とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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第1章
幻想御手編 兄妹の修羅場


幻想御手編 兄妹の修羅場

 

 

 

ゲームセンター 裏

 

 

 十日前。

 

 

『よう、ちっと金貸してくんね?』

 

 

 帰宅途中、その、“いつもの”に、呼びかけられ、連れてこられた。

 相手は、三人。

 新学期に入ってから目を付けられてからもう何度もされて手慣れたもので、一人は恐喝、一人は見張り、一人は、無能な奴らの誘導だ。

 

『ヤツらって本当頭カテーよなあ。ちぃっとガキのカバンを盗っ(借り)ただけで、見回り後回しにして探し回ってんだしてさ。で、そっちはどうよ?』

『こないだ貸した分まだ返してもらってねーとかごねちゃってさあ。ちゃんと出世払いで返すって言ってんのに。無期限無利息無制限がコイツのウリだっていうのにさあ』

『壊れた自販機と同じで、この異能力者(Level2)様はいちいち叩かねーと直らねぇけどな。あ、一応、小銭は残しといてやんよ』

 

 この学園都市の奨学金制度は、学生の能力強度に比例してその額が決まる。

 この無能力者(Level0)よりも、異能力者の自分の方が毎月多く貰っている。だが、Level2ではあくまで能力があるとわかっているだけで、日常では役に立たない、喧嘩にも使えない。3人に囲まれてしまえば簡単にやられる、いい金づるだ。

 

 クソがっ……。

 何やってんだよっ!!

 どこに目を向けてんだよ!!

 無能力者っつうゴミを見落としてんじゃねぇよ!!

 オマエらが無能だから、僕がこんな目に遭うんだ。

 気付けよ……!!

 

『んで、そのカバンどーするよ』

『捨てちまえ。証拠隠滅だ』

『どうせガキの小遣いしか入ってねーだろ』

 

 そして、何もかも奪っていった奴らが去ろうとした寸前。

 向こうから、彼女の、涼しげな肉声が抑揚ゆたかに響いた。

 

『あなた達には、何の変哲もないただのバックかもしれないけど、それは両親からのお誕生日プレゼントです。返してもらえません?』

 

 それを聞いた三人が、一瞬の驚き顔を経て、媚びるような笑みを浮かべながら、舐めまわすように見る。

 

『おい。何見張りサボってんだ』

『ちげーよアイツらじゃねえ。ほら、腕章付けてねーだろ』

『それにアレって確か常盤台の制服じゃね』

 

 あそこは最低が、強能力者(Level3)

 そして、ちょっと脅せば靡くような暴力と無縁で世間知らずな箱入りのお嬢様。

 コイツよりいい金づるになる。それにどうせ見られたからには口を封じなければいけないなら、この上玉を……そう、考えたのだろうか。

 目配せし合う彼らの思惑を知ってか知らずか、少女は続けて、

 

『それに、お金が足りないようなら、いいバイト先を紹介しましょうか? 陽菜さんが三人ほど男手が欲しいと言ってましたし、ちょうどいい』

 

 三人は、少しの戸惑いの後、自分から今度は、少女を囲み始める。暴力に麻痺していたヤツらは、麻痺していたからこそやってきた女が欲しくなったのか。これまで陰気なヤツから金をせびっていたとなれば、砂漠に咲く花に他ならない。この追い詰められた状況が、普段では出せない、抑圧された感情を剥き出しにして少女を威圧する。

 

『そうだよ。俺達金に困ってんだ、お嬢様、恵んでくれね?』

『権限もなく能力なんか使ったら<風紀委員>に目を付けられるのはお前の方だぞ』

『大人しく俺たちと遊ばねーか。そしたらガキの大事なカバンを返してやるよ』

 

 じりじりと近寄りながら奴らは言う。既に逃がさないように囲んでいるあたり、三人の心は一つのようだ。

 しかし、それでも揺るがない。一対三という状況にもまるで臆さない。

 少女は、カバンを持った一人に無遠慮に自分から近づいて行き、見上げながら言った。

 

『私と、遊んでほしいんですか?』

 

『そうだ。ちょっと付き合ってくれるだけでいい

 

 

 ―――右手が振られた。

 

 

 手首による一撃が顎をかすめ、顔が奇妙に歪む。下顎の骨が外れ、真横にずれたのだ。

 その痛みに目を白黒させながら顎を両手で押さえて地面に崩れ落ちる男子学生には目もくれず、放れたカバンは地面に触れる前に少女が取った。

 

『ちょっと、遊んであげました。カバンは返してもらいます』

 

 冷たく言い放つ少女に、残る二人は罵声を浴びせようとはしなかった。

 今の一撃は、能力など使ってない。なのに反論の材料も与えず、反感を買う気すら起こさせずに場を鎮静化させる危険度。

 ただのか弱いお嬢様の目ではなく、見る者を畏れさせずにはいられないその目。たとえ、能力を使わずとも、本質的な格で劣るとわかる。ハッタリの通用しない狂犬でも、本能でわからせる。

 雑兵には触れることすら許されない。

 ようやくそれが理解し始めた二人は、視線に圧されたように後逸する。

 

『それで、すぐ近くに嘘がつけない接触感応者(サイコメトラー)の<風紀委員>がいますが、泣きつきます? みんなで寄ってたかってかつあげして、女の子ひとりを屈服させようとしたあなた達が?』

 

 嘘がつけない、と、女の子、という部分をわざと強調されれば、もうこれ以上の手出しはできない。

 顎の骨を難なく外すという技を見せておきながら、自身が女であることも武器にするそのしたたかさは只者ではない。

 

『もう一度、言います。……盗ったモンを返しな』

 

 反論を許さない口調で言葉を並べる。最初は力任せに襲うとした三人だったが、恐喝した奴は盗った財布に借りた金を戻して少女に投げ渡し、顎を外して何もしゃべれない仲間一人をその場に残して、逃げ出した。

 

 あっさりと、見逃した。

 

『あとは<風紀委員>に任せれば十分でしょう。現行犯一人を置いてしまった以上、たとえ弁護士がいてもどうしようもない、まして黙秘権もこの学園都市では通じない。窃盗に恐喝を帳消しにするのはどうあっても不可能です』

 

 取り残された一人をもう一度叩き、外れた顎を軽く戻して、堕とす。

 それから、こちらを見た。

 

 といっても、ここまで恐喝される際に眼鏡を蹴り飛ばされた自分にはボケた映像にしか映らない。

 

 そして、少女は何も慰めの言葉をかけることはせず、取り返した財布を渡した後、淡々と殴られた青痣やその具合を診る。鼻血をそのハンカチで拭かれそうになった時は抵抗しようとしたが、三人にのされた体ではその有無を言わさずに抑え込まれてしまう。

 放っておいてくれ、と言っても無視される。

 なすがままに、切れた唇にカエル印の絆創膏が張られると、地面に落ちていた眼鏡を拾う。

 が、落とした衝撃で止め具が馬鹿になったのか、ぐらぐらと不安定だ。

 心中ではき捨てる。

 

(クソッ、ネジが緩んじまってる。こんな不良品、もうゴミだ)

 

 小さいドライバーなど携帯してるはずもなく、掛けてもずり落ちるようでは外に出歩けばいい笑い者だ。こんな至近でも少女の顔がおぼろげな視力では、眼鏡で視力矯正しなければ歩くことも難しい。

 ますます、惨めだ。

 これ以上、無様な姿を見られるのなら、助けられなかった方が……

 

『貸してください』

 

 手を差し伸べる少女。

 それもさらりと、控えめな口調で告げられているせいで嫌味がなくて、ならばもうどうせゴミも同然のものだし捨ててくれと言うように投げやりに眼鏡を渡す。

 

『内緒にしてくださいね。ウチはこういうのは原則禁止ですから』

 

 彼女はカバンからマニキュアを取り出した。受け取った眼鏡のネジ部分にマニキュアを塗り、息を吹きつけてしばし乾かす。ほどなくマニキュアが固まりだし、メガネが返却される。

 

『掛けてみてください』

 

 怪訝な面持で、でもその声に何故か反感も起こさず自然に従い、そっとかけた。

 途端に目を丸くしてしまった。

 

 ネジがしっかり締まってるみたいだ。

 

 おそらく、そこで自分は、その驚きに初めて無愛想な仏頂面が解けたのだろう。くすり、と少女は微笑しながら、

 

『これも、応急処置にすぎませんけど、半日はもつ筈です。つるは折り畳めなくなりますが、お湯で溶けます』

 

 そう告げると、立ち上がる。

 

 そして、曇りが晴れた視界で、少女を見た。

 

 長く綺麗な黒色の髪に、凛とした強い瞳。地を這うモグラの目を潰す太陽の眩しさといってもいいほどに整った顔立ちなのに、親しみを覚える。

 穏やかで、たおやかで、それでいて、子供のような無邪気さも持っているように見えた。

 胸もとが締め木にかけられたように苦しくなり、涙がこみ上げてくる。すすり泣く自分の声を聞いた。

 『では』少女はどこまでも静穏な態度で示していた。『薬効が浸透するまであと五分は動かないでください。そのあとは、あなたはもう自分の足で立てるようになります』

 それに応えず、眼鏡をかけてから呆けたように、その少女を見つめる。ただただ盲目なモグラとなろうが目に焼き付ける。

 彼女の身体すべてが、ぼうっと明るく、鈍く輝き、仄白い光を放ってみえるその姿。

 幻想にすら思えるその情景の中で、自分は感動と憂愁の間を絶えず行き来する自身の心を悟った。

 

 

 そして、その翌日に、自分は“力”を手にした。

 

 

道中

 

 

 六月になると、そろそろ期末テストや能力査定の準備やらで学校は忙しくなってきていた。学業的なものはとにかくとして、能力に関してはとうの昔にこの右手で匙を投げている当麻だが、測定された能力強度の結果で支給される奨学金の額が変動される学園都市。ゼロ固定されてる自身とは違うのだ。とはいえ、この平平凡凡な校舎で大半の学生は一夜漬けだろうが、それでも無能力者であるがままにダラけているとクラス全体に影響するとクラスメイトの吹寄に叱られたり、小萌先生が涙目でもどうにかしようと『すけすけみるみるくん』をワンツーマンで頑張っていたりする。

 そんなこんなで徒労に精神的に疲れたわけである。

 まだ六月だが、夏至に近づいてるので、もう真夏と言ってもいい暑さであり、日も随分と長くなっている。夜になると巻き込まれる不幸のレベルが物騒なものになってくる経験則からして。放課後で補習延長されてもまだ街が明るいことは、平日の学校帰りにスーパーで食料調達する身としては、ありがたいかぎりである。

 たまにはちょっと遠くのスーパーにでも行ってみるか、たしか繁華街の方にできた新しいのが新装開店のセールをやってたな、と主夫的な思考で行動を決め、当麻は駅の方に向かった。

 買い物帰りの学生が多い道を避け、裏道を使うことにする。一杯飲みに来る教師ら客を迎える夜に備えてまだ暖簾の出てない焼鳥やらおでんやらよくわかんない地方料理のでる屋台の並ぶ道は、掃除ロボットがなかなかに立ち寄れるような幅のある場所ではなく表通りと比べると汚いが、その分だけ使用するものも少なかった。屯っているのは野良猫かカラス、時々不良くらいで、その威嚇(メンチ)を気にせずスルーできるようならこうした抜け道は便利だ。万年不幸な上条当麻はうっかりゴールデンレトリーバーの尻尾を踏んで噛みつかれるようなこともあったが、今日はいない。『ラッキー』と大きな欠伸を洩らしながらとっとと進む。

 そのとき、欠伸の涙が滲んだ視界に影がよぎる。

 ちょうど横道にさしかかったところでとうせんぼでもするよう飛び出てきた人影。こちらに向けられた刺すように鋭い視線を感じて立ち止まった当麻は、さては気の荒い<スキルアウト>でも襲ってきたのかと、後ろに重心を意識して即座に反転逃亡できるよう身構えそうになったがすぐに思い直した。

 相手は年下と思しき少女だった。ワイシャツにサマーセーターの制服は見慣れた中学のものだ。身長もまた身近な家族と同じくらいだったが、残念ながら頭頂の髪の色は黒ではなく茶髪。少女の肢体は健康的にバランスよく引き締まっており、感じられるのはこの薄暗い路地裏に屯ってそうな不良とは明らかに違う明朗な雰囲気。その可愛らしい容貌も、自然と人目を引くようなカリスマがあるだろう。

 そして、上条当麻にはどこか見覚えがある。こう、喉の奥につっかえた小骨が抜けないような、あとすこし頑張れば思い出す程度で。

 

(ふむ……もしかしなくても、俺か?)

 

 確認として、当麻は一度視線を外して振り返ってみたが、背後には何もないし誰もいない。もしやここを通りたいのかと考えてみても、ならばそんな邪魔なところで立ち止まったりなんかしないだろう。

 となると、考えつく残りの可能性は、やはり自分。この少女は上条当麻を前に狙って登場した。

 さて。いったい何の用があるのだろうかと未だにそのあたりは思いつかないのだが。もうこの時点で明らかに面倒ごとの臭いを覚えてるのだが、会話もせずに逃げるのはさすがに失礼というか、この手のタイプは放置するとより炎上してくる性格に違いない。

 とりあえず、特にアクションを起こすことなく立往生を甘受してると、少女は『そう、逃げるつもりはないとは腰が据わってるじゃない』と不敵な笑みで呟きつつこちらを睨みつけた。

 

「久しぶりね、ようやく見つけたわよこの野郎」

 

 お嬢様の社交辞令な挨拶というより、それは宣戦布告のようであった。

 あと少しで記憶からサルベージできそうなんだけどなー……と担任とクラスメイトの挟み撃ちにあった頭脳を再起動させてると、少女はこちらの応対を待たず動いた。

 

「さあ、勝負よ!」

 

 お嬢様らしからぬ運動能力から繰り出された蹴りは、そこらの大人なら一撃で倒せそうな鋭さ。咄嗟に半身で反らしてそれを避けつつ、反撃(カウンター)はする気はないが、当麻はまだこれで終わらないと見て警戒意識はまだ解かない。

 

「……っと」

 

 今度も蹴りだった。風を切るほど速く、鋭く、こちらの脳天をめがけて足を振り抜く。女の子なのにそんなはしたない真似、と対年下の少女に発動する兄的おせっかいで注意したくなるも、相手はスカートの下に短パンをはいていた。

 そんなところまで観察できるくらいに当麻には余裕がある。

 確かにどこかの運動音痴のお嬢様とは比較にならない素晴らしい蹴り足だ。

 しかしながら、女子中学生にしては、という枕詞がつく評価であり、中学生になってから達人に弟子入りした我が妹に比べれば程度の知れた物ではあるのだが、にこやかに談笑するのとあいさつ代わりに蹴りつけられるのを同列に語るのはさすがに不可能だ。

 側頭部をめがけてきたそれを、後ろに後退することで当麻は何とかやり過ごしていると、向こうもいったん会話できるだけの小休止を挟む。

 

「簡単に避けてくれるわね……!? この前も電撃を食らわなかったし」

 

 本人としては遭遇してからタイムラグゼロの不意打ちに等しいタイミングで会心の一撃だったのか、息を切らせながら驚きの表情でこちらを見ている。

 実際のところ、日常的に360度から不幸が引き寄せられる愚兄にとっては、こうも真っ直ぐなのは避けてくださいと言わんばかりなのだが……

 

「俺の周りでは時間が半分の速さになってんだ」

 

 まともに答えるのもまた面倒なので、適当にあしらおうと虚言を吐く。

 

「えっ……ホント……! 無能力者じゃなかったの?」

 

「無論嘘だ」

 

「……また、バカにしたわね」

 

「その前に、男子高校生をいきなり襲うとか何とも思わないのか?」

 

「何を白々しい。私の幼馴染に……っ!」

 

 この少女の六法全書には、暴行未遂という項目がページごと破り捨てられているようだが、こちらの荒唐無稽な理由を一瞬でも信じそうになったあたり、案外天然と言うか、素直な部分があるのだろう。そして、どういうわけか自分に敵意みたいなものを抱いている。心当たりはないが、この少女は自らの善性に則って動いている。

 であるなら、もうこんな面倒な対応はやめよう。経験則からこの手のタイプには、下手に避けたり防いだりする必要はないのだ。

 

「ちぇいさー!」

 

 休みを入れて、力を溜めてから勢いづけて放つ蹴り。“教え上手な誰か”に指導者になってもらっているのだろう少女の体重のよく乗った前蹴りが、当麻の脇腹に抉り込む。クリーンヒット。もちろん痛みはあるが、命中することが分かっていれば耐えられないほどではない。

 攻めと受けがほぼ確定している過激な家族交流の成果もあり、当麻は滅法打たれ強い。妹からもお墨付きで、耐久性には自他と共に自信がある。

 だからこの程度で怯むことはなくノーガードのまま当麻は息を吐いたが、それ以上の備えは無用だった。

 後ろに退いた少女。その顔に、自分のしたことに驚き、少し後悔する様子が表れている。

 

 やっぱりな。

 

 当麻は荒事込みのトラブルには慣れているので、普段と変わらず慌てることもなかった。あの第五位の少女を狙い自らがロケットミサイルになって集団で襲い掛かってきたのを思えば、覚悟するほどでもない。動揺したのは、攻撃した少女の方だ。

 当麻が視線を合わせれば身構えたが、襲い掛かりはしない。

 一方的に苛められるサンドバックを相手に、楽に思うか、訝しむか、躊躇うか、と大まかに三通りあるわけだが、彼女の揺れる目の色を見れば、最後だろう。

 

 こいつ、普通の子だ。

 

 暴力に酔い鬱憤を晴らすような人種ではない、見かけ通りまともな人間としての匂いを当麻は彼女から感じ取っていた。カッとなり一時の感情に任せる喧嘩っ早いところはあっても、常に一線を意識しているし、我を忘れることはないタイプ。だから、当麻がろくに防御もせずに無抵抗で攻撃を受けたのを見てすぐに血の昇っていた頭が冷えたのだろう。問答無用で襲っては来たが、わざと食らってすぐ落ち着いたところを見ると、この少女はごく普通の女子と変わらない、と当麻は判断する。

 そうなると、こちらに何か問題点があるというわけで、でも、残念ながらまだ思い出せない。まあ、彼女に負い目があるかもしれないが、それも忘れてることでチャラということにして、

 

 服に付いた彼女の靴の汚れを手で叩きながら、当麻は訊いてみる。

 

「気が済んだか?」

 

「えっ?」

 

「いったい何の用があるのか知らないけど、これで気が済んだんなら俺はもう行くからな」

 

 じゃあ、と当麻は軽く手を上げて横を通り抜けようとするも、あまりにあっさりしすぎて見逃しかけた少女に慌てて引き止められる。

 

「ま、待ちなさい、また逃げようとすんじゃないわよ!」

 

 振り返った当麻がいかにも面倒臭そうにやれやれと肩を落とし溜息零して訴えるが、少女はしつこくつっかかる。

 

「……また?」

 

「また、ってアンタまさか!?」

 

「いやー、あと少しの所まで出かかってんだがな」

 

「こンの馬鹿……っ! 己の脳みそは鶏か!」

 

 やっぱり、どうやら知り合いらしい。

 何やら罵倒されてるが、気質が善人な少女にはそれもあまりにも幼い。

 

 

『全部お前のせいだ、疫病神―――!』

 

 もしもこれが“昔と同じ”なら、一撃を入れさせただけでは止まらずよりエスカレートしている。

 

 

 思い出して軽く酩酊する頭の眉間あたりを指で抑えながら、もう少しだけ会話に応じる。

 

「生憎いきなり蹴りかかって来るような奴は知り合いとしてカウントしてねーよ」

 

「アンタの方から声をかけてきたんでしょっ!」

 

「……………はあ?」

 

 血気盛んな少女の気勢を削ぐように、当麻は気の抜けた返事をしてしまう。

 全く残念なことだが、この愚兄、ここにきてまで、さっぱり話の内容が掴めていない。

 アンタの方から、と言うからにはファーストコンタクトを取ってきたのは自分なのだろう。

 では、それはどんな場面だったかと言うとやっぱり思い出せない。

 ここにその制服と同じ常盤台生である妹がいれば、話は早かっただろうが。

 当麻の反応の鈍さに痺れを切らしたのか、少女は叩きこむように言った。

 

「最初に知り合いのフリして声かけてきたのに、私のこと覚えてないってどういう頭の構造してんのよっ! こっちはあれからずっとアンタのこと忘れなかったっつうのにっ!」

 

 ビシッと、お嬢様の品のある所作などとっくに放り投げていたが、無礼にも鼻先にまで指を突き付ける少女。

 当麻でなくても、初対面の距離感を無視するほど至近に指を差されれば、むっと払ったりするのだろうが、この少女はどうにも毒気がないというか、あと少しで微笑ましさまで覚えてしまいそうなくらい幼い。

 本人は気炎を吐いてるつもりなのだろうが、年相応の対応に可愛らしい年下の顔立ちが裏目に出てしまい迫力が足りてない。

 

 ……優しいかわいい顔をしてるのに笑うだけで心胆震え上がらせる妹は、いったいどんな化学反応が起きているのだ?

 

 とにかく、こう、ムキになって怒る子供を見るような感覚である。

 

 さて。

 

 上条当麻に昔に別れた幼馴染フラグは立っていないはずだし、制服から妹と同じ中学に通っているのは解ったがあそこは男子禁制の<学舎の園>の中でこれまで一度も立ち寄ったこともない。それ以外に男が女の子に知り合いのフリして声をかけるので思いつくとすれば……

 

「断言しておくが、俺はお前みたいな“子供ガキ”をナンパしたりしねーぞ」

 

「なっ……!?」

 

「気が強くて負けず嫌いだけど、実はとっても寂しがり屋でクラスの動物委員を務めてて、飼育小屋のウサたんとお友達だとしても」

 

「んっ……!?!」

 

「声をかけられただけで気があると思い込んじまうのは、異性免疫がないっつうか。動物のウサたんなら餌をくれれば尻尾振って近づくが、それを人間に当てはめるのはいかがなものかと」

 

「だっ……!?!?」

 

「まあ、何だ? 変に勘違いさせちまって、夜も眠れずに悩ませちまったのは悪かった。謝る。ごめんな」

 

「とっ……!?!?!」

 

 当麻は謝礼。

 謝罪の意思に角度が比例するというのなら、それは礼儀正しさもも感じさせるくらい深く頭を下げている。

 

「よし。これできれいさっぱり問題解決」

 

「―――っざっけんなごらあぁあッ!!!!!」

 

 ドン! と、中学生は苛立ちを込めて路地を踏みつけ、少女の身体から紫電の渦が起こる。スタンガンどころではない。最先端科学の申し子たる超能力者が制御しうる最大クラスの電撃。

 咄嗟に盾にした右手が弾き消したが、インパクトともに強大な余剰エネルギーが空気を灼く。

 そして、それは上条当麻の脳細胞にも電撃を走らせた。

 

「何勝手に動物設定付け加えて、何勝手に自意識過剰キャラにしちゃって、勝手に勘違いしてんのはアンタの方よっ!! しかもまた子供ガキですってぇ!! 詩歌さんに叱られた手前、能力の使用は控えようとか思ってたけど、こうなったら、アンタの頭に電極ぶっ刺して記憶を無理やりにでも引っ張り出してやる!!」

 

「いや、思いだしたあの時のビリビリ中学生!」

 

「思い出すのが遅い! そして、ビリビリって言うな!」

 

「おい待て! 俺はあの時助けようとしただけで別にお前に危害を加えようとかそんな気は一切ないぞ!」

 

「そんなつもりがないですって、お姉ちゃんを付け回しておいてそんなことよく言えるわね!」

 

「はぁ? お姉ちゃんって……」

 

 上条当麻は、これ以上の会話による平和的な解決は無駄なような気がした。

 何というか、この少女は我慢の一線を破ってしまってもう破れかぶれにぶちギレちゃってる。

 当麻は少女に背を向けると、一目散に駆け出した。

 『待ちなさい!』と少女の呼び止める声が聞こえたが、そんなもの聞いてられるか。

 脇目もふらずに路地裏を走り抜ける。

 そんな風に二度目の遭遇から、不毛な追いかけっこデットヒートが始まった。

 

 

「不幸だあぁああああああ!!」

 

 

道中

 

 

 その同日。

 兄が女子学生に絡まれたその日に、妙な因果があるのは、こちらもまた。

 

 

「おい、立て籠り事件だってよ」

 

 少女のすぐ後ろにいた男が声を張り上げると、近くの不良がすぐに呼応する。

 

「なんだって? マジか」

 

「ああ、小さなガキをさらった野郎が、先月廃館したB級専門の映画館の客席に逃げ込みやがったってよ」

 

「<風紀委員>は踏み込めねーのかよ。使えないヤツらだ」

 

「それが、犯人は扉の内側に、ソファやらサイドテーブルやら積んで塞いじまったらしい。外から開けるに開けられないそうだ」

 

「もしかしたらよ、あ、あの『虚空爆破(グラビトン)』の爆弾魔か」

 

 と、近くで男二人が盛り上がっているところで、現れた。

 

「オイ、そこはどこだァ」

 

 白い髪に、赤い瞳の、大柄な青年。

 身につけている制服の紋章は『NJ』――この学園都市で頂点に立つ教育機関のもの。

 

「ああ、すぐそこの―――。一人で、どうする気だ?」

 

「決まってんだろォ」

 

「無茶だ。やめろ。爆弾魔は<風紀委員>も含めて何人も大怪我させてんだぞ」

 

「あんな空気みてェなヤツらはいてもいなくてもかわらねェ」

 

 白髪赤瞳の男は、一度、わざわざこちらに向き直って、不敵に口角を吊り上げて目配せした

 

「テメェら、この俺を誰だと思ってやがる」

 

「ま、まさか! アンタはLevel5の第一位、<一方通行(アクセラレーター)>……!」

 

 不良が声を張り上げる。

 赤い瞳に白い髪のアルビノ体質。

 そう、この特徴は学園都市で最強の能力者………

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 先行配信もダウンロードもした一一一(ひとついはじめ)の新曲のCDアルバム、彼の真のファンの一人として、その初回限定の応募券から抽選百名にあたるプレミアムグッズを目当てに放課後ショップに行ってからの帰り道。

 

 

『あんな空気みてェなヤツらはいてもいなくてもかわらねェ』

 

 

 去年の<大覇星祭>で優勝した学園都市でもトップの長点上機学園。そして、さらに学園都市でトップの超能力者様。

 単体で軍隊をも相手にできるという噂が本物なら、なるほど、この街の治安維持が相手にならない輩も楽勝だろう。

 

 けれど、その偉そうな物言いにはかちんときた。

 

 能力をかさにきた、いけすかない上から目線。自分より下のレベルの人間を小馬鹿にするその態度。

 こっちは数ヶ月までまで小学生やってて、一般人と何ら変わりない無能力者。周りの人も、超能力者の出現に息を呑んでみているだけ。これから始まる独壇場に、余計な応援(邪魔)して彼の不興を買いたくなくて、誰も通報する気配がない。

 それでも、ムカつく。

 一言文句を言ってやらないと気が済まない。

 <風紀委員>が……初春が、毎日どんだけ……

 

(何が超能力者第一位よ。あたしだって……っ!)

 

 そして、超能力者の前に出ようとした―――そのとき、踏切の遮断機の如く、あたしのすぐ前にいた常盤台のお嬢様が腕を伸ばして制した。

 

「あなたの勇敢さは称えたいところですが、こんな“茶番”に使うものではありません」

 

 

 

「………さて」

 

 その喧噪を、怪訝な面持で眺めていた詩歌は、思わず、といった風に溜息をついてしまう。

 それから、あまり気乗りしない調子で、その白髪赤瞳の学生の背に呼びかけた。

 

「待ってください」

 

 まるで、ドラマのワンシーンのような空気がみなぎり満ちる。そして、声をかけられるのを待っていたとばかりに、白髪赤瞳の青年が足を止めて振り返った。

 だが、青年を迎えたのは、心配そうな表情でも、正義感と勇敢さに惚れた様子もなく、ただただ無機質な微笑であった。

 

「まず、言いたいことは三つ」

 

 は? と期待ハズレな掛け声に呆気を取られたように見つめるが、それはすぐに唖然として固められることになる。

 

「この学園都市にも適用されている日本の建築基準法はご存知?」

 

 視線を受ける少女は、右目を閉じると小首を左に15度かしげた。

 

「大勢の人が一気に押し寄せた時のことを想定して、劇場型の集会場(ホール)の出入り口の扉は、内開きは厳禁なんです。つまり、映画館の扉は外側に開くものです。なので、室内からいくらものを置いて塞ごうとしても封鎖できません。

 立て篭もりはあり得ません」

 

 なっ……、と不良に男子学生も同様に。無論、白髪赤瞳の青年も。

 

「そして、あなた達が思っている以上に、この街の治安維持は優秀です。ええ、あなたの言うとおり、空気のように“ないと生活できない”くらいに。

 この地区を担当している<風紀委員>の第177支部には、透視系能力者(クレヤボヤンス)空間移動系能力者(テレポーター)がいますが、さらに有能なオペレーターも付いています。彼女たちにかかれば、たとえ核シェルターの中に逃げ込もうが捕まえてしまえるでしょうね。

 あなたの出番は必要ありません」

 

 そして、金で雇った不良のエキストラ二人へ視線を流し、

 

「なので、もし、その建物に演出で爆弾を仕掛けていたり、小さな子を無理やりに誘拐された子役を頼んでいるようなら、すぐにやめた方がいい。あなた達はふざけて、ごっこ遊びをしているだけなのかもしれませんが、<風紀委員>も<警備員>も真剣できます。いくらもらったかは知りませんが、こんなことで逮捕されるなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある」

 

 その言霊の冷風を浴びせられて、青ざめたじろぎ後逸、

 

「つ、付き合いきれない。俺たちはここで手を引く! レベルアッパーなんていらねぇ!」

 

「おい! 貴様ら!」

 

「最初から俺たちは反対だった。いくら不良にも一線はある! 脅されたって、カタギのガキに手を出したくねぇんだよ!」

 

 呼び止めたが、二人はすぐに姿を消した。仲間に連絡をと携帯を取り出し、人ごみの中に。

 クソがっ!

 もとはテメェらが下手なセリフをするからばれたんだぞ!

 

「『クソがっ! もとはテメェらが下手なセリフをするからばれたんだぞ!』―――とでも言いたげな顔ですが。いいえ、あなたの方にもボロはたくさんです。この茶番の主演の大根役者は、間違いなくあなた」

 

 しかし、ヤツらの失態に内心で舌打ってる余裕はない。

 箱庭で囲われた常盤台中学のお嬢様には、世間知らずが多い―――と。

 正義感に強い、と聴いた微笑みの聖母もその類であると推測した。

 ならば、王子様を演じる。

 複雑な段取りを経て、彼女の心理を誘導しようと試みて、どこかで脱線する危険を冒さず、単純に。シンプル・イズ・ベスト。

 彼女の近くで偶然事件が起きて、彼女より強く、彼女よりも速く、彼女より優秀に解決する、お嬢様の理想な、男性像―――それが、あの時、腕試しで挑んで殺されかけたあの最強の能力者であった。

 だが、賢しき少女の鏡瞳は、その目を合わせただけで、真実を映した。

 

「付けるのに慣れてないのか、気付いておられないようですが、そのハッキリとした黒目と白目の境から察するに、その赤眼、カラーコンタクトレンズですね?」

 

 言葉は確認だが、断定的。

 一刻も早く現場に駆け付けたがっているような、気もそぞろな素振りを見せていたが、こちらの呼び掛けに対し、この上なく気持ちを昂らせていたのを見抜いていたし、そもそも本当に本気であるなら、少女一人の呼び掛けにそう簡単に止まらない。

 

「他にも色々とありますが、第一位の真似をするのはやめておいた方がいいでしょうね。私は直接会ったことはありませんけど、友人から聞くに、少しでも関わった人間は半殺しどころではすまない相手のようです。

 巷で超能力者は人格破綻者集団、と呼ばれていますが、そこまで我を貫き通せるというのはそれだけ“強い”ということでしょうから」

 

 最後に忠告だけをすると、金を払って力で従わせた手伝わせたエキストラに続き、少女もしらけた顔のまま、立ち尽くす偽者の第一位を通り過ぎようと、

 

「待ってくれ!」

 

 諦めきれない青年は、少女の手を掴んで、強引に引き止めた。口調こそ本来のものに戻しているようだが、しつこさは変わらない。

 少女はだんだんと相手を尊重する対応の意思は減じていき、瞳に宿る光は冷ややかに、ごく自然に青年から顔を背けた。

 この明らかな拒絶の姿勢にもめげず、愛想笑いを浮かべたまま自らの校章を少女に見せるように指示す。

 

「はは、ちょっとした小芝居だったがお気に召さなかったようだね。騙したのは悪かったが、俺と付き合ってほしいんだ」

 

 少女の目は、青年の方へ向かない。

 

「俺は長点上機学園に在籍していてLevel4だ」

 

 少女の態度は素っ気ないという言葉の見本として載れるものであるが、青年はくじけず、

 

「同じ『五本の指』に入るエリート者同士」

 

 そう言いながら、青年は力でぐいっと、興味の引けない少女の身体を引き寄せようとする。それでもその場から動かせず、少女が纏う明らかな拒絶の空気をスッパリ無視している。この神経の太さ、意見の傲慢さはある意味で強い個性<自分だけの現実(パーソナルリアリティ)>を持つ高位能力者としての必要かつ適正な資質なのだろうか。

 

「付き合えばきっとお互いうまくいくはずだ。君に男がいないのは調べがついている。だから付き合おうじゃないか」

 

 そういえば、メイド見習いにも愚痴ったが、最近、誰かに見られていると思ったら、この男だったのか。おかげで、余計な問題を持ちこまぬよう愚兄の部屋に行くのにも気を遣う羽目に……

 溜息をつく。

 無論、遥かに大きな不快感を覚えながら。

 ついに、少女が逸らしていた目を青年へ向けた。

 ただしそれは、態度を和らげたのではない。

 その鏡瞳に宿る冷ややかな光。礼儀の欠如を咎めるキツい眼差し。

 青年は一瞬、たじろいだ顔を見せたが、すぐに作り物めいた、どうにもならない様をこらえているような、愛想笑いを浮かべて少女の方へ手を伸ばすという暴挙に出た。

 そこにはおそらく、相手より上の人間としての意地みたいなものが作用したのだろう。世間知らずのはずの相手に講じた策を幼稚と評され、能力が下であるのに気圧された、それが彼のプライドを傷つけたのだと思われる。

 しかしそれにしても、短絡的な振る舞いだった。ただ能力だけの成績で、優等に成ったこの街の学生にありがちな、自分より立場の弱い人間に対して自分の感情がコントロールできないという悪癖をこの青年も持っていると見える。

 そして、肩を掴むつもりだったのか、その頬に触れるつもりだったのか。

 どちらにしても、そんなふざけた真似に少女が手を出さないはずがない。

 

 パンッ、と。

 

 自身に向かっていく青年の手を、いとも簡単にもう片方の手の平であしらい、

 

「そう言われましても、……今日、初めて会った方と上手くいくかどうかなんてわかりません……それに少なくても告白を強要する人とは上手くいくとは思えません」

 

 はい、これで今度こそきれいさっぱり断ち切った。

 と思ったが、そうは問屋は降ろさず、男は手を離さない。

 さらに、少女がそう言い切った途端、目の前の男は舌打ちをして急に雰囲気を変える。

 

「貴様! ここまでさせておいて、この俺に恥をかかせるのか! どうやら痛い目に会わないとわからないらしいな」

 

 大能力者(Level4)というのは伊達ではなく、本物。

 

「俺の能力は<風力使い(エアロシューター)>」

 

 <風力使い>。

 空気を自在に操る能力。

 つまり、周囲に“空気”さえあれば、

 

「鎌鼬をつくりだすこともできるんだぜ! このようにな!」

 

 そう言い男が手を振りかざすと風が吹き荒れ、街路樹が真っ二つに切れた。

 その断面から察するに日本刀のような鋭さだ。

 

「ほら、あの木のようになりたくなければ俺の言うことに従え。言っておくが俺は気が短いし、これで無能な<スキルアウト>どもを一網打尽にしたこともあるんだぞ」

 

 男は自慢げにそう言い放った。

 『無能力者狩り』。

 モラルの低い高位能力者が己の強さを顕示する為に行うゲーム。

 これのせいで高位能力者と<スキルアウト>との対立が生まれたともいえる。

 そして、今の破壊行為で幾分か頭に昇った血が戻ったのか、最初の取り繕った顔で、

 

「俺は確かにまだ超能力者(Level5)にはまだ届いてないが、大能力者(Level4)。君は強能力者(Level3)だというのは分かってる。学園都市なら、“力の差”がわかるよな?」

 

 Level3とLevel4の境が、実戦で使えるかどうか、戦術的な価値があるかないかの壁だと言われている。

 あの少女は、Level3の<発火能力(パイロキネシス)>。

 玩具みたいなレディースの銃と、対戦車狙撃ライフルくらいの戦力差だ。

 

「そうですね……。私が、間違ってました」

 

 ぼそり、と俯きながら呟く。

 その言葉を承諾と勝手に解釈したのか目の前の男は気を良くしたみたいだ。

 うんうんと頷き、彼女の手を引きどこかに連れて行こうとする。

 

 

 ―――待って! とその様子を後ろで見ていたあたしは飛びだしかけた。

 

 

 この学園都市は、強いものが正しい、と罷り通る。

 

 だが。

 彼も、そしてあたしも

 俯いて、前髪が影になって見えないその笑みの質が変わった事に気付いていなかった。

 

「そうだ。従順な女は俺の好みだ―――」

 

「三つではなく、言いたいことは四つでした。平気で人を傷つけるような人とはお付き合いすることは絶対にありません」

 

 グガッ!? と大能力者の顔が、歪んだ。歪む、と言っても表情を変えたのではなく、物理的にその顔を歪めた。

 

 相手の長身の体に少女の頭頂が顎に届くかどうかの身の丈で、その細見はとても力があるようには感じられない。

 地面に倒れ伏した男はふらつかせながらも何度も瞬きを繰り返す。今自身に起こった現実を受け入られていないかのよう。こちらもだ。

 しかし、横転し、そのまま側頭から地面に叩き落とされた大能力者の姿が、その信じ難い事実を示していた。

 

 笑顔で告げられたその言葉に男は一瞬呆けた――その意識の空白に滑り込むよう、彼女は掴まれた姿勢のまま巻き込み、肘打ちを食らわせ、体を離す。その口から呻き声が漏れだすより早く、その柳髪はさらに巻く。足払いをかけながら、振り解いて自由になった手で、合気道の用量で下半身を崩すのとは逆方向のベクトルに男の頭を叩く。

 早いがそれ以上にスムーズで箱入りのお城様とは思えぬ冴えた身のこなしと、惚れ惚れするような鮮やかなお手並み。

 頭を揺さぶられた大能力者は、軽い脳震盪を起こしているらしく、地面に手をつくが、ぐらりとよろけ、立ち上がれない。だが、顔を上げると改めてその現実を認識する。

 

「Level3とLevel4の力の差が、なんでしたっけ?」

 

 今までとは違う、少しだけ低い怒りに満ち溢れた声に変わる少女。冷たい声。細められた目は、一転して凄みを帯びていた。

 

「実戦慣れを自慢する割に隙があり過ぎる。それと能力演算が大雑把だし遅過ぎる。超能力者を騙るどころか大能力者すらも怪しい。あなたの実力では、常盤台の水準と同列とは語れません。おそらく、入ったは良いが長点上機学園の環境についていけず、大変なんでしょう」

 

 同じ名門だが『礼儀作法を含めた総合的な教育』を目指す常盤台中学とは違い、例え無能力者でも徹底した一芸を極めた専門職が集う『能力至上主義』であるが、そういった校風であるが故に、自己の成績にしか興味がない者が多く、

 またその学生の保護者から『高い授業料払っているのにウチの子が超能力者にならない』、『超能力者になれるようウチの子に優秀なスタッフをマンツーマンでつけろ』などと教師陣に、また学生らにもプレッシャーがくる。

 

「……っ」

 

 何だこれは!?

 ただ対峙しているだけなのに、次々と暴かれていく。

 自分の方が強いはずなのに、呑まれているのは自分の方か!

 

「が、その鬱憤晴らしに無能力者に、当たれば人が死ぬような危険な能力を使って……………ふざけるなよ」

 

 表情こそ澄ましているのにもかかわらず、全身からすさまじいオーラを一点に絞った少女の眼光に射竦められ、強気に返そうにも途端に大能力者の語気は弱くなる。血管が凍り、潮流すら鈍る想いで、両手も自然にさがる。

 

「ただ、ヤツらはびびらせただけだ。俺が本気で雑魚を相手にするはずがない」

 

「はぁ。自分の力を制御できないような未熟者が、間違ってしまえば、取り返しがつかないのは目に見えている。そもそも、不幸にしようとしている自体、言語道断。

 

 ―――今、ここで馬鹿なことをやらないと誓え」

 

 男は、肩で大きく息をついた。が、頷くことも首を横に振ることもしない。

 

「返事が出来ないほど揺らさないよう手加減しましたが」

 

 パキパキと指の骨を鳴らし、首を可愛らしく傾げながら、少女の冷えた声にせっつかれて、ようやく大能力者は小さく頷いた。

 

「……わかった」

 

 言って、両腕をゆっくりと持ち上げた。が次の瞬間、大能力者の動きが倍速になった。脳が揺れて、とても演算できるような状態ではないが、稼いだ時間に発動式を組んだのだろう。腕を少女に向けた動作と、その間に渦巻きながら、研ぐように鋭さを増していく風力の竜巻の完成が、こちらの目には同時だった。

 

「よくもこの俺を這い蹲らせて。不意打ちで倒したくらいで調子にのるな……ッ」

 

 ぎゅるんと鎌鼬ほどの切れ味は出せないようだが、砂埃を巻き込む竜巻が飲み込もうと―――少女は風に乗った。

 

 

 少女と対峙したことのあるメイドが言う。

 

『手の内を晒すとか、ヤツの前じゃ絶対にやっちゃいけない。その技術が何でも、中途なものならすぐに自分のものにされるだろうな。私のプライドをバキバキにへし折った彼女は、手合わせしただけで、“才能”で鏡のように投影(トレース)してしまう、理不尽なくらいに天才なのだよ』

 

 

 渾身で起こした突風は、少女を宙に舞わせる。まるで自分から彼女を空に飛ばしているように。

 それは残酷な現実であるが、少女は単純に、大能力者の不意打ちを、彼以上に見切っていた、見切りをつけていたのだ。

 

「『大きな能力者』と書いて大能力者(Level4)ですが、あなたは図体ばかりの小物。膨らみ過ぎた風船のように簡単に割れる」

 

 波乗りのように、大能力者の旋風に体を浮かせ、そのまま空中で一回転、後ろ足をサソリのように跳ね上げ、男の両肩に、全体重を乗せた二つのかかとが炸裂させる。男はその一挙二連撃の蹴り、続けて風に舞う体軸は廻り、首を挟んで足投げ――とある天才メイドの軽業(アクロバット)舞踏体術(カポエイラ)の模倣。それをもろに食らってしまった大能力者は、今度こそ堕ちた。

 

 

「詩歌さんはあなたみたいな弱い人は嫌いです」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――弱い人は嫌いです。

 

 

 彼女はそういった。

 一週間前まで、僕は生まれてから一度も喧嘩と言うヤツをしたことがなかった。

 興味がなかった、と言えばそれまでだが、実際問題として誰かと殴り合ってまで争う勇気のない臆病者の言い訳だ。

 だから、路地裏でカツアゲされそうになっていたところを助けてくれた彼女からすれば、自分は弱い人間なんだろう。

 その弱さを払拭するためには、誰かを倒すしかない。

 それが一番手っ取り早い強さの証明であり、僕は“力があるのに無能なアイツら”を許せなかった。

 正直、彼女がどこかのエリート様を蹴り飛ばしてくれてスカッとしたくらいだ。

 けれども、そのLevel4の強さを前にしても、彼女は靡かなかった。

 ああ、強い。

 今日まで一度も彼女は自身の能力を使っていないようだが。

 僕の力も、Level4と同等だろう。いや、『無能力者狩り』しかしていないアイツよりも僕の方が上だ。

 あれから経験値を溜め、色々とできるようになったし、策を凝らした……もう、あの時の自分とは違う。

 

 

 明日、僕は無能なヤツらに無能の烙印を刻みつけてやる。

 それが何よりの力の証明となろう。

 

 

とある学生寮

 

 

 窓から差し込む木漏れ日が眩しい。ハーブが植えられたベランダ、植物の髄から溢れだすような、緑のにおいがただよっている。

 

 ―――衣食足りて礼節を知る。

 

 服の歴史は、人の歴史。

 それほど服と言うのは人を決めるものであり、科学技術が『外』とは2、30年は進んでる歴史の最先端を行く学園都市においても変わらない。妹曰く『私の学校に、みすぼらしい恰好をする生徒などいません』との言葉もあり―――

 学外であれば制服の乱れなど許されるべくもなく、校内においても教師にあっては、『教え子にみすぼらしい手本を晒すわけにはいきません』との理由で毎日クリーニングしたばかりの綺麗なスーツを着こなしているという。

 この床に自立するほどに糊のきいた白いシャツを着るだけでも意外と単純に、背筋は伸びて寝ぼけ頭は人としてしゃきっとしてくる。

 そして、もうひとつの人が人とたらしめる要因はきちんとした食事。

 とある男子寮の一室、朝の食卓。

 人間は、一日に三度、決まった時間に食事を取らないと体内時計が狂い、疲れやすくなる。

 よって、放課後の夕飯を共にするのはそうないが、寝起きに作るのが面倒で三食の中で最も抜かれやすい朝食は、ほぼ毎食朝早くに通ってくれて、起きるころには出来上がっているという至れり尽くせり。

 今日一日の活力源となるメニューはご飯に味噌汁、豆腐の冷や奴と焼き海苔。鮭の塩焼きに納豆、お漬物が少々と、オーソドックスな日本の朝の献立。

 しかし侮ることなかれ。

 まず口に運んだのはひとつまみの漬物、

 

 ……うまい。

 

 キャベツと人参のぬか漬けはこれまた色合いからしてよく漬かっており、塩加減も発酵の度合いも当麻好みだ。素材の良さを存分に引き出し、凝縮されたうま味に加わる、程よい酸味がきゅうっと舌の唾液腺を刺激する。これさえあれば真夏になろうと食欲がへたることはないだろう。実際、上条当麻は夏バテとは無縁だ。

 お次はお味噌汁の大きめなお椀を手に取る。

 控えめな出汁の香りを鼻先で楽しみつつ、一口すする。

 

 ……うん、これもうまい。

 

 季節ごとに割合が計算される白と赤の合わせ味噌の溶け込み方がきめ細かくて、何の抵抗もなくスッと喉を下っていく。お出汁は昆布がメインに魚系の何かが少々。主張は強くなく、バランスも高くまとまっている感じだ。

 味噌、出汁、ときて具材。

 大きめに切ったキャベツと千切ったベーコン。それを鍋に入れる前に軽くサッと炒めて、沸騰したお出汁に入れて柔らかくなるまで煮たもので、合わせ味噌を溶かして、もうひと煮立ちさせながら溶き卵をグルグルして入れてある。

 煮る前に一度炒められていることでキャベツの青臭さが消えて、ベーコンと炒めてコクが出る。お鍋で炒めてる所でお出汁を入れるので、水溶性のビタミンUも逃がさない。

 胃のむかつき胸焼け対策として、揚げ物トンカツの付け合わせには必ず千切りキャベツがつくように、昨夜は走り過ぎて寝床に入ってからも胃酸が逆流に悩まされた身体にはありがたい。

 どっさりと入れられたキャベツを箸でつまめば正直な身体はゴクリと喉を鳴らす。

 

 ……うまい。うまいぞ。うまいです。

 

 熱いキャベツを口に放り込み、咀嚼しながらもう一度椀を口に付け汁をすすれば、その優しい味にほっと心が落ち着いて、今度は白米に手が伸びる。

 この柔らかな湯気を放つお米には、これ一粒に八十八の神様がいるというが、うん、納得だ、まさにこれはそうだ、拝みたくなる輝き。そして、毎日食べても飽きが来ない。

 一噛みごとに、よくぞ日本人に生まれけり! と叫びたくなるような、幸せと感謝も噛み締め……

 

 

 さて。

 K家でもよくある、妻が、ワイシャツに残る匂いから、夫の女性関係を悟って、花瓶を投げ、土下座したという………女の勘が鋭いという話。

 これは、女性は直感的に真実に気付きやすく、物事の本質をズバリ捉える、符号化及び複合化の力に優れているからだ。

 符号化とは、外部から入力されたデータを規則性に基づき変換することで、復号化はその逆で、変換された情報から法則性を抜き出し、元のデータに戻すこと。

 女性はみんな、コンピューターさながらのデータ処理を無意識のうちに頭の中で実行しており、初対面の相手であっても、あの人は信用できないとか、付き合いは避けた方がいいとか、直感的に答えを弾き出してるのだ。相手から読み取った情報を符号化した結果に基づき、判断している。あまりよく知らない相手であっても、復号化した人物像を割り出せる。

 どんな女性であっても、男性の本質を想像以上に見抜いているものなのだ。

 

 

 そして、父が間違いなく母の娘だと証言する妹は、女性に普遍的な能力が特に顕著だ。

 

 

「とうさん」

 

「父さんじゃなくて、兄さんだ」

 

「変な誤解で朝っぱからお隣の土御門さんに派手なあいさつをする、“まぬけな当麻さん”だから、(とう)さんです。……(あと、将来の予行も兼ねて、ですけど)」

 

 だったら、これからお前のこと、(かあ)さん、って呼ぼうか―――と返そうとしたところで、

 

 

「昨夜は遅くまでお楽しみでしたね」

 

 

 ちょっと徹夜明けに隣の部屋に朝駆けで討ち入りしたおかげで頬に絆創膏がついている男子高校生――上条当麻が不肖の妹は行儀よく背筋を伸ばし、箸先に少量ずつ摘む丁寧な箸使いで白米を口に運びながら、そんなことを言い出した。

 

「………」

 

 その微笑も相変わらず。

 ただ、箸を持つ右手が何故か震える。震えが止まらない。先までの美味しさに感動して打ち震えているのではなく、これが上条当麻の最後の晩餐だと、前兆を感知しているように。

 ゴクリ、と唾を飲むと、愚兄は食事の手を止めて、

 

「いやあ。青髪ピアスのヤツが店で余ったもんでパンパーティするっつうから来てみたら予想以上に多くてな。帰るのが予想以上に遅くなっちまったんだよ。にしても、おいしいな今朝のご飯も」

 

 話題を変える。無理なのは百も承知だが。

 開かれた地獄の門から咄嗟に脇へ逃げるよう、愚兄は別の道を模索する。

 

「一粒一粒がふっくらして、つやつやして、まさに真珠みたいだなー。ひょっとして常盤台御用達の最高級米か?」

 

「いいえ。学園都市産の最高級のブランド米は確かにおいしいですが、それだと、いくら二人分の奨学金があるとはいえ、毎食、白米の握り飯しか出せないことになりますので………昨日のような」

 

 昨日、というより、今日だが、一学区をひとっ走りした当麻が部屋に帰ると、テーブルにおむすびの皿が置かれていた。

 冷めてもおいしく、疲れた後でも軽くいただけるよう配慮してくれたのだろうが、そのテーブルの横の壁際に設置されるベットの真ん中が、小柄な子がうずくまるような形にへこんでるのを見て、随分と長い時間待ちぼうけにさせたなー、せめて逃亡中でもメールで一報を送ればよかった……と当麻は思った。

 

「そ、それにしてはおいしくないか、このご飯。奥行きがある味というか」

 

「はい。これは、数種類の品種を混ぜたブレンド米。これならキロあたり500円以下のお値打ちです。常盤台中学で出される学食は一食で万はしますが、こうして低いコストでも、工夫次第で価値を高めることができます………話は混ぜ返さない方がいいですか」

 

「な、なるほど。1+1を3にも4にもするテクニックとはお見それしました。でも、んな小技どこで学んだんだ? 常盤台じゃこんなこと教えてくれねーだろ」

 

「昨日、百花繚乱家政婦女学院で知り合いになったそこの料理長さんとたまたま会いましてね。お米のノウハウについて教えてもらったんです。私のコネクションを甘く見てもらっては困ります………だから教えてくれなくても、調べようと思えば、色々とわかりますよ」

 

「う、うん。ごめん……いや、すまん。結構気を遣わせちまって。(とう)さんが無能力者からもうちょいレベルが上がれば余裕ができただろ」

 

「いえいえ、(かあ)さんは十分満足してます。奨学金も貯金を積み立ててるだけで随分と余裕はあるんです………それとも、何か他に私に謝らなければいけないことがあるんですか」

 

「は、ははーっ! (とう)さん、そう言ってくれると気持ちが楽になりますなー。本当によくできた妹だよ」

 

 ダメだ。何度もまわりこまれてる。追求から逃げられない。

 と、そこで、食べ終わった賢妹は自分と、ちょうど生唾飲み込み過ぎて口が渇いた愚兄の湯のみに淹れる。

 

「どうぞ、喉が渇いたでしょう? ………生憎、自白剤は切らしておりますが」

 

「お、おう、いただきます」

 

 動揺を誤魔化すように、慌てて湯のみを手に取ると中身を一気に飲み干した。

 淹れたてであるが、喉の奥へとスルリと流れ込む。だからと言って、ぬるいわけでもない。熱すぎず、ぬるすぎない、絶妙な温度。

 そして飲み終わった後、程よい茶の渋みと香りがほうっと口の中に広がる。

 旨い。

 やはり、お嬢様学校は茶道も教えているのだろうか。

 緑茶と一緒に腹のうちまで言葉を飲み込んで――と落ち着けたところを見計らって、

 

「ありがとうございます。ささ(とう)さん。お代わりも用意してますので、冷めないうちに召し上がってください。先ほどから会話に気を取られて箸が止まってますし、朝食まで残されるのは本意ではありません。

 “これで”私を心配させた件は帳消しにしましょう」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――よし、回避した! と当麻は思うことにした。

 

 もっと言えば、これ以上は無理です降参……と現実から目を逸らした。

 超能力者をも軽くあしらい、一晩中走りまわって逃げ切れた当麻の胸は、この魔王(ラスボス)を前には、これ以上の回避の選択肢はあり得ないと悟っていた。

 だから、その魔王――賢妹の言うとおり、箸を動かすのだ。うん、ご飯美味い、超美味い。つい先ほどまでは九死に一生の心胆冷えたが、今は朝食の温かさに落ち着きを取り戻した……はずだ。

 けれど。

 

「当麻さん、今日の恋愛運最強は、一月二十日から二月十八日生まれの水瓶座ですって」

 

「そうかー……」

 

 万年不幸の自分は、たとえ占いで最高運が出ようと裏切られるので、ニュースが終わってからの占いコーナーは気にしてない。

 十二星座の内、自分の水瓶座が、第何位かなんて、気にしたことはない。

 だけど、今は“気にできないのだ”。

 何故なら、愚兄の膝の上に乗って、左半身にしなだれかかる詩歌の身体が左斜めにあるテレビを隠していて、よく見えないのだ。

 先に食事の終わった詩歌が来た。

 最初は隣に座っていたのだが、次第に寄りかかってきて、一品食べ終わると次は膝の上に寝そべり、もう一品片づけて現在、膝の上に陣取るようになったのだ。

 いつもなら断るところだが、愚兄はこれ以上の追及を避けるためにできずにいる。

 もちろん、重いからどけ、なんて言えない。それに、重みのおかげで、賢妹のお尻の感触が………いや、なんでもない。当然これも、詩歌に言えるわけがない。

 

「うん、詩歌さんのは、火遊びに注意油断大敵、ですか」

 

「そうか。気をつけろよー」

 

「はい、了解です。あれ? 当麻さん、鮭苦手でしたっけ? まだ少ししか箸付けてませんけど」

 

「詩歌の料理で残すもんはねーし、鮭も当麻さんの好物だ。でもな、左側にあるからよく見えないんだ」

 

「あれ? 当麻さん左目怪我したんですか?」

 

「詩歌が俺の前に座ってるだろ」

 

「あ、そうでした」

 

 そう言うと、詩歌は身体をずらして、テーブルの左側からテレビまで見える状態にしてくれた。

 確かに、朝食が見えるようになったことについては、マシになった。

 ですが、妹や。別の問題が未解決どころか、棚上げ、いや今は膝上げされたままであるぞ。

 それで、どうして詩歌は胡坐をかいた愚兄の膝の上に座っているのかというと、心配させた(淋しがらせたではない)罰だそうだ。

 足がしびれてくるし、寄りかかられているから少し息苦しいし、食べづらい。左腕が背もたれになってるので、茶わんが持てない。

 そして、なんとも言葉では形容し難い、もっともな問題がある。

 

「ん? 当麻さん、まだ他に何か?」

 

「何かって何だが……。なぁ、詩歌さん、ひとつ訊きたいんだが、いつまでこうしてるおつもりでしょうか?」

 

「いつまでって、朝食の間はずっとですよ?」

 

「そういわれてもな……」

 

 あまりにも直球な答えに、文句を口にしづらい。

 飯を味わうように目を瞑り、それでも言葉を探そうとする。

 遅刻するぞ、と言われてもまだ一時間以上の余裕がある。なら、あえて体重のことを口にすればいいのか、それとも、今、味覚とは別に味わっている感触のことについて口にすればいいのか。

 どっちに転んだとしても、事態が好転するとは思えない。

 それどころか、酷い目に遭いそうである。

 なんというか、これは、出口のない問題と言えよう。

 

(ここはテレフォンして、誰かほかのヤツに相談したい……。いや、青髪ピアスのヤツだと血の涙を流してぶん殴られそうだし、土御門は逆に応援されそう、または羨ましがれて殴られるか。小萌先生は、泣きつかれそうだな。番号は知らないが、吹寄は……ダメだ。朝の教室が血の海になる未来が見えたぞ。あと残る雲川先輩も、普通にからかわれて終わりな気がする……けど、これが一番危険な気がすんな)

 

 考え込んでも、やはり助けには期待できない。

 だが、正しい答えを出してくれるのはいつも身近にいた。

 学校でも教師公認で生徒たちのお悩み相談を請け負っている自慢の賢妹。

 愚兄の悩みが伝わったのか、きょとんとした表情の詩歌に、当麻は言う。

 

「問題を抱えているなら胸の内にとどめないで、何でも言ってください」

 

「……わかった。優しい賢い詩歌さんに相談だ。そろそろ足が痺れてきたんだが、どうすりゃいいとおもう?」

 

「気にしない」

 

 一言でズバリだ。

 結構深刻な問題だと思うが、気のせいか?

 

「男の子なんだから、そのくらいは気張らないと妹は考えます」

 

「男の子ってキーワードは、こういうときに使うもんじゃねーと兄は思う」

 

「言葉と言うのは、活用するものなんですよ」

 

「間違ってないけど、反論したくなるのが不思議だな」

 

「それで、他には?」

 

 あっさりと流される。

 

「じゃあ、茶わんが持てないんだが」

 

「手伝います」

 

 これも一言でズバリとスピード解決。

 流石は悩める子羊を導くだけある。

 当麻がいつも持つ左手の高さと同じポジションに寸分違わずに、胸の前に両手で茶碗を捧げ、

 

「はい、左腕のかわりにお茶碗は詩歌さんがお持ちしますね」

 

「お、助かる」

 

「他に取ってほしいお皿があったら言ってください。おかわりもよそいますよ」

 

 うん、これで解消だ―――じゃない。

 

「じゃあ、次は?」

 

 のだが、またあっさり流される。

 一応、先に生まれてる兄だが、これまでの妹と口先だけの勝率は、1割を切っている。5分も怪しいくらい。

 なので、些細な問題では簡単に論破される。言いづらいが、仕方がない。

 

「……わかった、正直に言う。お兄ちゃん、気恥ずかしいんだよ」

 

「んに?」

 

「いい歳にもなって、おひざに抱っこは、色々とアレだ。男の子の上に女の子が乗るのは問題だろ」

 

「ああ、私のお尻が触れてることが気になるんです?」

 

「何でもかんでもズバリというんじゃありませんことよ!」

 

「でも、考えられるのがそれぐらいしかない状況で、ぼかしてもしょうがないでしょうに」

 

「詩歌が言うことは正しいはずなんだが、どうして納得できないんだろうなぁ……」

 

「それは詩歌さんの言うことが正しいからじゃないですか? ほら、今も尻に敷かれていますし」

 

「ごもっともな話だ。つーか、そう言う詩歌さんは恥ずかしくないの?」

 

「もちろん、恥ずかしいですけど」

 

「だったら」

 

「それ以上に、幸せですから」

 

 そう言って、詩歌はさらに愚兄に体重を預けてくる。

 

「ここは譲れません♪」

 

 賢妹が笑うのが、至近距離で見えて、視線が合うと、体温の上昇を感じた。愚兄か、それとも賢妹か、はたまた両方の温度か。どちらにしても、うだるような不快な夏近いこの暑さとは違い、心地のいいものだと言える。

 嬉しそうな顔をする人間に、何を言っても無駄であり、それにもとから、愚兄は今の詩歌に文句を付けるつもりがさらさらないのである。

 

「当麻さんはどうなんです?」

 

 問われて、思いっきり、当麻は溜息をついてから、わざとらしく抑揚のない調子で。

 

「ふこうだー」

 

「むー」

 

 頬をふくらませて、詩歌は少し腰を動かすようにして、尻を押しつけてくる。

 

「おい! その攻撃は卑怯じゃないか!」

 

「女の子はずるいものです。そして、詩歌さんは必要に応じて持てる武器は何でも使うタイプなんです」

 

「わかったわかった、当麻さんの負けだ」

 

 右手を上げて、観念する。

 父の言うとおり、母と同等かそれ以上の妹は、鋭い。

 だが、それは右手のせいで裡を覗けない自身の心をも、余すところなく正確に理解してもらえるのだから、当然、

 

「幸せだよ」

 

 ……と、ここで妹にじゃれ合って、遅刻したのでは、お隣のシスコン軍曹のことが笑えなくなる。当麻はとりあえずは現状維持のまま、食事を再開する。

 

「今日は『能力開発』があるからな。薬飲まされんだろうし、空腹だとまずいよな。っつか、アレって本当は身体に影響がないのか?」

 

 箸を宙で内角30度に開きながら、当麻が言う。

 

「かといって、食い過ぎはよくありませんけど」

 

 愚兄の左腕を支えに、詩歌は身を逸らし捻りながら後ろの炊飯器からしゃもじですくって、空になったお茶碗に三割ほどおかわりを盛りながら、答える。

 この学園都市に来てから、『能力開発』で錠剤(メトセリン)粉薬(エルブラーゼ)、時に味覚が破壊されるようなモンを飲まされてきているが、この学園都市に来た賢妹が作る料理のおかげで、母直伝のおふくろの味は忘れたことがない。

 

「実際、『能力開発』に使われてるのに取扱注意の劇物がありますですが、半端に弱い薬を混ぜたら逆に心身に悪いです。毒と毒との拮抗に、ほんのわずかな薬効を見出してるんでしょうね」

 

「それでも当麻さんは万年補習組のLevel0だけどな」

 

 占いは必ずハズレ、おまじないは成功した例がない。ときどき父からお守りが送られてくるが、今通う高校よりも上のランクで合格祈願のお守りを付けて臨んだ試験では、マークシートを一個ズラすという大ポカをやらかした。つまり、上条当麻は、ギャグチックなぐらい運に見放された体質である。これは上条一族に伝わるモノではなくて、父は宝くじで現金五十万円の三等を当てたり、母はジュースの自販機のルーレットであたりを引き続けて止まらない事態が頻繁に起こる。

 そして、両親に輪をかけてドラマチックなぐらい運に恵まれた妹は『幸運の聖母様』だ。

 一度、自分はもしや血が繋がっていない捨て子だったのか、と思い、試しに顔馴染みなカエル顔の先生にDNA検査をしてもらったが『同じ血縁でここまで対極な兄妹は面白いね?』と言われた。

 

「うーん、それが不思議なんですけどね」

 

 茶碗から白米を頬張り、目線で示すまでもなく、お味噌汁のお椀を口元に運ぶと当麻は啜る。

 

「当麻さんの能力だけは、私もよく理解できないものですからね。そういう詩歌さんも何も投影し(とっ)ていなければ、Level0です」

 

 『神ならぬ身にて天上の意思に辿りつくもの――SYSTEM』の実現がこの学園都市能力開発の究極の目的であり、その人を超えて神に至った絶対能力者(Level6)でさえもその第一歩だ。

 触れれば理解する賢妹だが、例外が二つあり、そのうちの一つは、愚兄の右手だ。

 それは<幻想殺し>が『触れただけで神話に出てくる神様の奇跡(システム)さえも打ち消せる』からか。それともまた別の理由か。

 しかし、<幻想投影>がその対極であるというのなら、この手の内にいる妹はこの学園都市が匙を投げた無能力者でもその才能を開花させてきた―――つまり、奇跡を生産()こす『神上』なのだろう……………なんて、バカげたことを考える。

 そんなのはあり得ない。ああ、こんな考えも身内贔屓に違いない。

 これまで本当の力でテストを受けたことがないが、“ダメだ”。

 もし、この手の内に負えなくなったらそれはきっと―――前兆だと予感する。

 

「でも、能力のことはとにかくとして、右手とは関係ない学業の成績のほうでも小萌先生を困らせて、もし泣かせるようなら、点数に応じて当麻さんへの対応をどんどん雑にしていかないといけませんね」

 

 白米と味噌汁を食べ終わり、最後のお漬物に手を伸ばしながら、

 

「どうなるんだ?」

 

「気になるんですか? 期待してるんですか?」

 

「心配なんだよ。ここでちゃんと止めておかねーと、後々で不幸な目に遭いそうな気がするんでな」

 

「そうですね……たとえば、今度からご飯を餌と言ってあげましょうか?」

 

「……………詩歌はそういうプレイがしたいのか」

 

「ふふふ、冗談です。あまり勝手しないよう首輪に鎖を付けた当麻さんに、犬用の皿にご飯を入れて、ちゃんと待てとお手をさせてから食べさせよう―――なんてちっとも考えてませんからご安心を」

 

 と、食後の一服にお茶がさしだされる。

 

「その具体的すぎる回答がさらりと出る時点で安心できねーな!」

 

「冗談かな? 冗談だよ? 冗談かも? 当麻さんお得意の三段活用~♪」

 

「全部疑問形になってるぞ!?」

 

「だったら、日ごろの学業にも手を抜かないように。ふふふっ」

 

 だから、そのためならば、自分の幸運をすべて投げうってもいい。

 上条詩歌は、愚兄にとっては唯一無二だ。思慮に満ち、清らかな心を持ち、聡明で、誰よりも温かで。

 心から幸せそうな賢妹の身体すべてが、うっすらと明るく、仄白い光を放って見える。無能力者だが、上条当麻は幻視できる。

 賢妹の笑顔を曇らせたくない。ずっと大事にしよう。何があっても、この兄妹の縁は切らずに、連れ添って生きることの幸せを、通い合う心の中で絶えず共感していたい。

 そうして、朝食が終わっても百点満点なお嬢様スマイルのまま、

 

「はい、当麻さん」

 

 立ち上がり食器を運んで台所から戻ってきて差し出される包み。

 

「ゆかりご飯に唐揚げとだし巻き、ホウレン草とインゲンの和え物。まあ、唐揚げは“昨日の食べられなかったあまり”ですが」

 

「あ、ああ……」

 

 詩歌は、昔から料理上手だ。家事の中でも一番に好きなのが料理。

 品目を聞いただけでお腹が鳴りそうだ―――同時に、冷汗も出そうだ。

 

「それから」

 

 これも、と渡された三つの紙包み。

 少し中を覗けば、そこには、

 

「ドーナツ、か」

 

「はい、材料費はおひとつたったの20円ほど、おからのドーナツです」

 

「おからってあの、お豆腐の搾りかすの?」

 

「そういう言い方は良くないですが、おからにはレシチンが多く含まれて栄養満点。滋養強壮、疲労回復、脳の記憶力もアップ。食物繊維も豊富でダイエット効果も。まさに家計にも身体にも優しいミラクル食材なんです」

 

 そして、こんがり焼き色のドーナツは味も確かだろう。

 何せ、時たま、あの<学舎の園>で菓子屋を食べ歩きながら、そのレシピも模倣していくような賢妹のお手製だ。おかげで当麻は男子禁制の場所にあるものなのに、そこの味に詳しくなっている。

 

「低カロリーで高タンパク、補助甘味料としてカボチャとサツマイモを生地に練りこんであります。カボチャや大豆は若いうちから食べるべき。それが竜神家の秘訣です」

 

「そう言われると説得力があるな」

 

 前にあったのは確か高校の入学式だったが、二児の母である上条詩菜は、妹と並ぶと普通に母娘ではなく、姉妹に見えるほどに若々しい。玉手箱は、浦島太郎の歳を封じ込めていた、という考察があって、竜神家の女性は玉手箱を持っているのかと疑う時もあったが、ちゃんと現実的な秘伝があったらしい。にしても、若々し過ぎる気がしないでもないが。

 

「あ、日持ちはするのですぐに食べなくて大丈夫です。ひとつは、この前のお礼に制理先輩に。もうひとつは、青髪ピアスさんにも、パンを奢ってもらったお礼に」

 

「おう、わかった。吹寄に渡しとくよ」

 

 あの健康マニアの女子高生ならきっと喜ぶ。……青髪ピアスの変態紳士はパン奢ってもらってないし、渡さなくていいだろう。

 それを弁当と一緒に丁寧にカバンに仕舞いこむと、もうひとつ、

 

「そして、これはお守りです」

 

 チリン、と。

 カエル印の小さな、鈴付きの巾着袋。

 口を開けて覗くとその中には、ガラス玉が入っており、その結晶球体の中には、

 

「ビー玉の中にクローバー、それも四つ葉。また器用に……すごいな。ホント」

 

 幸せの象徴たる四つ葉のクローバー。賢妹個人の菜園で栽培しているものだろう。

 それをガラス玉に閉じ込めた技術は解らないが、ペルシャ絨毯のほつれを修繕することも授業で習うようなお嬢様養成学校なら、そう言ったものもあっても不思議ではない。

 

「手先の器用さには自信がありますので。これなら詩歌さんが込めたお守りも閉じ込めてるから、うっかり右手に触れちゃっても逃げません、てな感じで幸せのお裾分けです」

 

 と、指を立てて少し自慢げに語るのを微笑ましく見ながら、左手で受け取ったお守りをシャツの胸ポケットに入れる。

 料理だけでなく、賢妹は作るのが得意だ。

 父に悪いが、前にもらった幸せお裾分け妹御手製のお守りのほうがご利益ある。何せそれを持って受けて受かったのが今通う高校だし、父は娘の温もりを忍ばせた財布で買った宝くじが三等だった。

 

「それで、もし、“道端で女子中学生に襲われるような”ことがあったら、このカエルの鈴を鳴らして、できるだけ視線を合わさぬよう、ゆっくり下がってください」

 

「いったい何を想定しているのかお兄ちゃんさっぱりわからないけど、それって山で熊と遭遇した時の対処法だよな!?」

 

 正直、野生の熊に狙われるよりも厄介な相手だとは思うが。

 というか、もうすでに勘付いているのか。まだ十五だが、女の勘というのがどれほど鋭いものかというのを知っている上条当麻は、今、女子中学生の賢妹に追い詰められているこの状況にさっそく鈴を鳴らしたくなった。

 と、もらってばかりではいられない。

 右手を伸ばして詩歌の頭に載せた。

 

「そんじゃあ、お返しだ」

 

「……っ」

 

 詩歌の髪。

 そのさらさらした感触は心地良く、芯から熱を持っているように黒髪は温かい。

 

「今日も、ありがとな」

 

「………」

 

 けしてご褒美目的で通い妻な奉仕しているわけではないが、昨日はお預けを食らったせいで嬉しさもひとしおだった。

 始めは身体を強張らせるが、すぐに気持ち良さそうに目を閉じる。

 それを機に、ゆっくりとその頭を撫でていく。

 

「んぅ……ぅ……」

 

 ……右、左、右。

 恥じらいながらも上目でこちらを見る目は外さずに、愚兄の手の動きに合わせて詩歌の口から寝言のような声が漏れ、なんだか面白い。

 

「あぅ……の、脳みそが揺さぶられています」

 

「そんなに力は入れてねーぞ」

 

 愚兄の手によって、なすがままになっている詩歌。

 こういうところは、昔から変わっていない。懐かしさを覚え、その定位置(あたま)に置いてすぐに馴染んでしまう当麻の右手もそうだろう。

 こうして、手の届くところにいるという実感はなにより愚兄を安心させる。

 

「……もう、いいです」

 

「……あぁ、っともう時間か」

 

 賢妹の落ち着いた声で我に返ると、右手を遠ざける。

 気付けば、割と長い間、詩歌の頭に触れていた。

 

「………」

 

 手櫛で梳いて少し乱れた髪を軽く整えながらも、詩歌の視線はじっと右手に固定する。

 

「うん……当麻さんの手からはマイナスイオンのようなものが出ているんでしょうか? 不思議です」

 

 至極真面目な顔でそんなことを言う。

 先の心配事を忘れてかのように、呆れた顔で、

 

「もしそうだとしたら、当麻さんはその技術を総合家電メーカーにでも売り付ける」

 

「では、詩歌さんはその技術を買った家電メーカーを買い取ります。商品名は『兄の手』です」

 

「何か100円ショップで売られてる『孫の手』みたいな安いネーミングだな」

 

「うーん、『猫の手』よりも役に立つかどうか。放っておいたら女の子に飛びつきそうですし」

 

「詩歌の中でお兄ちゃんってどんなイメージだ!?」

 

 なんて、やり取りをしながら二人は一緒に部屋を出た。

 

「当麻さん。夜遊びは程々に」

 

「……たまらねぇな」

 

 まるで母親気取りの詩歌に、愚兄はたまらず溜息をついてしまった。

 

 

河川敷

 

 

『本気でやってもいいのか?』

 

 

 正体不明の力。

 未知の恐怖。

 二時間以上も攻撃をし続けて、掠り傷ひとつつかない相手が、初めて攻勢に出ると宣告した。

 何をやっても通じずに攻略法に迷うところで最後にその余裕が引き金となり、言霊に撃たれた心身は、鮮血の代わりに冷や汗が噴き出し、一歩も動けずに固まり、

 

 その右手に掴まれる。

 

 それを離そうと、イメージした電撃が、放てない。(とき)が凍結され、演算式は何一つ解に至れずに終わる。

 表情ひとつ変えずに、この少年は、必死の努力で紡いできた幻想(ゆめ)の結晶を片っ端から打ち消していくのだ。現実に引き戻される無力感が、こちらの中を、根こそぎに食いつくされるような悪寒となる。

 

『……<幻想投影(イマジントレース)>』

 

『っ!』

 

『その制服からして、お前、常盤台だろ? だったら、もしかしたら知ってると思ってかまかけたが、知ってるみたいだな。上条詩歌の能力、<幻想投影(イマジントレース)>―――ソイツと俺は、対極で。

 

 つまりは、幻想を、殺すんだ』

 

 出された幼馴染の名前と、その彼女が秘密にしている能力名を口にした。

 そして言うことが本当で、無能力者を能力者にする幼馴染の生かすものともしも反対なら、超能力者をも無能力者(ただの人間)にする……

 宣告されるまでもなく、アレが相手の力を無効にする類だとは察している。

 だから、全くのウソだとは思えないし、既に、直感的にアレが幼馴染とは対極なものだとも思っている。

 だから、

 だから、

 だから、

 最悪の場合、

 手掴まれて抵抗できないほど能力が使えない現状。

 それがそのまま、今後一切、永久に封じられ続けるものだとしたら。

 

 初めて、怖い、と思った。

 

 心拍数が急速に上がるのを覚える。激しい動揺を禁じえなかった。その男が放つ眼光は長い釘のようにこちらの額を貫き、その場に打ちつけていた。ぞくぞくする寒気に全身が包まれる。身じろぎ一つもできない。

 このままでは。

 これまで積み重ねてきた、長い時間をかけて育んできたものを、一夜の夢のような儚さで失ってしまう。

 

『もう一度訊くが、本気でやってもいいのか?』

 

 コイツの本気を引き出して、その上でブチのめす。

 それこそが望んでいた展開だ。

 だから、返すべき言葉は決まっていて……

 

(や、やめ―――)

 

 なのに、それとは真逆のことを口走ろうと―――思いっきり、唇を噛んだ。

 

 

『やってみなさい』

 

 

 そこで初めて面倒くさげだった眼は、驚いたように大きく開かれた。

 お、おい血が出てるぞ……とか、唇を噛み切ってしまい出た血を少年は心配してるが、その時は、生憎、こちらに自分の身を気遣う余裕はなかったし、ちょっとでも弱気になった自分にはいい気つけだ。

 それに、もう体は勝手に動いていた。

 

 バーンという乾いた音が、静かな河川敷に響く。

 

 能力でも何でもないただの平手打ちが、少年の左頬に命中したのだ。

 避けることもできたはずなのだろうが、何故か少年の身体は動かなかった。

 それはおそらく、この瞳に涙が滲んでいるのが見えたから。

 そのまま、逃がさぬよう、その右手を掴んで言った。

 

『私はもともと低能力者(Level1)だった。だから、もう一度やり直すだけ。もう一度、頑張って頑張って頑張って、今以上の力を付けて、もしそれがダメだったとしても、私の大事な人に手を出そうってんなら絶対に許さないし、死んでも負けを認めない! 何度でもアンタにリベンジしてやるわよ!』

 

 殺せるもんなら殺してみろ! と吠えて挑発し、

 逆に自分から掴まれた右手を、力一杯に握って、

 ところが、ツンツン頭の少年は叩かれて紅葉がついた頬を掻きながら気の抜けた声で、

 

『? 大事な人に手を出す? 誰のことだ?』

 

『とぼけんじゃないわよっ! 土御門から聞いたわ。詩歌さんに付き纏ってるストーカーがいるって!』

 

『あん? 土御門のヤツが、俺のこと、詩歌のストーカー? いやいや、それはありえないね。っつか、土御門の方が危険だぞ。アイツ、禁断の関係とか公言してるし』

 

『はぁ? 何言ってんのよアンタ、確かに詩歌さんを『お姉様』や『聖母様』とか呼んで慕うアレな娘も多いけど、土御門はそうじゃないわよ。昨日、詩歌さんと食事に付き合ってた時だって、普通に下の名前で呼び合ってたし』

 

『はぁぁっ!?!? あの変態軍曹、まさか俺の詩歌に手を出してたのか!』

 

『俺の詩歌? 本性が出たわね! やっぱり、アンタ、詩歌さんに勝手に変な妄想を!』

 

『だから、違うっつってんだろ。俺は土御門とは違う! 俺は逆に純潔を守ってやりたい方だぞ』

 

『つまり、守護騎士(ナイト)様だっていいたいわけ。そういえば、陽菜さんから、詩歌さんの周りにうろつくとウニ頭の(おにー)ちゃんが出てくるから気をつけろ、って聞いたけど、これってアンタのことだったのね!』

 

『いや、俺は(おに)じゃなくて、あ―――』

 

『そうやって、他の男(ライバル)を潰した後に、詩歌さんを誑かして好き放題にしようとしてんでしょ!』

 

『あー、何か、もう、だいぶ斜め上に擦れ違ってんなー、これ……』

 

 何とも困った様子で、口ごもってしまう少年。

 その気迫に思わず納得し同意しかけてしまいそうになるも、しかし、言われっぱなしで済ませるわけにはいかない。しかし、どうしたものか。あのじゃじゃ馬まで面白おかしくあることないこと吹き込んだのがきっかけに伝言ゲームのようにこじれて大事になったこれ。思わず、こぼれた。

 

『ここに詩歌がいてくれればなぁ……』

 

『何っ、まさか私を人質にでも取ろうって言うの!?』

 

 蟻地獄は暴れれば暴れるほど、事態は悪化するというが、この状況はまさにそれ。

 ますます卑劣漢認定されていき、これ以上の言葉による説得は無理と判断した少年が最終手段に左腕を上げた。

 ギュッ、と少女美琴は目を瞑って……………………………………………………………何も、来ない? と、薄目に開けたところで、

 

 

『マイリマシター』

 

 

 ばったり、と右手を離して両手を降参のポーズに挙げながら少年は倒れた。

 

 

屋上

 

 

 貯水タンクがかろうじて日陰を作り、微風が涼しさを運んでくる。灰色のプリーツスカートが穏やかにそよいで、その下の短パンの端をちらつかす。

 手すり沿いに横に立って空を眺める。静謐たる青色を湛えながらも、軽い綿雲をそこかしこに浮かび上がらせてる。

 そこから降り注ぐ強い光が、鉄製の手すりを焼いて、熱を伝わせている。

 

「あっついわね……」

 

 日差しはもう、夏の雰囲気を感じさせるほどに強くなっていた。

 近くを飛ぶ野鳥の影が、はっきりと姿がわかるほど、色濃く地面に映っている。

 昼休み。

 皆が食堂や教室でお昼をする中で、御坂美琴は一人、封鎖されている学校の屋上へやってきていた。

 

「あふ……」

 

 眠い。

 昨日……と言うか、今日だが延々と鬼ごっこを続けて、ほとんど寝ていない。

 今日が学校でなかったなら、昼まで遅寝したいところで、というわけで、昼食をパスして、ここへ来た。

 少し日差しが強いのが難だが、この静かな空間を一人贅沢に占有できるのだから、電磁力を操作し、壁伝いでここまで来た甲斐があったというもの。

 

 そして、一学期が終わるまで一ヶ月を切り、もうすぐ夏休み。

 そう、夏がやってくる。

 海に、山に、花火に、祭などのイベント、そして、水着に、浴衣に……

 1年で最も暑く、最も熱い季節がやってくる。

 一度きりしかないこの青春に乗り遅れるわけにはいかない!

 絶対にあの気になるあの子と充実したアバンチュールを送るため、夏が来る前に結ばれて見せる!

 

 ………と、男どもに1秒ですら夢を見させずに、幻想をぶち殺すっ!! みたいな感じで、我が校のお嫁にしたい女子学生第一位、またの名を鉄壁の撃墜王とも呼ばれる幼馴染が不破記録を日に日に伸ばしていく中で、自分はと言うと、記憶に残る異性はひとりくらい。

 しかも、そのひとりが、

 

『―――だから、俺に人の能力を消せる力はない。さっきのはちょっとビビらそうとウソついただけだ。びびって涙目になってる女の子を殴るわけにはいかねーし、そうしたら降参するしかないだろ』

 

 と、降参宣言から、超能力者第三位に対し、ふざけたことをのたまいやがった自称無能力者。

 

「アンニャロウ……今度会ったらタダじゃおかないんだから」

 

 そのためにも頭を休めるための休息。

 朝食も抜いて、登校時間まで睡眠にあてたので、少しの空腹感を覚えるが、今の集中力ではこの後の授業を切り抜けられそうにない。

 と。

 下から人が近づいてくる気配を感じたので、すぐに美琴は扉の上に壁伝いと同じ要領で登って隠れた。そしてうつ伏せに身を沈めて、頭を少しだけ上げる、様子をうかがう体勢に。貯水タンクの陰から覗いてみると、鍵が閉まっているはずの屋上に現れたのは一人の女子生徒。後ろ髪を束ねる清純なリボン。

 

(まずっ―――!)

 

 美琴は慌てて上げた頭も下げて、息を殺した。無意識の電磁波の力場拡散も抑えるように努めて意識する。

 御坂美琴は、学生寮へ朝帰りするにあたって、警戒した人物は二人。

 ひとりは、能力開発を受けていない一般人のはずなのに高位能力者を絞める寮監、

 そして、もうひとりは、その寮監の弟子で、御坂美琴の幼馴染……

 

「うーん、と! 今日もいい天気です。こういう日はお外で日向ぼっこが一番ですよね」

 

 どうやって、この職員しか鍵を持っていないはずの屋上のロックを外せたのかはさておいて、上条詩歌はつい先ほどまで美琴がいた近くまで伸びをしながら歩いていく。

 その意識がこちらに向かぬよう、美琴はタンクの陰から動かない。

 こんな負けっぱなしのまま詩歌に会いたくない。きっと見透かされる。もしかしたら失望される。

 

「ふんふむ。ついさっき、ここに美琴さんがいたのが見えたんですが、気のせいでしたかな?」

 

 両手の指をピアノの鍵盤に叩きつけたような音が、美琴の脳裏に響いた。

 三年の幼馴染の教室から、この屋上は見える。見えてしまっていたのだ。

 まずい。緊張する美琴だが、美琴の幼馴染は予想を裏切るというか、十年もの付き合いだが予測がつかないことがよくある。

 生徒が通常立ち入り禁止の屋上で、かなり大きな声が、

 

「二年Level5の常盤台の電撃姫様(エース)の、御坂美琴さーん! いませんかー? いましたら、返事してくださーい!」

 

 こんなとこで名前を呼ばないでーっ!!

 お昼を外のテラスで取る子もいるだろうし、屋上から良く通る美声で大々的にアピールしたら目立っちゃうでしょうが!!

 慌てて、その口を塞ぎたい美琴だったが、動かざる野山の如し、静かなること林の如しと我慢我慢。

 『うーん、もう他の場所に移ってちゃったんでしょうか』という独り言が聞こえ、キィ、とまた屋上の扉が開く音がした。遠ざかる足音。

 それが完全に聞こえなくなるのを待ち、美琴がほっとしたのも束の間、

 

「よっとっ」

 

「!?」

 

 屋上から2mは超える高さであろう、美琴の目の前の縁にふたつの手が張り付いた。そこを起点に一気に身体を持ち上げ、到達。うつ伏せになったままの美琴を見降ろして、

 

「やっぱりそこにいましたね、美琴さん」

 

 両手を腰に当て、仁王立ちしているのはやはり上条詩歌。

 美琴はぎこちない笑みを返す。

 

「詩歌さん、出てったんじゃ……」

 

「常盤台中学秘伝『二歩進んで三歩下がる』です」

 

「そんな伝統芸初めて聞いたわよ」

 

「美琴さんはまだ二年ですからね、内伝まで。秘伝はまだです。三年になれば使えるようにでしょう」

 

 自信満々にそう断言し、詩歌は美琴を少し睨む。

 

「それはそうとして、美琴さん」

 

「はい」

 

 美琴は、自然とコンクリートの上で正座していた。条件反射に近い。

 詩歌は言葉を続けようと口を開いたが、そこで美琴を見て気付く。

 

「10から3は何回引けるでしょうか?」

 

 唐突に問い掛けだが、美琴は素直に考える。といっても、考えるまでもない。小学生の問題だ。

 10から3……。10割る3は、3で余りが1。美琴は答えた。

 

「3回でしょ」

 

 すると幼馴染はにっこり笑って、

 

「ふんふむ。やっぱり本調子じゃないし、まずはお昼にしましょうか。ちなみに正解は、1回です。10から3を引いたら7になっちゃいますからね」

 

「え? あ、そっか……」

 

 こんな簡単な引っかけに引っ掛かるなんて。

 それと、幼馴染がまともな問題を出すって考えるなんて迂闊……

 

「たまには屋上で食べるのも気持ちいいものです」

 

「まあ、そうですね……」

 

 軽く同意を示すと、美琴の前に腰をおろし、腰に付けたポーチから水筒と包み――明らかにウエストポーチに収まるようなものではないと思うが、それでも、あの上条詩歌ならハンカチからハトを出しても別に驚かない――それから携帯用にパックされたおしぼりを取り出して、手を拭きながら、

 

「頭を働かせる燃料源に糖分摂取。今日は短縮であとは一コマだけのHRで終わりでしょうが、集中を切らさないよう軽食の焼きドーナツ♪」

 

「ドーナツ? でも、これって詩歌さんのお昼……」

 

「先輩は腹ペコの後輩に馳走するのが義務で、後輩が先輩に遠慮するのは無礼です。それに美琴さんは、美琴さんを探しに歩き回った詩歌さんに対し、食事は一緒に味を楽しんでくれる相手がいてこその時間を、無味乾燥なつまらないものにする気ですか? というか、多めに作っちゃったんで、処理に付き合って頂戴」

 

 あ~ん、とこれまた幼いころに付けられた習性か、条件反射的に美琴の口が開いてしまう。

 バックから紙袋を取り出すと、キツネ色のリングを半分に割って一口サイズに摘み取ったそれを半開きになった美琴の口にむにゅっと放り込んだ。

 

「美味しい?」

 

「うん、何かちょっとモソモソしてるけど、すごく美味しいです」

 

 口の中いっぱいに広がった甘味は唾液腺を吸収して溶け込み、血管に染み出して体中に広がっていくような錯覚があり、やはり、この手造りは美味しく感じられる。

 目を剥くようにしてモゴモゴと口に頬張るこちらに、まるでヤンチャな妹分を愛しむような目を向けてくる詩歌は、残った半分を自らの口に放り込み、『うん、美味しい』と口の端を上げる。

 

「それで、飲み物はアイスコーヒーですが、カップの色は、茶色、黄色、赤色のどれにします?」

 

「ああ、色調と味覚についての心理的効果ですか」

 

「はい、コーヒーの味を茶色は強く、黄色は弱く、赤色は濃く、カップの色次第でも調節可能なんです。コーヒーが一種類でも、それも工夫次第です」

 

「じゃあ、赤で」

 

 水筒から、馥郁たる香りを放つ漆黒の液体がカップに注がれる。眠気覚ましにはありがたいアイスコーヒーだ。

 手渡されたカップのアイスコーヒーは濃く淹れられているが、甘いドーナツに唾液を吸い込まれ、乾いた砂漠みたいな口内は強く水分、そして味覚は苦めのものを求めており、抵抗なく美琴の頭に染み入る。

 それで、2、3個をたいらげ、ドーナツの糖分とコーヒーのカフェイン成分が血管から脳脳に浸透したところで、

 

「この600mlの水筒のアイスコーヒーを、4人で分けることになりました。全員がそれぞれ1個ずつ、ぴったり正確に150ml入るコップを手にしている。順にコーヒーを注いでいったら、4人全員に150mlずつコーヒーが行き渡ったのに、まだ水筒の中にコーヒーが残ってます。何故でしょうか?」

 

「最後の四人目は、コップじゃなくて水筒ごともらったんでしょ」

 

「うん正解。少し頭が覚めてきたようですね」

 

 ゲームみたいに食料でHPMPが回復したというわけではないが、調子を取り戻した。

 

「さて、美琴さん」

 

「はい」

 

 一服してから、崩していた正座を戻して身構えていると、美琴の全体を俯瞰するように詩歌が真顔で見ていた。

 

「美琴さんのAIM拡散力場に“乱れ”が見えます。最初は単に寝不足かと思いましたが、何か、強いショックを受けましたね」

 

「あの、詩歌さん、えっと……」

 

「動かないで」

 

 その右手を美琴の前髪に触れるか触れないかのところにかざす。

 学園都市の能力は脳の演算が不可欠で、密接に繋がった精神の疲弊に影響される。心の傷(トラウマ)なんて負えば、能力が使えなくなる事態もありえる。

 幼馴染は、常盤台のもう一人の超能力者で、いけすかない学園都市最上の精神系能力者と同じ、読心する特別な力はない。

 相手の思考を先読みしたり、物真似が得意だが、あれは直観と直感からくる技術だ。

 しかし、それと似たようなことができる。

 発電系能力者が電磁波を、発火系能力者が熱源を、第六感で探知するよう、上条詩歌は“幻想”を感じる。力そのもの。つまりは、能力者でいえば、AIM拡散力場。

 AIM拡散力場には様々な情報が含んでおり、単に能力者から微弱に漏れる波動と言うだけではない。この現実に対する無意識の干渉の系統や強度を把握すれば、AIM拡散力場の空白、つまりは能力者の死角、『二歩進んで三歩下がる(行ったふり)』に引っ掛かった美琴のように、街中でも波動の隙間に沿って進めば存在を意識させることがなく近づけたり、逆に奥を覗けばその者の“心をも見切れる”。

 AIM拡散力場を感知できれば、心理学のプロファイルをするよりも、その人物の持つ<自分だけの現実>を浮き彫りにさせ、その人格や行動傾向をも把握できるのだ。

 

 

 そして、相手の想いの結晶たる能力をも自身に投影する上条詩歌は、そのさらに一歩先の“調律”ができる。

 

 

「ふんふむ」

 

 相変わらず俯瞰した鏡瞳のまま、詩歌は静かに評した。

 

「なかなか、面白い体験をしたようですね」

 

「……面白い?」

 

「昨日、能力が使えなくなったんじゃないですか?」

 

「あ、まあ……」

 

「勝負したけど、まったく通用せずどうしよう、と攻略手段に迷いが生じたところでビリビリっと能力そのものが使えなくなった。その時の不調がまだ残ってます。それでありながら、一晩熟睡すれば自信を取り戻せるように、<自分だけの現実(パーソナルリアリティ)>に不安を覚えてスランプに陥る寸前で止めてる。それは、美琴さんへの少しの脅し、というか、これ以上は手が出なかったんでしょうね」

 

 そして、その説明を聞き、美琴は昨日あの少年が言っていたことが本当だった悟る。

 しかし、そこでひとつ不可解。

 AIM拡散力場の乱れから、そこまで読み取った詩歌は流石と言うところだが、彼女は『超能力者の力をも打ち消す存在がいる』こと前提にしている。

 普通、7人しかいない頂点の超能力者をあしらえるような人間がその超能力者以外にいるとは考えられないはず。

 あの無能力者も秘密にしている<幻想投影>のことを知っていたし、もしかして、幼馴染はあの無能力者(ストーカー)と何かしら関係が……

 だけど、それを訊くってことは、昨日の一件を話さないといけない―――と美琴は考えたが、

 

「コソコソ隠れて寮へ朝帰りした訳は訊きませんが」

 

 と図星を突く前置きをして、

 

「まず一番に、無事で何より」

 

「……ぇ?」

 

「周りを見てご覧なさい」

 

 言われて周囲を見回すが、当然、この屋上に誰もいない。

 

「今はあなたと私しかいません……」

 

 我慢する必要なんてない。

 そう言われた途端、身体がブルリと震えて、あの右手に掴まれた時の悪寒を思い出して冷汗が出てくる。

 

「別に、私は……ビビってないし、負けてなんか……むぐっ!」

 

 それでも強がりに反抗する自分に、幼馴染は前髪の先に触れる程度に翳された手を首後ろに回して引き寄せ、あっさりとその場で崩れた体を頭から、その細い腹に抱き締めて、その口を封じる。

 

「ふふふ、こういうときは昔のようにベッドで絵本でも読んであげたいけれど、屋上にベッドも絵本もないのだから、我慢してください」

 

「むーっ! むむーっ!」

 

 詩歌は静かな面持をいくらか和らがせ、その旋毛に向けて落ち着いた口調で告げてきた。

 

「私から隠れるような真似をしましたが、もしも、私に悪いと思ってるのがその不調の一端なら、その気遣いは無用です。別に能力を使うなとは言ってませんし、強制するつもりはこれっぽっちもない。ただ、“力”と“暴力”の区別をつけてほしい、それがお姉ちゃんしてのお願い」

 

 ふいに感傷が鋭く胸をよぎった。美琴は絶句せざるをえなかった。

 やはり幼馴染の直感と直観は並外れている。何があったのか、すべて見通しているかのようでもある。

 正しく使えば“力”。間違って使えば“暴力”。

 そして正しいか間違いかを決めるのは自分自身。

 持っていれば必ず使わなければいけないというルールはない。力を使わないころもまた威力。

 結局、全ては志である。

 そう、教えられてきたし、不要に怪我させないよう加減に厳しかった。

 昨夜の勝負のことは隠すつもりだったが、詩歌が相手では些細な動きひとつでも見抜かれてしまうし、負けず嫌いな性分もよくよく承知してるだろう。だから、これを忘れるな。

 たかが私闘にムキになってしまったことは、今更冷静になってみると負い目を感じないわけでもない。そして、それを叱ってくれる幼馴染に隠し通そうとするのは、恩義に反する行為だ。

 失望されるかもしれないが。

 この一線は、越えてはいけない一線だ。

 

「ゴメンなさい詩歌さん……昨日、またちょっとカッとなって、そして、そのことを隠そうかと悩んでた……」

 

「あら正直。そんなの十数人に囲まれて能力を使わざるを得ない状況だったといえば誤魔化せたのに」

 

「そうやって誤魔化したくないから、自白したんです」

 

「ふふふ、そういう美琴さんだから、信じてるんです。決して、人を大きく傷つけるような真似はしないって。本気を出したのだって、それが受け切れる遠慮の要らない相手だとわかったからでしょう」

 

 美琴の裡に刺さった刺を抜くように、詩歌はもう一度頭をなでてから手を引く。

 

「でも、大の男を腹で泣かせることができれば女として一人前だというけれど、負けて悔しがってる可愛い妹分も泣かせられないなんて、まだまだ詩歌さんは未熟ですね」

 

「だから! 私は負けてないし! 攻撃は全部打ち消されちゃってるけど、一発だって食らってないんだから引き分けってことでしょ! それより、詩歌さんが未熟者って言ったら常盤台の全員が未熟者ですよ」

 

「あら? 詩歌さんが未熟者じゃなかったら、美琴さんは大泣きして『詩歌お姉ちゃん、怖かったよ~』って抱きついてくるはず」

 

「それは、絶対に、ありえませんからっ!」

 

「ふふふ。もちろん、私だって負けることがある未熟者。負けを負けで、失敗を失敗で、不幸を不幸で終わらせない人が勝者になれる。そしてそれに一生気がつかない人が敗者となってしまう。……きっと美琴さんが出会ったのは、それを間違えない相手だったんでしょうね」

 

 ぼんやりと顔を上げた美琴に目に映るのは、どこか誇らしげな幼馴染の顔。

 

「ちょっと怖い思いをしたのだけれど、久々に全力が出せて楽しかったんでしょう。その顔を見ればわかります。いい経験をしましたね。まあ、仔犬はじゃれ合って加減を学ぶといいますし、そして、青春は何度もぶつかりあうものです。……(少なくとも、問い詰めても被害報告も出さないってことは自分の手でどうにかするんでしょうし、嘘吐きは浮気の始まりと母さんに教えられましたし、庇おうとは思いませんねー)」

 

 残りのドーナツを食みながら、笑顔の調子を優しげな微笑から、楽しげなからかいの笑みに変えて、

 

「それで、最近、美琴さんに構ってあげられなくてさみしかった?」

 

「え……」

 

 急に問い掛けられ、少し固まるもすぐそっぽを向きながら、

 

「……そ、そんなことないわよ。私はもう―――」

 

「美琴さん」

 

 その横顔向けたほっぺたに、付いてるドーナツの砂糖を指ですくい、

 

「そこはさみしいって言ってほしいなあ。私、お姉ちゃんなんだから」

 

「―――」

 

 言葉の詰まった美琴は、自分の分のドーナツをリスみたいに口いっぱいに頬張る。お嬢様らしからぬ大口で。どうやら口に物を入れている間はしゃべらなくてもいいという美琴ルールが発動している模様。

 その意地でも素直にならない様子に、詩歌は片目を瞑りながら、指を立てて提案。

 

「今、学生である私たちが学業の方を怠るのはいけません。しっかり、栄養補給に休憩もできましたし、このまま屋上でサボらずに勉学に励みましょう。それが終わったら気分転換に、放課後に一緒に遊びに行くというのはどうですか?」

 

「うん、わかった……詩歌さん」

 

「そこは、“詩歌お姉ちゃん”じゃないんです?」

 

「詩歌さん、でお願いします」

 

「ぶー、素直じゃないなぁ」

 

 幼馴染は溜息をついて、立てていた指を手首ごところんと丸めた。長年の幼馴染の目からして本人にそのつもりはなさそうだが、招き猫みたいに見えて、お姉さんぶるそのギャップもあって、それを真正面から食らった美琴の顔が熱中症のように赤らめるほど可愛い。

 本当に、あの女王のような計算だけじゃなくて天然でこういうのを、この人は自然にするから、変な男に付き纏われ―――

 

「あ、それから、美琴さんにも心配させてた、詩歌さんを付け回していたストーカーも昨日に撃退しましたよ」

 

 招き猫のポーズのまま、幼馴染は微笑のまま言った。

 

「今朝のしょうもない勘違いした“とうさん”が隣人に殴り込みをかけたことと美琴さんが舞夏さんのことを土御門と呼ぶからでしょうか」

 

(父さん? 土御門?)

 

 よくわからないが、やっぱり昨日のことはお見通しの様で。

 だとするなら、あの昨日の無能力者はいったい……?

 なんにせよ。

 いつもは我儘を聞いてくれる自分に甘い姉だが、悪い事をすれば叱りつけてくる厳しい姉でもある。

 しかし、やはり甘さの方が割合多めの姉だ。

 大抵、彼女がどんなに叱りつけようともお仕置きなんて精々拳骨程度で、それさえやるのも珍しい事なのだ。

 基本は悪い所を言葉で諭し、反省したら終わり。

 まあ、それなりに築いた信頼関係があるからこそなのだが。

 

「それで、話してくれるなら、詳細に。特に、相手はどんな人だったのかが気になりますね。教えてください。なあに、“美琴さんが”心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 フフ、と微笑む詩歌。

 御坂美琴は良く知ってる。

 上条詩歌は、怒っている時でも微笑む人なのだ。

 

 

 

つづく


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