とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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第5章
最終信号編 変化


最終信号編 変化

 

 

 

路地裏

 

 

 

深夜の路地裏。

 

夜の闇にすら弾かれたような真っ白の少年がポツン、と立っていた。

 

コンビニで買ってきたと思われる10本以上の缶コーヒーを入れた袋をぶら下げながら、夜空を見上げ思考する。

 

一体、何が変わったのだろうか、と。

 

目を血走らせながら、自分を取り囲み襲いかかろうとしている者達の事でもない。

 

自分を恐れて半狂乱になりながら逃げ出そうとしている者達の事でもない。

 

絶叫を上げて、血を流し、骨を折られ、苦痛に喘いでいる者達の事でもない。

 

己の事。

 

あの敗北が自分にどのような影響を与えたのかと、何が変わったのかと、思索の海を広げる。

 

まずは周囲の環境が変わった。

 

 

『アンタさァ、どっかのLevel0にのされちまったんだってェ? どーりで顔色が悪い訳だ。あ、そりゃ、もとからか』

 

『アヒャヒャヒャ! なあ、ちっとばっかし付き合ってくれねェ? この前のお礼がしたいからよォ』

 

 

あのLevel0に敗北して以来、少年は“学園都市最強”ではなくなったらしい。

 

そのおかげで、弱くなったと勘違いした者達に昼夜を問わず襲撃される事になった。

 

少年の力は一切失われておらず、健全なままだというのに。

 

 

『うっぎゃあぁァ!』

 

『同時にかかれ! この人数だ。ぜってぇに勝てる』

 

『くそっ! 誰だよ~、弱くなったってつった奴ァ~』

 

 

血の気の多い連中に襲撃される事は前からあったが、その数がここ最近圧倒的に増えた。

 

そいつらの馬鹿さ加減は全く理解できないし、理解しようとも思わない。

 

 

「なーーンか違うよなァ」

 

 

そして、何より理解できないのが自分の内面。

 

 

(噛みついてきやがった馬鹿を見逃すなンてよ。この俺が)

 

 

今起きた出来事なんて少年にとったら『戦闘』ですらない。

 

コンビニで買い物した帰りに偶々『路傍の石ころが足に当たった』事と全く同じ。

 

その程度の事だ。

 

それでも路傍に倒れる者達に止めを刺そうなど全く思わなかった。

 

今日殺せる者は明日殺せるし、明日殺せる者は1年後だって殺せる。

 

ムキになるのも馬鹿馬鹿しい。

 

あの『実験』と違い、躍起になった所でゴールもない。

 

ゴールもない遠泳など溺れているのと変わりない。

 

と、思ったのだが、

 

 

(やっぱあン時から……違ェ、アイツと再会した時からだ)

 

 

そうではない。

 

ゴールのあると思っていた遠泳でさえも途中でやる気を失くした。

 

あの時、Level0に敗北する前、ある少女と再会してから何かが変わった。

 

敗北ではない。

 

何か……罪悪感なのか……いや、執着。

 

何かへの執着心が己の(ベクトル)を狂わした。

 

それが斜めを向いてるのか、横を向いてるのか、それとも真逆、後ろを向いているのか分からない。

 

狂ったコンパスの指針ようにグルグル、延々とグルグル廻り続ける。

 

そんなコンパスのせいで自分は迷子になった。

 

そう、あれからずっと魔の海域の中を彷徨い続けている。

 

 

『何にも!? 何にも感じ……いう事! 私はこれ――女の子なので……はそういった感情も抱いて――ければショックを受けて……うというのに!! はっ――やっぱり……妹にしか――シスコン……』

 

 

はるか頭上―――7階か8階辺りから少女らしき声が聞こえてきた。

 

 

「チッ……」

 

 

少年の能力、“反射”は無意識の内に行う、もっとも簡単な演算によって成り立っている。

 

重力、気圧、光量、酸素、熱量、音声波長などの必要最低限の力を算出し、『それ以外の全ての力の向き』を“反射”するよう計算式を組み立てる。

 

全て“反射”の設定にしてしまうと重力に反発して、大気圏を突破してしまう。

 

でも、『音』を新たに“反射”の設定に加えると無音にする事もできる。

 

 

(無駄な雑音は遮断(カット)っと―――)

 

 

音、空気の振動を“反射”すると少年は再び歩き出す。

 

しかし、だからこそ少年は気づくのが遅れた。

 

何者かがすぐ後ろにぴったりと張り付きながら、喉をぜェぜェ鳴らして必死に何かを叫んでいる事に。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「あァ?」

 

 

ふと、歩きながら肩越しに背後を見ると、奇妙な人間。

 

というか、子供がいた。

 

どこぞの秘密結社のマントのように明るい空色の毛布で顔も身体もすっぽりと隠しているので性別は判別できないが、その身長の低さからおそらく10歳前後の子供。

 

 

「――ッ! ……、――。…………ッ!?」

 

 

怪人チビ毛布はこちらに向かって何かを叫んでいる。

 

しかし、『音』を反射している為、何も聞こえない。

 

頭上を見上げ、少し考えた後、試しに『音』の“反射”を切ってみた。

 

すると、耳に、甲高い、しかしどこか平坦な少女の声が聞こえてきた。

 

 

「―――いやーなんというかここまで完全完璧無反応だとむしろ清々しいというかでも悪意を持って無視しているにしては歩いているペースとか普通っぽいしこれはもしかして究極の天然さんなのかなーってミサカはミサカは首を傾げてみたり」

 

 

“反射”はあくまで“反射”であって、どれだけ近くに寄っても、直接突っかかってこない限り、牙を剥く事はない。

 

しかし、今まで、つい先ほども“反射”は、数多の人間を犠牲にしてきた。

 

“反射”を知っている人間なら、すぐに引き摺ってでもこの幼い少女を少年から引き離すだろう。

 

近くにいるだけで危険。

 

そんな少年に悪意なく近寄って来たのは――――

 

 

――――あー君

 

 

「……、くっだらねェ」

 

 

「ブツクサ言ってる間にどんどん距離が開いていくんだけどミサカの事は見えてない妖精さん扱いなのほらミサカはここにいるよー、ってミサカはミサカは自己の存在を激しくアピールしてるのに存在全否定?」

 

『はぁ、はぁ――ふぅー…ちょっと、女の子を置いてけぼりにするなんて、男としてどうかと思いますよ! 全く、初対面の人の相談に乗るなんて初めてだから少し出出しを失敗しただけなのに…――って、また!?』

 

 

その時、少年の中で何かが重なった。

 

 

「チィッ」

 

 

少年は立ち止まる。

 

それだけで毛布少女は嬉しそうに小走りになってこちらに駆け寄ってくる。

 

その反応も少年の中の何かと重なる。

 

 

「ん? 待て……ミサカだと?」

 

 

わーい、わーい、と喜んでいる少女の顔を覗き込む。

 

 

「ちょっと待てコラ今すぐ黙れ。お前その頭から被っている毛布取っ払って顔を見せてみろ」

 

 

「って、え? ぇと、えっと、えーっと、まさかこんな往来で女性の衣服を脱げというのは些か大胆過ぎるというか要求として無茶があるというか―――って、あのー、ミサカはミサカは尋ねてみるけど。ほんき」

 

『え~、だって、女性には1や2くらい秘密がありますよ』

 

 

先ほどからこの少女の仕草の全てが少年の中の何かを刺激する。

 

捨てようと思ったのに結局は捨てられなかった何かを……

 

 

「……糞ガキの分際で何をほざいてやがる」

 

 

「わお怖い。そんなに本気になって睨みつけないでよ。あ、やめて毛布を引っ張らないで。この下はちょっと色々とまずいんだからってミサカはミサカは言ってるのにぎゃああ!?」

 

 

最後だけ平淡な口調ではなくなったが、それでどうにかなる訳ではない。

 

少女の頭に被さっていた毛布は下へ下へと落ちていく。

 

 

―――まず始めに見えたのが顔。

 

その顔は少年も良く知る<妹達>と全く同じモノ。

 

ただし、今まで見てきた14歳に年齢設定されていた個体とは異なり、10歳前後の幼い顔つき。

 

それに、少しだけ感情が豊かなような気がする。

 

 

―――次に見えたのが肩。

 

素肌を露出するデザインの衣服を着ているのか、やはり体つきは10歳前後のものらしく、浮き出た鎖骨など触れただけでも折れてしまいそうな繊細さを垣間見せている。

 

 

―――さらに見えたのが裸の胸。

 

 

―――そして見えたのが裸の腹。

 

 

―――最後に見えたのが裸の足………

 

 

「あァ? 何だこりゃあ、―――ってか何だァそりゃあ!?」

 

 

毛布を掴んだまま少年は固まった。

 

もし、“アイツ”にこんな場面を見られたら、色々とアウトだ。

 

ベクトルは異なるが、最低で最悪な再会になるに違いない。

 

結論だけ言えば、その少女は毛布の下に何も身に付けていなかった。

 

事態に心がついていけないのか、少女はリアクションを忘れて呆然と突っ立てる。

 

詰まる所、完全無欠の素っ裸の少女が目の前にいた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ミサカの検体番号(シリアルナンバー)は20001号で、<妹達>の最終ロットとして製造されたんだけど、ってミサカはミサカは事情の説明を始めるけど、コードもまんま<打ち止め(ラストオーダー)>で実験に使用されるはずだったんだけどってミサカはミサカが愚痴ってみたり」

 

 

「あァそうかい」

 

 

あれから毛布を少年から取り返すとモソモソと被りつつ、誰も求めていないのに説明を始め出した。

 

 

「ところがどっこい見ての通り実験が途中で終わっちゃったからミサカはまだ体の調整が終わってないのね、ミサカはミサカはさらに説明を続けたり。製造途中で培養機から放り出されちゃって何だかチンマリしちゃってるの、ってミサカはミサカは……聞いてる?」

 

 

「それで俺にどォしろってンだ」

 

 

適当に相槌を打ちながら大通りを歩いていく。

 

 

「あなたは実験の要であるはずなので研究者さんとの繋がりがあると思うから、できうる事ならコンタクトを取ってもらえないかな、ってミサカはミサカは考えてる訳。今のミサカは肉体(ハード)人格(ソフト)も製造途中で不安定な状態なので、希望を言うならもう一回培養液に入れてもらって“完成”させて欲しい訳なの、ってミサカはミサカは両手を合わせて小首を傾げて可愛らしくお願いしてみるんだけど」

 

 

実験で残った<妹達>のほとんどは病院で保護され、その後、とある施設に預けられた。

 

そして、病院で保護されなかったのは別の組織に回収された、と聞いていたが、何せ数はほぼ1万。

 

全てを把握できていなくてもおかしくはないだろう。

 

となると、打ち止めは管理から漏れたせいで保護もされず町の中を彷徨っていたのだろうか……

 

 

「他ァ当たれ」

 

 

が、面倒だ。

 

 

「いえーい即答即効大否定ってミサカはミサカはヤケクソ気味に叫んでみたり! ……でも他に行くあてもないのでミサカはミサカは諦められないんだから」

 

 

(どォいうつもりだ、このガキ。俺がほぼ1万人の<妹達>を殺してきた事はコイツも知っているはずなンだが)

 

 

「だから、お世話になります。ミサカはミサカは三食昼寝オヤツ付きを希望」

 

 

ようは、実験を行っていた研究者と連絡がつくまで衣食住を確保して欲しい、と言う事なのだろう。

 

しかし、少年は<妹達>の虐殺者だ。

 

<妹達>を救う理由なんて――――

 

 

『だから、あの子達を助けてあげてください』

 

 

学生寮の前で立ち止まる。

 

打ち止めはこちらを期待した目で見ている。

 

 

「…………勝手にしろ」

 

 

それだけ言うと、少年は、一方通行は学生寮へ入っていった。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

こんなはずじゃなかった。

 

あの日から全て狂いだした。

 

あと一歩でクソガキを捕らえられたっつうのに、邪魔が入って失敗した。

 

そして、逃げのびた部下達のほとんどが、あの女に使い潰された。

 

さらに、本家から『虎』まで来やがった。

 

もう学園都市にはいられない。

 

だから地下に潜り、残った部下達と逃げる機を待っていた。

 

そして、『虎』の目を掻い潜って逃げ出せたというのに……

 

 

「畜生! 何だ、こんな、ここは地獄だ! こんな地獄にいたくねぇよ。何で俺達には地獄しかねぇんだよ畜生! 畜生!! 畜生!」

 

 

致死量の毒を飲んだと知ったような、心臓が止まるほどの恐怖。

 

本能がもうどうにもならないと知らせている。

 

何もかも色褪せる。

 

偶然、偶々、不幸な事に学園都市を出た先にアレがいた。

 

最初は本家からの刺客かと思ったが、アレはそんなもんじゃない。

 

人じゃない、人間じゃない。

 

アレがいるだけで、ここは人が生きていける場所でなくなる。

 

漆黒の夜の闇よりもずっとずっと深くてドス黒い。

 

触れただけで全てがとろけて。

 

見ただけで全てが塗り潰される。

 

根こそぎ呑み込まれそうな太陽でさえも喰らう重い闇。

 

 

「ゴメンネ。今日はまだ食事の日じゃないケド、学園都市に仕事に行くカラ、念のタメにお腹を満たしておきたいんデス」

 

 

アレの手の平から黒いヘドロのような粘液の塊が零れ落ちる。

 

それは腐りかけながら音を立てて泡立ち、顎に鋭い歯を並べた猛獣の頭部を生んだ。

 

その顎は、大きく口を開いて夜空を噛み砕こうとし―――たが、歯が噛み合わせられない。

 

喉の奥からまた新しい腐った泡がはじけて、自身よりも大きい猛獣の頭部が生じ、喉を詰まらされたからだ。

 

それを何度も何度も繰り返し、大蛇のような化物と化す。

 

その共食いの化物が10数体。

 

1人1体、今生まれた奴以外、部下達だったモノを咀嚼している。

 

 

「いただきまス」

 

 

それが元鬼塚組、三船へ贈られた最後の言葉だった。

 

 

 

 

 

とある学生寮 一方通行の部屋

 

 

 

「えと、えっと、えーっと。あの、これって<警備員>とか<風紀委員>とかに通報しなくってもいいの、ってミサカはミサカはいらぬ世話を焼いてみるんだけど」

 

 

一方通行の部屋の玄関にドアがなかった。

 

道具や持ち物と呼べる物もない。

 

床には無数の土足の足跡。

 

壁紙も床板も引き剥がされ、靴箱も壊され、台所には火を点けたらしき痕跡が残っていて、テレビは真っ二つになり、ベットはひっくり返され、ソファは中の綿が飛び出している。

 

この惨状は、おそらく標的がいないと知った襲撃者達の腹いせに違いない。

 

きっとこれが自分の本質。

 

その力は徹底的に己のみを守り抜き、それ以外のものは何一つ守れない。

 

 

「通報して何になるンだよ?」

 

 

溜息を吐きながら綿の飛び出したソファの上に寝転がった。

 

これを起こした犯人は捕まるかもしれないが、他の誰かがまた襲撃して来るだろう。

 

 

「余計な事はかンがえねェで、とっとと寝ろ」

 

 

そう言うと『音』を“反射”の設定にして一方通行は寝てしまった。

 

睡魔に囚われた幼い子供のようにぼんやりと。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

テーブルの上に寝床を作り、横になった時、ふと、コンビニの袋の中に入っている財布から白い紙がはみ出しているのが視界に入った。

 

 

「んん? これって何かなってミサカはミサカはこっそり読んでみる」

 

 

打ち止めはこっそりとその財布に入っている白い紙を抜き取った。

 

 

『    上条詩歌より あー君へ   またいつか一緒に

 

    連絡先………

 

                                』

 

 

 

 

 

 

 

そして、ミサカ20001号、打ち止めによって、この後、一方通行は思いもよらぬ再会を果たす事になるとはまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

真っ白な空間。

 

1人の少年が作りだした虚構の間。

 

どこまでも真っ白で、少年の孤独なまでの白さもこの空間の中では溶けてしまいそうだ。

 

そこに少年と、

 

 

『あー君』

 

 

もう1人、少女がいた。

 

全てを見透し、全てを包み込む、温かで透明な瞳を持つ少女。

 

少女は少年に近づき、そっと手を差し出す。

 

 

『あー君』

 

 

少年の手がその手に触れようとして途中で止まる。

 

自分はもう孤独な化物じゃない。

 

屍の山を築きあげた孤高の化物だ。

 

この真っ白な部屋を真っ赤な鮮血で汚し、やがて、真っ黒に染め上げるほど殺してきた。

 

この手は何千もの血を吸い上げている。

 

この心は何千もの怨嗟で汚れている。

 

 

「できる訳ねェだろ。テメェの手なンざとれる訳ねェだろ!」

 

 

少年は知っている。

 

あの『実験』の後、少女の噂が耳に入った。

 

自分と別れてから何をしてきたのかを。

 

万を超える学生達を開花させ、数多の“不幸”を救ってきた事を。

 

そして、今………あの『実験』の後始末をしている事を知っている。

 

きっと、自分とは真逆の道を歩んできたのだろう。

 

己の身だけを守り、己以外の全てを破壊してきた自分とは逆に、少女は己の身を犠牲にしてまでも他者を救おうとする。

 

自分が裏の世界で闇に染まっている間、少女は表の世界を太陽のように照らし続けた。

 

そうヒーローだ。

 

あの時現れたLevel0と同じで、自分とは相容れないヒーローだ。

 

そんな彼女の手を自分の手で汚していいはずがない。

 

だから、その手を―――

 

 

『全く、あー君は何時まで寝ているつもりですか?』

 

 

「はァ?」

 

 

もう、寝ぼすけですね、というとズカズカ、と少年に近づいていく。

 

苛立たしそうにプンプン、という擬音が少女の頭上に浮かんでいるようだ。

 

 

『とっとと起きてください』

 

 

そして、少女は右手を思いっきり――――

 

 

 

 

 

とある学生寮 一方通行の部屋

 

 

 

早朝少し過ぎ。

 

腰にウエストポーチを付けた常盤台女学生が眠り姫のようにソファで眠り続ける少年の横に立ち、

 

 

「目覚ましぃ~―――ビンタ!」

 

 

パンッ!!

 

と乾いた気持ちのいい音が部屋に鳴り響く。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

脳を揺さぶる衝撃に、頬に残る人肌の熱さ。

 

音は大きいがそれほど痛くはない。

 

だが、その痛快な刺激は少年、一方通行の意識を微睡みから一気に引き上げた。

 

自分が叩かれた。

 

“反射”をしていたはずなのに衝撃が襲いかかった。

 

 

「連絡がなかなか来なくて心配した分のお仕置きビンタ」

 

 

パンッ!

 

もう一度、今度は逆側にビンタされる。

 

おかしい。

 

今まで“反射”を破ったのは2人だけ。

 

そのうち1人は理解不能だが、もう1人は演算阻害によって“反射”を破った。

 

しかし、今自分を叩いている人物は、あの時のLevel0じゃないし、演算を阻害するような感覚は全くない。

 

だと言うのに、

 

 

「女の子をこんな所で寝かした分の以下略」

 

 

パンッ!

 

 

「ぶっ!!?」

 

 

“反射”が破られた。

 

早朝、3発のビンタで完全に目が覚めた一方通行は“反射”を破った人物を睨―――

 

 

「な―――」

 

 

言葉を失う。

 

学園都市最強の座を狙って襲撃してきた奴らではない。

 

しかし、

 

 

「おはようございます。寝ているところ申し訳なかったですけど聞きたい事があったので起こさせてもらいました」

 

 

そこには“反射”を破られた事よりも衝撃的なここにいるはずのない人物がそこにいた。

 

もしかしたら、夢なのかもしれない。

 

そう思えるほど衝撃的。

 

しかし、

 

 

「こんな幼い子を連れ込んで、光源氏計画ですか、あー君?」

 

 

目の前で微笑んでいる彼女は本物―――

 

 

「っておい! テメェ、何、早朝からぶっ飛んでる事ほざいてンだ! その頭、吹っ飛ばすぞ!」

 

 

「大丈夫です。もし当麻さんがロリコンになった時に備えていましたから、たとえ自分の部屋に連れ込んだ幼い子供をタオル1枚で放置するような社会に許されざる性癖の持ち主だとしても、私はあー君の友人です。決して見捨てたりはしません」

 

 

一方通行の怒声を受け流し、彼女は理解してますよ、とばかりに慈愛に満ちた表情でこちらを見つめている。

 

蔑まれた方がマシかもしれない。

 

 

「しかし、些かこれはやり過ぎではないかと友人として苦言を呈します」

 

 

………夢の方が良かったのかもしれない。

 

一方通行は少女、上条詩歌と思いがけぬ、予想もしてなかった、できれば、もうちょい何とかならなかったのかと思える、ある意味、あの夜よりも最低で最悪な再会を果たした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「おい、ガキ、テメェ、これは一体どういうことだァ?」

 

 

「キャ~、襲われるってミサカはミサカは詩歌お姉様の胸に飛び込んでみる」

 

 

何故ここに詩歌がいるのかと言うと、このボロボロの部屋を見て心配になった打ち止めがあの手紙に書かれた連絡先に電話をしたからだ。

 

つまり、いらぬ世話を焼いてしまったということ。

 

電話をかけた時、詩歌はRFOで泊りがけで謝恩パーティに主役として参加しており、電話には出られなかったが早朝、こちらからかけ直してみたところ、『ミサカはミサカは』という幼い頃、よく自分に懐いていた頃の幼馴染、美琴によく似ている声が聞こえてきた。

 

その事で大凡の見当がつき、更なる情報を聞き出そうとした時、部屋が滅茶苦茶だとか、お腹が減っただとか、あの人がなかなか起きないとか、こちらが聞いてもいないのに色々と話してくれた。

 

最後にそこはどこかを訊いたのだが、住所は分からないと言われたので、近くに何が見えるかや、学生寮はどんな名前かや、部屋は何階にあるのかを訊き、この場所を推理した。

 

そして、準備が終わった後、すぐにここに来た。

 

で、今、再会の後その事を説明され、怒り心頭となった一方通行が打ち止めに襲いかかろうとしたのだが、

 

 

「オイ、そのガキをこっちへ渡―――ぶほっ!?」

 

 

平手一閃。

 

不可視の打撃が一方通行の頭を揺さぶる。

 

そのまま、クル、と回転し一方通行はソファへ倒れてしまう。

 

 

「ふふふ、安心してください。打ち止めさん。詩歌お姉さんがいる限り、ロリコンには一切手を触れさせません」

 

 

どうやら、久々に無邪気で可愛い幼い頃の美琴の姿を見た為か、母性本能がうずき、詩歌さんはハイテンションである。

 

 

「すみません。私はすでに彼女のアホ毛に、愛らしさの虜になってしまいました。残念ですが……彼女に襲いかかろうと言うならあー君でも容赦はしません」

 

 

どす黒いオーラを滲ませながら、一方通行を凄む。

 

まるで子を守る母のよう……

 

どうやら、友情タイム終了のお知らせである。

 

 

「嗚呼……それにしても本当にそっくりです。インデックスさんも可愛いんですけど、打ち止めさんは美琴さんの幼い頃にそっくりです。打ち止めさん、『お姉ちゃん』と呼んでみてください」

 

 

「うん、詩歌お姉ちゃんってミサカは―――」

 

 

「キャーーッ!!」

 

 

歓声を上げながら、打ち止めの顔を自分の胸に抱きしめる。

 

柔らかい、あまりに柔らかい感触は打ち止めを極楽の一時へ誘う。

 

 

「む、むぐ……ミサカは…息が……」

 

 

しかし、息ができない。

 

このままだと本当に極楽へ行くかもしれない。

 

離れようとしても、簡単に打ち止めの動きを封じてしまう。

 

この中で一番危険なのは一方通行ではなく詩歌の方なのかもしれない。

 

 

「はっ、ごめんなさい。私ったら、つい興奮して」

 

 

打ち止めの必死のタップにどうやら正気に―――

 

 

「お詫びに、昨日できたばかりの新作、この通気性に拘りに拘り抜いた夏対応。しかも、迷子になった時の為にスペシャルな機能付きの百獣の王、ライオンちゃんを無料進呈しちゃいます」

 

 

―――は、戻っていないようだ。

 

腰につけたウエストポーチから取り出したのか、いつ着換えさせたのかは分からないが、一瞬で、少なくとも一方通行の目には映らなかった早さで、ババッ、と打ち止めをライオンの着ぐるみに着せかえた。

 

やりたい放題の詩歌さんである。

 

 

「……クソったれ」

 

 

何かもう、色々と、本当に色々と台無しになった朝だった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「ふふふ、お腹を空かせたライオンちゃんに詩歌さん特製弁当です」

 

 

机の上に置いてあった風呂敷包みを解くと三段重ねの弁当箱が現れた。

 

弁当の中身は、おむすびがメインに、唐揚げ、卵焼き、肉団子、金平ゴボウ、ほうれん草の胡麻和え、ポテトサラダなどのたくさんのおかずが美味しそうに並んでいる。

 

 

「おお、お弁当ってこれが初めてだったり、ってミサカはミサカははしゃいでみたり。あ、いただきまーす、っていうのを聞いた事がある、ってミサカはミサカは思い出してみる。あれやってみたい、ってミサカはミサカはにこにこ希望を言ってみたり」

 

 

「ふふ、そうですね。是非やりましょう」

 

 

「………」

 

 

はしゃいでいる2人を一方通行は他人事のように傍観しているが、

 

 

「ほら、あー君もやりましょう」

 

 

「うん、皆でいただきしますがしたい、ってミサカはミサカはもう一度にこにこ希望を言ってみる」

 

 

2人に誘われてしまう。

 

2対1、数の差でむこうが正義だ。

 

しかし、

 

 

「嘗めてンのかァ? 学園都市最強に、さかったメスがやらかす恥ずかしイベントを実行ですかァ? 今は実験が凍結してバックアップがねェから後始末がメンどくせェが、テメェら何ざ“瞬”で殺せるんだぞ」

 

 

こちらは学園都市最強の能力者だ。

 

数の差など関係ないし、己のやりたいようにやる。

 

2人に凄みながら威圧をかける。

 

しかし……

 

 

「刹那的ですね。そのように能力を脅しに使って本当に満足なんですか? 壊す事だけしかできないといつまで嘆いているつもりですか? 強者ゆえの孤独にいつまで浸っているつもりですか?」

 

 

その目に恐怖は宿っていなかった。

 

 

ズキッ!!

 

 

その言葉が一方通行の胸を貫く。

 

心にまでは“反射”を張る事はできない。

 

だから、体は傷つかずとも心は傷ついていたのかもしれない。

 

その出来た古傷に、その言葉が突き刺さる。

 

 

「……意味が分かンねェ質問だな、オイ」

 

 

「そうでしょうか? 私の目にはあー君は寂しさに震えているようにしか見えません。あの時と同じで、自分の力を恐れている。いえ、あの時以上に人を傷つける事を怖がっています」

 

 

惰性。

 

最初は苦痛でサインを発していたが、やがて、諦め、自己防衛のために心の痛覚は麻痺していた。

 

おかげで痛みに苦しむ事はなくなった。

 

が、その傷つくことには変わりなく。心の傷は広がり深まっていっていた。

 

その傷を詩歌の言葉が思い出させる。

 

 

「……あなたは<妹達>の事を人形ではなく人間だと見なしていた。だから、虐殺者を演じ、派手に罵り、派手に能力を振るい、派手に殺意を振り撒いていた。そうすれば、いつか、皆、殺される自分の元から離れ、傷つけなくて済む」

 

 

おそらく、詩歌の湖面のように透き通った眼は自分の心を見透かしている。

 

その眼の中には幼い頃の一人ぼっちの自分が写っている。

 

 

「そンなのテメェの勝手な妄想だろうがァ。つーか、テメェら、俺がオメエ達に何をやったのかを覚えてねェのか?」

 

 

その言葉に詩歌ではなく打ち止めが答える。

 

 

「もちろん覚えてる。ミサカは全てのミサカと脳波リンクで繋がっている状態だから“痛かった”し“苦しかった”」

 

 

一方通行と詩歌は少し黙った。

 

その間にも打ち止めは説明を続ける。

 

 

「でも、そんなのは何の意味もない事ってミサカはミサカは考えてる。ミサカ達は<ミサカネットワーク>という巨大な大脳を支える脳細胞のようなもの。単体が死亡したってネットワークそのものが消滅する事はありえない。ミサカの最後の1人が消えてなくなるまで―――」

 

 

一方通行は巨大な蜘蛛に睨まれた様な嫌悪感に襲われた。

 

別に打ち止めが恐ろしい訳ではない。

 

今、この瞬間にでも打ち止めを瞬殺できるし、時間を掛ければ<妹達>を全て葬り去る事もできる。

 

だが、そんな事ではない。

 

目の前で弁当に涎を垂らしているこの少女が人によく似ているが人とは異なるナニカに見えてしまって……

 

 

「―――って、考えてたんだけど、ミサカはミサカは気が変ったみたい」

 

 

「はァ?」

 

 

「ミサカは教えてもらった。1人1人の“ミサカ”の命に価値があるって、他の誰でもないこの“ミサカ”が死ぬ事で涙を流す人がいるんだって事を教えてもらったから、ってミサカはミサカは胸を張って宣言する。だからミサカはもう死なない、これ以上1人だって死んでやる事はできないってミサカはミサカは考えてる」

 

 

少女は、いや少女達はそう言った。

 

人間のような、人間のような、実験が始まった時とは考えられない

 

人間の瞳で真っ直ぐ一方通行を見て。

 

それは1つの宣告。

 

一方通行の行ってきた事を決して許さないという、打ち止めは一生あの時の事を忘れないという、恨みの宣告。

 

 

「はっ……」

 

 

胸の奥が痛んだ。

 

今まで、そういった感情を抱かれている事には気付いていても。

 

目の前で、面と向かって本人の口から糾弾された事がなかったから。

 

麻酔が切れたようにズキズキ、と心が痛みだす。

 

 

「ミサカは感謝している。実験からミサカ達を救ってくれ、命について教えてくれた詩歌お姉様にとても感謝している」

 

 

そう言うと、打ち止めは詩歌に頭を下げ、そして、

 

 

「そして、ミサカはあなたにも感謝してる。あなたがいなければ傾きかけていた量産型能力者計画が拾い上げられる事もなかったから。命なきミサカに魂を注ぎ込んだのは間違いなくあなたなんだから、ってミサカはミサカは2人に感謝してみる」

 

 

一方通行にも頭を下げた。

 

何故だ。

 

何故この2人は自分を罵ろうとはしない。

 

何故自分を擁護する。

 

まるで自分が被害者のようじゃないか。

 

ああ、駄目だ。

 

2人が怖い。

 

これ以上、2人の前にいたら、自分も―――

 

 

「そして、ミサカは……ミサカは後悔している。詩歌お姉様が言っていた通り、あなたはサインを送っていてくれたのに、気付いてあげる事ができなかった事を」

 

 

 

 

 

『付き合わせてる身で言えた義理じゃねェンだけどさァ。イイ加減飽きが回ってくるよなァ』

 

 

『まず符丁を確認します。ZYC741ASD85……』

 

 

『何か考えたりしねェのか、この状況で。つっまンねェヤロォだな!』

 

 

『被験者、一方通行は所定の位置についてください』

 

 

『ンなに痛みが好きならたっぷり鳴かせてやるから喉飴でも舐めてろ!! オマエは何回殺されてェンだっつのっ!!!!』

 

 

 

 

 

何度も、何度も……

 

会話になんて一度もならなかったのに何度も……

 

 

「ミサカ達がもっと早く“これ以上戦いたくない”って答えていたら、アナタはどうしてた?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

一瞬、一方通行の心臓が止まった。

 

もし、<妹達>がもう実験をしたくないと、死にたくないと言われたら何もできなかっただろうか?

 

そんなはずはない。

 

何故なら、あの実験で最も核となっていたのは一方通行自身だ。

 

協力しないと言えば実験は止まってしまうし、他の能力者では代理は利かない

 

そして、研究者達に学園都市最強の能力者、一方通行を無理矢理動かす事はできない。

 

だから、もしも……もし仮に、実験が始まる最初の最初。

 

まだ<妹達>が1人も犠牲になっていない、本当に最初の最初のその時に。

 

2万人の<妹達>がみんな揃ってそんな事をしたくないと怯える目で頼みこんでいたら。

 

自分はどんな行動に出ていたのだろうか?

 

たぶん、いや、きっと止めていた。

 

だからこそ、問いを発した。

 

だからこそ、自分を止めてくれる誰かが欲しかった。

 

そうあの時、詩歌を見逃したのは詩歌の為だけでなく、それをきっかけに立ち上がりたかったからだ。

 

あのLevel0に倒された時、感謝したのもそうだ。

 

だから、あの時のLevel0と、詩歌の事を自分の思い出の中で美化している。

 

それと同時に、詩歌には懺悔したかった。

 

オリジナルの美琴や被害者の<妹達>がではなく、詩歌に自分でも分からない答えを吐露したかった。

 

 

「この話はもう止めにしましょう。どうやら、あー君には生活の匂いが必要です。何をやるにしても、終わった後にどうしたいと考えられないようではいつまでもこのままです」

 

 

しばらく呻いていると詩歌がやれやれ、と溜息をつく。

 

詩歌はわかった。

 

一方通行の内心とそれを吐露するにはまだ早すぎるという事が。

 

形になりかけているがまだ明確な形にはなっていない。

 

もう自分は何も口出ししてはいけない。

 

ここから先はきっと彼自身で答えを作り出すべきなのだ。

 

だから、ちゃんと答えができた時に、改めて彼の友人としてその答えを聞く。

 

その時が来るまで自分は待ち続ける。

 

 

「“反射”には弱点があります。私に“反射”を破られた事が気になっているでしょう? 『いただきます』を交換条件に教えてあげます」

 

 

その言葉に一方通行は黙って頷いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

掃除から裁縫まで、一通りの家事をこなす詩歌だが、その中でも料理は最も好きな方だ。

 

何故なら、美味しいものを食べると人は幸せになる。

 

そう料理は幸せを作っているのと同じ。

 

とある不幸な少年を幸せにするために磨き上げられた詩歌の料理の腕はトップクラス。

 

唐揚げは、醤油・塩・ごま油・おろし生姜・濃い目の鰹出汁で下味が付けられ、二度揚げされている。

 

二度揚げしたおかげで表面はサクサク軽く、中身はジュワッとジューシーな仕上がりで、時間がたっても衣がフニャフニャにならずいつまでもさっくり香ばしい食感を保っている。

 

さらに、粉とタレを一緒に混ぜ合わせて衣にする北海道名物・ザンギのような技法で作ったせいか、衣自体にもしっかり味がついていて食べやすい。

 

そして、おむすびは、納豆おむすび、鮭おむすび、そして、塩おむすびの3種。

 

納豆おむすびは、醤油と和辛子で味付けして叩いた納豆を芯にして白ご飯でにぎり、海苔は普通に巻くのではなく、ちぎったものを前面につけるという少し型破りなおむすび。

 

鮭のおむすびは、塩鮭とネギをご飯に混ぜた物をにぎって海苔は普通に巻くだけという正統派なおむすび。

 

最後の塩おむすびは、海苔すら巻いていない米と塩だけという潔くシンプル。

 

しかし、どこかお袋の味を思い出させるようなおむすび。

 

それ以外の料理も丁寧に調理されており、食べ易いように一口大に切り分けられているなど細やかな気配りが垣間見える。

 

そして、真心が込められているのか。料理の一つ一つが宝石のように輝いている。

 

つまり、

 

 

「うわぁ! うわぁ! 詩歌お姉様の料理ってすぅっごくおいしいね、あまりのおいしさに幸福度指数が100アップってミサカはミサカは感謝感激雨あられ!」

 

 

片手におむすびを持ち、片手にフォークを持ちながら、打ち止めが物凄い勢いでガツガツ、と詩歌の料理を食べていく。

 

 

「………」

 

 

一方、一方通行は何も言わず、ただ黙々と食事を進めている。

 

しかし、心なしか表情が緩んでいるように見える。

 

たった1つの弁当だけで、この場に温かで穏やかな生活の匂いが漂っている。

 

流石、お嫁にしたい女子中学生No1の手料理だ。

 

 

「あー君のベクトル操作はこの前の投影したので大凡理解できています。“反射”とはただ力のベクトルを反対に変えているだけです」

 

 

そして、詩歌は、時々、打ち止めの食べかすのついた口元を拭ったり、お茶を入れたりしながら、“反射”について説明している。

 

 

「そこで、寸止めの要領です。“反射”の有効範囲の寸前で拳を引けばどうなると思いますか?」

 

 

引くベクトルを反対にする。

 

遠ざかるベクトルを“反射”すれば拳は一方通行に届く。

 

しかし、そんな簡単に出来るような事でもない。

 

一歩間違えば“反射”は自分に襲いかかってくるのだ。

 

それを完璧にこなせるのは詩歌の技量の高さ故だろう。

 

 

「これは拳に限ったことではありません。美琴さん、Level5序列第3位、<超電磁砲>ほどの能力者なら瞬時に電撃を操る事ができますから、“反射”の直前で電撃を寸止めする事が可能です」

 

 

「はっ……俺がオリジナルに負けるとでも言いてェのか」

 

 

「そういう訳ではありません。最強などいない、と言いたいだけです。いつまでも“反射”に防御を任せきりにしてたら、いつか取り返しのつかない敗北を招く事になるでしょう」

 

 

そこで言葉を切ると神妙な顔を作る。

 

 

「私にはあの実験が、Level6を作り出すものでもなく、Level5を手元に置く為でもない。もっと別の何かが真の目的なような気がするんです。そして、学園都市の闇は私が思っているよりも深い…だから、注意してください。警戒してください。あー君は唯一Level6へ進化できるLevel5と<樹形図の設計者>に予測されています。つまり、いざとなれば、―――ふぅ、もうこの話は止めますか」

 

 

そう言うと詩歌はお茶を飲んで一息をつく。

 

 

「まずはそんな事よりも目先の問題です。この環境をどうにかしましょう」

 

 

そう言って、廃墟と見間違えるほどボロボロの部屋を見渡す。

 

 

「もうここはあー君がいると知られているのでしょう? 打ち止めさんもいますし、面倒ですがお引っ越しです。幸い、荷物は少ないようですし、すぐにできるでしょう。私も協力します。あー君、掃除とか洗濯か料理とか家事が全くできそうにないですからね」

 

 

「あァ? テメェに施して貰うほど、一方通行は落ちぶれてねェよ」

 

 

「何を言っているんですか? 私はあー君だけでなく、打ち止めを心配しているんです。あー君に任せきりにしたら、打ち止めさんの食事がとんでもない事になりそうです。あのぐらいの年の娘は、栄養バランスが大事なんですよ」

 

 

「クソッ、何で俺がクソガキの世話を見る事になってやがンだ。オイ、オマエの一番の目的が何だか言ってみろ」

 

 

「え、ご飯を食べる事だけど、ってミサカはミサカは即答してみたり」

 

 

「……チッ」

 

 

舌打ちしながらも、一方通行はこれ以上言葉を重ねる事はしなかった。

 

向かいではしゃぐ打ち止めとその世話をする詩歌を見ていると、ここで何を言っても無駄なような気がした。

 

しかし、意地でも了承しない。

 

自分は一方通行だ、生温い馴れ合いなんてこっちからごめんだ。

 

あんなガキなんて――――

 

 

「……ったく」

 

 

一方通行はテーブルを思い切り叩いて、立ち上がった。

 

 

「あら、まだ食事が残ってますよ」

 

 

詩歌が呼び止めるが、一方通行は無視を決め込む。

 

 

「あれ、どっか言っちゃうの、ってミサカはミサカは尋ねてみる」

 

 

「あァ、散歩だ」

 

 

「そうですか。一緒についていきましょうか?」

 

 

にこにこと向日葵のように微笑みかける。

 

どうもやりにくい。

 

とろけるような笑顔と母性的な雰囲気が相まって、脅迫し辛い天然バリアが展開されていることに、本人の自覚はない―――

 

 

(―――ニヤリ)

 

 

―――訳でもなさそうだ

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……ついてくンじゃねェ。テメェはガキの面倒でも見てろ」

 

 

詩歌の顔を見ないよう視線を逸らす。

 

打ち止めもそうだが、詩歌といると調子が崩れる。

 

この前敵として対峙したというのに、今は昔、初めて会った時のように自分を振り回す。

 

理解できない。

 

この理解不能な相手なら、あの時、敵として対峙した時の方がマシだった……

 

 

―――本当にそうだろうか。

 

この温かみに触れて、どこか満た―――

 

 

「ふふふ、わかりました。いってらっしゃい、あー君」

 

 

おそらく、後ろで彼女は微笑みながら自分を見送っている。

 

きっと100%の信頼を表す満面の微笑みで……

 

 

―――ッ! どうして、そうだと考える!

 

あの時、本気の殺意を向け、死闘を繰り広げた相手だぞ!

 

普通なら、背後を向いた隙に牙を剥こうとするか、助かった、と安堵の溜息を吐いていると考えるのが妥当だろう。

 

友人だとかほざいているが、自分はそんな事は思っていない。

 

自分は誰も寄せ付けぬ孤高の怪物。

 

なのに……これでは……まるで……詩歌が信頼していると、自分は信じ―――

 

 

「……チィッ」

 

 

そこで思考を中断。

 

振り返ることなく、応えることなく、一方通行は部屋に2人を残して出ていった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ねえ、詩歌お姉様、ごちそうさま、も言いたかった、ってミサカはミサカは溜息をついてみる」

 

 

「ふふふ、それはまた今度です。あー君は何だかんだ言っても、ツンデレですから頼めば文句を言いつつもやってくれますよ」

 

 

そう言って、ハンカチで打ち止めの額から噴き出している汗を拭う。

 

一方通行が立ち上がる直前、打ち止めの額から汗が吹き出し、頭がふらつき始めていた。

 

おそらく、調整不足が原因なのだろう。

 

 

「さあ、横になって、楽な姿勢にしてください」

 

 

熱にうなされる打ち止めをソファの上に、頭を詩歌の膝枕に乗せて仰向けに寝かせる。

 

 

「しばらく、寝ててください。あー君が戻って来るまで……」

 

 

そう言うと、詩歌は優しく打ち止めの頭を撫でながら、子守唄を紡ぐ。

 

 

「う、ん。ミサカは、ミサカは…ミ、サ……ぁ――――すぅ……」

 

 

頷きつつ、膝枕に頭を撫でてもらう体勢のまま、子守唄の旋律に合わせるように瞼が下がっていき、最後に微笑んでいる詩歌の顔を見ると瞳を閉じ、安らかな寝息を立てる。

 

それは、まるで母親に身を預けている子供のようだった。

 

 

 

 

 

一方通行の学生寮附近

 

 

 

とある学生寮も側に1台のスポーツカーが停まっていた。

 

冷房の利き過ぎた狭い車内だが、運転席に座っている天井亜雄の手はべっとりと汗で濡れており、青褪めた額には脂汗が浮かんでいる。

 

天井亜雄はある実験に最後まで関わっていた研究者で、絶対能力計画の凍結、量産型能力者計画の頓挫により、膨大の借金を抱えている。

 

学園都市での身の置き場を無くした彼は学園都市に敵対する外部過激派勢力に接触。

 

そして、彼の<妹達>の人格入力に関する技術力を買われ、ウィルスを注入し<妹達>を暴走させ民間に無差別テロを起こさせろ、との依頼を受けた。

 

そうすれば、多額の報酬を手に入れるだけでなく、国外への亡命も手引きしてくれ、そこで超能力関連のスキルを生かし、新たな研究所のチーフとして雇われる。

 

学園都市を敵に回すのは恐ろしい事だと理解していたが、今のままではやがて多額の借金に押し潰される。

 

だから、一か八かに人生を賭けた。

 

幸い、依頼を受けた企業から腕利きの戦闘屋を付けてくれた。

 

これで多少は身の安全が確保され、強引に事を進められると思っていたのだが、

 

 

(くそ! くそ! くそ! どうしてこうなった!? 今回ばかりはしくじる訳にはいかないっていうのに!!)

 

 

その計画に肝心な<打ち止め>がウィルスを注入した途端に研究所から脱走。

 

そして、最悪な悪魔、一方通行の元にいる。

 

一方通行の戦闘力は実験関わっていたのでよく知っている。

 

そして、その残虐性も。

 

下手に刺激すれば、打ち止めを壊しかねない。

 

期限はもうすぐだというのに……いや、このままだと培養液から飛び出した打ち止めの未調整の肉体が駄目になってしまう。

 

このままだと、この破壊工作は失敗。

 

そうなれば、逃亡の手助けを断られるどころか、敵対勢力に始末されてしまうだろう。

 

どうすればいい、と両手で頭を抱えたその時、後部座席から伸びてきた手が肩を叩いてきた。

 

 

「ひぃっ!?」

 

 

思わず悲鳴を漏らす。

 

後ろにいるのは自称、ビジネスマンで、グレーのスーツを着た金髪のオールバックの中年の男性。

 

しかし、彼が企業から雇われた戦闘屋だ。

 

だが、見た目は本当に只のビジネスマンにしか見えないし、持っている武器と言えば、大口径の自動式拳銃だけ。

 

正直に言えば不安だ。

 

それに、あまり一緒にいたくないというべきか、彼と接すると生理的悪寒を感じる。

 

 

「考え中にすみませんネ、ミスタ・アマイ。アクセラレーターがどこかへ行きましたヨ」

 

 

そう言って、肩を叩いた手が前を指し示す。

 

そこには学生寮から出ていく一方通行の姿があった。

 

一方通行はこちらを一瞥することなく反対の方向へ歩いていく。

 

1人で。

 

打ち止めを連れることなく。

 

ということは、

 

 

「よし! チャンスだ。今の内に最終信号を回収するぞ」

 

 

 

 

 

一方通行の部屋

 

 

 

「――――ハッ!」

 

 

かつてない悪寒。

 

詩歌の直感が警鐘を鳴らす。

 

もしや、迫りくる危険を察知したのか?

 

 

「この感じ……間違いない。危険度Level5」

 

 

悪寒の感じ方からLevelまで特定するとは……

 

だが、Level5という事は<天使>と同等の危険度最高ランク。

 

これはもしや、これからかつてない戦い――――

 

 

 

 

 

 

 

「当麻さんが誰かとデートしています!」

 

 

――――とは全く関係がなかった。

 

 

 

つづく


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