とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 恋占い 中編

閑話 恋占い 中編

 

 

 

第十二学区 車内

 

 

「……ほう。ここが、そうか……」

 

 コードネーム『ハニービー』が用意した公用車というフルスモークの防弾ベンツ内。

 最後尾の席で背中を預け、愚け――は小さく呟いた。

 閉じられた窓ガラスは、鏡のようにその顔を映している。

 その相貌は半眼。

 眠いからではなく、むしろその感覚は凍てつき、鋭く、陰影が濃い。

 あらゆる感情を殺している一方で、時折抑えがたく、眉がピクピク引きつっている。

 

「本物の方もこういう奴だったとは……なるほどな」

 

 その声には、不自然なほど抑揚がなく、その唇は1mmも微動してない。

 どうやらこの兄妹は、揃って母親似らしい。

 顔は変わらず前のまま、運転席と後部座席とを区切られたボードの向こうにいる『ハニービー』に礼を言う。

 

「……ありがとな、手伝ってくれて……」

 

「べっつにー、勝手な想像力を“独り言で”呟いてぇ、“たまたま”目的地が同じだったから乗せただけですよぉ♪」

 

「ああ、そうだった。“風の噂”を、この耳が“勝手に”拾っただけだ」

 

「そもそも、口止めもされてないしねぇ☆」

 

「おいおい、口の軽い後輩なんてどこにいるんだ?」

 

 ………そういうことになっております。

 

 一枚の仕切りを挟んで同士?は、いかにも白々しい口振りで台詞を繰り返した。

 もっとも『ハニービー』がポイポイと燃料代わりのニトログリセリンを投下したおかげで、今や裡に秘められた迫力たるや、シグナルレッドの危険物だ。

 

「先輩には、いつも世話になってるしぃ、先輩後輩困った時は助け合い、たとえ恨まれようと阻止するのが当然ですよねぇ♪」

 

「ああ。そうだな。やっぱり持つべき者は頼りになる後輩だな」

 

 その時になってようやく唇の端が笑みの形に動く。

 が、相変わらず声には抑揚がない。

 そもそも形だけで、目は全く笑っていない。

 そして、運転席の女の子の十字目が、とある一団をロックした。

 

(ラッキー♪ 流石私の幸運力。そろそろこちらに火が飛び移りそうだったし人身御供が欲しいと思ってたところなのよぉ♪)

 

 ハンドルを握る男性に、目の前の一団の横に付けるように指示する。

 

「ですよねぇ。それじゃあ、もっと人手力を増やす作戦があるんですけどぉ、あそこにいる“後輩たち”にも協力してもらいません?」

 

 

第十二学区 道中

 

 

 ガサガサ!

 

 周囲に集まる、赤、青、緑、黄、桃、と色とりどりの忍者。

 忠義の使者としてあくまで自然に立ち上がり、忠義の使者としてあくまで悠然とこちらへ歩み寄り、忠義の使者として敢然と取り囲む。

 気付いた少女たちが呆気にとられたように言った。

 

「え……なんですか、あなたたちは? 私たちに何か用事……でしょうか?」

 

「すっげー。学園都市って忍者もいるんだな」

 

「ああ、もしかして、何かのショーの? でも、あたしたち今人探してて、他の子たちにしてあげてくれませんか……?」

 

「いや、これ良い子のお友達向けのアトラクションにしては、少々過剰すぎるわよ?」

 

 ガサガサガササササササ!!

 

 このカラフル忍者隊の総数は、煩悩の数と同じで、百八着。

 さらに、百近い忍が団体で現れ、取り囲んだ。

 

「そろそろいい加減にどいてくれないっ……!? せめて、理由と、目的だけでも話してくれないかしらっ……!?」

 

 軽く前髪に電気を迸らせ、威嚇しようとしたが、その前に、パチパチ、と拍手が聞こえ始める。

 遠目で窺っていた通りすがりのギャラリーも、皆何事かと視線を向けたところで、一歩進み出た白いくのいち。

 拍手を続けたまま彼女は言った。

 

「無双☆シノビスカウト!」

 

「へ? え?」

 

「はいはい本日は第十二学区まで人材発掘にやってまいりました! いやあ学園都市の技術力は凄まじいですねえ。私みたいな素人でも『ユー@ニュース』さえあればインターネット配信で自由にテレビ番組が作れるんですから! はい、そして今日のターゲット。おめでとう、あなたたちは見事お眼鏡に適った。今日からあなたたちも、我々、幻殺レンジャーの仲間よ」

 

 ビデオカメラまで向けられて、戸惑うこちらを余所に、理解の早いギャラリーの方からは、ああそういうものかと拍手と歓声が沸き起こる。

 

「あっ……ああの、そう言われても私は<風紀委員>で応えられ……ああ、どうも! どうもどうも……」

 

 場の雰囲気に流されて、注目されることに慣れていない初春は手など振って観客に応える。

 

「ついては、手続きと。軽いインタビューも行うので、こちらに付いてきてくださーい♪」

 

「ねーちゃん、俺も忍者になれんの……!」

 

 そうして、あれよあれよと道路に横づけされた中の様子が窓にスモーク処理がされて見えない大型車へ連れ込まれ―――最後の一人だった美琴が立ち止まる。

 

「ちょっと待って。それって……」

 

 御坂美琴は、思いだした。

 確かあれはうちの学校の先輩――鬼塚陽菜――が企画したイベントで使うはずの、このような場所で“仕事”を行う時に違和感なく周囲に溶け込めるよう極秘裏に開発された、その名も、

 

「『忍びだけど忍ばないヒーロー戦隊風レンジャー型忍者衣装』よね。でもそれって、<学舎の園>の職業体験でも不人気で、結局企画倒れだったはず……」

 

「………」

 

「……それにその変えてるけど甘ったるい口調。なーんか、アイツを彷彿させるというか……」

 

 失礼と美琴はくのいちの顔を覆う、黒子のように面相を隠す布切れを捲った。

 

「―――って、この少女漫画に出てくるようなキラキラおめめは!? あんにゃろ、どこに隠れてる! 今日こそ、ぶっ飛ば―――うぐ……っ!!」

 

「ちょーっと気づくのが遅かったわねぇ御坂さん♪」

 

 すぐ後ろでビデオカメラを構えていた黒忍者が、こちらから気が逸れた隙にビデオカメラを放り捨てて美琴の腕を取った。そのまま肘を起点に軽く捻り上げて背中に固めた。

 

「(こうなったらこいつも被害者なんだろうけどちょっと痺れてもら―――ぁれ? 出ない? まさかこいつ―――!?)」

 

 

第十二学区

 

 

 『あの男』の消息を探し、学園都市に潜入。

 十二人の理事会にまで潜り込んで、いくらかの情報を得たが、アレはどうやら我々の組織を裏切っただけでなく、科学サイドの暗部に降っているようで、中々に所在がつかめない。

 

 しかし、ヤツは、ひとつ“ミス”を犯している。

 

 我々は“入れ替わる”際に、必ず行なわければならないことがある。

 私が統括理事会の補佐の一人に付けているのは、監禁などと放置せず、きちんとそれをしたからだ

 術士としては優秀だが、工作員としての心構えだけでいえば、ほころびがあったのも事実。

 だから、代わりに私が“処理”しよう。

 

 そうなれば、今の“顔”が使い難くなるであろう。

 

 

???

 

 

 「『あなたは、自分と付き合うんだ。

 

  能力によって密室と化した教会。

 

 『何をするつもりですか?

 

 『―――何も。

  このまま時間を潰せればいいんだよ。とりあえずは、ね。

  大事なのは二人きりでこの教会にずっと一緒にいたという事実なんだよ。

  後は勝手に妄想されていく

  自分は、身近な人たちにあなたに対する気持ちを伝えてある。

  好きな女の子と見合いの場に二人きりで、

  ひとつの空間にいればどんな気持ちになるか。

  男なら簡単に想像がつくことだよ。

 

  追い詰められた少女。

 

 『ここは教会です。嘘を広める場としては相応しくありませんね。

 

 『神なんていないさ。

  あなたがいくら正直に潔白のない真実を説明したとしても、

  そしてそれを素直に人が信じようと思ったとしても、

  どこかに何かが引っ掛かるんだよ。妄想の世界で……

  あなたがこの密室の中でいた時間が長ければ長いほどに、ね。

 

  ドレスに着替えてしまった彼女は、ウエストポーチもカバンも預けている。

  武器がなく、そして、武器を付きつけられている。

 

 『そんなことしても何ともならないと思いますけど。

 

 『だから、あなたは自分と付き合うんだ。

  前に告白したけど、本当に初めてなんだ。

  人をこんなにも好きになれたのは。

  それは三年たった今でも変わらないよ。

  手が汚いのは百も承知だ。

  ―――でもどうしても君が欲しい。

 

  青年が付きつけるのは、<演算銃器(スマートウェポン)>。

  素人でも扱える拳銃は、間合いが離れた無手の少女一人をその場に縫い付けている。

 

 『残念ですが、私はその三倍以上も長い間、ひとりの人が好きです。

  ごめんなさい。

 

 『そんなのは嘘だ。

 

 『だったら、あなたの気持ちも嘘になりますね。

 

 『お願いだ! 絶対に後悔はさせないから。

 

  少女ならば、建物自体に触れれば、分子構造から干渉して固めている結界を解けただろう。

  しかしそれを承知している青年は、彼女が一歩も動くことを許容しない。

 

 『ごめんなさい。

 

  許されてるのは、返事だけ……

 

 『……この年頃の男はね。

  相手を守りたい馬鹿みたいな純粋な心に、

  相手を滅茶苦茶にしたい雄の欲望を両方抱えて、

  懸命にバランスを取っているんだよ

  その自分でも呆れるくらいの純粋な部分を拒否されてしまうと、

  残るのは破滅的な欲望しかなくなる。

  元々力ずくってのは嫌いじゃないんだ。

 

  <演算銃器(スマートウェポン)>の引き金に指をかける。

 

 『王子様らしくないお言葉ですね。

 

 『安心してもいい。これは麻酔だ。眠らせるだけ。

  1、2時間は何をされても起きない。

  そして、王子様は眠るお姫様の唇を強引に奪うものだよ。

 

  ごめん。こんなことになって……と懺悔とともに放たれた弾丸は少女を撃った。

 

 

 

 ―――』みたいな修羅場になってると私の予想力でーす♪』」

 

 すっ、と。

 肘かけの上に両肘を立てて指を汲んでいる司令官なポーズを取っていた、黒忍者改め上条当麻はついに黒い顔隠しの黒子を被った。

 

「―――よし、戦争だ。いくぞ、王子様の幻想ぶち殺し(たい)

 

「『おおぉー♪ ヤる気満々ですねぇ』」

 

 覚悟は決まった。

 赤穂浪士のように、全員が打ち首の結末になろうが、その首を取る。

 

「ビリビリ。あの教会全体に揺さぶりをかけてくれ。その怯んだ隙に、突入する」

 

「ねぇ……何でもう私たちが参加の方向で話が進んでんのかわかんないんだけど。もうミコトセンセーはこういう時のアンタに付き合いたくないの。お願いわかって」

 

 水を差すコードネーム『ビリビリ』。

 フィィィイッシュッ!! と拉致(スカウト)られた、『ビリビリ』。ちょうどそちらも詩歌を探していたところを十字目の女王『ハニービー』に先導された民衆に捕まり、それに抵抗しようとした第三位は作戦成功のための戦力増強にと『ハニービー』に乗せられた愚兄のゴットフィンガーに封じられ、他の三人をどうにか逃がしたが、この車内に押し込められた。

 

「だいたい、場所が場所だけに関係ないお客さんもいるみたいだし、とりあえず教会から出てくるまで待ったらどうなの?」

 

「馬鹿野郎ッ! 今の話を聞いてなかったのか! 一秒でも早くあの王子の魔の手から助けださねーと取り返しがつかない事態になるかもしれないんだぞッ!!」

 

「それはそこの性格最悪の女王が勝手にゲスい妄想したことでしょうが。あんたも簡単に乗せられてんじゃないわよ」

 

「『まぁー、あなたの胸と同じで乏しい想像力な頭じゃあわからないわよねぇー?』」

 

「ぶくぶくとした体形と同じように妄想膨らませるのは、ちょっとイタいんじゃない?」

 

「『ププッ、持たざる者の僻みかしらぁ? 残念だけど、お子様とは比べ物にならないほどプロポーション力は圧倒よぉ♪』」

 

「アンタのその自慢の改竄力とやらで身体データを書き換えてんじゃない? 運痴なあんたのことだから体重5、6kgくらい」

 

「『はァーーーッ?? 何勝手に水増しして……ッ!?』」

 

「図星? いつも菓子ばっか食ってるから」

 

「『私とあなたとじゃ成長力具合に天と地ほどの差があるでしょう』」

 

 二人はお互いの姿を見ていない、見えないはずなのに、睨み合っているようだった。

 馬も反りも合わない運転席と後部座席との言葉の応酬を至近で受けるのは不幸だろうが、あいにくこの男にその余裕もないようだ。

 しかし、『ビリビリ』も気にならないと言えばウソになる。

 教会から詩菜ら付添人と思しき集団が出たのは確認したが、二人はまだあの中に残ってる。

 監視カメラの類もあそこの教会には備え付けられているのは数少なく、そのすべてが今は電源が切られていると念の入りよう。密室の会談。この愚兄が勘繰ってしまうのは無理がないかもしれない、

 そういうわけで、別れた三人に無事だとメールを送ることを条件に、一応、中の様子を探るということには協力している。

 

「―――っと、繋がったわ!」

 

 車内のカーナビと接続した携帯ツール。

 『ビリビリ』の学園都市最高の発電系能力者の力を無駄に活用して、施設の電気系統に侵入。そして、遠隔操作で数少ない監視カメラの電源を入れ、そこから発信される映像を自身の手元で操作するツールとカーナビに映し出す。

 ―――そこまでの離れ業を彼女は片手間でこなす。

 

「『あらぁ? 肝心なふたりが映ってないけどぉ? ぶっちゃけここで役に立たないと必要力はゼロなのよねぇ』」

 

「いいから、その甘ったるい口をできれば一生閉じて、ちょっと待っとけ。あの人の感知網が半端ないのは知ってんでしょ。アンタもそれを警戒して、あそこの従業員を乗っ取るような手段を使ってないんだし」

 

「『確かにあの人気配とかそういうのにやたら滅多に鋭い第六感力もってるから、手当たり次第に、なんて真似は論外でしょうねぇ。でもぉ、ここでバレても、ハッキング(イケない)ことしてるのは御坂さんだしぃ♪』」

 

「そうなったら、アンタらのこともチクって道連れにしてやるから覚悟しておきなさい」

 

 Level5が二人がかりでも油断大敵な相手。足の引っ張り合いなんてしてる余裕はない。

 ……が、誰も映っていない位置から、動かせない。ばれないようにゆっくりと、であるが、動けと命令しているのに、映像は変わらない。

 そして、音も聞こえていないことに気付く。

 

「もしかして……」

 

 あの教会に<念動能力>が張られているのではないか。以前の幼馴染の話から、海原光貴(本物)の力は、分子レベルで固定されたそれは空気の振動も許さないという。

 

「となると、カメラはこれ以上は動かせない。無理にやると確実に壊れるわね」

 

「『はぁ~、ハッキングされて、あと一歩踏み出せない臆病風がうつったのかしらぁ?』」

 

「本体が一歩も動いてないアンタに言われたくないわよ」

 

 運転席と後部座席のカーナビに映し出されているのは、無音で固定された映像状態であるが、中の様子は二人が映らなくてもその影で大まかにだが把握できてる。

 二つの影は中央――おそらく、司教台を挟んで距離を取っており、『ハニービー』の言うような事態は起きていない模様。

 ―――と、ひとまずの安心を得たところで、

 

「『そういえば、夏休みに面白い噂が立った気がするけどぉ♪ 王子様って、どんな人なのかしらぁ、御坂さん?』」

 

「何で私に訊いたかは聞かないでおくけど、まあ、良い人、なんじゃないかしら」

 

「そうなのか?」

 

 夏休みに美琴についていたのは、ニセモノなのはわかっているが、それと大体は同じ。

 

「これは私がまだ常盤台に行く前、今から三年前の話だけど、能力を使って不正(カンニング)してたみたいで……」

 

「『今の御坂さんみたいに?』」

 

「アンタが人の記憶を改ざんするみたいにね。っつても昔の話よ。で、それが当時のウチの三年生にバレちゃったのよね。どうやって他所の学校に通ってた生徒の不正を暴いたのかは知らないけど、昔の派閥争いは、陰謀策略と裏で激しくて。そこの女王がいなかったから、誰がトップかって、一部の三年生でいざこざがあったのよ」

 

 それはまだ常盤台中学に二人の超能力者が入って来る前の話。

 同じ目的を持った者が集まり、資金・設備調達から研究開発までの過程を共同で行うクラブ的組織『派閥』。規模が大きくなれば、学校外の研究機関やパトロンなどの人脈や金脈、専門分野の研究結果としての知識など、独自の成果を得るものも多く、当然のように該当分野の第一線で活躍する学生も少なくない。

 つまり、『派閥』の組織づくりは、卒業後にも役に立つ。ただ同好の士を集めるものならとにかく、先のことを考えているものには、『一番』というステータスは非常に魅力的なのだ。

 まだ女王が君臨してなかったこの時代は、全生徒の過半数が所属するような最大派閥なんてものはなく、各派閥のトップはLevel5ではない、周りはほとんどLevel4と差はない。

 最大派閥となるためには、どこのトップもリーダーに必要なカリスマ性で差を付けることなどできないのだから、より多くの有能な生徒を引き抜き(スカウト)するには、優秀な実績をアピールして学校側の援助と名声を得るか―――それとも、裏で工作するか。

 他の群れまで抑えることができる絶対的なリーダーがいないから、その後者は盛んであった。

 

「『うふふ~、この絶対的トップで、統率力溢れる私のカリスマのおかげで平和よぉ♪』」

 

縄張り(テリトリー)がどうとかうるさいけどね。で、不正をしたのは事実なんだから自業自得だけど、それに巻き込まれたのは可哀想ね。他の派閥を出し抜こうと学校側の理事長に便宜を図るよう、弱みを握ったお孫さんに脅しにかけようとして………そこで、詩歌さんが現れた」

 

 後はもう詳しく話すまでもなく、展開は読めただろう。

 愚兄も<大覇星祭>で、寮監から聞いたことがある。

 新入りの一年生であった彼女は、その当時の最大派閥を牛耳っていた最高学年を説き伏せたのだ。

 

「それが縁で知り合って、<学舎の園>のゲート前で告白するんだけど、偶然私もその場面に立ち会っちゃったんだけど、詩歌さんに……

 

 『あなたが婚姻を結べる歳になったら誰よりも早く申し込めるよう、あなたに相応しい本物になってきます』

 

 ―――って、フラれた後、言ってたわね……」

 

 そして今年は、上条詩歌が法律上結婚できる十五を迎える年だ。宣言通りに来たとしたら、それは『本物』となったと自身を持ったんだろう。

 

「そのあと、一時期成績が落ちたって言うけど、すぐに首席クラスになって、夏休みに黒子が先走って調べたことがあったけど、不正はなし。一度痛い目に遭って懲りたのか、それとも……」

 

 と流石に気を遣ったのか、途中で止めるも、依然としてその表情は晴れず。

 

「……なあ、マイクで音は拾えないのか?」

 

「最大感度に上げてるけど無理ね。さっきもいったけど、分子レベルで固定されてるから、音漏れしないのよ。……でも、ここまで警戒して何話してんのかしら」

 

「ハッキングしたカメラから王子にビリビリはできないのか?」

 

「暴走してるどこかの愚兄の頭ならゼロ距離で電流ぶっ放せるんだけどね」

 

 妹の学校の理事長の孫をぶん殴るなんて暴力沙汰になるのは止めなければならない。

 今の様子を見れば納得できるだろうが、今回の件に、愚兄に秘密にして連れてこなかったのは、何かの弾みで殴りかかるのが簡単に予想がつくからだ。

 幼馴染も、お見合いを受けたからには、それなりの理由があるはずだろうし……

 

(にしては、らしくないというか……)

 

 危険な状況になったのを確認したら力ずくでも割って入るとして。

 問題は、そのためには肝心の相手が映っていない監視しかないのと、もっと中の情報が欲しいところで……

 

「ん? あそこにいるのって、白いの……」

 

 

第十二学区 教会

 

 

 宗教の一切を排他した科学の街でありながら、手入れの行き届いた綺麗な礼拝堂。チョコレート色の扉を開ければ、木製の梁に支えられたアーチ型の天井、列をなした長椅子の間に伸びた絨毯に、向かって左側に朗読台とオルガン、そしてその正面最奥に設えられた祭壇があり、約櫃が置かれている。壁面に巨大な神の子が張り付けにされた十字架、そして煌びやかな聖母を模るステンドグラスが見て取れただろう。

 

『じゃあ、私たち大人は退散して、若い者同士でお話ってことに―――』

 

 ひとしきり記念撮影が終わったあと奥方がそう言うと、こちらの返答も聞かずに、花嫁と婿を残し、スタッフを連れて教会を後にした。

 

『な、なんで私も退散しなきゃいけないんだよー!? 今、しいかを―――』『あらあら。そんなに心配しなくても、詩歌さんなら一人でも大丈夫ですよ、ね?』

 

 途中、司教役に抜擢された修道女が駄々をこねたが、花嫁の母に引っ張られて共に教会から出て行った。

 そして、二人を除けば、静けさだけが取り残された。

 

 

 

「ふぅ……」

 

 詩歌は小さくため息をつくと、海原は丁寧に頭を下げる。

 

「すみません。自分の父母たちが舞い上がってしまったみたいで。これは単なるサービスだというのに、すっかりその気になって」

 

「お久しぶりですね、光貴さん」

 

「ええ、こうして二人きりで顔を合わせるのは、三年ぶりでしょうか」

 

「おや? 夏休みにお見かけしたような気がしますけど。私の幼馴染にご執心だったようで」

 

「やめてくださいよ。あれはこの顔を盗んだ輩の仕業だというのはご在知でしょうに。襲われてから、どうも勝手な噂が一人歩きしていて、迷惑してます。今度見つけたら自分の顔を返してほしいものです。―――自分の心は、あなたに奪われたままですが。一目見たときから心はずっと、三年経ったいまはもう文句なしに美しい」

 

「ふふふ光貴さん、お世辞が上手ですね」

 

 不意打ち気味に放った発言にも、可憐な笑み、優しい口調。されど、完璧な淑女の顔は一部の隙もない社交性という名の仮面。

 

「冗談ではないよ」

 

「それなら、恥ずかしいですね」

 

 聖母のステンドグラスを背にする詩歌。

 司教台の前、その誓いの場に、海原は立つ。

 ここは誰にも監視されないよう手配されている。

 

「あれから、この不正(カンニング)に使っていた能力を鍛えたんだ。あなたにふさわしくなれるように。おかげでこの建物を<念動能力>で固化することもできるようになった。不意を突かれなきゃ、破れない。誰もここに入れないし、誰もここでの話を聞くことはできない」

 

 かつて、海原光貴は<念動能力>を使ったカンニングをしていた。

 テスト問題を作るパソコンのモニタ表面にビニール膜のような薄く弱い『念力』を貼り付けておき、そのモニタから放つ光や熱が『念力』を押すのを確認することで、モニタに映っている画像を逆算する―――一種の盗撮機みたいなもので、頭の良さに関係なく、成績は首席を取れた。

 しかし、その不正がばれ、ひとりの少女と出会ってからは変わった。

 悪用を止め、もとより高位の能力者であった海原は、“誰かを守れる力”としてこの三年間磨いてきた。

 その防御は、一撃必殺で『分解』する『金星の槍』さえも崩せず拘束するしかなかった。

 すでに詩歌は海原から感じ取るAIM拡散力場の様子から、その努力が本物であると認めている。

 そして、この話が本当に二人の話であることも。

 

「あなたは、美琴さんのために命からがら拘束を抜け出した後すぐに、忠告しに行ってくれた。だから、正直に打ち明けるのが筋と思う。

 期待を裏切るようで悪いとは思いますが、たとえ『学生代表』になれたとしても、事が終われば私は辞めるつもりでいます。高校も、光貴さんが通う長点上機学園ではない高校にいきます。それは縁談まで持ち掛けた海原家の意向に沿わぬ形になるでしょう」

 

 詩歌は司教台を挟んで向かいにいる海原を見た。

 彼は、笑っていた。

 

「そんなのは問題じゃない。今日のこと実は自分から両親に頼んだんです。あなたのお手伝いをしたいと」

 

 少し、意外と詩歌は思う。

 

「私が知っている海原光貴は、自身が持つ海原家の権力がどれだけ絶大であるかと自覚しながら、決してそれを振るおうとはしなかったと思います」

 

「あなたを一目見て、その美しさに心が奪われて、そして、あなたの手に救われたというのは、理由になりませんか?」

 

 ステンドグラスから差し込む彩光が、青年を照らす。

 

「こんなことをして、あなたの気が引けるとは思ってない。でも、自分が持てるすべて君に預けたい」

 

 詩歌は眉をひそめた。

 

「つまり、あなたは私に求めるものは何もなく、無償で捧げるというんですか?」

 

 海原は顎に手を当てて、考える素振りを見せてから、

 

「いいえ、訂正します。本音を言えば、その心が手に入らないといわれても、やはり、欲しくなってしまう。だから、自分の婚約者になってほしい。そうすれば自分が持つ権力だけではなく、海原家のすべてをあなたに使うことを親も納得する。だから、形だけの、利用されるだけの関係でもいい。

 

 ―――この提案(プロポーズ)を受けてもらえないだろうか」

 

 

十二学区

 

 

「どうしよう」

 

 

 あの謎の忍者集団に(多分、あのお兄さんがいたような)、御坂美琴がさらわれ(だけど、その後すぐに無事だと謝罪メールが来た)、初春飾利も白井黒子からの応援要請で<風紀委員>に。

 でも、それはいい。こっちのは、どうしようもないお願いで、彼女たちの私用仕事に迷惑をかけさせるような義理も義務もない。むしろこっちが謝りたいくらいである。

 で、佐天涙子が頭を悩ませているのは、『御坂さんってやっぱりお兄さんに弱いなぁ。最強無敵の常盤台のエース様は、実はああやって無理やりさらわれるのを待ってる乙女だったとかいう、キュート展開を邪魔しちゃいけない』とか、『初春、こっから第七学区の第177支部に行くのは大変だろうなぁ。白井さんが迎えにきてくれるとは思うんだけど。後で何か甘いもんでもお礼しないと』などではなく、思わず言葉に出てしまった通りに、これからどうしよう、だ。

 御坂美琴はさらわれてしまったが、こちらにその情報をよこしてくれて、初春はその場所をサッと調べてくれた。

 

(まさか、お見合いだなんてねぇ……)

 

 勝負の結果だけど、安請け合いしたことに後悔する。弟の頼みで、彼女に会わせようとしたのだが、この用事じゃ流石に無理か。

 もう場所は分かってるし、近いところにいる。物理的な問題はない。だけど、理事長のお孫さんとお見合いしてる最中に、前約束(アポ)なしでお姉さんに憧れる弟を会わせるのは、相当な勇気がいることだし、あまりのショックに弟は精神的なトラウマを負いかねない。と言うわけで、この情報はまだ伏せてる。

 

(まだ十五だよね。あたしと二つしか違わないのに、結婚とか……いや、お見合いなんだけど、それで許嫁とかになったり)

 

 去り際のお嬢様思想に咲き乱れる頭の中も花畑な親友ではないが、『これがお嬢様かぁ』とも言いたくなる。

 これは日を改めて出直した方が……いや、もういっそ会わせない方がいいのではないか?

 それとも、

 

『―――君をさらいに来た!』

 

 と、佐天涙子の脳裏に浮かんだのは、教会の門をぶち壊し、誓いの儀式寸前で花嫁を掻っ攫っていくドラマティックな光景。出会えい出会えい! と王子様の命令に邪魔する屈強なガードマンをちぎっては投げちぎっては投げ、と無双状態で、他の客親族を置いてけぼりにして教会を走り去る。

 ……なんて、初春みたいなことを夢想しちゃったが、流石にない。門前でお叱りを受けるのがオチだ。

 

「(まあ、でもこれで弟の表向きの『運命の相手を見つける』ってのも果たせちゃってるわけだし)」

 

「何してんだよねーちゃん! もう時間がないだろ! 早くお姉ちゃんに!」

 

「おいこら待て弟。母さんが迎えに来るまで時間がないのは確かだけど、心の準備とか―――」

 

「そんなことしてる暇なんてないんだってば!」

 

 飛び出そうとしたところを手首を掴まれた弟は、切羽詰まって苛ついた声で懸命に訴える。

 

 

「お姉ちゃんが危ないんだ!」

 

 

???

 

 

 大熊座を象徴にする我らが呪術師と盗賊の守護神であり、大地の怪物に片足を捧げて、運命を知り得る鏡を得た月と夜のトリックスター。

 太陽と天空を統べる羽毛の蛇神の兄弟にして、世界を滅ぼし合う宿敵。

 その罰に復讐を与える、生と死、破壊と創造の相反する神格は、一介の魔術師に御することができるようなものではなく、魔術に取り込むのは難しい。

 しかし、『黒曜石の短刀』、『夜の斧』、『病の七面鳥』、『断食する王子』、『永遠の若者』、『山の心臓』などと千の顔を持つ特性を様々な角度に切り取って、分割することによって手頃なものにしている。

 

「我々に最早退路はない」

 

 黒曜石のナイフを手に取る。

 これは本来ならば、『金星の槍』として使うもの。だが、今は違う。

 

「たとえその舵取りが誤っていようと、どんな禁忌に手を染めようとも、貴様を捜し出そう」

 

 死んだ成人男性を、祭壇に乗せ、右足を切り取り、その切り口に生贄を捌いた黒曜石のナイフを当てる。最後に、長老たちから『宿敵を拝するなど組織の教義には反する』として禁忌とされていた仮面を“奪った顔の代わりに”被せ、

 

「最早、翼あるモノは帰還せず、太陽の座から堕ちた。―――だが、太陽が落ちれば、月が昇る」

 

 拝する神の似姿へと近づけ、準備が整うと―――それを水の中へ落した。

 

 

車内

 

 

「………で、これはどういうことなのかな、とうま」

 

 教会帰りの真っ白な修道服を着た銀髪碧眼の少女は、コードネーム『シスター』、もといインデックス。

 ちょうどワゴン車の前を通りかかったところを、『ビリビリ』と今度はインタビューの演劇(フェイク)なしで訳も知らされずに拉致られた修道女は、この対応に不服そうに片眉をぴくぴくさせ、奥歯をガチガチと鳴らしてる。

 そんな同居人の危険な兆候を前に普段は戦々恐々とする愚兄であるが、今日は違う。

 

「なあ、インデックス。訊きたいことがあるんだが、あそこの建物のことについてどう思う?」

 

「うん、私も一言文句をつけたいね」

 

 うんうん、と大いにと頷いて。

 

「学園都市のは初めて見たけど、まず教会がおかしいかも。<約櫃>を置いてて、聖母をモチーフにした装飾してるなら正教宗派なんだけど。正教派の教会は、どちらかが正教徒じゃないと挙式はできない決まり。いくら科学の街だからって、ちゃんとこの点は押さえといてもらわないと困るんだよ」

 

「面倒なルールねぇ。教会なんてどこも同じじゃないの?」

 

「む、それは聞き捨てならないセリフだね。もしかして神父と牧師の違いもわからないのかな? これ、一般常識なんだよ」

 

「そうじゃなくて、そんなことをレクチャーしてもらいたいわけじゃなくてだな。こっちも言葉足らずだった。あそこの教会で起きたこと、つまりは、詩歌のお見合いについてだ。付添人としてさっきまでそばにいたんだろ」

 

「―――しいかのことなら話さないよ」

 

 と方向修正を図ろうとしたら――得意分野のトークを遮られたからかやや不機嫌そうに――先手を打たれた。

 

「そう、約束したもん。とうまに余計な情報を与えちゃダメ、無茶苦茶になるってしいなも言ってたけど、この様子を見るとやっぱり正しいね。前に一度破っちゃったし。今度は絶対に守るんだよ。気になるんだったら、しいかに訊けばいいかも」

 

 正論。

 どうやら愚兄の動向は母にも察しられているように、まったくもって正しい。

 だけど、愚兄はそれでも、と食らいつく。

 

「頼む。今日あそこであってことを教えてくれ。どんな些細なことでもいいから。教えてくれたら、今度、好きなモンを好きなだけ奢ってやる」

 

「その手は食わないんだよ。私は口の堅いシスターなんだから」

 

 だいたい、とインデックスは逆に問い返した。

 

「ひとつ、訊くけど」

 

「何だ?」

 

「とうまは、基本的に後先のこと考えないよね」

 

「インデックスさんは当麻さんが無鉄砲な馬鹿だって仰りたいんでせう?」

 

 まあ、その通りだけど、と罵倒を受け入れつつも、半ば呆れた顔にひきつらせる苦い笑い。

 対する修道女は

 

「だって、そうだもん」

 

 と、微笑と苦笑とを混ぜ込んだような表情で、

 

「危険だって私が止めても、勝手に飛び込んで行くんだもん。とうまの頭の中には、怖いもの、ってのがないかも。おかげで、いっつも冷や冷やさせられるんだから」

 

 そばにいると地獄を共にすることになると警告した修道女は、警告を聴いたにもかかわらずに地獄から救い揚げて。

 もうこれしかないと自ら地獄から抜け出させるために、その命を投げ出そうとした能力者を、無理やりに説得して最強に打ち勝ち。

 それは“前”からも同じで、女王もまた。

 相手が助けて、と言わなくても、これだと決めた時の、愚直さはけして折れはしないし、果たすまで止まらない。

 

「別に怖いもの知らずってわけじゃないぞ。基本方針は命を大事にだからな」

 

 抗弁する愚兄を、インデックスはじっと見つめる。

 

「困った人がいれば、たとえその人から拒絶されたって、何が何でもその人の元に行く。これ、とても普通じゃできないし、普通じゃなくても同じだね」

 

 静かに、言い切る。

 その後、こう続けたのだ。

 

 

「―――そんな、頭で考えるよりも早く行動するとうまなのに、それでもしいかだけは例外なの?」

 

 

「……うん?」

 

 ?マークが愚兄の頭上に浮かぶ。

 まさしく、修道女の言葉は、愚兄の思考の盲点だったのだ。そう、上条当麻を周知ならば、上条当麻以外が思いつくような。

 

「心配だったら、とうまはもっと早く止めに入ってると思うんだけど。こんなところで中の様子を探ろうなんて面倒な真似なんてらしくないかも」

 

 それは、上条当麻に救われた、この車内にいる全員が思っていた事であろう。

 たとえそこがどんな所であっても、上条当麻が踏み込むのに臆したことはない。そして、ここで上条当麻を止められる人間は、おそらくいないし、教会にかけられた念動力も右手で打ち消せる。

 しかし、教会にすぐ近くに停められた車内にいる。一秒でも早く、と口では言いながらも、現実には大人しくしてる。躊躇っていると言い換えてもいい。

 なぜなら、

 

「しいかがとうまに助けるほど困っていないってわかってるんじゃない? こうやって中の様子が知りたいのも、助ける理由が欲しいから」

 

「……、ああ、まあ」

 

 自分でも気づいていなかったのか、今頃になって自覚したのか、愚兄は頬が肩に接するくらいに首を巻き傾げる。

 インデックスも、そんな愚兄を静かに見つめた。

 ほんの、数秒ほど。

 それから、柔らかく尋ねる。

 

「そんなことまでして助けたいなんて、それは、しいかが家族だから? 特別な時間を一緒に過ごしてきた相手だから?」

 

 少し面識があるだけでほとんど赤の他人でもあれだけ踏み入っていける自分が、ここまで慎重になってしまう理由。臆してしまう何か。

 十秒かけて、考える。

 十年後まで、考える。

 もしも、海原光貴が、本当に良い奴で、賢妹を幸せにしてくれるというなら―――賛成、すべきなんだろう。話を聞く限りでは、良い奴なんだろう、やり方は無理矢理でもそれは賢妹を想ってのこと。そして、どんな訳があっても、賢妹が自分で決めて受けたのならば、理由なく邪魔をするのは理不尽だ。これは良縁なのかもしれないのに、その幸せになれる機会を不意にしてしまうなんて、愚の骨頂。

 

 だったら―――反対する理由がない。

 

 首を巡らせた視界が、一人の少女を捉える。

 彼女、御坂美琴が、夏休みに偽彼氏になってほしいと頼まれたことがあったが、それでも自分はその海原(偽者)と話して、諦めさせようと逃げないで彼の気持ちに向き合ってやれ、と促したりもした。気に入らない理由がわからないと言ったりもした。

 しかも、今回はそんなことは頼まれてすらいない。

 

 だから―――。

 

 その理由で納得、しようとしてできず、さらに自分の内側を追い求めて―――何かしら近しい部分に触れかけたとき、ここまで沈黙を保ち、ほとんど蚊帳の外になりかけていた運転席から、割って入る声が上がった。

 

 

「『あらあ? あそこにいるのって御坂さんのお友達じゃない?』」

 

 

「え、……あそこにいるのって佐天さん……?」

 

「あ、ああ……さっきの」

 

 釣られて、意識を向けてしまう。

 触れかけた何かは、つるり、と滑って離れてしまった。また考え込もうにも、確かめようのない。

 

「? 様子が変だね? とっても急いでるみたいかも」

 

「ええ、何かあったかもしれないわね。もしかして、詩歌さんのいる教会に……」

 

 話を聞いてみよう。

 場の半数が異常を察知した以上、このままでは答えの出そうにない思考は中断して、頭を入れ替える。

 困ってる誰かの不幸を見過ごせない、“いつもの通りの姿勢で”。

 

 

 車内にいる全員が視線を外した時。

 誰も映っていないはずのカメラの映像に、『不幸』が、現れた。

 

 

教会前広場

 

 

 たかが、と済ませて、真剣さが欠けていた。

 ここまで、必死になるのは、弟が何かを見たのだ。

 そして、それを姉も誰もわかってくれないとわかったから、一人で突っ走っていってしまった。

 だからといって、かようにあっさりと弟の手綱を放した体たらくを、一体どう弁明すればいい。

 胸にはしる焦燥と不安とに耐えて、佐天涙子は走る。

 

「こンの! 待ちなさい!」

 

 と、追いかけながらキツい声で背中を叩く。

 

「一体、その“『外』の占いアプリ”で、何て出たの?」

 

「………」

 

 走るのにいっぱいいっぱいなのか返答はない。

 だが、聞こえているはずだ。その必死さも伝わっているはずだ。

 

「……『セイメイ様』は……会えないって言った」

 

 止まらずに、そう呟く。

 

「だけど、俺、納得できなかった」

 

「そう」

 

「『セイメイ様』は正しい選択がわかるんだ。だから、できるなら正しい選択肢があるはずなんだ。……だから、その理由を訊いたら」

 

 走るのを止めて、そこで言葉を止めて、躊躇を振り払うように姉と向き合う。

 

 

「詩歌お姉ちゃんの……『未来が殺される』からだ……って」

 

 

「……っ!」

 

 佐天の呼吸が止まった。

 ―――未来が、殺される。

 それは、今日で“終わる”ということ。

 

 

 姉弟が教会の門前で立ち止まった時。

 その念動力に固定された教会へ、『復讐』が、降された。

 

 

教会

 

 

 その『神』は、生物全ての運勢を知り、世界全てに何時でも現れる。

 

 

「―――お、っと。失礼」

 

 スーツの内ポケット、そこに入れた携帯機器が震える。両親からの連絡か、それともタイマーで定めていた時刻となったのか。

 海原光貴が何げなくタッチパネル式の携帯機器を取りだして見るとその予想は外れていた。勝手にダウンロードしたアプリが作動してる。

 黒い画面には北斗七星のひとつ―――

 

「? こんなの登録した覚えは―――」

 

 その“悪寒”に、上条詩歌は動いた。その発信源を叩き落そうと。しかし、すぐ手の届く距離にいない。

 

「それを放して光貴さん―――!」

 

 “黒い鏡のような”携帯機器の画面から、煙が出る。故障(ショート)ではない。

 証拠に、プツッ――と携帯を手に取った海原の頭の血管が破裂する、特有の禁断症状。

 そして、『煙』は自身を起こした“術者”海原光貴を生贄と定めて、呑みこもうとその姿を覆い隠すほどに広がる。

 

(させない!)

 

 今の詩歌はドレス姿。貴重品は皆預けたままで、道具も何もない。

 なのに。

 カチカチ、と鳴り、空間が、震えた。

 波に流されたよう、煙が揺れてまとわりついていた海原から剥がれる。

 <叩歯>。

 歯を用いて行う術式。特定の歯を、一定のリズムで噛み合わせることで魔術を成立する、詠唱も特殊な道具も必要なく、相手に見抜かれる恐れがないことから、至極実戦的な技法。

 鐘を使った魔術のように効果は基本的には『破邪』で、打つ箇所によって大まかに二つに分類される。

 右奥を鳴らし、神を拝するのを、<槌天盤>。

 左奥を鳴らし、凶事を祓うのを、<打天鐘>。

 今のは、<打天鐘>の変形で、『悪魔』を祓う教会の鐘楼魔術を身ひとつで模倣したのだ。

 

(だけど、本物の鐘を使うのと比べれば、その場しのぎの応急術でしかない)

 

 それでも瀬戸際に間に合わせるだけの時間は稼げた。

 『煙』が離れた隙に、詩歌は海原の身体に飛びつき、手放させた電子機器から距離を取らせる。

 

 

 そして、教会を“反転された”。

 

 

会教

 

 

 海原を視る。

 “魔術と”能力者の拒絶反応により、血を吐いているが、軽度。呪毒が残っているも、<手当>と<息吹>の併用で応急の処置は可能。

 

「し、いかさ……今の―――「わかってるから、無理してしゃべらなくていい」」

 

 詩歌は横たえる海原の左胸に右手を当て、左手を後頭部に添えて少し上体を起き上らせ、胸を絞るように息を吹きかける。

 これで楽にはなるだろう。蒼褪めた肌に血潮が通っていくように赤が差し始め、賢妹の吐息を吸いこみ裡に入れた海原は睡眠薬でも嗅がされたよう、緊張の糸が切れて意識が落ちた。

 だけれど。

 

 上条詩歌は鋭敏に感じ取っていた。

 まるで、巨大な猛獣の口の中へ放り込まれたように、闇が全方向から圧迫するのを。

 

(気味の悪いホラー映画に出てくる呪われた携帯ですか!?)

 

 術式が発動している。

 術者である海原光貴の手から離れたというのに、絨毯の上に堕ちた彼の携帯は依然として震え、黒煙を噴いている。

 教会全体も暗闇が濃くなり、アーチの天井はもう暗雲に覆われて、まるでこの空間だけ夜を迎えたよう。そして、向かって右側に朗読台とオルガン……左側にあったはずなのに。“左右が入れ替わってる”、というより、『鏡の中』だ。

 左右があべこべな、奇怪な現象。右手を意識すれば、左手が動く、長時間いれば感覚だけでなく正気も反転しそうな、狂った空間。

 教会は“異空間に取り込まれたのだ”。

 

 此処は、魔鏡の中の魔境。悪鬼が巣食う(ケダモノ)の胃袋。

 そして、噴き荒れる黒煙は、世界を荒廃させ、人間を畜生(サル)に堕とす風となろう。

 

(あの黒煙は、異質。触れるのは、怖いなんて……0930事件に出てきたあの怪物以来です)

 

 触れず、その黒煙が如何なる力を持つかは分かっていない。

 しかし、天性のものを経験で磨かれた直感と直観は、既に必敗を予期していた。

 

「……迂闊に触れるわけにはいかない。触れるにしてもその前に、術の解析だけでもしませんと」

 

 苦い顔で、呟く。

 魔道図書館の主たるインデックスがいれば、自分などよりよほどあてになるのだが、そんな贅沢は言えまい。無垢で小柄な修道女をちらりと思い浮かべただけで、詩歌は行動を始める。

 

「道具があれば、と言いたいところですが、ない。ひとりでここにあるもので対処しませんと」

 

 詩歌は直接その発信源の携帯に触れることはせず、まずはすぐ近くにあった教会の装飾品の燭台――刺してあるのは火を灯した蝋燭、を模したLED電灯である――を取る。

 上条詩歌は自身の体質が、呪毒の類に弱いことを知っている。<原典>であれば、『知識を保有してくれる』モノなら害を及ぼさないが、ただ相手を呪うに働く呪毒とは相性が悪いのだ。一触で致命傷となるのなら、投影しても対処できない。そして、全く知識のない素人のはずの海原がこの魔術を発動したとなれば、それは海で父刀夜のように偶然発動してしまったか、もしくは術者の意識をも乗っ取るものの可能性が高い。故に、触れる前に慎重に確かめなければならない。

 

「ここは、<乾杯>でいきますか」

 

 燭台からLED蝋燭4本を全て抜き取って、円を描くように――<打天鐘>で煙を祓いながら――周りながら物件を中央にその四方に配置、そして明かりを取られてただの棒となった燭台を中央の携帯機器の上に投げ置いた。四隅の灯は四つの影を生み、燭台を中心とした黒い十字架を生み出す。

 そして、詩歌の手には走り回りながら、掻っ攫った装飾品として教会に置かれていたワインとグラス。

 

 古来、『乾杯』のルーツは毒味である。欧州では、客に対し、そのグラスには毒は入れられていません、と証明する手順として行われていた。つまりは、もし相手のグラスに毒が入っていれば、自分もそれを仰ぐことになるのだから、毒は入れているはずがないということだ。

 

「ここから、<乾杯>には相手の企みを見抜くという意味が付加される」

 

 グラスにワインを注ぐと、ボトルを近くの客席に置く。ワインで満たされたグラスを目に当てるように掲げる。影十字の中央に配置した燭台に下敷きにされた携帯機器を、その赤い半透明のグラスの向こう側に見る。

 ながら、噛み切った指から、赤い液体に血を垂らした。

 直後。

 グラスの十字教の聖杯に対応させ、注がれるのは『神の子』の血――あらゆる傷を癒し、人を真実へ近づける奇蹟の恩恵を受ける。

 科学実験で試験薬の反応が出た試験管溶液のよう、赤いワインが透明になっていき―――色が消えずに残った赤が、グラス内に1mmぐらいの文字がびっしりと書き込まれた円形の浮かびあがらせる。それは魔法陣のようなもので、賢妹には“見覚えがあるものだった”。

 

(術式成功。汎用性の高い毒味魔術ですが、それゆえに専用の対処隠蔽妨害手段が多い。でも、これはそれに当てはまらない。十字教の魔術とは異なる様式なんでしょう。それに……)

 

 グラスを細かく揺らすと、その動きに呼応したように、陣形の中から、特に重要な部分に焦点を当てる(フォーカスする)

 

「これは、『悪魔』……それも、相手に『復讐』――――)

 

 繋がった。

 そして、賢妹がその正体を鑑定し終わった時―――パキン、と<乾杯>のグラスは割れ、影響力の増した黒煙は次の段階(ステージ)へと進んでいた。

 

(……本当、鏡の国のアリスにでもなった気分ですね。今度はトランプの兵隊さんが現れるなんて)

 

 黒煙は、人型と成る。

 

 ファックスで文字媒体を転送するよう、“生贄を芥子粒となるまで細かく分解して”、元あった場所から黒曜石の鏡を通して。

 

 アステカの魔術の神、<煙を吐く鏡(テスカトリポカ)>が、現世(ここ)に招かれん。

 

 

車内

 

 

 『あれ』は、黒曜石と翡翠の小片の寄り合わせ(モザイク)の仮面を被り、

 『あれ』は、表皮の斑点は瞬く星々、象徴とする大熊座を示し、

 『あれ』は、吐いた黒煙を巻くように纏う二足歩行の半人半獣だった。

 そして、

 

「『あれ』は、<山の心臓(テペヨロトル)>!?」

 

 心中で、絶叫する。

 絶望の具現としか思えない。

 圧倒的な、魔性の顕現。

 あの仮面は、イギリスに寄贈されているのと同じ様式、だけど、その頭蓋骨を模した仮面は『大英博物館』にある人のものではなく、獣の形態。

 正体は、間違いなく。

 『太陽に向かって跳ねるオセロトル(ジャガー)』――<山の心臓>。

 メソアメリカで最も凶暴であった豹となったアステカにおける魔術師の神――<魔神>の千の化身(ナワル)がひとつ。

 

「インデックス、あれは……!?」

 

「神様だよ。いくら触媒を用意しても、人間に使役できるような“(レベル)”じゃない、本物の邪神」

 

 頭の中の10万3000冊の魔導書の知識が正しければ。

 人間に原初の火を与えた文化英雄の神『翼あるモノ(ケツァルコアトル)』に、生贄を求める風習を排他するために第一の太陽の座を落とされ、海に放り込まれた。そして、ジャガーの化身<山の心臓>となって海から飛び出し、世界にいるすべての巨人――人間を食い尽し、さらには『ケツァルコアトル』を第二の太陽の座から蹴落とし、その際に生じた突風が人間から知識を奪い畜生(サル)に堕とし、世界に復讐した怪物だ。

 つまり、あの豹の戦士は、<煙を吐く神>の凶暴性を特に強調されたもので……

 

「方法は解らないけど、たとえ神格でも、『場』を整え、『門』を拡げるだけの魔力と燃料があれば、理論上は召喚できる。でも、これは召喚後の制御なんて考えてない」

 

 この日本でも、儀式を失敗し、機嫌を損ねてしまえば、神は<荒御霊>という鬼となる。いかなる奇跡も、術者もろとも滅亡させる災厄となる。

 

「本当に、ただ“招き寄せた”だけ……こんなの魔術じゃない」

 

 魔術とは、才能がなき者たちが、才能を持つ者になろうとした知恵と技術の結晶。でも、『あれ』は、知恵でも技術でもなく、力だけを抽出した真正の『魔』。自らを追い出した世界に存在するすべてを皆殺しにするまで止まらない、そういう『復讐』の概念をそのままに具現化させたモノ。

 そんなものを神懸らせて呼び寄せてしまう行為を、『術』などと呼べるはずがない。

 修道女の震撼は、それが魔道に通ずるものならば理解できる恐怖であろう。いや、知らなくても、事の重大さを本能で理解する。

 

 このカーナビに映るこれからを予見すれば、惨劇だと。

 

「何かよくわからないけど。だったら、その教会ごとふっ飛ばせば、あの仮面を被った変態空間移動系能力者も―――「だめ! 儀式場を破壊したら、向こう側に行ったしいかたちは帰ってこれなくなる!」」

 

 インデックスに叱責され、美琴、そしてもう先に飛び出していた当麻が立ち止まり……振り向かずに歯軋りで断裂した言葉を吐く。

 

「じゃあ……どうすりゃ……いい……」

 

 そこで、インデックスも言葉が詰まる。知識があっても、その向こう側を直接視なければ……

 

 

『―――粗雑な力場が集合したのと同じです』

 

 

 その惨劇の向こう側から――能力者が気絶し念動力の固定が解かれた――誰ともなく少女は語り始めた。

 

 

会教

 

 

 <舌訣>。

 舌を用いて行う術式。口内で舌先を筆に見立て、一定の文字を描き、魔術を発動させる。至極実戦的な、しかし、東洋の<仙人>が扱うような高度な技法。

 そして、詩歌がその口内に舌先が書いたのは『F』に似たルーン文字『アンサズ』

 知恵と戦の主神『オーディン』が最初に拾い上げた文字で、『全ての言葉の源』と言う一説もある。

 その意味は、『口』、『伝達』と『神』。

 ここ異空間となりかけている中で、カメラの回線から声を伝える方法は不可能だが、かすかな縁のつながりさえあれば口に『伝達(アンサズ)』を込めた<言霊>なら届くであろう。

 

「そう、木山春生の『レベルアッパー事件』で現れた<幻想猛獣(AIMビースト)>のようなものです」

 

 厳密には、違う。が、視ているであろう聴衆(オーディエンス)のことを考えるとこの説明で良い。

 

「外側からの使用者の思い込みに干渉し、<自分だけの現実(パーソナルリアリティ)>を誘導する。おそらく、使用している機材、原因は、携帯機器。ここ最近流行している占いアプリに、そのソフトを紛れ込ませていたんでしょうね」

 

 片足を犠牲に運命を見通す力を得た神ならば、占いは良く当たるだろうし、それを通して信仰させるように組み込ませるのも容易であろう。タッチパネル式の携帯は、電源を消している状態ならば、黒い鏡のようでもある。

 以前に、インデックスから教えてもらったが、

 リンゴとアップルは同じ意味。だから、ガラスの杖がなくても、透明ならビニール傘でいいし、タロットカードも絵柄と枚数さえあっていれば、少女マンガの付録を切り抜いても十分代用できる。

 それと同じように、黒曜石の鏡を、<煙を吐く鏡>を信仰させる件の占いアプリをダウンロードさせたタッチパネル式の携帯機器を霊装に当てはめたんだろう。

 <乾杯>で浮かび上がったのは、夏休み最終日で視たアステカ魔術の<原典>の<暦石>の様式の紋様だった

 <風紀委員>を悩ませていた原因不明の『呪い』、突然に学生たちが血を吐き出すのも感染症ではなく、魔術と能力者の拒絶反応だ。

 インデックスにも確認を取ったが、あの占いアプリは、<六壬式盤>をモデルに、表示画面に北斗七星を載せているように見えたが、違う。

 だから、あれは魔術とは関係ない、ただの占いアプリの可能性もある、と判断を遅らせて、後回しにしてしまったが、それはカモフラージュ。

 ―――北斗七星のひとつと繋がってる大熊座は、このアステカの神<煙を吐く鏡>の象徴だ。

 テーブルターニングの原型、ウィジャ盤の発祥は、アメリカ……その中米アステカの魔術師(犯人)もよく知ってるであろう。

 占いをする際に指をタッチパネルに触れる――魔術における容易な魔術儀式――そして、ランダムで占いに従わせて、その魔術における、その神を崇拝させる特定の手順を踏ませる。

 あとは、生贄を欲するような神だ、人知れず勝手に生気を利用し魔術を発動させる。三沢塾にいた塾生のよう、本人の意思を無視して魔術が使われている。

 

(……『外』からの侵攻が強くなってるというのに、何故、もっとちゃんと視なかったんですか私は……っ。話だけでなく、実物をインデックスさんに鑑定してもらえば……ええ、触れなくても召喚方法も大体予想がついてる)

 

 <山の心臓>――『太陽に向かって跳ねるジャガー』にある、破壊神(ジャガー)が目指す太陽とは復讐する宿敵『ケツァルコアトル』。『文化英雄』を標的にするならば、この科学という“文化”が創った発明品――携帯機器もまた跳びかかる対象(太陽)となる。

 携帯機器は、<煙を吐く鏡>の霊装にして、<山の心臓>の標的。これは、まず間違いなく科学と魔術の『協定』を破っており、<禁書目録>の言の通り魔術とも呼べない破滅的な代物。おそらく、自殺志願者じみた後先を考えないモノが仕組んだものであろう。しかし、見逃せば、学園都市を落としていたのかもしれない。

 詩歌は唾を呑みながら、徐々にモザイクがかけられたようなおぼろげな外観が確かになってくる『神』と相対しながら、

 

「学園都市の外周を囲む壁には、電波で情報を送受信できないように、極めて指向性の高い妨害電波が上空に向けて発せられています。壁から1m離れた場所でも自由にメールや通話ができますが、壁を超えるような通信は一切遮断されます。学園都市の情報を外に漏らさないように。

 『外』の一般的なインターネットからも切り離されていて、学園都市は独自のネットワークを形成している。『外部接続ターミナル』という施設を迂回すれば、『外』とも繋がりますが、“余計な小細工”が施されているモノはセキュリティに削除されるはず。

 ……そして、『上』の人間には足のつかない秘密の回線を持っている」

 

 つまり、この占いアプリ()を流したのは、『外』からではなく、『中』から。それも『上』の統括理事会に近しい人間。

 そこに、魔術師(犯人)がいる。

 静かに。

 この閉じようとしている異空間()の中で、賢妹は解答を続ける。

 

「……それ以上のことは、わかりません。ですが、犯人を捕まえなくても、対処法ならば簡単。このネットワークに取り込まれた、学生の携帯機器のデータを全て洗って、ダウンロードされた占いアプリ(ウィルス)を全て削除してしまえばいい。それで、『呪い』とかいう騒ぎも解消される」

 

 <御使堕し(エンゼルフォール)>も、自宅ごと魔法陣を破壊したら、クロイツェフに宿っていた<神の力>も元に帰った。

 それと同じ原理。

 ……でも、だからといって、この異空間から解放されるとは限らないが、今望めるのはこれしかない。

 

「まあ、短時間で全検索、全消去ができる映画に出てくるような映画に出てくるようなハッカーでも、こんな教会の中じゃ何もできないでしょうけど」

 

 と、振り返りカメラに向かって、

 

「それでも、やれることはやりきりますのでご安心を」

 

 ―――そこで、かすかな縁が断たれるほどに、異空間は進行した。

 

 

 

 最早、ここまで。声はもう届かない。

 しかし、もしいれば、だが、ここまでの情報があれば、彼女たちならば対処できるであろう。

 

「何の道具もなしにやれることは少ないでしょうが、宣言したからにはやります」

 

 気を失った海原の身体を黒煙から一番離れた奥の長椅子に横たわらせて、戻り、詩歌は膝をつき、手を組む。

 

「携帯から呪った相手、光貴さんに必ず『復讐』する『悪魔』」

 

 <煙を吐く鏡>は、生物全ての運勢を知り、世界全てに何時でも現れるような相手だ。

 時間、距離、運命。

 この『復讐』も、最適な時間で、最適な場所で、最適な方法で、成立しており、成立した時点で完了されてる。

 上条詩歌が勝てないと『未来』が決まっている。『復讐』は止められない。

 そして、触れるには『毒』が強過ぎると予見しながらも……その眼差しに籠った意志は強く、刃のように鋭利で、鋼のように堅固。

 <煙を吐く鏡(テスカトリポカ)>は、十字教では『悪魔』として認定されている。

 そして、ここは仮にも教会。東西南北四方に配置された影十字に<山の心臓>はいる。

 ならば、やることは決まっている。

 聖言(ホーリーワード)自体は、朝、洗礼場結界を敷いた愚兄の浴室から洩れてくる修道女の歌を聴いて覚えている。

 ただし、門前の小僧の真似事でできるようなものではない。

 インデックスのように信仰心が篤くない上条詩歌は、主の洗礼を他の要素で補填している。

 カチカチ、と左奥ではなく右奥を鳴らす<叩歯>は、神を拝する<槌天盤>。そして、続いて<舌訣>で口に『(アンサズ)』を書き、<言霊>に神と対話するだけの神格を帯びさせる。

 

「―――未だ主が太陽をお作りになる前、空は暗く、海は凍り、大地は霜に覆われていた」

 

 音階ひとつ外さず、定められた抑揚を守り美しい、しかし、噴き荒れる黒煙にも揺るがぬ毅然とした詩歌(スペル)が流れる。

 それは有名な句で、主が如何に慈悲深く、人々に『太陽』という恵みを授けたかに繋がる伝承の導入部。

 そう、“『太陽』でもあって、片足を捧げて世界を創造した”、二面性を持つ<煙を吐く鏡(テスカトリポカ)>を十字教の形式に合わせるようにアレンジした洗礼詠唱。

 祈りとは、心の在り方を示すもので、所作に決まった形はない。たとえ、黙祷でも、合掌の形ひとつでも伝わるだろう。

 して、その胸元に組まれた、少女の手は何かを包むようで。

 東洋で手の指で形作る印形が、神仏の在り方を示したように、手は顔ほどに物を言う。美術界における格言だが、魔術でも数千年前からその境地に至っている。

 

 手は……神を表すと。

 

 今、賢妹の両手が示すのは、眼前に拝する『悪魔()』。

 そして、聖言の終わりに、その手の平合わせた空洞に、ふぅ、と息を吹き込む。海原光貴の毒気を中和したように。ぶつけ合う相殺ではなく。

 破壊と創造の二面性を“生かして”、中和させる。

 

(あなたが誰なのかは私は知りませんが、ここであったのも縁)

 

 光を当てられた熱から氷が解けていくようだった。

 あと少しで実体化するはずだった黒煙が薄くなる。そのまま、『悪魔』であった<煙を吐く鏡>は、『太陽』へと成り変わろう。

 そうなれば、魂を生贄に囚われた、その躯も解放される。

 <山の心臓>ではなく、その仮面を被らされたその人を弔える。

 かつて、<刻限のロザリオ>に捧げるために、アニェーゼ=サンクティスに施されようとした“改造”。

 頭だけでなく、心も、魂をも、道具に合わせて歪に手を加えられたもの。

 名前も知らない相手だが、その誰かがその名前(じぶん)を取り戻せるのなら、賢妹には負け戦に挑むだけの価値がある。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あの教会の扉に触れた、途端に姉と一緒に呑まれて……その声に起きた。

 

「……………っ」

 

 門を開けて、息を飲んだ。

 わかるのだ。

 本物が。

 たとえ、力場も魔力も見えなくても、天変地異が巻き起こらなくても、あそこにいるお姉さんは本物だという―――それだけのことを、この肌が、震える背筋が、胸の高鳴りが理解した。

 

 ―――指が、動く。

 

 それは偉大な預言者が、一世代を築いた魔術師が、天使に自動書記と筆を動かされたように。

 この出会った縁に『触』発されたように、あのお姉さんはいるだけで容易に未来を予測させる――聖堂の奥で微笑む主教が、有能過ぎるからこそ御し易い、と称するように――強烈なファクターだ。

 その祈り。

 『媒』という字の語源は『両手を重ねて跪く女性の象形と、口中に一線を引く象形、神木が繁茂する世界という象形の合わさったもの』で、今がそう。

 その触れて仲立ちをする彼女は、周りの進化を加速させるような“触媒”なのだ。

 

 そして、タブレットに表示される文字板の上を滑る軌跡を見て―――

 

 

 

 一秒に1cmずつ正確に、コンマ1mmも狂わさず、渾身の綱引きで勝ち続けるような作業だった。気の狂いそうな精密さと剛力とを同時に要求されるその内容に、それでも詩歌は耐え続けた。

 一秒を稼ぐのに一分、一分を稼ぐのに一時間を消費するかのような途方な錯覚。

 それでも有言したからには、時間を稼ぐためならば、数年の孤独も、数十年の牢獄も、彼女には諦める理由とはならなかったであろう。どころか、これまで培ってきた技術と能力だけを武器に、壮絶な神への子守唄のような対話さえも成功しようとしている。

 

(……よし、ここまで毒気を浄化できれば)

 

 大分、その黒煙の噴出が収まってきて、その携帯機器が見える。この様子ならば、黒煙に触れなければ、その『核』に触れても問題はないはず。

 『神』を投影して、干渉する。そうすれば、削除するまでの、救助されるまでの時間は稼げる。

 そして、あの贄の男を解放ができるかもしれない。

 立ち上がり、詩歌は、鞘から抜くようにその白手袋を取った。

 聖言を歌いながら、機嫌を損なわないよう、少しずつ身長に歩み寄り。

 外気に晒したその白い右手で、黒煙の中核たる電子機器に触れようとし、

 

「―――ダメだ! お姉さん!」

 

 その直前で詩歌は、固まった。

 それは忠告に従って静止したというより、吃驚して動きを止めた。

 ……言い訳であるが、賢妹はそれだけ祈りに集中し、異空間(ここ)は他にいるはずのないと人の気配を探るのを怠っていた。

 

「え……!? まさか、ここに、私たち以外の人も取り込まれて、って、それも涙子さん!?」

 

「お姉さん! それに、近づいちゃダメだって、『セイメイ様』が!?」

 

 ―――そのときだった。

 

 

 Bububu、と、“電波の途切れた筈の異空間で、『黒鏡(携帯)』にまた着信が届いたのだ”。

 

 

???

 

 

「惜しかったな。可愛い花嫁さん」

 

 仮面の眼とリンクさせた黒曜石の鏡から、その光景を視ていた

 傍らに侍る、ゴム手袋のような“骨が消費された”腕を持つ少女の頭を撫でながら。

 

「十字教で『悪魔』と認定されているのなら洗礼による浄化は可能だ。だが、その逆も考えなかったのかね?」

 

 今教会(そこ)は反転している。廃墟となってしまった教会は逆に魔を呼び込むよう、わずかでも異空間に取り込まれているのなら、そこも<煙を吐く鏡>に染まる。なれば、遠隔からでも再び『汚染』させることは容易だ。

 

「……ぁが……ぃぎ……」

 

 風船のように膨らんで、そのゴム手袋のような腕は元の形を思い出す。中には自らの肉体が育んだ人骨ではなく、黒曜石の埋め合わせ。

 道具となり果て、身体からありとあらゆる生気を抜かれた、それでも、その少女の面相が歪む。

 

「人は叡智を以てすれば、『神』をもモノにできる」

 

 向こうの花嫁の面相には、驚愕が浮かんでいる。

 ―――勘違いしている。

 直接視れていないとはいえ、<禁書目録>もこの『神』を制御などできないと思っていた。ただ喚起させただけで、無秩序に暴れさせるしかない、自暴自棄を起こしていると思われただろう。

 違うのだ。

 人間の魔術師には不可能。しかし、<原典>に記された秘儀ならば。

 アステカ文明のカレンダーで、世界の破滅と再生を記載した<暦石>の一節<月のウサギ>。『神々が月にウサギを投げつけることで、その輝きを弱めた』という話だが、それを応用すれば、月光を消して夜の闇を強くさせる――『汚染』と、ある程度の『誘導』ができる。

 そして、世界をも滅ぼせる邪神に抗うなど、誰にもできるはずがない。

 これが、現実。

 魔術は、才能なきものが理不尽を叶える神秘などではなく、異界に属しているだけでの、結局は弱肉強食でしかない、ヒエラルキーに則ったシステム。

 

「『ウサギの骨』、『夜の斧』は試したが、『山の心臓』でのカタチでの実戦投入は初めてだったが……わざわざ『改造』した死体を使い捨てなければならないのが難だな。ふむ、<ウサギの骨>のように自動補充ができないものか」

 

 もう、たまたま居合わせてしまった花嫁――裏切者が畏れた存在など、眼中にもない。

 

 

教会

 

 

 ―――魔術師が不慣れな、科学技術の方を叩く。

 

 

『―――わかりました。30分以内に処理して見せます』

 

 そう、応援を頼んだ<風紀委員>の初春飾利が請け負った以上、問題の占いアプリが一網打尽になるのは、規定事項だ。

 <守護神(ゴールキーパー)>。

 その二つ名が与えられた初春の思考法は、『とある機構を様々な角度から想像する』というもの。

 根の先端から、茎と葉のルート、そこに浸透する水や養分の流れを俯瞰するよう想像し、最終的に『花』のようなシステムの全体像を脳内で仮組みする。

 初春飾利は、才能こそあれば、恐るべき<自分だけの現実>を確立し、高位能力者となっていただろう逸材で、情報ネットワークであれば高位能力者をも手玉に取る伝説的なハッカーである。

 妹も、情報処理はある程度できるのだが、その分野では初春には敵わないだろうと前に言っていたのを覚えている。妹が異能の関わらない純粋な技術で自身より上だと認めているのは、学生寮の管理人の護身術やカエル顔の医者の外科技術などとその道を極めたといってもいい超人で、つまりは彼女に匹敵するような電脳解析者は世界に片手の指で数えられるほどしかいないだろう、というのが愚兄の評価だ。

 問題となる<守護神>の能力を十全に発揮できる演算装置は、第177支部のシステムでは不足だが、

 能力において、最高の電子制御能力を持つ超能力者が、“一万を超える応援”と協力をして、スーパーコンピュータークラスの高スペックのマシンを代用してくれた。

 またその魔術師が潜んでいる上層部から<風紀委員>へ処理を止めるよう、圧力をかけてくるものと思われたが、もうひとりの超能力者が根回しをしたのか、むしろ都合よく推奨されてる。

 そして、苦手な機械の画面と睨めっこしながら、その問題となるポイントを、能力者たちが迂闊に触れないように、その道を誰よりも識ってる図書館の修道女が助言役(アドバイザー)を果たしており、それを横で聞きながら、それ(オカルト)が何であるかと理解しないまでも超能力者の後輩は従ってる、

 

 中で、上条当麻は“誰もいない”教会の中に踏み込んでいた。

 

「………」

 

 人影どころか人の気配すらない。

 あったのは絨毯に落ちていた電源の切れたタッチパネル式の携帯。

 それが、妹達をこことは別の場所へ送り込んだ原因で、そして、そこから出るための出入り口でもあるとインデックスは教えてくれた。

 だから、壊すわけにはいかない。その幻想を殺すわけにはいかない。

 そして、神を拝する気もなく、教会の中央に立つ上条当麻は、門を開けた人物にはひどく目立つものであった。

 

「あら、当麻さん?」

 

 

 

 そのよく似た声に、振り返ると――――右手に門に手を掛け、左手を口元に添えた上条詩菜。

 母と息子の久しぶりの対面である。

 

「母さん……」

 

「やっぱり当麻さんがいましたね。詩歌さんは内緒に、とか言ってたけど、本当、あの子は“中途半端”なんですから。でも、これから当麻さんが元気かどうか顔を見ようと会いに行こうと思ってましたから運が良かったわ。それで詩歌さんはどこにいるんです?」

 

「あー、母さん。当麻さんはたまたまここにいるだけで……」

 

「あら、当麻さんが参拝? うちは無宗教だった気がするけど、インデックスさんの影響かしら?」

 

「いや、それも違くてですね」

 

「じゃあ、何かしら?」

 

「それは、その……」

 

 母に歩み寄られ、問い詰められて、窮す息子。

 今日のお見合いに、当麻は呼ばれていない。教えられてもいない。困ったと相談されてなんかない。こっそりシークレットサービスを頼まれたわけではない。

 助っ人に呼ばれたのは、インデックスで、そして、母親だ。愚兄ではない。

 だけど、そのことを実の母親に知られるのは息子的に妙に恥ずかしいし、もう進学の問題は解決したとはいえ、海の一件であまり兄妹仲良過ぎるところ、兄離れ妹離れができていないと親にいらぬ心配させぬよう(バレていたが)演技していたのだ。

 

「インデックスを迎えにきたんだ。アイツが第十二学区で迷子になってるって電話で泣きつかれてね。何となくアイツが来そうな教会に寄ってみただけで」

 

「そう? では、ここで留学の面談がしていたことは当麻さんは全く知らないんですね?」

 

「留学の面談が行われてたなんて当麻さんは全く知りませ……………うん? リュウガクノメンダン?」

 

 思わず、母の微笑を見る。

 そんな息子を見ながら、詩菜はオウム返しを返す。

 

「はい、留学の面談。

 近々、詩歌さん、海外に行くとか。そこのところの学校との調整にもと、普通は先生とするものなんですが、広域社会科見学でパブリックスクールを学ぶために英国に遠征したことがあるとかで、海原さんに相談してたんです」

 

「うん……じゃあ、何でインデックスが呼ばれて、当麻さんが呼ばれてないんでせう?」

 

「あら、インデックスさんは英国出身じゃないんですか? 文化交流にはインデックスさんの意見も大事ですよ。それに当麻さんは英語の成績があまりよろしくないと聞いてますが」

 

「あー、うん……そりゃ、相談されねーよな。いや、でも何でただの面談で教会?」

 

「教会は相談事をする場ではないのですか?」

 

「何か結婚式体験っぽいことしたんだよね?」

 

教会(ここ)は、海原家が<学舎の園>では触れられない神学方面の文化学習のために建てられたんですが、花嫁体験もされているようで、その宣伝に載せるモデルとなってほしいと。ドレスを仕立ててくれるというので、是非に。詩歌さんは成長期で去年のドレスがもう窮屈で大変。英国(向こう)で社交界にも出るそうですから、そこでのパーティドレスが必要になります」

 

 ………ということはだ。

 海原何某とのお見合いなんちゃらかんちゃらは単なる偽情報で、結婚なんて話はそもそもない。学校側の理不尽な圧力とかもなかった。こっちが勝手に早とちりの誤解しただけで………

 

「それで折角だから、この縁をいい機会にと、海原家(あちら)から縁談も持ちかけられました」

 

「はあ!?」

 

 ―――はないようだ。

 

「刀夜さんのアレは子供たちにもしっかりと遺伝されてるようで……あら、どうかしましたか当麻さん?」

 

「もし? もう一度訊ねますが、母さん、今日は留学の面談じゃないのでしょうか?」

 

「ええ、こちらのメインはそれです」

 

「表向きは、ということか。

 いや、その山原とか海原とかいう奴が結構モテるとか言う話を聞いてるけど別にそれで当麻さんは生理的に受け付けないから―――なんてことはもちろんない。

 万が一、いや億が一に世間一般的に、アレが美男美女のお似合いのカップルみたいに見えなくもないとしても、当麻さんの苛立ちを増長させる―――要因とはなりえない。

 ましてや、詩歌が納得して臨んでるなら、兄としては少し寂しく思う―――なんてことを、妹の幸福を常に願っている当麻さんが考えたりするはずもないわけであります。

 が。

 勝手にそんな人の人生を決める一大事を仕組むなんてことが許されるかどうか。そこのところを―――」

 

「そんなことよりも」

 

「そんなことって簡単にぶった切れるような話ではないと思いませうが、その縁談は断ったんですよね母上!?」

 

「当麻さんは、どうなんです? いないんですか? そういう人」

 

「いや、それより詩歌の見合いがどうなったかをね」

 

「これに答えてくれたら教えてあげます」

 

「残念ながら、そんな見合い話どころかラブレターが下駄箱ポストに舞い込んだことすら一度もありません」

 

「あら? 当麻さんはいつも綺麗な女の子に囲まれてると話は聞いてますけど」

 

「それこそデマだろ。娘と違って息子は異性にモテないぞ母さん」

 

「美琴さんやインデックスさんは?」

 

「確かに美少女なんだとは思うが、年下の女の子に手を出すのは考えられないだろ」

 

「あら、刀夜さんは私よりも幾つ年上だと思います?」

 

「見た目でふた回りくらいありそうな両親の歳の差話よりもですね。当麻さんが知りたいのは娘の話。質問に答えたんだから、教えて!」

 

「では、好きとかそういうのではなく、当麻さんが気になる子は?」

 

「だから、詩歌だ! 今、俺は詩歌のことが気になるんだ!」

 

「………はあ。本当にうちの男性陣は。今問い詰めても無駄なようですねこれは」

 

 心配なのは娘だけではないようです、と母は頬に手を当て、

 

「もし向こうに遠慮して言い難いんだったら、俺が代わりにお断りをして」

 

「若い者同士にお任せ―――その件は、詩歌さんと海原さん次第と決まりました。親で子供の婚約を決めたなんて……私達の時で前科持ちの刀夜さんが後で知ったら大変ですから」

 

 おっとりとした仕草や丁寧な言葉遣いの端々から良家の雰囲気を匂わせる母だが、もしかすると本当にいいとこの令嬢で、妹の社交性もお嬢様学校の教育の賜物だけではなく、その血筋によるものもあるのだろうか。

 その昔の修羅場を想って微笑できる人はそうそういないはず(何故か、愚兄の身近には割と良く見る例だが)。

 

 

「……それで、詩歌さんの姿が見当たりませんが、当麻さんどこにいるか知りませんか?」

 

 

 少し、息を止めた。“真剣にいつもの調子を演じたのに”。

 一度は避けたはずの最初の“答えられない”質問を、また息子に問う。

 兄妹の母親は、ゆっくりと口元を掌に隠す。清楚というより、茶目っ気な。外見だけ見ても、十分以上に若々しいパーツの組み合わせなのだが、雰囲気もまた外見相応に。

 

「もしかして、何かの事件(トラブル)に巻き込まれたのかしら? ―――ね、当麻さん?」

 

 と、話しかけられる。

 

「………」

 

 愚兄は、黙りこくってしまった。

 失手というとかではない。怪しまれないようにするには、ここでの沈黙は、肯定しているようなものだ。

 あのチャリティのイベントで、上条当麻は、御坂美鈴から、『学園都市から娘を取り戻しに来た』モンスターペアレントだったと教えられた。

 ならば、もしもこれから子供たちが危険な真似をしようと“自ら”踏みこもうとしているのなら、

 あの海で、父親は、子供(自分)達のために、土御門元春(プロの人間)に立ち向かった、

 そして、その妻であり、子供(自分)達の母は―――

 その二度目の質問に、すぐに言い逃れの思いつくはずのない。

 すると、

 

「くふふ」

 

 と、母親は身を折って笑った。

 

「まあ、実は答えなくてもいいんです、この質問」

 

「え?」

 

 当麻は、瞬きする。

 

「いえ。最初は、またあの子が一人で抱え込んでいるんじゃないかしらとも思ってましたけど、その辺は“お兄ちゃんを見て”もう解消されてるんです。今の質問は、単にちょっとした意地悪と意趣返しです」

 

 くるり、と180度をターンして、詩菜は背を向ける。

 あっさりと追及を止めてしまったことに、助かったと思い、また何故と疑問に思う。そんな息子の戸惑いを空気で察したのか、遠い目になって、

 

「隠し事があるなら、別に黙っていてもかまいません」

 

 ゆっくりと、話す。

 

 

「だけど、たとえ黙っていたままでも、私と刀夜さんは当麻さんと詩歌さんの親―――ひいては味方です、とそういうことを言いたかったんです」

 

 

 言葉もなかった。

 ただ、驚いた顔で、兄妹(自分)らの母親を見つめていた。若々し過ぎる微笑の麗人は、けして興味本位で非日常の世界へ踏み込もうとしているわけではなかった。

 むしろ、逆。

 日常と非日常を往復する子供たちを――当麻と詩歌をせめて見守って、できる限りの援助をしようと言う、そういう心持ちの表れ。

 それを意地悪な質問に隠したまま、意図を示して、

 そして、“お兄ちゃんを見て”とだけの事実で、そのまま背を向けた―――()息子()に託していることを無言で、意思を伝えてくれた。

 

「本当、すぐ隣にいたのに少し目を離しただけで、いなくなってしまう子でしたね。当麻さんが家を出て一年目の<大覇星祭>に、初めてこの街に来た時も、急にいなくなったと思ったら、天使様と遊んでいた、なんて言ってましたし。

 そんな迷子でも当麻さんが見つけてくれるのでしょう。昔からそう」

 

 して、愚兄も簡潔に応えた。

 

「―――ああ、その役目だけは、親にも譲れない」

 

 兄妹の母は、娘に別れを告げず息子を残して教会を後にした。

 

 

会教

 

 

「お姉さん、逃げてッ! 『未来が殺される』!」

 

 んん、と耳元で騒がれて佐天は閉じた瞼を振るわせ、開けた眼のぼんやりと視界に、良く世話になってる彼女を見つけて、

 それから弟が何やらその彼女に訴えていている状況を把握。

 何度も瞬きをして、ここまでの展開を思い出そうとする。

 ……えーっと、確認しよう。

 まずこれは夢じゃないと仮定して、今日はお見合いという用事で会えなさそうで要望をどうしようかと悩んでたら、何やらこのままじゃ危険だとか弟が騒いで、教会の扉を開けようとしたけど突進してもびくともしなくて、そこから何か記憶が飛んじゃってるけど、でも暗いけど礼拝堂っぽい場所に出ているということは中に入れたということで、そういえばあたし、式に乱入とか想像したけどまさかそれが実現しちゃった形? じゃあ、これから花嫁をさらっちゃう? いやいやそれはダメでしょ、と自分に突っ込んでみたりして―――そこでようやく。建物の中央で黒い煙っぽいのが……昇る煙につられて上を見れば、今にも雨が降りそうな暗雲と見間違えるほど充満しちゃってるのを確認して、我に返った。

 

「へ、火事―――って、落ち着いてる状況じゃないでしょっ!?」

 

 と勘違いしたが、危機的な状況だというのには間違っていない。

 そして何やら火中の危険に飛び出そうとしてる弟を押さえ、ようとして逃してしまい、

 

 ―――空間がざわめいた。

 

 異物。

 見知った少女と、その気を失ってる姉の肩を担ぎながら叫ぶ少年。ここにいるはずのない、邪神の招かれざる客。その彼らの周囲に、不可視の―――しかし、上条詩歌には確かにナニカを、異なる気配を嗅ぎ取っていた。

 それは、同じ怪物の獣人も。

 初めて、獣人が動いた。

 鬱陶しい蠅でも追い払うかのように、その指を広げる。

 それだけ。

 ただ、それだけなのに。

 凄絶な気配が立ち込め、アーチ天井に充満した黒い煙が塊となって、飛び出してきた佐天弟へ落された。

 一瞬硬直した少年の身体は、まるで羽毛のように吹き飛んだ。

 

「笑太!?」

 

「―――!」

 

 刹那、ほとんど反射的に、詩歌の身体は教会を駆け始めた。

 標的の頭上ではなく、その前の床に激突し、暴風となって荒れ狂う黒煙を躱し、参拝客用の長椅子を蹴って跳んだ。ドレスを着ているが、そんなことはまるで感じさせない軽い動き。

 幼い少年の身体を宙で抱きとめ、佐天の方へ叫ぶ。

 

「涙子さん、足場を飛ばして!」

 

「は、はい!」

 

 慌てて佐天は<風空飛弾>で固めた大気をその着地点に飛ばし、詩歌の指示通りに踏み台を作った。

 望んだ着地点から少しずれたが、飛来する空弾の上を爪先で触れ――投影――着地。『噴出点』を新たに設置し、一周弧を描いた際の遠心で体勢を安定させると、黒の大波を渡り超えて跳び、ゴロゴロと床を転がる。

 ドレススカートが破けて形の良い脚が付け根近くまで露わになり太股に巻いたキャットガーターが露出するも、全く気にならなかった。

 数回転しながらも佐天の前で立ち上がり、そこへ佐天が必至の思いで叫んだ。

 

「笑太!」

 

 返事はなかった。

 詩歌の腕の中の少年は、すでに気を失っていた。

 それでも、息をしていることは分かった。想像したほどの怪我ではない。黒煙が激突する直前、少年の方が身じろぎした気もしたが、そのせいだろうか。ひょっとすると、この“違和感”が原因なのか。

 おそらく、すべてが分かっていたわけではない。

 オカルトを知らない一般人には、黒煙は火事にしか見えないだろう。佐天涙子のように未知に対してはある程度の辻褄は『常識』というフィルターが合わせてくれる。避難させようとするのは別に不思議なことではないが、それでもあそこまで必死に叫ぶことはない。忠告も間一髪のタイミングだったが、もしそれを予知していたとならば。

 ―――いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 だから、無駄なことは言わず、詩歌は淡く微笑する。

 

「大丈夫です。軽い脳震盪を起こしたぐらいですから」

 

「本当ですか、良かった……」

 

 直撃は受けていない。

 少年を優しく押しつけると、佐天は何も分からないけれども、と言った表情で、ただ宝物を受け取るようにして抱き寄せた。

 それから、刺激しないように、そっと離れながら、詩歌の横顔はまるで肖像のように白く染まっていた。

 黒煙の先から獣人が、こちらを向いているのだ。

 

(まずい、目覚めかけている……っ!)

 

 初撃の狙いが甘く、佐天弟に直撃しなかったのは、“まだ起きていなかったからだ”。

 あれは正確には、アステカの邪神としてのカタチを成す―――前の段階だ。

 そんなものが、まともな『力』を発揮するはずがないのだ。

 どのような使い魔(アガシオン)であろうと、その『力』を発揮しうるのは、カタチがあればこそだ。カタチとは器と呼んでもよい。

 しかし、だ。

 <正体不明(カウンターストップ)>のヒューズ=カザキリ。

 <神の力(ガブリエル)>のミーシャ=クロイツェフ。

 それらは、たとえ『器』が不完全であろうと、その原則を超えた存在であった。

 地方とはいえ、神とされるほどの強大な存在。

 それほどの力があれば、明確なカタチがなくとも、世界を蹂躙するに足るだろう。何故ならば、それは『災い』とも『荒御霊』とも『祟り神』とも呼ばれる、自然崇拝(アニミズム)の神の原始的な姿なのだから。

 

「……せめて、あと10分あれば」

 

 ぎり、という音。

 一歩前に出た詩歌は、まるで悔いるように、強く歯を鳴らした。

 

 

「―――では、その時間、私が稼ぎましょう」

 

 

 その声に、静かに応えた者がいた。

 

「それが賢明です。いくらあなたでも、その二人を庇いながらでは無理でしょう。アレが何なのかは私にはわかりませんが、私を狙ったものなんでしょう」

 

 庇うように、一歩出た。

 しかし、その身体は瘴気を諸に受けた筈で、まだ無理ができるような体調ではない。

 いくらか回復した顔色もまだ蒼白で、いつも身の内に膨大な光量を蓄えているようだった青年からは、今この時、強がりとしか映らない虚勢にしか映らなかった。

 

「……ええ。聴こえてました。詩歌さんの声は良く通りますから。アレの『悪魔』とやらは、私に『復讐』するために現れたのでしょう」

 

 海原光貴はゆっくりと振り向き、淡く笑った。

 自嘲の、笑み。

 

「私が死ねば、『悪魔』は引き返すかもしれない。あなた達は見逃してくれるでしょう。―――これ以上の無様を、巻き込んでしまったあなたに見せるわけにはいきません」

 

 足を引きずりながら、今も黒煙を噴く獣人へと近づいていく。

 その推測は、正しい可能性が高い。

 生贄を求める邪神ならば、その生贄を与えるのなら、満足しよう。

 その肩を、仄かに輝く拳が掴んだ。

 

「……ません」

 

 海原光貴の行く道を阻み、上条詩歌は拳を握りしめたのだ。

 

「そんなこと、賢明などと認めてません! 私に相応しい人となりたいのなら、愚行でもまず生き延びろ!」

 

 可憐な少女から出たものとはとても思えない雷にも似た怒号が、賢妹の喉から発した。

 その場の人間は目を見開き、獣人の動きさえも一瞬停止したように見えた。それだけの声量と感情が、詩歌からは溢れかえっていた。

 

「ですが、あなたでは敵わないと―――」

 

「だったら、そんな現実を投影した幻想が塗り替えればいい。それとも何です、光貴さん。一度の失敗した詩歌さんは、もうそれで見限るつもりだというつもり?」

 

 八重歯を見せるよう、恫喝する。もっとも、元々が愛らしい造形の顔なので、あまり効果を上げているとは言えないが。

 

「………」

 

 何とも言えない感じで、海原光貴は微苦笑した。

 

「……いいえ、自分があなたから見離せるわけがない。釘付けですから」

 

「よろしい」

 

 上機嫌に、詩歌は頷く。

 それから、弟を抱いたままの佐天に視線を走らせると、何かよくわからないんだけど、こくこくと頷く。

 

 

「じゃあ、全員。上条詩歌に力を預けろッ!!」

 

 

 

つづく


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