厨二なボーダー隊員   作:龍流

45 / 132
7/23 甘口ポン酢様よりいただいた挿絵を追加


厨二と生意気オペレーター その参☆

 江渡上紗矢の傷痕は、誰がどう見ても顔を背けるような痛々しいものだった。

 雪のように白い肌であるが故に、薄い赤色は一層際立つ。二の腕から肘の先まで残るそれと、おそらく彼女は一生付き合っていかなければならないのだろう。

 龍神と紗矢は同い年。大規模侵攻の時は、まだ中学生になったばかりの年頃だ。そんな子供の頃に、痕が残るほどの大怪我をした。普通なら重いトラウマになるはずだし、『近界民(ネイバー)』に対して恨みを持つ方が自然に思える。

 しかし彼女は言った。

 

「……復讐をする気がない、とはどういう意味だ?」

「言ったままの意味だけど?」

 

 龍神の反応を楽しんでいるのか、紗矢はまた小首を傾げて笑う。同性でも見とれてしまいそうな可憐な微笑みは、しかし今の龍神から見れば相手をおちょくっているようにしか見えない。

 

「……俺の友達には『近界民(ネイバー)』に姉を殺されたヤツもいる。そいつは『近界民』を心の底から憎んで戦っている。面と向かってこんなことを聞くのはおかしいかもしれないが、お前は『近界民』が憎くないのか?」

 

 その男が自分のことを『友達』だと思っているかはともかくとして、龍神は身近な人間を例に出して質問を重ねた。

 が、やはり紗矢は首を横に振る。

 

「好きか嫌いかで言えば、もちろんキライ。でも私達が戦っている『近界民』は、所詮行動がプログラミングされた『機械』よ。あんな無機質なものに対してイチイチ感情を剥き出しにするなんて、バカらしいと思わない? 仮に憎しみの対象を求めるなら、それはあの大規模侵攻を仕掛けてきた『近界(ネイバーフッド)』の『国』に対して向けるべき。違う?」

 

 随分と割り切った答えだった。理屈の上ではたしかにその通りだが、彼女のように考えられる人間は果たして何人いるだろうか。

 

「ああ。俺もそう思う。だが、復讐が目的でないのなら、どうしてボーダーに入ったんだ?」

「……憧れたから、かな」

 

 カーディガンの袖を戻して、紗矢はどこか遠くを見た。

 

「4年半前……親とはぐれて近界民に襲われていた私を、助けてくれた隊員がいたの。あの子が来てくれなかったら、私はこんな傷だけじゃ済まなかった」

「…………あの子?」

 

 今度は龍神が首を傾げる番だった。

 "あの人"ではなく、"あの子"という言い方は、まるで……

 

「そう。あの時助けてくれた隊員は、多分私と同い年くらいの『女の子』だったのよ。ただ泣くことしかできなかった私と違って、彼女は正面から近界民に立ち向かっていた。それはもう勇敢にね」

 

 薄く頬を紅潮させながら語る紗矢は、本当にその隊員のことを尊敬しているようだった。

 

「だから決めたの。近界民を恨んでいないと言えば、さすがに嘘になる。けれど、復讐みたいな個人の感情じゃない……あの隊員みたいに、この街やそこに住む人達を守るために、私は戦いたいって」

 

 言い切った紗矢は「尊敬も個人の身勝手な感情かしら?」と、苦笑する。

 

「……いや、俺もある隊員に憧れてボーダーに入隊した。その気持ちはよく分かる」

「なるほどね。たしかに貴方はその方が"らしい"感じがする。正直、同じ扱いをされるのは不服だけれど」

「ふっ……俺の場合は憧れの対象の『中身』を知って少々幻滅したからな。お前の言う憧れのような感情はもう薄れているさ」

 

 まさか自分が憧れた男が、戦う以外は餅を上手く焼くくらいしか特技のないダメ人間だったとは、龍神も思っていなかった。太刀川慶は今でも倒すべきライバルだが、あれを目標にするのは色々とまずい気がするのだ。人間的に。

 そういえば風間さんにはちゃんと太刀川の居場所を連絡しておいたので、今頃はしばかれているだろう。いい気味である。

 

「……いいな」

 

 不意に、紗矢が呟いた。

 

「うん?」

「貴方はその憧れの人と同じように戦える。それが私にとっては、ちょっと羨ましい」

「本当は『オペレーター』ではなく『戦闘員』になりたかったのか?」

「当然でしょ? 私は私を助けてくれたあの隊員みたいになりたいって思ったんだから。でも、親が許してくれなかった。こんな痕が残るような大怪我をして心配をかけたのも分かっているし……ほら、小南さんや那須さんから聞いているだろうけど、私って一応『お嬢様』なの」

 

 やや自嘲気味に、紗矢は腕をさする。

 

「1人娘がこれ以上『キズモノ』になるのは嫌なんでしょう、きっと」

「……ご両親の気持ちも分かる。本当に心配なんだろう」

「もちろん、私を心配してくれているのは理解してる。それでもね。腕に傷があるからって弾いてくるような男はこっちからお断りよ。傷ありでも、私は充分かわいいんだから」

 

 相変わらずの尊大な自信に、龍神は堪らず苦笑した。

 

「……まあ、理由はそれだけじゃないのだけれど」

「……トリオン量か?」

「察しがいいのね。その通り。私の『トリオン量』は最低クラスだったから、結局『オペレーター』になるしか道はなかった」

 

 ボーダーに入隊する際に実施される試験は基本的な学力テストや運動テストだが、最も重要なのは『トリオン能力』を測定するテストだ。極論になるが、一定基準以上の『トリオン』を保有していれば、試験に落とされることはまずない。

 中には龍神の弟子であるメガネ――三雲修のように、トリオン量が基準に満たなくても戦闘員として入隊する希なケースもあるにはあるが、原則としてトリオンの『才能』によって入隊の可否が決まるのが『ボーダー』の試験なのだ。

 憧れの隊員と同じように『近界民』と戦うことを目指していた紗矢が事実を知った時の落胆は、相当なものだったに違いない。

 

「ふふっ……そんなに気の毒そうな顔をされても困るわ。同情されなくても私は『オペレーター』でがんばるって決めたんだから。あの子みたいには戦えなくても、オペレーターとして"戦える"ことはいくらでもある。前線に出られないのなら後方で指示を……隊員達に最高のパフォーマンスを発揮させるサポートをしてみせる!」

 

 両手を腰に当て、紗矢は言い放った。

 

「そして私は、ボーダー最高のオペレーターになるのよ!」

 

 気丈な、それでいて生意気でプライドの高い宣言だった。

 彼女の性格に対する小南の評価も頷ける。たしかにめんどうそうな性格をしているし、現場で戦う隊員に対して上から目線になるきらいもある。

 けれど、はっきりとそんな宣言を口に出して言ってのける彼女の熱意は、とても好ましい。

 少なくとも、龍神は嫌いではなかった。

 

「最終的には、あの隊員のオペレートをしてみたいけど……きっと無理ね」

「なぜだ?」

「私はあの時助けてくれた隊員が誰か知らない。せめてちゃんと会ってお礼が言いたかったのに、それすらできなかった。今でも大きな心残りよ」

 

 一生残る傷痕を負うほどの大怪我だ。紗矢は病院に入院していたのだろうし、第一次大規模侵攻で防衛にあたった『ボーダー』は、まだ組織として確立されていなかった。今でこそ『正隊員』は広報サイトに名前が載り、嵐山隊はテレビで特集を組まれるほどだが、当時の人々から見た『ボーダー』は言うなれば『謎の技術を使う得体の知れない武装集団』である。隊員の身元がはっきり分からなくても無理はない。

 

「ん?」

 

 が、そんな風に納得しかけていた龍神は、ふと疑問に思った。

 4年半前の第一次大規模侵攻の後に、ボーダーは三門市に基地を建設し、防衛体制を敷きはじめた。現在のボーダーを支える上層部のメンバー。それに風間や太刀川、東に嵐山といった古株の実力者達も、この時期に加入している。

 第一次大規模侵攻時に防衛に当たった隊員で、現在もボーダーに所属している人間は龍神の知る限り数人しかいない。

 ボーダーの前身組織設立に関わった城戸や林藤、忍田。そして、烏丸と宇佐美を除いた玉狛支部のメンバーもこれに当たる。

 レイジや迅、ついでに陽太郎。

 

 そして――小南桐絵である。

 

「…………」

「どうしたの? 急に黙って?」

「いや……」

 

 紗矢と小南は同い年。中学生という外見の年齢もぴったり一致する。そもそもその時期に、小南と同い年の隊員が他にいたとは考えられない。

 

「……江渡上。話は変わるが、お前から見て小南はどう思う?」

「急にどうしたの? ……貴方を紹介してくれた彼女のこと悪く言うのは良くないけど、はっきり言えば、いけ好かないわ」

 

 自分を助けてくれた隊員に憧れている、と語った少女は本当にはっきりと言い切った。

 

「支部に所属しているせいで、緊張感が足りないと思うの。私が防衛任務について話をしても興味なさそうにすぐ逃げるし。機器操作はへたくそ。トリオン量は戦闘員をやれるだけの基準を満たしているくせに、戦うのがこわいから戦闘員はイヤだって言ってるのよ? それならそれでオペレーターの業務に全力を注げばいいのに、ろくに本部にも来ない。『玉狛第一』はボーダー内でもかなりの実力って聞いているけど、きっと隊員がすごく優秀なのね」

 

 龍神は思った。

 これは、本当にめんどくさい。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「で、どうするんだ?」

「どうしょうもないでしょ!?」

 

 翌日。

 昨日と同じラウンジで小南と待ち合わせた龍神は、江渡上紗矢に関する全ての事情を説明し終えていた。

 

『韋駄天』

『ぬぉおおお!?』

 

 モニターを見上げれば、今日も黒江双葉が元気に韋駄天している。ボロボロで満身創痍の丙も、昨日よりは年下のA級隊員に食いつけるようになっていた。5回に1回は、一撃で死ななくなっている。これは双葉との対戦の間に挟まれる、熊谷の指導の賜物だろう。

 

『へっ……ようやくオレにも双葉ちゃんの動きが見えてきたぜ! 熊谷のアネさんには感謝してもしきれねぇな!』

『…………"魔光"』

『え……ちょ、なにそのトリガー!? オレ知らな、あぁあああああ!?』

 

 あちらは心配なさそうなので、龍神は目の前で項垂れている小南に視線を戻した。

 

「うぅ……あたしにどうしろって言うのよ」

「このまま気まずい関係を維持するつもりなら、べつに何もする必要はないんじゃないか? 幸い、江渡上は俺達とチームを組むことを前向きに考えてくれている」

「え、ほんとに?」

「ああ」

「ウソじゃないの!?」

「俺は烏丸じゃないぞ」

「パンツ見たのに!?」

「…………」

 

 まあ、たしかに。

 龍神もあんな事件を経たあとで、彼女と友好的な関係を築くのは難しいだろう……と思っていたのだが。

 

 比較的はっきりと意見を言い合ったおかげだなのだろうか。紗矢は昨日の別れ際に「また会ってあげてもいい」と言い残して去って行った。あの偏屈お嬢様がそう言うなら、彼女の龍神に対する心証はそこまで悪くないのだろう。多分、きっと。

 

「ただな……やはり、お前があの時彼女を助けた隊員だということは、きちんと話した方がいいと思うぞ」

「……なんで?」

 

 喜色に満ちた表情が、一瞬で暗転する。小南の反応は実に分かりやすかった。

 

「さっき言っただろう? 江渡上は自分を助けてくれた隊員に憧れてボーダーに入隊したんだ。彼女はその隊員のことを尊敬しているし、心から感謝している。今でも、直接会って礼を言いたいと思っているくらいだ」

「……だから?」

「正体を明かせば、江渡上がお前に突っ掛かってくることもなくなる。江渡上も、長年の探し人を見つけることができる。普通に考えても、メリットしかないように思えるが?」

「メリットなんてないわよ。私は学校で『戦闘員』やってることを隠してるんだから……」

「そもそもそれがおかしいだろう」

 

 小南の言い訳を、龍神は遮った。

 最初から。ずっと気になっていた違和感に、遂にメスを入れた。

 

「那須も照屋も、中等部にいる木虎も、お前がバリバリの戦闘員であることは知っている。ボーダーの関係者なら仕方がない。どんなに取り繕ってもいつかはバレることだ」

 

 どれだけシフトを調整しても、どんなに箝口令を敷いたとしても、人の噂はどこから漏れるか分からない。ましてや小南桐絵は、ボーダー屈指の実力を誇る攻撃手である。いつかは紗矢も、彼女がオペレーターではないことに気づくだろう。

 小南はとても騙されやすいが、決して馬鹿ではない。慣れない制服を着込み、役職を誤魔化して、ずっと事実を隠し通す。そんなことが不可能であるのは、小南本人が最もよく理解しているはずだ。

 それなのに、

 

「どうしてお前は、江渡上だけには『戦闘員』である事実を隠そうとする?」

「…………」

 

 押し黙ったまま、小南はそっぽを向いた。

 

「あんたには、関係ないでしょ」

 

 話す気はないらしい。

 龍神はふー、と息を吐いた。

 それなら、それでいい。これからチームメイトになるかもしれないオペレーターの悩みとはいえ、小南の気持ちを無視するわけにはいかない。なにより、これは小南と紗矢の問題である。これ以上深いところまで首を突っ込む権利は、龍神にはない。どうするかは、結局当人達次第だ。

 

「……そうだな。俺には直接関係はない。だが、たとえ正体を隠したままでも、彼女と仲良くなる努力くらいはしろ。でないと、この先がもたないぞ」

「……分かってるわよ」

 

 渋々ながらも、小南は頷いて飲み物を口に運んだ。

 そして、

 

「ぶふっ!?」

 

 それらを全て、目の前に座る龍神目掛けて吹き出した。

 とりあえず、龍神お気に入りのボーダーエンブレム入りの白パーカーは、オレンジジュースの綺麗な黄色に染め上げられた。

「…………おい」

「ごほっ……げほ……ち、ちがうの! うしろ……」

「なに?」

 

 龍神は小南に促されて振り返り、そして納得してしまった。

 ちょうど噂の張本人が、ゆったりとした足取りで近付いてくるところだったからだ。

 

「昨日はどうも、如月くん。……早速質問で悪いのだけれど、どうしてオレンジジュースまみれになっているの?」

「目の前のクラスメイトに聞いてくれ」

 

 肩を竦めてそう返しつつ、龍神は『トリガー』をオンした。瞬時にパーカーが白いコートに変わり、生身がトリオン体に換装される。言うなれば、瞬間お着替えである。トリガーの利便性はやはり素晴らしい。龍神は心の中で鬼怒田さんに感謝した。

 一方で、江渡上紗矢は目の前のクラスメイトに軽蔑の視線をやり、

 

「目の前に人間に向かって飲み物を吹き出すなんて……本当にはしたない。うちの学校の品格まで疑われるような行為は慎んでほしいわね」

「なっ……べつに私だって好きでジュースをぶちまけたわけじゃないわよ! 事故よ、事故!」

「事故、ね。それで貴方は、如月くんにきちんと謝罪は済ませたのかしら?」

「う……ご、ごめんなさい。龍神……」

「気にするな、小南。シミになったらクリーニング代は貰うからな」

「む、むぅ……」

 

 泣きっ面に蜂とはこのことか。誰が見ても分かるほどに萎れきって、小南はテーブルに突っ伏した。

 そんな様子を見て、紗矢はふんと鼻を鳴らす。

 

「まったく……」

「そう言うな、江渡上。ところで、そのカバンはなんだ? どこかへ行くのか?」

「そうよ。撃破したトリオン兵の回収作業に同行させて貰うことになったの。こういう時くらいしか、トリオン兵を直に見る機会が中々ないから」

「熱心だな」

「そりゃ、こんなところで油を売っている人に比べればね」

 

 突っ伏したままの小南がピクンと動く。言い返そうと思えば言い返せるのだろうが、被っている"猫"が剥がれるのが怖いのだろう。なんとか耐えている。

 

「そうだ、小南」

 

 龍神はふっと笑って……見る者が見れば分かる、底意地の悪い何かを企んでいる表情になって、小南に提案した。

 

「お前も行ってきたらどうだ?」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 回収車両の中の空気は重たかった。

 そもそも小南桐絵は江渡上紗矢と仲が良くない。というか、むしろ悪い。すごく悪い。

 小南も自分の性格を客観的に見れば『気が強い』方に分類されることは理解しているつもりだし、おそらく紗矢の方も周囲の人間からはそういった認識をされているはずだ。小南的にはそれ以外にも『小うるさい』やら『生意気』やら『プライドが無駄に高い』やら、様々な評価を付け加えたいところだが、それはまあ、置いておくとして。

 

(なんで何も喋らないのよ)

 

 小南は戸惑っていた。

 いつもとは違う気まずさ。

 学校で常に繰り広げている口喧嘩が、今回に限っては何故か発生せず、車内に満ちているのはピンと張り詰めた静寂だった。

 正確に言えば、荒れ地を走破するガタゴトという音と、紗矢の指から奏でられるキーボードの音以外は、何も聞こえてこない。

 

「……ねえ、江渡上さん。なにをしているの?」

 

 会話のない間に耐えられなかったのは、仕方がないことだと思う。運転中の職員は小南も顔見知りの気のいい青年だったが、小南と紗矢の微妙な距離感を察してか、だんまりを決め込んでいた。紗矢の方は元々『パソコンで作業中』ということがどこからどう見ても明らかなのだから、小南に対して話し掛ける義理はない。いつもの彼女なら頼まなくても突っ掛かってくるというのに、今日に限ってはモニターに集中して話しかける素振りすら見せなかった。

 だからこそ仕方なく、本当に仕方なく、小南は紗矢に向かって話しかけた。いやむしろ、話しかけてあげたのだ。

 

「気が散るから話しかけないでくれる?」

 

 しかし、返事はこれである。

 小南は自分のお嬢様カバーが剥がれかけるのを自覚した。紗矢はこちらを見もせずに返事を返したので気付いていないが、小刻みに震える小南の手は彼女の肩へ無意識に伸びかけていた。玉狛支部で烏丸や宇佐美にからかわれた時の如く、涼しい顔でキーボードを叩いているクラスメイトにヘッドロックをかけたい衝動が全身を苛む。

 

(だめよ……だめよあたし! 堪えなきゃだめよ!)

 

 少なくとも小南の知る限り、おしとやかなお嬢様はヘッドロックなんて絶対にしない。そんな過剰なお転婆スキンシップはあり得ない。

 残る精神力を総動員して、なんとかおだやかな口調を保ちながら言葉を続ける。

 

「ご、ごめんなさい。でも、何をしているか気になったから……」

「これから回収に向かうトリオン兵のデータチェックよ。『バムスター』や『モールモッド』と違って『バド』は直接見たことがなかったから。実物を観察するにはいい機会だわ」

「すごいなぁ。熱心なんだね」

 

 ハンドルを握る職員が、間延びした声で言う。どうやら沈黙から険悪に変わった空気に、助け船を出してくれる気になったらしい。

 たとえゆったりとした気の入らない口調でも、賞賛は賞賛である。元々誉められることが好きな我が儘お嬢様は、ない胸を(小南的には自分より小さいとみている)張って、機嫌よく答えた。

 

「ありがとうございます。ですが、私達のような『オペレーター』は元々前線には立てない仕事です。こうした機会を得れば、この程度の下調べをするのは当然だと思います。私はむしろ、手ぶらで同乗してきた隣の人の神経が信じられません」

「なっ……」

 

 好き勝手に言わせておけば……いい気になってんじゃないわよ!

 そんな悪態が口から飛び出そうになるのをぐっと抑える。ここで『素』を出してしまったら、今までの努力が水の泡だ。小南は唇を噛み締めて、ふんと鼻を鳴らした。

 それにしても、相変わらず神経を逆撫ですることしか言わない性悪っぷりは相変わらずだったが……

 

(またキレイにまとめるというか……熱心というか……)

 

 ちらりと覗き込んだ画面には、トリオン兵のデータが細やかにびっしりと打ち込まれていた。性能などについてはもちろん、主にそのトリオン兵への対策や戦術についてまとめられているようだった。

 小南はメカに疎いのでよく分からないが、それでも一晩や二晩でまとめられるようなものでないことくらいは分かる。もしも宇佐美あたりが見れば、目を輝かせて食いつくに違いない。

 よくよく考えてみれば。

 紗矢が小南のボーダーでの活動を知らないように、彼女との接触を避けてきた小南も、彼女がボーダーで何をしてきたのか、どんな態度で任務に望んできたのか、まるで知らないのだ。

 いや、違う。

 知ろうとしてこなかっただけなのかもしれない。

 

 ――どうしてお前は、江渡上だけには『戦闘員』であることを隠そうとする?

 

 龍神の言葉が、頭の中で反響する。

 

「……すごいと思う」

「…………え?」

 

 自分でも意外なくらいに、賞賛の言葉はするりと口からこぼれ出た。

 紗矢は信じられないものを見るかのように、目をぱちくりさせる。

 なんだ。そういうかわいらしい顔もできるんじゃない。小南はなんだか馬鹿らしくなって、そのまま言葉を続けた。

 

「ほら、分かってるとは思うけど、あたしメカとか弱いから。そういうの、絶対できないし。やろうとも思えないし。そもそも感覚派だからやる必要もないって思うけど……でも、あたしには絶対にできないことだから。だから、ほんとに、すごいと思う」

 

 途中から恥ずかしくなって、一気に言い切ってしまった。顔がうっすらと赤くなっている自覚がある。なんだか、とてもこそばゆかった。

 不意に、車が停車する。窓の外を見ると、撃破されたトリオン兵の残骸が転がっていた。どうやら、目的地に到着したらしい。小南達の乗っている車両以外にも、何台かのトラックやクレーン車が停止して、作業に取りかかる。

 

「……誉め言葉は受け取っておくけど、あなたはあなたで意識が低すぎるのよ。」

 

 顔を背けながら、紗矢はドアを開けた。やはり可愛げのない物言いに、小南はむっとした。

 けれど、

 

「私は戦えないから。私を助けてくれたあのボーダー隊員みたいに、戦うことができないから」

 

 きりり、と。

 次いで紡がれた紗矢の言葉に、胸が締め付けられるような気がした。

 

「だから、オペレーターとして出来ることをするの。私は所詮オペレーターだけど、それでも現場で戦う戦闘員のために、やれることはいくらでもあるから」

 

 言い捨てるように車から降りて、紗矢は飛行型トリオン兵『バド』の残骸の方へ歩いて行った。

 

「…………」

 

 遠ざかっていく背中を見送りながら、小南は自分の着ている衣服をつまんだ。

 オレンジラインの入った、ボーダーのオペレーター制服。

 嘘と見栄で塗り固めた、うわべだけの格好。

 

「…………はぁ」

 

 自分でもらしくないと思う溜め息を吐く。

 小南だって、自分の気性や境遇に思うところはあった。

 旧ボーダー時代、4年半以上も前。つまり13歳の頃から、小南は少年兵ならぬ少女兵として異世界からの侵略者と戦ってきた。だから少しでも女の子らしくあろうと思って、お嬢様学校である星輪女学院に入学したのだ。

 べつに学校での生活に不満があるわけじゃない。ただ小南は、学校のみんなにはボーダーの活動を、ボーダーでの自分をあまり深く知られたくないだけで。

 だけど、江渡上紗矢に正体を知られたくないのは、また別の理由だ。

 

(ちゃんと話せ……か)

 

 ぐだぐだ悩むなんて、それこそ自分らしくない。

 腹を括って突撃するのが、本来の小南桐絵だ。

 

「……よしっ!」

 

 奇しくも、その時だった。

 耳をつんざくようなサイレン音が、またもや響いたのは。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「退避しろ、はやく!」

 

 そんな怒声が、どこか遠くに聞こえた。

 サイレン音。

 警戒警報。

 トリオン兵。

 来る。

 分かっていた。頭では分かっていても、江渡上紗矢は呆けたように『バド』の残骸の前で固まっていた。

 この音は。

 わけも分からず逃げ回っていた、あの時聞いた音だ。

 とっくに克服したと思っていた。傷のことなんて気にしていないと……自分でそう"思い込んで"いた。

 

「……っ」

 

 喉からひゅうひゅうと空気が漏れ出る。普通に呼吸ができない。

 紗矢は自分の身体を抱き締めるように両腕をきつく交差させて、その場に座り込んだ。

 今の自分はトリオン体だ。生身じゃない。なのに、震えが止まらない。

 気にしていないと言ったのに。今の『身体』には刻まれていないのに、右腕の傷痕をなぜかさすってしまう。

 こんな、こんなことをしている場合じゃない。座り込んでいる場合じゃない。

 はやく、逃げなければ。

 ふと顔をあげて、気付く。

 すぐ目の前の空に、ぽっかりと黒い穴が空いていた。

 ずどん、と。

 腹の底から響くような衝撃と共に、砂ぼこりが舞い上がった。

 

「きゃっ……!?」

 

 悲鳴をあげて、倒れ込む。乱れた髪をかきあげて、咳き込んで、紗矢は思わず唇を噛んだ。

 なんて、不様な。

 これでは、昔と何も変わらない。ただ恐怖して、逃げ回っていたあの頃と何も――

 

 

「……あ」

 

 

 ――無機質なひとつ目が、こちらを覗き込んでいた。

 呼吸と動悸が、一段階荒くなる。

 モールモッド。

 敵の排除を主な目的とする、純粋な戦闘用トリオン兵。素早い動きから繰り出されるブレードは、数あるトリオン兵の中でも最高クラスの硬度。真正面から戦うのには、正隊員も注意が必要な危険な相手……

 

 そんなことを知っていて、一体何になる?

 特徴を知っている。弱点は分かっている。倒し方なら何パターンでも思いつく。

 だからどうした?

 今この場で江渡上紗矢は、何ら戦う力を持ち合わせていないというのに。

 

「い、や…………」

 

 トリオン体でも、汗は滲む。涙も流れる。

 きっと今、自分はすごくひどい顔をしているに違いない。

 モールモッドが、ブレードを振り上げる。

 オペレーターの『トリガー』は非戦闘用だ。『緊急脱出(ベイルアウト)』機能が実装されていない以上、耐えられるのは一撃まで。武装も使えない。もっとも、たとえ武器があったところで、トリオン能力の低い紗矢には使うことすらできない。

 無駄な仮定だった。

 紗矢にできるのはただ震えながら、ブレードに反射して映る自分の顔を見上げてることだけだった。

 怯えきった、情けない表情。

 やはり、駄目なのだ。

 結局自分は、あの頃と何も変わらない。あの時から、少しも前に進めていない。どれだけ積み重ねても、何をしても、やはり自分は戦えない。

 

 だから、私は、

 

 

 

「メテオラ」

 

 

 

 轟く爆発音が、思考を全て吹き飛ばした。

 真上からの着弾だった。

 

「え…………?」

 

 爆発による煙と、砕け散った装甲の欠片が周囲に散らばる。視界が一瞬、黒い煙に覆われる。が、大きくよろめいたモールモッドは、それでも諦めが悪かった。崩れた態勢のままなんとか踏ん張り、振り上げたブレードを目前のターゲットへそのまま振り下ろす。

 怯え、固まったままの哀れなターゲットの頭上へ。

 

「っ…………!?」

 

 だが、結果として紗矢の身体がブレードに切り裂かれることはなかった。

 まるで、鉄を引き裂いたような。思わず耳を塞ぎたくなる高い音が響いた。

 寸前、紗矢の前へ飛び込んだ人影は、二挺の斧でがっちりとモールモッドのブレードを受け止めていた。

 紗矢と変わらない……むしろ少し小柄な体躯。肩をくすぐるほどにまとめられたショートの髪。黄緑色の戦闘服に身を包み、ショートパンツからは白い素足がすらりと伸びていた。

 

「どう、して……」

「どうして? 目の前で人がトリオン兵に襲われてるのに、助けないボーダー隊員なんていないでしょ?」

 

 彼女の解答は、紗矢の疑問とは少々ズレていた。

 呆然と、息を飲む。

 聞き覚えのある声だった。

 そしてなによりも、

 

 

「あたしの友達に、手ぇ出してんじゃないわよ」

 

 

 見覚えのある背中だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 手首に力を込め、強く強く。小南桐絵は受け止めたブレードを正面から押し返す。

 『炸裂弾(メテオラ)』の直撃によってパワーが落ちたモールモッドの体が、あっさりと宙に浮き上がった。

 

「邪魔」

 

 言い捨てると同時、軽やかに空中へ跳んだ小南は交差させた腕を大きく振り抜いた。その手に握られた刃が、トリオン兵共通の急所である眼球部分を、十文字に切り裂く。

 そして飛び上がった勢いのまま、空中で一回転。

 

「メテオラ」

 

 すでに『門(ゲート)』から現れていた複数体のトリオン兵に向けて、牽制の『炸裂弾(メテオラ)』がばら蒔かれた。

 瞬間の明滅、爆発。次いで轟音が鳴り響く。

 

「立てる? 立てない?」

 

 まだ唖然としたままの紗矢の傍らに、彼女は膝をついた。

 肩に手を置き、目と目を合わせて言ってくる。

 

「立てるんだったら、ちょっと後ろにさがりなさい。それが無理だったら……」

 

 仕方ない、と彼女は粉塵の向こうを見据え、両手に握る二挺の斧――『双月』を構えた。

 

「あたしのうしろから、絶対に動かないで」

 

 それ以上は、不要だった。

 むしろ、その手短な思い遣りで、紗矢には嫌でも分かってしまった。

 間違いない。

 今、目の前にいる彼女が。

 4年半前と同じく、自分を守るように前に立つ彼女が。

 あの時の、あの隊員が……『小南桐絵』なのだ、と。

 だが、そんな風に感傷に浸っている暇を、感情のないトリオン兵が持ち合わせているはずもなく。

 煙の尾を引いて飛び出してきたのは、『モールモッド』が5体。その奥に、さらに『バムスター』が1体。

 

「まだあんなに……」

 

 モールモッドを相手に5対1。正隊員の攻撃手でも、真正面からの戦闘は避けたいシチュエーションだった。

 

「5体か……」

 

 小南の表情に、自嘲めいた笑みが浮かぶ。

 紗矢も、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 いくら彼女が強くても、自分を守りながら5体のモールモッドを倒すのは……

 

「――楽勝じゃない」

 

 さっきとは違う意味で、紗矢は耳を疑った。

 

「『接続器(コネクター)』オン」

 

 直前まで小南が携えていたのは、彼女の体格にあった小さな手斧だった。

 ボーダーのトリガーは基本的に、ホルダーにセットした2種類のトリガーチップを同時に使用できる。『旋空』や『スラスター』などの専用オプションを除けば、どれほど『トリオン量』があろうともこの原則は揺るがない。

 ならば、その原則を根底から覆すような。

 本来は分かれて出力されるべき『トリオン』を一点に集中すれば、どうなるのか?

 小南桐絵専用であるそのトリガーは、解答を端的に示していた。

 柄は長く。刃は巨大に。人が、それも女が扱うには無骨にすぎる戦斧(ハルバード)に。

 馬鹿馬鹿しいほどに、巨大な武器だった。

 

「さて、と」

 

 満足気に、それも慣れた様子で身の丈を優に越えるそれを振るい、小南はモールモッドの群れへと突っ込んだ。

 モールモッドのブレードは、トリオン兵最高クラスの硬度を誇る。まともに打ち合うのではなく、射撃トリガーによる距離をとっての遠距離攻撃がベスト。もしくは攻撃パターンを読み切り、隙を突いて急所を攻撃するのがセオリー。

 しかし。それはあくまでも常識(セオリー)。常識外の性能を有する『武器』があり、充分に扱えるのであれば、話は別である。

 モールモッドは上から。小南は下から。ブレードとブレードが、正面から打ち合う。

 今度は、耳をつんざくような高い音は鳴らない。

 まるで薄枝が鋏で断ち切られたかのように、モールモッドのブレードが一撃でへし折れたからだ。

 

「うそ……?」

 

 紗矢が呟くその間にも、小南は戦斧を上段に構え直し、飛び上がった。重量を活かした運動エネルギーが、容赦も躊躇いもなくモールモッドに叩き付けられる。

 それこそ本来の用途で、斧が薪を割るが如く。

 モールモッドが胴体の中心から、真っ二つに裂けた。

 

「2体目……」

 

 小さく呟いた小南は、斧を振り下ろした状態。持ち上げるには時間が掛かる。その隙を逃さんと、側面からモールモッドが迫る。

 

「まとめてもう2体ッ!」

 

 故に、横に薙ぐ。

 縦に割ってやった次である。今度は横にスライスされた2体が、トリオンを吹き出して制止した。

 紗矢は息を飲む。

 圧倒的としか、言い様がなかった。心配するのが馬鹿らしくなるほどに。

 残るトリオン兵は、2体。

 

「旋空伍式――野薊」

 

 残る最後のモールモッドの眼球が唐突に、粉々に弾け飛んだ。

 崩れ落ちるモールモッド。ピタリと動きを止める小南。

 振り返った紗矢の頭上を、白いコートをはためかせながら1人の男が飛び越えていった。

 

「如月、現着……と言ってもほぼ終わっているな。江渡上、大丈夫か?」

「如月くん……」

「遅いのよ、バカ。ていうか、防衛任務の担当はどこよ?」

 

 紗矢のすぐ前の地面に着地した如月龍神は、小南の問いに笑みを漏らしながら答えた。

 

「言ってくれるな。太刀川隊はお前がこっちにいると知っていたから来なかったんだ。どうせなんとかするだろう、とな」

「あのヒゲあとでぶった斬る!」

「それもいいが、とりあえず残り1体だ」

 

 黒い『弧月』を鞘に収め、龍神は後退る『バムスター』を指差した。

 

「あれをぶった斬って終わらせてこい」

「言われなくても!」

 

 龍神が起動した機動戦用トリガー『グラスホッパー』を踏み込み、小南の身体が宙に舞う。

 モールモッドに比べれば愚鈍な、けれど分厚い装甲に包まれた巨大なバムスターを、

 

「はぁあああああ!」

 

 頭頂部から、一撃で斬り伏せた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

「…………」

「…………」

 

 トリオン兵の回収を再開した作業班から少し離れた場所で、小南と紗矢は顔を突き合わせていた。

 突き合わせる、と言っても紗矢は地面に直接座り込み、体育座りで顔を埋めているし、小南の方は小南の方で、そっぽを向いて廃墟の壁に寄りかかっている。正直、2人の間に立つ龍神は気まずくて仕方がない。

 

「……おい、何か喋ったらどうだ?」

 

 沈黙に堪えきれずそんなことを言うと、小南がボソっと呟いた。

 

「……何を喋ればいいのよ」

 

 トリオン体で短くなったショートヘアをかきあげながら、小南は言う。

 

 

「……あの時、助けられなかった女の子に、あたしが何を言えばいいのよ?」

「…………え?」

 

 呆然と。

 伏せていた顔を上げて、紗矢は小南を見上げた。泣き腫らした目元が、薄く赤に染まっている。

 

「……おぼえていたの? 私のことを?」

「忘れるわけがないでしょ」

 

 気まずく顔を逸らしながら、小南は言葉を紡いだ。

 心の底から、それを後悔するように。

 

「あの時、助けるのが間に合わなかった。あたしが現着した目の前で、あんたはトリオン兵に襲われていて……腕からいっぱい血が出ていて……それが同い年くらいの女の子だった」

 

 蚊の鳴くような声に、段々と感情という熱が籠っていく。

 

「なんで忘れられるの!? 責任感じるに決まってるでしょ!?」

 

 一度堰を切った感情は、もう止まらなかった。

 

「最初から分かってたわよ! あんたが、あの時の子だって! 学校で会って、なるべく気付かれないように距離を取ろうとしたのに、あんたは『ボーダー』入るって言い出して……戦闘員にはなれなかったのに、オペレーターになって頑張って……」

 

 やはりか、と。龍神は思った。

 口ではキツイことも言うが、小南桐絵という少女は本当に純粋で、人を心から素直に信じる。そんな彼女が、何の理由もなしに人を遠ざけるなんて有り得ない。気まずいから、仲が悪いからとは言っていたが、その理由は結局不明瞭なままだった。

 当然だ。紗矢は小南をやる気のないオペレーターだと目の敵にし、小南は紗矢に過去の負い目を感じて距離を置こうとしていた。そんな状態で、仲良くなれるはずもない。

 

「だから……だから」

 

 気づけば紗矢だけでなく、小南の方も涙目になっていた。

 

「あたしに憧れるなんて、おかしいのに……尊敬されるような立派なこと、全然してないのに……あんたを助けられなかった、情けない隊員なのに……」

「お、おい小南?」

 

 龍神は信じられなかった。

 それこそ、江渡上紗矢に負けず劣らずの高飛車で、自信家で。普段から個人戦で自分をボコボコにできる実力を持つ少女が――小南桐絵が、しゃくりあげながら涙を流すなんて、本当に信じられなかった。

 

「……情けないのは、私の方よ」

 

 その場に座り込んでしまった小南にかわって、目元を拭いながら立ち上がったのは、紗矢だった。

 

「私は結局、トリオン兵がこわい。また襲われるのがこわい。怪我をするのがこわい。さっきも怯えるだけで、私は何もできなかった」

 

 でも、と紗矢は小南の目の前まで歩み寄って、膝を折った。

 

「またあなたが助けてくれた」

 

 汚れだらけのすすけた手が、泣きじゃくる小南の肩へ載せられる。

 

「情けなくなんかない。だって、ずっと憧れた背中だったんだから。こんなに近くにいるなんて、思わなかったけど」

 

 そう言う紗矢の表情は、とても晴れやかで。

 

「これだけ近くにいてくれたら、私も目標を追っていける」

 

 すれ違いを続けてきた2人はようやく同じ目線で、互いに互いを見詰め合った。

 

「ねえ、小南さん」

「……なによ」

「さっき助けてくれた時、言っていたけど……私とあなたは『友達』でいいの? ただのクラスメイトじゃなくて」

 

 小南の頬が、一気に赤くなった。

 

「な……べつにあたし、そんなこと言ってな」

「あたしの友達に手ぇ出してんじゃないわよ、だったかな?」

「う……うぅ」

 

 どうやら、口喧嘩に関しては小南よりも紗矢の方が上手らしい。

 

「……そ、それでいいわよ! まあ、今までいがみあってたのは水に流して……これからはあたしがボーダーの先輩として、色々教えてあげてもいいし?」

「嬉しい! でも、あなたに今さら教わることなんて、あんまりなさそうだけど?」

「なっ!?」

 

 おそらく今度は恥ずかしさではなく、怒気で赤くなっているに違いない。何か言い返そうと口をパクパクさせる小南の腕を引いて、紗矢は彼女を立ち上がらせた。

 そして、

 

「あなたみたいに素直じゃないし、可愛げがないかもしれないけど……あらためてよろしくね、小南」

 

 何の気負いも気遣いもなく、小南へと向けられた感謝の微笑みは、龍神から見ても本当に可愛らしかった。

 

「…………こちらこそよろしく、紗矢」

 

 なので、その笑顔を贈られた本人が気恥ずかしさで顔をそらしたのは、仕方がないことだと思う。

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 

 警戒区域内の廃墟の裏手には、蠢く黒い影が3つあった。

 

「なんとか丸く収まったみたいですね、太刀川さん」

「ああ。小南の泣き顔なんてレアなものも見れたしな。こっそり待機しておいた甲斐があったってもんだ」

 

 対電子戦用隠密(ステルス)トリガー『バッグワーム』を羽織った肩が、楽しげに揺れる。

 

「まったく、なんでボク達が彼らを気遣ってこんな裏方仕事をしなきゃならないのか、理解に苦しみますよ。彼女が襲われた時に、颯爽と助けに入ればよかったのに」

「黙れ唯我。今度モールモッドが群れで来たら、お前1人を放り込むぞ」

「そ、それは勘弁してください!、太刀川さん!」

『え~? でも太刀川さんだって『弧月』の鞘に指がかかりっぱなしだったよ?』

「…………」

「柚宇さん、それは言わないお約束でしょ」

「……あー、ゴホン。とにかく、だ。これで小南とあのお嬢ちゃんも和解して、あのバカもチームを組む目星がついただろ」

 

 わざとらしく咳払いをして、ヒゲ面の男はニヤリと笑った。

 

「おもしろくなりそうだ」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 善は急げ、という諺がある。

 翌日。

 龍神は紗矢を連れて、ボーダー本部長、忍田真史の執務室を訪れていた。

 

「たしかに受け取った」

 

 トン、と書類の角を合わせてまとめ、忍田は傍らに控える沢村にそれを手渡した。ただし、彼の手元には書類が1枚だけ残っている。

 

「とりあえずは、2人からスタートということか?」

「はい。残りのメンバーは、猛特訓を積んでいます。心配しなくても、近いうちに『B』に上がってくれると確信しています」

「そうか」

 

 感慨深そうに書類を見た忍田は、デスクの引き出しから判を取り出した。

 そして彼は、おもむろに口を開く。

 

「如月龍神、江渡上紗矢の両名に告げる。本日、1月12日をもってボーダー本部所属、B級21位『如月隊』の結成を承認する」

 

 ボーダー本部長の承認印が、真っ白な紙に押された。

 言われてはじめて、龍神は胸が熱くなった。ずっと1人で戦ってきた。けれど同時に、ずっと憧れてもいた。自分の部隊……いや、自分達のチームだ。

 

「……隊長さん、顔がニヤけてるけど?」

「……嬉しいから笑う。何か問題があるか?」

「ううん。素直でとてもよろしい。私みたいな優秀なオペレーターを引き入れられた喜びを、心の底から噛み締めなさい」

「ふっ……お前も優秀な隊長がいる部隊に入れたことを、天に感謝しろ」

 

 軽口を叩きあう龍神と紗矢に、忍田は苦笑いを浮かべる。

 

「仲が良さそうで何よりだ。とにかく、チーム結成おめでとう」

「ありがとうございます、忍田さん」

「ありがとうございます」

「折角の機会だし、聞いておこうか。2人には、何か目標はあるのか?」

 

 投げられた質問に、龍神は即座に解答した。

 

「決まっています。A級1位太刀川隊を倒すことです」

 

 やはりか、とまた苦笑いを浮かべる忍田。だが、彼が返事をするよりもはやく、

 

「ふふっ……まだまだ小さいわね」

 

 江渡上紗矢が、したり顔でその答えを評した。

 その辛辣さに眉を潜めて、思わず聞き返す。

 

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。たしかに『太刀川隊』はA級1位部隊。ボーダー本部で最強の部隊ね。でも、私達が目指すべき高みはもっと先にある」

 

 ふんす、と鼻息荒く腕を組んで、江渡上紗矢は高らかに宣言する。

 

 

「私達の目標は、ボーダー最強の部隊……『玉狛第一』を打倒することよ!」

 

 

「…………ふっ」

 

 龍神は笑った。

 これはどうにも、一本取られてしまった。

 だが、今の一言で龍神は確信できたし、安心できる。

 自分の隣に立つオペレーターに、これ以上適任である人間はいない、と。

 

「……やれやれ。2人揃って言うことが壮大だ。なあ、沢村くん?」

「でも、とてもいい組み合わせだと思いますよ?」

「そうだな。どうだ、2人共? ちょうど休憩にしようと思っていたところだ。もう少しゆっくり話をしていかないか?」

 

 忍田の提案に、沢村が笑顔で手を合わせる。

 

「いいですね! お茶を淹れてきます。2人は何がいい?」

 

 問われた龍神と紗矢は、今度は息を合わせて、同時に答えを返した。

 

 

「コーヒーを」

「紅茶で」

 

 

 一瞬の沈黙。

 何のことはない。

 問題なく回っているように思えた歯車に、やはり僅かなズレがあることが、判明した瞬間だった。

 

「紅茶、だと?」

「コーヒーですって?」

 

 軽口の叩き合いではない。一転して剣呑な口調になった龍神と紗矢は、じろりと互いの顔を見やった。

 

「まさかとは思うけど、作戦室にコーヒーメーカーなんて置くつもりじゃないでしょうね?」

「何か問題があるのか?」

「まったく、これだから拗らせている人は嫌なのよ。どうせ味も分からないくせに、コーヒーを飲めばかっこいいと思っているんだから」

「当たり前だ。コーヒーはブラックだ」

「そもそもね。コーヒーなんて、所詮は紅茶の代用品。心配しなくても、私が家から責任を持ってティーセットを持ち込んで、本物の茶葉の味をわからせてあげる。だからコーヒーメーカーはなしよ」

「ふざけるな! コーヒーなしに作戦会議をしろというのか!?」

「紅茶の方が紳士的よ」

「コーヒーの方がかっこいいだろう!?」

 

 忍田は沢村と顔を見合わせて、本日3度目の苦笑に溜め息を添えた。

 やはり、問題児は2人揃っても問題児である。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。