とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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お久しぶりです。

ほぼ一カ月。更新が遅くなりました。

手を怪我してしばらくの間、パソコンのキーを打つことを控えていました。

なので、もうしばらくリハビリ期間で次回の更新も遅れるかと思います。

ですが、頑張りますのでよろしくお願いします。

そして、楽しんでもらえたら幸いです。


第14.5章
閑話 七並べ


閑話 七並べ

 

 

 

とある学生寮

 

 

 冬である。とある学生の一室である。炬燵である。

 新手の三大噺ではなく、ここ最近にこの部屋に現出した光景である。

 でーん、とフローリングなお嬢様学生寮にない古典的暖房器具の存在感がリビングを制圧する中で、

 

(おっ、今日の運勢、なんか恋愛運がめちゃめちゃいいわね。ま、どーせ当たらないんだし、こんなの真に受けるなんてしないけど。ええ、こんなの気にするなんて如何にも恋する乙女って……………どれどれ)

 

 ベットの上に寝っ転がりながら、若干、雑誌との距離が近づく御坂美琴が、マロングラッセにフォークを突き刺しながら文面を読む。

 

「ふんふむ。とりあえず、記念日の選挙前にLevel5たち7人の現状を把握しておきたいんですが、中々情報が……」

 

 こたつテーブルの上に乗せた携帯しているノートパソコンのキーを叩く上条詩歌が行き詰まりを感じて片目を瞑る。

 彼女の前には、ちんまりとしたブルーベリーのタルトが置かれていた。

 しっとりと美味しそうな生地の上には、ふわふわのクリームやホワイトチョコレートが可愛く盛られており、パティシエのセンスが十全に発揮されている。舌に乗せた時の味わいはもとより、まずは目でも楽しんでもらおうという趣向であった。

 対して。

 

「それにしても…………はむはむ」

 

 先まで録画していたアニメを流していたテレビの前を陣取る修道女――インデックスの前に置いてあるのは、華麗なフルーツパフェであった。

 白いムースの上にとろとろな苺のコンポートが注がれ、その上から凍らせたバナナや細工切りにされた林檎など、一手間かけたフルーツが重ねられている。

 これだけでも十分豪勢なスイーツなのだが、皿の隣にはマロングラッセとタルトの切れ端も置かれていた。

 美琴と詩歌から、少しずつもらっていった結果である。唇の端にはムースの欠片がくっついており、修道女の満足度を示していた。

 常盤台のお嬢様である上条詩歌がお土産に持ってくるのに大当たりでなかったものが無い。

 こと美味いものには目のないお嬢様は、ここ三年で<学舎の園>にある、そこそこ美味しい店は食い尽くしており、男子禁制の区域で立ち寄れない兄へと、とりわけ気にいった料理については、細かなレシピまで作り上げ、自分で再現できると言うのだから筋金入りである。

 して、今回は<学舎の園>の外ではあるが、『キラー・ボンバー』といわれる総合甘味亭で新作を味見しようとお土産を持参したわけで。

 

 さて。

 

 人間、声一つにも、様々な性質が現れる。

 低い声、高い声、幼い声、老いた声、野太い声、苛立った声、裏返った声、いずれもが持ち主の年齢や心情を雄弁に表現する。専門の人間であれば、人声聞いただけで、おおよその体格や出身地、場合によっては学歴や職業、その時の機嫌までも言い当てるという。

 

「ひーまー、なんだよー」

 

 と、リビングに流れた声は、人懐っこく、声そのまま。

 美味しいものがあれば幸せなタイプのインデックスはのほほんとパフェをぱくついてにっこりとしていたら突然、何かに気づいたように顔をしかめて銀色のスプーンを持ち上げて、子羊に主張する。

 

「暇、ヒマ、ひま………ひまひまひまひまひま―――ひまだーーーーッ!!!」

 

 ふんす、と大袈裟に鼻を鳴らすと、タルトの欠片を呑みこんだ。

 それに雑誌の内容をあらかた読み終わった美琴はゆっくりと顔を上げ、幼馴染が作業に忙しいところを見ると仕方なしに。

 

「落ちつきなさいよ、白いの」

 

「落ちついてなんていられないんだよ! せっかくタンシュクジュギョーで早く帰ってきてくれたのに、何にもしないなんて! そんなのイヤかも! こちとら暇じゃないんだよ!」

 

 パクッとグラッセの最後をお口に放り込む。

 

「どっちなのよ、あんた……」

 

「どっちかっていうと、ヒマ、なんだよ」

 

 学生ふたりは、学校での授業などがあったが、インデックスからしてみれば半日ずっと部屋の中にこもっており、アニメも見尽くしてしまっている。

 

「要するに、何かしたいってこと?」

 

「そうそう、こうして3人で集まってるのに、どうしてバラバラのことしてるの? 短髪は読書してて、しいかはピコピコしてて、とうまはまだ帰ってこない!」

 

「そりゃあ、短縮授業は常盤台だけだからね。佐天さんや初春さん達もまだ学校だろうし」

 

 と、ようやく切りがついたのかパソコンを閉じて、詩歌が滔々と諭すように。

 

「でも、これがある意味いつも通りです。それに、何かしなくちゃいけないって思うと疲れちゃいません? ほら、芸人さんもテレビの前では面白いことをしようと必死になりますが、自宅ではそうでもないとよく言うでしょう? そんな感じですよね、美琴さん?」

 

「その例えはよくわかりませんけど……」

 

 ぽん、とインデックス相槌。

 

「なるほど、とうまの部屋は公園みたいな場所ってことなんだね」

 

「そこに住んでるアイツはどうなるのかしらね」

 

 まあ、でもせっかく集まっているのだから、という意見には一理ある。幼馴染に誘われて、これから4人で出かけることになってるも、最後のひとりであるこの待ち合わせ場所にしている部屋の主が帰ってきていない。まだ時間もあるし、あの馬鹿が帰ってくるまで何かをするのもいい。

 

「ふふふ、何して遊ぶんです?」

 

「それは考えてないわ。何かやりたい事ある?」

 

「外は寒いし、炬燵から出たくないから、その辺であるものですませてやりたいかも」

 

「それじゃあ……」

 

 注文が出されたので、ノートパソコンを鞄にしまい、軽くテーブルの上を片付けると、ちょうど視界に入ったカードケースを取り上げる。

 

「じゃ! じゃじゃーん!」

 

「しいかそれは?」

 

「はい、トランプです。種も仕掛けもございません」

 

 と詩歌は見せるように二つに分けた山札を器用に扇状に広げるとひらりひらりと裏表を舞い魅せる。

 トランプ。

 ♡、♣、♢、♠の記号と1から10の数字に、J、Q、Kの絵札を組み合わせた世界に普及する、至極一般的なカードゲーム。

 山札をひとつに戻し、詩歌は立てた人差し指を顔に近づける考えるポーズをとってから、提案する。

 

「そうですね、それじゃあ七並べといきましょうか」

 

「七並べ? どういうゲームなの?」

 

「アンタ、七並べを知らないってトランプやったことが無いの?」

 

「まず最初に記号ごとに7を場に出して、その隣の数字のカードを順々に出していって並べていくゲームです。詳しくは……」

 

 と、そこで美琴が詩歌に手を差し出し、幼馴染の意図を読んで、トランプカードを乗せる。

 

「じゃあ、詩歌さん、カードを配るのは私がやりますから、そこの初心者(ビギナー)にルールの説明をしてあげてください」

 

「むぅ~、さっきから聞き捨てならない台詞だね! 短髪こそ、トランプのことどれぐらい知ってるのかな? 古代エジプトにインド、中国とトランプの起源は色々あるけど、それ以外にも様々な俗説があってね。絵札のモデルもアレクサンダーやダビデ、シャルルマーニュ、パラス、ランスロット………」

 

 この幼い言動と容姿に似合わず、科学の理系ではなく古典などの文系方面では、常盤台中学最高学年首席『完璧』の詩歌でも敵わないレベル、と御坂美琴は聞いている。

 完全記憶能力者であり、“世界中の文学を読み漁ったことのある少女”とも紹介された時に教えてもらった。

 未だにこの修道女の正体が何なのか、どうして学園都市にいるのかは知らないが、只者ではないことくらいは理解している。

 と、そのままオカルト方面に突っ込んでいきそうなトークをぶった切るように中断して、

 

「うん、美琴さんに任せて安心です。ファミレスで割り勘する時の計算とか、料理を等分に取り分けるのとかも得意ですからね」

 

「ふーん、短髪って意外と女子力が高いんだね?」

 

「意外って、アンタね。一応、常盤台(がっこう)でそういった教育はちゃんと受けてんのよ」

 

 それに先輩に色々と鍛えられた。鬼塚陽菜と上条詩歌の喧嘩勝負の際にもイカサマを防止するために配布役をお願いされることもある。

 山札からジョーカーを二枚抜いてから美琴はカードを重ねたまま中から抜いて上に乗せるシャッフルを丁寧に繰り返し、その間に詩歌がインデックスに軽く説明をし終わるのを見計らってから、最後は二束に分け、左右の手の中でエビぞりさせてそれを合わせ、バラバラバラバラ……と一気に混ぜる。

 その手際の良さにひとつ上の幼馴染はにこにこと、

 

「うんうん。本場ラスベガスのディーラーも務まること間違いなしです。詩歌さんとしては是非、ウサ耳バニー姿を希望します」

 

「やらないっ!」

 

「ぶぅー、しょうがないです。想像で補っておきましょう」

 

「それもやめてっ!!」

 

 倍々に声を張り上げていく美琴。

 それに両掌を合わせて、噛みつかれているのに何故か歓喜する詩歌。

 

「はい、やめます。美琴さんの初々しい反応は胸にキュンと来ちゃいます。これだけでお腹いっぱい」

 

「もう……ほら、配り終わったわ。ハートの7を持ってる人から時計回りね」

 

 ジト目で美琴が、山札を三つに分けた手札をそれぞれの前に机に滑らす。

 気に入った人間をからかうためなら、苦労も散財も厭わず、策すらも講じる。しかも相手の真面目さに比例するので、美琴は昔からよくよくターゲットにされる。

 対処法はまともに取り合わないことなのだが、彼女を相手にそれは無理な話である。

 

「待って待って。私、まだカード捨ててないよ」

 

「ババ抜きじゃないっての。別に揃った数字のカードを捨てなくてもいいわよ」

 

「そうなの? あ、ハートの7あった! じゃあ、わたしからだね!」

 

「詩歌さんも一枚」

 

「私が二枚ね」

 

 場に、

♡ | | | | | |7| | |  | | | 

♣ | | | | | |7| | |  | | | 

♢ | | | | | |7| | |  | | | 

♠ | | | | | |7| | |  | | | 

 

 が揃い、舞台が整った。

 

「じゃあ、私、みこと、しいかの順番だね。ハートの6を出すんだよ」

 

「それじゃあ、私は……はい」

 

「詩歌さんもはーい、と」

 

 とんとん、とリズミカルに場に三枚のトランプが埋められる。

 

「早い。もう私の番だ」

 

「そりゃあ、3人だけだからね」

 

「当麻さんがいれば変わっていたのかもしれませんけど、その場合は最後の展開が予想できますからね」

 

「それだったら、<妹達(クールビューティ)>は? 全員でトランプやったらすごそうかも」

 

「そんなのカードの方が足りなくなるわよ」

 

 50数枚しかないカードを、万を超える彼女達に渡しきるなんて不可能だ。

 下手に特別扱いするのは彼女達の派閥闘争を激化させるだけだろう。病院のカエル顔の医者は、それもいい傾向だと見るが、姉としては妹内でいじめが起こるような事態は回避したい。

 と、<妹達>の話をしたからか、美琴の意識は自然と、

 

「……あの、詩歌さん、あの子たち、<最終信号(ラストオーダー)>って子は? 9月30日(テロ)で打ち込まれたウィルスの影響は、大丈夫、なんですか?」

 

「ひょうかの核となったあの子のことだね。私も視たけど、仕組みは全然わからなくて。でも、『歌』で治すことはできるよ。けど、恒久的に“毒”を注入され続けてるから、長い時間をかける必要があるね」

 

「先生が言うには、安定しています。9月30日で美琴さんもサポートしたインデックスさんの『歌』に、私が投影し()たパラメーターから計算して、<幻想御手>の携帯できる<学習装置>の形に入力した音楽ソフト――『子守唄』の中和効果も出ているようですし。しばらく様子見で病院に通ってもらいますが、もうすぐ退院できると思いますよ。おそらく、選挙日あたりに」

 

「そうですか、良かった……」

 

 美琴は心底安堵したように胸を撫で下ろし、今度は詩歌が……

 

「ただ、これはウィルスとは関係ありませんが……」

 

「何ですか?」

 

「打ち止めさん、あー クセラレーターに会いたがっているようで」

 

「あ、白い人だね。ハンバーガーご馳走してくれた。あの人、今、何してるの?」

 

「………」

 

「何をしてるのかは知りませんが、“お友達”と仲良くしているようで。一応、伝手はあります。今の時期は正攻法で捜しても避けられるでしょうけど」

 

「……………そう」

 

 時間がかかったが、頷く。それを見てから、詩歌は言葉を繋げる。

 

「私は、打ち止めさんのお願いを引き受けるつもりです。だけでなく、この先、ひとりでも味方がいてくれる方がいい、その点で、彼を引き込めるのは大きい。その分、リスクもありますが、説得したいです」

 

「私は、別に。あの後、詩歌さんから話を聞いてますし、あの子がそういうなら、私には何も……」

 

 視線を逃がす美琴に、詩歌はきっぱりとかぶりを振った。

 

「これはあくまで私の希望で、イヤだというなら反対しても構いません。怒って私を罵っても、軽蔑しても、縁を切っても、仕方ない。けど、私には美琴さんにその権利はあると思います」

 

 視線も声音も何のブレもなく、言い切って見せる。

 これもまた、上条詩歌という少女である。

 おふざけと冷静さが分かちがたく同居し、それを優しさで包んで、一個の人間の中で融合している。

 道化(クラウン)賢者(マスター)、そして聖母(マリア)とを、同じ顔でこなせる少女。にこにこ笑いと洒落っ気の内側で、解決策を考えたり他人を助けたり、忙しく立ち回って見せる。

 

「………」

 

 だから、美琴も少し瞑目してから視線を合わせ、肩をすくめただけだった。

 

「確かに個人的には、まだ、許せない。詩歌さんみたいに受け入れることなんてできない、けど……協力します。もちろん、あの子たちの姉としても」

 

「それで十分です。美琴さんにまた絶交だと言われなくて良かったです」

 

 その発言に、カッと美琴は頬を赤らめ、

 

「そんなっ! 何で私が詩歌さんを嫌いになるなんてならなくちゃいけないんですか。内緒にしてたのも私が話をちゃんと聞くには時間をおくことが必要だったからってわかってる。思いやってくれたんだから、私もその優しさを疑ったりしない。『実験』は私の責任で、詩歌さんは本当は関係なかったのに、助けてくれて……。絶交だなんて、もうっ、言わないでくださいっ。私は詩歌お姉ちゃんのこと昔からずっと大好きだって…………って、手に持ってるのはなんですか」

 

 感動的な場面だったはず、だが、何でか幼馴染は視線を合わせず、いそいそと何かしてる?

 

「うん? これから美琴さんがデレる予感がしたので、録音しようかな、と」

 

「一体どんな勘してんのよ!?」

 

 ふふふ~♪ と詩歌はトランプの扇で口元を隠しながら、カードを置くのと同時に机に録音モードの携帯機器を美琴へマイクを向けて立てる。

 

「よし、準備OKです。それじゃあ、さっきの台詞をもう一度最初からお願いします」

 

「詩歌さんっ!!」

 

「もうっ! 美琴さん、ひょっとして詩歌さんのこと弄んでます? 『詩歌お姉ちゃん』は一度で品切れって、これは、あれですか? 幸せに一端上げてから、つれない態度で気を引こうという例のアレ? ああっ、もう見事に引っ掛かっちゃいましたよ、詩歌さんはねっ! でもだからって、少しくらい優しさを素直に表してもいいと思うんです違いますかそうですよね?」

 

 空気読んでください。美琴はこのマイペースな幼馴染に言ってやろうかと、思いきや、そこで第三者的な観点でやりとりを見ていたシスターが首を傾げつつ。

 

「うーん、何だろ? 短髪もだけど、しいかも耳が赤いよ。短髪にはトランプで隠してるけど、私のほうから丸見えだし……ひょっとして嬉しいの誤魔化してる?」

 

「えっ……?」

 

 見る。けど、こちらからでは映るのは表情を隠す、邪魔な手札。しかし、今までポーカーフェイスだと見て取れたが、そこにぴくっ、と微かに動揺が走ったのを美琴は察知した。

 泰然自若の幼馴染が照れるなんて、美琴としては自身のデレとやらよりも貴重だ。

 しかし、詩歌の対応は早かった。

 

「インデックスさん、詩歌さんはもうお腹いっぱいですから、残りのブルーベリータルト食べます?」

 

「いいの! やったぁっ!!」

 

 インデックスの視線、上条詩歌→ブルーベリータルト。

 

「ちょ、っとぉぉおっ! 顔っ! 詩歌さん、一瞬でいいから今すぐ顔を見せてください! 私だけは不公平!」

 

「姉の強制権利で却下です。うん、そろそろ紅茶のおかわり用意してきますね」

 

 インデックスの視点が自分からケーキに変更させてすぐに、さっと炬燵から抜け出し起立。そのまま美琴が視線で追いかけるも詩歌は表情を見せる間も与えずに台所へ。

 

「もぐもぐ……結局、みことはしいかとあー君が仲良くするのを認めるってコト?」

 

「くっ、すごく惜しい機会を逃したわ。で、何かその問い掛け、妙に誤解を招きそうな気がするんだけど」

 

「? あー君って、しいかのボーイフレンドじゃないの?」

 

「それは、無性に却下したくなるわね。別に詩歌さんの人付き合いに口を出すつもりはないけど、その言い方、あの馬鹿も文句言うわよ、ええ、間違いなく。気をつけた方がいいわ」

 

「?? よくわかんないけど、わかったんだよ」

 

 ごくん、とケーキを食べ終わるとこくん、とインデックスは頷く。

 そうして、雑談に盛り上がった興奮がクールダウンした頃合いに、詩歌がお盆に紅茶のポッドを載せて卓に戻ってきた。

 

「そういえば、気になったんだけど、みこととしいかはどっちが頭がいいの?」

 

「詩歌さんね」

 

「能力基準のLevelでは負けてますけどね」

 

「それは別に……ちゃんと査定評価してないから」

 

「詩歌さんを舐めてもらっちゃあ困ります。週一で美琴さんのを視てますけど、もう電気操作の緻密さでも私は敵いません」

 

「そりゃあ、発電能力(エレキック)だけに限った話でしょう。詩歌さんの投影能力(トレース)とは関係ないわよ」

 

「そうですけど、むむぅ……でも、美琴さんの力を一番理解してるのは、スリーサイズも含めて成長を記録してきた上条詩歌です!」

 

「余計なものが混じってなければ、素直に頷けたんだけど……」

 

「でも、ふたり共学校じゃ、一、二を争う四天王なんだよね」

 

「どこから仕入れた情報よ、それ」

 

「まいかが教えてくれたんだよ。出張研修先の学生寮でよくその話は耳にするって」

 

「陽菜さんね。あの人は本当にもう……」

 

「それから、常盤台でも人気の百合姉妹のカップリングだって」

 

「はぁ!? 何よそれ!! 私と詩歌さんがつき合ってるって!? まさか、黒子のヤツ」

 

「あ! もしかして、さっきしいかがボーイフレンドを作るのを反対したのも……うん、大丈夫だよ! イギリスでは同性婚も認められてるし、敬虔なるシスターの私はそういうのに偏見はないんだよ。うん、お幸せに」

 

「なにひとりで勝手に納得して、聖女ってんのよっ! ほら! 詩歌さんもちょっとなんか言ってやって!」

 

「お姉ちゃんが恥ずかしいなら、詩歌お姉様、と呼んでもいいんですよ? ねーねーでも可」

 

「呼びませんっ!」

 

 そっぽを向いてテーブルにカードを叩きつけるように置く。

 そして、次の番である詩歌が、

 

「ほっぺた、また赤くなってるような」

 

「えぇ!? そんなことないわよ。ほら、詩歌さん、早くカード出して」

 

「美琴さん、何が欲しいか正直に言ってごらん」

 

「欲しいって、何のことですか!」

 

「興奮してる美琴さんが欲しいものです」

 

 ふふふ、と微笑するその顔はどことなく色艶があった。

 人を魅了する撃墜王のそれは、この男女の性別の垣根を超越している。

 いやいやいや! ないないない!! 私にそんな気は絶対にない!!!

 だが、この顔を真正面から見つめるには、美琴であっても自然、脈動が速くならざるをえない。黒子のようにガチで積極性があるわけではないが、美琴としては彼女のふざけたからかい方が厄介だ。

 

「だから、違いますって。別に私は何とも……!」

 

「クラブの8、ですね?」

 

「ふぇ……?」

 

 会話しながらも順調に進み、現在の机上状況。

♡ | | | |5|6|7|8|9|  | | | 

♣ | | | |5|6|7| | |  | | | 

♢ | | | | |6|7| | |  | | | 

♠ | | | |5|6|7|8|9|  | | | 

 

「それだよ!」

 

「やっぱり。そろそろ出なくなる頃かな、と」

 

「あ、あぁ……それですか」

 

「そろそろ出してくれないとパスを使わなきゃならないかも」

 

「一体誰が8を止めている、のか? プレイヤーは私達三人しかおらず、不正もなく、枚数に不備はない……ということは、つまり」

 

 ゆっくりと詩歌はふたりを見比べ、そしてババッとカードを持っていない右手を『その幻想はお見通しだ!』とばかりに振り開く。

 

「犯人はこの中にいるッッ!

 

 

 ――――それは上条詩歌ッッ!! わたしですッッ!!」

 

 

 どどぉぉん!! と効果音と同時に、何も持ってないと思われた右の掌から二枚のカードが広がる。

 

「間髪容れずに自白した!?」

 

「し、詩歌さんだったんですね。クラブとダイヤの8を持ってるの」

 

「はい、そうです。何だか知らないけど、8が3枚詩歌さんの手札に集まっちゃってたんです―――真実はいつも一つ!」

 

「それ自供してるだけです、何一つ推理してないし。さっさと出してください」

 

「ふふふ、そう簡単にはいきません、美琴さん」

 

「ねぇ、しいか。パスは何回までやってもいいの?」

 

「何回でもOKですよ。ただ、負けたら罰ゲームがあると面白いかもです」

 

「罰ゲーム?」

 

「この前、陽菜さんと麻雀した時も、最後は下着姿で打ってましたね。全裸は可哀相だったんで止めましたけど、代わりに逆立ちしてもらいました」

 

 部屋の中とはいえ、下着姿で、逆立ち………簡単に想像ができた。

 それは、ご愁傷様だ。

 何でも母親の豪運を受け継いでいるのか、幼馴染の“引き”は凄まじい。

 運が関わるゲームでは美琴が知る限り、ほとんど負けなしだ。何度かポーカーに付き合ったが、役無し(ブタ)だったことは一度もない。それでいて相手の不正を見逃さない洞察力に常時微笑(ポーカーフェイス)まで備えている。これまで彼女のルームメイトである鬼塚陽菜がどうにかしてこの豪運を破ろうとあれやこれやと策を弄したが………結果は言わずもがな。その日、それ以降、対戦者は二度と幼馴染を相手にイカサマをしないと悪夢に刻み、御坂美琴は初めて最強の手札(ロイヤルストレートフラッシュ)が場に出されたのを目撃した。

 神懸かっている竜神家の豪運は、それだけで運が関与するゲームであるほど反則染みているが、それでも“ほとんど”負けなしだ。

 上条詩歌は誰が相手でも必勝するのではなく、またこれまでの付き合いから、彼女の敗北する時の傾向を御坂美琴は掴んでいる。

 

「でも、脱衣ルールにすると、インデックスさんが不利ですし、こういう展開になると当麻さんが途中乱入してくるのでやめましょう」

 

「当たり前です! そんな、あの馬鹿がいないけど、こんなところで、別にあの馬鹿の部屋だからまずいとかじゃなくて、男子寮で服を脱ぐなんて、乱れた真似……で、できるわけないじゃないですかっ!」

 

「乱れてませんよ、ほらこうして綺麗に並べてます」

 

「うん、そうだよ。カードをきっちり並べてるんだよ。じゃあ、大丈夫かも」

 

「何でその結論になんのよ! 七並べ関係ないでしょ! アンタに女子としての自覚はないの!?」

 

「とうまに見られるのは、恥ずかしいけど。別にこの部屋で裸になるのは―――「ぽん。思いつきました。帰ってきた当麻さんに『ご奉仕わんわんコース』をしてもらいましょう」」

 

「却下」

 

「美琴さん、まだ説明してないです」

 

「ご奉仕、とか、わんわん、とかそれだけ怪しい単語を並べられたらイヤでも内容が分かります!」

 

「さっき熱くしいかのこと信じるって言ってたんだよみこと」

 

「っ、……もう少し、考えてから発言すべきだったわね」

 

「というわけで、はい、冷蔵庫にちょうど当麻さんの分にとってあるお土産、秋の味覚をふんだん盛り合わせたスイートポテトソフトがあります。これを最下位が食べさせてあげるミッション」

 

メイド(まいか)みたいにやるってこと?」

 

「ダメよ、そんなの。それに、アイツだって……ほら、困るんじゃない?」

 

「んー……ベタ好きな当麻さんなら喜ぶと思いますけどね。詩歌さんも美琴さんにご奉仕られたら嬉しいです」

 

「うん、きっとそのスイートポテトソフトもおいしいに決まってるんだよ」

 

「私が負けるの前提なんですかっ!? っつか、アンタはもっと他のことを気にしなさい!」

 

「みこと、1とか3とか使えなさそうなのばっか持ってそうだし」

 

「適当なこと言わないでよ」

 

「いいえ、インデックスさんは正しいですよ。詩歌さんは、そういうの持ってませんから。つまり、美琴さんが持ってるってことでしょう?」

 

「ゲームの意味、全くないんだけど……」

 

「でも、諦めたらそこで試合終了だってカナミンも言ってたんだよ、みこと。こういう時は後でどんでん返しが待ってるはずなんだよ」

 

「テレビの見過ぎよ。って、諦めたなんて言ってないっての!」

 

「まあ、でも、負けなきゃいいってだけの話なんですから」

 

「そういわれても………勝っても複雑な気持ちになりそうね」

 

「ふふふ~、悶々とする美琴さんも良いものです。是非、写メで美鈴さんにお裾分けしたい!」

 

「だ、ダメ! 違う、そういうんじゃなくてっ!」

 

「みことは注文が多いかも。クレーマーでも目指してるの?」

 

「もう。……ええ、詩歌さん相手に突っ込んだ私が悪かったわ。ごめんなさいごめんなさいぃっ」

 

「ふふふ、美琴さんのぐれたおねだり――ぐれだりいただきましたっ」

 

「なんか、すごいネーミングかも」

 

「この貴重なぐれだりを●REC」

 

「録らせませんっ!」

 

「大丈夫、詩歌さんの投影(トレース)能力は脳内RECしたものを24時間以内なら後で絵に起こすことができます」

 

「ッ……わかりました、今日は24時間張りつかせてもらいます」

 

「ふふふ、おはようからおやすみまで美琴さんを独り占めできるとは詩歌さんは幸せ者ですねぇ」

 

 むふー、と詩歌はペコ○ゃんのようなスマイルで言い切った。

 

「あー……もう、いいです。好きにして」

 

「しいかは短髪のマスターなんだね」

 

「姉の嗜みです」

 

「それ、餌付けされてるアンタには言われたくないんだけど」

 

 と、仕切り直して、

 

「では、フェアにいきましょう」

 

「女三人水入らず」

 

「ああ、もう……さっきからだいぶ脱線してるけど、アンタが出す番よ白いの」

 

 あの後、詩歌はスペードの10を置いて、一周、インデックスに戻ったわけだが、

 

「あ、そうだったね。でも、出せるカードがもう一枚しかないんだよ」

 

「一枚あるなら出しなさいよ」

 

「いや、ここは敢えてパスを使わせてもらうんだよ。パス一!」

 

「それも作戦ね。わかったわ」

 

 御坂美琴は考える。

 ―――この白いの、インデックスが言ってるのが本当なら、残るその一枚はスペードのJ(11)か、ダイヤの5ってとこね。それ以降が繋がってないってことは、スペードのK(13)やダイヤの3を持っている可能性もある。詩歌さんが8で止めてるから、私が出すべきカードは……

 

「あらあら? 美琴さん、出せるカードが無いのかな?」

 

「ちょっと、考えてたんです。……はいっ」

 

 スペードの4が場に置かれる。

 

「ほうほう、そうきましたか」

 

「これで詩歌さんはクラブかダイヤの8よ」

 

「ほぉ……いつから、詩歌お姉ちゃんに命令できる立場になったのかしら? 美琴さんは妹でしょう?」

 

「妹って何なんですか?」

 

「美琴さん、妹業界は上下関係に厳しいものです。姉の下っ端として奉仕したり、義兄の面倒を見たり、考えなしで特攻する兄のフォローをしたり」

 

 苦労してます、とアピールするように肩をたたいて、

 

「うん。詩歌さんとしては、美琴さんに久しぶりに―――「詩歌さん、早くお願いします」」

 

 要求を先読みした美琴に、残念、と片目を瞑り、

 

「じゃあ、詩歌さんもパス一」

 

♡ | | | |5|6|7|8|9|  | | | 

♣ | | | |5|6|7| | |  | | | 

♢ | | | | |6|7| | |  | | | 

♠ | | |4|5|6|7|8|9|10| | | 

 

「自動的に私が最後のカードを切らなくちゃいけない流れだね」

 

 手札を見ながらインデックスが難しく眉根を寄せる。

 

「パスしても構いませんが、さっきと同じ状況になっちゃいます」

 

「ここにきて急に真面目に七並べをやってる気がするわね……」

 

 上条詩歌は考える。

 ―――インデックスさんが出すカードは予想通り。ただし、余計なパスを使う余裕がある。先に上がらせないようにしないと……いや、それよりもやっぱり……

 

 御坂美琴は考える。

 ―――こういう時、詩歌さんは意地でも先に上がらせないようにするはず。それなら、あの作戦を使うしかないわ。K(13)を出して、1へ繋げないと私は勝てない。

 

 インデックスは思う。

 ―――はぁ……お腹が空いたんだよ。

 

 ケーキは美味しかったが、サイズは小さめだった。インデックスとしてはそこに不満。……ゲームとは全く関係ないのだが。

 とりあえず、スペードのJ(11)をインデックスは出し、

 

「じゃあ、私はこれを」

 

 美琴が出したカードは、ハートの10。

 

「ふふふ、美琴さん。まだ出せるカードがあったんですね」

 

「一応ね」

 

「でも、それが、現状で出せる最後の一枚ですね」

 

 驚声も出さず、表情も乱さぬよう努めたが、自分程度のポーカーフェイスなど薄っぺらい仮面であると、その鋭い言の刃は斬りつける。

 

「美琴さんが欲しいのは、クラブの8。つまり持っているのは、クラブの9とかその辺り」

 

「ぅくっ!?」

 

 更に、予想外の方から援護射撃。

 

「あっちにないってことは、そういうことだね」

 

「アンタやっぱり詩歌さんの味方なの!?」

 

「そんなつもりはないよ。ただ正直に応えただけだよ」

 

 背後から流れ弾を喰らったらこんな気分になるのだろうか。美琴は疲れたように。

 

「ああ、そう……ゲームとして成り立ってるんだが成り立ってないんだが」

 

「ふふふ、折角のテーブルゲームなんですから、机上交渉(テーブルトーク)の駆け引きも楽しみましょう」

 

「ハートのJ(11)を出してもらわないと、ハートのQ(12)K(13)が出せないんだよ」

 

「盛大にネタバレしたわね」

 

「私は勝ちにいってるからね」

 

 だったら、その口を閉ざす努力をなさい。雉も鳴かずは撃たれはしないのだから。

 が、もう一人は雉が鳴けば、それを見逃すくらいに甘い。

 ただし、それは必ずしも撃たない、というわけではないが。

 

「ふふふ、インデックスさん、お願いする時は何というんでしたっけ?」

 

「? えっと……」

 

 こてん、と首を傾げてから、氷海の記憶に完全保存されてる情報から掬い(思い)出したポーズで。

 

 

「しいかお姉ちゃん、お願い」

 

 

「ちょ、アンタ……!」

 

 ………

 歴史が、動いた。

 じゃなかった、止まった。

 多少は誇張した表現かもしれないが、美琴の視点からして幼馴染が言葉を失ったまま、微笑が凍りついていた。目が見開いたまま、二の句が告げない表情。

 対して。

 可愛らしい、その声。

 心地の良い、その響き。

 そして、きらきらと人懐っこいその面立ち。

 

「そうです。私は富や名誉なんて、くだらないもののために、世知辛い世の中を生きてきたんじゃない……!」

 

「う、うん? 何か身の危険を感じるかも」

 

「そうね、危険以外の何でもないわよ」

 

 賢いゾウは、天候が荒れる気配を察知するという。

 それと同じか。

 カタカタ……と震える子羊。

 それを見て、元被害者は迂闊であったと言わざるをえない。

 しかし、そのしゅんとなったように目の前の『美少女』は俯き加減になって、怯えた上目遣いでこちらの顔色を窺ってくる。

 その、まるで小動物のように愛くるしい表情を見て……

 

 ―――ぷっつん。

 

 と、心の中にあった『何か』を引き千切って、口を開いた。

 

「この可愛らしいものはこの世のもの? 人の生み出した文化の極み? いいや違う! まさに、妖精、天使の造形っ! 幻想世界の産物に違いない!! あぁ、言葉ってなんて不便! これをみて『可愛い』という以外の表現が全然見当たらないなんて! 英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語全ての対象単語を並べたてても、その半分も言い尽くせないっ! これはじっくり調査、緊急に保護する必要があります。というわけで、テイクアウトお願いします! 良いですよねインデックスさん? 反論はしてもいいですけど、全部封じますよ?」

 

「へっ? ……きゃ、きゃうんっ!?」

 

 悲鳴を上げるインデックスに構わず、『はにゃ~ん♪』てな擬音を背中に背負いながらその小柄な彼女の体をひしっ、と抱き寄せる。

 

「ふんふむ」

 

 感嘆しながら頷いて、インデックスの頬をむにゅうっと摘まむ。格別に柔らかい。

 それから携帯機器のカメラモードでそのままの状態を写録保存。

 

()()るの~……」

 

「まずは抱き心地の検証です。サイズはちょうどいい。それにもちもち肌も◎」

 

 最初は驚いたものの、母猫に首後ろを銜えられると大人しくなる仔猫のようにされるがまま。長い付き合いの美琴もどういうわけか詩歌に抱き抱えられると逆らえなくなる。

 おもちを伸ばすように頬を捏ね繰り回されるのもマッサージみたいに気持ちいいし……でも、やられるのを第三者的に見てると沸々とくるものがあり――けして寂しくなったからではなく――ゲーム中なので、そろそろ止めようかしら、と腰を浮かしかけたところで、

 

「と、おふざけはここまでにして」

 

「えっ」

 

 『どこまで冗談だったの……?』という妹分の呟きをスルーして詩歌は続けた。

 

「良く言えました。じゃあ、詩歌お姉ちゃんがハートのJ(11)を出しちゃいます」

 

♡ | | | |5|6|7|8|9|10|J| | 

♣ | | | |5|6|7| | |  | | | 

♢ | | | | |6|7| | |  | | | 

♠ | | |4|5|6|7|8|9|10|J| | 

 

 カード一枚出させただけなのに、一ゲーム分以上に疲れる。

 これも駆け引きに含まれるのだろうか。

 

「……何か、ゲームが違う気がするんだけど」

 

「ふふふ、美琴さんがデレるのも時間の問題です」

 

「そんなことしないわよ!」

 

「インデックスさんのためにハートのJ(11)を出しちゃいましたから、美琴さんはパスするしかなくなりましたね」

 

「わかってるわよ……パス一を使うわ」

 

「ふふふ、美琴さんも素直になるといいんですけどね」

 

 口元を手札で隠して笑う幼馴染は、やっぱり手強い。

 自分に素直になれと言いながら、彼女が一番にひねくれてると思うのは美琴の考え過ぎだろうか。

 8を出してもらえず、この展開からしてお情けでは出してはもらえない(白いのと同じ手段は使わないと決めている。というかその手は経験上(身の)危険だ)。

 

♡ | | | |5|6|7|8|9|10|J|Q| 

♣ | | |4|5|6|7| | |  | | | 

♢ | | | | |6|7| | |  | | | 

♠ | | |4|5|6|7|8|9|10|J| | 

 

「はい、ハートのK(13)、と。……これで、ハートの1が出せるようになったんだよね」

 

「よし! 私、ハートの1持ってるわ」

 

「あ、あれれ? インデックスさん、詩歌さん助けてあげましたよね?」

 

「? そうだけど、どうかしたの?」

 

 若干強張った笑みを見せる詩歌に、きょとん、とするインデックス。

 

「ぷっ……アンタ、良いキャラしてるわね」

 

「いやー、それほどでもかも」

 

「調子がいいですねぇ、インデックスさん。可愛いから許しちゃいますけど」

 

♡1| | | |5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣ | | |4|5|6|7|8| |  | | | 

♢ | | | | |6|7| | |  | | | 

♠ | | |4|5|6|7|8|9|10|J| | 

 

「あ、とうとうクラブの8を切ったわね。詩歌さんも余裕がなくなってきたってこと?」

 

「美琴さんこそ。詩歌さんはクラブの9を持ってるってことちゃんと見抜いてますから、言動には注意したほうがいいんじゃない?」

 

 表面上ポップな笑みの詩歌に対し、ここにきて美琴も負けず嫌いの火がついてきたのか。

 

「悪いけど、負けるつもりはないわよ、詩歌さん」

 

「うふふ、こっちもですよ、美琴さん」

 

 先輩後輩、それ以上に姉妹として、普段の生活で美琴が詩歌に逆らうということはないが、勝負事となれば話は別だ。

 勝負というのは、真剣にやってこそ面白いし、それが礼儀だと弁えている。

 何よりこの相手に手は抜けられない。

 

「ふたりともなんかすっごく熱くなってる……」

 

 中間のインデックスはついていけず、ゲームでありながら火花散る幻覚が生じる気迫に挟み打ちとなり。

 

「「早くカードを出して!!」」

 

「は、はいなんだよ!」

 

 近場に雷が落ちたように慌てて考えずにカードを置く。

 

「ここからが勝負よ、詩歌さん」

 

「それは、どうでしょうかねぇ?」

 

♡1| | | |5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣ | | |4|5|6|7|8|9|  | | | 

♢ | | | |5|6|7| | |  | | | 

♠ | | |4|5|6|7|8|9|10|J| | 

 

「ダイヤの5を止めてたのはしいかだったんだね。じゃあ、ありがたくとらせてもらうかも」

 

「ナイスプレイよ! インデックス。一緒に詩歌さんを倒すわよ」

 

「合点承知だよ」

 

「な、詩歌さんだけ敵なんですか?」

 

 インデックス、あなたもか、とばかりに詩歌の表情にショックが走る。

 

「そりゃあ、8を止めるのは憎まれても仕方ないわね」

 

 七並べで、序盤から通行止めするような行為は、恨まれて当然であり、またこの中で最も脅威だと見られる相手を前に同盟を組むのは自然の流れ。

 

「美琴さん、ひどいです」

 

「え……詩歌さん?」

 

 ヒートアップしていたはずの水が差される。哀愁漂う悲笑。

 

「詩歌さんだって意地悪したくて出さなかったんじゃないのに。皆が楽しんでもらおうとする一心で………でも、いいんです。ふたりが楽しんでくれてるなら、詩歌さんはそれで十分です」

 

 きらきら、とその背後に後光が差したかのよう。

 これが意識して発揮した微笑みの聖母の本領か。

 もし目の前に募金箱があれば、彼女を助けるという精神的満足感に小銭ではなく札を投じるであろう。下手をすれば全額奉じる、そして異性ならばお金と一緒に心も堕ちる。

 

「しいかっ! ダイヤの3とスペードのQ(12)どっちがいいっ?」

 

 して、速攻で修道女は陥落。

 

「ダイヤの3、だったら嬉しいです」

 

「うん、ダイヤの3!」

 

 迷うことなく手札からお望みのカードを引き抜く。

 それに、耐性のある(慣れた)幼馴染は半目で、恐る恐る。

 

「し、詩歌さん、もしかして……」

 

「? どうしたの、美琴さん?」

 

「えっと、その……今のも作戦だったの……?」

 

「はい? 何のことでしょうか? 詩歌さんにはわかりません」

 

 そういい切った幼馴染の笑顔は、さながら冬の旭日の如くくっきりと屈託なく、それでいてどことなく有無を言わせなくする気圧を放っていた。

 美琴の目から見ても素直すぎるところのあるシスターは、幼馴染の迷いなき眼を丸ごと受け入れているが、うん、この感じは間違いない。

 そして、これは真剣勝負であり、これも姉の“武器”なのだ。こういうのはこりごりだから早々抜くことのない切り札であるが。

 

「(ええ、昔から詩歌さんはそういうのが要領良くて、ニコニコ笑ってしれっと誤魔化すし、なのに馬鹿強くて説教になったら全然逆らえないし、というか、ここ最近わたしにあまり構ってくれないし……)憎めないわ……ええっ、全然憎めないわっ」

 

「美琴さんもとっても可愛いなぁ。……はい」

 

 そうして、展開は進み、

 

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

♡1| | | |5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10| | |K

♢ |2|3|4|5|6|7| | |  | | | 

♠ |2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

 

「ねぇねぇ、もう出せるカードが無いから、出してもらってもいい?」

 

「もう、ゲームの意味がなくなってるわね……」

 

 いつの間にか第五位(あの女)が得意そうな搦め手が横行している。

 このインデックスもまた交渉の駆け引きとしてはまるで成ってないが、無自覚に甘える術が身についている。

 単刀直入にしか言えないが、それはそれで他では得難い武器でもある。

 で。

 自身も一度は――あの馬鹿に邪魔されたが――ファミレスで<幻想御手>の情報をもってそうな不良たちに甘えたこともあったが、その際に同行していた後輩の<風紀委員>があまりの衝撃に意識だけ別次元に跳ぶほどのギャップのあるものだった。

 その時の落差は、どんな名投手のフォークボールでも追いつけないだろう。

 狙い通りに決まったところに当てるコントロールに自信が無く、受け手が後逸しかねない暴投の危険性にある球はおいそれと投げれない。

 なので、そうやって甘えてもらいたいな~、とトランプの陰からこちらに期待の視線を送ってる恋女房(キャッチャー)な幼馴染のサインに、御坂美琴は頑として首を横に振って素直に応えないのである。

 

「でも、アンタもあと3枚じゃない?」

 

「けど、詩歌さんも美琴さんも4枚と5枚。誰が勝つかはわかりませんね。……っと、はい」

 

 と、一端はまた回り始めたのだが……

 

♡1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10| | |K

♢ |2|3|4|5|6|7| | |  | | | 

♠ |2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

 

「むむぅ……出せない。パス二」

 

「あら? アンタの手札がだいたい分かってきたわね」

 

 とスペードのエースを出す。

 

「わかってて、あえてそっちのカードを出す短髪はイジワルなんだよ」

 

「私だって負けてられないんだから、足止めできる限りは足止めするわよ。ま、止めてるのは私じゃないけどね」

 

「うん仕方ない。そろそろ……」

 

 詩歌はついにそのカードを出す。

 

♡1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10| | |K

♢ |2|3|4|5|6|7|8| |  | | | 

♠1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

 

「きたぁっ! ていっ!」

 

「ちょっと、何よ!?」

 

「ありゃま? ダイヤの9を持ってたのはインデックスさんでしたか」

 

 八止めの制限が全て外され、飛び付いたのはインデックス。

 それを詩歌は意外そうに、そして、美琴は勝機を見て強気に、

 

「ようやく最後の砦を切ってきたわね、詩歌さん」

 

「もう残り枚数が一ケタに入りましたし、そろそろパスでの時間稼ぎもできそうにないですしね。足止めも回り込まれちゃいましたしね」

 

「なるほどね」

 

 もう美琴も、インデックスも、詩歌も枚数的にラストスパートだ。

 そして、今ゴール(ゼロ)に近いのが、

 

「そうなったら、こっちのもんなんだよ!」

 

「意外。アンタが、ラスト一枚一番乗りだなんて」

 

「まあ、今すぐに出せないからまだわかんないんだけどね」

 

「最後までアンタは……」

 

 呆れる美琴。

 もうこの鳴くだけでなく多彩な扇羽も広げちゃってる雉は、撃たれまくる的だ。

 

「インデックスさんは正直ものですね」

 

「正直っていうか、馬鹿正直だけどね」

 

「詩歌さんはそういう馬鹿が好きですけどね、ね、美琴さん?」

 

「……何でそこで私に振るんですか? ええ、まあ、否定はしないけど」

 

「美琴さん、よく“馬鹿”って言うじゃないですか? けど、そういうのって本当は違うんですよね。嫌いだったらその言葉を口にするのも嫌ですし、素直になれない子は、そういう相手には何もかもが裏返しになっちゃう天の邪鬼ですから」

 

「っっ!?!? そんなことないですっ! 私は全然あの馬鹿のことなんて……あ、!?」

 

 しまった、と。

 美琴が、言葉を止めた。

 言葉だけでない。不意打ちのカウンターに、あわわ、とお口が半開きの頬が赤くなり、あらゆる思考をストップしてしまう。

 

「なんか短髪が“ぴたあっ”て固まっちゃったんだよ。金縛り?」

 

「……っ!」

 

 率直な感想が耳に入り、すぐに復活したが、既に遅い。

 目の前には、硬直したこちらを見て、にこにこと微笑ましく寄り表情筋を緩めてる姉。ここに母美鈴がいればきっと同じような表情を浮かべたであろう。それを考えるだけで前髪にバチッと火花が散る。

 しかし、これ以上相手の思惑に乗るのも癪なので、無理矢理に葛藤を押さえ込む。

 

「ちょろ可愛いなぁ、美琴さんは」

 

「私の愚痴は幼稚園レベルですか……」

 

 と、美琴が溜息をつく。

 自身の赤面を見ようと、一体どれほど前から考えていたのか。

 そうして、出せない箇所が限られている中で、インデックスは出せず、美琴はダイヤのエースを詩歌はクラブの(11)を出し、着々と枚数を減らす。

 

♡1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J| |K

♢1|2|3|4|5|6|7|8|9|  | | | 

♠1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

 

「ああっ……しいか、どうして、そこに出すんだよ。パス三」

 

「そりゃあ、アンタが余計なことを言っちゃうからよ」

 

「しまったかも……!」

 

 今更バッと両手で口を隠しても遅い。

 が、

 

「でも、インデックスさんは負けません」

 

「ふぇ?」

 

「1とK(13)が繋がるルールですから二方向からカードが出せます。……私がさっきのダイヤの9の持ち主を読み違えた時点で、決着はつきました」

 

「あいかわらず、パス四になるんだよ?」

 

 またカードが出せず、『?』を浮かべるインデックス。

 ふたりは後処理のようにカードを並べていく。

 

「私がダイヤのK(13)を出して」

 

「詩歌さんがクラブのQ《12》を出す」

 

♡1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♢1|2|3|4|5|6|7|8|9|  | | |K

♠1|2|3|4|5|6|7|8|910|J|Q|K

 

「あ、ダイヤの|Q(12)で上がれるかも」

 

「ふふふ、案外回り道の方が近道ということなのかもしれません」

 

 反対側から回り込むようにK(13)が出されれば、10で堰き止められていようと、順通りの先にあるQ(12)が出せ、残り1枚しかないインデックスはそれを出すことは決まっているので、自然にもうひとつのJ(11)も出せるようになる。

 

「それで私がダイヤのJ(11)を出して、詩歌さんが最後の10ね」

 

「はい、ダイヤの10でお終い」

 

♡1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♣1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♢1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

♠1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|J|Q|K

 

 テーブルに全てのカードが埋まった。

 

「おわったぁ……」

 

「詩歌さんの負け。でも、これで良かったです」

 

 え? と見るふたりに、詩歌は胸を撫で下ろしながら言う。

 

「だって、可愛いインデックスさんや美琴さんが本気で嫌がることなんてできませんし」

 

「っ、それは私だって同じよ! ……だから、別に罰ゲームなんてやらなくても」

 

「ダメです。約束は守りませんと」

 

 真っ先に反対した美琴を抑えながら、詩歌は机に並べられたカードを集める。

 これは、けじめだ。

 どんな理由があろうと守らなければ示しがつかないのである。

 そこで、不意に時計を見たインデックス。

 

「にしても、とうま、まだ帰ってこないなんて、おそいね」

 

「ああ、それなら詩歌さんがさっき台所で紅茶を準備する合間にメールしたんですよ。女子会をしてるから、合図するまで部屋に入らないでお隣にいてって」

 

 こんこん、とお隣さんに通じる壁をノックする。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「そういうわけで罰ゲームです、わん」

 

「何がそういうわけなのか当麻さんはさっぱりわからないぞ、()妹」

 

 待機していたお隣土御門家から戻ると、()妹が出迎えてくれた。妹がお帰りをしてくれるのはそう珍しいことではない。

 が。

 家に帰るとわんこが歓迎してくれるのは、世間一般的な犬好きなら夢見る光景なのかもしれない。だが、犬耳に肉球手袋、首輪に尻尾の付いたその有り様は“わんこ”なのだが、逆に言えばその必須記号だけを残している様相であった。

 このままリードをつけて散歩に行けばまた部屋に囲っていると勘違いされれば職質を受けるか輪っぱをかけられるという特殊なオプションであろう。

 近頃の女の子たちはいったい自分の部屋で何を話していたんだ、と上条当麻はつくづく思う。

 

「つまり、詩歌さんがトランプで負けちゃって、ご主人様に奉仕することになったんです、わんわん」

 

「ちょっと、“待て”。あれ? 当麻さん、後半部分から一気にわけがわからなくなったぞ」

 

「わんっ」

 

 と、正座でお座り。

 飛びかかってじゃれつくことはせず、素直に“そのまま”いうことを聞く。しっかりと躾けられた犬のようで―――その奥からとてつもなく冷めた視線が二つ。なんとなく『インデックスさん』、『御坂さん』と『さん』付けしたくなるようなふたりが見ている。

 

「……いや、ま――立って! そして、犬オプション取って! このままだと当麻さんが罰ゲーム直行しちゃうから!」

 

「くぅん?」

 

「そこでご主人様の命令わかりませんみたいに鳴いちゃうの!? ああ、もう、可愛いなチクショウ! お兄ちゃんは泣きたい!」

 

 この無言の重圧に早々に降伏したいところだが、まだ靴も脱いでいないし、玄関で正座は避けたいところだ。けど、ここで部屋に上がってしまえばこの状況を受け入れたと見られそうだ。どうしよう、土下座もできないぞ、と悩んでいると痺れを切らしたのか、一見にこやかに、けれども、三毛仔猫がリビングから風呂場に退散するほどの迫力で、

 

「とうま、いつまでそこにいるつもりなの?」

 

「ふざけてないでいい加減、中に入りなさいよ」

 

「一歩先が地獄だって分かってりゃためらうのは動物としてごく自然の反応だと思うがな」

 

 ふざけた装いをしている君達の姉貴分ではなく自分に矛先が向けられている意味が解らなかったけど、ガチガチとビリビリと物騒な音がしているので素直に従った。部屋の主は自分だ。つまりここはアットホームなので、いくらか自身の士気を高めてくれる、状況を打開するだけの勇気をくれるはずだ……と、希望的予測を見込んで。

 

「いつも同じようにお出迎えしちゃうとマンネリ化しちゃいますし、たまにはこういう刺激が無いとです、わん」

 

「当麻さんはごく普通の平凡でも満足してるし、人ひとりは軽く殺せそうな刺激だぞ、これ」

 

 その眼光に宿ったそれは紛れもなく本物。

 事前に色々と説得していたからこの状態だが、もし欲望に任せて襲えば間違いなく襲われる。そういう意味では、理性が保ってくれるのは彼女達のおかげなので感謝してもいいかもしれない。

 とりあえず、目を合わせると難癖つけてくる不良も裸足で逃げ出すような監視役から目を逸らし、ご主人様を案内する犬妹のふりふり揺れて自然と追ってしまう尻尾に視線を合わせながら、リビングへ。

 

「では、これがお待ちかねの今日のおやつ、スイートポテトソフトです、わんっ」

 

「まったくこの状況はお待ちかねじゃねーけど、さっさとやるぞ」

 

 生クリームが盛られた黄金色のお菓子。でも、たぶん味はわからないだろう。様々な要因で。

 なんにせよ当麻は、これが、妹の罰ゲームだというのは理解した。

 しかし、あまり罰ゲームになっていないような気がするのは気のせいだろうか。

 ―――それは当麻だけの感想ではなかった。

 バタンッ! とやにわに勢いよく玄関扉が開かれ―――

 

 

「甘いぞぉぉおおおっ!!」

 

 

 ……やたらハイテンションな奉仕の達人であるメイド土御門舞夏が現れた。

 

「おのれェ!! 生死の瀬戸際へまたややこしくする変人か!!」

 

 頭を抱える愚兄などお構いなしに、普段は表情の変化に乏しい舞夏は極めて真剣な顔つきでダメ出しする。

 

「甘い、甘いぞー……こんなの上条詩歌には罰ゲームならないなー……」

 

「なんでだよ?」

 

「考えてみろー。マスターメイドで世話好きな上条詩歌にご奉仕は罰ゲームにならないぞ。メイドは人に奉仕することが生き甲斐だからな」

 

 言われてみれば、そうだなと頷いてしまう。これまでの記憶からして賢妹がこの手のイベントを恥ずかしがったこともないし、今も平気でノリノリである。だから、詩歌が罰ゲームを受けるのが一番に影響が少なく後々に禍根を残さない………けれども、それでは罰にはならない。そして、不公平だ。

 

「それになー、罰ゲームなのに不参加の上条当麻だけ美味しい思いをするのは何かズルいくないかー?」

 

「賛成だね。私もおいしいもの食べたいんだよ!」

 

「それって、ゲームに参加してないアイツまで罰ゲームの頭数に入ってんのね」

 

 愚兄として、すでにこの監視下で奉仕されることは罰ゲーム並に精神HPが削られるのだが。

 とにかく、全員が舞夏の言いたい事を理解した所で、腕を組んで仁王立ちなメイドは。グゥワアッ! と開眼。

 

「だから、逆だ」

 

「は、はあ?」

 

「『ご奉仕わんわんコース』を逆にするんだぞー。上条当麻が上条詩歌へ半分を食べさせるんだ」

 

 鬼メイドは言う。

 

「上条詩歌は奉仕するより、世話をされる方が弱いぞー。同級生が悔しがるほど完ぺきな超人の余裕が崩れる様が見たくないかー」

 

「いやー、あまり妹を辱めるような真似はちょっと当麻さんできないなー……」

 

 と言いつつ、上条当麻はこんもりと盛られたスイートポテトソフトを手に取り、スプーンを構える。

 インデックスも美琴も何も言わない。先程見逃した貴重な顔を拝みたいというのがあるのであろう。

 

「舞夏さん、ひょっとして拗ねてます?」

 

「いいや、もしかしたら、話題にも出てたし私もトランプに混ぜてくれるかもと待機していたのに、全くお誘いが無かったのは気にしてないぞー」

 

「それなら、素直にこっちに来なさいよ」

 

 どうやらここまでの展開は全部把握しているのを不思議に思っていたが、向こうで当麻が金髪グラサン同級生と喋っていた際も壁にコップをつけていた。

 

「お宅のお兄さんを預かったんだからこのぐらいの対価が欲しいぞー」

 

 それに、降参した感じに気持ち犬耳が垂れて詩歌は、

 

「わかりました。皆さんもそれに納得しているようですし、受け入れましょう」

 

 舞夏のいうことにも一理あるし、とりわけ騒ぎたてるほど恥ずかしくもない。……甘えるところを見られるのは恥ずかしいが、それは演技と考えれば―――と、さらに舞夏は注文をつける。

 

「あと、犬って人間より目が悪くなかったかー」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 犬は夜目がきき、動くものを追う動体視力は優れているが、人よりも近視で色覚も人のおおよそ十分の一。舞夏の意見はやや暴論ではあるが、目が悪い、と言っても差支えはないのかもしれない。それに役になりきるなら、誇張のひとつやふたつはしないと。

 

「では。罰ゲームよろしくです、わん」

 

 上条詩歌は暗闇の中で上機嫌な声を出した。

 電気を消したわけではない。仮に消したって、今の時間帯ならカーテンを閉じても光を部屋の中まで届けるだろう。単に、髪をまとめてるリボンを眼に巻いただけだ。割ときつく巻いたので上からも下からも光は入らず、何重にも巻かれているので目を相手も真っ暗闇だった。

 それでも勘で空間は把握できてるし、事故を起こすほどまったく見当がついていないわけでもない。

 念のために柔らかなベットに座っているので転んでも危険はない。

 だが、何故か静かだ。

 

(ふんふむ。舞夏さんがまた何か要求したんでしょう)

 

 そうやって、心細さを演出させようというのだろうが、甘い甘い。第六感ともいうべきか、存在を詩歌は感じている。

 ……ただ、何か、こう、遠くに手を伸ばそうとすると、やはり本能的にブレーキがかかって力が出ない。完全な暗闇は、十数年生きてきた人間世界を未知の塊に変え、どちらかといえば度胸のある方だと思う自分の胸にも臆病の渦を作ってしまう。

 それも“これから甘えさせられる”という上条詩歌には苦手な状況で目隠ししていると、普段は何気なく過ごしている日常にも知らないことというのは案外に多いものだなと、思う。

 と、そんなことを考えていると。

 不意に、身体が傾ぐ。いや、座っているベットのマットレスが、誰か――きっと兄が乗ってきたせいで傾いたのだ。居候の女の子用にと買い替えたそれは、なまじ柔らかいばかりに、より重さの掛かる方に沈み込む。

 目が見えていれば無意識に平衡感覚が補正してくれたのだろう。けれど、この、自分だけの暗闇の中ではベットの揺らぎがほとんど重力のように感じられて、その方へ体が引っ張り込まれそうになる。

 実際よりずっと大きく感じられる兄の方へ、引き寄せられそうになる。心情的に無関係でも。不安になるといつもそこにいた場所。つい、幼いころに再帰してしまうような錯覚を覚える。

 まさか自分は緊張してるのか。いいや、まだ大丈夫。ただ、気配がいやに大きく感じられるのに、どこまで近づいているのか正確には把握できない。自分ではない生き物が、自分ではない人格に基づいて活動しているのが空気を伝って感じられる……

 

(それにしても一声かけるべきだと思いますけど)

 

 一応、こちらの心情を意識しているのか、向こうの動きは遠慮がちなもので、でも、それでもやはり、女性の体なら自然にこなすしなやかな体重移動とは違って、いかにも角の取れない無骨な挙動が柔らかなマットレスを通じて伝わってくる。

 そして、目が見えないことを自覚した瞬間から、なんだか持て余し気味にかゆみを感じるほどに頭がそわそわしてくる

 自分は今どんな状態なのだろうか。

 今、自分は自身の様態を確かめる術はないという絶体絶命に立たされていて、

 

「ほい、詩歌」

 

「ぇ?」

 

 思いのほか近い距離からの声に、思わず肩をすくませる。このフカフカなベットは思った以上に貪欲に音を貪り、その異能を何でも打ち消してしまう右手のせいからか自身の異能を感知する触角からは逃れてしまうステルス。不意打ちだ。

 

「詩歌?」

 

 いぶかしげな声を出す愚兄に、はッとして我に返る。何となく、必要以上に強い声で応えてしまう。

 

「……気が利きませんね。見えないんですから、差し出されただけじゃ食べれませんよ」

 

 甘い匂いであるのはわかっているが、相手は生クリーム盛り、ちょっと外せば頬についてしまう。

 

「あっ、悪い」

 

 兄は素直に謝ってきた。それから、更に近づいてくる気配。ようやくはっきりと判ってきた。息の交う距離だから。

 そして、

 

「そんじゃあ、口をあけてくれ」

 

 意味を持つ熱が耳元へと入りこむ。自明にもかかわらず、兄の声だと気づくのに数秒の間が必要だった。そして、己の意思とは無関係に、素直に妹の体は命令を情景反射で受け入れる。

 

「よし、食べさせるぞ」

 

「うん……」

 

 甘い匂いが強くなる。スプーンですくわれたスイートポテトソフトが、そっと開いた口に近づいていく。

 そこで横から声でメイド見習いから即興執事へ演技指導が入る。

 

「あーんはどうしたー、上条当麻。世界的重要無形文化財を無視するなー」

 

「明らかに言い過ぎだろ!」

 

 と、何にしても第三者の声が聞こえたことに、詩歌は安堵。

 それから、ほとんど喉も素通しで体内に呑み込んだほどよく冷えたスイートポテトは、無闇に熱くなっていた内臓を心地よく冷ましてお腹の底に落ちる。良い甘さ。このごろ類を知らない甘味。

 けど。

 デザートを口に運んでもらう。

 今の自分には食物をすくって食べるという、生きていく上で必須の行為すら満足にこなせない。兄に頼らなければならない。それは、兄が必須になるということだ。上条当麻が生命の一部になるということだ。

 実際、この愚兄への信頼は上条詩歌の中では絶対ではあるが、こうも寄りかかるだけなのは問題だ。支える、支え合うのが理想。目が見えていれば、恥ずかしがる兄の様子を見て、自身の羞恥を紛らわせたのに。ちょっと視界が奪われただけで、自身の内情に、周囲に意識がこんなにも大きく意識せねばならない現状を思うと、攻められるに弱いという言葉を事実として受け入れなければならないだろう。

 

 ……………これは、なんか、想像以上に危険かもしれない。

 

 上条詩歌はすぐに、義妹メイドの思いつきに乗ったことを後悔し始めていた。目隠しを解けば脱せる程度の状態以上なら危ないこともあるまいと始めた罰ゲームだったが、完全に予想外の危殆を宿していた。

 それならさっさと目隠しを取ってしまえばいいのだが、開始してまだ間もないのにギブアップというのは……如何にも格好悪い。姉としての沽券に関わる。

 とにかく……最低でも一口二口罰ゲームをこなさせれば、納得するだろう。

 方針を決めると少しは気が楽になった。

 が………

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……、」

 

 ……うん、これは困るな。

 先程はつい声が入ったが、二人の監視、そして一人の指導。わずかな音も拾ってしまう五感を警戒してかカンペで指示されている。

 鳥は闇の中だと大人しくなるというが、目隠しされた妹は意外なほど大人しい。『わん』と語尾に付ける余裕もないのか。

 などと思わず緩い笑みが浮かんでると―――首筋にヒヤリとしたものを感じた。

 目だけで気配を追うと、ビリビリお嬢様とカミツキ修道女がこちらを見ている。

 

(ひぃっ!?)

 

 一応、“罰ゲームっぽくなってきた”ので見逃されているも、喉が引き攣った。どちらかといえばやはりこちらの方も罰ゲームっぽいんだが。

 

 総身の気力を振り絞って―――自重ッ……―――顔を引き締める。

 

 でも、自身の手から照れて恥ずかしそうに食べている詩歌は可愛い。

 可愛いというか、とびっきりに可愛い。

 罰ゲームとはいえ、妹のこんな可愛い表情を衆目にこれ以上晒すのは、どうしても抵抗がある。

 ―――とりわけ、自分以外の男には。

 

「……フッ、わかってるぜい、カミやん」

 

 義妹が突入した後に現れた、これまで世話になっていたお隣さん土御門元春は、こちらが視線を向ければ、口元だけで笑い、全てを了解したとでも言うように親指を突き立てた。

 そして、何も言わず、部屋を出ていく。

 そこにあるのは、男同士の友情。兄共有の認識。

 

「はむ……」

 

 こくんと呑み込んで繊細な味わいにうっとり微笑むそれはいつものより素直。これが見れるなら、執事になるのもいいかもしれない。

 食べきった手応えを感じて、詩歌の口からスプーンを引き抜いていく。

 

「んぁ…………ふぅ……ふぅ……」

 

「あ、しいか、口もと少し垂れてるよ」

 

「え、ああ」

 

 暖房の効いた部屋で、早くも溶けかかったらしい。

 インデックスに指摘されて詩歌が口元を拭おうとした瞬間、鬼監督メイドの声がそれを押しとどめた。

 

「だめだぞー。この罰ゲームは上条詩歌が自ら動くことは禁止だ」

 

「いや、それじゃ」

 

「だから、上条当麻が拭いてやるんだぞ。ご奉仕の心を忘れずになー」

 

「ちょ、それはやり過ぎよ!」

 

 外野が騒がしくなってきたが、当の本人は大人しく、彷徨わせた手を下げる。

 それは、任せるという合図だろう。

 して、この上条当麻もここにきて妙なテンションになってきた。

 ここで胸元に垂れてしまえば、それも拭くという事態になるかもしれない。

 

「よ、よし、拭き取るからな」

 

「うん……」

 

 それだけは絶対に避けなければという気持ちと、その真逆の感情が相俟って、思わず声が震えてしまった。

 ティッシュ箱から一枚取る。

 なるべく冷静に、平静に。

 顎下の方からすくうようにして詩歌の口元を拭っていった。

 

「んっ……」

 

 詩歌の顎、ちいさいな……

 それに、この薄いティッシュ越しに伝わってくる肌の柔らかさ……唇の柔らかさ……

 良く妹は見れば抱きしめてしまうほど小さくて可愛いものが好きだというが、これは、彼女自身、自覚していないのか。

 

「なんだかとっても丁寧かも……」

 

「ええ、いつになくマジ顔ね……」

 

「うむ。これが執事のご奉仕の心……」

 

 平常心。平常心。

 恥ずかしいが、時間がたてばたつほど、溶けて垂れてしまう可能性が高くなる。

 

「よし、詩歌、続けていくぞ」

 

「うん……」

 

 やや大きめのポテトを懸命に()む小さな口。

 震える銀匙に狙いがずれて、こぼれ落ちそうになる唾液混じりのクリームをすする薄いピンクの唇。

 そして、無心で続けてると、

 

「お、おに――とうまひゃん、くひもと……んぐっ……垂れてる、気配が……」

 

「お、おお、おう。すぐに拭く」

 

 ダメだ。直視できない。上条当麻も目隠しとそして耳栓が欲しくなった。

 しかし、こうして躊躇してる間も垂れる。デットゾーンの胸元までとろとろと。

 だが、上条当麻はそれを阻止する。

 

「んんっ……」

 

 危うく喉元まで垂れてきたクリームを何とか拭き取る。

 

「ひゃんっ」

 

 が、慌てて差し出した、その手の甲が、掠るように触れてしまった。

 

「すまん……でも、わざとじゃないでせうよ」

 

「……~~~~~~っ」

 

 いつもならこの程度の接触はなんとでもないのだが、俯くその顔は赤く。

 

 ―――限界が来た。

 

 上条詩歌はやにわに立ち上がると、目に巻いたリボンを毟り取った。急に明るくなって眩むのか、目を細めながら頭を巡らせて、きょとんとしてこちらを見る兄、上条当麻と目が合った。

 

「半分、食べましたね」

 

「お、おう」

 

 まだ数口しか運んでないが、溶けかかっているせいで、スイートポテトソフトの山は崩れて、最初のころから半分もない。

 これを有効と見るかコンダクター兼審判のメイド見習いはこくこくと頷き、お嬢様と修道女はつられたのか、それとも煽情的な姉貴分の顔を見たせいか赤くなっていた。

 して、地獄の沙汰を待っているこちらに対して、上条詩歌は“にっこり”と笑顔だけは確保して言い渡した。

 

「ご苦労様。罰ゲームはもう十分―――完済です」

 

 その発言に誰も異は唱えなかった。

 そして、

 

「では、お兄ちゃん、“お礼に”残りを食べさせてあげます」

 

 パチン、と指を鳴らす。

 すると予め決めてなかったアドリブなのだが、上条当麻の左右をインデックスと美琴が確保した。

 

「お、おいっ!? お前ら!?」

 

「とうまっ! お兄ちゃんなら黙って受け入れるべきかもっ!」

 

「そうねっ! 痛い目には合わないんだし、大人しくしてなさい!」

 

 意訳――良いからしいか(詩歌さん)の気が済むまで黙って生贄になりなさい!

 

「遠慮しないで。優しい可愛い妹が食べさせてあげます。―――直前の記憶が飛ぶほど美味しいデザートを」

 

「んな無理しなくても、さっきのは綺麗さっぱりに忘れるぞ……たぶん。いや! 絶対約束する! だから、解放してくれ!」

 

「解放すれば、忘れる、と」

 

「おうっ!」

 

「それはつまり、解放しなければ、ずっと覚えてる、と?」

 

「別に脅してる訳じゃなくてな! 俺はお前がイヤなら忘れる」

 

 ……………

 少しの沈黙してから―――ぎゅっと抱きしめるように首に両腕を回して、

 

「じゃあ、絶対に忘れないようにしてあげる」

 

 当麻だけに聞こえる内緒話。

 それに意識が硬直した隙に、蜘蛛に捕まった獲物が糸で絡められるよう、当麻の頭が先の詩歌と同じようにリボンが巻かれ、ついでとばかりに犬耳カチューシャがつけられ、離れ際にも囁かれる。

 

「フフフ。たっぷりと“お返し”してあげますね♪」

 

 そして、君臨した女主人は横に手を出せば、そこにメイド見習いから恭しく新しい銀匙を手渡し………

 

「うん。上条詩歌はやっぱり奉仕す(攻め)る人間だなー」

 

「ありがとうございます、舞夏さん。―――はい、当麻さん」

 

「あ、あ、わかった」

 

 ド真ん中のストレートでポテトが放り込まれる。

 

「ほ~ら、おいしいでしょう」

 

「うん、ホントにうまいな」

 

 甘くておいしい。視覚を封じられたせいでそのぶんより味覚が強まってる気がする。

 でも、それを味わう間も与えず、

 

「はい、あ~ん」

 

「あ、まだ口に……」

 

「何ですか?」

 

「えっ……と。あー……」

 

 ぱくっ、と開けた口にツーストライク。

 

「はい、口を開けて」

 

「今、入れたばかりだろ」

 

「うん、開けて」

 

「あい……」

 

 開ける。

 テンポ良くスリーストライクアウト。

 その後も一回分までおかわりあーんが続けられ。

 目の前が真っ暗で何も視えないが、妹の表情はわかる。きっととびっきりの笑顔。

 

「ふふふっ♪」

 

 たぶん……きっと見なくても一生思い描けるような。

 

 

 

つづく

 

 

 

???

 

 

 時間は、どれだけだったろう。

 一瞬と言われても、十年と言われても納得してしまえる。

 あるいは、時間が逆行しているとしても、この場では不思議ではない。

 つまるところ、そういう認識が持てるか――能力の基礎である己だけの現実を作れるかどうか。

 時間も空間も、精神の中では認識の一要素に過ぎない。何時間か経ったと信じられるなら、それだけの時間が流れ、どこそこに移動したと思えるなら、その瞬間に移動は終了する。

 

「不作だったな」

 

 自分の身体と服装を思い描く。

 黒髪に同じく黒の瞳。

 学校の制服。

 ひととおりの『自分(アヴァター)』を形成し、闇色の世界に降り立つ。

 しかし、それには許容範囲ではあるが、ほころびが生じている。

 

「槍のために小枝を折られた世界樹は、それがもとで朽ち果てた。お前の行為は迂闊だった。世界樹たる身体も核もない幽体に刈り取る価値もない。どうやら私は、無駄足を踏んだらしい」

 

 身体の一部である左腕に、欠かせなかったお守りの髪飾り。

 これらは、今、“貸し与えている”と意識している影響だ。

 そして、背中を隠し、腰まで届く長さだった髪も、肩元あたりで切った状態のままだ。

 ■■の手前、時間が経てば元に戻るとは言ったが、この“奪われている”精神体を見るに、返してもらわなければ長髪に伸びることはない。

 でも、支障をきたすわけでもなく、そして、今は“それ以前”の問題だ。

 何せ“自分が何者かさえも忘れてしまっているのだから”。

 

(『ここ』は……)

 

「『ここ』は、この世の果て。世界と言う山札から弾き飛ばされた鬼札(お前)が落ちた、どん底だ」

 

 周囲をゆっくりと見渡す。

 『ここ』は、光に満ちていた。

 『ここ』は、闇に満ちていた。

 光と闇の区別さえつかず、自然はなく、人の手は何も加えられていない、ただ空虚で……

 死後の世界は何もない、というがまさにそれなのかもしれない。

 自分は誰かに“殺されて”、ここにいるのだから。

 ただ、“夢の一幕”で、鳥目で闇には動けなくなるかのように目隠しでうろたえたのに、今の自分は落ちついていた。事態をそのままに受け入れている。そして、記憶――思い出というのがモザイクがかけられているようだが、その“夢”をきっかけに二、三大事なことを思い出し、ついである程度の知識は覚えていることまで確認した。

 それから、ふと疑問に思い背後を向いた。

 背後と言うのがどの方向かも怪しかったが、迷わなかった。

 そこに、人影があった。

 

(あなたは……?)

 

 声をかけた刺激で自分を起こした、自分の声なき声に反応できる金髪碧眼の女。

 その金色の髪は、この中でも月光のように輝くかのように存在している。

 “自分の記憶に欠落があるが”、おそらく彼女は初めて見る人間だ。

 海賊のように右反面を皮の眼帯で隠している特徴的な人相もそうだが、“こんな所までやってこれる”人間は特異だ……と残存する知識が言う。

 

「私からすれば、現世に置いてきて何の力もない、幽霊に過ぎないお前が、ここにいるほうが異常だ。“こんな状態で”自我を保っているところも含めてな。そんな異常だから、トールが取ってきたお前の髪を道標に見に来てやった」

 

(まるでたまたま知人から水族館のチケットをもらって、未発見だった生態不明の深海魚が展示されているから見に来たような物言いですが、わざわざどうもです……それで、あなたは何者でしょうか? 何と呼べば?)

 

「神と呼べよ。そして、名を訊いても無意味だ。どうせお前は何も覚えられないだろうし、自力でここから出ることはできない。哀れだよ。幽体のお前は心が死んでも存在が消えることもできないし、地獄の方が遥かにマシな、この何もない世界の果てに永遠に居続けるんだからな」

 

 宣告する。

 この虚無に、呑まれる。

 時間も距離の概念もない、指標のない世界で、たかが数十年しか生きてこれなかった無力な存在は必ず押し潰される。

 

「もはや、ここで殺してやるのが救いだ。『器』を向こうに置いてきたお前は私には無価値だが、『小枝』を奉じた酬いだ。一度だけ、乞えば、殺してやるぞ」

 

 ゆったりと、優しく。

 そして、どこまでも残酷な笑みと共に

 なのに、

 

(ふふふ)

 

「何だ、もう気が狂ったのか?」

 

(いえ……私は、あまり神を信じない性格だったと思うんですが、あなたが本当に神様なら感謝しないといけないかな、って)

 

 と、また小さく微笑してから、そういう癖があったことを思い出し、それもちゃんと再現できていることに、少しだけ安心する。自我なんてものは、結局小さなことの積み重ねで、誰かに視られることを意識してカタチを整えるものだ。

 

「楽観論が過ぎるな。ここで“起きたから”哀れだと言っている。一度、起きてしまったお前は二度と眠りにつくことができない。認識なんてすぐに崩壊するぞ。だが、お前は自然消滅できない。『元の世界』に帰れないまま、終わりのない終わりにお前は囚われる。まさか祈れば、神が矮小な人間をこの世界の果てから救い出してやるとでも考えてるのか」

 

(全然。きっと自分の名前さえ覚えていない今の私は、神であるあなたには何百何千回やろうと負ける。―――でも、結構。やっぱり私を殺せる人はあなたじゃない)

 

 神は、眼帯で覆われていない片目を細めて、眼光を槍のように鋭くする。

 

(けど、こうして“起こしてくれた”ことは十分感謝してる。おかげで遅刻しないで済みます。『元の世界』から“呼ばれる”からちゃんと起きていないと)

 

「“誰に”だ。お前が状況を半端に理解するだけの知識が残っているだけで、器も“記憶も”ないのはわかっているぞ」

 

(それでも。それがいつ来るかも分からないし、ずっと来ないかもしれない。でもどっちでもいい。ここがどこかも知らず、記憶がなく誰かも分からないまま、迷子の私が待ち続けるのはきっと罰でも果たさないといけない義務で、そして何より、“心に”誓った大切な約束だから)

 

 思い出せないけれど、夢に見た面影だけでも思い浮かべば、自然と笑みが華やぐ。

 

「ははっ。記憶にも残っていないものを信じるとは。一縷の望みとも言えないもののために、最初で最後のチャンスを簡単に捨てさせるとは、最悪の呪いをかけられたな」

 

(最高の祝いです。おかげで待つだけでも、デートで待ち合わせするように楽しくなれるんだから。多分ずっと待てる)

 

 神は、背を向けた。

 

「そうか。どうやら無駄だったのは足だけでなく、無駄口も叩いたようだな」

 

(私にとっては、無駄ではなく貴重なものです。それに、やっぱり一人は寂しい。できれば、『元の世界』から迎えが来るまで付き合ってくれませんか。愚痴とかあったら聞きますよ)

 

「仮にも神のはしくれである私が、人間の幽体ごときを相手すると思っているのか?」

 

(会ったばかりで何となくですが、あなた、結構お喋りが好きなような気がします。私の中にある知識では、神様ってもっと厳粛なイメージがあったと思うんですが……そこは十()十色? でも、実は寂しがりやな神様もアリです)

 

「調子に乗ってるなお前。『槍』があったら地獄をみせてやったところだ」

 

(そうやって反応することは図星……あと、『ここ』って地獄よりも最悪な場所じゃなかったんです?)

 

「……『元の身体』に戻れず、『元の記憶』を識れず、『元の世界』へ帰れず、永劫に虚無で絶望する様を見届けるのなら付き合ってもいいがな」

 

(残念です。その期待には応えられそうにない)

 

「だったら、もうここに用はない。あまりにもくだらなく、真面目に付き合うのも馬鹿馬鹿しいものを、<死者の軍勢(エインヘルヤル)>にストックしても無駄だからな」

 

 その姿は闇に同化するように溶け込み、何も残さず消えた。

 それを見届けた『心』は、『またいつか』と呟き、静かに目を瞑った。

 眠るためではなく。

 見た夢の内容を思い返すために。

 

 

 

つづく


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