とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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すみません、かなり長文です!

英国の三代派閥で揃えようと、次話を王室~にしたくて、つい……(^_^;)

では、楽しんでもらえたら幸いです。


英国騒乱編 清教闘争

英国騒乱編 清教闘争

 

 

 

とある学生寮

 

 

 妖精の姿は人に見えず。

 妖精の体は人に触れえず。

 しかし、妖精は常に人のそばにいる。

 

 

 まだ寝息をたてている頃、そっと浴槽を覗きこみ、枕元へ囁く。

 

『ここが、限界です。経験上、これ以上近づけばバレちゃいます』

 

 闇の中、ううん、と呻かれて、少女はちょっと驚いた。

 起きてないが、声に、反応した?

 

『……聞こえないはずなんですが』

 

 深く息を吸い、ほとんど口ぱくな押し殺した声で、

 

『頑張ってると皆に聞きました。私も、――は頑張れる人ですと太鼓判を押して花丸もつけちゃいましょう。……だから……私が…私が―――』

 

 止めて、5秒。10秒。

 

『告解、しといてよかった……じゃなきゃ、言ってました』

 

 危なかった。まだ知られたくない。

 もしかすると………なんて、考えたくない。

 

『……ふふふ、そんな無防備にしてると、浴槽に潜り込んじゃいますよー』

 

 すぐに塗れるようハンドクリームのような皓い墨を脇に置き、すぐに背中を晒せるように上着をはだけさせる。準備を整えたら、ふと、浴槽に自分も頭をのせる。

 と、それがいけなかった。

 

『きゃ―――』

 

 少女は突然強い力で抱き寄せられて動揺した。

 意識がなかったはずの少年が、音のない声に反応したように少女の頭を胸に抱き抱える。

 鼓動が直に伝わってくる近さに、また起こしてはいけない緊張感に、少女の身体がびくんと硬直する。

 それでも息を止めながら懸命に頭を上げて、こっそりと顔を窺えばまだ寝てる。

 もしこれがスパイ映画なら、アウトだと思ったのだが、ギリギリセーフらしい。

 

(前々から思ってましたが、無意識の方が反応が良くありません? 鈍いのか、鋭いのか一体どっち――って、そんなに抱き寄せちゃ……落ちっ……!)

 

 本能のままに動くのか、それとも右手だけ独自の思考回路が備わっているのか、左腕に首を巻かれて固定され、弱々しくしか抵抗できないのをいいことに、その指先が頭から黒髪を流しつつ、ぷるぷると姿勢維持に耐える背筋をそっと撫で上げる。

 触れる、温かく、大きい感触。心地よい。安心する。全身の力が抜けるような、痺れるような感覚が背筋を這い上がり―――その先の『翼』を震わせる。

 力強く抱き寄せて、なのに触れる手つきは優しい。小動物を怖がらせないよう静かに、壊れものを扱うように繊細に。

 だが、肝心なところでは大胆に。

 

 ぷちっ、と気を抜いた時、背筋を沿う指先が何かに引っ掛かり――外れた。

 

(お、おにぃ……!? まだ、それは早っ、心の準備とか、それにシャワーも浴びて……あ、そういえばここ浴室だった―――じゃない! けど……ホックが……今、起きたら、体が離れてブラ……っ!?)

 

 色んな意味で落ちかけそうな状態で、どうにか悲鳴だけは抑える。

 しかし、追い打ちをかけるように、完全にはだけてあらわになっている、肉付きの薄い脾腹を、肋骨に沿うよう、つつ―――っと。

 

(す、ススストップ! めっ! だめっ! ……んんっ!)

 

 これほど無酸素がキツいと思ったのは初めてだ。息を吸おうと口を開ければ、洩れてしまう。

 普段はこんなことをすれば即土下座、下手すればその場で切腹して自害しそうなものなのに、無意識の手管は何と的確にツボをついてくる。

 そうして、祈りが届いたのか、それとも満足したのか、ようやく手が緩む。

 けど、捕まっている―――為すがままに敏感な素肌を撫でられてると思った瞬間、気づく。

 

(あれ? もしかするとここまでの一連の行動、傍から見たら寝込みを襲ったら、主導権を取られて逆にやられているようにしか見えない!?)

 

 なんて今更。顔が熱くなった。

 今の状態は浴槽に上半身だけ入れて、下半身が突き上がっている。自分からやるのは良いが、やられるのは無性に恥ずかしい。このままお尻を叩かれたら、たぶん泣く。

 この裏歴史は、箱に入れて、鍵にかけ、袋に仕舞いこみ、紐で幾重にも縛り付け、倉庫の奥の奥に封印しよう。

 でも、そういう当たり前に気づけただけでも、今の自分は戻っているのだろう。

 

(しばらく近づけなくなりそうですが、よ、よしっ! こちらの想定とは違いましたが、満足…………はい、抑えられて満足!)

 

 それはきっと、自分を戻してくれた絆。

 だから。

 だから、もう少しだけ……

 

(もう少しだけ、この私のままで……)

 

 願う。

 まるで、祈りのよう。

 原初に、神も知らぬに人々が目を瞑ったように、少女は祈る。

 魂を絡め取られたように、ゆっくりと、何かが鎮まっている。

 少しだけ、ほんの少しだけでも身を預けて眠りたい誘惑に駆られそうになるも、脱け出す。

 

『この状態に『枷』で止める』

 

 

 

 そして、鎮静している間に――――

 

 

 

『やっと……一段落ですか』

 

 火照った頬の上気した熱が冷める頃、描き終えて、サラシを巻いてから少女がゆっくりと立ち上がった。

 床についた膝を持ち上げるのが、岩を引き抜くようだった。実際、今の彼女にとって、自分の身体は鉄よりも重かっただろう。ここにくるまで精気をどれだけ注ぎ込み、『妖精化』という生命力を最小限に封じ込めている『枷』をつけた今、少女は朽ち果てた老樹にも等しかった。

 それでも、しばらくして慣れれば、自然と自分の身体を意思通りに動かせるようになっていた。

 一気に体内の火を吹き消したように、凄まじい喪失感から、異常なほどの寒気が。虚脱感を覚えていたら、内臓という内臓を裏返しにされたような吐き気が。

 それでも、ようやっと、人として落ち着けた。

 

『……ぁ……ぁっ!』

 

 床に手を突く。その際も、完全なる隠行は維持する。眠る彼らを起こさぬように抑えた声を噛み殺してから飲みこむ。

 痙攣する膝に力を込めて、無理矢理に上半身をもたげる。ぐらつく足を叱咤して、少女は床を踏みしめた。

 二重三重にぶれる視界の中で、深呼吸し、気を整える。

 

『まだ、終わってない。これから………それに、こんな姿は、見せられない』

 

 ふぅ―――――と長く吐いたあと、意思というか意地で、自然体の調子を引っ張り込んだ。

 そして、リビングへ出て、

 

『とりあえず、ご飯でも作りますか』

 

『そこで飯を作るとは、仕事疲れでも家事を怠らない専業主婦かにゃー』

 

 びくりとも驚かない。侵入方法や、いきなり声をかけられたのはあれだが、この『監視役』でもある嘘つきに“おつかい”を頼んだのはこちらだ。

 ヘアスプレーのような小さな缶から噴き出た甘い匂い――吸引性昏倒ガス――が充満していた部屋を換気するよう開けられたベランダ――その手すりに身を預ける、お隣さんが、部屋にお邪魔したような感じで片手を上げる。その足元によっこらせと置かれた黒いスポーツバック。

 

『体は、大丈夫なのか?』

 

『やっぱり、暴走を抑えるのにはお兄ちゃんの手が特効薬だったようです。その後に『枷』を嵌めたので、力は大分制限させられますが、問題ないです』

 

『そっか。お望みの物はここに用意してあるぜい』

 

『どうもありがとうございます』

 

『いやいや。おかげさんで“こっち”の仕事が楽になってるし、“そっち”の方も手伝わないと、手も足も出ないものですたい』

 

 けらけらと笑いながら、片手をぶらぶらあげる。

 軽薄そうな仕草が、この若者には良く似合った。この夜闇に似たお先真っ暗な未来を思って重くたれこめた陰鬱な空気も、この若者には影響を及ぼし得ない―――そんな風でもあった。

 だが、その軽薄さに浮かされず、視線はあくまで冷ややかで、少女に訊く。

 

『<最大主教>にどんな契約を持ちかけて、俺達――<必要悪の教会>の一部の指揮権を得たんだ?』

 

『………』

 

 少女は。

 少女は。

 少女は、ただただ、薄い唇を歪めて、

 

『ドナーカード、みたいなものです』

 

『よりにもよって最悪な契約を結んでおいて良く言う』

 

『英国を、救えばいい、問題ないです』

 

『失敗すれば、みんな台無しだぞ』

 

 はぁ、と嘘つきは息を吐き、

 

『俺には無駄だったが、学園都市の『闇』を救い上げた行為に大勢の人間が感謝してるだろうな。まぁ、アイツは口には出さないだろうが、実感を得ている頃だろうさ。―――ただ、それが奇蹟だって事も、救い上げるのが大変だって事も、よくよく理解してんだろ』

 

 言われなくても、と頷く。

 

『それが台無しにされそうになって……憎くないのか?』

 

『誰をですか?』

 

『決まってんだろ。――に仕掛け、根本の原因をつくりあげた裏切り者さ。裏切られて、そのケツまで拭かなきゃならない理不尽。ましてこの街に<吸血鬼>なんてバケモノを送り込まれて、――が殺されかけたんだろうが……なら、憎くなければ嘘だ』

 

 嘘つきの言葉は正しい。

 憎くなければ嘘。けれど、それを認めてしまえば、契約した英国の救済は嘘になる。過去と処理するにはまだ新しく、まだこれで終わりではない。

 この問答次第で、嘘つきはどんな手段を使おうとも、彼女をここで止める。

 例えば、ここにいる住人を起こして、など。

 

『―――憎いです』

 

 向かい合い、目線は逸らさない。そこに聖人君子の片鱗もなく、強者の驕りもない。少女の瞳は、ぞっとするほど、透明だった。

 

『許せない。私は生き延びるために“あの人”を犠牲にしてしまいそうになった』

 

 でも、と少女は言葉を紡ぐ。

 

『耐えねば、不幸の連鎖は止まらない。裏切るには、裏切るだけの理由がある。それを見極めなければ結局は何も解決しない。だから、こんな連鎖なんて止めてやる。裏切る理由をなくす。皆が納得できる『答え』を作ればいい。そのためにも、私は、戦う』

 

 言葉の後は、ただ沈黙が広がった。

 やがて、ゆっくりと手すりから体を離して、再び空気が軽くなる。

 

『止めたいなぁ』

 

 この少女が抱えているのは善悪を超越した『大きなうねりに繋がる種』だ。

 鋼と電子の街を築き上げたある男や、古びた大聖堂の奥で薄く微笑む女がかつて開花させたものと同じか、その巨大な花さえ飲みこまんばかりの。それは自分の手で完全に掌握できれば強大な力を与えてくれるが、できなかった時の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。

 

『やっぱり、俺としては、普通に暮らしていてほしかったんだけどにゃー。でも、無理か』

 

 それは良く言われる。

 自分にはこの世界は似合わない。でも、必要なのだと思う。

 

『これ以上は出しゃばり過ぎだな。それで、――はどうするんだ?』

 

『………要求されたのは、――だけです。それに――は、『転移』できません』

 

『飛行機なら用意してやる。迷ってんだろ。だったら、俺が言ってやる。この愚兄は、連れて行け』

 

 

ロンドン

 

 

 <妖精>。

 森羅万象に生命が宿った自然霊。また、十字教に相容れなかった異教の神々が零落した存在であり、堕天したが悪魔となりえなかった天使。

 <妖精堕し(フェアリーダウン)>は、存在の階梯、人の領域にまで堕とすために付けた枷。

 幸か不幸か。海の一件で術者()から間接的に、“ある魔法陣の仕組み”を把握したのが、助かった。そして、見られるわけにもいかなくなった。

 

 抑えるためとはいえ、禁忌に重ねて禁呪。

 だから、隠した。

 魔術に敏感なあの子をも欺くために、苦手分野である科学技術も利用して。

 魔術だけでなく科学を使った組み合わせ。

 禁忌を抑える禁呪を今度は禁断で隠す。

 

 戦の時に良き死が得られる、または未婚の若い娘に良き出会いが得られるよう祈る保護者――聖ウルスラの<聖外套>。

 『ウール(ラシャ)』の<守護聖人>である聖ウルスラの外套には霊験あらたかなものとされ、とある画家に図像学(イコノグラフィー)霊感(センス)を与えた。

 図像学とは、美術品の表現に秘められた宗教的な意味について扱う学問。例えば、『百合は純潔』、『犬は忠誠』と、作品を見たものに、その記号の意味を頭に叩き込む。

 

 1万1000の侍女と共に巡礼した聖女の遺骸は侍女と混ざり、本物がどれか判別できず、その実在すら危ぶまれ、出所不明の膨大な数の遺骨が、聖女のものであると殉教者らに“勘違いされた”。

 

 その伝承も組み込み、アビニョンでの演劇にも使った三次元投影の技術を応用した電子ペーパーの顔パックの図像学と<聖外套>―――そして、女教皇へのわがままの1つ、今日だけの偽名。

 『香椎』は、切支丹(キリシタン)と関わり深い九州長崎にある香椎聖母宮だが、読みは聖母宮(しょうもぐう)であって、十字教の聖母(せいぼ)とは違う。別に聖母マリアを祀っている神社ではないのだ。また、『かしい』とアナグラムで本名を偽装することで、『本物とは思わせない変装』を成した。

 また、何重もの偽術の間に隠行効果のある経文――と間違った欠片(映像)も混ぜておくことで、一を知るだけで十を悟れる彼女ならば、一を見せるだけでも、十あると勘違いし、皆を誤解させてくれるだろう。もし、科学技術に鈍感でなければ見抜かれていたかもしれない。

 騙して悪いが、この身体は、調べられて図書館に記憶させるわけにはいかない。

 そして、いざという時まで、この鍵のない枷のような禁縛を外すわけにはいかない。

 それまでは、経文とは関係ない、プロの魔術師が見抜けないような、この“完全なる隠行”で潜め―――

 

 

 

 パニックだ。絶えることのない閃光と爆音。

 銀色の鎧を身に付けた一団が、イギリス清教と関わりのある教会等の宗教施設が襲撃――破壊。修道女や魔術師らは重要な書物や霊装などを手にして、散発的に交戦しつつ避難を始めている。

 当然、『人払い』だけでは誤魔化しきれない。元々、魔術的事件の多いイギリスには大規模な隠蔽策も色々と用意されているが、その許容量を超えて飽和してしまっている。

 バリケードを築いた警官らに押さえられ、野次馬になることはないが、魔術も能力も見たことがない一般市民はパニックになっている。

 他の大都市の『騎士派』のクーデターはほぼ完遂しており、この首都ロンドンも全機能が奪われるのは時間の問題だろう。

 

(やっと、やっと……犠牲を出して、彼女だと確信が持てたのに……)

 

 そして、<身固め>の際に付けた『通信』で、当麻と同様に警報が、インデックスに身の危険が迫っている。

 『騎士派』が動いている今、ロンドンから100km以上も離れたフォークストーンにいるインデックスが心配だ。

 <最大主教>から提示された3つの条件、

 『今事件で学園都市からの介入を抑えることに協力、みだりに情報を流出することを禁じ、<禁書目録>を英国に連れてくること』

 『学園都市を裏切ることになろうと、“英国の被害を最小限で”解決することを最優先に尽力すること』

 『この2つを失敗しこの戦争で英国が負けると決まった、また<幻想殺し>を含む如何なる手段でも強制消失を確認――契約破棄を行った場合、その罰責として『学生代表』を自ら辞任し、その身柄をイギリス清教に預ける』

 と<自己強制証文(セルフギアス・スクロール)>で誓う。

 権謀術数入り乱れる魔術社会における最も強力で容赦ない呪術契約は、決して違約しようのないよう魂をも縛り付けて執行される絶対。

 原理上、対象の血を用い、生命力そのものに科せられる強制(ギアス)の呪いは、如何なる手段を用いても解除不可能な効力を持つ。

 自分は、証明しなければならない。

 己の価値を。己の居場所を守るために。

 

 ズズン……と低い振動。

 

 状況は刻一刻と悪化している。この耳と肌が同時に捉えたものの根源は、巨大な石像。

 

(あれはシェリーさんの……!)

 

 建物の向こうから、より巨大な腕が見えた。

 原材料は、コンクリートやアスファルト、だけでなく、踏み締めた大地から、振り回される構造物と付近にあるあらゆるものを取り込んでいる。

 

 ゴトン!! と衝撃がこちらの足元と精神まで揺さぶりをかける。

 

 建物を砕き、飲み込み、城塞の如き風格を持つ全様が完全に姿を現した。巨人の肩に乗るは、<必要悪の教会>のゴスロリ魔術師、シェリー=クロムウェル。

 無数の刃をものともせず、薙ぎ飛ばされる騎士。

 そして、

 

『エリィィいいいいいいいいいいいいスッ!!』

 

 ここまで聞こえる肉声の雄叫び―――を上げているのだろう。

 周りの声が一切拾えていないこの少女の耳が拾ってなくとも、そう直感した。

 完全に、キレている。怒りで我を見失っている。

 一人でも多くの騎士を道連れにする。己の生き死になど考えていないし、街の破壊も気にしていない。

 一度は許しても、もう、政治的な理由で横暴を振るう『騎士派』を見逃しはしない。

 そして、騎士達も馬鹿ではない。<石像>ではなく、直接術者のシェリーを狙うだろう。

 

 ―――この絶望的な状況を覆すには、力が必要だ。

 

 “英国の被害を最小限に”。

 応援も呼べない。

 危険な真似はさせられない。

 “あの人”のような犠牲はもう出したくない。

 自分が、やるしかない。

 枷の一部を解こう。

 この今、外れかかっている“鍵のない枷”をすぐに解けるのは、やはり、その『右手』が一番だ。

 

(大丈夫。終わった後で、きっとまた付け直せば―――)

 

 およそ10m先で、自分の前で、呆けるように<石像>とシェリーを見上げる少年。その横に放り出された『右手』。

 ひたすら、彼の身を案じている。慈しんでいる。想っている。―――だが、そうではない。

 

 頼るつもりはない――だが、縋りつきたかった。

 休んでいてほしい――だが、巻き込んでしまった。

 真実を打ち明けたい――だが、騙してしまった。

 

 耐えられない矛盾を抱えながらも、勝手に期待している。

 ずっと自分を守ってくれた希望に、目を眩まされる。

 ずっと自分は守られてきた絶望に、目を覆いたくなる。

 もしかしたら―――『前の記憶』ならば、抑える術を知っているのかもしれない、とつくづく自分に幻滅する。一度本気で、死にたくなったほどに。

 あの女王の一件を見て、呼ぶべきではなかった、と思い、呼ばなくても来ただろうな、と確信する。

 直感か、それとも自分でも知らない記憶か、その『右手』が、間違いなく必要な要素で、彼は大切な存在。―――違う。

 愚兄の心配する想いを、利用さえしている賢妹は、この上なく踏み躙っている。

 だから、自分には権利はないし、甘える資格もない。それでも傲慢に守ろうとし、勝手に離れようとする。

 だからか。

 触れるのが怖くなる。けど、

 

 ―――聖母よ。私は、貴女にこの身命を捧げる。

 

 それ以上に怖いものがある。

 きっとこの答えの出せない確認作業は己の覚悟を決めるためのものだ。

 残り少ない<四葉十字>を口に含む。

 目標まであと5m。

 

(―――『伝令』を司る聖ガブリエル、『情報封鎖』を命ず)

 

 思念で呪を紡ぎ、気配を、殺す。

 <禁書目録>でさえも気づかせなかった情報隠蔽、“完全なる隠行”を掛けて、近寄る。

 音もなく、人が近づくときの独特の気配など、欠片もない。直感すら欺く。この<妖精堕し>をつけている今の自分の親和率ならば、例え同じ加護を供給した彼女らにも気づかせない。

 違和感も不自然さもなく、少女は情景に溶け込む。一歩一歩に音がない。

 

 『バッキンガム宮殿』の時と同様に、こちらが触れたとしても肌の感触すら覚らせない。

 

―――だが、

 

「えっ―――」

 

 すっ―――と逃げるように、『右手』が離れていった。

 

 

「俺の妹は何でもできるが―――何でもかんでも自分でやろうとする奴じゃなかったぞ」

 

 

ドーヴァ海峡

 

 

 うっすらと月が見え始め、白く彩られた海。

 この騎士達から逃げても、すぐに追いつかれ、その背中を刺されるだろう。

 

 

『この国で、魔術師は、騎士には勝てない』

 

 

 魔術大国と呼ばれるイギリスでこの定理は覆らない。

 しかし、何においても例外はある。

 極東の<聖人>、神裂火織には、<天使>の力を得た騎士でも敵わない。

 だが、その例外さえ、この騎士団長には通じない。

 常識という壁を打ち破った高速安定ラインに辿り着いた常識外の怪物。

 

 神裂の視界から騎士団長が消え失せる。

 ただ彼は凄まじい速度で視界の外へ移動しただけ。

 ビュオ!! と風を切る音が真後ろに。騎士団長の蹴りが迫る。

 ただの蹴りだ。だが、これ国を守護する力の象徴――<騎士団長>の一撃だ。たかが<聖人>など一蹴で終わらせる。

 

 足を振り抜き―――直後、神裂は姿を消した。

 

(幻覚か……?)

 

 <聖人>が<全英大陸>で強化された<騎士団長>の動きを躱わせるはずがない。それも自分が見失うようほど速く。

 ありえない。考えられるとすればただ一つ。

 真剣勝負と真正面で相手を叩き伏せる侍。

 <聖人>でこと戦闘力――その名の通り『神を裂く』ことに特化している彼女が、そのような小手先の技を身につけていたとは思わなかったが。

 騎士団長は、焦ることなく感覚を研ぎ澄まし、この冷えた空間の中で<聖人>の位置を探った。

 だが、周囲に気配は感じられず、魔力の漏出も感じない―――

 

(まさか、キャーリサ様のあとを―――)

 

 感覚網を更に広く―――と、他の天草式の姿も消えていた。

 あれほどの人数が一瞬で、まるで雪景色に溶けたかのように。

 そう、自分達はただの足止めで、『清教派』の本命である首謀者はさっきこの場を去った第二王女――今や国家元首のキャーリサだ。

 騎士団長はすぐさま見失っている部下たちに指示を―――と片手を上げたところで止めた。

 

 昔、騎士団長はこのドーヴァで旧き友にひどい不意打ちを受けたことがある。

 

 以来、そうした奇襲には何かと用心するようになった。

 

 真横から迫る、7本の鋼糸術――<七閃>。

 だが、騎士団長は、触れるだけでも断つそれをその上げた片手で掴み取り、蜘蛛の糸のように強引に引き千切った。

 道具を使うどころか、両手も使っていない。その一連の動作が、礼式に則った挨拶に見れるほどだ。

 ―――騎士団長は素直に感嘆する。

 

「……見事なものだ」

 

 決して慢心ではなく、そう思う―――ここで斬ってしまうのが惜しくなるほどに。

 暴力に特化しているが、身体を自壊させぬようその力を十全に発揮するためにも、騎士団長の魔力制御は超一級、他人の魔力干渉など受け付けないし、魔術で歪められた感覚情報など、ひと目で看破できよう。

 それなのに、この相手の攻撃を感じ取れたのはつい先ほど。

 

「だが、率直に言わせてもらおう。幻覚など、如何に姑息な手品を労そうが貴女では役不足だ」

 

 戦闘の最中で、無駄口を叩く。相手を見極めるために、時間を稼ぐ意図もある。

 だが、その言葉は決して慢心ではない。

 

「手品、とは心外ですね。これは幻術ではありません。ただ、あなたが感じ取れないだけ」

 

 顔には出さなかったが、騎士団長は内心で苦笑した。

 声は聞こえるが、居場所は未だ掴めない。

 これが幻覚かどうかはさておき、感じ取れていないというのは事実だ。

 それでも、騎士団長は動じない。

 姿なき<聖人>へ告げる。

 

「『選定剣(カーテナ)』と四文化によって構築される我が国――<全英大陸>には、特殊な十字教のルールが敷かれている。その領土において、王は<天使長>であり、騎士は<天使>となる」

 

 この国にいる限り、単に力の総量が違う。

 騎士団長を殺したければ、英国の国境の外まで引き摺り出す必要がある。

 

「さらに我々『騎士派』にとって、政治上の問題からヘンリー八世の手で分離独立したイギリス清教など、信じるものではなく利用するものに過ぎん。北欧、ケルト、シャルルマーニュ、ゲルマン、それらありとあらゆる騎士の道を統合し、一つの思想にするのが我らの真髄……。確か、貴女は複数の術式を迂回し<天使>を傷つける攻撃があるそうだが、そんな迂回にもならない回り道では、この私を傷つけることも敵わん」

 

 特殊な環境下とはいえ、これまで神裂が戦ってきたどの敵よりも理不尽。

 不完全とはいえ顕現した<大天使>、本物以上の偽物であった『太陽の』騎士。そういった強敵とも『打ち合えた』が、騎士団長はそれすらも許さない。

 そして彼は、その力を誇りすらしない。

 

「逃げ隠れしようと、見つかった時点――いや、巻き込んだだけで蹴りがつく」

 

 騎士団長の目がつまらなげに細まる。

 

 

「<聖人>程度の能力値では私は『剣』を抜く必要もない」

 

 

 高々と上げた足を振り落とし、

 

 

 ドッパァァァ!! という凄まじい衝撃が、雪原を吹き荒らした。

 

 

ロンドン

 

 

「視たのは宮殿を出てからだけどな。お星様は何でも知ってる。遠見で丸わかり。同盟の伝手で超魔術が成立だってか」

 

 薄々は、勘づいているだろうなとは思った。それでも、まあよかった。それでも自分は『陽動』で、この日だけ保てばいい幻想(うそ)だったから。

 『1人になったら視るように』と“兄同盟”から愚兄に今朝送られてきたメール。そこに添付された録画映像。

 液晶画面に表示された映像を見せられ、聴こえてくる音声――リビングを出てから、深夜の土御門元春との会話――に、香椎は凍ったように固まる。

 あの多重スパイは、『背中を指す刃』―――自分では止められないと悟っていたあの嘘つきは、語れぬ彼女の代わりに聴かせるためにわざわざ質問して真実を録画していたのだろう。

 一息つけて油断していたとはいえ、必要ならば仲間でさえも騙した前科のある蝙蝠を全面的に信用したのは失態だった。

 

「必ず誰かが貧乏くじを引くし、押し付けられる奴もいる。誰かが泥をかぶんなきゃいけない。それが現実だ。だかな、今のやり方は間違ってると俺でも言える」

 

 少女香椎の瞳が――瞬間、周囲の状況すら忘れて――ただ真っ直ぐに当麻を捉えた。その瞳を見つめ返しながら、当麻はどうにか気を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

 そして、

 

「どんなやり方が正しいかなんて俺は知らねぇ。全力でやるのも大いに結構だ。だけど、そうじゃねぇだろ。俺の妹は、無理、無茶、無鉄砲でも、馬鹿じゃねぇ。俺なんかより、もっとスマートだ。こんな周りに心配ばかりかける馬鹿じゃねぇはずなんだ」

 

 だから反対だった。絶対に無理をするってのは分かってた。こんなの愚問過ぎる。人の上に立っても、この妹は切り捨てることができないから、無茶を承知で馬鹿をして、その心を砕くに決まってる。

 そうして、狂気に走るでもなく、悩んで自傷するわけでもなく、より完璧になって、“駄目になる”。

 そして、原因はそれだけではない。今の妹が何か――人に頼るのを怖がる経験――を抱えているのも良くわかった。

 あの暗部と抗争した学生選挙でも、多方面に手助けこそしたが、何もかも、一から十までやろうとはしなかった。

 負けて、誰かを失いかけた、そして、自分を見失いかけている。力だけでなく、心も暴走しているのだ。苛んでいるのだ。

 あんな取り扱い要注意の勿忘草(わすれなぐさ)なんかを暇があれば飲んで、それが心身の疲労回復だけでなく、“何か忘れたい苦い経験”があって、その『傷口』を今戦うために自分からも隠そうとするのなら―――いつまでたっても治りはしない。

 そして、麻酔を打って今麻痺しようと、時間が経ち過ぎれば、治っても痕が残る、そういう類の物。

 そんなものはこれ以上つけたくない。

 だったら、今、痛くても、愚兄としての役目を果たす。

 

「何でもテメェだけで背負い込もうとするな。お前は神様でもねーし、王女様でもねぇだろ。格好付けるな。代表になったんなら、義務だけじゃなく権利も使え! それが無理でも、立ってんなら、兄でも使え!! 遠慮なんて舐めた真似すんじゃねーぞ!!」

 

 きつく叱ってやる。

 

 

「今の詩歌が不幸になったって、誰も幸せになんかならねぇ!!」

 

 

「………」

 

 香椎は――上条詩歌は両目を見開いて、食い入るように当麻を見つめていた。ようやく“伝わった”。ずっとその実感が確かにあった。何故か力が湧いてきた。体の痛みが薄れ、消耗した体力が再び満たされる気がした。

 

「いいか。お兄ちゃんは頭にきてる。怒ってるから、泣いたってダメだ」

 

 彼女の涙を見るのは、ひどく痛いことだが、上条当麻は許せない。

 

「……泣いても、ダメなんですね」

 

「ああ、絶対に誤魔化されねぇぞ」

 

 くだらないことを口にする。

 それでも、詩歌が思い出すならいくらでも憎まれ口を叩いてやる。

 家族だから、大事だから、ちゃんと自分の幻想(りそう)を押し付ける。

 

「“お兄ちゃんと約束したこと”を思い出して、“手を出さずに”良い子にして待ってろ」

 

 詩歌は小さく、本当に小さく微笑って、静かに頷く。

 そして、上条当麻は駆けだした。賢妹に見送られながら。

 

 

 

 当麻は暴走する<石像>の正面の懐へと潜り込もうとする。だが、石の巨人は近づく者は誰であろうと敵とみなす。まさに雪崩や津波、暴風と同じ災害だ。

 その拳鎚は、人間の体など芥子粒と変えるだろう。それを愚兄は右手一つで受け止め、捌く。

 

「ぐ……っ!」

 

 粘る。捌くだけでも体力が枯渇するような打撃を受け続けながらも尚、その腕が震えることはない。

 対し、<石像>の手首が砕け散り――一瞬で再生が終わる。

 恐ろしい、とその場にいる誰もが思う。石像ではない、石像は驚異的であるが恐れる対象ではない。真に恐れるべきは愚兄だと、悟らされる。石像を圧倒する怪物ならば、話は分かる。例えば、雷神や女教皇といった怪物ならば巨大な石像を相手に真っ向勝負をするなど、余裕の行為だろう、

 上条当麻は決して<ゴーレム=エリス>を圧倒できているわけではない。確かに、一度は退散させたかもしれないが、倒したわけではない。力も体格も石像の方が勝る、右手で受けなければお陀仏だ。今の愚兄は、暴風雨の只中に存在する一本の細木と同じだ。

 だが、それでも尚。それでも尚愚兄は決して堕ちぬ。足下しか見えない暗闇の中での綱渡り、それも一歩でも余所見をすれば、バランスを崩せば即落下。前に進もうにもタイミング次第で生死が分かつ。

 しかも、所詮は、拮抗しかできない。どうあっても攻め込めない。

 そして、騎士も迫る。

 <カーテナ=オリジナル>の力が一つ――<全英大陸>。この英国内に限り、騎士とは<天使>としての力を部分的に振るう者達。

 暴力において、国内最上位クラス。

 しかし、その背中は、彼女に頼る以上に人に任せる勇気を思い出させるには十分だった。

 

「……うん、わかった」

 

 賢妹は頷く。

 泣いたりはしない。ただ、少しだけ愚痴るように、小さくこぼした。

 

「わかったよ、おにいちゃん」

 

 それだけで、詩歌はいつもの顔に戻った。

 先のことを考えるのはあとで良い。

 今やるべきは、ひとつ。

 あのどうしようもない馬鹿で、救いようがないぐらいおっちょこちょいで……胸が詰まってしまうぐらいお人好しな、あの愚兄の背中を支える事。

 

「本当……こういうのだけは聡いんですから」

 

 首筋、<聖外套>の結び目に手をかけ、力任せに引き剥がした。無謬の仮面も同時に外れる。

 瞬間、少女の身体に異変が起こる。

 髪が、肌が、花びらのように散り、下から鮮やかな――元の――色彩がのぞく。

 黒髪は自ら発光するように輝き、肌は眩しいほど白に。

 背後の3人へ、確認する。

 

「あとで謝ります。五和さん、対馬さん、浦上さん―――お願いしても?」

 

「もちろん」

 

「ええ」

 

「はい」

 

 三者三様の返事に、香椎――上条詩歌は小さくうなづく。

 

「……では、『通信(ネットワーク)』を繋げ、『道順(ルート)』を案内(ナビ)します」

 

 すう、と賢妹の手が顔を覆った。

 そのまま、とん、とステップを踏んだ。後方へ。

 入れ替わるように、五和、対馬、浦上が前進。

 3人の背中には、細く白い線がそれぞれに、して、詩歌と結ばれている。

 そして、ゆっくりと手を下ろすとその両目に、白のフレームの眼鏡が掛けられていた。

 

 

「五和さん、対馬さん、浦上さん、演目は、<嵐夜猟団(ワイルドハント)>が簡易変形。―――三位一体の陣」

 

 

 その奥底に厳しさと優しさを湛えられた声と共に、爆発的に魔力が膨れ上がった。今まで堰き止められていたものが解放されたかのような魔力の増幅。

 活性化した3人はまずは、迫る騎士に向けて動き出す。

 魔術的記号を汲み出すための、歩法や呼吸音、さらには得物を握る指の位置、折り曲げる角度、力の込め方にも気を配りながら、全速力で。

 騎士達も、確かに反応した。

 戦闘において、速度は大きな要因となる。

 当然、荒事に特化している騎士らもその重要性は叩き込まれていた。どんな戦況にも半ば条件反射的に対応できるよう、身体の奥底まで訓練という時間をしみこませていた。

 咄嗟に、剣と鎧に、『選定剣』から供給される<天使の力>を籠める。

 その、暴虐の化身たちを見つめて。

 詩歌は、柔らかに歌う。

 

「『切り分ける者』前に。連携――『天罰の代行者(ガブリエル)』の『聖別』。方式――『円皿』の場に並べられる『神の子』をワインの『血』とパンの『肉』に平等に配分する『短剣』。解答――『竜殺し』を以て、不正に罰を下す」

 

 囁きは風にまぎれるほど細く、しかし、はっきりと届いた。

 途端。

 五和、対馬、浦上の意思さえ離れて、天草式の身体は自動的に動く。

 五和と浦上が騎士達の左右へと鋼糸を飛ばし、大きく正確な円陣を作り、先頭に単身、白い紋から滴る水に濡れるレイピアを持った対馬が“足を動かず”に移動。

 “滑るように”。

 

「ふふ、そうね。それが姫様」

 

 と、対馬は苦笑する。

 彼女にとってこれは初めてだが、初めてだけど納得できた。

 信じられる。確信できる。

 速度を倍に加速して、対馬は騎士達の剛腕の剣撃を、<貫通の槍(ブリューナク)>の光弾を、紙一重で回避する。まるで軌道も挙動も最初から知っていたように、足下の『白線』は通っていた。

 

「これは『聖餐』。この『皿』の上にいるあなた達は、『切り分けられるべきパン』よ」

 

 レイピアは近代西洋魔術で、風の短剣で、魔力全体を操る魔術剣。そして、十字教の『聖餐』――最後の晩餐で、『神の子』が弟子たちに己の血肉であるパンとワインを配った伝承――の際に、食物を『切り分けた』ものの象徴。

 駆け抜けざまに、レイピアの切先が鎧の関節に走る。

 騎士を殺さずに、鎧は解体され、武具と肉体を循環する生命力も断絶。さらには、<天使の力>の供給ラインも途切れた。―――無双を振るっていた強力が消え去ってしまったのだ。

 その反動からか、騎士達から力が抜けた。

 『魔術師は騎士には勝てない』、が今の彼らは騎士としての力がない――電源を失くした人形も同然で、跪く。

 術者に通う<天使の力>とは、『竜』の力。その『竜殺し』の記号も組み込んだ一閃は、彼らに杭打ちのような追加の呪も与えたのだろう。

 

 さらに、続く。

 

「『光を宿す者』前に。連携――『英雄の統率者(ガブリエル)』の『伝授』。方式――『聖母』の『血』が塗られ、『聖外套』を柄に巻かれ、『髪』で結びて、『雄結』したその『剣』。解答――『不滅の刃』の恩恵を一度だけ賜ん」

 

 邪魔を一蹴し、『白線』に沿って一周し、今度、先頭に立つのは浦上。擦れ違いざまに詩歌から血塗られた<聖外套>の一部を、同時に受け取った詩歌の髪を紐代わりに、宝石が埋め込まれた柄に縛り付ける。

 この世の聖剣の多くは、<妖精>が鍛え上げたものという。

 フランスの大英雄は、大天使からその不滅の聖剣(デュランダル)を授かった。その伝承通りの記号を拾い宿した、ドレスソードはまさしく<疑似聖剣>。

 

 さらにもう一度。

 

「『刺し貫く者』前に。連携――『受胎の告知者(ガブリエル)』の『憑依』。方式――『猟犬』を『神降し』させた『槍の乙女』、持つのは牙と相似する『槍』。解答――突かれた『胎児』は『母体』に帰らん」

 

 たちまち、五和の海軍用船上槍に印された紋から白い蔦のようなものが伸びた。

 五和の儚げな肢体を拘束するかのように、白の蔦は少女のしなやかな手を這って、戦装束と彩るように服の上から足や胸の局部を覆う。

 あたかも北欧神話の『槍の乙女(ゲイレルル)』のように。

 9人いる<戦乙女(ワルキューレ)>は人間の魂が動物の形を取る霊的存在とされ、本当の姿は絵画に描かれている乙女が騎乗する『馬』――しかし、これも迂言法の代称法(ケニング)であり、本当は馬ではなく、狼、猟犬の類。

 それを役割が相似していることから、変換――<神の力>の眷獣と対応させて、『神道』<神降し>で、肉体という器に一時だけ宿す。

 

『当麻さん』

 

 天草式への指示と同時に、当麻の鼓膜が震える。

 骨伝導から声を届ける学園都市製のコードレスイヤホン。見れば、賢妹は俯瞰しながら、携帯電話を耳に当てている。

 

「了解」

 

 他と比べれば、端的過ぎる、というかただ呼ばれただけだが、愚兄は正確に意図を読み取っていた。

 力強く足を踏み込み、愚兄は雄叫びと共に右拳を振り上げる。

 <石像>の拳鎚を、渾身の力で弾き飛ばす。

 ぐらり、とバランスを崩したその巨体を仰け反らしてから、下がった。

 そこへ、少女が飛びこむ。

 

「ようやっと、思い煩うことがなくなりました!」

 

 淡い涙さえうかべて、浦上は強くうなづいた。

 目尻の涙を拭い去り、今日は四六時中しかめていた頬をほころばせた。

 

「―――エイヤッ!」

 

 気勢一閃。

 

「最初から、こうすればよかったんです。まったく」

 

 浦上の一振りは、<石像>の足首を割り、両足を砕き裂いた。

 木端のように千切れ飛ぶ脚は瓦礫と化し、そのドレスソードには刃毀れひとつもない。

 更にその勢いは留まることを知らず、<石像>をふわりと空中を転ばし、槍手の五和が飛び出す。

 

「『猟犬』の()は、『一角獣(胎児)』を逃さない」

 

 そも<石像(ゴーレム)>とは何か。何らかの魔術的手段によって構築された人造生命体というのが通常の認識であり、それは半分正しく、半分間違っている。

 <石像>とは『カタチならざるもの』、もしくは、『胎児』を意味する。つまり、主が土を捏ね、息を吹き込んで『原初の人間(アダム)』を創った際の秘術だ。

 

 しかるに、この『神の子』がまだ産まれる前の姿――『一角獣』を追い立てる『猟犬』は『胎児』を正しき元の場所へと返す。

 

 地脈を吸収する胎児の臍の緒ともいえる大地と繋がった足が切り離された今、自動再生は発揮できない。

 その数秒にも満たぬその時間に、始末するのは至難か?

 

「簡単です。できない理由がない」

 

 強気に五和は断言する。

 ガチガチと膝が震えている。恐怖ではなく、身体の奥底から込み上げる、抑えきれない歓喜による震え。

 その熱情を溜めた膝を曲げ、『槍の乙女』――<疑似戦乙女>と化した五和が背中に羽でも生えているかのように、だん、と一気に跳躍。いや、飛翔だ。

 

「この機を逃す気がしません!」

 

 五和は白い蔦が絡まる海軍用船上槍を繰り出した。

 

 ぞん、と。

 

 強固な石の外皮をたやすく槍は貫き、その先にプラスチック片が圧し折れるような軽い手応えを感じる。

 それこそが<石像>の『胎児』である核であったか。

 場所が定まっていないどころか、術者の意思によって体内を移動させている核を狙うなど、あまり考え難い事柄。騎士達であったも滅多滅多に斬りつけても掠りもしなかった―――が、その『猟犬』の嗅覚は『胎児』を探り当てていた。

 

 どおっと音を立てて単なる瓦礫へ戻った巨人。

 

「―――オリアナさん、シェリーさんを!」

 

「本っ当、抜け目がないお嬢さんね」

 

 賢妹の森羅万象を見通す広い視野は、まるで神話に出てくる百眼巨人(ヘカントケイル)のよう。

 異能の構造の解析だけでなく、機を窺い隠れていた魔術師をも我が手を取るように把握していたのか。

 天草式と同じく白いラインで繋がっていた運び屋が、衣服の切れ端を巻かれた少女を脇に抱えて飛び出し、気絶しながら落ちるゴスロリ魔術師シェリー=クロムウェルを回収。

 

「今日は怒られてばっかです」

 

「よし! ちゃんと、反省したんだな?」

 

「それを言うなら、いきなり飛び出した当麻さんも反省してください」

 

 手を出すな――だから、手を出さずに、口を出す。

 1人のために、2人が補助する『三位一体』、それを指揮する。陣及び式と術を伝え、『天眼』ともいえる俯瞰は魔力の必要もない技術。

 『太陽のように星を輝かす』―――と愚兄の約束であり、賢妹の本領。

 上条詩歌が真に十全の実力を発揮するのは、個人戦ではなく、団体戦。

 <全英大陸>が『知力』を統べる<天使>の力を授けるに対し、<嵐夜猟団>は『想像』を糧とする<天使>の術と『聖母』の秘技を貸す。

 常識の壁を超える怪物らの真髄は、単に強大な力があればいいものではない。

 圧倒的な破壊力を生み出すと同時に、無理な力や速度を出した結果起こるであろう、あらゆる弊害や副作用を予め計算し、補助的な魔術により摘まみ取っていく周到さにある。戦闘中は常に数百、数千も生み出され、なおかつ戦況によって一瞬一瞬で種類の変わっていく『弊害』を1つでも見逃せば、その直後に高速戦闘中の術者は死亡する。

 天草式の代わりに、詩歌はそれらを事前に推測し、指示した。

 ただ、常識を、限界を超えるというのは口に出せば簡単だが、そこまでやって初めて成し遂げられる業であり……

 

「皆さん、ご苦労様です」

 

 ―――その声を聞き届けて。

 

 がくり、と五和は膝をつく。

 

「おい、大丈夫か」

 

「ええ、ちょっとスタミナ切れです。力だけは、自前ですから」

 

 心配する当麻に、五和は淡く苦笑する。

 見れば、対馬も浦上も息を切らしている。

 五和も、対馬も、浦上も、特別ではないし、人外の体力がある訳ではない。如何に『三位一体』で分割していても負担は大きい。

 まして、直接その身体に<神降し>した五和は特に。

 どんなに安全に配慮して限界を超えられたとしても、『生身の身体の限界』はやはり完全には拭えない。女教皇の神裂火織も一瞬で決着をつける抜刀術で短期決戦を挑むなど戦術の組み立てが限定されてしまう。

 こうして、会話するだけでも精一杯なのだろう。

 それを見かねて、詩歌が肩を貸そうと、

 

「じゃあ、私が―――「俺が肩を貸してやる」」

 

 する前に、当麻が五和の背中を支えた。

 妹に極力無理をさせないように先手を打ったつもりなのだろう。

 日本の恥の継承者五和の頬が、見る間に赤くなる。

 

「あ、ああ、りがとうございます。ですが……今近寄られると……汗とか色々と……!」

 

「……汗?」

 

 見れば、レッサーを追いかけ回したせいもあってか、当麻のスーツはかすかに汗ばんでいる。

 

「ああ、悪いな。このスーツ丈夫で動き易いんだが、どうも蒸れて暑くてな。汗臭いのが嫌なら少し離れるが」

 

「全っ然嫌じゃありません! あ、え、っと、そうじゃなくて、私の方……」

 

 力一杯否定してから、ごにょごにょと俯く五和に、当麻は頭上に『?』を浮かべる。

 とりあえず、これでいいんですかね、と当麻は確認を取ろうと。

 

「疲れてんなら、だっこしてもらいなさいよ、五和」

 

 そこで、疲れた体に鞭打って浦上と共にレッサーに治癒魔術を施していた対馬姉さん。

 五和の身体を心配してか、それとも、助け舟か。

 ななな×10! と困惑する五和を他所に、当麻は『ああ、そうなのか。遠慮すんなよ』と納得。

 そのまま膝裏に腕を入れて持ち上げる。所謂お姫様だっこの姿勢だ。

 

「こ、ここここんなに密着……それお姫様だっこなんて初めて」

 

 後半は聞き取れないが、借りられた猫のように硬直し、『……結構、胸(板)が大きい』、『……あとで、日記に書いておかなくては』と熱い溜息。頬を上気させ、煙もなんか噴き上げてる。

 余程疲労が溜まったのだろうか、と当麻。

 しかし当麻はどうにか聞き取れた部分の呟きを拾い、気まずそうに赤面し、

 

「確かに意外と大きいけど、わざと当ててる訳じゃないぞ……この体勢だから仕方ないことでして」

 

「え? 当ててるとは……?」

 

 何の話? と五和は小首を傾げて、すぐ気づく。当麻に抱き上げられてるせいで、五和の“特大オレンジ”が、愚兄の身体に押し当てられるような形になってしまっている。

 

 こ……これは―――!

 

 千載一遇の好機なのか! 元教皇代理が提唱する特大オレンジ(隠れ巨乳)という隠し剣を抜く時が来たのか!

 

「き、気にしないでください! この態勢じゃ仕方ありません! ええ、仕方ありません!」

 

「そ、そうか。じゃあ―――」

 

 このままで、と当麻が言いかけた所で、五和からは死角となっている愚兄の背後から、こほん、と小さな咳払いが聞こえてきた。

 何故か五和はビクッと震え、当麻はゆっくりと視線を巡らすと、そこにはやはり“笑っている”賢妹の姿があった。

 当麻と密着している五和を、賢妹は色々と複雑そうな心情で眺めている。

 

「し、詩歌さん、これは別にやましいことなんて一切含まれてないピュアな心からの人助けでして……」

 

 おかしなことに声が上擦らせてしまう当麻。

 賢妹は笑っている。ああ、久々に見れた彼女の笑顔だ。

 ―――だが、残念なことに、竜神家の女は“笑っている方が怖い”。

 言い訳じゃなく、きちんと事実を述べているはずなのにきちんとすごく後ろめたくなっている愚兄に、詩歌はただただにこやかに、噛んで含めるようにゆっくりと、

 

「ええ、分かってます。当麻さんが紳士的(へたれ)というのは……五和さん。無理をさせてすみません」

 

「だ、大丈夫です! ちょっと疲れましたけど、大した怪我もありませんし! 少しだけ休ませてもらえれば……! 五和、ちゃんは平気です」

 

 本当は、五和“お姉ちゃん”、と言おうとしたが、そこまでの勇気は、詩歌の笑顔に、何故か委縮し、喉が詰まった。

 まだまだ早いと動物的な本能が訴えたのだ。

 

「そうですか。―――でも、気をつけてください。兄は“(とこ)では”無抵抗な人間をいいように虐める危険極まりないオオカミさんですから」

 

「はあ!? そんなこと、あるはず―――」

 

 ない、と否定したいはずなのに、口は何故か動かない。

 うっすらと夢のようなものが甦ってきた。

 そういや、今日な何か寝心地が良かったというか、夢で誰かを抱い―――

 たらり、と嫌な汗が当麻の首筋を伝う。いや、まさか、あれはきっと夢で……

 なぜだか、人肌のぬくもりを思い出す。トクン、トクン、と脈打つ鼓動や、指に集めた髪の手触りに、沿わせた肌触り、ふにゅんと大きくやわらかな肉の感触―――んんん??? なんか妙にリアル。不思議だなー……

 いや! いやいや! いやいやいや! 何考えてんだ、それは夢。夢です。夢でしょう。

 ああ、そうだ! それに違いない!

 もし、そうだったら、当麻さんはここで切腹でもしなきゃ許されないド変態兄だ!

 よし! その幻想をぶち殺……………

 

「―――な、いでせうよね?」

 

 コンマ五秒遅れて、ぎこちなく口が動く。

 が、詩歌はふっと恥じらうように頬に手を添えて当麻から視線を外し。

 

「……ええ、まあ、そういうことにしときましょう」

 

「何その意味深な引き方! なあ、冗談だよな! 冗談なんですよね! お願いだから冗談って言ってください!」

 

「ふわぁ! ち、近づかないでくださいぃ~!」

 

「やめて! マジやめて! もうそのキャラ終了だろ! っつか、詩歌に引かれると当麻さんは超ショックです!」

 

 

処刑塔

 

 

「ヤれ」

 

 短い言葉だった。

 行動も、端的だった。

 騎士の命に、獅子が咆えたのだ。

 ごお、と獅子吼が世界を圧する。

 その咆哮を自ら追うごとく、強靭な獅子の成した跳躍こそ颶風。

 対して、魔術師も動いた。

 白獅子の牙が(たけ)き颶風なら、ステイルは柔らな草のよう。

 烈風に吹かれた木の葉の如く、舞い、消えた。

 蜃気楼。

 

「残念だが、きっちり付き合ってもらう。この先は一歩も通さない。それが僕らに与えられた仕事なんでね」

 

 冷酷に、無機質に声だけが響く。

 

 ぼっ、と虚空に炎が灯った。

 

 炎はたちまち空間を埋め尽くして逞しい腕となり、燃え盛る顔を構築し、ホワイトタワーを赤光に染める5m近い業火の巨人をつくりあげたのだ。

 これが<魔女狩りの王(イノケンティウス)>。

 そして、

 

「1タイ……だけじゃない」

 

 騎士は小さく息をのむ。

 巨人は一体だけに留まらなかった。

 

 

 ―――ごぼり、と処刑塔の煉瓦を載せた土が盛り上がる。

 ―――近くのテムズ川からは、大量の水が巻き上がった。

 ―――霧の街の旋風が集い、物質化するほどに、凝縮する。

 

 

 全ては、巨人のカタチを取って、騎士と獅子を四面楚歌とばかりに囲む。

 

「エレメント、か」

 

 かか、と『獅子の』騎士――『ユーウェイン』が嗤う。

 古代ギリシャ、及び古代インドでは、万物は地水火風の4つの元素から成ると考えられていた。この元素を支配するのは<四大天使>、または<精霊>であり、時に『小人』や『巨人』の姿を取るという。

 <天使>は『小人』の状態ならば、<妖精>と同一視される小さき存在だが、『巨人』となった元素の<天使>は古代多神教の神々の原型であり、途方もない魔力を内包している。

 

「『ルーン』だけと思われていたなら心外だね。力が欲しいのなら貪欲に技術を取り込むべきだ。学ぶのは何も弟子だけの特権じゃない」

 

 この術式に使われているのは、『ルーン』だけではない。

 <天使召喚(アルマデル)>。

 地水火風――世界を構成する四大元素(エレメント)に、核たる<天使>を見出すことで<天使の力(テレズマ)>の恩恵を得るという魔術だ。

 <天使の力>を扱う西洋においては教科書にでも載せられていそうなほど多くの魔術の基礎となっており、イギリス清教のほとんどの魔術師が使える術式。しかし極めれば、<天使>をも降臨せしめる。

 出迎えたステイルは、幻影。

 最初から処刑塔の、それぞれの四方角にマリベート=ブラックボール、メアリエ=スピアヘッド、ステイル=マグヌス、ジェーン=エルブスは陣形を取っていた。

 連携をとり、一人がひとつの属性を司ることで、世界をつくりあげる。そして、『四』は大地の意味であり、このイギリスの礎を築きあげた『連合国家』の力をも利用する。

 4人をひとつにまとめることで魔力消費の最小限に抑えて、強化する。

 

「使用したカードは万を超える。そして、この『人払い』に使ったカード、『土地』と『遺産』の意味が込められている『Opila』。ここは僕らが支配する固有の結界だ」

 

 ステイル=マグヌスが最も得意とする状況は、その地に留まる、拠点防衛。場所によりその力の上限は変わる。

 科学が日常的に使っている石油は、一万を超える年月が造り出したもの。この処刑塔にも魔術師の地力を底上げする時間の結晶がある。ステイルらは一時的にそれを借り受ける。

 半日かけて地形効果も織り込んで処刑塔に仕組んだその大魔術が、歴戦の英霊に迫る。

 

「君は獅子じゃなくて鼠だよ。まんまとエサに喰いついた袋の鼠」

 

 ぞんっ、と炎の巨人が『ユーウェイン』へと襲い掛かる。

 4mもの巨大は、一切の鈍重さと無縁であった。

 大木に匹敵する豪腕が、戦車の砲弾の如く、『獅子の』騎士へと突進する。

 その弧の外へ、確実に『ユーウェイン』は避ける。

 刹那。

 

「……っ!」

 

 男の眉宇に、緊張が宿る。

 拳は触れてないのに、髪の先が焦げる臭いがしたのだ。

 防御を怠ったわけではない。単に、この炎の巨人の拳は歴戦の兵の上をいった。

 

「アマり、イキがるなコワッパ」

 

 たとえ別格や天才でなくとも、十分に一流と呼べる魔術師たちが、4人。

 魔力の総量だけでいえば、歴戦の兵とて、これらの巨人に勝る道理はなかった。

 

「こいつはリュウをもコロす」

 

 獅子にも、別の巨人が奔った。

 水の巨人。

 

「たかがテンシのソアクヒンのアイテなど、タワムれにしかならない」

 

 獅子吼が巨人の五体を圧した。点ではない面の制圧力は、獅子の絶大な魔力を現わしていた。

 獣の遠吠えは、魔を払う力がある。

 しかし、獅子吼を受けて、水の巨人が揺らいだのは一瞬だった。

 一瞬輪郭がぶれただけで、すぐさま勢いを取り戻した水の巨人は、先に倍する勢いで獅子へと迫る。

 

「ほう」

 

 獅子が、その爪を大地へと叩きつける。

 その威力はたちまち土の障壁を盛り上がらせさせ、かろうじて巨人の一撃を阻んだが、『獅子の』騎士はぞっと身体を震わせた。

 

「カジバの、バカヂカラ、か」

 

 ひび割れた唇が唸る。

 本来ならば、今の一撃でしばらく水の巨人は動かせないはずだった。

 獅子の咆哮は、魔力の成した巨人そのものよりも、術者に返しの風(フィードバック)による打撃を与える腹づもりだったのだ。あわよくば、この陣形が崩れないかと。

 しかし、その痛撃を受けても、術式は継続している。

 

「それだけ、ホンキ、ということか」

 

 気配を変えて改めて『獅子の』騎士は巨人たちを見据えた。

 単なる障害物を見る目から、己と対等の相手を見つめる気配への変化。

 悟ったのだ。この術に籠められた凄絶さを。

 魔術は知識や技術。

 最も重要なのは創意工夫であって、先天的な才能や地力とは別の所にある。

 というのもひとつの真理。

 しかし一方で、あらゆる魔術の土台となる原動力……魔力の総量を底上げできれば、取り得る選択肢の自由度も一気に広がる。その最たる例が、『神の子』の力の一端を引き出せる<聖人>であろう。

 そこまではできない。

 個をもって全を制圧することなどできはしない。

 しかし、4人分でも、この土地を味方にできるのなら十分に戦場の鬼札になりえる。

 魔力というのは、本来生命力を変換して体内で獲得するエネルギーだ。その根っこにあるのはもちろん生命力。命の力だ。

 ステイル達は、『連合国家』のとおり『4人で1つ』と生命力をまとめることで、『1人で4人分の生命力量を蓄えている』と“錯覚”させている。

 負担が軽減されているとはいえ、実際に維持しているのはそれぞれの担当、この水の巨人もメアリエ個人だ。つまり、生命力の限界を超えるために、虚偽申告しているのだ。

 生命力を魔力に変えるにも限界がある。生物の本能的にブレーキがかかる。

 だが、『元の数値』を誤魔化せば、本来ならば危険域にある生命力までごっそり魔力に変換してしまう。それで理を誤魔化している内は良い。金魚が液体窒素で瞬間冷凍され死を忘れて固められてしまうように。メアリエらは『計算が合わないままに』活動を続けられているはずだ。

 しかし。

 100しか魔力がないのに、400以上もあると喧伝し、いざ取引したら足りない。生命力が不足している、ということになれば、その借金は破滅を起こす。

 如何に凍結保存された金魚でも、無理に性急な解凍を施せば死滅するように、誤魔化しが効かなくなったら、その者への負担は人数倍となり、しばらくの目眩で済むはずだった魔術だが、少なくとも再起不能、ひどければ死に至る。そうなれば、4人でもっていた世界は崩壊し、連鎖的に他の3人にも負担がかかる。

 それほどの覚悟をもつ人材、また命を預けられると臨める連隊は、そういまい。元来エゴの強く、個人戦を好む魔術師であることも考慮すれば、もはや舌を巻くより他になかった。

 

「マリベート!」

 

 と、名を呼ばれる。

 

「分かってるよ!」

 

 応じに、鈍くて重い音が続いた。

 水の巨人の突撃から追撃を仕掛けたのは土の巨人だ。

 巨大な土の拳を真正面からその頭兜で受け止めて、獅子が歯を食いしばる。

 装甲に、罅が入る。

身長だけで5m、腕を振り上げれば7m以上の高さから、これまた百kgは超える拳を、渾身の力で叩きつけられたのである。いかに魔獣といえど、これは潰されない方が不条理なほどだった。

 さしもの強靭な四肢が、土の巨人の鉄槌を止めたことで、嫌な音を上げて軋む。

 

 があっ、と白獅子が牙を剥き出す。

 

 咆える。

 ぶちぶちと響く、筋肉が断裂する音。

 受け止められた土の巨人の拳が、徐々に持ち上がっていく。

 ばかりか、一定まで持ち上げられたところで――すっと頭を抜き引いて――土塊の腕をごきりと噛み捻り、総重量1tを軽く上回る土の巨人はその場に倒れ伏したのだ。

 凄まじい量の土煙があがり、つかのま轟音が処刑塔の周辺を支配した。

 しかし、代償も安くはない。

 青天となる土の巨人は傷一つなく、獅子は息を荒げているのだ。

 そこへ、

 

「ジェーン!」

 

 竜巻と化した風の巨人が上空から獅子を飲み込んだ。

 

 

ロンドン

 

 

「心配をかけてすみませんでした!」

 

 近くの建物に避難してまず、詩歌は謝った。深く、頭を下げる。一緒に当麻も頭を下げた。

 

「ふぅ……いいわよ。私達の言葉にはああも頑固だったのがちょっと癪だけど。お兄さん相手なら仕方ないわよねぇ」

 

 本当です、と浦上は同意する。

 そして、プロの魔術師である彼女達は切り替え早く、次の行動へ移るために、指示を待つ。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 この中で無事な人間の内の1人であり、動けるオリアナが問う。

 この混乱に救急車は来ない。

 回復魔術で治療したとはいえ、怪我人2人シェリーとレッサーを放置するわけにはいかない。

 他の<必要悪の教会>とは連絡が取れず、向こうでも助けを求めているかもしれない。

 そして、

 

「フォークストーンにインデックスが『騎士派』の連中と一緒にいる」

 

 クーデターの首謀者である『軍事』の第二王女キャーリサと『騎士派』の長である騎士団長。

 何も起こっていないはずがない。

 インデックスのことが心配だ。

 悩んでいる時間もなく、騎士達が徘徊しているロンドンで長居できる余裕もない。

 

「いえ、そちらの心配はしなくていいでしょう。フォークストーンにいるのは――私が今まで勝ったことがない――出来れば戦いたくない人です」

 

 ほう、と溜息と共に、詩歌は言う。

 

「それに火織さんは何よりも先に安全を考える、そういう人ですから。……もし失態があるとすれば、怒らせるのが怖くなるほど強くなって、迂闊に出歩けなくなったことですね」

 

 

ドーヴァ海峡

 

 

 ドバッ!! という衝撃波が炸裂。

 莫大な粉塵が舞い上がり、雪の大津波が一帯を呑み込む。地面を揺さぶる振動はほとんど地震に近く、部下の騎士達でさえも足元をよろめかした。

 

「……ッ!」

 

 堤防の如く分厚い氷壁が出現し、衝撃を阻む。

 氷の密度はかなり高く、固く締まっており、<大天使>の<天使の力(テレズマ)>が浸透している。

 <全英大陸>――<神の如き者(ミカエル)>により更に強化された騎士の一撃でも、一瞬なら耐えられる。

 

「見つけたぞ」

 

 その向こうに、騎士団長は聖人の姿を視認した―――が、またも、神裂の姿が消える。遅れて認識したものの、それは網膜に残る残像。

 時間を稼ぎ、東洋の聖人は流れる水のように移動、再び消え、そして、出現し砕かれた氷壁は、相手の突進を、その氷の破片で迎撃する。

 破片が膨らみ、伸び、鋭い円柱となって八方から襲いかかる。<天使長>の加護を受けたその身ならば耐えられるだろう。しかし、その激しさはまさしく弾雨。続けざまの衝撃に抵抗する内に、生命力は見る間に奪われていく。

 このままではこちらの体力が尽きる。

 見失い進撃を諦め、咄嗟にベクトルを反転し、後退―――と。前に、牽制の意味を込めて、指先まで伸ばし手刀を振るう。

 

(まだ相手は近くにいる……!)

 

 一発でも当たれば終わり。

 把握できずとも大きく振るい、この常識外の怪物は当たれば力技で断ち切る。

 騎士団長の手に手応え。―――が、それも一瞬、ぬるりと滑る。

 

「―――!」

 

 受け流された。

 彼女の手にある鞘の守りであった。

 ある極東の流派では『浮舟』とも呼ばれる型であったか。

 その鞘ごと<聖人>の身体をへし折るつもりであったが、“滑った”。

 

「そうか……」

 

 これまで神裂に目立った挙動は見られない。

 つるりと、氷上を滑るように不自然な動きで。否、『ような』ではない――実際、滑っていた。

 

「なるほど、アイツと同じ移動法を」

 

 足元を見れば、雪原に水――雪解けの水。

 その上を、神裂、そして、天草式は滑走している。氷水面は摩擦係数がほぼ零である。利用すれば、普通に走るよりも速い。

 勢いが全く減じずに、踏み出した初速のまま―――それはまさに、『あの男』が用いていた歩法である。

 歴戦の傭兵がなるべく負担をかけずに己の能力を最大限に活かすために辿り着いた歩法は、理に適っている。奇抜な曲芸じみているが、道理に基づいている。

 冷たい数式で導き出した最適解のようなその動きを、騎士団長は、共に戦った経験と、また聞いた話で知っている。

 

 そして、弾圧化を生き延びた天草式十字凄教の真髄とは何か?

 

 ようやく、騎士団長は仕掛けに気づく。

 

 ―――消えたのではなく、消えたように錯覚しただけ。

 

 <騎士団長>よりは遅いが、<聖人>である神裂火織の動きは速い。だが、今はその上、通常あるべき魔力の波動が感知できない。

 何の前触れも見せることなく、溜めた力を解放する。これは『幻覚』ではなく、『白閖』――<神の力(ガブリエル)>による第六感の情報制御による『隠行』だ。

 

「……気づいたようですね」

 

 <神の力>は『伝令』の御使い。

 

 情報の送受信に長けており、勘や予兆といった情報をデコイして加工し、好きな方向・距離・タイミングで受信させる。第六感では惑わされる。

 そもそも、卓越した術者ほど、『見る』と同時に『視る』。それはもう無意識に。むしろ、常識という一定のラインを越えれば、感覚はときに仇となる。

 

 咄嗟にどちらを頼るかとなると、非常識な方を『視る』。となれば、第六感を綺麗に偽装されてしまえば、実力者ほど騙されてしまう。

 時に人の姿に化けて下界に降りた<天使>の、人とは一線を画した術は、『神の子』の偶像崇拝による加護を受けた人の裡に秘められた力を隠す。それが元より『隠密』の分野を得意とし、国から逃げてきた天草式十字凄教の式と組み合わされば、五感と六感の、決して無視することのできない差異が生まれる。

 そう、ごく普通に歩いているようにしか見えないのに、サーキットのモンスターマシンを追い抜くほど速い。故に、消えたように錯覚する。死角は相手の認識にある。

 格闘戦においては、相手の攻撃を見てから動いたのでは遅い。それゆえ、熟達した武芸者ほど見る前に先読みし、予測を事実のように扱う癖がついている。

 その生死の境から勝敗を分けてきた癖が、皮肉にも今、錯覚を起こさせているのだ。

 

「それだけではない……」

 

 この雪原。寒さに肌の触角は鈍り、白一色の光景は見た目の距離感を狂わせる魔境だ。

 剣、槍、斧、弓、棒、その他色々な武具を揃え、数と力で圧倒しているはずの騎士たちが、翻弄されている。

 『白閖』のアシストに加え、<聖人>には届かない身体性能を補助する天草式連帯強化――仲間たちに背中を押す際の恐るべき加速して、建宮達は頻繁に敵の視界から姿を消している。

 身を低くし表面積を小さくして、視界から逃げ、こちらの迎撃にも当然のように備えている。

 魔力に、その挙動まで最小限に抑えて……相手にしてみれば、『攻撃の瞬間だけ現れる』神出鬼没の脅威となる。

 して、次々に放たれる氷球が粉砕され空気に飛び散り、白い濃霧となってその身を隠す。牽制だけでは飽き足らずに、その砕けた破片を煙幕として視界を塞ぐ。

 効率的で、冷徹で、洗練されていた。

 純白の濃霧の中、密やかに襲撃する。吹雪の中で狩りをするハンターさながら―――そして、彼らはチームを組んでいる。

 英国内では無敵の『騎士派』だが、この雪原においては、天草式も劣ってないというのか。

 

「しかし、何故そこまでして逆らう? 国家機関から逃げてきたのなら、国家に逆らうことの意味も良く知っているはず」

 

「国家を敵に回しても守るべきものがあることもそれ以上に良く」

 

 隠行移動しながらも、神裂は術式を組み立てる。

 <聖人>――『神の子』に良く似たものが扱える歩法術式の<禹歩>、雪原に氷柱が次々と騎士団長へと迫る。

 それを四肢を振るって、跳ね壊しながら、

 

「それが<禁書目録>というのか。だが、戦場で多くの人間を屠ってきた我ら『騎士派』は、『選定剣』をもつ王が定めた『敵』は容赦なく屠る。国家を守るために不要ならば、それを断つのが当然」

 

「貴方は、『選定剣』の使用を独占するために、友人と家族に手をかけようとする人間の命をきくというのですか」

 

「貴女は、キャーリサ様がどのような覚悟を以て、事に及んだのか知らないからそう言える」

 

 『騎士派』が指示する『軍事』の王女は、我欲がない。

 彼女はただ必要だから行うのだ。夢など見ないし、抱かない。

 ただただ英国のために、戦う―――そのあり方は、研ぎ澄まされた刃のように美しく、戦場の災火よりも苛烈だ。しかし、そうでなくては、戦争は勝ち抜けない。この騎士道を全うできない。

 

「我々『騎士派』は今のイギリスを最良の道へと先導できるのが、エリザベート様ではなく、キャーリサ様であるからこそ、<カーテナ=オリジナル>を捧げたのだ」

 

「どんな言い訳を重ねようと、政治的、軍事的理由があろうとしても、他者を手にかける建前(かざり)は私は許せない」

 

 空気中の水分が瞬時に氷結した。

 騎士団長が巨大な氷の棺桶に閉じ込められる。驚異的な術式速度―――だが、騎士には通じない。氷の棺桶の内側から、ぴきり、と罅が入り、力技で氷塊が弾け飛んだ。

 

「ふん。浅いな。その程度で私を殺せると思ったか、<聖人>」

 

 騎士団長は相手の内心を推し量り、腕に力を籠める。

 ―――救われぬ者に救いの手を(Salvare000)

 掲げる<魔法名>の通り、救われない人間だろうと手を差し伸べる事こそが、この<聖人>が戦う理由なのだ。

 その『人徳』が、彼ら天草式十字凄教を率いているのだろう。だが、そのようなものは『圧倒的な力』の前では無意味。

 

「いいえ。私にあなたも、第二王女にも<魔法名(殺し名)>を名乗ろうとは思いません」

 

 矢継ぎ早に鋼糸と冷気が放たれる。冷気は空中で鋼糸の先に纏まり短槍となり、次々に向かってきた。騎士団長は真正面から砕き、続く鋼糸の拘束を躱す。

 氷片が立ち込め、視界が悪くなった―――その一瞬に。

 察しもさせずに、不意の打撃がきた。

 先と同じ、完全なる隠行を使った奇襲だ。気配もへったくれもない。

 

 ガンッ! と虚空から現れた鞘が騎士団長の脇腹にめり込み、肉を割って骨に食い込んだ。

 

 初めてもらった一撃―――が、浅い!

 騎士団長は跳び、徒手空拳を振るう。部下を巻き添えにしかねない真空波が飛び、白い大地が水飛沫の如く舞った。

 神裂は衝撃を鞘で弾き、あるいはいなし、逆に小規模ながらも<氷翼>を袈裟がけに打ち込んでくる。その威力は侮れず、見つければ手足を落とそうとするのだが、この土地では、力が通じない。

 のみならず、天草式は頻繁に姿を消す。襲ってきたかと察知するも、遅く。畢竟、騎士も渾身の踏み込みができず、後手に回ることになる。

 

「正直、驚嘆している」

 

 休むことのない猛攻を捌きながら、騎士団長はまた率直な感想を述べた。

 

「どんな魔法を使ったかは知らないが、アイツが得意だった『水』を扱うとはな。やはりここ最近の貴女の成長は著しい。ただの<聖人>の壁を乗り越えた。見つける事だけでも至難な、隠行は<妖精(フェアリー)>のようだ」

 

「いえ、それならもっとひどい。ひとり実物を知っていますが、私では文字通り手も足も出ません」

 

 これは、ごく真面目な声音で応えられた。

 意外な感もあったが―――自然と笑みが込み上げてくる。

 騎士 団長は久方ぶりの愉悦を感じ、久方ぶりに『剣』を抜く気になった。

 

「だが、この程度で<騎士団長>を倒せると思っているのなら……」

 

 まるで、地獄からこぼれたような声音であった。

 先までの柔和な表情と裏腹に、不吉に震える男の両肩を灼熱の感情が支えていた。

 その感情の名を、

 

「―――度し難い」

 

 怒り、と呼ぶのであった。

 腕を振るう騎士団長。その手に刃幅3cmに刀身80cm程度の長さのロングソードがあった。

 

「私に“あの男”が来るまで抜くつもりがなかったが、同じ<聖人>で<神の力>――“予行戦”としてはちょうどいい。『剣』を取らせたことを、後悔させないでくれたまえ」

 

 ここまで“刀を抜かない”<聖人>の“驕り”に反応するかのように、剣の銀色の表面が、赤黒いザラザラした物に覆われていく。

 

 

フォークストーン

 

 

「―――ほう。<フルンティング>を抜いたか、騎士団長」

 

 『騎士派』に<全英大陸>とパスを<カーテナ=オリジナル>と結んでるからか、キャーリサに<騎士団長>が『剣』を抜いたのが手に取るように伝わった。

 <フルンディング>。

 古い伝承に登場する、斬り伏せた相手の血で強度と切れ味を鍛え上げる伝説の魔剣と同名の霊装があの男が、10年かけて研鑽した成果。

 それをあの血塗られた魔剣を持っていながら無駄な返り血を嫌う打算的な男が抜いたということは、あの<聖人>がただの<聖人>ではなかったということ。

 

(そうか。そういえば、あの<聖人>は詩歌と何やら良く遊んでいたそうだったな)

 

 直接場にいなくとも、こちらの計算を狂わせていく影響力。

 

『剣だけでなく、鞘も大事です』

 

 そういえば、彼女が造った鞘は何処に―――と、そこで気づき、騎士のひとりに問う。

 

「で、これは、一体どういうことなの?」

 

「そ、それは……」

 

 キャーリサの視線の先には、馬車の群れ。王族が乗る<移動要塞>と、その護衛や世話役などが隊列を組んでいたはずだ。

 でも、今、その内の一台がない。

 考えられるとすれば、おそらく第三王女のヴィリアンが乗っていたのだろう。だが、それにしても不可解なことがある。

 

「……あの妹は、どーやって危険を察知したの?」

 

 姉上は『頭脳』、自分は『軍事』、そして、妹は『人徳』に特化している。だから、妹自身が無能であっても、その周りには優秀な人材が集まっているなら問題はない。

 このキャリーサでも名を覚えている、妹唯一の懐刀の女騎士ナタリア=オルムウェルがその例だ。

 しかし、当然キャーリサは国ではなく妹に忠義を立てた彼女のことは警戒して、騎士団長が同じ『騎士派』であるものとして、こちらに仲間として引き入れる説得の機会をと申し出たが却下。交渉の結果、事を起こす前に、殺さぬ代りに騎士団長自ら女騎士を封じ込める手筈となっていたが……

 

「それが、使用人の者たちに……」

 

「そーか、そーか。あの女騎士め。いざという時は、逃げるよう使用人たちに言い含めてあったか。妹の物にしとくのは勿体ない忠義者のよーだ」

 

 で、とキャーリサは報告する騎士に視線を向け、

 

「たかが平民の使用人に後れを取ったお前らは一体何をやっている?」

 

「い、今、捜索隊を向かわせております……!」

 

「最低でも、行き先ぐらいは教えてほしーんだけど」

 

「そ、それは……まだ。おそらくは『清教派』の連中がいるカンタベリー大聖堂に匿って」

 

「おそらく? 誰が予測を聞きたいと言った?」

 

 かたかたと鎧を震わせる報告を見下ろし、キャーリサは鞘から剣を抜いた。

 

「ちゃんと言い含めておくべきだったな」

 

 叛逆の王女は最大限に笑みを広げた。

 もうすぐ沈む夕日の光が剣を血塗られたように赤く輝かせ、彼女は裂けた袋のような表情を浮かべ、

 

「母上と姉妹は、絶対に処刑する。これは貴様らの命よりも重要なことだ。そして、無能は容赦なく切り捨てる」

 

 キャーリサは<カーテナ=オリジナル>の側面を手の甲で軽く叩きながら、突きつける。

 

「あまりもたもたするなよ。使えないよーなら、ここら一帯を消し飛ばしても構わないんだし」

 

 

ドーヴァ海峡

 

 

 ボコッ!! と騎士団長の持つ赤黒いロングソードの表面が泡立つ。

 単なる化学反応では説明がつかないほど、一つ一つが剣幅よりも大きなバスケットボールほどの気泡があっという間に数十数百倍と増殖し、一気に魔剣と相応しい形に変ずる。

 神裂の2m近い大太刀よりも倍長い、およそ4mの長剣に。

 

「一対一、魔剣を抜いた以上、私は隠し事をするつもりはない。始まる前に、この<フルンティング>について詳細に説明しようか」

 

 隠れる神裂への意趣返しか、騎士団長は言う。

 

「真剣勝負にお喋りは不要かと思われますが」

 

「第二王女の策は有効だと認めてはいるが、正直、辟易していたところだ。まぁ、魔剣を抜くほどの相手なら、我が流儀を貫いても許容していただけるだろう」

 

 それに、と騎士団長。

 

 

「殺されるなら、冥土の土産も必要であろう?」

 

 

 ドパッ!! という異様な音が、雪原に炸裂した。

 騎士団長はその場を一歩も動いていない。ただ、赤の魔剣を無造作に振るっただけ。

 しかし、相手がどこに隠れているかなど関係なかった。

 直感で鞘を盾にしたが、当たった。剣の軌道からは完全に外れていたはずなのに。

 <妖精>の如くとは言わないが、情報操作し隠行していた神裂に。

 

(……『白閖』の効果は、働いていたはず……これはただの魔剣では、ない……ッ!?)

 

 異様な攻撃に、動揺は抑えられない。

 それでも足は止めず、冷静に、天草式の記号と暗号を読み解く戦力分析を行う。

 重量不明で、全長3.9mの赤黒い長剣――<フルンティング>。

 北欧の神話に出てくる怪物殺しの勇士ベーオウルフが所有者であった魔剣。

 立ち塞がる敵の血を啜るごとに刀身は堅固となっていくそうだが、見たところ、<全英大陸>から供給される有り余る<天使の力>を『返り血』に対応させ、大量に圧縮封入することにより、まともに食らえば、<聖人>とて一撃必殺にできる莫大な破壊力を秘めているだろう。

 十字教における十字架と同じ、偶像崇拝の理論を用いて、英国を象徴する『選定剣』と『魔剣』を対応させることで、英国内限定で並の<聖人>をも上回る総量の<天使の力>をも掌握できるほど制御力を高めている。

 つまり、この神裂をも圧倒する身体能力の高さは、ある意味騎士のセオリーに忠実に、『剣と国家に命を預けている』ことで保存、運用しているから為し得ているのだ。

 それと似たように、安易に刀を抜かないで事を収めるのが武士の極意、と『鞘の中に無駄に発散する魔力を封じ込めていく』という手法で、神裂は最高値と最低値との落差からの『錯覚』でどうにか互角に渡り合っていたのだが……

 

「知っているかな。魔剣<フルンティング>で有名な英雄ベーオウルフだが、人生の要となる戦では、“その魔剣は不思議なほど活躍していない”」

 

 ガキンッ! とまたも神裂に直撃。

 もうこれは単なるまぐれではない。

 

「ベーオウルフの名を知らしめた対グレンデル戦では己の腕力を、続く対水妖戦では敵のアジトにあった古い剣を、極めつけには人生最後の戦いとなる対悪竜戦では、やはり別の刃物を用意している」

 

 騎士団長と神裂火織の距離は、約10m――互いの脚力ならば一瞬で激突できる感覚だが、剣を抜いてから騎士団長は“一歩も動いていない”。

 ただ軽い素振りのように、赤黒い魔剣で虚空を裂くだけ―――で、

 

「ッ!!」

 

 今度は、全く予期してなかった真横の角度から、それも一度だけではない。

 バトンのように振るわれる魔剣に従って、見えざる<聖人>に、見えざる斬撃が全方位から襲いかかる。

 白雪が直線的に裂け、吹雪が次々と切断されていく。

 『情報制御』は『隠行』、だけではない。『伝令』の念話発信。そして、“<天使>の地上を俯瞰する眼”――『天眼』の受信センサー。

 あの自由気ままな“妖精”を追いかけ回していた経験がここに生きたか。

 一撃二撃は不意を突かれたが、首を振り、後ろへ跳び、鞘を盾にし―――だが、騎士団長の凶刃全て捌き切れず、神裂の首を飛ばすように斬撃が襲う。咄嗟に氷壁を作り、防御するも―――そこで、騎士団長が動いた。

 

「攻撃の際に読めていたことだが、自身の気配は殺せても、氷の魔力までは隠し通せないらしい」

 

 音を、置き去りにして、騎士団長が神裂の懐へ迫る。捉まった!

 横薙ぎに振るわれたフルンディングを、神裂は<七天七刀>の鞘で受け―――始まった。

 

 ザザザガギギギギッ!! と白景色に赤火花が散る。

 

 初めての互いの得物をぶつけ合う衝突。

 音速を超える、光を断ち切る剣撃。その余波だけで周囲に撒き散らされる被害は甚大。

 

 ゴバッ!! という数瞬遅れて発生する爆風と衝撃波の轟音。

 

 しかし、力の下限を磨いた神裂より、力の上限を御す騎士団長の方が強いのは当然。

 そして―――<フルンディング>の重量が急増、堪え切れず、神裂の身体が浮いた。

 

 ゴッ!! と。

 凄まじい衝撃音よりも早く神裂火織が飛ぶ。

 

「つまり、この話の教訓は、『己が命運を分かつ切り札は、常に複数用意しておけということだ』」

 

 神裂の身体がノーバウンドで10mも飛び、雪原の中に突っ込んで、埋まった。

 

「ごっ、ば……かな……! 急に、魔剣が重く……ッ!?」

 

 その威力にも戦慄するが、神裂が何より驚いたのは、変化。恐怖ではなく、困惑する。

 そんな神裂の心情を察しながら、騎士団長は言う。

 

「予想以上に軽かった。やはり、<聖人>ではこの辺りが限界だな」

 

 護国の騎将は、強い。

 <カーテナ>と<全英大陸>、さらに騎士として効率化された魔術。

 強さの本質は、剣術の肉弾戦だけでない。ただ筋力があるだけでは、破壊力は生まれない。一定のラインを越えてしまえば、己の筋肉が内臓を圧迫してしまい自滅する。

 それを指示も補助もなしに単独で、圧倒的な破壊力と、副次的な弊害を処理する周到さ。

 何らかの力を得ただけで、『壁』は越えられない。元から強大な力や技術を持つものだからこそ、特殊な『力』を上乗せすることで、常人では辿り着けない領域に踏みいれる。

 逆に言えば、相手が拘束戦闘を補うために使用している魔術を邪魔すれば、自滅することができるかもしれない―――が、数々の戦争を乗り越えたことで手に入れた揺らがない精神をもつ騎士団長には通じないだろう。たとえ、手足の一、二本が飛ぼうと、力を暴走することはない。

 残念ながら、神裂はまだその領域にまで立てていないが、それでもこれだけ“ヒント”を与えられて解を導けないなどと、分析力は引けを取らないつもりだ。

 

「つまり、その一本の魔剣にあらゆる『剣の個性(パターン)』が内包されているということですか」

 

「ほう。まだ立つか、そして、勘づいたか。うむ、あと数年で私と同じ高みに至れただろうに、これが最後の授業となるのは、惜しいな」

 

 <騎士団長>が扱うのは『パターン』。

 北欧の<主神の槍(グングニル)>、<雷神の槌(ミョルニル)>、ケルトの<空飛ぶ剣(フラガラッハ)>、<貫通の槍(ブリューナク)>、シャルルマーニュの<不滅の刃(デュランダル)>、<聖十字剣(オートクレール)>ゲルマンの<不退の剣(ミームング)>、<不動の刃(エッケザックス)>などそれらの騎士と関わり深い数多の伝説に登場する武具には、一定のパターンがある。

 

「騎士道を極め、1つにまとめることで、弱点のない完全無欠な剣を目指したが……どうも、複雑に複雑を重ねていくと、逆にシンプルな一撃へと簡略化が進んでいくようだ」

 

 これは、太陽のような恒星の終焉に近い。

 肥大化し過ぎた星はやがて爆発し、ブラックホール――ただの重力場というには余りに強大な力を生み出す。

 

「あらゆる術式を重ね合わせた上で生まれる一撃。故に、魔術的な妨害も解除も極めて難しい。紐解くためには、私が辿ってきた騎士道の道のりを全て把握する必要がある。……とはいえ、私はまだそこには至っていないが」

 

 恒星の終わりといっても様々。星の質量が一定未満だと、中性子星や星間雲という別物になる。騎士団長の剣も、不完全故の『剣の個性』を得ていて、それを彼は分類している。

 

 何でも切り裂く『切断威力』。

 絶大な破壊力を生み出す『武具重量』。

 破壊されない防御力『耐久硬度』。

 何者にも追いつけない『移動速度』。

 特定の相手を殺すに必要な『専門用途』。

 どれだけ離れようと届く『射程距離』。

 そして、ひとりでに動いて急所に向かう『的確精度』。

 

 それらを自在に行使する。

 人間も魔物も問わず、敵となるものは全て絶滅させる道具こそが武器。

 その一撃は、圧倒的に鋭く、圧倒的に重く、圧倒的に速く、圧倒的に硬く、圧倒的に長く、刃の通らぬ性質の怪物であっても両断する専門性を秘め、なおかつ、それほどの大破壊を最も効率の良い弱点へ的確に導くもの。

 騎士団長は魔剣を構え直し、それから言う。

 

「私は使える者なら何でも使う。そして、誇り高き騎士は相手に全力を出させた上で撃破することを信条とする」

 

「その誇りを自慢するために、罪なき者にも剣を向けるというのですか」

 

 神裂火織もまた霊刀を構え、立つ。

 

「貴方には、『刀剣』よりも重要な『鞘』が欠けています」

 

「鞘、か。それを言うなら確かに、キャーリサ様は抜き身の剣といえよう」

 

 その問いに騎士団長は軽く鼻を鳴らす。

 

「率直に言って、確かに英国女王エリザベート様、第一王女リメエア様、第三王女ヴィリアン様、凄教派禁書目録、学生代表上条詩歌を処断するのは忍びない。第二王女キャーリサ様のやり方に辟易することもある」

 

「しかし、貴方は止める気はない。本当に、第二王女を擁護すれば、この国が救われるとでも思ってるんですか」

 

「諌めはしよう。だが、すでにキャーリサ様が『変革』という形で動いてしまった以上、あの方は口先程度の言葉では止まらない。この国の騎士なら誰でも知っている。貴女もそうなのでは?」

 

 もう、騎士団長にはこの戦いは終わったもの。

 底は見えた。今の彼女に己の刃は超えられない。

 やはり、自分を止められるのは『あの男』しかいない。

 

「歴史はすでに大きく動き出したのだ。もはや半端な真似は許されない。この『変革』を内戦という形で長期化させれば、イギリス全体の国力は低下し、その隙を外敵に突かれれば、我が国は容易に攻め落とされるだろう」

 

 則るは、敗者へ慈悲を問われる騎士の流儀。

 護国の騎将が剣を取って戦う理由は、徹頭徹尾、そこにある。

 この国を救うために、一刻も早く矛を収め、新体制を構築する。

 それで女王陛下を頂点に戻しても、結局何も変わらない、現状は打開できない。となると、それ以外の『選定剣』を持つ資格のある『王室』は王女三姉妹。

 『頭脳』の長女は人格的にやや問題があるも、考えや政治力がある。が、すでに謀略戦の段階は過ぎている。時を遡れるのなら、悩んだかもしれない。

 『人徳』の三女の慈愛とモラルは特筆すべきだろうが、それで国は動かない。それにこの乱世で、彼女が『選定剣』を振るえるとは思えない。

 確か、『学生代表』も『選定剣』を扱える能力もあり、すでに指導者の素質を開花させているだろうが、外様の時点で論外だ。本人も『選定剣』を手に取らなかったことを見れば、それは分かっているだろう。

 よって、やはり、迫る危機を打開するには王座に君臨するのは人格的に能力的に『軍事』の次女しかいない。

 確かに、国家が只管に『軍事』に奔走すれば民心は離れていくだろう、が、絶対的に正しい優先順位は存在しない。

 自分達にできるのはどのカードが最も高い利益を生み出すかと信じて。選ぶだけだ。

 

「では、最後にもう一度だけ、選ばせてやろう」

 

 もう勝敗は決定的。

 それでも説得し、確認してしまうのは、やはり惜しい。

 <聖人>――世界に20人といない才能、あるいはその身体的特徴に『神の子』と似た魔術的記号を持つ者。

 それと。『あの男』と同じ力を扱ったという感傷に未練を突かれたからか。

 

「刀を捨て、故郷に帰るか、それとも、刀と共に、英国の土の一部となるか」

 

 赤黒い魔剣が疼くように震える

 その長大な剣先を、神裂へと突きつける

 

「『変革』に賛同し、刀をキャーリサ様に預け、私と同じ道を歩むか」

 

 結果はすでに見えている。

 最後の手向けとして放つのは、切断威力、武具重量、移動速度、耐久硬度、射程距離、専門用途、的確精度―――それら全てを内包した究極の一撃。

 

(しかし、それには致命的な“欠陥”がある。月さえ見えれば―――)

 

 ―――<フルンディング>を振り上げる前に、動いた。

 

「はっ!」

 

 他の騎士を相手にしていたはずの、建宮斎字が雪化粧の霞みから現る。

 <天使長>が神の右腕とするなら、この<大天使>は左腕か。そして、東方の異国ではこう呼ばれる―――<誠実の霊(ジブリール)>と。

 だとするなら、この者らは『誠』の字を背負う新撰組か。

 

「それが口説き文句だったら笑わせる!! 女教皇様は、年上にリードされるよりも、年下をリードする方がお好みなのよ!!」

 

 視線を向けたが、反応できない不意打ち。騎士団長が神裂の相手に集中し、『究極のブラックホール』のために力を溜める。他の者たちなど、文字通り眼中にいなかった―――そこへ『隠行』を施した建宮が波打った刃が特徴的な両手剣フランベルジュを魔剣を掲げるその武器腕に打つ。

 

(たとえ腕を斬り飛ばせなくても、少しでもダメージを!)

 

 ただ一点、その右腕を。

 

「昔、このドーヴァでひどい不意打ちを受けてね。当然、対策も講じてある」

 

 だが、騎士団長は変わらず、超然としていた。

 

 その腕に傷一つない。

 如何に相手が護国の騎将といえど、建宮の渾身の一刀は、たった一滴の出血はおろか、騎士団長のスーツの布すら破くことも敵わなかった。

 インパクトは外さなかった―――のに、まるでスポンジのように不自然な感触に、建宮に心意喪失しかけるほど固まる。

 

「ソーロルムという北欧の戦士を知っているか」

 

 一対一を邪魔されたことにも怒ることなく、右腕にフランベルジュを押し当てられたまま、騎士団長は表情を変えずに語る。

 ソーロレムの戦士には『敵の剣の切れ味をゼロにする』不思議な術があったそうだ。

 故にどんな攻撃を受けても傷一つつかず、ソーロルムの剣は一方的に相手を切り刻めた。

 

「な、んだと……」

 

「各々の武器に対する効果時間はせいぜい10分程度のものだ。まぁ、弓矢や弾丸といった飛び道具は地面に落ちればそれまでだし、爆弾も10分後にいきなり爆発するのではなく、再び外から刺激を与えなくてはならない未発弾の形に処理される。―――とまとめれば、私が生み出すのはたった10分の猶予だが、本物の戦場でそれだけの待ち時間を敵に与えれば、どのような末路を迎えるかは明白だろう」

 

 不動の姿勢で、騎士団長はゆっくり首を横に振った。

 切り札は複数用意すべき。

 そして、弱きものには、止められない。

 

「つまり認識したあらゆる武器の攻撃力をゼロに帰す術式を構築している私に、認識できれば不意打ちは通じない。言っておくが、科学も魔術も問わんぞ。理論上は核兵器も無効化できる。―――君達の女教皇が扱う、対神格用の斬撃もな」

 

「舐めるな―――」

 

 建宮に、続く。

 この場にいる牛深、野母崎、諫早、香焼達天草式十字凄教25人全員が、騎士団長へ振り落とす。

 

 戦斧、

 

「ゼロにする」

 

 西洋剣、

 

「ゼロにする」

 

 隠し刀、

 

「ゼロにする」

 

 短剣、

 

「ゼロにする」

 

 打鞭、

 

「ゼロにする」

 

 鎖鎌、

 

「ゼロにする」

 

 十手、

 

「ゼロにする」

 

 鉄笛、

 

「ゼロにする」

 

 弓矢、

 

「ゼロにする」

 

 最後は一斉に一度離れてから鋼糸、1人7本に総勢25人の175本の蜘蛛の糸。

 

「ゼロにする」

 

 ドドドドッ! という連続音が急に途絶える。

 結果、建宮らの武器は全て無効化にし、騎士団長はこの優位を絶対的なものにする。

 そして、揺るぎない声で宣告する。

 

「気は済んだか? この力は、<カーテナ=オリジナル>を介して英国を守るために貸与したもの」

 

 その身の頑丈さは城塞以上、そしてその爪牙に斬れないものはない。

 まさしく、悪竜。

 妖精と同じく、十字教とは異教、異民族の敵対勢力であり、悪に染まった堕天使としての悪竜。

 極細の刃を――最初に神裂の鋼糸を破ったのと同じように――片手で強引に引き千切る。

 

「お前達も騎士の傭兵として召抱えられるのなら生かしても構わない」

 

「だから、女教皇様は学園都市に想い人がいるのよな!」

 

 

 その時、完全に空は、夜に、なる。

 月が、浮かぶ。

 

 

「それにまだ終わりじゃねぇのよ!」

 

 鋼糸の切断面から赤い霧が吹き出し、

 

 

『―――殺したな。ワタシヲコロシタナ』

 

 

 

 騎士団長の耳元で呪詛の怨嗟。

 最後の鋼糸術に隠されていたのは『殺人に対する罰』――“武器ではなく魔術”。

 鋼糸一本を人の生命線と定義し、それを破壊した者に罰を与える天草式の集団魔術の最大級の奥義。

 白を赤く染める霧は騎士団長の全身を包むとブドウのような歪な牢獄と化し、内部で連続爆破を炸裂。

 

「そうだな。武器ではなく魔術ならば、私に一矢報いられたが、この身体は<天使>と同じ。そして、『この英国で魔術師は騎士に勝てない』」

 

 爆風が晴れた。そこに“スーツに少しの焦げ跡”をつけた騎士団長の姿が。

 そして、その前に対峙するのは月を背にする神裂火織。

 

「ま、まったく根も葉のないことをこんな時に……貴方達。後で憶えておきなさい」

 

 天草式は己が武器を捨てて去っていた。彼らの仕事は『時間稼ぎ』。

 

「可能なら、抜かずに済ませられたら、と思ってました」

 

「死に際まで遠慮する必要はない」

 

 騎士団長の狙いは、騎士の剣にあたるであろう刀――<七天七刀>。

 抵抗の象徴たる武器を断ち切ることこそが、『勝利』

 己の正義を信じるが故に。相手の正義を徹底的に踏み潰す。

 互いに距離は離れている。

 だが、互いに踏み込んだのは全力をもって構えた刀剣を振るための一歩のみ。

 ただその魔剣を振り下ろせば、その剣の欠片が飛ぶ――莫大な『射程距離』を誇る一撃が放たれる。まさしく、飛ぶ斬撃。

 そして、その圧倒的な『移動速度』は回避を許さず、その圧倒的な『切断威力』と『武具重量』は防御を許さず、その圧倒的な『耐久硬度』は例え破片といえど折ることは許さない。

 これぞ必殺。

 対し、神裂も一歩。

 

「私は勝ち負けの二元論からの救いなど御免です。“誰も倒れない”ことこそが私が為すべきこと」

 

 右手を大太刀――<七天七刀>の鞘に掛けた。

 直後、女教皇の身体から、蒼穹にも似た青い閃光が強烈に迸った。

 <聖人>の聖痕全解放。

 まだ術も発動していないのに、足許が放射状にひび割れ、大気に蒼い魔力が弾ける―――!

 女教皇がぐっと腰を落とし、左手で鞘を、右手で柄を握り、いつもは涼しげな眼差しが、カッと青白く燃えた。と同時、

 

 

「―――<唯閃=雪月花>!!」

 

 

 右手が霞むほどの速度で動き、横一文字の斬撃を放った。

 その威力は、真説の一神教の<天使>すらも切り裂くものと倍以上。

 武士の極意、『鞘の中に無駄に発散する魔力を封じ込めていく』―――と、これまで“鞘にチャージされた”<神の力>の天上の破壊力と、大地を割るが如き<聖人>の覇気が――太刀と雪水――『金生水』の理を成して重合。

 『雪月花』――自然の美しき景物を示す詩歌の語句。

 そして、この自然霊の属性は雪や氷の水、支配惑星は月、象徴は百合の花。

 この<唯閃>に、<神の力(ガブリエル)>の意味を『雪月花』と成して深める。

 “雪”景色の中、“月”明かりを吸収する氷“花”と記号を拾い蒼光の刃が宙を走った。

 まさに、その軌道の上下で世界そのものが分かれたかのように見えた。

 左から右へ、抜き打ちの一撃。

 そして、

 

 

 キィィィン!! と。

 破片と飛沫――激突する2つの飛空斬撃が、弾かれ、相殺される。

 

 

 説明の必要はなく、今の今まで神裂が無事であるのがその証拠。

 鋭く、重く、速く、硬く、長射程、精密の必殺―――そんなモノがもし本当ならば、打ち合った時、いや、その前、飛ぶ斬撃を確かに魔術で強化されているとはいえ鞘で受け止められるはずがない。

 確かに騎士団長は複数の『剣の個性』を自在に選択でき、攻撃できたのだろう。

 ただ。

 それらが同時に振るわれることはない。できないのだ。

 つまり、一度にひとつしか選択できない。

 『切断威力』を優先すれば『射程距離』が損なわれ、『射程距離』を優先すれば『武具重量』が損なわれる。<フルンディング>の『剣の個性』は各方面へ極限まで突き詰められているため、逆に併用することができない。

 今まで全てを備える『究極のブラックホール』が来なかったのは、躊躇したり、余裕だったからではない。本物の戦場において、戦力を出し惜しみする理由などなく、認めた相手に全力を出さないのは無礼にあたる。

 魔剣の欠陥とは、振るっただけで敵を倒せる都合のいい『必殺』など夢物語の伝説と同じく幻想にすぎなかったということ。

 ならば、そこに勝機がある、

 『射程距離』だけを優先した一撃ならば、神裂の抜刀でも太刀打ちできる。

 そして、

 

「ハァ……アアアアァァァァ……!!」

 

 これまでにない、神裂火織の苛烈な気勢。2人を除いて、この場にいる人間はもう息もできない。

 さらに刀を返し、真上から下にもう一撃。燕返しと呼ぶべき秘剣の切り返しは、神速で、ほぼ二撃同時。

 一刀目の斬撃と重なり、巨大な十字架となった霊刀の光刃は、魔剣の必殺を撥ね退け、初めて騎士団長の顔色が変わった。

 

「ゼロにす――――るッ!!」

 

 魔剣を盾にし、全力で後退しながら呪を叫び―――紙一重で間に合った。

 十字の斬撃の圧は、流石の護国の騎将も肝を冷やした。

 <ソーロレムの術式>で攻撃力がゼロに帰さなければ、やられていた。あの時、勝利を確信したのは時期尚早だった。

 しかし、鞘に貯蓄した<天使の力>を使い切った今、これで騎士団長の必勝は確定。

 <唯閃=雪月花>を放った直後、神裂は納刀し、逃げる。

 

(逃がすものか! 『射程距離』―――ッ!)

 

 その脅威をはっきりと認識した今、背を向けようが刃を向ける事にためらいはない。

 騎士団長は、“銀光の長剣”を振るっ―――――

 

「なっ、<フルンディング>が!?」

 

 破片が、飛ばない。どころか、バスケットボールほどの気泡が弾け、3m級の赤黒い魔剣だった<フルンディング>が、最初の元の1m級のロングソードに戻っている。

 そして、莫大な<天使の力>さえ消えている。

 『剣と国家に命を預けている』という術式を編んでいるが故の事態。

 

「ッ! あの“十字架”に、飛沫はまさか―――」

 

 科学的に純度が99.99999%(セブンナイン)の超純水――<聖水>。

 その力は、限りなく不純物が入っていないが故に、負を吸着し、対象を清める。

 そう、この<神の力>が浸透した十字架の聖水にあるのは、聖母の涙に等しき慈悲だ。

 攻撃力をゼロにするのではなく、魔の呪縛を解く。

 <フルンディング>の、血塗られた魔剣の不浄を清める――その効果を喪失させる。

 <天使の力>を断つ――つまり、『神を裂く』

 神裂の狙いも、騎士団長と同じ“相手の得物”だったのだ。

 

「―――だが、これは負けたとは言わん!」

 

 ただ、それも一瞬のこと。

 魔剣についた聖水を吹き取ればいい。

 それにまだ圧倒的な身体能力は健在だ。

 そう。

 勇士ベーオウルフは素手で、怪物グレンデルの片腕をもぎ取った。

 

 

「―――星座の座標も特定、時間指定も完了だよ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 夜空、月が出たということは、星も出たということ。

 今の激突の余波で、他の騎士は雪に呑まれ、騎士団長も数瞬は本領を発揮できない。

 この好機に、強敵を倒すべきと言われるかもいしれないが、残念ながら魔剣がなくともあの<ソーロレムの術式>を打ち破るのは難しい。

 そんな一か八かの賭けなど、安全を優先する神裂はしない。

 それに、そもそも自分達の役目は『時間稼ぎ』だ。

 

「かおり! はやく! はやく!」

 

 石柱の『代用』の氷柱が聳え立つ円陣(サークル)の中央で、『正確に英国が描かれた地図』を広げ、戦闘中にその頭の中の叡智で術式構造の準備調整を整え、ひたすらに我慢して時を待っていた修道女。インデックスが建宮ら天草式と一緒に、最後の一人である神裂へ手を振る。

 

「<縮図巡礼>、儀式の準備は整ってますか?」

 

「うん! 『地図』はばっちりだよ! あとは魔力を籠めるだけ」

 

 <縮図巡礼>。

 天草式十字凄教が共同で制作していた霊装術式は、環状列石(ストーンサークル)――<妖精の輪>を『渦』の代用にした、新たなる特殊移動法。

 偶像が本物の代用となる『偶像の理論』を逆手にとり、偶像が本物に影響を与え、空間を瞬時に移動するための出入り口を作り上げる。

 これには『ミニチュア』としての黄金比が寸分の狂いのない道具と、魔術的なズレのない精度で操る必要があるが、幸いここに『地図』と臨時に修正処理できる『知識』は揃っていた。

 自分達では、<妖精>の『神隠』を加え学園都市に備えた空間跳躍点(ワープポイント)の<妖精の輪>へとまで跳躍はできないが、この英国の至る所に設置される環状列石へと転移――『騎士派』が追い付けないほど遠くに逃げられる。

 

「ねぇ、この『地図』の製作者って―――」

 

「騎士団長が追ってきています。その話は後でしましょう。今は―――跳びます」

 

 

 

「まったく、してやられた」

 

 消え去ったあとの環状列氷を見て、騎士団長はこれ以上の追走は不可能と悟る。

 侮っていたなかった、といえば、ウソになるが、自分達から逃げ果せたのは彼女らの実力だ。

 <禁書目録>は天草式が星が出る時間を作ってくれると信じ、天草式は<禁書目録>が時間まで逃げ道を創ってくれると信じた。そして、もう一人信じられた者を上げるとするのなら、道具を造った製作者であろうか。

 

「まあいい。優先すべきはキャーリサ様の『変革』だ」

 

 キャーリサが国家元首となった以上、<禁書目録>の証言は必要というわけではない。言い分などいくらでもでっち上げられるのだ。ただブランドと同じ、それに<禁書目録>のお墨付きという信憑性を高めたかっただけ。

 今度、邪魔しに前に現れたらその時に斬ればいい。

 そうして、去り際に『あの男』と別れたこのドーヴァの海を騎士団長は、複雑に、眺め、

 

 

「……“間にあわなかったか”」

 

 

 ポツリ、と呟く。

 もうすでに、ヴィリアンはキャリーサに“処されているだろう”。

 念には念を入れ、女騎士ナタリア“以外の使用人ら”も予めフォークストーンに来る前に封じ込めていたのだから。

 

 

つづく


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