祝☆劇場版公開記念! ガルパンにゲート成分を混ぜて『門』の開通を100年以上早めてみた   作:ボストーク

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作品紹介にも書きましたが、「ガールズ&パンツァー 劇場版」プレミア前夜祭イベントの鑑賞後、帰りの電車の中で妄想した話がこの作品の原型になってます(^^

歴史には登場しない戦車が出てきたりしますが、ちょっとイカれた仮想戦記を楽しんでいただければ幸いです。

後書きには、設定資料を入れてみました。

2015/11/25、ソ連の指導者をスターリンからトロツキー……に似た人(笑)に変更。
赤軍の生みの親だけあって軍部の支持は高く、優秀な軍人さんの大粛清とかはまずやらんでしょう。


第01話 ”あんこう、彼の地にて斯く戦えり”

 

 

 

1939年11月、大日本帝国『特地』、”イタリカ保護領”郊外、野戦陣地

 

 

 

欧州中世の雰囲気に近い、本来なら牧歌的あるいは”ファンタジック”と形容したくなるような情景のはずの場所に、どういうわけか無粋な風景が広がっていた。

 

もし皆さんが上空から見ることが出来るなら、それはきっと「街をぐるりと取り囲むように地面に描かれた幾本もの環状折れ線グラフ」を連想するかもしれない。

しかし、それが平和利用のようなものではないのは目を凝らしてみれば一目瞭然だった。

随所にもうけられた重砲をそなえた頑強なベトン製のトーチカ、折れ線グラフの奥のほうには高射機関砲/機銃座あるいは長射程の野砲や榴弾砲、折れ線グラフに沿うように迫撃砲や地上掃射用の機関銃が据え置かれ土嚢を積み上げられた永久陣地がカモフラージュされながら数多く構築され、そして折れ線グラフ自体も実は地面の掘られた大規模な溝、いわゆる”塹壕(トレンチ)”だということに気付くだろう。

そのイタリカの街を取り囲む塹壕線のさらに外周には有刺鉄線が張り巡らされ、またパッと見わからないが、おそらく各種地雷も数多く埋設されてることだろう。

 

そう、これはイタリカの街を守る野戦築城された防衛線であった。

 

 

 

そして、その一角に”彼女達”はいた。

 

「う~ん……プロイセン、じゃなかった”ナチス第三帝国(Drittes Reich)”がポーランド侵攻して2ヶ月ちょっと経つけど、果たしてこの勢いはどこまで持つのかな?」

 

戦車隠蔽壕の車体をダグインさせ、旋回砲塔だけを地面から突き出したように見える【九八式重戦車(あるいは”九五式改重戦車”)】……

その暫定的な対空射撃もこなす防盾付きの武2式(M2ブローニング)重機関銃が取り付けられた砲塔上面右側の車長用のキューポラ・ハッチを開き、上半身だけを出した少女は、『”門《ゲート》”の向こう側』にある”本国”から数日遅れで届いた新聞を読みながら呟いた。

 

そう、”少女”である。

軍人らしく肩にかからないように短く切りそろえたやや明るい茶色の髪がチャームポイントの大きな瞳が印象的な、まだ女学生という雰囲気の十代中盤から後半といった見た目の少女だ。

しかし、大日本帝国軍”少尉”の階級章と陸軍戦車徽章が縫い付けられた戦車兵戦闘服(パンツァー・ジャケット)が、彼女が街中で見かける女学生などではなく「大日本帝国陸軍正規士官」であることを雄弁に物語っていた。

 

もっとも彼女の場合は、陸軍士官学校卒ではなく義務教育を飛び級で終えた後に陸軍短期士官養成学校に入学し、その後に「大洗女子戦車学校」を卒業して任官したのではあるが、それでも紛れも無く正規陸軍士官である。

もっともそれは、延べ30年以上にわたり断続的に繰り返された『特地』勢力との戦闘で帝国陸軍が陥った慢性的な戦闘員不足の裏返しでもあるのだが……

 

「”西住隊長殿”、珈琲いかがですか?」

 

左側の装填手用キューポラからホーロー製のマグカップ片手に顔を出したのは、くせっ毛がトレードマークの戦車と小隊長大好きっ娘、

 

「ああ、”優花里(ゆかり)”さん。うん、ありがとう。もらうね」

 

くせっ毛娘、”秋山優花里”軍曹は珈琲を手渡し、

 

「西住小隊長殿、いつも言ってますが自分は軍曹、下士官であり士官である隊長より階級は下なんです。軍にとっては階級は絶対である以上、隊長殿は相応の態度を……なんだったら、私のことは呼び捨てでかまいませんから」

 

大洗時代と同じような呼び方をする我らが小隊長”西住みほ”少尉に優花里は苦言するが、

 

「うちの”中隊長”は細かい軍規にいちいちこだわる人じゃないでしょ?」

 

「今は待機中とはいえ軍務ですよ?」

 

「わたしは可能な限り自分のスタイルとスタンスを貫く主義だよ」

 

優花里は溜息を突き、

 

「隊長の主義は低抵抗被帽付徹甲弾(APCBC)ですか」

 

「まさか。そこまで意思は固くないよ。せいぜい……被帽付徹甲弾(APC)風帽付徹甲弾(APBC)くらい?」

 

(いや、西住隊長の頑固さは絶対に、開発が噂されてる”新型高速徹甲弾”級だろうなぁ~)

 

と思いもしたが、言わぬが花だと優花里は判断した。

判断力は生き残りの重要な要素であることを、彼女はこの「大洗女子戦車学校」時代からイヤというほど思い知らされていた。

 

 

 

***

 

 

 

「ところで隊長は何を読んでたんですか?」

 

するとみほは読んでた新聞を差し出し、

 

「第三帝国は順調に戦線を拡大中。ポーランドをソ連と折半したみたいだよ? 英仏は第三帝国に宣戦布告したけど、今のところ目立った動きはなし。少なくとも鉄砲担いでポーランドくんだりまで行って白馬の騎士を気取るつもりは無いみたいだね」

 

一口飲んで珈琲のせいだけじゃない苦い顔をするみほだったが、

 

「あれ? ポーランドってたしか32年に【ソ連・ポーランド不可侵条約】、34年に【ドイツ・ポーランド不可侵条約】を締結してませんでしたっけ?」

 

「9月17日の侵攻であっさり破棄されたよ。どうやら【独ソ不可侵条約】の裏側で、ポーランドの分割併合の大筋合意は出来てたみたいだね?」

 

「ああ、あの【モロトフ=リッベントロップ協定】ですか~。たしか、8月23日くらいでしたっけ?」

 

モロトフはソ連の外相で、リッペンドロップはナチス・ドイツの外相だ。

その二人の飼い主、なんとなく黒髪&ちょび髭キャラが被ったリヴォフ・ダヴィードヴィチ・トロツキーとアーダベルト・ヒットラーの犬猿の仲は有名であり、この電撃和解は世界を驚愕させた。

スターリン? レーニン存命中に高所から転落して”事故死”しましたが何か?

 

 

 

「うん。表向きは『相互不可侵および中立義務のみの協定』だったけど、あの電撃和解には必ず裏が……”秘密議定書”があるって噂されたでしょ? 多分だけど、ポーランドの占領と分割は、その結果じゃないのかな?」

 

優花里はごくりと唾を飲み、

 

「秘密議定書の中身は、ドイツとソ連による欧州の分割支配計画……」

 

「陰謀史感的な見方をすれば、その可能性もあるよ。もっとも、」

 

みほは小さく笑い、

 

「我れらが大日本帝国にとっては、今のところまぁーったく関係ない話だけどね」

 

「そりゃそうですね。日本が同盟を結んでいるのは英米とだけですから」

 

どうやらこの世界は我々の世界とはかなり異なる歴史を歩んでいるようだった。

少なくとも1939年11月時点で1902年に締結された日英同盟は未だ(やや惰性的ではあるが)継続されており、また1906年には新たに”日米同盟”が締結されていた。

もっともこれは日英米の三国同盟を意味するものではなく、あくまで日英同盟と日米同盟は別々の同盟として機能していた。

 

この二つの同盟が未だ機能しているのは、我々の歴史と異なる第一次世界大戦での日本の立ち位置やパリ講和条約あるいはヴェルサイユ条約のあり方などがあるが……

 

その根源を探るなら、少なくとも大日本帝国の全ては1905年(明治38年)9月5日に起因するといえるだろう。

そう、日露戦争の終演である”ポーツマス条約”に拒絶を突きつけるために日比谷公園に集まった市民達の前に突如開いた【(ゲート)】こそが全ての『異聞』の始まりだと……

そう、後世で言う【日比谷『門』異変】である。

 

 

 

***

 

 

 

少なくとも”この世界”……平行世界とは違う時間軸で生きるみほと優花里にとっては、欧州での出来事は絵空事のように現実感の無いものだった。

 

平行世界(げんじつ)と異なる日本、大日本帝国は「異なる世界」……今では『特地』、正確には『特別地区』という大雑把な呼び方がまかり通る世界と繋がってしまったことにより、日露戦争以降に飛躍するはずだった遅ればせながらの覇権主義、海外への領土拡張へ連なる目論見と野心は無期限で封印せざるえなかったのであった。

 

そう、日比谷公園に開いた門を中心に帝都の一部が……決して無視できない範囲が、「見たことも無い正体不明の敵軍」に占領されてしまったのだから。

 

その事態をいち早く収拾する為に大陸や半島に出兵した将兵達は直ちに呼び戻され、各占領地/実効支配地は放棄された。

また各国に散らばった日系移民たちにさえ本国への帰還要請が出たほどだった。

故に史実なら1910年に起こった日韓併合」も話題にすら出ず、日本は山東省や遼東半島などの大陸への足がかりは自発的な放棄により全て失っていた。

”この世界”の日本の大陸からの全面撤退により、1932年になっても満州国は影も形もない。

今や大日本帝国は『門』のせいでそれどころではなく、半島の併合や大陸への再進出など誰も考えない……首都を一部とはいえ占領され、帝都が半ば恒常的な戦場となった帝国にそんな余裕はどこにもなかった。

 

 

 

詳細は今は割愛させてもらうが……大日本帝国軍の火力/制圧力不足や日英同盟/日米同盟の兼ね合いから第一次世界大戦の参戦と出兵、関東大震災という不運や世界恐慌という混乱もあった。

しかし、それらを乗り越え長き膠着と幾度と無く繰り返された散発的な戦闘、そして占領地包囲の睨み合いのはてに『門』の向こう側から来た異界の軍勢を駆逐し、ついに侵略者達を門の奥へと敗走させて日本人の手に帝都全てが取り戻せたのは結局、後の歴史家の言う【日比谷『門』異変】から四半世紀以降の時間が過ぎた1932年(昭和7年)5月15日のことだった。

 

この出来事は、国内では『5・15戦役』や『帝都奪還戦』として報じられたが、世界では多少皮肉も入ってるだろうが『ジャパニーズ・レコンキスタ』として報道されたようだ。

 

高密度な砲兵部隊の効力射と当時は最新鋭の”九一式重戦車”の分厚い装甲と膨大な火力を前面に押し立て破城槌(ジャガーノート)として用い後続の”八九式中戦車”をはじめとする機甲兵力で機甲強襲蹂躙戦術を敢行、自動火器で武装した高火力歩兵部隊の浸透突破戦術の組み合わせがが功を奏した戦いであり、また大日本帝国が日清/日露/第一次大戦の近代陸戦と『門』外勢力の度重なる戦闘において膨大な犠牲と引き換えに結論として出した「火力至上主義」の総括とも言える戦いだった。

 

しかしこうして帝都は奪還できたものの、この時点で異界の軍勢との交戦により失われた死者/行方不明者は民間人を含めるとのべ30万人をゆうに越えていた……

 

 

 

そして1936年(昭和11年)2月26日、小雪舞い散る帝都より『門』の向こう側にある未知の土地……『特地』へ向け最大限の努力により現状における最良の装備を整えた大日本帝国陸軍/大日本帝国”空軍”の独立混成諸兵科連合軍団……【特別地域攻略機甲軍】、通称【特甲軍(とっこうぐん)】がついに出兵するに至ったのだった。

俗に言う『2・26出陣』である。

 

 

 

***

 

 

 

当時は最新鋭だった九五式重戦車を前面に押し立てて怒涛の勢いで攻め入った陸軍は、”帝国”軍が守る『特地』側の『門』出口……”アルヌスの丘”を占領し、そこを史実に太平洋戦争末期の硫黄島すらも凌ぐ要塞へと驚くべき速さで変貌させた。

もっともそれは米国から大量輸入したブルドーザーなどの重機の功績でもあるのだが。

 

それより三年……正体不明の敵の正体であった”帝国”の焦土作戦に苦しめられながらも特甲軍は、まずはアルヌスの丘を中心に兵庫県に匹敵する広さを持つ【アルヌス管区】を支配下におき、次にアルヌス北部にある商業都市イタリカへと侵攻し穀倉地帯が広がる周辺を【イタリカ保護領】として”帝国”から切り離した上に併合、また産油地帯や豊富な地下資源鉱脈を持つ”エルベ藩王国”を保護国としていた。

大雑把に言えば、現地の地図で言うロルドム渓谷からデュマ山脈に挟まれたイタリカからアルヌスを通ってエルベ藩王国までが大日本帝国の勢力圏ということになる。

この地にはイタリカ領主やエルベ王以外にも領主や封建貴族はいたが、いずれもアルヌスやイタリカの攻防戦で戦死するか、あるいは討伐されている。

 

みほ達が配属されていたのは、その対”帝国”最前線と言える【イタリカ保護領】だった。

 

「本国のお偉い人たちだって、まさか今更『覇権国家同士のゼロ・サムゲーム』になんか参戦したくないだろうし。そんな余力も今の大日本帝国にはないから」

 

「ですよねー。大陸ならともかく欧州まで逝って戦争するなら、大規模な外洋型海軍が必要でしょうから。今の帝国海軍は、規模はそこそこでも領海防衛用の近海型海軍ですもんね」

 

「仮に外征海軍ができたとしても、まずロジックが……補給線がもたないよ。日本に欧州まで補給線を維持できるだけの輸送船も無ければ、それを護衛する艦船もない。それに第二次ロンドン海軍軍縮条約で保有枠を緩和されたといっても、海軍が”主力対戦艦兵器”……”新型戦艦”を建造する目処はまったくたってないし」

 

というより、第一次ロンドン海軍軍縮条約の頃から諸事情により慢性的に予算不足の帝国海軍は、制限枠ギリギリまで艦船建造するという事は無かったのだが。

一応、第二次ロンドン海軍軍縮条約が失効するのは3年後の1942年だが、それにあわせて新型戦艦を建造するなら、最低でも建造計画や予算原案ぐらいはもうできてないとおかしいのだが……

だが帝国海軍は欺瞞でもなんでもなく、本当に長門型や伊勢型の後継になる新型戦艦の建艦プランは存在してないのだった。

ただあまりに艦齢が高い金剛型に関しては、その後継であるドイツのシャルンホルスト級を参考にして設計を拡大させたような【B65型超甲型巡洋艦】という建造プランが存在しているらしい。

 

「未だ帝国海軍の水上打撃主力は古いけど16in砲艦の長門型2隻に、さらに古い14in砲の伊勢型2隻に巡洋戦艦の金剛型4隻ですからね」

 

「扶桑と山城を廃艦にしたのは英断だと思うけど、新造の加賀型戦艦と赤城型巡洋戦艦の4隻を纏めて空母にしたっていうのはどうなんだろう?」

 

「仕方ないですよ。当時の海軍は東京湾に座礁ギリギリまで深く潜り込んで日比谷を砲撃するより、安全な洋上から対地爆撃をするって方針に切り替えたんですから。それに大陸や半島から全面撤退したと言っても、台湾や南樺太、南洋の委任統治領がある以上は哨戒範囲はとんでもなく広いですもん」

 

「だから戦艦じゃなく空母から飛行機を飛ばしての広域哨戒で動員兵力を削減?」

 

「ええ。ちょっと小耳に挟んだんですけど、海式は伊勢と日向や何杯かの重巡も大規模な哨戒用水上機運用能力を持たせるように改造するみたいですよ?」

 

「水上機母艦機能持ちの航空戦艦に航空巡洋艦……哨戒/索敵できても肝心の撃沈戦力が無ければ意味がないと思うんだけどなぁ」

 

「政府が大々的な方針転換を行なって英米と戦争するなら、確かにそうかもしれませんが……」

 

「それもそっか。日本は借金って名前の首輪で首根っこ押さえつけられてるもんね……」

 

 

 

残念ながら事実である。

英国には日露戦争時代の借款がまだ残ってるし、米国には1905年以降の対『特地』戦力確保のための膨大な累積借款がある。

米国のやらしいところは、無理な返済を迫らずに米国向け国債の発行と日本領土の港湾ならびに基地使用料での返済を要求してるところだった。

 

細かい説明は省くが……

日本が『門』とそこから出現した「謎の軍隊」、あるいは『門』外勢力により帝都の一部を占領されたために大陸や半島から無条件全面撤退したことは既に述べたが、その後釜として念願の大陸進出を果たしたのが米国だった。

米国は、借款の見返りに佐世保/那覇/高雄の軍艦常駐を含む港湾とその周辺施設の使用、陸上の支援施設の設営を要求した。

日露戦争により疲弊し、新たな脅威をよりによって帝都に抱え込んだ背に腹を変えられない大日本帝国政府は、自国が米国の大陸進出の足場になることを理解していてもこれを受諾するより他は無かった。

世に言う【在日米軍】の誕生である。

 

これは特に第一次世界大戦後に大きな影響を持ち、大正期の国家の爆発的な近代化……政治の民主化や工業の品質管理を重視して大量生産を前提とした「同じものを大量に作れる」工業的/産業的パラダイム・シフト、近代化による経済的改善、米国に引きずられる形で起きたモータリゼーションまでも含む、いわゆる【大正デモクラシー】をもたらしたのである。

もっとも加速度が付いたのは、関東大震災で旧インフラが破壊された後という説もあるが。

 

当然だが……米国が日本で善意でこのような国家近代化の道標を示したのではないことは、誰の目にも明白であろう。

答えを先に言ってしまえば究極的には「大日本帝国の懐柔工作」であり、政治の民主化は親米的な政権を樹立する足がかりになり、またマスプロダクションを前提とした産業革命は大陸に進出した軍を含む米国勢力の工業的なバックアップになりえ、モータリゼーションは米国自動車産業の新たな市場の開拓に繋がっていた。

日本の近代的重工業/重商主義国家への変貌は将来的に強力な敵国を作る懸念はあったが、米国政府は日本が『特地』にかかりきりなことや米国よりの借款漬けにすることで抑止できると考えていた。

そして、現状はその予想を裏切ってはいない。日本は米国が「日本の全面撤退により生じた政治的な真空」を利用して得た巨大な権益を確保した大陸への再進出はカケラほども考えておらず、また米国への敵対的な兆候は見られなかった。

 

「日本は今のところ『地球の戦争』に加わる予定はないんじゃない? 米国は”中立法”があるんだしね」

 

「あるとすれば、ドイツが英国に攻め込んだときぐらいじゃないですかね?」

 

優花里の言葉にみほはあえて真面目な顔で、

 

「だったらそのうち巻き込まれるかもね。ポーランド救援の動きはないとは言っても、英仏は第三帝国に宣戦布告してるわけだし」

 

「じゃあじゃあもしかして、自分達も『戦車の生まれ故郷』で戦車戦ってことも……♪」

 

何故か楽しげに言う優花里に対して、みほは苦笑し、

 

「もっともその前にオークやらゴブリンやらジャイアント・オーガをやっつけないとね」

 

「あー、そういえばそういう時期ですもんね」

 

基本的に敵対する”帝国”の常備軍や職業軍人は少なく、傭兵の雇用や織田信長が出てくる前の戦国時代と同じく基本的に農閑期の農民を徴兵することでまかなうのが基本となっていた。

彼女達の守るイタリカ周辺もそうだが、既に秋の収穫は終わりもっとも作付面積の多い小麦畑は閑散とした風景が広がっていた。

 

「通年どおりならそろそろ秋季の大攻勢が始まるんじゃないかな?」

 

「オークやトロルはともかく、ついこの間まで鍬担いでたおじさんたちを撃ち殺すのは気が引けるんですけどねー」

 

しかし、みほはにっこり微笑み、

 

「優花里さん、残念だけどこれは戦争なんだよ」

 

 

 

 

 

 

此処とは違う何処か……

100年以上も早く開いてしまった『門《ゲート》』により、大日本帝国は平行世界(われわれのせかい)とは大きく異なる歴史を歩みだしてしまっていた。

その結果として、【西住みほ】と仲間の少女達は『特地』に立つ。

生々しいまでの野蛮さがまかり通る「門のこちら側」の世界で、果たして少女たちは何を見るのだろう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





皆様、ご愛読ありがとうございました。
作者初のガルパン二次(あるいはゲート二次)は如何だったでしょうか?

ご意見/ご感想をいただければ幸いです。



***



設定資料



九八式重戦車

主砲:九四式七十五粍戦車砲(口径75mm、38口径長。九〇式野砲を戦車砲に再設計)
機銃:武2式重機関銃(12.7mm。M2ブローニング機関銃のライセンス生産品)×1(砲塔上)
   武1919式車載機関銃(7.62mm。M1919A4/A5機関銃のライセンス生産品)×2(主砲同軸、車体前面)
近接防御火器:九六式車載擲弾筒(砲塔上面。八九式重擲弾筒を車載用に改造した物)
エンジン:統制型九〇式発動機AC-K型(過給機/中間冷却機付空冷V型12気筒ディーゼル、307馬力)
車体重量:31t
装甲厚:砲塔前面55mm(傾斜装甲),砲塔側面/後方25mm,車体前面55mm
サスペンション:リーフ・スプリング+シーソー型懸架装置
履帯幅:500mm

最高速:25km/h
乗員:定員5名(車長が通信手を兼ねる4名運用も可能)

備考
九五式重戦車の本格的改良型で、そのために”九五式改型重戦車”と呼ばれることもある。
九一式重戦車(ジイ)、九五式重戦車(ジロ)に続く三番目に大日本帝国陸軍に正式採用された重戦車であるため『()戦車ハ型』、通称”ジハ”。

この世界の九五式重戦車は、「多砲塔戦車として開発」された我々の(へいこう)世界のそれと異なり、「(開発当時としては)強力な榴弾や高い貫通能力を誇る徹甲弾を発射できる九〇式野砲を原型とする戦車砲を搭載可能なプラットホーム」として開発された。
逆に言えば九五式は「高威力戦車砲を搭載する大型砲塔と、それを駆動させる電動機や大型の砲塔リングを搭載するために車体(リグ)が大型化し、結果的に重戦車サイズになった戦車」といえるだろう。
日本戦車として始めて重量30t台の戦車であり、その従来の戦車の基準を大きく上回る大重量を支えるためにリーフスプリングに加え最新のシーソー型懸架装置を採用し、大型転輪に前例の無い幅広の500mm履帯が開発された。

しかし、九五式は『特地』侵攻のために開発が急がれた側面もあり、旧来/既存の技術を多く使っており、例えば装甲版の厚さは最大40mmあったが砲塔/車体共に鋲止めで組み上げられていたり、またエンジンも後の【九七式中戦車】と同じ統制型九〇式発動機のAC型(空冷V型12気筒ディーゼル、240馬力)で、車格から考えれば明らかにパワー不足であった。
九五式自体が突破戦を目的とした攻勢型機動兵力というより「拠点防御の際に最大の威力を発揮する機動防御用の移動トーチカ」としての役割をより期待されていたために十分とされた。
また細かいところでは照準機が既存の物と大差なく従来の砲と比較にならない長射程の戦車砲を持ちながら、特に遠距離での命中率が芳しくなかったという資料もある。

加えて『特地』侵攻直後、「アルヌスの丘制圧戦」で判明したことであるが……おそらくは日本との戦闘で鹵獲した各種砲を参考に開発したと思われる近代的な後部装填式の野砲を既に”帝国”が配備(それ以前に帝国製の前方装填式の大砲や後部装填式小銃は確認されていた)しており、遠からず徹甲弾などの対戦車砲弾が開発されると軍部は予想した。
そこで急遽、九五式の抜本的改造が立案されたのだった。

鋲止めの砲塔は砲弾が命中した際に例え貫通されなくとも、衝撃で割れた鋲が飛び散り乗員を殺傷するケースが報告されたために被弾確率の高い砲塔には全溶接式の工法が採用された。
また特に砲塔と車体の正面装甲を分厚くすると同時に当時はまだ黎明期だった避弾経始の概念を取り入れ傾斜装甲を砲塔前面に採用している。
また、敵砲のアウトレンジより攻撃することが要求として盛り込まれたが、戦車砲の新規開発には時間が足らなかったため、ドイツのツァイス型シュトリヒ・ゲージ照準機のライセンス生産品(だから日本では”シュトリヒ”という照準単位が使われる(英米では”ミル”)ようになる。
この新型照準機と1軸式の砲安定装置(ガンスタビライザー)を導入することにより問題であった遠距離での命中精度を向上させ、結果的に有効射程を引き上げることに成功した。
しかし、これらの要素を盛り込んだ『新型砲塔』によりただでさえ過大気味だった重量が更に増加し、機動力が著しく低下したためにエンジンAC型にルーツ式過給機(スーパーチャージャー)中間冷却機(インタークーラー)を搭載した出力向上形の”AC-K型”に換装している(もっともこれでも馬力不足は否めないが)。

また九五式で始めて採用された車載式無線機やシーソー型サスペンション、ドーザーブレードの装着機能は引き継がれていて、車体は正面装甲部分以外はほぼ同じだった。
しかし、この九八式に開発や生産が間に合わず採用できなかった装備もある。
例えば、”八八式三吋高射砲”もしくはその改良型である”九六式三吋高射砲”を参考にした軽量45口径長砲身75mm砲や、排気量を大幅に拡大し出力を増大させたAL型九〇式統制エンジンなどだ。
特にAL型は九五式の頃から採用が予定され、それに合わせ九五式はエンジンルームが大きめに作られていたが、開発が難航し1939年に入りようやく満足いく試作型が完成したものの、まだ本格的な量産には至っていない。

また、九七式中戦車と同様に搭載された装備の中には、対歩兵用装備の八九式重擲弾筒をベースに車内からから次弾装填できるように後部装填式に再設計された近接防御火器の【九六式車載擲弾筒】がある。
これは『特地』勢力との戦訓から歩兵に密着された戦車が半ば無防備になることが判明し、その対処として対人近接掃討用に開発されたものだった。発想的にはドイツの【S-マイン投射器】と同じであろう。
基本的に八九式重擲弾筒と同じ50mm擲弾だが、九六式車載擲弾筒が開発されると同時に発煙弾や照明弾、信号弾も同時に製造されている。

また、照準装置一式や九六式車載擲弾筒、500mm幅の広幅履帯など九八式のコンポーネンツは、後に”一式中戦車”のにも継続採用されることになる。










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