東方先代録   作:パイマン

15 / 66
妖々夢編ラスト。


其の十三「少女幻葬」

 ――失敗した!

 

 迫りくる西行妖の死の弾幕とせめぎ合う霊夢の結界に守られながら、私は自分自身を罵った。

 くそっ、なんてこった!

 私が霊夢の足手まといになってるじゃないか。

 

 

 霊夢と幽々子の弾幕ごっこが始まり、その圧倒的にして幻想的な光景に眼を奪われていた私は、しばらくして活性化し始めた西行妖に気付いた。

 状況を見る限り、弾幕ごっこは霊夢優勢で進んでいたみたいなのに、全く嫌なタイミングで横槍を入れてくれるもんだ。

 ……いや、やっぱりアレかな。

 霊夢がスペルカードを順調にクリアしていくのを見て『やったか!?』とか内心で叫んでたのが駄目だったのかな?

 こえー。フラグこえー。

 冗談はともかく、不穏な空気に気付いた私は体内で練り上げた霊力を拳に集中させて、状況を見守っていた。

 そして案の定、いきなり西行妖から放たれた無差別な弾幕が霊夢を不意打とうとした瞬間に、私も行動を起こしたのだ。

 実のところ、これまで霊力って拳に込めて使ってたから、遠距離攻撃が出来るのか不安があったのだが、なんとかイメージ通りに放つことが出来た。

 突き出した拳から発射された霊力の散弾が、西行妖の弾幕を一気に掻き消す。

 漠然とした力のコントロールでは、ぶっつけ本番でこうも上手くはいかなかっただろう。

 偉大なる先駆者様に感謝だ。

 やっぱり、霊力で飛び道具っていったらコレだよね。

 ありがとう、師範。私も貴女のような老い方をしたいもんです。

 まあ、相変わらず威力が弾幕仕様じゃないのでスペカとしては使えそうに無いけどね。

 っていうか、この技って近距離で真価を発揮するから、むしろ肉弾戦の切り札が増えただけじゃね?

 相変わらず習得する技の内容に偏りがありすぎる。

 ……うん、なんだかんだ言ってこの技も今後鍛えていくつもりですけどね。

 とりあえず、溜めていた霊力の大半を消費したこの援護が功を奏し、霊夢を無事守り切ることが出来た。

 弾幕ごっこの邪魔をするつもりはない。

 むしろ、その邪魔を遮ったつもりだ。

 この異変に決着を付けるのは霊夢、お前だよ。

 頑張れ、霊夢。お前がナンバーワンだ。

 私は最後まで見守っているぞ!

 

「霊夢っ!!」

 

 そんな万感の想いを込めて名前を呼ぶ。

 一瞬驚いた様子の霊夢だったが、すぐに自らの責務を遂行した。

 幽々子に肉薄し、ボムによって吹き飛ばす。

 その一撃によって、弾幕ごっこは決着した。

 ――そういえば、霊夢が異変解決の為に戦う姿って私今初めて見るんだよね。

 弾幕を避ける一連の動きから、最期の一撃まで、見事な戦い方だった。

 博麗の巫女として修行を付けていた当時から今までをハッキリと覚えている私としては、実に感慨深い。

 強くなった。

 そして、成長したなぁ……霊夢。

 しかし、そんな感動を抱いていられたのも僅かな間だった。

 忘れていたが、西行妖が活性化し始めているのだ。

 完全ではないにしろ、集められた『春』によって桜は八部咲きほどまで開花しており、それに伴って妖気とも瘴気とも取れる不気味な力が溢れ出している。

 私が一時的に掻き消した弾幕の比ではない、圧倒的物量の死が一気に撒き散らされた。

 その大部分は空中に飛散し、結果として霊夢が標的となってしまっているが、地上に向けても少なからず降り注いでいる。

 当然、私は直撃コース。

 弾幕ごっこなどというルールに沿ったものではなく、ただ埋め尽くすだけの死の弾幕に対して、私は亡霊となった身で果たして何処まで避けられるものかと身構え――。

 

 

 そして今、私は霊夢に庇われている。

 陰陽玉の一つを私の方へ飛ばし、霊夢は残りの一つで結界を張って弾幕から身を守っていた。

 しかし、地上と空中では襲い掛かる弾幕の量も密度も違う。

 同じ陰陽玉を基点にした結界であっても、霊夢のそれは津波のような力の奔流に飲まれて今にも砕けそうになっていた。

 失敗した。

 何をやっているんだ、私は。

 霊夢の手助けをしようとして、結果的に足を引っ張っているだけじゃないか!

 と……とにかく、なんとかしなくっちゃ!

 畜生、肉体さえあれば。この状況なら、もう躊躇いもせず西行妖をぶち折ってでも止めてやるのにぃ……!

 けど、無いものねだりをしても意味がない。

 なんとか今ある材料で状況を打破しないと。悠長に悔やんでいる時間も勿体無いのだ。

 とはいえ、亡霊である今の状態でまともに扱える力など、事前に散々確認したから霊力以外に無いことは分かっている。

 その霊力も、あの散弾をぶっ放した時に予想以上に消耗してしまった。

 残った力でもう一度あの技を使っても、私自身も西行妖の力に飲まれようとしている現状では一時凌ぎにしかならないだろう。

 何か……この搾りカスみたいな霊力を増幅する手段が必要だ。

 

 ――陰陽玉。

 

 今も私の眼前で結界を形成して守ってくれている博麗の秘宝を一瞥する。

 やっぱり、こいつが鍵か?

 でも、これって二個揃って更に効果が倍増するんだよな。

 果たして一個でどれだけの効果が見込めるものか。

 ……いや、分かってる。

 既に打開策は考えてあるんだ。

 ただ、あまりに不確定要素や障害が多すぎるんだ。

 

 ――陰陽玉に霊力を込め、それを更に『黄金の回転』で回して『無限に続く力』を乗せて打ち出す。

 

 肉体と共にあらゆる技を失ってしまった私だが、この『黄金の回転』だけは一種の力の法則として効果を発揮出来るはずだ。

 しかし、ここに最大の障害にして問題がある。

 未だに放射され続ける西行妖の死の弾幕を防いでいる結界を、一時的に解除しなければ陰陽玉は使えない。それが可能なタイミングが訪れるのか分からない不確定さはまだいいとして……。

 私は『黄金の回転』――即ち『黄金長方形の軌跡』で回転させることが未だ出来ないのだ。

 地底で勇儀と戦った際に偶然掴んだこの回転の技術は、しかし改めて修行してみると酷く難航した。

 この回転の基準となる『黄金長方形』とは自然や生命に秘められたスケールであり、まずそれを深い観察で以って見つけ出さなくてはいけない。

 世界遺産となる程の美術品を作った芸術家達だけが知ることの出来た形だ。

 私には、どうしてもそれを見つけ出すことが出来なかった。

 あるいは、原作のように瀬戸際に追い込まれた時のような集中力や感覚が必要なのかもしれない。

 そして、これが更に致命的な障害なのだが――ここは『冥界』であって、『黄金長方形』を秘めた自然や生命が存在しない、死んだ世界なのだ。

 周囲の庭木や、目の前の巨大な桜の木さえ、現世に在らざるものだ。そこに生命は込められていない。

 挙句の果てに、私自身でさえ亡霊。

 ……駄目だ。

 改めて考えてみると、やっぱりこの策は詰んでる。

 そもそも、この『黄金長方形』は現世のものであっても、全てに宿っているわけではない。

 あくまで秘められたものなのだ。人間の肉体に宿すにも訓練が必要だったみたいだし。

 畜生、せめて可能性が欲しかった。

 この冥界で、何でもいいから生きた存在が――。

 

 いや、待て。

 在ったぞ。

 この冥界にも生命が在った。

 しかも、根拠無しに『黄金長方形』を宿していると確信出来る存在が在った。

 これなら見つけ出せるかもしれない。

 だって、私はあの子を十年以上見てきたのだから。

 試してみる価値はある。

 いや、きっと出来る。『黄金の回転』が出来るはずだ――私の自慢の娘である霊夢を見ながら回転させればっ!

 

 

 

 

「マスタースパーク!」

 

 八卦炉から放たれた閃光が、弾幕を飲み込む。

 しかし、西行妖の放つ力は弾幕ごっこ用のボムで相殺し切れる程脆弱なものではなかった。

 魔理沙の砲撃が通り抜けた後には、変わらず飛来する無数の死の光弾があった。

 

「またかよ!?」

 

 以前も経験した己の力不足に対して悪態を吐く。

 これが人間である自分の限界だというのか。

 人外の力を前にすれば、ルールに守られた決闘の為に備えた力や技術では容易く捻じ伏せられてしまう。このひ弱な地力こそが自分の全てなのか。

 一瞬回避を忘れ、迫り来る弾幕を睨み付けることしか出来なかった魔理沙を救ったのは、能力を発動させた咲夜だった。

 瞬き一つ分の間に、過程を飛ばして結果だけが発現する。

 魔理沙を守るように配置されたナイフを模した弾幕が、時間停止の解除と共に一斉に発射された。

 出力では勝るマスタースパークでも打ち消すことの出来なかった西行妖の力を、複数の弾幕を同時に当てることで次々に対消滅させていく。

 

「迂闊よ、魔理沙」

「悪い。助かったぜ」

 

 当たれば怪我や痛みではなく、確実に即死する恐るべき弾幕は西行妖を中心に放射線状に発生している。

 近づくほど密度が高くなるのだ。

 不用意に突進した魔理沙を、咲夜は上空へと引き上げた。

 

「あれは当たれば根性で耐えられるような代物じゃないわよ。慎重に行きなさい」

 

 戒めるように告げながら、魔理沙の眼前に手に持ったナイフを突きつける。

 咲夜の自慢のコレクションの一つであるそれは、刀身の部分を無残にも朽ちさせてボロボロになっていた。

 スペルカード・ルールを無視するのならば、弾幕を切り払うことで接近出来ないものかと試してみた結果がこれだった。

 あの光弾は死の力を内包している。

 現世の物を全て侵蝕し、殺してしまうのだ。

 人間である咲夜と魔理沙には一発でも致命傷となる脅威だった。

 

「そうもいくかよ。あそこには霊夢がいるんだぜ」

 

 しかし、それは今まさにその死の弾幕に飲み込まれようとしている霊夢も同じことだ。

 西行妖の最も近くに居る霊夢は、もはや津波と化した光の奔流に囲まれ、結界によってかろうじて持ちこたえているにすぎない状態だった。

 

「とにかく、一瞬でいいんだ。この弾幕を消して、霊夢を動けるようにしてやらなきゃ」

「無茶をすれば、まずはアナタが死ぬわよ?」

「わたし達だけじゃ手詰まりなのは変わりないだろ。あの妖怪桜を封印出来そうな能力を持った霊夢が、今一番近くにいるんだぜ」

 

 感情的に叫びながらも、その言葉にある程度の理屈が伴っていることを咲夜は感心した。

 こういうところが、霧雨魔理沙という少女の非凡なところだな、と思う。

 ただ友人の為に感情を先走らせるだけではなく、状況を打開する為に冷静であろうと努力出来るのだ。

 

「……でも、実際にどうするつもり? スペルカードのボムではあの弾幕を消すことなど出来ないわ」

「さっきやってた咲夜のボムでも駄目か? どういう仕組みなんだ?」

「パチュリー様から頂いた、このサポート用魔具によって形成した魔力のナイフを、時間停止で多重展開して一斉に発射したのよ。

 展開できるナイフの量、威力共にあれが限界だわ。とても、弾幕の中へ切り込める程の制圧力は出せないわね。かといって、物理的なナイフでは歯が立たない」

「なるほど、大体予想通りの理屈で安心したぜ」

 

 咲夜の説明に、魔理沙はむしろ笑みを浮かべて頷いた。

 

「咲夜、お前の能力って多分自分が触れている物なら時間を止めた世界の中でも動かせると思うんだが……どうだ?」

 

 咲夜は思わず眼を見開いて、魔理沙を見つめた。

 

「例えば、私を能力の影響から外すことも出来るんじゃないか?」

 

 すぐには答えることが出来なかった。

 あまりに唐突に、自分の持つ能力の特性を見抜かれたからだった。

 他者から発動自体を悟られることがない咲夜の能力は、強力であると同時に実体を掴ませない秘匿性にも優れている。

 時間を止めるという漠然とした効果だけが認識されるだけで、その止まった世界を体験出来ない以上、継続時間や範囲など具体的な性能を酷く把握しにくい。

 その一端を、魔理沙は正確に分析してみせたのだ。

 

「……ええ。私に触れている物は任意で時間停止を解除することが出来るわ」

 

 咲夜はかろうじて平静を装いながら、魔理沙の質問を肯定してみせた。

 もし、これが魔理沙ではなく見知らぬ他人であったなら、最大限の警戒とあるいは口封じの為の行動を起こしていたかもしれない。

 この能力は咲夜の生命線だった。

 戦闘者である咲夜にとって、自身の能力を暴かれることは強い危機感を抱かせるものなのだ。

 そんな咲夜の内心を知ってか知らずか、魔理沙は満足そうな笑顔を浮かべた。

 

「よっしゃ! いいぜ、これで一発逆転の策が出来る」

「でも、どうして私の能力を理解出来たの? アナタに見せたのは、以前の異変の時に弾幕ごっこで数回程度でしょう?」

「お前のスペルカードを攻略する為に研究しまくったからに決まってるだろ」

 

 魔理沙はあっけらかんと言い切った。

 確かに実戦の中にこそ多くのヒントがあった。

 時間停止の中で咲夜が動けるのなら、身に着けている衣服や投げているナイフはどうなのか?

 標的が止まっているのなら、何故そのまま攻撃しないのか?

 それらの要素を、魔理沙は見逃すことなく記憶し、日々の中で分析し続け、その結果真実を導き出したのだ。

 あまりに単純で、そして明確な答えだった。

 咲夜はあの日、弾幕ごっこで怪我を負いながらも、敵であったパチュリーから講義を受け、必死に何かを書き記していた魔理沙の姿を思い出した。

 あの姿を、魔理沙はきっと毎日のように続けているのだろう。

 咲夜の中にあったわずかな警戒心が消え失せ、自然と微笑みが浮かんでいた。

 

「何笑ってるんだよ?」

「いえ……ただアナタを尊敬しているの」

「な、なんだそりゃ?」

 

 唐突な物言いに、魔理沙は頬を赤くした。

 しかし、切羽詰った現状をすぐさま思い出すと、咳払い一つして咲夜に顔を向け直した。

 

「よしっ。それじゃあ、わたしの策を教えるぜ。咲夜の協力が必要な作戦だ。だから――」

「ええ、力を貸すわ」

 

 皆まで聞くまでも無かった。

 咲夜は無条件で魔理沙の提案を呑んだ。

 今、この時をもって霧雨魔理沙を自分と対等の存在だと、彼女は認めたのだった。

 

 

 

 

 そして、事態は動いた。

 軋む結界の限界が近づくと共に、ただジリジリと死の淵へ追い込まれていた霊夢は、唐突に気配を感じ取った。

 大局的な、今の苦境を切り崩す大きな流れの変化の気配である。

 もはや天啓の領域にまで達した勘によるものだった。

 霊夢はその予感を疑う余地も持たない。

 

「霊夢!」

 

 飛び込んできた親友の声を聞き取り、奇妙な安堵を感じて、自然と苦笑が浮かんだ。

 

「いっくぜぇぇーっ!!」

 

 魔理沙の掛け声の意味を、霊夢は全く誤解しなかった。

 来るべき瞬間に備え、結界の解除とこの場から動き出す為に身構える。

 そして、その数秒後に現状を文字通り打破する為の一撃が飛来した。

 いや、正確には一撃ではない。

 異なる二方向から同時に放たれた二発のマスタースパークが、十字砲火となって霊夢の眼前まで迫っていた西行妖の弾幕を一気に飲み込んだのだ。

 その交差点で相乗的に威力を向上させた砲撃は、死の弾幕を完全に相殺して打ち消した。

 これが魔理沙の策だった。

 咲夜の時間停止による一斉攻撃を、自らのマスタースパークによって行ったのだ。

 一発目を撃った直後に時を止め、別方向から二発目を放ち、時を動かす。

 それが二回分のボムの同時使用を可能にしていた。

 更に、そこへ加えて咲夜自身もありったけの弾幕を叩き込んでいる。

 視界を覆い尽くさんばかりだった弾幕が一瞬完全に消え失せ、霊夢の眼前に道が開けた。

 その瞬間が訪れることを、半ば確信していた霊夢は勝機を逃さずに動いた。

 一気に西行妖の本体まで接近し、陰陽玉を中心に残された全ての符を展開して封印結界を生成する。

 再び力を発揮する猶予など持たせなかった。

 その力の発生源ごと封じ込める。

 元々在った封印に更に重ね掛けする形で霊夢の結界が西行妖を拘束し始め、それに抵抗する力がぶつかり合って火花を散らした。

 軋みを上げる音と共に、再び拮抗する状況。

 しかし、今は霊夢の攻勢に移った拮抗だ。

 押し切れれば、霊夢の勝ちだった。

 

「……ちっ、今一歩足りないか」

 

 そこで霊夢は初めて悪態を吐いた。

 自身の力も含めて、持ち得る全てを総動員した勢いに対して、しかし西行妖は足掻き続ける。

 霊夢は冷静だった。

 だからこそ、現状が拙いことを理解出来た。

 これ以上、押し込む力を上げることは出来ない。

 このまま拮抗が続いてしまえば、たった一人の人間の力と長年封印されてきた妖怪桜の無尽蔵にも近い力のどちらが競り勝つのか目に見ている。

 何か、あと一押しが必要だった。

 この状況を一気に崩してしまえるような、更なる力の後押しが――。

 

「霊夢っ!」

 

 瀬戸際で、もう一度あの声が聞こえた。

 

「かあさ……っ」

「受け取れぇ!!」

 

 咄嗟に視線を走らせた先。

 地上への弾幕も同時に消えた瞬間、そこにいた先代巫女もまた行動を起こしていた。

 彼女は霊夢以外にも陰陽玉を操る資格のある、かつての博麗の巫女だった。

 張られていた結界を解除し、残された霊力を全て陰陽玉に注ぎ込む。

 そして、そこに『黄金の回転』を加えた。

 自らの視界に捉えた博麗霊夢という生命の中に隠されている『黄金長方形』のスケールを見つけ出し、そこから描き出される無限のうずまきの軌道に沿って正確に陰陽玉を回転させる。

 知識の無い霊夢にとって、その現象は人智を越えた在り得ないものに映った。

 陰陽玉の回転に合わせて、込められた霊力が加速度的に増幅していくのだけがハッキリと感じられた。

 それを中心に台風でも発生しているかのような力の流れが荒れ狂う。

 それこそ無限とも思える力の塊となった陰陽玉を、先代は霊夢に向けて蹴り飛ばした。

 正確には霊夢の眼前。ぶつかり合う西行妖と霊夢の力の交差点に、無限の力を込められた陰陽玉が飛び込んだ。

 拮抗は一瞬で崩れ去った。

 回転する陰陽玉は、自らに込められた力とぶつかり合う二種類の力の全てを巻き込んで、それらを一点に束ねながら螺旋状に西行妖の中心へと一気に潜り込んだ。

 霊夢の知識や優れた感性を以ってしても、今目の前で起こっている現象が理解出来ない。

 しかし、現状に対する判断だけは誤らなかった。

 回転する陰陽玉と自身の持つ陰陽玉の二つを並列させ、それを基点に西行妖へ封印を打ち込む。

 もはや抵抗は無意味だ。

 

「散るがいいわ、死の桜!」

 

 裂帛の気合いと共に、霊夢の形成した封印結界が西行妖を完全に封じ込めたのだった。

 

 

 ――ここに、幻想郷の『春』を奪った冥界の異変は終息した。

 

 

 

 

 桜の花びらが、より一層多く舞い散っている。

 これらが全てこの世のではなく、目の前の妖怪桜から咲いたものだと分かってはいるが、この幻想的な光景だけは素直に美しいと思えた。

 もう、西行妖から死の気配は全く感じない。

 それはつまり、霊夢が解けかかったこの木の封印を再び成功させたということだ。

 花はまだ多く枝に宿っているが、これらもおそらくはその内完全に散ることだろう。

 西行妖は再び咲かない桜の木に戻り、地上には遅れた春が訪れる。

 これにて異変は解決、ということだな。

 先ほどの激戦が嘘のように静まり返った中で、私は気の抜けた心境でぼんやりと西行妖を見上げていた。

 

「――母さん」

 

 そんな私の下へ、霊夢がゆっくりと降りてくる。

 服が一部ボロボロになっているが、外傷は見当たらない。

 それを確認して思わずホッとしてしまう私は、何処まで行っても過保護な親なのかもしれないな。

 霊夢を一人前の博麗の巫女として認め、地位を譲ったにも関わらず、ずっとこんな調子なのだ。

 でも、仕方ないよね。

 私は霊夢のお母さんなんだもの。

 

「見事な手並みだった」

「え……」

 

 考えてみれば、霊夢が異変を解決する現場に立ち会ったのって今回が初めてなんだよね。

 以前の紅霧異変は有耶無耶の内に解決しちゃったし。

 予想以上の戦いや予想外のトラブル。そんな問題が立て続けに起こる中で、霊夢は見事今回の異変を解決したのだ。

 私はそれがとても誇らしく思えた。

 胸を張って言えるよ。

 これが私の自慢の娘ですってね。

 

「立派になったな、霊夢」

 

 色々な言葉が浮かぶのに、それらは上手く形にならず、結局私は万感の想いを込めて一言。

 そして、あとは微笑み掛けることしか出来なかった。

 これで私の今の気持ちが少しでも伝わっただろうか?

 霊夢は何処か呆然と私の言葉を聞きながら、じっと見つめていた。

 …………うん、何故か会話が続かん。

 冷静に考えてみれば、今の状況は霊夢にとって疑問だらけのはずだ。

 多分、霊夢は地上で私が死んでいることを知っただろうし、その私が亡霊になってこんな所にいる理由なんか分からないだろう。

 安心してくれ、霊夢。

 私にも全然分からん!

 だから、色々尋ねられても答えようがないんだけど、かと言ってこの沈黙が何を意味するのかも分からなかった。

 なんだろう? ひょっとして、心配したのに何食わぬ顔で亡霊やっているから呆れてたりするんだろうか?

 眼が覚めてからこっち、とりあえず霊夢との合流を待っていたが、こうして事態が収まった後にこれからどうすればいいのか全然考えてなかったな。

 うーん、どうしましょ?

 いつの間にか幽々子もいなくなってるけど、もう私帰っていい?

 いや、もちろん霊夢と一緒に地上の我が家へね。

 帰ってどうにかなるとも思わんけど、とにかく慌しい展開とそれに伴う混乱の連続で疲れてるから、一息入れたい。

 それが駄目なら、せめて誰か事情を知る奴がこの場に来て説明をしてくれ――と、そんな私の切実な願いが届いたのだろうか。

 見詰め合う私と霊夢の傍に、突然スキマが発生した。

 

「異変解決、御見事でしたわ。博麗の巫女」

 

 現れたのは紫と、眠っている幽々子を抱えた藍だった。

 会って話したいと思っていた本人の登場に、私は視線を移したが、当の紫はまるで私を避けるように霊夢の方だけを見ていた。

 なにこれ、傷つくんですけど……。

 やっぱり、私が何か紫を怒らせるようなことしちゃったの?

 内心真っ青になっている私を尻目に、紫と霊夢は相変わらず嫌悪感丸出しの様子でほとんど睨み合うように対峙している。

 

「……次は、あんたの番よ」

「ええ、分かっていますわ」

「元に戻す、って受け取っていいのよね?」

「ええ。早く先代を地上へ連れて行きなさい」

 

 なんか話が通じ合っている二人。

 あっるぇー? ひょっとして事情分かってないのって私だけ?

 

「紫……」

「やはり、記憶が残っているのね。本当、貴女のことは私にも掴みきれないわ」

 

 思わず呟いた私に対して、紫は何故か苦笑を浮かべた。

 しかし、その笑みが少し悲しげに見えたのは私の気のせいだろうか?

 色々聞きたいことがあったのだが、今の紫は何か弱々しく感じて、あまり強く問い掛けることが出来ない。

 なんだか何を言っても紫を責めてしまうように思えて、私は口を噤んだまま、ただじっと見つめ続けた。

 

「……ごめんなさい。全て、元に戻すわ。

 後日、改めて貴女の下へ伺いましょう。その時に貴女の処断も受け入れるわ」

 

 心から申し訳無さそうに紫は謝った。

 これはつまり、紫が私に手を掛けたことは制裁だとか負の感情によるものじゃなかったということなのだろうか。

 やっぱり私にはイマイチ状況を理解出来ないが、まず何より『処断』って辺りが不穏で気に掛かった。

 少なくとも、今の私には紫を処断するつもりなんてないぞ。

 っていうか、その言葉に反応して背後の藍が物凄い目付きで私を睨んでくるから逆にこっちが怖いわ。

 

「でも、今は……本当にごめんなさい。貴女に合わせる顔が無いの」

 

 そう言って、最後に深く頭を下げると、紫は私の視線を振り切るように背を向けて歩き去って行った。

 幽々子を抱えた藍がそれに続く。

 向かう先からして、私達と一緒に地上へ帰るのではなく、白玉楼へ留まるつもりらしい。

 私は、それを追うことが出来なかった。

 紫がそれを望んでいるような気がしたからだ。

 ……あと、去り際に殺気滲ませて一睨みしてきた藍がやっぱり怖かったからだ。

 昔から薄々感じてたけど、私って藍に嫌われてるよね。

 結局、私は何一つ紫に答えてもらえず、取り残されてしまった。

 うーん、でもとりあえず霊夢に地上へ連れて行けって言ってたし、このまま帰って良しと受け取ればいいのかな。

 

「帰りましょう、母さん」

 

 私の疑問に答えるように、霊夢が言った。

 

「診療所に戻れば、母さんは生き返ることが出来るわ」

「……どういうことだ?」

「母さんが一体何処まで覚えているのかは分からないけど、詳しい事情はあのスキマ妖怪がまた話すと思う。

 とにかく、今の母さんは亡霊だけどまだ死んではいないの。ちゃんと元の体に戻ることが出来るのよ。そう話をつけたから」

 

 霊夢の簡潔な説明を受けて、私は拍子抜けしながらも納得するしかなかった。

 まあ、これが嘘や誤魔化しとは思えないしね。

 悩んでいたことがあっさり解決してしまった肩透かしの気分はあるが、一番望んでいた現世への復帰が可能になったのだから、ここは素直に喜んでおくべきだろう。

 これで、霊夢を置いて逝く心配もなくなったわけだ。

 霊夢の言う事情とやらを、また後日紫から聞く必要はあるが、とりあえず私は一つ頷くと、内心を表す笑みを浮かべた。

 

「分かった。それじゃあ、帰るか。霊夢」

「うん……」

 

 そう促し、私は歩き出そうとした。

 しかし、肝心の霊夢が付いてこない。

 不思議に思って再び振り返ると、霊夢は何か思い詰めたような表情で足元を見つめていた。

 

「霊夢、どうした?」

 

 私の問い掛けにも、霊夢はしばらく応えなかった。

 下唇を噛み締め、視線を数回左右に彷徨わせて、やがて意を決したように顔を上げる。

 私を見つめるその瞳には、何故か悲壮な決意が垣間見えた。

 

「……ねえ、母さん。あたし、これから母さんを怒らせるようなことを話すわ」

 

 突然、そんなことを言い出す霊夢に私は酷く動揺した。

 

「だから、ちゃんとあたしを怒ってね」

 

 怒らせる、と来たか。

 これはまた、あまり気持ちのいい話の切り出し方ではない。

 ひょっとして、私はこれから娘に罵倒されたりしちゃうんだろうか? と、少々被害妄想気味な予想が頭を過ぎって、慌ててそれを振り払う。

 いやいや、違うって。

 多分、霊夢が言いたいことはそういうことじゃない……はず。

 嫌な汗が吹き出し、内心ドキドキしながら、霊夢の言葉の続きを待つ。

 

 

「――あたしは、母さんよりも先に死にたい」

 

 

 予想外の一言に、私の頭の中は真っ白になった。

 

「母さんは、あたしが大人になったら波紋を止めるって言ったけど、そんなこと気にせずに使い続けて欲しい。

 あたしが母さんの死に目を看取るなんて、嫌よ。凄く怖い。耐えられない。息をしていない母さんを見ると、体の中が凍ったみたいに冷たくなるの」

 

 血を吐き出すように語る霊夢の声は、少しずつ震え始めていた。

 霊夢のこんな姿は初めて見る。

 しかし、それを気遣う余裕が私にも無いのだ。

 ただ、今まで一度も聞いたことがない霊夢の心の底からの告白が衝撃的過ぎて、呆然と佇むことしか出来なかった。

 

「母さんがいなくなった後、一人で生きるなんて……辛い。考えられない。

 なんだか自分を繋ぎ止めていたものが切れて、何処かへ飛んでいきそうな気がする。きっと今までの自分じゃなくなる。

 だから、そうなる前にあたしは死んでおきたい。不慮の事故でも妖怪退治の失敗でも、何でもいいわ。なんなら、母さんに殺されても――!」

 

 パンッという乾いた音が、静寂の中で強く響いた。

 いつの間にか霊夢は話すのを止め、顔を背けている。

 いや、違う。

 私が止めさせたのだ。

 霊夢の頬を力一杯叩いて、それ以上喋らせなかった。

 その時私は、紛れもない霊夢に対する強い怒りで無意識に動いていた。

 

「ぁ……」

 

 我に返った私は、間の抜けた声を漏らすしかなかった。

 手のひらには、霊夢を殴った感触がハッキリと残っている。

 それが私の視線を、頬を赤く腫らした霊夢の顔から逸らすことを許さなかった。

 ……ああ。

 なんて……こと、をっ。

 私は……この子に、なんてことをしたんだ!

 

「すまな……っ」

 

 湧き上がる後悔と罪悪感が衝動的に謝罪を口走らせようとして、しかし私は咄嗟にそれを噛み殺した。

 馬鹿が、謝ってどうする……!?

 何故私は霊夢を殴ったんだ。

 単なる気の迷いなんかじゃない、ちゃんとした意味があったからだろう!

 子供を正す為に叱ったことを、その子供に謝罪する親が何処にいる?

 この子の為を想って怒ったのなら、例え後悔に押し潰されようとも最後まで貫き通せ。

 出来ないなら、私は霊夢の母親失格だ。今後、名乗る資格なんて無い。

 私は自分自身を叱責すると、意を決して口を開いた。

 

「に、どと……二度と、そんな馬鹿なことを言うんじゃないっ!」

 

 上手く喋るどころか、声を出すことさえ難しかった。喉が引き攣って、舌が回らなかった。

 しかしそれでも必死に、厳しさを表に出して、私はハッキリと霊夢を叱り付けた。

 考えてみれば、それは私と霊夢にとって初めての経験だった。

 この子が私を怒らせたことも、それを叱ったことも。

 ――この子を、殴ってしまったことも。

 

「…………ごめんなさい」

 

 霊夢は俯いたまま、力無くそう答えたが、すぐに顔を上げて真っ直ぐに私の瞳を見つめ返した。

 その顔は、後悔と苦悩に塗れている。

 そしてきっと、私も同じ表情をしているはずだ。

 私達のいずれも望んでいないのに、こうしてお互いに苦しみながら叱り、叱られている。

 傍から見れば、奇妙に思える光景なのかもしれない。

 しかし、今の私にとって周囲のことなどどうでも良かった。

 ただ、目の前にいる霊夢の存在だけが心を占めていた。

 

「ごめんなさい、母さん……っ」

 

 自然と溢れた涙を堪え、鼻を啜りながら、掠れた声で――それでも霊夢は改めて私の顔を見ながら謝った。

 霊夢はきっと、先ほど口走ったことの全てを悔いているに違いない。

 昔から聡明な子だった。

 私の教えたことを、一つも間違えることなく理解出来た娘なんだ。

 だけど、さっきまでの霊夢の話が、嘘や一時の気の迷いなどとは私には思えなかった。

 きっと、あれもまた霊夢の本音に違いない。

 私を――母親を失う恐怖を、普通の子供と同じようにこの子も抱いていたのだ。

 どうしようもない衝動に突き動かされて、私は霊夢を強く抱き締めていた。

 この行為に、大した意味や尊さなど在りはしないのだろう。

 何故なら、私は霊夢の気持ちを痛いほど理解しながら、それに応えてやることが出来ないからだ。

 霊夢の恐怖や悲しみを消してやりたい。

 この子が望まないことを、絶対にやりたくない。

 そう思っているのに……それでも、やっぱり私は母親だから。

 この子の為に、いつか私は死ぬ人間だから――。

 

「母さんの気持ち、ちゃんと分かってる……」

「ああ。私も、お前の気持ちは分かってる」

「なのに、変ね。分かってるのに、間違ったことを望んじゃうの」

「間違っていない。私も、お前の為なら何でもしてやりたいさ」

「駄目よ、母さん」

「ああ、そうだな。駄目だな」

 

 私にも、霊夢にも、どうすることも出来なかった。

 ただ、こうして心も体も一つになることを願うように強く抱き合うしかなかった。

 そんなこと、それこそ叶いはしないというのに。

 

「将来のこととか、これまで考えたことも無いし……今でも想像出来ない。

 いつか誰かと結婚して、子供を作るかもしれない可能性なんて、全然実感が湧かないわ」

 

 私の胸に顔を埋めたまま、霊夢は独白するように語る。

 

「でも、あたし……いつか、母さんみたいな母親になりたい」

 

 ――ああ。きっとなれるさ。私よりも、ずっといい母親になれる。

 あとはもう、言葉にはならなかった。

 私も霊夢も何も言えずに、ただ時間と心が許す限り抱き合っていた。

 周りを、桜の花びらが物悲しく散っていく。

 それは命の終わりを連想させる。

 しかし、私はそれに囚われるつもりはなかった。

 私にはまだ時間がある。

 いずれ別れの時は来るが、それでも今はまだこの子と共に生きる為の時間が残されている。

 腕の中で霊夢の存在を感じながら、私は亡霊となって以来初めて心の底から生き返ることを望んでいた。

 心の何処かで自分の死を諦めと共に受け入れていた時とは違う。

 

 ――霊夢を、早く元の体で抱き締めてやりたい。

 

 ただ、そう強く望んでいた。

 

 

 

 

 美しい光景だ、と咲夜は思った。

 しかし、心の何処かであの親子を素直に祝福出来ない気持ちがあるのは、多分わずかな『ひがみ』があるからだろう。

 自分には、どうあってもあの光景を作り出すことが出来ないのだから。

 

「放っておいたら、ずっとあのまま抱き合っていそうね。適当なところで声を掛けましょうか」

「やめとけよ、無粋だぜ」

 

 霊夢と先代の姿を遠巻きに眺めながら呟いた咲夜に対して、背後の木の幹に背を預けて座り込んでいた魔理沙が言った。

 こちらは西行妖とは違う、白玉楼の広大な庭に幾本も植えられた普通の桜だ。

 咲夜は未だ立ち上がることの出来ない魔理沙へ視線を移した。

 

「もう大丈夫?」

「意識はハッキリしてきた。でも、なんか体を動かすのがダルイな……」

「無茶をするからよ」

 

 魔理沙が疲労している原因は、単純な魔力の枯渇だった。

 八卦炉はそれ自体が力を持つのではなく、魔理沙の魔力を燃焼させて火力を発揮する魔法具だ。

 霊夢を援護する為に最大出力のマスタースパークを連発したことで、一時的に魔力量の限界を超えて消耗したせいだった。

 朦朧とする意識の中、魔理沙は全てを託した霊夢が見事異変を解決する瞬間を見届けた。

 大きな満足感と共に、ほんの少しだが不満も残った。

 今回の異変は、なんだか色んな意味で自分は脇役だったような気がする。

 

「本当に、声を掛けなくていいの? アナタは陰の功労者でしょうに」

 

 魔理沙の活躍を知る証人として、咲夜は気遣っていた。

 その向けられる想いに、ありがたさと同じくらいの気恥ずかしさを感じて、魔理沙は傍らに置いてあった帽子を被り直した。

 

「今度神社に行った時、散々恩に着せてやるさ」

「……魔理沙って健気よね」

「なっ!? なんだよ、さっきからおかしいぜ!」

「大声上げちゃ駄目よ。眩暈を起こすかもしれないわ」

「じゃあ、恥ずかしいこと言うな馬鹿!」

 

 頬を赤くしながら、逃げるように咲夜から顔を背ける。

 自然と、視界に霊夢達の姿を映すことになった。

 母と娘。

 二人の姿を見ていると、酷く切ない気持ちになった。

 望んでも絶対に得られないものを見ていることほど悲しいものは無い。

 咲夜の方に視線を戻すことも出来ず、魔理沙は帽子のつばで視界を隠すように深く下げた。

 あの光景は、自分には少し眩しすぎる。

 

「……霊夢はさぁ」

 

 傍らには咲夜しか聞く者はいない。

 それを理解しながら、別に誰かに聞かせることを意識するわけでもなく、魔理沙は独白した。

 

「物事とか人間関係とか、とにかく色々なことに執着しない性格なんだ。

 考えてみろよ? あんな辺鄙な人気の無い神社に、一人で住んでるんだぜ。大した趣味は持ってないし、オシャレだってしたこともない。

 吾唯足るを知る、って言ったっけ。だからって、いくらなんでも無欲すぎだろ。たまに冗談なのか本気なのか分からない言い方で、賽銭を要求するくらいでさ。

 着の身着のままを素で行く奴なんだ。ホント、お前は仙人か妖怪かって話だよ」

 

 茶化すように話しながら、ふと声が強く焦がれるような羨望を滲ませる。

 

「だけど、あいつは本当に大切なものを最初から持ってる」

 

 その一言に、魔理沙の胸の内が全て込められているような気がした。

 母親を持つ霊夢が、羨ましかったのだ。

 ただ黙って話を聞いていた咲夜は、魔理沙の抱く霊夢への羨望の気持ちに共感出来た。

 咲夜は魔理沙が実家から勘当されていることを知らない。

 しかし、自分のことは分かっている。咲夜は両親の顔も覚えていない。

 同じ孤独な人間として。そして、それでも今は仲間を持つ者として、咲夜は魔理沙に親近感を感じた。

 

「……そうね」

 

 同意を返しながら、自然と笑みが浮かぶ。

 

「しかも、アナタという親友まで持っているんですものね」

 

 優しく微笑みながら魔理沙に視線を送ると、より一層深く帽子を被ってそれから逃れる仕草が映った。

 あからさまな見えないふり聞こえないふりだったが、咲夜には魔理沙が恥ずかしがっているのがよく分かった。

 もう少しからかってみたい衝動に駆られながらも、それを堪えて視線を外す。

 口元が緩むのだけは止められなかったが。

 

「ズルイ奴だわ、霊夢って」

「……ああ、全くだぜ」

 

 霊夢を遠巻きに眺める咲夜と魔理沙。

 三人の間で、今一つの壁が消えていた。

 咲夜は初めて霊夢の名前を呼び、それが思いの他容易く行えたことに奇妙な満足感を覚えた。

 

「私達は、先に帰っちゃいましょうか」

 

 魔理沙の下へ歩み寄り、手を差し出す。

 

「……そうだな。気が済んだら、あの二人も勝手に帰ってくるだろ」

 

 悪戯っぽく笑い、魔理沙はその手をしっかりと握り返した。

 咲夜の力を借りて立ち上がり、二人並んで飛び立つ。

 異変の終結した白玉楼と、再び封印された西行妖を背に、魔理沙と咲夜は静かに去っていった。

 

「ねえ、魔理沙。帰りに紅魔館へ寄っていかない?」

「なんだ、おもてなしでもしてくれるのか?」

「それもあるわね。体が冷えたでしょうから、温かい紅茶とお菓子でもいかが?」

「おっ、いいね。それじゃあ、お邪魔するぜ。ついでに、パチュリーから本も借りたいしな」

「それと、お風呂と代えのショーツも貸すわ」

「……あー、うー、そのぉ……」

「もちろん、こっそりね」

「た、助かるぜ。本当……」

「二人だけの秘密ね。ふふっ、素敵だわ」

「素敵か?」

「ええ、こういう女の子同士の秘密の共有って初めてだから。憧れないかしら?」

「いやぁ、シチュエーションにもよるぜ」

 

 魔理沙の神妙な一言に、咲夜は思わず声を上げて笑ってしまった。

 

 

 

 

 白玉楼には異変の跡が残されていた。

 本来、冥界に居るべきではない者達が全て去ったしばらく後に、幽々子は目を覚ました。

 博麗の巫女との弾幕ごっこに負けて、西行妖が光を放ったところから先の記憶が無い。

 自分の目的は達成されたのかという疑問は湧いたが、庭先を見たところで全てを悟った。

 西行妖から放たれていた脈動するような気配は既に完全に停止し、残滓のような桜の花びらが舞い散っていた。

 異変は解決されたのだ。

 

「なんだか、疲れちゃったわぁ」

 

 今回の異変に関して、半ば娯楽のつもりで動いていたが、それでも全てが徒労に終わった結果には無念を感じずにはいられない。

 加えて、多くの出来事に何度も心を動かされた。

 特に、あの二人の巫女は――。

 亡霊である自分には、それこそ閃光のように眩しい人間達だった。

 彼女たちが残した影響は大きい。

 既に半分以上の花が散った西行妖をぼんやりと眺めていた幽々子は、庭の片隅へ視線を移した。

 先ほどからずっと、絶え間なく風切り音が続いている。

 妖夢が素振りをする音だった。

 一時も休む間もなく、珠のような汗を流しながら鬼気迫る表情で続けている。

 あの博麗の巫女との戦いで、何を見て何を悟ったものか。

 妖夢が鍛錬をする風景は、この白玉楼において日常的なものだったが、明らかに普段と様子が違った。

 強くなることにひたむきな意志を宿した顔ではない。

 何かに追い詰められ、逃げる為に没頭するような引き攣った顔だった。

 幽々子の知る限り、少なくとも今の妖夢は自らの剣から逃げている。

 その手に握る物が、常日頃身に付けている二刀では無く、ただの木剣であることがそれを明確に示していた。

 

「一人で乗り越えるのは難しいかしらね……」

 

 あまりに愚直で不器用な妖夢の姿を見つめ、幽々子は苦笑を浮かべた。

 愚直さもまた美点であると思う。

 しかし、妖夢が成長する切欠を喜ぶ一方で、そこから進む為の手助けもしたいと考えていた。

 甘やかすのは宜しくない。だが、苦しむ姿を見たいわけではないのだ。

 

「ねえ、紫。冥界の入り口の結界なんだけど、しばらくあのままにしておいて貰えないかしら? 地上に幾つか用事が出来そうだから」

 

 個人的興味からも、今一度あの二人の巫女と会ってみたいという気持ちがあり、幽々子は同じ縁側の隣に座る親友に頼み込んだ。

 返答は無い。

 紫は、やはり同じようにぼんやりと舞い散る桜を眺めていた。

 しかし、その光景に憂いを感じていた幽々子とは違い、紫の視界には現実の光景など映ってはいない。

 

「心此処にあらず、ね」

「聞こえているわよ。結界の件でしょ」

「それって聞こえているだけよね。耳に入った言葉を頭で処理して口から出しているだけ」

「……会話の仕方として、何か間違っているかしら?」

「全てが終わったら『話』をしたいと言ったのは貴女でしょう?」

 

 幽々子は言葉の微妙なニュアンスの違いを強調して、紫に指摘した。

 

「親友だから、そう持ち掛けられたのだと思っていたんだけどね」

「……そうね。ごめんなさい」

 

 紫は素直に謝り、ようやく取り繕うことを止めた。

 弱々しく見える横顔を眺め、幽々子は満足気に頷く。

 今更誤魔化さなくてもいい。

 事情など何一つ話してくれなかったし、分かりもしないが、紫が酷く落ち込んでいることだけはハッキリと分かった。

 そして、そんな彼女を助けたいという素直な気持ちだけがあった。

 

「紫?」

 

 彼女がこちらを見るまで、幽々子は辛抱強く待った。

 

「貴女が一番気にしていることを、話してくれないかしら?」

 

 紫はその言葉に一瞥を向け、すぐに恥じるように視線を逸らした。

 それでも、意を決したように口を開いた。

 

「彼女を亡霊にしたのは、肉体の治療を待つ為だと私は言ったわ。確かに、そう考えたの」

 

 紫はただ、自らの心の内を吐露するように話すだけだった。

 彼女というのが、おそらく先代巫女のことであろうと推測し、治療がどうこうという部分は説明不足で話が見えてこない。

 しかし、幽々子は口を挟まなかった。

 親友の望むまま、ただ聞いていた。

 

「でも、多分違うわ。私は治療など、本当はどうでもいいと思っていた。

 彼女の足が治ったとして、それからどうするの? 十年、二十年と経てばまた歩けなくなるわ。その時、私は彼女にどんな『治療』を施せばいいの?」

 

 紫は、酷く疲れたような仕草でため息一つ分の間を置いた。

 

「幽々子のように、人間の枠組みから外れて、妖怪である私の傍にずっと居て欲しいと思っていた……かもしれない」

「……無理よ」

「ええ、無理よ。分かっている。分かっていた、はずだったの。

 だって、全部霊夢の言うとおりなんだもの。彼女が生き抜く姿に魅せられたのよ。対等でいたいと思っていたの。都合の良い慰めの相手として傍に置こうなんて、そんな馬鹿げたことを思っていたわけじゃないわ」

 

 言葉の最後は、まるで怒鳴っているようだった。

 何に対する怒りなのか、紫自身にも分かっていない。

 理解出来ず、制御も出来ない感情のうねりがあった。おそらく妖怪として普通に生きたならば、一生抱くことの無い情動が。

 

「人間と妖怪の共存するこの幻想郷が残酷であることなんて、他ならない私自身が語っていたのにね……」

 

 紫は自嘲の笑みを浮かべた。

 人間と妖怪が、何かの間違いで心通わせたお話。

 その結末は、いつだって悲劇だった。

 何かの間違いで起こった出来事は、やはり間違いそのものだったのだ。

 妖怪に恋をした人間。その逆。人間の子供を拾い、情を移した妖怪。親が妖怪であることを知った人間――形の違いはあれど、結局は『別れ』で終わる多くの結末を、紫は何度も見届けてきた。

 時には干渉し、彼らや彼女らに真理を諭した。

 その全てが、今は薄っぺらく思える。

 現実を見つめ、理解していた。

 しかし、自らが対面したことはなかった。

 人間が死ぬという当たり前の現実を、八雲紫は初めて怖いと感じたのだ。

 

「……ごめんなさい。もう答えは出ているのよ。ただ、私が納得して終わるだけの話なの。今更、幽々子に言っても仕方の無いことなんだわ」

「そうね。私には話の全貌もよく分からないし、適当な言葉も思い浮かばないわ。でも――」

 

 幽々子は手を伸ばして、紫の手を取った。

 

「仕方の無いこと、納得するしかないことなら……別に我慢する必要も無いんじゃないかしら」

 

 握り合った手をじっと見つめていた紫は、やがて目の奥から感じる熱の意味を理解した。

 

「そうね」

 

 無意識に堪えていたものの正体がようやく分かった。

 分かった途端、もうどうしようもなくなっていた。

 幽々子から顔を背け、逆に手には力を込めて握り返す。

 

「幽々子。私、少し泣くわ」

 

 そして、紫は人間が一生に一度は流すものと同じ涙を流した。




<元ネタ解説>

特になし。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告