東方先代録   作:パイマン

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過去編その一。


過去編
其の十四「文花帖」


「――天下泰平」

 

 快晴の空から地上を見下ろしながら、射命丸文は呟いた。

 

「――尭風舜雨」

 

 その気になれば幻想郷を一日で飛び回れる翼を持った、鴉天狗の中でも一等の『速さ』を持った彼女であったが、今は風の流れに身を委ねるように空を泳いでいる。

 荒れた風も無く、地上もまた穏やかに時間が流れていく。

 言葉のまま、平穏無事な日常がそこに在った。

 

「……つまらーん」

 

 しかしあいにくと、彼女にはその平和を謳歌する素直な性根などないのだった。

 気だるげな仕草で髪をかき上げ、眼下の景色をむしろ苦々しげに睨み付けている。

 

「あの『春雪異変』以降、全然話題が無いわねぇ……ああ、私は何でこんな不毛なことしてるんだろう?」

 

 嘆きながら、ガックリと項垂れる。

 ――幻想郷に春が訪れなくなるという前代未聞の異変が起こって、既に一月近くが経過していた。

 妖怪の山に住む鴉天狗達は、此度の異変をこぞって記事として持ち上げ、各々の見解や勝手な脚色を加えた新聞を作って広く配った。

 文の『文々。新聞』は、それらの中でも持ち前の俊足で素早く掻き集めた情報によって紙面を彩り、その正確性もあって特に人気が高かった。

 まさに特ダネだったのだ。

 しかし、異変が解決してからは平和そのもの。

 あのインパクトを超える記事など、早々見つかるはずもなかった。

 新聞のネタは足で探すのモットーである文だが、こうして餌を求める野良犬のように幻想郷をあてもなく彷徨う自らの姿に虚しさと情けなさを感じ始めていた。

 今日も今日とて、風の吹くまま気の向くまま。

 もちろん、そんな気楽な気分ではない。

 気が付けば、文は霧の湖の近くまでやって来ていた。

 

「あれ、文。こんな所で何してるの?」

 

 きょとんとした表情で声を掛けてきたのはチルノだった。

 彼女の接近は分かりやすい。周囲の気温が冷たくなるからだ。

 この騒がしい氷精との遭遇を半ば期待してここを訪れた文は、使い慣れた表情を取り繕って振り返った。

 

「おやっ、チルノさんじゃあないですか! 奇遇ですねぇ」

 

 チルノとの出会いに対する素直な喜びを表した笑顔を浮かべる。

 少なくも表面上は。

 妖怪の中でも強力な部類に入る天狗という部族は『強い者には下に出て、弱い者には強気に出る』という性質がある。

 いかに規格外の力を持つといっても、妖精であるチルノを文がどのように捉えているかは明白だった。

 丁寧な言葉遣いは、相手を乗せる為の手段に過ぎない。

 時として突飛な行動を起こすチルノの存在は、文にとって新聞を彩るネタの源なのだ。

 表向きだけでも親身になっておきたいという打算があった。

 

「文はまた取材をしてるの?」

「ええ、これがお仕事ですからね」

「あー、でも今日は前みたいに『いんたびゅー』って奴には応えられないよ。あたい、今日は用事があるからね」

「あやや、それは残念です」

 

 文は大げさに肩を落として見せた。

 件の『春雪異変』において、寒さに関係する者としてチルノへの取材を行っていた。

 当然、異変の首謀者は全く別にいるし、文もその時点で異変の全貌は掴んでいたが、紙面を彩る要素としておまけのつもりで取り入れたのだ。

 単純な妖精をおだて、持ち上げ、思ったとおりに動かすことなど処世術に長けた文には容易いことだった。

 今回もまた、元々期待などしていなかった取材を断られたことなどすぐさま忘れ、むしろチルノの言う『用事』とやらに興味を引かれている。もちろん、表には出さずに。

 

「ところで、チルノさんの用事とは一体?」

「人里にね、お師匠に会いに行くんだ!」

「ほほう、お師匠ですか」

 

 聞き慣れぬキーワードにネタの匂いを感じ取りながらも、文は穏やかな物腰を崩さなかった。

 しかし、内心はガッツポーズを取っている。

 最低でも暇つぶしになる、いい話題が飛び込んできたと喜んでいた。

 

「チルノさんのお師匠とは、一体どういうことでしょう?」

「お師匠はお師匠だよ」

「ははっ、そうですか。まあ、何か習っているということですね」

 

 察しの悪い妖精相手の会話に内心では辟易しながらも、効率的に情報を引き出そうと穏やかに先を促す。

 人里に会いに行くということは、相手は人間なのだろう。

 妖精に『お師匠』と呼ばれる人間が何者なのか、想像すら付かなかったが、あまり大きな話題にはなりそうにないな、と文はわずかに落胆した。

 人間と妖精。如何にもスケールの小さな組み合わせだ。

 これではあの異変を超えるようなインパクトは難しいだろう。

 内容によっては、このまま適当に雑談を交わして別の場所へ移動したほうがいいか、と。わずかな間に文はそこまで思考を廻らせていた。

 

「それで、お師匠さんの名前は何と言うんですか?」

「……あれ? そういえば、あたいお師匠の名前知らないなぁ」

 

 どんだけ馬鹿なんですか。これだから妖精は疲れるんですよ。

 内心で毒づく。

 

「皆からは『先代』って呼ばれてるからね」

「なるほど、人里で『先代』というと、博麗の先代巫女で――」

 

 言葉の途中で、文は盛大に吹き出した。

 

「うわっ、きたな!?」

「せせせせせ先代巫女ぉぉぉ!? チルノさんの師匠が、あの先代巫女ですかぁ!!?」

 

 動揺もあらわに、文はチルノに掴みかかった。

 

「ちょっ……どういうことですか!? いつの間に、あの人と接点なんて持ったんです!?」

「わわっ、落ち着いてよ。『せってん』って何?」

「何処で知り合ったのか、ってことですよ! チルノさんが先代巫女と師弟関係とか、そんなの初耳なんですけど!?」

「えーとね、初めて会ったのは……冬になる前にお師匠と地底に行ったのね。そこであたいのお師匠になってもらったの」

「ち、地底……」

 

 最初の余裕は今や完全に崩れ去り、文はチルノから語られる衝撃の事実の数々に翻弄されていた。

 地底が封印された妖怪達の世界であることは、一部の妖怪達しか知らないことだ。

 長年立ち入りの禁じられてきたそこへ、人間と妖精が訪れたということ自体が大事件であるというのに、その人間が様々な意味で有名な先代巫女だというのだ

 異変に匹敵するほどの特ダネだった。

 そんなものが、あまりに身近な所に転がっていた事実に半ば呆然としながらも、文はすぐさま我に返った。

 このチャンスを逃すわけにはいかない。

 咳払い一つ。意識を平静に切り替える。

 

「あ、あー……チルノさん。どうでしょう? 私もチルノさんと一緒に人里へ行ってもいいですかね?」

「え? ああ、うん。別にいいけど。文もお師匠に会いたいの?」

「ええ。先代巫女といったら、妖怪の間では非常に有名な方なんですよ。知りませんでした?」

「お師匠がすごく強いのは知ってるけど……」

「そうなんです。すごく強いから有名なんですよ。私達天狗の中でも話題の人なんです」

「そうなんだ。さすが、あたいの師匠ね。鬼だけじゃなくて、天狗よりもさいきょーってことね!」

「……いいいいい今、『鬼』って言いましたぁぁぁーーーっ!?」

「うわっ!? もう、さっきからなんなのさ……?」

 

 文は動揺と共にかつて無い興奮に包まれた。

 軽いネタ探しから始まったチルノとの雑談が、次から次へと特ダネを生んでいく。

 新聞を作る為のささやかな情報源として築いてきた、気まぐれと戯れでしかなかったチルノとの交流を維持してきたことを深く感謝した。

 逸る気持ちを押さえ、チルノとの同行をあっさりとこぎつけた文は内心で力強く拳を振り上げていた。

 気分は有頂天となっている文は、この行動がどのような結果を生むのか、まだ知らない。

 

 

 

 

「――と、いうわけで。私も先代様のお宅にお邪魔させていただいたわけですよ」

 

 そう言って、射命丸はにっこりと私に笑いかけた。

 なんというか、非常に分かりやすい営業スマイルってやつだな。何故か揉み手擦り手してるし。

 相手に取り入る為に本心を隠し、しかもそれがあからさますぎて逆に慇懃無礼とすら感じる物腰だった。

 うーん、ここしばらく会話するどころか何故か遭遇する機会すらなかったけど、天狗って人間に対して大体こんな感じの対応なんだよね。

 見下している点は力のある妖怪として共通しているが、表向きだけでも親身に付き合うように取り繕っているというか。

 相手によっては不快に感じたり不安を煽られるかもしれない。

 私? 私の場合は――全然オッケーです!

 まあ、強い妖怪全般に言えることなんだけど、大抵は人型をとっていて、しかも文字通り人間離れした美しい容姿を持つ少女がほとんどだから、そういう態度や対応もなんか許せちゃうんだよね。

 いやー、美人って得だわ。何でも様になる。

 この射命丸文もそうだった。

 いや、代表的と言ってもいい。

 私の知る限り、二次創作でもそういうキャラだったイメージが強い。原作はともかく。

 そして、実際に会ってみてもそのイメージは正確だった。

 射命丸と最後に会ったのは、思い起こせばもう大分昔のことだったが、当時も私に対して『これまでの代とは違う風変わりな博麗の巫女』という新聞のネタとして、面白半分に接してきたものだ。

 あからさまな打算越しとはいえ、妖怪の知り合いの中では比較的穏便な関係かな。

 その分、心の距離みたいなものは離れてるんだけどね。

 射命丸だけでなく、天狗という種族全体に対してだが、かなり私と距離を置かれていると感じる。

 その原因は、多分私が昔妖怪の山に行った時の出来事だろう。

 

 ――当時の事情や経緯を省いて簡単に言うと、天狗のボスをぶっ飛ばした。

 

 射命丸とはその時に一度戦ってるし、あの出来事以降妖怪の間に私の顔も広く知られるようになったから、まず間違いない。

 だから、私ってばたまに見る天狗の新聞とかに話題として上がることがほとんど無いんだよね。

 ついこの間もそうだけど、異変のこととかは号外で広く取り上げられるのに……ちょっと寂しい。

 だからこそ、こうして射命丸が私の診療所を訪れたことは少なからず驚きだった。

 

「何か用か?」

「あやや、そんなに怖い顔しないで下さい。怯えてしまいます。おぉ、こわいこわい」

 

 ごめんよ、この仏頂面ってデフォなの。

 最近、この表情に慣れた相手が多かったから、射命丸のこの反応も久しぶりだった。

 やっぱり私って、無意識に相手を威圧しちゃう風貌してるんだよなぁ。

 ……しかし、射命丸はそれに対して何故に勝ち誇った顔でニヤッって感じの不敵な笑みを浮かべているのだろうか?

 

「そう警戒しないで下さい、私は何も怪しいことなんて企んでませんから。

 ただね、ちょっと興味深いだけなんです。いつの間に『そんな足』になってしまったのか、そこに至る経緯が気になりましてね。いやぁ、実に良い新聞のネタになりそうじゃあないですか」

 

 ああ、私の動かなくなった足のことか!

 なんか今更な感じがするけど、そういえばこの足の事情って知っている人少ないんだよね。ご近所さんとか、私が怪我をしたと漠然と把握しているだけで深くは聞いてこないし。

 引退した博麗の巫女の動向なんて興味も無いだろうと思ってたから気にしなかったけど、天狗の新聞にも私の足のこととか全然載ってなかったしね。

 射命丸が今になって、この足のことを知り、しかも取材に来るなんて予想外だった。

 あと、興味を抱くのは分かるけど、何故にそんな悪意を滲ませまくった笑顔を浮かべるの?

 警戒するつもりはまるでないが、その表情がむしろ相手を煽っているような気がする。

 そんな悪女顔すら、元が射命丸だとすごい絵になるんだけどね。

 うーん、東方キャラの百面相はいつまで見てても飽きないなぁ。

 さっきも言ったとおり、射命丸と会うのは数年ぶり。しかも、こうしてしっかりと顔を合わせるのは初めてだ。

 私は新鮮な気持ちで、相手の一挙一動に注目していた。

 無意識に、普段よりも更に口数が少なくなる。

 

「あれ、黙り込みましたね。気を悪くしましたかぁ?

 すみませんねぇ、真実を知りたがるのは新聞記者としての性みたいなものでして――」

「相手が弱っているとなると、随分強気ですわね。天狗」

 

 声も綺麗だし、滑舌もいいなぁと全然関係の無い点に意識を持っていかれている私に代わって、不意に声が割り込んだ。

 スキマから突如現れた紫だった。

 

「あやや、八雲紫じきじきにお出ましですか。相変わらず、すごい入れ込みようですねぇ。今日は、そんな種族を越えたお二人の関係も是非詳しく取材させていただきたいものです!」

「本来、妖怪は歳を経るほど品格を増すものですけれど、貴女は逆ね。先々代の頃と比べて随分と品の無い食い付きようですわ」

「博麗の巫女など、人間の側に設けられた単なる官職――その領域を逸脱したのは貴女達じゃあありませんか。路傍の石なら、私だって興味を持ちませんよ」

「その石に盛大に躓いたものねぇ。もう一度痛い目を見る前に、退いておきなさい」

「だからこそ、今強気になるんじゃあないですか。ねえ、先代様? 羽虫が鬱陶しいなら払ってしまえばいいのですよ。今の貴女に出来るものなら、ね?」

 

 なんか妙に胃が痛くなるような敵意と悪意が入り混じった二人のやりとりを聞いていた私は、唐突に話を振られて内心混乱した。

 あ、ごめん。聞いてた。話聞いてたよ?

 ……でも、正直表現が暗喩的すぎて会話の内容がイマイチ理解出来ない。

 とりあえず、紫と射命丸がお互いを歓迎していないってのは分かるが、私にはその理由が分からなかった。

 うーん、どうも私が二人の不仲の原因になってるっぽいし、ここはとりなしておいた方がいいかな。

 

「射命丸が、私の足のことについて聞きたいのなら別に構わない」

「おっ、さすがは先代様! 話が分かりますね」

「先代」

 

 紫の戒めるような視線に対して、しかし私は首を振った。

 私に気を遣ってくれてるのは分かるが、そこまで拒絶するようなことじゃないだろう。

 射命丸も退きそうにないしね。このままギクシャクして、ただ時間だけが過ぎていくなんて不毛だ。

 なんてたって、今日の私には用事があるんだから。

 射命丸を連れて来たチルノが、今もこうして会話に加われず、手持ち無沙汰になっているじゃないか。

 

「ただ、今日は私もチルノと出掛ける予定がある」

「ははぁ、チルノさんと今日会われたのはそういう用事があるからなんですね?」

「そうだ」

「なるほどなるほど。ならば後日……と、言いたいところですが、どうせならば私もそのお出掛けにご一緒させていただいてよろしいですか?」

 

 言葉遣いや物腰は丁寧だが、何処か有無を言わせぬ押しの強さがある射命丸の提案に対して、紫はそっと口元を扇で隠した。

 あっ、あれは相当イラついてるな。

 感情的になりそうな時、紫はいつもあの癖を出すんだよね。

 また静かながらも緊迫感のある舌戦が始まる前に、私は頷いてみせた。

 

「構わない」

「おおっ! いいんですかぁ、さすが先代様! 懐が広い!!」

 

 何故かオーバーリアクションで喜んでみせる射命丸。

 そこまで嬉しがることかな?

 私としては、別に一緒に来たいっていうなら好きにしろって話なんだけどね。

 別に何か重要な仕事をしに行くわけでもなく、むしろプライベートなお出掛けだから何も背負うもんないしね。

 ただ、今回の外出に協力してくれる紫の同意も必要だった。

 

「紫、いいだろう?」

「……そうね。まあ、別に構わないでしょう」

 

 紫はわずかな間思案したかと思うと、あっさりと了承してくれた。

 ……何故か、悪どい微笑みだった。

 

「ねー、お師匠。話終わった? あたい、早く行きたい!」

 

 チルノが急かすように袖を引っ張る。

 そーだね。正直、何故にここまで緊迫感のあるやりとりが展開されてしまったのか謎だが、私としても早く出掛けたい。

 なんせ、今回のように紫の協力がなければ気軽に行けない所なんだからな。

 

「それじゃあ、紫。頼む」

「ええ、分かったわ。『約束』を果たしましょう」

 

 そう言うと、紫はゲートとなるスキマを広げた。

 これが目的地へと繋がっているのだ。

 

「『向こう』に事前に連絡は送ってあるわ。ここに入って、出ればすぐに目的地よ」

「ほほぅ、スキマを使った移動手段ですか。随分遠い場所なんですね」

 

 射命丸が珍しげにスキマを眺め、さりげなく写真を撮っていた。

 そういえば、今回完全に移動手段として使っちゃってるけど、本来の紫の能力ってもっと強大で恐れ多いものなんだよね。

 なんだろう、今更だけどすごい勿体無いことしてるような気がして来た。

 

「先代様とチルノさんの共通の用事って、一体何なんですか?」

「行けば分かりますわ」

 

 射命丸の問い掛けに、紫は普段の胡散臭い笑みで答えていた。

 そんなに勿体ぶるような話じゃないんだけどね。

 チルノと手を繋ぎ、スキマへと足を踏み入れながら私が代わりに答える。

 

「友人に会いに行く」

「あたいはライバルに会いに行くのさ!」

「あやや、それは何とも興味深い」

 

 さりげなく射命丸もチルノの空いた手と繋ぎながらついて来た。

 おお、この二人って意外と仲良しなのか。

 いいねぇ、やっぱり彼女もチルノの純真さには素直に好意を抱いてしまうってことなのかな。

 周囲に無数の目玉が浮いている不気味なスキマの空間はすぐに終わり、私達は数歩で外へ出ることが出来た。

 そこは既に地上とは違う別世界だった。

 

「…………あれ? ここって」

 

 傍らで射命丸が何やら呟いているが、あいにくと私はスキマを出た先で待っていた人物に気を取られてしまっていた。

 いやー、『ここ』に来るのも数ヶ月ぶりになってしまったな。

 でも、約束した通りにまた来ましたよん。

 

「久しぶりだねぇ、先代。よく来てくれた!」

 

 私達を出迎えてくれたのは、相変わらず豪胆で快活な鬼の勇儀。

 

「ふん、よく来たな妖精!」

「おう、待たせたなバカカラス!」

 

 早くも見る者を和ませるやりとりをチルノと交わすちっちゃなお空。

 そして――。

 

「いらっしゃい。……相変わらず賑やかな思考ですね。再会が嬉しいのは分かりましたから、聞き慣れない単語を連発するのはやめて下さい」

 

 心の友と書いて「しんゆー」と読む、さとりんだ。

 久しぶりー! 私の心を読めば分かると思うけど、本心で本当にまた会いたかったよ!

 

「分かっていますよ、恥ずかしいですね」

 

 数ヶ月ぶりの再会だってのにその冷めた反応……たまらんね。

 じんわりと滲む喜びを噛み締めながら、私はここ地霊殿への来訪を実感したのだった。

 

「今回は特にトラブルも起こりそうにないですが――」

 

 不意に、さとりはジト目になって私の隣へ視線を移した。

 え、何?

 ……ああ、そうか。紹介するのが遅れていた。私とチルノ以外にもいるんだった。

 紹介しなきゃね。彼女は射命丸文と言って……。

 

「射命丸文さんですね。ようこそいらっしゃいました。地霊殿の主、古明地さとりです」

 

 あれ? 何で射命丸ってばそんなに顔を青褪めさせてダラダラと汗流しまくってんの?

 無言のまま固まって動かない射命丸を不思議そうに眺める私を尻目に、さとりは何やら訳知り顔で彼女に微笑みかけていた。

 

「――ええ、そうです。貴女は八雲紫に嵌められました。

 先代巫女が倒した鬼というのは、今そこにいる星熊勇儀さんですよ。

 その時のお話を聞きたいんでしたね? ああ、遠慮なさらずに。もうとっくにスキマは閉じています。さあ、どうぞ。中へお入りください。皆さん、ご一緒に――」

 

 

 

 

 ――どうしてこうなった?

 

 当初の予定とは全く違う展開に、文は内心で嘆いていた。

 最初にチルノから先代巫女の情報を得た時、チャンスだと思った。

 多くの意味でのチャンスだ。

 現役時代にはあらゆる妖怪を震え上がらせ、それまで人間の守護者程度でしかなかった立場を、幻想郷のパワーバランスの一角にまで引き上げた先代博麗の巫女。

 その実力の高さは文自身も目の当たりにしていたが、当時から十数年を経て、未だに成長を続けていたとは驚きだった。

 人間が鬼に勝つ。

 一体、どんな冗談だというのだ?

 しかし、チルノの言葉に嘘は感じなかった。

 妖精という単純であり、同時に純粋でもある彼女であるからこそ、そんな奇妙な説得力があったのだ。

 先代巫女が禁忌とされる地底へ向かい、鬼と戦って勝った――おそらく随分と省略されている内容だろうが、この結果だけ聞いてもとんでもないスクープだ。

 是非とも、事細かに話を聞きたい!

 そんな逸る気持ちとは裏腹に、内心には躊躇する気持ちもあった。

 今回のことに限らず、人間でありながらあらゆる規格を凌駕する先代巫女は鴉天狗にとって絶好の取材対象だった。これは現役時代から変わらない。

 それでいて、彼女の存在が天狗の新聞に滅多に載らないことには理由がある。

 実に単純な理由だ。

 天狗が自分より格上の存在――例えば鬼――を忌避するように、先代巫女を恐れるからである。

 かつて、先代巫女が妖怪の山へ乗り込んできた時に起こった事件。

 それを境に、博麗の巫女に対する妖怪達の意識は一変した。

 彼女は畏怖の対象となったのだ。

 文が今回の取材を躊躇する理由も、まさにそれだった。

 正直言って、怖い。

 単純な実力もさることながら、どれだけ話術を駆使しても読み取れない表情や感情の変化が個人的に苦手でもあった。

 こちらを警戒したり嫌悪するのならば、まだ理解出来る。

 しかし、先代は全く逆に、文に対して友好的であり無警戒だった。

 初対面の時から既に、奇妙なほど自分に気を許していたような気がする。

 全く理解出来ない。だからこそ、不気味だった。

 言葉少ない中で、いつの間にか自分の心を見透かされているような不安さえ抱かされる。

 文はここ十数年間、意図的に人里を訪れることを避けてさえいた。

 ――要するに、ビビッていた。

 しかし、そんな懸念も、何とかチルノから事の詳細を聞き出そうと苦心した末に、思わぬ答えを得ることで解決した。

 先代巫女は、その鬼との戦闘で負傷し、現在足に不自由を抱えているというのだ。

 その情報を聞き出した時、文は表情に出さずに歓喜した。

 先代の不幸を喜んだ。それは間違いなく文にとっては幸運だったからだ。

 あの無敵の先代巫女が負傷――! 

 それだけでもネタになるが、加えて先代の力が大きく衰えたという事実が文の抱えていた躊躇いを完全に消し去った。

 まともに動けなくなった先代など、恐れるに足りない。

 文にとって、先代が他の人間達と同じ格下の存在となった瞬間だった。

 聞けば、彼女がそれほどの傷を負ったのはもう数ヶ月も前の話であり、今日に至るまで天狗の間では噂すら流れなかったことを省みるに、里ぐるみで大規模な情報規制を行っていたのだろう。

 その人望。相変わらず、純粋な戦闘力以外にも恐ろしいものを持つ巫女だ。

 しかし、どれだけ上手く隠しても限界はある。

 今がまさにそれだ。

 そして、一転した前向きな気持ちでチルノを急かし、人里へと向かい、先代の住む診療所へと足を踏み入れた。

 中にいた先代が、杖を突いて少々不自然な体勢で立っているのを見て、内心でガッツポーズ。確かに弱体化していた相手が、もはや格好の獲物にしか見えなくなっていた。

 人間如きの顔色を伺っていたこれまでの鬱憤を晴らすように、あえて慇懃無礼な態度で接した。

 久しぶりに対峙した先代は、負傷を抱えながらも、相変わらず掴みどころが無く、こちらの態度にも気を悪くした様子を見せない。

 肩透かしを食らいながらも、途中から割り込んできた八雲紫に意識を切り替える。

 これは予想していたことだった。

 先代巫女に八雲紫が入れ込んでいることは、公には出来ないネタとして以前から掴んでいる。

 しかし、今ならば恐れるものなどない。

 八雲紫もまた強力な妖怪だったが、こいつには幻想郷の管理者としての複雑なしがらみや立場がある。

 単純な力の権化である先代巫女より、遥かに御しやすい相手だった。

 この際、この強大な妖怪と人間のスキャンダルも思う存分調べてしまおう、と。文は紫から発せられる敵意を受けて、なおも愉悦に浸っていた。

 聞けば、先代は今日は出掛ける用事があるという。

 逃がすものか、と今日一日はずっと喰らい付いて行くつもりで同行を申し出た。

 当然、そんな自分を敵視する八雲紫には十分に注意を払い、途中で道を外されないよう、しっかりとチルノと手を繋ぎ、いざ足を踏み入れ――。

 

「縁ってのは面白いもんだ。友人との再会に、まさか旧知の妖怪まで付いてくるなんてなぁ」

「はは……ど、どうも。ご無沙汰しております」

 

 現在。文は地霊殿のバルコニーで勇儀と向かい合って座っていた。

 一体何の間違いか、二人きりという状況だった。

 チルノはお空と外に飛び出し、先代はさとりに連れられて地霊殿の奥へと行ってしまった。

 特に後者に関しては――おそらく読心を用いてのものだろうが――言葉のやりとりすらなく自然といなくなってしまったので、その真相と全く接点の分からない二人の関係を探る為に是非付いて行きたかったが……。

 当然、そんなことが目の前の鬼を相手にして許されるはずもない。

 文は文字通り釘付けにされているかのように、この場にいるのだった。

 

「そう畏まるんじゃあないよ。顔に覚えは無いが、見る限りなかなか年季の入った天狗のようだね。強いんだろう?」

「と、とんでもない! 私なんて無駄に長生きしてるだけですよ!」

「ふーん……そうかねぇ」

 

 顔を合わせて以来、萎縮しっぱなしで焦りっぱなしの文を見つめながら、勇儀は面白そうに笑っていた。

 文自身としては、居心地悪いことこの上ない。

 勇儀の言うとおり、直接の面識は無いが、星熊勇儀といえば妖怪の山が鬼の支配下にあった時でも名高かった妖怪だ。

 鬼が強いから天狗は従う――そんな単純な原理をまさに体言しているのがこの鬼だった。

 

「あ、あのぉ……星熊様?」

 

 ただ時計のように時間が過ぎていくことを待つことに集中していた文だったが、どうしても堪えきれずに口を開いた。

 予想外の事態とはいえ、折角普段ならば入ることすら出来ない地底世界まで来たのだ。

 記者としての性根が、恐怖心を凌駕した。

 

「おおっ、なんだい? あと、私のことは勇儀で構わないよ」

 

 勇儀は何故か嬉しそうに、愛嬌のある笑顔を浮かべた。

 その表情にさえ無駄な圧迫感を感じながら、文は引き攣った笑みを返す。

 

「で、では勇儀……さん。先代巫女と勝負をして、そのぉ…………負けた、というのは本当ですか?」

「その話か! いやぁ、その通り。負けた負けた! 完敗だったさ!!」

 

 機嫌を損ね、最悪の場合八つ当たりで吹っ飛ばされるんじゃないかという過剰な不安を笑い飛ばすように、勇儀は肯定した。

 

「この話、お得意の瓦版って奴で地上に広めるのかい?」

「ぃいいいい、いえっ! 滅相も無い、ただちょっとだけ気になっただけなんですぅ! 黙れというのなら、墓まで持って行きますんで。はい!」

「ああ、いや。そういう意味じゃないんだ。むしろ、どんどん話してくれ。

 鬼を破った人間のお話。一番新しい御伽噺だ。是非、地上の人間や妖怪に知ってもらいたいねぇ」

 

 ま、いろいろと取り決めもあるから難しいかもしれんがね、と。勇儀は快活に笑いながら、盃を煽った。

 そこには勝負に負けた悔しさや怒りなど微塵も感じられない。

 改めて、鬼という種族の考え方が理解出来ないものだと内心で呆れながらも、文はとりあえず一つの問題が解決したことに安堵した。

 まずは命あってのモノダネ。最悪、口封じすら在り得るかと震えていた体から一気に力が抜ける。

 どうやら、いろいろと考えすぎだったらしい。

 

「宜しければ、当時のお話などを……」

「構わんよ。先代は今日一日泊まると言っていたからな、お前もそうなんだろう? 酒でも交わしながら、じっくり話してやるよ」

「ははっ……お手柔らかに」

「天狗だって酒豪で有名だろう。情けないこと言うんじゃあない。

 よし! 秘蔵の酒を飲ませてやろう。同族にしか奢ったことはないぞ? ふふっ、楽しみになってきたな」

 

 ――鬼の酒!

 文は思わず頬を緩めていた。

 こんな機会でもなければ、飲むことなど決して叶わない。

 この辺り、やはり彼女も勇儀の言うとおりの天狗である。酒は大好きだった。

 おそらく夜の酒盛りは、今と同じように気の休まらない、相手の顔色を伺う時間になるだろうが、それでもその中にちょっとした楽しみを見出すことが出来た。

 勇儀もまた、地上と分かれて以来出会うことの無かったかつての仲間との酒盛りに気分が高揚していた。

 互いの持つ言葉を夜にまで取って置くように、自然と会話は止まり、二人して地霊殿の空を見上げる。

 地底でありながら『空』と表現出来る広大な空間では、幼い妖怪と妖精が弾幕ごっこを繰り広げていた。

 覚えたてのスペルカードをお空が展開し、それを慣れた様子でチルノが避けていく。

 やはり一日の長があるのか、チルノの方が優勢だった。

 しかし、今の二人の間にはそんな勝負の優劣など関係はなく、ただ楽しみ、競い合う純粋な意欲だけが顔に浮かんでいる。

 それを眺める勇儀の脳裏には、数ヶ月前の生涯最高の死闘が鮮明に浮かんでいた。

 思い起こせば楽しみと喜びしか湧いてこない。

 後悔も悔しさも無い。

 ――ただ、今日再会した先代を見て事実を一つ知った。

 

「……射命丸」

「は、はい?」

「先代の足だが……あれは、もう動かないのか?」

 

 勇儀は上空の賑やかな弾幕ごっこを楽しみながら――少なくとも表情はそのように笑って見せながら、静かに尋ねた。

 

「ええ、聞く限りでは。治す目処もないそうです」

「……そうかい」

 

 それっきり、勇儀は黙り込んでしまった。

 その横顔から、彼女の真意を図ることは出来ない。

 長く歳を経た文には、勇儀の思うことを幾らか察することなら出来た。いずれも確信の無い憶測だ。

 しかし、当然のようにそれを言葉にすることは出来なかった。

 余計なことを口にするのが怖いというのが大半だったが、残りの僅かな心の部分では、無粋であると思っていた。

 鬼にとって、人間との闘争が如何に神聖であるか――理解は出来ないが、知ってはいる。

 文は、勇儀と先代が戦った時のことを詳しく知りたいとますます思った。

 

「ところでな」

「はい?」

 

 座った時に差し出されまま、全く手をつけていなかった勇儀の酒を一口含み、その美味さに内心感動していた文に、おもむろに尋ねた。

 

「お前さんと先代って友人なのか?」

「……え?」

「いや、どういう関係なんだろうと思ってね。少なくとも、今回同行を許すくらい気の知れた仲間なんだろう? 天狗が人間と縁を持つってのも珍しいと思ってねぇ」

「……え。えー……えぇー」

 

 文は意味不明の声を繰り返すことしか出来なくなった。

 忘れていた焦燥が一気にぶり返してくる。

 勇儀の質問に対する答えは一つだった。

 

 ――違います。友人どころか友好的ですらありません。先代の弱みにつけ込んで無理矢理同行した挙句、その弱みについて事細かに新聞にしようと思ってました。

 

 心の中で自分の状況を整理し、文は滝のような汗を流しながら青褪めた。

 まともに答えれば、最悪死ぬ。

 義理人情に重きを置く鬼の逆鱗に触れ、スペルカード・ルールとか知ったこっちゃねえとばかりに素手で殴り飛ばされる。

 文は何の根拠も無く確信した。

 誤魔化さなければ。

 しかし、嘘は言えない。

 何故なら、鬼は嘘が嫌いだからだ。

 でまかせだとバレれば、やはり結末は同じになる。

 そして、先代巫女当人がいる以上、でまかせはあっさりバレるものと覚悟すべきだった。

 返答しない自分を勇儀が不信に思う前に何かを適切な答え方を思いつかなければ、と高速で思考を巡らせ――。

 

「――友人ではないです」

「ほう……?」

「ただ、付き合いは古いです。なんせ、彼女を子供の頃から知ってますから」

 

 文は口早にそう答えた。

 言葉はぼかしたが、決して嘘ではなかった。

 

「先代の子供の頃?」

 

 勇儀は純粋に驚いたらしく、眼を丸くした。

 自分を打ち破る程に鍛え抜いた人間の原点――。

 

「興味深いね」

 

 堪えきれぬ愉悦に、口の端が持ち上がる。

 思わぬ話題だった。

 是が比にでも聞いてみたい。

 

「その話、聞かせちゃくれないか?」

「ええ、構いませんよ」

 

 気の良い笑顔を取り繕いながら、文は何とか危機を乗り越えたことに胸を撫で下ろした。

 意外なことに、半ば苦し紛れで出した話題に対する勇儀の食い付きは良い。

 このまま話を続けて、うやむやにしてしまおう。

 

「私が初めて彼女と会ったのは妖怪の山でした――」

 

 その話を記憶の中から思い出すのは、大して難しいことではなかった。

 妖怪にとって、数十年前の出来事など『昔』とすら呼べない。

 だからこそ、過去の出来事を事細かに覚えていることも多くは無いのだが、少なくとも文にとってあの日の記憶は鮮明だった。

 まさか、あの子供がああなるなんて――と。そう何度も思い返しては、驚かずにはいられなかったのだから。




元ネタなし。

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