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「ありがとうございました、今さん」
昼食をとるには遅いが、おやつの時間には早すぎる。そんな午後の昼下がり。
江渡上紗矢は椅子に腰かけた状態のまま、ぺこりと頭を下げた。対面に座っているのは、ボーダー18歳組の中でもしっかり者で知られる鈴鳴第一オペレーター。今結花である。
「ううん、こちらこそ。いろいろ勉強になったわ。ありがとう」
「いえ……次の対戦があるこの時期に、こんなことをお願いするのは心苦しかったんですけど……」
「なに言ってんの。ランク戦と普段の防衛任務や模擬戦は関係ないでしょ? うちの来間さんもよく言ってるよ。ランク戦では敵同士でも、防衛任務では心強い味方。だから、将来有望な後輩がたくさん出てきてくれるのは心強いって」
「そう言って頂けると、助かります」
「ランク戦はやっぱり競い合いの場だから、情報とかデータの交換をやらないチームもいるけど……でも、うちはそういうのを積極的にやっていきたいって思ってるんだ。お互いに気兼ねなく高めあっていけるっていうのは、すごくいい関係性だと思うし。如月隊とは、これからも今みたいな関係を続けていけたらいいなって」
コーヒーや紅茶ではなく、ゆったりと湯気を立ち昇らせている緑茶を口に運びながら、今は微笑んだ。
「……これも、来馬さんからの伝言ね」
「承りました。ウチの馬鹿隊長にも伝えておきます」
今日、こうして2人が会うことになった理由は、単純明快。鈴鳴第一のデータを求めた紗矢が、今に連絡をとったからだ。普通に考えれば、次の対戦相手から戦闘データをもらう……なんてことは、まずありえない。しかし鈴鳴第一は本部所属ではないため、個人戦や防衛任務のデータが他のチームに比べてやや入手しにくい。もちろん、過去のチームランク戦の映像はいくらでも閲覧可能だが、それだけでは対策が不足していると、紗矢は考えた。故に、少々常識の範疇から外れた方法で、データを手に入れることにしたのである。
対戦相手に、直接交渉を持ちかけるという形で。
「じゃあ、渡しておくわね。こっちが『うちの支部』で記録してある、如月くんと鋼くんの模擬戦のデータ。あと防衛任務の記録も入ってる」
差し出されたのは、若草色のUSBメモリ。それを預かり、紗矢もピンク色のUSBを引き換えに手渡した。
「たしかに。では、こちらが『玉狛支部』で行った如月くんの模擬戦。その映像記録になります。主な相手は、迅さんや小南ですね」
「……迅さんと小南ちゃんかぁ。あの2人と日常的に模擬戦をやっていれば、そりゃ強いよね」
「流石に、あの2人が相手になると負けてばかりですよ。まだまだ精進が足りません」
「手厳しいね、紗矢ちゃん」
「性分なので」
それぞれのチームに所属する『エースのデータ』の交換が、これで完了した。
やれやれ、といった様子で今は受け取ったピンク色のメモリを自分のノートパソコンに差し込んだ。ファイルを開き、いくつかの映像を流し見していく。
「うーん、相変わらずいい動きしてるわ、如月くん。率直に言って、敵に回したくないわね」
「……今さんが、それを言いますか? チームにNo.4攻撃手の村上さんがいるのに……」
紅茶のカップを両手で抱え、口元を隠したまま、紗矢はじっとりと今を見詰めた。あはは、と。しっかり者の先輩は笑顔を作って首を横に振る。
「それを言われると、何も言えないんだけどね。でも、鋼くんって最初から強かったわけじゃなくて……なんだろう? できることをきちんと積み重ねていったイメージが強いから、他の子達から『村上くんってめちゃくちゃ強いからずるい』とか『No.4攻撃手がチームにいると、安心感が違うでしょ』とか、そういうことを言われても、なんか違和感があるのよね。もちろん鋼くんはうちのエースだし、いつも頼ってはいるけれど……そこまで特別な存在ではないっていうか」
「村上先輩の場合、そのできることを積み重ねるスピードがすごく早いと思うんですけど……でもなんとなく、言いたいことは分かります。私も、誰かに如月くんを褒められたら、全力で首を横に振って否定する自信がありますから」
「……いや、そういう褒め言葉は素直に受け取っていいんじゃない?」
「いやです。如月くんは少し褒めると本当にすぐ付け上がるので」
「あはは……」
オペレーター女子の、自分の部隊の男に対する扱いは案外雑である。
例えばチームにNo.1攻撃手を擁するA級女子ゲーマーは(自分の学力は棚に上げておいて)、「戦闘と餅を焼くこと以外は基本的にほんとにおバカ」と常日頃からオペレーターの女子会で隊長をディスっている。同じくA級2位部隊のオペレーターは、年上の男2人をほぼ尻に敷いているし、他のチームのオペレーター女子達も「アタシがいないとなんにもできねー」「ウチは男子が全体的に頼りない」「うちの隊長はブラコンであることを除けば本当に完璧」「カメラ目線をどうにかしてほしい」「カツカレー」「隊長が基本弱気だから、いつもお尻を叩いてる」「いつもメガネを薦めているのに、誰もメガネをかけてくれない」「うちの子達は東さんに頼りすぎ」「アイコン作るのが結構大変で……」「最近、目の下のクマがまた濃くなって本当に心配」「隊長が厨二をこじらせ過ぎていてつらい」等々、意外と好き勝手に言っている。男子の扱いなど、所詮はこんなものだ。
「じゃあ、紗矢ちゃんは如月くんを褒めたりしないんだ?」
「しませんね。絶対にしません」
「お疲れ様、とか、労ったりもしないの?」
「それ、は……」
意外としつこい今の質問に、紗矢は言葉を詰まらせた。何故かすぐに思い浮かんだのは、大規模侵攻終了直後の、あの出来事。
おつかれさま、如月くん。
なんとなく。本当になんとなく、だが。なんというか、自分がすぐにそれを思い出してしまったのが、微妙におもしろくなくて。
そっぽを向いて、紗矢は答えた。
「……普通に、言います。防衛任務が終わった時、とか」
「ふーん」
「……なんですか、その含みのある『ふーん』は? 今さんも言いますよね? というか、オペレーターは基本的に言いますよね!? やっぱり、お給料を貰って働いている立場なわけですし、そういう挨拶は人間として最低限の……」
「うんうん、そうだねー」
「……ぅ。どうして、そんな適当な感じで流すんですか」
「紗矢ちゃんこそ、急に力説し始めたけど、どうしたの?」
「……」
ああ、この人。まじめで硬そうに見えて、意外と柔らかく口も回るタイプだ。
紗矢は反論を諦めて、早々に会話を打ち切りにかかった。
「……とにかく。ウチの隊長は本当にお馬鹿なので、余程のことがない限り、絶対に褒め言葉は言いません。称賛もしません」
「余程のことがない限り?」
「致しません」
「そっか」
何かに納得したのか、何かを再確認したのか。
今は得心いったという風に、深く頷いた。
「なんかさ」
「はい?」
「紗矢ちゃん、丸くなったよね?」
丸くなった。
「え」
女子に対して、その形容詞を使うタイミングはとても限られている。つまり……
「ふ、太りました? 太りましたか、私!? たしかに、昨日はお好み焼き屋さんでごはん食べたりしましたけど、でもそんな……」
「ああ、違う違う! 丸くなったっていうのは……ちょっと失礼かもしれないけど『性格』がって意味。なんか、柔らかくなったよね」
自分の性格が褒められたものでないことをある程度自覚している紗矢は、その言葉に首を傾げた。
「そう……でしょうか?」
「うん。そうだよ。前はもうちょっと近寄りがたい感じだったし」
「それは……なんというか、すいません」
「あ、ううん! 違うの! べつに責めてるわけじゃなくてさ」
軽く手を振って、今は笑う。
「いい変化だと思うよ、そういうの。もしかして、如月くんに影響された?」
「すいませんそれだけはありえません絶対にないです」
紗矢は速攻で否定した。
「そんなに嫌がらなくてもいいんじゃない? ほら、如月くんってよくも悪くもみんなに影響与えてるし」
「まあ、彼のそういうところを否定する気はありませんけど。でも、私は絶対に変な影響受けてませんから。毒されてもいませんから」
「素直じゃないね」
「……自分が勝気な性格だという、自覚くらいはあります」
とはいえ。
如月隊に入ってから、自分のボーダー内での交友関係が一気に広まったのは紛れもない事実であり。無駄に顔が広い厨二馬鹿隊長が「こいつ、俺の部隊のオペレーターだから」と、いろいろなチームに紹介して回ってくれたのも確かなので、紗矢としては認めたくないところも多いが……厨二馬鹿隊長に影響を受けたという一点に関しては絶対に認めたくないが……それでも、周りから見て「変わった」と思われているなら、きっとそれは本当なのだろうと紗矢は思う。そして、自分自身のそうした変化に、言われなければ気付かない程度には、自分は如月隊に馴染んでいるに違いない。
……客観的に考えて、あのメンバーに馴染んでいるというのは、なかなかどうしてそれでいいのかと思わなくもないが。
「私が変わったのだとしたら、それはボーダーのみなさんのおかげです」
「その紗矢ちゃんが言う『ボーダーのみなさん』には、結局如月くん達も入っているんじゃない?」
「……むぅ」
「どうしたの、紗矢ちゃん」
「……いえ、なんというか」
「うん」
「……鈴鳴第一って、来馬さんが仏様みたいに優しいイメージでしたけど」
「うん?」
「…………今さんは、ちょっと意地悪ですね」
真正面からそれを言うのはやや気恥ずかしくて。ついでに少し拗ねた気持ちを表現したくて。紗矢は今から少し顔を背けて、そう言った。
一瞬、何か呆気に取られたような表情になった今だったが、それからにんまりと笑みを浮かべてテーブルの上に乗り出し、紗矢の頬を両手で挟んで無理矢理正面を向かせた。
「ふぉ!? こ、今さん!?」
「ふっふーん。これは盲点だったわ」
「な、なにがですか?」
「素直になった分、丸くなっただけじゃなくて、かわいくなったなーと思って」
「……そんなお世辞を言っても、次の勝負で手加減はできませんよ」
「……ふふっ。大丈夫、いらないよ」
両の手で紗矢に真正面を向かせたまま。その両の瞳を覗き込むようにしたまま、一貫して柔らかかった今の雰囲気が、ほんの一瞬。冷たく変化する。
「うちの鋼くんは、強いから」
それは自信だった。虚勢を張っているわけでも、驕っているわけでもなく、ただ事実を端的に述べているかのような。固く固く、何重にも裏打ちされた自信であり、信頼だった。
「……」
残念ながら、紗矢はそれだけの信頼を龍神に対して向けることができない。それだけの信頼を寄せるには、紗矢が龍神と過ごした時間は短すぎる。そもそも、このまま付き合いを重ねていったとして、今と村上のような良好な信頼関係を築ける保証はないわけで。
ただ、客観的な視点で事実を述べるなら、
「負けませんよ。ウチのバカ隊長も」
断言できる程度には、江渡上紗矢は如月龍神を知っているつもりだ。
「……勝負だね」
「ええ。勝負です」
一拍、沈黙を置いて。笑いあった2人は元の距離感に戻って落ち着いた。
「そういえば、みんなは今日は何してるのかなー。鋼くんも、今日は本部に来てるんだけど」
「そうなんですか。本番前に調整を?」
「うん、そんな感じ。もしかしたら、如月くんとバチバチやりあってるかもね」
「それは流石にありえませんよ。ランク戦前に村上先輩とは絶対戦うな、と言い聞かせてありますし」
「そうねー。鋼くんのサイドエフェクトを知っていたら、当然そうするわよね……」
ふと、見上げた視線の先。今の目が、モニターに釘付けになって止まる。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「あのさ、紗矢ちゃん」
「はい?」
「あそこで鋼くんと戦ってるの、如月くんに見えるんだけど、私の見間違いじゃないよね?」
「え? 流石に、それはあり得ませんよ。ほら、よく見てください。あれは、王子隊の隊服じゃないですか」
如月隊の隊服は白のロングコート。馬鹿みたいに目立つので、見間違えようがない。紗矢は笑いながら紅茶の残りを飲み干そうと口に運び、
「ん……?」
王子隊の隊服を着て元気よく戦場を駆けている男の顔が、どう見ても自分のチームの馬鹿隊長であることをようやく認識した。
「ぶふぉ!?」
最近、ボーダー内でもファンが増えてきた美少女の口から、間違っても女子が出してはいけない声と共に勢いよく紅茶が噴出される。げほげほと咳き込んだ紗矢は、なんとか息を整えつつ、食い入るようにモニターを見た。
「な、なんで!? なにやってるのあの馬鹿は!?」
どうして、あれほど避けるように言っておいた村上との模擬戦をやっているのか。
どうして、王子隊の隊服を着て戦っているのか。
どうして、玉狛所属の遊真も交えた乱戦形式になっているのか。
紗矢はわけが分からなかった。
「……ほんと、紗矢ちゃんって変わったよね」
「え?」
「前は、相手に向かって紅茶を噴き出すなんてこと、絶対にしなさそうなキャラだったもんね……」
呻くように呟く今の方を向いて、紗矢は青くなった。うつむく彼女の頭は濡れそぼっており、よく手入れされた綺麗な黒髪の毛先からは、紗矢が噴き出した紅茶がぽたぽたと滴り落ちている。
見事に、直撃だった。
「ああっ!? ごめんなさいごめんなさい!」
とりあえず、今の頭を拭いたらあの馬鹿をしばき倒そう。
心の中で、紗矢はそう誓った。
◇◆◇◆
雲ひとつない快晴に設定された空の下。模擬戦のフィールドとしては比較的メジャーな部類に入る市街地の中で。明るい日の光を浴びて輝くのは、数え切れないほどの斬閃だった。
そう。斬撃の閃きである。
「旋空一式……虎杖」
高密度のトリオンで形成されたブレードは、まるで生きているかのようにその刀身を拡大し、延長線上にあったコンクリート壁を一撃で破断する。飛散したつぶてに隊服を叩かれ、若草色の隊服に身を包む青年は、ほんの少しだけ顔をしかめた。
「また、腕を上げたな。如月」
「世辞はいらん。首をくれ」
「断る」
「なら、強引にでも頂こう」
先輩からの賞賛の言葉をはねのけながら、強く地面を踏みしめて、一歩。仕留めるつもりで打ち込んだ弧月は、レイガストの堅牢な防御の前に阻まれる。迎撃の一閃を紙一重で躱し、スコーピオンで反撃。が、今度はそれを身をよじって回避される。有効な一撃は得られず、手応えもなく。
並の攻撃手では傷ひとつ負わせられないであろう、的確な防御と回避。対峙する相手からしてみれば、まったくもって嫌になる。
如月龍神は、思わず口を開いた。
「相変わらず……やりにくいな鋼さんは!」
「それは、こっちも同じだ」
半歩、身を引いた村上鋼はレイガストを押し込むように、スラスターを用いて突進。シールドチャージ、と呼ばれるレイガスト特有の高等テクニックで、龍神に運動エネルギーを叩きつけた。両腕を交差させて防御した龍神はその一撃をもろに喰らい、大きく吹き飛ばされる。体勢は崩れ、自由な身動きが利かない空中。それは他人からしてみれば、致命的な隙だった。
故に。
その瞬間を狙って。バッグワームを翻し、死角から飛び出してきた空閑遊真を、龍神は右手から瞬時に伸ばしたスコーピオンで迎撃する。
「うおっと!」
「ちっ……」
まるで、不意打ちを最初から予想していたかのような対応。
首を刈り取るつもりが、逆に首を刈り取られかけた遊真はギリギリで龍神のスコーピオンを回避し、グラスホッパーの踏み込みで空中から地面に転がり込む。龍神は村上への牽制代わりに生成したスコーピオンをそのまま当擲。当然のようにレイガストにはじかれたそれを見て、すぐさま次の攻撃に移った。
「七式……浦菊!」
刃が空を切る。旋空で強化された斬撃が次々にレイガストに直撃し、少しずつ、しかし確実に耐久を削っていく。
「……本当に、またはやくなったな」
感心したように呟きを漏らした村上は後退。旋空の射程距離の外まで出て、立て直しをはかる。だが、そんな行動を『もう1人』が許すはずもなく。
再びの高速機動で背後に回り込んできた遊真の一撃を、村上は弧月で受け止めた。
「昨日やった時も思ったが……うしろから殺るのが好きだな、お前は」
「……村上センパイ、正面からじゃ固いからね」
「そうかい」
軽口を叩きあいながら、ブレードも交わす2人を見て、龍神は笑みを漏らす。
「よし」
これまでの。
連発していた斬撃より、さらに鋭い一閃を。
「2人とも、そのまま動くな」
瞬間、村上は身を屈め、遊真は上へ飛んだ。横薙ぎに炸裂したブレードはちょうど両者の間をはしりぬけ、背後にそびえ立つ巨木を両断する。
「ちっ」
堪らず、遊真は舌打ちを鳴らした。先ほどの奇襲を防がれた借りもある。これは、村上よりも龍神を狙うべきか、と。頭の片隅で抱いたそんな思考に、まるで釘を刺すかのように。スラスターで強化されたレイガストが飛来する。
「っ!」
咄嗟に胸の前で交差させたスコーピオンはレイガストを防いではくれたものの、1本は真ん中でへし折れ、もう1本を取り落としてしまう。ついでに衝撃でバランスも崩された。これはまずい、と直感が全力で警告を鳴らす。
「いただく」
三度目の正直と言わんばかりに、龍神の旋空弧月は遊真の右腕を肩から両断した。美しい切断面から、まるで噴水のようにトリオンが流出する。
「なまじ反応がいい分、すぐに飛ぶのはお前の悪い癖だな」
「たつみセンパイにだけは言われたくないね、ソレ」
「俺は今日、全然飛んでいないだろう」
「グラスホッパーが入ってないだけでしょ」
「そうとも言う。まあ、こうしてお前の腕を取れているから、結果オーライだ」
とはいえ、龍神としてはこれだけやりあって腕一本というのは、あまりうまくない。
普段着用しているものとは違う、黒を基調にまとめられた隊服。その胸元を緩めながら、龍神はあえて強気に笑う。
「ようやく体も温まってきた。そろそろ、本気で獲りにいかせてもらおうか」
「今までは本気じゃなかった……みたいな言い方はやめろ如月」
「思ってた以上にやりにくいけど……まあ、なんとかするっきゃないか」
「さあー! 大いに盛り上がっております! 試合前日に急遽執り行われることとなった、話題のエースアタッカー達による大激戦!」
その少女は、観客をさしおいてお前が一番テンション高いんじゃねえの?と問いたくなるほどに、最高に興奮した声を響かせていた。小柄な体によく揺れるツインテールが特徴的な彼女は、実況席の主として知られる元気っ娘オペレーター、武富桜子である。一部の隊員が彼女を呼ぼうとしたところ、呼ぶまでもなくどこからかぬるりと現れて「なんですかこれ超おもしろいことになってるじゃないですか実況しますね!」と音もなく実況席に消えていったあたり、もう流石としか言いようがない。武富桜子はどこまでも武富桜子であった。
「勝負の形式は10本勝負! 前半と後半の間にインターバルを置く形になっております。現在、前半の4本が終了! 空閑隊員が1本、村上隊員が1本、如月隊長が2本取っている状況です。王子隊長、どう思われますか?」
「うん。順当な結果だと思うよ」
呼んでもいないのに何故か実況席についてきた王子一彰は、腕を組んでリラックスした状態で桜子の質問に答える。最初、桜子は自分のことをさしおいて、この人どうしてこんな自然な感じでここにいるんだろう?と思ったが、どちらにせよ解説役の隊員が欲しかったので、特に気にしないことにしていた。武富桜子は実況に生きる乙女である。細かいことは気にしない。
「攻撃手としては鋼が格上。加えて、クーガーは昨日の対戦で既に手の内を学習された状態だ。しかも、オッサムの援護があったランク戦とは違って、今日の勝負では味方は1人だけ。この3人の中で、最も辛い状況にあるのはクーガーだろうね」
「えーと、あの……王子隊長。クーガーは空閑隊員、オッサムは三雲隊長のことを指している……ということでよろしいでしょうか?」
「ん? そうだよ。なにか変だったかな?」
「ああいえ、大丈夫です」
手元からさっとメモ帳を取り出した桜子は、王子には見えないように空閑=クーガー、三雲=オッサムと書き込んでおいた。武富桜子は実況のスペシャリストである。常にどんな相手とも実況解説が行えるように心掛けている。王子が勝手に名付けた微妙なセンスのニックネームの把握も、実況を行う上では欠かせないことであった。彼女のプロ意識は甘くないのだ。
「そうそう。もうオッサムとたっつーのチームのアイコンは作ってあるんだ。あとで渡しておくよ。自分で言うのは気恥しいけど、なかなかいい仕上がりになってるからね」
「ありがとうございます」
オッサムとたっつー。ポケ〇ンかよ、と桜子は思った。思ったが、口には出さない。プロの実況は安易に自分の考えを口にはしないのだ。
「ところで王子隊長。如月隊長は、何故か王子隊の隊服を着て戦っているようですが……?」
「ああ、よくぞ聞いてくれたね! 実はたっつー、ノリノリで鋼とクーガーの個人戦に乱入しようとしたんだけど、トリガーを忘れてきたらしいんだ」
「アホですね」
思ったことがストレートに口に出た。
「それで仕方なく、ぼくが彼にトリガーを貸したんだよ。たっつーとぼくのトリガー構成は似ているしね」
「そういえば、弧月とスコーピオンを両方セットしているのは、ボーダーの正隊員の中でも王子隊長と如月隊長くらいですね」
「うん。たっつーはぼくに負けず劣らず、いいセンスを持っている。きっと使いこなしてくれると信じているよ」
満足気に頷く王子は、どこか嬉しそうだ。上機嫌な様子の彼に、桜子はさらに質問を振ることにした。
この戦いの、核心を突く問いを。
「ではでは、単刀直入にお聞きします! この3人の中で、一番強いのは誰だと思いますか?」
「鋼だね」
即答だった。
思わず目を丸くして、桜子は王子の横顔を見る。
「そ、そんなきっぱりと……?」
「うん。きっぱりと言えるね。この中で最も高い実力を持っているのは、紛れもなく村上鋼だよ」
「で、ですが、現状の戦績は村上隊員と空閑隊員がそれぞれ一勝ずつ、如月隊長が二勝です。圧倒的優位に立っているようには……」
「みえないね。でもそれは、この状況が作り出した一種の『要素』に過ぎない」
またどこからか取り出した指示棒をピンと伸ばし、王子は画面を指し示す。
桜子は「それ、いつも持ち歩いてるんですか?」とツッコミたいのをぐっと堪えて、彼の言葉に耳を傾けた。
「実力的に下位にあたる人間が、上位にあたる人間から勝ちを取ろうとする場合……必要なのは、それに適したシチュエーションだ」
例えば、三雲修が風間蒼也から一勝をもぎ取ったように。
「クーガーはランク戦での動きを見る限り、元々乱戦には強い。だから、たっつーは鋼を落とすことに全力を注いでいるように見えて、常にクーガーに対して意識の何割かを割いている。さっき、クーガーを釣り出して迎撃のスコーピオンで仕留めようとした場面なんかが、まさしくそれだ。何も、考えていないようで実はいろいろ考えている……実に、たっつーっぽい」
具体的な例を挙げながら、分かりやすく解説を進める王子。変わり者と言われることこそあれど、B級上位チームの隊長を務めるその戦術眼は、間違いなく確かなものだ。
「クーガーは乱戦の中で、漁夫の利を狙うポジション。自分から積極的に攻めるんじゃなくて、他の2人のアクションに合わせて攻撃を仕掛けている。逆に、たっつーはこの3人の中だと、自分から積極的に攻める位置にいる。たっつーは『旋空』の扱いがとてもうまいから、スコーピオンしか持ってないクーガーや旋空をあまり使わない鋼と比べて、リーチの上で頭ひとつ分のアドバンテージがある、というわけだね」
「如月隊長には、自分のトリガーではないハンデもあると思いますが……」
「そうだね。でも、自分から積極的に動いて体を慣らしていかないと、それこそたっつーに勝機はない。いい具合に慣れてきたみたいだし、たっつーが本領を発揮するのはこれからだと思うよ」
観客席から、歓声があがる。モニターの中では、片腕を失った龍神がほっと息を吐いていた。
「前半戦、決着! 大きくリードを広げたのは、如月隊長! No.4攻撃手を相手に自分のトリガーではないにも関わらず、3本先取という大金星だ!」
「ふむ……最後はギリギリだったけど、よく粘ってるね、たっつーは」
「はい! 15分間の休憩を挟んで、勝負は後半戦に移ります!」
王子の言葉通り、前半は龍神が3本、村上が1本、遊真が1本という形で終了。
今、龍神達が行っている勝負は1対1のタイマン勝負ではない。最後に生き残った1人だけが勝者となる、バトルロワイヤルだ。だからこそ、実力だけで勝負が決まるとは限らない。
「……まあ、でも」
そう。実力だけで、勝負が決まるとは限らない。限らない、が。
「本領を発揮したからといって、必ず勝てるわけじゃない」
大抵の場合、実力で決まるのが勝負というものだ。
◇◆◇◆
村上鋼は、あまり夢をみない。
睡眠を取っている間の記憶は、妙にはっきりとしていて。睡眠を取っている間、特に意識して『復習』をしている間は、眠っているのだという認識すら薄いほどだ。そういう『副作用』を自分が持っているのだと知るようになってからは、眠りに落ちるのもはやくなった。
派手さはいらない。自分に剣を教えてくれた友人の影響もあるのだろう。理論的に堅実に。村上は攻撃手として、剣の道を進んできた。
相手の動きを学習する。動きを覚える。それをフィードバックする。実戦で試し、再び反復。相手が以前と違う動きをするようになったなら、リセット。再び学習し、また覚える。フィードバックして、試行、反復。繰り返し……
そうして、積み重ねていく。
『強化睡眠記憶』
それが、村上鋼のサイドエフェクトである。
15分。1秒も違わず、ぴったり15分間の睡眠を取って、村上は瞼を持ち上げる。
大規模侵攻での経験を得て、龍神はまた強くなった。玉狛の小さなルーキーも、決して油断できない、確かな強さを持っている。
だが、今日の2人の動きは覚えた。
それに加えて、後半戦からは試してみたいこともある。
「……使ったのは、壱式と弐式。それに、七式。死式と八式を使わないのは、王子のトリガーにテレポーターとグラスホッパーがないから、か」
呟きながら、再確認をする。村上鋼は、決して己を鼓舞したり、気合を入れることはない。
ボーダーが誇るNo.4攻撃手はただ淡々と。
今日も、また一つ。経験を積み重ねる。