とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 恋占い 前編

閑話 恋占い 前編

 

 

 

第十二学区

 

 

 学園都市の第十二学区は、中央からは離れた外周部の最東にあり、学園都市で最も神学系の施設が揃った、少し毛並みが違う地区。

 とはいえ、宗教としてのものではなく、あくまで科学的なアプローチでアプローチをしており、ひとつの通りに、仏閣から神社、教会に聖堂など多国籍に――もし各種宗教に神がいれば喧嘩しそうなほどごった煮で、とある修道女はその様に欲張り過ぎると憤慨した――各種宗教施設がズラリと立ち並んでいる。

 

 その一角にある教会。

 

 本場の欧州にあるのを忠実に再現した壮麗な教会建築、その上に戴かれるのは聖十字、出入り口には大判の扉。そこを開けてすぐ上空に見えるのは、聖母のステンドグラス。

 中の空気はどこかこもっており、壁に無数に掛けられた燭台の上から蝋燭の燃焼するわずかな香が漂っている。

 石柱が林立し、袖廊下と身廊下とが直角交差して十字架をかたどっており、正面入り口から中央祭壇まで赤絨毯のバージンロードが敷かれ、その先には―――

 

「―――」

 

 たとえその時まで幾千万の世辞を用意していようと忘却するほど感嘆したに違いない。

 指一本の仕草を取っても、まるで芸術品のような趣があった。

 ほころんだ赤い唇も、伏せられた濡羽色の睫毛も、その奥に秘められた透瞳も―――天に愛されたとしか形容しようのない、特別な魔力を秘めていた。

 まして今は。

 黒絹の流れる頭髪に載ったヴェールや白手袋、柔らかいシフォン生地のスカート。ほんのりと化粧もしている。

 それはまさしく、

 

 ―――ああ……

 

 柔らかく、彼女は笑っている。

 その極上の天鵞絨(ビロード)に似た笑み。

 蝋燭の曖昧な光とあいまって、微笑は薄闇に溶け入るようであった。

 その柔らかさに押されるようにして、視線を逸らすと、隣に、タキシード姿の青年が立っていた。

 

「ッ」

 

 途端、電撃を食らったかのように身体は強張り、全身から汗が噴き出してくる。

 そして、こちらに気づかず、二つのシルエットは重なり―――

 

「不幸だ……」

 

 

 そこで視界が暗転したことで、上条当麻はこれが夢だと、悟った。

 

 

学生寮

 

 

 佐天涙子は、ごく普通の一般人である。

 少なくとも、自分ではそのつもりだ。

 都市伝説な話題にやや異常に興味を示す以外は、さして代わり映えもしない人生を送ってきた。

 あえていえば……身近に付き合う知り合いが特殊で、いろいろと騒動に巻き込まれたりもあったが、それでもまず『普通』と言う範疇の内部であろう。

 そんなあたしの大切な家族構成は、父、母、そして………

 

「―――姉ちゃん。俺、恩返ししたいんだ」

 

「はぁ?」

 

 開口一番、大真面目で言った弟に、佐天は顔を歪めたのである。

 学校からの帰宅時、学生寮の玄関前である。

 学園都市は、『外』ではないような、『外』では対処できないような、事件や事故が起きて、慣れていないと余計なパニックが起こる。なので、入場する際に様々な審査があり、とても小学生の子供を大人の保護者なしに中に入れてくれるとは考えられなかったのである。

 

「それで、お母さんとお父さんは?」

 

 弟の青臭い決意表明をスルーして、部屋に入れてまずその質問をしたのは、それが理由である。

 実家はわりと学園都市に近い方なので行こうと思えば行けるだろうし、家族に場所は教えてはあるが、土地勘なんてあるはずがない弟がひとりでここまで迷子にならずに来れるわけがない、と判断したわけだ。もとより方向音痴な弟だし、実際<大覇星祭>で前科持ちになったそうだし。それなら父か母――おそらく心配性な母あたり――が自分の様子を見に弟を一緒に連れてきたと考えるのが現実的……ではあるが、弟の返答は、物の見事に大外れだった。

 

「いないよ、お父さんとお母さんは来てない」

 

「う、ん……?」

 

 これはまさか初春に頭を下げなくちゃいけないのかもしれない。

 

「もう一度聞くけど、あんた一人でここに来たんじゃないでしょ? 正直に言わないと部屋に入れないよ」

 

「うん、だから、『セイメイ様』と一緒に来たんだ」

 

 そういって、首に下げていた、佐天も持ってるのと同じお守りを水戸の印籠のごとくみせる。

 

「ええと、そのなんだ、ねーちゃんは知らない人の誘いにのっちゃダメだってとお前に教えてるはずなんだけど。そのへんはどうなの、笑太」

 

 笑太は弟の名前。姉が『“涙”子』だから、『“笑”太』と安直な両親である。

 ただ、それでも両親は子供(あたし)たちには責任ある親のはずだ。間違っても、<置き去り(チャイルドエラー)>を捨てに来る人とは違う。

 対して、口をへの字にした弟は、こちらを見ないままにざっくり答えた。

 

「うん、でも、俺が恩返ししたいってお願いしたら、『セイメイ様』が叶えてくれるって言ってくれたんだ」

 

「その『セイメイ』ってのはどこにいるの? 一緒に来てるんだよね?」

 

「だから、“ここ”にいるんだって!」

 

 確かにお守りには神様が宿っているんだろうけど、それは非科学的。

 叱りつけてやりたいところだが、その『セイメイ』とやらは置いておこう。とりあえず、誘拐犯だとか悪い大人ではないようだし。

 まずハジマリを問いただしてみる。

 

「で、恩返ししに、学園都市まで来たわけ?」

 

「うん。男として受けた恩は返さないといけないから」

 

 ぼそりと、弟が呟く。

 おお、めちゃ甘えんぼのくせに、こういうところだけはいっちょまえ。姉としてはちょっと嬉しくなってくる。

 が、ここで引っ込むわけにもいかないので、別方面も攻めてみよう。

 

「どんな人なの?」

 

「この前の<大覇星祭>で、迷子になった時助けてくれた」

 

「え?」

 

 それは、まあ、この街に来た時点で、大体は予測できたことだが、誰だ?

 迷子を保護したのなら、<風紀委員(ジャッジメント)>の白井さんか初春……

 

「それって、頭が花畑の娘? それともツインテールの娘?」

 

「ううん。リボン付けてて、胸がスッゲェ大きかった!」

 

 ……ないな。残念だけど、ゴメン。

 で、<風紀委員>でスタイルがいいといえば、固法先輩がまず思い浮かぶが、彼女がしているのは、リボンではなく、メガネ。

 いや、待て。別に迷子を保護したからって、<風紀委員>とは限らない……となると、

 

「それで、姉ちゃんが先生だって、紹介してくれたお姉さん」

 

 それは、ちょうど佐天の脳裏に浮かんだ人物で。

 あんぐりと口をあけた佐天を尻目に、弟は立ち上がり、今にも部屋を出ようと、

 

「ああ、待て待てこら」

 

「とにかくねーちゃん、俺は恩返しするまで帰らねーから」

 

 ばあん、と胸を叩いて、大見栄を切ったものである。

 

(どうやって、傷を小さく終わらせられるもんかね……)

 

 下手をすれば超能力者よりも高いかもしれぬ前人未到の山の頂に挑もうとする弟の顔を見ながら、佐天はそういうことを考えていた。

 ここで母に連絡すれば、弟の冒険はそれで終わるだろうが、もうこの時間帯だ。引き取るのは明日にして、姉である佐天の部屋に泊まらせるのが無難だろう。幸い、ルームメイトはいないし、ひとり分くらい寝泊まりしても問題ない。ただ、ここまで初めてのことに気合を入れてる様子を見れば、ただ帰すだけではまたこっちに来そうだ。

 どうにかして、納得してもらわないと。

 そういえば。

 ちょうど今日、佐天は面白い都市伝説を仕入れたところだ。

 

「よーし、それじゃあ。この占いアプリで良い結果が出たら、ねーちゃんが協力してあげる」

 

 

とある学生寮

 

 

 イタリアで、知り合いのほんわか修道女オルソラ=アクィナスが、アパートの浴室を聖バルバラの伝承に基づき洗礼場に改造していた。

 それを知ってから、日々のお祈りを怠らない(七つの大罪の一つは無視してると思うが)信仰心深き敬虔な居候シスターのために、イタリア家庭料理と一緒に聖バルバラの洗礼場を学んでいた賢妹が、寝室も兼用している学生寮の浴室に魔術的非科学ワールドを持ち込んでいる。

 愚兄を起こしてから、毎日わざわざ浴室を洗礼場として張り直しているのが面倒だろうが、科学の街でいろいろと不便したり、留守番の多く寂しい思いをしている居候に、少しでも解消しようと手を尽くすのだから、苦労を苦労とも思わない。

 最初は流石に遠慮していたが、『結界を張る練習にもなります』と言い含められて、今ではご機嫌に居候は朝シャンするのも日課となっている。

 そして、部屋主たる上条当麻にも、日課となっているものがある。

 トレーニング。

 別に運動系の部活に入っているわけではないが、当麻の日々はある程度の体力がなければ、ゲームオーバーになる事態になりえる。

 そういうわけで、以前の体力テストで負けた賢妹の倍の数値を目標に……

 

 

「何をやってるんでせう?」

 

 

 上条当麻は問う。

 先ほどまで寝室でもあった浴室からは、鼻歌が聞こえている。台所からは嗅いだだけで食欲を刺激しおなかを楽器に変える良いにおいが漂っている。洗濯物もベランダに気持ち良く干されてる。

 そして、今日は、弁当はお休みの日だ。

 つまり、上条詩歌は手すきとなっているわけで、トレーニングの一メニューを手伝ってくれている。

 腕立て伏せでは、重りとして背中に乗ったり、背筋では脚を押さえておいてくれたりしてくれるのだが。

 

「腹筋するんでしょ? だから、脚の上に乗りました」

 

 ブレザーの制服はこの部屋に来た時に掛けられており、ワイシャツに、細い組み紐で吊るすタイプのエプロン。窮屈であると、首のリボンも解かれて、ボタンも上二つが外されているので、胸元が鎖骨のラインまで露出している。

 スカートの下にニーソックスを履いているが、その黒との対比が、視界の端にちらちらと映る両足の太ももをよりまぶしくしている。

 そして……

 

「いや、だからって、そんな前じゃなくてもな」

 

「何かこの優しいかわいい妹に問題が?」

 

 脚とは、太ももから下、足は足首から爪先のことを指す。

 そして、両手は太ももの上を押さえている。

 以前、普通に曲げた脚を抱えるように押さえる方式を取っていたが、それだと“いろいろと当たる”のでやめてもらった。

 しかし、その当麻の上で前屈みな体勢をとると、今度は“いろいろと見えそう”だし、何より何かを催促(おねだり)していると世の野郎どもが勘違いするようなポーズだ。

 もしかしてこの妹は、自分を誘惑して―――からかっているのだろうか。

 いや、気にしたら負けだ。

 いったんそう心を定めると一兄として、落ち着いた対応で、常識を説く。

 

「上半身を上げたときに、顔が近すぎるような……?」

 

「何かこの優しいかわいい妹に問題が?」

 

「いや、だからね、詩歌さんや、このままやると顔がな……」

 

「何かこの優しいかわいい妹に問題が?」

 

 『はい/いいえ』の二択を与えられたはずなのに、『はい』を選ばなければ、先に進めないような展開だ。

 身体の太ももを押さえているのは、見た感じ触れてる感じも、紛うことなき女の子の手の平なのに、びくとも動かない重圧はまるで関取が―――

 

「何かこの優しいかるい妹に問題が?」

 

 ―――話を戻そう。

 

「……くっつくかもしれないんだぞ」

 

 兄は諭すように言う。

 対し、妹も諭すように、

 

「当麻さんもインデックスさんみたいに一回腹筋するごとに感謝をしてみるのはいかがでしょう」

 

「おい、なんで目を瞑ってんだよッ!?」

 

「大丈夫です。いくらでも感謝してもいいですよ」

 

「どんだけお兄ちゃんに腹筋させるつもりだッ!?」

 

「感謝の腹筋一万回♪」

 

「朝飯前の軽い運動ってレベルじゃねーぞッ!?」

 

「十年後には音も置き去りにしている予定です」

 

「そこまで腹筋を極めるつもりはねぇな……」

 

 俺の妹は、一体お兄ちゃんをどうしたいのだろうと日々悩む。

 世界最強の格闘家にでもするつもりか?

 というか、“感謝”というのがどう表現するものなのかは突っ込まないが、もし音を置き去りにするレベルになるとマウント取ってる妹は超音速の頭突き(ヘッドバット)を食らうことになるけどいいの?

 こうして、二度目のポジション調整の交渉をしているうちに、BGMみたいに流れていた洗礼場の鼻歌は止まってしまった。

 決めてるわけではないが、彼女の洗礼が終わったら、それを終了の合図としている。

 

「女子校通いのお嬢様って、男慣れしてなくて、殿方に触れるのは緊張するもんじゃねーの?」

 

「まーた当麻さんは、勝手なお嬢様像を作って……と、言いたいところですが、私、緊張してますよ。ほら、息が詰まりそうなほどドキドキしてますし」

 

「それを笑顔で言われてもな……」

 

「今も普段より目が0.5mmほど見開いてますが気づきません?」

 

「それ見開いたって言わねーよ! たんに痙攣してるだけだろ!?」

 

「まさか、少し頬の方も1nmほど強張ってるのにも気づいていない、なんて……?」

 

「なんて? ってなに驚いた顔してんの? お前はお兄ちゃんの視力が顕微鏡クラスだと思ってんのか?」

 

「やれやれ、ほぼ毎に顔を付き合わせてる妹の感情の機微を覚れぬとはつくづく乙女心という幻想もぶち殺してる鈍感兄です。てっきり、これまでの会話の8割以上が冗談だと了承してるものだと思ってたんですけど」

 

「してないしてない。ご了承してねーからな。っつか、それだと何も話せないことになるぞ」

 

「何も話せない……なんて、妹はなんだか甘く切ない感じがします」

 

「いろいろと切ないのには同意だが、甘くはねーと兄は思う」

 

「なので、ツンを味付けしてバランスをとります」

 

「意味がわからんが、砂糖入れ過ぎたからって塩を入れても中和しないと兄は思う」

 

「お兄ちゃんのために筋トレに付き合ってあげてるんじゃないからね! 馬鹿みたいに休まずやってるのが目に付いただけよ! 私が指導してあげるのだから感謝して鍛えなさい! ――――どうです? 詩歌さん的には良い味付けになった気がしますけど」

 

「いや、良かった。ああ、ちゃんと感謝してる。だから―――あんまり誤魔化さなくたっていいぞ」

 

「え?」

 

 と、驚いたように目を瞠る。

 

「心配させたくないからとか思ってんだろうけど、詩歌、今日なんか調子悪いだろ。あいにく、顕微鏡クラスの視力は持ち合わせていねーけど、お前が体調が悪いのはわかるんだよ」

 

「え、ええ……まあ、そうですけど。(鈍感なのに、どうして、こういうところが鋭いんですか)」

 

 兄をからかい遊ぶのはいつものことだが、どうも今日はいつもよりもハイテンションな気がする。

 当麻がそこを指摘すると、蚊の鳴くような声でぶつぶつと言っている詩歌は顔を背ける。

 

「それで大丈夫なのか? また無理とかしてねーだろうな」

 

「大丈夫です。当麻さんが心配するようなことではありません」

 

「本当か?」

 

「本当です、ただ最近ちょっと忙しいから、いつもより来るのが早かっただけで……」

 

「? 何がだ?」

 

「なにがッ―――……って、言えません……!」

 

 賢妹が急に――そして珍しいことに――顔を赤らめた。

 これはただ恥ずかしがっているだけではないのは当麻にも読めた。やはり賢妹は何かを隠している。重要なことかもしれない。

 マウントを取っている妹を見上げながら、もう一度、

 

「なあ、本当に大丈夫なら、ちゃんと教えて―――」

 

 ビュンッ! と空を切る鋭い音が鼻頭あたりを撫でた。まるで、マウントを取った男子高校生の顔面スレスレに拳ほどの物体が思いっきり擦過して、反射反応するより早く引き戻したような音であった。

 吐き出しかけた言葉と一緒に生唾を呑み込む愚兄を冷たく一瞥すると、賢妹は一転、いつも通りの柔らかな声で告げる。

 

「―――目のトレーニング。寸止めするように心がけますが、余計な口を滑らすと手元が狂うかもしれません」

 

 確かにちょっとでもライン超えてたら顔面がぶち抜かれてたな……。

 その時の目、屠殺場の家畜を見るような目。

 怒ってる、と愚兄にも読めた。その羞恥に赤くなっていた頬は冷めて、にっこりと表情金が笑みを作っているが……目が、怖い。

 

「……では、インデックスさんが出てくるまで、全力で。最低百回。この厳しいかわいい妹が英会話をしながら適当にジャブを入れますので、拳を避けつつ英語で受け答えしながら腹筋してください」

 

「やっぱ、ツンの味付けが辛口すぎじゃありませんマイシスター!?」

 

 インデックスが長髪を丁寧に拭き終わって修道服に着替えてリビングに出ると、そこに物理的に精神的に疲れ切った頭の上条当麻が沈没していた。

 

 

とある高校 食堂

 

 

 昼休み。

 毎日弁当を用意してもらっている当麻だが、朝に弁当代分の小遣いを渡され、今日は食堂で昼食を取ることにした。

 そして、デルタフォース――青髪ピアスは名義上のクラス委員として昼休みの集まりに参加し、土御門は妹の弁当を持っていずこへと消えて……。

 で、呪われたアイテムのように不幸が装備されている愚兄は、食堂についても座れるような席がなく―――と思いきや、偶然、弁当を作ってこなかったクラスメイトの姫神秋沙の誘いで、今日は運良く座れることができたのだった。

 

「今日は。弁当じゃないんだ?」

 

「たまにはなー。でも、今朝の詩歌、何か『いつもより来るのが早い』とかいって、調子が悪そうだったな。それが何かって結局教えてくれなかったし」

 

 と、当麻は姫神に今朝のトレーニングで妹の不審の一件を言う。

 ちなみに、姫神の前に陣取っているのは名物カレーで、ランダムに激辛と激甘が入れ替わるという代物だ。見た目やにおいでの判別は不可能で、激辛と激甘を足して割れば普通のカレーとなるといわれている、『プラマイゼロ(±0)』などと呼ばれているのだが、姫神は眉一筋動かさないのでプラスかマイナスのどちらに振り幅が傾いているかはわからない。

 どころか、もう一口食べても無表情のまま、首を傾げた頭がその黒い長髪を横に流して、

 

「『いつもより来るのが早い』?」

 

「ああ確かに、ここ最近、洗礼(いろいろ)と準備が増えてその分朝来るのが早くなったけど、別に眠そうにしてるわけじゃねーし」

 

 そう考えると、調子が悪いというより、変だったというべきか。

 普段、滅多に見せない、真剣な面持ちで、

 

「兄である当麻さんに言わないってことは、何か秘密にしている……秘密にしたいことだからなんだよ」

 

「……まあ、そうかもしんないけど。単に言うまでもないことだからじゃないの」

 

「万が一にも、かもしんねーだろ」

 

 とかく、帰ったらいつものカエル顔の先生に相談しに……と考えてるところで、

 

「というか、上条が無精なのは知ってるし、詩歌さんが世話焼きなのもわかってるけど、妹さんに何でもかんでもやらせるのは兄としてどうなの? せめて自分のことは自分でやんなさいよ。自炊できないわけじゃないんでしょ……って聞いてんのか、上条」

 

「あああ、はい、はい! 聞いてます!」

 

 背筋をただして、かくかくと愚兄がうなずく。

 姫神の隣から口をはさんだのは、彼女の親友で、仕切り屋で実質上のクラス委員、そして対上条属性の吹寄制理さんである。

 学生にしては大きめな胸を持っているが、黒髪を耳に引っかけるように左右に分け、制服も下から上まできっちり規格統一されてるドマジメな彼女の前には、かけうどんが鎮座していた。トッピングもわかめといった海藻系だけで、素っ気ない食事のようだが、代わりに趣味で収集したと思われる青海苔っぽい薬味瓶をわざわざ持参してかけているのが、どこかこの少女らしかった。

 器用に箸を操って、吹寄の唇はつるつる麺を飲み込んでから、睨むような目線で愚兄の手元にある丼物を刺し。

 

「この食事代も一食200円内。可能ならサラダなんかの野菜系も組み込むべきだけど、物足りないようなら、こうしてサプリメントで補うの」

 

「がっつり量だけ食えればいいんじゃねぇの? 税込みでワンコイン(500円玉)の牛丼大盛コースにも漬物と味噌汁がついてるし」

 

「圧倒的に緑が足りない。弁当を作るのが面倒でも、栄養分の計算くらいすんの。ほら、このうどんだけでなく、ご飯にもかけれる、昨日通販で買った万能調味料『苦いけど良薬な青汁ふりかけ』をかけろ!」

 

「ものすっごく味のバランスが崩れそうだろそれ! 辛いけど食べられるラー油のつもりか!?」

 

 茶色の大地(煮込んだ牛肉)の上に、天から恵み降り注ぎ、芽吹く緑の草原(怪しい健康薬味)。(味を犠牲に)栄養のバランスは整った(と、思いたい)。

 苦味の増した牛肉とご飯を虚しく頬張る当麻だったが、そこで姫神秋沙が机の上に、何か――タブレットを取りだしたことに気づく。吹寄がこちらに意識を向けている間に急いで、『苦いけど良薬な青汁ふりかけ』の雨が降りかかる前に自分のカレーは食べ終わったのだろう。

 意外と食べれなくもない、けど、牛丼には合わない味、と健康食品を評価する当麻は何やら準備する姫神を見て、

 

「あなたの悩み。私が占ってあげる」

 

「……………?」

 

 口の中が微妙な味で満たされてるからではなく、微妙な表情をする愚兄は、はい? とクラスメイトに目をやった。

 

「……なぁ。何か悩みがあるようなら、相談に乗るぞ」

 

「いい。悩みがあるのはあなたの方」

 

「そ、そうか……」

 

 姫神の突拍子もない行動に、当麻はふと今日の休み時間を思い出す。

 確か、姫神は何か雑誌を読んでいたな……

 

『―――パワーあふれるクラスの中で埋もれないためには、何といっても他者を押しのけるために放たれる光、そう、攻撃力が必要です。そしてその攻撃力を得るために必要なのは間違いなく個性。そしてさらに何らかの特技があるのがベスト――』

 

「そういや、姫神にはなんだかんだでそつなく料理をこなすという平和的な個性があったはずだよな。ほとんど毎日自分でお弁当を作って来るのは、既に強烈な個性だと当麻さんは思うのがね?」

 

「でも。魔法のお弁当は私だけの唯一性ではない。現に詩歌さんもしている……。はう」

 

「ひっ、姫神?」

 

 出会えば一目惚れさせるというような、“一撃必殺クラスのパワー”の持ち主と比較するのは、愚兄としては間違っていると思うのだが―――と、落ち込んだのは演技だったのか、姫神は変わらず無表情で、

 

「でも私は。自分の中に備わっていた。もうひとつの個性を見つけた……」

 

「なんだ?」

 

「私。巫女だった」

 

「あー……そういや、初めて会った時、巫女さんだったな姫神」

 

 話の展開がわからない吹寄が首をかしげるが、仕方ない。

 三沢塾から脱走(という誘引)をしていた時、真夏だというのに姫神は巫女装束を着ていた。それで本場本職のシスターさんはいちゃもんつけてひと騒動が起こったが。

 

「でも。何であの時巫女服着てたんだ?」

 

「実家が神社。天照大神の末裔『比売神(ひめかみ)家』」

 

「えっ、そうなのか?」

 

「冗談。あれはただの趣味」

 

「おい、一瞬本気で信じかけたぞ」

 

 無表情のままなので、冗談なのか表情が読めない。

 というか、その<吸血殺し(体質)>が、<吸血鬼(オカルト)>を引きつけるというのだから、本当にそうだとしても不思議ではないと思っても仕方ないだろう。

 

「でも。占いは当たると評判。だって。今日弁当にしなかったからあなたと……………」

 

「どうした姫神?」

 

「当たると評判」

 

「いや、わかったよ」

 

 個性を磨くということで、自身の特技を模索するのはいい方向なのだろう。

 特に占いは、ミステリアスな姫神にマッチしているのかもしれない。

 そして、パシャッとカメラを取ってから、

 

「じゃあ。ここに指を置いて。マイクに悩み事を」

 

「なあ、それって誰でもできるアプリじゃねーの!?」

 

 そういや警棒形スタンガンをマジカルステッキとか言う奴だった。

 もっと神職っぽく竹串っぽい道具とか使って……とは、思ったがこの街の開発を受けた学生が、そんなオカルトの真似をしてもし本当に成功してしまったら大変なことになる。……あのシスコン義兄とは違って、禁忌の壁をも容易く超えてしまう例外もいるが。

 そして、姫神の言うとおり、最近、流行っているその占いアプリは良く当たると評判だ。

 スマートフォンのタッチパネルとマイクセンサーを活用させたもので、マイクに占ってほしいことを言うと、ウィジャ盤のように五十音文字が並ぶ図が表示され、外縁を幾何学的な文様で囲み、中央背後に北斗七星をおさめた画面、その指を置いたセンターポイントの十円玉ほどのサークルが自動で動き始めて答えてくれるというものだ。

 

 

 

 偶然、その話題は今朝の食卓にのぼっていた。

 

 ―――こっくりさん。

 

 あるいは、エンジェルさんともいう。

 白い紙に、ひらがなの『あ』から『ん』まで五十音、また『はい』と『いいえ』の選択肢、地方によっては鳥居や数字を書き込む。紙の上に一枚の十円玉を置き、参加する者全員が十円玉の上へ指を置く。

 そうして、参加者が質問を口にすると、勝手に十円玉が動き出し、質問の答えを示してくれるというのだった。

 

『つまるところ、ウィジャ盤を使ったテーブルターニングだよ』

 

 と今朝の食事時のニュースの流行コーナーで紹介されたそれを、我が家のご意見番が結論付ける。

 

『ウィジャ盤は確かアメリカで発祥。イギリスに移動してブームになって、それから日本にも輸入されたものでしたね』

 

 オカルト関連に限らず、ひっそりと英国から日本に輸入され、アレンジされたものは多い。

 トイレの花子さんや動く人体模型などに代表される学校の怪談と同じく、こっくりさんもその中の一例だった。

 その大本が、ウィジャ盤である。

 ひらがなの代わりにアルファベットを記しており、十円玉の代わりにブランシェットと呼ばれる指示板を使う以外は、ほとんど一緒といってもいい。

 元来は、19世紀のアメリカで発売された“玩具”だったのだが、爆発的な売れ行きの後、それはあるブームと渾然一体となり、さまざまな社会問題を引き起こした。

 

『それでインデックスさんが言ってるのは、昔の心霊主義の一種です』

 

 と、賢妹は言う。

 逝去した知人や、かつての偉人の霊を呼び出せると詐称し、アメリカはおろかイギリスまで席巻したオカルトブーム。心霊主義と称される一連の体系は、後々にそのイカサマが見破られ下火になるまで、多くの詐欺や神経症を被害者にもたらした。

 ウィジャ盤は、そうした中で生まれた小道具なのだ。

 小さく、憤然としたよう居候は、鼻を鳴らす。

 

『ウィジャ盤はほとんど偶然によるものだね。霊を依りつかせる能力なんて、普通の人間にできるはずがないし、呼ぶ力もないんだよ。それこそ、霊の方がきまぐれを起こさない限りありえないかも。こんなのまっとうな魔術とは到底言えないね』

 

 そう、インデックスは“偽物の魔術”を批評した。

 実際のところはオカルトかぶれの素人が流した魔術ともいえない偽流行(デマ)

 かつてなんちゃって偽巫女に、著しく本職のプライドが傷ついちゃったインデックスは、そういった遊びでやられるが気に食わないのだろう。

 

『だから、こういうので遊んでると痛い目に遭うんだよ』

 

 最後に、インデックスは忠告した。

 

 

 

(ま、インデックスも正解を引き出せるのは腕のいい魔術師でもないとできないし、そもそも素人じゃ占いは成功しないって言ってたし)

 

 と、気楽に。

 当麻は右手を―――おっと、左手の指でサークルに触れ、そしてマイクに向かって、先ほどと同じ『最近ちょっと妹の様子がおかしいんだが』と内容を言う。

 すると、勝手に動き出すサークルに当麻の指は釣られて……

 

「……せ………い………――――」

 

 と、そこからサークルは最後に鳥居のマークに停止。

 つまり、これで終わり。

 

「あ。来るのが早いって。そういうこと……」

 

 そんな短いヒントに姫神は何かわかったのか、今朝の妹と同じく顔を赤らめ、けれど、今朝と同じく愚兄は何も分からず、

 

「? どうして、吹寄の名前? なあ、もしかしてなんか知って」

 

 る、と最後まで言えなかった。

 いつのまに愚兄の席の背後に仁王立ちで立っていた吹寄が、振り返った当麻に―――

 

「違う馬鹿!!!!!」

 

 そのときの吹寄制理の頭突きは、まさしく不可避の速効。待ち構えていてもそのあまりの速さゆえ太刀筋が見えないだろう。

 まさか、感謝の一万回をやったのか。その果てで会得したのが『吹寄おでこDX』なのか。

 ―――そんなくだらないことを0.1秒で考えた当麻の頭は、おもいっきり凸鎚を食らった。

 いつもの教室より10倍以上広い、食堂全体を震撼させるほどの轟音が響く。

 

「―――っつ~~~!?!?!? いきなり何すんだ吹寄!?」

 

「上条がド失礼なことを訊こうとするからでしょう!! っつか、まさかそれで詩歌さんに詰め寄ったって言うの!!」

 

「そりゃ、兄として妹の様子が変だったら気になるだろ普通」

 

 信じられない、といった表情で愚兄を見る。

 こいつは本当に十年以上兄をやっているのだろうか?

 

「上条……アンタ、勉強してもっと知識を付けるべきね。いくらデリカシーないからってそこまでとは思ってなかったわよ……」

 

「何か失言しちまったのはわかったが、それって何なんだ?」

 

「だから、こんなとこで訊くなっつってんでしょうがバカミジョウ!!!」

 

 二度目のゴングが鳴った。

 

 

 後に―――昼休みが終わった後になって、保健室まで当麻に付き添ってもらった姫神から教えてもらい、ようやく理解した。

 男の自分にはよくわからない感覚、あまり触れてはいけない話題、けれど妹を持つ兄として最低限知ってなければならない知識だった。

 

 

常盤台中学 相談室

 

 

 タロットカードをくるくると円を描くようにシャッフルする。

 <運命の輪(ホイール・オブ・フォーチュン)>とも呼ばれる手法で、その最中にも、幾度となく詩歌の指は引き出したり、上下を逆転させたりする。

 そういったシャッフルへの働きかけが占いの技術(スキル)の高さを示すものであり、より正しい運命を引き出す。

 最終的に、中央へ二枚のカードを重ね、その周囲にさらに四枚のカードを置く。

 この展開法(スプレッド)も修道女も認める由緒正しきスタンダートな方法で、十字架に似ていることから十字法と呼ばれるもの。

 残った四枚を右隣りへ直線状に滑らすように等間隔に並べ、上条詩歌は微笑する。

 

「準備は良いですね?」

 

「は、はい」

 

 

………………

…………

……

 

 

 最後のカードをめくり終わり、女子学生は顔を上げる。そこに無限の情を湛えて見えるその瞳は、胸の奥に何かを見つめて、

 

「―――この通り、占いは運命を見るようなものではありません」ささやくように言った。「未来に決まった形はない。これからあなたの手でつくるものです」

 

「はい!」

 

 放課後から昼休みに時間変更したが、月一から週一に増やして、詩歌はお悩み相談を続けている。

 主に、能力の不調や伸び悩み、また教師にはしにくい相談を聞いている。

 今回も『友人と喧嘩して仲直りをしようとしたら占いで悪い結果が出た』というもので、セカンドオピニオンみたいな形で詩歌は励ますことにした。けして、でたらめではなく、不在時でも受け付けているメールでの相談対応で彼女の友人から『仲直りしたいけどいいきっかけがない』と同じような悩みを聞いていた。だから、あとは背中を少し押すだけ、占いという小道具を使ったというわけである。

 

(……にしても、『もし逆らったら血塗れに呪い殺される』ですか。迷惑な都市伝説(うわさ)ですね)

 

「へぇ♪ 詩歌先輩の万能力はオカルト方面もカバーしてるんですねぇ☆」

 

 と、笑顔で出て行った女子学生を見送った後に、入れ替わるように聞こえてきた甘ったるい声、扉を閉める前に入ってきた蜂蜜色の影は詩歌が最も手を焼いてる後輩の一人、食蜂操祈である。

 

「操祈さんは良く来ますね。週一にこの機会を設けていますが、悩みがないのに皆勤賞です」

 

「えー、詩歌先輩とお茶したいだけじゃだめですかぁ? って、健気な後輩力をアピール☆」

 

「はいはい。相談が終わるまで邪魔せず大人しくしてましたし、先輩力を発揮しちゃいますよー。……ああ、それで操祈後輩に訊きたいことがあるんですか、<心理掌握>の初期設定(プリセット)を受けた生徒の中で、どれほどこの占いアプリを取得(ダウンロード)していますか?」

 

「え、さっきの娘が持ってたやつですかぁー? ………」

 

 雑談しつつ、テーブルの上に並べたタロットカードを片づけると、お茶の用意に取り掛かる。室内には詩歌が和洋中を問わずお茶に関するもろもろを揃えたキッチンスペース――といっても水道と簡易電気コンロがある位にもの――がある。

 先輩にお茶の用意をさせるのは後輩としてはどうなのか、と思われるところもあるだろうが、家政婦女学院で研修を受けたことのある上条詩歌は慣れたもので、また食蜂操祈は校内で最大派閥の女王である。

 二人分のプーアル茶を淹れ、お茶請けに昼食でもあったほかほか中国風蒸しパンをプラスして詩歌が席に着くと、つい先ほど相談者のいた席に座っていた食蜂は手を伸ばし、

 

「うーん、女子力が高いですねぇ。今度、お部屋も見てみたいわぁ♪」

 

「別に構いませんよ。陽菜さんも気にするような人じゃありませんし。美琴さんは嫌がるかもしれませんが」

 

女子寮(そっち)じゃなくてぇ、お兄さんがいる方ですよぉ☆ いつもここで昼食作ってもらってますしぃ、お礼にお兄さんに私の天才力をフルに使った女子力を熱烈アピール♪」

 

 心を操る専門家は、大抵のオトコを籠絡する術も心得ているのか。

 またその気になればあらゆる女の子の属性をそろえた楽園(ハーレム)の弾幕力を張ってしまうこともできる。

 たとえ、一撃必殺クラスの攻撃力を持った矛でも貫けない防御力を持つ盾な鈍感属性でも……

 

「フフフ、当麻さんがいいと言って、操祈さん自身がひとりでくるのなら構いません。なんなら、花嫁修業もサービスしますよ? 水泳のときと同じように、“手取り足取り”」

 

「詩歌先輩のスパルタ力なマンツーマン指導は光栄ですけどぉ、操る『娘』が確実に力が尽き果てるのが可哀想ですので遠慮しときますねぇ」

 

「そうやって他人に代理を立てて楽しようとするから、なかなか泳ぎも身に付かないし、自分から直で会おうとしないから当麻さんになかなか顔を覚えられていなかったりするんです」

 

 グサッ、と最後の言葉は女王の心を差した。

 確かに、偶然、こちらの予想外な展開でないと直接遭遇したことはあるが、<心理掌握(メンタルアウト)>で操心した人間を使ってちょっかいを出すことはあるが、自分から自分自身で(まみ)えるということはしていない。

 ここ最近、こちらの記憶にある内で、あの無能力者と顔合わせしたのは、<大覇星祭>の一日目の昼休みくらいだ。

 

腹黒(ブラック)完璧(オールマイティ)な詩歌先輩は、私に負けないくらいの母性力満点な胸囲力をおもちなのにどこでも生身ひとつでいけちゃう女子力(物理)ニィー、初対面の相手とも平気で仲良くなれちゃう社交力があるけドォー、私みたいな男に容易く手篭めにされちゃうくらい弱力デェー、男性免疫力の低い黒幕担当なお嬢様からすれば顔合わせでも命取りなのよねぇ」

 

「何わざとらしく拗ねちゃってるんですか。つまり、幼少期にほとんど一人で過ごし、同年代との人付き合いが滅多になかったせいで、ひねくれて育った後輩は意外とシャイってことですか。なのに、最大派閥を作れたその人心掌握術はやはり、天性のものです」

 

「わたし読解力に自信があるタイプじゃないけどぉ、一応、褒め言葉として受け取っとくわぁ☆」

 

「自信がないのは、素の自分でしょうに」

 

 と、先の相談にも使ったタロットカードの山札から適当に一枚を引き抜くと月桂樹の冠をかぶった女性が描かれた『女帝』―――

 

「あらあ? 占いなんて安っぽいものかと思ってたけどぉ♪ 詩歌先輩、この女子的魅力抜群なカードはひょっとして私の運勢力に当て嵌まる―――「残念ですが、これ、『女帝』の、逆位置です」」

 

 どよよ~ん、とゲームか映画であれば、不吉な効果音がつきそうな案配だった。よくあるRPGで、大切なセーブデーターを間違って消してしまった時の音。

 詩歌の対面の食蜂からは正面に見えたが、本来は逆向きである。

 

「『女帝』は行動や実りをあらわしますので、優柔不断で他人任せな態度では結局満足できず、好機も逃してしまう……ふむ、一体誰に当て嵌まる運勢でしょうか? 操祈後輩」

 

「そうやって私をからかえるのは他に誰もいないから新鮮で、逆に気持ちいいけどぉ。ちょっといぢわる力がありすぎません? もう少し優しくしてもいいんですよぉ」

 

「ふふふ、先輩らしく、相談室にくる悩み多き後輩に助言しただけですけど。……まあ、直接行っても、あの脅威を鈍感属性による鉄壁の防御力だけと見誤り、最も恐ろしい不意打ちのカウンターを食らうオチが大体想像付きますが」

 

「ふ、ふふふ! そうやってイカサマな器用力でカードを逆にして、お兄さんを諦めさせようとする詩歌先輩の手口はわかってるわよぉ!」

 

「いいえ、詩歌さんの魔法の指先は発揮してません。何なら頭の中覗いてもいいです」

 

 そう言い切る先輩は、リモコンを使わずとも食蜂の目から見て真と取れる。

 そして、聖母のごとく優しい笑みで、雨の日に傘を持ち歩いたほうがいいかもしれません、と忠告する予報士のように。

 

「所詮は占いですし、“もし絶対に正しい未来を視れるものだとしても、予知能力者が最強とはなりえない”。とにかく、これを機に自分を見直すのもいいかもってことです」

 

「それならこの私が直々に裸エプロンで新婚さんごっこをしてあげるわよぉ!」

 

「ふふふ、やれるものならどうぞご自由に。やれるものなら」

 

 とか言いつつ来たら絶対にブラコンブラック(BB)は妨害してくるに違いない。

 行くなら、この腹黒い鬼姑がいない間に……そう、女王は心に決めた。

 

 

 

 と、その直後だった。

 ノックされて、相談室のドアが開き、

 

「失礼します、上条さん。今日の……について」

 

「―――はい、綿辺先生……」

 

 

ファミレス

 

 

 既に放課後に入り、周囲には学校帰りの学生らしき多くの人影と、にこやかなざわめきとが満ちている。店内から押し出される暖房の風に微笑して、彼女らは季節の寒さに負けず賑やかに今この時を堪能する。

 少女も、そんな中の一人だった。

 初春飾利。

 秋冬なのにそこだけ春爛漫な花畑みたいな飾りを頭に乗せ、学校の成績は真面目だが夏休みのレポートに四苦八苦するような平均。

 ごく普通の女の子で、どこの学校にもこういうタイプの生徒がいるだろう

 ただし電子情報世界においては――<風紀委員>の試験を一点突破するほど――その情報操作の(スキル)を見込まれて、<守護神>という奇妙な伝説を築きあげている。

 そんな治安維持組織の属する伝説的ハッカーは、今日は支部にあるパソコン前のプラスチックの椅子ではなく、このファミレスの革張りの椅子に座り、相談料としてのジャンボフルーツパフェを置いて、どうしようか悩んだ目で、友人の佐天涙子を見つめているのだった。

 

「……それで、佐天さん。その子が」

 

 と、一友人として初春は問うた。

 その逡巡する反応に、あらかたの事情を話した、佐天は窓の外に目を泳がせてから、前を見て、

 

「……ええと、<大覇星祭>でも紹介したと思うけど、あたしの弟」

 

「佐天笑太です」

 

 友人の隣の通路側の席に座る。年齢は、十は超えてるぐらい。野球帽からはみ出てる髪は、友人と同じで黒い。ぱっちり開いた目は凛々として、人懐こさとりりしさの両方を兼ね備えている。しっかりとした鼻梁と薄い唇、小さな顎。年齢相応の童顔であっても、成長期で前よりも伸びたとわかる腕と脚とあいまって、澄んで光るような活発な雰囲気を擁している。けして、何かに囚われて自我を失っているものではない。

 ダッフルコートにデニム、スニーカー。身につけているものは高価とは言えないが、ある限りに精いっぱい彼なりにおめかししたもので、友人と同じくセンスはあると思う。

 

「はい、それは覚えてるんですけど……本当にこの街に一人で来たの? 今は<大覇星祭>の時とは違って、0930事件以降から検問は厳しくなってるはずなんだけど」

 

「『セイメイ』様が案内してくれたんだ。迷ったらいつだって『正しい答え』を教えてくれるんだよ」

 

「せ、せいめい様……?」

 

「まま、今はその話は置いておいてさ」

 

 ざっくりと、佐天が切り捨てる。

 存在することはわかったが理解できない妙なものよりも、まずは当面の、この問題となってる現状の方を解決するべきだ。

 

「用意、できた?」

 

「来客用の臨時パスです。発行は一日ずらしてありますが」

 

「さっすが、初春ぅー!!」

 

 ぱぁぁぁ! とあまりの感激に、もし弟の前でなければそのスカートをめくらして感謝してたくらいだ。

 

「ありがとー、初春。これでうちの弟も<警備員>のお世話にならなくて済むんだよね!」

 

「ええ、まあ、今回はこちらのチェックが甘かったから起きちゃったことですし。むしろ、昨日すぐに連絡してくれて助かりました」

 

「いやいや、弟が反省もせず勝手にひとりで来たのが悪いんだよ。しかも、書き置きひとつで。母さんもすっごい心配してたし。ほら、あんたもお礼を言いな」

 

「わかってるよ、姉ちゃん」

 

「あはは、佐天さんもわりと人騒がせですけどねー」

 

 カードパスを私、姉弟に頭を下げられてから、これで解決……とパフェをぱくついた。

 が、まだ問題は終わってなかった。

 

「ねぇ、姉ちゃん。いつになったら―――」

 

 

「ごめーん。待たせっちゃった? 佐天さん」

 

 

 そこで。

 背後から、声が上がった。

 

 

風紀委員第177支部

 

 

 ―――『呪い』

 

 

 今日未明、まだ少数ではあるが、何の前触れもなく、突然に血を吐く、鼻血を出す、そして血管が破裂する、といった症状の生徒が病院に運ばれている。

 ウィルスも検出されず、関係者の二次感染も起きていないのでおそらく伝染病の類ではないと思われるが、発現する法則性も原因も不明。

 『レベルアッパー事件』があったから初動こそ速かったが、まだ情報不足。

 現場を<読心能力>で調べても何も分からず、ネットでは『呪い』などとオカルトな妄言ばかり。

 

「そういえば、『0930事件』での集団昏倒は、結局原因が分からずしまいで、外部組織からの『天罰』などと……―――ですが、仮にこれが同じものだとするなら事態は深刻ですわね」

 

 白井黒子自身も罹ってしまった『天罰』は、学園都市を狙うテロリストが起こしたものだ、と言われている。

 ならば、この『呪い』はまた襲撃の前兆か―――と、黒子が顎に手を添えた黙考のポーズをとると同時に着信。表示された名前を見てすぐに出た。

 

「大お姉さま……?」

 

『黒子さん。できればすぐに調べてほしいことがあるんですが』

 

 

道中

 

 

「『詩歌先輩。結婚しちゃうかもしれません』」

 

 

「は?」

 

 当麻の呼吸が止まった。

 それはもう綺麗に完璧に、脳細胞の一片たりとも残さず、思考が停止した。

 そのまま、帰り道にいきなり声をかけられただけの、初めて会う――瞳が星形な――セーラ服の少女を見つめたまま固まってしまう。

 

「………」

 

「『これって口止めされてたんだけどぉー♪』」

 

「………」

 

「『やっぱりこれほど愉快力な情報は、ゼヒお兄さんにお伝えしないとねぇー♪』」

 

「……その、誰? っつか、冗談……だよな……?」

 

「『いいえー、もちろん本気、冗談力ゼロですよぉー☆』」

 

 セーラ服の見知らぬ少女がうなずいた。

 

「ああ……そうか……」

 

 茫然と、当麻もうなずいた。

 うなずいた後、おおよそ十数秒後。

 

 

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 瞳をこれ以上ないぐらい丸くして、上条当麻は叫んでいたのであった。

 

 

ファミレス

 

 

「―――えーっと……つまり、帰る前に詩歌さんに会いたいわけね」

 

 短い自己紹介をすませ、注文が来るまで大まかな説明を受けた御坂美琴は、佐天に呼ばれた理由を把握する。

 家出少年が、このままだと納得して実家に帰りそうにないから、その『目標』への助言役として幼馴染の自分が呼ばれたということだろう。

 この手の相談は、よく受けた。だから、対応にも慣れている。そして、その後の展開も百に近いパーセント精度で予測ができる。

 

「……あの馬鹿が聞いたら、憤激しそうな話ね」

 

「本当は、お兄さんもお呼びしたかったんですが。連絡がつかなくて」

 

「それは良かった。下手したら私たちも巻き添えを食らってたわ」

 

 御坂美琴の関わりたくないもののトップスリーは、酔っぱらった母親と、怒った姉と、ドシスコンの愚兄だ。

 

「……詩歌お姉さん」

 

 佐天弟は胸の前で手を組んで、美琴が改めて確認にと告げた名前を繰り返した。その横顔はなんだか幸せそうで、美琴はそこにある種の感情を見た気がするのだが、百も承知の友人の意を汲んで、自分が余計な口で問い質そうとは思わなかった。

 代わりに、もう一つ気になっていたことを、佐天弟に尋ねてみる。

 

「ねぇ、恩返しって具体的に何をするつもりなの?」

 

 なんともない親切に、罠にかかった鶴は旗を織り、いじめられていた亀は竜宮城へ連れて行き、笠を被せられた地蔵は宝物を届けたが、果たして家出少年は何をするのか、少し気になる。

 本人は、直接会わないとできないというが、佐天が連れてきているところを見ると、これは絵とか工作で造った贈り物ではないのだろう。

 

「……知りたいですか?」

 

 弟ではなく佐天がなぜか重々しく問い返してきた。その一方で弟は口許には似合わない不敵ともいえる笑みを浮かべていて、初春は胸騒ぎを覚え、思わず確かめる言葉を口にしてしまう。

 

「佐天さん……恩返し、なんですよね?」

 

「ええ、まあ一応、そのようで」

 

「もちろん! 俺は『セイメイ』様にお願いして詩歌お姉さんの運命の恋人を見つけるんだ」

 

 だが、こちらの心配をよそに佐天弟は一転して屈託なく笑むと、肩に斜めがけした鞄から、タブレットを取りだした。

 ノートサイズの電子タブレットは『外』のものではあるが、小学生の彼にはお高いものだろう。

 でも、その電子機器を自信満々に見せられても首をかしげるしかなくて、

 

「本当は『リクジンシキバン』とかが良いって言ってたから学園都市にないか探そうと思ってたけど、昨日、ねーちゃんが見せてくれたアプリを『セイメイ』様は気に入ってくれて、これで十分だって」

 

「『セイメイ』様? 『リクジンセキバン』?」

 

 説明されても、不思議そうに繰り返してしまう。

 とりあえずその記号を初めて聞いた美琴はとにかく、二度目の初春はとりあえずは受け入れられて、

 

「その『セイメイ』様が運命の恋人を探せるって言いましたけど、どういうことですか?」

 

 佐天弟が机の上に置き、今流行の占いアプリを起動させたタブレットの画面を指差しながら、改めて尋ねた。

 

「えっ、と……『セイメイ』様はどんな運命も正しい選択がわかるんだけど、一番得意なのが恋愛関係だって……だから、これに乗り移って正しい恋が成就する方法を教えてくれんだ」

 

 美琴と初春が興味深く佐天弟とタブレットを見つめる中、精いっぱい彼は説明してくれたのだが、

 

「……非科学的な」

 

「正しい運命がわかるんですか?」

 

 にわかに信じられる話ではなく、初春の口から出たのは半信半疑――美琴に至っては不信――の声で、わずかに眉を寄らせて首を傾げた。

 

「あ、やっぱり、信じられませんよね」

 

 都市伝説収集が趣味な佐天もさすがに苦笑するが、弟はその顔を交互に見比べても、軽く肩をすくめるだけで、その顔からは自信は失われていない。

 

「昨日のねーちゃんと同じだ。『セイメイ』様のことが見えねーのか。チョーノーリョクシャって実は大したことねーんだな」

 

「こら!」

 

 カチン、と来たが、それより早く、ゴチン、と生意気な小僧には姉がゲンコツを落とした。

 

「~~~~~」

 

 声も出せずに頭を押さえてテーブルの上に突っ伏してる様子からして、見かけによらず相当痛がったのだろう。

 

「……ねーちゃん、いきなり何するのさ?」

 

「それはこっちのセリフ! 笑太、アンタ、御坂さんになんてこと言ってんの!?」

 

 涙目で姉の顔を見上げる佐天弟を、佐天涙子は両手を腰に当てて見下ろしている。彼女は割と本気で怒っている。姉の剣幕に佐天弟の鼻高々となっていた意識は一気に縮んで、嘘吐きなピノキオは正直ものに生まれ変わったようで、

 

「いい笑太、超能力者になるってのはものすっごく努力しないとなれないことなの。それはみんなが認めてること。なのに、勝手に家でて母さんを心配させて、初春にも迷惑かけて、わがままに付き合ってこうして来てくれた御坂さんに大したことないって……アンタ一体何様つもり!?」

 

 いつもより半オクターブくらい高い声でまくし立てる佐天を、美琴と初春は呆気にとられて見ていた。彼女が慌てる姿ならわりと目にしたことがある。だが、逆上している姿はそうない。前に迷子を誘導していた年下の扱いに手慣れた様子からは想像できない直情径行ぶりだ。

 一方、そのむき出しの怒りを浴びている佐天弟は、縮こまりながらも抵抗を放棄しようとしなかった。家族だから? それとも、慣れているのだろうか。

 

「だ、だって、『セイメイ』様のこと疑われた気がしたから……」

 

「そんなのあたしだって見えないし、疑われたって仕方ないでしょうが。それより、姉ちゃんはアンタのその態度に怒ってんの。『セイメイ』様ってのも超能力者と同じ一般常識じゃ認知されないロマンなもんだったとしても、それで笑太が偉くなったわけじゃないでしょ」

 

 いくぶんか落ち着きを取り戻した佐天は、叱責されてへこむ弟の頭を掴むと美琴の方に一緒に頭を下げた。

 

「御坂さん、なんかもう、ごめんなさい。バカな弟がとんでもなく失礼なことしちゃって。笑太、あんたも御坂さんに謝るの!」

 

「ごめんなさい」

 

 姉の本気度合いがわかったのか、心の中でどう思っているかは別にして、佐天弟はさっきのような不満げな素振りは見せなかった。

 その姉弟揃って謝られるのが、逆に少し申し訳ない気持ちを覚えつつも、懐かしさも覚える。昔、自分もこのように頭を下げたことはあった。そして、よく説教されたものだ。おかげで今でも頭が上がらない。と、幼いころの思い出がよみがえっていくと、だんだんと懐かしさが恥ずかしさに変わってきたので、ここで意識を戻す。

 

「顔を上げてちょうだい、気にしてないから」

 

 先輩として、子供相手に熱くはならないと言い聞かせた美琴は余裕に、大人にと意識して、

 

「そうね。それじゃあ、見えないなら私の目にも見えるようなことしてちょうだい」

 

 ちょっと挑発気味になってしまうのは大人げないが。とかく、百閒は一見にしかずともいう。

 言われて佐天弟は、む、と来たようだが美琴たちからは隠すように片腕に抱え込んだタブレットにもう片手の人差し指を当てて、何かをつぶやいた。

 美琴と初春は、そんな佐天弟の行動をとりあえず黙って目で追う。

 

「うう……ん。そう、その通りにやればいいんだな、『セイメイ』様」

 

 そうして、不意に佐天弟は画面上を滑る指を追う瞳を光らせ、立ち上がる。その指差した方向に視線を向けてみれば、その先にいたのは店員のウェイトレスとウェイターの男女二人組。

 

「あの二人は、運命の恋人だ!」

 

 佐天弟は確信に満ちた顔と声で二人をじっと見つめていったが、美琴たちはその言葉にまたも首を傾げざるを得ない。

 というのも、数m先にいる彼らは、ここまで聞こえるほど大きな声で口喧嘩しているような状態で、今この瞬間も後輩の気弱なウェイトレスさんがレフリーストップをかけようか迷うほど拳の応酬を繰り広げ、その場外乱闘はエスカレートしていくばかりなのだ。

 

「だからっ、おれはお前のまっずいパフェを毒味してやっただけだっつーの」「そのマズいパフェを全部平らげておいて言うセリフ?」

 

 どうやらその火種は、客に出されるはずだったデザートの話題らしい。

 

「喧嘩するほど仲が良いとは言いますけど」

 

「でも、流石にあれは無いんじゃないかしら。あの二人が付き合ったらすぐにどっちかが病院送りになるのが目に見えてるし」

 

「(いやー、御坂さんも、割とあんな感じだと思いますけどねー……)」

 

 佐天姉が何か言ったような気がするが、殺気はなくても、かなり本気度の高い二人の拳の遣り取りを見ていると、佐天弟の言葉が更に信じられなくなってきた。

 事の真偽を確かめるには、あのウェイターとウェイトレス、双方の気持を聞かなければならない。

 

「ありゃりゃ、またあの二人は喧嘩かい。ったく、私がフロアを任されてるときに問題を起こすんじゃないよ。お給料に響いてくるじゃないか」

 

 ちょうど、周りにまで被害を及ぼし始めようとした二人の乱闘を止めようと奥から出てきた、えらく視覚えのある赤髪じゃじゃ馬ポニーなウェイトレス……

 

「陽菜さん……」

 

「えっ、美琴っち。それに佐天っちと初春っちも」

 

 制服ではなく、その、胸のある人には似合いそうなデザインなコスチュームに身を包んでいるが、彼女は美琴と同じ学校の先輩だ。佐天と初春とも面識がある。

 

「詩歌っちと寮監には内緒だゾ☆」

 

「今更……夏休みで懲りたんじゃないんですか」

 

「いや、その、あのね。ちょっとイロイロとお金が要り様とかじゃなくて、ここの店長さんに助っ人に頼まれちゃってね。顔見知りだから断れないし、一度ここ半焼させた借りもあるからね。決して、特別ボーナスに目がくらんだわけじゃあない。わかったかい!」

 

「別にあたしたちは何も言いませんけど、ここって、詩歌さんもわりと来るとこですよ?」

 

「だからなるべく裏で大人しくしてたし、それに今日詩歌っちは第七学区にはいないはず―――」

 

「店員のねーちゃん、そんなことより、あのふたりを握手させて!」

 

「あ、うん。よしきた!」

 

 こちらの微妙な視線を振り切るようにも、赤いウェイトレスは一気に距離を詰めると二人の間に割って入った。

 

「ほらほらー、お客さんに迷惑だよ、犬飼っちと猿山っち」

 

 美琴たちとしては反面教師する点の多い先輩で問題児ではあるが、それ以上に信頼もしている。

 体を捻るようにして繰り出された犬飼の拳をまず止めて、次にそれを受けるべく顔の前で交差された猿山の腕を掴んだ。お嬢様学校に通う女子でありながら、路地裏の不良をもワンパンチでKOする馬鹿力は、あっさりとそれを成せる。

 その乱入に、二人はあっけにとられ瞬きだけをひたすら繰り返し、それぞれ陽菜に掴まれた腕を解こうとさえせず動きを止めた。

 

「今日はこの辺にして、ほれ、仲直りの握手さね」

 

 戦闘力は第三位にも匹敵する、大能力者(Level4)の中でも超能力者(Level5)に近い高位能力者を前にすれば当然のことだったが、二人とも抵抗する素振りがないので、陽菜は佐天弟に言われたとおりにそのままおもむろに二人の手を取ると、握手させた。

 すると二人の顔は、赤鬼の髪よりも赤くなる。

 さらに陽菜が掴んでいる二人の腕までも赤く上気し始め―――陽菜がそれぞれの腕を離しても握り合う犬猿だったはずの二人の手が離れることはなかった。

 二人の間に流れる空気が子犬がじゃれ合うようなものから、微妙に熱っぽいそれへと変じたのを感じ取って、陽菜は戸惑いつつも一歩下がった。

 

「おまえ……こんなに手が小さいなんて反則だろ」「あんたこそ……こんなに手が大きいなんてずるいわよ。いいから、離しなさいよ」「……やだよ」

 

「え、えーっ、火でも点いたように熱くなっちまってるよこの犬猿カップル!?」

 

 先とは180度違う二人の雰囲気に、当人たちよりも見守っていたギャラリーの方が困惑して静止する中、その桃色空間へ唯一飛び出したのはいつの間に席を離れていた佐天弟だった。

 突然の少年の登場に、ギャラリーがざわめけば、佐天弟は自分に集まる視線に一度は足を止め、身を固くした。

 けれど、束の間タブレットの画面を見て――何か点滅した気がしたが――指でなぞった五十音の盤上の軌跡をもう一度沿うように触れると、佐天弟は顔を上げて再び犬飼と猿山の元へ向かっていき、

 

「二人とも、手を離したくなければ、そうしてりゃいいんだ」

 

 黒色の瞳に強い光を宿し、強い声でそう告げた。

 突然現れた少年の言葉に、二人はすぐに言葉を返せず、ただ佐天弟を見つめる。でも、佐天弟はそんな二人の眼差しを今度は無邪気な笑顔で受け止めると、再び口を開く。

 

「だったあんた達は、運命の恋人同士なんだからな。二人ならばきっと正しく幸せになれるから……えっと、照れずに素直に気持ちを伝えろってさ」

 

 恋のキューピッドならぬ佐天使がそう促せば、二人は互いに握る手に力を込め、改めて見つめ合う。

 

「運命の……」「恋人……」

 

 ―――っかー! 確変リーチが来たんでやがります! こっから大当たり連ちゃんざっくざっく!

 

 『何おっさんみたいなこと言って』……と陽菜を見た美琴だが、その先輩はパフェの注文を待たされている客への対応しており、とてもふざけているような様子ではない。

 佐天も初春も反応からして何も聞こえてはいないようで、空耳かとひとまずおいて、

 

「……おれ、本当は犬飼のこと、好きなんだ」「……ばか、あたしも、だよ」

 

 やがて、猿山が口を開いて思いを告げれば、犬飼はそれに頬を染めながら小さく頷いて―――カップル誕生の瞬間に立ち会った店内のギャラリーからは拍手と歓声が沸き起こり、やがて二人を祝福する輪が自然と出来上がっていく。

 その輪が完成する前に、佐天弟は何とかこちらの席にまで戻ってきたが、美琴はその一昔前の漫画のような展開に、軽いめまいを覚える。

 

「『セイメイ』様の実力、これなら見てもわかっただろ」

 

「そうですね。これは認めざるを得ない、か……」

 

 驚愕と目眩から何とか立ち直りながら隣の初春が頷くと、佐天弟は満足げな笑みを浮かべた。

 

「正しい選択をすれば、幸せになるのは当然なんだ! だから、これなら恩返しになるだろ。何ならねーちゃんたちの運命も見ようか?」

 

 と、向けられたタブレット付きカメラのレンズから、美琴はとっさに死角に移動した。

 

「い、いえ、結構よ」

 

 ほんの一瞬だけ犬猿カップルの顔を当てはめたりもした―――いや、してない!

 確かに羨ま―――何かひっかかるものを覚えた。

 

「ま、今の場合は間違ってなかったようだけどね」

 

 姉の佐天の方が美琴よりもはっきりその違和感を捉えている様子で、頬に手を当てながら何か言いたげに弟を見つめているが、そのささやかな視線に気付かず、

 

「じゃあ、詩歌お姉さんのところにいこーぜねーちゃん!

 

 カップル記念で、タイムサービスなイベントを始めるファミレスから足取りも軽く走りだしていってしまった。

 迷子になるとまた困るので――というか、肝心の幼馴染の所在もわかっていない――美琴たちはとにかく弟の後を追いかけた。

 

「ねぇ……佐天さん。弟はまだ……」

 

「してないと思いますよ。まだ子供だし、何もわかってない」

 

 

第十二学区

 

 

「……すでに学園都市で登録されているネットワークにある問題のシステムプログラムは改竄したとはいえ、もうひとつの原因を突き止めないといけないのですが」

 

 門前で、詩歌は低く呟いた。

 

「……というわけで、今日は付添人よろしくお願いしますね、インデックスさん」

 

「うん。なんだか今日いきなり頼まれたけど……」

 

「インデックスさんに話したら、当麻さんにも伝わっちゃいますから、内緒話できなかったんです」

 

「む。しいか、私はシスターとしてちゃんと口は固いほうだよ」

 

「あー君のことを当麻さんにバラしたのはどの口かなー?」

 

「ふにゃにゃにゃ!? ご、ごめんなんだよ。それで今日は何をするの?」

 

「お喋りして、お食事して、色々とするんです。インデックスさんはどれがいいです?」

 

「お食事なら任せて、しいか!」

 

「ふふふ。―――ところで、安倍清明の<六壬式盤>についてお聞きしたいことが………」

 

 なんて、やり取りをしてると、向こうから手を振る貴婦人。

 

「詩歌さん。それに……あらあら、お城ちゃんは確か、インデックスさん」

 

「母さん」

 

 原動機付き(パワード)パラグライダーで空からではなく、きちんと(ゲート)を通ってタクシーで降りてきたのは、上条兄妹の母親の、詩菜だ。見た目がお嬢様に仕える使用人のような夫はいない

 詩菜はカーディガンに足首まである丈の長いワンピースを着ており、外見的な見た目が娘の詩歌より少し上にしか見えないので、母娘というより姉妹みたいに思われるだろう。

 

「お久しぶりです母さん。………父さんは、いませんね。よし」

 

「元気そうですね。刀夜さんも心配してましたよ。………今日の事を知ってたら、心配どころではなくなりましたけど」

 

「今日はわざわざわがままに付き合ってもらってありがとうございます。………内緒にしてくれて助かりました。チャリティの後ぐらいから心配過剰になってる父さんには相談できないことですから」

 

「構いませんよ。刀夜さんは今ヨーロッパに出張中で、家ではやることはそうなく暇でしたし、詩歌さんは相変わらず大変そうですね。………それを聞いたら刀夜さん愛娘に頼られなくて悲しむでしょうけど、やっぱり、当麻さんには報せてないのかしら今日の事」

 

「ええ、ちょっと最近は忙しいかもしれません。でも、無理はしてないから安心して母さん。………ふふふ、父さんか当麻さんに知られたら、面倒なことになるじゃないですか。下手したらここで事件が起きますよ」

 

「詩歌さんも当麻さんも、刀夜さんに似て良くトラブルに巻き込まれる子たちですから、詩菜さんは心配です。………それもそうですね、ふふふ」

 

 と、仲のいい母娘が微笑を交わしながら会話に花を咲かせる。

 そこで、くいくい、とインデックスが詩歌のブレザーの裾を引き、

 

「ねぇ、結局、何をするの?」

 

「付添人同伴で、お喋り、お食事、その他色々と。

 

 ―――つまり」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ことは、数日前。

 理事長からの話がきっかけだ。

 いわく、こういうことだ。

 近々、始まる学園都市初の学生選挙で、上条詩歌はその立候補に上がった。その際に、詩歌の本当の能力について査定を下すこととなったのである。

 統括理事会への根回しから、学生たちの問題解決や支持を集めたり、自身の実力を証明する資料作成にさまざまな研究を受けてきた。

 そこで一つ問題。

 それは常盤台中学の理事長であった。

 理事長の言い分をまとめると、つまるところ、このようになる。

 

 

 ―――『上条君の能力は理解している。君がその能力を隠してきたことについては統括理事長の意向もあり不問としよう。それを抜きにしても我々は首席の君を高く評価している。しかし、上条君は特定の『派閥』に属していないようだね』

 ―――『いかに優秀であるとはいえ、上条君はまだ女子だろう。それに失礼だが、実家は平凡な家庭と聞く。『派閥』を作らないでいたのでは、方々にコンタクトを取るのが難しいのではないか。今回の選挙は、常盤台中学の理事長としては個人的にも応援したいところではある』

 ―――『しかし、一生徒にあまり肩入れし過ぎると、わが校の方針としては問題があり、そこで………』

 

 

 第十二学区にある(ゲート)から数km離れた――超能力者が推測する対象のギリギリ感知範囲外――ビルの屋上。

 そこに匍匐体勢で肩寄りそう二人組……

 

「『―――そう、今日、政治力のある理事長のお孫さんとお見合いするんですよぉ♪』」

 

「ふーん。あそこに母さんが付添人に来てるってことは昨日今日の話じゃないんだな。………俺には全く知らされてなかったけど」

 

 携帯望遠鏡を覗きながら、女学生は言う。

 

「『前々から綿辺先生経由で来てて、そういうのはいいって先輩は断わりを入れてたんだけどぉ、今回の学生選挙の話を持ち出されちゃって、ぶっちゃけ脅迫力でゴリ押し。私の改竄力でどーとでもできたんだけどぉ、あの人、母校には恩義があるからって、結局受けたのよねぇ』」

 

「ふーん。お嬢様学校っていろいろと面倒くさいんだな。………転校した方がいいんじゃね」

 

「『常盤台中学というより、先輩個人の話だと思うけどねぇ。あの王子様、昔に先輩にフラれてるから、もしかしたら、このお見合いも、その時の逆恨み力が募りまくった鬱憤に無理やり既成事実を作って手篭めにしようとする計画かも☆』」

 

「ふーん。………そりゃ大変だな……………王子様が」

 

「『うふふー、冗談ですよぉ♪ 先輩の腹黒力で、まんまと罠にはまるはずがないじゃないですかぁ☆』」

 

「ふーん。………そうだろうな。アイツのガードは鉄壁だからな。別に――ちっとも――爪の垢ほども――心配してねぇぞ」

 

 見た目が、秘密の取引現場に現れる犯罪組織のドンを監視している風に見えるが、見た目だけ。

 この黒を基調とした防弾防刃装備は、本物ではない。

 <学舎の園>で純粋培養のお嬢様が、男子禁制の箱庭の中で本職の男性を招くわけにはいかないので『外の世界のシュミレーション』をするために用意された精巧なレプリカだ。あの昼休みの後、『派閥』の子たちを使って、ちょうどよく在庫が大量に余っていたそれを、今回のために用意した。

 これに変装すれば、たとえそこが見合い場だろうと最低顔は隠せる。

 だから、本当にただの見かけ倒し。

 つまり、そのもう一人が望遠鏡代わりに手に持つ――構えは素人臭いが、気概は一流の殺し屋をも圧倒するほど静か――スナイパーライフルも偽物だ。間違っても、弾は出ないはず……

 

「『ねぇ……血眼で銃口を先輩に近づく男どもに向けるのやめて。会話と行動のギャップ力があり過ぎて怖いから』」

 

「ふーん。………それで、この手榴弾もレプリカなのか?」

 

 期待していた反応と違う。

 

 もっと、こう慌てふためくはずだと思っていたが、冷静だ。いや、冷静じゃないかもしれないが冷めてる。

 頼む、何でもするからお見合いをどうにかしてくれー、と言われるはずだったのに。

 面白おかしく脚色して伝えたが、これは、からかいすぎたか。

 こちらの話は聞こえているのだろうが、さっきからずっと視線は一点に固定され、応答も恐ろしく感情がこもっておらず平坦だ。

 もしここに第三位がいれば、『あんた、馬鹿ね』と言いながらこちらに憐みの視線をくれたかもしれない。

 

「『安全講習(おままごと)で使われるものだから防具以外は全部爆発力も発砲力もない偽物(おもちゃ)よぉ』」

 

「ふーん。まあ、ちょうど二つあるし。まず俺が突っ込むから、お前は三人を連れて離れてくれ。弾を撃てなくてもバットみたいに使えるし、投擲物としてもいけるな。………それに、俺の手で相手したいからな」

 

 スナイパーライフル(偽)を銃口を持って素振りで感触を確かめる、鈍器としていけるようだ。

 

「『あらぁ? もしかしなくても私まで討ち入りの特攻力に加えられてる? この子は代理だから私は痛くも痒くもないけど、先輩にバレたらあとが怖いから遠慮したいわねぇ。むしろここで止めないと』」

 

 誘ったはずなのに、今は逆に引き気味な女学生。

 珍しくも止める側に入るが、残念ながらブレーキはぶっ壊れてる。

 

「安心しろ、責任は俺が取る。それに、兄妹(俺達)が揃って、事件が起きなかった現場はない。諦めろ」

 

「『でも、事件を起こすのはなかったはずじゃないかしらぁ?』」

 

「かわんねーよ。いつもとやることは同じだ。

 

 ―――その幻想をブチ殺すんだよ」

 

 愚兄の暴走を止めるか、賢妹の説教を受けるか実に悩みどころだ。

 

 

第十二学区 レストラン

 

 

「―――というわけで、この子は三年前から急に自分から父親と同じ教育関連の道を進むことを決意してくれて。それどころかこの子は、長点上機学園に―――」

「―――こらお前、あまり恥ずかしい話をするな」

「―――あらあら、それは素晴らしい。うちの詩歌さんにはもったいないんじゃないかしら」

 

 会食で話を弾ませるのは、海原夫妻。海原家は『能力開発』を主目的とする学園都市の中で、大財閥の総帥一家に匹敵する権力をもっている。そして、主に受け答えする上条家の奥方はふふふと口元を隠しながら笑っている。

 

「―――いいえ、そんなことはありません。お宅の詩歌さんは常盤台で大変優秀な成績を収めてるだけでなく、社会への類稀なる貢献ぶりも耳にしております。何でも、将来は教師になりたいそうですね」

「こうして直にお目にかかると、写真を拝見したよりも何倍もお綺麗で。うちの光貴が一目惚れするのも無理ありません」

 

 綺麗だと褒められて嫌な気分になる女性はいないが、ここまで茶番染みてるというか、額面通りに受け取り難いものがある。

 式場の下見とも取れそうな星が三つ以上は付きそうなレストランには詩歌を含め6人の人間がテーブルを囲んでいた。

 6人もいる割には会話に参加しているのは半分だけで、隣にはいつもの修道服姿のインデックスが、いつもと違って置物のように静かにしている。

 食事時ではないので、フルコースとまではいかないが、一般家庭には出てこないであろうレベルの高い食事を前にはしゃぐことはしていない。いつものようにがっつくのではなく、修道女の見本のように、黙々と口に運ぶ。

 先方は、付き添いにとして、父と母の両親が来るそうだが、それだと詩歌の方は詩菜が世話人と付添人を兼任してくれるにしても、1人足りない。

 というわけで、インデックスに来てもらった理由は、3つある。

 そのひとつは消去法。

 父の刀夜は、海外出張の多い仕事で、そう滅多に暇が取れる人ではない。刀夜のことだから、子供たちのためならば無理に(または強引に)休みを取るけれど、流石に気が引ける(無茶に付き合わされる部下の人にも)。

 なので、授業参観等には、この付添人と同じように実家で主婦をしている母の詩菜に来てもらっていた。

 兄の当麻は――これは父の刀夜にも当てはまることなのだが――上条家の男性陣は過敏で、色んな意味で危ない。相手がたとえ大統領だろうがぶん殴りそうだ。これは、母とも同意見で、穏便に済まされないし、家族から犯罪者を出したくない。だから、このふたりには“報せてはいない”。

 そういうわけで例外的に、家族以外にも選択肢は広がるのだが、これは理事長からの誘いなので、寮監や綿辺先生の学校の関係者に頼むのは違う。

 『ぜひ、義姉と呼んでほしいけど』とか会うたびにいってくる『先輩』もいるが、あの人とは表向き『兄の通う学校の知り合い』という遠い関係で通っているので気軽に呼べる間柄ではない。

 いつもお世話になっている先生や後援者の親船最中もいるが、忙しい彼らに個人的な問題に付き合わせられない。

 そして……最有力な家族ぐるみの付き合いで、公式の場での振る舞いが身に付いている幼馴染がいるのだが、『理事長のお孫さん』と――本当は因縁などないが――ややこしくなりそうなので辞退。

 そういうわけで、この場に指定されたレストランに隣接した教会の雰囲気にもあって、またその手の話には“本場”の人間とインデックスに頼んだ。

 しかし、やはり会話の流れを作るのは大人たちで、窮屈な思いをさせてまで付き合わせて悪い気がする。

 ごめんねインデックスさん、と心中で詫びてると、ふと視線を感じてそちらを見る。

 差向いに座る同い年の青年がこちらをにこにこしながら見ていることに気付き、速やかに居住まいを正した。

 海原夫妻の息子。

 ほとんど会話らしい会話もしていなかったが、“偽者”と同じ細身で綺麗めの男性である。

 海原光貴。初めて会った三年前と比べてまた一層背が伸びて精悍になったように見える。制服姿のこちらとは違い、オーダメイドと思しきスーツを上品に着こなし、さらさらした髪は猫気を連想させる質感をもち、軽くはねている。ピアニストの様な芸術家肌、繊細な横顔。目は涼しく、鼻は高く、高貴さと生真面目さを兼ね備えた知性溢れる面立ちを構成している。日本人離れした艶やかな色白の顔には、サラブレット特有の育ちの良さが感じられるだろう。武骨で庶民的な愚兄とは、まるで別世界の生き物に思える。

 

 そして。

 海原光貴という、容姿、家系、学歴が高水準と理想の王子様を体現した青年は―――三年前に、詩歌に告白した男である。

 

「では、そろそろ教会の方へ行きましょうかな―――」

 

 

教会

 

 

 レストランの隣にある、教会。

 その控室として用意されている小部屋。

 そこで寸法の測定が終わった詩歌は、その出来上がりを待つばかり。

 <学舎の園>に様々な職業体験ができるよう、この教会にふさわしく体験できるものがある。

 

(ドレス……かぁ)

 

 見本として三次元ディスプレイに表示されるドレスを詩歌は見つめる。

 いくらなんでも、まだ未成年に人生の墓場を決める衣装を着せるには気が早すぎる。

 それでも強い希望を出した相手側の海原家の威光があれば、ここの店員も協力的になるだろう。ましては広告塔としても使えるほど美男美女だ。

 

「……………はぁ」

 

 溜息が、自然とこぼれる。

 こぼれた後についおかしくなって、苦笑してしまった。

 

(……そりゃ、そうです)

 

 感慨のないはずはない。

 女の子に、ドレスである。

 たとえ魔女であろうが、能力者であろうが、それはとても特別な意味を持つ。本物の魔術や能力よりも、よっぽど特別な魔法が掛かってると言ってもいい。

 ドレスのホログラムに手を当てただけで、心臓が跳ねる。

 指先は電流にあてられたみたいに痺れ、体感温度は何度も上がった気分になる。実際、耳が火傷しそうに熱くなるのが、自分でもわかった。

 

(ばっかみたい……)

 

 と、思う。

 偽りの式など、本来ならお断りしたかったが、もうすぐ卒業となる常盤台中学は詩歌の母校であり、世話になっている。

 そんな話に聞いてない、などと断って、あちらのメンツを潰すのもあまりよろしくない。

 ならば、費用は海原家(むこう)持ちですし、せっかくタダでドレスを仕立ててもらえるいい機会と思うことにした。隠してしまったお詫びに、記念写真を父に送れば喜んでくれるだろう。

 それでも。

 それは、自分で自分に言い訳するように思い込んでも。

 

(………まぁ、仕方がない)

 

 もし、と想像する。してしまう。

 この話を、兄に知られれば、ブチ壊すだろうと勝手に期待してしまう。

 結局、自分の口で言えなかったのだけれど。

 切り替える。

 詩歌はこっそり深呼吸を繰り返し、数秒かけて、平常より少し早い鼓動に戻して、部屋の隅で、預かった詩歌の手荷物と貴重品を胸に抱きかかえる、仏頂面の修道女に声をかける。

 

「不満そうですね、インデックスさん」

 

「うん」

 

 正直に返される。

 それが少し心地よく思ってしまう。

 

「やっぱり、学園都市の教会は本物とは違います? 勤めてる修道女はいませんが、一応、本場の建築様式を参考にされたもののようですが」

 

「それもあるけど、それじゃないんだよ。今日の話、本当にするつもりなの」

 

 すでに、こう問われると予想し、心を整えたあとなので、あからさまに反応することなく抑え込めた。

 

「とうまが知ったら、絶対に怒るよ」

 

「………」

 

 けれども、すぐに返せず、詩歌は、黙っていた。

 

(ああ……)

 

 胸の内で、そっと息をこぼす。

 いろんなものの入り混じった吐息。

 

「……そうですね。……終わったら、話しますよ」

 

 

 

つづく


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