいのことを心配してるのね?」
チルノはシンプルに結論を出した。
それを聞いたてゐは、何も答えず、黙ったまま焚き火を眺めていた。
その変わらない表情の奥から何を見つけ出したのか、チルノは一つ大きく頷いた。
「わかった。てゐが行くな、って言うなら行かない」
「そうかい」
そう言って、てゐは気付かれないくらい小さく安堵の息を吐いた。
「でも、あたい鬼って知ってるよ」
「えっ、嘘!?」
「お師匠と戦ってるところ見たもん。すっげーつえーの。お師匠の方がサイキョーだったけど」
「……あんた、本当に妖精とは思えん経験してるなぁ」
文々。新聞からは省かれた意外な事実を知り、てゐは感嘆すると同時に呆れもするのだった。
――魔法の森より。
魔法の森に住む二人の魔法使いの内、一方の邸宅。
もう一人の魔法使いの家と対照的に、その中は完全に整理整頓されている。
人手が多ければ、日々の掃除もはかどるのだ。
正確には『人形手』だが。
動き回る人形に囲まれて、アリスは新聞を読んでいた。
視線の先にある記事は、宴会についてである。
人妖が多く集まる大宴会。開催地は博麗神社。
アリスは、当然のようにその宴会への参加意欲を持っていなかった。
集まる人間も、妖怪も、場所さえもアリスには馴染みの無いものである。
そんな所へ、見知らぬ魔法使いが一人現れたところで歓迎などされるはずがない。
結論は、とうに出ていた。
出ていて、それでも尚考えていた。
――馴染みが無い。
それは、アリスが常に感じている『違和感』だった。
ずっと魔法の森に篭もっていたのだ。
魔理沙と連れ立ち、あの異変の夜に初めて様々な人妖と邂逅した。
だから、馴染みが無くて当然なのだ。
ただ――『私』はいつから、魔法の森に篭もっていた?
最近、当たり前のことについて疑問を持つことが多くなった。
いや、そもそもその『最近』とは何時からであったか?
「……上海」
アリスは唐突に、愛用する人形を呼び寄せた。
「この新聞を読んでみて」
「――」
アリスが新聞を差し出すと、上海人形はそれを黙って受け取った。
「感想を聞かせて」
「――」
上海人形は、新聞を持って、顔をその誌面に向けたまま、止まったかのように動かない。
新聞を読んでいるはずがなかった。
ましてや、感想を抱く心など存在するわけがなかった。
それを理解していながら、わざわざ人形に命じた自分の行動が分からない。
アリスは、上海人形と同じように、そのまま何をし始めることもなく、止まっていた。
まるで、繰り手が手を止めた人形のようだった。
「――アリス、いるか!?」
勢いよく扉を開け、魔理沙の声が家の中に響く。
騒がしい声だった。
生きている声だった。
「いるわよ。用件は何?」
動き出したアリスは、突然の来訪者を表情に出さずに歓迎した。
――永遠亭より。
三人の従者が、自分以外の二人を睨んでいた。
全員が一言も発さずに座しており、互いに武器も持っていない。
争いはご法度であると、それぞれの主に厳命されているからだ。
しかし、もしも視線が刃であり銃だったのなら、三人は今まさに殺し合いをしていた。
『獣臭いのと、辛気臭いの。永遠亭が穢れるわ』――と、眼で語る鈴仙・優曇華院・イナバ。
『貴女方を理解するつもりはありません。不審な真似をすれば、ただ斬る』――と、返すのは魂魄妖夢。
『我が主が許す限り、私もまた寛大だ。お前達の、今この場での生存を許可しよう』――と、全てを意に介さず八雲藍。
それぞれの従者を背後に控えさせて、彼女の主人達は緊張と殺気が静かに満ちた部屋の中で苦笑し合っていた。
「だから、うちで会いましょうって言ったのに」
「私達三人の内、どちらの住処で話し合っても、残り二人の不利と取られるのよ。どうせ揉めるわ」
「ここには私の弱味があるのだから、それで帳消しにしてもらいたかったのだけどね」
困ったように呟く幽々子に対して紫が答え、永琳が輝夜の存在を暗に指して肩を竦めた。
人も妖怪も近づかない迷いの竹林の中の永遠亭で、まるで密会の如くこの三人が集まっているのには訳があった。
三人の囲む机の上には、今回の宴会について載った新聞が置いてある。
「それでは此度の宴会、永遠亭からは貴女とその従者が参加するということで決定かしら?」
「ええ。てゐは断るそうよ。不干渉の立場でいたいようね」
永琳は答えた。
従者とはつまり、鈴仙である。
「そして、幽々子は」
「ええ、妖夢と一緒に顔を出させてもらうわ。楽しみねぇ」
幽々子もまた宴会への参加を告げる。
しかし、本当に楽しみであるように柔らかく笑う彼女を除き、残りの二人は気を引き締めるように笑みを消していた。
「あら、二人は楽しみじゃないの?」
「幽々子。貴女をこの場に呼んだ意図は、分かっているでしょう」
「うーん、そこが疑問なんだけど。本当にそこまで警戒する必要あるの?」
――古明地さとり、って。
新聞に載ったその名前を、紫と永琳は凝視した。
無機質なインクの文字の先に、その妖怪の全貌を描こうとしていた。
「今回の宴会、先代の発案にしては少し唐突に感じたわ」
「付き合いの長い貴女が違和感を感じるのなら、何か意図があってのことだと考えるのが普通ね」
「先代には、そのような策謀はありません。それは保証いたしますわ」
「私情の混じった保証を信じるほど楽観的ではないわね」
静かに、紫と永琳は視線を交わした。
互いの従者のように、露骨に睨み合うような殺気立ったものではない。
しかし、二人の間にある空間がゆっくりと歪んでいくような、水面下の激突が透けて見えていた。
連動するように、藍と鈴仙も何かが昂ぶっていく。
「こらこら、やめなさい」
のんびりとした声で、幽々子が横から二人を諌めた。
本当に、何気ない諌め方である。
それを大妖怪と蓬莱人に対して気負うこともなくやってみせたからこそ、効果は抜群だった。
「……幽々子を呼んで正解だったわ」
「私と貴女だけなら、そこで話は終わっていたわね。三人でいることには、こんな意味があったのね」
紫と永琳の体から噴き出そうとしていた、何か『恐ろしいもの』が抜けていく。
ニコニコと笑う幽々子に釣られるように、二人も苦笑を浮かべた。
「結局、今回の宴会に何か裏の意図があると思っているのは二人とも同じで、紫は古明地さとりだけを、永琳はそのさとりに加えて先代も警戒しているということよね」
幽々子の結論を、二人は無言で肯定した。
「そして、永琳が先代を疑うのは仕方のないことだわ。だって、付き合いが浅いんですもの」
「……そうね。それは、個人の事情ね」
紫は納得するように呟いた。
表情には全く表れない紫の心情を探っていた永琳は、やがて小さくため息を吐いた。
「彼女が、何か悪意を持って宴会を発案した可能性は限りなく低い。そう、思っているわ」
観念するように告白した。
好きで疑ったわけではない、と釈明しているのだった。
紫の中から、最後の強張りが抜けていくのを、幽々子は見抜いていた。
「それじゃあ、当日一番気をつけるべきなのは、この古明地さとり――という話で終わりね」
「幽々子。あまり気楽に構えないで」
「確かに珍しい出来事だけど、宴会一つに二人が考えすぎだと思うわ。珍しいのなら、むしろ楽しまなきゃ」
幽々子は朗らかに笑いながら、『それに』と付け加えた。
「私は二人と違って、絶対に守るべき第一線というものがない。古明地さとりの真意と正体に踏み込むなら、丁度良いくらい身軽なのよ」
――だから、楽しみましょう。この宴会で、何が起こるのかも含めて。
幽々子の言葉に、それ以上二人が反論を挟むことはなかった。
結局、推測だけで話し合えることは少ないのだ。
宴会の当日。古明地さとりが現れた時、全てが始まる。
そこで何かが起こるのか、あるいは起こらないのか。
さとりについて何かが分かるのか、あるいは何も分からないのか。
まだ始まっていない全てを、知ることは出来ない。
(古明地さとりの容姿、能力、立場、私の知り得る情報を幽々子と永琳に教えた。これが今出来る全て――)
ただ一人、さとりと面識のある紫は未だ考えていた。
先代から突然持ち掛けられた宴会の提案。
初めてのことだった。ここまで行動的な先代は、今まで見たことがない。
まるで何かに後押しされるように、迷い無く動いている。
(彼女は、最初の参加者が古明地さとりだと言った)
そこから、ずっと何かが引っ掛かり続けている。
またしても、さとりである。
全ての始まりに、彼女が関わっているような気さえする。
本当に、今回の宴会は先代が発案したものなのか?
分からない。二人はどんな会話をしたのだろう。警戒すべきだったか。監視すべきだったか。いや、しかし。もしも最悪の想像通りならば――。
考えが纏まらない。
(私は、恐れているのか)
――何を?
自問する。
答えは出ない。
かつて、古明地さとりは自分にとって利用出来る妖怪だった。全てを把握していた。
しかし、今は違った。
古明地さとりの正体が、どんどん不鮮明に探れなくなっていく。
先程の幽々子の言葉にさえ、不安を感じ始めていた。
(幽々子は、確かにさとりと関わる際のリスクが少ない。結局のところ、さとりの強みは読心による情報の把握だ。幽々子には、それが弱味とならない)
自分には幻想郷の管理に関する様々な機密が、永琳には輝夜の存在が頭の中にある。
しかし、幽々子にはそれが無い。
彼女自身の存在すら揺るがす『亡霊としての出生に関わる記憶』が、肝心の彼女自身の記憶に無いのだ。
亡霊である幽々子は、西行妖の下に眠る死体について知り、自分の死を自覚すれば消滅してしまう。
幽々子の秘密の中で最も重要なそれを、さとりは幽々子の心から読み取れない。
万が一敵対した場合でも、能力同士の相性ならば、幽々子の方が遥かに有利だった。
しかし――と、紫は思う。
思ってしまう。
(もし、さとりが幽々子の秘密について既に知っているとしたら――)
本来ならば、頭の片隅にすら浮かばない不安だった。
理屈として破綻している。根拠も無い。意志の弱さが生んだ、被害妄想だと切り捨てただろう。
(絶対に在り得ないと、否定出来るだろうか?)
しかし、古明地さとりの得体の知れなさが、紫の中に消えない不安を呼び込んでいた。
(古明地さとりが公の場に出る――これは、チャンスなのかしら? それとも……)
思考の迷路に入り込んだ紫の、懸念は尽きない。
――異変を境に突然現れた永遠亭の薬師『八意永琳』
――その助手にして異色の妖怪兎『鈴仙・優曇華院・イナバ』
――冥界は白玉楼に住む亡霊の姫『西行寺幽々子』
――白玉楼の庭師を勤める半人半霊の剣士『魂魄妖夢』
多くの人妖が集う大宴会。
ただそれだけで、地獄の釜の如き混沌とした様相。
何も起こらないとは、紫には到底思えなかった。
◆
さとりが先代に話した内容は、全て事実であった。
さとりは、地底世界の支配者ではない。
その能力は、地上はおろか地底の妖怪全てを把握することさえ出来ないのだ。
地霊殿から離れた地底の闇。
そこに、大勢の妖怪が集まっていた。
その数およそ、百。
姿形は様々である。
人が見上げるような大きな体格の者もいれば、腰よりも低い小さな者もいる。
手や足の数が違う。眼や口の数さえ異なる者もいる。
それらの妖怪に共通する点が一つ――全員が『鬼』であることだった。
百の鬼が、さとりに知られることなく、地底の片隅に密かに集まっているのだった。
「――よく集まってくれた」
それらの鬼の内、中心となるように一匹の鬼が言った。
一際立派な二本の角を持つ、少女のような鬼である。
伊吹萃香だった。
「わたしはお前達を呼んだが、ここへ『萃める』のに能力は使っちゃいない。お前らは、自分の意思で『集まった』んだ」
鬼達は異口同音に『そうだ』と答えた。
伊吹萃香は、有象無象の鬼達を束ねる頭領のような立場にある。
それは地底に潜った現在も変わらない。
しかし、今回鬼達が集まったのは、萃香の命令に従ったからではなかった。
「各々、思うことは違うだろう。わたしの呼び掛けに応えた理由の是非を、この場で問うつもりはない。
わたしのやりたいことと、お前らのやりたいことは、違って当然だ。わたしは『やる』 だから、お前らは勝手に乗ってこい。鬼なら、それで十分だ」
集団の頭でありながら、統率を放棄するような萃香の物言いに、しかし誰も不満を抱かなかった。
むしろ、満足している。
ここで萃香が具体的な指示や命令を出そうものなら、その段階で何人かが抜けていただろう。
鬼とは、そういうものだった。
鬼が集まって何かをするということは、そういうものだった。
「だが、ここにいる全員。動いた切欠は、同じはずだ。
お前達は、一度地上を去った。わたしがどれだけ命じても、誘っても、これまでのお前らなら動きはしなかっただろう。
でも、またお前らは動いた。動いてくれた。地底にたった一人でやって来た、あの勇儀を拳でぶちのめした人間――直接見た奴も、話に聞いた奴も皆、あいつを思い描いて、今日此処へ集まったはずだ!」
「おう、そうだ!」
鬼の一人が、堪えきれずに叫んだ。
「すげえ女だった!」
「大した女だ、あんな人間がまだ地上にいたとはなぁ!」
「いや、待て! オイラは勇儀の姉さんが人間なんぞに喧嘩で負けたなんて信じてねえぞ!」
「そうだ! 何かの間違いだ、俺がそれを確かめてやる!」
「馬鹿こけ、ワシはこの眼でしかと見たんだ!」
「ケッ、そもそも人間に負けた星熊が面汚しだって話じゃねぇか?」
「おい、誰だ今ぬかした奴! ぶっとばしてやる!!」
「おう、喧嘩だ喧嘩だ」
「やっちめぇ!」
「どうせ喧嘩すんなら、俺ァあの巫女がええなぁ」
「おおっ、そうじゃそうじゃ!」
「お前もそう思うか!」
一人が口を開けば、それで火が着いたかのように、鬼達は好き勝手に騒ぎ始めた。
元々統率など存在しないとばかりに、喧嘩まで始める始末である。
混沌とした様相を眺めながら、それでも萃香は朗らかに笑っていた。
「おうっ、それよそれよ! どいつもこいつも思うことや感じることは違うだろうよ。
けどな、お前らの考えてること全部にあの巫女がいるんだよ。そして、そいつは地上にいる。しかも、勇儀との戦いで負った傷を治して、また戦えるようになって、しっかり生きてる!」
いつの間にか、鬼達は静まり返っていた。
考えることはそれぞれ違ったが、その結果に起こす行動が、全員同じだと分かっていたのだ。
「だから、な? ――いくぞ、地上へ」
『雄々ぉおおおおおおおおおおっ!!!』
百の鬼が地底を揺るがさんばかりの咆哮を上げた。
しかし、その音が周囲に広がる前に、萃香の掲げた片手に全ての声が『萃め』られていった。
故に、誰も気付かない。
地底の闇の中でのみ、鬼の狂気が荒れ狂っている。
「……っくぅぅ~! いいねぇ、お前らの意気はしっかと受け取ったよ!」
握り締めた片手を胸に当てて、萃香は笑った。
凄まじい鬼の笑みだった。
「地上では人間と妖怪の間に新しいルールが出来ている。それを破った者は本当に退治される。
――だがな、それがどうした!? わたし達、鬼が地上へ戻るのは、そのルールに従って大人しく生きる為か? 違うねぇ、そのルールに喧嘩を売ってやる為さ!
退治されるだって? おおぅ、上等だ! 人が忘れた鬼退治、あの巫女のように見事やってのけてみろ! そんな人間が地上にまだ残っているか? 少なくとも、一人いるっ!!」
「頭ァ、話がなげえ!」
「そうだそうだ!」
「とっとと行こう! オラ、もう我慢出来ねえ!」
「あの巫女と勝負してえ!」
「妖怪の山じゃ、天狗どもが踏ん反り返ってるんだって? 誰が大将か思い出させてやんねぇとな!」
「俺は前々から、幻想郷とやらも、それを管理する妖怪とやらも気に入らなかったのよ。全部、ぶっ壊してやる!」
「とりあえず、人間を腹いっぱい食う! もう地底の冷や飯は嫌だね!」
再び統率を失った鬼達は、口々に悪しき欲望を吐き出した。
それぞれの欲望すら纏まっていない彼らが唯一共通しているのは、ただひたすら熱く、滾っているということであった。
人間に忘れられ、人間を忘れようとした鬼達の魂に、今、かつての火が燃えていた。
「――うるせぇなぁ、もうっ! 分かったよ!」
萃香はガリガリと頭を掻きながら、自分もまた堪えきれないように獰猛な笑みを絶やしていなかった。
「いくぞ! 鬼を忘れた地上の者どもに、本物の百鬼夜行が如何なるものか教えてやるぞ!」
猛り、動き出す鬼達を覆うように、萃香の体が霧となって広がった。
鬼の姿も、気配も、凶暴なまでの猛りさえ、その霧が覆い隠す。
それ自体が一匹の鬼であるように、巨大な霧の塊が静かに地底を動いていく。
百の鬼が向かう先は、地上。
そして、辿り着くだろう『時』は奇しくも――人妖入り乱れた宴会の夜だった。
<元ネタ解説>
「――お燐! 貴女、見ているわねッ!」
正しくは「貴様、見ているなッ!」(顔を片手で隠して、もう片方の手で指差しながら)
ジョジョの奇妙な冒険第三部のボスDIOの台詞。