後編です。
《中都アルン》は積層構造で段上に町が並び、世界樹の根元が町中を走っており、それを利用した通路などが発達している。
世界樹の根元、つまりアルンの中心区ともいえるその場所は、《グランドクエスト》を受注する人だけではなく、世界最大である中立都市の町並みが見下すように一望できるため、観光スポットとして利用する人も多い。
根元付近の街路はレンガで生成された石畳が世界樹を囲むように敷き詰められ、道端には所々に花々が咲いている。世界樹の根元の周辺には建築物もなく、見晴らしの良い景色と日光浴にお誂え向きな草原や木陰が広がっており、自然な雰囲気が出ているのも観光利用者が多い理由の1つでもある。
そんな場所に、ユウキはトボトボと独りで歩いていた。
やがて道端から少し外れた木に寄りかかるように腰を下ろし、広大な景色を宙に浮いた眼差しで眺めるが彼女の雲がかっている表情は晴れなかった。
そしてポツリと呟く。隣に彼がいるわけではないが、言わずにはいられなかった。
「……トウカのばか……」
拳を強く握り締め、つい唇をきゅっと噛んでしまう。
どうして嘘だと思われてしまったのか。
まるで自分がトウカを気遣っているように扱っているみたいではないか。
しかも嘘だと思われたにも関わらず「有難う」と感謝されたということは、トウカもユウキを気遣っているということになる。
彼女にはそれがどうしても我慢ならなかった。
――嘘じゃないもん……。
*
「ユウキ!」
トウカの声が聞こえる。
ボクは、トウカから顔を背けた。後ろから声が聞こえても振り向くことはせず、そのまま「なに?」と無愛想に返すことしかしなかった。
「ユウキ……俺……」
「――いいよ、もう」
ボクは、トウカが謝罪の言葉を口にする前に全て吐き出した。
元々思ったことを素直に口にしたり、堪え性のない僕には心に溜めた言葉を閉じ込めておくことはできなかった。
「どうせいつもみたいに悪かったとか、すまなかったとか言うんでしょ。真剣に謝れば済むと思って、頭を撫でてご機嫌をとればボクが許すとでも思ってるの? ボクだって怒るときは怒るし、許せないことは許さないよ」
「――それに、今まで嫌々接してたんだよね。きっとアスナから頼まれたからとかでさ。でなきゃこんなボクにいちいち気遣ったりしないもんね。
トウカは優しいから、仕方なく付き合ってただけでさ。本当は今までやってきたこと全部が迷惑だったんだよね」
「…………」
トウカからの返答はなかった。
ボクはそれを肯定と受け取り、トウカの言葉を待たずに続けた。
「色々迷惑かけちゃってごめんね! もう無理に気を使わなくても大丈夫だから……。これからは自分のしたいことをしてほしいな!」
暗い気持ちを払拭するようにボクは無理やり笑顔を作る。トウカのことは許せなくても、今まで優しくしてくれた気持ちは嬉しかったから。
すると、トウカは一言だけ僕に語りかけた。
「そうか」
それだけ。
たったそれだけの言葉を述べたトウカは、何故かボクの隣に勝手に座り込んで静かに景色を眺め始めた。尻目でトウカの顔をちらりと見たとき、表情はいたって普通だった。怒っているわけでも、悲しそうな顔をしているわけでもなく、ただボクと同じ方向の景色をずっと眺めているだけだった。
「……なにしてるの」
「何って、景色を見てるんだが」
そんな事聞いてない。わかってるくせに。
「ボクに構わないでよ」
「ああ、構ってないよ」
「じゃあどっかに行って」
「断る。自分のしたいことをしてるだけだ」
へりくつばっかり。いっつもそう。
「ボクの事嫌いなくせに」
「そんなこと言った覚えはないけどな」
「嫌なら嫌って言ってよ」
「それは言ったな。断るってな」
……確かに言ったけど。
「――……どうしてそんなに優しくしてくれるの……」
思わず聞いてしまった。気遣いだってわかってるけど、どうしてもトウカの口から聞きたかった。今何を考えて、ボクの言葉をどう思っているのかどうしても知りたかった。
トウカはボクの質問にはすぐに答えようとはせず、おもむろに足を崩したかと思えばそのままの流れでゴロンと仰向けになった。
そして何か遠い空を見つめながらゆっくりと口を開く。
「優しく接しているわけじゃないよ。ただ、純粋に楽しいと思ってるだけさ」
「じゃあどうして無理に気遣うようなこと言ったの……?」
「――……不安なんだ」
「不安……?」
「無意識のうちにユウキを傷つけてしまわないかって怖くなる時がある……。もう嫌なんだ、これ以上君を傷つけるのは。――って、今日さっそく傷つけちまったけどな」
トウカは苦笑いを見せてくれたけど、少し強がっているように見えた。
――ボクは、過去にトウカからそこまで傷つけられるようなことをされた覚えはない。確かに裸を見られたり、意地悪されたことはあったけど、変な話ボクはそこまで嫌だと思ったことはない。だって全部悪意を持ってやっているわけじゃないって知ってたから。
何か勘違いしているのかもしれない。今ここで聞かなかったら二度と教えてくれない気がする。そんな予感がした僕は迷うことなくその意味を尋ねてみた。
「今回のこと以外でボクを傷つけたことあるの……?」
「……あるかもな」
トウカは悲しそうな顔でずっと晴天の青空を見上げていた。強引に問いただせば教えてくれたのかもしれないけど、ボクはそんなトウカの表情を見ると聞く事ができなかった。
心地のいい風が吹くと前髪を靡かせてそっと目を閉じる。物思いにふけるように考え事をしていたトウカは暫く喋ることはなかった。
そんな姿を見て、ボクなんだか苦しい気持ちになった。
ボクだってトウカに酷い言葉を投げかけた。傷つけたのは僕も同じだ。だからといって、譲れないこともある。どんな理由があるにしても、気遣われてまでトウカと一緒に遊びたいとは思わない。なによりボクのせいでトウカがこれ以上辛い思いをするのは絶対に嫌だ。
――でも……。
「……トウカは……ボクともう遊びたくない……?」
違うよ。何言ってるのボク……。もう遊ばないって言わなくちゃ……。
「……それは悲しいな」
なんでそうやって……いつも優しく頭を撫でてくれるの……。
「そんなことしても……許さないから……」
だから……優しくしないで……。
「ユウキ。もう一度だけ、チャンスをくれないか?」
「え……?」
*
俺はユウキの目を見据えて、一つの約束を口にする。
「もう二度と、ユウキを変に気遣ったり裏切るようなことはしない。できるかぎり正直な気持ちを伝えると約束する。だから、もう一度だけ俺と一緒に遊んでくれないか?」
これでユウキを傷つけてしまった気持ちを許してもらおうとは思っていない。ただ、このまま二度と関わることなく別れてしまうのが俺には我慢ならない。
最初は嫌われたら諦めようと思っていた気持ちが今では何故か間逆の考えになってしまっている。
……もし許されるのであれば、もう少しだけ彼女の傍にいたい。断られたら、その時はその時だ。
そんな諦めにも似た感情を片隅におきつつ、彼女の返答を待っていると、ユウキは何も答えずに仰向けになっていた俺の腹部に倒れこむように頭を乗せる。
例えるなら、膝枕ならぬ腹枕のような形になり、ユウキは暫く俺の顔を黙視するよう睨んでいたのだが、やがて一言だけ。ポツリと呟くような声で言った。
「やだ」
「……なら、どうすれば仲直りできる?」
「……ん!」
彼女は憤りが篭ったような短い言葉を発すると、察しろと言わんばかりに頭を差し出すように少しだけ身を丸める。
「え、えっと」
「んー!!」
これ以上の言葉は許さない。
という勢いで頭を体に押し付けられた俺は、もはやどうすることもできない。やれることはたった一つだけ。どうしたって彼女には敵いそうもなかった。
「……了解致しました。絶剣様」
今回ばかりは彼女の言いなりだ。観念した俺はお詫びの意を込めつつ、できる限り優しく、そっとユウキの頭を撫でた。
ユウキは子猫が日向ぼっこをするような幸せそうな顔で受け入れてくれた。彼女の髪がサラサラと手になじみ、いくら撫でても飽きることはなかった。
暫くの間撫で続けていると、ユウキの反応がまったくないことに気がつく。不審に思った俺は彼女の前髪を掻き分け表情を覗くと、そこには気持ちよさそうに寝息をたてている様子が伺えた。
――これは一応、仲直りできたってことでいいのかな。
ホッと一安心した俺も、気が緩んでしまったせいか暖かい日差しと心地良い風に負けるようにうとうとと、徐々に瞼が沈み、睡魔に導かれるようにうたた寝をするのだった。
「ん……ぅ……」
「お、起きたか」
ユウキはゆっくりと体を起こし、大きな背伸びをした後に目をごしごしと擦る。
俺に「いまなんじー……?」と寝ぼけながら時間を尋ねてきたので「今は十四時だよ」と返すと、きゅるると可愛らしい音がユウキの腹部から聞こえた。
「お腹すいたー……」
「そうだな、ご飯食べに行こうか」
「トウカの奢りだからね」
「ほぉー。絶剣は初心者にたかるのかね?」
「……やっぱりボク独りで食べる」
「はは、冗談だよ。好きなものご馳走するから勘弁してくれ」
ユウキは顔を顰めていたのももの、それがどこか、ほんの少しだけ嬉しそうにも見える。
その後、ユウキに七人前近いほどの食費を支払わされたものの、特に喧嘩もすることなく楽しく過ごすことができた。
結局俺は着流しを一日中身に着けることとなり、周囲のプレイヤーからチラチラと見られることは多少あったが、時が経つにつれて次第に慣れてしまった。
元々昔から着ていたものだけに、俺自身違和感はなかったが周りの目もあるし今後どうするかとユウキに相談したところ「トウカは絶対にその服が似合っているから着るべきだ」という後押しも相まって、当分はこの服を着続けることにしようと腹を決めた。
そんなやりとりをしている内に、気づけば日もすっかりと沈んでいた。ユウキから宿屋を借りて休憩してからお互いにログアウトしようという提案を受け、二人で雑談をしながらのんびりと過ごす。
そんなゆったりとした時間の中、俺は話を掘り返すようで申し訳ない気もしたのだが、一つ気になっていたことがあったので、ベットで寝転がりながらアイテム整理しているユウキに尋ねる。
「なぁユウキ」
「はいはーい、ちょっとまってねー……。ポーションをこっちにしてー、素材は預けるとしてー。――とりあえずこれでいっかな。おまたせ、なぁにー?」
「無粋なことを聞くかもしれないが、どうして俺が最初に着流しの格好を聞いたときに、ちょっと戸惑ったような素振りを見せたんだ?」
「あ、あー……あれねー……」
ユウキは気まずそうにむくりとベットから起き上がると、枕を抱きしめて顔を隠す。
「いわなきゃだめかな……」
「いや、無理にとは言わないよ。少しひっかかってただけなんだ」
ユウキの表情がわからなかった俺は、何か深い事情があるならば深入りしないほうがいいなと察し「別にそこまで知りたいことじゃないから、本当に無理しなくていいぞ」と付け加えたのだがユウキはなにやらボソボソと喋っているように聞こえて、
「え、なんだって?」
「……いいって……思ったから……したの!」
「――え、ええと。ごめんもういっかい……」
「か、カッコいいって思ったから緊張しちゃったの!!」
「――――」
俺は体が固まってしまった。
真正面からカッコいいと言われたことなど、生まれてこのかた一度もない。俺としては、絶対にお世辞だと疑ってしまったのだが、表情こそ見えないものの、真っ赤に染まったユウキの耳を見て察するに、どうもそうは聞こえない。
俺はつい目線を窓際に逸らして、熱を帯びた頬を隠す。
しかしこの時、実はユウキの方が重症だった。
*
――な……なにハッキリ言ってんのボク!?
本音を言うつもりはなかった。しかし、純粋に感じたことを口にしてしまう彼女の性格がそんな器用なことを決して許さず、何故か誤魔化すことのできなかったユウキは酷く混乱していた。
イケメンと思う人はゲーム内で何人も見てきた彼女であったが、純粋に一人の男性をカッコいいと思ったのはトウカが初めてだった。ましてやその人とさっきまで一緒に遊び、気づけば今は密室の部屋で二人っきりの状態である。
そんなことを考えたとたんユウキは急に恥ずかしくなり、トウカの顔をまともに直視することができなくなっていた。
妙に長い沈黙が続いてしまったが、トウカがそんな空気に耐え切れず、「あ、ありがとな」と躓くような口調でお礼を言うのだが、ユウキは「う、ううん! 全然なにも!」と、かみ合わないような返答をしてしまう。
その直後、ユウキは今まで感じたことのないほどの緊張感に襲われ、心臓の鼓動が頭に響くような感覚に見舞われた。
――あ、あれ……。なに……これ……。
胸騒ぎにも似た不思議な感性とでも言うべきだろうか。
チラリと枕越しでトウカの顔を見ただけで、ドキンと急に心拍数が跳ね上がる。
次第に呼吸が乱れ、息苦しさを感じたユウキは胸を手で押さえるも、一向に治まる気配がない。
「はっ……はぁ……っ」
荒々しい呼吸に気づいた刀霞は「お、おい大丈夫か?」と近づくも、「だ、大丈夫大丈夫!全然へっちゃらだから!」とやせ我慢するように平常心を保つ。
しかしトウカが近くにいるというだけで鼓動が強くなり、「熱でもあるのか?」と手をそっとおでこに当てると、ユウキは臨界点に達して――。
「あ、あぅっ……ぼ、ボク今日はこれで落ちるね! また明日連絡するから!!」
そういい残し、トウカを置いて一人で早々にログアウトしてしまった。
トウカは一人部屋に取り残されるものの、彼女の一言が頭から離れられず、脳内で先ほどの言葉が繰り返し再生される。
「……変な気分だな……」
今まで感じたことのない違和感に戸惑いながらも、彼は暫くの間取り残された部屋で頭を冷やしていた。
「はぁ……はぁ……」
ALOからログアウトした木綿季は、月明かりのみに照らされた暗い部屋で暫く呼吸を落ち着かせていた。手が顔に触れると、風邪でも引いたのかと思われるほど熱を帯びているのがよくわかる。
緊張感はほどよく抜けかかっていたが、それでも刀霞の顔を思い出すだけで少しずつ鼓動が早くなる。
「……ボク……やっぱり……」
胸元をぎゅっと鷲掴み、胸の奥底にある確信に近いものを木綿季は感じつつあった。しかし、自分が今まで経験したことのない感情から木綿季はどうすればいいのかわからない。
心の片隅で燻っていた小さな予感が少しずつ膨れ上がり、痛みにも似た情感を治めることができない。
一緒にいて楽しい、一緒にいて嬉しいという気持ちはアスナと
しかし、こんなにも心が揺さぶられることは未だかつてなかった。
刀霞の傍にいるとその感覚が少しずつ大きくなるような歯痒さには木綿季自身も薄々気づいてはいたのだが、形容し難い気持ちをどう表現すればいいのか説明ができない。日に日にその想いが強くなっていくことは、木綿季にとって唯一対応できないものとなっていた。
だが、木綿季は恐れているわけではなかった。
この感情の原因をよく知る者が、木綿季の友にいる。
――独りで悩んでてもしょうがないよね……
木綿季は、信頼できる友へ。この想いを打ち明ける決意を固めた。
今回も閲覧していただき、ありがとうございます!
ここから木綿季の気持ちが少しずつ確信に変わります。
まだもう少し時間がかかりますが、それでもお互いに意識し始めている段階です。
もっと上手く表現できればいいのですが、少しずつ修正を加えながら完成させていきたいと思います。
初コメしていただいた方もいて嬉しかったです。これらも頑張りたいと思います!