東方先代録   作:パイマン

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永夜抄編その一。


永夜抄編
其の十八「蓬莱人形」


 一目で裕福であることが分かる身なりの男が歩いていた。

 この身分では珍しいことに徒歩である。

 男は人里でも有数の大商店の主だった。里の中とはいえ、専属の車夫を置いて一人で出歩いて良い立場ではない。

 加えて、黒よりも白の割合が多い髪と髭、顔に刻まれた皺を見る限り高齢でもあった。

 しかし、足取りは衰えを感じさせないほどしっかりとしている。

 態度も堂々としたものだった。物盗りなど全く恐れていない。

 男の身なりを見ればどう想像しても高価な物しか連想できない風呂敷包みを片手にぶら下げ、無造作に歩みを進めている。

 やがて、男は目的の場所へと辿り着いた。

 富豪の男がわざわざ徒歩で訪れた場所は、人里の診療所――何もかもがチグハグすぎて、むしろ納得してしまえそうな場所だった。

 普段ならば年寄りや患者で賑わっているはずのそこは、閉ざされた戸に『休業中』の札が掛かっていた。

 男はしばらくその札を見つめ、やがておもむろに引き戸を開けた。

 この診療所は一人の女が経営している。

 従業員も彼女一人だけだ。

 当然、診療所の主人が出掛けて休業しているのならば、今ここに留守番はいない。それでいて、鍵は元々付いていないのだ。

 留守中の立ち入りを禁止する看板なども表には出ていない。

 驚くべきことに『休業中に訪れた患者は主人が戻るまで好きに居座って良い』というのが、この診療所の方針だった。

 男は文字通り勝手知ったる診療所の中へと足を踏み入れた。

 

「誰ぞ、おるか?」

 

 男の目的はこの診療所の主に会うことだった。

 半ば期待せず、中へ声を掛ける。

 

「――おや、これは霧雨の御主人」

 

 意外なことに声が返ってきた。

 しかし、それは女の声ではなく男のものだった。

 

「なんだ、霖之助じゃねえか。珍しいな」

 

 年相応な厳しい口調が、急に気安いものとなった。

 

「それはこちらの台詞ですよ」

 

 男は――大手道具店『霧雨屋』の主人である霧雨は、診療所の一角を憮然として見つめた。

 椅子と机が並べられたそこに腰を下ろし、さも自分の家であるかのようにお茶を飲んでいるのは香霖堂を営む森近霖之助だった。

 お互いに、この診療所の主とは知り合いである。

 しかし、霧雨は立場から、霖之助は出不精な性格から、こうして外で顔を合わせるのは珍しい。

 おまけに出くわす場所がこの診療所であるなど、約三年ぶりのことだった。

 ――逆に言えば、三年ほど前に二人はここで顔を合わせたことがある。

 丁度、この診療所が出来た時――主である先代の博麗の巫女が引退した日のことだった。

 

「暇そうだな、先代はやはり不在か」

「ええ、出掛けています。表の札を見たでしょう?」

「お前も見ただろ。何寛いでるんだ、お茶が飲みたいなら人気のカフェとやらにでも行け」

 

 霧雨の皮肉に、霖之助は軽く肩を竦めるだけで応えた。

 見た目こそ若者と老人だが、二人のやりとりは同年代の気安いそれである。

 霧雨、霖之助、そして先代巫女の三人は、その三年前より更に古くからの付き合いだった。

 半妖である霖之助は、見た目通りの年齢ではないのだ。

 主が不在であることを知りながら、霧雨もまた遠慮なしに隣の椅子へ腰掛けた。

 どっこいしょ、と無意識に声が出て、遅れてそれに気付く。

 思わず視線を動かせば、傍らの霖之助が苦笑していた。

 

「歳は取りたくないな。ここまで歩いてきただけだってのに、妙に疲れやがる」

 

 霧雨はバツの悪そうに言い訳を呟いた。

 

「どうぞ、一息入れてください」

「茶を飲みにきたワケじゃねえ。まったく、ここの主も相変わらずだな。盗人に仕事の後の一休みでもさせるつもりか?」

「本人は盗まれるほど大層な物は無いと言ってますがね」

「ふん、あの先代巫女の家に盗みに入る馬鹿もいるはずねえか……だからって、留守中に来る客まで歓迎すんなってんだ」

「不定期に休みを挟んでしまうことを気にしていましたからね」

「気を遣いすぎだ、あの馬鹿。診療所の経営だけに専念できるほど、あいつの立場は軽くねえくらい誰だって分かってるさ」

 

 二人は、もう一人の旧知の仲間を思い浮かべ、その彼女について語った。

 

「今日は彼女の見舞いですか?」

「ふん、珍しい洋菓子が手に入ったから持ってきただけだ」

 

 霧雨は放るように手荷物を机の上に置いた。

 先代巫女が両足を負傷したのは冬に入る前だ。

 既に季節が一つ過ぎてしまっている。見舞いと言うには遅すぎた。

 

「あいつの足が動かなくなったと知れた時は随分騒がれたもんだが、いい加減周りも落ち着いただろう」

「それで、今更様子を見にきたわけですか」

「お前はどうなんだ?」

「彼女の杖を新調したので持ってきました。使い具合を聞いておきたいので、待ってます」

「大した気の回しようだ」

「霧雨の御主人には負けますよ」

 

 確かに今更の話だった。

 怪我をした当時には見舞いにも来ず、霖之助も博麗神社を訪れた時以外先代に会ってはいない。以前の杖は先代自身が調達しにきたのだ。

 旧知の仲でありながら、他人から見れば薄情とも取れる対応かもしれない。

 しかし、二人は――先代を含めた三人は互いのことを十分に理解していた。

 

「まあ、あいつ相手に周りが幾ら気を揉んだって仕方ねえぜ。あれは強い女だ」

「昔から、そうでしたからね」

「ああ、こっちの気なんて知りもしねえ。

 今だってそうだ。足が不自由だってのに何処へ出かけてやがるんだ? しかも最近外出が増えてるらしいじゃねえか」

「……さて、僕も今日はその辺りを聞いておこうと思ってましたよ」

 

 何だかんだと言いながら、霧雨が先代の行動を詳しく把握していることに内心苦笑する。

 もちろん口には決して出さない。

 出せばややこしくなることを経験で知っているのだ。

 霖之助は若い頃の彼を知っていた。

 捻くれた若者から若さが抜け落ちた今では、偏屈な老人となっている。

 

「里の人間から少し聞いた話では、人里から一人で出ていくのを見たとか」

「なにぃ……? あの馬鹿、自分がどういう状態か分かってんのか。怪我を抜きにしても、もう現役じゃねえんだぞ」

「確かに不自由を抱えて気軽に出歩けるほど安全ではないですが、彼女の場合はまだ力も衰えてませんよ」

「知ってるよ。少し前の新聞を見た。鬼退治だと? 本っ当に、あの向こう見ずの馬鹿が。昔から何も変わっちゃいねえ!」

「こちらが幾ら気を揉んでも仕方ない、でしょう?」

「ああ、そうだ。そうだよ。気にしちゃいねえ、好きにしろってんだ。この歳まであいつに付き合えるか」

 

 霧雨は投げやりに首を振った。

 そのぼやきを涼しげに聞き流す霖之助。

 話題の中心でありながら、この場にはいない先代。

 それは数十年前にもあった、彼らにとって懐かしいやりとりだった。

 

「じゃあ、俺はもう行くぜ。あいつに会ったら、宜しくと伝えておいてくれ」

 

 思い出をタネにまだまだ続けられそうな会話をあっさり切り上げると、霧雨は腰を上げた。

 この辺りの淡白さが、三人を結びつける共通点なのかもしれない。

 しかし、霖之助は彼が人一倍情に厚いことを知っていた。

 

「伝えておきますが……相変わらず彼女は騒動の中心ですから、受身ではいつまで経っても会えませんよ」

「ああ? 俺が何時あいつと会いたいってぇ?」

「さて――」

 

 惚ける霖之助を一睨みすると、鼻を鳴らして背を向ける。

 その背中へ、さも今思い出したかのように一言付け加えた。

 

「そういえば、『魔理沙』は元気そうでしたよ」

 

 霧雨の足が止まる。

 

「……はっ! そりゃあ、一体何処の誰だ?」

 

 霖之助は惚けた表情のまま、肩越しに睨みつける霧雨の視線を受け流した。

 

「『真理沙』っていう名前の娘ならいるがな、あの子は死んだよ。昔な」

 

 それだけ言い切り、霧雨は来た時よりも少々荒い歩調で診療所を出ていった。

 再び一人となった霖之助はため息を吐いた。

 

「親子だなぁ……」

 

 魔法使いになる為に家を出た娘と、それを勘当した父。

 離れ離れになった二人の接点となっている霖之助だけが知っているお互いの言動を顧みて、しみじみと呟いた。

 血は争えぬ。

 親と子はどこまでも似ている。

 まったく、どっちも本当に素直じゃない性格だ。

 血縁を持たない霖之助にとって、二人の関係はなんとも面倒で不思議に映るのだった。

 それは彼の知る、もう一つの親子と比べているせいもあるかもしれなかった。

 

 

 

 

 紅魔館の地下図書館には、実のところ主がいない。

 そこに居ついているパチュリーが使い魔と共に司書の真似事を行っているが、それとて彼女に課せられた業務というわけではなかった。

 パチュリーにとってこの図書館は自身の趣味と実益に応え得る場所であったが、決して望んで得たものではなかったのだ。

 かつて、この紅魔館に囚われていた頃に、適切なものとして配置された駒でしかなかった。

 だから、なのかもしれない。

 

 ――求めよ、さらば与えられん。

 

 この場所を本当に必要とする者の来訪を、特に抵抗することなくパチュリーは受け入れていた。

 

「これと……これっ! よし、今日はこれだけ借りていくぜ。死ぬまでな」

 

 ただ、その来訪者にモラルやマナーの欠落している点が頭痛の種だった。

 

「……魔理沙。私も正式な司書ではないし、そもそもこの図書館の貸し出しシステムだって形式的な真似事のようなものだわ」

 

 異変以来、定期的に訪れるようになった未熟な魔法使いに対して、パチュリーはうんざりしながら言った。

 

「だから強くは言わない。でも、だからこそ強情になる必要も無いでしょう。

 持ち出す本を私に見せて、アナタは貸し出し帳簿に記入するだけでいいのよ? それだけで、その本の貸し出しは正式なものになるわ。さぁ、ペンを取りなさい」

「断る!」

「何でそこまで力強いのよ……」

 

 パチュリーには魔理沙のこだわりが全く理解出来なかった。

 毎度、門番の美鈴に弾幕ごっこを仕掛け、勝てば図書館を訪れては勝手に本を持ち出していく。負けた場合は――勝てるまで繰り返す。

 これがお互いに険悪な、あるいは敵対する関係ならば分かる。

 交渉が成立しないのならば、力による強奪に走るのも当然なのだ。……やられる方は堪ったものではないが。

 しかし、パチュリーは自分が魔理沙とそれなりに良好な関係を築けていると思っていた。

 馴れ合いと呼べるほど親身な間柄ではないが、当然互いに敵意は無く、魔理沙も図書館を訪れた際には必ず魔法使いの先達としてパチュリーから教えを乞う。

 パチュリーもそれを拒むことはなかった。

 魔理沙は学び、パチュリーは教えた。

 互いに明言こそしなかったが、二人は魔法使いとして師弟も同然の関係だった。

 だからこそ、パチュリーは毎回不可解に思うのだ。

 ――何故、わざわざ奪うような形で本を持ち出すのか?

 

「この図書館には、今のアナタの手に負えないレベルの魔道書も多い。

 成長の為に自主性が必要なことは認めるけれど、あまり魔法というものを舐めないでおきなさい」

「おいおい、お前さんはわたしのおふくろか? そこまで世話をしてもらう義理はないぜ」

「私にとって世話という程の内容ではないと言っているのよ。

 持ち出す本を一度私が目を通すだけでいい。私の把握するアナタの実力に見合っているのかどうか判断し、忠告する。その方が効率的でしょう」

「だから、それが『お世話』なんだよ。

 わたしが痛い目見ようが、それは選んだわたしの自業自得だろ? パチュリーには、関係のない話じゃないか」

 

 魔理沙の言い様に、パチュリーはわずかな苛立ちを覚えた。

 

「……その関係のない私に、知識をせびるアナタは一体何なのかしら?」

 

 その苛立ちの理由が、先ほどの言動の何処にあるのかまで考えが至らず、無意識に口を開いていた。

 皮肉混じりの問い掛けに対して、しかし魔理沙は気を悪くした風もなく答える。

 

「身の程知らずな普通の魔法使いさ。嫌なら、別に教えてくれなくったっていいぜ?」

「以前よりも多少知識と力をつけたからって調子に乗っているの?」

「いいや、わたしが今でもお前の足元にだって及ばないのは分かってる」

「だったら――」

「でも、それってお前がわたしに親切にする理由になるか?」

「なんですって?」

「格下が足掻いてるだけなんだから、黙って見下ろしてればいいだろ。助ける利益なんてないはずだ。

 わたしがパチュリーにものを尋ねるのは一番早く答えが得られるからだ。別に拒んでくれたっていい。私はいつだって駄目元で頼んでるんだからな」

 

 魔理沙の釈明を聞き、パチュリーの苛立ちはますます強まっていった。

 

「だったら……これからはアナタを本を狙う盗人として歓迎しましょうか? 手荒くね」

「おっ、いいねぇ。さっそく今から勝負といくか?」

 

 脅すような気迫を滲ませるパチュリーに対して、魔理沙はむしろ嬉々としてスペルカードを取り出した。

 相手の剣呑な空気を物ともしていない。

 敵意は無く、しかし同時に仮にも知己である相手に対して遠慮や躊躇も抱いてはいない様子だった。

 その変わらない態度を見て、パチュリーは沸々と湧き上がっていた激情が急速に萎えていくのを感じた。

 

「…………それを持って、とっとと失せなさい」

 

 椅子から浮かしかけていた腰を脱力するように落とし、投げやりに手を振る。

 

「なんだよ、私は決闘上等だぜ?」

「消えろ。殺すわよ」

 

 殺気を込めて睨みつけると、さすがの魔理沙も肩を竦めて素直に従った。

 自分と相手との実力差を弁えているのだ。

 やはり、自惚れから来る態度ではない。

 だからこそパチュリーには、魔理沙の頑なとも言える考えやこだわりが全く理解出来なかった。

 何故、素直に自分を――。

 

「――魔理沙」

「ん?」

 

 図書館のドアに手を掛けた魔理沙の背中へ、無造作に問い掛ける。

 

「右眼、どうしたの?」

 

 パチュリーは、魔理沙が図書館を訪れてからずっと気になっていたことを尋ねた。

 彼女の右眼は包帯で覆われていた。

 一見すると負傷か病気を患ったように見えるが、パチュリーはその包帯の下から滲み出る瘴気を正確に感じ取っていた。

 魔理沙自身から聞くまでもなく、包帯の下の状態が分かっている。

 ただ、魔理沙自身はここを訪れた時からずっと、右眼に異常など無いかのように振舞っていたし、何一つ語ろうとしなかったのだ。

 自分の右眼が今どんな状態に陥っているのか分からないほど、魔法使いとして無知な彼女ではないはずなのに。

 

「別になんでもないぜ」

 

 素直に答えて欲しい――無意識にそう願っていたパチュリーの内心を嘲笑うかのように、魔理沙は笑顔でそう答えた。

 じゃあな、と気楽な挨拶を残して魔理沙は図書館を出ていった。

 残されたパチュリーは、しばらく閉ざされたドアを見つめていた。

 

「小悪魔、何を笑っているの」

 

 足音と気配を消して背後にまで近づいていた小悪魔の存在を、パチュリーは振り返りもせずに看破した。

 

「あらら、八つ当たりですかぁ?」

「随分楽しんだようね。次に魔理沙が来た時は普通に通しなさい。話の続きは私自身がつけるわ」

 

 パチュリーはいつもの軽口に応じなかった。

 端的に核心だけを突いてくる。

 小悪魔は先ほどまでの二人のやりとりに聞き耳を立て、次に魔理沙が訪れた際には『主の意を汲んだ』と解釈して弾幕ごっこで迎え撃つつもりだったのだ。話を面白くする為だけに。

 それらの思惑全てを見抜き、パチュリーは隙無く釘を刺したのだった。

 

「さすがは恐るべき我が麗しの魔女」

 

 小悪魔は敬服するように深々と頭を下げた。

 しかし、影に隠れたその表情は笑みに歪んでいる。

 

「――しかし、それは余裕の無い恐ろしさです。

 いけませんね、パチュリー様。魔法使いの言動が感情に左右されてはいけません。私のような悪魔を含めて、アナタを呑み込もうとする異界の口は何処にでもあることをお忘れなく」

 

 小悪魔は魔道に関わる者へ常に掛けられる忠告を告げた。

 

「……そうね。ありがとう」

「いえいえ」

 

 彼女の種族を顧みれば意外とも言える優しさを受け、パチュリーは素直に反省と謝罪を口にした。

 しばらくの間、普段とは違う、二人の主従として互いを想い合う沈黙が流れた。

 

「魔理沙のことだけど」

 

 パチュリーが本題を切り出した。

 

「どうやら、私以外の魔法使いに師事し始めたようね」

 

 魔理沙自身からは何も聞き出していないにも関わらず、パチュリーは半ば確信である推測を導き出していた。

 それを聞く小悪魔からも否定の声は出ない。

 

「実力は少なくとも魔理沙さん以上。上限の方は――分かりませんね、最悪パチュリー様と同等かそれ以上かも」

「中級以上の強力な魔道書を所持しているのは確かね。

 魔理沙は少々卑下しているけれど、彼女自身の素質は決して悪くないわ。魔法使いとしての適正はある」

「呪いへの抵抗力もそれなりにあるはずですね。それなのに、あの右眼ですから」

 

 パチュリーも小悪魔も、魔理沙の右眼が何らかの呪いを受けたのだと見抜いていた。

 その症状自体は珍しいものではない。ことに魔法使いという種族に関しては。

 それ自体が力を持つ書物である魔道書とは、その力に比例するだけの危険性も孕んでいる。

 血のインクで書かれた文字や人皮で構成されたページとカバーといった、おぞましい造りの本まであるのだ。

 強力な魔道書ともなれば、普通の人間など読むだけで発狂してしまう。

 パチュリーが、魔理沙の持ち出す本の検閲を勧めたのもその為だった。

 

「魔理沙さんの右眼は、自身の力量に釣り合わない魔道書を無理に読み解いてしまった影響で間違いないでしょう」

「問題なのは、魔理沙の実力を理解しながら、不相応な魔道書を読ませた相手ね」

 

 パチュリーの密かな敵意は、姿形も分からないもう一人の魔法使いに対して向けられていた。

 その様子を眺め、小悪魔は再び忠告を発しようとして――止めた。

 そういった結論に至る過程が既に間違いなのだ。

 魔理沙自身も言っていたではないか――関係の無い話だ。利益などないはずだ、と。

 別に魔理沙が師事を願ったわけでもないのに、安全を考慮し、気遣う。

 そういった気遣いや思い入れは、普通の人間としてならば美徳なのかもしれない。

 しかし、闇の理を律する魔法使いとしてはどうか?

 過ぎた人間性は魔法使いという『妖怪』であるパチュリー・ノーレッジにとって致命的な弱みである。

 小悪魔はそこまで理解していた。

 理解しながら、忠告を止めた。

 

 なんということはない。

 その方が面白そうだから、だった。

 

 

 

 

 霊夢は神社の境内で恐るべき大妖怪と対峙していた。

 張り詰めた空気は戦闘時のそれである。

 相手は八雲紫だった。

 スペルカード・ルール下ではない純粋な戦闘では、この幻想郷でもトップクラスの強敵だ。

 

「――こんなことしてるから、うちの神社には一般人の参杯客が寄り付かないのよね」

「こら、気を逸らさない」

 

 緊迫感のない、普段通りの霊夢を紫が諌めた。

 戦闘態勢で対峙する二人は、しかし敵意を持って戦っているわけではない。

 紫の叱責を受けながらも、今の状況に疑問を抱いていた霊夢は頭を掻きながら改めて尋ねた。

 

「なんで、急に稽古つけるなんて言ってきたの?」

 

 既に数時間経った現状で浮かんだ疑問は、酷く今更なものだった。

 

「こっちにも一日の予定ってもんがあるんだから、いきなり襲い掛かってきて欲しくないんだけど」

「相変わらずのんきな心構えねぇ」

 

 憎まれ口を叩く霊夢に対して、紫は飄々と受け流す。

 傍から見る限り、二人の関係はお世辞にも友好的とは言い難い。

 実際に、霊夢と紫はある異変において互いが決して相容れぬ存在であることを理解し合っていた。

 種族的にも、立場的にも――そして一人の人間を間に挟んだ関係的にも。

 しかし、皮肉なことにその一件が、ただ反目するだけだった相手と心を通わせる切欠にもなっていた。

 以来、博麗霊夢と八雲紫の微妙な均衡を保った新しい関係は続いている。

 

「霊夢、貴女の強さは認めるわ」

 

 紫は真摯な口調で言った。

 

「ことスペルカード・ルール上において、貴女の強さは既に比類なきものとなっている。

 冥界での異変では、未知数の相手に対して一切退くことなく勝ち進んだ。そして先程、私のとっておきのスペルまで破ってみせた」

 

 襲い掛かる、という霊夢の言葉は決して比喩表現ではなかった。

 数刻前に神社を訪れた紫は、唐突に霊夢に対して弾幕ごっこの決闘を仕掛けてきたのだ。

 あの西行寺幽々子のそれと比較しても遜色のない、恐ろしく緻密で濃密な弾幕が次々と放たれ、しかし霊夢はそれらを全て突破した。

 最後に使われたスペルカードは、もはや弾幕の結界と表現出来るような凶悪な代物だったが、それさえも霊夢を墜とすには至らなかった。

 

「異変を解決する博麗の巫女としては、頼もしい限りね」

「別にあんたに褒められても嬉しくないんだけど」

「私も褒めて楽しいとは思わないわ。社交辞令よ、黙って流しときなさい」

 

 口の減らなさは霊夢も紫もどっこいだった。

 お互いの嫌味を涼しげな顔で聞き流しつつ話を進めていく。

 

「しかし、幻想郷は一つのルールで縛られるほど単純ではない。

 貴女は既に歴代の巫女の中でも最高の才能を示してみせているけれど、正直幻想郷の管理者としてはどれだけ完璧さを追求しても、しすぎるということはないわ」

「もっと力を付けろってこと?」

「貴女はまだ若い。『力』という括りの中には様々な形が存在する。例えば、巫女ならば神様の力を借りる方法なんかもあるわね」

「ふーん……」

 

 霊夢はやる気の無さそうな反応を示しつつ、小さく屈伸した。

 そして次の瞬間、一気に紫との間合いを詰めた。

 いつの間にか両手に符を携え、その指で素早く印を結ぶ。

 結界崩しの作用を持つ術を展開し、それを紫に向けて叩きつけた。

 何も無いはずの二人の間で、激突音と火花が弾ける。

 

「ダメダメ、話を聞いていたの? そんな単純な方法ではこの結界は抜けないわね」

 

 紫は自らの眼前に見えない障壁を張り巡らせていた。

 弾幕ごっこでこそ紫に勝利した霊夢だったが、純粋な結界の技術においては一歩及ばない。

 博麗の技を、先代を通じて霊夢に教えたのは紫なのだ。

 

「この結界は、ある特定の神性を持った力だけ素通りする。

 分かるわね? 神降しによってその力を操るのよ。この修行をこなせたら、今日はもう退散しましょう」

「面倒くさいわね」

 

 悪態を吐きながらも、霊夢は冷静に一度距離を取った。

 軽口は叩くが、しっかりとこちらの指導に従っている。

 紫は相手にそれと悟られぬよう口元を隠しつつ、満足そうに微笑んだ。

 

「――霊夢、貴女には天性の才がある。そして末恐ろしいことに、その才を磨く努力もしている」

 

 賞賛と畏怖の混ざった声でハッキリと告げた。

 

「貴女は博麗の巫女として、十分過ぎるほど力を持っているわ。己の役割も全うしている」

「……」

「だから、そこから先は私が個人で望んでいること」

「分かってるわよ。あたしも望んで先を目指してるわ」

「結構。ならば、私達は利害が一致しているわね」

 

 二人の脳裏に浮かぶのは、一人の同じ人間だった。

 

「冥界では随分な口を利いてくれたのだから、自らの行動で証明し続けなさい」

「うるさいわね、やってやるわよ。何よりも自分自身の為にね」

「力をつけるだけではなく、それを正しく用いて課せられた責務を果たすこと」

「言われるまでもないわ」

 

 ――立派な博麗の巫女になりなさい。

 ――私達の戦争は終わった。

 

 霊夢と紫。二人の心には、それぞれ違う言葉が刻み込まれていた。

 霊夢には母が。

 紫には友が。

 共通する一人の人間が、互いの心を大きく占め、それ故に互いに決して相容れぬと悟ってしまっている。

 しかし、同時にそれが二人に奇妙なシンパシーをもたらしてもいるのだった。

 

「母親を越えてみせなさい、霊夢」

「あんたに比較されるまでもないわ、紫」

 

 二人は示し合わせたわけでもなく、自然と不敵な笑みを浮かべ合った。

 

 

 

「――それで、修行の続きなんだけど」

「ええ、早くこの結界を崩してみなさい。試行錯誤するのね」

「まあ、神降しをするのはいいんだけどね……正直あんたに導かれた答えで満足するのも気に入らないわ。やっぱ、このままいく」

「え……?」

「さっきのでコツは掴んだから」

 

 何でもないことのように告げると、霊夢は無造作に歩み寄り、おもむろに結界へ両手を突っ込んだ。

 隙間へ滑り込むように、障壁の向こうへ両手が通り抜ける。

 

「ここを……こう」

 

 鍵を外すような気安さで、結界は崩壊した。

 半ば呆然としていた紫は、霊夢の流れるような行動に反応が遅れ、続いてあっさりと手首を掴まれる。

 

「そして、こうっ」

 

 霊夢はそのまま紫の腕を引き寄せ、関節を捻って押さえ込んだ。

 

「えっ……あ、痛い。これなんか覚えあ痛たたただだ……っ!」

「神様の力借りるよりも確実だわ。さすが母さん」

 

 霊夢が紫に極めている関節技は、かつて先代が仕掛けたアームロックだった。

 母の技を、娘が受け継いだのである。

 

「そういう修行じゃないわよ、この馬鹿!」

 

 涙目になった紫が素の悲鳴を上げていた。

 

 

 

 

 ――『気の遠くなるような時間を過ごす』という表現さえ当て嵌めることの出来ない、永遠の時間を生きる為に一番楽な方法は何だろう?

 

 ――必要なのは、自分と同じ時間の流れを持つ場所だ。

 ――自分の時間が止まっているのなら、出来る限り物事の変化が遅い場所が最適だろう。

 ――何も変わらず。誰も訪れず。何処とも繋がらず。

 

 ――それを『生きている』と言えるのかは分からないけれど。

 

 

 

 迷いの竹林という場所に住むことは、時流から取り残されることに等しい。

 その名の通り、周囲に群生するのは竹ばかりで何処を向いても同じに見える。

 竹の成長が早い為、景色の変化は頻繁に起こっているが、所詮竹は竹だ。それ以外の植物に変化するはずもない。

 景色そのものは何十年経とうが変わりようがないのだ。

 確実に迷う地形と、そこに生息する妖怪化した獣のことが広く知れ渡って既に長く、迷い込む人間などもはやほとんどいない。

 天候や季節の変化だけが、正常に時が動いていることだけを自覚させてくれる。

 外からは誰も訪れず、内からは何の変化も起こらない。

 そこはさながら、秘境である幻想郷の内にある更なる隠れ里のようだった。

 ここに住むということは、植物のように何の感動も無い日々を繰り返すことに等しいのだ。

 逆に言えば、ここに住む者はそんな生活を望んで暮らしていた。

 彼女もそんな一人だった。

 竹林の間を少女が歩いている。

 その姿は異質である。

 醜く、異形であるわけではない。むしろ美しい少女であった。歳若く、瑞々しさの残る人間だ。

 だからこそ、人が踏み入れれば確実に迷い、野垂れ死ぬより早く獣に食い殺されるであろうこの場所において異質な存在であった。

 目印も無く、一日で景色が変化してしまう竹林を、勝手知ったる庭のように気楽に歩いていく。

 その少女にとっては何の変哲も無い日常なのかもしれない。

 しかし、その日迷いの竹林には珍しく変化があった。

 不意に少女の足が止まる。

 視線があらぬ一点を見つめていた。

 

「……人間?」

 

 思わず呟いていた。

 緑色に塗れた景色の中で、紅白の色がポツンと浮いている。

 そのすぐ傍には小さな青い色もあった。

 

「それと……妖精か?」

 

 巫女服を着た女と、何故かその傍に付き添う青い妖精。

 奇妙な組み合わせの二人が、この竹林を歩いていた。

 少女にとってはちょっとした驚きだった。

 過ごした年月すら忘れるほど変化の無いこの場所で、久しぶりに時間の流れを感じさせる存在と出会ったのだ。

 自分以外の人間と最後に出会ったのは、一年前か十年前か、あるいは更に――。

 

「ただの間抜けな迷い人には思えないけど……」

 

 服装や妖精を連れている点から見ても、女の方は一般的な人間とは思えない。

 しかし、ここは例え人外であっても迷うような場所である。

 ひょっとしたら妖精の方が狡猾で、人間を陥れようとしている可能性もあった。

 ため息一つを吐き、少女は二人の下へ歩み寄っていった。

 何処かを目指しているのか、それとも単に彷徨っているのか、どんどん進んでいく女と妖精の後を追いかける形で近づく。

 

「――人間か」

 

 唐突に女の方が振り返り、少女は思わずその場で凍りついた。

 こちらに背を向ける形になっていたはずだ。

 しかし、女は何の脈絡もなく自分の接近に気付き、しかも妖怪や獣ではなく人間であることまで見抜いていた。

 互いに足を止め、対峙する。

 

「……そうだよ、私はずっとここに住んでいる人間」

 

 内心の動揺を抑えながら答える。

 妖精の方は、ようやく気付いてこちらを見ていた。

 

「あっ、なんだお前! あたい達に何の用だ!?」

「それはこっちの台詞よ。こんな場所に足を踏み入れる馬鹿者がまだいたんだね」

「なにをー! バカとはなんだ、バカとは! このバーカ!」

「やれやれ……。あんたの方は人間みたいだけれど、その妖精に案内役が務まるとは思っちゃいないでしょうね?」

 

 迷いの竹林では妖精さえ迷う。

 その為、この場所へ近寄らないのは人間だけではなく、妖精も同じだった。

 久しく見ていなかった妖精という者が、相も変わらず騒がしく頭も悪いという事実を確認すると、少女は傍らの巫女服の女の方へ話を振った。

 妖精相手では話が進まないのだ。

 

「この場所を『迷いの竹林』なんて大層な名までつけて恐れていたのは、あんた達人間だろう。それとも、その理由さえ忘れるほど外では時間が経ってしまったのかい?」

「いや、この場所の危険性は知っている」

 

 女は迷いなく答えた。

 少し低い声色で、不思議と心地良く耳に残る響きだった。

 

「だったら、早く出ていくんだね。……とはいっても、一度入り込んだら、あんたらじゃ出るのも難しいか」

「目的があって来た。まだここを出るわけにはいかない」

「……あーあ、こりゃ本当に大馬鹿者だわ」

 

 僅かに湧き上がった苛立ちを誤魔化すように、少女は呆れた口調でわざとらしくぼやいた。

 

「こらっ、お師匠をバカって言うな!」

「いいや、身の程知らずの大馬鹿だ。

 よく見れば、あんた足が不自由なんじゃないか。ただの遠出だって無茶なのに、この竹林に入り込むなんて危機感が足りないどころじゃないよ」

 

 その女が只者ではないことは、最初の対応から分かった。

 よく観察してみれば、特徴的な巫女服に隠れて最初は分からなかったが、随分と鍛え込まれた体つきをしている。

 しかし、その要素を差し引いて、杖で体を支えながら立っている姿が彼女を『弱者である』と印象付けていた。

 傍らの妖精との関係がイマイチ分からないが、正直護衛として見るにはいささか頼りない。

 威勢の良さだけは一人前に騒ぎ立てる妖精を無視して、少女は脅すように女を睨みつけた。

 

「早くここを出るんだ。出口までは私が案内する」

「……ありがとう」

 

 女は素直に礼を言った。

 深々と頭を下げられる。

 別の意味で動揺してしまうような、本当に素直な謝礼の気持ちが表れていた。

 久しぶりに人と接し、友好的な言葉を掛けられた少女の頬が知らず紅潮する。

 

「だが、すまない。どうしても目的を果たしたいんだ」

 

 穏やかな口調だったが、返答は意外と頑ななものだった。

 少女はわずかに高まっていた鼓動を落ち着ける為に深呼吸し、改めて相手を見つめる。

 

「分かったよ」

 

 それまで無造作にポケットへ突っ込んでいた両手を抜く。

 

「私の忠告を聞かない奴は、よくいる。身の程知らずの愚か者をどうしても助けてやりたいなんて思うほど、私は善人じゃない」

「お師匠、下がって」

「でも、あんたは良い人間だ」

「――こいつ、戦う気だ!」

 

 妖精が庇うように前に躍り出て、迎撃の為のスペルカードを素早く取り出した。

 しかし、少女はそれには応じず、右手から炎を発生させる。

 炎を纏った右腕を横に薙ぎ払うと、強烈な熱風が巻き起こり、立ち塞がった妖精の体を吹き飛ばした。

 

「ぅあっちち! お前、ひきょーだぞ!」

「スペルカード・ルールなら知ってるよ。だけど、この竹林に棲む奴らは本能しかない獣ばっかりだ。お前じゃ、その人間を守れない」

 

 障害となる妖精がいなくなり、無防備になった女に向けて、一気に駆け出す。

 

「悪いけど、無理矢理にでも外へ連れ出すわ。文句なら、ここを出てから聞いてやる!」

 

 その行為に悪意はなかった。

 半端な護衛と、いざという時思うように逃げることさえ出来ない不自由を抱えた人間。いずれも、この場所を歩くには危険だと判断した。

 組み伏せるか、最悪気絶させてでもここから出してやらなければならない――。

 それは、自ら望んで世捨て人となった少女の中に、今も変わらず在り続ける人としての優しさだった。

 

 

 

 

 私がこの幻想郷で生きて齢五十年以上――正確な年齢は忘れちゃった。

 歳を取るとこれだから……って、ボ、ボボ、ボケちゃうわっ!

 いや、正直五十年って結構長いよ?

 小説の主人公とか百年千年は当たり前。中には元人間なのに万単位で生きちゃう人もいるけどね。

 

 まあ、とにかく。

 そんなすっかり幻想郷の住人な私だが、当然のようにこの世界の隅々まで歩き回った経験があるわけではない。

 生前の知識によって、幻想郷の有名なスポット情報だけならば全て網羅しているが、博麗の巫女時代は自らの職務もあり、人里以外の所へ行く機会はそうそう無かった。

 なので、幻想郷で行ったことのない場所というのは意外と多かったりする。

 迷いの竹林もその一つだった。

 人里でも、入り込めばまず戻って来れない危険地帯として昔から知られている。

 当然普通の人はその場所を避け、かつての妖怪の山騒動のように必要に迫られて足を踏み入れるという事態も起こらなかった。

 そんな場所へ、私は前々から訪れる予定を立てていた。

 目的はこの動かなくなった足に関わることである。

 遠出になるので、ある程度自由に動けるまで体を慣らす必要があったが、最近ようやく杖を使った移動が苦ではなくなってきたところだ。

 これならば、十分に歩き回れるだろう。

 そして、今日。私は迷いの竹林に向かって出発したのだった。

 ――もちろん、慧音を含む周囲の皆には内緒である。

 心配されたり止められるおそれがあるのももちろん理由だが、もっと根本的な話として『何故、そこへ行くのか?』と尋ねられた時に答える術がないのだ。

 あそこは人が寄り付かない場所であり、その奥に何が隠されているのかなど『今は』誰も知らない。

 答えようがない以上、こっそり動くしかなかったのだった。

 診療所を休業にして、誰にも知られぬよう静かに人里を後にする。

 旅と言うほど遠くはないが、道連れのいない、寂しさと不安が一抹残る出発だった。

 スペルカード・ルールが普及したとはいえ、一人歩きが安全なわけでもないんだよね。

 しかし、小休止を挟みながら先を進んでいくと、思わぬ出会いが私を待っていた。

 

「――お師匠! こんな所で何してるの?」

 

 つい先日、地霊殿にも一緒に行ったチルノだった。

 地霊殿に誘った切欠もそうなんだけど、あの春雪異変以来チルノとよく会うんだよね。

 これが偶然ではなく、チルノ自身が意図的に私の元へやって来ているということはなんとなく気付いていた。

 そして、チルノの言動には殊更私の足や体を気遣うものが多い。

 つまり、チルノは私のことを心配して、気に掛けてくれているのだった。

 ……何この天使。いや、妖精だけど。

 今回も、チルノこそ湖を離れて何をしに来たのかと尋ねたら『なんとなくお師匠のことが気になって飛び回ってた!』と笑顔で答えてくれた。

 うおっ、まぶし……!

 その笑顔から放たれる光がフェイスフラッシュの如く周囲を浄化したような気がした。

 やべ、ひょっとして今の笑顔で私の足治ったんじゃね? むしろ寿命が十年くらい延びたんじゃね?

 思わずそんなアホなことを本気で思ってしまうほどの感動だった。

 今からでも遅くない。ねえ、霊夢。妹が欲しくないかい?

 

「ちょっと行きたい所があってな」

「でも、お師匠の足じゃあ疲れるし、危ないよ……。よしっ! あたいが一緒について行ってあげる!」

「チルノは何か用事があるんじゃないのか?」

「うん、お師匠の手助けをすることよ! サイキョーのあたいがいれば、お師匠も安全だからバッチリね!」

 

 こうして思わぬ旅の道連れが出来たのだった。

 マジで良い子すぎだろ……チルノだったら竹林に行く理由を深く聞かれないだろうとか、無意識に打算を割り出してた自分が恥ずかしいです。

 まあ、とにかく――こうして私の歩みは明るく賑やかなものとなった。

 チルノと談笑しながら歩くだけで、なんだか妙に足取りも軽く感じる。動かない足が苦にならない。

 

 ところで、今更なんだがチルノは私を『お師匠』と呼ぶ。

 初めて出会った時以来、ずっと私に師事してくれているようなのだが、実のところ私はチルノに何かしらの修行をつけたことはない。

 普通に考えて、チルノに指が折れるまで貫手稽古とかさせるわけないしね。

 かといって、弾幕に関しては専門外なのでアドバイスすら難しい。

 結果、私は『修行』と称してチルノに簡単な体操や運動の仕方、ちょっとしたお勉強、時には子供の遊びなどを教えているのだった。

 傍から見たら完全に遊んでいるだけに見えるだろうが、まさにその通りだ!

 ……お互いに不満はないので、別にいいデショ。

 それでいて、チルノってばいつの間にか妙に弾幕ごっこが強くなったりしてるんだよね。

 何故だろう? 私との遊び……もとい修行で強くなったわけではないと思うのだが。

 不思議だが、とりあえず今回のような護衛としては心強く思う要素だった。

 そうこうしている内に、私達は迷いの竹林に辿り着いた。

 

「……お師匠、ここってあたいも迷ったことあるよ。危ないから入るのやめようよ」

 

 やはりというか、チルノは気の進まない様子だった。

 ここで中に立ち入る理由を尋ねず、純粋に私の身を案じてくれるのが良い子の証。

 私は安心させるように笑う。

 

「いざとなったら飛んで脱出すればいい」

「……なるほど! お師匠ってば天才ね!」

 

 あと、いざとなったら博麗波で薙ぎ払ってでも脱出する決意も固めておく。

 私だけならともかく、チルノまで遭難させるわけにはいかないからね!

 竹林の住人にとっては迷惑しかないことを考えながら、私とチルノは先へと進んだ。

 そう、『先』へ。

 

 ――ここで白状しよう。目的地は明確に定めているが、それが『何処』にあるのか私は知らない!

 

 迷いの竹林にあるのは間違いないのである。

 しかし、その漠然とした位置だけで、正確に何処をどう通って向かうのか、ルートを全く知らないのだった。

 半ば遭難覚悟だったのだ。脱出の決意だけは固めていた理由を、これで察してくれたと思う。

 なんか無謀と言えるほど行き当たりばったりな感じだが、全く当てが無いわけではなかった。

 私にはこの幻想郷を網羅した知識がある。

 幻想郷で生きて五十年。未だに出会ったことはない。

 しかし、私の知識通りなら……いるはずだ。

 ここに『彼女』が……!

 

「――人間か」

「……そうだよ、私はずっとここに住んでいる人間」

 

 も こ た ん I N し た お !

 待ち望んだキャラとの邂逅に、私は内心で叫んでいた。

 近づいてくる気配――相変わらず便利だけど不気味なくらい概要が分からない感覚――を察知した私が半ば確信しながら呟けば、それに応えるように少女が一人現れた。

 長い白銀の髪と、それに映える真っ赤なもんぺ。体格は予想よりもずっと小柄だ。っていうか若い。

 毎度のことで恐縮だが、名乗られるまでもなく相手の正体は分かっている。

 この迷いの竹林に住む蓬莱人『藤原妹紅』だった。

 

「あっ、なんだお前! あたい達に何の用だ!?」

「それはこっちの台詞よ。こんな場所に足を踏み入れる馬鹿者がまだいたんだね」

 

 チルノと妹紅が言い争いを始めてしまったのは予想外だが、彼女の登場は私の予定通りだった。

 私の考える『当て』とはこれなのだ。

 目的地に辿り着く手段として、他にも何人かこの場所で遭遇する可能性を考慮したキャラはいたが、妹紅ならその中でも一番の当たりだ。

 

「目的があって来た」

 

 チルノとの言い合いの後、話を振られた私は早速用件を切り出そうとした。

 しかし、返ってきた反応はあまり色好いものではなかった。

 

「早くここを出るんだ。出口までは私が案内する」

 

 有無を言わさぬ視線が向けられる。

 妹紅の協力が得られないのなら、私も目的を果たせない。

 だが、そのことはとりあえず置いておいて、私はこうして向かい合うことで直に感じられる彼女の人柄に密かに感動していた。

 ――良い人すぎる。

 妹紅の言うことは全てもっともな話なのだ。

 足が不自由なクセして、人里から遠路遥々危険な場所へやって来た馬鹿。

 こんな場所に住んでいるということは、望んで他人との関わりを避けているのだろうと察することが出来る。

 そんな彼女が、相手にするのも面倒くさいだろうに、見知らぬ他人である私の身をここまで案じてくれているのだ。

 これを優しさと言わずになんと言おうか。

 

「……ありがとう」

 

 私は妹紅の善意に深く感謝した。

 チルノといい、今回の私って人選に恵まれてない?

 もう、このまま妹紅の好意に甘えて竹林の外まで案内してもらいながら、途中で雑談して交流を深めるのもアリじゃないかと考えてしまう。

 ……だがしかし、そうもいかないだろう。

 

「だが、すまない。どうしても目的を果たしたいんだ」

 

 心苦しく思いながらも、私はハッキリと意思を告げた。

 それに対して、妹紅の反応はやはり何処までも善人のそれだった。

 

「悪いけど、無理矢理にでも外へ連れ出すわ。文句なら、ここを出てから聞いてやる!」

 

 立ち塞がろうとしたチルノを跳ね除け、妹紅が迫る。

 その瞳に敵意は無い。

 彼女が善意によって動いていることが、私にはよく分かった。

 理屈や良識を無視し、理不尽な行動を取っているのは私の方だ。

 退こうとしない私の頑なさが悪いのだ。

 それを自覚しながら、しかし私はやはり退くことなど出来なかった。

 くそっ、こんなことで妹紅と争うなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるけど……!

 ここは退けない! 戦うしかない――!

 

「お師匠!」

「チルノ、手を出すな!」

 

 不死身の蓬莱人を相手に、決して望まない戦闘が始まった。

 動かぬ足を抱えて、果たして私は妹紅に勝てるのか……っ!?

 

 

 

 

「ちょいさ」

「お……!」

 

 おそらく私を組み伏せようとしたのだろう、伸ばされた妹紅の手を体を傾けて横に避けつつ、手首を掴み取る。

 もう片方の手は持っていた杖を手放して肩を掴んだ。

 足に力が入らないので横にかわした勢いのまま倒れこみそうになったが、掴んだ妹紅の体を軸にして、遠心力を利用しつつ位置を入れ替えた。

 ダンスのターンのようにクルリと回って妹紅の背後に回りつつ、掴んでいた腕を背中へ捻るように持っていく。

 

「あ……ぇ……っ?」

 

 一連の流れの中で、自らの体の動きさえ把握出来ず、混乱する妹紅を尻目に私は最後の仕上げとして、前へ倒れ込んだ。

 下敷きになった妹紅がうつ伏せに倒れ、上になった私は捻った腕を体重で押さえる形になる。

 動きは封じた。

 これぞ博麗奥義『夢想封印・関節』だ。

 

「痛――っ!? 痛たたただだっ、痛い! 痛いって!」

 

 勝った! (原作ゲームの)第三部、完ッ!!

 

「おお、さすがお師匠ってばサイキョーね! どうだ、思い知ったかひきょー者!」

「だ、誰が卑怯者だ!? 誰の為にこんなことしてると……痛い、痛いよ馬鹿! 離してよ! もうっ、なんで私がこんな目に遭うのよー!」

 

 とうとう涙声になってしまった妹紅の悲鳴を聞き、我に返った私は慌てて彼女の上から体をどかした。

 チルノに支えてもらいながら立ち上がり、腕を押さえて涙目で睨んでくる妹紅と再び対峙する。

 うん、なんつーか不可抗力っつーか、これでも怪我しないように考えた方法なんだけど――。

 

「もういいわよ、好きにすれば? 人が折角心配して忠告してたのに……勝手に迷って死ねばいいでしょ!」

 

 ……すんません。

 ホント、なんていうか……すみませんでした。

 さながら本気で怒った先生に説教を受ける生徒の構図。

 なじるような妹紅の言葉を受けて、本気でへこんでしまう。

 終始妹紅の言い分が正当だった分、言い訳など出来るはずもない。

 

「すまない」

「知らない。あっちいけ」

「……ごめん」

 

 完全にへそを曲げてしまった妹紅に対して、私は何度も頭を下げるしかなかった。

 ちなみに、何か言いたそうなチルノは口を塞いで、暴れないように体を押さえている。

 私を擁護しようとしてくれているんだろうが、非は私にあるから、何も言わなくていいんだ。

 しばらくの間、私は妹紅が落ち着くまで謝罪を繰り返すしかなかった。

 

 ――でも、あれだね。さっきまでは固い口調だったけど、素の妹紅って結構女の子っぽい口調なのね。

 

 そんな内心の浮かれ具合がわずかに伝わってしまったのか、妹紅にキッと睨まれてしまった。

 ヒッ……ご、ごめんなさい。

 

「…………それで?」

 

 しばしの気まずい沈黙の後、おもむろに妹紅が口を開いた。

 

「そこまでして果たしたい、あんたの目的って何なの?」

 

 ここに至って、それでもまだ私のことに関心を持ってくれる妹紅は本当にお人よしである。

 先程の自分が行ったこと全てが蛮行としか思えない。

 素直に組み伏せられても構わないから、話し合いに終始すべきだったか……。

 

「――医者よ!」

 

 罪悪感に沈んで反応の遅れた私に代わり、手を離して自由になったチルノが胸を張って答えていた。

 チルノには竹林に入ってからの道中で、今回の目的について簡単に説明している。

 簡単というのは、つまり詳細をぼかして話してあるのだ。

 

「足を治す医者を捜してるのよ!」

「……医者を捜してるだって? 何考えてるのよ、こんな場所に医者なんているはずないでしょう」

「ふふん、とぼけても無駄よ。あたいのお師匠は何でもお見通しなんだからね! ここにはお師匠の足を治せる医者がいるはずなのよ!」

 

 まあ、正確には薬師なんだけどね。

 二次創作では万能ドクターになってることが多かったから、実際にはどうなのかまだ分からないけど。

 それに、チルノはいつの間にか足が治ると信じきっているが、私としては可能性は半々か、それ以下だと思っている。

 とにかく、可能性を求めて来たのだ。

 

「先程のことは、本当に深く謝罪する。だから、力を貸して欲しい」

「私の?」

「ああ、案内が必要だ」

 

 私の唐突な頼み事に、妹紅は訝しげな表情を浮かべていた。

 当然だろう。

 彼女は私を知らないのだ。

 だけど、私は彼女を知っている。

 この場所を知っている。

 そして、ここから更に隠された場所と、そこに住む者達を知っている。

 

「案内って……何処へよ?」

 

 神妙な問い掛けに対して、私は答えた。

 

 

 

「永遠亭だ」

 




<元ネタ解説>
特になし。

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