とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 幻想曲

英国騒乱編 幻想曲

 

 

ロンドン

 

 

 オオカミとヒツジ。

 そのどちらかを狩らなければならない、例えば食料を得なければならないような状況に陥ったとする。

 リスクで言えば、オオカミの方が大きい。攻撃する意思を向けただけで、反撃される可能性もある。だから、オオカミを狙う方が勇気はいるが、同時に殺すという後ろめたさはないだろう。何しろ相手は牙と爪をもつ強い生き物で、こちらがいくら言い分を並べても構わず、感じる罪悪も薄味だ。

 では、オオカミと対照的に弱い生き物であるヒツジは?

 論じるまでもなく、オオカミを相手するよりも簡単で、だからこそ、誰でも不快な気持になる。初めから対等でないとしても、その理不尽さはあまりにも度が過ぎる。

 妹、『人徳』の第三王女個人の“弱さ”は、その理不尽さに該当する。

 しかし、それは人間の倫理に基づく考えであって、飢えたオオカミがヒツジを前にすれば、噛み殺すのはごく自然だ。

 そして。

 目の前に現れたのは一見、ヒツジのようにみえる。

 それでも、躊躇いを覚える。

 わかっているのだ。

 アレは煮ても焼いても食えない、ヒツジの皮をかぶった得体のしれない怪物だと……

 

「表彰モノですって、当麻さん。これは嫁運び競争でも入賞間違いなしと王女様からのお墨付きですね」

 

「今のは明らかに皮肉だろーが。っつか、詩歌は嫁じゃなくて妹だし、いつまでもこの体勢だと当麻さんは周りの目が痛くなる」

 

「我慢ですよ当麻さん。こうして、仲良しアピールが刺激になれば、妹に異国の男子高校生の見合いを勧めたが、実は自身も母からチャンバラだけでなく女子力も磨いたらどうだと言われてる20代後半のとある独身貴族も花嫁修業も始めて、少しは落ち着いた性格になるのではないのかと」

 

「ストォォップ! 妙にピンポイントな具体例をストップだマイシスター! 物騒なお姫様からの視線がマジで殺気立ってるから! 不敬罪とかでしょっぴかれっから!」

 

「そんなの今更です。それに今は無礼講みたいなものじゃないですか。リア充爆ぜろと言われるくらいに頑張りましょう」

 

「確かに無礼講よりクーデターだから下克上っていう感じだが、リアルに爆ぜられるぞ!? ほら、無線機とか持っちゃってるし」

 

「そのミサイルは潰しましたから大丈夫です。で、ですね、名前は伏せますが、ペンネーム最近メイド服がマイブームの英国淑女さんが、うちの娘たちは問題児ばかりで、一体いつ孫の顔が見れるのだろうかとよくお茶の席でこぼしてて」

 

「お兄ちゃんも現在進行形で超問題児な妹さんに困ってるんですが!?」

 

「こちらもさっきの見合い話のとき、実は頭抱えられ密着してきた大人のお姉さんにどぎまぎしていた男子学生にはとてもよく頭を悩ませられてるんですが? さて? この優しい可愛い妹に抱きつかれるのとどっちが感触が良かったのか前哨戦でぜひ聞いてみたいところです。えいっ!」

 

「、っ!? そんなの訊くんじゃないし、くっつかない! お願いだからそろそろ世間話はやめて降りなさい! 長兄命令だ!」

 

 ……たったいま、こいつらを屠ることにオオカミ(キャーリサ)に罪悪感はない。

 

 

 

 いつも通りの会話に、不覚にも涙がこぼれそうだった。

 バッキンガム宮殿の地区にある自然公園ほどある広場。

 白い残骸物質が散らばり、魔術師、修道女、騎士が幾人も倒れ、膝をつく第三王女、そして、絶対強者として君臨する第二王女。

 そんなただなかに言葉の通りに飛び入りで参加した兄妹。

 妹は羽衣と兄は首巻、朝ヴィリアンが行動を共にしたときにはなかったものをつけている。

 エストニアン・スタイル――背中に手を添えて太股をそれぞれ両肩に乗せる体勢から、土台の愚兄が前かがみの体勢を取ると、跳び箱を相手するよう、脇腹辺りに置いた手を支えに脚を垂直に上げて、くるっ、と賢妹が軽業に回って着地。

 それから再度、首を巡らせて辺りを見回し、

 

「これまた随分と荒れて……今日みたいな絶好のピクニック日和にはうってつけの場所だったんですけどね」

 

 と、振り袖の裾を風になびかせながら、溜息といっしょに言葉をこぼす。

 

「すみません。姉君を止めるのはあなた達の助けが必要なようです」

 

「おう、こっちも遅れて悪かった。途中邪魔がはいっちまってな。あとは俺達に任せろ」

 

 当麻の言動は簡潔で、普段とまるで変わらない。詩歌はヴィリアンに続いて、完全武装の騎士、『清教派』の面々、建宮や五和らの新生天草式に、昏倒する神裂火織を目やって、最後にどこかへ無言で目配せを交わし合った。

 それから、ゆるり、と正面からキャーリサと向き直った。

 

「よーやく顔を出したな、国家元首の挨拶を後回しにして勝手に王の『墓所』を暴くとはいい度胸だし。どーせ、『頭脳』の姉上ともコンタクトを取っているのだろう」

 

 キャーリサもまた、だらり、と慈悲の剣をさげながら兄妹を眺めていた。

 

「まあ、貴様らが来るまでこいつらと遊んでいたから退屈はしなかったが、おかげで二割ほどは消耗したぞ?」

 

 笑みすら浮かべて、キャーリサは稚気に溢れる口ぶりで言った。その姉の意図に、最初ヴィリアンは気がつかなかったが、すぐに気付いた。

 これって、まさか? ―――挑発してる?

 ヴィリアンは咄嗟に周りの反応に視線を向けた。近くにいた騎士も驚いている。それに天草式もだ。<カーテナ=オリジナル>の状態を――戦いで重要になるであろう情報を、自らの口で相手に教えているのだ。

 

「あのとき、貴様は休戦を望んだ。それこそ、妹ひとりを犠牲にすれば本気で<カーテナ>に細工ができたチャンスを捨てるだけでなく、『清教派』の連中に守られなければ斬られていたというのに無防備だった」

 

 ストーンヘンジで、キャーリサは声をかけられるまで詩歌の接近には気づかなかった。

 あのとき、ヴィリアンを処断しようと剣を振り上げた、その隙をつけば、一か八かで昨晩の内に変革を終わらせた可能性があった。

 

「臆病風に吹かれたというわけではないの? ただの道徳からでは、あのような空城の判断は取れない。それどころか、氷の如く冷静で、しかも高度な状況判断能力がなければ、あそこで私に声をかけ、姿までさらして、交渉するという選択肢はなかった」

 

 やけに上機嫌に聞こえる声だが、表情を消したまま。その言葉だけで冷や汗が流れそうになるが、台詞の内容には耳をそばだててしまう。

 

「相手と自身の真価。それを第三者からの視点で見定めた上で、無理をせずに休戦した。事実、あの判断は正しかった。癪だが、見事と言っておこーか」

 

 『軍事』を司る第二王女の評価にも、賢妹はあくまで平静なままだ。『どうもです』と極端的に礼を言うに留めた。

 

「だが、今回は休戦も停戦もなしだ」

 

 ゴッ、と瞬時にキャーリサの身体から、堪え切れず<天使の力>が溢れ出たような気がした。

 

「あの時貴様は、賭けになると見て、私と戦いを避けた。が、見方を変えれば、『清教派』の手を借りてまでも徹底的に“手札を伏せた”とも言える。私が気に喰わなかったのはそれだ。己の手管を一切明かさず、口だけの安全策。これはつまり、主に私と『すぐ戦うことを見越した』からこそではないか? “ちょっと時間を稼げば”、<カーテナ=オリジナル>がどうにかできる。そう、『人徳』の妹を繋ぎに『騎士派』を引き入れた『清教派』との連合勢力で国家元首を倒すのではなくな」

 

 違うか? と隠しきれない興奮が滲ませた声色で問う。聞いているだけのヴィリアンですら、動悸が速まるのを感じた。

 自分が対峙したよりも強大で、かつ細心の注意を払って警戒する気配。

 やっぱり、姉君が、彼女を最も評価している。

 そして―――

 

「第二王女キャーリサ様」

 

 と、ようやく詩歌が返事をし―――

 紗欄(シャラン)、と髪に挟んだ金銀の櫛についてる鈴から雅な音が響き、麗らかな涼風を呼ぶ。燦々とした陽光を浴びて輝く黒髪の頭頂部が見える。

 その衣装も、動きやすさを考えられているも、その者の故郷の古き正装。

 所作も、王室のものとして躾けられたこちらが見ても非の打ちどころのない見事なもの。

 そう、言葉遣いを改めて、畏まり、慇懃に膝をついてこちらに礼をしたのだ。

 

「自分はまだまだ賢者と言うにはほど遠い若輩者。その時その時、最善と思われることを信頼するものの手を借りながら愚直に成すだけです」

 

 だから、無理を承知で言わせてもらいます、と続けて。

 

「どうか剣を鞘にお納めください。貴女の変革、全ての計画は失敗しました。これ以上の争いは無意味です。例え私を討とうと、今度はそれを理由に学園都市が来ます。どちらが勝とうが悪戯に犠牲が増えるだけで、これまでの王政の責任を取ろうとただの自己満足に過ぎません」

 

 『選ばれた者』だけが戦っても、被害は決して少なくはならない。

 フランスでの戦いのように、それだけで天変地異を起こせる怪物同士がぶつかれば、街が、下手をすれば国、大陸が壊滅する。

 

「ですが、その力を合わせられれば。女王といった特権階級の人間だけでなく、この国に生きる全ての人間が同じ方向に向けられたら、この難局を想像し得なかった最善以上に解決できるのでは」

 

 この戦いで誰ひとりとして主人公で無いものなどいない。

 それぞれが違う信念をもっていて、同じ志で足並みをそろえるのは難しい。

 それでも。

 そんな奇蹟が起こせるのなら、これから立ち向かう問題など瑣事に過ぎないだろうと。

 

「二度も言わせるな」

 

 ふるり、と第二王女の周囲で砂礫が舞った。

 その魔力がこもった発言に殺意がこもっていることに、詩歌も気がついている。

 当然だ。

 ここまで第三王女が説得できなかったのであれば、所詮は外様の詩歌にできるはずがない。

 四面楚歌の覇王は、最期まで降参することはなかった。

 英国において、<カーテナ=オリジナル>をもった国家元首とはこの大陸の文明そのものだ。

 天に凶星を、地に災厄を呼び込むのではないかという圧倒的な威圧感。『叛逆の』王女は、ひとりでも欧州を制圧できる力があるのだ。

 それを前にしても、考えてしまうのだ。

 それがとんでもない綺麗事だとわかっていても、その道を諦めたくないのだ。

 ああ、と傍観していたヴィリアンは何とも言えない表情で、思う。

 自分に一度裏切られてまで、その台詞が吐けるのなら、彼女の信念()は、どうしようもないくらいに真っ直ぐなのだと。

 

「休戦はない。詩歌、私にはもう鞘はない。貴様を討ち、次は学園都市も堕せばいい」

 

 そして、姉君もまたどうしようもなく真っ直ぐであると。

 だから、交ることのない平行線であったならとにかく、ぶつかれば必ずただでは済まない。このままだと確実にそうなる。だが、二人とも引く気はない。

 キャーリサへ、詩歌は更に訊いた。

 

「王女も、女王は真っ当な幸せを考えてはならない―――と思っているのですか?」

 

「当然だ」

 

 キャーリサがうなずいた。

 

「王に、そんな概念は必要ない。そんな思考を費やし精神を劣化させる時間は、許されない」

 

 何の迷いもなく、『叛逆の』王女は言う。

 未練も、悲哀もなく、満腔の確信を以て、キャーリサは告げる。

 

「何の力もない国民に武器を持たせて戦場に送り出したところで無駄な犠牲が増えるだけ。自分だけは安全な王座の上で耽溺するばかりで何も救えない王など王ではないし」

 

 しかし、

 

「―――あなたは何も見えていない」

 

 詩歌は切り捨てる。

 

「何?」

 

「どうして王の誇りを持つことと人間としての生き方を両立させてはいけない」

 

 上条詩歌は、ゆっくりと詰め寄る。

 だが、その痩身から発せれる気魄とは別の理由で、キャーリサは目を細めた。

 それは、聞き捨てらない台詞だった。

 

「王であることを誇りに思うのはいい。だけど、それと人間であるのを切り捨てることは一致しない。王の責務を果たすだけで、民を侮る、結局、国に縛られてるあなたの変革では、何も変わらない」

 

「……っ!」

 

 言葉が途切れる。

 それは怒りのためであったか。

 自分の生き方を真っ向から否定されたがゆえの、王としての激怒であったか。

 ……もしくは、期待外れと裏切られたからか。

 どちらにせよこの水掛け論、というか、この危険性が鎮火するのは考えられないので、水ではなく油掛け論みたいなやり取りは、引火すれば爆発しそう。良くここまで会話が続いてるということは、ちょっとした火花も起こさない、静かな論争だからか。

 冷静と冷酷、ニュアンスは違うが、両者恐ろしく冷たい。

 どちらにせよ、どちらの意思も中途半端には済まさない。

 そして。

 その眼光の沸点に達したかと思えば、ほんの数秒でそれはすぐ嘲りの嘲笑に変わる。

 

「はっ、いつまでも夢想を囀るな。お前も一勢力の代表()だろーが? 飾りとはいえ学生()に認められ、この世界に踏み込んだものだろーよ。王の尺度は人間(ひと)にははかれないし。ならば、民より上に立つ孤高であらねばならん」

 

 静かに、だが身体が打ち震える。

 変革が始まってから、ずっと裡では情動は噴き上がっている。

 その激情の前には、天地が震え、人は逆らえず地に伏し天を仰ぐだろう―――しかし、上条詩歌は微塵も震えず、

 

「だったらその座を降りればいい。―――ええ。だいたいこんなの理屈をこねたって仕方がない」

 

 胸に手を添え、

 

「一緒にいたいから、一緒にやるんです」

 

 きっぱりと、少女は言い切ったのだ。

 

「迷惑をかけようとも、私が皆といたいから、共に戦う。ただそれだけ。それ以上は何もない。私が代表と言うのなら、その程度のわがままは許せ」

 

 不遜に気高く、けれども、けして強い語気ではない。

 むしろ小さな、誰に聞かせるのではない、秘めた胸の裡に留めるような声音であった。

 なのに。

 一陣の風が、吹いたようだった。

 この場を吹き抜ける―――異能とは本質的に違う、けれど幻想のような風。それは聴く人の心を吹き抜け、束の間呼吸を止めさせる。

 そして、

 

「……そうか……わかった」

 

 キャーリサの瞳は、酷く冷たい色を帯びた。しかし比喩的な表現ではなく、その相貌は怪しく、もっと言えば嗜虐的な輝きを見せる。

 この状況に適したものに当て嵌めれば―――火をつけた。

 

「お前は母上と同じ間違いをする。ならば、ここで元凶の目を摘んでやろーか」

 

 瞳の内側で、凍てつく敵意が渦を巻き、どす黒い飢えの如き感情が煮えたぎった。

 

「ならば、交剣知愛。ただしこちらが交えるのは剣ではなく拳ですが、私のやり方を全力でやらせてもらいます」

 

 賢妹の肩にかけられた羽衣の形の待機状態は揺らめく。

 これ以上は、言葉は無理と見て、詩歌は心の中で構えをとる。

 その背中から弾けるように、手の平ほどの大きさの羽が何十も飛びだした。羽は、透明ながらも熱のない光を放ち同時に透過せず反射する不可思議な性質をしていて、綿雲のようにふうわりと空を飛びまわる。空中を空気の動きに反応して流れるそれは、お伽噺の妖精みたいにも見えた。

 

「ああ、こちらも暴君のやり方で応えさせてもらうの。軸である貴様を斬ってしまえば、英国は軍事による侵略しか道を選べなることになるし」

 

「―――そんなの、俺の前でさせるわけがねーだろ」

 

 油掛け論の引火寸前で、一歩前に出たのは、愚兄であった。

 妹を守るべく、首巻の竜尾が、見えない何かがぶつかり合い軋む空間に翻った。

 相変わらず、怖い物知らず。それが無知によるものか、はたまた何も考えていないの無想からか。

 ただ、庇うその立ち姿は格好悪いところは見せられないと意識しているのか、凛とした背筋と手足は、この愚かな意思の強さを一層際立たせている。

 真っ直ぐに相手を射抜く瞳。

 逸材かどうかは別にして、初対面時の馬鹿さのギャップも加え、この変わり種は素直に讃えてもいい好漢だと思ったこともあった。

 ただ、ひとつ、第二王女に訂正することがあるのなら。

 この少年が、腹黒い学生代表の大切な持ち者だと思っていたが、意外にも主従は逆、主導権を握ってるのはきちんと兄の方でありごく普通の兄妹関係だったのか、と珍しくも素直に守られている少女を見て思う。

 だったら、きちんと妹のたずなを締めておけと思わんでもない。第二王女も妹が国家転覆を目論んでいたことに気づけていなかったのだから棚上げではあるので口にはしないが。

 と、そんな国家元首の前に出た愚兄の勇気を褒めるのではなく、蛮勇を貶す方向で、キャーリサはまるっきりふざけた口調で、

 

「おー、怖い。その<幻想殺し(イマジンブレイカー)>とかいう右手で<カーテナ>に対抗しようという考えだろーけど、その専売特許がなかったら足手纏いだろーに。死にたくなかったら、とっととここを離れるんだな」

 

「むっ」

 

 だが、当麻の側で賢妹が怒ったように

 

「<幻想殺し(イマジンブレイカー)>がなかったら、当麻さんがダメみたいな言い方ですね」

 

 詩歌の華奢な背中は誇り高く、黒髪とリボンがただ鮮やかだった。

 が、先程までの涼しげさを覚えさせていた表情がカチンと崩れ、擬音で『ぷんすか』とでてくるくらいお怒りである。

 第二王女(こちら)が先に火をつけたが、しょうもないところで燃えるとは、冷静(クレバー)なようでその沸点は低いのか、今更ながら攻める方向を間違ったな、と自分と相手に対し、顔にはださないが微妙に呆れる。

 別に最初にキレた方が負けだというルールはないが、大人げないのでまずコイツは口で潰すと密かに決めていたキャーリサの無意識な深慮が仇となった結果である。

 その意外さで、気を抜かれた、どちらも意図せずに生まれた“間”に、賢妹に言われたのだ。

 

「エジンバラからロンドンまで嫁運び競争しましたが、実際はその逆でお姫様だった当麻さんは、実際問題足を引っ張りますが、詩歌さんと“一緒に組んだ場合で負けたことは一度もありません”」

 

「足手纏いは認めるのかよ、手を焼かせる妹」

 

 ずーん、と事実だが、それを口にされるとちょっと落ち込む愚兄。

 いつものやりとりと彼本人はスルーしたが、この選定剣をもった国家元首に“無敵”をかたった―――

 

「なるほど、そーかそーか」

 

 英国に君臨する絶対者としての風格。

 慈悲なき暴君を自負していた『叛逆の』王女から、感情の起こりが消えていく。

 

「―――遠慮はいらぬか」

 

 ―――と。

 切先のない平らな先端は下に。ピタリと選定剣が静止し―――地面に突き刺す。

 

 

 開戦。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ドッ!! と衝撃波を炸裂させ、第二王女を中心に半径500m級のドーム状の爆撃の嵐が吹き荒れる。

 

 

(これは―――!)

 

 <幻想殺し>に対する応用技。全次元切断に使われる<天使の力>を別方式で拡散放出したのだ。発生する破壊力は低次元に干渉するほどの高出力には届かないが、三次元広範囲に殲滅する。そして、莫大かつ連続的に放たれる力は、『バラバラなものは一度に消すことができない』右手には相性が悪い。

 地面がめくり上がり、津波のように巨大な壁がこちらへ一瞬で到達。

 大天使クラスの戦闘は、神速の勝負だ。

 反射的に当麻は右手を前に突き出した。その刹那が、<幻想殺し>を前に出して爆破に備えるか、それとも<幻想投影>の機動力に賭けるのかの選択の時だった。

 

「当麻さん、飛びます!」

 

 詩歌の鋭い声が当麻の行動を絞り込ませる。

 当麻は左手を、詩歌の華奢な体に腕を回している。賢妹も、体重差でつんのめりながら、愚兄の体にぎゅっとしがみついた。

 

「もっと強く! 私のことを離さないで!」

 

「さっそく足を引っ張らせてもらうぞ!」

 

 連なる爆破の重圧に盾にしている右手が、ミシミシギシギシと骨から嫌な音が―――脳に伝わる前に飛んでいた。

 最初の一瞬だけだが、当麻の左腕に凄まじい負荷がかかり、詩歌の細い肩が軋んだ。

 跳躍から、飛翔。

 音速を超えられないものには、この戦場では“遅い”。

 よって、潰れぬよう結界を張りながら、空力加速を利用する。

 スポーツカーの形状にも用いられるよう、物体が移動した際の空気運動を意図的に動かすことで、場合により揚力が得られる。

 内からの力だけで飛ぶのではなく、環境に力を加え外に力が働くよう空気のタマゴを詩歌は当麻も包むように、その右手が迂闊に触れないよう大きめに展開している。

 

『他にもやり方はありますが、これが楽な方法です。ただ、右手で防御しようとすると結界(タマゴ)も割れますから、移動と防御の切り替えが重要です』

 

 サアアァァ―――! と砂塵が舞い上がり、風が、砂が、前方の見えない空気の層から左右に分かれ、二人の後ろへと流れていく。そして誰にも気づかれない。

 

 ―――妖精の歩みは人には見えない。

 

 『良い妖精(シーリーコート)』、『悪い妖精(アンシーリーコート)』、あるいは『赤帽子(レッドキャップ)』に『青ズボン(ブルーバーチェス)』、『家事手伝い(ブラウニー)』など様々な種類があるのに、けして目撃されない。ただ、一部の『神隠し』や『取り替え児(チェンジリング)』などと“妖精の仕業”として民間に伝承される現象だけが、稀に発生する。

 なので、通り道も妖精卿も人の世界のすぐ隣合わせにあっても、人は気付かない。

 

(詩歌め、結界を張ったな)

 

 結界とは、ひとつの閉じられた世界を意味するもの。様々な種類はあるが基本的に、閉じたい場所を、どのような手段であれ外界から遮断した状況ならば、それは結界だ。

 そして、真に優れた結界とは、外界に何ら異変を感じさせず、同時に外からの干渉されない隔たりである。

 ……ただ。

 普通、結界と言うのは動かないものを守るもので、動くことのない境界だ。

 <歩く教会>という着れる境界もあるが、それは外界の脅威に立ち入り禁止ができたとしても、『立ち入り禁止』だとデカデカと書かれた看板も背負っている。如何に防御面が優れていても、動けばどうあってもそれに合わせて結界も外界に微細とはいえ干渉してしまうため『外部』に異常性を知らせてしまう、相手からすれば位置探査の術式を働かせれば見つけやすい本末転倒と言わざるをえない。

 この上条詩歌が“タマゴ”と呼ぶものは、その二律相反の制限を無視したような、見えていても気配を覚えさせない、高速で移動しても自然に溶け込む、“結んだ世界”ごと移動する真に優れた以上の“化物染みた”代物だった。

 愚兄には、そんな居候が感動する大発明な技術でも、たとえその類の知識があろうとそれが賢妹の手によるものならば驚きようの無い代物だ。猫に小判を与えても意味がないのとは別物ではあるが。詩歌ができるといえばできる、ので、できても不思議ではない……という芸達者な妹への慣れ、またある種の信頼だ。

 それよりも空を飛べない当麻には、詩歌が命綱だ。結界の出来に驚嘆する余裕はない。

 当麻はただ一心に妹の体にしがみつく。布地越しに熱い彼女の体温が伝わってきた。

 爆破の範囲500mを飛び越えるよう二人を包むタマゴごとロンドン上空高く舞い上がった。

 

 バタタッバタバタバタタタタタタタタッ!! とヘリのロータのように連続的に風を切りながら、足下からそれはきた。

 

 100mを超す<カーテナ=オリジナル>の残骸物質が扇の形状をとり、巨大な回転刃となって迫る。

 それも複数が、密集しているせいか、回転刃同士が勝手に衝突。互いを弾き返そうとする回転刃の群れはランダムであるがゆえに、予測しにくい軌道で空中を制圧。

 

「国家元首を見下ろすとは不敬だぞ」

 

 先程はお手玉のように『清教派』を剣一つで相手したが、ならばこれは複数のボールを片足でリフティングしているというべきか。

 上昇して回避しようとする詩歌達を狙い、さらに回転刃を次々と上空に撃ち放ち、力業で押すことで玉突き事故のように連鎖的に突き上げてくる。

 

「ひとつならば<方違え>で逸らせましたが」

 

 音を置き去りにできなければ、“遅い”。

 <天使長>の力で持ち上げようが、超重量の残骸物質では速度は出ない。

 上昇をやめる。

 途端、まるで超新星爆発の如く、輝きを迸らせて急降下し、その針の穴のような隙間に通り抜けざま―――光が、走る。

 

「こうなれば安全な場所に跳ね返すのではなく、安全に無害化しないといけません」

 

 物理的な切断性能の無い、光線が回転刃を透過し―――重量をゼロにする。

 “世界樹をも宙に浮かした”<木蛇の翼(ヴィゾーヴニル)>の摸倣による『質量の増減』。

 重力にひかれて落ちるはずだった回転刃は、浮遊しているかのようにその場で停滞。たとえ落ちてきたとしてもシャボン玉のように建物を潰すことはないだろう。

 また上空を制圧し覆う巨大な物体は、自在に飛び回る兄妹には、キャーリサの視界から逃れる良い隠れ蓑(ブラインド)になる。

 つまり回転刃を撃てば撃つほど隠れやすくなる。

 

(チッ、ヤツの『隠行(ステルス)』は見逃せば感知する(捜す)のは厄介だし)

 

 キャーリサは<カーテナ=オリジナル>を無駄撃ちに振るうのをやめる。

 その間に、重量消すついでと残骸物質に触れた――性質を投影分析した賢妹は、『叛逆の』王女から隠れながら、当麻に聴きとれる速度の早口で説明する。

 

「法則が掴めたか?」

 

「ええ、おおよそ。<カーテナ=オリジナル>の全次元切断の範囲は最大で100mあたり。ですが、これは魔術が生み出した結果の物理現象。いわば、魔術と言う炎から燃え尽きた灰のようなもの。だから、物体そのものはこちらで重量を軽減できましたが、<幻想殺し>で防ぐことはできませんし、魔力と剣圧の複合斬撃は法王級の障壁では障子紙より容易く破られます」

 

「つまり、あれは右手じゃ打ち消せねーってことか?」

 

「存在の消去は無理ですが、出現の防止は可能です。切断してから三次元に残骸物質が表出するのは1,25秒ほどの間に『斬撃』そのものを打ち消せば、残骸物質は出てきません」

 

「承知。コンマ以下のタイミングを見極めろってトコか」

 

「大変なのはわかってますが、守りに意識を割き過ぎた生半可な攻めでは全て弾かれます」

 

 <聖人>が決死の覚悟で展開しようとした防護結界すら一振りでかき消した。

 シスター部隊の複合福音復唱<偽聖歌隊>――人間の限界点に達した大魔術でも、天使クラスの怪物を傷つけられなかった。

 詩歌が回避しながら遠距離攻撃しても通じないだろう。

 果たして、如何なる方法で、この国家元首を攻略するか―――?

 

「で、どうすんだ……?」

 

 仲間を適材適所に振り分けるのは指揮者の役目だ。

 そもそも愚兄は、未だに自身と敵との差を把握できていない。彼の物差しでは太陽までの距離を測るには短過ぎるのだ。だから、何をすればいいか、などと考えることは間違っているし、キャーリサの実力を把握し、上条当麻を誰よりも理解する賢妹の指示を全力でこなすことが“今の愚兄にできる最善”と判断を託した。

 思考放棄に近いが、それでも、当麻は自分が無能であることを受け入れた末の、最大の信頼に他ならない。

 なので、それに向けられるのと同程度の信頼で詩歌は応える。

 

「何にせよ。まずは場を整えないといけませんが……」

 

 しかし、口から出たのは、策よりも情が勝ったものだった。

 

「キャーリサさんにとって、<カーテナ=オリジナル>は使いたくないもの。だってそれは『軍事』を良く知る彼女だから、黒を白だと間違いでさえも通してしまう力の恐ろしさを誰よりもわかっている。それを振るうんです。きっと嫌でしょうね。それに関わる全てを、家族さえも自分の手で壊さないと気が済まないくらいに」

 

 囁く詩歌自身、苦さを噛み殺していることに当麻は声だけでわかる。

 それに難しい理屈は脇に置いて、愚兄はこれまでの所感を述べる。

 

「ま、暴君なんだろーけど、可哀相なヤツだよ。だって、実の妹を殺さなくちゃなんねーんだろ。いくら当麻さんでもその不幸だけは勘弁願いたいでせうね」

 

 結局、何に対して怒っているのかはそれなのだろう。

 実行する時点で悲しい、考えるのも馬鹿馬鹿しい。それでもやらなくてはいけないのだ、というのが上条には分からない。分かりたくもない。どんだけ理屈が通ろうと、それは暴論だと斬る。

 どれほどの怪物が相手だろうと、この戦いは負けられないのだ。もっと言えば、殴らなければ気が済まない。

 だから、無茶をさせることを許可する方へ心情が傾いたのか。

 

「私達は、普通のケンカで間に合って良かったです」

 

「同感だ。こんな状況だけど、ささやかな幸せを噛み締めてるよ」

 

 時間が止まったような浮遊感の中、かたく抱き合った姿勢のまま二人で目を合わせ、コクリと頷き。

 

 ―――ゴオッ

 

 と大気の唸る音。

 最短距離に、全次元切断が飛来した。

 回転刃ではなく、直刃。

 広範囲の制圧ではなく、狙撃(スナイプ)するよう一点に鋭い。

 それは音を超えた速度であったため風切りの音は、常人には刃よりも遅れて届く。音をより速く把握できたのは、兄妹の前兆感知能力あっても困難だったろう。

 気づけたのは、きっと強運。

 悪運と言い換えても良いだろう。

 幸運とはけして言えない。

 本当に幸運ならば、そもそもこんな事態に巻き込まれないはずなのだから。

 直刃の突き抜けた勢いに重量が消えてゆっくりと落下していた残骸物質をボウリングのピンのように蹴散らす。

 

(やったか?)

 

 空の青に白が乱射して、一瞬隙間に捉えた上条兄妹の姿が消え―――そして、キャーリサへ無数の穴のあいたコイン――<六連銭>が降り注ぎ、地上も爆風と爆炎が吹き荒れ、視界は白に包まれる。

 

「おやおや。よーやく反撃してきたと思ったら、この程度の爆竹が奇襲になったと思ったの? <カーテナ=オリジナル>を手にした国家元首を過小評価しているぞ」

 

 だが、ミサイルですら通じない国家元首に連続爆裂程度の攻撃は効かない。ただただ無為に爆発を繰り返すのみであったが、それも予測の範囲内。

 

「よしッ!」

 

 爆炎の中から右手を前に突き出した当麻と木剣を手にした詩歌が飛び出す。<六連銭>のほとんどは、接近するための目晦ましのためだけに起動させたもの。

 左側面から仕掛ける詩歌はしなう木剣を、ほとんど独楽のような体勢で連続的に叩きつける。

 当麻も、挟み打ちするよう反対の右側面から加わる。

 まるで<着用電算(ウェラブルコンピューター)>装着時のように身体能力を増幅し加速する動きに、<梅花空木>と最硬の御守を巻いた右拳は幻想だけでなく鋼鉄をも撃ち抜く。

 言葉で申し合わせもアイコンタクトもしないのに、左右からの完璧なコンビネーションであった。これまでの上条兄妹の時間が結実した、両面攻撃は残骸物質の盾を形成するための1.25秒の余裕も与えない。

 しかし、

 

「―――甘いぞウサギ。『軍事』には当然、接近戦の術も入ってる」

 

 赤いドレスの裾をはためかせ、賢妹の木剣の一刀を前に、『叛逆の』王女は一切の躊躇いなく踏み込んだ。

 攻撃圏の内側に悠々と入り込み、剣撃の軌道に合わせて、強化された木剣を両断する。

 剣術の速さも正確さも、純粋な腕力と、プラスされた高度な技倆。

 傭兵や騎将と比べて経験値は敵わないとしても、その才覚は劣らない。

 第二王女の動作は、指の一本の動きまで自らの肉体の使用法に精通した『訓練された戦士』の動き。

 <天使長>の力だけで、『清教派』の攻撃を捌いたのではないのだ。

 

「―――間抜けな豚。もうこれで切断だし」

 

 キャーリサは、ささやくように愚兄に宣告する。

 次いで、慈悲の剣を、その右手の届かない左側面から斜めに当麻に振り下ろされた。

 戦況を見ていた誰もが、『詩歌が受ける』と考えただろう。キャーリサもそのつもりだった。だからこそ、連携の切れ目――弱点である足手纏い(当麻)を狙ったのだ。

 しかし、詩歌はちらっとも見もせず、動かない。庇おうとしていない。

 第二王女の剣さばきはとっくにトップスピード。今更、どうしようもない。

 全次元切断しなくともこの力ならば、その勢いだけで完全武装の騎士が相手だろうと一撃で下す。防護の<身固め>がされていようとも。

 

「<天使長>を殺せる人間など、どこにもいない」

 

 

 <カーテナ=オリジナル>の袈裟切りをあろうことか、当麻は左手で弾いた。より厳密には側面を叩いた。

 

 

 

 この腕は代行だ。

 自分には才能がなく、知識もない。

 だが、車がどのように動かされているのかという仕組みが知らなくても、キーを回してエンジンに火をつけるのなら子供でもできるのと同じ。

 しかもそれがほぼ無制限の燃料を蓄え、ナビどころか自動で目的地まで運転してくれるのならば、免許など必要ないだろう。

 ただし、景色を置いてけぼりにする高速での乗車体験は、衝撃的だ。

 レールの見えないジェットコースターというべきだろうか。

 

「ふぅ―――」

 

 何であれ、この半人前以下の自分を助ける切り札は<天使長>の処刑を弾いた。

 その、現実味のない未知の初体験と言う事実を、渇き切った喉で嚥下する。

 硬くて苦い、ついでに重く、ドロドロとした飲み応えは努めれば、どうにか嚥下できた。

 

「その全次元切断(ヤバい切れ味)は剣のエッジの部分だけのようだな。だったら、側面辺りは普通の鋼と変わらない」

 

 いたって冷静に。

 心拍数はレートを幾分オーバーしていて、呼吸も千々に乱れているが、頭は普段に増して冷静の筈。

 ああ、これが固唾を呑むって奴かと頭で考えてすらいる。

 何にせよ、目の前の王女様よりは吃驚芸の驚きは小さいはずだ。

 そして、その動揺が生んだ隙を、上条詩歌ならば見逃さないだろう。

 半身となった木剣を捨て、少女が地を蹴る。地表を滑るような、滑らかな疾走。物理的よりも精神的な衝撃で、剣が泳いで無防備なキャーリサへ体当たりするように飛びかかる。

 しかし、流石に放心とまではいかない。『軍事』の精神構造は無意識でも甘えがない。

 

「チッ」

 

 情景反射で、加速した蹴撃を身を捻りながら躱すと同時に、その動きを活かして<カーテナ=オリジナル>を横回転するよう振り回し、残骸物質の盾を―――

 

 シッパァァン!! と鞭打ちのような音共に、斬撃の軌跡が空間をくり抜いた白い円は呆気なく消失する。

 

 臆せず前進し、<幻想投影>の分析通りに1.25秒後に右手を伸ばして、<幻想殺し>が出現を打ち消したのだ。

 整数で表現される全次元を切断する一撃は読み違えれば右腕一本どころか全身をまとめて両断されかねないというのに、迷いなく。

 

(コイツは、妹のことになると命知らずだな!)

 

 国家元首が男子学生に邪魔されたという神風みたいなトラブル。

 それが二度吹いた、と最初は思ったがコレはわずかな偶然も含まない当然の帰結であるとすぐに気付く。

 偶然の幸運はもちろん、けして本能の感性などではない。弱肉強食を理とする野生の獣なら、勝てない相手にはまず挑まない。勝ち目がないではなく、本気で逃げても生存できないのに、戦いへ命を賭すのは、人間だけがかかえられる矛盾。

 だから、上条当麻はこの勝負に、勝機のある条件に専心したのだ。

 キャーリサは状況を立て直そうと、続けて伸ばされる右手から、大きく後ろへ跳び下がった。

 しかし、兄妹の反応は全力の回避に追随する。

 

(それに……この速度について来ている。まさか詩歌()と同等の怪物が、2人?)

 

 いや、そう上手くいくはずがない。

 <身固め>を応用する強化付与(エンチャント)、他者の身体能力や動体視力といった五感を向上させることはできるかもしれない。

 だが。

 仮にも<天使長>と同格の常識外の怪物という住む世界が、流れる時間が違う存在と、しかも、恩恵さえも悉く打ち消してしまう右手という制限がありながら魔術の素人同然の少年を、強化付与だけで打ち合えることができる―――それは、ありえない。

 遠距離攻撃で、100から70に攻撃力が削られるように。

 100使えたモノが、自分以外の相手に、身体全体ではなく部分部分に、と純粋に強化する以上に神経を使う作業で、必ず100以下、半分の50いけば十分だと言えるもので、不可能だ。神裂火織のような非常識に恵まれた身体能力を持つ超人ならば、強化すればキャーリサと渡り合えるだろうが、身体能力は常識の域を出ない、才能の無い人間に与えられた手段である魔術的素養も一般人以下の無能には無理だ。

 強化付与だけでなく、また別の何かを仕込んでいるのか。

 

(だが、この程度)

 

 こちらに決定打を与えるのは、<幻想殺し>が<カーテナ=オリジナル>に触れてしまうこと。

 迫る二人を遮る。剣の先端を地面に向けたまま、右から左へ窓のカーテンを閉じるような挙動。まるで防災シャッターのように残骸物質の壁が出現し、上条兄妹の進行を阻む。

 さらに、

 

「ふっ」

 

 吐息からの、一蹴。

 ゴッ!! と言う爆音が轟き、上条兄妹へ壁が迫る。

 鋼鉄よりも遥かに重たい残骸物質は、人間の体など軽く押し潰す。

 

 そこへ真横から一閃。

 

「これは……ッ!」

 

 ガキン! と<カーテナ>に弾かれたのは、最初に両断した上条詩歌の木剣の半身。

 あの木剣は、<幻想宝剣(レーヴァンティン・マーカー)>。所有者が賢ければ賢いほどその太刀筋の鋭さは増し、“わざわざ手に持たなくとも自律行動する”。

 奇襲した剣を迎撃したのに、一瞬、手間取り、二人は逃げていた。

 いや、上条当麻は災難を逃れた。

 押し潰された地点、残骸物質の真上に上条詩歌の上半身が突きでていた―――ように、賢妹の映像が倒壊した壁を透けていた。

 

「偽者か!」

 

 “有るものを無い”と見せる『隠行』とは逆で、“無いものを有る”と見せる『陽動』。

 もちろん分身は幻影である以上、“いない”のだから、実体はないのだが、『上条当麻がイメージする上条詩歌』は外見から見分けることはほぼ不可能なほどに精巧で、気の動きや性質までもが疑似的に再現されている。

 

(バレた! イメージするのはできるが、操作すんのは難しい)

 

 見破られた、ことよりも、映像とはいえ妹の姿をしたものを下敷きにしてしまった方に愚兄は苦虫を噛み締める。

 高度な『陽動』とはいえ、実体はなく、誤魔化すために代わりに物理的に打ち合うものとして<幻想宝剣>を付けさせたが、それに不自然さを感じさせなかっただけでも当麻の思考は詩歌と合っている。

 だが、これも一発芸のような子供騙しだ。

 本物の傑物は、ああいうのだと。

 

「でも、予測した場所に追い込んだぞ」

 

 瞬間。キャーリサの目の前に光が瞬き、足元の土の中から破裂音。

 それは投下時に、複数の<六連銭>の爆撃をばら撒いた際、一枚だけ爆発しないコインを撃ち込んでいたのだ。これは『不発』ではなく―――『時限式』

 鈍い爆発と共に、『叛逆の』王女の足元の地面が抉れて、一瞬、ほんのわずかにバランスを崩す。ダメージなど与えられず、それでもこのわずかなバランスに動きが囚われ、

 

(来るか!)

 

 それでもなお、これを好機に上条当麻が飛び出せば、キャーリサは次元ごと愚兄を断ち切っただろう。思うように動けなかったのは、愚兄の意外性もあったが、なにより賢妹の動きを警戒したからだ。それが幻想()だと分かれば、キャーリサに一対一で負ける道理はない。

 だから、これはおびき寄せるために敢えて見せた隙で―――だから、“空へつり上げられた”上条当麻を見逃してしまった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 上条詩歌とキャーリサはどちらも常識外の怪物だが、タイプは違う。

 キャーリサの魔術行使が時代劇の居合抜きならば、詩歌の魔術行使は奇術師の指芸だ。観衆の意識の隙、空白の死角をついて、鮮やかに大胆に、何より気づかれることなく、目的を終えている。

 どちらも怖いが、やはり上条当麻は妹の方が恐ろしい。

 

「設置、完了。

 一層から五層まで直結。

 魔力提供、充填済み。

 回路循環及び射角射程オールグリーン。

 術式安定もギリギリセーフ」

 

 マフラーを釣り糸にフィッシュ! と。

 宙に浮き雲となっていた残骸物質の上の安全圏まで引っ張り上げられて、空を見ればそこに青い天蓋を、複数の魔法陣が覆い尽くしている。

 『陽動』の分身ではなく、『隠行』していた本物の賢妹が仕掛けていたもの。

 星座の代わりに描いたような図形が隙間なく組み合わさった、立体。積層構造の砲台魔法陣。機械のような駆動音と共に、自転する。

 目を凝らすまでもなく、右手でも容易くは打ち消せない、濃密に渦を成して力が充填されている

 

「ターゲットロック。五層解放限定収束。全砲門、連結起動」

 

 加速度的に唸りを高らかに上げていく炉心。

 気息を整えながら、内側の内側の更に内側を炉心と連動させて回す。

 魔術とも能力ともつかない架空の炎に神経を焼かれながら、詩歌はそれを世界へ開き始めている。

 その術者の身体から迸る幻炎の種強くは、常識外に桁違い。たった一発で砲身が焼き崩れるほどの怖いくらいに上昇する架空の熱量。

 底無しの感覚に思わず身震いする。

 それでも力を締めるたずなは緩めない。

 砲身が焼き切れて暴発するような愚は犯さない。

 そうだ。この少女は力以上に技。力の扱いは神懸かっている。

 そして、何より安全に気を配る。

 

「上手くやったみたいだな」

 

「おかげさまで。そちらこそ。危ない御勤めご苦労様です」

 

 <六連銭>の煙幕も消えれば、広場に人がいない。『幽世(かくりよ)』だ。

 上条当麻が稼いだ時間に、すでに、負傷者等を戦場の外へと送り、結界も設置したのだろう。

 上条詩歌の幻想を見せた『陽動』を牽制にすることでキャーリサの集中を逸らしたように、上条当麻の右手という選定剣をも打ち砕く、否が応にも意識せざる天敵が、場を整えるまで意識を誘導してくれた。

 

 ―――こっちが本命か!

 

 つくづくこちらの読み通りにいかない。この知略と連携、惚れ惚れする手際だが、見惚れている余裕はキャーリサにはない。

 

 

「神戮烈火(劣化)一掃―――」

 

 

 <大天使>の力ではなく、技の摸倣。

 キャーリサの頭上から嵐を極限にまで収縮したかのような力の渦が襲う。

 <カーテナ>が生み出す残骸物質と激突し、わずかな抵抗を押し切って貫いた。あまりの圧力に、残骸物質が後方に向かって爆発。地面が抉り取られ、その土砂が宙を飛ぶ。

 まさに一蹴だったが―――肝心のキャーリサは、無傷、だった。

 

「天使の知識か。技術面には<カーテナ>ではどうしよーもないが、残念。力不足―――」

 

 と、破壊の嵐の中で、見えたその姿。

 遥か頭上の青空を望むよう賢妹は腕を伸ばして。

 それが振り下ろされた時、到着前に事前に打ち上げていた“もうひとつ”が堕ちてきた。

 

 

「―――パターン<太陽爆発に比類する鉄槌(フレアスカート・バンカークラスター)>!」

 

 

 隕石が、落ちてきたようだった。

 最初に加減されたものよりも巨大で、さらに高度から加速して落ちて。

 空に展開されていた積重魔法陣を通過すると、大気が轟然と振動し、太陽の如き輝きに包まれ、超音速の鉄槌と化して、嵐に身動きが封じられている国家元首へ―――

 

 音が、消えた。

 

 一般物理学的にも、度の超えた衝撃になると、爆音は聞こえない。

 あまりの運動エネルギーのために空気の振動は打ち消し合い、爆心地では逆に無音状態となるものだった。

 即ち、第二王女のいる地点がそう。

 太陽神の嚇怒に触れたかのように天上から業火の巨星が堕つ。

 残骸物質の障壁も、圧倒的な大加速が生み出した音すら破壊する運動エネルギーが眩しい光を伴いつつ、砕かれた

 だが、太陽鉄槌による破壊はそれだけで終わらない。この破壊力の本質は、鎚撃の直後に到達する灼熱の衝撃波だ。

 隕石直撃にも匹敵する衝撃が、『叛逆の』王女を圧し、外部へ漏らさない結界として展開した濃密な嵐の圧縮効果で極一点に絞り込まれて破壊力は内部でより高まる。収束し、嵐の上――天上へと送り火柱を帰す。

 この内部は天使をも灼き尽くす煉獄地獄か。

 

「なんつーか……やりすぎじゃね?」

 

 桁違いの火力を目の当たりにした当麻は、冷や汗を掻きながら驚嘆の声を漏らし、同情する。

 そして。

 それが消えたあと、残ったのは巨大なクレーター。バッキンガム宮殿の広場はぽっかりと半球状に抉れている。

 しかも、これほどの大破壊がすぐ近くで起きたにもかかわらず、広場に隣接していた倫敦の建物も無事。これは今の攻撃が極めて強い指向性を持っていたことを物語る。ただ強力なだけでなく、この制御技術。そして、そこまで展開を運んだ指揮。

 いずれも賞賛すべきものばかりなのだが、一般人的な当麻の視点からするとかなり容赦ない。

 だが―――その評価も、すぐに改める。

 

「いいえ、やっぱり、この程度では<天使長>には甘かったようです」

 

 策が嵌っても楽観視できない詩歌の瞳にはわずかな焦りの色が窺える。

 どれほどの力を以てしても。

 どれほどの知を巡らせても。

 どれほどの技を広げてても。

 それでも世界には―――全てをひっくり返す、絶対者が君臨する。

 

 

「―――だから、国家元首の上に立つなと言っておろーが」

 

 

 刹那、白い剣閃が隔離された結界全てを覆い尽くした。それはエネルギーの奔流。<天使の力(テレズマ)>の嵐。白い白い極光の暴力。世界全てを粉砕して跪かせる、絶対的な破壊力だ。結界は次元ごと断たれ、隔絶されたはずの現実世界の景色が覗く。

 

「マジかよ。ここまでやってこの程度って、<カーテナ>をもった国家元首ってのは、あんなレベルの怪物だっていうのか……!」

 

 破壊音はない。鉄槌すら音は消滅していたのに、それより遥かに強力なこの剣の前に、いかな音が鳴れると言うのか。

 

「日焼けサロンは遠慮してほしーものだな。肌に黒いシミができたら目立つではないか」

 

 圧倒的な絶望の白が天から厄災がかき消えると、そこに赤いドレスの端々を焦げさせ、ところどころに傷がある―――しかし、依然として二本脚で立つ『叛逆の』王女の姿が。

 

 

「『軍事』のお勉強にイーコトを教えてやる。切り札と言うのは後出しした方が勝つものだし」

 

 

 “それ”は現れた。

 大型旅客機にも匹敵する全長80m、要所要所が銀色の金属片で補強された二等辺三角形のハングライダーのような飛空物体。

 

「これは、私が欧州を侵略するために用意した空中要塞(ふね)だ」

 

 複数の轟音――合計20機の主人のカラーと同じ赤の要塞がロンドン上空を引き裂く。

 

「攻城戦用移動要塞<グリフォン=スカイ>。無人式の霊装であるがゆえに、他の移動要塞のよーな柔軟・応用性がないのが難ではあるが、ひとつの頭脳の下に動く連携戦闘行動は我が国の要塞の中でも随一だし。愚鈍だが従順。実に『軍事』の私好みのレイアウトだな。まあ、地上戦を想定しているものだから、“今のままでは”、お前らのいる上空までは飛べないが」

 

 <カーテナ=オリジナル>を掲げ、

 

「―――手動判断能力を実行。『大英博物館』とのラインを接続、<黄金鹿号(ゴールデンハインド)>を検索し全情報をダウンロード。<グラストンベリ>の英国領域拡大機能獲得及び、大気圏突入可能レベルの空中戦に対応せよ」

 

 <グリフォン=スカイ>、その全てが<全英大陸>の燃料と『大英博物館』の情報が供給され、真紅に、黄金が混ざった朱金となる。

 1000tクラス以上で100隻以上の主軸、船員6万5000以上の大艦隊、『太陽の沈まぬ帝国』の象徴でもあったスペインの無敵艦隊。

 その当時世界最強を破ったのが、人類史上初世界一周の偉業を生きて成し得て、その航海により世界に冠たる大英帝国へと生まれ変わらせた<黄金鹿号>が率いた女王艦隊。

 それが英国最新兵器を依り代に、歴史が乗り移って―――このロンドンに甦った。

 

「さあ、これで太陽をも撃ち落とす新たなる女王艦隊になるし」

 

 ひとっ跳びで200m以上の高さで停滞する、宇宙まで突き抜ける<グリフォン=スカイ>の上にキャーリサは着地。

 武装と地形の有利性から戦力は相手よりも上回り、そして、これで空中の制空権も獲得したことで、キャーリサの見立てで五倍強。負ける道理はない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「っ―――再起動開始!」

 

 女王艦隊の完成を、黙って見ていたはずがない。

 今の一発でオーバーヒートした複重立体魔法陣の砲台に力が集結している。

 照準は、20もの<グリフォン=スカイ>。

 今の<黄金鹿号>のインストールは途中で未完成だ、と詩歌は直感した。まだ極限に達していない。

 そう、だからこそ。

 ―――まずい!

 接続部位から負荷を身体にかけながら、発動駆動を加速させる。

 すでに陣図形成済みとはいえ、動力充填に構造修正を急速に仕上げるのだから軋みがのしかかるが、それでも今は無理をするしかない。

 なぜならば。

 

 あの女王艦隊が完成すれば、どうにか互角に持ち込んでいた、こちらの手札合わせても戦力が上回ってしまう。

 

 生命力の総合量こそ同じと仮定しても、地形と武装の強度で不利で、方向性が違う。

 <筆記具>も<調色板>も万能ではあるが、戦闘に特化したものではなく、それを創意工夫と組み合わせることで上位の兵器と打ち合ってきたのだ。

 そして<筆記具>は使い捨てであるがゆえに、大量生産可能なために材料が安く、単発では今の上条詩歌の全力を込めれば、破裂してしまう性能だ。用意していたとっておきも<神撲騎団>と<黄金を抱く竜>との戦闘で使ってしまっている。

 即ち、元が国の総力を挙げた最新兵器に『軍事』の性格が十全に発揮された場合、何をやっても圧し負けてしまう……!

 

「だから、その前に!」

 

 次弾装填完了。

 展開している複合五層に命令を働かせる。

 体の負担を無視して、裡の流転を加速させる。

 

「当麻さん! 『制限』を!」

 

「おう!」

 

 暴走させぬよう愚兄の手に『制限』をかけ、賢妹は『操作』に専心する。

 砲台法陣と接続している詩歌の身体は、許容量を遥かに超えた魔力に悲鳴を上げる。

 いや、歓喜に打ち震える。

 全力でできるという状況は、己の限界を引き上げてくれる成長推進剤。

 体内時間の膨張。

 自我の融解。

 肉体からの解放。

 つまり、臨死体験。

 死を実感することでより生を。

 このギリギリの境界で現実を直視し、世界を侵食する幻想の線引を拡張する。

 体内の神経系から迸り、体外表面を焼く電荷染みた火花、

 それでも、魔砲の引き金を絞る。

 光の速度で構成式を強化する。

 

 バチバチッ、と激しく粒子が弾ける。

 

 濃縮される嵐が雷雲を取り込んだ。

 砲台改良した巨大な複重立体魔法陣が完成した。

 黒髪が汗で頬に張りつき、ひどく不快だ。呼吸もいつしか浅くなり、後ろに兄がいることで匂いも気にしてしまう。

 しかし―――結界を張るまで余裕はない。

 

「詩歌、来るぞ!」

 

 当麻が警告を発する。詩歌は歯を食いしばり―――決断する。

 

「仰角修正! 上げます!」

 

 わずかに数度、砲台が上向き、斜め上に放たれた雷嵐の大河が、衝突寸前で持ち上がり、魔術都市の空を消し飛ばす。

 消滅した空気が突風を呼ぶ。暴風が吹き荒れ、大気の摩擦が磁気嵐を促し、七色に揺らめくオーロラを青空に写した。

 その途方もない光量は、遠く海上にいた魔女らにも観測できたほどだ。

 

「だが、威力があろうと、コースは見え見えだし」

 

 あれは、倫敦街に直撃する地点は狙わない。

 

 突風が収まった時、そこは台風通過後のような光景が残った。

 瓦礫や英字の新聞などといった大量のゴミが散乱している。掠めてもいないが建物の屋根は、焼きごてを当てたように溶けている。

 射線上の空気が消え、真空が生じる。吹き込む突風が街の建物の窓を破り、強烈なダウンバーストが、低空で滑空していた<グリフォン=スカイ>を圧し揺らした。

 それだけだ。

 直撃でもしない限り、嵐夜の航海を突き抜け、文明を開拓した伝説の女王艦隊は落とせない。

 

「そして、それがお前の欠点だ」

 

 乱気流による制御不能、なんて半端もいいとこ。この場合、街ごと跡形もなく滅するが、正しい。

 このように。

 

 ギュオ!! と表面を融解させた屋根が吹き飛んだ。

 

 これが、王者の進軍。

 開拓の最先端で、数多の神秘、あらゆる伝統を侵略する無双兵器。

 凶悪に強化された<グリフォン=スカイ>は船全体が灼熱を発しながら超音速で飛行―――数時間もあればこのロンドンを火の海に変えられるだけの殲滅制圧能力を持つ。

 

 女王艦隊が太陽を落としたその戦法は、『火船』。火薬を乗せた船ごとぶつかり、爆破させる捨て身。

 

怪物(お前)用にちゃんとリミッターは外してあるぞ」

 

 その蜃気楼に歪む影がギュルリと螺旋に巻いて形状変化―――女王艦隊の巨大な影が『槍』と化す。

 

「死んでその甘さを後悔しろ」

 

 頭は働いていても、フィードバックで詩歌の身体はすぐに回避行動に移れない。

 

 

「テメェも俺がいることを忘れんな!」

 

 

 スイッチだ、と詩歌に告げると当麻は前に飛んだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『トールさんだけにあげちゃったら、当麻さんが嫉妬しちゃうでしょ?』

 

『当麻さんがお怒りだったのはそうじゃなくてな、詩歌さんが髪を切らされた時点でアウトなんだよ』

 

『とにかく、髪は『契約』に使えます。詩歌さんがやるのは初めてですが、一度やり方は見てますので大丈夫。髪フェチな当麻さんを使い魔(サーヴァント)にするのにピッタリでしょ?』

 

『じゃねーよ! 一体どこから髪フェチになってんだよ! っつか、当麻さんを使い魔ってどういうことだっ!?』

 

『帰ったら執事服でも着せて学校に連れてきたいところですが、使い魔と言うのはあくまで形式上のことで、それもただラインだけを繋ぐ(仮)(カッコカリ)みたいな契約です。今のままだと遠くに離れるとやり難いんですよ。当麻さんの右手のこともありますし、ちゃんとした生命線のパスを作っておこうかと。命令できる強制力もありませんし、むしろ、詩歌さんが色々と搾取されちゃう側です。なので、ちゃんと当麻さんは詩歌さんの兄であることに変わりありません』

 

『そうか。でもよ、だいたい分かったが、詩歌は大丈夫なのか? 俺の分も負担しちまうんだろ?』

 

『正直、私ひとりでは使い切れないほど元気は有り余ってますので。これまでも奨学金とかと同じように、当麻さんが妹に養われるヒモのランクがアップするだけですよ』

 

『最後のたとえで兄の尊厳的に契約を拒否したくなっちゃったんですけど!』

 

 戯言みたいな気遣いで、あの時スッパリと切った髪の一、二割を錠剤の形に調合された薬を上条当麻は飲んでいた。

 科学でもDNAマップ、魔術でも髪の毛と言うのは情報と力の塊だ。

 昔から人の、特に女性の髪は儀式に捧げられる霊媒として扱われてきた。

 色は艶があるほど、また長いほど霊媒としては上質。そして特異な体質の持ち主ならば極上。

 髪の毛はその本人自身と同一視しやすく、長い年月をかけて育てられる。原始的で強力な縁をもった生命線だ。

 四葉の御守に生命力を込めただけのもの程度とは、純度も歴史も比べ物にならない。

 故に、扱いに注意を払う必要があるが、その使い道は多岐にわたる。

 年月と想念を蓄えた髪は分身で、それを基に契約を結べば、犬や猫でも使い魔として神秘、異能が扱えるようになるだろうし、血縁が近しいのなら、反発もなく受け入れられる。

 無能でも、預けられたものを起動させる程度に行使するには十分。

 

『<カーテナ=オリジナル>の莫大な<天使の力>を<全英大陸>から『騎士派』に供給するみたいなものですよ』

 

 左肩から現れた煌炎が螺旋状に腕を取り巻いて伸び、極光の紋様が同じ動きで後追い。

 炎の化粧と光の紋様が交互に絡みあって、幻想的な美しさを見せる『銀』と化す。

 そして、掌から溢れる光は太陽にも劣らぬ眩しさを放ち、世界を三度巡る。

 『栄光の腕(ハンド・オブ・グローリー)』という『他者の腕を借りる』属性を追加させて、駆動鎧のマインドサポートと同じく外付けで上条詩歌の<他者からの幻想>を借りたのは―――

 

『<銀光の腕(クラウ=ソラス)>。四宝のひとつの『炎光の剣』。光の魔剣の原型であり、総集です』

 

 この光の剣に対する形容の曰く付きの多いもので、

 『一度も負けたことがない』

 『一振りで敵を倒し何者にも破れぬ』

 『抜けば光を放ち相手を幻惑する』

 『誰も逃れられず、狙いは外れない』

 『剣ではなく光り輝く銀の義手だった』

 と大まかに上げたものでも五つある。

 これは『名もなき主神の剣』の伝承を基盤に、現代までにいくつもの神話・民話・妖精物語が『クラウ=ソラス』に習合し、『光の剣』という属性が総合された『偶像』が作り上げられたからだ。

 『狼人』や『狂戦士』、『屍鬼』と言った伝承を取り込んでいった<吸血鬼>と同じだ。

 

『詩歌さんが当麻さんに半端なものを渡しはしませんが、正直言って、この傑作はピーキーです。私の許可なしに、というより私の助けがなかったら誰も使えません』

 

 刹那に世界を三度巡る<銀光の腕>の機能は、光と視覚に特化した五感を操作することで奇蹟を現実化させる超魔術でその難易度は三段階。

 一段階は、光を放つ目つぶし。

 二段階は、光で眩惑する『陽動』。

 三段階は、光が“時の流れ”を切り放す。

 

『時間停止とはちょっと違いますが、限定された結界内での『時間の断層』を延長するんです』

 

 世界は『感覚(視覚つまり光に触れた感覚)されるものの総体』であり、干渉した主観時間は、共有されるべき時間を侵食する。つまり、死に瀕して刹那の走馬灯で全人生を見るように時間を引き延ばすように時間断層を伸ばす。

 <カーテナ=オリジナル>の『空間の断絶』に匹敵する奇蹟で、一気にかけ離れて極めて高度な三段階目の『時間の断層』は、調整する範囲を極めて限定することで制御可能にさせており、(マフラー)の接触部位が最小規模の結界として、巻いている首元、左胸、左腕――頭と心臓、動かせる左腕だけである。

 

『私でも手が余る。詩歌さんとは対極に、呪いの影響を受けない当麻さんでないとこの『玉手箱』みたいなものは持たせられません』

 

 神の祝福の恩恵を得るも、同時に呪いも受け易い<幻想投影>。

 神の祝福の恩恵を殺すも、同時に呪いを拒絶する<幻想殺し>。

 絶対の安定性を誇る『基準点』である右手を持つ上条当麻だから、世界の流れを見失わない。

 予め描かれた陣図と翼の接触範囲を伸ばせば、全身を止まった時の中で動かせるかもしれないが、一本分の翼をフルに使って限定範囲を干渉できるもので負担が大き過ぎてやれないし、右手に打ち消される。

 たとえ、やれたとしても、やらない。それ以上は右手の修正力を、超えてしまう恐れがある。加速ができても、自分の元の時間帯がどれほどの速さだったかを感覚が忘れてしまえば、時間を操作できてしまうのだから自分の感覚を絶対に信頼をするのは難しく、どの速度が正しい世界に共通されたものか分からず、元の生活に戻れず精神が崩壊する。

 お伽噺にもあるとおり、蓬莱に属する常世の竜宮に住まう神仙の乙姫に“一年を数百年に圧縮して時が止められた”浦島太郎が『玉手箱』からその『時』を返された末路を辿る。

 だが、賢妹の安全を見切る感覚は正しい。

 時間の反動も右手がもつ修正能力の有効らしく、心身に悪影響はない。左手の腱に探りを入れようと力を込めても違和感はない。

 動く、十全に動く。

 

「おおおおおおおぉぉぉっ!!!」

 

 左腕の軌跡で大気が光を屈曲している。

 現象の正体は、今、視界、思考、左腕の周囲で時間が数百倍に引き延ばされているとしても、当麻が感じる外気温は加速前と同じだ。これが『銀の腕』の有効範囲から出て時間拡張が解かれると、時間は一気に速くなる。このとき時間の境界面で、熱交換の収支が幻想に現実が引き摺られて変化している。つまり<銀光の腕>の効果範囲が通過――一度呑み込まれたあとで吐き出された大気が、時間差の摩擦で凄まじい高温になっている。

 故に、止められた時間の中で唯一意識的に動かせるよう神経とは別のラインを通した愚兄の左手が通る空間は燃えて煌めく。

 

『いいですか? これからキャーリサさんとの戦いは、動く世界の時間が違います。こちらで強化しただけではまずついていけません。ですが、この幻想ばかりに頼るのはやめてください。極めて極めて細心の注意を払っていますが、暴走して<幻想殺し>の修正力を超えたら危険です。元より当麻さんは奇蹟が振るえないことを重々承知して、止めるまで。止めて動かすのは、自分の身を守る時だけにしてください』

 

 ―――今が、その時だ。

 オーバーモーションで繰り出した力任せの拳撃を、<グリフォン=スカイ>の女王艦隊へぶち込んだ。

 普段の愚兄ならできない所業。だが、今は投げられたボールをバットで撃つよりも容易い。

 生じたのは大気を震わす重低音―――先頭の火船が、キャーリサが乗る空船へと撃ち返されたという現実だ。

 

「貴様、その腕に何か仕込んでるな―――!」

 

 戻ってきた<グリフォン=スカイ>はビリヤードのように他の火船を弾いて弾いて、キャーリサは<カーテナ=オリジナル>で打ち上げるよう、右斜めに斬り上げて振るった。

 全次元切断から生じる残骸物質の三日月が主に迫る火船を弾く。

 右手の修正力で意識する時間が戻る。ほんの刹那だろうけど、何よりも速く動いた左腕は、熱い。まるでモーターを急回転させた後のように終わっても熱を持っている。連発は無理で冷却時間を挟まないといけないだろう。そして、光と炎が極一点に硬化されていたとはいえ、先の剣一本とは違い、<天使長>の進軍を弾き返した左拳の指の間から赤黒い血が噴き出す。安全に配慮されていたのは『時間の断層』の反動だ。強化されているとはいえ物理的衝撃は二の次なのである。

 しかし上条当麻の顔色に変化はなく。

 愚兄はただ、目の前の己の拳よりも、己の拳が守った結果だけを確かめようと振り返り、

 

「無事か。詩歌……?」

 

「スイッチです。この大馬鹿さん!」

 

 顔を見る前に勝手に飛び出した背中がしっかりと抱き抱えられる。

 

「やっぱりお兄ちゃんに持たせたらこうなった! 猫に小判に豚に真珠。そして愚兄に魔剣! 守ってくれてありがとです。でもやる前に全次元切断を防ぐ術がこちらにもひとつあるって教えたでしょう!」

 

 小言に愚兄は苦笑する。

 最初は目眩で意識を失った。けれど、それも一瞬で、時間差の目眩も左手の熱痛も、強い感情でかき消された。

 愚兄は愚兄なりに冷静に、やれることに努めただけ。

 ただ、どんなに冷静になろうとしたところで、その根底にあったものは、自分本位の感情だったのだ。

 

「あとで反省文を書かせて没収するか、三段階目は本当に命の危険の時以外は厳重に封印させてもらいます」

 

 でも、自分のそれよりお前の方が大事なんだよ―――と反論を言わせぬかのように、舌を出させぬほど急加速で、当麻が稼いだ千金の刹那に詩歌は飛翔する。

 

 

 

 

 一気に危険区域から距離をとり、キャーリサの感知網にも引っかからないよう『隠行』の結界も張った。

 だが、何もない空で見つかるのはすぐだろう。

 太陽を落とした女王艦隊は計20機。でたらめに蹂躙飛行させるだけで青空は赤に制圧される。

 

「説教は後にして、悪い話と良い話、どちらを先に聴きたいですか?」

 

「悪い方から頼む」

 

 避難中、耳元でバカバカバカバカバカバカバカ……と詰られたが馬耳東風と気にしなかったことはないが、この妹が感情的に叱られるのは(背中の密着具合と囁きの甘い吐息が気になったのもあるが)こそばゆさが勝り、わりと平気そうに相槌を打つ。

 賢妹はそんな反省に堪えてない態度の愚兄に不満げながらも。

 

「やはり、<天使長>と真っ向からやり合うのは危険です。さっきのあれでも倒せませんでしたし、ほら、詩歌さんは世間一般的にか弱い乙女ですし」

 

「ここ最近のお嬢様標準規格は、戦士(ソルジャー)並だったのか? 当麻さんはびっくり」

 

「落としますよ♪ 意識と身体の二重の意味で♪」

 

「ごめんなさい! お兄ちゃんが悪かった! だから落さないで!」

 

 きゅっと首が絞められ、夏休みに何度も絞め落されたことを思い出す。

 生命線で結んだ賢妹からの供給下で力、<他者からの幻想>で技をサポートしてもらうことで身体強化と『銀の腕』の『陽動』ができるようになっているとはいえ、空を飛ぶというのは頭でわかっても感覚的におぼつかず、二本足で移動するしかないのだ。

 あのヒモなしバンジー、パラシュートなしダイビングは味わいたくない。

 使い魔契約の命令強制はないが、そんな特権は素より必要がなかったのかもしれない。

 

「とにかく、キャーリサさんと比べれば、こっちは紙装甲なんですよ。向こうは一撃必殺の大技をバンバン連発できますし、今も侵略兵器をブンブンふり回してます。こんなのにまともに付き合ったら、大怪獣クラスに街が壊滅しますね」

 

 周りを気にしなかったら火力で負けないのか、と愚兄は思ったが訊かないことにする。

 最初の小手調べみたいに大暴れしたら、弁償額はいかほどになるだろうかと今更ながら思う。クーデターが終わり、街に帰っても借金地獄の生活を送るのはなるべく避けたい。

 <天使長>と真っ向からぶつかるのを避けるのは当麻も賛成だ。

 

「んで、良い方は?」

 

「知ってますか? 魔術世界では、火織さんでも空を飛ばないんですよ」

 

 

 

「では、作戦ラビットです」

 

 脱兎(ダッと)

 『全英博物館』からの情報のダウンロードが完了し女王艦隊と化した<グリフォン=スカイ>。

 単なる物体ではなく、<全英大陸>で支配する以上、先のような『重量を軽減する』真似ができないほど呪的防護(セキュリティ)が敷かれている。

 それを欧州侵略前の試運転で動かすキャーリサの視界に入ったと同時、その女王より上に飛ぶ無礼な兄妹は空を蹴り跳ぶように逃げた。

 

「知ってるか? その辺の『ソーホー』という呼び名の地名は、王が小動物のハントを興じる時の狩り場だったの」

 

「狡兎三窟。賢い兎は、身を守る術と逃げ道を複数用意しているものです。こうやって一度見つかってあげたのも、このまま隠れてると街を壊すぞとか脅してきそうですし、鬼さんこちらここまでおいでーって誘ってあげてるんです。それが楽しめるかは別ですが」

 

「くくっ! まだ減らず口を楽しめると言うのか。そうだったな、獅子は兎を狩るときも全力でやるそーだし」

 

 距離は離れているのに、声質か、それとも互いの五感は強化されてるからか、軽口みたいな会話が成立して、その掛け合いに第二王女はにんまりと赤い唇を歪める。

 それは一見、可憐な笑みで。

 花も手折らない―――と見せかけて、

 

「それが最期で良かったな? 常人には中々できない遺言だったの」

 

 猛毒を秘めた笑みだった。

 端から降参降伏を呼び掛ける気はさらさらない。

 

「蹂躙せよ」

 

 容赦なく躊躇なく、断固として轟く『叛逆の』王女の号令。そして―――

 

 ゴオォッッ!!!

 

 応じて爆発する女王の空母艦隊。かつて太陽を落とした栄光を再帰させる軍勢の出港が、今度は海ではなく空を震撼させる。

 完成された今、<全英大陸>で内蔵されてる<天使の力>は『騎士派』とは比べ物にならない。

 単純な、量の比較ではない。

 それは次元の問題だ。先の完全武装の騎士達でもセーブされたものを、この<グリフォン=スカイ>は一身に受けている。『天使軍』ではなく、その『天使軍』をも蹴散らす『天使長の兵器』―――それほどの差がある。

 もはや個人に向けていい戦力ではない。戦闘機が相手でも掃討と呼ぶほどの手応えも与えないであろう。

 まして、それが人ならば、芥子粒が挽き臼に潰される様ですら、もう少し見応えがあっただろう。

 赤金に輝く<グリフォン=スカイ>の鏃型陣形が、逃げる兄妹の距離を一気に潰して駆け抜ける。

 

「速い!? もうこっちまで来―――」

 

 そのまま太陽まで貫かんばかりの超音速の突撃の後には、2人が存在した形跡など微塵もなく、ただ―――何もなかった。

 

 

「ここまで本気だしてくれるのは光栄ですが、無敵艦隊を破ったのは女王艦隊が大艦隊より小回りが上回ったからです」

 

 

 先頭の一機に、指揮棒のような杖を持った詩歌と横に当麻は張りついていた。

 瞬間的な『陽動』で空間認識を狂わせた。より上位の霊装ほど、短時間で複雑な操作と判断をする。故に、一瞬の歪みが大きな差異を生むのだ。

 そして、ふたりは手を取り合ったまま、<グリフォン=スカイ>の上を走る。

 いいや、跳んだ。

 昔話で、因幡のウサギが水の上を渡ろうとワニの頭を踏み台にしたように。

 ―――が、

 

「『火船』だけで仕留められるほど、お前を過小評価してないし」

 

 それに狩りは自分の手でやらねばな、と。

 同じように<グリフォン=スカイ>を足場に<カーテナ>をもったキャーリサが迫る。

 他の女王艦隊は、逃げられぬように周囲に展開。超音速でロンドン上空を巡る空中牢獄。

 

「さあ、このまま天国まで突っ切るのもいーが、これで兎が逃げられる穴がないの。豚共々存分に狩りを楽しませてくれよ!」

 

「残念ですが、キャーリサさんが面白がれる事はしません」

 

 ザギン!! と次元切断で生み出した残骸物質に<カーテナ=オリジナル>の先端を突き刺す。

 まるでフォークに突き刺された巨大なジャガイモのような残骸物質が、一千万規模に膨張し、

 

 ゴバッ!! という轟音が炸裂。

 

 残骸物質にさらに<天使の力>が限界以上に注ぎ込まれて破裂したのだ。

 そして破裂した箇所から力が放出され、ジェット風船のように無軌道に檻の中を飛び回る。

 視界が白一色に蹂躙するほど巨大な残骸砲弾。

 それらは全て魔術という炎から生まれた灰であり、現界しているものは<幻想殺し>では防ぐことも逸らすこともできはしない……!

 前に出るのは必然……

 

「<幻想宿木(ミストルティン・マーカー)>――形態変化<七天七刀>」

 

 タイミングを計り、呼吸を合わせ、

 

「ふっ―――!!!」

 

 気勢と共に手元の杖枝が霞み――<幻想宿木>が主の意思の通りに応え、少女自身の倍はあろうかという鋭い大太刀と化した。踏み込みの速度と回転を足して、二人分の身体をぶつけるようにして詩歌は振り抜き―――戻した。

 元より刃のない神武不殺の木刀に、女教皇の本物の対神格斬撃の威力は真似できないが、彼女にはそれを補って余りある技術とセンスがある。

 砲弾と化した残骸物質は地盤を沈下させるほどの重量が込められている。真正面から受け止めたとしても、受け止めた木刀ごと潰されるのは目に見えている。

 故に力押しを避け、残骸砲弾の軌跡を先読みし、大太刀をその軌道上に配置する。瞬間的に予測したタイミングに合わせ、凶弾が直撃すると同時に手首を巧みに返して滑らせ、楕円形を描くように残骸物質をいなしたのだ。

 刹那(コンマ)の誤差すら許されない、柔の極みに至れた武芸があって初めて可能な神域の技だ。

 だが、そんな絶技に看取れるような相手ではない。

 

「ここが敵陣であることを忘れたか?」

 

 直後、真横からうねりを上げる影の奔流――向きが修正された<グリフォン=スカイ>の『馬上槍(ランス)』が今度は『巨大矢(バリスタ)』となって本体と分離し放たれて兄妹を襲った。

 それもひとつではなく、十数もの『巨大矢』が一点を串刺しにする。

 

「まさか、余所見するわけねーだろ」

 

 しかしそれが直撃する寸前で、賢妹の一刀と呼吸を合わせて足りない体重分を共同作業した当麻が右手で影を打ち消し場所を確保し、左手で詩歌の手を引いてギリギリのところでそれを躱していた。

 相手が幻想であるなら、こちらが出番だ。

 

「毎日不意打ちのように不幸に見舞われてんだ。逃げるだけなら王女様とも付き合える」

「毎日顔合わせて見なくても意思疎通できますから、逃げの専守防衛には自信ありです」

 

 女王艦隊の影の馬上槍の追撃援護と弾数無制限の残骸物質の砲弾掃射。

 

(甘いな。お前らの手品が二人同時に使えないのは見抜いてるし!)

 

 先の砲弾射撃で確信した。

 上条当麻に向かっていったのに、『火船』のように左手で弾かず、上条詩歌が対処した。

 そもそも、何故、上条当麻は飛べないのか。

 身体強化ができるのなら、飛空浮遊も可能なはずだ。わざわざ足手纏いを抱えて動く必要はないのだ。どちらも<聖人>クラスに動けるのなら二面攻撃を仕掛けるのがセオリーだ。なのにそれをしない。

 キャーリサの読みは正しく、<他者からの幻想>と<自分だけの現実>は両立できない。

 駒場利徳のように『色』を植え付けたのではなく、駆動鎧のマインドサポートのように“演算補助している限り”、上条当麻は知恵と技術、そして、力が扱えるのだ。

 予め貯蓄しておいた<四葉十字>を用いて魔術における儀式といった下準備はできるが、分割思考しても力を割いた半端が<天使長>に通じるはずもない。

 だから、同時に攻撃を受ければ、どちらかは避けられない。

 そこに人が通れる隙間はなく、空間ごと制圧する。

 

 だが、その弱点は前から承知しており、克服したからここにいる。

 

 ガガ ガガ ガ ガガガ ガガガ!

  ガ ガ ガガ ガガ ガガ ガ!

 ガガガ ガ ガ ガ ガガ ガガ!

  ガガガ ガガガ ガ ガ ガ !

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!

 

 実際、上条当麻と上条詩歌であれば防げなかったし躱せなかったはずだろう。

 だが、事実、上条兄妹は防いでるし躱している。

 今、上条詩歌の知覚を敷いた結界(タマゴ)の制空圏は極限まで拡大し、この檻の情報を俯瞰的に把握することが可能になっている。

 そして、全体の流れを把握しているということは、『叛逆の』王女や『女王の』艦隊だけでなく、上条当麻の流れもわかるということ。

 そして、上条当麻にも前兆を予知する反応速度の優れた本能的な勘が、迫るタイミングを直前に察知する。

 そして、全体の動きを予感しているということは、『叛逆の』王女や『女王の』艦隊だけでなく、上条詩歌の動きもわかるということ。

 互いが互いの動きと流れに同調して防御する、干渉して回避することが可能であるという。

 無論、それはあくまで理屈であって両者の第六感と反射を以てしてもかなりギリギリになるし、二人で動くための共通の手段(ツール)が必要だ。

 何より、愚兄が賢妹を、賢妹が愚兄を心から信じてくれなければとてもできるものではない。

 しかし、独擅場。いや、双擅場。

 そこに流れる調べは、伝統的な形式にこだわらず自由に楽想を奏でる幻想曲(ファンタジア)

 愚兄が右手を盾に賢妹が左手に剣を。そして、手を離さず、踊るように。くるくるくる、と比翼連理は重力の鎖すら外したように縦横無尽に檻の中を駆け巡る。

 時に直撃した、と思ってもそれは『陽動』で、こちらの感知網に溶け込むように『隠行』で誤魔化している。

 

「ふざけるな、個と個の繋がりは切り裂くための弱点に過ぎん」

 

 女王艦隊の『影』が二人の逃げ場を限定し、そこへ第二王女が飛びこみ、<カーテナ=オリジナル>を大きく振り回す。この女王艦隊の檻は兄妹の動きを制限したが、同時にキャーリサの全次元をも封じていた。

 しかし、今、<グリフォン=スカイ>をも断ってしまっても構わず、全力の100mクラスの巨大な残骸物質を生み出し、この幻想曲を潰す。

 そう思い、『叛逆の』王女は全力で<カーテナ=オリジナル>を身体ごと振り抜く。

 

「残念ですが、私達の縁は―――」

「―――神様でも殺せ(斬れ)ねーよ」

 

 詩歌が<天使長>の突撃する一振りを大太刀の<幻想宿木>に守護展開していた二つの<幻想宝剣>の三つが『*』に重ね受けていなし、逸らされた軌道は<幻想殺し>が合わせ、続けざまに出現するはずだった残骸物質の出現が打ち消された。

 右手を動かすことはできないが、伸ばすだけでも『時間の断層』が拡張された状況認識力と判断力があれば、その瞬間(1.25秒)のタイミングを間違えない。

 

「なっ」

 

 すっぽぬけるように手応えが逃げ、身体が泳ぐ。

 シッパァァァン!! という鞭を打つような音と共に裂かれた次元は元に戻る。

 無防備―――もし、この状態に左手を繋いだ詩歌がサポートし、当麻が右手を伸ばせば、<カーテナ=オリジナル>が―――

 

 

「―――なーんてなぁ!」

 

 

 ドッ!! という衝撃波が空中牢獄を支配した―――いや、檻自体が爆発した。

 剣の暴走を覚悟しての『女王の』艦隊の『影』に<天使の力>を過剰供給。

 そう、最初に仕掛けた対<幻想殺し>の連続爆発と同じ。

 それをこちらを攻撃する瞬間に発動させた。

 その爆発はキャーリサをも巻き込むが、<天使長>の加護があれば余裕で耐えられる。

 向こうは、こちらと比べれば紙も同然の防御で、同時には守れない。

 元より『火船』は捨て身の策だったのだ。

 

 

 そして、こちらは最初からずっと逃げの一手だった。

 

 

「チッ。臆病なヤツらめ」

 

 キャーリサは最初は勝ちの笑みを浮かべたが、すぐに表情を消した。

 一瞬で夜のように鳥籠を覆い尽くした『影』が元に戻って、牢に二人がいなかった。

 あの過剰供給爆破は、全次元切断と比べれば攻撃力は落ち、どちらも守れないとはいえ、どちらも残らなかったということはない。

 二人同時に力が使えないというのは、一人は使えるということだ。

 なのに、どちらもいない。

 

「まー、そっちの方が小動物らしーがな」

 

 今の自爆に一筋の赤い血を垂らすキャーリサが、足許を見下ろす。

 牢獄陣形を組んだ狩り場の外に、二人はいた。

 『選定剣』に触れる好機を逃しても、一貫として行動方針は変わらない。

 上条当麻がその前兆を感知して避難警告し、上条詩歌が女王艦隊の牢獄を抜ける穴に飛び込んだのだ。

 だが、それでもダメージがなかったわけではない。

 

「当麻さんっ!」

 

「がっ、ぼ……げふっ……やっぱ、油断ならねぇ王女だ」

 

 タマゴ状の結界が破られ、二本の宝剣の守護衛星の木片が散り、咄嗟に庇ったと思われる当麻は血の塊を吐いて咳き込み、詩歌に背中をさすられながら――部分的に治癒させるよう制御した<手当て>を施されながら抱えられている。

 

「本当に馬鹿ですね! 回復すれば私の傷は一瞬で治せるのに、当麻さんはそれがすぐにできないんですよ!」

 

「馬鹿言うな。治せても傷つくのに変わりねーだろうが。お兄ちゃんはそれが嫌なんだ」

 

 今度は第二王女ではなく賢妹が無防備にこちらに背を向けている。

 キャーリサは<グリフォン=スカイ>の空中牢獄を解いて、再び鏃型陣形に展開する。

 これで、今度こそ仕留める―――と、標的の顔を見た時、キャーリサは固まった。

 こちらを見上げていた愚兄は口元を拭って、血がむせて、濁った咳が出ながらも、笑っていたのだ。

 

「それにこれで、俺達の勝ちだろ、詩歌」

 

 その言葉に、ええ、と賢妹が力強く応える。

 

 

「<調色板>混成<玉虫>―――<筆記具>強化『伝達(アンサズ)』」

 

 

 その掛け声とともに女王艦隊から何かが伸びた。

 それは逃げながら核にマーキングし、蜘蛛の巣のように女王艦隊に張り巡らせていた見えないほど細い糸が。

 何十何百という綿筋がからめられて毛糸玉のように集められた詩歌の手の平には“タマゴ”が―――<グリフォン=スカイ>全機体と接続したパスの中心点があった。

 

「連環計成せりです」

 

 連環計―――この策の狙いは欠点といった亀裂を突くのではなく、弱点を作ること。

 笑えることに、弱点を生んだのは攻撃ですらない。

 <カーテナ=オリジナル>と接続された状態の<グリフォン=スカイ>なら、異常(ウィルス)があった瞬間に感知し、対応できる。

 だがそもそも、それを異常(ウィルス)と認識できなければ防護対応のしようもない。

 毒でないものが毒になる落とし穴を、無人式の機械が見つけられるものか。

 敵を誘導させ足を引っ張らせることで『弱点』をつくり、勝利を得る策。

 三国志で有名な赤壁の海戦でも、大国の軍艦隊は鳳雛の策に鎖で繋がれて―――まとめて大炎上で焼かれた。

 

「んじゃあ、『火』をつけさせてもらうか」

 

 いくらラインを結んだところで、<カーテナ=オリジナル>と引っ張り合いになれば<天使長>の力には敵わない。

 だが、バラバラではなく“ひとつに幻想がまとめられている”が条件ならば。

 

 ―――この右手で一気に殺せる。

 

「―――ッ! ライン解除!」

 

 その狙いに勘付いたキャーリサは<カーテナ=オリジナル>と<グリフォン=スカイ>の接続ラインを強制切断。

 同時、上条当麻が上条詩歌の手の平の上に浮かぶタマゴの上に右手が覆い、ふたりの手を重ねるように握り潰した。

 

 

 パキン、と何かが砕ける感触がして、まるで外装が剥がれ落ちたように<グリフォン=スカイ>の黄金の輝きが消えた。

 

 

「お、のれ! 女王艦隊を、よくも……っ!」

 

 <全英大陸>と<黄金鹿号>のバックアップが解除され、『女王の』艦隊の幻想が破壊された。

 元々の<グリフォン=スカイ>は地上にある攻城戦を設定されたものであり、遥か高度な空中戦は想定されていない。

 そして、<天使長>の力はあっても技は扱い切れていないキャーリサは空を飛ぶことはできない。

 自由落下を始めた無線式の空中要塞の上で、キャーリサは<幻想殺し()>が移る前に切り放した<カーテナ=オリジナル>の再度接続を試みる。

 しかし、そのためには何工程か踏まねばならず、どうしても時間がかかってしまう。

 そして、力で負けても速度は彼女が圧倒している。

 

「<幻想宿木(ミストルティン)>――形態変化<独鈷杵(ヴァジュラ)>」

 

 宿木が縮み、両側に刃がついた古代インドの武器にして密教法具へと変わる。

 <騎士団長>の魔剣<フルンディング>の『剣の個性(パターン)』のように、剣だか槍だか矢だか説で武器の種類が複数ある『ミストルティン』は術式に合わせて変形することができる柔軟性がある。

 

「―――インダラヤ・ソワカ」

 

 口は帝釈天の真言を紡ぎ、指はその印形を結びて紫電を纏わせ火花を散らせる<独鈷杵>に“一枚のカード”を挟んで投擲。まるで雷獣の爪のように大気を存分に引き裂いて、持ち直しつつあった<グリフォン=スカイ>へ直撃。

 艦隊全体に雷が迸る。

 <天使長>と同格のキャーリサに雷程度ではダメージは負わない。

 だが、詩歌が徹底的に止めを刺そうとした女王艦隊は、動力部を穴が開けられ、完全に故障(ショート)した。

 アステカの<原典>のひとつ、<月のウサギ>。

 太陽と見分けがつかないほど輝いていた月の光を弱めるために神が月へウサギを投げ送ったという神話を記したものでその効果は『あらゆる敵を撃ち落とす』

 かつて、その知識を帝釈天(インドラ)のために、我が身を焼いたウサギの伝承に応用して上条詩歌は学園都市の壁を越えようとした戦闘機を悉く落したことがある。

 その時の術を組み込んだのが、

 

「<撃墜術式>――<玉兎撃ち(ラピッドファイア)>」

 

 今の魔術世界では空を飛べる魔術師はいても空を飛ぶ魔術師はいない。

 できるが、しない。

 ペテロ系の<撃墜術式>で簡単に落されてしまうからだ。

 <撃墜術式>に抵抗できるのは<カヴン=コンパス>や<グラストンベリ>クラスの空中要塞のみ。

 <黄金鹿号>の装甲が喪失した今、無線式の<グリフォン=スカイ>にそこまでのプロテクトはない。

 愚兄が開けた傷口を、賢妹は更に容赦なく致命傷に広げる。

 

「太陽を落としても、月が相手では女王も眠り落ちるようですね」

 

「……上条、詩歌ぁっ!」

 

 もはや自由落下しかない、止めを刺された空母兵器にしがみつく『叛逆の』王女がこれで欧州侵略が破産となったことに、凄絶な憎しみと敵意をこめて、白い残骸物質がとりわけ鋭く世界を薙いだ。

 だが、その射程――全次元切断最大距離100m以上、両者は離れている。

 賢妹は、閃光を放ち、残骸物質ごと“ただの物質となった”<グリフォン=スカイ>20機の重量を軽減した、

 自由落下の速度が一気に下がり、

 

「言ったでしょう?」

 

 結界を展開し、飛翔。逆転し、再び第二王女を見下ろす高さを保ちつつ、

 

「残念ですが、あなたが面白がれる事はひとつたりともありませんよって」

 

 

つづく


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