とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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常盤台今昔物語Q&A 封じ手

常盤台今昔物語Q&A 封じ手

 

 

 

常盤台学生寮 詩歌の部屋

 

 

 推理作品内において、何か犯罪、ひとつ、大きな犯罪を扱っているとして、当然、犯罪がある以上、そこにはその犯罪の実行犯がいるのだが、

 その犯罪に手を染めた実行犯の背後に、彼らを操り、犯行を実行せしめた“真の”犯人――黒幕がいた、とそういう展開もある。

 

 そのテーマのことを『操り(マニュピレーション)』といい、このトリックとは異なる構造の行き着いてしまった形が、『後期クイーン問題』であるとか。

 

 ……その『展開構造(ストーリー)』を多用した有名な推理作家からそう呼ばれているが、どうにも女王を連想してしまいそうである。

 

 で、その挙げられた問題例が二つ。

 『探偵』という、『謎解き専用のヒーロー』を部品として物語の内部に取り込んでしまうという真犯人の企みがあると考えれば、真相に至ることはできない。

 どれだけ証拠を集めようと、ヒーローが揃えた手掛かりの中に真の犯人が入れた偽の証拠が混じっていない保証はなく、つまり、ヒーローの未確認の情報が存在することをヒーローは気づけない。

 

 『探偵』が“神であるかのように”、関連人物の運命を決めてしまうことへの無資格の責任。

 そもそも犯人を推理できるだけの能力があって、それを指摘することが許されていたとしても一般人に犯人を逮捕する権限もないのだ。場合によっては、混乱を招いて余計に被害を増す可能性だってある。また、犯人が『名探偵に挑戦状を叩きつけて』などヒーローの存在自体が事件を引き起こす原因すらあるのだ。

 

 『犯人当て』における問題は、様々だが、

 例えば、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの5人がいたとして、この中にEさんに闇打ちでもして怪我をさせた犯人を見つけるとして、『探偵』、ヒーローが、Aさんを犯人だと判断する。

 それには十分、信頼に足る根拠と間違いのない推理があってのことだ―――が、それが、AさんがBさんに操られてやったのではないという保証は、この場には存在しない。

 そして、もしもAさんが操られているとするならば、Bさんが真犯人となる。

 さらに、Bさんに誘導されたヒーローはその『探偵』という神に等しい権限で、Aさんの運命を決めてしまった、真犯人にとって都合のいい補助役となってしまう

 

 黒幕に操られるような実行犯は愚者であり、黒幕に誤導されるような名探偵(ヒーロー)は無能である。

 真相が何であれ、それだけのこと。

 少なくとも法律上、立証できないものは犯罪として成立せず、『完全犯罪』などと言うものはその言葉自体が矛盾した机上の空論である。

 完全なる犯罪、かかるものは既に犯罪ではない。

 誰かに操られていたとしても、それを立証できないのなら、その『操り』は犯罪ではないし、真相を見抜けなかったヒーローは悪ではない。

 『操り』なんて行為自体が、そもそも無効化され、なかったことになるのだから。

 だから探偵役にまず求められるのは、疑うこと。謎を解くのでもなく、実行犯を捜すのでもなく、事件を事件として立証させることだ。

 

 ヒーローは、悪を退治するのではなく、問題を問題として認めさせ、そこから救い出すことだ。

 

 

 

「……………はい、先生。ありがとうございます」

 

 抑圧されて育つなど、不本意な生き方を強いられてきた人間ほど、無意識化に黒い感情――敵意、憎悪、怨恨などを有し、そこから派生した破滅願望を抱いていることが多いのだという。

 それらは通常、本来の人格が持つ理性や感情によって制御され、余程のきっかけがない限り表に出ることはないままだが……

 

 その均衡が何者かに破られたとしたら。

 

 その可能性をかつて先生と話し合ったことがある。

 

『どちらかと言えば、空想の類だけどね? たとえば、黒い感情によって生まれた別の思考は、本来その人物の持つそれとは違うもう一つの人格を作りだすんだよ?

 そして、生まれた人格は自分を今の状況にした対象すべてに攻撃的感情を持つようになり、さらにはその存在を否定し続けた、本来の人格に対しても強い憎しみを持ち始める。

 その結果が自傷など錯綜した凶行であり、最悪は、自殺……』

 

 前回、蜜蟻愛愉で見た、そして、今回、細蟹機織にも施されていた処置。

 今日、両者ともに先生の病院に担ぎ込まれ、共通した『何か』が摘出されたという。

 首の後ろから入れ込まれていたたった一本の、髪の毛よりも細く、そしてざっと見積もって20cm以上の長さのある繊維状の『何か』。

 

 パソコンのディスプレイに開いている論文付きのその写真画像に映っている見本は―――

 

『調べてみたところ、あれは、<ストロビラ>というものだね。ハチクラゲの成長過程のひとつから名前を取ってそう呼ばれているそうだけど? 能力開発に強く関係する脳を弄らずに、それでいて人間の精神を高精度で操るための道具だそうだよ?」

 

 人の心は脳だけで成立するものではない。

 所謂脳内物質のほか、五臓六腑から分泌される各種ホルモンの影響を如実に受ける。

 後頭部の首筋から心臓にまで伸びる繊維である<ストロビア>は、心臓を刺激することで各部から分泌されるホルモンの量を調整する形で、脳に一切触れずに精神を安定させること“も”できる。

 また、脳や神経系には情報伝達を司る、シナプス細胞と言うのがあるけど、その能力を向上させる効果があったとも言われている。

 それによって、一時的に思考の情報処理速度が上がり、適応した人間の精神状態を整理させることができ、能力者のレベルにも影響が出る。

 

 調べた基礎研究理論の結末には、暴走能力者に対する新たな拘束具や、少年院での効率的な犯罪者の管理法に期待されるものだと書き込まれている。

 早い話が、この器具を埋め込むと誰でも即席の聖人君子になれるのだろう。

 

 人間のストレスの大半の原因は、感情的な思考の処理が的確に行われない際に生まれる。

 たとえば、他者との衝突や軋轢、そして挫折といった自分の言動によって生じた不本意な結果を受け入れなければならない時、人は当然困惑や後悔などの感情を抱く。

 そして、それらの鬱憤したマイナス感情をどのように解消すべきかを整理し、迷い、悩み抜く際に苦痛――ストレスを感じるのだ。

 そのストレスは、多くの場合何らかの解決策を見出した際に軽減し、やがて消滅する。

 たとえば、運動や娯楽干渉など別のものに意識を発散することで行う、気分転換。

 あるいは家族や友人、恋人など身近な人たちとの会話によって悩みの内容を反面分析する、思考整理。

 他にも時間が解決するというように悩みを一時的に放置し、記憶に残された情報が希薄化した段階で強引に処理してしまう、開き直りなどの自己解決など。

 

 ……だけど。

 

 ときには、その出口を見つけられないまま精神的苦痛が蓄積した結果、マイナスの感情と思考を持続させてしまうものもいる。

 それは気分転換のための趣味もなく、相談する相手も持たず、なおかつ無責任に問題を放置することができずに、自分の殻に閉じこもってしまう性格を持った人だ。ある意味、自分の世界を強固にもっている高位能力者のようなタイプに多い。

 その精神状態は広義的な意味での『鬱』というもので、世に言われる後天的な精神疾患のほとんどはこれに端を発している。

 そんな精神状態を医学的に解消する手段が、カウンセリングによって、閉塞した思考を解きほぐす為の介助行為。

 または、神経伝達能力を向上させる成分を含んだ薬の投与――それと同等以上の能力を持った機具の投入によって、患者自身が有する精神上の問題を解消するというものだった。

 

『要するに患者の思考能力を安定の状態に固定させて、その頭の中に溜まった悩みを一気に押し流させるんだね?

 だけど、一番の問題はこの機具は、抗精神伝達系の制御も可能ということだ。

 これのせいで、せっかく処理されたはずの精神情報が思考内に留まってしまい、理性で制御できる以上の情報量が本人の内面、心に蓄積されてしまうだろう。

 それはつまり―――』

 

 人間の理性と言うのは、時代劇で言うところの関所。

 悩みに関係するあらゆる要因を基に構築された感情と思考が、常識や道徳、モラルに従って正しいか正しくないか――それを判断して、実際に発言や行動を修正する役割を果たす。

 

 だけど、その関所で封鎖できる以上の情報量が来たらどうなる?

 

『乱暴な言い方だけど、答えは、感情が理性に打ち負かされる。

 おまけに、機具に組まれた改造プログラムを見ると抗興奮系にまでかかわっているみたいだしね? これは感情の激発を鎮静化する働きがある一方、認識力に混乱が生じて妄想と現実の区別がつかなくなる副作用があるんだ』

 

 つまり、思考や感情がどんな過激な結論に至ったとしても、本人にとっては全て『夢の中のこと』と無意識に解釈してしまえるということだ。

 これは、けして罪悪感から逃れて自らを正当化すると言った、悪辣かつ狡猾な発想から出たものではない。

 思考が自動的かつ強制的に、そうなってしまうのだ。

 故に責任の所在を求めるとき、本人には全く罪を犯したという自覚がなく、そのため審議には時間がかかり、また結論が出た後もその内容は賛否両論となる場合が多い。

 

 聞けば聞くほどとんでもない。

 善人でも悪人に変えてしまえる、悪魔の道具。

 まして、器具を差し込むだけであとは安易に感情の安定が得られるというのが危険性を増してる。

 その機具に頼れば楽になれる、機械の自動(オート)に任せれば問題ない、というのは常習へと繋がる最も自然な欲求。

 ある意味で、麻薬のようなもの。

 

 本来、怒りや憎しみ、恨みといった負の感情は『理性』によって制御されうるものだ。

 しかし、性格や環境によっては、それを抑えきれない人も確かに存在する。

 そして、機具の効力から考えてその問題は、主に『キレる』といった感情の爆発状態を抑えきれないと言ったものであろうことが推察できる。

 その場合、本来は教育や親しい友人との交流で強制されるものだが、その症状が顕在化した時、機械が勝手に精神上の安定を行ってきたのだろう。

 

 しかし、その効用が強いほど依存度は高まり、禁断症状による副作用は大きくなる。

 

 所謂感情の高ぶりを急激に抑え込んでしまうがために、機械の補助が止まった瞬間にその反動が瞬間的に大きくなる仕組みだ。

 “水中に飛び込んだり”、“異様な電磁波の空間”の影響を受ければ、機械はそれが精密であるほど不具合を生じるだろう。

 

 そして、その際に生じるのは、よりエスカレートした破滅への衝動、被害妄想、思考の極端化……

 

 つまり、凶行に走ろうとする一時的な感情の爆発に突き動かされて、予想外の行動に出る危険性が高くなるのだ。

 しかも自己嫌悪から発展して、無意識にも自傷行為を喚起するおまけ付き。

 

 それ故、上条詩歌の怒りは、実行犯であった細蟹機織や蜜蟻愛愉よりも、その裏に潜む狐狸に向けられていた。

 あのとき、蜜蟻愛愉を回収したニセモノの<即急対応>の山川――本名、城南朝来。細蟹機織の進学先であった長点上機学園の元能力開発担当者であり、細蟹機織の<開発官>。

 言うに、担当した子が発電系の大能力者という割に、電気系の操作性能が低かったから、暴走事故が起きてしまったのだ。“不良品”を送りつけた常盤台中学にも責任はあり、職を辞さなければならなかったのは納得がいかない、と。

 

 <超電磁砲>の幼馴染に対して、嫉妬のようなものを覚えていたとはいえ、その担当官が事あるごとに第三位と比較し、余計な火種を投じなければ、危うくなく綱渡りを、最後まで落ちることなく渡りきれていた筈だろうし、

 <ストロビア>で臭いものには蓋をするように負の感情を押し隠して溜めさせて、精神性を掌握さえしなければ、それが爆発する前に気づけたかもしれない。

 その意味で、城南朝来――その『|黒幕組織《バック』は的確に、常盤台中学の急所を衝いてきたことになる。

 そして。

 そのことが、賢妹の鋭敏な頭脳の片隅で、ずっと引っかかっているのである。

 ここのところそれが多い。

 

 演劇に例えて言うならば、御坂美琴、食蜂操祈、細蟹機織、蜜蟻愛愉。あのデットロックも含めて、そのいずれも、各場面において主役を張れるほどの稀有な力を持った名優、しかし舞台全体を取りまとめる力も意思もなかったはず。『対精神防御(メンタルガード)』、『電磁勘妨害(エレクトロジャマー)』、それに<ストラビア>といった小道具も用意できるのかも怪しい。特にデットロックの方々は。誰か、脚本を書き、蜘蛛と蟷螂、蟻と蜂がぶつかり合うような(賢妹はまんまとその接点に利用された形で)演出をほどこした者が、他にいるように思えてならない。

 

 そして、もし、被害妄想などではなく、この危惧があたっているのだとすれば――詩歌はかすかに身体を震わせた。

 

 その者は、諸方の事情に通じ、なおかつ策謀を教員相手に寸前まで伏せられていた。ある意味、常盤台中学さえ凌いだと言っても言いすぎではない。

 にも関わらず、ここまで来て、その名前さえ出てこない。

 それは、怖い……

 

「それでも―――楽できましたね」

 

 と、呟いた。

 

「どうやら誰かさん達が、頑張ってくれたっぽいですし―――」

 

 と呟いた。

 

「一人は確定してます。本当、無茶をするんですからあの子は。美琴さん……だけじゃ、ないでしょうね―――となると操祈さんも。まったく、自分で動くのを嫌がる面倒臭がりなのに、案外祭り好きですからテンションがあがったのかしら。―――ひと癖ふた癖あるけれど、あれはアレで貴重な存在です。ホント、後輩たちが優秀な子たちですから、先輩は随分と楽できます。

 それから、あともうひとり―――」

 

 

 その瞬間、部屋の戸が開かれた。

 

 

 反射的にパチンとパソコンを閉じる。

 <盛夏祭>が終わってから着替えてなかったから、ドレスのままで、でも寮則としては寮内は基本的に制服であるのが好ましい。師匠たる寮監が今回の件について聞きに来たのはありえる話だ。

 果たして入り口を見れば、予想されたスーツ姿……とは、少し違った。

 

「ここが詩歌の部屋か」

 

 ティーポットとカップを載せたトレイを抱えて運ぶツンツン頭は、直前に思い浮かんだツンツン頭だった。

 ただ、ウィッグもつけていなければメイド服でもない、声も変声機を通さないそのまま。そして、発注もした覚えもない、簡易な執事服を着ていた。

 

 …………………………思わず驚愕の叫びをあげはしなかった、というよりは、人間、あまりに驚くと反射的な行動さえ失ってしまうらしい。

 その場にぼんやり固化したまま、詩歌はまじまじと全容を見詰める。

 一秒が過ぎても変わらず、

 二秒が過ぎても動かず、

 だが、脳内思考はその数千倍の速度で働いている。

 普段が抜けているせいか、そういう静的な衣装は、まあ……似合ってなくもない気がする。しかしこれは確実に身贔屓に下駄を履かされてるわけであり、人によっては評価は過言で馬子にも衣装というかもしれなくもないが、絶対に誤謬というほどでもないと思う。

 が、不意打ちです卑怯ですありえません! と二頭身で真っ赤になってふにゃふにゃに溶けている自分を胸の裡で自覚しながら、また他所の学生を執事として雇うには寮監(師匠)をどう説得しようか考えては止め考えては諦め考えては自重するを皮算用を脳内で繰り返しつつ、表面上は淑女としての微笑でこらえている。……もしかすると、この予期せぬ、詩歌にとってあまりにも強烈に過ぎた不意打ちに、人には見せたくない顔になってるかもしれず―――

 ついに、我慢の限界に、バッと顔を背けた。これ以上正視していられない、危険。

 これで夜寝る前に思い出したらどうしてくれる。

 そして何も言えないでいる内に、執事服の愚兄はずかずかと部屋に入ってきてトレイを机に載せ、なにやらぶつぶつ呟く。聞く限り、淹れ方を確認しているようである。

 

「……どうしたんです?」

 

 ある程度の準備が終わったところで、ようやく声を出せたが、いつもと比べて端的である。が、愚兄は平気で応えてきた。

 

「ああ、このケーキとかは食堂でやってたバイキングのあまりだ。余らせても仕方ないし、常盤台のトコの捨てさせるのももったいないからな。あと、お土産にもらったもの……」

 

 愚兄の言葉を噛み砕くように頷いてから、頤に指を当てて小首をかしげる賢妹はゆっくりと確認する。

 

「……その服は? 詩歌さんが最後に見た時はカメラ写りは残念ながらアウトな格好でしたよね?」

 

「もしもし、そのアウトな代物を着させた張本人が言うんでせうか!?」

 

「実はメイドさんの中に男子がいる、って放送を流したら、注目の的になりましたのに」

 

「いいや、射的の的になってたと思うぞ」

 

「そうなったらなったで、楽しみましょう。指名手配犯の女装メイド、1回100円で矢を当てたらアナタのご主人様になります、メイド狩りゲーム、とか」

 

「実行性を無視すれば前向きな意見だけど、当麻さんはまだ、そこまで悟りを開けきってないからな」

 

「ならば、その機会に(ZEN)を学んでみてはいかがでしょう。このメイド服を着て、欲望の境地たるメイド道を極めることにより、無償の奉仕という無私を悟り、陰陽対極、世界と一体となって煩悩を捨て去るのです」

 

「前に来たって言ったあのアロハ金髪野郎の客に布教とかされて毒されてないか。うん、ぶん殴ってやるからソイツ」

 

「いえいえ、でも、メイド服を着せたのにはちゃんと真面目な理由があって仕方なく」

 

「でも、着せられたとき、笑ってなかったか妹よ」

 

「そりゃあ、笑いますよ兄さん」

 

「ひどいなっ! マイシスターっ!」

 

「いっぱい笑いました。『何でもしますご主人様』なんて、いろんな会話を想像して二度おいしく笑いました」

 

「鬼畜だな。お前の後輩だって、ちょっとは可愛く思えるぞ!?」

 

「でも、これには当麻さんにも責任があるんですよ?」

 

「なんでだよ」

 

「当麻さんは大変な毒持ちですから」

 

「ど、毒?」

 

「そうです。異性限定、可愛い子限定の局地的暴風雨たる上条家男児の特性。その毒牙に感染した子は、朝と夕だけでなく、夢の中でさえも、そのことしか考えられなくなり、ついにはその言うことに逆らえなくなり、どんな言葉も頷いてしまうという恐怖の毒なのです」

 

 <学舎の園>ではないとはいえ、女子高の学生寮。

 もし間違って男性免疫の低い乙女にラッキーイベント(彼に取ったら不幸な)を起こして責任取りの事態になれば、いろんな意味の火消しで大変。

 我が智能と技術に限りを尽くし、万難を排してでもこの父から濃く遺伝子を受け継いだ兄を近づけてはいけないと……それを『何としてでも詩歌の晴れ舞台を見たい』という願いを聞いて、年に一度くらいはと捻じ曲げているのだ。

 多少の融通はきかせるべきだろう。

 

「……毎回毎回詩歌との会話は突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めば良いのやらわからないが。

 まずは、なんだ、可愛い子限定の局地的暴風雨たる上条家男児の特性って!? 自慢じゃないが、当麻さんは、自分から女の子をくどきにいったことなんて一度もないぞ」

 

「それは本当に自慢になりませんね」

 

「う……っ、だから、そういう軟派な毒なんてものは事実無根でありませうよ」

 

「何をおっしゃいますか、この由々“しい感染者(か”んせんしゃ)たる妹が言っているのです。とっても真実味があるのですよ?」

 

「……ほーう。それはつまり、詩歌さんはこの上条当麻さんの言うことなら何でも聞く状態である、という解釈になるがよろしいか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 と。

 何故か、ドレスの着物の襟を緩める、その胸元を見せるように開く。

 

「―――……?」

 

 愚兄は思わず、ぽかーんとしていた。その年齢にして既に吸い込まれそうになるだけの谷の間を見入っていた。

 

(―――と、待て待て。マジで何やってんのマイシスター。やだ、ちょっと、なに、脱ぐつもりじゃないでせうよね!? 困るぞ!)

 

絞められた圧迫感から解放されようと賢妹が身を捩りながら、ふぅ、と何か我慢するような、妙に艶のある吐息が漏れた。さらに、賢妹の手はドレスの中へと伸び、着物の胸元をごそごそとやり始める。

 

「ん~、っと……」

 

 賢妹は頼りなさげな声色を漏らしながら着物をいじる。そのたびに緩めに開いている襟元からちらちらと、浮いた鎖骨が覗いていた。それを間近で直視するのは憚られ視線を逸らしても、衣擦れの音と熱っぽい息遣いがより鮮明なイメージを脳内に掻き立てる。

 

「何やってんの、はしたないですよお嬢様」

 

「あ、ありました」

 

 こうなったら強引に襟元正してやると手を伸ばす前に、賢妹がほうっと一心地つくよう大きな吐息を漏らして、一枚の紙片を取りだした。もう片方の手でこちらに伸ばされた手を掴み取られて、ぎゅっとその紙を握らせてくる。

 細くしなやかな指と、不思議なくらいに柔らかな女子特有の肌の感触はそよ風のように名残惜しさ残さず肌を撫でて離れる。手の中にあるのは仄かに熱のある紙片。

 この人肌ほどに生温さが賢妹の対女のだと意識してしまうと手汗が滲んできそうになるが、指の腹の感触は艶やかで、紙というより―――写真。誰か眼鏡をかけた女給……

 ―――この写真はまさか!

 

「うっちゃり写真を撮っちゃいました♪」

 

「うっかりとちゃっかりが混じって決まり手みたいになってんぞ!?」

 

「この兄に忠実忠実(まめまめ)“しい(か”しず)く妹は、折角この決定的瞬間――記録に取った今日のその雄姿を、大事に懐で温めておりました」

 

 自分自身の写真が女の子(と言っても妹だが)の胸元に隠れていたことを知ると、妙に気恥かしい物がある。ついでに、物を隠せるほどに成長したのか妹は。

 手のひらを向けて差し出されて、もう十分に見た写真の返還を求めてくる。が、如何にお嬢様、妹の頼みとはいえ、それに応じてこの黒歴史の物的証拠を返すには激しく愚兄は抵抗がある。もし仮に枕もとに飾る写真なのだとしても、もっといい被写体があるだろ! それ見たヤツがどんな反応するか気になるぞ! 多分高確率でルームメイトのじゃじゃ馬娘になるんだろうけど、次あった時は大爆笑間違いなしだ。

 愚兄は一度咳払いしてから。

 

「……大事なものなら、丁重に鍵付きに鉄箱に仕舞って隙間を溶接してから地中深くに埋めて誰にも中を見られないようにするのが良いんじゃないか?」

 

「埋蔵金ですね」

 

 話ながら、くいくいっと指を動かし、再度返還を要求される。

 

「では、お嬢様。これはこの執事めがお預かりしましょう」

 

「減俸1000円」

 

「え?」

 

「減俸2000円」

 

「ちょ、なんでせう、その不吉な宣告は!?」

 

「今は、詩歌さんがお嬢様なのでしょう? なら、今は立場的にこちらが上です。それにいきなり部屋に入ってきたことに対する謝罪がまだです。減俸3000円」

 

「それは、まあ、そうだけどな。ほら、イギリスの執事はお嬢様の部屋にノックなしで部屋に入れる権限があるって言うだろ? 妹の部屋に勝手に入る兄じゃなくて、今の当麻さんは執事さんであり……」

 

「ほう、余計な入れ知恵をしたのは舞夏さんですね。しかし、それでは詩歌さんの言うことを聞くべきではないのですか? 減俸5000円」

 

「失礼いたしましたお嬢様」

 

 兄としては非常に返したくないものだが、このままでは樋口さんどころか、福沢さんまで減らされてしまいそうなので、返すしかないという。妹のご機嫌によって、月々のお小遣いの額が変動するこのシステム。如何に多く貰えていても、財布のひもを握られていることに変わりないのである。

 

「妹として、今日の記念は大事にとっておきたいじゃないですか」

 

「兄としては、黒歴史は今日にでも抹消しておきたいんでせうがね」

 

「それに―――詩歌さんに笑ってほしいってお願いしたのはお兄ちゃんで、詩歌さんを笑えるようにお兄ちゃんは頑張ってくれてるんでしょう」

 

「あー……」

 

「だから別に笑いものでもええんです。これは詩歌さんの笑顔を守れてる証拠なのですから。ね、お兄ちゃん」

 

 そう言われると愚兄は弱い。もう色々と弱みを握られてしまっている。

 

「それで話を戻しますが、その服は一体?」

 

「いや、これは偶々間違いで1着だけ発注してたみたいで舞夏がくれたんだよ。あの着てたヤツは――主に客とのコミュニケーションで――ボロボロになったし、元の制服はどこかに紛失しちまったしな」

 

 その割りには丈のサイズはあっている。というか、土御門舞夏が通っているのは百花繚乱家政婦“女学院”であり、また常盤台中学は“女子校”であり、何をどう間違えたらこの学寮祭に“男物”を取り寄せるのだろうか。不思議であるが、そんな事情を四捨五入してそう結論付ける愚兄。

 

「ま、詩歌から見れば馬子に衣装なんだろうけどな。当麻さんとしてはきちんと妹の前で良い格好したかったんだよ。今日のお前に恥じないくらいにはな。迷惑だったか?」

 

「いえ! 兄として当然の義務ですし判断だと存じます! 当麻さんがそういう考えの下を自分から動いたことは好ましいことですし文句のつけようがないどころか諸手を挙げて賛同する詩歌さんでありましてつまり優しいかわいい妹の前で良い格好をしたいと仰るなら、その兄の一挙一動を、この目で見て記憶することこそが今の私の役目でありますのでさあどうぞお願いします」

 

 立て板に水どころか、滝を流すような勢い。

 そんな当麻が呆気にとられるほどの早口で、賢妹はまくしたてる。

 

「……何か、プレッシャーをかけてくるなお嬢様」

 

「何をおっしゃいますか。ただただ当麻お兄様の三歩下がって立てることが生き甲斐でありまして」

 

「今はお嬢様だろ? ま、心配するな。舞夏からみっちり淹れ方は教わったからなー。身近に良い手本を拝んでいたせいか、中々筋が良いと褒められてな」

 

 賢妹が学園都市に来た一年目。

 

 お節介と言うか尽くし甲斐がハンパなかった。炊事洗濯掃除だけじゃない。焼き魚に苦戦してるとこを見れば、普通に魚の骨を綺麗に取ってくれたりするのが当たり前だ。

 これじゃあ、どっちが保護者かわからない。

 しかし、世話になりっぱなしだったからお礼に何かすることはないかと訊けば、『歯磨きさせてほしい』、ときた。

 何でもお隣さんの子にしてたら習慣付いちまったようで、やってないと物淋しいのだと。

 ああ、わかってる。された後に思った。これは違う、と。

 だが、妹として何か要求はないのかと訊いても、『毎日しっかり三食食事と取ることと、きちんと健やかな睡眠時間を取って、お身体を大事に。怪我に気を付けてください』……妹だったが、母さんかと呼びそうになった。

 だから、そうじゃなくて、もっと兄としてしてほしいことだと言えば、

 

 もっと頼ってほしい。

 

 アレでまだ遠慮していたらしい。

 その後、どうにか、『一人暮らしも出来ないようじゃ将来自立できなくて困るから』と説得……『詩歌さんが一生面倒みるから大丈夫です』と返されたが、兄妹会議で真剣に話し合った結果、今の形に落ち着いたのである。

 しかし、今は違う。

 

「今日はお兄様の給仕スキルに活目せよー、ってな。淹れてほしいお茶はあるか? とりあえず三品目は付け焼刃でマスターしたぞ」

 

「そうですね。じゃあ、当麻さんにぶぶ漬けをお願いできますか」

 

「それはベテラン給仕でも驚きのリクエストだな。ここにあるのは緑茶ではなく紅茶で、そもそもケーキは用意してもライスは用意してないし、それともいきなり伝説を利用して遠回しに帰れって言ってんでせうかマイマスターっ!?」

 

「ふむ、注文通りに突っ込んでくれますね。無駄知識は豊富な当麻さんなら通じてくれると信じてました」

 

 とそんなやりとりがあって、丁寧に金細工が施された高級なカップを乗せた皿を前に置く。

 愚兄がわずかに固い面持ちで、紅茶を啜る賢妹の様子を窺う。窺えば、目が付くのはそのドレス姿。その発する雰囲気が普段と異なる。端的にいえば、普段着よりも格段にお淑やかなのである。かといって、違和感があるというわけではない。衣装にさえ、上条詩歌という個人の資質は調和させてしまう。

 けれども。

 

「なんですか? そうまじまじと見つめて」

 

 淡く頬を染めているように思えるのは、気のせいではあるまい。ぼーっとこちらを見つめている瞳は潤んでいるよう。

 いつもの制服姿でないことが、まるで慣れない鎧を着せられている心持ちにさせているのだろうか。

 

「そ、そういや、途中でドレスの色が変わったけど、あれってどうなってんだ?」

 

「このドレスは黄櫨染といい、昔は天子にしか許されなかった色だそうで、陽の光を受けることによって変色するんです。時間と日光の角度を計算して位置を決めてましたので、飽きさせることのないようタイミングに……」

 

 あの発表会を記録に取ることこそできなかったが、記憶には残せることができた。

 目をつぶれば四季の移ろいを表すかの如く色彩が変わる姿が浮かび、耳の奥には音楽と声援が染みつき、体には海の中でゆられているようにリズムが刻まれている。

 ただ、来られない父と母に悪いとは思うので後で誰かに映像記録を借りれないか、と。

 一通りの解説を終えて詩歌はカップを置いて、次は菓子のケーキに取り掛かる。

 ふと、そこで目についたのは、ケーキの脇に添えられたもの。それは丸っこいチョコレートの塊に、ココアパウダーを塗した物だった。トリュフチョコレートというものだろう。

 見たところ、それはなかなか値を張るもののようで、確か<学者の園>の内でしか見られないような。

 

「ふ、む……これは……大変イイ味してます。操祈、さん、からですね」

 

「お、よくわかったな。日頃お世話になってる先輩に是非練習の成果を見てほしいって、食堂の冷蔵庫に預けていたそうだ」

 

「フフフ、トウマさんも、イカガデスカ?」

 

 紅茶を口に付けながら、そっと皿をこちらに押し出す。

 <学舎の園>限定のお嬢様御用達の超一級品なのか。賢妹もひとくちで打ち震えているほど、感動している。お言葉に甘えて、平々凡々な男子学生には味わえない甘露を口に。

 

 

「―――――ぐぱぁっ!?」

 

 

 一瞬、予想外の事に戸惑った表情を浮かべるも、瞬時に愚兄の表情が激変する。

 口元を押さえた少年執事は机に突っ伏すと何事かを叫ぶが、それすらもまともな声になってはいない。

 

「ぐ……ぐ、あ、あぐぅ、あがあがあが……!」

 

 口の中にさっと融け――――ずに、残るじゃりじゃりとしたもの。それが泥のように舌にネバネバとまとわりつく。

 そんな愚兄の様子に、予見していた賢妹がうずくまるその背中を撫で摩り、テーブルにあった水差しを手に取った。

 

「――――――ぷはぁ……はぁ、はぁ……」

 

 完全に不意打ちを食らって悶える愚兄に、賢妹が水を差し出す。

 それを呷るように飲んで漸く落ち着いたのか。

 当麻はどうにか言葉を紡ぐ。

 

「ぁぅっ……ひゃつじんてきなあみゃさ(殺人的な甘さ)だぞ―――毒カほれ(これ)!?」

 

「毒の成分はありません。120%糖分です。常食すれば一週間で糖尿病間違いなしでしょうが」

 

「……………」

 

 糖が限界突破してるってどんなだよ!? と突っ込みを入れたいところだが、今は口腔内を悪魔のようなじゃりじゃり感に支配されており、あまり強く発すれば胃の中のものを吐き散らして仕舞いそうで無理。となると、しかし。

 

「よ、良く平気そうだな。詩歌も、これ食ったはずなのに」

 

「いいえ、危うく当麻さんの前で自己プロデュースのへったくれもない、イメージダウン確定の醜態をさらしそうなほど淑女的大ピンチになりました」

 

 あー、表面張力いっぱいにぷるぷるしてるなー……

 

 言われて、ようやく。愚兄の審美眼は、賢妹の微笑が、瀬戸際でふんばる表情筋が火事場の馬鹿力なものを発揮した、超ポーカーフェイスのものだと気付く。

 

(何故、それを俺に進めたんだマイシスター……っ!?)

 

 

 閑話休題。落ちついて。

 

 

 練習の成果―――それは、間違っても菓子作りではない。

 精神系――液体干渉系の超能力により、“糖度が極限にまで高められた”濃蜜なデザート。

 

「お兄様のサプライズには驚かされます。後輩と一緒になって“お礼参り”してくるとは」

 

「これ当麻さんの責任じゃないでしょ!? 詩歌と同じく被害者側だろ!?」

 

「主の毒味も済ませていないなんて、執事失格でしょうに」

 

 まったく、と頬に手を当てながらそういう詩歌。

 その口調は平静そのもので、特に怒気を感じさせるものではない。ないのだが……はて、これはいかなるものか、机の上の腕がカタカタと鳴っている。窓を閉め切っている部屋には少しも風もなく、着信に微動する携帯もないのに。い、いやー、あ、カップが空になっている、お茶お茶、と。

 ミルクも入れて、お茶を濁す………なんていうようにできたらなぁ……

 などと考えていると、詩歌はにこやかにこう続けた。

 

「そういえば、当麻さんに、お尋ねしたいことがあるのですが」

 

「なんでせう詩歌お嬢様」

 

「休憩時間でもないのに堂々と後輩の女の子とお茶をしていた―――それも、お嬢様と傅いて、あーん、までしたそうですね? あーん、まで。重要なので二回言いました」

 

「いや、それは、やらないとばらすぞと脅されて仕方なく―――って、なんで知ってんの?」

 

 この学生寮には、盗聴電波で作動する警報が備えられているはずで、あの場に詩歌はいなかったはず。

 そんな当麻の疑問を感じ取ったのか、詩歌は苦笑したように言う。

 

「確かに、厳重なセキュリティが敷かれているこの学生寮には盗聴電波で作動する警報がありますけど。

 ―――ただ今日は『オート着信』に設定した携帯電話を寮の至る所に置き忘れてしまって、そのうちのひとつの携帯電話に電話をかけたら、偶々、その会話を拾ってしまった―――というわけです。

 ちなみに当麻さんの部屋には置いてません。顔見れば色々と分かりますから必要ないですし」

 

 自動的に着信するようにした携帯電話に電話をかければ、着信音が鳴ることもなく、そのまま通信が繋がる。

 つまり人通りの少ない所にある、喧騒から離れた部屋の中の話なら十分に拾える、簡易ていな盗聴器として機能させることができる、というわけだ。

 

「それはつまりアレですか? 盗聴って奴ですかお嬢様?」

 

「いえ、会話は聞きましたけど盗聴じゃありません」

 

「そういうのを屁理屈っていうんじゃねーのか?」

 

「屁理屈も理屈の内です。それに、世界に通じる人材育成がモットーの常盤台の『派閥』には分野が様々で、詩歌さんって知人が多いし、趣味が広いんですよほら」

 

 何が『ほら』なのか果てしなく謎だし、そもそも盗聴を必要とする分野とか趣味とか、そこから連想される知人が全く想像できない。

 というか、想像したくない。

 このお嬢様学校の生活に妹の身に何があったのか心配しつつも、他にも普通じゃない引き出しを多々隠し持っていそうで、愚兄は実の妹に対して戦々恐々とするしかないのである。

 

「これも、今日の警備のため、念の備えとして、師匠からの許可も取ってあります。昔の先輩の能力を使ったときの経験値を生かしての代用ですが……しかし再現率は全然です。ずっと繋ぎっぱなしも携帯料金かかりますし、一応、記録を取ってあるんですけど、あとで聴き直したら部分部分しか拾えませんでしたし……で、その気になるところをピックアップしてみたんですが。

 

 

『なんなら、心の底まで女の子にしてあげてもいいのよぉ』

 

『……ご主人様……』

 

『……お、お兄さん?』

 

『……、……ください。……何でもします、……トウコ……ぅ』

 

『お、お兄さん。私、ちょっと、……こんなの軽い冗談力……』

 

『一生懸命やります、愛玩奴隷になりますから、……お願いです。……ご主人様ぁ……!!!』

 

『ちょ、愛玩って、アナタどんだけ………って、お願いだから―――きゃぁ、しがみ付いて……!? ―――わかったわ、わかったわぁ!? …や…るからぁーっ!!』

 

 

 ―――このような」

 

 と、録音再生を切る。

 ところどころ不自然に間が飛んでるし、足りない部分があると理解してくれてはいるんだろうが、これだけを聴いてみると、問題発言だらけである。

 これじゃあ、まるで女の子になりたくて後輩女子に迫っているようではないかこの眼鏡メイドは。

 

「さて、“社会”と“物理”、どちらがいいです?」

 

「当麻さん的にはどっちの教科も同じ……じゃないよな」

 

「女装メイド野郎を特集した学園記事を発行するか、ここで身も心も家政婦になるか、です」

 

「ああ、社会的な抹殺か、物理的な処刑のどちらがいいかってことだよな―――って!? 待って待ってマイシスター待って!?」

 

「何ですかトウコ」

 

「お願い忘れてソレ! というか、今日一日でどんだけ黒歴史が生まれてんの!? しかも一番知られたくない妹に記録されるとかどんだけだよ!」

 

「詩歌さんとしては、なるべく当麻さんの要望を叶えてさしあげたいのですが……これからは、トウコお姉様、とお呼びすればよろしいでしょうか?」

 

「オーケイ、執事とお嬢様の関係は一時中断して、緊急家族会議だ。当麻お兄ちゃんがその時の状況を一言一句漏らさずみっちり話して、その幻想をぶち殺してやる!」

 

 今日一日でよく学んだ。

 後先考えず迂闊な真似はするもんじゃあない。

 

 

 閑話休題。手振り身振りを交えた熱演の後。

 

 

「―――つまり、当麻さんは詩歌さんよりも先に後輩の執事を楽しんだ、と、そういうことですね」

 

 開口一番の感想(まとめ)

 ……あれ? 今の話を聞いた上でそのまとめ方はおかしくないでせうか、マイシスター。

 

「け、けして間違ってるわけじゃありませんが、刺々しい物を感じるのは気のせいなのでしょうか。なんだか誇張の激しい部分や相違な箇所もちらほらとあるような」

 

「ふむ、そうでしたね。メイド服を着込んだ女装変態はまじめに仕事をした―――とこれでよろしいでしょうか?」

 

「う、うーん。言葉の上ではけして間違ってはいないんですが、より認めたくないのでありませう。と、とりあえず、さっきのハニートラップな置き土産に当麻さんの意思介入はないわけで、そこはちゃんと」

 

 おそるおそるの問いかけに、お嬢様は平静に。

 

「わかりました。丹念に弁解聞きましょう」

 

「……本当に?」

 

「ええ。腹割るって表現が現実になる可能性を寄り添わせるだけです」

 

「それは割と洒落にならんと思うのです」

 

 ただし、あまりにも揺るぎなく、鉄のようにまっ黒い平静だったが。

 

「良く言うじゃないですか。拳をあわせれば互いの考えを読み取ることができる、と」

 

「もう理屈も何もないな!?」

 

 及び腰になりながらも必死な愚兄の説得もあってか拳を解いて、頬に手を当てるポーズをとる賢妹。

 が、どんなに頑張って押し返そうとしても、水というのはそう簡単に抑えられるものじゃない。

 

「フフフ、そうでしたね、叩けば埃が山となる身で、余罪なんて追及したら大変です。

 ええ、きりがない。

 盗撮魔から女の子を救い、その娘から、お姉様と慕われるようになり、

 中庭で熱射病になりかけた女の子を保健室まで運び、頬を染めて感謝されたり、

 すっころんでちょうどすれ違いそうになったメイドのミニスカートに頭を突っ込んで、肩車をしたり、

 そして、屋上では偶然に修羅場に割って入って、薄れゆく意識の中にヒーロー像として印象が残ったり、

 あらあら、今日一日でこんなにも。けれど、いつも通りではありませんか。

 積極的に動く時はほぼ確実に女子が絡み、事が済めば篭絡している―――今回もまたいつもどおりになったのでしょう?」

 

「い、いや、『でしょう?』って言われましても。あと、詩歌お嬢様、篭絡っていうのは勘違いをなされてると不詳この執事めは進言させていただく次第で……」

 

「あら。ハーレムは男児の本懐というのではないですか」

 

 ぶふ、と思わず吹いた。

 

「な、何を言ってるんだ?!」

 

「いえいえ、当麻お兄様が“ま抜け”“と(う”)気者なお兄様であることに、優しいかわいい妹は文句を言うつもりなんてさらさらございません。

 舞夏さんや陽菜さんからの報告を聞いても、詩歌さんの心にはさざ波一つ立ちませんでした」

 

「と、穏やかに言いつつ何故にバキボキ指を鳴らすッ!?」

 

 ふくれっ面で睨まれる。

 身の危険は依然と覚えるも、そうぷりぷりしてるところを見ると、ちょっと……どころではなく可愛く思える。が、生憎それを記録に撮ったり和んだりできる余裕はない。

 

「では、こちらもタイムを。お嬢様ではなく、一妹として、緊急家族会議を開きます」

 

 

 閑話休題。すったもんだの後。

 

 

 紆余曲折とあって、妹のベットの上に腰を置いて、膝を揃えて、カクカク、という風に座っている。その愚兄の膝に座する……

 

「ふんふむ。座り心地は悪くありません」

 

 詩歌の爪先が愚兄の足の甲をやわやわと踏んでくるのを感じながら、執事上条当麻は絶賛尻に敷いている主様にお伺いする。

 

「えっと……お嬢様? 一体これは何がどうなってるんでせう?」

 

「当麻さんにはまだ執事はもったいないです。色々な罰も兼ねて、椅子にランクダウンです」

 

 ふん、と全てをゆだねるように詩歌は身体の力を抜き、しかし、その処女雪を思わせる傷ひとつのない繊手だけはしっかりと当麻の腕を掴んでいた。

 息を吸うと幸せの気持ちにいっぱいになる。弱冷房(エアコン)の涼風に揺られて顎先を髪先がくすぐり、釣られて俯けば、ついばまれるように口元に触れてしまう。

 心の柔らかい、他の誰にも見せない部分を、くすぐっているような感じというか。とにかく、腰が落ち着かなく微動するのも加算して兄は二重にこそばゆく、照れるものの、振り解いたりはしない。

 

「どっちかっていうとご褒美のような気がしなくもないんだが……」

 

「椅子なんですから黙るがよいのです」

 

 そう言って横から見上げると、妹は照れた顔を反らしてしまう。ながらも、席を立とうとはしない。

 人間椅子の肘置き、つまりは愚兄の右腕に崩れた姿勢でリクライニングシートのように、より体重を懸けて乗せるように身を預けてくる。ので、その顔は十数cmしか離れておらず、唇が小さな吐息に震えるのまで見て取れる。

 真新しいドレスは賢妹が自分で指定した物のはずでサイズは合っているはずだが、吐息の度に上下する部分が窮屈そうなのは何かの錯覚だろうか―――などと脳みそに相談を持ちかけてくる眼球を悟られぬよう静かに彼方へと逸らしつつ。

 

 

「当麻さんは、自殺は正しいと思いますか」

 

 

 不意に、詩歌はそんなことを訊いてきた。

 

「……あー、どうだろうな。たとえば俺がいるから完璧に調和のとれた世界のバランスが崩れてこのままでは皆が不幸になるとする。俺が死ねば皆がその幸せを謳歌できるというなら、たぶん、俺は自殺する。世界の皆を敵に回して生き抜くなんて度胸がないし、その方が簡単だからな」

 

 一時の勇気と死ぬまで続けなければならない勇気。どちらが苦しいかは明白だ。

 

「極論だろうけど、死はある意味救いで、甘えだと思う。それがどんな経緯のあってことであれ、な。けど、当事者にはどうしようもなく逃げたい時があるんだ。それは否定できないし、反論もできない。弱さのない人間なんていないんだからな」

 

 おそらくさっき言ったような状況での自己犠牲は正しい、全体的に見て大義なものだし、その行為は後世でヒーローと評価されるものなのかもしれない。

 だが―――

 そこまで考えてから、何だか偉そうなことを口にしたなとポリポリ頬を掻く。

 

「……えーと、つまりだな。結局、人それぞれだろ。価値観は多様だし。見方次第で、正しさなんて変わっちまう」

 

 恰好悪く締まりの悪い。何だか半端な言葉でまとめて、賢妹の訝しげな視線と向き合い、

 

「でも、ちゃんとできると思います」

 

 秘した愚兄の心の呟きを見透かされたように詩歌に言われた。それは冷めているようで、どこか熱のある言葉だった。

 

「弱さがあるなら、誰にだって、強さだってあると思う。何よりもお兄ちゃんは、強い。私よりもずっと……そう、期待するくらいは構わないでしょう?」

 

 強い。

 そんなことを愚兄に真正面から真正直に言うのは、彼女だけだろう。

 無能力者、劣等生、どこにでもいる平凡な少年に、『強い』とは最も縁遠いもの。

 自分は強くない。愚兄は強いわけがない。

 

 上条当麻は、強くないと自覚している。

 

 何故ならば。

 世界どうのこうのよりも、この腕の中の少女たったひとりで、己自身を片側に置いた心の天秤は傾く―――もしも、この右手が『少女のような存在を『追放』する』ことを本来の役割とするのなら、上条当麻は自殺する。その愚かな選択肢を取るのは、間違いないのだから。

 

 しかし。

 

 ここで惑うのは望む在り方に即しているか、と自分で自分に問えば、喉元に秘した言葉は自然と出てくる。

 

「ああ。いくら正しくても立派でも、死を選ぶのは愚かなんだ。俺達は、きっと、どんなに無様で間違っていても、その過ちを正す為に生き抜かないといけない。生き抜いて、その末の自分が残した行いの結果を受け入れないといけないんだろうな」

 

 それはとても勇気がいることで、愚兄にそれができるかどうか自信がない。

 だが、上条当麻は、強くあろうと望む。

 世界の敵に回そうが、少女たったひとりの重りで、愚かな天秤は傾こう。

 ならば、『あらゆる不幸から少女の笑顔を『守る』くらいに強くなる』ことが誓いなのだから、只管に上条当麻は強者であろう。

 

 

 パチン、と詩歌は“兄妹勘違いした”“どこかの同級生に”“今度はちゃんと”繋がったその携帯を閉じる。

 

 

 

 

 

 と。

 そろそろお暇しようかと思っていた当麻は、ドアの向こうの廊下からタッタッタという足音が近づいてくるのを聴きとった。膝の上の詩歌がパッと立ちあがる。

 

「この気配――陽菜さんでも、師匠でもない――美琴さんです!」

 

 反応が遅れていまだ人間椅子状態な当麻を、詩歌は無理矢理に立ち上がらせ。

 とりあえず、足音だけですぐ個人名が出る賢妹の感知能力には賞賛ものである。

 

「説教すると約束してまして、しかし、こんなにも早く病院から帰ってくるとは……とりあえず私と陽菜さんの、どっちのベット下がいいですか。って、訊くまでもありませんでした」

 

「そう間髪いれずに決定されると当麻さんがまるで妹のベット下に潜り込みたい変態さんみたいに聞こえるだろ」

 

「ちなみに、陽菜さんの豊胸グッズ(たからのやま)に触れて壊したら後で焦熱地獄です」

 

「わかった。だけど、当麻さんは好き好んで―――って、待て、無理だろこの隙間は普通に考えて普通に!」

 

「普通に考えれば当麻さんが詩歌さんの部屋にいることが異常事態なんです。ここ最近、下着泥棒が出てきたとかでより厳しい措置になってるんですから!」

 

 え、何それ鬼塚から聞いてないぞ!? と当麻の掌からぶわっと粘り気のある汗が噴き出した。

 

「でも、知り合いならどうにか事情を説明すれば……」

「あの子は感情的に能力発生しちゃいますし、アドリブの事態には弱いんです。そうなったら、今度は間違いなく師匠が来て―――」

 

 と会話の途中で不意を突いて、足払いですっころばして、床に這い付くばせるとぐいぐいと強引に賢妹のベット下に押し込もうとする。せっかくの執事服が雑巾がけ。ベットの下もきちんと清掃されていて、全然埃っぽくないが、あとのレンタル代金に上乗せ確定である。

 が、もう既に相手はドア前にいて、トントン、とノックを。

 

『あの、詩歌さん。入ってもいいですか?』

 

「あ、美琴さん。すこーし待ってくださいね。ちょっと今デッカイゴキブリが出てきまして」

 

「(おい! お兄ちゃんをゴキブリ扱いってどうなんだよ! 確かに、今の当麻さんは執事服で黒っぽいけどー!)」

 

 そうして。

 その後、どうにか絶対絶命のピンチからの大脱出をしたが、執事服はボロボロとなり、レンタルではなく買い取りとなって今月分の小遣いは吹っ飛んだ愚兄の毎度お馴染の嘆きが学園都市に響き渡った。

 

 

病院前 回想

 

 

『ごめんなさい』

 

 

 と。

 それは、いつだったか、賢妹が左手を怪我し、病院に運び込まれたと先生から連絡があって、駆け付けた上条当麻に開口一番は、謝罪であった。

 

『私がもっと、その留守電(メッセージ)を聴いたときにわかってれば……って、けど、もしかして、きっと、誰かのヒーロになるのが嫌で、私は私に助けにきたんだって都合のいい解釈しちゃったから、よく考えようとしなかった、って……そう、嫉妬で誰かを不幸にしてしまう自分はもっと嫌だって思ってたのに』

 

 だから、ごめんなさい、と包帯を巻いた左手を強く握りしめながら、賢妹は言う。

 何があったか事情は言わないし、訊かない。

 けれど、打ち明けられたのは意外であるが、謝ることではない。当人は口にしてしまったこと自体を恥じるようにしているが、無理などしなくてもいいと愚兄は思う。

 それでも、無私できてしまうのが賢妹か。

 お世話になってるカエル顔の医者からも言われたし、言われるまでもない。

 異様な鏡感性細胞(ミラーニューロン)と絶対共感応を持つ、その負荷。

 直感的に他人の願望を正確に把握することができるのなら、動物的にも社会的にもその生きるための技術(サバイバビリティ)は圧倒的だろう。だが、それは自我と他人の境界を曖昧にもし、自己意識(アートマン)を不安定にもするだろうし、すれ違うだけで願望と同時に苦汁も読み取っている。

 ありとあらゆる人の思いの結晶たる幻想を触れただけで投影する230万分の1の天才は、どれほどの情報量から、辛酸を舐めているということになるのだろう。人と接し続けることで、どれほどの情報の苦痛を、味わい続けているというのだろう―――今まで、そして、これからも。

 誰かにおぶってもらいたくなるほど、重く、

 常に笑っていないと落ち込むほど、暗く、

 愚かに夢見た甘い戯言を口にするほど、苦く、

 自我を麻痺していなければならないほど、痛い。

 

 そんな、誰かのために動いて、必要とあらば自らの心も殺す滅私の合理性を見せるほど『完璧』な賢妹が、また、その方向性に進もうとしているのならば、これをみすみすと逃していいものか。

 

『だから、今日で、兄離れ。これを最後に甘えるのは―――』

 

 躊躇いなど、すっと流れ落ちた。

 有言実行に頑固な妹だ。その宣誓は許してはいけないし、大人しく聴いてやるつもりもない。悪いが、その幻想(戯言)は、殺させてもらう。

 

 ―――とりあえず、えいっ。

 

『あいたッ!?』

 

 愚兄のデコピンが、俯く賢妹の額にクリーンヒットした。

 

『と、当麻さん……?』

『うむ。その幻想をぶち殺す略してゲンゴロである。ところで、今日、お兄ちゃんの学生寮に泊まり来ないか?』

 

 えっ? と驚いた顔をする賢妹。

 その鏡のように透明な眼を見据える愚兄は、微かに揺らいだ瞬間を確かにとらえた。

 

『詩歌は周りを優先しすぎだ。何が相手のことを考えない、だ―――バカを言え、考え過ぎたんだからこうなってんだろ。その証拠に、左手の怪我も本当なら負わなくても良かった傷じゃないのか? なにせ先輩相手に無傷で帰還した俺の妹だからな。もっとうまく解決できただろうに』

 

『……、いや……』

 

『感傷で誰かのために泣けるの詩歌にとっては、痛そうも痛いも同じことだからな』

 

 もしもこの右手に宿る力が少しでもその“封じ手”になるのならば――世界との境界をなくさせる共感応を静かにできるのならば――幸いであると祈るように、右手をその頬に沿わせる。

 

『じゃあ仕方がない。自分に鈍感で厳しい妹を、兄が代わりに甘やかしてやるしかないな』

 

 全くの本心からの言葉だった。

 不幸を上条当麻が負うことになろうと。

 人の心がわかりながら、人の心を持たぬ神にさせるよりはずっとましだ。

 

『だから、今日はウチに来い。偶にはいいだろ。家族、なんだしな』

 

 悪いが、“都合のいい言い訳”を使ってでも今日はこのお姫様を攫わせてもらおう。

 ―――愚兄にも独占(しっと)したくもなる気持ちは理解できるのだ。

 

『めいっぱい世話して可愛がってやるから。いや、可愛がらせろ』

 

 ふわっ……と、浮き上がったような感覚。賢妹がいつの間にか背伸びする。舞い上がるとは、まさにこのことか、けれど、賢妹は努めて平静に。

 

『当麻さんがそんなことを言い出すなんて思いませんでした。はい……詩歌さんとてもびっくりです』

 

『そうか? そんなに驚くことか?』

 

『はい』

 

『んー? 週に何度か当麻さんの部屋に来てるんだし、寮則の穴くらい知ってるよな?』

 

『そういうことじゃないんですけど……わかりません?』

 

『ああ』

 

『そう、わかりました……いきましょう。兄の提案にはできる限り応えてあげたいのが優しいかわいい妹ですから。妹離れできないま抜けのとうさんに付き合って、“悪い子”にもなりましょう』

 

 詩歌は答えをはぐらかして、一度頬を右手に撫でさせるように擦ったら、とっとと先を行ってしまう。

 

『おい、詩歌、さっきの―――』

 

『突拍子もないことより、何でもないことの方が、心を打つ場合もあるんです』

 

『うん……?』

 

『……これ以上、解説させないでください、お兄ちゃん』

 

 兄妹は手を繋いで、一緒に家路についた。

 隣で素直に笑う詩歌はとても綺麗で、愚兄はそれを心の宝箱に収めるように目を細めて眺め続ける。

 きっとこれを上条当麻はずっと覚えていて、これを覚えている限り、不幸な運命にあったとしてもそれを糧にどうにか前に踏み出すことができそうだった。

 

 

 

つづく

 


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