あの味を求めて幻想入り   作:John.Doe

7 / 11
八つ目の盲目まん

 ブラウンのコートに身を包み、自分の立てた靴音を聞きながら歩いていた五郎は、ふと立ち止まって脇を見る。

「あれ……ここ、移転しちゃったのか。ここの肉まん美味しかったんだけどなぁ」

 以前小腹がすいた時に立ち寄った、その場で食べられる肉まん屋だったのだが、その店は今シャッターが降りて、移転の旨を知らせる張り紙がしてあった。その張り紙曰くここからかなり離れた場所に移転したらしい。それでももともと他の店でしっかり昼食を食べるつもりであった五郎にはあまり関係ないことではあったはずなのだが、移転してしまったとなると途端に惜しく感じてしまう。ついでに言えば、やたらと肉まんが食べたくなっていた。

「肉まん……コンビニのもいいけど、やっぱり専門店のを食べたいよなぁ」

 すがるようにタバコを内ポケットから取り出して咥える。すぐに昼食を食べることを考えて味がわからなくなるかと火をつけるか戸惑ったが、結局咥えてしまっては点けないわけにはいかないかとライターを取り出す。紫煙が春の風に吹かれて、五郎の鼻をくすぐる。春一番からしばらく経って、コートもそろそろクリーニングの時期か、などと考えながらもう一度歩き出す。アテがどこかあるわけでもなく、ただうまそうな店でもないかなぁと適当に歩くだけであった。そんなものだからぼうっとした頭で周りに意識はいかず、思うような店が見つかるわけでもない。それからしばらく歩いた時のことだ。

「……あれ? いつの間にこんなところに来てたかな」

 周りの景色が、少しだけ開けただけの森を通りぬける道になっていた。見覚えがあるようなないような、そんな感覚。ともかく人の気配もなく、いつの間にか日も沈みかけていた。本能が危機を感じて、五郎は無意識的に足を早める。灯りも持たずこんなところで一人うろついているとなれば、何があるかわかったものではない。

 

 幸や不幸というのは重なりやすいものなのか、ただでさえ迷った五郎に追い打ちをかけるようなことが起こり始めた。どこからともなく聞こえてくる、方向感覚を失わせる声……いや、歌だ。

「まいったな……」

 この時間帯に歌が聞こえてくるというだけでも不気味だというのに、場所が場所である。更にというべきか、この歌声を聞いていると目がよく効かなくなってくる。話に聞いたことはいくらかあったが。嫌な予感がこうも形になってしまうとは、と思いながら、更に足を早める。目が効ききらなくなる前に、せめて灯りを見つけなければ……そう焦りきった五郎のコートから、コトリと何かが落ちて靴に当たる。今の状況なら放っておいたほうが良かったかもしれないが、一瞬でも目をそちらに向けたのは正解だった。

「あ、そうか。ライターがあった」

 五郎はライターを拾い上げ、ほんの少し胸をなでおろす。ライターに火を灯し、それでもやはり足早に森を歩く。だんだんとライターの火も明るさを感じなくなってしまった頃、ふと目の前に大きな灯りが存在を主張しているのに気付いた。安心感を感じる赤提灯。少し近づいていくと、だんだんと一人で引くには少しばかり大きい気もする屋台が見えてきた。その存在に気づいた五郎は、ようやっと安心感に胸を撫で下ろした。

「はぁ。貴女でしたか。とって食われるかと思いました」

「あれ。お久しぶり、かしら」

 暖簾をくぐった先にいたのはミスティア・ローレライ。この屋台の主人であり、五郎の商売相手でもあり、夜雀の妖怪でもある。最近パンク系バンドもやっていると噂を聞くが、五郎はそういったジャンルに興味がないのもあって見たことはない。ふと、五郎が思い出したようにミスティアに尋ねる。

「そういえば今日は私服ですか。いつもの和服は?」

 それに苦笑いしながら頭をかいて、ミスティアは事情を話した。曰く、薄力粉を使っていたら跳ねて目立つように付着してしまい、今は洗濯中なのだとか。彼女らしいといえば彼女らしいと、五郎は腰掛けながら苦笑いを返した。

「折角だから何かもらおうかな……なにか面白いの入ってます?」

「あっじゃあ、丁度いいから新しいメニュー食べていってよ。さっき言ってた薄力粉を使うやつだけど」

 そう言ってミスティアは小さめの蒸籠のなかから何かを取り出すと、たくあんニ切れを添えて五郎に差し出した。一見すると肉まんそのものである。彼女の口ぶりからするとただの肉まんというわけでもあるまい。中身を聞こうと一瞬彼女を見上げると、まずは食べてみろと言わんばかりに笑っている。確かにその方が先入観にとらわれることなく味わえるかもしれない。覚悟を決めたかのように、一口それを齧る。歯に触れたそれはなにかの塊だった。普通の肉まんのような餡ではない。次の瞬間、強い歯ごたえと臭みのようなものを感じる。それほど不快ではないが、いわゆる人を選ぶ味というやつで、彼女が普段出している料理からもすぐに察しがついた。

「……八つ目鰻?」

「そうよ。癖が強い八つ目鰻だけど、薄力粉で包んで肉まんみたいにしちゃえば食べやすいかなって。でも試作だけあって、まだ未完成なのよねぇ。よかったら意見聞かせてちょうだい」

 彼女の言う通り、生地と中身の味はマッチしているとは言い難い。蒲焼ダレをそのまま使用していたり、中の八つ目鰻の切り方が大きかったり、まだまだ始まったばかりといったところなのが伺える。普段あまり味に関しては口出ししない主義の五郎だったが、普段世話になっている彼女に頼まれたとあらば断われまい。タレの味付けを変えることや切り方をもっと細かくするなど、できる範囲でのアドバイスをしていく。

 

「よし、とりあえず貴方に教えてもらったことを試してみたわ。はい」

 手早く作られた二つの小さな八つ目鰻まんを、五郎とミスティアで一つずつ手に取る。一度目を合わせ頷いてから、ほぼ同時にかじる。山椒をタレに混ぜ込んでみたり切り方を工夫してみた成果が出たのか、先程の試作品よりもずっと食べやすい。一口かじったところからもうもうと漂う湯気も、ヤツメウナギの泥臭さは感じずに食欲をそそる。とは言え、普段ヤツメウナギの蒲焼きを食べている五郎からするとやはり物足りなさのようなものを感じる。

「うーん、これも美味しいんだけど、やっぱり普通の蒲焼きをもらえると……」

「あら、やっぱり? 慣れるとこっちの方がいいって言う人はいると思ったのよねぇ。すぐ焼くわ」

 予め串打ちされた切り身をタレから素早く引き上げ、赤く焼ける炭火にかける。ところどころ焼けて欠けたり穴が開いた使い込まれた団扇で仰いで、火力を調節するミスティアの手つきは流石に慣れたもので、いつ見ても五郎を感心させる。次第に五郎の鼻をタレの焼ける匂いがくすぐり始める。タレに混じるヤツメウナギの香りはウナギのものとはまた違った印象をもたせ、野性味のようなものを感じさせるものである。炭火の弾ける音とタレの焼ける音が静かな森の中に心地よい。これを肴にして飲めればよかった、とも思うが、このあとに物を食べるとなるとやはり飲めなくても正解だとも思う。

「はい、お待ちどう様。飲み物はお酒……はダメなんだっけ。じゃあお茶にする?」

「ああ、お願いします」

 お茶を入れる間に、焼きたてのヤツメウナギを一口かじる。焼き鳥にも似た歯ごたえとタレに混じるクセのある風味は、人こそ選ぶが一度ハマれば病みつきモノである。これがウナギであれば米が欲しくなるところであるが、ヤツメウナギのこの風味はこれだけでもイケるものがある。なにより歯ごたえが強いため、むしろ米と食べるよりも単品のほうが好みという人もいる。差し出された茶をすすると、ヤツメウナギの風味をより強く感じる。

(うんうん、これこれ。誰とも手を繋ぎたくないってヤツメウナギをさらっとあしらっちゃうお茶。二人共実は仲良しさんだ)

 噛めば噛むほど、とはよく言うが、ヤツメウナギもまた噛むたびに独特の風味が口の中で踊り、五郎を楽しませる。四本の串を打たれた切り身一枚はかなり大きめで、噛みごたえと相まって一枚食べるだけでもそれなりに腹は膨れてくる。それでも焼かれている切り身から漂うたれの匂いは五郎の空腹感を刺激して、二枚目が出されるのを楽しみにさせる。そんなところへ、ミスティアがふと気付いたかのように五郎に問う。

「あ、キモ焼きは食べるかしら?」

「おお、珍しい。頂きます」

 ヤツメウナギのキモは蒲焼きにする時点で取り払うが、それを焼いて食べるという人もいる。量が量なのでなかなか食べられないものだが、蒲焼き以上に特徴の強い味はそれだけファンも濃い。差し出された二枚目の蒲焼きに早速かぶりつきながら、キモ焼きを待つ。半分ほど蒲焼きを胃の中へ送り込んだところで、ようやくキモ焼きが五郎の前に置かれた。一度蒲焼きを皿に戻し、キモ焼きの皿をそばに寄せる。灰のような色のそれは砂肝に見えなくもない。が、その食感やくせは砂肝とは全く異なる。一口かじった五郎の口内に、泥抜きされてなお強く感じる泥臭さのようなくせが広がり、やはりくせのある独特な舌触りを感じる。

(そうそう。キモのこのくせの強さがいいんだ。滅多に食べられないだけにこれがくせになる。楽しめない人もいるだろうけど、それを楽しめるっていうのはバーゲンよりもお得かもしれないな)

 蒲焼とは違って一本の串で打たれたいくつかの切り身状になったキモが、あっという間に半分以上五郎の胃の中へ消える。とはいえ串モノを食べるのに躊躇する必要はない。そう言わんばかりに、最後の一口をほおばり咀嚼する。ゆっくりとその独特な味や食感、匂いを堪能して、湯飲みに口をつける。蒲焼とは違い、匂いが強まるのではなく茶の香りと溶け合い、調和していく。

(うーん、蒲焼とは違うこの混ざり方、いいぞ。ゆっくり馴染む幼馴染の関係だ)

 馴染んだそれをゆっくりと飲み込むと、間髪入れず残った蒲焼をかじる。少し冷めはしたが、まだ身は固くなっていない。タレの風味が口に再度広がって、一種の安心感を覚える。

(やっぱりシメはこっちの方がいいなぁ。八つ目鰻といったらこの味、俺の幼馴染はこっちの方だ)

 あっという間に食べ終わり、やはり茶で一息つき、満足したと言う代わりに息を大きく一つ吐く。ミスティアもそれがどういう意味か察して、笑顔を向けた。

「あら、もういいのかしら? また来てちょうだいね。今度こそ完成品を出せるようにしておくわ」

「楽しみにしてますよ。それじゃご馳走様」

 代金を屋台の向こうにいるミスティアに支払い、暖簾をかき分けて一つ大きな伸びをした。

 

「あれ?」

 伸びを終えた五郎が目を開けると、目の前にあったのは肉まん屋だった。大きな黄色い屋号が赤い屋根に映える。

「そっか、こっちに移転したんだっけ。いかんなぁ、ついつい無意識に足を運んでしまったか」

 しかしせっかく足を運んだのにこのまま帰る、というのももったいない。五郎は腹具合と財布の中身を確認すると、そちらのほうへとゆっくり歩き始めた。店の直前で、五郎が扉に手をかけようとしたとき、曇りガラスの向こうが一気に開かれた。中から人が出てくる、と理解するより早く五郎とぶつかってしまう。

「おっと! スミマセン」

「こ、こちらこそ突然すみませんでした。服、大丈夫でした?」

 おそらくここの肉まんを買ったのであろう紙袋を見て、その人は尋ねた。そういわれてふと見るが、特に汚れた様子はない。それを向こうも確認してほっとしたらしく、表情からわずかに安堵をうかがえる。

「大丈夫みたいですね、よかったです。それでは!」

 長い、珍しい若葉色の髪をなびかせながら、少女が駆けていく。平日だが制服ではないし、社会人にも見えない。私服の学校か、休校の日か何かだろうか、と他愛もないことを思いつつも、再度店へ向き直って暖簾をくぐった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。