厨二なボーダー隊員   作:龍流

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風刃起動

「終わりだ」

 

 出水公平は膝をついた『人型』を見て、勝利を確信していた。

 

(流石は『アイビス』ってところか。あの傷なら、トリオンはガンガン漏れる)

 

 キューブ化という強力無比な能力。生物を模した弾丸の精密なコントロール。あの『黒トリガー』のトリオン消費は、生半可な量ではきかないはず。

 なにより、

 

(お前はもう東さんの射程圏内だぜ)

 

 足を削られ、動きを止めた敵を待ってやる道理などない。

 二射目。

 東が放った『アイビス』の弾丸は、ハイレインに向けて真っ直ぐ突き進み、

 

 

 

『窓の影(スピラスキア)』

 

 

 唐突に出現した『黒い窓』に吸い込まれ、消えた。

 

「んなっ……ッ!?」

 

 そして、息を飲むのも束の間。

 不意に後方から襲いかかってきた衝撃を受けて、出水の左肩は跡形もなく吹き飛んだ。

 まるで空間をねじ曲げたかのように。何の前触れもなく受けたその攻撃の正体は、

 

「アイ……ビス……?」

 

 どうして?

 何故、あの『人型』を狙ったはずの一撃が、自分を貫いたのか。

 その場に崩れ落ちる出水の前に、まるで解答を示すかのように1人の女が現れた。

 

「ご無事ですか? ハイレイン隊長」

「……助かった、ミラ」

 

 女性らしい曲線をぴったりと覆う黒衣。短く切り揃えられた朱色の髪。だが何よりも目を引くのは、髪の間から突き出る一対の黒い『角』だった。

 

「黒トリガー……なるほど、その黒い穴は『門(ゲート)』みたいなもんか」

「あら、大した洞察力ね。流石、隊長を追い詰めただけはあるわ」

 

 『ミラ』と呼ばれた彼女は感心したような口調とは裏腹に、蔑んだ視線を出水に向けた。

 

「まあ、意味はないのだけれど」

「……なに?」

 

 変化は、ミラの方ではなくハイレインにあった。

 キューブ化されたトリオンの塊――ほとんどが出水が放った弾丸である――が次々に分解され、ハイレインの元へと吸い寄せられていく。撃ち抜かれた胴体も、抉られた足も、失ったトリオンを補填して元通りに復元していく。

 回復能力。

 そう表現するしかない現象だった。

 

「おいおい……反則過ぎだろ」

「言ったはずだ。致命傷ではない、と」

 

 涼しい顔でハイレインは言う。キューブ化能力で攻撃を無力化し、ダメージを受ければ無力化したキューブからトリオンを補給。まさしく『黒トリガー』に相応しい、凶悪な能力。

 

「くそったれめ……」

 

 敵の援軍の到着で、戦況はさらに悪化した。出水自身も大ダメージを負っている。そこに回復能力までお披露目されては、正直言って勝ちの目は限りなくゼロに近い。

 かといって、それは退く理由にはならない。

 

「……だったら、もう一発決めてやるぜ」

 

 唯一五体満足の米屋が、槍型の『弧月』を構え直す。それに呼応して、出水も自身の周囲にトリオンキューブを展開した。腕がなくても、射手が戦うのに大きな支障はない。やり様はいくらでもある。

 危機的な状況をはね除けるかのように、出水は不敵な笑みを浮かべた。

 

「上等だ。回復するなら、何度でも削り倒して……」

「悪いが」

 

 

 

 しかしハイレインは出水の言葉を遮って、

 

「もうお前達に構っている暇はない」

 

 彼が手をかざした、直後。

 出水と米屋は、生物弾丸の直撃を背後から浴びた。

 

「なんっ……!?」

 

 揺らぐ体。ぼやける視界の中で、出水は見た。

 マントの影。ハイレインの右手から生成されるハチの弾丸が、黒い窓に吸い込まれていくのを。

 振り返れば、やはり背後には小さな『穴』が浮かんでいた。

 

「弾丸の、ワープ……」

「……初見じゃ見抜けねーよ。クソ」

 

 捨て台詞をその場に残して、光が舞い上がる。

 2人の少年は悔しさを噛み締めながらも自らの意思で『緊急脱出』を起動し、戦場から離脱していった。

 

 

「……やはり『雛鳥』以外の駒を生け捕りにするのは難しいようですね」

 

 ぽつりとミラが言った。

 

「玄界の兵のレベルが向上しているのは、あの脱出システムが理由のようだ。たとえ戦場で敗北しても、死ぬことがない。着実に経験を積んだ兵士が残る。あの射手も槍使いも、良い腕だった」

 

 そこで言葉を区切ったハイレインは、視線を遠方に向けた。

 

「狙撃手は捕捉できたのか?」

「申し訳ありません。『大窓』でラービットを送り込んだのですが、どうやら見失ったようです」

「……そうか」

「気になりますか?」

 

 やや訝しげに、ミラはそう聞いてくる。ハイレインは先ほど直撃を受けた部分に手を当てた。

 『卵の冠(アレクトール)』の防御の隙を突いた狙撃。崩したのは別の兵だったが、援護のタイミングも絶妙に上手かった。

 だが、それよりも気になるのは。

 

「『窓』で狙撃を防いだあと、ヤツは一発も撃ってこなかった」

「は?」

 

 普通の狙撃手なら、焦りと動揺から続けて撃ってきてもおかしくない状況だった。あそこで仲間を諦めて引き下がるのは、ある種の勇気と判断力を要する。

 

「引き際を心得ている。ヤツもまた、腕のいい狙撃手だということだ」

 

 ヴィザの忠告通り、玄界の兵は侮れない。ハイレインは今までの認識をリセットし、敵に対する考えを改めた。

 金の雛鳥の捕獲。どうやら、急ぐ必要がありそうだ。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 オプショントリガー『旋空』は、ブレードトリガー『弧月』の攻撃を拡張する機能を持つ。

 言い方を変えよう。『旋空』の効果は、端的に言ってしまえばブレードの延長だ。延長したブレードが瞬間的に伸び縮みすることにより、斬撃が『飛んだ』と錯覚するような攻撃が繰り出される。このブレードの延長距離と『旋空』の起動時間は反比例の関係にあり、通常の『旋空』は約1秒の起動時間で15メートル伸長する。当然、起動時間を短くした場合は反比例の関係にある延長距離が伸びるわけだが、ボーダー随一の『旋空』使いである生駒達人の場合、その起動時間は僅かコンマ2秒。延長距離は40メートルにも及ぶ。

 もたらされる効果は、ブレードの延長。

 延長距離は、起動時間に反比例する。

 簡潔にまとめてしまえば、以上二点がオプショントリガー『旋空』の性質である。

 だが、旋空特式――『ガイスト』を用いて強化した『旋空弧月』の攻撃は、必ずしも上記の法則に縛られるわけではない。

 全ての『トリガー』は起動する際にトリオンを消費し、その性能も使用者のトリオン量に左右される。狙撃手用トリガーはそれぞれライフルの特徴である威力や射程が、射手用トリガーはトリオンキューブのサイズが、シールドは展開範囲と強度が……と、いった具合に。全てのトリガーの性能は、トリオン量によって決まると言っても過言ではない。

 そんな中で比較的トリオン量に左右されず、安定した性能を発揮できるのがブレードトリガーであり、ブレードトリガーの中でも最高傑作と言われるバランスを誇るのが『弧月』である。『弧月』はトリオンを硬質化と威力に振り分けており、弾丸トリガーのような継続的なトリオン消費を必要としない。だからトリオンが少ない攻撃手でも、安定した威力で確実なダメージを与えることができる。

 言ってしまえば。

 そもそも前提の時点で『弧月』の性質と『ガイスト』の特性は、いっそ致命的なまでに噛み合わない。

 短期決戦に安定した威力は必要ない。瞬間、敵を倒せる最大火力を叩き出せれば、それで構わないのだから。

 短期決戦に確実なダメージは意味がない。無理な強化で自身の戦線離脱が決定的である以上、繰り出される攻撃は必殺でなければならないのだから。

 元々、ブレードトリガーは『トリオン体』を切り裂く攻撃力を有している。それは大半のトリオン兵に対処するのに、十分な切れ味だ。しかし『ガイスト』による強化は本来の『弧月』を遥かに上回る……いっそ過剰と言えるほどの攻撃力を与えた。それはオプショントリガーである『旋空』に性能に関しても、また然り。

 前置きが長くなった。結論を述べよう。

 基本となるトリガーの性能も、開発コンセプトも、全ての前提を覆して。

 

 

「旋空特式――」

 

 

 瞬間的なトリオンの集中により、延長距離は75メートル。

 切れ味は通常の『弧月』の約5倍。

 つまりは、射程も威力も通常の5倍。

 

 

「『彼岸花』」

 

 

 それが『ガイスト』の『特戦特化』によって強化された『旋空弧月』である。

 

「――――ッ!?」

 

 直感。いや、悪寒と言うべきか。

 言い知れぬそれを感じ取ったヴィザは咄嗟に背後へと振り向き、そして目を見張った。

 あの少年の間合いは把握していたつもりだった。あのブレードの威力も把握していたつもりだった。

 しかし、その両方を遥かに上回る一撃が、

 

 

(こ、れは……)

 

 

 歴戦の老兵から、余裕と思考を奪い去る。

 斬撃が駆け抜けたのは一瞬だった。

 直撃を受けたビルの壁面は真一文字に切り裂かれ、砕かれた破片が周囲に飛散する。損傷を受けた箇所は耐久限界を迎え、崩れかけだったいくつかのビルは今度こそ崩壊した。

 

「うっひゃあ……これじゃあ、おれも天羽のことは強く言えないな」

 

 ヴィザから比較的近い位置にいた迅は、悲鳴混じりに呟いた。

 流石に天羽月彦の『黒トリガー』とは比較できないが、『通常(ノーマル)トリガー』に限って考えれば、間違いなく最強クラスの破壊力。龍神が玉狛支部で遊真と模擬戦を行っていたのは知っていたが、まさかここまでのものに仕上げてくるとは。

 冷や汗混じりの頬を拭った迅は、自分の表情が自然と綻んでいるのを自覚した。

 

(これは、今度こそ……)

 

 やったか、と。

 予感が確信に変わる前に、視えた『未来』は体を硬直させるには充分なものだった。

 

「……龍神っ! まだだぞ!」

「ああ……そうだろうな」

 

 迅の警告に応じながら、龍神はもう駆け出していた。

 とっておきの攻撃を、最高のタイミングと最良の状態で繰り出した。それでも、龍神の手の中にはヴィザを仕留めたという確信はなかった。手応えがなかったのだ。

 極論すれば。

 どんな強力な攻撃も、当たらなければ意味がない。

 

「……いやいや。これは本当にたまげました」

 

 やはり、煙の中で老人は笑っていた。

 

「嘘をつけ……!」

 

 吐き捨てながら、龍神は再びヴィザに肉薄する。

 龍神が振るった弧月をいとも簡単にかわし、ヴィザは『星の杖』で反撃の斬撃を見舞った。

 一手、二手、三手。刃が振るわれる度に、両者の間に激しい火花が散る。剣戟の応酬は、どちらも致命の一撃には至らない。しかし純粋な剣技のみなら、ヴィザに軍配が上がる。鋭い一閃に顎先を削られ、続けざまの連撃で龍神は一気に押し込まれた。

 

「年の功とでも言えばいいのでしょうか? 単純な斬り合いなら、私に利があるようです」

「……そのようだな」

 

 奇しくも、ヴィザと龍神の思考は全く同じであり、行動もまた同時だった。

 互いに距離をとるように後方へ跳び、得物を構える。

 

「旋空――」

「『星の杖(オルガノン)』」

 

 しかしながら。

 攻撃に入るタイミングが同じでも、攻撃速度自体はヴィザの方が勝っていた。

 

「ちっ……」

 

 不可視の刃が空を裂く。

 自分を狙うブレードの前で無防備になるわけにもいかず、龍神は攻撃を取り止めて回避を選択した。再び加速した龍神の姿が、ヴィザの前からかき消える。攻撃のチャンスをもう一度作る為か、烏丸の援護射撃が再びヴィザへと襲いかかる。

 降り注いでくる弾丸を『星の杖』で迎撃しながら、ヴィザは目を細めた。

 

 ――おかしい。

 

 敵の奥の手であろう一撃を、ヴィザはいとも簡単に捌いてみせた。だが彼もまた、迅達を仕留めるところまでは追い込めていない。

 そんな今の状況に、ヴィザは言い知れぬ違和感を感じていた。

 『星の杖』の強みは、ブレードの常識から外れた広い攻撃範囲だ。距離を取ろうが近づこうが、狙撃を仕掛けるような距離ではない限り、ヴィザのリーチに死角は存在しない。

 確かに。体とブレードに『錘』を受けた今の自分の状態は、十全とは言い難いだろう。対して、2人の少年は強化トリガーを使用し、機動力と攻撃力を底上げしている……言わば、実力以上の力を発揮している状態だ。加えて、最初に交戦した青年――迅悠一は何らかの『副作用(サイドエフェクト)』を持っていると考えて間違いない。彼が所持する『壁(バリケード)トリガー』も『星の杖』からしてみれば相性が悪いものだ。

 だが、だとしても。

 『星の杖』の不可視の斬撃を、こうも簡単に。何度も避けられるものだろうか?

 

(…………何か)

 

 何か、見落としている『仕掛け』があるのではないか?

 

 そこまで考えをまとめた彼が、視界の隅で起きた異常に気付くのはある意味必然だった。

 崩落した建造物の下。細かな破片がパラパラと落ちる中。まるでそこに、目では見えない……透明な『何か』がいるかのように。破片が降り積もっているのを、ヴィザは見つけた。

 先刻の青年とのやりとりが、頭の中でフラッシュバックする。

 

 

『これでようやく、1対1に戻りましたな』

『それはどうだろ? 1対1じゃあないと思うよ』

 

 

 もしも、最初から。

 迅悠一と対峙した、最初の段階から……1対1ではなかったとしたら?

 

「……成る程」

 

 ヴィザは笑った。己を取り巻くこの状況に、ようやく合点がいったからだ。

 手に握る『星の杖』を持ち上げ、彼は見えない『何か』に向けて狙いを定めた。

 そして、次の瞬間。

 

「……うっわ。気づかれた」

 

 

 『カメレオン』で隠密行動中だった菊地原士郎の体は、何重にも重ねられたブレードの斬撃でバラバラにされた。

 

 

 

 

 

『――聴覚共有切断! 菊地原くんがやられた!』

 

 一瞬の違和感と、クリアになり過ぎていた聴覚が軽くなった感覚の、後。

 元に戻った耳に入ってきたのは、紗矢の叫び声。それを聞いた龍神は、これ以上ないほど表情を歪めた。

 

「……気付かれたか」

 

 ヴィザと最初に対峙したのは迅だ。その後、三輪が合流したが分断され、龍神と烏丸が援軍として駆けつけた。だが、実を言えば……この戦場にはもう1人の味方が、ずっと息を潜めていた。

 

「……もうちょい、気付かずにいてほしかったかな」

 

 片手にスコーピオンを携えた迅が言う。

 香取隊をはじめ、多くの隊員が一方的に蹂躙された不可視の攻撃。だが、その攻撃を『視る』ことができる部隊が、ボーダーには1チームだけ存在している。

 菊地原士郎を擁する風間隊である。

 彼のサイドエフェクトは『強化聴覚』。大多数の人間にとっては見えない攻撃でも、菊地原の耳なら風を切るブレードの音を聞き取れる。サークル状の軌道を描くブレードの動きを、ある程度なら読むことができるのだ。

 ボーダーにとって不幸中の幸いだったのは、ヴィザと接触した前線の部隊の中に風間隊がいたことだろう。『星の杖』の攻撃を受けたほとんどの部隊が壊滅した中で、風間と菊地原は『カメレオン』を用いてなんとか戦線を離脱。貴重な情報を本部に持ち帰ることができた。

 菊地原の証言と風間の分析から『遠隔操作されるブレード』という推測が持ち上がった時点で、『強化聴覚』のサイドエフェクトを感覚共有して戦うのは決定事項だった。元々『未来視』で攻撃を予測できる迅はともかく、龍神や烏丸が『星の杖』の攻撃を回避できたのは『強化聴覚』の恩恵があってこそだ。

 菊地原は『カメレオン』を使用したまま攻撃には参加せず、隠密行動に徹する。『強化聴覚』の感覚共有を受けた残りのメンバーが、ヴィザを仕留める。

 そんな作戦の大前提が、今崩された。

 

「さて、これで少しは……」

 

 崩されて、しまった。

 

「当たりやすくなりますかな?」

 

 ヴィザが笑った、次の瞬間には。

 駆け抜けた一筋の斬光が、烏丸京介の右腕を肩から切り飛ばしていた。

 

「ぐっ……」

「烏丸!?」

 

 最も距離を取っていたはずの彼に対する攻撃は、ブレードの攻撃範囲が龍神達の予想を上回っていることを端的に示していた。

 動揺に身を震わせつつも、龍神は叫んだ。

 

「止まるな! 動け!」

「ッ……機動戦特化(スピードシフト)!」

 

 戦場での静止は即、死を意味する。この相手に対しては、尚更のこと。

 右腕ごと持っていかれた突撃銃は捨て、烏丸は弧月を抜刀。トリオンを機動に注ぎ込み、襲い来るブレードの回避を試みた。

 だが、避けきれない。ブレードの軌道を読みきれない。光刃が掠める度に、烏丸の体からトリオンが漏出していく。

 龍神達を支えていた防御の土台は消えた。ヴィザの攻撃を回避し、捌き切ることはもはや不可能。故に、龍神と烏丸が選択したのは、防御ではなく攻撃だった。

 

「(やるぞ、烏丸!)」

「(了……解!)」

 

 『ガイスト』の機動性を最大限に活かした挟撃。龍神達がヴィザの攻撃を視認できないように、ヴィザもまた龍神達の動きを捉えきれているわけではなかった。

 ただし。

 ヴィザは見切れなかった動きを、読んでいた。

 

「…………ッ!?」

「京介!?」

 

 響いたのは迅の叫び声。

 息を飲み、体を強張らせて、龍神は一瞬我を忘れた。

 上半身と下半身が、空中で離れる。烏丸の胴体は、ちょうど腰の部分から寸断されていた。

 

「くそッ……」

 

 見たこともない悔しげな表情で、彼は呟いた。

 

『戦闘体活動限界。緊急脱出(ベイルアウト)』

 

「まずは、1人ずつ片付けていきましょうか」

「ッ……化け物め!」

 

 『特式』を打ち込もうにも、構える隙がない。近づこうにも近づけない。

 さっきまでとはまるで異なる攻撃の密度に、龍神は歯噛みする。

 ただただ圧倒される。

 

(まさか……今までは、全力ではなかった? これが、本当の……)

 

 反撃の隙などありはしなかった。思考するのは相手をどう倒すか、ではなく、どうすれば自分が死なずに済むか。

 

「終わりです」

 

 冷たい宣言と共に、思考は途切れた。

 迫り来る光刃が、龍神の視界を覆い尽くした。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 一進一退。

 開戦当初こそ、立て続けの戦力投入と圧倒的な物量で押されていたボーダー側だったが、各地でバラけていた部隊の合流が完了し、戦線の立て直しは着実に進んでいた。

 

「『旋空弧月』」

 

 片手から二連撃。両手合わせて計四連撃の斬閃が『新型』の装甲を切り裂き、正面から撃破した。彼の周囲には、既に機能停止したもう2体の『新型』が横たわっている。

 太刀川慶は『弧月』を一旦鞘に収めて、オペレーターとの通信回線を開いた。

 

「ひー、ふー、み……と。こっち来るまでに倒したヤツと合わせて……これで5体か。おい、国近! 『新型』の撃破数ランキングってどうなってんだ?」

『嵐山隊が6体でトップ。次に太刀川さんの5体。二宮さんと小南の2体と、たつみんと那須隊が合同で3体。あとは風間隊、生駒隊が1体ずつになってるよ~』

「なるほど。つまりあと2体ほどぶっ倒せばトップになるわけか」

『あ、でも忍田本部長が1人で8体倒してるから、もうちょっと頑張らなきゃトップは取れないかも。本人の申告で公式なカウントは取ってないけど』

「化け物かあの人は……?」

 

 呆れたようにぼやく太刀川だったが、彼を取り巻く柿崎や来馬といった他の隊員達は苦笑いを浮かべるしかない。忍田も太刀川も、一般的な括りから見れば両方化け物である。ただ1人、影浦だけは「ケッ……」とおもしろくなさそうに呟きを吐き捨てていた。

 

「よーし。この辺りは粗方片付けた。次に移動するぞ」

「他の地区ではまだ『人型』が暴れているようだけど……大丈夫かな」

「心配すんな、来馬。そっちの方には迅が向かってる。どっちにしろ、ここからじゃ遠すぎて間に合わないし……どうやら敵さんも、一枚岩じゃないみたいだからな」

 

 太刀川のその言葉に、先ほどの光景を思い出した何人かが顔を伏せた。

 

「……文香や虎太郎が緊急脱出しててよかった。あんな光景はあいつらには見せられない」

「まさか味方を殺してトリガーだけ回収するなんてね……」

 

 太刀川達が撃破した黒トリガー使いは、換装が解けたあとに味方の黒トリガー使いから攻撃を受け、絶命した。エネドラと呼ばれていた彼は黒トリガーだけを回収され、後は用済みとばかりに打ち捨てられてしまったのだ。

 柿崎と来馬の会話を聞いていた太刀川は、軽く肩を竦めた。

 

「びびるな、とは言わないが、割りきることも必要だぞ。風間隊はあれくらいの死体は平気で漁るからな」

「うわぁ……ゾエさんは無理かも。遠征部隊こわ……」

「ま、お前らのチームの場合、隊長が率先してやるだろ。なあ、カゲ?」

 

 エネドラの死体を調べ、発信器の有無などを確認したのは太刀川と影浦だ。あとは現場に駆けつけた医療班に任せた。彼の遺体の収容はもう終わっている頃だろう。

 

「……アイツはくそうぜースライム野郎だったが、目の前で死なれるのもおもしろくねえ。夢見が悪くなるぜ」

「そりゃそうだな」

『情け容赦なく味方を殺す敵……か。『人型』と戦ってる連中も、無事だといいんですけどね』

 

 狙撃手として立ち回っている為、太刀川達とはやや離れた距離にいる荒船が通信越しに言った。それを聞いた影浦は、面倒そうに首をゴキリと鳴らす。

 

「太刀川が言った通り、あっちには東のおっさんや二宮もいる。ついでに、あの馬鹿もオマケで付いてる。なんとかするだろ」

「龍神君のこと?」

「如月か。最近は玉狛支部に籠ってなんか色々やってたな。迅の足を引っ張ってなきゃいいんだが」

「なんだ太刀川? てめー、龍神の実力になんか不満でもあんのか? 言っとくが、アイツは俺を楽しませる程度には強ぇぞ?」

 

 朗らかに笑う太刀川と、それに噛みつく影浦。2人の間には来馬と北添の菩薩コンビが「まあまあ」と、止めに入った。

 

「こらこら、ダメだよカゲ。今さらだけど、太刀川さん一応年上だからね」

『ていうか、カゲさんわりと甘いよね。龍神先輩に対して』

「うるせー! しばくぞユズル」

「ゾエさんもはや無視?」

 

 なんだかんだと仲の良いやりとりを繰り広げる影浦隊一同。お陰で場の空気は和んだが、太刀川はあえてその雰囲気を断ちきるように告げた。

 

「237戦、237勝」

「あァ?」

「俺と如月の対戦成績だ」

 

 その数字を聞き、影浦は僅かに眉を潜めた。

 

「なんだそりゃあ? 龍神が全敗? あり得ねぇだろ。アイツは俺と10本やれば、2本以上は必ず取るぞ。それがどうして……」

「全敗しているか、だろ? つまりな、俺が気に入らないのはそこだ」

 

 いつまでも立ち話をしているわけにもいかない。走り出した太刀川の背を、他の隊員が追う。太刀川は足を止めないまま、会話を続けた。

 

「あの馬鹿はたしかに強い。けど、あいつは拘りやら誇りやら、余計でいらないものを抱え込み過ぎなんだよ」

「だからてめーに勝てない、ってか?」

「そうだ。あいつは俺に憧れてボーダーに入ったからな」

 

 影浦からみれば、一発アッパーを入れてやりたくなるほど。そんなむかつくドヤ顔の太刀川は、最後にこう締くくった。

 

「心のどっかで、俺には負けて欲しくないって思ってんだろうさ」

「ケッ……自惚れるのも大概にしろよ」

 

 影浦は鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。実感はあるのだろう。

 そもそも。影浦や小南、村上といったトップランカー達と渡り合えるにも関わらず、太刀川には一勝もできないというのがおかしな話なのだ。

 太刀川慶は戦闘機械ではない。集中が途切れることもあれば、不覚を取ることもある。無論、太刀川は自分の強さを分かっているつもりだが、龍神が勝つチャンスが皆無だったとも思わない。そういう意味では、そこまで自惚れているつもりはなかった。

 最近で言えば、黒トリガー争奪戦。あの時の如月龍神は、太刀川や風間も食いかねないほどの力を発揮していた。事実、風間蒼也は敗北寸前、ギリギリのところまで追い詰められている。風間本人も、柄にもなく熱くなったと語っていた。あれ位のプレッシャーを普段から出せるのなら、太刀川も模擬戦を歓迎するのだが……

 と。珍しく影浦が自分から口を開いた。

 

「……けどまぁ、結局。てめーも龍神のことは認めてんじゃねーのか?」

「ん?」

「てめーが言う龍神のそれは、要するに気持ちの問題だ。戦いに気持ちの強さは関係ない。気持ちの強さが勝敗を左右するのは、実力が拮抗している時だけ……ってのが、ご自慢の持論なんだろ?」

「ほほう? なんだカゲ。お前も俺のファンだったのか?」

「黙れボケ。龍神が言ってたのを聞いただけだ。そのアホな頭と胴体切り離すぞ」

「オイオイ、アホって……まあいい。それで?」

 

 後輩からアホと言われたのは地味にショックだったが、太刀川は先を促す。

 

「それでもクソもねーよ。答えは自分で言ってるだろうが」

 

 影浦はボサボサの頭をかきながら、何故か楽しそうに言い切った。

 

「アイツとバトる時、気持ちが足りねぇから物足りない。逆に言えば、アイツに気持ちが伴ってりゃ負けるかもしれないって、自分で認めてるじゃねーか」

「…………ははっ! そうだな」

 

 太刀川は笑った

 確かに、影浦の言う通りだ。

 認めている。言葉にも態度にも出したことはないが、太刀川は認めている。

 あの馬鹿は強い。今、強いだけじゃない。これから先も、まだまだ強くなる。そんな確信を抱かせる程度には、如月龍神の存在は太刀川にとっても大きい。

 だが……いや、だからこそと言うべきか。

 

『太刀川さーん。そろそろ次のトリオン兵の集団と遭遇するよ~』

「了解。よーし、お前ら。無駄話は終わりだ。次を叩くぞ」

「了解!」

「了解だ」

『了解です』

 

 戦う意思、決意、覚悟。それらがもたらす力を認めつつも、やはり太刀川は己の持論を覆す気にはなれない。

 

「カゲ」

「あン?」

「それでもやっぱり、俺はあの馬鹿には負けないさ」

 

 太刀川慶は、腰から愛刀を引き抜いた。

 

「最終的に勝つのは、強いやつだ。そこには理由なんてない」

 

 

◇◆◇◆

 

 

「…………」

 

 声はなかった。

 ヴィザはただ、今まで感じたことがない手応えに、静かな笑みを漏らしていた。

 ギッ……ギギッ……。

 何かが軋むような、耳障りな異音。一瞬だけ訪れた静寂の中で、僅かながらも己の存在を主張するかのように。その音は、確かにヴィザの耳まで届いている。

 

「……素晴らしい」

 

 賞賛が、口から溢れ落ちた。

 身にまとった白のコートは、最初の見る影もなく汚れに塗れている。頬からは汗が滴り落ち、頭髪は乱れ、表情には疲労の色が浮かんでいた。攻撃の勢いを殺しきれず、壁面に叩きつけられた状態の彼は、見る者によってはいっそ滑稽に映るかもしれない。

 だが、それでもまだ彼は死んでいない。

 一振りの刀を握り締めた少年は、まだ折れてはいなかった。

 

「……っ……はっ……」

 

 冷たいコンクリート壁を背に、本当にギリギリのところで。

 如月龍神は『星の杖』のブレードを受け止めていた。

 

「このブレードを止めたのは、貴方がはじめてです。全く、今日は驚かされることが多い」

 

 驚きを口にしながら、ヴィザは龍神を押さえつけていた遠隔ブレードを解除した。拮抗が崩れ、刃の圧力から解放された彼はそのまま地面に膝をつく。

 

「……何の真似だ」

「いえ、ただの気紛れですよ」

 

 解答に偽りはない。

 あのまま残りのブレードで攻撃を加えていれば、少年の首はすぐにでも胴体から離れていたはずだ。それをしなかったのは、本当に気紛れと言う他ないだろう。

 ただ、なんとなく。

 このまま終わらせてしまうには……惜しいと思ったのだ。

 

「無理な強化のリスクでしょうか? 限界が近いのは、私から見ても分かります」

 

 言いつつ、ヴィザは残りの遠隔ブレードを全て起動し、空中に走らせた。自分を中心に複数の光刃が円を描き、光の軌跡を周囲に振り撒く。

 端的に言えば、その行為は意味のない威嚇だった。

 

「立ち上がる力すらないのなら、このまま一息に止めを刺しましょう」

「…………」

「しかし」

 

 言葉を区切り、反語を重ねて、

 

「まだ立ち向かう意志が残っているのなら、是非ともそれを示して頂きたい」

 

 ヴィザはあえて、少年を焚き付ける言葉を投げ掛けた。

 何故だろうか。

 そうした方が、おもしろいと思ったのだ。

 

「……舐めるな」

 

 立ち上がった少年は、足を止めなかった。

 策があるようには見えない。考えがあるとも思えない。

 

「……お前の、攻撃は」

 

 ただ、意志と決意が滲んだ声で、

 

「『もう見切った』」

 

 殺意を宿した瞳が、ヴィザを見ていた。

 

「…………お戯れを」

 

 いっそ愚直だと感じるほどに。

 向かってくる少年を見て、ヴィザは呟いた。

 その意気や、良し。

 勇猛な戦士と正面から相対するのは、むしろ彼の望むところだ。

 この時、この瞬間の高揚に身を委ねる為に。

 

 自分の身は、戦場に在るのだから。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 どんなに戦っても、勝てない男が1人いる。

 彼は龍神の憧れであり、目標であり、倒すべきライバルだ。けれどいくら刃を交えても、龍神の剣は彼には届かなかった。

 どうして俺は勝てない、と。彼に直接問いかけたことがある。

 心底憎らしいことに、彼はおやつの餅を伸ばしながら、平然と言い切った。

 

 ――お前が俺より弱いからだろ。

 

 それは答えになっていなかった。弱いから負けるのは当たり前だ。言い方を変えるなら、龍神は負ける理由を聞いたわけではなく、どうして負けるのか、どうして自分は弱いのか。その直接の原因を聞きたかったのだから。

 勝とうとする気持ちが足りないからなのか、と。龍神は自嘲気味に呟いた。

 だが彼は、

 

 ――気持ちの強さは関係ないだろ。

 

 それをあっさり否定した。

 勝負を決めるのは、戦力、戦術、あとは運。

 気持ちが人を強くすることは、確かにある。だがそれが影響するのは、実力が拮抗している時だけだ。

 ひとしきり語り終わったあとで、彼は笑った。

 

 ――でなけりゃ、俺が『1位』なハズがない。

 

 その通りだった。

 彼の言葉は彼にしては珍しく、正しく論理的で、納得できる理屈が通っていた。もしかしたら、誰かの受け売りだったのかもしれない。

 

 

 

 だけど。

 

 

 

 本当にそうなのだろうか?

 強い気持ちは、強い思いは、実力を埋める為のファクターには成り得ないのだろうか?

 三輪秀次が言ったように、如月龍神には近界民と戦う理由がない。戦う目的が足りない。憎しみが足りない。経験が足りない。実力が足りない。強さが足りない。

 あの老人に相対するには、自分の全てが不足しているように思えた。

 

 だから勝てない?

 

 嫌だ。

 

 勝ちたい。

 

 それを自覚した瞬間に、龍神は何かが胸の内にすっと落ちた気がした。

 思えば自分は、今まで誰かに本気で勝ちたいと……死にもの狂いで、這ってでも勝ちたいと。そんな貪欲な執念を持ったことがなかった。

 だから、今。負けようとしている。

 

 龍神はようやく気がついた。

 街を守る為に。仲間を助ける為に。三雲修を死なせない為に。

 ずっと並べ立ててきた、戦う理由。それらを偽りだとは言わない。甲田達を守る為に、修や千佳を守り抜く為に、龍神は今も戦っている。

 だが、今の自分を最も強く突き動かす、この熱い感情は。

 その正体は。

 もっと純粋で、原始的で、利己的な――

 

 ――そして、如月龍神はようやくそれを正しく認識した。

 

 自分は今、この瞬間。

 目の前の、1人の敵に勝ちたいのだ。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 下がったところで、もう後はない。

 龍神が選択したのは、最速最短での突撃だった。

 

(前に出ろ)

 

 これで何度目になるだろうか。

 ずっと相対してきたように感じる刃の群れから、龍神はもう逃げない。

 真正面から、挑みかかる。

 

「ッ――――」

 

 弧月で光刃を打ち払う度に、火花が散る。避けきれないブレードが、少しずつトリオンと体を削いでいく。

 それでも、足は止めない。止まらない。

 実力が及ばないことは、もう痛いほど分かっていた。分かっているからといって、それはやめる理由にはならない。敗因にも絶望にも直結しない。

 届かせる。一瞬でいい。瞬間で構わない。あの老兵に、手を届かせる。

 喉元に、刃を突き立てることができる距離まで。

 

「…………け」

 

 打ち払い、打ち払い、打ち払う。

 致命傷が必至の攻撃だけを受け流し、前へ、前へ、ひたすら前へ。

 

『トリオン漏出甚大。活動限界まで、あと57……53、52……44』

 

 限界を超えた酷使に『ガイスト』が警告を発する。電子音声には壊れたテープレコーダーのようにノイズが混じり、残り時間のカウントは正しい時間を刻まずに短くなっていく。

 

 ――まだ足りない。

 

 もっとだ。もっと全力を。

 呼吸が間に合わない。

 興奮が直に伝わる心臓は激しく脈動し、頭に上りきった血は灼熱のように熱い。生身ではない戦闘体でも、身体はそんな感覚に囚われていた。

 

「…………どけ」

 

 思考を止めるな。

 足を踏み出せ。

 腕を振るえ。

 足りないなら、かき集めろ。

 戦意を、殺意を、闘志を。最後の一滴まで振り絞れ。

 

 

「とどけぇええええええ!!」

 

 

 雄叫びが響き渡り、遂に。

 

 

「――――見事」

 

 

 互いに振り抜いた刃が、交差したのは一瞬のこと。

 瞬間、時が止まったように龍神は感じた。

 

「感謝します、少年」

 

 『弧月』を握る両手が、踊るように虚空をかく。思うがままに振るっていたはずの腕が、闘志に応じようとしない。それらをコントロールする力は、龍神から失われていた。

 トリオン体には痛覚を認識する機能はない。

 だから。

 肘から先の感覚が消失したのを認識するのと、冗談のように美しい切断面からトリオンが噴き出したのは、全くの同時だった。

 

 とどかない。

 

 突き立てるはずだった『弧月』が、視界の隅で落下していく。地面に突き刺さった刃。その柄を握りしめていた手のひらから力が抜け落ち、一対の腕がぼとりと落ちた。

 膝から、崩れ落ちる。

 ようやく辿り着いた、目と鼻の先で。

 老人が、刃を振り上げていた。

 

「良い勝負でした」

 

 最後に、ヴィザは龍神に対してそう告げた。

 返事はない。

 もはや何の感情も読み取れない少年の表情を、ヴィザは静かに見下ろす。

 勝者と敗者。それがはっきりと示された形だった。だがヴィザは、決して皮肉を言ったわけではない。

 むしろ、本当に感謝していた。

 身を捨てた突貫。命知らずの無謀。青いと笑えばそれまでだが、ヴィザは少年の覚悟を侮辱する気はなかった。この少年との戦いは、充分に彼を満足させるものだった。特に、最後の刃から感じられた気迫――純粋で混じり気のない、激情の熱は素晴らしかった。

 玄界に置いておくには惜しい剣才だと思う。仮に独学でこれならば、きちんとした師に師事すれば、どれだけ伸びるだろうか。そんな他愛のない考えも、ちらりと頭を掠めた。

 久方ぶりに、年甲斐もなく熱くなった。若さに当てられた、と言ってもいいかもしれない。

 故に。

 ひとつの戦いに決着の幕を下ろす、その瞬間。体の内側を満たす、心地好い興奮は。

 

 

 絶対の強者に、決定的な隙をもたらした。

 

 

「今だ」

 

 

 迅悠一は、言った。

 今、この場には動ける味方はいない。それでも迅は明確に『誰か』へ向けて声を発した。

 そして、

 

「…………ッ!?」

 

 飛来した『斬撃』が、ヴィザの右腕を切り飛ばした。

 

 

◇◆◇◇

 

 

 一騎当千の強者であろうと。どれだけ用心深い戦略家であろうと。張り詰めた緊張が、必ずほどけるタイミングがある。

 

 それは、敵を倒した瞬間だ。

 

「……だからといって、待たせ過ぎだがな」

 

 一般的な基準と比べるとやや小柄な彼は、呆れたように言葉を漏らした。

 その手にあるのは、一振りのブレード。輝く刃を中心に、光る『帯』が静かに揺れていた。

 

『命中を確認! 『人型』の右腕を切断!』

『ただし、着弾に若干の誤差あり。現場の隊員の視覚情報から、誤差修正入れます』

『弾道補正、こちらで確認しました。視覚情報を転送します』

 

 風間隊オペレーター、三上歌歩。

 玉狛第一オペレーター、宇佐美栞。

 如月隊オペレーター、江渡上紗矢。

 計3人のオペレーターから支援を受ける彼は、表示された目標情報に軽く頷いた。

 おそらく迅は、この攻撃タイミングをずっと図っていたのだろう。あの老兵に"攻撃が当たる瞬間"を作ろうと、彼は最初から画策していた。

 やはり、迅悠一は策士である。

 

『烏丸くんが緊急脱出。如月くんは戦闘不能です。このままだと……』

「問題ない」

 

 不安を滲ませた紗矢の声に、彼はあくまでも冷静に答えた。

 

「次で決める」

 

 短い宣言を伴って。

 風間蒼也は、黒トリガー『風刃』の残弾を全て解き放った。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 腕を落とされたヴィザの対応は素早かった。

 彼は宙を舞う自身の右手からすぐに『星の杖』を回収し、左手一本で構え直す。

 

 ――受けた攻撃は、間違いなく斬撃だった。

 

 視認できる範囲に、敵の姿はない。つまりヴィザに一撃を加えた相手は、遠く離れた距離から『斬撃』で『狙撃』を行ったということになる。威力と射程から『黒トリガー』である可能性も捨てきれない。

 

 ――実におもしろい。

 

 たった数瞬。僅か数秒ではあるが、ヴィザは謎の攻撃に対する考えをまとめ終わっていた。

 腕を飛ばされた『斬撃』を受けた瞬間、足元の地面には輝く『ライン』のようなものが走っていた。仮に敵の攻撃能力が地面に『斬撃』を伝播させる類いのもの――あれが撃ち出された『斬撃』の軌跡であるならば、勝ちの目はまだある。

 『斬撃』が発生する瞬間。その刹那にこちらもブレードを繰り出せば、理論上防御は可能である。

 振り返った先には、自分と同様に腕が一本だけの青年がいた。

 

「……決着、つけよっか」

「ええ。そうしましょう」

 

 ヴィザは『星の杖』を。

 風間蒼也は『風刃』を。

 迅悠一は『スコーピオン』を。

 生き残った3人はそれぞれの武器を手に、最後の勝負を仕掛ける。

 決着の時はすぐそこにまで迫っていた。

 力及ばぬ役者は舞台から降ろされ、時計の針はいっそ無情なままに時を刻んでいく。

 

 丁度、一巡。

 

 未来の分岐点まで――あと、60秒。

 


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