とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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御使堕し編 賢き妹

御使堕し編 賢き妹

 

 

 

わだつみ 外

 

 

 

結局、あれから一睡もできなかった当麻は眠気覚ましに外へ散歩へ出掛けた。

 

しばらく、わだつみの周辺をぶらついた後、喉が渇いたので、自販機でコーヒーを買おうとしたが、何故かホットがでてきた。

 

 

「熱ッ!? くそっ、不幸だ」

 

 

腹いせに自販機を小突こうとするが、途中で止める。

 

そして、殴ろうとした右手をじっと睨む。

 

 

(不幸。俺が不幸だから。そうだ。俺の不幸に巻き込まれたせいで、詩歌が……)

 

 

暗くて、重くて、苦しくて、不愉快な何かが身体の中で蛇のように這いずりまわる。

 

そして、右手の矛先を自分の――――

 

 

「おお! 当麻か!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ハッ、と右手を降ろし、声がする方を見ると、中年の男性が息を切らせながらこちらへ駆けこんでくる。

 

 

「久しぶりだな、当麻。元気にしてたか?」

 

 

精悍で理知的な面持ちで無精ひげを生やしている顔立ちは、どこか誰かに似ている。

 

 

「父さん……?」

 

 

当麻は直感的に目の前にいる人物が自分達の父、上条刀夜だと悟る。

 

 

「ん? 何だ、父さんの顔を忘れたのか? 全く…―――おっと、そんなことよりだ、当麻」

 

 

刀夜は当麻を逃がさないようにガッシリ、と両肩を掴み、視線を合わす。

 

 

「詩歌に彼氏ができたって本当か?」

 

 

「はぁ……? ―――ああ、あれ……」

 

 

おそらく、昨日の詩歌と神裂の偽恋人騒動の事だろう。

 

 

「母さんがメールで教えてくれてな。居ても立っても居られず、ここに直行してきたんだ!」

 

 

当麻はそこでようやく刀夜がスーツ姿である事に気付いた。

 

 

「父さん、仕事はどうしたんだよ」

 

 

「そんなことはどうでもいい! それよりも詩歌だ! ステイルとかいう長身赤髪のイギリス人なんだろ!」

 

 

無表情ではないが、興奮し鼻息が荒い様は昨日の神裂並にやばいと感じる。

 

これは手っ取り早く、あれは嘘だと言っても、耳に入らないかもしれない。

 

 

「全く、詩歌は中学生だぞ! 男女交際とかはまだ早い!」

 

 

「い、いや、今の中学生は、進んでるから、早いというわけでないと思いますよ」

 

 

「だ、だが、詩歌は子供だぞ」

 

 

娘に彼氏ができるかもしれない父。

 

妹に彼氏ができるかもしれない兄。

 

互いに立場が似ているが、士気が天と地ほどの差がある。

 

もし昨日の夕飯時、いや、火野に襲撃される前なら、誓いが揺らぐ前なら刀夜に激しく同意していただろう。

 

でも、今の当麻はそんな気分になれそうになかった。

 

 

「あいつはもう大人だ。少なくても俺よりはしっかりしている」

 

 

当麻はそこで自嘲気味に溜息を吐く。

 

 

「……そういうのはもう自分で決めれるはずだ。きっと、……俺なんかよりも詩歌に相応しい相手を見つける事ができる」

 

 

以前の当麻なら、顔が良く、金持ちで、頭が良く、そして自分よりも強くても、詩歌に彼氏なんて、クソ喰らえ、テメェーなんざに詩歌は渡すかよ! とか言って、刀夜と一緒に反対デモを起こしていたのかもしれない。

 

だけど、今の当麻はにそんな気概はない。

 

むしろ、周りを不幸に巻き込むどうしようもない奴から引き離したいのかもしれない。

 

そんな当麻の様子に刀夜は肩透かしを食らったような気分になる。

 

 

「どうしたんだ……? 当麻、何だか調子が変だぞ。具合でも悪いの――『プルル』――ん?」

 

 

刀夜の胸ポケットにある携帯が振動する。

 

 

「ちっ! しつこい……やはり携帯の電源は切っておこう」

 

 

刀夜は携帯を取り出すと電話にも出ず、電源を落としてしまう。

 

 

「さて、当麻――――ひぃっ!!」

 

 

そして、何事もなかったように仕切り直そうとしたその時、背筋にぞわっと悪寒が走った。

 

そして、恐る恐る前に視線を向けるとわだつみの玄関でインデックス、いや、詩菜がこちらを見ていた。

 

 

「あらあら。刀夜さん……こんなに早く……お仕事は大丈夫なんですか?」

 

 

わだつみからゆっくりと詩菜が微笑みながら近づいてくる。

 

当麻も刀夜も先ほどの気分はどこかへ吹っ飛んだ。

 

 

「い、いや、母さん、詩歌に彼氏ができたなんて聞かされたら……」

 

 

微笑む詩菜を前にして、刀夜のこめかみから一筋の冷汗が垂れる。

 

当麻も自分じゃないのに、空気が重く感じる。

 

そして、詩菜と刀夜を見て、どこか既視感を覚えた。

 

 

「お・し・ご・とは大丈夫なんですか? 先ほど、田中さんという方からお電話をいただきました。刀夜さんが仕事の途中でいなくなった、と」

 

 

詩菜は全開に微笑んでいるが、目は全く笑っておらず、声が良く通るのに唇は全く動いていない。

 

それを見た時、やばい、キレてる、と父と息子は同調した。

 

刀夜、そして、何故か当麻もすぐさま土下座する。

 

流石、父と息子だ。

 

シンクロ土下座があるとすれば10点満点の素晴らしい出来だ。

 

あるとすれば、だが……

 

 

「これは若手育成だ。若手育成なんだよ! 母さん。決して、仕事を放り出したわけだはな―――」

 

 

「それから、いなくなる直前、部下の女性とセクハラまがいの行為をした事も聞かされました」

 

 

『いや~、昨日の上条先輩は鬼コワでしたよ。マジで半狂乱って感じで、いなくなる直前、『しいか~っ! 行かないでくれ~っ!』とか叫んで、女性社員に抱きつ―――あ、何でもありません』

 

 

これは、新入社員の田中の証言である。

 

 

「田中君、余計な事を……」

 

 

刀夜は口の軽い部下に、今度きっちりと“教育”をすることを誓う。

 

 

「これは、浮気ですか、刀夜さん?」

 

 

「違うんだ、母さん。あれは、父の下から離れていく娘の恋しさに気が狂って――――」

 

 

―――ズンッ。

 

 

土下座した刀夜の頭上に玄関先に置かれていたタヌキの置物が落された。

 

 

「―――」

 

 

下敷きにされた刀夜は白目を剥いて昇天している。

 

 

「か、母さん」

 

 

その細腕にどれほどのパワーが、つーか、いつの間に玄関に置かれたタヌキの置物を投げたんだ、と当麻は喉まで出かかったツッコミを呑み込む。

 

外見はインデックスだが、その貫禄は、執行人モードの詩歌に匹敵する。

 

いや、どこか年季の入っている感じは詩歌よりも1、2段上だ。

 

流石、詩歌の母だと言える。

 

 

「大丈夫ですよ、当麻さん。あれは、詩歌さんの嘘だと刀夜さんにはしっかりと言い聞かせておきますから」

 

 

「は? え? あれが嘘だって」

 

 

意外そうに驚いてる当麻の顔を見て、詩菜は呆れてしまう。

 

 

「今は隠すのがうまくなってますが、詩歌さんは元々嘘を吐くのが苦手な子です。外観では分かりませんが、真剣に内側に目を向けてみれば嘘だと感じ取ることができます。その辺はお兄ちゃんの当麻さんも分かると思いますよ」

 

 

当麻は納得した。

 

絶対能力進化計画時、入院した詩歌の瞳を覗き込んだ瞬間、当麻は何となくではあるが、これは嘘だ、と感じ取れた。

 

 

「そして、私はお母さんです。別々の所に暮らしてますが、当麻さんと詩歌さんのお母さんです。それに詩歌さんに関しては先生でもあります」

 

 

そう言うと、昔を懐かしむように詩菜は優しく微笑む。

 

 

「……でも、あの時の詩歌さんの気持ちは言葉にされるまで分かりませんでした。いつの間にあそこまで成長していたのですね」

 

 

その時、娘の成長にどこか寂しそう、そして、とても嬉しそうに微笑む詩菜の背後にどこか詩歌に似た女性の面影が見えた。

 

 

「当麻さん。詩歌さんの事、大事にしてあげてくださいね」

 

 

最後にそう言い残すと詩菜は去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

刀夜を引き摺りながら……

 

その時、当麻の耳にドナドナの歌が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……大事に、か」

 

 

母からの言葉が染みいるように、当麻の内側へと入ってくる。

 

自分は本当に妹を、詩歌を大事にできるのだろうか、と当麻は昨夜、答えを出した問いをもう一度だけ自問自答してみる。

 

 

「カミやん……」

 

 

しかし、その答えを出す前に、横からスッと視界に土御門が入ってきた。

 

 

「詩歌ちゃんが目覚めたみたいだぜい」

 

 

 

 

 

わだつみ 神裂の部屋

 

 

 

昼少し前の11時頃、神裂の部屋に神裂、土御門、ミーシャ、当麻、そして、詩歌が集合している。

 

そして、集合を指示した人物、詩歌が会議の司会を務める。

 

 

「さて、皆さん。お集まりいただきありがとうございます。まずは、ご心配をお掛けしたことをお詫びします」

 

 

そう言うと、詩歌は丁寧に深々とお辞儀をする。

 

 

「それでは私の方から昨夜の事、皆さんが協議した事について、少しだけ意見を付け加えさせてもらいます」

 

 

雰囲気だけで周りを引き締めさせる凛とした佇まい、耳に心地良い涼やかな美声、そして、見た者を虜にする魔性の微笑み。

 

詩歌はこの場を仕切るに相応しい風格を持っていた。

 

 

「昨夜の協議で、脱獄犯、火野神作が入れ替わりが起きていないとい事から術者、もしくはなんらかの関係者であるという結論が出ました。しかし、火野神作は窮地に置かれても、<天使>の力を使わず、魔術も一切使ってませんでした」

 

 

昨夜、火野は魔術を全く使っていない。

 

火野の精神的恐怖心を煽る戦法は、<天使>や魔術を使わなくても出来る。

 

そして、逃走する際に用いたのは魔術とは一切関係ないただの強力な毒。

 

 

「確かに、<天使>の気配もなかったし、魔術の痕跡も見つからなかったしにゃー。もっとも天使クラスの魔力なんざ、そのまま放置しておきゃ、それだけで土地が歪んじまう。何らかの方法を使って隠蔽してることは間違いないんだろうけど」

 

 

サングラスを弄りながら、土御門が詩歌を捕捉する。

 

 

「隠蔽は簡単にできるものなんですか?」

 

 

詩歌の問いに神裂はわずかに考えてから答える。

 

 

「あくまで旧約の話ですが、天使が自分の正体を隠して人の町へと赴き、民家にあがって人と共に食事をした、という記述があります。同様に川で溺れる子供を助けた大天使もいたとか。元々、そういった優れた隠蔽技術を持っている、と考えた方が良いのかもしれません」

 

 

神裂の答えにミーシャは少し誇らしげに頷いた。

 

 

「なので、ちょっとした人脈と伝手を使い、火野神作について調べてみた所、彼は『解離性同一性障害』、つまり二重人格である事が分かりました。そこで、『火野神作は自分の内側にある2つの人格が入れ替わった為、姿が変わってなかった』、という一つの仮説が生まれます」

 

 

『解離性同一性障害』とは、1人の人間が、独立で矛盾した複数の人格傾向を有する事である。

 

それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も、嗜好についても全く異なり、また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。

 

 

「もしそうだとするならば、火野神作の口癖、『エンゼル様』というのは『イマジナリーフレンド』でないかと思われます。『イマジナリーフレンド』とは………」

 

 

『イマジナリーフレンド』とは、空想が生み出した友達。

 

人間関係という概念に不慣れな幼い子供に起こりやすい現象であり、多くは現実の対人関係を知ることで自然に消滅する。

 

人によって、質も相当に違い、解離性同一性障害者の『イマジナリーフレンド』は遊び相手というだけでなく、“守護天使”、“神”、“悪魔”などといった、救助者、慰め役、強力な守護者、家族の一員などの役割がある場合がある。

 

つまり、詩歌の仮説は火野が入れ替わっていないのは人格が入れ替わっただけ、そして、『エンゼル様』とは本物の<天使>ではなく、火野の空想、『イマジナリーフレンド』だと言うことである。

 

これは科学側の領分なので、神裂やミーシャは何も意見する事はできない。

 

しかし、詩歌の仮説には筋が通っているように感じた。

 

 

「火野神作が<御使堕し>の術者だと決め付け、捕まえるのは時期尚早、と言いたいところなのですが、そうはいかないようです。彼は脱獄犯。つまり、警察に追われています。もし、火野神作が術者で、警察に捕まれば、<御使堕し>の解除は困難。そうですよね?」

 

 

詩歌はこの場にいる3人の魔術師に確認を取る。

 

 

「まあ、流石に<必要悪の教会>も日本の警察までには手は届いてないぜよ」

 

 

3人を代表した土御門の言葉に詩歌は瞑目しながらゆっくりと頷く。

 

 

「ですから、警察に捕まる前に彼から色々と聞きださなければなりません。そこでまたまた伝手を使ってみた所、テレビ局に勤めている方から、脱獄犯が一般人の住居に閉じこもっているとの情報が得られました。そして、その住居の写真を送ってもらったところ……」

 

 

そこで、僅かにためを作り、溜息と共に言葉を吐き出した。

 

 

「なんと、そこは上条家。つまり、私と当麻さんの実家です」

 

 

 

 

 

海辺

 

 

 

あれから、詩歌は実家の住所について教え、家の鍵を用意した。

 

ここから、車で20分ほどかかる距離なので土御門がタクシーを手配している。

 

そして、当麻は1人で木陰で憂いを含んだ表情で佇んでいた。

 

 

「大事に、か……」

 

 

もう一度反復する。

 

当麻は先ほどの協議に全く参加できなかった。

 

魔術的な知識もないが、かといって、科学的な知識もそれほど備わっている訳ではない。

 

プロの魔術師と学園都市の5本指の常盤台中学の優等生の会話についていけない。

 

強さの方も当麻はあの中では一番下の方なのかもしれない。

 

そう、自分は守られる側なのだ。

 

そんな実力不足の自分が詩歌を守ろうと誓うなんて、何て愚かしいのだろう。

 

 

「俺はやっぱり詩歌を大事になんか――――」

 

 

できない、と答えを口に出そうとした時、

 

 

「当麻さん……」

 

 

当麻の目の前に今、当麻が最も二人っきりで会いたくない人物、詩歌が現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

……ちょうどいい。

 

今、詩歌に答えを言え。拒絶しろ。

 

 

当麻の中で黒い何かが囁く。

 

それに促されるように当麻は口を開く。

 

 

「詩歌。俺はお前を……詩歌のお兄ちゃんには」

 

 

しかし、当麻の口はそこで止まってしまう。

 

心が、当麻の心がそれを言うなと、叫んでいる。

 

そんな当麻に詩歌は普段と変わらない柔らかな調子で語りかける。

 

 

「当麻さん……怒っているんですか?」

 

 

怒っている?

 

ああ、自分に怒ってる。

 

 

「……昨夜はすみませんでした。私の失態のせいで……毒を使っている事を見抜けなかったせいで、いえ、その以前でもっと容赦なく攻めていれば……私の甘さのせいで、火野神作を逃がしてしまい、皆さん、当麻さんを心配させてしまいました」

 

 

違う!

 

あれは、俺のせいだ。

 

俺があの時気を抜かなければ、詩歌が傷つく事はなかった。

 

 

「当麻さんは、私の事、嫌いですか?」

 

 

そんなことあるわけがない。

 

絶対にあるわけがない。

 

 

「私は当麻さんの事が大事です」

 

 

当麻を自分の胸に引き寄せ、優しく包み込むように、母親が赤子を抱くように、当麻を抱きしめる。

 

 

「本当に…本当に…私は当麻さんの事が大事です。何があろうと…例え、記憶を失おうと当麻さんが当麻さんでいる限り、その気持ちは絶対に変わりません。今もそう思っています。あの時…暴走した私を止めてくれた、操り人形になった私を救ってくれた、力が尽きた私に手を貸してくれた。そんな当麻さんは、間違いなく私の自慢のお兄ちゃんです」

 

 

当麻は心地良い温かさと穏やかな鼓動を感じ、全身の力が抜けていく。

 

 

「……俺はお前を守ってもいいのか…?」

 

 

当麻は恐る恐る自分では答えを口に出せない問いを口にする。

 

 

「はい! もちろんです! だから、そんなに自分を責めないでください。当麻さんが自分自身を責めるなんて、私にとって不幸です。それが私のせいだとしたら、何よりも耐え難い不幸です。当麻さんの不幸は私の不幸。そして、当麻さんの幸せも私の幸せ。だから、自分を責めないでください。…私のために、自分を責めるのは止めてください」

 

 

詩歌の答えが頭に浸透した時、当麻の中に蠢く黒い何かがそっと遠くへ消えていく。

 

 

「あ! あの時言いましたよね? 私のためなら神だって殺して見せる、と…だから、そのくらい出来て当たり前ですよね? …それでも駄目だというなら、とっておきの魔法を使ってあげます」

 

 

当麻を胸から離すとヒマワリのような満面の笑みを当麻に向け、魔法の呪文を唱える。

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、頑張って。不幸になんて負けるな」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

上条当麻に魔法なんて通じない。

 

異能がすべからく<幻想殺し>によって、打ち消される。

 

最高峰の結界でなければ防げない<御使堕し>でさえも打ち消される。

 

でも、この魔法は通じたのかもしれない。

 

そうでなければ説明できない。

 

ただ、この励まし、言霊を聞くだけで、頭痛が消えた。右手の痛みが消えた。

 

体も軽くなり、心も湧き立つ。

 

そして、迷いも消えた。

 

今の自分には、たとえ連続殺人犯であろうと、<天使>だろうと、どんな不幸だろうと負ける気がしない。

 

魔法でなければ、こんな事はありえない。

 

当麻は詩歌の頭に軽くポンポン、と手を載せる。

 

 

「色々とごめんな。もう、大丈夫だ」

 

 

先ほどまで当麻の顔にあった憂いの色はもうない。

 

 

「とっとと真犯人を捕まえて、こんなふざけた幻想をぶち殺す。その時にもう一度謝らせてくれ」

 

 

今の当麻は、馬鹿みたいに元気だ。

 

少し前までの事が嘘のように頭も体も軽い。絶好調だ。

 

 

「当麻さん、それ死亡フラグですよ」

 

 

「大丈夫だ。お兄ちゃんは不幸なんかには負けないからな。そんなフラグなんてぶち壊してやる」

 

 

今ならどんな不幸も跳ね返せる気がする、いや、絶対に跳ね返す。

 

 

「ふふふ、私を未亡人なんかにしないで下さいよ」

 

 

「はぁ? 何言ってやがる? 詩歌は妹だろ?」

 

 

(はい、予想してました。その返答はばっちり予想してました。本当、当麻さんの鈍感は期待を裏切りません。でも、ちっとも動揺しないのは納得がいきませんね。……先日、あれだけ兄妹同士の恋が世界を創ったと……神々の間では妹=妻、つまり、神が造ったとされる人も妹=妻と考えるのはおかしくないと教えたのに……これは教育が足りなかったのでしょうか?)

 

 

いや、いくらなんでもその論理は飛躍しすぎだ。

 

当麻にそこまでの理解を求めるのは相当洗脳しなければ無理だろう。

 

 

「……当麻さん、戻ってきたら道祖神について講義です。妹背という単語が何故成り立ったのかを頭に擦り込んであげます。今度はレポート提出も義務付けます。わかりましたね?」

 

 

「ええっ? 何ででせう?」

 

 

「うるさい! 鈍感王子! 期限は学園都市に戻るまでです。もしできなかったら、遺書どころか、遺言すらも残させませんよ」

 

 

「ふ、不幸だあああぁっ!!」

 

 

絶好調でも、兄は妹には勝てなかった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「あ、そういえば、詩歌」

 

 

「……何ですか、鈍感王子」

 

 

鈍感という鉄壁の壁を改めて確認された詩歌は微笑んでいるが、どこか拗ねた口調で応答する。

 

 

「鈍感王子って、何だよ……? まあいい。お前はお留守番な」

 

 

「はぁ!? 何を言っているんですか? 今、火野神作がいるのは私達の実家。あの家の構造に詳しい私が行かなくてどうするんですか!?」

 

 

「まぁ、そうなんだけどさ……」

 

 

猛烈に反対する詩歌の目の前に、

 

 

ビュオッ!

 

一瞬で右拳が寸止めされた。

 

詩歌は何にも反応できない。

 

 

「やっぱりな。今のに全く反応できないってことは、体調が万全じゃねーな」

 

 

「う、うぅ……」

 

 

当麻の言うとおり、あの時、掠っただけでも昏倒する毒をもろに食らったので、詩歌はまだ身体を思うように動かせない。

 

その為、当麻の拳に反応はしたが、身体が追いつかなかった。

 

 

「……良く分かりましたね」

 

 

渋面を作りながら、詩歌は降参する。

 

 

「そりゃあ、詩歌の事はいつも見てたしな。なんとなく普段と違うからすぐに気付いたぞ」

 

 

人の好意には鈍いが、それ以外の所では当麻は結構鋭い。

 

もし、好意の方もそれくらい、いや、1/10くらいあったら、詩歌の気持ちはとっくに知れていただろう。

 

 

「えっ? わ、私の事をいつも見てた?」

 

 

「まあな。だって、詩歌は俺の大事な妹だし」

 

 

(当麻さんがい、いいいつも見てた!? それも、私の事がだ、大事な……だから!?)

 

 

“妹”という単語は無意識的に詩歌の頭からカットされているようだ。

 

先ほど当麻の鈍感に打ちのめされ、下がっていたテンションが一気に最高まで上昇する。

 

一応、外面はまだ渋面を作っているが、内面では歓喜の渦に巻き込まれ、パレードが開催されている。

 

かなりピーキーな感情メーターである。

 

でも、そのおかげで体内にある毒がどこかへ行ってしまった。

 

そんな混乱中の詩歌を余所に当麻は真剣に訴える。

 

 

「だから、詩歌は大人しくここで待っていてくれ。お前の仇は俺がとってやるから」

 

 

当麻は記憶を失っているので、実家について知っているのは5人の中では詩歌のみである。

 

でも、詩歌が心配だった。

 

もちろん神裂や土御門達も心配だが、詩歌は体調が万全ではない。

 

昨夜、詩歌は火野を圧倒したが、それは毒に侵される前で、体調が万全ではない今の詩歌では安心はできない。

 

そんな当麻の心情を察したのか、詩歌はすぐに頭を正常に戻す。

 

 

(ここは当麻さんの顔を立てて、大人しくすべきでしょうか? でも、あの屑はそもそもは私の獲物です。それに、あいつのせいで、当麻さんが……―――絶対に許さない…ぶち殺す―――おっと、当麻さんの前でした。危ない、危ない。危うく、少しだけ本気が出るとこでした。さて、話を戻して…やはり、ここは強引にでも―――)

 

 

詩歌も当麻が心配だった。

 

当麻の事を信頼しているが、少しずつトラウマを克服してきてはいるが、ナイフを扱う相手と当麻を対峙させるのは些か抵抗があった。

 

しかし、結論を出す前に、

 

 

「お兄ちゃんを信じろ。詩歌」

 

 

その言葉はとても力強く頼もしかった。

 

そして、当麻の言魂のせいで、詩歌の不安を吹き飛んだ。

 

おそらく、これも魔法の呪文。

 

たとえ、どれほどの不幸でも、誰もができないと言おうと今の当麻は何でもできる、と信じさせられてしまう。

 

当麻が唱える魔法の呪文は、詩歌に効果抜群であった。

 

 

(………はぁ~、そんなことされたら、大人しくするしかないじゃないですか……仕方ありません。泣く子と本気の当麻さんには勝てません。……でも、簡単に言う事を聞くのはつまらな―――いえ、良くないですから……)

 

 

しかし、だからと言って、何もせず、うん、と言う訳にはいかない。

 

もし、このまま、当麻の言う事を聞いてしまえば、詩歌は簡単に言う事を聞くと思われてしまう。

 

そうなれば、記憶を失う前のように当麻は詩歌を不幸から引き離し、1人で無茶をするかもしれない。

 

そして、勝手に守って、勝手に『死んで』しまうかもしれない。

 

また、当麻を『死なす』なんて二度とごめんだ。

 

だから、もし言う事を聞かせるなら、それ相応の対価を支払わせるという認識を植えつける事で、当麻の行動に干渉できるようにする。

 

 

「ご褒美をください! 色々と頑張ってる私にご褒美をください! 当麻さん。兄として、妹を守るのは大変良いことだと思いますが、甘やかすのも重要な役目です! ですから、ご褒美をください!!」

 

 

「はぁ?」

 

 

なので、これは決して私欲のみではない。

 

確かに、3割……いや、5割……もしかすると、7割ほど私欲かもしれないが、当麻が1人で無茶する癖をつけさせないため、というのが根底にあるはずだ……一応……

 

 

「詩歌さんは甘いものが大好物です。あ、甘いものと言っても、食べ物ではありませんよ。言葉です。甘い言葉を御所望です」

 

 

その時、当麻の脳裏に、詩歌に告白した夢が甦る。

 

もし、ここで選択を間違えば、あの夢は正夢となるかもしれない。

 

 

「妹の詩歌に甘い言葉なんて言えるわけねーだろ! 俺は義妹に手を出してる土御門じゃねーんだぞ!」

 

 

そんな恐ろしい事態は避けるべき。

 

当麻は即座にそのお願いを却下する。

 

が、

 

 

「別にそこまで拒絶しなくてもいいじゃないですか……家族間、兄妹間のただのスキンシップだというのに……」

 

 

そのまま、よよよ、と泣き崩れると砂浜にのの字を書きながら、落ち込んでしまう。

 

 

「はぁ~、土御門さんはこれくらい催促しなくてもやってくれるのになぁ~(チラッ)土御門家の舞夏さんが羨ましいなぁ~(チラッ)土御門さんの妹になろうかな? (チラチラッ)」

 

 

何度も当麻をチラ見して、視線で訴える。

 

鈍感な当麻でも分かるほど露骨な仕草である。

 

しかし、何だかこのまま詩歌のお願いを無碍に断ると後味が悪くなりそうだ。

 

ついでに、土御門と比べられると、尊厳が刺激される。

 

 

「……分かった。何を言えばいいんだ」

 

 

今度は、当麻が降参する事になった。

 

つい先ほどまでは、当麻が優勢だったというのに、いつの間にか詩歌が逆転している。

 

この兄妹、攻守の入れ替わりが結構激しい。

 

 

「そうですね。ここは私の事を抱きしめて『大好き』と言ってください。勢いでキ、キキキスもありです。マウストゥーマウスでもOKです」

 

 

何言ってんだ、コイツ。また冗談言ってからかってるのか?

 

つーか、さりげなく、言葉だけでなく、行動も要求しているし。

 

そんなことしたら、夢と同じになっちまうかもしれねーじゃねーか。

 

と色々と思う所はあったが、一度了承してしまったので断る訳にはいかない。

 

しかし、いつの間に目を閉じ、身体をうずうずとさせている詩歌にどう対処すべきか……

 

 

「“妹として”、大好きだぞ、詩歌。いつもありがとな」

 

 

『妹として』の部分を強調しながら、日頃の感謝を籠めて、詩歌の頭を丁寧に、とても丁寧に撫でる。

 

とりあえず、当麻は兄として、ここまでがギリギリのラインであると判断したようである。

 

ヘタレかどうかはともかく、一応、最初に提示された『甘い言葉』の要求は守っている。

 

さて、詩歌がそれで不満かと思えばそうでもなかった。

 

詩歌はとても気持ち良さそうに――――

 

 

「わふぅ~~////」

 

 

1匹の犬がそこにいた。

 

うっとりと目を閉じ、蕩けきった顔で、尻尾を物凄い勢いで振っている。

 

案外、詩歌は『扱うのが難“しいか”わいい妹』ではなく『易“しいか”わいい妹』で単純なのかもしれない。

 

 

「……わかりました。お風呂と夕飯を用意して、身を清めて、待っています」

 

 

「いや、何もしないで待っててくれ」

 

 

若干、暴走気味ではあるが、ギリギリセーフだろう。

 

とりあえず、これで詩歌はお留守番する事になった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれが、上条当麻の本当の姿ですか……

 

土御門の言うとおり、どうやら、私の目は節穴だったようです。

 

彼は、火野神作でもなく、私達でもなく、己自身に憤怒していた。

 

そう、冷血だから冷静になれたのではない。

 

そうしなければいけないから、心を押し殺してまでも冷静になろうとしたのだ。

 

そうでもしないと、あまりの自責の念で、心が壊れてしまう。

 

私も仲間が倒れ逝く姿を見た時、心が張り裂けそうになったことがあります。

 

そう思えば、あの時の上条当麻は正気ではない、暴走していた。

 

そんな彼の心情を理解できたのは、土御門と詩歌……

 

そして、詩歌は私の話を聞いただけで全てを察した。

 

詩歌は、妹だから分かった、と言っていましたが、それだけではないような気がします。

 

先ほどの彼らのやり取りから、とても仲が良いとだけでは、言葉に表せないような…単なる兄妹以上の絆が見えます。

 

それとわかったことがあります。

 

上条当麻は詩歌と共にいる事で本領を発揮する。

 

今の彼は私でさえも、頼もしいと思え、あの時以上に強いと感じられる。

 

おそらく、詩歌も上条当麻と共にいる事で本領を発揮する。

 

互いが互いを支え合い、足りないところを補い合う。

 

それが彼らの強さの根源。

 

……だとするならば、<天草式>を抜け出してしまった私は……――――

 

 

「……そろそろ、土御門が戻ってきますね」

 

 

そこで、神裂火織の思考が無自覚的に止まった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「しいか~、行くよ~」

 

 

「はい、乙姫さん」

 

 

「OKだよ、詩歌お姉ーちゃん」

 

 

あれから当麻さん達を見送った私はインデックスさんと乙姫さんに誘われ、一緒にビーチボールで遊んでいます。

 

お誘いを断って怪しまれる訳にはいきませんし、当麻さん達から注意の目を引いた方が良いですしね。

 

まあ、少々精神的にくるものがありますが、心の眼で見ればなんとかなりました。

 

それにしても、身体の調子が良いです。

 

おそらく、毒が抜けたのでしょう。

 

きっと、当麻さんの愛のおかげです。

 

こっそり録音できましたし、学園都市に戻ったら、最初の部分は編集して、Tフォルダに厳重に保管しておきましょう。

 

後は、当麻さん達が無事でいれば言う事無しです。

 

今の当麻さんは絶好調ですし、火織さん、土御門さん、ミーシャさんもいるから…

 

そういえば、“一つだけ”不安要素がありました。

 

まあ、土御門さんに伝えておきましたから大丈夫でしょう。

 

 

(そういえば、昨日ここで……)

 

 

昨夜、詩菜とのやり取りをふと思い出す。

 

 

(……本当、母さんの約束が無ければ……いや、少しだけ……ほんの少しだけ愚かであれたら、もう当麻さんに私の気持ちを……)

 

 

「そんなこと考えてもどうしようもないですけどね。……昨日、ここで誓ったんですから……」

 

 

詩歌は誰にも聞こえない程の小さい声で呟く。

 

そして、一瞬、寂しげな表情を浮かべた。

 

その時、

 

 

「詩歌あああぁぁっ!!」

 

 

何処か聞き覚えのあるような声が砂浜に響き渡る。

 

 

「ん?」

 

 

声がする方に振り向くと、とても見覚えのある中年のおじさん、というより、父、刀夜がこちらに駆けこんでくる。

 

そして、そのまま詩歌に抱きつ―――

 

 

ドゲシッ!

 

 

―――く前に顔面を蹴り倒された。

 

 

「誰ですか? あなたは」

 

 

たとえ、外見は知り合いだろうと今は<御使堕し>。

 

中身は入れ替わっている―――

 

 

「父さんに蹴りを喰らわせるなんて酷いぞ、詩歌」

 

 

―――はず…?

 

 

きょとん、と呆けている詩歌に止めを刺すように後ろから詩菜が現れる。

 

 

「あらあら。詩歌さんのやんちゃぶりもそうですが、刀夜さんも落ち着いてください。実の娘とはいえ、あれでは、蹴られても仕方ありませんよ」

 

 

はず……―――

 

 

「ええええええぇぇぇっ!!!」

 

 

 

つづく


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