東方先代録   作:パイマン

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永夜抄編その六。


其の二十三「生命遊戯」

 偽りの月を天に。終わらない夜は、まだ続いていた。

 八意永琳の作り出した竹林の結界の中で、弾幕ごっこの光が瞬く。

 紆余曲折の末に、異変解決の為に集ったはずの人妖の中で二人の人間が争っているのだった。

 切欠は永琳の策謀によるものだったが、この決闘は何よりも当人が望んだことだった。

 魔理沙は、自らの持つ全てを賭けて霊夢との決闘に挑んでいた。

 

「――スペルカード・ブレイク」

 

 魔理沙が放った最初のスペルを全てかわしきり、霊夢は厳かに告げた。

 その揺ぎ無い姿を、魔理沙は歯を食い縛りながら睨みつける。

 これまで何度も見てきたはずだった。

 これまで何度も実感してきたはずだった。

 あの不動の存在を、ほんの少し揺るがすことすら――出来る気がしない。

 

「やめましょう」

「……は? 何言ってるんだ?」

 

 まるで弾幕ごっこなど最初から始まっていなかったとでも言うように、霊夢は唐突に戦闘態勢を解いた。

 

「あたしはここに異変の解決に来たのよ。魔理沙と戦う為じゃないわ」

「……へへんっ、あいにくそんな言葉だけじゃ私は信じないぜ。

 この夜を止めている黒幕が本当に他にいるっていうなら、話は簡単だ。お前を倒した後で、わたしがそいつも倒してやるぜ」

「うん、まあ。魔理沙の言い分は、もういいわ。あんたがあたしと戦いたいっていうのは分かった。でもさ――」

 

 気を引き締めたままの魔理沙に対して、霊夢は既に緊張感を失っていた。

 

「このまま続けても無意味でしょう」

 

 決闘の理由ではなく、決闘を続けることについて、霊夢はそう断言した。

 

「……一枚目のスペルカードをクリアした程度で、何を見切った気になってるんだ? わたしはまだ切り札も奥の手も出してないぜ!」

「どれだけ弾幕を撃っても同じことよ。あんたの弾はあたしには当たらない。狙いが全然定まってないわ」

 

 霊夢の指摘を受けて、魔理沙は悔しげに黙り込むしかなかった。

 図星だった。

 精密に狙いをつけることが目的ではない弾幕ならば誤魔化せると思ったが、霊夢は魔理沙の状態を鋭く見抜いていたのだ。

 魔理沙の視力は極度に低下していた。

 今の距離では霊夢の顔はおろか、全身像すらハッキリと見えない。

 弾幕ごっこの中で、高速で移動する霊夢の位置を捉えるなど到底不可能だった。

 闇雲に弾幕をばら撒くしかなかった魔理沙に勝機など欠片も無いことを、霊夢と、何より魔理沙本人が最初のスペルカードで悟ってしまっていた。

 

「暇な時なら、幾らでも付き合ってあげるんだけどね」

 

 霊夢は無造作に背を向けた。

 

「今は、博麗の巫女としての仕事があるから」

「……待てよ」

「異変解決を優先するわ。その眼、早めに何とかした方がいいわよ」

「待てよ!」

「じゃあね」

 

 霊夢の背中に向けて、魔理沙は手に持ったミニ八卦炉を突きつけた。

 しかし、霊夢は振り返らない。

 魔理沙が撃たないと分かっているのか、あるいは背を向けたままであっても回避出来ると思っているのか。その両方であるのかもしれなかった。

 いずれにせよ、霊夢は自らの責務を優先し、魔理沙の存在を歯牙にも掛けていない。

 八卦炉を握る魔理沙の手が小刻みに震えた。

 怒りか、悔しさか。湧き上がる激情を堪えるように歯を食い縛っていると、既に滲んだように不鮮明な視界が涙で更に歪み始めた。

 この場を去ろうとする霊夢に対して、魔理沙には成す術などなかった。

 

「待て……待てよ、霊夢っ!!」

 

 絶叫する魔理沙の声を尻目に、霊夢は既に異変の元凶へ意識を移している。。

 相手の誘導にまんまと引っ掛かってしまったが、『敵』には確実に近づいている。

 近い――と、霊夢の勘は告げていた。

 霊夢にとっての『敵』は、この先にいる異変の首謀者だけである。

 己を突き動かす博麗の巫女としての義務感に従い、霊夢は前進しようとした。

 

「――待ちなさい」

 

 不意に、第三者の声が霊夢を止めた。

 

「何よ?」

 

 時間を止めて接近したらしい。いつの間にか咲夜は霊夢の背後を取っていた。

 首筋に添えられたナイフの刃に一切の脅威を感じず、霊夢は面倒臭そうに肩越しに振り返った。

 

「魔理沙との決闘は、まだ終わっていないわ」

「結果の見えた勝負を続けろって言うの?」

「ならば、結果を見てから去りなさい」

「今回の異変解決には制限時間があるから、無駄な時間は使いたくないんだけど」

「無駄ではないわ。それに、異変に関しては私も解決に協力するから、分担すればいい」

 

 咲夜は周囲の人妖を素早く見回した。

 ほとんどの者が霊夢と魔理沙の動向を観察している。

 魔理沙のサポートに回ろうとしたアリスさえ、遮るように対峙したパチュリーを警戒して迂闊に動こうとしない。

 パチュリーもまたアリスを警戒しているが、さすがに魔理沙のように勝負を仕掛けるような短慮ではなかった。

 八雲紫が幻想郷の管理者として異変解決を望んでいることは分かるし、冥界の二人組は咲夜にとって馴染みのない相手だが、少なくとも敵でないことは察していた。

 今、この場に明確な敵対関係は存在しない。

 ただ勝負を望む者がいるだけなのだ。

 

「……分からないわね」

 

 咲夜と同じ考えに、霊夢もまた至っている。

 だからこそ、余計に不可解な気持ちで呟いた。

 異変とは無関係な魔理沙との私的な決闘について、横から口を挟む咲夜の意図が理解出来ないのだ。

 

「何故、魔理沙と勝負させたがるの? 何故、魔理沙は勝負したがるの?」

 

 魔理沙に敵意が無いことは分かっている。

 珍しく眉を顰めて問う霊夢に対し、咲夜は僅かに苛立った声色で答えた。

 

「……私が教えても仕方が無いでしょう」

 

 咲夜の脳裏には、以前冥界で霊夢について語る魔理沙の健気な姿が蘇っていた。

 あの時の言葉は自分だけが聞いたものだ。他の誰も彼女の本心を知らない。

 もちろん、霊夢も聞いていない。いや、聞かれないからこそ、あそこで魔理沙は語ったのだ。

 しかし、咲夜は理不尽だと自覚しながらも、霊夢が魔理沙の想いを全く察していないことに苛立ちを覚えていた。

 一体、彼女がどんな想いでアナタとの勝負に執着しているのか――。

 

「分かろうと思う気があるのなら、魔理沙と勝負しなさい」

 

 咲夜は突きつけていたナイフを仕舞った。

 言葉の中に含まれた意味をしばらく考えていた霊夢は、やがて諦めたようにため息を吐くと、もう一度振り返った。

 ぐるりと一周して再び魔理沙と向き合えば、彼女自身も予想外だったのだろう、咲夜の乱入に目を丸くしたまま固まった姿があった。

 

「魔理沙。最初に言っておくけど……」

「な、なんだよ?」

 

 自分に向けられた視線から霊夢の戦意を感じ取り、それを恐れるというよりも、意識を向けられたことに魔理沙は驚いていた。

 博麗の巫女としての義務感を押さえ、霊夢は魔理沙との勝負を優先したのだ。

 自分自身でもあまり納得はいっていないのであろう。

 据わった眼つきで魔理沙を睨み、霊夢はスペルカードを取り出した。

 

「今のままのあんたじゃ絶対に勝ち目は無いわよ。

 少しでも勝つ気があるなら、新しい力に目覚めるとか何とかしなさい。出来ないなら、可及的速やかに負けを認めること!」

 

 霊夢は魔理沙との弾幕ごっこを再開した。

 

「面倒なことをしてくださいましたわね」

「八雲紫……」

 

 言葉とは裏腹に微笑を浮かべる紫を、咲夜は氷のような視線で一瞥した。

 魔理沙のことを思って霊夢に意見していた感情的な部分を心の奥底へ消し去る。

 代わりに、紫に対して表れたのは戦闘者としての冷徹な部分だった。

 咲夜は紫のことを敵とは思っていない。

 しかし、味方とも思っていなかった

 

「貴女は今夜の異変を解決に来たのではなくて?」

「その通りよ」

「物事は効率的に進める性格だと思っていましたわ。

 貴女が霧雨魔理沙の友人だというのなら、この場合は彼女を説得し、霊夢の邪魔をさせないようにする方が正しいでしょう。

 魔理沙は霊夢には勝てない。意味の無い勝負ですわ。これではただ単に霊夢を足止めしているだけね。いえ、足を引っ張っていると言った方が良いかしら」

「一つ勘違いしているわ。私は異変解決に来たけれど、それはアナタの為にではない」

 

 紫はあえて挑発するような言葉を選んで使っていたが、咲夜は眉一つ動かさなかった。

 

「私の主の命令と願いを受けて、異変の解決にやって来たのよ。アナタの都合や、ましてや損得など知ったことではないわ」

「あらあら、都合だなんて……私はただ効率的に物事を運びましょうと提案しています」

「その効率とはアナタの利になるだけのこと。

 私は私の都合で動いている。魔理沙もそうでしょう。もう一度言うけれど『アナタの都合など知ったことではない』のよ」

「理屈が通じないのかしら?」

「信用の問題よ」

 

 咲夜は紫に対して、好意も嫌悪も抱いていない。

 それ故に、目の前の妖怪に対する心構えには常に気を許すことなど出来ない警戒があった。

 いざという時に敵対することを躊躇わない。逆に突如敵対されても動揺しない。心の隅でそういう可能性を考慮しておく。

 相手にナイフを突き立てる必要がある状況になれば一切の淀みなく、また確実に実行出来るよう備えていた。

 そこには信頼関係など僅かに挟む余地すらない。

 胡散臭い微笑を浮かべながら効率と理屈を口にする紫に対して、咲夜は目的を同じとした仲間意識など全く抱けなかった。

 

「今は刃を向けないだけ。アナタには背中を預ける気にはならないわ」

「……難しいわね、信頼というものは」

 

 ――先代がいない時に、つくづく感じるわ。

 

 紫は言葉の後半を変わらない微笑の中に隠した。

 先代巫女が如何に例外であったかを実感している。

 人間と妖怪。互いの認識として、咲夜の方が正常なのだ。

 目の前の人間は妖怪に対して実に真っ当な感性を持ち、冷静だからこそ八雲紫という妖怪の言動に対して最善の判断を下している。

 実際に様々な思惑を隠した微笑みの仮面の下にあるモノを警戒しているのだ。

 それは正しい。

 利口な人間だ。

 ならば、こんな自分の笑顔を好きだと言ってくれる先代は、馬鹿な人間なのだろう。

 だからこそ、無性に愛しい。

 

「――では結構。信頼の代わりに打算で協力し合いましょう」

 

 紫は意識を切り替えるように、それまでの話題を打ち切った。

 謝罪は口にしない。咲夜も、紫の提案を『何を今更』といった表情で黙って聞いている。

 結局、これがこの場の妥協点であり自分の限界なのだろう、と。紫は内心で苦笑した。

 

「あの二人は好きにやらせればいいでしょう。どうせ、決着にそう時間は掛からない」

 

 ろくに弾幕ごっこの様子も見ずに断言する紫だったが、咲夜はそれに反論しなかった。無視したと言ってもよかった。

 

「魔法使いの方は睨み合って動きそうにありませんわね」

「相手の魔法使いの正体は分からないわ。しかし、パチュリー様が警戒するのならば油断のならない相手なのでしょう」

「そうね、私もあの魔法使いに関しては判断する材料が少なすぎます。お相手は彼女に任せましょう」

 

 異変解決の為の人員が一人ずつ抜けていく現状に対して、紫は特に落胆を感じてはいなかった。

 そもそも当初の予定では霊夢だけが共に戦うパートナーであり、突然現れた他の者達に対しては最悪敵になる可能性こそあれ、味方の戦力として勘定などしていなかったのだ。

 情報が無い為に全く動向が予想出来ないイレギュラーを、結果的にパチュリーが足止めしている状況をプラスにすら考えていた。

 

「となると、ここは幽々子達に任せた方が得策かしらね」

「あらら~、私達をご指名かしら?」

 

 いつの間にか傍で話を聞いていた幽々子と妖夢に視線を移す。

 紫にとって、二人はこの状況でも確実に味方と思える存在だった。少なくとも知己であり、信頼がある。

 現状からあぶれた者同士、紫と咲夜が組んで異変の解決に向かうよりも、主従の関係が完成されている幽々子と妖夢のコンビの方がはるかに戦力として期待出来るだろう。

 紫は目配せし、それを受けた咲夜は小さく頷いた。

 

「異変の元凶は任せるわ。私は援護をする」

 

 そう言うなり、咲夜は背を向けて三人から離れていった。

 勝手な行動を妖夢は不快に感じていたが、同じく咲夜のことを知らない幽々子はむしろ満足していた。

 下手な連携は互いの足を引っ張りかねない。共通の目的を達成する為に、単独で自由に行動するのが最良の選択であるのは間違いなかった。

 

「周囲を覆う結界を崩すわ」

 

 紫はすぐ傍の空間をなぞるように指を走らせた。

 そこからパックリと割れるように空間の裂け目が発生する。

 

「このスキマは目的地まで繋がっているの?」

「残念ながら、そこまで都合よくは出来ないわ。非常に強固で緻密な結界ね。

 とはいえ、その術式を乱すことは出来た。このスキマを通り抜ければ、この迷宮化した結界の影響からは逃れられるはずよ」

「そこからは自力で異変の元凶を探せということね」

「おそらく『敵』は近いわ」

「分かったわ。行くわよ、妖夢」

「はい」

 

 紫の推測を、幽々子は疑わなかった。

 妖夢を伴ってスキマへと消えた幽々子の背中をしばらく見送り、紫自身は霊夢と魔理沙の戦いへと視線を戻す。

 二人の決着を待って、再び霊夢と共に異変の解決へ向かうつもりだった。

 どうせ、そう長くは掛からない。決着などすぐだ――紫はそう確信していた。

 何故か、咲夜のように自分一人で行動を起こそうという発想はなかった。

 

 

 

 

 時間を操るということは空間を操るということと同じ――咲夜の能力はそのように解釈されている。

 実際のところ、自分の能力が如何なるものなのか咲夜自身さえ把握しきっていなかった。

 ただ、当たり前のように時間を止め、空間に干渉することが出来た。

 だから、自分の見る世界はきっと他人とは違うのだろう。

 この竹林に踏み込んだ瞬間に、結界の作用を見抜くことが出来た。

 そして、今もまた周囲にあった違和感に気付いている。

 

「この辺りね」

 

 霊夢達とも紫達からも離れた空中で静止し、咲夜は眼を閉じた。

 自分の中で常に時を刻んでいる懐中時計の針を止めるイメージを思い浮かべる。

 眼を開いた瞬間、そのイメージは現実となっていた。

 咲夜だけが認識できる世界が展開され、そして事を終えた瞬間に時間が動き出す。

 

「うあ……っ!?」

 

 唐突に何も無い空間から悲鳴が上がった。

 紙に絵の具が滲むように、波長を操作して隠れていた鈴仙が姿を現す。

 その肩にはナイフが刺さっている。

 予想外の衝撃と痛みに、鈴仙は無理矢理自身の能力を解除させられたのだった。

 

「そんな、馬鹿な……!」

 

 完全に自分の姿を視界に捉えた咲夜を、鈴仙は驚愕の表情で見つめ返した。

 接近してきた彼女の行動を見て、おそらく自分が隠れていることを見抜かれているのだろうと予想はしていた。

 しかし、まさか正確な位置を把握して攻撃まで当ててくるとは思わなかった。

 波長をズラすことによって姿を消した自分を、人間が肉眼で捉えることなど出来る筈がないのだ。

 何よりも、そこに至るプロセスが全く理解出来ない。

 鈴仙の視点からすれば、気が付いたら攻撃を受けていた不可解な状況なのだ。

 

「直接攻撃してしまったけど……まあ、アナタもスペルカード宣言もせずにこそこそと隠れていたんだから、自業自得ってことで堪えて頂戴」

 

 既に鈴仙を敵とみなした咲夜は冷徹に告げた。

 

「さて、アナタは異変の首謀者またはその関係者ということで宜しいわね?」

「……私の存在を見抜いたくらいでいい気にならないことね。地上に這いつくばって生きるだけの、穢き民のくせに」

「はい、どうも。敵対の意思を確認。それじゃあ、ナイフとカードのどっちがお好み? 私はどちらでも構わないわよ」

「人間が、舐めるな!」

 

 鈴仙がスペルカードを取り出すのを確認して、咲夜はナイフを納めた。

 しかし、互いの戦意は殺し合いさながらに昂ぶっている。熱く、静かに。

 同じ弾幕ごっこに興じる霊夢や魔理沙達とは違う部分が二人にはあった。

 

「なるほど。アナタと私は似ているようね」

 

 ――弾幕ごっこを非致死性の攻撃を使った『戦闘』の延長として捉えている。

 

 咲夜にとって、スペルカード・ルールとは手段の一つに過ぎなかった。

 ただ冷静に、正確に作業をこなすことに集中する。

 そこに雑念は挟まない。恐怖や焦り、怒り、また逆に楽しんだり、気持ちを高揚させることもない。

 弾幕ごっこに挑む咲夜の精神状態は、常に戦闘者としてのそれであった。

 たった今、霊夢との『勝負』に挑んでいる魔理沙とは、そこに至る理由も意気込みも違う。

 逆に、今目の前にいる『敵』に対して咲夜は自分と近しいものを感じ取っていた。

 鈴仙もまた、咲夜との弾幕ごっこを『勝負』ではなく『戦闘』として捉えているのだ。

 

「結構なことね。やはり、敵対する者とはこうではなくては」

「たった一度、私の姿を見抜いたからって余裕ぶらないことね。

 さっきは正体を誤魔化す為に貴女の眼を狂わせていただけ。今度は月の兎である私の眼を見て、貴女自身が狂うがいいわ!」

「生憎、私の見ている世界はとっくに秒針が狂っている。どうぞ、私の世界を御覧なさい。アナタの時間も私のもの――」

 

 

 

 

 自分以外に存在する二人目の魔法使いを見つけて、アリスは思案していた。

 相手は、あの未熟な魔理沙とは違う。

 独自の系統を持ち、それを極めた、完成された魔法使いだと分かった。

 ならば、下手に出ることも逆に格下に見ることも失礼に当たるだろう。

 

「――初めまして」

 

 結局のところ、アリスはパチュリーへの第一声をそんなありきたりな挨拶で終えた。

 

「……初めまして。パチュリー・ノーレッジよ」

「私はアリス・マーガトロイド」

「では『アリス』と。宜しいかしら?」

「結構よ。こちらは『パチュリー』と呼んでも」

「構わないわ」

 

 周囲では戦闘の音が続いている。

 霊夢と魔理沙の弾幕ごっこは色とりどりの閃光を伴い、咲夜はいつの間にか現れた得体の知れない兎の妖怪らしき相手に戦いを始めていた。

 幽々子と妖夢の二人は姿を消し、この場の状況全てを見守るように紫が微笑んでいる。

 それらの周囲の状況を全て外に追いやり、二人の魔法使いは各々の世界を展開していた。

 アリスとパチュリーは、未開の魔道書を読み解く時のような慎重さと冷静さを意識して、互いを分析し合っていた。

 

「質問なのだけど、アナタは私の『敵』ではないのよね?」

 

 言葉に含むものはなく、アリスは純粋に今抱えている唯一の疑問を晴らそうとした。

 元々は月の異変を察知して、それを解決に来たのである。

 偶然遭遇した目の前の魔法使いに興味はあったが、何よりも優先するべきは状況の理解だった。

 知らない相手が多すぎる。友好関係を築くかどうかは後にして、とにかく今は敵と味方の把握だけしておきたかった。

 

「……それはアナタ次第ね」

 

 その質問に対して、パチュリーは返答を濁す。

 二人の間に不穏な空気が漂い始めた。

 

「どういう意味かしら?」

「魔理沙に魔法を指導していたのはアナタね」

「ああ、なるほど。つまり、私が魔理沙の正式な師であるアナタを蔑ろにしてしまったと」

「……違うわ。私は魔理沙の師ではない」

「――? 分からないわね。何が言いたいのかしら?」

 

 パチュリーが僅かに顔を俯かせ、アリスが眉を顰める。

 動揺を見せた時点で、自分が今不利な状況にいるのだとパチュリーは自覚していた。

 魔法使いには精神の平静さが求められる。小悪魔にも忠告されたことだ。感情に左右されるような『人間臭さ』は、魔法使いとしてあってはならない。

 しかし、パチュリーは目の前のもう一人の魔法使いに対して、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

 魔理沙は彼女と共に、この場へ現れたのだ。

 

「魔理沙とアナタは、どういう関係なの?」

 

 パチュリーの質問の意味を図りかね、アリスは訝しむ表情を濃くした。

 その質問は、本当に今の状況で必要なものなのか?

 そんな疑問を押さえ、無駄なトラブルを起こさぬよう、素直に答える。

 

「数ヶ月前に出会った関係よ。彼女は魔法使いとして未熟であり、出会った私に知識を乞うた。だから授けた。それだけ」

「見返りは何?」

「特に無いわ。彼女は私が求めるほどのものを持っていないから。

 まあ、私自身は住処である魔法の森に篭もりがちだったから、外の情報などを色々話してもらった程度ね」

「何故、代価を求めないの?」

「……逆に質問していいかしら? 現在の状況とそぐわない話題になりつつあるような気がするのだけど、そこまで重要な内容なの?」

 

 堪えきれずに問い返したアリスは、更に表情を強張らせるパチュリーを見て、内心で混乱した。

 向けられる視線は、もはや敵意すら混じりつつある。しかし、その理由が全く分からない。

 ここまでの話の流れの何処に相手の不快や敵意を煽る要素があったのか、アリスには見当もつかなかった。

 自分と同レベルか、あるいはそれ以上とも想定していた紫の魔女は、まるで人間のように苛立ちの感情を眼に見えるまで表している。

 

「……何故、魔理沙にあんな危険な方法を教えたの?」

 

 弾幕ごっこの様子に視線を送るパチュリーに釣られて、アリスも一瞥を向けた。

 傍から見ても狙いが荒いと分かる弾幕を、魔理沙は我武者羅に撃ち続けている。

 視力の低下が動きに悪影響を及ぼしていることは、事情を知る者なら誰にでも分かった。

 今は魔理沙が攻勢に回っているが、もし霊夢が弾幕を放つ側になった場合、今の状態の魔理沙ではそれを回避しきることなど出来ないだろう。

 そして、安全性が高いとはいえ、弾幕ごっこは負傷や死の危険性さえ孕んでいるのだ。

 

「アナタの教え方は、『あの子』のレベルに合っていないのよ」

「それを『彼女』が望んだのだから、仕方がないでしょう」

 

 二人の言葉と声色には、明確な温度差が含まれていた。

 

「不相応であることを理解していたのなら、魔理沙に諭してやるべきだったわ」

「本格的にアナタの思考が理解出来なくなってきたわ。本人が望んだことを、何故私が止める必要があるの」

「このままでは、魔理沙は何も得ることが出来ず、ただ失明するだけよ」

「リスクは事前に説明したわ。それを踏まえた上で本人が望んだことよ」

 

 アリスはパチュリーと視線を合わせた。パチュリーの瞳孔が僅かに収縮した。

 攻撃の意思の前触れだ。アリスは冷静に察知しつつ、一気に言った。

 

「魔理沙の身を気遣えと言うのなら、そうするだけのメリットが私には無いわ」

 

 パチュリーの瞳が明確な敵意に染まった。

 呪文や動作も無しに、パチュリーの周囲に魔力が収束する。ただそれだけの単純な魔力弾ではなく、炎の属性まで付加された火球の魔法だった。

 高速の魔法制御に内心で舌を巻きながらも、しかしアリスの方が一手早かった。

 パチュリーが魔法を完成させた時点で、アリスは武装した自身の人形数体で取り囲んでいた。各々が持つ武器の切っ先は、喉元に突きつけられている。

 勝負は一瞬でついていた。

 

「……勘違いしないで欲しいわ」

 

 攻撃の動作でないことを示すように、ゆっくりと手のひらを見せながらパチュリーは懐からカードを一枚取り出した。

 

「幻想郷のルールはこれよ」

 

 スペルカードを掲げ、淡々と告げる。

 それが苦し紛れのブラフであり、尚且つ相手に見抜かれていることは、他ならぬパチュリー自身が自覚していた。

 あの瞬間、自分は死んでいた。

 スペルカード・ルールではない実戦を想定して、しかも先に動いたのは自分である。

 後手に回りながら初手を制したアリスの完勝だった。

 魔法使いでありながら湧き上がる感情によって心を乱し、平静さを欠いた自分が敗北したのも当然のことだと分かっている。

 しかし、それでもパチュリーは認めることが出来なかった。

 

 ――何を?

 

 勝負に負けたこと。

 話の正当性が相手にあること。

 魔理沙が自分の教え以外を求めたこと。

 その全ての中心に、目の前のアリス・マーガトロイドという魔法使いが存在するという事実。

 

「どうやら、私は嫌われているようね」

 

 不可解な点は多いが、結局その結論に落ち着いたアリスは諦めたように肩を竦めた。

 人形を下がらせ、初めての試みとなる弾幕ごっこに備える。

 パチュリーに対しては何も思うところなどなかったが、相手が向ける敵意を無抵抗で受けるほどお人よしでもない。

 感情ではなく、冷たい理性を以って、アリスは敵対する者の排除を決めた。

 

「……今更な質問なのだけど、アリス。アナタは一体何者なの?」

「さて、実はそこの所が私も一番気になっているのよ」

 

 意味深げな返答に対して、パチュリーは興味を抱かない。

 魔法使い達は、お互いを不可解な存在として処理した。

 あとに残されたものは衝突のみ。対峙する二人は、目の前の相手を否定する為にそれぞれ行動を開始した。

 

 

 

 

「てゐ、どうした?」

 

 何処までも続く竹林を貫くように飛んでいた慧音は、先頭を進むてゐが急停止したのに合わせて、その場に留まった。

 すぐ隣にはチルノが同じように浮かんでおり、その間に挟まれた先代の体を二人掛かりで支えている。

 夜の闇が、ただでさえ迷いやすい竹林の中を自然の迷路へと変えていた。

 全く変化しない風景は、ひょっとして自分達が前に進んですらいないのではないかと錯覚させる。

 土地勘のあるてゐが導くままに進んでいたが、その先導が立ち止まったことに慧音は僅かな不安を抱いた。

 

「まさか、迷ったのか?」

「いや、そうじゃないんだけどね」

 

 てゐは何かを思案するように少しの間を置き、それから振り返った。

 相も変わらない飄々とした笑顔が浮かんでいる。

 

「あたしが案内出来るのは、ここまでかなって」

「何? おい、それは困るぞ。どうやって妹紅の元まで向かえばいいんだ?」

「ああ、それは大丈夫。まず間違いなく現場は妹紅の住処でしょう。

 距離的には、もう大分近いわ。せんせー達も何度も通ってる場所だし、ちゃんと辿り着けるようにあたしがありったけの幸運をあげるよ」

「幸運って……」

「とにかく、真っ直ぐ進めば絶対に辿り着けるから。ま、あたしの能力だと思って頂戴」

「ああ、お前がそう言うなら信じるが……そんなことより、お前はどうするんだ?」

 

 何の保証もないてゐの話に関して、一切の疑問を持たない慧音にてゐは苦笑した。

 三人の顔をさりげなく見渡せば、誰もが質問の答えを待つように真っ直ぐに自分を見ている。

 彼女達にとって一番の気がかりは、本当に妹紅の所へ辿り着けるかどうかなどではなく、てゐのこれからの行く末なのだ。

 半ば呆れるような気持ちと共に妙な気恥ずかしさを感じながら、軽く鼻の頭を掻きつつ答える。

 

「生憎、あたしには仕事があってね」

「仕事?」

「永遠亭との契約に関すること、とだけ言っておこうか。とにかく、妹紅のことはあんたらに任せたよ」

「そうか……」

 

 ほとんど事情を話さないてゐの結論だけを聞き、慧音は黙り込んだ。

 普段から寡黙な先代は当然だが、意外なことにてゐの発言に関してチルノさえ何も言わない。

 助けを求めておきながら、妹紅の問題を全て他人に丸投げしているのだ。何らかの叱責や罵倒があるものと予想していたてゐは、逆に肩透かしを食らっていた。

 そして、慧音が一言だけ付け加える。

 

「お前のしようとしていることはよく分からないが……気をつけるんだぞ、てゐ」

 

 ただ真っ直ぐに、案じるような真摯な言葉だった。

 何も答えず、ただ笑いながらてゐは小さく頷く。

 鼻の頭を掻いた。

 それ以上何も言葉を交わさずに地上へと降りていったてゐを見送ると、慧音は改めて前を見据え、妹紅の待つ暗闇の先へと進んでいった。

 

「――本当、これくらいしか出来ないけどさ。渡せるだけの『幸運』を持って行ってよ、あの娘にも」

 

 地上から、てゐは慧音達の後姿を見送っていた。

 耳を塞ぐように片手を添え、聞こえてくる音声に集中する。

 垂れ下がった兎のような耳には、外からは見えないように小さな機械が挟まっていた。

 永遠亭からこっそり失敬してきた、得体の知れない機械だ。こんな物を永遠亭の住人が一体どうやって手に入れたのか、もしくは作ったのか、てゐも知らない。

 しかし、これの持つ機能は理解していた。

 同じような機械を持つ者と距離を離しながらも会話出来る。あるいは、声を一方的に聞くだけも出来る代物だった。

 そして、つい先程から気になる会話が、この機械から聞こえていた。

 

「侵入者の内、二人一組が結界から抜けた……か」

 

 機械を通じて離れた位置の状況を探っていたてゐは、声の主である鈴仙の言葉を反復した。

 鈴仙が報告を送った相手は永琳だろう。

 てゐは、その通信を横から傍受した形になる。

 

「お師匠様が迎撃してくれれば楽なんだけど」

 

 呟きながら、それが単なる希望的観測であることをてゐは自覚していた。

 永琳の最優先目的は、何と言ってもまず輝夜だ。

 今回の異変も、その輝夜の安全を思って起こしたものだった。

 追われる身である輝夜の存在を月の使者から隠す為に、月そのものを秘術によって隠してしまったのだ。

 長年この地に隠遁しておきながら、何故今更になって発見の不安を抱いたのか謎ではあるが、いずれにせよ永琳は輝夜の為なら安全策としてこんなとんでもない所業をあっさりとやってのけてしまう。

 結果、幻想郷の有力者を敵に回すことさえ厭わない。

 ならば、今の永琳にとって最優先で排除すべき『敵』とは、未だ遠い侵入者達ではなく――今まさに輝夜と対峙している妹紅だ。

 

「契約を反故には出来ないしなぁ」

 

 妹紅の抱える問題を解決するにあたって、因縁の相手である輝夜との対峙は避けられない。そこに余計な横槍は入れてもらいたくない。

 しかし、てゐには永琳の邪魔をすることも出来なかった。

 もちろん、そこには実力的な差やその後を憂慮した理由もある。

 だからこそ、先代達を先に行かせたのだ。

 

「結局、丸投げにゃ変わらんね……」

 

 てゐは自嘲の笑みを洩らした。

 さっき、慧音やチルノが自分の答えを聞いて、その無責任さを責め立ててもそれは誤解でもなんでもなかった。

 むしろ、そうしてくれた方が楽だった。

 だが、彼女達は何処までもお人好しで、優しかったのだ。

 てゐが妹紅のことを頼もうと思った切欠の通り――。

 

「今のあたしに出来ることは、これくらいか」

 

 本心の笑みの上に、仮面の笑みを被せて、てゐは竹林の奥を睨みつけた。

 淡い光が二つ、暗闇の中から浮かび上がった。

 てゐには、それが亡霊が全身に纏うように放つ霊的な光であると分かっていた。

 結界を抜けた侵入者――異変解決の為に進む西行寺幽々子と魂魄妖夢が、偶然にもこの場へと現れたのだった。

 

「あら、兎を発見したわ」

「こちらを待ち構えていたようです。異変の関係者である可能性が高いですね」

 

 二人もまたてゐの存在に気付き、興味を示した。

 距離を取って対峙する。

 

「この永い夜の時間に己を昂ぶらせること無く、落ち着き払っている。なかなか老練な妖怪兎のようね」

「こんな可愛らしい兎ちゃんを年寄り扱いとは、やってくれるねぇ」

「何か目的があって私達を待ち構えていたのでしょう。貴女は今宵の異変の関係者かしら?」

「あたしは、ただの健康マニアの小兎さんよ」

「あらそう? じゃあ、そこを通してもらえないかしら。何かを守ろうとしている兎さん」

 

 飄々とした言動の中で、自分が足止めをしようとしていることを幽々子に見抜かれたてゐは内心で冷や汗を流した。

 相手はなかなかの難敵だった。

 言葉を交わすのは幽々子のみであり、妖夢の方は傍らでてゐの隙を伺いながら刀を構えている。

 無言の圧力を放つ妖夢に対して『あ、こいつ話を聞かないタイプだ』といった感想を抱きながら、しかし相手にする上で厄介なのは幽々子の方だとてゐは感じていた。

 自分のペースを持った相手というのは苦手だった。得意の口八丁で翻弄することが難しいからだ。

 更に戦闘の実力はもちろん、単純に数の上でも不利な状況だった。

 

「……ま、とにかく少しあたしと遊んでいってよ」

 

 話を長引かせることが無意味であることを悟ったてゐは、素早く意識を切り替えてスペルカードを取り出した。

 相手が自分を単なる障害として排除しようとしたら、戦力差から見ても抗う術は無い。

 しかし、弾幕ごっこを持ち込めば、少なくとも勝負にはなる。勝てるとは到底思えなかったが。

 

「思い切りがいいわね。この先に、よっぽど重要なものがあるのかしら?」

 

 幽々子はてゐの弾幕ごっこに応じた。

 てゐの思惑通りではあったが、しかし彼女が柔らかな微笑の奥で状況を何処まで見通しているのかは分からなかった。

 永琳や輝夜から時折感じるものと同じ大物の気配を幽々子からも感じながら、同時に純粋な敵意をぶつけてくる抜き身のような妖夢に神経をすり減らす。

 

 ――こりゃあ、キツイ戦いになりそうだ。

 

 勝つ気は毛頭ないし、時間稼ぎが目的だ。

 しかし、こんな奴らと長々と戦っていたくなどない。

 うんざりするようなため息を吐き出し、それでもてゐは二人の敵を迎え撃とうとした。

 

「ちょぉっと待ったぁ!」

 

 てゐの弾幕が戦端を切り開こうとした瞬間、朗々とした声が割り込んだ。

 

「あ、バカ!」

「誰がバカよ!」

「間違えた、チルノ!」

 

 唐突に現れたチルノに対しても、てゐは憎まれ口を忘れなかった。

 

「あんた、何やってんのよ? 先代と慧音は?」

「先に行ったわ。妹紅のことは、お師匠とけーねに任せておけば大丈夫よ!」

「だから、何であんただけこっちに戻ってきてんのよ!?」

「そんなの決まってるじゃない、助太刀よ!」

 

 当然だとばかりに、チルノは胸を張って答えた。

 てゐは眼を剥いてチルノを見やり、続いて律儀にも二人のやりとりが終わるのを待っている幽々子と妖夢を見た。

 妖夢は憮然とした表情だったが、幽々子の方はチルノの乱入を明らかに楽しんでいる様子だった。

 顔を顰めながら、チルノの方へ向き直る。

 

「……なんで、助太刀しようなんて思ったわけ?」

「ふふん、あたいの眼は誤魔化せないわ。てゐが何かを隠していたことなんて、お見通しなのよ」

「ああ、それはバカにしては大したもんだ。慧音も察してたみたいだけどね。だけど、戻ってくる理由にはならんでしょうが」

「なんで?」

「なんでって……あんたは妹紅を助ける為に竹林まで来たんでしょ! 一番大事な目的を忘れるなっての!」

「忘れてないわ。妹紅の所には、お師匠とけーねが行ったから大丈夫なのよ。お師匠はあたいよりも最強だし、けーねは頭がいいしね」

 

 慧音の『頭がいい』はともかく、先代への『最強』という評価がよく分からないが、とにかくチルノにとってそれらは絶大の信頼に至る理由らしい。

 今更ながら、不可解ですらある妖精の思考回路に、てゐは頭を痛めた。

 

「だったら、そこにあんたも加わればいいでしょう……。

 あたしがここに一人で残った意味を少しは察しなさいよ。あたしは、『妹紅を』助けて欲しいんだよ!」 

 

 理屈を挟まないチルノの言葉が、きっと何よりも妹紅の心に響く――自分には出来ないことだ、と。てゐは考えていた。

 長い付き合いの中で、結局妹紅には大したことをしてやれなかった。

 ここに至って、自分以外の誰かに可能性を託すしかなかった。

 少しでもその可能性を上げる為に、自分に出来る無理はこれくらいだと思っていたのだ。

 てゐの声は、チルノを半ば責めるような響きを持っていた。

 しかし、当のチルノはその言葉に対して不思議そうに問い返す。

 

「じゃあ、あんたは誰が助けるのよ?」

 

 てゐは今度こそ、完全に意表を突かれて眼を丸くした。

 

「……はあ?」

「よく分からないけど、ここであいつらと一人で戦おうとしてたんでしょ?

 妹紅が危ないのは分かったけど、あんただって危ないところだったんじゃない。

 あたいは友達は見捨てないよ。妹紅はお師匠達が助ける、てゐはあたいが助ける――『ぶんたんさぎょう』って奴よ。あたい、習ったんだからね!」

 

 言い切り、自らの言動に絶対の自信と正当性を抱きながら、チルノは腕を組んでふんぞり返った。

 

 ――いつの間にあたしとあんたは友達になったんだ?

 ――っていうか、あんた一人であの二人と同等なのか?

 

 てゐは何事か言い返してやろうとしたが、普段のように上手く口が回らなかった。

 悔しいが、認めるしかない。

 てゐは、チルノの勢いに完全に呑まれていた。

 

「ホント……あんたは、また相変わらず……」

「何よ?」

「『最強』だわ……」

 

 結局、てゐは諦めたようにそれだけ口にした。

 口元には苦笑にも似た、奇妙な笑みが自然と浮かんでいた。

 

「当たり前よ! ようやくあんたもあたいの力を認めたようね。

 あいつらが何者かは知らないけど、最強のあたいが加わったからには何の問題もないわ。安心して見てなさい!」

「ああ、まったくクソ安心だよ。怖いもんなんて何もないさ」

「その通りよ!」

 

 自信満々に笑うチルノの隣に立ちながら、てゐは改めて敵を見上げた。

 

「うふふっ。いいわねぇ、友情って。そうだ、いいこと考えたわ。妖夢、貴女も友達を作りなさい」

「幽々子様、今は戯れている暇などないのですが……」

「じゃあ、この異変が解決したら友達を作りなさい。きっと、貴女の為になるわ」

「……考えておきます」

 

 意外と無理難題を与えられたのかもしれない――と思いながら、妖夢は意識を眼下の敵に向けた。

 

「……チルノ」

「何?」

「さっきの『怖いものなんてない』って言葉はさ……嘘じゃないよ。本当なんだ」

「うん……? 分かってるわよ、今更。変な奴ね」

「頼もしい友人を持って、あたしゃ幸せだよ……っと!」

 

 幽々子が微笑みながら、妖夢が鋭い眼光を放ちながら、襲い掛かる。

 てゐとチルノは、互いに全く恐れ怯むことのない意思でそれらを迎え撃った――。

 

 

 

 

 ――どれぐらい戦っただろう?

 

 辺りは相変わらず夜の闇に包まれていた。そこを偽りの月の光が照らし出している。

 延々と変わらない光景だった。

 時間の感覚などあったものではない。まるで時が進んでいない気さえする。

 それが錯覚だと自分に言い聞かせながら、妹紅は胸の内から湧き上がった僅かな安堵感を戒めた。

 

 ――輝夜の言うとおりだ。私は、夜が明けないことに安心している。

 

 それはいけないことだ、在ってはならないことだ――と。考えながらも同時に疑問を抱く。

 

 ――何がいけないというのだ?

 

 時間が止まってくれるのなら、終わることはない。始まることもない。繰り返すこともないのだ。

 混沌とした自身の心の内から眼を逸らすように、妹紅は立ち上がった。

 

「そうやって、同じことの繰り返しね。まるで貴女の生き様そのものだわ」

 

 地面を這っていた妹紅が震える足で立つ様を見下ろし、輝夜は憐れむように呟いた。

 輝夜と妹紅の戦いは、当初の状況から変化していた。

 全く無傷の輝夜と、痣と血に塗れた顔で息を切らしながらかろうじて立ち上がる妹紅。

 その構図が戦況の優劣を明確に表している。

 

「もう十分傷ついたでしょう」

 

 当然の結果だった。

 蓬莱人である二人にとって、戦闘の負傷や疲労は全く問題にはならない。

 死にさえ意味は無いのだ。

 一度絶命してしまえば、それまでの状態はリセットされ、完全な形で蘇る。

 その過程でどんなことが起ころうとも、行き着く結果が同じならば、次に起こることも同じだ。

 蘇生し、振り出しに戻る。

 厳しい修行を乗り越えた妹紅は、そこで得た力を使って輝夜を幾度も追い詰めた。

 追い詰めた果てに、終わることなく再び始まる戦いを延々と続けていた。

 

「もう疲れ果てたでしょう」

 

 蘇るたびに負傷は消えて体力も回復する輝夜に反し、妹紅はただひたすら消耗し続けていた。

 戦いが長引くほど、妹紅は不利になる。

 優勢であるはずの妹紅の方が疲れ、衰えていく――あまりに不毛な戦いだった。

 

「何故楽になろうとしないの?」

 

 やがて、輝夜の反撃が妹紅を捉え始めた。

 技も何もない拙い攻撃は、しかし体力を消耗して動きの鈍った妹紅にはかわしきれなかった。

 殴り飛ばされ、地面に叩きつけられた。

 血を吐き、骨が軋む。か細い腕からは想像も出来ないような怪力だ。

 完全に形勢は逆転し、妹紅は何度も倒れ伏し――その度に立ち上がって、全身を磨り減らすように弱っていった。

 

「降参なんて……絶対に、するつもりはないね……っ」

「それもあるけれど、そうじゃあないわ」

 

 妹紅は構えをとった。もはや両腕を持ち上げることすら辛かった。

 輝夜が無造作に歩いて間合いを詰めることにも対応出来ない。自ら踏み込む体力すら、もう無いのだ。

 十分に近づいた瞬間を見計らって、妹紅は拳を繰り出した。

 未だ鋭さは無くなっていない。しかし、当初より確実に衰え、鈍っていた。

 待ちに徹して攻撃するしかない妹紅のパターンを読み切っていた輝夜は、その一撃を難なくかわして、逆に攻撃を叩き込んだ。

 拳打でも手刀でもない。ただ単に腕を薙ぎ払うだけの素人染みた攻撃である。

 しかし、咄嗟に受け止めた妹紅の腕が嫌な音を立てて折れ、体ごと弾き飛ばされていた。

 

「がぁ……かっ、あ゛、あぁぁ……っ!」

「ほら、また」

 

 腕を押さえて悲鳴を必死に噛み殺す妹紅を、輝夜は見下ろした。

 

「また身を守った。それは無意識なの? 体に染み付いた技なのかしら? だとしたら、それは不幸以外の何物でもないわね」

 

 歩み寄り、拳を振り上げて、頭部目掛けて全力で振り下ろす。

 一瞬早く我に返った妹紅が慌ててその場から転がると、拳の突き刺さった地面が轟音を立ててへこんだ。

 もし、まともに食らっていたら頭蓋骨ごと粉々に砕かれていただろう。

 

「……頭を砕かれて、死んでいれば楽だったのに」

 

 再び立ち上がった妹紅を見つめて、輝夜は言った。

 

「一度蘇生すれば、その負傷と疲労という枷からも開放される。また全力で戦える」

「……そして、以前の貧弱な体に戻った私は、お前に延々と嬲り殺され続けるって?」

「そうかもね――でも」

 

 滝のような汗を流しながら、妹紅は肩で息をし続けていた。

 眼の焦点まで定まらなくなりつつある。

 全ての限界が近かった。

 

「あんた、『それ』をいつまで続けられると思っているの?」

 

 輝夜は問い掛けは妹紅のこれまでの行動を指していた。

 

「いずれ力尽きた時に、同じ結果が待っているわ。いい加減諦めなさい」

「……嫌だ」

「認めるのが嫌なら、私がハッキリと言ってあげるわ。

 貴女が先代達と過ごした時間は――全く、何の意味も無かった。結果に何の変化も与えられなかった。

 むしろ、そこまでの過程を悪化させたわ。貴女が今、こうして苦しんでいるのは彼女達と過ごした日々のせいよ。その時間で手にしたモノが、貴女の苦しみを長引かせている」

「違う!」

「違わないわ、妹紅。もう、いい加減世界の見方を変えなさい。定命の者とまともに向き合うことをやめるのよ。

 今の貴女が執着しているものを、縋りついているものを、捨てなさい。今は確かに手の中にあるかもしれないけど『それ』はいずれ崩れて消えるものなの」

「嫌だっ!」

「いい加減――眼を覚ませと、言ってるのよ!!」

 

 輝夜が初めて怒りの感情をあらわにした。

 戦いを始めて以来、どれだけ妹紅の攻撃を受けようとも余裕を崩さなかった輝夜が、苛立ちと何かの焦燥に顔を歪ませながら駆け出す。

 迎え撃った妹紅の拳を顔面で受け、弱体化しきったその威力を意にも介さず、体ごと突っ込んだ。

 妹紅を押し倒し、両手で首を掴む。

 

「千年以上、飽きもせず何度も何度も何度も何度も……っ! どれだけ繰り返せば思い知るの!?」

 

 凄まじい力で首を締められ、妹紅は全く呼吸が出来なかった。

 窒息死――いや、上がり続ける握力は首の骨をへし折り、握り潰さんばかりだった。

 痛みも消え去り、朦朧とする意識の中で、妹紅は無意識に体を動かしていた。

 組み伏せられた時の対処方法は、修行の中で既に先代から教わっていたのだ。

 残された力を振り絞り、輝夜の片腕を掴んで、関節の脆い箇所から一気に捻り折る。

 

「ぐ……っ! このっ、馬鹿が!」

 

 片腕を失った輝夜は、苛立ち紛れに残った腕で妹紅を持ち上げ、力任せに投げ飛ばした。

 受身を取ることで落下の衝撃を最小限に殺し、妹紅は地面を転がった。

 予想外の反撃に驚きながらも、ますます湧き上がる苛立ちと焦りに任せて、輝夜は自身の喉笛を引き千切る。

 自ら命を絶ち、すぐさま蘇生し、折られた腕が元に戻っていることを確認すると、改めて倒れたままの妹紅を睨みつけた。

 もはや立ち上がろうとすらしていない、満身創痍の状態だ。

 しかし、生きているのは確実だった。

 ギリギリの所で踏ん張り、妹紅は生きることにしがみ付いている。

 ただ苦痛だけを伴う延命に。

 

「また足掻いたわね。本当に厄介だわ、ここまで執着するなんて……」

 

 輝夜の抱く苛立ちの対象は、もはや妹紅ではなかった。

 彼女をここまで変えてしまった相手に矛先を変えている。

 今の妹紅に関わった人物は幾人かいるが、特にその中の一人を強く脳裏に思い描いた。

 そして、一体如何なる因果の導きか――輝夜の視界に、その人物は現れたのだった。

 

「妹紅っ!」

 

 二人の戦いの場へ、凛とした声が割り込んだ。

 その声に反応して、倒れ伏した妹紅の体が僅かに震える。しかし、もがくだけで立ち上がることが出来ない。

 代わりに輝夜が、その声の主に向けてゆっくりと振り返った。

 慧音に支えられ、この場に駆けつけた一人の巫女の姿が視界に捉えられた。

 

「先代巫女……っ!」

 

 輝夜は憎しみすら込めて、先代巫女を睨みつけた。

 

 

 

 

 ――妹紅が危ないから助けて欲しい。

 

 てゐにそう告げられてから、とにかく現場に急行することだけを考えていた。

 具体的に、妹紅が今どういう状況に追い詰められているのか、私はてゐから説明を受けていない。

 しかし、半ば予想はしていた。

 そして、その予想が的中していたことを、竹林を抜けた先に広がる光景から確信したのだった。

 無傷で佇む輝夜に、ボロボロの姿で倒れ伏している妹紅。

 どう見ても二人が戦った後だった。

 

「妹紅っ!」

 

 思わず叫んでしまう。

 慧音の腕を振り払って駆け寄ろうとして、そのまま地面に倒れ込む。

 間抜けなことに、その瞬間私は自分の足が使い物にならないことを忘れていた。

 い、痛い……モロに顔面打った。

 慧音が『先代!?』と焦ったように心配してくれるが……ごめん、恥ずかしいからちょっとこっち見ないで。

 鼻血を拭いながら、痛みと羞恥心を堪えて這うように妹紅の方向へ向き直る。

 私の呼びかけを受けて、妹紅は僅かに身じろぎをすることで反応を見せるが、立ち上がろうとしない。

 いや、出来ないのか? それくらい叩きのめされてしまったのか?

 

「しっかりしろ、妹紅!」

 

 慧音が私の体を起こそうとしてくれるが、私は立ち上がることよりも妹紅に呼びかけることを優先した。

 本当は、直接妹紅を助け起こしたい。

 足がどうこうなんて関係ない、這ってでも妹紅の所へ行きたかった。

 だが、それは出来ない。

 この勝負に、横槍を入れることは出来ないのだ。

 妹紅はこの時の為に私達と修行したのだから。

 

「立つんだ……!」

 

 不十分だったのか?

 私が鍛えただけでは、輝夜には通じなかったのか? ――自責と後悔の念が浮かぶ。

 一ヶ月で、教えられるだけのことは教えた。

 純粋な戦闘の為の技術の他に、輝夜が不死者であることを考慮した戦法や、想定される状況の対処法も、私が持つ一番の強みである漫画の知識を総動員して練ったのだ。

 不死身というのは決して無敵という意味ではない。

 付け入る隙は必ずある。っていうか、バトル漫画とかではその辺の攻略法はかなり豊富だ。

 勝ち目はある。『人間』は『不死者』には絶対に負けない。私はそう信じている。

 だから、勝てるはずなんだ。

 頑張れ、妹紅! まだ勝負は終わっちゃいないぞ!

 

「立て! 立つんだ、妹紅っ!!」

 

 地面を叩きながら、私は声を張り上げ続けた。

 滅多に出さない大声で叫ぶ私を見て、傍らの慧音は驚いたような顔をしている。

 確かに普段の私のキャラじゃないが、この状況ではそんなことも言っていられない。

 今の私の気分は、リングサイドのセコンドだった。具体的には段平のおっさんと同じ心境だ。

 傷ついた妹紅に、酷な叱責と響くかもしれない。

 しかし、私は妹紅と一緒に苦しい修行の日々を過ごした仲間なのだ。

 あの日々が何の為にあったのか――それはこの勝負に勝つ為なのだ。

 妹紅を奮い立たせる為、私は無意識に漫画の台詞に肖っていた。

 苦しい時、倒れた時、この台詞を聞けば立ち上がれる! という私自身の経験も踏まえた、偉大なる先人の応援だ。

 こいつを受けて、立ち上がってくれ妹紅!

 

「立て、妹紅!」

 

 もがくように妹紅の手足が動いた。

 まるで立つ為の取っ掛かりを探しているように、指で地面を掻き毟り、つま先で踏ん張ろうとする。しかし、上手くいかない。

 もどかしかった。駆け寄って、助け起こしてやりたかった。

 でもやっぱり、それは出来ないのだ。

 傍らの慧音の気遣いも眼に入らず、私自身も地面を這ったまま、歯を食い縛って立ち上がろうとする妹紅の姿を見守っていた。

 そんな私と妹紅の様子を、意外にも輝夜は邪魔することなく眺めている。

 

「――貴女の言葉は不思議ね、先代巫女」

 

 視線は妹紅に向けたまま、輝夜が小さく呟くのが聞こえた。

 

「なんというか、説明出来ない『力』があるわ。別に言葉自体は何の変哲も無い、捻った表現でもないのに、ただ『立て』と言われるだけで立ち上がりたくなってしまう。

 形の無い言葉なのに、本当に体を支え、押し上げてくれるような錯覚さえ感じる。傍らで聞いているだけの私までそう感じるのだから、与えられている妹紅は尚更ね。

 追い詰められた彼女には、この上ない支えとなるでしょう。ひょっとして、貴女には言霊を操る能力でもあるのかしら……?」

 

 えっ……そうなの?

 突然そんなことを言われても、私にはよく分からない。ただ必死だったのだ。

 私の言葉が特別だと言うのなら、それは私自身に能力があるのではなくて、この言葉自体に宿っている力なのではないだろうか。

 私が尊敬する偉大な漫画の先人達は、これらの言葉で時に自分を、時に他人を奮い立たせてきたのだ。

 そして、それを物語として見る者に衝撃と感動を与えてきた。

 私はその力を借りているにすぎない。

 私にとって重要なのは、その力が妹紅の支えになってくれているということだけだ。

 輝夜の言うとおり、私の呼びかけが妹紅の立ち上がる力になっているというのなら、私は例え声が枯れても――。

 

「妹紅が貴女を慕う理由が分かるわ」

 

 妹紅から視線を外し、輝夜は体ごと向き直って私を見た。

 その瞳には、私への完全な敵意が宿っていた。

 

「貴女の……あんたのやっていることが、どれだけ無責任なことなのかっ! その無自覚さに反吐が出るわ!!」

 

 

 

 

 響き渡る罵声と、輝夜の憤怒に歪んだ顔を前に、慧音は呆気に取られていた。

 蓬莱の力によって無傷の状態で佇む輝夜は、まさに傾国の美女として恥じぬ優美さを備えている。

 実際に倒れた妹紅の姿がなければ、戦いなどの野蛮な行為とは無縁の存在だという印象を受けるだろう。

 この美しい姫が、ここまで明確な負の感情をあらわにするなどあまりに意外だった。

 それは先代も同じらしく、ぶつけられた敵意の大きさに息を呑んでいた。

 これまで如何なる巨大な敵にも決して退くことのなかった先代は、儚さすら感じる美姫の怒りに気圧されているのだった。

 

「私が、無責任……だと?」

「ええ、そうよ」

 

 問い掛ける先代の声は戸惑いに満ちていた。

 傍らの慧音は、初めて見る先代の狼狽した様子に、言い知れぬ不安を感じた。

 

「いずれ死んで消える人間が、死なないあの娘に――妹紅に何かを残そうとすること自体が無責任な行為なのだと、貴女は自覚していない」

 

 深く斬りつけるような声で、輝夜は断言した。

 

「貴女は妹紅に様々なものを残そうとした。力と技を授け、人としての温もりで包み、孤独だったあの娘を自分達の輪の中に入れた――」

「……それの、何処が悪いと言うんだ?」

 

 黙って輝夜の話を聞く先代に代わり、堪えきれずに慧音が憤然と反論した。

 未だに立ち上がることの出来ない妹紅を指し、輝夜が答える。

 

「それら全てが、今もこうして妹紅を追い込んでいるからよ!

 彼女がこうして傷つきながら地面でもがいている理由は分かる? 下手に身を守らず、致命傷を受けていれば、無傷の状態で蘇生することが出来た。

 それを必死に避けようと足掻いた結果が、あの有様よ。妹紅は修行で得た力を――貴女達と過ごした日々の証を失うのが怖くて、苦痛に耐えながら現状にしがみ付いている」

「ふざけるな! そもそも、妹紅を傷つけているのはお前だろうが!」

「これは私と妹紅の勝負なのだから、当然でしょう?

 これまでも私達は幾度もこうした勝負を繰り返してきた。勝敗や生死に意味の無い戦いを。

 そんな蓬莱人にとっては戯れのような戦いが、何故今回に限ってこんなに苦しみを伴っているの? 妹紅があそこで、疲れ果てた体と傷の痛みを抱えて耐え続けている理由は何よ!? あんた達が余計なことをしたからでしょう!」

「……馬鹿なっ!」

 

 輝夜の叱責を、慧音は理不尽な言い掛かりだと切り捨てようとした。

 彼女が妹紅にとってどれほど因縁のある相手なのかは知らないが、この一月あまりの間を共に過ごした自分達の関係を否定する資格など無い。

 妹紅に接した誰もが、あの日々の中で純粋に想い合っていた。仲間だった。

 あの日々が間違いであったなど、言えるはずがない。

 ――しかし。

 慧音の脳裏には、輝夜の言葉に呼び起こされるように、無力な自分の腕の中で泣き震える妹紅の弱りきった姿が浮かんでいた。

 手にした暖かな日々を失うことに怯えていた彼女。

 輝夜は、妹紅が今苦しんでいるのは先代達が与えたモノのせいだと言った。

 ならば、あの時妹紅が嘆いていた原因は――。

 

「先代巫女、貴女はどれくらい生きるのかしら?

 人間なのだから、あと五十年も生きればいい方よね。

 でも、妹紅は永遠に生きる。百年でも千年でもない、終わりのない時間よ。人間に限らず、定命の者に果たして想像がつくかしら?」

 

 問い掛けておきながら、先代と慧音の二人には返答を許さない厳しさが含まれていた。

 二人に限らず、いずれ死んでいく者ならば誰であっても答えを聞くつもりはない。信じるだけの説得力が無い。

 蓬莱人とそれ以外の存在を差別する強い意識がそこにあった。

 

「貴女達が妹紅と過ごした時間に、悪意があっただなんて私も思わないわ。きっと善意と、好意と、何より正しさがあったのでしょう。

 でもね、その価値観が既に違うのよ。貴女達はその正しさを残して、安らかに死んでいける。別れの悲しみがあっても、平等に訪れる死という終わりが納得させてくれる」

「……」

「――じゃあ、残された妹紅はどうすればいいの? 貴女達から与えられた言葉や記憶だけを頼りに、永遠の孤独を過ごしていけると思う?」

「それは……っ」

「出来ないわよ。だって、妹紅はこれまでの時間の中で何度もそれを繰り返したんだもの」

 

 慧音は、もはや何も反論することが出来なかった。

 妹紅と同じ蓬莱人である輝夜と、輝夜の言うとおりいずれ妹紅を残して去っていく自分自身――立場の違いを嫌というほど思い知らされていた。

 助けを求めるように傍らの先代を伺うと、厳しい表情のまま黙り込む横顔が映り、慧音は絶望を感じた。

 

「先代……さっきも言ったわよね、貴女の言葉には不思議な力があるって」

 

 輝夜は改めて矛先を先代に向けた。

 

「貴女は自身の価値観の中で正しいと思う行いをしたのでしょう。

 でも、そこで本当に妹紅のことを考慮して発言した? 貴女が生を全うした後で、残された妹紅がどう生きるのか。貴女の残した言葉が、どれだけ相手の心に影響するのか。どれだけ生き方を縛るのか――」

「……先代」

「貴女の言動にはとても大きな影響力がある。事実、それによって妹紅を変えた。

 別れと出会いを繰り返して、ようやく自分と周囲の世界との違いを悟り始めた妹紅を、生きた人間に戻した。

 その結果、再び失うことへの恐怖を思い出して、妹紅は苦しんでいる。その苦しみを、当事者である貴女は僅か数十年程度の生きている間しか和らげることが出来ない」

「先代、お願いです。何か言ってください」

「どうなの? 貴女は、妹紅の為に生き続けることが出来る? 蓬莱の薬を用意したら、それを飲める? 妹紅に掛けた言葉の責任を取ることが出来る?」

「あの女に、これ以上言わせないで下さい……っ」

「さっき、貴女は妹紅に『立て』と言ったわね。その後、どうするつもりだったの? 残りの永遠の時間を独りで立ち続けろというの?

 ――それが無責任だというのよ、貴女の言葉は! 正しさだけを前面に押し出して、言った後のことを考えない! 自分の言葉が、どれだけ相手を変えてしまったのか自覚しない!」

 

 輝夜は怒りと嫌悪を込めて罵った。

 それに対して、先代はただ唇を噛み締めて沈黙を貫いていた。

 真っ直ぐに輝夜を見つめている。

 しかし、それは決して睨みつけるようなものではなく、一方的な罵倒に対して不快感や反感を抱いた表情ではなかった。

 先代は、ただ黙って耐えていた。

 まるで輝夜の叱責を正当なものであると、罰を受け入れるように。

 

「……先代、何故ですか?」

 

 傍らの慧音も歯を食い縛って耐えていた。

 彼女こそ、誰よりも輝夜の言葉に反感を抱いて、今すぐにでも食って掛かりたい衝動を堪えていた。

 それをしない理由は一つだった。

 叱責を受けている当の先代が、全く否定や反論をしないからだ。

 

「何故、何も言ってくれないんですか!?」

 

 慧音は縋るように訴えた。

 悔しさで体が震え、涙が滲んでいた。

 先代の行動を否定する輝夜の言葉は、同時に慧音の心も打ちのめしていた。

 妹紅だけではない。慧音もまた、先代の言葉と行動に救われてきたのだ。

 それが間違ったことなのだと責められ――そして、それに対して何も言い返さない先代の姿が、慧音には何よりもショックだった。

 

「何とか言って下さい! 先代――!!」

 

 妹紅は倒れ伏したまま、意識があるのかどうかも分からない。

 輝夜は自らの敵意によって射殺すように先代を睨みつけている。

 そして、先代は口を閉ざしたまま、その視線に耐え続けるだけだ。

 血を吐くように叫んだ慧音の懇願に応える者は、この場には誰一人としていなかった。




<元ネタ解説>

「立て! 立つんだ、妹紅!」

コミック「あしたのジョー」でセコンドがジョーを叱咤した時の台詞。厳密には似たようなニュアンスの台詞を複数回使っており、コレ一種類ではない。


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