厨二なボーダー隊員   作:龍流

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過去と未来と

 三輪秀次にとって、如月龍神は最初から気に食わない男だった。

 ふざけているのか真面目なのか、分かりかねる不可思議な言動。それなりの実力を持っているのにも拘わらず、チームを組まない意識の低さ。個人技の発想と技術には目を見張るものがあったが、それも磨いては太刀川に挑んで負けるの繰り返し。

 ボーダー内ではそれなりに良好な人間関係を築いているようだったが……はっきり言おう。三輪秀次は如月龍神が嫌いである。

 

 だからあの日。三輪の前に龍神が迅悠一と連れだって現れた時も、彼は一言だけこう言った。

 

「うせろ」

「いいや、うせない」

 

 ノータイムで返された返答に、反射で舌打ちが漏れる。だからこの馬鹿は嫌いなのだ。

 

「……俺はお前と話す気がない。さっさと消えろ」

「お前になくても、俺と迅さんにはある。悪いが、話を聞いて貰うぞ」

「話すことなどないと言った」

 

 そのまま立ち去ろうとした三輪の肩を、龍神が掴む。もう一度舌打ちを鳴らして、三輪は龍神の腕を無言で振り払った。

 そんな様子を見かねてか、迅が2人の間に入る。

 

「まあまあ、2人とも。もうちょっと落ち着いて話そうぜ? ほら、ぼんち揚げ食べる?」

「ッ……いい加減にしろ!」

 

 三輪が振り上げた腕は、ぼんち揚の袋をはじき飛ばした。軽いスナック菓子はそれだけで派手に散らばる。迅は平静を保ったままだったが、龍神の表情はあからさまに硬くなった。

 

「……なあ、秀次。おれと龍神はお前に頼みがあるんだ」

「どうして俺が、お前達のような裏切り者の頼みを聞く必要がある?」

「べつに強制するわけじゃない。ただ、覚えておいて欲しいだけだ」

 

 ほとんど中身がなくなってしまった袋を拾い上げながら、迅は言う。

 

「次の大規模侵攻で、お前は三輪隊以外の誰かと組んで戦うことになる。けど、お前が組む相手は『お前が気に食わない人間』になる可能性が高いんだな」

「……それがどうした? 近界民が襲ってくれば、俺はそいつらを殲滅する。その場に誰がいようが、やることは変わらない。それとも……」

 

 三輪は龍神を指差し、静かに睨みつける。

 

「そこの馬鹿と一緒に、俺が戦う未来でも見えたのか?」

「……組むかもしれない相手は色々いる。そこまではよく分からないよ」

 

 ここまで言っておきながら、迅は言葉を濁した。全てを話してしまった場合、未来が変わる可能性があるからだろう。

 迅悠一には『未来視』のサイドエフェクトがある。全てを見透かしたような……実際見えているのであろう彼の言葉が、三輪は嫌いだった。迅は未来視で得た情報を取捨選択し、相手に届ける。やがて訪れる未来をより良い結果に変える為、と言えば聞こえは良いが、それは自分の思い通りに誰かを動かすということだ。

 姉を見捨てた男の掌の上で踊らされるのは、死んでもごめんだった。

 

「俺はお前の指図は受けない」

「ああ、それで構わない。ただ、誰と組むことになってもお前には全力を尽くして貰いたいだけだ。それが多分、未来の分かれ目……ウチのメガネくんのピンチに関わってくる」

「……三雲のことか」

 

 メガネと言われて、三輪は冴えない印象の少年を思い出した。

 龍神と同じく、彼も近界民を庇い、匿っていた。玉狛支部に相応しい裏切り者だ。

 

「それこそ、そこにいる馬鹿にでも頼めばいいだろう? 危険が拭いきれないのなら、玉狛支部に閉じ込めておけばいい」

「あはは……そりゃ無理だ。ああ見えてメガネくんはすごく責任感が強くて、おまけにかなり頑固ときてる。自分だけ安全な場所に隠れているようなタイプじゃないよ」

「なら、縛りつけて部屋にでも放り込め。裏切り者に戦場でふらふらされても、目障りなだけだ。おまけに窮地に陥るのが分かっているのなら、それはもはや邪魔な足手まとい以下だ」

「……だが、アイツには戦おうとする意志がある」

 

 口を閉ざしていた龍神が、そこでようやく口を開いた。

 

「だから頼む。三雲に危険が迫った時、アイツを助けてやって欲しい。俺と迅さんはお前を信用している。お前からしてみれば、気に入らない頼みかもしれない。身勝手な願いかもしれない。だが……」

 

 龍神は三輪と視線を合わせてから、そのまま腰を折る。

 

「頼む」

 

 三輪は龍神と普段からよく話す仲ではない。ただ、彼に頭を下げられたのは、はじめてのことだった。

 

「……よく聞け、如月」

 

 ふざけているようには見えない。声音も態度も、真剣そのものだ。

 しかし、三輪は龍神を見下ろしたまま言った。

 

 

「お前がどれだけ俺を信用しようと、俺はお前を信用しない」

 

 

 龍神の肩が、少しだけ震えたのが分かった。けれど、止める気はなかった。

 続けて淡々と、三輪は言葉を紡ぐ。

 

「お前は強い。何を言おうが叫ぼうが、その実力は認めてやる。だが、近界民の味方をするお前には、俺の気持ちは分からない」

 

 そう。如月龍神は三輪秀次の気持ちを、絶対に理解することはできない。

 背負っているものが、違うからだ。

 

「俺は姉を近界民に殺された」

 

 あの日の記憶は、今も脳裏に焼きついている。

 少しずつ冷たくなっていく姉の体。アスファルトを染め上げる赤い血。それを流していく激しい雨。

 そしてなによりも、泣いて助けを求めるだけだった、無力な自分。

 全て、鮮明に思い出せる。三輪の中で、あの日の雨はまだ止んでいない。

 

「無理に分かれとは言わない。分かって貰おうとも思わない。分かるわけがないからだ。何も失ったことがないお前は、いつものようにへらへら笑って剣を握っていればいい」

「……俺は近界民と戦う時、そんなふざけた気持ちでトリガーを握ったことはない」

「だとしても、お前の強さの根底にあるのは幼稚な憧れだ。俺が戦う理由とは、絶対に相容れない」

 

 如月龍神は、太刀川慶に憧れてボーダーに入隊したという。特に聞きたくもなかったが、太刀川本人から半ば無理矢理に聞かされた話だ。

 その時、三輪は思った。

 近界民と戦う、同じ組織に所属している仲間同士でも。

 自分と彼の間には、絶対に分かり合えない壁があるのだと。

 

「だから俺は、お前に何の期待もしていない。お前には、近界民を根絶するという明確な意思がないからだ」

 

 近界民を駆逐する。姉の仇を討つ。その為だけに、三輪は戦ってきた。ボーダーとは、そういう組織だと思っていた。

 だが。

 本部は三輪と戦闘を行った『近界民』のボーダー入隊を認めた。様々な思惑や交渉があったとはいえ、最終的には排除するべき敵を仲間として迎え入れた。

 故に、今の三輪の中には拭いきれない迷いが生じている。

 

 ――お姉さんが近界民に殺されてるんだっけ?

 

 近界民は敵だ。あの白髪の少年も敵だ。

 だが、彼はこう言った。

 

 ――仇討ちするなら、力貸そうか?

 

 三輪はその提案をはねのけた。ふざけるな。お前の力は借りない、と。

 だが、揺らがなかったと言えば、嘘になる。

 姉を殺した国を特定する。嘘かもしれないが、『近界』の様々な国を渡り歩いてきた彼なら、出来ても不思議ではない。事実、少年に付き従うトリオン兵が先ほどの会議で提出した軌道配置図のデータは、ボーダーの遠征30回分にも相当する莫大な量だった。

 だから。

 もしも龍神が「近界民と手を組むのは間違いではない」だとか。もしくは「近界民を利用すれば防衛も上手く運ぶ」だとか。そういった理屈を捏ねた意見を口にしていれば、三輪も龍神の言葉を認めざるを得なかったかもしれない。

 しかし、龍神は言った。

 

 

「そうだな」

 

 

 あろうことか、如月龍神は三輪秀次の言葉をそのまま肯定した。

 

「……なに?」

 

 三輪は困惑した。

 復讐は何も生まない、だとか。お前の憎しみは俺が受け止めてやる、だとか。三輪が知っている龍神は、そういう台詞を好んで使う男だったはずだ。だというのに、今の彼はそういった言葉を吐く気配が全くなかった。

 

「お前の言葉は正しい。俺には、家族を殺されたお前の気持ちを本当の意味で理解することはできないだろうし……多分、迅さんの気持ちも分からない」

 

 龍神の背後で、迅が肩を竦める。

 三輪は拳を握り締めた。

 

「……殊勝な様子を見せれば、俺がお前を認めるとでも思っているのか?」

「思っていない。俺はただ、事実を述べているだけだ」

 

 黒い瞳は、真っ直ぐにこちらを見詰めていた。なんでもないように、龍神はつらつらと言葉を並べ続ける。

 

「俺には、お前を突き動かしている感情が分からない。お前の言う通り、俺は近界民を憎んでいないからだ。だから『近界民』である空閑の味方もするし、玉狛支部とも仲良くできる。それが気に食わないのは、きっと仕方がないことなんだろう」

「御託はいい。言いたいことがあるならハッキリ言え」

「なら、言わせて貰う」

 

 これは受け売りだが、と前置きをして、龍神は言った。

 

 

「そもそも戦いに、気持ちの強さは関係ない」

 

 

 またもや、三輪は言葉に詰まった。

 想像していなかった返答だった。

 

「戦場で勝敗を分けるのは感情じゃない。実力と戦術、あとはほんの少しの運だ。認めたくはないが……まあ事実として、今のボーダーでトップを張っている男がそう言うんだから、多分間違いない」

 

 自分で言っておきながら、少々納得がいってないような。そんな表情になる龍神。だが、彼は続けた。

 

「お前が抱えているものは、きっとお前が戦う為には必要なものだ。繰り返しになるが、それは俺には分からない。だがな、分からないから戦ってはいけないというのは、あまりに筋が通らない」

 

 龍神は否定しなかった。三輪の感情も、自分の在り方も。

 

「俺は俺なりに戦う。今、お前が認めなくても、俺は結果を示して必ずお前に認めさせてやる」

「……次の大規模侵攻で、か?」

「ああ。敵が来れば50体でも100体でも倒してやる。『人型』が現れたなら俺が斬る。お前以上の活躍をして、戦功も取ってやる。これは約束だ。それでも、俺を信用してくれないか?」

「……馬鹿が」

 

 三輪は吐き捨てた。

 つまりこの馬鹿は、こう言っているのだ。

 近界民を憎むお前よりも、俺の方がずっと強い、と。

 

「できると思うのか?」

「当たり前だ。あんなふざけた男が、攻撃手ランクの1位に立てるんだぞ?」

 

 三輪の問いに、龍神はさらに問いを重ねてから答えてみせた。

 

「俺がお前より多くの近界民を倒しても、何も不思議じゃないだろう」

「……それで俺に発破をかけたつもりか? くだらない」

 

 馬鹿との話はそれで終わりだった。

 龍神の横を通り過ぎ、三輪は迅に顔を向けた。

 

「迅、そこの馬鹿からあんたの親のことを聞いた」

「……それで?」

「あんたは俺の同類のはずだ」

 

 飄々とした表情に、僅かに感情の色が浮かぶ。怒っているのか、悲しんでいるのか。どちらなのかはよく分からない。ただ迅は、少しだけ目を背けて答えた。

 

「……そう思うのはお前の勝手だし、自由だ。だけど、その価値観をおれに押しつけられても困るよ」

「……そうか」

 

 聞きたいことは、もうなかった。三輪と迅は同類だ。だが同類でも、選んだ道が違った。

 きっと、それだけのことなのだろう。

 

「何もないなら、俺はもう行く」

「三輪」

 

 背後から龍神に呼び止められても、三輪は足を止める気はなかった。

 ただ、言葉だけを口にする。

 

「近界民を殺すのは俺だ。お前じゃない」

 

 結局。この日を最後に、今日の大規模侵攻に至るまで。

 三輪秀次と如月龍神は、一言も言葉を交わすことはなかった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 迫り来る黒い弾丸を見て、ヴィザが選択したのは回避ではなく迎撃だった。

 完全に虚を突かれた形での奇襲。タイミングも完璧。避けようとしたところで全てかわすのは難しいだろうと、長年の経験で培われた直感が告げていた。故にヴィザは、三輪が放った6発の弾丸を全て『星の杖』で迎撃した。

 近距離で連射された弾丸をブレードで落とす。普通なら考えられない対処法だが、ヴィザの熟達した技術と『星の杖』の性能を持ってすれば、それは造作もないことだった。

 そう。なまじ出来てしまうからこそ、ヴィザは回避ではなく迎撃を選択をしてしまった。

 

「はい、予測確定」

 

 迅悠一は笑う。

 黒い弾丸を叩き切った『星の杖』のブレードに、明確な変化が生じる。

 

「これは……?」

 

 ギシリ、と。

 腕に掛かる異常な感覚に、ヴィザは眉を顰めた。

 

 ――重い。

 

 注意深く観察するまでもなく、その原因は『黒い弾丸』に触れたブレードにあった。目にも止まらぬスピードで回転するはずの刃達は、付着した『錘』によって動きを鈍らされていた。

 『鉛弾(レッドバレット)』

 威力と弾速を犠牲にした代わりに、着弾したポイントに『重し』を付けて相手を重量で拘束する、汎用射撃オプションである。

 

「展開したサークル上を、ブレードが高速で周回する……ほんとに風間さんの読み通りだったな」

 

 たった一度の交戦でここまで『黒トリガー』の性質を見抜いていた風間の慧眼に、迅は諸手を上げて感謝したかった。この仮定がなければ、三輪と連携するフォーメーションは組めなかっただろう。

 重さで動きが鈍ったブレードは、充分に視認可能なレベルまでスピードを落としていた。重ねて突かれた意表に、流石のヴィザも対処が遅れる。

 そして一瞬。数秒にも満たない瞬間とはいえ、その隙を見逃す三輪ではなかった。

 最初から、逃がすつもりなど毛頭ない。

 上体を可能な限り沈み込ませ、大きく踏み込んでの一歩。下から抉り込むように繰り出された斬撃は、ヴィザのマントを薄く切り裂いた。

 

「……ふむ。良い踏み込みです」

「黙れ」

 

 二度、三度。剣と杖が交差して、甲高い音を響かせる。

 

 ――迅と組んで戦うというこの事態を、三輪は予想していなかったわけではなかった。むしろ、こうなる確率が高いだろうと踏んでさえいた。あの含みのある言い方は『気に食わないヤツ』というカテゴリに、自分自身も括っているように思えたからだ。呑気で軽薄に見えて、迅悠一はそういうところで割り切れる、ドライな人間である。

 無論、三輪も迅に対するわだかまりを戦場にまで持ち込む気はなかった。目の前の近界民を殺せるのなら、誰と組もうが関係ない。この老兵は難敵だ。ならば迅を利用するだけ利用して、ここで仕留める。

 

 バックステップで距離を取ろうとするヴィザ。それを追う三輪。振り抜かれた弧月の刃を杖でがっちりと受け止めて、2人は視線と刃を至近距離で交わらせた。

 

「まったく……年は取りたくないものです。こうも続けて意表を突かれるとは。私も、そろそろ引退を考えた方が良いかもしれませんな」

「なら、ここで死ね」

 

 ヴィザの言葉に三輪が短く返した直後、彼らの顔に薄く影が差す。

 

「抑えてろ、秀次」

 

 急場凌ぎ。しかも仲が良いとは言い難いコンビの連携にしては、それは完璧なタイミングだった。

 鍔迫り合いを演じている両者の上を取った迅は、そのまま重力に身を任せて急降下。体重を乗せた二刀流のスコーピオンを、ヴィザの頭上に振り下ろす。

 しかし、これは読まれていたのか。

 

「喋っている暇はありませんか」

「ぐっ!?」

 

 三輪の胴に蹴りを叩き込んだヴィザは、右手で保持していた『星の杖』を、流れるような動作で持ち替えた。指先が、杖の先に添えられる。

 そして迎撃。斬閃が瞬き、火花が散った。

 衝撃で弾き飛ばされたのはヴィザではない。迅の方だった。

 

「反応はやすぎでしょ……」

 

 悪態を吐きながら、迅は着地して体勢を立て直す。頬には、2本目の刀傷が刻まれていた。

 ヴィザが持つ『黒トリガー』は、杖ではなかった。杖だと思われた部位は、刀身を納める鞘。本体は、一振りの剣だった。

 

「まさか仕込み杖とは……また随分粋な『黒トリガー』だな」

「ふむ。遠隔で動かせるブレードが止められてしまったのです――」

 

 薄く輝く刃。抜き放ったそれを構えながら、

 

「――私が直接斬るしかありますまい?」

 

 今度はヴィザが、迅と三輪に向かって突進する。

 

「秀次!」

「指図するな!」

 

 叫び返し、三輪は左手のハンドガンを連射した。自分からこちらに向かってくる的だ。当てることは造作もない。そもそも、シールドなどの防御を無効化する『鉛弾』を相手に、正面からの突撃は最も愚かな選択である。

 ヴィザのマントに3発が着弾し、巨大な『錘』が動きを止める――

 

「ふッ……」

 

 ――その前に、ヴィザは重くなったマントをそのまま脱ぎ捨てた。

 予想していなかった敵の行動に、三輪は目を見開く。

 対応が、はやい。

 

「おもしろい弾丸だ」

「ちぃ!?」

 

 距離を詰められた。鈍く光るブレードが、目の前で振りかぶられる。

 ヴィザの右手の『星の杖』に、三輪もまた右手の『孤月』で応じた。交差する刃が再び火花を散らすが、明らかに『弧月』の出力は『黒トリガー』に押し負けている。

 そして恐らく、持ち主の実力も。

 

「筋は良い……しかし、戦場で感情的になるのは如何なものでしょう?」

「ネイバーが知った風な口を……」

「それが駄目だと言っているのです」

 

 ヴィザが諭すように告げた、その瞬間。ふっと鍔迫り合いの圧力が軽くなった。

 そして、

 

「――ッ!?」

 

 三輪の体は、真横からの攻撃で吹き飛んだ。

 反射的に『弧月』を盾にして、苦し紛れの防御は間に合っていた。だが、衝撃そのものは受け止められない。数十、いや数百メートル以上の距離を三輪は文字通りに吹っ飛ばされた。

 周囲の建造物が軒並み破壊されていたこともあって、体は繰り返し地面に叩きつけられ、何回転も転がり、それでようやく勢いが殺されて止まる。

 

「っ……ぐ」

『三輪くん! 大丈夫!?』

 

 耳元に、自分を案ずるオペレーターの声が響く。だが三輪はそれには答えず、浮かんできた率直な疑問を苛立ちと共に吐露した。

 

「くそっ……どうしてまだ『新型』がいる!?」

 

 

 

 

 

「伏兵しているのは、そちらだけとは限らないでしょう?」

 

 ヴィザの傍らで顔を上げたのは、全身が傷だらけの新型トリオン兵――ラービットだった。香取隊や風間隊と交戦していた個体である。

 

「……ここらへん、派手にぶっ壊していたのはソイツを隠すためだったりするわけ?」

 

 味方が減り、敵が増えた状況で、それでもなんとか平静を装いながら、迅は問う。トリオン体を捕捉するレーダーは、高低差までは探知できない。だから、ヴィザの直下に潜んでいたのであろう『新型』に気づけなかった。迅が到着するまでの戦闘で、ヴィザが周囲の建造物を派手に薙ぎ払っていたのは視界を確保する為だけでなく……

 

「手負いの駒も、活用を工夫すれば予想以上の働きを見せてくれるものです」

 

 つまりは、そういうことだろう。

 迅達は、戦う前からこの老人に一杯食わされていたのだ。

 

「では、ラービットにはあの少年の相手をお願いするとしましょう。彼は良いセンスを持っている。油断していると、このように足下を掬われかねない」

 

 まるで擦りむいた膝を見せるような気安さで、ヴィザは『錘』が撃ち込まれた膝をマントの隙間から散らつかせる。三輪の最後の悪足掻き。これから先の戦闘の行方を左右する、置き土産だった。

 

『迅!』

 

 通信が入る。

 

「(おー、大丈夫か秀次? かなり吹っ飛ばされただろ?)」

 

 こちらに対しても平静を装って、迅はあくまでも気軽に答えた。

 

『何を呑気なことを言っている!? 俺もすぐに戻って……』

「(いや、来なくていいよ)」

『な……こんな時にふざけているのか!?』

「(悪いな、秀次)」

 

 ヴィザには聞こえない無線通信で、迅は三輪に謝罪した。傷だらけの『新型』はこの場から離脱して、三輪がいる方角へと向かっていく。

「(けど、こっから先。お前が俺の隣に立ってる未来は、全く視えないんだ)」

 

 迅は、ただ事実だけを述べた。

 そう。それは紛れもない事実。迅が口にすることで確定する、決定事項だった。

 

『最初から……こうなると分かっていたのか?』

「(大丈夫。お前が作ってくれた今の状況は限りなく最高に近い。まあ、心配すんな)」

 

 意識してあえて軽い口調で、迅は言葉を紡ぐ。

 

「(ここからは、この実力派エリートに任せてくれ)」

『ッ……ふざけるな! お前はいつもそうやって――』

 

 それ以上怒声が響いてくる前に、迅は通信を叩き切った。激昂した三輪が暴走しないか少々気掛かりだったが、月見が巧くフォローしてくれるだろう。

 もう一度。

 迅悠一とヴィザは、正面から向かい合う。

 

「これでようやく、1対1に戻りましたな」

「それはどうだろ? 1対1じゃあないと思うよ。最初と違って、色々くっついてるからね。おじいちゃんにはちょっと苦しいんじゃない?」

「ええ、確かに。これではまともに動かない」

 

 頷いたヴィザは『星の杖』を掲げ、周囲にサークルを展開した。

 

「なので、少々軽くさせて頂きます」

 

 硬質な音が、連続して響く。

 地面に落下したのは、削ぎ落とされた『鉛弾』の『錘』だった。

 

「……おかしいなぁ。普通は斬れないんだけど?」

「通常トリガーにしては、充分過ぎる強度と重さだと思いますよ? 玄界のトリガーの進歩は実に目覚ましい」

 

 答えになっていない答えを、ヴィザは嘯いて、

 

「では、続きをはじめましょう」

 

 戦闘が再開する。

 

 

◇◆◇◇

 

 

「『弾』印(バウンド)」

 

 

 短い呟きと共に、空閑遊真の体は宙へ跳ねた。標的は、嵐山隊の集中砲火を受けて足を止めている『ラービット』だ。

 

「『強』印(ブースト)、六重(セクスタ)」

 

 一撃。トリオン兵共通の急所である頭部に拳をめり込ませた遊真は、そのまま目玉にも似たコアを引き抜いた。まるで血のようにトリオンの煙を撒き散らしながら、ラービットはその場に倒れ込む。

 

「お見事。流石は『黒トリガー』だな。これで6体目だ」

「いやいや、アラシヤマさん達の援護がいいからだよ。実際、おれもやりやすいし」

「謙虚だね」

 

 嵐山の隣に立つ時枝はそう返したが、お世辞を言ったつもりはない。事実として、遊真が動きやすいのは彼らのフォローが的確だからだ。先ほどの集中砲火も、遊真がラービットの懐に飛び込んだタイミングでピタリと止んでいた。嵐山隊が連携に優れたチームだということは、短い時間組んだだけでも十分によく分かる。

 

『嵐山さん! こっちもオレのツイン狙撃で片付きましたよ!』

 

 あと、なんか地味にすごい狙撃手もいた。ライフルを二丁同時に扱う変態は、様々な戦場を渡り歩いてきた遊真も見たことがない。余程の技術がなければ出来ない芸当なので間違いなく凄腕なのだろうが、意味があるのかはちょっと疑問である。

 

「よくやった、賢。狙撃ポイントを変えてくれ。こちらも移動する」

『任せてくださいよ! オレのツイン狙撃がばっちり援護を――』

「嵐山先輩、遅れてすいません」

 

 ちょうど佐鳥の話を遮るタイミングで、1人の少女が遊真の側に着地した。

 

「木虎! 捕虜の護送は終わったのか?」

「はい。玉狛のスタッフに引き継いできました。」

「お、キトラだ」

「……空閑くん。随分暴れまわっているみたいね」

「これで6体目だぜ」

 

 遊真と木虎は知らない仲ではない。河川敷でのイルガーの一件や入隊試験の会場など、それなりに顔をあわせている。遊真は親しみを込めて手を振ってみたが、元々険しい木虎の表情はますます固くなるだけだった。どうやら、素直じゃないのは相変わらずらしい。

 

「言っておくけど、私も『人型』の撃破に貢献したのよ。黒トリガーだからって調子に乗らないことね」

「ああ、聞いているぞ。よくやったな、木虎」

「ありがとうございます」

 

 嵐山の労いを受けて、木虎は得意気に髪を揺らした。

 

「でも、足をやられているね。動ける?」

「心配は無用です、時枝先輩。足手まといにはなりません」

『無理はするなよ、木虎! いざっていう時はオレがツイン狙撃で助け――』

「ただ、機動力が鈍っているのは事実なので、私はフォローに回ります。このまま主攻は空閑くんで」

「うん。それがいい」

「任せてくれんの?」

 

 思わず、遊真は目を丸くした。プライドが高いタイプだと思っていたので、この発言は少々意外である。

 驚きが表情に出ていたのか、木虎は半眼で遊真を一瞥すると、わざとらしく溜め息を吐いた。

 

「勘違いしないで。私は今の自分の状態を鑑みて、やれることをやるだけ。譲るべきところは素直に譲るわ。あまり認めたくはないけど、『人型』にトドメを刺したのも如月先輩だし」

 

 言って、木虎は自身の右足を軽く叩いた。よく見てみれば、彼女の右足の膝から下は半透明のブレードで補われている。

 

「ほほう。それでここまで走ってきたのか。やるじゃん」

「べつに大したことじゃないわ」

 

 本人はそう言うが、誰にでもできる技術ではないだろう。今度『スコーピオン』を使う時に試してみようと、遊真は思った。

「よし、攻撃の柱はこのまま空閑くんでいこう。移動するぞ。木虎もついて来られるな?」

「はい。問題ありません」

 

 レーダー反応を確認しながら走り出した嵐山は、「それにしても」と言葉を続けた。

 

「まさか、木虎が如月と組んで戦うなんてな」

「そうですね。普段はあんなにいがみ合っているのに、よくぶっつけ本番で連携できたもんだ」

「……私はそこまで子供じゃありません」

 

 心底意外だ、と言いたげな先輩2人の発言に、木虎はやや頬を膨らませながら反論する。

 

「如月先輩の実力は、私も認めています。まあ、相変わらず訳のわからない『必殺技』に苦労させられましたけど」

『如月先輩なんかやったの?』

 

「レパートリーが増えていましたよ。あとは『グラスホッパー』を踏み込みながら『旋空弧月』を打っていました」

『なにそれかっけぇ!』

 

 呆れたように報告する木虎に、通信機越しに歓声を上げる佐鳥。変態技術を追求している者同士、なんとなく通じ合うものがあるらしい。龍神本人は、一緒にするなと言いそうだが。

 遊真は笑って頷いた。

 

「ふむ……なるほどなるほど。『必殺技』だけっていうことは、タツミ先輩はまだ『奥の手』を使わずに温存してるってわけだ」

「……は?」

 

 ところが、まるで初耳だという風に。遊真の隣を走る木虎は、それを聞いて一瞬固まった。

 

「ん? どうしたキトラ?」

「どうしたもこうしたも……如月先輩の『奥の手』ってどういうこと? あの馬鹿げた『必殺技』とはまた違うの?」

『おい木虎! 如月先輩の必殺技は、俺のツイン狙撃と並ぶくらいかっこい――』

「佐鳥先輩は黙っていてください」

『すいません』

 

 これ以上ないほど冷たい声で釘を刺されたので、佐鳥は静かになった。

 邪魔が入らなくなって、ようやくまともに話が聞ける状態になる。木虎がはやく話せと言わんばかりに視線を向けてきたが、逆に遊真は首を傾げて彼女に問い返した。

 

「あれは『必殺技』じゃないでしょ? タツミ先輩が勝手に名前をつけている『技』とやらとは違って、あれはちゃんとした『トリガー』なんだから」

「ちゃんとした、トリガー……?」

『ユーマ。アレは迅がタツミに渡したトリガーだ。本部の規格からは外れているし、タツミは玉狛支部でしかアレを使っていない。模擬戦をしたのも我々や玉狛のメンバーとだけだろう。キトラ達が知らないのも無理はない』

 

 遊真の右腕にいるレプリカが、口を開いてフォローした。言われてみれば、そうかもしれない。

 

「タツミ先輩もまだあんまりに慣れてなかったからな。だから温存してるのか」

『あのトリガーの性質上、それが当然だろう。『人型』を相手に使用するかどうか迷っていたが、結局タツミは使わなかった』

「模擬戦も最終的に、10本勝負で7対3くらいだったしな」

「ちょっと待って!」

 

 わけが分からず遊真とレプリカの会話を聞いていた木虎だったが、そこでようやく口を挟んだ。

 

「要するに、如月先輩は私が知らない『トリガー』を持っているってことよね? でもそれを使って、7対3って……まだC級のあなたに、如月先輩は10本勝負で7本も取られていたの? 」

「ん? おかしいな。迅さんからは『これ』使ったら、C級じゃなくて『S級』になるって聞いたんだけど?」

「……どういうこと?」

 

 首を傾げる木虎。どうにも会話が噛み合わない。遊真は自分の体を叩いて示してみせた。

 

「おれは如月先輩とやった模擬戦でボーダーのトリガーは使ってないよ。今この状態で戦ってたんだ」

 

 遊真は不思議だった。

 たしかにこちらに来てから龍神以外とはやっていないが、そこまで珍しいことなのだろうか?

 『黒トリガー』を相手にした、1対1の模擬戦というのは。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 ヴィザの実力はあまりに圧倒的なものだった。

 当然と言えば当然である。近界最大の軍事国家。その『国宝』たる『黒トリガー』の使い手。彼という人間を構成する要素を考えれば、弱いはずがない。

 だからこそ迅悠一は、彼をこの場で、なんとしてでも止めなければならなかった。彼を止められるか、もしくは……倒せるかどうかで、迅が視た未来の結末は大きく変わる。

 三輪は迅が視た可能性の中で最高の仕事をこなしてくれた。ヴィザは膝に受けた『鉛弾』で機動力を殺され、反則染みた『黒トリガー』のブレードもスピードが鈍っている状態。

 自惚れているわけではなかった。三輪と分断されたのは痛かったが、それでも――

 

「っ……」

 

 ――勝機はあると、迅は"思っていた"。

 『未来視』で襲い掛かってくるブレードの軌道を読み、かわし、その上で踏み込んで、なんとか接近する。手数で攻め立てるべく、両手のスコーピオンを起動。迅は全力の攻撃で、ヴィザの首を落としにかかった。

 長らくランク戦から離れていたとはいえ、迅は攻撃手ランク1位の太刀川と凌ぎを削っていたボーダー指折りの攻撃手だ。スコーピオンの特性を活かした高速の連撃は、そうそう受け切れるものではない。

 

「出し入れ自由のブレード……これも中々良いトリガーだ」

 

 だがヴィザは涼しい表情のまま、一振りのブレードで迅の斬撃を全ていなして、

 

「しかしながら、少々軽すぎではありませんか?」

 

 鋭い反撃に転じる。

 防戦から一転。放たれた一閃は、スコーピオンを砕くだけに留まらず、迅の右腕の肘から下を奪い去った。

 刃の破片が空中できらめき、分断された腕は冗談のようにくるくると宙を舞う。

 

「くっ……!?」

「やはり脆い」

 

 頬を冷や汗が流れる。迅は唇を噛み締めた。

 スコーピオンはその軽さと引き替えに受け太刀に弱く、耐久性は低い。これはボーダー隊員なら誰もが知っていることだ。

 だが、迅の前で微笑んでいる老人はそれをたった数分、数にすれば十にも満たない回数、切り結んだだけで看破してしまった。

 どれほどの鍛練を重ね、どれだけの戦場を渡り歩けば、ここまでの境地に至れるのか。想像したくもない。

 ヴィザの動きや攻撃には、最初に比べれば明らかな制限が掛けられている。最低でも足止めを。可能なら勝利を掠め取る為に、迅はこの化物に枷を嵌めた。いや、嵌めたつもりでいた。

 効果は逆だ。そもそも、意味がなかった。

 獣は、手負いの方が恐ろしいのだから。

 

(冗談じゃない……このままじゃ、足止めさえ満足にできないじゃないか)

 

 三輪に啖呵を切ったのは、どこの誰だ?

 実力派エリートが、聞いて呆れる。

 心の内で己を罵倒し、鼓舞しながらも、迅には退がることしかできなかった。片手を失った状態では、正面から打ち合うことさえ敵わないのだ。

 その場から後方へと跳び、地面に膝をついて着地した迅は、

 

「おや? 距離をとってよろしいのですか?」

 

 そこでようやく、己の選択の愚かさに気付いた。

 

 ――まずい。

 

「エスクードッ!」

 

 前面と右側面。メインとサブの『エスクード』を同時に展開し、視えた刃――来ると分かっているブレードはそれで止める。ボーダー最高の硬度を誇る装甲に光刃が食い込み、耳を裂く不快な音を伴って火花が散った。

 不可視の刃の防御。スピードが落ちているとはいえ、迅悠一だからこそ可能な芸当。

 

「どこから来るのか"予想"しているかのような、的確な防御。タネは分かりかねますが……」

 

 それすらも、無駄だと嘲笑うかのように。

 

「無限にその『壁』を出し続けることは、できないでしょう?」

 

 ヴィザが掲げる『星の杖』から、円状の光が幾重にも広がった。

 前面ではない。右側面でもない。左側面からブレードが来ると分かっていても、迅には止める手段がない。対処が間に合わない。

 避けようが、ない。

 

 

(やっば――)

 

 

 せめて、少しでもダメージを軽く。

 屈んだ体を思い切り横に倒して。

 迅の瞳に、光の刃が映り込んだ。

 

 

 その刹那。

 

 

「『エスクード』」

 

 

 地面から現れた"迅のものではない"『エスクード』が、彼を襲うはずだった刃の群れを阻んだ。

 

「エスクード……?」

「これは……」

 

 奇しくも、迅とヴィザの疑問の呟きが同時に漏れ出た、直後。

 予想していなかった事態に警戒の糸が一瞬だけ弛んだ、ヴィザの頭上。

 

 

「旋空弐式――"地縛"」

 

 

 そこへ突如現れた男は、怒涛の連続斬撃を眼下へ向けて叩き込んだ。

 ヴィザに向けて、ではなく。彼が立つ足場と、その周囲の建造物に向けて、である。

 

「むっ……?」

 

 元より建物の老朽化が進んでいた地域。ましてや『星の杖』でバラバラにされた建造物が積木のようにかさなった場所だった。そこに意図的な破壊が加われば、どのような事態を引き起こすかは子供でも分かる。

 凄まじい轟音と破壊の衝撃が、迅の耳と目をこれでもかと揺さぶった。

 

「うっ……お……!?」

 

 幸い、エスクードで囲まれた迅に瓦礫の波は押し寄せて来なかった。かといって、被害が全くなかったわけではない。音と衝撃の二重奏に耳を押さえ、情けなく頭を抱える。

 そんな迅に、上の方から声がかかった。

 

「ほら見ろ。やっぱりやられているじゃないか」

「そうっすね」

 

 『エスクード』の上から。

 生意気な2人の後輩が、迅を見下ろしていた。

 

「……お前ら、なんで来たの?」

 

 この敵は、おれが止める。

 迅は忍田に対して、そう宣言した。増援を要請した覚えもない。むしろこれ以上被害を広げない為に、三輪以外の隊員は寄越してくれるな、と伝えてあった。さらに言うなら、今この状況は迅が視た未来の可能性の中で、最も確率が低いものだった。

 にも関わらず、彼らは来た。

 

「すいません。なんか如月先輩についてきたらこうなりました」

 

 師匠譲りのポーカーフェイスを崩さないまま、淡々と答える烏丸京介。

 

「ふっ……俺の勘がここに向かえと告げていた。それだけだ」

 

 そして、いつもと変わらぬ不敵な笑みを浮かべている如月龍神。

 

「お前らなぁ……」

 

 迅は呆れた声をあげた。

 『未来視』という力は、決して万能ではない。いくら可能性をも覗き見たとしても、その先に訪れる現実はひとつだけだ。

 他の場所も、可能性も。全てをかなぐり捨てて。

 彼らは、迅を助けに来た。

 それが、今目の前にある事実だった。

 

「……ほんっとに、龍神は可能性の低い未来を平気で選択するよな」

「当然だ。俺は運命などに縛られる男ではない」

「ていうか、忍田さんから命令出てなかった? この区域に入るなって」

「確かに命令は出ていたが、俺達がここに向かうのを本部長は止めなかったぞ。逆に……」

「迅は1人で無茶をするだろうから助けてやれ、と林藤さんと忍田さんから言付かってます」

 

 龍神の言葉尻を引き継いで、烏丸が言った。

 軽口を叩こうとしていた迅は、言葉を詰まらせた。てっきり、この2人は命令違反を冒してここまで来たのだと思っていたが……

 

「……ほんと、敵わないな」

 

 自分が無理をしていたことは、最初からお見通しだったのだろう。

 『未来視』のサイドエフェクトを持っていても、分からないことはある。これは嬉しい"読み逃し"だった。

 

「……む、三輪の姿が見えないが、どこに行った? ここにいると聞いていたんだが?」

 

 ぐるりと周囲を見回しながら、龍神が言う。

 

「秀次はさっきちょっと吹っ飛ばされてね。多分こっちには戻ってこれないよ」

「あの近界民絶対殺すマンめ……俺にはあんな大口を叩いたくせに……」

「まあ、三輪先輩がいない方がよかったんじゃないすか? 戦闘中に喧嘩されても困りますしね」

「烏丸。お前は俺と三輪の仲を何だと思っているんだ?」

「すこぶる悪い仲だと思ってます。学校でもほとんど喋っていないって、出水先輩や米屋先輩が言ってましたよ?」

「……俺はべつに好き好んで、あいつと仲違いしているわけじゃない」

 

 困ったように、龍神は頭をガシガシとかいた。それは彼にしては珍しく、芝居がかっていない自然な動作だった。

 

「ただ……敵が憎いとか、恨みがあるとか……そういう感情は俺にはない。というか、そういう理由で戦うのは性に合わん。敵が攻めてきた、だから街を守る。味方がピンチになっている、だから助ける。それじゃダメなのか?」

 

 龍神は烏丸にではなく、事情を知る迅に同意を求めるように首を振った。

 答えてやるのが、先輩の義務だ。

 

「いいんじゃないか? 龍神らしくて」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、迅は思う。三輪には大変申し訳ないが。

 誰よりも格好良く、誰よりも理想に近づこうと前に突き進む。そんな馬鹿の行動理念は、きっと三輪が考えているよりもずっとシンプルで分かりやすく、深いところではなく浅いところにあるはずだ。

 そもそも大前提として、龍神が伊達や酔狂で近界民と戦っているわけではないことは、既に証明されている。

 

「秀次が言ったみたいに、ボーダー入隊の切っ掛けが太刀川さんへの憧れでも、強さを求める根っこの部分が自分の為でも……おれは、それはそれでべつにいいと思うよ」

 

 何故なら、

 

「お前は今、ちゃんと街と仲間を守る為に戦っているんだからさ」

「…………ふっ」

 

 得意気に刀を構える大馬鹿野郎は、虚を突かれたように迅を見ていたが、

 

「ひとつ訂正だ、迅さん。俺はべつに太刀川に憧れているわけではないぞ。あいつはあくまでも俺のライバルだ」

「あー、ハイハイ。そうだったな。わるいわるい」

「……本当に分かっているのか?」

「分かってる、分かってる」

 

 『エスクード』の壁から出た迅は、2人と肩を並べる。

 そろそろ、お喋りも終わりだ。

 

「じゃ……気を取り直していこうか。多分もう来るよ」

 

 そう言って注意を促したのと、同時。

 いくつかの斬光が閃き、うず高く積み上がった瓦礫が一瞬で吹き飛んだ。

 迅も、龍神も、烏丸も。まだ砂埃が視界を覆う前方を凝視する。煙の中の人影は、事も無げに口を開いた。

 

「どうやら、お相手が3人に増えたようですな。やれやれ、老骨にこれは少々厳しい」

「……どの口が言ってるんだか」

「まったくだな」

 

 ぼやいた迅に、龍神が同意する。再確認、というわけではないが、迅は改めて2人に問う。

 

「分かってると思うけど、あのおじいちゃんすっごい強いぞ? 大丈夫か?」

「だろうな。だが、こちらも迅さんから貰った秘密兵器がある。早々やられてやる気はない」

「やる気満々すね」

 

 いつも通りの笑みを浮かべる龍神に、烏丸が隣で溜め息を吐く。あはは、と迅は笑った。一応、忠告したつもりの返事がこれでは、自分もクールな後輩と同じように溜め息を吐くしかない。

 何度でも言おう。如月龍神は馬鹿である。大馬鹿野郎である。

 だが、そんな彼だからこそ、迅は託したのだ。

 本来は『玉狛支部専用』である、あの『トリガー』を。

 

「虎の子の予備チップです。手荒に使うとクローニンさんが泣きますから、壊さないでくださいよ」

「問題ない。流石に準備万端とはいかないが、空閑との模擬戦でそれなりには慣らしてある」

「いいね。そりゃ頼もしい」

「ああ。いつも暗躍ばかりしているんだ。こういう時くらいは頼ってくれ」

 

 後輩の忠言に、苦笑いを浮かべることしかできない。

 

「……そうだな」

 

 ぽつりと呟いて、迅は瞳を閉じた。視るのは、今目の前にある景色ではない。もっと先にあるものだ。

 未来が、変わりはじめていた。一本道だったレールに、新たに浮かんできた可能性があった。

 無事にその結末へと至る確率は、高くない。むしろ、限りなく低い。

 けれど、迅悠一は分の悪い賭けは嫌いではなかった。

 

「……じゃあ、たまには後輩達を頼らせて貰おうかな」

 

 だから、ノッた。

 可能性が低くても、懸ける価値があると判断した。

 ニヤリ、と。それを聞いた龍神の口元が歪む。

 

「ふっ……そうこなくてはな。いくぞ、烏丸」

「はいはい。それにしても、ほんとに張り切ってますね、如月先輩」

「まあな」

 

 左手に握る『弧月』を構え直し、龍神は一言。

 

「アイツが倒せなかった敵を倒して、精々悔しがらせてやるさ」

 

 本人へは届かない宣言を、呟いて。

 それを合図に、2人は『切り札』を起動した。

 

 

 

『ガイスト起動(オン)』

 

 

 

 烏丸京介と如月龍神。両者の起動認証が、重なって響く。

 同時に、彼らの『トリオン体』に明白な変化が現れる。

 

「銃撃戦特化(ガンナーシフト)」

『緊急脱出まで209秒。カウントダウン開始』

 

 まるで、戦闘体そのものを書き換えるかのように。身体の各所でトリオンの光が舞い、烏丸の手足は黒い装甲で覆われていく。主武装である突撃銃も、長大な銃身を持つ大砲へと変化する。

 

「近接戦特化(ブレードシフト)」

『緊急脱出まで186秒。カウントダウン開始』

 

 変化は龍神も同様だった。白い隊服を上から塗り替える、漆黒の手甲。戦闘体の変化と同期して、全身から迸る安定を失ったエネルギー。ただし、龍神には烏丸と違う点がひとつだけあった。

 武器だ。

 強引に注入されたトリオンは左腕の『孤月』へと集約され、日本刀を模した形状のブレードは洗練された美しさを捨て去っていた。細身の刀身は無骨な太刀へと変貌を遂げており、人が振るう純粋な刀としては違和感を覚えるサイズにまで肥大している。しかしながら、その漆黒の刃は輝きを一段と増していた。

 

「……ほほう」

 

 斯くして。

 明確な『変身』を披露した2人の少年を見て、ヴィザは片眉を釣り上げる。

 

「これはこれは……」

 

 興味深い、と彼は思った。

 戦闘体――トリオンで作られた体の一部を『武器』と見なして変化させる技術は、ヴィザが知るアフトクラトルのそれと酷似している。彼らは何の考えも用意もなしに、自分の前に立ったわけではないようだった。少なくとも、瑞々しい若さに満ちた気合いと気迫が、充分に感じ取れる。

 とはいえ。

 それでヴィザのやることが変わるわけではない。敵が増えた。纏めて斬り捨てる。それだけである。

 

「成る程。トリオン体の安定性を崩し、武器と手足にトリオンを集中しているのでしょうか? 我が国の技術と発想が似ている。いやはや、実に……」

 

 おもしろい、と。

 そう締めくくるつもりだった言葉は、最後まで続かなかった。

 

 少年の瞳が、ヴィザを至近距離から覗き込んでいたからだ。

 

 思考よりも、反射が腕を動かした。

 直後、激突があった。

 遅れて、音が響いた。

 それは受けた衝撃を殺しきれなかったヴィザの両足が、地面を踏み締める音だった。

 

「ふふ……いきなり"これ"とは。だから若さというものは恐ろしい」

 

 漆黒に塗り固められたブレードを眼前で受け止めつつ、ヴィザは笑う。

 足下。彼が踏み締めたコンクリートは石を投げ入れた水面の如く波紋が浮かび、ひび割れていた。つまりは、それだけの重さがある"斬撃"だった。

 距離はあったはずだ。ヴィザは己の間合いを確かに保っていた。にも拘わらず、距離を詰められた。

 種も仕掛けもない。これ以上ないほどシンプルで、簡単な話だ。

 

「――悪いな」

 

 それは一瞬の出来事。

 ヴィザの反応が遅れる程の、限界を超えたスピードで。

 接近した彼が、ブレードを振り下ろした。

 たったそれだけのことだ。

 

「俺達のパワーアップは3分限定なんだ」

 

 『黒トリガー』と、真正面から鍔迫り合いながら。あくまでも落ち着いた、冷たい口調だった。

 けれども、その眼光が。その一撃が。彼の戦意をはっきりと示していた。

 

「これを起動した以上、老人の長話に付き合っている暇はない」

 

 アフトクラトル最強の剣聖に向けて、如月龍神は告げる。

 

「貴様は俺が斬る」

 


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