とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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長文です(^_^;)


英国騒乱編 天地人

英国騒乱編 天地人

 

 

常盤台女子寮

 

 

「いやー、当麻っちが空飛ぶバイクに乗ったって訊いてね。それで、ちょっとね。ほらね。最近乗ってないなーとかじゃなくて、素人じゃわからない実際に乗らないと気づき難い故障ってあるじゃん、まあ、点検しようとしたさね。いや、ほんとほんと。でも、電子ロックだが何だか所有者コードとか小難しい理屈を並べるモンでさ、機械が人様に逆らうなーって、つい我が校の伝統に則って、チョップしたんだよ。そしたら、エラーとか画面に出ちゃって……ね?」

 

「はぁ……それで?」

 

「私が探っても分からなかったから。たぶん電気関連の故障。だから、学園都市最高の電撃使い(エレクトロマスター)の知恵とお力でどうにか……お願いっ!」

 

「今日はやけにしょうもないことをお願いされるわね」

 

「美琴様しかいないんだよ~! いつも私がバイクを隠してる場所においてるからさ、あとで詩歌っちに内緒で診てやってくだせぇな。バレたら寮監と聖母のタッグに折檻フルコースだよ!」

 

 と、直すことは確約しなかったが後で診ると先輩の相手してから、立ち話をしていた入口から部屋にある自分の机、そこに置かれたゲコ太のストラップがついたPDAを御坂美琴は手に取る。

 外国の宗教団体とやらに宣戦布告し、あの内部抗争を経て、幼馴染が学園都市の学生代表になった。

 あれで少しはこの街の闇に光を差し込めたのだろうと思うも、利用されている不快感が拭えない。大人たちが大人しくしている状況も、『学生代表』というカリスマや清廉潔白さをテーブルクロスに敷いて、学園都市はクリーンな『正義の味方』とアピールしているようにしか見えない。

 その布一枚下に何かが無い方が逆におかしいのではないかと思ってしまうほどに。

 あの姉はまた裏で自分に知らせずに何かと戦っているのではないかと勘繰るほどに。

 学園都市がこの戦争を静観しているはずがない。

 そもそもこの危険な時期に『外』へ学生を出しているのはおかしい。

 もしかするとあの幼馴染は『<幻想投影>を狙う輩から距離を置くために学園都市から離れたのではないのか』

 だとするのなら、二つの世界を相手取っているなんて無茶な真似をしてるのか……

 

 調べなきゃ、と御坂美琴は思った。

 

(でもまぁ……そう簡単にいかないのは当たり前なんだけどね)

 

 あの愚兄との連絡の後からずっと探り続けてきたが、調べようと思って簡単に調べられるものではない。

 通常の警戒態勢ならば<書庫(バンク)>の中から機密データを盗むのも電子操作能力を応用すれば容易だが、戦時に近くなってる現在はセキュリティの強度がかなり上がっている。

 それは、美琴が触れようとしていた情報にはそれだけの価値があることの証明。それでも、もし<妹達(シスターズ)>のときのように闇が関わっているとするのなら―――事態は緊急を要する。

 ある程度の危険を承知で、船から海にダイブ前に息を溜めるように深呼吸すると美琴はPDAの画面の奥――更に深く電子情報の海に意識を潜らせる。

 そして―――見つけた。

 

 

『<幻想殺し>と<幻想投影>について。

 

 統括理事会からの通達により、<幻想殺し>及び<幻想投影>については通常の対応とは異なるものとする。

 両個体は学園都市全体の中でも、希少な価値を持つ能力者だ。その希少性、また<幻想投影>の生産性を留意し、その扱いには細心の注意を払う者とする。

 ただし。

 学園都市以外の組織に与することが判明した場合、『親衛隊』が速やかに襲撃し、生死問わず、生命維持装置の使用も検討に入れて『回収』することを許可する。

 現在、<幻想投影>は外部組織に身柄が置かれていることは確認している。

 これが同盟相手への協力というだけならば、処分は保留するが、『(エッグ)』が外部組織の手に渡る可能性が高い場合は第23学区から『親衛隊』を派遣。

 統括理事長からの承認は得ているので問題はない。

 その場合、権限の可能で詳細は不明だが、統括理事長の『計画(プラン)』は続行可能との事』

 

 

 

 

 詩歌の腰元で、携帯電話が震えた。ポーチから素早く電話を取り出すと、呼び出しはとっくに切れてる。ただ受信履歴に表示された人物の名前を視て、少し驚いたように目を瞠り、それからどうしたものかと片目を瞑る。いくら学園都市製の高性能だとしても普通の移動通信は、高速高度で空を飛んでいる状態から安定した通話ができるよう作られていない。

 だが、今この状況での連絡は、タイミングを逃すと二度と取れない可能性があった。

 <黄金を抱く竜>を先導するために半分以上割いているため<縮図巡礼>の情報封鎖の効果が薄れかかっているとはいえ、まだ『鎖国』の効果は働いている。今の通信が通じたのは縮小した圏内を“少し”出たところに詩歌達はいるからだ。

 

「それに右手で触れていた方が『鎖国』の妨害から邪魔されませんし。当麻さん、代わりに電話でてくれませんか?」

 

「何でだ」 と色々と体位を試しているうちに一周回って最初の肩車で詩歌の太股に挟まれている当麻が問い返す。

 

「電話を取りたいんですけど、こんな速度で飛んでたら電波が切れちゃいますし―――あと、ほら、“お客さん”の相手もしないと」

 

 と、自分の携帯スマートフォンを渡した後、詩歌は足をのばした。結果、当麻は妹の携帯を右手で握りしめたまま、空気抵抗でもみくちゃにされながら、イギリス大陸上空を舞うことになった。

 

 

 

 フランスでも超高速の機体から飛び降りたことはあるが、電話に出るためだけに空をパラシュートなしで落ちる男子高校生など世界初ではないかと愚兄は思う。

 当然、何も安全対策が取られていないはずがない。

 上条詩歌の優れている点は、パワーよりもその器用さだ。

 飛行中も周囲の気流制御をしていた片手間で、いつぞやか<意識交換>などといった兄弟で互いの身体を疑似交換する道具をつくった賢妹の『<幻想殺し>の効果圏の見極め』は愚兄以上に正確で、こうした高速移動に耐えられるように<身固め>などといった強化などを部分限定的に張れている。そして今、上着自体に浮き上がる力がかかり落下速度が低速していき、やがて、雲……靴を通して足裏に硬い感触――当麻は雲の上に着地する。

 お兄ちゃんは孫悟空かよ、と賢妹の無茶ぶりに応えて、電話に出た。

 

「一体誰だ? 俺は、今、雲の上にいて、携帯のアホなとり方に自由競技(フリースタイル)があったら、金メダルを取る自信があるぞ?」

 

『やっと繋がっつうのにメルヘンなんかに付き合ってられねぇ。誰だが知らねぇが、こっちはこっちで戦闘(しごと)中だ。雲の上にぶっ飛ばされたくなかったら詩歌に変われ』

 

 どう聞いても銃声にしか聞こえない断続的に響く銃声を背景に、聞いたことがある声――野郎の低音だ。しかも、呼び捨てにするとは傲岸不遜な俺様タイプ。何故、野郎の電話番号が妹の電話帳に登録されているのかと問い質したいところ。

 愚兄の携帯を握りしめる力が上がってしまうも、冷静に冷静に

 

「ただ今、妹は電話に出ることができません。用件があったら俺に言え。伝えるかどうかは内容次第だがな」

 

『あん。ああ、そうか、シスコンで有名な<幻想殺し>か』

 

「おい! それはいったいどこの界隈で有名な話だ!」

 

 シスコン軍曹(土御門)と勘違いしてねーか!? とその対応の理解の早さに納得のいかない愚兄。

 チッ、と舌打ちしてから、電話の声が、

 

『面倒なのを相手にしてるが23学区からひとりがそっちにいった。悪いが対処してくれ。っつか道楽はとっとと終わらせろ。あの軍師(ブレーン)もそろそろ抑え切れなくなってるぞ』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <親衛隊>の『クローバー』、シルバークロース=アルファはTPOを弁えて着こなす人間だ。

 つまり、状況を鑑み、環境に合わせたモデルの選択ができる人間。

 これは過去に制裁で顔を焼かれたことが原因で、たとえ元の端整な顔立ちを取り戻しても、顔を焼かれた事実は消えない。

 故に、肉体への未練など持ってもどうしようもなく、自らの外観、輪郭、印象に対してまったく執着を抱かないのならば、実践を重視して駆動鎧(道具)を乗り換えると同時に心も組み替える。

 多脚の駆動鎧を操るには、多脚の動物になるしかない。

 羽根の駆動鎧を操るには、羽根のある動物になるしかない。

 怪物の駆動鎧を操るには、怪物になるしかない。

 学園都市の駆動鎧は装着すれば、マインドサポートという機能で初心者でもその乗り物の知識や操縦技術が手に入れられるが、本当の意味で完全に駆動鎧を操るには、己の心のあり方にこそ注意を払うべきだ。

 地に足をつけて動く人間が、翼を操るための挙動を練習しても、実生活には何の役には立たない。逆に翼飛行に慣れてしまうと、今度は二本脚でどうやって歩くのかさえ忘れたり、頭の命令が混乱してしまう。小鳥にも足はあるが地べたを歩くことなど見たことがない。

 故に自分の身体の形は何なのか。それはどう動くのか。

 誰もが知っていて、誰もが覆すことのできないその事実をシルバークロースは自己の頭の中で毎回分解してしまうことができる。

 ―――『人の形を超えた怪物モデルが量産化に至らない理由』を彼の精神は捻じ伏せてしまう。

 そこまで自己の肉体を切り捨てられることこそが、第二位<未元物質(ダークマター)>とは違う点だ。

 想像を創造できる第二位は『生産者』としては極めて優れている。この適合性と柔軟性に富んだ中核駆動鎧――『FIVE‐Over.Equ DarkMatter』はこれまで集めた『コレクション』の全てに対応できるシルバークロースの最もお気に入りだ。

 何せ最も隙ができる『着替え』をしなくても、形状記憶させた『コレクション』を思念だけで変形できるのだから。

 だが、<未元物質>を操る垣根帝督は、『使用者』ではない。

 何故ならば、異能をより順応させるために外殻を異形で覆うことを良しとするシルバークロースとは違って、垣根帝督は、人間を捨て切れていないからだ。

 だから、本当ならばLevel5が束になっても敵うはずのない力を持ちながら、第零位『学生代表』に敗北してしまった。

 あれは、正直、第二位製の兵器(Equ DarkMatter)を愛用しているユーザーからすれば、がっかりだったが、刀工と剣豪は別物であると考えれば納得だ。

 しかし、<未元物質>を“使える”シルバークロースならば、『学生代表』を捕えることも容易だ。

 

 そして、今回、シルバークロースが選択したのは<フライングヒューマノイド>

 『駆動鎧を運ぶための戦闘機』ではなく、『戦闘機を含めた駆動鎧』―――そのさらに先の『戦闘機にも変形できる多様駆動鎧の一形態』

 全天候において圧倒的な機動力を確保し、敵の感知網を潜り抜けるステルスと半永久的に飛行可能な自律燃料補給装備がついている。

 晴天の下ではなく、嵐の雷雲の中を突っ切ろうが時速1000kmオーバーを叩きだし、なおかつ機体を直角に横に傾けたままでも前進でき、独楽のように高速回転も可能と自在な飛行性能。

 道具の力で筋肉を補強し、徹底的な電子制御でバランスを確保するこのモデルは、その圧倒的な速度の中でも『片手持ち』の摩擦熱によりチャージできる機構を備えた弾数無限の第四位レーザ砲『FIVE‐Over.Onehand MeltDowner』の使用を可能とする。これが正式に戦線に投入されれば、兵器の歴史は一変するだろう。

 全長80mで時速7000km飛行する超音速戦闘機『HsF-00』と比べて性能は落ちるが、対人ならばこの程度でも十分、だれにも気づかれずに敵地に侵入できる隠密機動性においてはこちらが圧倒だ。

 

 まさに、空飛ぶ未確認人型生物(フライングヒューマノイド)―――

 

 それは戦闘機のように見えた。白みがかった半透明の機械のようなもので構成された、全長2mほどの超能力の産物。

 その生物的な流線形フォルムの表面に携帯画面のLEDが点灯するように、『Equ DarkMatter』と文字が浮かぶ。

 

(あの気配―――帝督さんの<未元物質(ダークマター)>? ということはこれは学園都市からの……)

 

 当麻を下に落とした直後、詩歌は臨戦態勢を整え―――

 

『接近に気づいたのは褒めよう。だが、もう遅い』

 

 問答の余地はなく。

 白い機体が、そのまま鋭い矢と化した。

 

『世の中全ての人間が、仲良しこよしになりたいとか考えるなよ。俺達のように戦争を起こしたい人間もいるんだ『学生代表』』

 

 疾風よりも速く、稲妻の如く、少女の死角へと滑り込む。

 ぐるりと回った機体が、ここまでのベクトルを上乗せして、一切の躊躇いなく、右上段から人が最も防ぎにくい対角線をおさえて、未確認飛行物体の翼刃が、上条詩歌に強襲する。

 一瞬だけ視界から消えたその時、少女はまさに猛禽に襲われる小鳥だった。凄まじい轟音が空間を圧し、あとに続く衝撃波が水滴を巻きあげる。まともに攻撃を受ければ命がないのだと本能で理解させるほど、それは巨大で力に満ちている。

 しかし。

 ならば、続く結果は鍛錬の差か。潜り抜けた修羅場の差か。

 

「一度視たことがあるものは読み易いし、機械のプログラムは素直」

 

 竜巻に舞い上がる木の葉のよう。

 翼刃の側面に右の振り袖を滑らせるよう優しく軌道を逸らして、詩歌の身体は独楽の如く回る。旋風が走り、颶風に霞む。間合いがほとんど詰められていた。

 

「―――!」

 

 機械の死角、意識の空白をつかれたのだと、それだけでシルバークロースは自覚した。速度ではなく純粋な技術による現象。

 間合いを盗む、とそう呼ばれる技術。

 驚愕さめやらぬうちに、捌いた慣性を利用し、すれちがいの刹那に<フライングヒューマノイド>の懐へ肘打ちが炸裂。

 

「<空力使い(エアロハンド)>設置」

 

 吹き荒れるは、風神の嵐。

 切り裂くカマイタチではなく、爆発の如き衝撃が駆動鎧を貫通してシルバークロースの身体を吹き飛ばした。咄嗟の反応に詩歌が手加減など加えらなかったその証拠に、その装甲に亀裂が走る。

 錐揉み回転が静止した時には、内部に組み込まれた<未元物質>が機体を再構成。すぐにその傷も癒えていたが、精神的衝撃は消えない。

 

(普通じゃない)

 

 シルバークロースが奇襲をかけたのは、時速1000kmとほぼ音速。

 その音に紙一重のカウンターを合わせるなど人間ではない。ましてこちらは数手の動きを予測していたというのに。

 紙一重というのは、けして惜しかったという意味ではなく、それだけ見切られてしまっているということ。

 すでに幾度も音速程度では“遅すぎる”速度域の住人である常識外の怪物クラスと手合わせする――ついていける賢妹の感応域。

 

(油断した。知ってはいたが予想以上の怪物だ)

 

 得意とする『真正面からの力押し』が通用しない相手か。

 ならば、TPOに応じて、戦術も使い分けるだけ。

 

 バゴン!! と主翼の上部がまるで小さな鳥のように剥離する。

 

 左右合わせて8つほど。細いワイヤーか何かで接合されているらしく、それぞれが独立した凧のように円盤が飛びまわっている。これらは<フライングヒューマノイド>――シルバークロース=アルファの手。

 学園都市からここまでの高速飛行で摩擦熱チャージが全快になっている『第四位限界突破(ファイブオーバー)』を搭載した小型未確認飛行物体(UFO)

 遠隔操作し、多方向から相手を同時に貫くレーザーユニット。

 その狙いに気づいた詩歌はすぐさま―――

 

『光の速度から“足手纏い”を庇えるかな』

 

 

 

 浮雲の上の上空で、複数の光点が視えた時―――直感を信じて、愚兄はその場から躊躇なく身を投げた。

 空へ。

 重力に引かれて真っ逆さまに墜落する世界は、広大な大地が広がっている。

 当麻の目は猛烈な速度で落下しながら、なお見開いていた。敵の攻撃を警戒するためではなく、彼女の姿を視認するため。

 視界が暖色の布地の羽ばたきが覆い隠した。

 ―――落ちる身体を<空間移動>でマーキングした地点に現れた詩歌が拾った。

 

「なにがあった、まさかもう学園都市からの刺客が来たのか?」

 

「ああ、やっぱりさっきの電話はそれだったんですね。誰からですか」

 

「名前を訊くのを忘れた―――っつか、来るぞ!」

 

 当麻は左腕で抱き締めるように、前から詩歌の腰にしがみつく力を強める。

 

「ふふふ、当麻さんを狙ってくるとは、キャーリサさんとやり合う前の練習台にしてあげましょうか」

 

 詩歌の背後、つまり、当麻の正面に本体からコードを伸ばしてこちらに迫る『UFO』

 不健康そうな白い光――<原子崩し(メルトダウナー)>と同質の破壊が降り注ぐ。

 

 

 

 

 そこは、ふたりの剣豪が最後の死闘を果たし合った巌流島か。

 

 

 騎士の剣が唸り、傭兵のそれと相打つ。どちらの刃もどちらかを斬り裂くことはできず、塩の孤島に火花を散らした。

 ひとつの火花が消えぬうちに、さらなる火花が三つ、いや五つ散った。

 わずか数秒で、それらの火花は数十にのぼったのだ。

 超高速の剣戟の結果と、誰が思おう。

 そして早くも<オルレアン>の集団魔術で形成され、軍艦の進行をも圧し留めた塩固の大地が罅割れ、原型を留めておけなくなる。

 その暴威の嵐の中で、剣を両手に持ち直し、最速の踏み込みで、傭兵は間合いの裡に潜り込まれた。

 

「ぐぬ……っ!」

 

 信じられないだろう。

 大地に根を生やしていたかのような傭兵の巨漢が、その巨大剣を盾にしたのにもかかわらず衝撃で浮かんだ。

 

「がは……っ!」

 

 銀の光を走らせて薙ぎ払う一撃は旋風―――だが、巨大な塊を振り下ろす一撃は瀑布のそれだ。まともに受ければ護国の騎将とて致命傷になりえるだろう。

 受け流すだけでも足が、踝まで海に沈む。

 騎士団長が構わずぶつけた剣を捻じる。下がるのではなく、なお深く懐に迫る。

 ウィリアムも逆らわず、鍔迫り合いの様を呈して、二人の身体をもつれあわせた。

 ふたりの戦士が打ち合わせたかのように同時に肩からぶつかった。

 力は互角。

 速度も五角。

 『裏切の』騎士との戦闘で<アスカロン>は一度砕かれた。原型を留める程度には修復されているも、部位特異性の攻撃手段は活用できない。

 拠点が潰され<全英大陸>の供給が途絶えた<フルンディング>は、個性特化性の攻撃手段は発揮できない。

 ウィリアムは、フランスで上条詩歌との一戦での傷が癒えぬ体で、<神撲騎団>のテッラ=ランスロットを降し、『騎士派』の拠点である<グラストンベリ>を潰した。

 騎士団長は、<聖人>の神裂火織、『道化の』騎士の『ケイ』、元『トリスタン』のナタリアと格が下の相手ではあるが変革開始からここまで連戦を続けている。

 どちらも同程度に体力を消耗しており、すでに事前の情報で互いの手札を把握している。一騎当千ではまだ例えるに足りぬ、箆棒な強者同士であれば、それも当然であったか。

 吐息がかかりそうな近距離で、ふたつの視線が交差した。どこかしら長い年月を経て再会した旧友の抱擁にも似たそれは、しかし、絶大な闘志と敵意に研ぎ澄まされていた。

 

「腕は落ちてないようだが、貴様が出て行ってからの10年、もはやあのころのドーヴァで貴様に昏倒させられた私とは違う」

 

 互いの刃がすぐ眼前に迫る状況下で、騎士団長は静かに言葉を発する。

 

「<聖人>にしては優れている貴様だが、この一撃一撃に傷口が疼くのが伝わるぞ」

 

「それは互い様ではないか」

 

 確かに、傭兵の言う通りに騎士団長自身も万全とはいえない状態。それは認めよう。

 だがしかし、傭兵はまだ完治せずに戦場にきている。

 フランスで“敗北した”傷が未だ癒えていないウィリアムとは違い、騎士団長は消耗させられていても“敗北していない”。

 この差は大きい。

 神裂火織との一戦でも、『ケイ』との一戦でも、ナタリアとの一戦でも、全力で本気を出していないのだ。

 対し、ウィリアムは、大きな後遺症を残す傷を負って力を奪われ、そしてその損傷を補うために手に入れた新たな武装も捨て身の特攻で破砕された。

 このまま時間が経ち、体力が回復していけば、また<全英大陸>の効果圏に入れば、治らない損傷を抱えている傭兵の方が分が悪くなるのは必然。

 それをあえてせずこの場で短期決戦に臨むのは、『騎士派』の長の尊厳か、傭兵を超えたという自負からか。それとも、

 

「そうだ。貴様と同じ力を使った<聖人>の神裂も、貴様の教え子であったナタリアも手強かったが、その程度。フランスでの敗北はやはり本当であったか。貴様の本領であった『水』も使えないようになっていたとはな」

 

 ウィリアム=オルウェルの口は何も言わない。

 この男は、語って聞かせる建前(かざり)ではなく、その行動で示してきた。

 

「視野が狭いぞ、我が友よ」

 

「何……? ―――ッ!?」

 

 こちらと剣を交わしながらずっと、こちらの視覚外に結晶させ続けていたのか。

 上空から振る氷雨(ひさめ)

 それが途中、さらに竜巻に巻かれたように寄り集まり、彗星となった巨大な氷塊は、先の空中要塞の一部を軽く吹き飛ばすほどの魔力が圧縮されている。

 

(いつのまに『水』のルーンを! これは、まずい……!)

 

 得意な水の魔術は扱えない――目論見が外れた騎士団長は、剣を振るった。

 それがどれほどの危機かを悟ったのだろうが、既に遅い、

 彗星はただ落下しているのではない。

 打ち出されたソレは、加速している。

 避けられないタイミング。

 数多の実戦で磨かれた、傭兵の剣技と魔術のコンビネーション。

 <傭兵の流儀(ハンドイズダーティ)

 その圧倒的な武威を以てして、この男は戦場を最小限の被害で平定してきたのだ―――!

 

 

 が。

 

 

 上空を薙ぎ払う騎士剣の軌跡。

 騎士団長は傭兵に圧されながら、咄嗟に片手に構え直した騎士剣で、氷塊を砕いていた。

 衝撃に腕の感覚が吹っ飛ぶように麻痺した。

 片手で払ったせいか、氷塊は壊し切れず、この刹那の斬り合いには命取りにもなりえる指先の感覚を失くしてしまう。

 そればかりではない。

 氷は騎士の片腕で再凍結し、その動きを完全に封じにかかる。

 しかし、それでも封じたのは腕一本のみ。

 

「ぬ―――」

 

 ウィリアムが声を上げる。

 騎士団長のもう一つの腕は、氷に閉じ込められる前にその手から離れ落ちた剣を宙で掴んで、傭兵の胸板を脇から肩へ、袈裟切りに斬り上げた。

 

「甘い。元より、手足の一、二本は覚悟してる。この程度で怯む私かと思ったか!!」

 

 血が噴出する。構わず巨大剣を振る傭兵。

 封じられた腕側から来る脅威に、騎士団長は冷静だ。

 <ソーロレムの術式>。決定づけるであろう<アスカロン>の刃の攻撃力をゼロにする。

 

(これで―――ッ!)

 

 必勝の意思を込め、返す刀で<フルンディング>は、傭兵の首筋へ流れた。

 骨まで刃が埋まったのを、騎士団長は感じた。

 そう、傭兵が掲げた右腕の半ばまで確実に西洋剣は達していた。

 だが、

 

「こちらも手足の一、二本は覚悟してるのである」

 

 と、ウィリアムは目を細めた。

 予想通りに、片腕で振るった渾身とはほど遠い剣では、腕を両断するには至らない。

 

「っ!」

 

 騎士団長が目を見張った。

 ぎり、と<フルンディング>がねじれたのだ。

 剣を埋め込まれたまま、ウィリアムが身体をしぼりあげる。結果、挟まれる筋肉に魔剣がもっていかれる。

 

「させるかっ!」

 

 騎士団長が前進した。

 てこの力点を外して、剣を取り返そうとする。

 そのときだった。

 ほんのわずかだが―――地面がずれたのだ。

 

「?!」

 

 海の、波による揺れだった。

 水のルーンを動かし、この塩の大地を揺らしたのか。

 そして、その刹那、ウィリアムの身体が沈み込み―――騎士団長の身体が不自然に回転して、重力が消えた。

 

(足、払い―――っ!?)

 

 こちらがゼロと認識させないよう視覚外の足元から。

 そして、その足払いからさらに連なった傭兵の技法は、騎士団長が警戒しゼロにした巨大剣ではなかった。

 自分の腕を盾に魔剣を受け止め、力学的に優位へ持ち込もうとする東方の武術の理は、騎士団長が知らない、10年前の傭兵にはなかったもの。

 『水行鑚拳』。

 <五行拳>がひとつ。

 かつて、ウィリアム自身が上条詩歌に止めを刺された拳打。

 『(きり)』とは貫くものの意。

 魔剣を筋で挟んだまま、血を溢れだす右手が、水――傭兵の血液――で固めらせ、騎士団長へと迸った。

 <アスカロン>などすでに手放してるし、元より使うつもりはない。

 何故ならば。

 

「お堅い騎士に比べて自由奔放に戦う身ではあるが、古き友を斬る刃までは持ち合わせていなくてな」

 

 傭兵には珍しい無駄口と共に、礼服を捻じり穿ち、傭兵の血を纏わせた魔拳は深々と騎士団長の肩口に叩き込まれた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――」

 

 突き抜ける感覚と共に身体が宙を舞い、剣が手を離れる。

 傷が癒えていないのに戦闘に参加した、という騎士団長の読みは当たっていた。

 体の傷とは異なる霊障は、身に帯びる霊気が乱れて、心身に影響を及ぼすもの。

 ただ単に体内霊気が乱れる程度なら、呪的処置を施せばすぐに快復し、そうでなくとも時間が経てば自然に安定を取り戻す。ところが、そのものの霊魂に損傷を与えるほど深刻な霊障は、自然治癒はまず望めない。程度によっては、プロの魔法医師であっても完治が不可能なケースも生じる。

 もちろん、通常の場合それほどの深刻な霊障を負うことは稀であるが、ウィリアムは儀式を邪魔された結果、自身の内部魔力を暴走させたのだ。

 その内部魔力を咄嗟に外に出したが、どれほど丁寧に引っ張りだしたとしても制御力にモノを言わせた強引な処置で、また体内で暴れたという事実は変わらない。

 奇しくもその前夜で再会した雇い主――己の力を預かっていた張本人から<神の力>を返却すると提案されたが、負けた結果なので辞退した。今さら返されても、切れた手足が時間が経てば繋げても機能しなくなるのと同じように完全には戻らない。道中、ローマ教皇から密命を受けて行動している専属の魔法医と再会し、身体を視てもらい、<神の右席>としての力をもった状態に戻すのは無理だと宣告されていた。

 それでも無理にはがされた後遺症を治癒の施しは可能で、追加報酬として受けた。

 ―――騎士団長が、剣だけでやれる相手ではないと承知していたからだ。

 

「っ、っ、これは……」

 

 動かな、い。

 片腕を凍結させられ、もう片方も肩の骨を砕かれた。

 だが、両腕を使えなくなったところで騎士団長が、<ソーロルムの術式>が通じないとはいえ、武器を使わない一発の打撃に参るような体はしていない。

 なのに、衝撃に打ちのめされ、一時的とはいえ動けなくなったのだ

 

「騎士の肌に合わん……裏技だ。魔術強化し……霊体に直接働きかけるとはな。こちらが……拳撃で参ったのではなく……“貴様が拳撃に参ったイメージを植え付けた”のか」

 

 霊的な精神外傷(P T S D)というったところか。元々魔術師や騎士と言った人種は、他者のイメージに同調しやすい。

 相手の魂を自分の魂の揺れに合わせる神道の<魂振>と同様の技術。

 騎士団長もウィリアムの『拳を打たれて数十分は動けなくなった』時の記憶を風邪のように移されたのだ。いくら肉体的に無事でも精神に引き摺られて未だに立つこともできない。

 

「『聖母』としての力はなくなったが、“その程度で”弱くなってはいない」

 

 たとえば、『夏休みに<大天使>を身に宿した怪物殺しの修道女』や『結社予備軍に在籍する敏感肌の工作員』は、人の身では収まりきれぬほどの莫大な<天使の力>を内包した結果か、常人よりも魔力の反応に敏感で、少しでも魔力を浴びれば震えてしまう――感知網が増した。それは一見障害なのだろうが、逆に考えれば、より魔力、<天使の力>が視覚外から把握できるようになったこのハンデキャップは武器となる見方もできる。

 他にも、『隻眼になることで北欧主神との身体的欠損を同一させ、より神に近しい存在となった』りなどは、古いタイプの魔術師たちの間では、まことしやかに語られている。言うまでもなく、実際にその論を実践することは禁術にあたるが、『現場』で戦ってきた魔術師ならば、そうした意見を頭ごなしに否定するものは少ないだろう。

 とはいえ、それはあくまで一説で、仮に、傷を負った者ほど強いという統計結果があろうとも、それは『より厳しい実戦を潜り抜けてきた』からこそ傷を負い、成長したのだと考える方が遥かに理にかなっている。

 もちろん、リスクもあり、回復してきたとはいえ、一度の戦闘で肉体制御術式を行使しながら同時並行で全力で魔術が使えるのは二、三回が限度。

 だからこそ、すぐに使った。

 己は健在であると見せるために。

 

「貴様と別れて10年……散々、己を鍛えて、いつしか……敗北さえも思い出せなくなってきたが、ドーヴァと同じく、貴様の拳でまた味合わされるとは、な……」

 

 騎士団長は、震える脚で立つ。傭兵の血を吸った己の剣<フルンディング>を抜き、手を開け閉めして腕の調子を確かめるウィリアムを睨む。

 所詮はイメージだが、『敗北』の呪縛をされたままでは、片腕だけでも十分に止めをさせるだろう。

 それでも己が剣であるこの男は、たとえ殺されても負けを認めるわけにはいかないのだ。

 力の有無など無用。その執念が、騎士団長を突き動かす。

 

「だが……なおさら、負けを認めるわけにはいかん。後先も考えもせず、ただ己の感傷のために国家を乱そうとする傭兵ごときに、私は負けを認めるわけにはいかないのだ」

 

 この傭兵が雇われているのは建前で、この変革を阻むのはやはり第三王女。

 これからの、もう始まっているかもしれない世界変動に、英国は『人徳』ではなく、『軍事』の政策を擁立せねば潰れてしまうと分かっていながら、キャーリサではなくヴィリアンを守ろうとする。

 一体この男の芯はどこにある。何を企んでいる。どうして傭兵は歯向かうのだ。

 こちらの一太刀を浴びてなおその巨大剣のように折れなかったそれは―――気づく。

 

「確かに、これはくだらん傭兵の感傷である」

 

 騎士団長は、見た。

 ウィリアム=オルウェルが手にした<アスカロン>――性格には、その根元に取り付けられた、ロンドン郊外の職人の家に眠っていたはずの『盾の紋章(エスカッション)』。

 青色の盾を四つに分けられたそれは緑色の装飾で、一角獣(ユニコーン)(ドラゴン)妖精(シルフ)の三つの創作上の動物を配した酔狂なもの。

 それを無意味な装飾を省く男が、わざわざこの無骨な剣に一度は辞退した紋章を飾っている。

 魔術的な記号も効果もない。

 騎士とは型破りなこの傭兵が口出したそのデザインの意味は。

 

「万人に『理解』してもらえるものではない」

 

 一角獣は、エリザベス一世がその角をコレクションにしていた。

 竜は、魔術大国の竜脈が集う首都倫敦の力の象徴(ペンドラゴン)

 妖精は、この英国大陸の先住民たちの末裔から生まれた魔法の産物。

 そのイギリスと関わりのある3つが、この4つの区分の上に。

 

 ―――まさか!!

 

 イギリスは連合国家だ。

 イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの“四国”文化。

 『王室派』、『騎士派』、『清教派』の“三大”派閥。

 つまり、その紋章が示すものは―――英国という組織の完全な調和。

 

「……本気か」

 

 呻くように、騎士団長は問う。

 

「貴様は本気で……その夢想を叶えようとしてるのか?」

 

 誰を殺して誰を王に据えるかではなく。

 すでに変革が始まったこの状況下でなお三姉妹と女王の力を合わせたいと。

 ようやくそこまで視野が広がった古き友に、傭兵はその固まった顔の筋肉をほんのわずかに緩めた。

 この遺恨のあるフランスに属する<オルレアン>から援軍を呼べたのは、『頭脳』と『人徳』――『騎士派』が切り捨てた『軍事』以外の貢献。それがこの戦で『騎士派』に勝ったと証明された。

 ならば、『頭脳』、『軍事』、『人徳』が力を合わせれば―――と、このプレゼンでもしもの可能性を見せられた。

 不可能だとしても、望めずにはいられない希望。

 

「今ので点検で来たと思うが、我々はこの10年で力を研鑽してきたのである。が、この10年で次代は芽吹いているのである。……そこに女性しか頭角を見せてないのはこの女王国家(イギリス)特有なのだろうがな」

 

 後半は長として後進を育ててきた<騎士団長>として、英国紳士としては耳が痛くなるような発言だが。

 もう、新しい時代は始まっている。“三姉妹”は開花してる。

 この傭兵から、『聖母』の力は消えたが、それも新しい世代に受け継がれた。

 騎士団長も、ここまでの連戦は、こちらの予想通りだったものはひとつもなかった。

 第三王女も、もう守られるだけの存在ではない。

 

「まぁもっとも、『聖母』は譲ったが、現役を退くつもりは毛頭ないのである」

 

 と、ウィリアムは騎士団長へ、ひとつの宝石を投げた。

 これ以上聞くならば、この無口なゴロツキからではなく、そこから聞こえる新しい風の息吹を。

 

 

ロンドン

 

 

 要所要所にレザーを織り交ぜた赤いドレス。

 その白い肌に多少の黒土や泥があるも、己の汗と混じり、彼女の凄みをより一層引き立てている。また乱れる金髪は、鬼神の相。

 そして、その手にあるのは刃も切っ先もない慈悲の剣。

 

 そこはすでに『戦闘』から『戦争』と言えるほどのスケールへと切り替わっていた。

 一度、間合いから下がった神裂火織、そして天草式は『隠行』―――<騎士団長>率いる『騎士派』をも翻弄したときと“ほぼ”同じ行動をとった。

 力では圧倒される個人戦から集団戦に。

 世界で20人といない<聖人>の力を主体に、新生天草式は彼女をサポートし、また囮にして別方向から的確に狙撃、奇襲を仕掛ける。

 

(ヤツらの隠蔽(ステルス)は中々のものだが、探れば見つけられないものではない)

 

 だが。

 唯一、“姿を消していない”神裂は無視できない。

 一発限りの切り札とは抜かない時が最も効果を発するように、未だに<フルンディング>を無効化した<唯閃=雪月花>をこちらは無視するわけにはいかない。

 無視できないようにしている。

 それを<騎士団長>から忠告された完全武装の騎士らも、天草式を相手にしながらもいざとなれば身を盾に割って入れるよう薄れる意識の中でもこちらに注意を払っている。

 この変革は『叛逆の』王女が倒れれば――<カーテナ=オリジナル>がなくなれば、お終いだ。

 そこに意識誘導され、できた空白に、他の天草式、建宮、五和、対馬、牛深、諫早、野母崎、香焼、浦上らは入ってる。

 賢妹クラスの『妖精の歩法』はできない彼らだが、そこに圧倒的な存在感を放つ女教皇の助けがあれば、同程度の効果を出せる作戦が可能だ。

 決定打こそないが、『大英博物館』の情報過多供給の弊害で単純思考しかできない完全武装の騎士を欺くには十分過ぎる。

 よって、キャーリサは、神裂――と新生天草式らの暗技に、さらに、エキシカ姉妹の遠距離射撃の後援援護に、シェリー=クロムウェルの<石像>の応用による地形変動と、ひとりで対応。―――対応できてしまっている。

 お手玉でもしているように、二本の手、一本の武器で『清教派』の攻撃を軽く遊んで捌きながら、女教皇を圧倒する。

 

「ひとりで戦っていると思わないことです」

 

 だが、

 

「―――<仁義八行>」

 

 一瞬、ふっとまた後退し、消えた女教皇の周りを囲むよう新生天草式が集っていた。

 『里見八犬伝』という日本の劇作に登場する『村雨』――抜けば刀身に霜が浮かび、水気が立ち上る創作上の妖刀を、<七天七刀>に見立てる。

 

「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」

 

 建宮が、五和が、対馬が、諫早が、浦上が、香焼が、野母崎が、牛深が間に秒も入れずに語を紡ぐ。

 天草式十字凄教は、身近な物品を代用を立てて術を完成させることを得意とする。

 仏像を聖母像に。文殊を宝石に。

 その手には文殊代わりに、天草式の入団試験から付き合いのある同僚フリーディア=ストライカーズから提供された宝石が握られている。

 神裂を中心に天草式八名が揃って行う『八犬士』の連携術式は、文殊の伝承通りに『肉体的な傷や精神的な病をも一瞬で治癒させる』。

 代償に文殊の宝石が砕けたが、キャーリサに、完全武装の騎士から受けた傷が癒え、生命活性に一段ギアを上がり、その速度は三倍にも四倍にも。

 こちらが白い残骸物質を放つより速く展開し、また女教皇が第二王女と打ち合う。

 

(あー、うざったい。物量ではこちらが圧倒しているし、このままいけば負けるのは向こうだ)

 

 キャーリサの考える通り、決定打が打てない。たった一度きりの切り札はあるが、それがあるから攻めてこないのだ。もし<七天七刀>を全力で解き放てば、一気にキャーリサは攻め立てるだろう。

 だから、攻めない。

 しかし、守らない。

 法の書事件で300もの相手にしたように、ひたすらに両軍のバランスを保ち続けることで『膠着状態』という本当ならば存在しない壁を意図的に築き上げる。

 

(ですが、この方法がいつまでも続くことはないでしょうね)

 

 瞬間回復に生命活性があるから多少の無茶ができるが、その『八犬士』で使われる文殊の宝石の残量も少なくなってきている。

 それでも神裂はこの綱渡りのようなバランスを保ちながら、機を待つ。きっと天地人が揃う時は来ると信じて。

 また、キャーリサがあえてその作戦に乗り心に余裕をつくっているのは、三国志最後の決戦で、伏竜と称された軍師がいないことに警戒するよう、ここに現れないあの兄妹――特に妹の方を気にしているのもあるが。

 

(チッ、そろそろ鬱陶しいし、これ以上、出し惜しみは―――)

 

 そして、キャーリサが<カーテナ=オリジナル>に力を溜めた―――ところで、妹が現れた。

 

 

「―――姉君!」

 

 

 第三王女ヴィリアンが、己の前に立っていた。

 

 

 

 絵本に出てくるお姫様のようなスカートの大きく広がった緑色のドレス。首元には宝石の首飾り。

 色白な肌に輝かしい金髪。

 今はその細い腕に、大きなクロスボウを抱え、いつもは垂れてる瞳の柳眉を上げてこちらを見つめる。

 しかし、その先にいた姉が、ふっと消え、

 

「わざわざ殺されに来たのか、愚妹」

 

 と、真後ろから声が聞こえた時には、すでに風を斬るような音が響いていた。

 瞬間移動、どころのはなしではない。

 すでに慈悲の剣は、ヴィリアンの首を捉えている。

 が、寸前で横にさらわれた。

 

「させません!」

 

 ドバッ!! という轟音が炸裂し、今度はヴィリアンの姿が消えた。

 このキャーリサの速度に唯一ついてこれる『八犬士』により一時的に高速安定ラインに乗った<聖人>がヴィリアンを片腕で抱き上げて拾ったのだ。

 片腕が使えず、満足に大太刀が振るえないであろう『清教派』の要に、キャーリサは空振った勢いそのままに慈悲の剣から白い残骸物質を放つ。

 

「イィ―――エヤァ―――!」

 

 それを神裂は一喝で、逸らす。

 大太刀を振ることなく、白閖の鞘を通して<神の力>の気を伝導させた発声だけで、弾いた。

 <雄結(おころび)>。

 <唯閃>にも組み込まれている神道の術で、<天使の力>を込めた気合に天之沼矛印をもって、魔や災いを断つ清めの行法。

 しかし、これだけ強烈なものは類例がそうないだろう。

 上条詩歌がやって見せたのとは、威力が違う。それもそのはずで、これを実戦的な組み手時に見せた――見稽古させたお手本が神裂だ。天草式に伝わる魔術も古武術も、彼女の血肉として溶け込んでいる。

 侮れる相手ではないのだ。

 

「まーた、貴様はいいところで邪魔しおって。天草式というのはつくづく国の決定に逆らうヤツらのよーだな」

 

「ならば、挨拶代わりに首を跳ねようとする王女の無作法を直すべきでしょう」

 

 神裂火織がいる限り、波状攻撃でもしなければ突破できない。

 キャーリサは<カーテナ=オリジナル>を手にした腕をだらりとさげる。ただし、そこに一切の震えはなく、筋肉はいつでも斬りかかれるように準備体勢を整えている。

 それに『清教派』の後援も止まり、一種の均衡状態。

 一瞬で殺されかけた事実に第三王女は顔を青ざめるも、気丈に己を奮い立たせ。

 

「姉君。約束を、覚えてますか?」

 

「あー、そういえば、殺す前に話を聞くと言ったな」

 

 話を聞くのは休憩のついでだとキャーリサは笑い飛ばす。

 この戦場においても話が通じると思っているこの愚妹。

 くだらぬことを言えば、即刻に叩き切る―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『王様というのは、圧倒的に傲慢で、他人の言うことなんて欠片も聞かない―――だからこそ、誰に対しても公平な神様と同じ。当たり前ですよね。西洋の宗教っていうのはそういう一神教の概念から成り立つわけですし』

 

 だが、それは完璧ではない。

 例えば、科学の相手が必要な有性生殖と比べて、単体で増殖できる無性生殖は、種の数を増やすことを考えれば、相手を見つける手間が省けて優れているだろう。ただし、環境が変化し、対応できなければ全滅する。

 

『弱肉強食の果てが絶対集権。つまり神様が統べる世界。それが英国の国教である十字教の、王が選んだシステムということ。だから、それ以外のシステムを目指すなら、それは王族、及びその関係者以外の人間じゃないとできない。盲点だとか発想の転換以前に、それは王の世界を壊すことに他ならないですからね。案外気づかないものかもしれませんが、そういうのって結構完璧なブレーキです。“誰だって、自分の信念を折りたくはないでしょうから”』

 

 だから、誰かに折ってもらうしかない、と少し姉君の面影を思わせたあの賢妹は最後にそういった。

 

 

「まずは私が答えを明かす前に、姉君がその胸に秘めた本心を晒させてもらいましょう」

 

 

 世界を壊す言葉がある。

 世界を癒す言葉がある。

 あるいは、ルビコン川を前に英雄が発した言葉。

 あるいは、泥沼化した近代戦争を前に、アーティストが口ずさんだ言葉。

 相応しい時、相応しい場所で、相応しい人物がその言葉を口にした時、掛け値なしに世界はひっくり返る。言葉とは情報とは、それだけの価値と可能性を秘めた概念であり、剣ではせいぜい剣の届く範囲にしか己の正しさを示せないが、文字や言葉というものは万理を超えて轟く。

 

(……、)

 

 完全武装の騎士は、ゆっくりと一度は見限ったはずの第三王女の姿を見上げた。

 歴史の思念に潰されそうになっているも、かろうじて自我は残っているらしい。

 いいや、それどころか意識すれば、自分で自分の身体を動かせることに気づく。

 ―――何故、という疑問もあった。

 元々、『騎士派』は肉体が強過ぎて、強化すればその器である肉体が耐えきれないと。それを『大英博物館』が肩代わりしたとしても、代わりに精神が崩壊しかねないはずなのに。

 しかし、深くは考えなかった。

 理由が何であれ、『叛逆の』王女が掲げる『変革』のために自動戦闘機械として尽力するのに変わりはないのだから。もはや、生贄に使い潰されることに対する当たり前の怒りすら湧かなかった。人格に左右されず、冷酷な行動へと導くことも可能な駒として、なすがままに心を委ねようと、完全武装の騎士は意識が希薄になっていく。

 それを『王』の声が引きあげた。

 

「姉君。あなたはこの国の『軍事』を司る代表者として、ローマ・ロシア勢力にイギリス国民が脅威にさらされていることに、誰よりも責任を感じていました。EUを手駒として、クラスター爆弾や他の兵器類の禁止条約を盾に国の兵力を奪われ、そして、ユーロトンネルの同盟相手が襲撃された事件でついに我慢ができなくなった」

 

 視界が、聴覚が、そして頭がクリアに。

 広がった感覚が、近くに自分と同じ者がいることを捉えた。

 金属を擦るような音がする方を振り返れば、そちらにも自分と同じ完全武装の騎士の同僚が夢から覚めて行くように、己の二本の足で、己の意思で地面を踏みしめている。

 

「このままだと、同盟を切り放されて孤立するだけでなく、イギリスという国家そのものの価値や威厳はなくなり、イギリス国民というだけで不遇される時代がやってきてしまう。ならば、己が最も得意とする『軍事』を振るうことで、戦争によって激変する時代から国家の価値や威厳を守ろう、と」

 

 騎士達は、ヴィリアンの言霊に耳を傾けてしまう。

 今になって自分を殺そうとするキャーリサを庇う言葉など欺瞞で、命乞いに思われても仕方ないというのに、真摯に訴えている言葉なのだと信じ、脆弱な意思の力を振り絞ってまで聞こう、そうさせてしまう魅力。

 

「しかし、同時に姉君は悩みました。姉君は『軍事』に優れた才能を持っていたが故に、<カーテナ>の強さと恐ろしさの両方を、誰よりも理解していました。もしも国家元首の手に<カーテナ>がなければ、そこまで絶対王政でなければ、この戦争がここまでひどくなる前に民の声に耳を傾け、国家の舵取りを修正する機会があったのではないか、と」

 

 間延びした時間の中、その金色の髪がゆっくりと風に靡いている。その様子が非現実的なのは、彼女の血筋が王家のものだからだけではない。人の上に立つ存在として、また、異国の侵略者に古くから畏れられてきた存在だからというではない。もっと根本的に、こんな戦場だからこそ、彼女の存在はあまりにも非現実的だったのだ。それほどまでに、美しいのだ。

 古叙述詩から抜け出てきたような、金色の美の女神。

 その場にいた全員が、ヴィリアンの精悍になった横顔に見惚れ、そして誰もがその手に掲げられる赤金の指輪に注視する。

 

「これまでのような王政の失敗は二度としてはならない、と」

 

 騎士達は、その指輪が一体何を意味するかは知らない。

 だが、ラインを通して、自分達を統べる第二王女の動揺が伝わった。

 そして、気づく。

 狂戦士と化した自分達は話を聞く余裕などないはずだった。キャーリサは使い潰すのに遠慮などしないと宣言したはずだった。単純な死よりも恐ろしい、個人の喪失というリスクを無視していた……

 なのに、どうして自分達は人間のままでいるのだ?

 精神崩壊に陥ることもなく、一生引きずるような霊障を残すこともなく……これでは、まるでセーブしているようではないか。

 そして。

 この変革が始まってから、たった一人の死者も出ていないのはどういうことだ?

 

「姉君はローマ正教の切り札として<慈悲深き選定剣(カーテナ=オリジナル)>を振るう覚悟を決めた一方で、戦争が終わった後は、二度と国家の舵取りを、誰かが止められる制度を作るために、この最終兵器を封じ、これまでの王の負債を抱いて、人間を捨てて怪物()になろうと考えたのです。この女王エリザベートの第二子キャーリサが自分の手で建てた『墓所』にあった<黄金を抱く竜(ファーフニル)」の呪われた指輪が証拠です」

 

 たとえ全ての王族を殺害し、『選定剣(カーテナ)』の源本(オリジナル)二本目(セカンド)の両方を破壊できたとしても、破壊されたあとの残骸を解析することで、“三本目(サード)”か、現代の自分達には思いもつかぬような戦争兵器が開発される可能性もある。事実、歴史から消えたはずの<カーテナ=オリジナル>は長い時を経て、キャーリサ自身の手に渡ったのだ。

 『変革』を成し得るだけの力を手に入れたが、それはどうあっても逃れられない王家の呪いという絶望もキャーリサに与えた。

 この先祖が敷いた<全英大陸>が形成する王と騎士の支配体制には、オリジナルが紛失したとしても当時が続けられるようにセカンドを製造できるだけの余力が残されていたのだ。

 ならば、『サードを製造する糸口』をも潰し、完全に封印―――王ではなく民が国の舵を取れるようにするには、『大英博物館にバッキンガム宮殿といった王族の縁の地にある情報だけでなく、この英国大陸全体の王が関わった全ての歴史をも封印しなければならない』

 それには当然、王の失敗――国の死も負わなければならないが、それは最後の王としての務めだと。

 そうして、封印し、破壊した王族の全ての残骸を呑み込んで、その『財』を暴こうとする者からこの『罪』に未来永劫近づけないために人を捨てて、指輪の呪いを受け入れて、暗い洞窟の中で死ぬまで守り続ける悪竜となる。

 あの<竜>を浄化したあと<禁書目録>が指輪の真理と<幻想投影>が姉君の心理を分析したそれをヴィリアン自身の口で告げた。

 

「姉君の思惑は二つ。一つ目は圧倒的な暴力を以て、EU圏からローマ正教を排除し、後の世にこの国最大の汚点と歴史に記されようとイギリスを守ること。二つ目は、その戦争兵器の<カーテナ>の呪縛からイギリスを解放し、無能な王政を排除することで、国家の暴走を民衆の考えで止められるようにすること。もし、未来に、またも私達とは異なる新しい王政が始まっても、その王が間違えた選択を仕掛けた時に、王が民衆の言葉に耳を傾けるだけの『弱さ』を残そうとするために。姉君はそれらの目的のために、『<カーテナ>という極悪な兵器を振るい、国の内外を問わず虐殺した多くの敵と、時代を遡ってまでこれまで死なせてしまった多くの民への贖罪』を、暴君として悪竜としてたった一人で背負おうと! 姉君は!」

 

 もしも『叛逆の』王女が、自分のことなど何も分かっていない無能な部下すら使い潰せない人物ならば。

 この無能な愚妹にすらも耳を傾けてくれ、ローマ正教に利用されていると気づいた時に本気で怒ってくれた姉ならば。

 これ以上、道を踏み違えさせるわけにはいかない。

 

「姉君は、この戦争が始まる状況に対して誰よりも怯えていたのではないですか? この失敗に誰よりも責任を感じていたのではないですか? しかし、それで全てを抱え込もうとするのは傲慢だ! 姉君こそが王の特権階級という呪縛に囚われている! あなたが不幸になっても、誰も幸せにはなりません!」

 

 理想は、見に行った学生代表の選挙演説での賢妹の姿。

 だが、その言葉は、この英国で愚兄が賢妹に叱責したものと同じだった。

 

「だから、私は、この妹の私を差し置いて“<カーテナ=オリジナル>(たかが剣一本)”の分際で二本しかない姉君の手を半分も占めている剣を破壊し、その呪縛から手放させたあとは、私がその姉君の手を握ります」

 

 <天使長>に頼らなくても、ローマ正教徒の危機的状況を乗り切るための方法はあるはずだ。

 そう。

 キャーリサをも含む、英国女王の母君と三姉妹が手を繋いで力を合わせれば。

 

 

 そして、言葉に世界が動かされた。

 

 

 味方も敵も、大事なのは数ではなく質―――だが、数と質を別々の天秤に掛けなくてもいい、と。

 それは敵をずっと敵と割り切るのではなく、もしも新しい味方が望めなくても、敵を味方に変える努力をすればいい……そういう意味ではないだろうか。

 たとえ今は『騎士派』から見放されていても、諦める必要はないのだと。

 それは、今のヴィリアンが置かれている状況にもそのまま当て嵌めることができるし、現に英国の状況にも適応できる。

 現に仇でもあったフランスが、ヴィリアンらを助けてくれたのだから。

 敵味方は、その時々によって立場が変わることもある。ならば―――今の姉君、キャーリサに勝つためには、手を結ぶためには、他力本願の限界(極み)である『人徳』を最大限に利用し、『騎士派』と手を結べるくらいのしたたかさが必要だ。

 今のヴィリアンの演説は首飾りの宝石――フリーディアの鉱石ネットワーク――を通じて、海上にいる<騎士団長>が率いる軍勢にも伝わっている。

 

「ほざけ。『墓所』を暴いた程度で調子に乗りおって、勝手な妄想を語り、他力本願を正当化しようなどとは、同じ姉妹だと思うのも忌々しいし。貴様の『人徳』など<カーテナ>よりも遥かに劣るわ!」

 

 ズォ!! とキャーリサの周囲へ見えない何かが噴出する。

 来る、と神裂ら新生天草式は身構え、

 

 ゴバッ!! と。

 轟音と共に、ヴィリアンがいた場所の全次元が切断された。

 

 全長100mにもわたって、不自然に白い物質が帯のように生み出された。整数で表現できる全次元が切断され、その『断面』としての三次元物質が、数瞬遅れてゴトンと地面を揺らす。

 間一髪で、神裂に抱えられたヴィリアンは、それを睨むキャーリサと真っ向から、これまで無かった自信と共に、

 

「ならば、私が優れてる『人徳』をお見せしましょう!」

 

 天地人が揃い、第三王女の合図も出て、これから、『清教派』の策が始まる。

 

 

 

 

 魔術師で空を飛べるものはいるだろうが飛ぶものはいない。

 

 相手より高い位置取りをすることは基本的には有利に働くが、それ以上に現代の魔術世界で空を飛ぶのは危険だからだ。

 十二使徒のひとり、ペテロは『悪魔の力を借りて空を飛ぶ魔術師』――シモン=マグスを主への祈りだけで撃墜した。その伝承を基にした<撃墜術式>が十字教社会に発達した結果、『十字教の教義で説明できる範囲の異端や異教の飛行術式』は、飛ぶのは簡単だが、落されるのも簡単。

 故に、天空を支配するには、移動要塞<カヴン=コンパス>クラスの<撃墜術式>を防ぎ切るだけの大型防壁がなければならない。

 または、“魔術とは法則が異なる方法”で飛んでいるか、“自力で飛んでいるのか”。

 

「―――」

 

 空中での上条詩歌の機動力はまさしく圧倒的だった。鳥のように、という形容すら生ぬるい。音を置き去りにするほぼ無色の光が空中を描く軌跡を追うのが精一杯だ。

 だが、それに追随する八つの未確認飛行物体が、文字通り雨のように光弾が降り注ぐ。

 詩歌はそれを躱しながら本体を探るものの、あちらも音速を超える速度に加えて、およそ人間には耐えられないようなその急制動と急加速で移動しているので困難だ。

 

『ここまで一発も当てられないとは。『学生代表』。確かに貴様は優秀な怪物だよ』

 

 実際のところシルバークロースの戦闘は、強襲する以前から始まっていた。

 これは駆動鎧の熟達者であるものの経験則だ。

 装甲や関節部分などの外装や、バッテリーやモーターなどの駆動部分といった表面的なところではなく、知識や技術を補強する外付電子頭脳(マインドサポート)の掌握こそが重要。

 

『私は貴様のように格闘技のマニュアルがあるわけではない。経験のレベルで再調整された思考こそが最適の攻撃パターンを弾きだす。相手の行動パターンを100%学習すれば、どんな怪物でも攻略したも同然だ』

 

 その為、シルバークロースは<親衛隊>に配属された時から、記録に残る上条詩歌の交戦データ、そして実戦が始まった今もカメラのモードをハイスピードモードに対応させた上で常時解析を続けている。戦闘機激突(ドックファイト)で何度もパーツを破壊されながら、しかし同時に電子頭脳に処理を進めさせていたのだ。

 

「―――ここっ!」

 

 空中での機動性がいかに高くとも、こちらの反撃を意識させた上で、自身の攻撃に自爆しない位置取りが限定されていることを考慮すれば見なくてもある程度範囲が削れる。そこを狙う。

 機械は素直で、常に最善手を取る―――だから、わかりやすい。

 こちらの動作に対する反応が的確だからこそ誘導し易い。

 詩歌は急旋回して、刹那で相手の懐に潜り込み、円を描くように機体の中心部を肘で打つものの、その一撃はまるで予測されていたかのように刃翼の側面を盾にして防がれていた。

 

(やはり、一度見せた攻撃は通用しませんか)

 

 詩歌は僅かに眉をひそめたが、無論その程度で接近で来た好機を逃さない。どのような状況でもどんな相手でも対応できるのが上条詩歌の強みだと認識している。

 ただ、確かにその機械音声の発言は真実で、まるで鏡を相手にしているようだと再確認したのだ。

 ―――<フライングヒューマノイド>は交戦中にも恐るべき速度で進化している。

 上条詩歌の戦法は、変幻自在。だが、ある程度の制限をかけなければ、<多才能力(マルチスキル)>で選択の自由度の幅の広さに迷いが生まれた木山春生と同じ弱点が生まれる。

 その詩歌が心の中で制限しているパターンが、少しずつ削られていくのを実感する。

 本来、一度見ただけの技を二度目に完璧に対処するなどというのは不可能に近い。人というのは反復によって少しずつ学んだものを体に覚え込ませる生き物だからだ。

 が、この相手は違う。

 たった一度その攻撃のデータを得ただけで、それに対応できてしまうのだ。

 

(この永遠の創造性からくる再生能力に機械のような純真さ。厄介な組み合わせですね……)

 

 詩歌は<フライング・ヒューマノイド>からの攻撃を捌きながらも小さく苦笑する。

 最初の衝突に『素直で読み易い弱点』を指摘したが、この学習能力の高さは明らかに『純真に受け入れる強み』だ。さらにいえば足りていなかった戦闘経験を、今まさに詩歌が積ませているのである。

 『限界突破第四位』を搭載した『UFO』の動きも、最初こそただ単に速く正確なだけだったが、段々とこちらの動きを予測し、一瞬一瞬で加速していってる。

 

(これが後輩なら優秀な教え子だと褒めたいところですが、そんなのに付き合ってられるほど暇じゃない。けど、学園都市からの刺客ならば、この内乱に関わる前に行動不能にしなければ)

 

 それでも、余裕がないのは詩歌だけではない。

 

(何故、ここまで整えてきているのに、当たらない)

 

 『FIVE‐Over.Onehand MeltDowner』は、その銃口を瞬時に覆う、光線を拡散させるフィルターをこの『FIVE‐Over.Equ DarkMatter』の機能で何度も再生し、何度も拡散する制圧射撃を可能にしている。八方から点ではなく面で攻めることで、逃げ道など封じているはずだった。

 にも拘らず。

 すり抜ける。

 8体の『UFO』の照準から悉く外れていく。

 確かに、駆動鎧の分析は完璧だが、こと予測能力に関しては訓練を受けた人間よりも劣る。言語化できない直感や第六感といった範囲では、未だ科学の粋を人間の原始的な能力が上回るということである。

 だからこそ、この常識外の怪物の思考が通常の限界を超えていることもあり得る。

 にしてもだ。

 

(その情報にない『翼』は何なんだ!?)

 

 透明だが彼女の背中で動いている、動かしているのが分かる。しかし、理解できない。

 何故人間が自分の腕を器用に扱えるかというと、単純にそういう機能になっているから、というだけではないのだ。これは赤ん坊がグーパーぐらいしか手を操れない事を考えればわかるだろう

 実際の理由は、そこに伝達部位(シナプス)が形成されているためである。

 何度となく行使された結果として、脳や神経が最適化されているのだ。

 いわば赤子の頃からの訓練が、人間の脳に腕という機能を刻みつけていると言っても良いだろう。その結びつきが強いから『幻痛覚(ファントムベイン)』と呼ばれる『事故などで失われたはずの手足が痛む現象』も、最適化された脳が四肢の喪失を受け入れられないために引き起こされるのだ。

 

(だが、それを意識的に動かしているというのか。外付電子頭脳(マインドサポート)もなしに!?)

 

 翼を操作するというのは、常人には不可能だ。シルバークロースにも駆動鎧でなければ無理だ。

 失われた腕を義肢で補う程度ならとにかく、人間の身体に翼が生えたところで、まともに動かしことなどかないはしない。

 だが、上条詩歌はそれをやっている。

 何かコツを掴みすでに伝達経路を作り上げたのか、あるいは制限したことによる副作用か、シルバークロースのように精神でねじ伏せたのか、はたまた宿主がゆえかはわからないが、賢妹はその限界を越えてのけた。

 

 そして、最も焦燥を抱いているのは、

 

(くそっ……! これじゃあ本当に足手纏いじゃねーか!)

 

 この空中戦の最中、文字通り詩歌の足を引っ張り続けている当麻。

 何もしていないわけではない。愚兄が『制限』をかけていることで、安定に動けているのだ。

 それでも戦っていない。

 空中で自在に動けるようにはなってるも、戦うというのは難しい。上条当麻に空中戦なんて経験はないし、普通の人生を送っていれば必要がない。

 <フライング・ヒューマノイド>の攻撃が、異能を介したものではないが故に<幻想殺し>を盾にすることもできない。

 そんな状況に歯軋りする愚兄の心境を感じ取ったように、

 

「無い袖を振れと言ってもどうしようもありません」

 

 自分の振り袖をふりふり揺らしながら、賢妹は軽い調子で。

 

「だったら、その駆動鎧と同じく<他者からの幻想(サポート)>すればいいんです。言ったでしょう? (つばさ)を与えるって」

 

 賢妹の背中から生えたもう一枚の翼が愚兄の首にマフラーのように巻かれる。

 

 

ロンドン

 

 

「―――熾天の翼は輝く光」

「―――輝く光は罪を暴く純白」

「―――純白は浄化の証」

「―――証は行動の結果」

「―――結果は未来」

「―――未来は時間」

「―――時間は一律」

「―――一律は全て」

「―――全てを創るのは過去」

「―――過去は原因」

「―――原因は一つ」

「―――一つは罪」

「―――罪は人」

「―――人は罰を恐れ」

 

 倫敦の街で、ひとりの声に、もう一人の声が続く。

 まるでしりとりをするように前の終わりの単語から祈りの術句が絶えず繋げていく。

 元ローマ正教の250余のシスター部隊による集団詠唱。

 だが、大合唱の聖歌隊はキャーリサの視界にはいない。山彦のように声だけが聞こえる不可思議な現象。

 普通、これほどの集団ならば目立つはずだ。だが、彼女達は全員別々の場所に配置されている。

 このロンドンで、スタンドの数より多い教会の鐘の下にひとりずつ。

 ロンドンにある教会の鐘のことなら誰よりも詳しいイギリス清教の魔術師<鐘楼斉唱>トーキー=シャドウミントがサポートについて、別々の場所にいながら、声をひとつにしている。

 

「―――恐れるは罪悪」

「―――罪悪とは己の中に」

 

 そこに乱れはない。

 信仰を共有し、共に海を渡ってこの異国の土地にきた仲間達に乱れなどない。

 まして、この“耳に慣れた”聖句は、ローマ正教のもの。

 猫目の長身のルチアと三つ編みの二つのお下げの小柄の少女のアンジュレネ。

 

「―――己の中に忌み嫌うべきものがあるならば」

 

 戦闘は専門外のオルソラ=アクィナスまで参加したこの大魔術。

 

「―――熾天の翼により己の罪を暴き内から弾け飛ぶべし!!」

 

 最後、アニェーゼ=サンクティスが両手で持って高く掲げた<蓮の杖(ロータスワンド)>で、その教会の大鐘楼を叩く。

 同時。

 <蓮の杖>による指定した空間への干渉で、アニェーゼの部下たちが陣取る教会の、彼女達が<蓮の杖>の補助するマーキングした箇所――大鐘楼が刹那もたがわず一斉に鳴った。

 

「参加人数は253名。数の上じゃあ大したことねーですけど、『清教派』も舐められたもんじゃねーですよ。教会の鐘音に乗せてしりとりみたく繋げることで、さらに高らかに福音を鳴らし、このロンドンそのものを一個の巨大な聖域を敷くなんて真似――限りある人員をフルに連携させた複合福音復唱。こんなもんを考えんだから、あの腹黒聖母は油断なんねぇですよ」

 

 法の書事件では、攻められる中で完成させられた赤髪の神父の炎の巨人にやられたが、今回は逆。

 討たれ弱いが攻めるのが得意な司令塔の修道女はうっとりと好戦的な笑みを浮かべ。

 

「さあ、今回は私らがはめさせてもらいましょうか」

 

 

 

 彼方から、

 

 カァァン―――

 

 と音が聞こえた。周囲から一斉に。ロンドン自体が声を上げたように。音の衝突は盛大に、景色が陽炎のごとく歪む。

 キャーリサは咄嗟に顔を上げる。すると、太陽が頂点近い空に、まるで花火のように一筋の線を引き、ぱっ、と拡散し(開い)た。

 続いて二発目。三発目。四発目……

 祭太鼓の如く大気を震わせる鐘の音、華やかな光彩が上空に連鎖する。そして、開いて散った花びらは、この蒼穹に溶け込むような青白い光と化す。街に人がいれば、手を止め、足を止め、目を開け、口を開け、しばし声もなく同じ景色を見入ってしまうだろう。

 咲いては散りゆく光の大輪。

 途切れることのない音と輝きが、はかなくもきらびやかな競演を繰り広げた。その絢爛たる光景は、見る者の心を素朴な驚きと喜びで満たしていく。日頃の不満や心痛、哀しみといった負の感情を、空に運んで行ってくれるように。

 

 そして。

 上空に舞い上がったそれは首をもたげる竜のように一気に降りてくる。

 杞憂を現実にさせたかのように青空がそのまま落ちてきた。

 圧倒的な数の青白い球体は、まさに世界を洗い流したノアの洪水。

 

 かつて世界最速の錬金術師アウレオルス=イザードが己の拠点に仕掛けた大魔術を同じローマ正教に所属していたシスター部隊に合わせるよう<禁書目録>と<幻想投影>が編纂した<偽聖歌隊(グレゴリオ・レプリカ)>。

 本来は3333人もの聖呪が必要だが、街の神への信仰の象徴である大鐘楼を利用することで土地を味方につけて補った。

 塵も積もれば山となり、滴も溜まれば海となるその具現とも言える。

 そして、その流れは修道女ひとりひとりの思念に誘導されており、街を破壊を回避し、逃げる相手を追尾することもできる。

 過去に多くの人間の祈歌が彼らを閉じ込める壁を崩したという逸話を再現するよう、『叛逆の』王女という巨大な壁に楔を打ち込む。

 硬い岩ですら、裂け目に楔を打ち込めば簡単に割れる。キャーリサが<天使長>の力を得ているのは、<カーテナ=オリジナル>のおかげであって、キャーリサ自身にそこまでの力があるわけではない。

 その裂け目(弱点)を狙い、今この場でキャーリサに打ち込まれようとする楔は、文字通り雲霞のごとく。

 

「塵が積ってもどこまでも塵だし!」

 

 しかし<天使長>と同格の『叛逆の』王女は、世界が違う。その速度は、人の領域を超えており、修道女達の思念より速く、ジグザグと不規則に動いて―――が、真正面に待ち構えられていた。

 

「―――いいえ、あなたは動揺し、思考が乱れています。先程ならば、この(ルート)は選ばなかった」

 

 唯一、一時的とはいえ高速安定ラインの世界に踏み入れる神裂火織。

 

「『特別な人間』だけで全てを成し遂げられるとは思わないことです。我々が全力を出せるのも、それを支えてくれるものがいればこそ。現に、多くの人間が集った大魔術に全方位を埋め尽くされたことで、あなたは自然と死角からの攻撃を意識せざるを得ず、本来ならまたあるべき選択肢が狭められているんです」

 

 その周囲には、天草式八名が集っていて、最後の宝石の文殊が砕けた。

 

「時に神の理へ直訴するこの力。慈悲に包まれ天へと帰れ」

 

 聖母の呪と共に聖痕が輝く。

 月は出ていないが『八犬士』のブーストで補い、その一神教の主さえも裂き、神格を得ている大太刀<七天七刀>が抜けれた。

 ―――<唯閃=雪月花>!

 

「ッ!?」

 

 誘導された自分にキャーリサは唇を噛み、<神の如き者>の方が<神の力>よりも上位だと考えているが、同じ<大天使>同士の衝突は避けるため、<偽聖歌隊>の波状攻撃が待つ上空へ回避。

 ガガガガガザザザザザギギギギギッ!! と火花の嵐が、飛翔するキャーリサの下にできていき、様々な角度から迫る青白い聖球に対し、残骸物質を撒き散らしながら、<カーテナ=オリジナル>を振るい、次々と受け止め、いなし、捌き、弾き返しながら、安全圏の空に。

 しかし、それさえも誘導された結果だったのか。

 何故ならば、自力で飛べぬ者に、空は安全圏などではないからだ。

 

<カーテナ>の軌道を上に(C T O O C U)斬撃を停止せよ(S A A)

 

 儀式魔術の利点は、膨大な魔力を使えることだけに非ず。

 多人数で聖歌を詠唱することにより、負担を軽減させる並列術式や、そうした並列によって他の音を潜ませる隠蔽も可能だ。

 街が揺れるほどの聖歌は、『清教派』の秘密兵器の声を意識から消して、無意識に脳へと届けていた。

 

(<禁書目録>に小賢しい技を身につけおって!)

 

 <聖人>が待ち構えるルートへ誘導したのもその声か。

 彼女の額飾りに宿る魔術回路は、<誠実の霊(ジブリール)>―――『無知だった預言者に、神の言葉を読ませた』異教の天使。

 他者の助け――<四葉十字(クローバークロス)>を魔力源にし、胸に抱いた<妖精貴猫(ケットシー)>に代言させ、発動。『伝令』を司る<守護天使>である<神の力>の念話を応用した遠距離からの<強制詠唱(スペルインターセプト)>。

 <カーテナ>の解析は完璧ではないが、ある程度の誘導は出来たのだろう。

 直接ではないので、気づけば本人の意思で割り込みに逆らえるだろうが、不意打ちには効果的だ。

 

 

 

 切り札は切る時は一気に。

 ただでさえ総勢力でも戦力が上回っているのだから、波状攻撃で反撃させる間も与えさせない。

 天上の陽光を掻き消すほど真っ白な閃光が、<カヴン=コンパス>の中心部の上方20mの位置に球体の形で出現している。

 神殿クラスの大規模術式魔導回路が造り出す強大なエネルギーが辺りの空気を膨張させ、気圧の変化を生み、嵐の如き暴風を生み出して―――今、解き放たれた。

 

『―――砲撃開始! ファイア!』

 

 それは。

 もはやレイザー砲やビームなどと称されるような代物ではない。

 敢えて言うならば―――柱。

 濃密な魔力で形作られた巨大な光の柱が、<カヴン=コンパス>とロンドンを一直線に繋ぐように伸びていった。

 

 

 

「ッ!?」

 

 初めて、キャーリサの顔色が変わった。

 より濃く練った空中要塞の力とはいえ、そんなものは<カーテナ=オリジナル>が制御する力の半分にも満たない。ただし、それを受ければ<カーテナ=オリジナル>の制御が狂い暴走する可能性がある。

 清教徒(ピューリタン)革命時に<カーテナ=オリジナル>が紛失したという史実から、<カーテナ=オリジナル>の暴走こそが打倒国家元首の足掛かりになると踏んだのか。

 だったら、甘い。

 この程度で致命的なダメージを与えられるとは思わない。

 直撃する前にその次元ごと大規模閃光術式を切断する。

 ドバッ!! という轟音と共に、『叛逆の』王女を中心とした巨大な華が現れる。それは白色の鋭利な構造物が織りなす絶滅の花弁。全方位に出現させた残骸物質は、万物の次元を断つ刃であり、次元を遮る防壁。

 

「これが、他力本願の限界だ!」

 

「いいえ、まだ他力本願の限界(頂点)は終わってません、姉君」

 

 高々と“放ち終わった”クロスボウを掲げる第三王女が宣告する。

 

 

 パガッ!! と。

 ヴィリアンが放っていた三本の矢に、<カヴン=コンパス>の大規模閃光術式が直撃した。

 

 

 ヴィリアンの桃弧のクロスボウに装填された三本の矢を、キャーリサは攻撃のための術具かと睨んでいた。

 三本の矢に当たった瞬間、大規模閃光術式が変質した。

 純白の閃光は、一気に爆発拡散し、細かな水滴となり、一時、代名詞にもあるとおり、澄み切っていたロンドンが霧の街へと。

 コンビネーション術式。

 第三王女自身に具体的に魔術を扱う魔力も知識もない。

 ならば、補えばいい。

 その首飾りの宝石――<必要悪の教会>の鉱石ネットワーク――から通じた<禁書目録>から助言を聞くことができる。

 <カヴン=コンパス>から運ばれた魔力を利用し、10万3000冊の魔道書を保管する<禁書目録>から受けた助言の通りに魔術的記号を織り込む。

 英国の大地から供給される膨大な力と、神にも至れる知は、<天使長>にも届くか!

 

「くそ、小細工を!!」

 

 だが。

 この楔を打ち込むための亀裂(ミス)も作ることが許されない状況で、金塊以上に価値の跳ね上がったわずかに残された猶予の時、普通、その貴重な時間を費やし、新たに防壁を張るか、あるいは全力で回避しただろう。

 しかし、キャーリサは、そうはしなかった。

 彼女の視界の端で、矢を放った大事な護衛対象(ヴィリアン)の付近に『清教派』はいないことを捉えていた。

 

(終わりだヴィリアン。ここでお前を跡形もなく消し飛ばしてやる!!)

 

 改めて<カーテナ=オリジナル>を大きく振り回す。

 100m級の巨大な残骸物質が生み出され、ヴィリアンを狙い撃ちにする。

 このタイミングでは回避も防御も不可能。

 相打ちだとしても、空中要塞程度の力で傷つけられるはずがない。

 

 ドパッ!! と炸裂する―――大量の足音。

 

 またも狙っていたヴィリアンの身体が消えた。横から掻っ攫われた。

 

(まさか、この霧雨の狙いは!!)

 

 『清教派』はいない―――だが、『騎士派』はいた。

 <桃弧棘矢>

 この三本の矢――三つの桃から作られた矢。日本の主神が、桃を三つ投じると黄泉の悪霊はそれを嫌って帰ったという。

 この歴史が積み重なった、すでに“死した思念”を『騎士派』から解き放ったのだろう。

 そこから離れた位置に、<全英大陸>のラインも切れたが、『全英博物館』から解放され、自意識を完全に取り戻した完全武装の騎士に守られている第三王女の姿が。

 

「罰には応じます。このクーデターが終わったら、我らの首を切断してもらっても結構」

「ですが、せめて処断を受けるための下準備程度は、我らの手で」

「願わくば、再び貴女達『王室派』が力を合わせ、EUとローマ正教と正しく向き合ってくれることを」

 

 迷いのない言葉だった。

 彼らは、自分がこれまで行ってきたことを『変革』ではなく、『クーデター』と初めて言った。

 キャーリサの前で、騎士団長がいないのに。

 だが、ヴィリアンは騎士達の背後ではなく、自然と前に出て。

 

「助けてくれたのには礼を言います。ただ解放しましたが、あなたたちに戦えとは言いません。身勝手な死を押し付けられても迷惑なだけです。本気で償いをしたいというのなら、喜ぶようなことをしていただきましょう。何をすべきかは、各々が自らの頭で考えてください。強要されて嫌々行うのではなく、自ら率先して行うことにこそ、意義はあるのでしょうから」

 

 まるで、事前に打ち合わせでもしていたかのように、騎士達は第三王女の方を向いて、跪き、頭を垂れた。

 いや、あの演説の途中から、『騎士派』の面々の意識はただ一つに固まったのだろう。

 その今までにないしっかりと芯の通ったの言葉をしばし噛み締めるために無言で頷くしかない。

 

 そして、ヴィリアンが重力に引かれ落下しているキャーリサに照準を合わせて<桃弧棘矢>を放った。

 

 たかが、矢。

 こんなもの避けるまでもない。それに落下していく計算もできなかった素人の矢。

 キャーリサの頭上を矢は通り過ぎて―――

 しかし『人徳』はその予想を上回った。

 さらに続けて、胸元の首飾りからこんな声が響いた。

 

軌道を歪曲(B A O)下方向へ変更(C D)!」

 

 またも聞こえた<禁書目録>の助言。

 <カヴン=コンパス>から放たれた大規模閃光術式が、修道女の言葉に従い、捻じ曲がる。

 

「な―――」

 

 『叛逆の』王女は、怒りを通り越して驚愕する。

 ヴィリアンの<桃弧棘矢>を避けるように、<カヴン=コンパス>が放つ巨大な光の柱が、無理矢理こちらの動きに合わせ、キャーリサに突き刺さった。

 桃を避けるのは魔――つまり、これは最初のものとは違い、

 

 

 爆発が、起きた。

 街の霧を一掃するほどの、凄まじい爆発が。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ベチョリ、とドレスの紅と違った赤が滲む。

 『叛逆の』王女の血だ。

 光ファイバーか。

 <カーテナ=オリジナル>と閃光で接続した<カヴン=コンパス>からの強制逆流。

 <カーテナ=オリジナル>と比べれば、<カヴン=コンパス>の力は二割がいいところだ。

 だが、硬い岩も亀裂に楔を打ち込めば、割れる。

 <カーテナ=オリジナル>とは異なるイレギュラーな力を強引に通されたことで暴走し、その<天使の力>を体内で充填させていたキャーリサは、まるで袋いっぱいに詰めた刃物が内側から突き出るように肉体を傷つけられた。

 そして、この桃の霞みは、この爆発が街全体に被害を及ぼさないために展開させたのだろう。

 完全にデザインされた戦術。

 『軍事』の天才である自分も、素直に感服しよう。

 しかし、ヤツは優秀すぎた。

 

「……流石に、今のは効いたし」

 

 ゾクリ、とその場にいた全員の背筋に悪寒が走る。

 暴走したのは一瞬で、抑えつけた。

 本当ならば五割を抉り取られただろうが―――削られたのは、二割程度。

 代わりに、あの一瞬で<カーテナ=オリジナル>を納刀した『賢妹が制作した鞘』が砕けた。

 <カーテナ=オリジナル>もキャーリサも健在だ。

 手の甲で唇に残る血を拭うと、口角を上げる。

 

「……やはり、<カーテナ=オリジナル>を破壊しない限り、どうにもならないようですね」

 

 『清教派』の神裂火織が、苦い顔でポツリと呟いた。

 もっとも、もうこちらが用意した策は尽きたのだが。

 もう『八犬士』の宝石文殊も尽きたし、一度限りの切り札も切ってしまった。そして、今ので、キャーリサが最も警戒する存在が、ちょっとやそっと出来れる距離にいないことが気づかれた。

 もう、これで均衡状態を保つこともできなくなった。

 切り札を切る時は一気に―――あともう一枚、あの兄妹がいれば。

 

(いいえ、もう十分彼らは手を尽くしてくれた。あの兄妹(二人)の手をこれ以上借りることを期待しているのは間違ってる、のに……)

 

 <必要悪の教会>の魔術師を裁く魔術師として、粘り過ぎた。

 機を待ち過ぎた。

 あと『八犬士』の文殊にもうひとつ余裕がある時に、勝負をかければ、今の暴走の硬直に一か八かで斬り込めたかもしれない。

 期待や願望は、冷静であるべき戦場の司令官が決して抱いてはいけないものだ。

 

「本当はあの腹黒の臨時指揮官か母上のエリザベートを招き寄せてから撃ち込む予定だったが」

 

 <カーテナ=オリジナル>を持つ国家元首がどれだけ恐ろしい存在か、英国の魔術師ならば誰でも知ってる常識だ。

 『清教派』と『騎士派』が束になろうと、手傷を負わせるのが奇蹟だ。

 

「うむ、ここは『クーデターを必ず成功させる』という流れをもー一度作ってやらねばな」

 

 そして、『叛逆の』王女はまだ奥の手を残している。

 

「さてさて、雑魚にしては頑張ったお前らへのお返しに、『軍事』の本領を見せてやろう」

 

 剣を肩で担いだまま、ドレスの開いた胸元へ手を伸ばし、そこから小型の無線機を取りだす。

 けして魔術的な霊装ではなく。

 その無線機に向けて、キャーリサは無表情に告げる。

 

 

「全駆逐艦ウィンブルドンに告ぐ。バンカークラスター弾頭を搭載した巡航ミサイルを準備するの。弾頭の起爆深度を-5mに設定、ミサイルの照準をバッキンガム宮殿に合わせ―――即刻発射せよ」

 

 

 

 

「キャーリサ様っ!?」

 

 第一線に加わるために身体の休息に努めていた騎士団長が焦る。

 バンカークラスター。

 軍用シェルター施設を破壊するために開発された特殊弾頭。

 上空4000mで爆発子弾を200発ばら撒き、高度エネルギーを利用し貫通威力を高め、半径3km四方を吹き飛ばす。

 被害はバッキンガム宮殿だけには留まらない。ロンドンもただでは済まさない。

 

(超音速関連に力を入れている英国の軍事技術に開発されたものは収納式の翼の形状と細部にもこだわっている。巡航ミサイルは低空でもおよそマッハ5――発射すれば500km程度の距離ならば5分もかからないぞ)

 

 鉱石ネットワークは広範囲に敷かれているようだが、全海軍に聞こえてる可能性は低い。

 ヴィリアンの演説を聞かず、暴君の命令通りに自国へミサイルを放つ軍艦がいない可能性は……

 

「まだ、全力で動けるほど体力は回復していない、であるか。先に行くぞ」

 

「ぬかせ。もう貴様には後れを取らんといったばかりだろう」

 

 それ以上の言葉は必要ない。

 かつて共に数々の危機を未然に防いできた時と同じように、彼は共にぞんざいな調子で信頼を預けるように、こういった。

 

「行くぞ。ここで動けないようだったら、真剣に引退を考えるべきだ」

 

 キャーリサ様は、たった一人であれだけのことが成せる方だ。その力を正しく扱い、なおかつ他の『王室派』の方々と力を合わせることができれば、必ずやローマ正教を退けられることでしょう。

 だから、これ以上間違ったことをさせて、キャーリサ様を一人きりに追い込むわけにはいかない。

 

 ゴバッ!! と流氷のような塩の大地が爆ぜた。

 

 二人が同時に駆けたことで、足場の方が耐えきれなくなったのだ。

 そして、浮遊術式もそこそこにもはや肉眼で追いかけるのも難しい速度で海を走ると、まだ制圧されていない海軍艦へ。

 傭兵は右へ。騎士は左へ。

 左右へ広がり、発射の兆候が見えた軍艦を一刀で落していく。

 

 

 同時。

 

 

 『清教派』が保有する人魚のような伝承を扱う魔術師ら対海中の相手するための潜水型母艦<セルキー=アクアリウム>。

 

「急げ! 一発でも逃したらロンドンにいる奴らは全滅するぞ!」

 

 青空を裂くような、細く鋭い漆黒の闇――それは、400は超える『清教派』の<セルキー=アクアリウム>が張った弾幕。

 次いで、充填が終わった<カヴン=コンパス>の大規模閃光術式を空へ。

 しかし、その前に強襲。

 バタタタタタタタ!! という風を切る連続的な音が『清教派』の空中要塞めがけて飛んでくる。

 

(まさか……ッ!?)

 

 白。

 未完成のプラモデルのように色付けを怠ったような巨大な物質。扇状の巨大な物体は、高速で回転することで浮力を得ているのか。

 馬鹿げたそのサイズは50m、扇の角度は90度ほど。

 そう、これは<カーテナ=オリジナル>の生み出す全次元切断の残骸だ。

 ステイルが認識した直後。

 水平状態を維持したまま高速回転していた巨大な扇が、カクン、と斜めに傾ぐと、あっという間に浮力を失い、ヘリコプターの墜落シーンにも似た挙動で<カヴン=コンパス>めがけて落下を始めた。

 攻撃のために全ての力が使えるのなら、攻撃力は100。しかし、ここまで射程距離をのばすための術式を組み込んだ場合、その分だけ攻撃力に裂ける割合は減ってしまう。

 確かに、最初から物理的な距離を考えず、宇宙のどこへでも同じダメージを与える術式も存在するが、これは明らかに力任せに無理を通した感じだ。攻撃力は本来の半分もいかないだろう。

 ただし、それでもこの城の城壁も一瞬で切断する巨大な回転刃は空中要塞に致命的なダメージを負わせるだろう。

 <カーテナ=オリジナル>を手にした国家元首はそれほどまでに圧倒的だ。

 空中要塞を全力で動かしても間に合わない。

 

「―――発射変更(C)竜脈を四つの方角へ分配せよ(P S C S T)!!」

 

 途端、『人柱』と動けないステイルと三人の魔女の中で、膨大な魔力が弾けた。

 プロの魔術師の霊的感覚さえ麻痺させる、異常に異常を重ねた途轍もない生命力。

 そう、これは新しく道をつくり、大陸の歴史を通して清浄に濾過された<竜>の気。

 その一端を<禁書目録>が鼓舞にも似た詠唱誘導によって<カヴン=コンパス>を通して引き上げ、自分にはない魔術回路の代わりに四大要素(エレメント)を回路に“方位磁石”を回した。

 ステイルは思わず持ち場を離れようとし―――が、踏みとどまる。この瀬戸際に華奢で小柄な少女は、その銀色の髪の毛を震いもせずに怯えず、前を見据えていて、あの賢妹が渡していた手鏡を頭上に。

 

「にゃ~!」

 

 三毛猫がなく。そして、数瞬後。

 空から断罪刃が落ちてきて――――

 

「……」

 

 それから束の間、何が起こったのか分からなかった。。音がまったく聞こえなくなっていた。

 足元が未だにがたがたとゆれ、魔女を乗せた空中要塞が浮かんでいる、というのが最初に分かった。

 そして、空を見れば、白い残骸物質がこちらから離れて――ちょうどバンカークラスターを撃墜する方角へ飛んでいる。

 

「<方違え>。元来、陰陽道において時の吉凶、方位の吉凶を占うのが主だったんだよ。それで、どうしても凶方へ行かなくちゃいけない場合、その方角の吉凶を捻じ曲げる術も開発してたんだ」

 

 ある意味では、霊符や式神などよりも陰陽道の本道に則った呪術。それをこの方位(コンパス)の儀式場に組み込んだのだろう。

 <カーテナ>が生み出した残骸だが<神の如き者(ミカエル)>が司る方位は、西、ということからその方位に磁石のように引き寄せられ易い性質がある。それを解析して、“空中要塞(コンパス)”を回す<方違え>の割り込みに利用した

 予め、インデックスが上条詩歌の協力の下に、この<カヴン=コンパス>に適した防衛線を幾つも張っている。

 鏡を掲げていた修道女は決して膝を折らずに、堂々とその場に立っていた。それだけならば、大したものだと感心した程度だっただろう。

 だが、そうではない。

 インデックスは銀髪をなびかせながら、勝気に笑っていたのだ。

 ステイルは呆気にとられて眺めてしまう。こんな場所で、この状況で、笑っている。インデックスが、か弱いだけ、無垢なだけの乙女ではないというのは、重々承知していたが、ステイルはその笑顔を見て、改めて理解せざるを得なかった。

 インデックスは喜怒哀楽を持つ、ひとりの確固たる存在なのだと。自分がその全てを理解している、守り、あやすだけの子羊ではないのだと。

 ステイルは、持ち場を出ようと一歩前に出た足を引き摺るように直立体勢に戻してから、自分が動揺していることに気がついた。

 ほんの一時、あの兄妹と行動を共にしただけで成長した第三王女だが、ならば、そんな彼らと毎日過ごしていた修道女は?

 彼女もまた強くなったのだと。ひとりで魔術戦をやってのけたほどに。

 

(いつのまに……)

 

 ステイルは半笑いを浮かべると、再度、大規模閃光術式の回路の役を果たす。

 たとえ何があろうと彼女を守る誓いに揺らぎはない。

 

 

 しかし、バンカークラスターの全てを打ち落とすことは叶わなかった。

 

 

ロンドン

 

 

 軍艦からロンドンまで500km。

 

 300秒でここから3km以上逃げるなど、普通の人間の足では無理だ。ここにいる戦闘で消耗した『清教派』はほとんど全員間に合わない。

 

「やらせはしません」

 

 神裂火織は手の中の鋼糸を確認する。

 300秒で逃げられないのなら、300秒で空中に防護結界を展開する。効果範囲は街の一ブロックと半径3km、処理するのはバンカークラスター200発の子弾。

 <聖人>としての力をフルに行使すれば、決して不可能ではない。

 青空に7本の鋼糸を張り巡らせ、三次元の魔法陣を―――

 

「隙だらけだぞ、<聖人>」

 

「……ッ!? 女教皇様!!」

 

 近くにいた五和が咄嗟に叫ぶも、舌舐めずりするキャーリサが<カーテナ=オリジナル>を振るう方が速い。

 鞘にチャージされた聖水を使い切る切り札を行使した以上、キャーリサに神裂の間合いに踏み込むことに何の躊躇もない。

 そして、バンカークラスターが落ちてこようと<天使長>と同格であるキャーリサが負傷するはずがない。

 こちらから意識を外し、途中の防護結界を100m級の全次元切断で断つと無防備な術者の神裂を鞭のようにしなる脚を胴体を蹴って、吹き飛ばす。

 

「確かに貴様ら全員をお手玉するのは面倒だ。おまけに『人徳』で敵も味方につけたのは見事な手腕だ。味方の数が勝敗を決するということも、『軍事』という観点からでも評価はできるのだが」

 

 『清教派』の要の<聖人>を斬らずに、あえて蹴り飛ばした先には、新生天草式。

 

 

「だが、だからこそ―――そこに勝機があるとは考えなかったの?」

 

 

 ゾワリ、と。

 『叛逆の』王女を中心に嗜虐的な暴威が場を支配する。

 即断即決の戦場の鉄則に忠実な第二王女の行動は迅速、そして容赦がない。

 その足元にあった残骸物質を限定的に<天使長>の力が宿っている恐るべき脚力で蹴りあげ、5m以上もの鉄よりも重い塊が、神裂の元に駆け付けた天草式の面々に向かって飛来。

 

「なっ」

 

 ドバッ!! という爆音と共に複数の影が宙に飛ばされる。

 対し、完全武装の騎士らが、前線の天草式が戦闘不能になったことで自分達が代わりにと前に出て―――ドッ!! と真後ろから衝撃。

 

「がっ」

 

 キャーリサによる攻撃ではない。<カーテナ=オリジナル>の挙動に関しては最大限の集中を発揮していた。

 だが、同じ向きに向いたとはいえ『騎士派』と『清教派』の連携は不完全だ。

 騎士達を襲った一撃は、後方支援していた<必要悪の教会>の魔術師。

 悪意があったわけではなく、彼女達も天草式の後退を支援しようとこのバンカークラスターが落ちてくる寸前の危険な状況下で放ったものだった。

 しかし。

 大きく、余裕に<カーテナ=オリジナル>を振るった軌跡から、巨大な回転刃が騎士達に直撃。

 

「ッ!?」

 

 慌てて各自の武器で迎撃を試みたが、当然、<全英大陸>のバックアップが断たれ『天使軍』ではない彼らに<天使長>の一撃を跳ね返せるはずがない。中途半端に弾いた結果、重たい衝撃に騎士達の身体は地面にたたきつけられ、回転刃は軌道を曲げて生き物のようにのたうち回り、被害を拡大。

 

「どれほどの数が結集した集団であっても、その本質が個と個の繋がりであるかぎり、切り裂くための隙はいくらでも存在するの。たとえ魔術的な思念や科学的な脳波を接続した所で、これは絶対に消えることはない」

 

 253名のシスター部隊も。この状況にバンカークラスターから街を守るべきか、キャーリサを押さえるかで意見がバラバラで、リーダーであるアニェーゼでも収拾がつかない。

 <偽聖歌隊>は全員が一体となって歌うことが条件にある以上、今の状況ではとてもできるものではない。

 キャーリサは頭上に向けて<カーテナ=オリジナル>を矢鱈滅多に振り回し、ロンドン一帯――教会のある地点辺りに巨大な残骸物質を飛ばしていく。

 

「真の意味で一つの個として完成された集団など、所詮は夢想の産物。むしろ、数が増えれば増えた分だけ、切り裂く糸口も増すというものだぞ」

 

 軽く『清教派』と『騎士派』を蹴散らした後、挑発するように、単独では何もできない第三王女を見る。

 

「ま、国家元首は<天使長>の力を使えるから、正直、近衛兵(味方)など必要ないの」

 

 子供のケンカとは違う。数千でも、数万でも、ただの集団では動じない。

 常に優勢なのではない。劣勢になる兆候があれば即座に封じ、体勢が揺らぐ前に全てを予防するからこそ、『叛逆の』王女の優勢はひっくり返らない。

 英国王室で『軍事』に最も優れている天才は、元より集団での戦闘には手慣れている。

 

「ほーら、バンカークラスターのご到着だし」

 

 胸の内を暴かれ、なお暴君として君臨する『叛逆の』王女。

 彼女が指す上空、陽光に紛れて一点の光点。

 

 

「吹き飛べ愚民共!! これが我が『軍事』の本領だ!!」

 

 

 万策が尽き、逃げることも、責めることもできず、ヴィリアンは心底悔しそうに。

 

 だが。

 

 ハッと何かの接近に勘付いたように頭上を見上げ、振り返った。

 

 

 ドッゴォォォ!! と。

 キャーリサの背後の建物の屋上にあった軍用通信用の巨大アンテナに、“樹木が突き刺さった”。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 バンカークラスターはいつまで経っても来なかった。

 

 代わりにきたのは、巨大な樹木。

 それが鉄塔を一気に潰すほどの勢いで地面に植え付けられた。

 その地面との衝突の余波で起こった爆風が、場の空気を一掃するように吹き荒れる。

 それでもこれは“前の”と比べれば、まだ加減している方である。

 そして、大樹の根元には、2つの影が寄り添うように、というかひとりに担がれて立っていた。

 

「こちらに飛んできたのは解体してしまったので代わりに、<太陽爆発に比類する鉄槌(フレアスカート・バンカークラスター)>お届けにまいりました」

 

 ひとりは、その振り袖が翼のように羽ばたき、天女のような羽衣をまとった少女。

 

「これで英軍への無謀な指示は出せねぇぞ。自分達の国土にミサイルを撃つなどの真似を、軍人が指示もなければしたいはずがねーからな」

 

 もうひとりは、馬子に衣装の礼服に首にとても長いマフラーようなものを巻き、ツンツン頭の少年。

 で、少年は肩車の反対、少女のお尻にツンツンの後頭部を挟むように太股を両肩に乗せて、頭を地面真下にしながらも腰を抱くように腕を巻く

 エストニアン・スタイルだ、とヴィリアンは記憶の中からその単語をすくい出す。

 イギリスのアイルランドには、嫁運び競争という夫婦で参加する名前そのままの夫が妻を担いで、約250mの障害物レースを行う祭りがある。

 担ぎ方も様々で、エストニアン・スタイルという独自のやり方や、おんぶ、肩担ぎ、肩車、お姫様だっこもあり。

 19世紀末に村から女性を担いで盗みだす風習や、盗賊がその腕っ節を見せるためにライ麦袋を担いで競争したのが由来だとか。

 ただ。

 そんな嫁運び競争のイベントがあることを聞いてるが、空を飛んで600kmを移動したという話は聞いたことがないし、道中、刺客をかけずに撃退するだけでなく、障害物(ミサイル)をぶっ壊すなど常識外だ。というか、非常識だ。

 

「おめでとう、表彰モノのファインプレーだったぞ。まったくよくもふざけた真似して邪魔してくれたな」

 

 言葉の調子とは裏腹に、今までで最も忌々しそうな表情を浮かばせた『叛逆の』王女は、憎たらしいほど最高のタイミングで現れた兄妹を睨んだ。

 

 

 

 

 何だ、あれは……

 右手を除けばただのLevel0だと聞いていたのに……

 あれでは話が違う。

 まるで自分と同じく駆動鎧を装着したかのように……

 

 頭部の装甲が砕かれ、長髪の端整な青年の顔をのぞかせる。これが素顔。一度なくして、また手に入れたモノ。

 追撃する機能を奪われ、落下速度を低速させギリギリ無事着できる程度の浮遊の余力しか残っていない。

 だが、制御中枢を破壊されようと、この駆動鎧は自律している(生きている)

 一定水準を超えた駆動鎧は、サイボーグと本質は同じだ。外を補強するか、中を補強するか。ただそれだけの違い。

 故に、人体の破壊に意味はない。それはそのまま外殻によって補強される。手足の骨や筋肉を砕かれ断たれても、血管損傷による失血しても、各種内臓の破損し機能停止しても、それらは全て駆動鎧を経由させれば行動に何の支障はきたさない。

 脳さえも電子演算による知識や技術の補正で充分間に合う。

 シルバークロース=アルファは人間を超えるため、『怪物』との親和率を高めるために、車椅子の女性から体内にも<未元物質>を注射している。

 この効果が働けば、落下最中にでも破損部位は再生し、第零位を追えるだけ―――

 

「な、に……?」

 

 復元していたはずの白い装甲が、張力を失ったように形を維持できずスライムに。肌にへばりつくと――――肌の汗腺といった穴から内部へと入り込んでいる。シルバークロース事態は全くの無傷だというのに。

 と、気づく。

 

「う……うおおっ! やめろっ……! 入るな……っ! 聞いていないぞ、こんな……木原―――騙したのか!」

 

 シルバークロースが駆動鎧をつけるのはあくまで補強。『怪物』になるにしても人間として戻れるだけの保険があったから受け入れたのだ。

 多脚になろうが、羽根が生えようが、肉体がどうなろうが、シルバークロースがシルバークロースでいられたから。自我を喪失し、兵器自体とはなりたくない。

 悲鳴じみた、シルバークロースの絶叫。しかし、駆動鎧の弊害のひとつとして機能停止または解除後、自分の身体の機能を取り戻すのに“慣れ”――脳が受け入れるだけの時間が必要なのだ。いくらシルバークロースとはいえ、この正規品ではない実験品を長時間の使用後は数分胎児と同じ。暴れようにもこの白い泥を払うだけの行動はできないのだ。

 

「おおおおお―――ッ! こいつ……俺の中に入ろうとッ……やめろッ! やめろおおお―――ッ!」

 

 青空に甲高い悲鳴を迸る。

 だが、ひび割れた怒声は、その呪詛に満ちた呻き声に、そして、徐々に弱まっていく。

 

 呪われた呪具は、主の人格を乗っ取ってしまう。

 

 ならば、この世ならざる物質で構成された分身の残骸からつくられた駆動鎧は?

 

 魔術も科学も突き詰めた極点は同じ。

 

(もしかして俺は、これを甦らせるために利用され―――)

 

 不意に。

 思考が途切れた。

 恐怖、怒り、その他の感情がシルバークロース=アルファの自我と共に全て抜け落ち……

 

「……sgksd未wd元cm物質acws侵hik食a―――――」

 

 それは夏の祭りに分かれた残留意思。

 

 

つづく


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