とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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英国騒乱編 王室断絶

英国騒乱編 王室断絶

 

 

 

学園都市 道中

 

 

 ある日の午後。

 

 

『いぇい! お待ちかねの兄妹恒例もしもシリーズ』

 

『いぇい! って、兄妹恒例っつったけど初めて聞いただぞ、お兄ちゃんは』

 

『時は群雄割拠の戦国乱世。百万の殿(みりおん・あぁさ)が争う最中、もしも当麻さんがそのうちの一本の聖刀(えくすかりばぁ)を抜いて、殿様の一人に選ばれたら』

 

『どっかの携帯ゲームでありそうな設定だな。そうだなぁ……もし俺が聖刀を抜いた殿様候補で、国が潰れそうな状況に陥っていたら……』

 

『陥ってたとしたら?』

 

『周りとのリンクを繋ごうと頑張るかもしれない』

 

『はぁ……そういう方向ですか。まぁ、惜しい』

 

『どういうのだと思ってたんだよ』

 

『他所の女侍や姫様を口説いて、上条幕府として天下統一するとか。詩歌さんはそのサポート的な妖精さん』

 

『俺の妹の頭の中は相変わらずスゴい』

 

『恐縮です』

 

『ああ、兄に対して『恐縮です』なんて台詞を吐く妹もそうはいねーよ。そもそも、そういうのは例えやれたとしても三日天下で崩壊する運命じゃないだろうか。俺に才能があるかどうかって部分がアヤシイし』

 

『そうでしょうか。当麻さんは女の子の魅力を開花させる才能を持っていると思いますが』

 

『えー』

 

『幼いころから褒められて伸びる詩歌さんが頑張れたのも当麻さんのおかげです。当麻さんに褒められるのは、すごく、モチベーションに繋がります』

 

『それは詩歌だからだろうな。誰もがそれで喜ぶわけじゃねーだろ。下手したら、噛みつかれたり、電撃飛ばされたりしそうだし』

 

『それは単に照れ……まあ、そうだとしてもそれならそれで、私だけの特別感が出ていいかもしれません』

 

『そうだな。おまえは俺の『妹』だし、ほんと、俺にとって特別だよ。今現在なによりも優先する存在だと考えている』

 

『んー……嬉しい言葉ですが、不満です』

 

『何でだ!?』

 

『妹という立場だけで約束された勝利など、詩歌さんが求めるものではないからです』

 

『………俺の妹の頭はやっぱりボケてるかもしれない』

 

『いえいえ、当麻さんほどでは。畏れ多い』

 

『それって謙遜してる風に聞こえるけど、詩歌の中で当麻さんは変人認定されてるってことだよな!』

 

『少し考えたけど遅れて突っ込むキレの悪い当麻さんに免じて、お流ししてあげましょう』

 

『何で『今日は見逃してやる』みたいな扱いを受けなくちゃなんねーだろうか』

 

『ふふふ、早く帰りましょうお殿様。可愛いくて寂しがりやな姫様がお腹すかせて待ってますよ』

 

 

バッキンガム宮殿

 

 

 出立前。

 

 

『………なるほど、ね。話の真偽は別にして、こちらからもアドバイスしてあげる。貴女、優先順位のつけ方を覚えなさい。何でもかんでも目についたものの世話をしてたら、貴女だけじゃなくて、周りも擦り切れるわね』

 

『――さん』

 

『この私が助言するなんてとても珍しい事よ? お母様が知ったら卒倒するんじゃない。でも、貴女はどうにもその辺がわかってない節があるから――例えば、赤信号を知らずに横断歩道を渡ろうとする幼子を見れば、誰だって引き留めて、赤信号の常識(ルール)を教えるでしょう? それと同じ。私は自他共に人間嫌いで通ってるけど、別に私は目の前で死ぬのを放置できるほど人間が憎いわけじゃあない。まあ、私は貴女が相手が誰であろうと特別扱いをしないから、素直になれるのだけど。やっぱりそれは異常なことなのよね』

 

 懇々と、珍しくも親身になって、説く。

 この麗人と出会ってから、いいや彼女がこういう人格構成してから、五指にも満たないような事柄を、まさか自分が。

 外した片眼鏡を拭きながら、

 

『誰かを守ろうとすることは、誰かを守らないということ。見方を変えれば、誰かを傷つけることさえ意味する。それを否定しようと抗う貴女の持論は、味方も敵も守ろうとするけど、自分を守ってない。―――いつか、2つの世界に引き裂かれるという地獄を見るわね』

 

 どれほどの奇蹟であろうと、誰かを救えば、誰かが窮する。9人のために、1人を切り捨てる。

 万人は救えないという世界の理、数多の聖人、数多の超人がこの難題に挑戦し、その身を散らした。非情極まる倫理を納得して割り切った者達は、己の手に囲った者を救ったであろう。ただ、その影響で、存在したという事実だけでこの世に災厄を撒き散らしているのも確かだ。

 どのような行為にもつきまとう、反作用。

 聖人や超人ともなれば、その反作用が多くの人を傷つけるにも足る。

 だが、この少女は、聖人にも超人にも備わっていた人間として当たり前の感覚が抜けていて、『願望機』となっている。その精神性は、人間を、半ばやめかけている。

 同じ人の上に立つでも、人と神では意味合いが違う。

 この世界を外から、第三者的な視点で覗けば、聖堂の奥から出てきた救済の聖者と同じか。

 

『貴女は、その一歩手前なのを自覚してる。だから、片方だけにしときなさい。今ある立場に人として立つためには、優先を覚えなくてはならない』

 

 麗人の声は、優しく響いた。

 

『今貴女がお願いした“道具”は、彼女1人救うのに9人も身捨てなければならないような負債で、貴女の街ではやはり異物。もしもその道を歩ませた発端で、この世界との接点のひとつなら、それをかえすことで戻れるかもしれない。貴女が構わなければ、私が口添えしてもいい』

 

 鷹揚に向けられた勧告は、けして安易な誘惑ではなかった。

 綺麗事だけでは済むようなものではない、人より上に立つ人として過ごしてきた時間が、彼女の言葉に重みを与えているのだろう。

 

『………』

 

 少女は、沈黙する。

 数秒の間をおいて、こう口にした。

 

『―――だから、夏休みまで、誰も彼女を守れなかったんだと思います』

 

 その言葉に、麗人は片眉を上げる。

 ゆっくりと、しかし毅然とした意思を込めて、少女は麗人を見つめ返す。

 

『守らないための立派な理由があるから――守れなくとも仕方ないと言い訳はいくらでもできるから、だから長い間、誰も彼女を守れなかった。魔術師も錬金術師も関係なく、全員がその言い訳に縋り切っていたから』

 

『人の上に立ちたいと思うなら、そういう痛みも甘受すべきじゃないかしら』

 

『きっと、そうなんでしょう』

 

 麗人の鋭い視線を、もはや少女は避けようとしなかった。代わりに正面から堂々と、自らの言葉を投げ返す。

 

『私は多分、貴女から見ると穴だらけなんでしょう。『学生代表』としても管理人としても』

 

 そこまで言って、一拍おいた。

 

 

『だけど私は、未熟だから、そんなに賢く生きられません』

 

 

 続けて、

 

 

『なので保護者がいます、世界が敵になっても私を守ってくれる愚か者が』

 

 

 一瞬、麗人は目を丸くして、少女を見つめた。

 それから、

 

『―――く』

 

 と、軽く噴き出したのだ。薄い唇に手の甲をおいて、いかにも楽しそうにくつくつとドレスの肩を揺らした。

 

『世間から完璧だと思われている貴女が、未熟とは。自分の未熟さも利用するのね。これは考えなかったわ。つくづく貴女は面白い。ええ、単身でこの国に来たからてっきり上の方の妹に近い、先頭で戦う人間かと思ったけど、意外と下の方の妹と同じ守られるお姫様向きなのかもしれない』

 

『最初は道に迷った観光者だと間違われましたが』

 

『初めて会ったのは、貴女が街を抜けだして、フィールドワークに勤しんでいた時かしら?』

 

『そのときのあなたは、ストーンヘンジを管理する古い魔術師の一族でしたね。何か野生の動物に話しかけていましたけど』

 

『間違ってはないわよ。あそこは国の文化遺産なんだから。それに動物は素直で可愛いもの。そういう意味では貴女も同じね』

 

 洒落っ気たっぷりに片目を瞑ると、磨き終えた片眼鏡をつける。

 

『いいわ。別に無理なお願いでもないし、断れば貴女がするんでしょうからそれも問題。私の貴重な『助言』を頭に留めとくなら、その『助言』を聞いてあげる。けど、それ以外は何もしないし、助けたりしないのでよろしく』

 

 

 

 

 <身固め>。『陰陽道』の一身の安全を祈願する魔術作法。陰陽師が出立する天子の御衣に呪術を施し、災難からの防護を張ったり、式神を付けたりしたという。

 

「むぅ~……」

 

 と、インデックスは足元の、今は休眠状態の白い仔犬を見て唸る。

 

「ええと……その子は、“元々はあなたのために”創ろうとしたもので……」

 

「むぅぅ~……」

 

 『白閖』で天草式の皆をまとめる中継回路ともなり、<縮図巡礼>に臨時で新たなポイントをつけるというルール緩和する力の源ともなった。扱いこそ難しいが、原理は飼い三毛猫の<妖精貴猫(ケット・シー)>と同じで、自分にも扱える。天草式と『騎士派』の交戦中、インデックスを隠し、守ったのはこの<妖精>。ただしこちらは100%、その全てが自然界に存在しないボディとソフトで、半分はインデックスにも理解できない仕組みと構造でできている。

 ただ、彼女は全容がわからないから、ムームー唸っているのではない。むしろ、未知な事柄には積極的に吸収。特に魔術が関わっているのなら、食欲に次ぐ知識欲に職業病も加わって、謎を解きたがる。

 つまりは、また置いてけぼりを喰らわされた、というような顔をしてこんな事を言うのだ。

 

「ずるい。ずるいずるい! 私になーんも相談もしなかったくせに、詐欺の片棒を担がせるなんてー!」

 

 魔道の秘奥を知りながらも、神の教えは忠実で、この世に本当の悪人などいないのだ、と本気で言える修道女。

 ああ、これは根に持つかもしれない、と神裂は思う。

 それでも理由があってのことであり、彼女は自分でも知らず知らずのうちに力になれた。または利用されたと言い変えたとしても役に立ったのに変わりない。

 嘘の中に一抹の真実を混ぜて素晴らしい威力を発揮させたのは、神の祝福を信じるインデックスの証言だからだ。身贔屓で嘘をつかせれば、<禁書目録>としての公平な立場が危うい。

 なので彼女に騙しをさせるわけにはいかず、騙されたという……無論、危険から遠ざけたいという気持ちが無きにしも非ずだろうが。

 ただ、彼女はこう言う。

 『インデックスさんのような純真な子ほど騙し易いし、ふくれる姿もまたいと可愛い』、と。

 

「インデックス。詩歌が勝手なのは今更では?」

 

 あの少女が勝手気ままなのは、世話役で追いかけ回した神裂にも良く理解できるし、同情しよう。

 挨拶代わりに騎士との腕試し、<必要悪の教会>の入団試験、かの伝説的な斬り裂き魔を名乗る魔術師を御用したり、そして、メイド………

 

「そうなんだけど。しいかはとうまよりは頭は良いから、余計にたちが悪いというか! むぅーむぅー!」

 

 あの兄妹が同種なのも今更。

 従って、きちんと説教ができるのも彼だけで、その点については、学園都市にいる同僚に根回しをしている。

 ……ただ、あの兄妹は揃っていれば、互いが互いに暴走を抑えるブレーキになるが、ブースターになる可能性も否めない。トラブルメーカーの妹ひとりでも手に負えないのに、予測不能な兄も加わったとなると、正直、頭が痛い。

 

「でも、しいか、また術の扱いが上手くなったんだよ。今のしいかが、本物の<天使>さえも仕えていても不思議じゃない」

 

 と、インデックスは『地図』をみる。

 かつてインデックスは、『正確な黄金比で日本の地図を作った偉人がその腕でもし天使や聖母像の模型を造れば“本物にさえも”影響を及ぼせる』といったことがある。

 だが、何百年も前に製法の手がかりが失われた物を正確に甦らせるには、力と知、それを造った発明家と心まで完全に一体となる魂が必要だ。

 だから、すごい。

 頭の中にはたくさんの魔道書(ほん)が溢れてて、どこの国のの文字だって、千年前の呪文だって書き出すことはできるけど、新しいものは創れない。

 その精密なイギリスの図絵に籠められた“3つ”の魔術回路から、少女が過ごした時間の濃さと如何にこのインデックスが忘れてしまった土地への想いが垣間見えた。ほとんど寝る間もなく、いや、それほど夢中になって、これを仕上げたのだろう。

 たっだ一月にも満たない数日。

 されど、成長期の彼女を豹変させるには、十分な時間。

 あの遥か昔に消えたはずの『選定剣を見つけ出した叛逆の王女もまた同じく、偉業を成し遂げようとしている。

 

「うん、朝のご飯も、美味しさのレベルが上がってたし。☆がまたひとつ追加かも」

 

 上手くなったのは、あなたの扱いもなのでは? と言いかけて止める。

 天草式も一枚も二枚も噛んでおり、この神裂も慣れない真似をしたのであまり強く言えないが、その矛先が向けられている少女にご機嫌取りはお任せしよう。

 

「それで、かおり。この子が“私のために”ってどういうこと? しいかの守護精霊(ガーディアン)じゃないの」

 

「……、」

 

 とかく、何であれ今は後回しだ。彼女が憤りをぶつけるためにも合流しなければならない。

 

「急ぎましょう。『騎士派』はすでに英国全土を制圧していると」

 

 と、そのときだった。

 『清教派』の拠点のひとつに続く森の獣道。

 その中ほどで、おかしな気配に気がついた。

 森の中で、誰かが苦痛に喘いでいる。

 『騎士派』の連中だろうか。厄介事はごめんだが、敵を放置するわけにもいかない。それにもし助けを求めているのだとすれば。

 建宮らにインデックスの警戒を任せると、神裂はわざと隠行の術を解いてそちらに近づく。だが、相手は逃げようともしない。

 不審に思いながら覗き込むと、草むらに鎧が横たわっていた。

 『騎士派』に完全武装で支給されるものとは異なり、動きやすさを重視しているのか最低限の防具しかない軽さを感じさせる形状で、そのものは小柄。

 疲労しているようで、瞼は重たげで、“彼女”は。

 

「―――あなたは、まさか」

 

 兄妹に伝染したのか、一難去ってまた一難の到来を悟った。

 

 

???

 

 

 彼らと初めてまみえた時、まず杖をつく紳士が前に出た。

 

『―――初めましてサ。――王女の――様』

 

 一応杖はついているものの、姿勢も足運びも矍鑠としたもので、むしろ筋肉質とすら言ってよい。

 

『『ケイ』と申すのサ』

 

 独特な口調ながらも流暢な言葉で、彼らは一斉に胸へ拳をおいた。

 古式の騎士の礼法であると、私も知っていた。

 しかし、この国の騎士と比べても、その堂々とした動作は格段に力強い。

 見たものが、気圧されるほどに。

 元より礼法とは、単に小奇麗な所作やテーブルマナーにとどまらない。それは相手との交渉を有利に運ぶための、一連の技術の別名でもあるのだ。まして騎士ともなれば、その礼法に威圧や威嚇が含まれているのは当然の道理であった。

 数百年を閲する重みに未熟な精神(こころ)を圧されながらも、名乗ると、

 

『お若くご健勝で何よりサ。お美しい貴女の噂は我々の耳にも届いておりますのサ。このたびも勝手に設けた会談を受けていただいて感謝しているのサ』

 

 にこやかな笑みを讃え、賛辞を交えつつ、紳士はさりげなく庭園の中で影を作る憩いの場に席を進める。

 淀みのない流れで、場の主導権を握る。

 抗う理由も覚えさせず、自然と腰掛けると、話の続きを始めた

 

『お忍びなんてお姫様に似合わぬ真似をさせて、ですが、ご存知の通り、我らの主は、この国では、あまり表に出れないお方でサ』

 

 覚えている。

 あの人は、私のために国を裏切ってしまった。

 

『それに、今は大事を取って臥せてなければならなくてサ』

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 やはり、あの話は本当だったのか。

 そこへ畳みかけるように、言葉を紡ぐ。

 

『ですが、災禍がお姫様のいる国に迫ろうとしているのを知り、居ても経ってもいられず、僭越ながら、同じく義憤を覚えた我々をお姫様の元に使わしたのサ』

 

 あの人の名前を訊くと、紳士は細い首で大きくうなずいた。

 それから、ゆっくりと言う。

 噛んで含めるかのような、自らの胸にも言い聞かせるような言葉。

 

『――に気をつけろサ。彼女の言葉は、影響力が強過ぎるのサ……あれは人徳というよりも、扇動やマインドコントロールと言っても構わないレベルサ』

 

 そんな大袈裟な、と呆然と口にした私に、即座に否定の言葉を口にした。

 

『いいえ、大袈裟じゃないのサ。たとえどれだけ人気があろうと、どうしたって性格的な相性の問題が生じる以上、万人に好かれるのは不可能……それはお姫様ならば良くご存知でなくてサ』

 

 その問いかけに、私は無言で返した。それは肯定の沈黙。

 

『だが彼女は、周囲から全く悪い噂を聞かないサ。誰もが口を揃えて完璧だとサ。無論、お姫様のように誰からも慕われる人柄の持ち主はいるサ。だが信じられないような美少女で非の打ちどころがないほど優秀……そんな目立つ存在は、熱狂的なファンがいる反面、強い反感を買ってしまうものもつきものサ』

 

 それもそう。母にしても、老若男女から慕われているものの、全てから慕われているというわけではない。神と言う絶対の存在ですら、それぞれ異なる存在を崇めている宗教があるというのに、人間が万人に好かれることなど不可能だ。

 

『だが、そのことを誰もおかしいとは思わない、これが何よりの問題サ。“まるで、彼女にとって不都合な存在が出てくることは許されないかのように”』

 

 私はまたも思わず息を詰めた。あの少女にとって不都合な存在を許さない―――もし、それが本当だとすれば!

 

『それを知った主は戦争の中心である災禍を討とうとした英雄だというのに、彼女に“全てを奪われて”しまったサ。ああ、主に忠誠を誓った騎士の我が身からすれば、話を聞くだけで血の滾りが抑えられぬほどサ』

 

 感激に打ち震えるその姿からは、偽りひとつ透けてこないのだった。

 興奮を払うようにかぶりを振ってから、言葉を継ぐ。

 

『そして、母君でさえも、何の疑いもなく受け入れようとしてるサ。もう、女王も、この国も彼女に影響されてしまっているのかもしれないサ』

 

 そこでようやく完全に顔を蒼褪めたこちらに気づき、紳士は苦笑しながら頬を掻いて、

 

『おっと、すまないサ。脅かすつもりもなかったのに、すっかり話が脱線してしまったサ』

 

 慌てて、心配をお掛けするような真似をして頭を下げると、

 

『彼女の力は強大。ですが、お姫様が我々と協力していただけるのなら、この国を守れるかもしれないサ』

 

 優しい笑みを浮かべたままうなずく。

 それには、流石に応えられなかった。自分の、自分なんかの一存で、決めてはいけない。

 

『それに彼女を倒せれば、我が主の力が戻るかもしれないサ』

 

 朗らかに、紳士は笑ったのであった。

 

『それだけではないサ。この国を救ったとなれば、きっと女王様も昔の罪を流して、主こそがお姫様のお相手に相応しいと認めてくださるに違いないサ。“主の何もかもが誰も二望まれた元通りのカタチになる”。我々はその為に身命を捧げても惜しくはないサ』

 

 柔らかな笑みだった。

 どんな重いものも背負ってしまいそうな、包容力に満ちた笑顔。

 信じるなら、このような笑みを湛えたものにすべきだろう。そんな風に思わずにいられぬ、落ち着きと頼もしさを兼ね備えた表情だった。

 

『無論、お姫様に戦えなどと申さないサ。彼女に勘付かれれば、警戒されてしまうサ。一体どれほどの影響を与えているか分からない以上、他の誰にも相談してもいけないサ。だから、全ては我々にお任せサ』

 

 しばらく、反応しなかった。

 彼らもせかすことはしなかった。

 待つことには慣れているというかのように、庭園の整えられた景観を眺める―――と、そこで初めて気づいたかのように驚く。

 

『おお、主! まだ出歩いては』

 

 そして、私も驚いた。

 

 

『問題ない』

 

 

 初めは、その正体がわからなかった。

 確かにそれが何かは見えていたのだが―――その誰かと確認するのには、たっぷり十秒近くかかった。

 

 

『姫よ。ただ今戻りました』

 

 

 

 

『換装、<改造琴弓(フェイルノート・カスタム)>』

 

 ―――キィィィン!

 

 耳鳴りがした。その瞬間、見張りの騎士達は剣を抜いていた。鎧に守られた全身が、見えないハンマーで殴られて衝撃で内側に縮んだようだった。騎士達は背筋を弓なりに反らして、意識が点滅する。

 何も聴こえなくなった。その琴の調べは、人が耐えられない音量の音響兵器にも転化できる。<天使の力>の防護で消し切れなかった魔音が、彼らの聴覚を殺し、また、近くにいたものを気絶させたのだ。

 僅かな時間だけでも硬直。

 そこへ、蛇蝎の剣閃が死角である地面を這い、騎士達の足首の腱を捉える。

 曲線を描いて強襲する蛇腹剣はそれだけでも軌跡が予測しにくいというのに、彼女の剣閃は一振りで六つもの曲線を描いて獲物を仕留める。しかもその絶技は『選定剣』の恩恵に頼ったものではなく、己の武芸があってこそ。並大抵の武錬ではない。

 隙間を縫うような的確な一刺しで、足を傷つけ、確実に追手の機動力を削ぎ落す。

 そして、最後に牢獄の鍵を先に引っ掛けて、戻し、手に入れる。

 

『換装、<改造聖槍(ロンギヌス・カスタム)>』

 

 牢を飛び出すと応援が来る前に、未だ立つ残りの騎士に、間髪入れず鋭い突きがほぼ同時に三発。肩、腕、足と戦闘力を失くしていく。

 その柄の長さは2mを超えて、光り輝く槍頭も人の顔くらいと彼女の体躯に比してかなりの大振りだが、彼女の槍捌きはかなりのものだ。

 そして、無力化した後、

 

『換装、<改造湖剣(アロンダイト・カスタム)>』

 

 強固な牢獄を、それ以上に堅固な西洋剣の一振りが破壊する。

 一本の魔剣に全ての『パターン』を扱うことはできないが、高速換装術式で複数の武器を使い分けることで対応している。

 同じく捕えられ、素早く耳を塞いでいた使用人らに付けられた枷を最初に奪った鍵で外すと、その一人目に数を預け、残りの枷を任せる。

 

『逃げろ! 私が囮になる! あなた達は早くその裏手から逃げるんだ! 『騎士派』も不要な処断は控えるはず、大人しくしていれば執拗に追われることはない』

 

 得意な『水』の<氷像>で、清流を形作ったような水色の髪を高価な黒の髪留めで止める女の騎士は、周囲に使用人らと同数の人型を造る。これらは囮の的となるだけの動作もできる。

 

『ナタリア様。我々よりもヴィリアン様を……』

 

『まだこの髪飾りに繋いだパスが生きている。ヴィリアン様は無事だ。きっと逃げ延びていらっしゃるのだ』

 

 だから早く! と大砲の如く一喝すると、足手纏いにしかならないと自覚する使用人らは一度頭を下げると牢屋型の馬車から走り去っていく。

 それから、<氷像>だけが残る牢屋と繋がれた騎馬に跨り、位置情報を確認するラインの先を目指した先で―――『騎士派』の攻撃、<ロビンフッド>の制圧射撃が降り注いだ。

 

 

 

「助かりました、神裂殿」

 

 皆を呼び集め、応急手当に非常食を渡すと、顔見知りの女騎士はようやくほっと一息をついた。

 

「ナタリアもやはり……」

 

「はい、騎士団長様に」

 

 かつて、天草式と対峙したこともある元ローマ正教十三騎士団の『騎士派』所属のナタリア。その『武具重量』に『耐久硬度』の剣、『貫通威力』に『刺突速度』の槍、『射程距離』に『制圧範囲』の弓など複数の武器の『パターン』を状況に応じて使い分けるその技巧は、五和、当麻、詩歌の三人を相手に圧倒したほどだ。

 

「ですが、幸い、私も『選定剣』の<全英大陸>の恩恵を『騎士派』の一員として受けられ、簡易牢獄から抜け出し、使用人の皆さんを逃がしてから、私は囮に出たのですが、<天使>の隊にはこの森に逃げるのが精いっぱいで」

 

 それはまだ、相手を選別できるほどキャーリサが<カーテナ>を使いこなしていない証拠だろう。

 幸運にも<天使>の力――『兵士』の<守護天使>である聖ミカエルの加護を得て実力が底上げされた単騎一軍とも謳われる若手の有望株は、騎士団長の想定を裏切ったのだろう。

 

「あなたは『騎士派』じゃないの?」

 

 と、インデックスが訊く。

 

「『騎士派』ですが、私は“革命”などという叛逆には反対です。騎士団長様…騎士団長にも誘われましたが私が剣を預けたのは、キャリーサではなく、ヴィリアン様です」

 

 英国は複雑。『三派閥四文化』と言われるように、同じ派閥であっても、譲れぬ信条に反するのなら衝突する場合がある。個性が強くとも積極的に有能ならば魔術師をスカウトする『清教派』とは違い、軍として統率のとれた『騎士派』では珍しいが、ナタリアは別組織から移籍してきた異例で外様な女騎士だ。

 つい先ほど騎士団長と対峙していた神裂だが、あの護国の騎将の誘いに逆らった胆力は、よほど、『人徳』の第三王女に忠を誓っているのだろう。

 ナタリアは歯噛む。目線を下げ、前髪で表情を隠し、歯噛む。

 

「ここ数日、騎士団長から軍として行動するよう強制されていましたが、あれはヴィリアン様から私を離すために……お側にいられたのも今日が久しく、そのせいで入念な打ち合わせも対策も取れなかったとはいえ、何たる不覚!」

 

 くっ、と唇を噛み、小手の拳で何度も何度も地面に憤りをぶつける。

 

「これでは! ウィリアム様に! 顔向けができない!」

 

 次第に激情が溶け込んでいくかのように、その力は増していく。

 

「わわっ、だめだよ! あなたはまだ動けるような身体じゃないんだよ!」

 

 インデックスが止めようとするも、怪我人といえど騎士は止められず、代わりに神裂がその手を捕まえた。顔を上げ、それをみて、諦観で満たされていたナタリアの瞳に、ぱっと光が瞬いた。けれども、まるで切れかけの蛍光灯のように、すぐに輝きは鳴りをひそめる。

 <禁書目録>に<聖人>。彼女達がいれば、と。

 躊躇う逡巡は一瞬。居住まいを正すと、

 

「お願いが、あります」

 

 違う派閥で、かつて、天草式とも対峙し、インデックスの命をも狙おうとした。今の敵は同じといえど、頼るのは境界を踏み越える。しかし、それでも今は力が足りないのだ。

 ナタリアは己が感情が破裂する痛みに耐えるよう顔を歪め、胸の奥から絞り出したものを途切れ途切れの声に変えて、嘆願する。

 

「どうか、どうか」

 

 それはとても小さく、弱々しい響きだった―――が、

 

「ヴィリアン様を、助けるのに、あなた方の、『清教派』の、力を、お貸し、ください」

 

 その声を聞くのが、彼女達であった。

 

 

道中

 

 

 <移動要塞>。

 護衛用の乗り物は、御者がいなくとも、魔術的な自動操作でひとりでに走行する。

 

「―――これ以上、逃げるのはおやめ下さい」

 

 カンタベリー大聖堂へと続く道のひとつ。

 そこを走る馬車を牽引する二頭の馬が目の前に立ち塞ぐ騎士をみて暴れ出す。二頭は喧嘩するように互いにぶつかり合い。ズッシャァァア!! と繋がれた馬車を振り回して転倒させてしまう。

 これでもう亀の甲羅をひっくり返したように<移動要塞>は動けない。

 『王室派』を守るに値する特別に製造された馬車の防御だが、籠城しても『騎士派』の暴力は要塞を上回る。

 

「ヴィリアン様。抵抗しなければ、余計な傷を負わせることもありません」

 

 聞こえるのは、第三王女が逃げ出したという事態を聞きつけ、<聖人>との決闘の余韻が冷めやらぬままに、『騎士派』を統率し、捜索指揮に買って出て、表立つ騎士団長。

 第三王女とは昨日今日の付き合いではなく、かれこれ10年以上前から守ってきたのが騎士団長だ。幾度となく話のあった政略結婚が机上の空論のまま、実現せずに済ませ、歴史の陰に隠れるよう忍んでその背中を護衛してきた。

 それを簡単に斬ってしまえるとは思えない。『頭脳』でも『軍事』でもなく、『人徳』に特化しているからこそ、信じたい。信じさせてほしいと強く願う。

 これは作戦上の演技でこのまま第三王女を逃がし、殺したと虚偽の報告を第二王女にする―――と、思ってしまうのは、楽観的ではなく、現実を見ていないだけだ。

 第二王女――新しい国家元首直属の騎士団長は、誤魔化しようのない絶望を突きつける。

 

「……死した所で姫は姫。そのまま馬車ごと貴女のお身体を潰したくはない。民に汚い仕上がりの首を晒すことのないよう、私の手で、王侯貴族用の処刑斧を以て、痛みすらなく綺麗に切断いたします」

 

 期待が、一瞬で粉々に砕け散った。

 わざわざ剣ではなく、長さ1mもの片刃斧を用意させている騎士団長。

 ああ、今まで自分を守ってきた彼までも、敵に回る。

 

「その首を見た多くの民が、貴女を偲べるよう、筋肉や皮膚に手を加え、生前以上にお美しく処理するとお約束しましょう」

 

 ズン……ッ!! と肩に担ぐ際に鈍い音。この鉄の斧に、一体どれほど重みが。ただの鉄の重みだけではなく、今までも王室の血を吸ってきた歴史の重み。

 馬車は……無反応。

 騎士団長は、静かに目を閉じて、息を吐く。

 期待を裏切られたように、心底に失望したように。

 

「ヴィリアン様を、外に」

 

 完全武装の部下に<移動要塞>を抉じ開け、連れ出すよう命ずる。

 部下は横倒しになった馬車のドアを、力で、開け―――炎が噴き出た。

 

「―――ッ!?」

 

 叫びすら上げること許さぬ炎を巻く刃に間欠泉とばかりに突きあげられてから、完全武装の騎士は飲まれる。

 第三王女を守るものはいないはずなのに。何か、いる。

 懐疑の念も途切れがちな中、それでも国の守護者たる騎士は、反射的に全身鎧に内蔵された幾重十重の防御術式に<天使の力>を通し、発動させる。

 が、押し包む炎はあまりに熱く、斬り刻む刃はあまりに鋭かった。

 仄暗い水底に落とされた紙のように全身鎧はふやけ、その表面に穴を穿つそれは、短剣。しかし、元が巨人のものがモデルとされるそれは、騎士団長のロングソードと同じ長さの大短剣。

 防御も鎧も砕け、その身体に入れ墨のように消えない黒い焼印を残す。

 一度、馬車の中に呑まれた完全武装の騎士が、蹴っ飛ばされるように外に出された時、その身体には無数の黒い呪に塗れていた。

 

 

「やっぱり、こうなったのサ。お姫様」

 

 

 <移動要塞>の中にあったのは―――恐ろしく深い、底さえ見えぬ黒暗淵(やみわだ)に、すすり泣く通信用の霊装一つ。

 

 

処刑塔

 

 

 数だ。

 数の暴力がこの場を支配した。

 風の巨人の嵐にばら撒かれるように、処刑塔に何十――いや総勢何百と溢れかえった黒鴉の群れが羽ばたき踊る。

 

「コいコい」

 

 最初現れた時は魔力の波動を感じさなかったそれが、今は惜しみなく世界を歪ませながら王者の如く君臨。

 あれほど巨大な獅子を、この男は一体どこに隠していたのか。ではなく、出した。

 己の影に質量を持たせるよう浮かび上がる。

 闇の中から、次々と黒鴉が現れた。

 それも一羽一羽が黒々とした呪力を発散している。明らかに普通の鴉たちではなく、四大要素の巨人を圧倒する。

 <口寄せ>。

 『トリスタン』がマーキングした武器を空間転移の高速換装したように、『獅子の』騎士『ユーウェイン』は“剣でもある”黒き鳥獣を己の影から呼び寄せているのだ。

 そして、それらを支配するのは、“百獣”の王たる白き獅子。その咆哮に従い、鳥獣は軍勢の如き統率を取る。

 

「カカ、まだ100ワ、1/3しかヨんでおらんぞ」

 

「<魔女狩りの王>!」

 

 瞬間。

 炎の魔人が弾けた。

 内から火薬を爆破させたかのような勢いで、急突進したのだ。

 ばさばさばさばさばさっ!

 ステイルの操る炎の魔人が、これ以上増やさないために鳥獣を呼び出す術者を直接狙うも、黒鴉の軍団に身を呈して阻まれる。

 黒い雲霞に一本の火矢が突っ切るように、鳥獣の群れを炎の魔人の前に二分。

 

 ―――GYAaaaaaa!」

 

 形容しがたい断末魔を上げて、燃え尽きる黒鴉。

 ぼっと野火が広がるように、群れの一部が欠ける。

 だが、黒鴉達は仲間の安否など気遣いもせず、その翼を広げ、また奇怪な鳴き声を上げたのである。

 

 ―――ZWQRYUuuuuuu!

 

 思わず、ステイル達は耳を塞いだ。

 古来、犬の鳴き声は神気を帯び、魔を祓うという。

 この黒鴉たちの声は、それとは魔逆――呪いを放ち、人の骨までも腐らせる禍つ声。

 そう、<鐘楼斉唱>と同じ。

 とても魔人の手綱を引ける状態でなくなり、4体の魔人の動きが鈍る。

 

「またオオくのワがツルギをウシナったか。イカにキョウテキアイテとはいえ、ソンシツはココチよいものではない。また、ソロえねばなるまい。このタタカいのウチにあとイクつをウシナうか」

 

 そして。

 嘴が刃、黒鴉が一本の剣に。本来のカタチを取り戻してから始まったのは。

 内に何百も撹拌する、黒き鴉剣による怒涛だった。

 

「!!」

 

 飛剣の群れは、命中直前で4つに分かれた。

 つられたメアリエの水の巨人の体勢が大きく崩れる。

 弧を描いて戻ってきた飛剣を中心に、吸い込まれるようにして巨人がたたらを踏んだのだ。

 ずぶりずぶりと巨人の内側に埋もれていく飛剣は、やがて飽和限界を破り、内臓から突き出したような刃を見下ろして、水の巨人は動きを停止した。

 

「っな!?」

 

 飛剣の群れは、一挙に下降して足元を飲み込んだ。

 一団の勢いに圧せられ、マリベートの土の巨人は倒れる。

 猛突撃の下半身への集中砲火で体勢を支え切れなくなり、巨人の自重も入れた自壊狙い。

 突っ切った後、反転し、再び、次は横になった全身を飲み込み、激流に岩石が削られていくように、土の巨人はみるみる小さくなっていく。

 

「うっ!?」

 

 飛剣の群れは、周囲を旋回し、尾を喰らう蛇のように包囲する輪となる。

 風切音となった魔性の鳴き声に、ジェーンの風の巨人は朦朧と揺らぎ始める。

 ただ一度だけ震えて、そのままはち切れそうな風船に針を指していくように、拡散し膨らんでいく風の巨人は刃が滅多刺しにされる。

 まるで刃の亡霊による地獄の行進、あるいは斬るものを求める混沌の狂宴とでも言うべき、無数飛来の剣影が踊りに踊っている。

 壮絶と言うも生温い光景に視界一面を真っ黒にされるステイルに、

 

「さて、アトはこいつだけ」

 

 白き獅子が、唸る。

 炎の巨人は、その威圧に震えたみたいだった。

 全身の炎を倍加させて、処刑塔を内から飲み込まんばかりに一個の城塞と化してそそり立ち、獅子を見下ろす。3人の魔女たちが、最後の<魔女狩りの王>へ死力を振り絞っているのだろう。

 いや増した熱波は、それだけで黒鴉の飛剣を熔かさんばかり。

 炎の巨人を守護すべく、いくつもの炎の嵐が発生する。

 対し、獅子は、かすかに瞳を細めた。

 それだけだった。

 獅子の真白が、なお白く曲線を描いた。

 炎の嵐をすり抜けて、獅子が炎の巨人の眼前へと立つ。

 その時には、すでに終わっていた。

 爆破音に似た獅子の咆哮が、至近距離で業火を吹き飛ばす。

 大きく揺らいだ巨人を、次は黒鴉の剣団が歓喜と共に迫った。

 全体で一個の、巨大な魔物と化したかのようだった。

 魔物は顎を開き、弱る巨人を喰らわんと舌舐めずりした。

 

「クえ」

 

 ぐしゃあ、と炎の巨人から飛び散る火の粉が血の雨のよう。それに留まらず、黒鴉は霊体である魔人の頭を啄ばみ、腕を啄ばみ、腹を啄ばみ、もちろん、燃え盛る業火に黒鴉の身体は焼かれていくも、それ以上に圧倒する数だ。

 赤土を蠢く黒蟻の群れか、血塗れの躯にたかる鳥葬を思わせた。

 羽吹雪を振らせて、羽ばたき飛び去ると、ぶるりと炎の表面が波打ち、奇怪な花火のように散らせ、

 

「全員魔力ラインを切るんだ!」

 

 霊装越しに憔悴する3人の魔女の耳をつんざく、ステイルの叫び。

 途端。

 腹部に穴が開いた水の巨人は、等量の水となって雪崩落ちる

 全身が風化した土の巨人は、形が崩れ、元の土砂へ戻った。

 四散した風の巨人は、そのまま大気に溶け込んだ。

 最後、テムズ川に落ちた火花がじゅっと音を立てて、それだけが炎の巨人の名残だった。

 それまでの強大な魔力が間違いだったように、何も残さず雲散霧消。

 その視界一面、どこもかしこも、斬り跡が刻まれた塔群、穿たれた地面、砕けた外壁、と全ての破壊の痕跡だけが残った。

 <必要悪の教会>の魔術師たちが渾身の儀式で成した、四体の巨人たちでさえも抗えぬ悪夢がここにある。

 

「ミつけた」

 

 四大要素の巨人たちの最期を見届けて、一羽の黒鴉を霞ませた。

 白獅子が送る視線の先、<魔女狩りの王>の通る魔力の発する灯り――パスから術者の位置を感知し迫る。

 

「……ごっ!」

 

「師匠っ!」

 

 処刑塔の砦に隠れていたステイルが壁ごと、地面と水平に吹っ飛んだ。

 それが神父の鳩尾を体当たりして痛打したと分かったのは、『獅子の』騎士が鴉を呼び戻した後のことだ。

 塔から転げ落ちたステイルを見て、ゆっくりと、『ユーウェイン』が首を傾げた。

 

「ここでオワりか、マジュツシ」

 

 くつくつと笑うみたいに、肩を動かす。人間の模倣みたいで、その動きのひとつひとつがひどく気味悪い。

 そして、黒鴉の群れは、白き獅子が発する唸りを受け、箒の水弾、羽ペンの土塊、扇の風刃に撃たれながらもメアリエ、マリベート、ジェーンへ食らいつき、たちまち三人の魔女をステイルに続き砦から追い落とした。

 

「きゃ―――!」

 

 か細い悲鳴が、すぐに途絶える。

 

「くっ―――! メアリエ、マリベート、ジェーン!」

 

 ぞっと、冷たいものが身体の奥から脳天まで突っ走った。

 それに駆られて、立ち上がるステイルが、懐より取り出した指には小枝が挟まっている。表面に精密なルーン文字がすでに刻まれたカードではない『イチイの木』。

 今、そのルーン文字にステイルの魔力が通され、徐々に赤く染まりつつあった。

 ルーンの『染色』。

 心身の一部である自らの血や魔力をもって文字を染めることにより、ルーンの魔術師はその『力』と『意味』をより深める。

 そして、その枝に<魔女狩りの王>の残り火を灯し、

 

「<炎血貪る呪槍(ルーン)>!」

 

 炎の槍と化して飛ばした。

 防ぐことも、躱すことも許されない血に飢えた魔槍が、『獅子の』騎士を襲う。

 

 しかし、それさえも鴉羽の壁に阻まれた。

 

 巨人も、仲間も、最後の切り札も失った。

 

「これでワレの、カちだ」

 

 

道中

 

 

「―――っはあ!」

 

「っおお!?」

 

 『道化の』騎士は至近、横合いから恐るべき速度で繰り出された鉄斧の一薙ぎを、まともに食らった。そのまま一薙ぎの伸びる先、崖の壁面へと埋まり、騎士団長が一閃ついでと投げた処刑斧が首を捉え、昆虫の標本のように縫い止められる。

 投擲した斬斧の威力に、崖は張力を失ったゼリーのように雪崩落ち、騎士団長は埃を払うよう軽く手を叩いて、礼服の乱れを直す。

 

「大丈夫か?」

 

 ひとつ遅れて、他の騎士達が、不意打ちを受けた完全武装の騎士を診る。

 苦痛と焦燥を隠せずに顔を歪めているが、鎧を砕き貫通するほどの刺突を受けた場所は幸いにして、心臓のある左ではなく、右胸。しかし、

 

「は、早く治癒を……」

 

「かけてる! かけてるんだが、何故……」

 

 傷を負った当の本人より、回復魔術をかける騎士の方がさらに狼狽を露わにしていた。

 暴力破壊に特化しているも、戦場の最前線でも怪我の治癒をするために回復魔術の基本を騎士達は身につけている。手際に間違いなどない。万が一に失敗があっても、術者自身に知れる。

 なのに、この黒い刺青が消えない。

 回復魔術が働かない、ではなく、その傷は治癒できない。

 治癒阻害の武器の伝承は、数多の騎士物語に収録されている。

 

「なるほど……傷つけた痕を決して癒さぬという呪いの類だったか、厄介な。もっと警戒すべきだったか。しかし、このような場合は相手が倒れれば―――」

 

 そして、

 

「っな……!?」

 

 崖に埋葬したはずの騎士団長の方が、驚愕の声を上げた。

 砕けた岩石の奥から、たった今処断したはずの『道化の』騎士が、全く平然と立ち上がったのである。斜めに身体を引き裂いたと思っていた体には傷一つない。再生、などと言うレベルの問題ではない、傷を負ってなかったようにしか見えない……あれだけの攻撃を加えられて。

 

(ありえない。<ソーロレムの術式>と同じで斧の攻撃力をゼロにした? いや、この手応えは確実に捉えたはず)

 

 堅い防御力を持つ敵となら幾らでも戦った経験はあったが、それでもこんな無茶苦茶な、傷つかない、などと言う奇怪な敵と出くわしたことはなかった。

 

(幻術の可能性も、ない)

 

 そう、手応えは確かにあった。眩惑に関係する術式の使用された痕跡もない。神裂のような隠行を扱える相手は、世界を見てもそういない。

 不治の傷をつける不死身の道化が襲い掛かってくる理不尽な現実に、護国の騎将も僅かに曇る。

 と、その『道化の』騎士本体に目を注ぎ、気を取られた僅かな隙に、パチン、と指が鳴る、

 

「!」

 

 <移動要塞>が爆発、火の粉が渦巻き、四方八方に飛び散る炎を巻いた小さな短剣が、地上の花火として一帯を照らした。それらは真っ直ぐ飛ぶもの、曲がって飛ぶもの、ぶつかって回るものなど、数をばら撒いただけに見える。ただ、それがかえって軌道を読み難く、避け辛い。狙いは騎士達。騎士団長ならば、この程度は軽く躱せるだろうがしかし、彼らでは反応が間に合わない。

 騎士の渾身の一振りと比べれば、大した威力ではない。だが、この一刺しは、高く突く。

 部下を守るか、己の身を守るか。

 

「同じ『マーリン』の作品でも、君達のような戦闘馬鹿の『ガウェイン』とは違うのサ。オールマイティな一国に一人の改造人間『ケイ』は、戦いを避けるのがモットウサ」

 

 完全武装の全身鎧を着込もうが、呪力を帯び、爆破の勢いで飛ばされた短剣は貫く。何人かは致命傷を受け、何人かは軽傷、その方が負傷者を庇い運ぶのに数人の人手が割かれ、彼らの足止めには好都合。十分に役目を果たせたはずだ。

 物騒な鬼が出てくる前に、この場を立ち去る―――

 

「―――ゼロにする」

 

 傷一つが高くつくのなら、傷一つ負わなければいい。

 ビュオッ! と言霊に続く、風切音。

 爆発の噴煙が晴れた時、そこには依然と立つ騎士団長と、無傷の騎士達。

 

「おお、やはり、『騎士派』の<騎士団長(ナイトリーダー)>は別格サ。奇襲もゼロにされるとは思わなかったサ。これってひょっとして大ピンチサ?」

 

 言葉を弄する『道化の』騎士に対し、

 

「私を処刑したって、無駄サ。ちょっと手癖が悪いけど器用貧乏で内職専門の私をいじめて、どうするのサ」

 

「女々しいやつだ。叩き斬られる程度でぐたぐた()かすな」

 

 騎士団長はただ、一刀をもって人間をはかる。

 

(まだ神裂の一刀から、完全に復活していないが我が腕のみで十分)

 

 『剣の個性』を発揮せずとも、鋭く迷いのない騎士団長の一振りを、純粋に剣技で受け止めた相手は、『騎士派』の中で10人といない。

 一合の交錯の末、英国の紳士と洋装の道化は、互いの間合いを窺い合う。騎士団長の右手にはまたも赤黒く伸長した魔剣<フルンディング>、全長3.9m。『ケイ』もまた、右手に部下を刺した巨人の大短剣を持っていた。『道化の』騎士の構えは、騎士団長に及ばずとも風格の重みある。

 騎士団長は炸裂した馬車の破片を目に映すと。

 

「貴様、ヴィリアン様をどこへ攫った」

 

「おや」

 

 と、『ケイ』が楽しそうに片眉をあげ、腰に空いてる左で後ろ手を回して自分に斬り込んだ処刑斧を摘まみ上げて見せつける。

 

「攫った、と仰るサ? それはつまり、これはお姫様を殺す処刑の道具じゃないということサ?」

 

「……だとしても関係ない」

 

「なるほどサ」

 

 ますます愉しそうに、『ケイ』は唇をほころばせた。

 

「でしたら、私の答えもひとつサ」

 

 と、胸を叩いたのだ。

 

 

「―――ローマ正教十三騎士団が、駄犬にも劣る不義不徳な『騎士派』に代わって、第三王女ヴィリアン様をお守りしますサ」

 

 

「………っ」

 

 一瞬だけ、騎士達は息を飲んだ。

 実際、それはなんて皮肉めいた立場の逆転だったろう。

 英国の『騎士派』が第三王女を狙い、ローマ正教の十三騎士団が第三王女を守る。

 たった半日前ならば、皆一笑に伏しただろう言葉。

 なのに、今は、ただひとり、『ケイ』だけが笑う。

 

「なるほど、そうサ。戦うぐらいしか能のない第二王女に命令されて、暴力馬鹿のナイトが守るべきお姫様を身捨てましたかサ。これは少し愉快サ。人の心も情が分からぬ王の国で、民は本当に幸せに導けるのかサ?」

 

 『道化の』騎士『ケイ』は、<改造人間>。<人造聖人>の『太陽の』騎士『ガウェイン』が<聖者の数字>をその身に刻んだように、試験的に複数の呪印特性(ギミック)奇天烈の躰(マビノギオン)>が体中に組み込まれている。例え施術鎧を着込まなくとも、身体強化は常人を凌ぎ、粘土のように柔軟にして傷口を塞ぎ、陽光ほどではないが発火することもできる。そして、『ケイ』は、群雄割拠の最中の戦乱を戦い抜いて、“英霊として没した”、歴戦の強者なのだ。

 

「勝手に名を盗った我々の贋者が、この国を語るは、おこがましいというものだ」

 

 過去の偉人へ剣尖を向け、護国の騎将に迷いはない。

 ぼうっ、と『ケイ』の人体発火が至近――<ソーロレムの術式>では対応できない武器ではなく魔炎。しかし、騎士団長の精神は、その不治の熱に怯みもしない。投擲され返された処刑斧を躱す。炎を貫いた、ほとんど視認不可能な突きが『ケイ』の右頬を掠める。眼球を貫き脳天を突き通ろうとする刃に、反応せずにいられるものではない。注意がそこへ向かった瞬間、革靴を履いた足刀が『ケイ』の腹を蹴り上げた。その衝撃に逆らわず、『道化の』騎士は後頭部を地面に打ち付ける寸前まで、ぐにゃり、と上体を後ろへ反らし、片手をついて後転とびを決める。そのすぐ背中をかすめて、騎士団長の横薙ぎの一閃が、鎧の装甲さえ熔かした魔炎を横一文字に両断した。

 さらに止めにはいらんと踏み込んだ騎士団長の、足が止まった。

 『ケイ』が己の武器である巨人の大短剣さえも、炎を巻かせ、空を廻らせ、熟練の投剣術で飛ばし捨てたからだ。武器であり魔術である魔術剣を、騎士団長は魔剣で受け止める。

 騎士団長の剣の、歪なれど傷ひとつなかった表面に、うっすらと一本、刃から峰に引っ掻いたような跡が生じた。

 

「貴様も騎士を名乗るなら、己の剣を捨てるな」

 

「―――いいえ、これは“魔法”サ(Non!Non!Just a “magic”)

 

 『ケイ』は続いて、芝居がかった仕草で鞘を取り出した。大短剣を納めていたと思しき鞘に―――柄があった。“赤黒く気泡が浮かぶ魔剣の柄が”。

 

「種も仕掛けもない入れ替えマジック、手癖が悪いって言ったサ?」

 

 巨人の大短剣は巨人ウルナッハから奪った武器という伝承が基。

 騎士であり、魔術師がしたのは、特異染みた武装換装術式で“相手の武器に炎の焼印(マーキング)する”武器交換術式。

 鞘から柄を引き抜くと、魔剣<フルンディング>は、騎士団長から『ケイ』の手元に現れた。

 

「あなたも騎士を名乗るなら、己の剣を奪われては駄目サ」

 

 数多くの伝承にある。

 最強の剣を持つ者の最期は、一息の油断で盗まれた最強の剣に刺されて終わる。

 怒りを抑えられなかったとはいえ、得体の知れない相手に不用意に近づいたのは迂闊だったか。それとも、未だに迷いがあったか。

 『ケイ』が、高々と見せびらかすように己の魔剣を眼前で掲げ、振り下ろす様を見て―――騎士団長は決断した。

 

(剣を潰す)

 

 直前、<フルンディング>はその力を失った。<ソーロレムの術式>で鈍と化したのだ。騎士団長は己の魔剣を素手で取り、そのまま奪い返す。

 しかし、己の力と正義の象徴である剣を、己の手によって無力化(ゼロに)したのに変わりない事実。相手のプライドを徹底的に折るよう、事を運び、演出した『道化の』騎士。

 そして、今から術式の効果時間の10分間、無手となった騎士団長に炎を操る<改造人間>の嬲り殺しが始ま―――

 

 

「そして、貴様を潰す」

 

 

 掌から炎弾を飛ばしたと同時、拳が『ケイ』の顎をとらえていた。烈火よりもなお熱い、騎士団長の大きな手が握った拳が『ケイ』を叩きのめしていた。

 魔剣を潰しても騎士団長は動じず、徒手の格闘に切り替えられた。何故なら<騎士団長>は魔剣ではなく、“己自身を剣として”、命と力を国に預けたのだ。吹っ飛ばされて、『ケイ』の体は、気がつけば砂まみれの土の上を転がっていた。不治の炎に耐えれるよう致命を動かせる肉体とはいえ、ひとり立つ騎士団長を、倒れたまま見上げるしかなかった。

 

「賊を剣で楽に殺してやることはできなくなったが、必要ない。この10分間、手癖の悪い貴様を、指の先まで身動きできなくなるよう殴り潰させてもらおう」

 

「この老体に私刑(リンチ)とは、ヒドイいじめがあったもんサ」

 

「だったら、素直にヴィリアン様の居場所を吐け」

 

「それはお断りサ。我々は姫を守る騎士サ。情け容赦のない騎士とは違って、我が身かわいさに姫を売るような真似は―――」

 

 瞬間、顔を掴む騎士団長の掌底が『ケイ』を情け容赦なく地面に口づけさせて毒舌を黙らせた。

 

 

野原

 

 

 流れ星が降る空を見て、鳴く。

 

 

 その刹那に、異変が生じた。

 ぐにゃり、と何かが曲がったのだ。

 何が曲がったのかは、説明できない。

 そもそも認識できていなかった。

 ただ、『曲がった』と言うその事実だけを、感じた。物体ではなく、霊体ですらなく、もっと普遍的で、本能にさえ感知できない、もっとありえない何か。

 

 暗転。

 

 視界が、消える。

 続けて音が消え、臭いさえも消えた。

 あらゆる感覚器官が意味を失くし、絶対の虚無に投げ込まれる

 有頂天に達した放物線が堕ち始めるように、その出口の先で、決したはずの勝敗が『曲がった』戦闘が再開する。

 

『……いいや』

 

 と、勝利の言下に否定する声が届いた。

 傷だらけで、体のあちこちに切り傷をつくって、それでも二本の足で立ち、こちらを睨みつけていたステイルが『獅子の』騎士へ告げる。

 

『これはひとつの“賭け”だったが、貴様の負けだ』

 

「ナニ……っ!」

 

 

『貴様は、少し強過ぎた』

 

 

「……っ!」

 

 猛然と『ユーウェイン』は神父から視線を外し、周りを見た。

 先程、ほんの数秒だけ視界を真っ赤にした火炎が消え去り、処刑塔の結界が解かれた時、景色は都会ロンドンではなく、白き獅子も黒鴉もいない、あるのは円状に囲む石柱だけの無人の野であった。

 

「これは、まさか<ロレートの家>……!」

 

『使用した“カード”は、万を超えると言ったが、その全部がルーンじゃない。内、千ほどは、こうなった場合を想定し、指定した空間を既定した別の場所に飛ばすものだ』

 

 鳴いたのは、獅子ではなく、同じネコ科の三毛猫<妖精貴猫(ケット・シー)>。

 主人の代わりに術式を起動させる『隠語』が使える仔猫は、『合図』が見えたら鳴くよう、英国に来るまでに四葉十字をつけた首輪に一枚の特性メモ用紙を巻いた『ランクが最も高い主人』に教えられていた。

 サポートが必要だったが、<禁書目録>の代わりに、箒に、羽ペンに、扇にそれぞれのエレメントを纏わせ、身代わり分身を残して逃れた魔女たちが、三人揃えば文殊の知恵とばかりに魔女の眷獣の『隠語』を補助し、この『神隠』を併用し、『宝から相手を遠ざける炎の防御術式』を複合させた変異型<ロレートの家>を成功させた。

 

「オノレ、ワレとシシをブンダンするとは……コシャクな!」

 

 <口寄せ>で代名詞ともなった相棒である白い獅子を己の影から呼び出そうとする。

 だが、もう、遅い。

 

『貴様は強過ぎたと、そう言ったはずだ。<神撲騎士(マーダークルセイダーズ)>』

 

 そして、案内したステイルの幻影を映し出す――『イチイの木』に隠して火を付けた――マッチ――<必要悪の教会>の同僚テオドシア=エレクトラから借りた<スキールニルの杖>は燃え尽き、通信用のカードだけが残った。

 その先に、視界の向こうに弓を天に向けて黄金の矢を番える長い銀髪に褐色の肌の女性がいた。

 

「初めまして、私の名は、ウレアパディー=エキシカ。そして、さようなら」

 

 どこか肩のでるドレスのようなシルエットを連想させる、所々黒のアクセントを散りばめ、黄色やオレンジを軸にしたチューブトップとロングスカートの服装は、英国とは違う、東洋系(オリエンタル)な踊り子の雰囲気を醸し出す。

 彼女は『エンデュミオン事件』の少し前に学園都市でテロを計画し、その後、<必要悪の教会>に姉妹共に引き取られた元インド神話系組織<天上より来たる神々の門>所属。

 インド神話の神々の特性を象徴とする力や武器――<アストラ>を行使する魔術師を罰する魔術師。

 そして、科学サイドに対抗する力を欲した組織の思惑――『アストラの再編』のために15人もの『素質』を埋め込まれたという苦行を科せられた彼女にしか扱えない霊装兵器がある。

 

「果たして出番があるのかと、私にもわからなかった。仮に出番があっても、“お前が条件に見合うほど強いか”どうか、わからなかった」

 

「ナニ、を……イっている」

 

「これは私が今専門としてるシヴァ系ではない、封印されたブラフマー神系の『アストラ』、<天上より来たる神々の門>における最強の究極兵器。発動条件が厳しく、ざっと50万9000分の1に制限されているとはいえ、自分の意思で使うことは許されていない―――“いくつかの例外”を除いて」

 

 そう。

 それが、最後の賭けだった。

 ステイルらが命を賭け、撃墜され、それでも処刑塔に駆け付けず、クーデターの応援にも参加せず、ウレアパディーがこの何もない無人の草原から動かなかった理由。動けなかった理由。

 『3つの流星が降る間』という条件、この一矢を放てる時を、見逃さないための。

 

「そのひとつは、第零聖堂区の長<最大主教>の天秤が、国土の安全よりも見逃せない国敵へ傾いた時だ。そのためにもお前の強さと危険性を十分に見せてもらう必要があった」

 

「っ―――!」

 

 『ユーウェイン』が、息を止める。

 女性の言う意味を、『獅子の』騎士は本能的に悟ったのだ。

 さきほどの神父たちの駆け引きも、巨人も、最後の切り札さえも、このための囮に過ぎなかったのだと。

 

「喜べ、野獣よ。これは<聖人>以上の相手にしか、使用が許可されていない<アストラ>だよ。“天に星を降らす”という『合図』が送られたのが、お前の力はそれに値すると認めた証だ」

 

 <ブラフマーアストラ>――宇宙を司る神の名を冠するのならば、宇宙一つを壊さねば詐称と言うもの。

 シヴァ系の<アストラ>で鉄格子の如く矢の雨を降らす<ガーンディーヴァ>、潜水艦の半分以上を蒸発させる爆熱の稲妻を落とす<トリシューラ>、体内に潜り込み骨身を削る激痛を与える迎撃用の<パーシャパタ>、数多の敵の首を落とした斧<パラシュ>、複数の魔術舞踊の神々の見えない手足の代わりとなる司令<ピナーカ>と扱う魔術は多種多様だが、この枠組みの異なるブラフマー系は全力を出せば、星をも壊す。

 伝承において、風の矢羽と太陽の鏃を持った魔術の弓矢は、一度射出すれば、標的まで自動誘導。間にある障害物は全て貫通し、標的に着弾してから大破壊を起こす。しかも仕留めた後、鹵獲されないようブーメランの如く持ち主のもとに自動で返る便利機能も付いている。

 

「この一矢は、まさしく絶滅と表現できる破壊力。半径50m圏内に何も残さない」

 

「あああああ―――っ!」

 

 すぐに<口寄せ>できる黒鴉をたてつづけに撃ち、刃の嵐をつくり、魔呪の断末魔を放ち―――しかし、雷火の爆発に吹き飛ばされる。

 

「準備する時間があったのでな。ここの気流は読み切っている」

 

 ここにいるのは、ウレアパディーだけではない、補佐として褐色の肌に銀髪、ただし、こちらはショートヘアの彼女の妹ソーズディ=エキシカが控えていた。

 彼女の<アストラ>電磁波の出力を増幅させ、効果圏内を電子レンジと変える<アグニの祭火>が百発百中の正確な爆発の連射を起こし、何百の黒い鳥獣を丸焼きにしていく。

 

「長口上を垂れるとは、油断し過ぎだ、問題児の姉。わざわざ何もない所に転移させて、相手が一人なのになにを手間取っている」

 

「あらあ、折角頑張って準備したのに見せ場がないと困るじゃない? それとも守ってくれないのかしら」

 

「分かっているとも。だから、それが油断だと言っている。流星が消えたらどうする」

 

 『互いを守れる力を持つように』と願った姉妹。ほんの少し間とはいえど、一矢を放つ時間を稼いだソーズディに、この一矢で勝負を決するウレアパディー。

 

「そうね、お喋りもこれでお終い―――」

 

 『ユーウェイン』は咄嗟に呼び寄せた白い獅子に剣の鎧と黒鴉を纏わせ、その影に隠れた。

 空へ放たれし黄金の矢は、輝く軌跡を残しながら雲を突き抜け消えていく。それはまさに神への訴えであるかのように、次には天罰が下る。

 夜空に淡い光が満ち、風を切る雨のような密やかな音。だが、慈雨のように生易しいものではない。

 空から落ちた莫大で収斂する光が<獣王>ごと、『獅子の』騎士を押し潰した。

 圧倒的な暴力を宿す光が渦を巻き、竜巻となって、四大の巨人の連続攻撃にさえ耐え抜いた白獅子の装甲を、全身の骨肉を弾き砕き―――残る黒鴉は一羽もおらず、獅子もついに瀕死。

 そして、傷まみれだが異様な事にカタチを残す『ユーウェイン』の身体からは、血の一滴も流れない。

 しかし、傷口のそばから網目が解けるように、『ユーウェイン』を構成していた呪力が徐々に崩れ出していた。

 

「シ、にすぎた……ハヤく、『セイハイ』に……」

 

 

ストーンヘンジ

 

 

 1人、敗走、1人、重傷。

 全方位隙がないよう、情報は全てリンクされている。

 すでにひとつの『窓』は点滅して消えかかっている。

 ここが『聖杯』から離れている土地とはいえ、ここまで損耗するとは、やはり昨夜の戦闘が負担が大きく、<神撲騎団>を離すのはリスクもまた大きかった。

 しかし、『騎士派』も『清教派』も抑えられ、この『発動したと同時に勝利が決まる』儀式を成功させるだけの時間を稼いでいる。

 そして、もうひとつの視界からは―――

 

 

 

 まるで『眠り姫』に出てくる茨の城。

 この文化遺産であるストーンヘンジに、一本一本が鋭い棘を突き出す蔓草がびっしりと巻き付き、まるで生き物のように蠢きながら周囲に繁茂している。

 そのせいで背後の森の景色と同化、というより、飲み込まれ、構造物の輪郭が曖昧となっていて、夜の静寂も相俟っていっそう不気味に感じられた。

 

「あそこです。あそこからヴィリアン様の反応が!」

 

 レーダーを潜るよう地面スレスレで低空飛行する水陸離着可能の航空機。道中で天草式が拝借したレスキュー機だ。

 その中にに女騎士ナタリアが魔術的ラインの先を示し、インデックスが警告を出す。

 

「あの茨は結界……! 近寄るのは危険なんだよ」

 

「では、ここで降りれるものは降り―――」

 

 

 その時だった。

 

 

 茨の影に隠れ、茨を震わす旋律を奏でていた見張りの男が楽器ともなる琴弓を構え、茨を無造作に手で掴み取った。

 すっと細められた射手の瞳は、神聖な刃物のように鋭く輝く。

 静かに。ゆっくり、ゆっくり。しかし、折れよと言わんばかりに弓を引き絞り、

 

「……、」

 

 

 無言のまま静寂なる死を放った。

 

 

「―――ましょうか」

 

 と神裂が窓際に向かったその時、ストーヘンジの環状石柱との直線状において青白い光が散逸した。

 

 

 ガン!!

 

 

 高速飛行する機体を狙う超精密正射

 神裂の長い黒髪をくぐった光の一つは、機内の奥の壁に突き立っていた。まるで鉄球でもぶち当たったように、壁を広範に陥没させた一矢。それは伸びた茨の棘。

 それの纏っていた静謐な魔力には、<禁書目録>のインデックスも、女騎士ナタリアたちにさえ刮目させる。

 

(射撃……!?)

 

 ならば外したのではないだろう。見えるものならば見えたはずだ。神裂火織は寸前でかわしたのだと、そして、彼女でさえ感知できたのは寸前であったと。

 

「距離を―――!」

 

 と神裂が呼びかけ、気づく。機手の肩に茨の一棘が刺さっていた。

 機内で無事だったのは、神裂を除いて、<身固め>の加護のあったインデックスと、

 

「換装<改造琴弓>!」

 

 神裂が機内の状況を確認している間、ナタリアは攻勢に出る。

 右手に長弓、天草式の弓を扱う者から拝借した矢を左手に。<全英大陸>の恩恵を受けている今なら多少の無茶は通せる。側面のスライドドアを開けて、身を乗り出すと、3km以上の遥か彼方へ狙い定める。

 

 

「………あれが」

 

 自分の一()をかわしたひとりの女騎士に、『蒼弓の』騎士は得心した。現代に甦り、己の称号を継いだものがこの英国にいることを知らされていたからだ。

 つい、と横に一歩。

 鋭い矢の、空気を引き裂く音がいくつか。『トリスタン』が寸前までいた場所をまばらに駆け抜け、ひとつに結い上げていた髪の端を揺らしていく。音波に乗った十三節の山鳥の矢羽は、“動かなければ”、全弾とも当たっていただろう、驚異的な精度だ。しかしそれは世俗での話。

 

「なるほど、良く狙う」

 

 『蒼弓の』騎士は眉一つ動かさない。それが10km先の標的であろうと、驚きに値しない。彼我の距離、たかだか2、3km。

 己の代であった時は、高度1万mを飛行する戦闘機さえ易く射抜いた。

 時代が移り、誰にでも扱える量産品が増えたとはいえ……この“至近距離”でまばらに散るだけ、その業はもはや劣悪と呼ぶしかない。

 

「見せてやろう」

 

 今度は剣を、『蒼弓の』騎士は指に挟む。

 『竜の心臓を貫いた剣』をその手で魔力を通し、『放てば急所を穿つ矢』へと『変換』。

 武装構造改造術式が、『蒼弓の』騎士『トリスタン』が特化している分野。全身鎧を改造すれば、一般市民へと変装できる応用も可能。

 

「貴殿が捨てた称号の業」

 

 

「き……―――」

 

 <天使>の力に強化された視野でさえ、見切れない。

 瞬間、高速換装した幅広に改造した湖剣を盾に構え、身を隠した。

 

 

 ガガガガンッ!

 

 

 音速を遥かに超える速度で飛来した剣矢は、湖剣に当たって弾かれると思いきや、噛みつくほどの勢いで、障害などものともせず、ナタリア、そして、割って入った神裂ごと背後にあった壁にまた陥没させ、機体の部品が爆散。

 矢どころか、まるで砲弾が蹂躙したかの有様であった。機乗していた他のものも、その衝撃波に吹き飛ばされていた。

 

「何という射術……!」

 

 インデックスは耳鳴りがしてくらくらする頭を振り、意識をはっきりさせようと努める。

 

「かおり、大丈夫」

 

「……ええ。私の体は無事ですが、機体はもう……」

 

 <聖人>はやはり平然と立ち上がる。女騎士もまた。剣矢は、<改造湖剣>に突き刺さっているが貫通してはいなかった。勢いのあまり飛ばされただけなのだ。

 

「―――また、一矢来ます」

 

 そして、次が止めとなり、機体は道半ばで墜落した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「……ッ!? ウ、『ランスロット』、今の、音は……?」

 

「どうやら、ここの居場所に気づいた輩がいるようです」

 

「! じゃあ、ここはもうすぐ……」

 

「ご安心を、姫。我が弓が払いました故」

 

 迎撃の役目を終えた、ここまで連れてきてくれた自分の護衛『蒼弓の』騎士が茨の檻籠に降りてきた。

 『六槍の』騎士も『狂双の』騎士も準備が終わり、こちらを待っている。

 

「あ、あの他の2人は……?」

 

「ご安心を、姫。彼らは彼らの役目を果たしております。あなたが、この『剣』を地に刺せば、全ての“涙は止まります”」

 

 身長ほどもある白い大理石の十字架を胸に抱くヴィリアン、一度その無骨な男の顔を見た。

 吹き抜けた天蓋から降りる青い月明かり。ストーンサークルの役目のひとつに『天文台』とあるが、なるほどよく星が見える。

 けれど。

 この茨は自分を守ってくれているのだけど、星空しか見えない狭まった視界にどこか閉塞感を覚える。

 本当に自分は茨の城に眠る童話の『眠り姫』ではないかと。

 これが夢であったら、と。

 姉が自分の命を狙うのも、騎士団長が自分を殺そうとするのも、そして………全部全部ウソだったら。

 

「そんなはず……ないのに」

 

 第三王女ヴィリアンの口元に笑みが浮かぶ。

 自分でも何故自分で笑ったのか分からなかった。

 直接的な危機を脱した安堵からか、それとも絶壁のように思えた第二王女キャーリサや学生代表上条詩歌を出し抜いた愉悦からか、自分のもとにこれほどの勇士が集った事実からか。

 

「でも……」

 

 とにかく、彼女は微笑した。

 ひどく、美しい、人形のような微笑を。

 信じていたモノの全てに裏切られ、自分の世界が敵にまわり、これから自分の望むモノを手に入れる。

 

 

 ―――やがて。

 巨石群を囲んだ十三騎士団の円陣から声がこぼれる。

 

 

『さあ、王の血を引く姫君、竜を貫き大地を縫い止めよ、約束の誓いを立てよ。民は主の祝福が与えられ、我らの神の輝きを見る。神意の十字、正義を導く』

 

 聖歌だった。

 四方を囲む騎士達から聖句が言祝がれ、多数の声によって紡ぎ出される、まるで極上の織物(タペストリ)のような斉唱。

 巧みな旋律と深い信仰を乗せたそれは、騎士ではなく騎士団の真骨頂とも言える集団魔術。

 六体で一つとしてつくられた騎士団は、多数の連携を容易とする。単なるチームワークではなく、無意識にまですりこまれた共通認識が、魔術のあり方を強固にしているのだ。

 

 十字架が、共振し出す。

 

 胸に抱かれた十字架が、一つに共有された意識に引き摺られている。

 血筋はあれど、魔術の体力技術知識が劣る第三王女を補助する陣形儀式。

 聖歌に音叉の如く共振し始めている十字架を通して、ヴィリアンの胸に力強い鼓動が伝播する。

 

「これで、全部……“全部が幸せになる”」

 

 この十字架()は、本物ではないが、ヴィリアンのために調整された、この大地を支配する王の血筋を引く自分の手でする――英国王室がローマ正教に降ることで――本物よりも効果を発揮する。

 『竜を貫き大地を縫い止めよ』――つまり、その土地龍脈をローマ正教の支配下とする。

 

 

 その証として、<量産杭剣(クローチェド・レプリカ)>をこの地に突き刺―――

 

 

「―――<天使長(ペンドラゴン)>をそんな“針”で刺せるとおもーたか、愚昧。いや、英国を裏切った売女め」

 

 

 直前、茨を突き破る白き斬撃がストーンサークルの『天文台』を強襲した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「『ランスロット』!」

 

 儀式を中断し、『湖畔の』騎士『ランスロット』が前に出て、『選定剣』の一撃の盾となった。耐えきれたものの、膝をつく。

 

「ほー、これを受けたか。『騎士派』があまりに役に立たんから、はりきって私が自ら出たのだけど。まだまだ調整が足りなかったし」

 

 現れた招待されていない客人は、赤を基調とし要所要所に、同色のレザーをあしらったドレスを着る、今最も会いたくない女性。

 その手に握られる刃も切っ先もない剣は、母<英国女王>が所有する『二本目の選定剣(カーテナ=セカンド)』、ではない。

 

「あ、姉君!」

 

「それでその十字架、報告書で見たことがあるぞ――確か学園都市で騒がせた<使徒十字(クローチェド・ピエトロ)>か。刺せば、“異教の都合のいーように”展開が運ぶ聖地となるんだっけか」

 

「違います! これは英国を幸せに……!」

 

「そして、こいつらがドーヴァ海峡で暴れた賊か」

 

「違います!! 彼らは……」

 

「……はぁ、これ以上がっかりさせないでくれよ。疑うより信じる馬鹿だが、ここまでとは思わなかったな」

 

 キャーリサは怒ってなどいない。より正確には激昂をすでに通り越した段階だ。火のように苛烈な彼女だが、一定量を超えると凍結する。

 感情は分解され、思考は極めて合理的なものへと変わる。ただし、その方向性は一貫して変わらない。悲嘆よりも冷酷な憤怒を、恩情など混じりっけない残忍さで決を下す。

 家族だからって関係ない。いや、家族だからこそ許せない。許してはいけない。

 

「それで、妹を誑かすとは、堕ちたものだな。英国を出てから久しくだが、ここまで裏切ってくれるとは思わなかった。それに『ランスロット』? 騎士団長が知ったら、どう思うか見物だな?」

 

「………」

 

 キャーリサは矛先を『ランスロット』――懐かしき傭兵の顔に向ける。

 それに無言のまま言い返さない『ランスロット』に代わって、ヴィリアンが庇うように、

 

「わ、私は英国のためにローマ正教と手を結んだのです。自分の意思で」

 

「英国のため? 嘘つけ。なら、何故、執拗に上条詩歌を処刑塔から出そうとした」

 

「それは、ただ……」

 

「英国のために、ローマ正教に、“お前が最も嫌がる”身売りさせようとした?」

 

「……っ」

 

「そんなの英国のためではない。己の正しさを証明したがための醜く浅ましい言い訳だ。お前は単に『学生代表』が憎かっただけだろーに」

 

 その言葉は、ヴィリアンの胸の奥に突き刺さった。

 

「十も年下なのに、何でもできるし、全てが味方につく―――自分で戦おうとすらしないお前と違ってな。そういえば、ヤツの選挙演説を見に行ったんだったな。今日もあの馬鹿な兄を見て、どうだ? 羨ましかったのか? 妬ましかったのか? 怖かったのか?」

 

「ち、ちが……」

 

「『後方のアックア』――忌々しい傭兵を討ち、その力を奪ったのはあの娘だからな。敵討のつもりか馬鹿馬鹿しい。そして、その『学生代表』を友好的に迎え入れた英国が許せなかったか? だから、ローマ正教を受け入れた。詩歌を嵌める策にも協力した」

 

 ヴィリアンは、言い返せなくなった。

 唇をわなわなと震わせ、涙がぼろぼろと溢れる。

 その原因は、恐怖か、悲哀か、屈辱か。

 唯一の支えとなる十字架に縋るように抱きつく。

 

「泣いたら許されるとでも思ってるのなら、首を差し出せ。この慈悲の剣の“赦し”を与えてやる」

 

「そ、んなことは……」

 

 しかし、キャーリサは容赦しない。

 

「こちらとしたら都合がいい。お前の首をはねる理由もできて、学園都市にも面目が立つからな。全部、お前がやりましたとな」

 

 3人の騎士が、叛逆の王女と対峙し、『ランスロット』も立つ。

 

「第二王女よ。如何に王室だとしても、それ以上の侮辱は許さないのである」

 

「侮辱じゃない、これは全部真実だし。そして、貴様ら賊は全員ここで処刑だ」

 

 そして、断絶した姉妹が衝突する――――また、直前、

 

 

 ドッパァァァ!!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それは、パラシュートでの下降のような生易しいものではない。どちらかといえば、カタパルトによる射出に近いものがあった。音速で飛行するジェット機の外側に張り付いているようなもの。

 

「お前、これ、無茶、苦茶、だ―――!!」

 

「安心して、お兄ちゃん。落ちたら命はないけど、私を信じて」

 

「現在進行形で、お前の信用度は下落していってるんだよ!」

 

 キィン、と耳鳴りが響く。発射前に足場の固定だけでなく再度<身固め>が施され、護符ももらってはいる。

 もっとも、気休め程度しかない。

 術者が調整を間違えると、凄惨な事故になること請け合いだ。

 

 雷。

 

 稲光が弾け、亜音速から減速しての着陸―――その際の衝撃は、船が大地を滑ることで大部分殺したが、それでも腹部に鉄拳をぶち込まれたような振動を覚える。

 少なくとも、肉体的には無事であったが、精神的には滅多打ち。

 人間は、空を飛ぶような生き物ではないとつくづく思った。

 

 

 轟音は、まぎれもなく直近での雷鳴。

 

 

 突破などと言う生易しい次元ではなく、文字通り茨の結界そのものを根こそぎ破壊した。

 今の雷撃は移動とセットの術式なのかもしれない。

 雷に乗って移動するというのも、神話や伝説ではよく聞く話でだった。

 <新たなる光>から借りた(奪った)<知の角杯>と<木蛇の翼>で補強し、<大船の鞄>を乗り物にした超長距離跳躍移動。

 その飛び入り参加もそうだが、それより驚いたのは―――!

 

「この顔を、見忘れたとは言わせません」

 

 そこに乗船していた人物。バンダナを外した黒髪の美しい少女は―――!

 

「どう、して……!」

 

 第三王女と神撲騎団は、現れた相手の姿に、しばし言葉を失い。

 

「ようやく来たか!」

 

 第二王女は白い歯を見せて笑い。

 

 

「どうやら仮面舞踏会には遅刻ギリギリで間に合ったようだぞ、香椎」

 

 

 かくして、愚兄は、右手と言う鞘に最強の聖刀ともいえる力の賢妹を携えて、この三つ巴の踊り場(戦場)に身を投じた。

 

 

 

つづく


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