ステージは無難に市街地C。とりあえず10本勝負でいこう、ということで落ち着いた。ブースに入り、指定された番号を入力すると相手のポイントが表示された。
(香取先輩の武器はスコーピオン……ポイントは、8627? 高いな)
個人戦を行う際、表示されるのは相手の名前や個人のデータではなく、使用している武器の『最も高いポイント』だ。ブレードのポイントが高ければ攻撃手の可能性が高いし、通常弾のポイントが高ければ射手や銃手である可能性が高い。もっとも、そのどちらにも当てはまらない場合ももちろんあるのだが。
トリオン体が仮想空間に転送される。閑静な住宅街、道路の中心で修は香取と対峙した。
「レイガスト? アンタ、シューターでしょ? ずいぶんマイナーな武器使うじゃん」
「ええ、まぁ……」
曖昧な返事をしながら、修は香取の腰を注視する。吊り下げられた左右それぞれのホルスターには、拳銃が二丁。どうやら香取は、どちらにも当てはまらないタイプらしい。スコーピオンの他に弾丸も使う、近接寄りの万能手……といったところだろうか。
「ま、いいや。とりあえずはじめるわよ」
「はい。よろしくお願いします」
香取の手が、ホルスターに伸びる。最初は、射撃で牽制。そしておそらくは、そのまま距離を詰めてくる。こちらもまずはレイガストで弾を捌きつつ、通常弾で様子見しよう、と……彼女の動作を見て修がそう考えるのはある意味当然であったし、セオリーに則った堅実な思考といえた。
だが、香取葉子は、
「グラスホッパー」
そんなくだらない常識を、軽々と飛び越えてくる。
「っ……アステロイド!?」
発射と照準が間に合ったのは、修にしては上出来だった。が、お世辞にも狙いが良いとは言えないそれらの弾丸は一発も掠らず。通常弾の雨を悠々と抜けてきた香取は、スコーピオンを容赦なく振り上げた。
火花が弾け、硬質な音と共に光が明滅する。
(はやすぎるっ……!)
「鈍すぎでしょ」
グラスホッパーによって得た速力を活かし、修に全ての体重をかけるようにして切り込んでいた香取は、スコーピオンではレイガストを砕けないと判断したのか。あろうことかそのまま光刃をしまいこみ、レイガスト側面の『縁』を両手で掴み取った。
「は……!?」
「だから鈍すぎ」
くん、と。腹筋の力だけで屈んだ下半身。ブーツの底がレイガストの表面を捉え、生身では考えられないアクロバティックな挙動で、香取は修の盾を思い切り踏みつけた。
いくら香取が小柄だとはいっても、1人分の体重が片腕にかかって、体勢を崩さないわけがない。弾き飛ばされるようにして、修の上体は後ろに倒れ込んだ。
(体勢を……)
立て直さなければ、と。思考する頭の中心に、一発の弾丸が撃ち込まれる。
「……な」
「はい。まず一本」
『伝達脳破損。戦闘体活動限界。緊急脱出』
気づけばそこに市街地の風景はなく、柔らかいマットの感触と無機質な天井があった。うっすらと、頬を冷や汗が伝う。
ともすれば、遊真や緑川に迫るのではないかと感じるほどの素早い機動。トリオン体の性能を存分に活かした、軽やかな身のこなし。そして、ブレードから弾丸へ切り替える瞬間の判断力。
「……なにもできなかった」
最悪だ。最低のスタートといってもいい。
『いいじゃん。アンタ、最高よ』
修の心中とは全く正反対の言葉が、狭い室内に響き渡る。高慢な声の主は、言うまでもなく香取だ。起き上がって見てみると、対戦相手との通話機能がオンになっていた。
『動きは鈍いし、弾もひょろひょろ。おまけに、サイズも小さい。アンタ、トリオンも低いでしょ? 10戦と言わず、倍くらい付き合ってくれない? 今日のノルマ、さっさと消化できるから』
これ以上なく分かりやすく、小馬鹿にされていた。
思わず、歯を食いしばる。このままでは、終われない。
「はい。お願いします。20本!」
「ちょっと、大丈夫?」
ぐったりとソファーに横になる修を、香取は呆れた目で見下していた。出会った時とは完全に真逆のシチュエーションである。
「いや、でもアンタも大概諦めが悪いわ。20どころか30戦もするとはね」
疲れこそ消えてはいないが、実に晴れやかで艶やかな表情で香取が言う。修のなけなしのポイントは、彼女にすっかり吸われてしまっていた。
「おい! こらヨーコ!」
「ん?」
かわいそうなメガネをボコボコにして周囲から距離を置かれている香取に対し、意外なほど気安い声が外からかかる。明らかに怒気を孕んでいるその声の主は、華奢な香取の肩を遠慮なく掴んだ。
「お前また! 1人の相手からポイントと勝ち星むしり取れるだけむしったろ!? 周りに引かれるからやめろって言ったろ前に!」
「はあ? べつにいいでしょ。アイツにもダメとは言われてないんだし。それより麓郎、アタシの財布。持ってきてくれたの?」
「ちっ……!」
舌打ちを漏らしながらも、麓郎と呼ばれた男の隊員は香取に財布を投げ渡し、それから先ほどまでのきつい態度が嘘のように、修に向けて手を伸ばした。
「オレは若村麓郎。香取隊所属の銃手だ。わりぃな。ウチのバカが迷惑かけて」
「あ、いえ……個人戦は、僕の方からもお願いしたので」
「ほんとか? コイツに無理やり引きずり込まれてないか? 最近は、誰彼構わずやれるならランク戦をふっかけてるからな……」
「だから言ってるじゃん。アタシは悪くないって」
「お前のそういう言葉は一番信用ならねぇんだよ」
「は? なに麓郎? アンタ、アタシの保護者か何かなわけ? 違うでしょ。えらそーにしないでくれる?」
「少なくともオレの方が年上だろうが!」
「アタシ隊長だし」
年長者が隊長を務める場合がほとんどなボーダーのチームにおいて、年下の方が隊長をやっているというのはかなり珍しいのではないか、と修は思った。が、それ以上にバチバチと睨み合い、今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうなこの2人を止めなければ、と修は焦った。
「あの、お二人とも落ち着いて……」
「うっさい。アンタはすっこんでろ」
「わりぃけど、これはうちのチームの問題だ。外野の口出しは……」
と、そこで。何かに気付いたように麓郎の言葉が途中で止まる。改めて修の顔をまじまじと見つめ、考え、それからようやく思い出した、というようにポン!と手を叩いた。
「お前……もしかして玉狛第二の、三雲か?」
「あ、はい。そうですけど……」
「なに? コイツのこと知ってるの麓郎?」
「バカ! 逆になんでお前は知らねぇんだよ!? この前の試合の記録見なかったのか? 土砂崩れを利用した性格の悪い戦法を使うってんで、持ち切りになってたヤツだぞ!?」
「コイツがぁ? ほんとに? ただのザコだったけど」
性格が悪いだの、ただのザコだの、散々な言われ様だった。喧嘩を仲裁しようとしただけなのに、どうしてここまで言われなければならないのか。修は少し悲しくなった。
「まさかこんなやべーヤツをボコしてたなんてな……ったく、どうしてお前はいつも試合の記録を見ないんだよ。そういうところだぞ」
「アタシ、感覚派だから。他人の戦い方とか見ても仕方ないし」
「そういうことは、ほんとに感覚とセンスだけで戦ってる上位の連中に勝てるようになってから言えよ」
「は? なにそれ。なんでアンタにそんなこと言われなくちゃいけないわけ? ムカつく」
結局、また堂々巡りである。
二人が再び互いを睨みあい、いい加減取っ組み合いの喧嘩にでもなるのではないかと思われた、その時。
「なるほど。なら、俺の言うことなら聞けるか?」
静かな。しかしそれでいてよく通る声が、割って入った。
「はぁ!? なによアンタ? 外野はすっこんで……ひっ」
香取の言葉は最後まで続かなかった。麓郎に続いて現れた新たな男の一言に、それまでの威勢がうそのように硬直する。ダラダラと流す冷や汗は、数瞬前の修の如く。苦虫を噛み潰すだけでは飽き足らず、煎じて濃縮したものを舌の上で転がして味わったような濃厚極まりない嫌悪の表情を浮かべながら、香取は彼の名前を口にした。
「三輪…………先輩」
「え」
思わず、素で間の抜けた声が漏れる。しかし、修が振り返ってみると確かにそこには無表情で……いや、それなりに不機嫌な表情でこちらに歩み寄ってくるA級7位の隊長の姿があった。
「香取先輩が言っていた『師匠』って……まさか」
「俺だ。不本意ながらな」
修の疑問にぶっきらぼうに答える三輪の瞳は、香取を真っすぐに睨み据えている。その眼光にたじろいだのか、けれどビビッているとは絶対に思われたくないのか。香取は唇を尖らせ、頭の後ろで腕を組んでそっぽを向いた。口笛がつけば完璧だった。
「三雲から随分と搾りとったようだな、香取。弱い相手に勝ち誇るのはそんなに楽しいか?」
さり気なく『弱い』と断言される。
「な、なによ! べつにいいでしょ。 コイツだって正隊員なんだし、アンタが言ってた『1日100勝。正隊員相手に30勝を含む』のノルマに含めても問題ないはずでしょ!?」
そんなノルマだったのか、と修は思った。
「ダメだ。コイツは雑魚過ぎて話にならない。通常の100勝ならともかく、正隊員相手の30勝にカウントできるわけがないだろう」
また間接的にディスられている気がする……と修は思った。
「なんでよケチ!」
「すぐ楽な方に流されそうになるのは、お前の悪い癖だ」
「楽したわけじゃない! ちゃんと戦ったし! コイツ後半結構動きに対応してきてウザかったし!」
「そうか。なら、少しは三雲との戦いで得るものがあった……と。そういうことだな?」
「あったわよ! 当然でしょ!」
「……わかった。なら、いいだろう」
頷いた三輪に、香取の表情がぱっと明るくなる。
「ちょうど、防衛任務が終わったところだ。今から、その成果を俺に見せてみろ。さっさとブースに入れ」
そして、一瞬でどん底にまで叩き落された。
「え、ちょ、ま……」
「安心しろ」
出会ってから、ようやく。ピクリとも動かなかった三輪の口角が、あからさまに釣り上がる。
「俺に勝った分は、きちんとノルマに入れていいぞ」
「もぎゃあああああああああああああああああ!」
人目も憚らず泣きわめく葉子と、それをひきずっていく三輪。そんな珍しい組み合わせを、修は冷や汗をかいて見送るしかできなかった。
◇◆◇◆
静寂に包まれた通路を、踏みしめる音だけが闊歩する。
二宮匡賢は、犬飼も辻も連れず、1人で廊下を歩いていた。ボーダー本部は広い。所属する隊員の大半が学生であるために、時間帯に左右されるところはあるが……基本的に、顔見知りの隊員と廊下でばったり会う、という機会は少ない。顔を合わせるのは、個人ランク戦のブースや作戦室、食堂などがほとんどである。
だからこそ、待っていたな、と。二宮は思った。いや、正確に言えば『待ち構えられていた』というべきか。
進行方向。視線の先に立っていたのは、平均よりも小柄な背中だった。
「……風間さん」
「……二宮か」
A級3位、風間隊の隊長は、声をかけられてようやく気がついた、と言わんばかりに振り返った。本当は、足音でとっくに気がついていただろうに。
「何か、用事でも?」
「ああ、少しトリガーの調整をな。お前の方こそ、開発室に来るのは珍しいんじゃないか?」
「……」
「如月などは、よく入り浸っているようだが」
堪らず、舌打ちが漏れそうになる。会話の主導権を握られた。先に問いを投げたのが、裏目に出たか。城戸の懐刀をやっているだけあって、こういった駆け引きでは風間蒼也の方が一枚上手だった。
そして、実に強かだとも思う。如月龍神の名前を出している時点で、探りを入れていることを隠そうともしていない。
「……べつに。大した用では」
「ここに、探し物はないと思うぞ」
遮られた一言に、言葉が詰まった。
「……なにを」
「あるかもしれんが、お前には見つけられない。そういえば、この前玉狛にも行ったそうだな」
「……あんたには、関係ない」
「そうだな。だが……忠告はしておこう。こそこそと嗅ぎまわるのは、やめておけ。度を過ぎれば、俺も城戸司令に報告せざるを得なくなる」
涼しい顔でそう言ってのけた風間に対して、もはや応える気にはなれなかった。それよりも二宮は、自分が玉狛に行ったことを、彼がどこで知ったのかが気になった。玉狛の人間が、本部で話をするとは思えない。となれば、軽々しく口を割ったのは、あの馬鹿か。それとも同じように探りを入れてきた加古か。いや、もしくは……
「重ねて言うが、ここにお前の『探し物』はない。帰った方がいい」
帰れ、と。端的に告げられる。
風間がそう言うからには、きっとそうなのだろう。
「……なるほど」
けれど。
重ねられた否定に、
「『アイツ』を直接追った人間は、流石に言うことがちがうな」
反抗心が湧き上がる。
本当は、言い返す気はなかった。気がつけば、口が動いていた。
「……なんだと?」
風間の声音に、剣呑な刺がのる。しかし、二宮は退かなかった。
自分よりも二回りも小さい彼を、真正面から睨み据えて。
「風間さん。言いたいことがあるなら、もっとはっきり言ったらどうだ?」
口にしたくもない名前を口にして。
「鳩原未来について、嗅ぎ回るのはやめろ、と」
ただ、握りしめた拳の強さを、自覚する。