あの味を求めて幻想入り   作:John.Doe

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紅い洋館の和食

「しまった。降ってきちゃったか」

 地下アーケードを抜けた五郎が、わずかに立ち尽くしたように灰色の空を見上げた。取引を終えて、駐車場へと戻ろうとしていたときのことである。まだ小雨ではあるが、陽の光をほとんど遮断し、日が沈んだかのように錯覚させるほどの雲は、このまま小雨で終わることが無いと確信させる。それに秋雨は体にも厳しい。

「傘、車の中に置いてきたのは失敗だった」

 僅かにスーツの肩に水滴がついたのを払いながら、五郎がぼやく。この後商談が無いか手帳で確認すると、午後にはないが、明日朝一で一件の商談があった。風邪を引くわけにもいかないなぁ。そんな独り言を内心呟きながら、黒いカバーの手帳をしまう。こうなったらビニール傘を緊急で買うしかないか、と辺りにコンビニが無いか探す。するとすぐに、少し小さいながらもコンビニが見つかった。看板の白が、今日は救いの手を差し伸べるようにも見えた。道の向い側だが、そうそう濡れる距離でもないはずだ。信号が青になる直前を見計らうため、五郎はしばらく屋根の下に居続ける。

 

 

 

「……あれ?」

 信号を見ていたはずの五郎。しかし気付けば、その視界の中から信号……それだけではなく周りの道路も、建物も、人も、すべてなくなってしまった。代わりに目の前にあるのは大きな館と、背後には地下アーケードの入り口ではなく霧がかかった巨大な湖。唯一同じ物をあげるとすれば、自分の持ち物くらいである。ここがどこなのか、どうしてここに居るのか、全く見当もつかない。

 目の前にある巨大な血色の館。その門前に、緑色が目立つ中華風の服を着た女性が立っているのが見えた。怪しさ満点、不安満点、言葉も通じるか分からないが、とにかく動いてみるしかない。数歩歩み寄ると、草を踏みしめる音にでも気づいたのか、向こうもこちらに気付いたらしい。こちらを振り向き、誰かを見定めるようなその眼からは、どこか世離れしたものを感じる。まるで人を捨てたかのような。しかし、その眼の主が発した言葉は、予想に反し柔らかなものだった。

「あのぉ、どちら様でしょう?」

 日本語だった。目の前の洋風な館の門前に立つ中華風の彼女が喋ったのは、確かに聞きなれた日本語そのものである。英語くらいなら営業もあるし何とか……そんな五郎の心配は稀有に終わった。とはいえ、どちら様と聞かれても、というのが五郎の本音ではある。ただ不思議なのは、彼女に僅かに見覚えがあることだ。

「あ、えぇっと。井之頭五郎という者です。その、おかしな質問ですが、ここは……」

「ああ! 貴方が!」

 一人合点した彼女は五郎の質問には答えず、さらに続ける。

「お話は伺ってます。ご案内いたします」

「え、ちょ、ちょっと」

 こっちは何の話も伺っていない、とでも言いたげな顔で、女性に連れられる五郎。門をくぐると、まず大きく賑やかな花畑が五郎を出迎える。なるほど、館の赤の激しさの割に、この花畑は目に優しいようで、コスモスやパンジーが秋空の下を彩っている。荘厳な雰囲気を醸し出す正門から招き入れられ、彼女がよく通る声で「咲夜さん」とやらを呼び出す。聞き違い、勘違いがなければ、日本人名のようだが。そしてやはり、彼女の名も聞き覚えがあるような気がしていた。

 

 しばらくすると、東京某所で見かけそうなメイド服――そう、きっとメイド服である――に身を包んだ銀髪切れ目の女性が正面の階段を下りてきた。真っ赤な絨毯と壁に映えるその色合いはしかしながら、冷気にも感じる溢れ出す気品と相まって見るものを圧倒させるものがある。

「お待ちしておりました。主が直接商談をお願いしたいとのことですので、こちらへお願いします」

 またしても、五郎の知らぬ間に話が進んでゆく。とはいえ、客を待たせているとなれば、五郎の体は反射的にそれについてゆく。ネクタイが曲がったり緩んでいないか確認し、襟を直し、髪を整える。丁度その直後、先導していた咲夜が足を止めて扉の取っ手に手をかける。

「どうぞ」

 木でできたドアが僅かに音を立てて開かれる。五郎は軽く頭を下げて、自分より頭三つほどの高さの扉をくぐる。目の前に広がる真っ赤な絨毯と、部屋の真ん中に構える白いクロスが映えるテーブルが印象的な部屋だった。いくつかの燭台が置かれているそのテーブルには、一人の子供がちょこんと腰かけていた。薄らと赤みがかったドレスとナイトキャップのような帽子、そして空を彷彿とさせる青色のショートヘアが可愛らしい。だが、その背には人にはあるはずのない、蝙蝠のような巨大な羽が生えていた。五郎は本能でか知識でか、直感的に彼女が「吸血鬼」だと察した。察した、というよりも知っていた、という感覚が近かったが、五郎は彼女と会ったことはないはずであるし、ここへ来たのも初めてのはずだ。

「随分早かったのね。今日は暇だから助かったのだけど」

 はぁ、と五郎は返す。なぜか、彼女に名刺を渡した記憶がある。彼女に席に着くよう促され、名刺を渡すことなく席へ着く。

「で、早速本題に入らせてもらうのだけど。貴方に頼みたいのは棚なのよ」

「棚、ですか」

 目の前の少女――なぜか名乗られた記憶がないのに「レミリア・スカーレット」という名を知っている彼女が頷く。

「私の部屋の棚がいい加減痛んできてね、買い換えようと思ったのだけれど、香霖堂にいいのが無くて。赤い絨毯はここと同じなんだけど、基本的に寝室だからあまり派手派手なのはナシでお願い。後は部屋に馴染めばいいわ、貴方に任せようと思うの」

 少し部屋を見回し、大よその色合いなどの見当をつける。本来ならその部屋を見たいのだが、やはり寝室を見られたくはないのだろう。五郎が了承したのを見て、レミリアが扉の前で立っていた咲夜に声をかける。

「咲夜、お昼の用意お願い」

「かしこまりました」

「ああ、待った。貴方も食べていくでしょう? 遠慮しなくてもいいわ」

「あ……じゃあ、お言葉に甘えて」

 レミリアの提案をうけて、五郎はふと空腹感を感じる。もう昼時なのだと思いだすと、折角の好意を無碍にするわけにもいかないし何より吸血鬼の館という普段では食べられないようなものが食べられそうな貴重なチャンスだった。その機会を待つ間、彼は目の前の少女の世間話に付き合うという代償を支払っていた。つい先ほどまでの「お嬢様」らしい気品よりも、見た目相応の「女の子」の部分を垣間見ることができる、他愛のない会話だった。普段は食事を待つ間は独りで待つことを愉しむ五郎であったから、最初は内心機嫌を悪くしていたが、同じ食べ物を待つ者同士でその期待に胸を膨らませるというのも、たまにならば悪くは思わなくなっていた。今後はあまりしたくないのも本音だが。

 

 

 しばらくすると扉の叩かれる音が聞こえた。レミリアが入るように言うと、扉の向こう側に咲夜をはじめ羽の生えたメイド達数名が食事を運んできていた。

「お待たせいたしました」

 咲夜の支持のもと、テキパキと食事がレミリアと五郎の前に並べられていく。その並んでいく料理を見て、五郎が疑問を抱く。目の前に並ぶ料理は、何皿出てきても「和食」なのだ。レミリアを見ても特別な料理に対する反応ではない。まさかと思い、レミリアに話しかける。

「もしかして、結構な和食派で?」

 その質問に、レミリアはしばらくきょとんと五郎を見つめ、ようやく意味を理解したらしく回答を返す。

「ええ、幻想郷じゃ洋食の材料は手に入りにくいし、何より咲夜の和食は美味しいし。納豆とか美味しくない?」

「納豆が美味しいのは否定しないけれど……」

 目の前の少女は確かに「吸血鬼」である。吸血鬼と言えば現ルーマニアのかつての人物、ヴラド公をモデルとした西洋の生物であるはずだ。そんなイメージによる五郎のレミリアへの先入観はあっさりと、完膚なきまでにたった今崩れ去ってしまった。愕然とした表情の五郎を見て大抵の察しがついたらしいレミリアは楽しそうに笑いながら、幻想郷だもの、と訳の分からない「理由」を説明する。もうどうでもよくなってきた、と五郎はため息をひとつだけついて、目の前の食事に意識を切り替える。

「では、ごゆっくりお召し上がりください」

 そう締めてメイド達が咲夜以外退室すると、レミリアが箸をとり食べ始める。なるほど、普段から食べているというのは嘘ではないらしく箸の使い方は慣れている様子。それはともかく、と五郎も目の前の品々を改めて見やる。味噌汁と白米、そして刺身、肉、付け合せ、漬物、野菜、と一通りそろっている。

 

「さて……」

 まずは前哨戦、と言わんばかりに味噌汁に口をつける。その最中に最初のターゲットを決める腹積もりだ。味噌汁そのものは油揚げと葱が具になっている。定番中の定番ともいえるが、味噌は薄めらしい。

(おお、味噌が薄い気もするけど、逆に揚げの甘みと仲が良いぞ。これはとんだパンチを最初に貰っちゃったらしい、一気に飲み干しちゃいそうだ)

 葱の香りも相まって、食欲をそそる。次のターゲットを決めるのにモタついてしまえば、本当に一気に飲み干してしまいそうだった。慌て気味に五郎は椀を置いて、とりあえず目についた刺身に的を絞る。身が赤みでも白身でもないらしい。小ぶりな魚から作ったのか、タタキのような切り方だった。向かいのレミリアも丁度疑問に思ったらしく、咲夜に尋ねているらしい会話が耳に入る。

「ねー咲夜、これ何の魚よ」

「鮎ですわ御嬢様。。新鮮なものを頂いたので、塩焼きとは趣向の違うものを御嬢様に楽しんでいただこうと思いまして」

「ふぅん。珍しいのは確かね」

 その会話を聞いて、五郎は再び刺身を見つめるように見やる。

(なるほど鮎の刺身……川魚の刺身はめったに食べられないからなぁ。これは……柚子味噌も添えてあるのか。まずは定番のわさびと醤油かな)

 一度に二、三切れの鮎を掴み、わさびを溶いた醤油に軽くつける。本当はわさびは醤油に溶かさない方がいいらしいが、五郎は溶かす方が何となく好きだった。醤油がたれないよう素早く口に運ぶ。噛んだ瞬間、五郎は目を見開いて、ご飯をかき込む。新鮮だと言っていたからだろう、臭みはなく、ほのかに甘みを感じる。

(おお、おお、いいぞ、鮎、いいぞ! 塩焼きとは全然違う。刺身は元気に山を駆けまわる子供だ。ご飯の遊具で遊びまわってる。うん、刺身もおいしいぞ)

 すぐに柚子味噌をつける方法でも食べてみる。今度は醤油とは違う、ふんわりとした香りが口の中にあふれる。

(ん! 柚子味噌もすごい! 山で育った幼馴染達の相性は抜群だ。すごいぞ、柚子味噌の香りと鮎って合うんだなぁ。これはこれでご飯と合うぞ。こっちは村を丸ごとおいしく食べている気分になる)

 もともと数は少ない鮎の刺身だったが、一気に三分の二ほど食べてしまった。それに気付いた五郎は、次の獲物に目を移す。魚の次は、肉だ。そう思って一口大くらいに切り分けられた肉の皿に目を移すと――――

「げ……」

「どうかいたしましたか?」

 思わず声を上げてしまった五郎。咲夜がたずねると、五郎はばつの悪そうな顔をして言った。

「いや、これ血じゃないですよね……?」

 ああ、と五郎の指差した料理を見て咲夜が納得の声を上げる。五郎が指差したのは、肉に紅いソースがかかっている料理だった。真っ赤なそのソースは、場所も相まって血を想像せざるを得ない。生憎と自分はそうそうぶっ飛んだ味覚の持ち主ではない「人間」である。血を舐めたりすすったり、果ては吸血するなんて趣味は全くない。

「それは石榴のソースですわ井之頭様。硬くならない程度に火を通した兎肉に石榴を潰したソースをかけた物ですから、御安心ください」

「それは安心した……」

 箸で一つ肉をとり、口に若干恐る恐る運ぶ。咲夜の言うとおり硬くならない程度に火を通されたそれは簡単に口の中でほぐれ、石榴の酸味のある味わいと共に口に広がる。

(ほぉー心配して損した。さっぱりした兎肉と甘酸っぱいソース……梅肉よりいいかもしれないぞ……すごいな、肉ってこんなにさっぱりした味になるのか! それにご飯も進むぞ……ちょっと甘いけど、甘酸っぱい恋の味はご飯も虜になっちゃうんだな)

 みるみるうちに減っていく五郎の白米。半分ほど夢中で兎肉を食べた時、付け合せのいんげんの胡麻和えに気付いた。折角目についたのだ、と口に数本を運ぶ。少し時期の違ういんげんだが、濃いめの胡麻の味付けでしっかりと料理として成立している。

(うん、さっぱりとした鳥肉に胡麻のしっかりした付け合せの味。背中合わせのパートナーのコンビネーションは抜群だ。おお、兎肉と一緒に食べてもやっぱり合うな。ちょっと甘さが強いけど、違う甘さだから飽きないぞ)

 さらに箸のスピードを上げる五郎。向かいのレミリアと咲夜はいくつか会話を挟んでいるようだったが、自分に話しかけているようでもない。会話は蚊帳の外へ追い出して、黙々と食べ続ける。次に目についたのは青い葉物に包まれた鳥肉の蒸し物だった。外見だけではこれといった味付けはされているようには見えない。不思議そうに口へ迎え入れると、予想外の味との遭遇に再び目を見開いた。

(何だ、なんだこれ? シャッキリしたこれは青梗菜かな。うん、鳥肉の旨みがギュッと青梗菜の布団に包まれて幸せな空間になってる。いいぞ。豚肉と白菜で似た料理があるけど、青梗菜と鳥肉、これもうまい! 味付けがほとんどないのにご飯がどんどん進む。いかんなぁ、ご飯なくなっちゃうぞ)

 そんな五郎の気配を察したのか、向かいでレミリアと話していたと思っていた咲夜が五郎へ朗報を告げる。

「ああ、ご飯でしたらたくさんありますから、おかわりはお気兼ねなくお申しくださいね」

「そりゃ嬉しいな、ありがとう。早速お願いしても?」

 にっこりと笑って咲夜は椀を受け取る。すぐに温かいご飯がよそわれて、五郎に返ってきた。礼を言って再び食事との格闘に入る。次は仕切り直しも兼ねて、小鉢によそわれた白菜の漬物だ。日持ちさせるためか風味をよくするためか、何かの柑橘系の青い果物の皮も混じっている。白菜ごと齧ってみれば、それは柚子だった。

(早摘みの方の柚子か。なるほど、さっぱりしていて漬物にはばっちりだ。夏の海にスイカ、冬の炬燵にミカン。そんな感じの相性だな、これはいいぞ)

 口の中がさっぱりしたところで、一通り食べてみた食べ物を次々とトドメを刺していく段階に入る。まずは若干食べ損ねた感じがしていた鳥肉と青梗菜の蒸し物に狙いを定める。シャクリ、と口の中で小気味の良い音を立てて旨みを口中に広げる。ご飯を口に放り込み、その旨みと米を絡める。

(うん、このコンビネーションの良さは何度目でもかわし切れない、すごいワンツーだ)

 ふと気づけば最後の一切れだった。名残惜し気にそれを口へ放り込む。しっかりと噛みしめて別れを告げる。次の獲物へ行く前に、もう一度漬物で口直ししながら、狙いを定めていく。

(よし、次は刺身だ。残りは柚子味噌でいこう。うん、この幼馴染達、ずっと見ていたくなるような二人は幸せな味だ)

 市販のとは違う、柚子の香りが強く甘みの控えめな柚子味噌に鮎の刺身をつけ、ご飯と共に口へ。蒸し物とは違う、鮎の緩やかな甘みと柚子味噌のふわりとした香りが口を満たしていく。きっと柚子単体を鮎と食べてはこうはいくまい。

(よぉし、味噌汁も冷めないうちに飲んでしまおう)

 茶碗を味噌汁の椀に持ち替え、油揚げと葱もろとも口へ流し込んでゆく。油揚げの甘みと葱の香りが薄めの味噌とお互いに引き立てあい、飲み干したいという衝動を掻き立てる。今度は躊躇なく飲み干しにかかり、胃まで一気にほうっとする温かさが充満する。

(この温かさ。味噌汁はこうじゃあなきゃ。さて、じゃあメインを平らげますか)

 最後の一つまみの漬物を齧りつつ、蒸し物と対を為すもう一つのメイン、兎肉の石榴ソースがけにロックオンする。最初こそ恐怖感すら感じた一品だが、この中ではメインらしく一番印象の強い料理でもある。一口大の肉を口へ運び、その瞬間から溢れるような酸味とわずかな甘みを併せ持つ石榴のソースがさっぱりとした兎肉と混ざり合う。続いて濃いめのいんげんの胡麻和えを口に追加し、甘酸っぱさにまろやかさの加わるその瞬間を噛みしめる。

(うんうんこれこれ、この料理のこの感覚はすごいとしか言いようが無い。いつまでも食べていたいのにすぐ消える、花火みたいな味だ。だからウマいんだなこれは)

 ご飯といんげんをお供に食べ勧める。今自分は彼等のミュージカルの最中にいるのだ、と感じる味のハーモニーであった。みるみる間に五郎の胃の中へ吸い込まれていくそれらは、五郎自身惜しいなと思っていた。許されるならもっと食べていたかった、と。だが、こういうのは「また食べたい」と思えるくらいで終わらせるのが丁度いいのだ。そう言い聞かせて、五郎は最後の一切れをご飯と共に口へ運び、ゆっくりと咀嚼する。

 

「いやぁ、いい食べっぷりねぇ」

「え? あ……」

 向かいのレミリアに突然声をかけられ、我に返った五郎は、他人の前で己が欲望のまま食べ進めていたことを思い出し、顔を赤くする。よりによってすべて食べ終わった時に。

「あはは、変に気にしなくていいのよ。私だってそもそもマナーもへったくれもない食事してた時があったわけだし」

「それに、マナーにこだわって楽しんでいただけないよりもずっといいですわ。作り甲斐があったというものです」

 それでもやはり、大人の男性として恥ずかしいものは恥ずかしかった。少しうつむき気味になった五郎に、レミリアが「いい商品を持ってくれば誰にも言わない」という救いの手を差し伸べる。もともと彼女にとって言いふらすようなことでもないのだろうが、気を使ってくれたらしい。目の前の少女は思ったより空気が読める子らしかった。

「ど、どうもすみません……お気に召すものを持ってくると約束します」

 五郎にそれを払いのけることはできるはずもない。もともと依頼人の気に入るものを探すのも仕事である。五郎はこの仕事は張り切って取りかからねば。そう思い直したその瞬間だった。五郎の視界はぼやけ、目の前に広がるのは真っ赤な絨毯でも真っ白なクロスの映えるテーブルでもなく、ビル街と信号であった。そして何より、目の前に長い金髪の女性が心配そうに立っていた。

「あの、大丈夫でしょうか。ずっと立ち尽くしているようでしたが」

「え!? す、すみません、ちょっとぼうっとしてたみたいで」

「秋雨は冷えますから、お気をつけてくださいまし」

 白いドレスのような服と金髪からは想像もできない流暢で丁寧、そして綺麗な日本語をしゃべった女性は、髪を僅かに舞わせながら五郎に背を向ける。声をかけようとしたその時、目の前を通ったスーツ姿の男に一瞬姿が隠れたかと思うと、既にその視界に女性の姿はなかった。

「うーん……まだぼうっとしてるのかな? 早く帰って温かくして寝よう……」

 丁度青になった信号を駆け足でわたり、道路の向かいのコンビニエンスストアでビニール傘を買う、という一連の流れの中、五郎はぼうっとしていたらしい時のことを思い出していた。ここ最近、どうも白昼夢のようなものを見る事が多い。だが、今回も含めて、全く鮮明に覚えていなかった。医者に行った方がいいのか、放っておいても害はないのか……少なくとも明日には取引がある。少し長引きそうな相手だから、医者へ行くなら明後日以降だろう。そんなのんきにも近い考えに決着し、五郎はとりあえずとビニール傘を広げて駐車場を目指してのんびりと歩いて行った。


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