東方先代録   作:パイマン

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永夜抄編その二。


其の十九「永遠亭」

 ――最初の300年は人間に嫌われて身を隠していた。

 

 それを『人生』と呼んでいいものか分からないが、死を失った人生が如何なるものか、身に染みて理解出来た時間だった。

 知り合った人達は、当たり前のように自分より早く死んでいく。

 死に別れ、出会い、また死に別れ――。

 そもそも死に目を看取るまで傍に居られることの方が稀だった。

 大抵は、年老いることのない自分の異常性が、時の流れの中で川底に埋まった石のように緩やかに浮き上がる。

 そして拒絶される。

 当たり前のことだった。自分の周りに居るのは、誰もが死ぬ人間なのだ。

 死なない人間に関わった者達は、皆大抵不幸になった。

 老いて死んでいく自身と若く死なない相手を比べて、妬み、焦がれる妄執に囚われた者もいた。

 得体の知れないモノの仲間として一括りにされ、共に住む場所を追われることもあった。

 その結果、自分に向けられる恨み辛みを抱えたまま死なせてしまったことも多い。

 冥福を祈る資格さえ、自分には無いのかもしれない。

 死なずに生き続けるということは、ただそれだけで周りに迷惑をかけるのだと悟り、身を隠すようになった。

 

 ――その次の300年は世を恨み、妖怪を退治することでそれを晴らしていた。

 

 生きとし生ける者達は、皆必ず死んでいく。人間だけではなく、動物も、虫も。

 ただ妖怪はその限りではなかった。

 死なない自分と同じ、刀でも矢でも斃れない存在達。

 ならば、自分もまた妖怪と同じか――。

 浮かんだ考えに激しい怒りが湧き上がり、それは恨みとなって妖怪達に向けられた。

 表向きは、人間を襲って食らう者達を退治することで、人間の為の善行を積み、それが自分なりの人間との繋がりなのだと思っていた。

 思い込もうとしていた。

 ただ、本当は――自らの境遇への恨み辛みが世の中へ広がり、それが矛先を求めて、ただ妖怪相手に落ち着いただけの話だった。

 

 ――次の300年は死んだも同然の日々だった。

 

 誰かの仇討ちを誓った者。何かを妬んだ果てに狂った者。生来そういう悪意を滾らせる者。

 激しい感情の果てに力尽きて死ぬ者達は、まだ幸いである。

 そこに『死』という終わりが在るのだから。

 どれだけ繰り返しただろう。妖怪との殺し合いで感じる、生きるか死ぬかの瀬戸際の思いさえ磨耗して無くなり始めていた。

 生きる? 死ぬ?

 そんなものは自分には存在しない。

 終わりさえない。

 妖怪退治の果てに殺されることと、ただその場に座り続けて餓死することの違いさえ分からなくなった時、自分は既に疲れ果てていた。

 

 ――そして次の300年で、この幻想郷へ辿り着いた。

 

 ここで様々な出来事が起こったが、ただ一つだけ不可解なことがある。

 生きる意志は磨耗し、心底疲れ果てて足を止めていた自分を、この場所まで辿り着かせたものは一体何なのだろう?

 希望や執着などといったものは、そこに至る年月でとっくに擦り切れて無くなっていたはずなのに――。

 

 

 三界の狂人は狂せることを知らず

 

 四生の盲者は盲なることを識らず

 

 生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く

 

 死に死に死に死んで死の終わりに冥し

 

 

 この世の迷える人々は、自らが迷っていることを知らない。

 何故、何度も生まれ変わり、そして死んでいくのかを分からない。

 人間が自分自身に対して驚くほど無知であること――それはきっと事実なのだろう。

 輪廻転生から外されながらもこうして千年以上過ごしてきて、何かを悟れたためしが無い。

 誰かが、あるいは誰もが『人間は過ちを繰り返す』と悟ったように語る。

 本当に悟っているのならば、その繰り返しの何処かで歯止めを利かせるはずなのに。

 人は無知であるまま、繰り返す。

 ならば、自分もまだ人間のままなのかもしれない、と心が僅かに揺れる。

 それが嬉しいことなのか、悲しいことなのか。長く生きすぎた自分にはもう分からない。

 ただ、この終わりの無い人生の中で、気が付けば何度も同じことを繰り返している。

 恨み辛みも、悲しみも後悔も、嫌というほど経験した。

 期待すれば、いずれ必ず失望し、最後には絶望した。

 もううんざりだと、何度も思った。

 苦しみに繋がる全てに対して、関わらなければ良いのだと心底思い知った。

 だけど、ほら。

 気が付けば、また。

 

 ――立ち止まり、時の流れにさえ置き去りにされて、結果この世で独りになることを恐れている。

 

 気が付けば、誰かに縋りつく為に必死で再び歩き出している。

 諦めは訪れず、迷いが蘇り、同じことの繰り返し。

 その理由さえ、自分は知らないのだ。

 

 

 

 

「現役を退いた博麗の巫女『先代』と、普段は霧の湖に住んでいる氷の妖精『チルノ』ね」

「あんたはもこたん」

「妹紅よ! 藤原妹紅! もこたんって呼ぶな!」

 

 妹紅とチルノが騒がしく言い争う傍らで、先代は手荷物である風呂敷を広げていた。

 各々が手ごろな石の上に腰を下ろし、それを中心に囲んでいる。

 時刻はお昼時。先代とチルノはここに至るまで歩き詰めだったこともあり、自己紹介や事情説明などの交流を兼ねた休憩をとることになったのだった。

 妖怪化した獣が生息し、竹に囲まれて死角も多く、のんきに休めるほど安全な場所ではなかったが、三人の内誰一人として気を張っていない。

 自分や妖精はともかく、こいつはどうなんだ? と妹紅は一番得体の知れない先代へ自然と視線を移していた。

 

「博麗の巫女っていうのは、少し聞いたことがあるわ。尤も、すぐにこの竹林に住むようになって、外の情報はあまり聞かなくなったけど」

「お師匠はね、サイキョーのハクレイって呼ばれてるんだよ。なんてたって、あたいに勝ったんだからねっ」

「……ま、只者じゃないっていうのは分かったわ」

 

 ツッコむのも面倒だとばかりに、妹紅は聞き流した。

 目の前の人間が強いという点だけは、身に染みて納得出来る話だった。

 

「一番新しい博麗の巫女の情報は、スペルカード・ルールに関することね。

 今じゃあ幻想郷の管理者だっけ? そんな立場なら、普通じゃ入ってこない情報も手に入れられるってわけね」

「ああ。永遠亭の情報も、そういった伝手から聞いた」

「なるほど。あの八意永琳が医者だったっていうのは、私も初耳だわ」

 

 妹紅は先代から、彼女達が迷いの竹林を訪れた事情を簡単に聞き及んでいた。

 閉じ篭るようにしてこの場所に長く住み着いていた為か、外からの情報が入ってこない代わりに内からも情報が出ていかない、隔絶した状況であると思い込んでいた。

 しかし、実際は違うらしい。

 自分だけが関わっていると思っていた永遠亭という場所に関してはもちろん、そこに住む者の情報まで先代は知っていたのだ。

 中には自分さえ知らない情報もあった。

 八意永琳という人物の背景がその一つだ。

 

「妹紅は永琳について何も知らないのか?」

「あー、うん。名前と、あとは実際に会って感じた人となりくらい。どんな仕事をしてたかなんて知らなかったわ」

 

 妹紅は言葉を濁しながら答えた。

 先代が永遠亭を中心とした何処までの情報を掴んでいるのかが分からなかった。

 あそこの住人と自分との人間関係は、出来れば知られたくない部分が多い。

 その繋がりが、自分自身の情報にも及ぶかもしれないからだ。

 不明瞭な部分は下手に触れずにいたかった。

 元々口数が少ないのか、先代は余計なことは話さず、逆に尋ねたりもしなかった。

 他人との交流をあまり深めたくない妹紅にとって、それはむしろありがたいことだった。

 ――あるいは、彼女が自分の正体を知っているのかどうか、明白にしたくなかっただけなのかもしれない。

 

「お師匠、お弁当って手作り?」

「いや、元々は一人で食べるつもりだったからな。おむすびだ」

「ひょっとして、前食べさせてくれたヤツ?」

「ああ」

「そっかー。ま、いいや。あれ、食べると元気が出てくるし!」

 

 チルノが妖精でなければ、親子同然としか見えないようなやりとりに、妹紅は自然と口元を綻ばせていた。

 人と話すのも久しぶりだ。

 ましてや、こんな暖かな団欒を見たのは随分と昔に思える。

 世捨て人を気取っても、結局自分は飢えているのだな、と。自身の中で急速に蘇り始めた人間的な感性に、妹紅は自嘲していた。

 

「――食べるか?」

 

 目の前におにぎりを突き出され、妹紅は我に返った。

 

「え?」

「お昼、食べてないんだろう?」

「あ……ああ。でも、いいよ」

「遠慮すんな、妹紅も食べなさいよ!」

「何であんたが自分の物みたいに勧めるのよ。もう食べてるし……。

 いいよ、二人で食べな。元々一人分の弁当なんだろう。ほら、二つしか入っていないじゃないか」

 

 おにぎりを包んでいた竹皮には、もう一つも残っていなかった。

 しかし、先代とチルノは顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。

 

「へへん、そう思うでしょー?」

 

 妹紅におにぎりを半ば強引に持たせると、先代は空の包みを一度閉ざして、すぐに紐を解いた。

 すると驚くべきことに、再び包みを開いた時には新しいおにぎりが二つ、そこに並んでいたのだ。

 妹紅は驚きに眼を見開き、自分の持つおにぎりと包みの中のそれを何度も見比べた。

 その様子がおかしいのか、大笑いするチルノと、妹紅の見る前で新しいおにぎりをこれ見よがしに食べてみせる先代。

 

「すごいでしょ? お師匠の宝物なのよ」

「見ての通り、食べても減らないおむすびだ。美味いぞ」

 

 呆気に取られながらも、先代に促されるまま妹紅も口に含んでみる。

 ほんのりと暖かく、柔らかい米の感触が口全体に広がった。

 改めて考えてみれば、握ったばかりの物のように米が暖かさと柔らかさを保っている時点で普通のおにぎりではない。

 狐につままれたような気分だったが、ただ一つハッキリと『美味い』とだけ思った。

 チルノの言うとおり、本当に元気まで出てくるような気がする。

 

「鬼が仙人からもらった物を、更に私が鬼から譲ってもらったんだ」

「……あんた、本当に何者よ?」

 

 信じられない単語が、次々と何でもないことのように口から飛び出す目の前の人間を、妹紅は改めて凝視していた。

 呆然と呟きながらも、口は米の感触を味わっている。

 本当に美味かった。

 単純に味だけの話ではなく、暖かい米など久しぶりに味わっていた。

 いや、そもそも食事さえも。

 おにぎりを一つ食べた直後なのに、腹が空腹を訴えるように鳴った。

 

「もう一つ食べるか?」

「いや、さすがにそれは……」

「足りないんだろう。食べてないのは、お昼だけじゃないのか?」

「まあ、その……三日ほど、何も」

 

 妹紅は思わず白状していた。

 別に食うに困っていたわけではない。むしろ困ることなどなかったから、食わなかったのだ。

 しかし、妹紅は詳しい事情を説明する気にならず、口を噤んだ。

 探るように視線を二人に向ければ、ほとんど睨むような眼つきでこちらを見ていた。

 

「食え」

 

 問答無用の迫力で、先代がおにぎりを突き出してくる。

 

「そうだ、食え! ご飯はちゃんと食べないといけないんだぞ!」

 

 誰から教わったものか、妖精らしからぬ内容の言葉を添えて、チルノもおかわりとして取っていたおにぎりを差し出していた。

 断れる雰囲気ではない。

 そして、断る気もなくなってしまった。

 

「ああ、その……いただき、ます」

 

 恐縮しながらも、顔には自然と笑みが浮かんでくる。

 訳も無く嬉しかった。

 おにぎりを受け取った妹紅は、もう遠慮せずにそれを口にした。

 美味かった。

 飢えが満たされていくのを感じた。

 それはただ単に空腹に関することだけではなく――。

 

「慌てて食べるな。ほら、水だ」

「よっぽど腹減ってたんだなー」

 

 水筒を受け取りながらも、妹紅は飯をかきこむのを止めなかった。

 腹が久しぶりの栄養を欲した為ばかりではない。食べることに集中しなければ、どうしても二人を見てしまう。

 妹紅にはそれが恥ずかしく、そして何故か涙が出そうなほど苦しいのだった。

 

 

 

 

 本来なら知られるはずのない永遠亭の情報が私に知られている。

 この怪現象は、八雲紫の仕業に間違いないっ!

 おのれ、ゆかりん! ゆ゛る゛さ゛ん゛っっ!!

 

 ――ごめん、紫。他に情報源の捏造として適切な人物が思い浮かばなかったよ。

 本人の知らない間に黒幕に仕立て上げられてしまった紫に対して、内心土下座する私。

 妹紅や永遠亭の存在は、本来は永夜異変によって露見するものである。

 もちろん未だその異変は起きておらず、本来知り得るはずのない情報を私が知っている理由として、一番適切な博麗の巫女としての立場とそれに関わる紫の存在を使ったのだ。

 細かく指摘されたらあっさりボロが出そうなカバーストーリーなので、口数が少ないのをいいことに、あえて大雑把に妹紅には説明した。

 結果的に、思ったよりも突っ込んだ質問をしない妹紅自身にも助けられ、永遠亭への案内の話などは納得してもらえたようだ。

 博麗の巫女という立場だけで説得力も得られたようで、紫のことまで説明しなくてもよかったのもありがたい。

 ……でも、同じように説明することになるだろう永琳などには、きっと紫に責任を被せることになっちゃうんだろうな。

 まあ、そういう暗躍する印象と立場が定着してしまったせいもあるのだが、今回はそれを心苦しくも私が利用する形になってしまった。

 尤も、後々紫と永琳辺りが話し合って、互いの辻褄を合わせるようなことを始めてしまったら、あっさり矛盾に気付かれてしまう危険性もあるが――。

 その時は仕方ない。最後の奥の手も考えてある。

 ……どちらにしろ、嘘を吐くっていうのは変わらないけど。

 まさかゲームや二次創作で知りました、とか言えないよ。

 うう……っ、仕方ないとはいえ、罪悪感とストレスが溜まっちゃうなぁ。

 こんなことを話せるのはさとりしかいない。

 今度、また地霊殿に遊びに行こう。無理なら紫に頼んで会話だけでもさせてもらおう。

 こうして嘘を吐いてまでこぎ着けた永遠亭行きである。

 結果がどうなるかは分からないが、少なくとも永琳に診てもらうまでは何とか話を持っていきたい。

 紫まで巻き込んで強行してしまったことに疑問を抱かないわけじゃない。やりすぎかとも思う。

 しかし、私は春雪異変の時に紫達が起こした行動とその動機を忘れてはいない。

 私の足は自業自得だ。今更後悔は無い。

 ただ、やれるだけの手を尽くすまでは、治療を諦めてはいけないのだ。

 私は改めて決意を固めていた。

 事情を妹紅に説明してからは、まずお昼ごはんを兼ねた休憩をとることにした。

 当初は一人旅になると思っていたので、手を抜いておかずは持ってこなかったが、代わりに勇儀から貰ったあのおむすびを持ってきていた。

 幾ら食べても無くならない超便利な仙人の食べ物である。

 ちなみに私の宝物。

 いや、むしろこれは家宝にしよう。私が死んだ後には、遺産として霊夢に相続するのだ。

 純粋に美味いし、『うしおととら』で出てきた物と同じ物を食べているような気がして、その思い入れが更に味を上げている。

 あと不思議なことに、食べると気力や体力が充実するんだよね。

 ひょっとしたらMP回復的な効果も隠されているのかもしれない。

 以前食べさせてあげたこともあるチルノと、今回は妹紅にも分けて食べる。

 妹紅が意外とひもじい思いをしていた事実には驚いたが、丁度いいことにこっちは減らないおむすびだ。腹いっぱいになるまで食わせてやろう。お米食べろ!

 涙が出るほど美味かったらしい妹紅と食後の談笑をして、その流れで自然と永遠亭への案内もしてもらえることになっていた。

 嬉しい話だが、妹紅と仲良くなれたことがもっと嬉しい。

 やっぱり人間、物を食うっていうことは重要だな。

 同じ釜の飯を食えば、もう仲間なのだ。

 

「もうそろそろ着くよ」

 

 妹紅の案内の下、今度はしっかりとした進路を取って竹林を歩いていた私達は、目的地が近いことを告げられた。

 

「最初に言っておくけど、私は永遠亭の奴らとは友好的な関係じゃないわ。中まで付き添うつもりはないし、要求に関して口添えも出来ない」

 

 妹紅の事前の注意に対して、私は素直に頷いて返す。

 ま、さすがにそこまで期待は出来ない。

 二次創作によっては、妹紅と永遠亭の関係が意外と良好なパターンも結構あるのだが、そうそう上手く話は進まないということだろう。

 元から永琳には私が交渉するつもりである。

 ……といっても、普通に頭下げて頼み込むくらいしか思いつかないけど。

 月の頭脳とまで呼ばれる最強の知能派相手に、駆け引きとかやるだけ無駄だしね。

 せいぜい、先程の説明のボロだけ出さないように気をつけましょう。

 そうして考えながら歩みを進めていると、不意に近づいてくる気配を一つ察知した。

 

「妹紅、何か近づいてくるぞ」

「……分かった。永遠亭付近は獣も近づかない。知ってる奴かもしれない」

「でも、敵かもしれないでしょ。お師匠は下がってて」

「お前も下がってるんだよ」

「なによ、弱っちいクセに! あたいの前に出るな!」

「お前よりは強いわ!」

 

 既に定番となりつつある二人のやりとりが始まってしまった。

 敵でないことを祈りながら、私は気配のする方向を睨む。

 一応、護身用の手段は用意してあるからね。

 

「――あーらら、これマジ?」

 

 竹林の向こうから現れた人物は、何故かこちらを見て驚いていた。

 私の腰ほどしかない、チルノとどっこいな小柄な身長。垂れ下がった兎の耳。

 何かの作業中なのか、鉈や縄といった道具を持っている。

 私の知識にある妖怪だった。

 思わず名前を呟きそうになるのを堪える。

 

「ああ、よかった。てゐだったのか。まだ話が通じる相手だわ」

 

 妹紅が安堵のため息を洩らした。

 現れたのは『因幡てゐ』だった。

 永遠亭に住んでいるが、元々はこの竹林に棲んでいた妖怪兎である。

 妹紅にとっては永遠亭の住人との関係も薄い、比較的友好な相手だった。

 っつーか、二人って知り合いなのね。確か原作では明確な繋がりは示されてなかったはずだから、ちょっと意外。

 

「妹紅、そいつら何?」

「見ての通り人間と妖精よ。永遠亭に用があるらしくて、竹林の外から来たってさ」

「……永遠亭に? 本当にそいつらが永遠亭のことを言ったの?」

「ああ、人間の方は博麗の巫女の先代らしくてね。情報はその伝手から――」

「いや、ちょっと待って。事情はともかく……拙いわ。よりによって外の人間を連れてくるなんて」

 

 気安い態度で話す妹紅だったが、一方のてゐは何故かどんどん深刻そうな表情へと変わっていった。

 幼い見た目からは想像も出来ない重い雰囲気が漂っている。

 私は言い知れぬ不安を感じ始めていた。

 予想していた因幡てゐというキャラクターの反応とあまりに違いすぎる。

 なんというか、彼女ってこんなに真面目に考え込むような性格だったか?

 それとも――そうせざるを得ないほど、今の状況が拙いとでも言うのか?

 

「とりあえず、そいつら連れてここから離れて……いや、無理かぁ~。いくら鈴仙がドンクサイって言ってもねぇ、緊急事態だし……」

 

 こめかみを押さえ、独り言をぶつぶつと呟いている。

 その様子には妹紅も違和感を抱いているのか、訝しげな表情を浮かべた。

 

「ちょっと。どうしたのよ、てゐ?」

「あー……妹紅。それとあんたら」

 

 てゐは諦めたようにため息を吐くと、私達全員を見据えて言った。

 

「とりあえず話し合いは無理だから。なんとかここは凌いでね」

 

 悪戯っぽく笑おうとして失敗したような苦い表情を、てゐが浮かべる。

 

「何を――っ」

 

 話を終えた瞬間、竹林の隙間から数発の光弾が降り注いでいた。

 気配は全く察知出来なかった。

 完全な不意打ちである。

 そして、これは明らかに弾幕用に威力を抑えた攻撃ではない。

 

 ――回避は不可能だった。

 

 

 

 

「何を――っ」

 

 てゐの言葉の意味を察するより早く、妹紅は迫り来る複数の弾丸を捉えた。

 彼女には見覚えのある攻撃だった。

 それ故に動揺は他の二人よりも小さく、代わりに胸の内で悪態を吐いた。

 

「やめろ、鈴仙!」

 

 空中から滲み出るように鈴仙・優曇華院・イナバは姿を現した。

 しかし、その瞳は既に冷徹なまでの覚悟で固まっている。

 戦闘者として切り替わった時の彼女の眼つきだった。

 放たれた弾丸は当然のように止まらない。

 その全てが殺傷を目的とした物だと悟ると、妹紅は咄嗟に射線上へ体を滑り込ませた。

 躊躇している暇は無かった。

 両手を広げ、自らが盾となって先代とチルノを庇う。

 やはり前に出ていて正解だった、と場違いな安堵を感じる。

 同時に不安と後悔も感じていた。

 二人を守ることに対するものではない。その結果、自分が攻撃を受け、おそらく死んでしまうだろうことに対してだった。

 

 ――私が『死んだ後』で、こいつらはどんな眼で私を見るんだろう?

 

 それだけが唯一気に掛かった。

 刹那の葛藤を解消するように、飛来した弾丸が妹紅の体に着弾した。

 妹紅は頭部と共に意識を吹き飛ばされ、そして死んだ。

 

「あ……」

 

 先代が眼を見開き、チルノの口から意味の無い言葉が洩れる。

 実体を持たない光の弾丸は、貫通力こそ無かったものの、着弾と同時に炸裂することで殺傷力を高めるタイプだった。

 妹紅の肉体の各所が弾け飛び、血と肉片が宙に散らばる。

 誰が見ても確実に絶命する瞬間だった。

 力なく倒れ込む妹紅の体を、先代が咄嗟に受け止めていた。

 チルノは一連の出来事を眼で追い、そして遅れてやって来た現実感に歯を食い縛った。

 

「も……こうっ!」

 

 呻くように名前を呼ぶ。

 それが意味の無い行為だと痛いほど分かっている。

 チルノは知っているのだ。

 人が死ぬということの意味を。

 

「鈴仙、警告も無しってのはちょっと酷いんじゃない?」

「酷くないわ、むしろ失敗よ。あっちに当たっても意味ないじゃない」

 

 襲撃者である鈴仙は、てゐと言葉を交わしながら地面に降り立った。

 それを見るチルノには、はっきり言って事情や状況などまるで分からない。

 あのてゐという兎も敵なのか?

 あの鈴仙という奴は本当は妹紅ではなく自分達を狙っていたのか?

 分からない、が。次に起こす行動は決定していた。

 あいつは、妹紅を殺したのだ。

 

「お前……!」

 

 妖精らしからぬ激情がチルノの口から溢れ出していた。

 

「妹紅を、殺したなぁっ!!」

 

 瞬時に氷塊を生み出し、鈴仙に向けて発射する。

 弾幕ごっこのそれではなく、明らかな敵意と殺意を形にした攻撃だった。

 先端が鋭利に尖ったミサイルのような氷塊が、高速で鈴仙とてゐ目掛けて襲い掛かる。

 

「ちょぉっと!? あたしゃ無関係だってば!」  

「あんた、裏切る気!? っていうか、何よこいつ! 本当に妖精なの!?」

 

 てゐは素早く攻撃を回避し、鈴仙は動揺しながらも回避と迎撃を同時に行っていた。

 銃の形を模して突き出した指先から、先程の光の弾丸を連続で放ち、飛来する氷のミサイルを撃ち落としながら、同時にチルノ自身も狙い撃つ。

 チルノは氷の盾を生み出すことでそれらを防御した。

 盾に当たった瞬間、爆発するはずの弾丸は一瞬で凍りつき、全ての運動を停止する。

 

「嘘!?」

「殺すなよ……! 人を、殺すなよ!」

 

 激しい敵意を漲らせながら、同時にチルノは何かの痛みを堪えるように眼に涙を溜めていた。

 食い縛った歯から、搾り出すように言葉が洩れる。

 

「人間はなぁ、死んじゃうんだ! 死ぬっていうのは、とっても辛くて、苦しくて……我慢出来ないことなんだよ! バカァ!!」

 

 自分の今の感情を表現することが、チルノには上手く出来なかった。

 言葉を知らない頭の悪さが心底嫌になった。

 ただ、一度経験したことのある最悪の気分を、今再び味わっていることだけは分かった。

 

「元はと言えば、お前らがここまで侵入してくるから……!」

「あ、鈴仙。アレやばいかも」

 

 てゐが指差す先は、チルノではなく傍らの先代の方だった。

 妹紅を抱えたまま一歩も動いていない。

 杖を手放していた。これでは動けないのも当然だ。

 しかし、代わりに空いた手の中には別の物が握られていた。

 

「……チルノの言うとおりだな」

 

 白と黒が交わった球体。

 手のひらで覆えるほどの小型の『陰陽玉』だった。

 それが僅かな霊力を纏って高速で回転している。

 今はただそれだけだったが、鈴仙の瞳には全く違う光景が映っていた。

 

「なに、あれ……波長が滅茶苦茶に……!」

 

 回転の速度が上がると同時に、纏っていた霊力が爆発的に膨れ上がった。

 

「私も、我慢出来そうにないっ」

 

 普段の先代を知る者ならば意外に感じるほどの、激情を押し殺した声だった。

 先代は明確に狙いを定めて、鈴仙を攻撃した。

 回転する陰陽玉を投げつける。

 人の手で投げられた物とは思えないほどの速度と力を伴って、弾丸と化した陰陽玉が飛来した。

 チルノの時と同様、鈴仙は咄嗟に銃撃で撃ち落とそうとする。

 しかし、放たれた光弾は陰陽玉に接触した瞬間、その螺旋状の回転に巻き込まれるようにして掻き消えてしまった。

 

「な……っ!」

 

 僅かさえ勢いは衰えず、陰陽玉が鈴仙の肩に直撃する。

 凄まじい衝撃が当たった一点から全身に伝播し、体がきりもみしながら宙を舞った。

 並び立つ竹にぶつかり、跳ね返されて地面に落下する。

 鈴仙は立ち上がれなかった。

 激突のダメージではない。最初に陰陽玉に当たった時受けた衝撃が、指先に至るまで身体機能を麻痺させていた。

 こんなことが在り得るのか?

 衝撃を受けた一点が損傷するのではなく、威力が異常なまでに分散して体中に行き渡っている。

 結果、傷を負うことはなかったが、完全に体の自由を奪われてしまった。

 必死の思いで顔を上げれば、まるでそれ自体が意思を持つかのように、先代の掲げた手の中へ舞い戻る陰陽玉が見えた。

 これで再攻撃が可能になった。

 チルノの戦意も消えていない。

 

「クソ……ッ、ここから先は、絶対に……!」

「あんたら、ちょっと待ってくんない? おかげで話し合いの猶予は出来たみたいだからさ」

 

 緊迫する状況の中へ、場違いなほど軽い調子でてゐが割って入っていた。

 

「お前、何言ってんだ!?」

「怒んなよ、妖精。そっちの人間さんの冷静さを見習いなって」

「……チルノ」

「駄目だ! あたいは絶対許せない……っ!」

 

 完全に頭に血が昇っているチルノには、既に周りの状況が眼に入っていなかった。

 自分の背後で起こっている現象さえ。

 

「――妹紅」

 

 てゐは諦めたように頭を掻いた。

 

「あんたからも何か言ってやってくんない?」

「…………え?」

 

 てゐの言葉の意味が分からず、チルノは思わず呆けてしまった。

 無言でてゐが後ろを見るように促す。

 チルノは後ろを振り返った。

 

「……怒ってくれてありがとうよ、チルノ」

 

 そう言って、妹紅が苦笑していた。

 チルノは何度も瞬きして、それが夢や幻ではないことを確かめた。

 

「妹紅……?」

「うん、そうだよ。私だ」

 

 妹紅は少し恥ずかしそうに頷いた。

 信じられないことに、彼女は生き返ったのだ。

 鈴仙の銃撃を受けて吹き飛んだ箇所は現在進行形で再生している。

 その再生は奇妙なものだった。

 無くなった肉片の代わりに傷口から炎が燃え上がり、それが少しずつ形を整えながら実体化することで新しい肉体となっているのだ。

 やがて全ての炎が消えた時、そこには傷一つ無い妹紅の姿があった。

 

「私はさ、死なないんだ」

 

 支えられていた先代の腕から離れ、立ち上がる。

 妹紅は服の埃を払う仕草をしながら、実のところただ単に先代とチルノから必死に目を逸らそうとしていた。

 

「蓬莱の薬っていう物を飲んで、不老不死になったのよ」

 

 心の準備をするように深呼吸を一つ挟み、意を決して二人に顔を向ける。

 意識が途切れたのは数瞬だ。死から蘇り始めた時、先代とチルノが自分の為に怒るのが見えた。

 それが本当に嬉しかった。

 それで十分だと思った。

 だから、蘇った自分を見た二人がどんな反応をしようが構わないと、潔く諦めがついた。

 

「ごめんね。私は、まともな人間じゃないんだ」

 

 妹紅は困ったように笑い、後はただ静かに二人の言葉を待った。

 しばらくの間、沈黙が続く。

 

「……よかった」

 

 チルノの呟きがあまりにも弱々しく、小さなものだったので、妹紅は一瞬幻聴かと本気で思った。

 

「よかったぁ……。妹紅、生き返ったのかぁ」

「……え?」

「よかったぁ……っ!」

 

 チルノは全身から力が抜け落ちるように、その場にへたり込んでしまった。

 眼からは涙が溢れている。ただ、それは心の底からの安堵によるものだった。

 チルノは泣きながら笑っていた。

 

「ああ……よかった」

 

 そして、先代は噛み締めるように呟いていた。

 こちらも隠し切れない安堵が僅かに表情に出ている。

 

「あの……その……えぇ?」

 

 ある意味最も想定してなかった事態に、妹紅はただひたすら混乱していた。

 悪いことではない。

 自分にとって、決して悪いことではないが――どうすればいいのか、全く分からなかった。

 

「よかった……妹紅、生きててよかった!」

「あ、うん。よかった……かな?」

「よかったに決まってるよ、バカ!」

「……あんた、バカって言いすぎ」

「バカしか言えないわよ、バカァ!」

 

 とりあえず、泣いているチルノの傍に慌てて歩み寄れば、そのまま抱きつかれた。

 何が何だか分からないまま、こうしてもう一度変わらない会話を交わせることが酷く嬉しく思える。

 視界の片隅に映る、見守るような先代の瞳がむず痒かった。

 そんな三者三様を楽しむように眺め、ニヤニヤと笑いながらてゐが歩み寄ってくる。

 鈴仙は未だに動けなかった。

 

「とりあえずさぁ、お話し合いしましょ?」

 

 てゐは自分の背後を指差しながら提案した。

 その方向は、永遠亭があると思われる方向だった。

 

 

 

 

 少し真面目な話をしよう。

 私は目の前で人が死ぬのを見たことがあるし、知り合いが死ぬという経験もしたことがある。

 でも、私の目の前で死ぬのは妖怪退治をしていた時に出会った被害者ばかりだったし、親しい人間は皆寿命や病気で亡くなっていた。

 

 ――つい先程まで会話し、笑い合っていた仲間が目の前で殺される瞬間に立ち会った経験はただの一度も無い。

 

 妹紅が目の前で頭を砕かれて死んだ時、正直胸が冷えた。

 状況が不意打ちだったこともあるが、その瞬間私の脳裏からは『妹紅が蓬莱人である』という知識は消え失せていた。

 腕の中に倒れ込んでくる妹紅の死体の重みが、支えきれないほど圧し掛かっていた。

 五十年以上生き、生死の掛かった戦いを何度も越えて、人並み以上に経験を積んでいると自負していたが、それでも心が対処しきれない事態というのはあるものだ。

 知識にあるとおり、妹紅が復活した瞬間に感じた深い安堵を思い出し、私はしみじみと実感していた。

 とりあえず、永遠亭の近くで起こった一連の出来事に関する一番の感想はこうだ。

 

 ――よかったぁぁ~! 妹紅が蓬莱人で、本っ当によかったぁ……っ!!

 

 くっそ……安心しすぎて涙が出そうだよ。

 妹紅が殺された時には、本当に一瞬我を失いそうになった。

 必ず復活すると事前に知っていなければ、私もチルノのように鈴仙を全力で攻撃していたかもしれない。

 それくらいショックな光景だったのだ。

 実際、理屈だけでは激情を抑えられず、陰陽玉で攻撃までしてしまった。

 本来は護身用に用意してた物だったんだが――。

 ちなみにこの小型陰陽玉は霖之助が作ってくれたレプリカである。

 足が動かなくなって機動力の無くなった私の為に、遠距離攻撃用の武器としてプレゼントしてもらったものだ。

 袖に隠せるほど小さいのに、本家の陰陽玉と同様、博麗の力を増幅する機能を持ち、私の意思一つで自在に動かせる。

 ……が、しかし。

 もちろん、なんちゃって博麗な私に使いこなせる代物ではない。

 単純に霊力を込めて、それを『黄金の回転』によって増幅させてぶつけるくらいの方法でしか活用出来ないのだ。

 つまり『回してぶん投げる』というワンパターンの使い道しかない。

 物を投げる――なんという原始的な攻撃手段。

 私、文明人から退化してね? いやいや、回転は『技術』だッ!

 しかし、なかなか効果的ではある。鈴仙相手に実践してみせたとおりだ。

 回転といっても、元ネタであるジャイロのように様々な効果を発揮出来るわけではなく、私では増幅した力を集中して打ち込むか、分散させて放つかの二通りしか出来ない。

 鈴仙にぶつけたのは分散タイプ。怪我をさせずに無力化してみせた。

 衝撃が広がるので、一瞬なら弾幕も広範囲でかき消せるのだ。

 とはいえ、この回転は不完全らしく、冥界で霊夢を見ながら回した時のような凄まじい力は今のところ発揮出来ていない。

 この技術に関しては、まだまだ要修行といったところか。精進、精進。

 

 ――さて、そんな騒動を経て、現在私達は念願の永遠亭に辿り着いていた。

 ここまでの道中で、説明を求めるてゐと鈴仙に事情はある程度話してある。

 妹紅相手にも話した内容なので、詳細は省略っと。

 鈴仙は終始警戒を解かなかったが、てゐの方が意外にも永琳との対面を取り持ってくれたのだった。

 

『いくらなんでも、最初から殺す気で仕掛けるなんてこっちの対応ミスだもんねぇ。

 ま、これで鈴仙のことは勘弁してやってちょーだいよ。妹紅以外の奴が永遠亭を訪れるなんて、正直不穏な可能性以外考えられなかったからさ』

 

 飄々とした態度で、てゐは私達にそう伝えた。

 まあ、確かに本来なら在り得ない来訪なわけだが……それでもそこまで警戒することかね?

 妖怪の山とは違って、排他的なイメージは無いのだが。

 原作の異変では、永遠亭のことが知られた後で結構友好的に人里などとも交流し始めていたはずなのだ。

 ……私が何か見落としているのかしら?

 鈴仙との間には不穏が残ってしまったが、兎にも角にも本来の目的である永琳との対面は無事完遂したのだった。

 そして、今。

 私の目の前には八意永琳がいる。

 

「初めまして。私が八意永琳です」

 

 丁寧な自己紹介の挨拶だった。

 しかし、必要以上に深く頭は下げない。

 私にはそれがこちらを警戒しているからだと分かった。

 

「貴女が先代の博麗の巫女ですね。武勇は常々伺っております」

「竹林の外の出来事を知っているのか?」

「ええ、常に探っておりました」

 

 妹紅とは違う。外部情報を収集して、明らかに『外から入り込むモノに備えているぞ』という警告染みた意図を感じる。

 うーん、壁を感じるなぁ。

 永琳の待つ部屋へ通されたのは、私一人だけだった。

 妹紅は永遠亭に入らず、チルノはてゐが細かい事情を聞くという名目で別の場所へ連れ出している。

 上手い具合に互いの位置を分散させられてしまった形だ。

 多分、姿の見えない鈴仙は、本当に不可視状態になって私達を見張っているのだろう。

 ここに来た目的は全部話したはずなのだが――。

 

「あまり、畏まらないでくれないか」

 

 とりあえず、永琳に敬語をやめてもらう。

 年長者という意味では、私よりも遥か格上の存在なのだ。

 敬語とか、こっちの方が恐れ多いっつーの。

 

「私はただ、治療を受けたいからここへ来たんだ。私の方がお願いをする立場だ」

「……そう、分かったわ」

 

 永琳は納得したように頷いてくれた。

 もちろん、形だけ。

 表情には全く出ていないが、なんか更に警戒する気配が強まったように思える。

 な、何故だ……状況が悪化しているような気がしてならない。

 私の言動で、何かおかしな部分あったか?

 

「障害を負ってしまった足を診察し、可能ならば治療して欲しいとの話だったわね?」

「そうだ」

「治せる保証は無いわよ」

「ああ、分かっている」

「そう――では、まず診察から入りましょう」

 

 話自体はなんとかスムーズに進んでくれた。ありがたい。

 けど、まあ予想はしてたけど、永琳相手だと妹紅みたいに簡単には友好状態になれないみたいね。

 恋愛ゲームだったら攻略難易度高そう。

 それにしても、診察を始めるというが……本当にここでやるの?

 なんかどう見ても私室って感じで、診察する為の設備が全然無い。

 私も診療所なんて経営しているから、畑違いとはいえ、ある程度の内装は分かっているつもりだ。

 机の上に何かのメモが散らばっているし、部屋には私物と思われる本棚まである。

 私が座る椅子なんか、別の場所からわざわざ持って来た物だ。

 本当にここ、患者を招く為の部屋なのか?

 

「診察に入る前に、幾つか質問させてもらうわね」

 

 内心疑問だらけな私を尻目に、永琳は静かに言った。

 

「――どうして私が医者だなんて思ったの?」

 

 それは、全く予想していない問い掛けだった。

 

「私は医者ではないわ」

「……だが、薬を」

「確かに、個人的に薬物の調合や研究を行ってはいる。

 だけど、それを商売にしたことはない。薬師をしていると周囲に宣伝した覚えはないし、実際に誰かを治療したことなんて一度もないわ」

「……」

「『永遠亭に来れば治療を受けられる』――そもそも、その発想は何処から来たの?」

 

 内心、絶句である。

 表面上はポーカーフェイスを装いながら、内側では物凄い勢いで冷や汗が流れ始めていた。いや、本当にこっちの動揺は見抜かれていないのか?

 私はようやく自分の大失敗を悟ったのだった。

 そもそも前提からして間違っていたのだ。

 永遠亭が医療に関係する場所なのだと、無意識に思い込んでいた。

 

 ――永遠亭の存在が知られたのは異変の後。そして、人里で薬売りを始めたのも、異変の後からだ!

 

 つまり、異変より前の永遠亭が何を営んでいたのか何も確定していない。

 いや、そもそも永遠亭は商売なんてしていないっ。

 や、やばい……これじゃあ『患者として来た』とか言ってた私なんて、永琳から見れば不審者そのものじゃないか!

 

「……貴女が薬に関わっているという情報を」

「そこで、何故これまで治せなかった足の治療がここでは可能なのだと思えるのか、根拠が分からないわね。

 仮に貴女がそう思えるだけの、私が持つ技術の情報を得ていたとしましょう。そこまでの情報が一体何処から伝わったのか? これも疑問ね」

「博麗の巫女だった私には特別な伝手が――」

「八雲紫のことね。幻想郷の管理者である妖怪のことは、十分に下調べしているわ。

 彼女の実力を踏まえた上で、私は自身が完璧だと思える隠蔽をこの永遠亭全体に施していた。

 八雲紫は、この永遠亭の存在すら知らないはず。……そう、『はず』ね。私の能力と想定を遥かに上回るほど、八雲紫という妖怪が強力だったということかしら?」

 

 …………う、うぇへへ。あのぉ、永琳さん。どうやったら許してもらえるんでしょうか?

 逃げ道など無い、理路整然とした質問と解答の流れに、私は既に心が折れてしまっていた。

 完全に詰みの段階。これがチェスや将棋だったら、放心状態で失禁するしかないレベルである。

 最後の疑問符も完全に言葉だけで、自分の力を上回る者などいるはずがないという自負が込められている。

 実際に、東方でも最強キャラの一角である永琳を紫と比較して、そこまで実力差など無いのだと私自身が認めてしまっているのだ。

 ここで『は? 紫の方が絶対つええしwwwソースは私』なんて言えるほど、思い込むことは出来なかった。

 月の頭脳を騙しきるなんて、土台無理な話だったんだよっ!

 

「これは私の推察だけど、貴女が治療目的で来たという点は本当だと思うわ」

 

 動揺一つ見せない鉄壁の態度――と、見せかけて内部は崩壊しかかっている私に対して、永琳は射抜くようだった視線を外して少し力を抜いた。

 

「でも、この永遠亭にはやんごとなき御方が隠れ住んでおられる。

 貴女だったら、これも知っているかもしれないわね? 私はその御方の従者であり、守る為に常々気を掛けていた」

 

 再び、永琳が私を見つめた。

 その瞳には、今度は明確な敵意が含まれていた。

 

「そうして守り通していたはずの情報を、貴女が何故か持っている――貴女自身の事情は関係なく、ただその事実だけが私の一番の気がかりなのよ。

 ――さあ、正直に話して頂戴。貴女は、この永遠亭のことを、誰から知ったの?」

 

 それはおそらく、永琳の最後の問い掛けだった。

 ここで嘘を吐けば、あるいはそれが嘘だと見抜かれれば、最悪この場で戦闘になるだろう。

 そんな確信が私にはあった。

 もう駆け引きは終わりだ。永琳に嘘や誤魔化しは通じないのだと痛感した。

 あとは、ただ白状するしか道はない。

 ……というか、もう私の精神的ダメージは限界なので、洗いざらいゲロしてしまいたい気分である。

 頭のいい永琳なら、私の話す内容も自分なりに解釈して受け入れてくれるんじゃないかな、とも思う。

 

 ――しかし、私にはもう一つの確信もあった。

 永琳はさとりとは違う。真摯に全てを打ち明ければ、警戒を解いてくれるなんて甘さが、きっと彼女には無い。

 

 永琳自身の言うとおり、ここまで警戒するのは己の姫――蓬莱山輝夜――を守る為なのだ。

 原作では、輝夜の為に同郷である月からの使者を皆殺しにしたほどの人物である。

 最悪の場合、不穏分子として私を始末する理由の決定打になってしまう可能性があった。

 バカ正直に真実は話せない。

 しかし、嘘も吐けない。

 この追い詰められた状況で、私が出せる切り札は――たった一枚だけある。

 

「……この幻想郷には、地上の他に地底世界がある。知っているか?」

 

 最後の手段。奥の手だ。

 嘘は吐かない。

 全て話そう――。

 

「……ええ。詳細までは掴めなかったけれど、地上を追われた妖怪が棲むらしいわね」

「八雲紫の管理下には無い場所。そこを支配する地霊殿の主……彼女は永遠亭を知っている」

 

 本来なら知られるはずのない永遠亭の情報が私に知られている。

 この怪現象は、古明地さとりの仕業に間違いないっ!

 おのれ、さとりん! ゆ゛る゛さ゛ん゛っっ!!

 

「なんですって?」

「古明地さとりという覚妖怪だ。彼女は、心を読む能力を持っている」

 

 嘘は言っていない。

 さとりは地底世界の偉い妖怪で、心を読む程度の能力を持っているのだ。

 

「まさか、その能力によって、私にも気付かれず永遠亭の情報を?」

「分からない。しかし、彼女がこの場所だけじゃない、八意永琳や蓬莱山輝夜の情報まで事細かに掴んでいるのは事実だ」

 

 嘘は言っていない。

 さとりには、私が原作ゲームの内容を話したから、登場キャラについても把握しているのだ。

 

「そう、やはり輝夜のことまで……」

「私は以前、地霊殿を訪れたことがある。そこで、さとりと個人的な交友を持ったんだ」

 

 嘘は言っていない。

 そう、私はひとっつも嘘なんて言っていないのだ!

 ――だって、聞かれなかったからね。

 なんか自分で自分を殴りたい気分になった……醜い、醜いよ私!

 

「……その話を実証するものは何もない。貴女の証言だけだわ」

「そうだな」

「しかし、嘘を吐いているようには思えない。

 古明地さとり、ね。……いいわ、覚えておきましょう」

 

 永琳が思案に沈んでいた時間は、ほんの僅かなものだった。

 それでも、その頭脳は物凄い速さで情報を分析し、様々な結論を導き出したのだろう。

 結果、さとりんは永琳の中で警戒すべき相手となってしまったようだ。

 しかし、これでなんとか穏便に話を纏めることが出来た。

 ふぅ……助かったぜ、さとり。さすがは心の友よ!

 …………さとりに会いたい。会って、死ぬほど謝りたい。その後で、なんとか口裏合わせてもらいたい。

 

「とりあえず、話はここまでにしましょう」

 

 もう私死ねばいいんじゃないかな? と、やらかしちまった感に苛まれていると、一変して穏やかな雰囲気になった永琳が微笑んだ。

 何処まで本心か分からないけれど、その美しい笑顔に癒されます。

 

「では、改めて診察を始めるわ」

「……いいのか?」

「貴女が治療を受ける為に来たのは信じる、と言ったでしょう。

 随分昔だけど、人を診た経験はあるわ。もう医者ではないけれど、ここまでやって来た患者を無碍には出来ないわね」

「ありがとう」

「まだ何も期待しないでね。貴女の足を治せるかは、診てみないと分からないわ」

 

 そう言いながらも、診察に取り掛かる永琳の顔付きは、とても真摯なものだった。

 

 

 

 

 ――先代巫女との門答から数刻。

 奇妙な訪問者達が永遠亭を去った後、永琳は自らの私室で一人考えに耽っていた。

 鈴仙達にはしばらく部屋へ近づかないように言ってある。

 先代巫女から得られた情報は、不用意に伝えるべきではない。無用な警戒を招く。

 しかし、そんな永琳の部屋へ無断で入ってくる者がいた。

 

「なかなか面白そうな話が転がり込んできたわね?」

「……姫」

 

 永琳の悩みの中心である輝夜だった。

 

「二人だけよ。気安く話しましょう?」

「……輝夜。これは危惧すべき事態よ」

「そうね。この家に客人が来るなんて、わくわくするわ」

「てゐの時とは状況が違うわよ」

「うん。だから、わくわく」

 

 子供のようにあどけない顔で笑う輝夜を眺め、永琳はため息を吐いた。

 こちらの話をまともに取り合っていない。

 訪問者達への興味の方が勝ってしまっている。

 それは、かつてこの竹林に棲む因幡てゐが、月の追っ手から逃れる為に隠遁していた自分達の下へ現れた時と似ていた。

 

「あの氷の妖精の方はまだいい。だけど、博麗の先代巫女――彼女に関しては楽観視出来ないわ」

「結局、足は治らないって伝えたのよね?」

「立場から見ても、幻想郷の有力者との繋がりが多すぎる。

 彼女に知られている内容は、最悪その繋がりがある妖怪全てに知られていると考えるべきね」

「本当に治らないのかしら? 足を丸ごと失くした患者を再生させたこともあったじゃない」

「……情報漏洩の原因が不明瞭すぎる。私達の情報が、何処まで隠し通せているのか分からなくなったわ。

 この秘境に、月からの監視が届いている可能性も否定しきれない。そもそも、情報源となった古明地さとりという妖怪も――」

「ねぇ、なんで嘘を伝えたの?」

 

 あくまでマイペースに話を続ける輝夜に対して、永琳は諦めたように肩を落とした。

 

「……治療が不可能なのは事実よ。ここは月とは違う」

「永琳でもどうにもならないの?」

「私が何故、薬物に絞った研究を続けているのか――それは幻想郷で行える医学の限界だからよ。

 医療関係の技術や設備も含めて、文明レベルが低すぎるわ。ここにはレントゲンさえ無い。彼女の足は、刃物一本ではとても手がつけられない複雑な状態なのよ」

「そう……残念ね」

 

 輝夜は偽り無く、そう思った。

 

「彼女が五体満足なら、きっと面白いことを起こしてくれそうなのに」

「危険な相手よ」

「やっぱり、永琳も『強い』と思ったのね」

「予想される身体能力が馬鹿げてるわ。先走った鈴仙の件が、穏便に済んだのは僥倖ね。

 戦闘記録を聞く限り、色々と力も隠し持っていそうだわ。話し合いで終わらなければ、最終的にどうなっていたか……」

「わぉ、永琳にしては意外なほど高評価ね」

「敵として考えるならば、ね。危惧する理由の一つよ」

「そう? でも――」

 

 今回の出来事を切欠に、永琳と輝夜は各々これから先のことを考えていた。

 しかし、それぞれが焦点としている部分は全く違う。

 永琳は、永遠亭に降りかかる今後の危険性を憂い、密かに対策を練っている。

 

「そんな人間が、あの妹紅の傍にいるなんて。やっぱり、とってもわくわくするわ」

 

 そして輝夜は、長く停滞していた周囲の世界が動き始めることを期待した。

 

 

 

 

「ちなみに永琳から見て、あの先代巫女ってどんな印象だった?」

「一個人としてなら、非常に魅力的よ。肉体的な意味で」

「……それって、性的な意味で?」

「いいえ。肉体的な意味で」

「……」

「一度、本格的に身体を調べさせてもらえないかしらねぇ」

 

 

 

 

「『黄金長方形の軌跡』で回転させる。そこに『無限に続く力』が生まれる。これが『黄金の回転』だ」

「……それ、誰から教わったの?」

 

 ツェペリ一族です。

 完全に受け売りである私の説明に対して、てゐは畏怖するような表情を浮かべていた。

 

「どういう発想すれば、そんな理論が思いつくんだか……しかも、なんかスゴイ説得力を感じるし」

「本当に、何者なのよあんたは……」

 

 てゐだけではなく、聞き耳を立てていたらしい妹紅まで冷や汗を流していた。

 安心してくれ、正直私もこの理論を見た時は衝撃的だった。

 やはり先人達は偉大である。

 彼らの残した理論や思想、それらを表す名言は、常に私の心に刻まれているのだ。

 だから、いつでも私は自分自身に言い聞かせている――『敬意を払えッ!』と。

 

「しかし、勿体無いねぇ。話を聞く限り、相当高名な武人だってのに、もうその実力を発揮出来ないってんだから」

 

 てゐの何気ない呟きに、妹紅は表情を曇らせ、伺うように自分の傍らへ視線を向けた。

 そこには、永遠亭を出て以来ずっと暗い表情のチルノがいる。

 正確には、私が永琳の診察を終えて、その結果を聞いた時からだった。

 

 ――私の足は、永琳では治すことが出来ない。

 

 それは、少なくとも私にとって、もう絶対治らないと告げられたのと同じだった。

 正直、前世の知識を総動員しても、永琳以上の医者は思い浮かばない。

 永琳に出来ないというのなら、多分もう誰にも治せないのだろう。

 それを聞いた時、気落ちしなかったといえば嘘になるが、事前にある程度覚悟していた内容ではあった。

 

「失うことから始まるものもある」

「ほぉ~、大した心構えだねぇ」

 

 だからこそ、この台詞は強がりでもなんでもなく、私の本心である。

 正気にては大業ならず。修行道はシグルイなり――ってね。

 まあ、実際思い返せば狂った修行ばっかりやってたけど。

 当時は死ぬことさえ覚悟してやっていたのだ。今更足が一生動かないと決まったくらいで騒いではいられない。

 永遠亭へは可能性を求めて来たのだ。

 無理ならスッパリ諦め、意識を切り替える。

 そう覚悟してきた。

 ――ただ、誤算があるとするなら、私以上にチルノが治ることを期待していたという点か。

 

「チルノも、当人を置いていつまでも落ち込んでるんじゃないよ」

「……だって」

 

 妹紅の呼びかけにも反応が鈍い。

 うぅむ、下手に『足を治しにきた』とか説明しない方がよかったかなぁ。

 私の足のことを、チルノは随分と気にしていたみたいだし、治療の可能性があることを知った時の喜びようは半端なかった。

 さて、何と言って励ましたものかと悩んでいると、妹紅がため息を一つ吐いて、おもむろにチルノを抱え上げた。

 

「うわっ!? な……なにさ、妹紅!」

 

 驚くチルノを軽々と肩車してみせる。

 

「人間なぁ、歳を食えば足腰立たなくなるもんなの。生きる者の、自然の流れなのよ」

「それは……分かってるけど」

「本当に? 妖精だから実感ないんじゃないの?」

「違う! あたいは、ちゃんと分かってるんだ! ちゃんと教えてもらったんだからっ!」

「ははっ、そうか。チルノは賢いな。じゃあ、私が改めて言う必要もないよね」

「……うん。分かってる」

「お前は優しい子だよ。元気出せ。その方が、きっと先代も嬉しい」

「……分かった。頑張って、元気出す」

「おう、笑え笑え」

 

 そして、お互いに意味もなく笑い声を上げ始めた二人を、私とてゐは見つめていた。

 ふっ、青臭い光景だぜ。

 だ が そ れ が い い !

 内心、ほっこりな私である。

 

「いやぁ、本当面白いわ。あの妹紅がねぇ」

 

 傍らのてゐも悪戯っぽく笑いながら、二人のやりとりを見て楽しんでいる様子だった。

 

「ところで、てゐ。なんであんたが二人の帰りの案内なんて買って出たのよ?」

 

 先頭を歩く妹紅が、振り返って尋ねた。

 永遠亭から出た私達が向かっているのは、迷いの竹林の出口ではなく、妹紅の住処である。

 そこで妹紅と別れた後、てゐが出口まで案内してくれることになっていた。

 

「丁度あんたの家に用事があったし、妹紅も二人を届けてから家に帰る手間が省けるでしょ?」

「あんたのその親切心が謎だって言ってるんだけど」

「あらやだ、善良な兎ちゃんに向かって酷い言い草。あたしゃ幸運の素兎だよ? 人間大好き!」

「先代、帰り道気をつけてね」

「ひどっ!?」

 

 悪友のような関係の妹紅とてゐだった。

 てゐも妹紅に用事があるって言ってたし、二人が仲良いなんて本当に意外だなぁ。

 こうして本来なら知り得ない関係を知れたことも含めて、永遠亭を訪れてよかったと思える。

 足は治らなかったが、収穫は十分すぎるほどあったな。

 

「ああ、ここよ。私の家」

 

 奇妙な満足感を抱きながら歩いていくと、やがて妹紅の住処へと辿り着いた。

 竹林が途切れ、不自然に開けた空間に出る。

 その範囲だけ竹が生えないように、地面が掘り返されて土がむき出しになっていた。

 そして、その中心に建つ一軒家。

 ……いや、一軒……『家』?

 

「うわっ、ボロっちい」

 

 チルノが遠慮無しに一言で表現してしまった。

 本当にお粗末なボロ屋である。

 内装がどうなっているのか、見たいような見たくないような、不安を煽る姿だった。

 

「いいのよ、雨露が凌げれば」

 

 しかし、家主の妹紅は特に気にした風もなく、チルノを肩から降ろしている。

 強がりでもなんでもなく、本当に無頓着な様子だった。

 

「自分が死なないからって、衛生管理が適当すぎるんだよねーこいつ」

 

 私とチルノに対して、てゐが呆れたように説明してくれた。

 そういえば、妹紅ってば三日くらい何も食べてなかったんだよな。

 衣食住の内、二つが人間の基準レベル満たしてないって、適当にも程があるぞ。

 ……あれ、なんか子供時代の私も似たような生活してね?

 

「食事に関してもさぁ、放っといたら本当に霞で飢えを凌ぎかねないもん」

「だって、この辺に筍くらいしかないから、自給自足なんて無理じゃない」

「だから、あたしが配給してやってんだけどねー。今回の用事もそれ」

 

 そう言って、てゐは背負っていた大きな風呂敷を揺らして見せた。

 何かと思ったら、全部妹紅への食料だったのか。

 

「余計なお世話だけど……まあ、世話は世話だし、ありがたく受けてるわ」

「これだよ。可愛くないよねー」

「妹紅。お昼にも言ったけど、ご飯はちゃんと食べないと駄目なんだぞ!」

「妖精にまで言われてやんの」

「う、うるさいな。……これからは気をつけるわよ」

「おお、すげっ。妹紅に反省させるとは、やるね妖精ちゃん。よかったら、これからもちょくちょく指導してやってよ」

「しどー? それって、あたいがお師匠に色々教えてもらってることでいいの?」

「そうそう、一から人としての生き方を学び直した方がいいってね」

「……そりゃ皮肉か?」

 

 睨みつける妹紅から逃げるように、てゐは笑いながら私の背中へと隠れた。

 二人の小気味よいやりとりを聞きながら、彼女の提案が割と真面目な話なのではないかと考える。

 本当に、見れば見るほど妹紅の生活環境は酷い。

 折角知り合ったのだ。永遠亭の用事が済んだからといって、このまま別れるのは寂しいと思っていた。

 これからも妹紅との交流を続ける為に、これは良い切欠になるのではないだろうか?

 そうと決まれば、私は早速妹紅に話し掛けた。

 

「妹紅さえ良ければ、生活の改善に協力したい」

「えっ……それはつまり、また来るってこと?」

「ああ。迷惑か?」

「いや、そんなことは……ない、け……どっ」

 

 嫌がられてはいない反応だ。

 ただ、躊躇ってもいるらしい。

 押すべきか引くべきか、判断が難しかった。

 

「ここらで、生活に何か変化を加えた方がいいと思うけど?」

 

 その背を押すように、てゐが口を挟む。

 

「今のところ、妹紅の生活目標ってさ、うちの姫様と勝負して勝つことじゃん?

 それをずーっと果たせないまま、毎日の繰り返しでしょ。ここらで、目標達成の為に新しいことを取り入れた方がいいと思うけどね」

 

 てゐの言う『うちの姫様』とは、輝夜のことだろう。

 やっぱり、この二人って原作通りいがみ合う関係なのね。

 

「幸い、あんたの傍には引退した武人様がいる。何か学べる機会かもよ?」

「……口が回るなぁ、お前」

「褒めんなよ、照れるぜ」

「褒めてない。……感謝するけど」

 

 ボソッと呟いた最後の一言だけ私には聞こえなかったが、てゐはニヤニヤと笑っていた。

 咳払い一つして、妹紅が改めて私の顔を見上げる。

 決心は固まったようだ。

 

「あーっと……その、迷惑じゃなかったら、また会いに来てくれない?」

「喜んで」

「あたいも遊びに来る!」

 

 私とチルノの迷いのない返答に、妹紅は照れくさそうに笑った。

 

「ははっ……あ、ありがと。

 てゐの話じゃないけどさ、先代もよかったら私に少し稽古つけてよ。私、よく勝負している奴がいるんだけど、今のところ勝てたためしがなくて」

「分かった。力を貸そう」

「おおっ、つまり妹紅もお師匠の弟子になるのね!? あたい知ってるわ、これであたいは兄弟子になるのよ!」

 

 早くも先輩風を吹かし始めたチルノの様子を微笑ましく感じながら、私はこれからのことを考えていた。

 なかなか楽しみが増えたぞ。

 まあ、弟子というのも大げさだが、チルノとは少し違う、本格的なトレーニングっぽいことも教えよう。

 もちろん、私のやっていた修行の再現なんてことまではしないけどね。

 

「そうか、チルノが兄弟子ねぇ……それじゃあ、私は簡単な『黄金の回転』とかいうのから教えてもらおうかな?」

 

 妹紅はそう言って、気楽そうに笑った。

 

 ――うん? ちょっと待ちたまえ。

 

「妹紅……今、何て言った?」

「へ? いやぁ、だからさっき説明してた『黄金の回転』っていうのから教えてもらおうかなぁって」

 

 落ち着け、私。

 これはちょっとしたすれ違い。認識の違いだ。

 冷静に聞き流せ。

 

「……妹紅、あれは君には少し難しい」

「ええ、そうかな? 物を回転させるだけでしょう。なんか嘘くさい理屈よね、多分本当は先代の能力か何かで……」

 

 

 ――なっ! 何を言うだァーーーッ!! ゆるさんッ!!

 

 

「……妹紅! 『敬意を払えッ!』」

「え!?」

 

 突如叫んだ私の迫力に、その場の全員が呆気に取られていた。

 しかし、私は止まらない。

 止まろうとも思わない。

 私は今、確実に怒っているのだ!

 

「ご、ごめん……何か拙いこと言ったかな? 私……」

「予定変更だ、妹紅。私はお前を徹底的に鍛え直す!」

 

 怯える妹紅に対して、私は有無を言わせず告げた。

 私は今、怒っているが、妹紅を嫌悪しているわけではない。

 ただ、こんな私にも譲れない信念や自論があり、妹紅の言葉はその一線にしっかりと触れてしまったのだ。

 私は、自分がこれまでやってきた修行がとんでもないものだと自覚している。

 理屈の通っていない、精神論さえ超えたアホな発想の修行ばっかりだ。

 それが漫画の修行なのだから当然だ。

 その馬鹿さ加減を自覚した上でやっていたのだから、そんな自分の行為が認められなくても構わない、と。常に覚悟していた。

 私を笑うのは良いのだ。

 

 だが、しかし――この修行自体を、嘲笑ったり、軽く見たりすることは絶対に許早苗!!

 

 偉大なる先人達が編み出し、そして完遂した修行の数々に対して敬意を払わなければならない!

 先程の『黄金の回転』だってそうだ。

 一朝一夕で身に付く技術ではない。ましてや、理論を説明されただけで出来る気になるなんて、心構えがなっちゃいないっ。

 ……よし、分かった。

 妹紅、君にこれらの修行の偉大さを理解してもらうには、やはり実際にやってみるしかないだろう。

 当初の生温いトレーニング計画を変更しよう。 

 考えてみれば『輝夜に勝ちたい』という妹紅の願いは、原作から繋がる重要な事柄だ。

 これもまた、軽く扱うわけにはいかないネ!

 

「安心しろ、妹紅。私の修行をこなせば、お前は必ず宿敵に勝てる!」

「あの……本当に、拙いこと言ったなら取り消すから……」

 

 うん、そうだね! プロテインだね!

 

「早速、明日から修行開始だ。明日の朝、またここへ来るぞ。案内は大丈夫だ、もう妹紅の気配は覚えた。生活環境の改善も任せておけ。同時に行う」

「行うって……いや、あんた足が不自由なの忘れてない!?」

 

 いいから、トレーニングだっ!

 

「何も問題ないな。では、明日また会おう。帰るぞ、チルノ!」

「お、おうっ!」

 

 自分でも驚くくらい多弁に捲くし立てると、困惑する妹紅を置いて、私は踵を返した。

 案内役であるてゐのことも忘れて、燃え上がる決意のまま進んでいく。

 普段なら、状況を省みて落ち着く頃合だが、今回ばかりは私も止まらない。

 

 ――冷静に考えると、妹紅と輝夜の勝負なんて普通は弾幕ごっこでやるものだろう。

 

 でも、そんなの関係ねえ!

 私が教えられることは弾幕戦ではなく肉弾戦だが、それでいいのだ。

 健全な肉体には健全な精神が宿るもの。

 元気があれば……っつーか精神力があれば何でも出来る!

 ソースは私と、あと少年漫画の主人公とかね!

 

 さあっ、明日からハクレイ・ブート・キャンプの始まりだぁ!! 

 

 

 

 

「……私、怒らせるようなこと言っちゃったのかなぁ?」

「いや、あれはテンション上がってるだけでしょ」

 

 妹紅は先代達が歩き去った方向を呆然と眺めていた。

 嵐の後に取り残された気分だった。

 それまでの人物像が崩れ去るような先代の変貌に対して、完全に立ち竦んでしまっている。

 一方で、傍らのてゐは相変わらず楽しげに笑っていた。

 

「多分、あの人間の拘ってる部分に触れちゃったんだよ。ああなると面倒だよー?」

「どうなっちゃうんだろ、私……」

「面白いことになっちゃうんじゃない?

 ま、丁度いいでしょ。これくらい強引な方が、あんた相手ならスムーズに物事が運んで都合がいいってもんよ」

「無責任なこと言うわね」

「でも実際さ、これって良い巡り合わせだと思うのよね」

 

 背負っていた荷物をその場に下ろしながら、てゐは珍しく神妙な表情を浮かべた。

 

「あたしが竹林に罠を仕掛けてるのは知ってるよね?」

「ああ、あの悪戯の。何回か酷い目に遭ったわ」

「まあ、趣味な部分もあるけど、半分以上実益なのよ。

 あたしと永遠亭の間には契約があってさ、向こうの要求が『人間を寄せ付けなくしろ』って内容なの」

「……初耳なんだけど」

「あんたは例外だしねー。

 とにかく、外から迷い込んでくる人間を足止めする為にさ、軽い罠を幾つか仕掛けてるってわけ」

 

 ちなみに、奥に行くほど妖獣用のキツイ奴だから気をつけてねん。と、シャレにならないことを付け加える。

 

「当然、罠は減るから定期的に仕掛け直してる。丁度、今日妹紅達と出会った時にその作業をしてたのよ」

「そりゃ、ご苦労なことで」

「わかんないかな? あの人間と妖精はさ、罠が一番減る時間にタイミング良く竹林に足を踏み入れ、あんたに出会ったってわけ。しかも永遠亭に用事まで携えて」

「……それは」

「偶然かねぇ? だとしたら、面白い話じゃん」

 

 心底愉快そうに笑いながら、荷物を降ろしたてゐは軽やかに駆け出した。

 先に行ってしまった先代達を追う為である。

 

「そんな二人が、永遠亭に近づける例外である妹紅と出会った――っていう巡り合わせ」

 

 話の続きが気になり、思わず呼び止めようとしたところで、てゐが不意に足を止めた。

 振り返ったてゐは、見慣れた悪戯っぽい笑みではなく、柔らかな微笑を携えて言った。

 

「いろいろ悩んで、構えちゃうのも分かるけどさ。

 とりあえず、今はあの二人に付き合ってみなよ。難しいこと考えないでね。

 気楽に構えてなって。あんたは、まだまだあたしよりも年下なんだからさ。人生長いよぉ~?」

「てゐは……私の味方なの?」

「世捨て人気取ってると対人スキル錆びついちゃうよ。人生で巡り会うのは敵と味方だけじゃないっしょ?」

 

 ニシシッといつもの笑顔を見せると、今度こそてゐは走り去っていった。

 残された妹紅は、騒がしい三人が去った先と、足元の荷物を眺め、自宅であるボロ屋を振り返って、最後に空を見上げた。

 あまり意味のない行為だった。

 空は赤くなり始めている。

 一日が終わろうとしていた。

 昨日の夜は、今日がこんなにも騒がしくなるとは全く予想していなかった。

 

「……明日、どうなるんだろ?」

 

 明日、何が起こるのかも全く予想出来ない。

 ただ今日とはまた違う一日が約束されていることは確かだった。




<元ネタ解説>

「おのれ、○○! ゆ゛る゛さ゛ん゛っっ!!」
仮面ライダーブラック、もしくはディケイドのテンプレート。

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