どうしても必要だ
『それから』夏目漱石
歩みを止めて澄み切った空を見上げていると、息が白くなっているのに気が付いた。
暦の上では春だけど、まだまだ寒い季節だな。そんな事を思いマフラーを締め直し、ふたたび原っぱを歩き始めた。今僕は散歩の途中で行方不明になったニャンコ先生を探している。まったく、勝手にどこに行ったんだか。
『カチ』
しばらく歩いていると、何か音が聞こえたような気がしたけど気のせい…、か。微かに何か聞こえたような。少し耳をすましていると。
『カチ、カチ』
気のせいじゃない、妖か?
辺りを見回したが、遮る物が何も無い見晴らしのいい場所なので妖が居るなら直ぐに見つけられるはずだげど、人も何もいない。
『カチ、カチ、カチ』
音が聞こえる方向に歩いて行くと、はっきりと聞こえてきた。
まるで時計の音みたいだ。
『カチッカチッカチッ』
だんだん煩くなってきたな。
『グュルルル』
くそっ、頭が痛い。
ここから早く離れよう。
そう思った時には既に遅く、音は大きく早く鳴り、最大限にたっしたかと思うと。一瞬だけ、音が止まった。
疑問に思ったのもつかの間、少し離れた場所で大爆発がおこった。さっきまでとは違う音が鳴り響き、砂塵が舞い上がっている。
そして砂塵の中から何かが真っ直ぐに僕を目指すように飛び出して来た。それは、もう凄い勢いで飛んできた。
あっけにとられて見ていたら、よけることも出来ずに見事に当たり、その何かと一緒にゴロゴロと草原を転がった。
ようやく止まったかと思ったが上に何かが乗っていて重いし、あちこち体中が痛い。一体なんなんだよ。本当に…
「いったぁ…」
綺麗なソプラノの声が聞こえて目をあけて見れば何故か僕の腕の中には美少女がいた。
「ん…、あなた誰?」
美少女は、いぶかしみながら僕を凝視している。抱き合いながら見つめ合っている状態だ。
そこで気が付いたがレイコさんに凄く似てる、と言うか、そっくりだ。
「えっと、夏目、貴志です」
心ここにあらずの状態で、僕は返事をしていた。
「あなたも夏目なんだ。私も夏目よ、夏目レイコ」
眩しいほどの笑顔だった。
んっ?今、夏目レイコって言ったよな、姿形も似てるし名前まで一緒なんて…本人?なんて事は無いよな。何を考えてるんだろう僕は。
「助かったわ。ありがと」
お礼を言われたが受け止めたのは偶然なんだけどな。そして「夏目レイコ」さんはセーラー服についた土を払い落としながら立ち上がり、辺りをキョロキョロ見回していた。
「何か、探し物ですか?」
「あぁうん。鞄とバットが見当たらないのよね」
鞄はわかるけど、バットって一体なんの目的で持ち歩いているんだろう。そして何故こんな時期なのにセーラー服を着てるんだろう。寒くないのかな。
それから一緒に鞄とバットを探す事になった。ただ最初はためらっていたが知ってる人に似ていると言えば、なんだかんだで了承してくれた。
もう2時間ほど探しているが、まったく見つからない…
そんな時に、鶴のような妖がやって来て名前を返して欲しいと言われた。「夏目レイコ」さんは遠くに居るので大丈夫だろうと思い、森の中に入り名を返す事にした。
名前を返し終わると妖は消え…
どこかにいってしまった…
息を大きくはいていた時にガサッと茂みが揺れる音が聞こえ振り返ると、そこには「夏目レイコ」さんが立っていた。
どうしよう、見られた?
と言うか凄い形相で睨んでる。
そんな事を思っていると。
「あんた、私の友人帳に何してるの、今すぐに返しなさい!」
その眼は人を殺せるんじゃないかと思うほどの目つきだった。
「えっ!?これは」
そして僕が続きを言う前に「夏目レイコ」さんは拳を振り上げた。それまるでスローモーションのように見え、拳は僕の顔面に当たり、だんだん意識が遠のいた。
最後にニャンコ先生の声が聞こえたような気がした。
〜
うっ、う~ん…
柔らかくて気持ち良い。それに、とても懐かしくて優しい匂いだ。
「気が付いた?」
綺麗な優しい声が上から聞こえた。
うん?確か殴らて…
目を開け、僕が見た景色は「夏目レイコ」さんのドアップの顔だった。
のぞき込むように複雑な表情で「レイコさん」が僕を見ていた。
綺麗だなぁ。鈍い頭でぼんやりと思った。ただ、しばらくして…
えっ?もしかして、この柔らかいの膝枕?えぇ!?
そこで僕は飛び起きた。
「うわっ!?ちょっと、そんな、いきなり起き上がったら」
ヤバイ頭がくらくらする。それに鼻がじんじんして痛い。
「ほら、立ちくらみするって言おうとしたのに、大丈夫?」
僕は「夏目レイコ」さんに肩を支えられて、なんとか立っている状態だった。頭が熱いのか顔が熱いのか分からないけどフラフラする。
「夏目、お前は相変わらず貧弱だのう」
「ニャンコ先生…、どこに行ってたんだよ、探したぞ…」
ぼやける頭で僕は返事をしていた。
「それにしても本当に、これ、私の孫なの?」
そんな事を夏目レイコさんが言い、僕の頭は一気に目が覚めた。
はいっ?今、なんて?
「嘘をつく訳なかろう。それにレイコ、お前は名を返すのを見たのだろう」
多分、僕が気絶してる間にニャンコ先生がレイコさんに色々と話したような感じだが。
えっ?!と言うか?!
「本物のレイコさん?!なんですか!?」
「声がでかいわよ!そう言ってるでしょうが!」
自分も大きい声を出してるのに、しかもグーで殴らないで欲しい。なにより僕は何の説明も聞いてませんレイコさん。さらに鼻が、痛くなった…
しばし二人と一匹でアワアワしていました。
ようやく落ち着き、これからの事を僕とレイコさんニャンコ先生で話し合い始めた。
わかった事は、レイコさんが「時飛日」と言う妖と一緒にタイムスリップした、っぽい事だ。時飛日は常に時間を飛び回り、遭遇出来るのは人間で一生に一度あるか無いかの遭遇率で、ニャンコ先生から聞いたかぎりではマイナス要素しかなかった。
それにニャンコ先生も五百年前に一度だけ見た事があるだけだった。
「どう…、します?」
僕は妙案が思い浮かばず、レイコさんに尋ねたが。
「常に時間を飛び回ってるなら、どうしようもないでしょ」
レイコさんは事実を受け止め明確に答えた。
とりあえず家にレイコさんを連れて行こうとしたが、レイコさんはしぶった。一人で大丈夫だと、のんびり暮らすと言ったが、お金も無いし身分証も無いので無理でしょう、と言えば渋々納得した。
家に向かいながら思った事は、背が以外に小さい、あと今レイコさんは何歳なんだろうという事だった。他にも沢山色々聞きたい事があったはずなんだけど…思い浮かばなかった。
「なに?聞きたい事でもあるの?」
じろじろ見すぎていたかな。
「えっと、今何歳なんですか?」
「17よ」
「じゃあ、同い年ですね」
「ふふっ、孫と同い年か。全然実感がわかないわね」
確かに…僕もレイコさんが祖母だとは、とても思えなかった。
家に着いたが滋さんと塔子さんは、まだ帰っていないようで誰もいなかった。今日は出かけるって言ってたから調度良かったかな。そんな事を僕が考えていた横で、レイコさんはじっと、じっと真剣に家を見つめていた。
どうしたのだろう?と思ったが僕は家の扉を開け「どうぞ」とレイコさんに言った。するとレイコさんは眩しそうな表情で「いい家ね」と呟くように言っていた。
レイコさんを自分の部屋に通し、一旦部屋を出て、お茶を持って戻った。そして、これから、どうするか改めてレイコさんと話した。
「滋さんも塔子さんも優しい人ですから、一緒に暮らしませんか?」
「滋さん?と、塔子さん?」
レイコさんは不思議そうな顔をしたので僕は今までの事を話した。父と母が死んで色々な親戚の所を巡り、遠い親戚の滋さんと塔子さんに今はお世話になっている、と。
「そう…」
一言、レイコさんは短く呟いた。
そして真っ直ぐ僕を見つめて。
「私も死んだの?」
僕は少しためらった…
けど、本当の事を言った。
「…はい」
「そう」
そしてレイコさんは、また短く一言ですませた。
レイコさんは窓の外をぼんやり見ていた。その表情は儚く今にも崩れそうで…
僕は、どうレイコさんに話しかけていいか、ちっともわからなかった。
しばらく静寂と無言が続いていると、玄関が開く音がハッキリ聞こえた。
「貴志くん、誰か来てるの?」
少し大きめな声で一階から塔子さんが聞いてきた。多分、靴を見てそう思ったんだろう。
どうしよう?どうする?何も決めてないよ。
「もう遅いから、お友達の子も一緒に夕ご飯食べていく?」
ふたたび塔子さんの声が下から聞こえ。
「あっ、はいっ」
何故か僕は、とっさに答えてしまった。
「何、返事してるのよ」
レイコさんに小声で言われ、小突かれた。
「言ってしまったので…下に行きましょうか」
「まったく」
溜め息を吐き出しなから、仕方なそうにレイコさんは頷いていた。
一階に降りて、かなりの勇気を出して僕は台所のドアを開けた。
「えっと、こちら…」
「初めまして夏目レイコです。」
レイコさんを見た瞬間は二人とも呆然という感じだった。
レイコさんは、さっき土壇場で決めた設定を話し始めた。
親に暴力を振るわれて、この辺りに住んでいる従兄弟の僕を頼って逃げてきた。
それは迫真の演技だった。
そんな事を話し終えると塔子さんは泣きながらレイコさんを抱きしめていた。
ごめんなさい、塔子さん。ピースしないでレイコさん…
とりあえず一旦僕達は落ち着き、夕飯を食べる事になった。
「いやぁ、それにしても似てるね。双子って言う方がしっくりくるよ」
夕飯を食べながら滋さんはそんな感想を言った。そして…
「…所で、どこかで会った気がするんだがなぁ」
どこだったか。と滋さんは言い、腕を組みう〜んと考えていた。
そう言えば滋さん小さい頃にレイコさんと出会っていたけっ?
どうしようマズイ。マズイぞ。
「私も…会った気がします。多分どこかの町で」
レイコさんは滋さんの方を向いていて、表情は見えなかったが…
どこか不自然なほど、落ち着いた声だった。
「うん?そうか、そうだね。きっとレイコちゃんが美人で貴志に似ていたから覚えていたのかな」
ほがらかに笑い、滋さんは納得したのか食事を再開した。
これからどうするか塔子さんに聞かれるとレイコさんは「学校は卒業しました」と言った。僕は先ほど聞いた事を思い出し「同い年ですよね」と言うとレイコさんに凄い目で睨まれた。
滋さんと塔子さんは優しく話しかけ「お金の事なら大丈夫だよ」「学校に行っても問題ない」と言ったが、レイコさんは頑なに働きますと言うだけだった。でも小一時間ほど塔子さんと話しさとされて、ようやく学校に行く事が決まった。
夕飯を食べ終え、レイコさんを僕と塔子さんが空いてる部屋に案内した。
しばらくして僕の部屋にレイコさんが来た。
「色々ありがとう。助かったわ」
「僕は得に何もしてませんよ」
少し微笑みながら。
「それから、友人帳、今はあなたの物だから好きにしなさい」
まっすぐ僕を見つめていた。
「えっ、でも」
僕が何か言う前に塔子さんが下から「お風呂わいたわよ」と言う声が聞こえた。
「先に入っていいわ。じゃあ、そうゆう事だから」
そして僕の部屋を出て行った。
その日は風呂に入り、僕は直ぐに眠れた。
でも今思えばレイコさんは、その日、眠れたのだろうか。
あとがき。
とうぶん更新しません。
ちなみ、これは第零話です。