とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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閑話 傾国の女

閑話 傾国の女

 

 

 

公園

 

 

 

青年は懐に手を伸ばして、取り出したのは懐中電灯―――に似せて3Dプリンタにより作られた使い捨ての強化プラスチック製の小拳銃『ジップ・ガン』。

 

大半の部品を省いて最小限に削減した仕組みは単純で正規の銃器メーカー製ではない『ジップ・ガン』は、単発式(シングルショット)であり、性能は遥かに悪い。

 

しかし、銃に見えない外見で金属臭もほとんどなく、隠特性や携帯性に優れ、主に“暗殺用”に使われている。

 

今、この公園には他の仲間たちにより人払いがされている。

 

やっとのことでありつけたこの好機に、彼は繁みに息を顰め、ベンチに座る2人の男女に懐中電灯を向ける。

 

 

「統括理事会のブレインと、“あの”上条当麻の会合か……」

 

 

ポツリと呟き、電灯のスイッチに指を乗せる青年。

 

その時だった。

 

 

 

『トリック・オア・トリート』

 

 

 

背後からの、少女の声。

 

悪寒。

 

実行前に人払いはされてると確認した、そして、人の気配はない……のに、聞こえる、直接脳に聞こえるこの声はなんなんだ。

 

それも、何の前触れもなくいきなりで、身体が、意識が硬直する。

 

 

『ふふふ、その手に持ってるのはお菓子ですか? じゃあ、それを渡さないと、イ・タ・ズ・ラ、しますよ』

 

 

もう一度、声が聞こえてくる。

 

だけど、“気配はしなかった”。

 

幽霊のように。

 

そして、一歩も動いてないはずなのに、標的の二人が、遠ざかっていく。

 

この、ひどく張りつめた空気は、まるでこの森だけがあらゆる空間から隔絶されてしまったかのようで、段々と意識が遠くなっていく。

 

意識と、肉体が、離れていく。

 

風が吹く。

 

森がざわめく。

 

その時できた隙間に紅の夕日が差し込む。

 

そこに男の前にできたのは、一点の影。

 

地面に着く足がなく、ふらふらと宙に浮いた。

 

 

人の生首ほどの大きさの黒い点。

 

 

青年の感覚を惑わすモノは、動けず何も言えない彼の前に、自分からゆらゆらと振り子に揺れながら自分から回り込んできた。

 

だが、それと同時に、何かが、彼の視覚にまで浸食してきた。

 

視覚さえも惑わし、容赦なく闇の中に落とし込んでいく。

 

目を見開いたまま闇に霞みゆく視界の中で、辛うじて影の正体が見えた。

 

白。

 

そして、影よりも小さい拳ほどの大きさの、目と口が彫られた。

 

良く……そう、八百屋さんで見かけるあの野菜―――

 

 

『残念。この森は私のテリトリーなんですよ。そう、あなたは深い深い森の中へと導かれた』

 

 

と、身動きできないままそこまで考えを巡らせたとき、視覚のみならず、言霊だけで、青年の思考までも惑わす。

 

視界が闇に沈むのと同時に、青年は意識を暗転させた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「それにしても止めなかっただけでなく、守ってくれたとは。君は昼ドラ的に厳しい姑キャラだと思っていたんだけど。ついに“お姉さん”と認めてくれたのかな」

 

 

『あのまま放置していたら、あなたが選挙で捕まえた凄腕のスナイパーの、査楽さんに撃たれてましたから。下手したら殺されてしまいます。女の子と出かけて、その裏であなたを守って人が死にましたー、なんて台無しにもほどがある。というか……誘い出しておいてよくもまあ、捻くれてますね、先輩は』

 

 

「別にボディガードには、殺すな、とは命令してあるけど。色々と訊きたいことがあるからな。石橋は叩いて渡れ、叩き過ぎて割れてもそれを良しとする、のが自訓だけど。そっちこそ素直になりたまえ。“お兄ちゃん”が気になったんだろう。きちんとデートできるのか見守って、あれこれ世話を焼くなんて、初めて子供一人で買い物に行かせた母親かね」

 

 

『私の兄はトラブルメーカーなので心配で』

 

 

「それで、どこまで話を聞いてたのかな?」

 

 

『馬に蹴られるような真似はしない主義なので、最初から聞いてません』

 

 

「ふうん、残念。いっそ聞いていれば、将来の義姉との初デートのエピソードを君のスピーチで語れたのだけど。より惚れてしまうほど格好良かったぞ」

 

 

『先輩。詩歌さんが来なかったらどうするつもりだったんですか?』

 

 

「それだったら、普通にデートを楽しむけど。どこまで行くかは彼次第だけどな」

 

 

が、結局は、デートになりはしないと予想がつく。

 

無自覚だろうけど、最初から、彼は今日の行いを先輩にからかわれただけで、男女のデートとは思っていなかっただろう。

 

どうせいつものイベントだと、当たり前に幸せだとは思わない。

 

今のままでは、少なくても彼女に会うまでは、新しい変化を求めない。

 

基準点として忠実に、今の立場を守り続けるつもりなのだろう。

 

この兄同様に他人の好意に疎い妹も気づいていないのだろうけど。

 

 

『ふん。あまり当麻さんを甘やかさないでほしいですね。もしそれで将来ヒモになったら苦労するのは詩歌さんであり、奥さんなわけです。詩歌さん的に当麻さんには真っ当な幸せを掴んでほしいのです』

 

 

「深いことを言うな、というか、君が言うな」

 

 

とにもかくにも。

 

雲川芹亜は魔法のような方法でも何でも、彼が危険な目に遭うとなれば、彼女が直に自分と会話する機会を設けると考えていた。

 

昏倒した青年の上に浮かぶのは、裡に灯りが篭る白いカブであり、ハロウェインの目玉の一つ。

 

目と口、顔の形にくりぬいたカブに石炭の火種を入れたランタン――<妖精迷燈(ジャック・オ・ランタン)>。

 

英国に伝わる鬼火に属する妖精で、天国にも地獄にも死後の世界に逝けず彷徨う、カブに憑依した人魂。

 

上条詩歌が作成した妖精のひとつで、その用法は『意識体の転送』――俗に言う幽体離脱だ。

 

またその火を見たものを惑わせる特性もある。

 

芹亜は良く知らないが、とりあえず、ここに余計な邪魔が張らないよう結界が張られ、彼女と会話ができるのならなんだっていい。

 

 

 

「手配は済んでいる。上層部も黙らせよう。早く、イギリスから帰ってくるんだ」

 

 

 

雲川芹亜の声が一オクターブ下がる。

 

ここから始まるのは、上層部には聞かせられない話。

 

 

「ローマ正教が動き始めた。イギリスでも不審な点があり、信用できない。君を失うわけにはいかない。人気があるようだけど、同盟を結んだのは学園都市の上層部(おとな)であって、『学生代表』じゃない。人徳がないとは言わないけど、英国の上層部が、英国で君に敬意を払っているその意味は何だ?」

 

 

そして、彼には聞かせられない話。

 

 

「君を引き入れるには手を結ぶのが賢明だと考えているからだけど。学園都市の権勢は圧倒的。今はこちらと手を結んでいた方が得策だとな。しかし、棲み分けが違う」

 

 

『つまりは、相容れないと』

 

 

「互いに互いの領分を守れるうちならそれもいいけど。“イギリスは科学サイド(こちら側)じゃない”。すでに同盟を結んでいる以上、魔術サイド(むこう側)についても遅い。学園都市はこの戦争で世界を自分達の方へと傾けるつもりだけど、それだと、イギリスは、この戦争でどちら側でも弱体化するだろうな」

 

 

さて、と言葉を切る。

 

この現状でイギリスが戦争の先まで生き残るにはどうすればいいか、ブレインが答える。

 

 

「イギリスには3人の王女様がいるようだけど、だとするなら、君は学園都市(ウチ)の王女様だ。あの国は、かつて第三王女を政略結婚に使おうとしたそうだけど、どうやら話に聞く限り、ローマ正教(あちら)の上は、君にご執心だそうじゃないか」

 

 

もし上条詩歌を売り渡せば、実質的に何も失わずにイギリスはあちらへ移ることができる。

 

これは、とてもじゃないが、あの男には聞かせられない。

 

雲川芹亜はこの戦争を止めるために上条詩歌を『学生代表』――学園都市の王女にした。

 

政治の武器としての力を発揮できるように、その刃を研ぎ、宝石を散りばめ宝剣として飾り付けもした。

 

それと一体何が違う?

 

現状を打開するために、誰かを不幸にしようとしている。

 

もちろん、これまでそういう選択肢を取ったことはある。

 

自分の生き方を振り返り、死ねばおそらく地獄行きだろう、とは予想がついてる。

 

なのに、今この胸に抱くのは、後悔だった。

 

自分の中で明らかに一貫性が崩れていた。

 

ブレインとしての天秤はどこへいった? と芹亜は自問する。

 

きっと、この温かな世界の熱に、砂糖菓子のように溶けてしまったのだろう。

 

 

「私は悲観的だからじゃない。慎重なだけだ。そして、そこは学園都市じゃない。私の手では、届かない。君を、守ってやれない」

 

 

けど、これも無駄に終わると雲川芹亜には予想がついていた。

 

 

『……この先も、皆さんが、一緒にいられるかどうかは……今にかかってます』

 

 

カブの視線を上げて芹亜を見る。

 

芹亜は呆気に取られ、咄嗟に表情を取り繕えなかった。

 

言葉を失ったのではなく、歯噛みするほどに悔しく、口が開けなかったからだ。

 

だが、いかにも詩歌らしいといえばそうだった。

 

ただ静かに、小さな幸せを望むような。

 

しかも、言い方が『皆さんと』ですらなく、離れ離れになる可能性があることを前提するような、『皆さんが』という言葉遣い。

 

立つ鳥はあとを汚さず。

 

詩歌が王女ならば、芹亜は女王だ。

 

学生代表(マスコット)』になった彼女だが、その権力というべき部分は雲川芹亜が握っており、“外にいても実権は揺るがない”。

 

 

『もう、“危ない橋を渡っています”』

 

 

「君は」

 

 

芹亜は言って、言葉に詰まる。

 

顔が歪む。

 

馬鹿げたことだと思った。

 

自分で自分のことに気づいていなかったのだ。

 

だから、きっと、雲川芹亜は『泣く子も黙る先輩』なんて呼ばれるのだろう。

 

人の内面を弄ぶのが当たり前、という『建前』を手に入れるために。

 

 

『あなたは』

 

 

そして、詩歌は言った。

 

 

『やっぱり、優しいですね』

 

 

くすりと笑う姿が幻視される。

 

 

『やっぱり、幸運は思ったよりもあるものです』

 

 

極めて大きな不幸を経験した者は、極めて大きな幸福を感じることができる。

 

生きることのいかに楽しいかを気づくためには、一度死ぬほどの、死ぬよりも辛い想いを味わうことが必要なのかもしれない。

 

 

『私は、マスコットですからね』

 

 

小さく、一呼吸。

 

 

『でも』

 

 

カブの灯が揺れる。

 

 

『あなたが苦しそうで、嬉しいです。『統括理事会』の中には、私を兵器として戦争に投入する考えを持つのもいた。もしくは、学園都市に閉じ込め籠の鳥としたり、政略の道具とするのもあったのでしょう』

 

 

それでも、あなたに導かれて、『学生代表』になったことは後悔していません、という。

 

 

「……君の目の前で、山ほどの人間が死ぬかもしれないけど」

 

 

たとえ、実際の扇動者が『学生代表』でなくとも、戦争に兵器を大量投入する学園都市の代表者として祭り上げられる。

 

それが現場にいればなおさら。

 

鮮血飛び散る戦場は、そこにあるだけで、その宝剣を血で赤く染めるだろう。

 

 

『私がいなくても、たくさんの人が死ぬでしょう』

 

 

すぐに返答がくる。

 

 

『ですが、私がいたから、切り開かれるものがあるかもしれない。だから、この戦争に、参加します。最前線で。だから―――』

 

 

―――とその案を聞き、何とも彼女らしいと思い、溜息を零す。

 

 

「そうか。……君を外に出してしまったのは失敗のようだけど」

 

 

そうして、ぼうっ! と最後の一際に燃え上がるとカブは灰となって散った。

 

 

「とっくの昔に無血開城してるというのに、この泣く子も黙らせる先輩キャラを泣かせるとは、兄妹揃って生意気だ」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

「………わかったな」

 

 

「おいおい、この世界大戦には関わらないんじゃなかったのか」

 

 

「『戦争代理人』が貴様の異名だったはずだが。存分にケンカしてくるといい。都合のいいことに貴様の名に相応しいピッタリの場所がある」

 

 

「背丈小さくてしかし巨乳の保護欲丸出し女の子が相手とはねぇ」

 

 

「不満か」

 

 

「いんや。まだあんたに殺されたくないし、自己鍛錬には飽きてきたしな。ちょうど『次の成長』のための、ドカッと経験値が稼げそうな相手を捜していたところだ」

 

 

「では、トール。イギリスへ行き、『神上』を――しろ」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

「とうとうフィアンマがローマ・ロシア勢力を掌握したわね。欧州もイギリスとフランスを除き支配済み。始まるわよ、国家と国家じゃない、世界と世界の戦争が。それで、アンタは行くの?」

 

 

「ああ……」

 

 

「私に止める権利もないし、アンタの命を気にかける義理もない。デッカイ武器も用意したようだし、アンタとまともにぶつかれば私よりも上かもね。それでも通用するか怪しいもんだわ」

 

 

「貴様は、どうする」

 

 

「私は、行かない。別に怖気づいたワケじゃないわよ。『天罰』が使えなくなっちまったし、アンタ以外の<神の右席>は普通の魔術や霊装は使えないし、やっておくべき準備がまだ終わってないのよ。それに、馬鹿正直にそっちへ行くよりも、私には作戦がある。そして、私に命令形はない」

 

 

「否定形はない、ではなかったのか。それに―――弟の墓参りは済んだのであるか?」

 

 

「はっ、大きなお世話だよ。アンタがアンタの道を行くように、私も私の道を行く。―――姉としてね」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

空は快晴、まさに青空教室だった。

 

広場には数十人の子供達は大人しくレジャーシートの上に収まり、開演を待っている。

 

決してきちんと整列しているわけではないが、無軌道に走り回らずにいてくれるという一点で、もう十分ありがたい限りだ。

 

 

「ふん。凶暴なガキ共をこうも手懐けるとは、統率者の人徳があるのか」

 

 

「統率……それはちょっと違うような気がします、ボス」

 

 

「お姉ちゃん、マークさん! 詩歌さんが合図送ってるよ!」

 

 

「了解しました、パトリシア嬢」

 

 

オペレーションというと大げさだが、彼女が用意した道具の映像や音の操作は、サークルの皆さんに一任されている。

 

スピーカーからノリのいいBGMがスタートし、そのテンポに合わせて明るく、マスクをつけた少女が飛び出し、

 

 

「は~い! みんなはじめまして~!」

 

 

『はーじーめーまーしーてー』

 

 

元気の良い声が返る。

 

久しぶりの感触に、司会役だけど自然とわくわくしてくる。

 

 

「私の名前は、カミミンといいます。カミミンお姉さんって呼んでね」

 

 

子供たちからの歓声が上がり、広場の空気も一気に高揚する。

 

 

「すごくナチュラルだな」

 

 

「自然と流れで『お姉さん』役になっているというか、基本的に子供が好きなんだよ」

 

 

「何となくわかる気がしますね」

 

 

「向こうでも子供達とよく遊んでる写真とか送られてきたし」

 

 

「ふん。子供と精神年齢が同レベルということか、ガキめ」

 

 

「ボス……何も言いません」

 

 

そうして、少女はこれからどんなことをやるか、ということを話し始めた。

 

 

「皆はこのキャラクターを知ってるかなー?」

 

 

「知ってる~!」

 

 

「じゃあ、この子の名前は何かな?」

 

 

「カナミン!」

 

 

「うん! 夢と希望と愛の魔法少女! 超機動少女(マジカルパワード)のカナミンだ~!」

 

 

アニメ。

 

それは日本が誇る文化であり、ヨーロッパでも人気である。

 

子供たちみんなに楽しんでもらうために、最初は紙芝居で、共通の理解を深めて、それから、ヒーローヒロインコスチュームショー。

 

三次元投影の映像を焦点に当てて身にまとわせて子供たち自身に擬似的に変身させるものだ。

 

 

「へん・しーん! ミスター仮面!」

 

 

「ウェイク・アップ! マジカルパワード!」

 

 

その分暴れ回るので、まとめ役のお姉さんは大変だが、この興奮度合いを見れば全力で相手をしようという気にもなる。

 

 

「これが、オタク文化(ジャパニーズスタイル)か。わけがわからんな」

 

 

機材に頬杖をつきながら、一緒になってピョンピョン跳ねてる妹のパトリシアを見て、フッと零す。

 

この超機動少女カナミン。

 

光るステッキから超ド派手な演出の魔法で、悪の結社『魔女狩り十字軍』と戦い、普通のイカを魔術によって変えられたデロデロとした触手を持つ巨大イカを倒す。

 

その時、ぬるぬるのべとべとなフェチな大ピンチや、また衣装の露出の大きさから、大きなお友達にも人気絶大だ。

 

 

「それじゃあカミミンお姉さんもウェイク・アップ!」

 

 

視線合図が送られ、黒ビキニみたいな防御力0な悪役ヒロイン(中盤以降は主人公パーティに入る)の衣装に変身し、子供たちに混じって参加する。

 

おおっ! とその際、盛り上がる大きな男の部下たちの頭を叩く。

 

そうして、悪役になったお姉さんがやられ役を率先し、最後はスピーカーからテーマ曲を流し、主題歌をダンスしながら楽しそうに皆で唄っていた。

 

なるほどな、とレイヴァニア=バードウェイは納得する。

 

ウチの部下共もそうだったが、あの妹がどんな年齢の人間とも短期間で仲良くなれるのは、目線を自在に変化させて相手に合わせるからだ。

 

子供になりきるのではなくて、子供の共感を得やすいものの考え方にシフトできる。

 

そんな彼女が、子供達の心を掴めないはずがなく、学生達のも同じようにまとめたんだろう。

 

最後は締めに元の姿に戻って詩歌が、まとめに入った。

 

国は違っても、かっこいいヒーローが活躍するのに感動するのは同じで、まあヒロインも戦うというのは、もしかしたら日本独自なのかもしれないが。

 

昔は誰もがヒーローがいると思っていた。

 

悪い奴をやっつける正義の味方がいて、自分達を守ってるんだって。

 

でも、大人になるにつれて、本当はそうじゃないと知る。

 

この世に悪の手先入るけど、正義の味方はいないという現実を。

 

それでも、不思議なことに、どうして実在しない幻想を子供たちに信じさせるんだろう?

 

本当は何処にもいないヒーローを、大人たちは、いると信じさせるんだろう?

 

教育上の理由?

 

正義の味方の存在を信じさせることが、子供達の為になるのか?

 

ヒーローなんてものはおもちゃメーカーが商品を売るための広告塔でしかなく、そこに重要な意味を求めている方が馬鹿げている。

 

じゃあ、ヒーローは馬鹿げているのか?

 

悪の手先は存在するのに。

 

人々を苦しめているのに。

 

こうして街を壊してしまったのに。

 

ヒーローは馬鹿げているのか?

 

 

そんなことはない。

 

 

昔、道で女の子に絡んでいる連中を見かけた時、何も考えず助けに入る人間もいる。

 

それは心に根付いた正義がやらせたものか。

 

幼いころに見ていた番組の影響か。それとも―――

 

 

「ねぇ、カミミンお姉さん。ヒーローは本当にいるの?」

 

 

まだ小学生にもなっていないであろう子供の質問。

 

 

「さあ、どうでしょうか?」

 

 

と恍けてから、補足する。

 

 

「でも、ヒーローはいなくても、ヒーローがいないからこそ、私達は悪を憎み、正義を愛する。夢のために努力する。誰かに希望を預けていては、人はダメになっちゃいます」

 

 

―――だから、私は私の幻想を投影する。

 

 

今日、皆がヒーローになれたように、皆もヒーローになれる。

 

きっとその言葉は彼らの中に残るだろう。

 

子供達の顔を見れば分かる。

 

無知な人に答えを与えるのではなく、解き方を教える。

 

この彼女の道楽、ささやかな娯楽、ボランティアというのも自立できるよう補助するためのものだ。

 

ま、今日のヒーローショーで悪役を志願したのはそれだけではないんだろうが。

 

 

「以上を持ちまして、お姉さんたちのお話し会はおしまいです」

 

 

「えー、もう終わりなのー!?」

 

 

「もっとお話ししてー」

 

 

「ごめんねー、もう時間になっちゃったから」

 

 

日が傾き始め、地面に落ちる影を濃くしていた。

 

 

「みんなー、今日は楽しんでもらえたかなー?」

 

 

『はーい』

 

 

そうして、まだ復興中の街に住む子供たちへのイベントショーは絶えぬ拍手をもらいながら終わった。

 

 

 

陽が落ちる。

 

 

 

深い夕闇が、地面の上に落ちていた。

 

街灯の切れかけた光が、パチパチと哀しい音を立ててくる。

 

瓦礫は撤去されて、復興もしているけれど、亀裂の入った壁、地割れや陥没、まだ手をつけられていない箇所ばかり目がつく。

 

かつて、戦場だった場所で、彼女が荒らした街には、今も激戦の痕が、生々しく残っている場所ばかりを見てしまう。

 

その向こうへ、詩歌は声をかけた。

 

 

「おや? ヴェルサイユまで遥々と。どうやら、先輩とは違い、こっちの軍師は引き籠りではないようです」

 

 

人払いがされた街並みに、新たな影が滲んでいたのだ。

 

 

「何。ロンドンからとまではいきません。いえ、学園都市からと言い直すべきでしょうか」

 

 

不健康なほど肌は白く、落ち窪んだ瞳。

 

華美なドレスに身を包んだ妙に顔色の悪い金髪の女性。

 

 

「よく、ここに来られましたね」

 

 

「魔術大国であるからこそ、第六感の偽装は効果があるようです、火織さんには、友達の家に行ってると、書き置きしましたが」

 

 

お守りの白いコイン―――これに宿るは、『伝令』をも司る天意。

 

これで少し情報に細工をすれば、ちょっとの“家出”くらいはばれない。

 

 

「あと、レイヴァニアさんにもちょいちょいと手伝ってもらいました」

 

 

「なるほど、<明け色の陽射し>か。あの『黄金』の。あなたの事は最近よく耳に入りますが、そのコネクションは興味深いものですね」

 

 

「こちらもあなたのことは、“妹さん”にも色々と訊いてます」

 

 

「なるほど、……ちっ、あの馬鹿」

 

 

その誰かを指し示す言に、とても珍しく、しかめつらで毒づく。

 

ただ、それもすぐに切り替わる。

 

 

「よく、ここに来られましたね」

 

 

先と同じ言葉なのに、そこに籠められた意味は異なる。

 

その声は極光(オーロラ)の如く美しいが、極北の吹き荒ぶ風のように聞く者の身を竦ませる。

 

罪科のように赤い夕映えを背に、寂しげな微笑を浮かべ、

 

 

「学園都市も、イギリスも関係ない。これはお忍びの個人的な用です。ただ―――」

 

 

見ておきたかった。

 

アビニョン――あの常識を超えた戦いの舞台となった場所を、自分が付けた爪痕を。

 

まだ戦争がはじまらない間に。

 

女性は、手を差し出す。

 

けど、それは親交や融和のためではない。

 

 

「貴女とは、正式に話をしたいと思いました」

 

 

武器を手に取るためだ。

 

その手に現れたのは、赤や金を基調とした、派手な西洋剣。

 

<デュランダル>

 

世界的にもその名は知られている、<大天使>からフランスの大英雄『ローラン』に授けられた不滅の聖剣であり、黄金の柄の中には、聖人達の歯、血、毛髪、そして、聖母の衣服の一部と多くの聖遺物が納められており、3つの奇蹟を内包している。

 

それを持つのは、ジャンヌ=ダルク、マリー=アントワネットとも並び立つ、このフランスにしばしば現れる本人の善悪に拘わらず、存在だけで国家の歴史を左右させる女性。

 

ヴェルサイユの聖女ともよばれ、<傾国の女>とも称されるフランスの首脳陣で最高の頭脳をもつ彼女に、その美しさとはまた別のものに目を見張る。

 

目の前で、ゆっくりと向けられるその刃の鋭さと冷たさに―――彼女のやる気の度合いを、詩歌は思い知らされたのだ。

 

ぞく、と背筋に冷たいものが走る。

 

氷柱を脊髄に差し込まれた感覚。

 

 

「しかし、今となってはそこまでの時間がありません」

 

 

静かに、彼女は言う。

 

上段へ剣を振りかざした構えより吹きつける、その強烈な気迫よ。

 

 

「こんな拙速で暴力的なやり方しかないとは、残念。ですが、貴女は、フランスに災禍をもたらす」

 

 

銀光が迸る。

 

激流の如く、恐るべき力強さで振り落とされる一撃。

 

咄嗟に地面へと転がりながらも、詩歌が避けられたのは僥倖か。

 

―――いや。

 

完全に避けることは、かなわなかった。

 

泥をはねのけつつ地面から立ち上がった時、熱いものが頬を伝わったのだ。

 

指で触れて、その正体を知る。

 

額を浅く切られた傷から、血が垂れたのであった。

 

 

「っ―――!」

 

 

紛れもなく、本気。

 

たとえ向こうが手加減していようが、一手間違えるだけで、こちらの腕や足が飛ぶのを覚悟しなければならないほどの。

 

無残な光景を想像し、喉の奥が引きつるのを感じながら、詩歌が後ずさる。

 

しかし、広がった分の間合いは、すぐさま詰められた。

 

堂々と歩み寄りつつ、軍師は言う。

 

 

「力を示しなさい。無抵抗のものを処するのは、聖剣を穢すことになります」

 

 

続けざまに、<傾国の女>は言うその言葉には逆らい難い重みがあった。

 

半端な反論など許さぬ、絶対的な口上。

 

 

「最後通牒です。こちらは真剣です。この土地で、あの『後方のアックア』を討っている貴女を侮るつもりはありません」

 

 

「……っ!」

 

 

忘れがたい名であった。

 

忘れるはずもない、最強の傭兵、『アックア』。

 

<聖人>にして、<神の右席>の『後方』の座を預かっていた―――賢猛なる聖母。

 

その男が語ったことを賢妹は今も覚えている。

 

 

「……ここで、本当に犠牲を最小限にするのなら、特別な人間だけでやれと言われました」

 

 

傲慢な言葉なのだろう。

 

個人の戦いで決めるとかどうだとか、他のもの達をなんだと思っているのだろう。

 

誰もそんなことを求めてないのかもしれないし、彼自身だって我儘極まりないとも思ってるだろう。

 

それでも、ひどく優しい、と詩歌は思う。

 

だから、傭兵の言葉を否定するのではなく、肯定した上で、その先を願う。

 

 

「それはきっと正しい。けど、たった一人の正義の味方(ヒーロー)では、答えは出ない。それだけでは答えは出せなかったから、戦争は止まらない。ここで私達のどちらかが倒れても結局何も変わらない」

 

 

だから、世界をも巻き込む、そうハッキリと、口にする。

 

刃を向ける<傾国の女>の顔を、しっかりと見据える。

 

そこだけは譲れない、と。

 

傲慢であっても、不遜であっても、詩歌はそんな自分を受け入れて、そんな願いと共に進みたい。

 

そして。

 

今、詩歌は、更に踏み込む。

 

 

「科学と魔術。勝ち負けではなく、答えを見つけるために私は闘います」

 

 

それが非道なことと知りながら、たとえその手を汚しても、なお守りたいものがあると信じて、踏み込んでいく。

 

その手にあるのは、古びた羊皮紙。

 

 

「それは、まさか―――」

 

 

<傾国の女>の記憶にある通りならば、“ローマ正教を滅ぼす”。

 

 

「私は、覚悟を決めた。だから、警告です。貴女も余計な犠牲を出したくなければ、ローマ正教ではなく、貴女自身の覚悟を決めてください」

 

 

危険だ。

 

彼女は、自分以上の傾国の女だ。

 

思うが早いが、<デュランダル>が颶風と化した。

 

西洋の剣術は、腕だけで振るのではない。

 

足から腰、腰から腕と、筋肉の力を十全に引き出し、さらには剣自体の重量を最大限に生かし、そのベクトル量をさらに捻転をもって絞り込み、立ち塞がるものを断ち穿つ。

 

その凄まじさを、詩歌は我が身で知った。

 

ごお、と烈風が鼓膜を叩いた。

 

最早、デタラメな回避など意味を成さぬ。

 

そう判断した身体は、賢妹の意識を離れて、小刻みに継ぎ足を踏み、確かに相手の剣を眩惑し―――しかし、一撃ごとに、<デュランダル>の勢いも増す。

 

二撃、三撃、四撃目には旋風と化した。

 

詩歌の目が追い切れないほどの速度で、その身体は嵐となって回転し、運動エネルギーを増大させながら脳天へ。

 

銀の流星が、ひた走る。

 

会心の一撃―――いや、これは―――

 

 

 

ふわ、と少女の身体が、その上を跳ねた。

 

 

 

逆に、強過ぎて失敗した。

 

最初に浅く切られた――“触れた”

 

そして、元々、この不滅の聖剣を授けた<大天使>は、<神の力(ガブリエル)>だ。

 

今、白いお守りと多少なりともパスが繋がっている。

 

御し切れず軌道を変えられた剣閃の波動が、アビニョンに激震を走らせた。

 

比喩ではなく―――同調で強化された凄まじい衝撃が、文字通り街全体を激しく揺らした。

 

<デュランダル>は大地に突き刺さり隙が生まれ―――上条詩歌は、ふとあるものを目撃して、

 

 

「―――っ!」

 

 

次の瞬間、弾かれるように動いていた。

 

衝撃の余波によって場が震撼される中―――<傾国の女>はそれを目撃した。

 

詩歌が街中を一瞬で駆け抜け、崩れる瓦礫の中へと突っ込むように飛び込んだのだ。

 

 

……混乱に乗じて逃げるつもりか?

 

 

落下している大量の瓦礫の中には、一部建物の形を残した巨大なものもある。

 

それでも、強化された身体能力は、壊れていない他の方角の建物だろうと楽に飛び越えられるはずだ。

 

一体何故―――思わず眉を顰めた<傾国の女>は見る。

 

宙へ身を躍らせた詩歌が、瓦礫と共に落下する小さな体へと手を伸ばし―――そして、抱き寄せたのを。

 

それは……広場のイベントに参加した、そして、忘れものを探しにきた子供だった。

 

不幸なことに、<デュランダル>の余波に切り裂かれた人払いの結界の穴から入ってきてしまった。

 

この世界に正義の味方はいない―――だからこそ、宙の詩歌は虚空を蹴って更に動く。

 

 

「っあああぁぁぁ―――っ!」

 

 

子供を抱き寄せた状態で、真上に右足を振り上げるようにして蹴撃を放ったのだ。

 

それを真上から降ってきていた巨大な瓦礫塊を粉々に破壊した。

 

爆発にも似た激しい破砕音が響き渡る中、<傾国の女>は遥か視線の先―――宙の賢妹と眼が合う。

 

 

「―――」

 

 

フランスの首脳を見る賢妹の顔には、不敵にも微笑が浮かんでいて―――その表情のまま、安全地帯の地面へ子供をそっと降ろすと、こちらに背を向けて走り去った。

 

それを見て、子供の無事を確認すると、剣を降ろし、

 

 

「イギリスへ進行させている潜水艦、軍隊を撤退させなさい。あれがいては無駄骨になるでしょう」

 

 

控えさせた人員に指示を出す。

 

フランスとイギリス間に確執があるにせよ、ローマ正教が控えているにせよ、今は国同士の戦いどころではなくなった。

 

彼女の狙い通りに、少しは抑止力になった。

 

だが。

 

踵を返す前に、詩歌が走り去っていった方を一瞥すると、

 

 

 

「……覚えておきなさい。傾国の末路は、火炙りですよ」

 

 

 

つづく


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