とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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お久しぶりです。

3話まとめて投稿します。


閑話 女はつらいよ

閑話 女はつらいよ

 

 

 

彼は知らないだろう。

 

本当は全て話してやりたくもある。

 

自分の正体も、どれだけ愛おしく想っているのかも。

 

それでも教えてやる訳にはいけない。

 

全く、損な役回りだと自覚している。

 

しかし、謝らなくてはならない。

 

所詮はこれも自己満足にしかならないんだろうが、責任がある。

 

全ては、自分が井の中から出られない蛙であるとちゃんと自覚していなかったばっかりに。

 

 

 

カコン、と。

 

郵便受けに手紙を入れた。

 

 

 

当麻の部屋

 

 

 

二、三度ゆっくり瞬きしてから、こちらの姿を認めて穏やかに微笑んだ。

 

 

 

『おはようございます、当麻さん、インデックスさん』

 

 

 

第一声から、学生寮の居間に小さな太陽が生まれたようだ。

 

選ばれたものだけに許される、圧倒的な存在感。

 

どこまでも一般市民な愚兄とは好対照に、この賢妹には、そうした陽のカリスマが備わっていた。

 

ここ連日の社交場出席での生活は、少女の特質をさらに磨いたものであろうか。

 

上条当麻とインデックスが早めの朝食を食べ終わってすぐに、通信が繋がった。

 

今の短針の傾きは6と7の半ばごろだが、イギリスと日本の時差はおよそ9時間であり、こちらが朝でも、むこうはまだ夜。

 

朝と昼は代表としての仕事やボランティアがあり、また夜はパーティに出席……

 

 

『なんで僕がいちいち君のためにそんな事を調べなきゃいけないんだい。だいたい彼女は………と、そうか、神裂は携帯を持ってないんだったな。だからって僕は貴様と慣れ合うつもりは………何? あの子も心配してる? ………チッ! そもそも直接連絡したらいいだろうが!』

 

 

と、連絡先を交換した某ルーンの不良神父からの情報提供で彼女が過密スケジュールなのは分かった。

 

(記憶にないが)当麻が中学三年生の今頃など受験はあったが遊べるだけの余裕があったはずで、でも、彼女はそれを苦痛と思わずに義務をこなす。

 

聞けば、あのビリビリ中学生な御坂美琴もLevel5としてのデモンストレーションに海外に派遣されたり、お嬢様学校らしい上流階級の教育もなされているのだろう。

 

いろんな人間と会うパーティという場は、彼女にとっても刺激的で、それなりに得られるものがあるのかもしれない。

 

そんな社交場である夜会を早めに切り上げてから、就寝の部屋着に着替えての時間と考えれば、このタイミングが互いに都合がいいのだ。

 

 

「うん! おはよう、しいか! あ、じゃなくて、おやすみだった」

 

 

『ふふふ、インデックスさんの挨拶で詩歌さんのインデックスさん分が充填。目が覚めちゃいましたから大丈夫です』

 

 

「……、」

 

 

と、そんな一秒が千金にも勝る貴重な時間のわけだが、滑らかなソプラノボイスで声をかけられても当麻はしばらく何も言えなかった。

 

机の上に置かれているタブレットPC。

 

ここ、学園都市ではないどこかで、今、朝ではなく夜の室内とを繋げたモニターに映っているのは寝間着の少女。

 

具体的に言うなら、寝間着浴衣姿であった。

 

キチンと半纏を羽織って結び紐もしっかり締めている。

 

高解像度の大画面は直に向き合っているのと何ら変わりない鮮やかな映像を映し出している。

 

が。

 

昔ながらの女性和装は胸を圧迫するもので、はしたないと思われない程度だが、ゆったりと帯の方は緩んでいる。

 

見えるよりも見えない方が、という効果もあるのだろう。

 

単に見えないだけならともかく、下着のラインまで見えないのは効果累乗だ。

 

様々な事故(イベント)で知ったが、妹は寝る時は下着をあまりつけない派であり、また女性和装は下着をつけない場合もある。

 

風呂上がりなのか、肌も桃色に上気しており、しっとりと濡れている。

 

その胸元から濡れ衣越しに透けて見える素肌が、直に見えるよりも艶めかしい。

 

と、そこで普段の当麻ならば一言二言彼女の無警戒さに苦言を呈したいのだが、今は目の前の華奢な姿が、その微笑みが変わらずであることに安心し、ただじっと目を凝らしていた。

 

 

「しいか、それって、日本のユカタだよね。とっても似合うね」

 

 

『ええ、この浴衣、火織さんにもらった物です。この前の詫びだって。この半纏は五和さんから……宛先にお姉さんからと渡された手紙が気になりますが。どちらも気に入ったので部屋着にしてるんですよ。これを着ると何だか落ち着いて、遠く離れても日本人だと実感します』

 

 

「うんうん。私も夏休みにしいかに作ってもらった着物を着たら和の心って何か分かったかも」

 

 

『ふふふ。でも、インデックスさんも育ち盛りですし、久しぶりに顔見たらちょっと成長してません? これは寸法も図り直さないといけませんね』

 

 

2人は久々の会話を見るのも懐かしく、呆けたように光景を見入り続ける。

 

本当に、相変わらずで………詩歌は、とうとうコホンと小さく咳払いした。

 

 

『それで反応がないようですけど、当麻さんの方はまだ頭が眠ってるんですか?』

 

 

「……あ、ああ、似合うよ。今度神裂と五和に礼を言わないといけねーな」

 

 

普段着の左右非対称なセンス(立派な魔術的記号だ)や、あの『堕天使』を着こなしたお姉さんだけど、大和撫子なのだろう。

 

良いセンスだし、ホームシックを和らげたようだし、GJだ。

 

あのフランスのショックから当麻さん的にポイント回復。

 

 

『詩歌さん的に言われてから褒めるのはポイントが低いんですけどね』

 

 

つん、と賢妹は硬くうなづいたが、その眉はハの字。

 

 

『怪我は、大丈夫ですか?』

 

 

「ちょっとだけだな。でも、そこはいつもお世話になってる先生に治療してもらったから大丈夫だ」

 

 

右腕には、まだ鈍い痛みが残っている。

 

『灰の魔女』は、遊ばれていたとはいえ死闘と呼べるものだった。

 

カエル顔の医者でなければ、病院のベットの上だったろう。

 

 

『相変わらずですね』

 

 

「……多分な」

 

 

『無理した訳ですね』

 

 

「ごめん」

 

 

『それに、聞けば、夜も自主的にパトロールもしてたとか』

 

 

「あー……」

 

 

告げ口してたのか、と隣に流し目で視線を送れば、『あ、あー、スフィンクスにごはんあげないといけないんだよ』と敬虔な修道女は、牧羊犬に睨まれた子羊のようにそそくさと席を立つ。

 

別にインデックスの秘密の特訓をバラすつもりはさらさらないが、これはフェアじゃないだろ。

 

して、兄妹水入らずになった所で説教は始まる。

 

 

『まったく、私を呼ぶという考えが浮かばなかったんですか? 『上条詩歌』の贋物なら私が最優先で処理するべきです。地盤が台無しになるだけならまだしも、皆が大変なことになりかねなかったんですよ』

 

 

核となる『灰の魔女』が<幻想殺し>で削られて<アゾット剣>に封印されて、感染したのと同様に、疑似吸血鬼化はあっさりと沈静化し、記憶にも支障はなく、第7学区の住人は元の平穏な日常を取り戻していた。

 

姫神も病院に入院しているが、明日になれば登校できるまでに回復している。

 

だが、あれは本当に幸運だった。

 

たまたま御坂美琴が来なければ、鬼塚陽菜に追われて、儀式祭にまで間に合わなかっただろうし、たまたま<アゾット剣>なんて霊装なければ、『灰の魔女』を倒せる手段はなかった。

 

普段、不幸な少年である愚兄からすれば、期待できないはずの幸運続きだった。

 

そう、すぐに賢妹に連絡するべきだったし、呼ぶべきだった。

 

けど。

 

 

『ま、当麻さんですし』

 

 

仕方なさそうに、結論付けると詩歌は目を閉じた。

 

 

『無理も、無茶も、無鉄砲も、不幸も、いつものことでしたね』

 

 

いつもみたいな言葉。

 

いつもみたいなやりとり。

 

その一言一言に、賢妹が万感の想いを込めていることを、当麻は理解できる。

 

いつものやりとりであるために、あふれだしそうな何かをこらえているのだと、理解できてしまう。

 

長い睫毛を震わせ、胸元に置かれた両手のしなやかな指を絡めて、うん、と詩歌は背伸びし、

 

 

『ホント、いっつも心配させられるお兄ちゃんです』

 

 

「……はい」

 

 

不幸を忘れていた愚兄は当たり前のことも抜けていた。

 

申し訳なさそうに首をすくめた当麻に、ゆっくりとその言葉を連ねた。

 

 

『お兄ちゃんが不幸になってくれたおかげで、妹は幸せです』

 

 

ありがとう、と感謝した。

 

たった。

 

たったそれだけで良かった。

 

体よりも心を殺した悪夢の残滓の澱を押し流して一掃してくれる。

 

困ったようにはにかみ、

 

 

『ま、心配もそうですが保護も過ぎるのは成長に良くありませんし。まだ粗いですが、なにか掴めたようですね』

 

 

「え?」

 

 

『当麻さんが磨くべきは身体運用よりも視線や皮膚感覚。ただ感知(カン)に頼り過ぎると痛い目に遭いますよ。先を読んでも次を考えないと簡単に誘導されて後で詰められます。<着用電算>が過疲労(オーバーヒート)を起こすほど動いたんですから、少なくとも右腕の痺れが抜けるまでは――先生にも言われているかと思いますが――激しい運動だけでなく右手で重いものを持つのも自重してください』

 

 

賢妹は、やはり底知れぬ洞察力の持ち主らしい。

 

映像越しからでも当麻の右手に残された傷から、愚兄の癖や欠点を読み取って、的確に助言を送っている。

 

 

「いや、もう結構右手は動けるぞ」

 

 

『それでも、です。出費は別に構いませんが、無事が一番です』

 

 

ぷくう、と頬を膨らませては頷くしかない。

 

当麻としても、心配させるのは本意ではない。

 

と。

 

 

『でも、<着用電算>はRFOの工房を任せている美歌さんに修理マニュアルを伝えてありますし、四葉も私用の菜園に植えてありますからインデックスさんに任せれば大丈夫ですが、お守りを使い切ったのはマズいかもしれません』

 

 

「ん? 何でだ?」

 

 

『<四葉十字>はちょっと多機能でしてね。持ってるだけで、空気清浄、心理安定、安眠効果、そして、眼精疲労、鼻炎、喉荒れ、口内炎、花粉症や風のくしゃみに咳などの諸症状の緩和とにきび、霜焼け、水虫、頭痛、生理痛、腰痛、不眠、下痢消化不良、むくみ………』

 

 

「どんだけだよ!! 全然ちょっとじゃねーだろ!!」

 

 

『それから、交通安全、家内安全、金運招来、商売繁盛、受験合格……』

 

 

「オカルトに入ってきてるぞ詩歌大明神様!!」

 

 

『半分は優しさでできてますから。さらには、当麻さんに渡した護身用のお守りには3ステイルくらい魔力が籠めてあったんですが』

 

 

「何だよその単位は? っつかステイルの3倍もか。あいつアレで結構強いと思うぞ」

 

 

『ちなみにインデックスさんに渡したものの総量は10ステイルです』

 

 

「お兄ちゃんの3倍以上でせうか? 別に当麻さんは魔術を扱えませんけどねー」

 

 

『ああ、それで聞きましたよ。美琴さんと放課後においしいものを奢ったり、インデックスさんとお空でツーリングしたり、入院中の秋沙先輩の着替え中に部屋に入ったり、“お手紙をもらったり”、と』

 

 

「え……」

 

 

『何か?』

 

 

ピタリ、と。

 

テンポよく進んでいた会話が止まる、止まってしまった。

 

かろうじて、視線で、どうして? インデックスにさえ知られてないのに、と送れば。

 

 

『お星様は何でも知ってる。詩歌さんは遠見で全てが丸わかり。この科学と魔術の融合。そして、妹同盟との人脈が揃うこの玄妙なる超魔術が成立するのです』

 

 

「いやそれ最後の奴だけで十分だよな! 出所は土御門さん家のメイドさんですか!?」

 

 

『あと勘です』

 

 

「いやいや勘に頼っちゃいけないって………はい、何でもありません」

 

 

画面向こう、詩歌の視線は、ぴたりと兄につきつけられている。

 

朱塗りの槍にも似たそれは、誤魔化しも何も受け付けないと、言外に告げていた。

 

そうでなくとも、愚兄のことを愚兄以上に知っている賢妹だ。

 

半端な嘘など通じる道理もない。

 

<獣王>や<吸血鬼>と立ち向かえた勇猛さえ、この賢妹相手には何の意味も持たなかった。

 

 

「………」

 

 

またも、沈黙。

 

それも先ほどとは違い、雰囲気は絶望そのものだった。

 

妹の前では格好つけなきゃいけないんだぜ、みたいなことを言った気がするも、それが如何に至難かとよくよく思い知らされる。

 

 

『んー……』

 

 

と、詩歌が片目を瞑る。

 

当麻を全体的にざっと眺めて、

 

 

「え、えとー……色々と誤解があるようで。別にデートとかそういうものじゃ……ただ、明日会ってくれませんか、ってだけで。もしかしたら悪戯かもー……でせぅ……」

 

 

『………』

 

 

少しの間、少女は黙って少年を見つめていた。

 

 

『うん。まあ、頭が寝癖みたいのはいつものことですし、服装の身嗜みが整えれば、それで良しとします』

 

 

「お、おう……ん?」

 

 

『どんな意図であれ、そしてそれが誰であれ、会ってほしいと女の子の方から誘ってきたんですから、すっぽかしたりなんて、くれぐれも恥をかかせないように』

 

 

「……そ、そうだな」

 

 

あれ? なんか違うな、と。

 

なんかこう………

 

 

 

当麻さん……誰ですか……その子は。

 

……し、詩歌? これは……

 

へぇ……そっかぁ……もちろん、詩歌さんは当麻さんを信じてます。

 

……ま、まて詩歌落ち着くんだ。

 

けれど、どうでしょう? 黙って異性と会おう、しかもそれを隠そうなんて。どう誤解されても、文句は言えませんよねぇ?

 

 

 

………的な?

 

カメラの前で土下座をスタンバイしていたんだけど、ズルっと滑る。

 

肩すかしな気分を味わいつつ当麻は硬い面持ちで頷いた。

 

 

『それで、どこに行くかは決めてあるんですか? 詩歌さんの時ならとにかく、こういうのは男がリードするものですよ』

 

 

「はあ、向こうから誘ってきたし、時間もなかったから特に―――」

 

 

『全く、日常と非日常の区別が麻痺してるというか、当麻さんは情緒が足りない。日本人が世界に誇れる文化。それをおろそかにして当麻さんは日本男児としてやっていけるんですか』

 

 

「何か変に話しが脱線してねーか?」

 

 

『そんなことはありません。さっきも言いましたが、当麻さんは何でもかんでも無理、無茶、無鉄砲の徒手空拳で対応し過ぎなんです。そんな考えではいつか命取りになります』

 

 

「んな、馬鹿な。命取りだなんて大袈裟だろ」

 

 

『馬鹿な、と言いたいのは詩歌さんの方です。これは母さんの実家竜神家の家訓で『助けたカメにほいほい付いていくな』とあります。ちょっとだけ、という気持ちで人生を決めてしまうこともあり得るんです。油断すればその場の勢いで“過ち”になるかもしれません』

 

 

容赦なく、少女の言葉が切り払う。

 

まさしく業物の鋭さに当麻がたじろいでいると、詩歌は少し間をおいてから、何とも澄ました顔で唇に人差し指をあて、不肖な兄に提案する。

 

 

『――の自然公園はどうでしょう? 確か、<一端覧祭>の前哨戦として、あそこの近くでは毎年ハロウェインイベントをやってましたし、まだ準備の段階でしょうが盛り上がってますし楽しめると思いますよ』

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

久々に妹との会話かと思えば、説教、ボケ、デート講座だ。

 

ちょうどいま悩んでたことだし、的確といえば的確な助言なのだが……ちょっぴり裏切られた気分になるのはなぜだろうか。

 

もしかして、そろそろ兄離れを所望してるのか。

 

すでに親離れされた父さんは街の外に出た娘の男事情を気にしていて、けど年頃の娘取り扱いマニュアルを見たのかそういうの詮索してウザがられるのを恐れて、ちょくちょく息子に連絡を入れてくる。

 

どうやら女子校という籠にいれば男は寄り付かないと思っているそうだが、正直、穴だらけな安全神話を信じていて憐れだ。

 

学校で校歴不破記録を樹立するほど頻繁に告白されていることを知ったら、ショック死するんじゃないか?

 

まあ『相手が誰だろうが手を赤く汚す覚悟はある』とだけ送ったら、『許可する。父さんが全て責任を持とう』と返ってきた。

 

その後、母さんから父の土下座写真つきの自粛メールが送られてきたが。

 

 

『ハロウェインは元々魔除けの儀式なんだけどね。古代ケルトの信仰では厳しい冬の季節が訪れるこの時期に、こちらの世界と霊界との通路が開いて、精霊や魔女達が押し寄せてくると信じられていて、それらの魔物から見を守るために仮装して、篝火を焚いたのが始まりなんだよ』

 

 

と、我が家の修道女さんの助言はこれです。

 

魔術関連の頼れるご意見番だが……まさか手紙を送ってきた相手が魔女だなんてことはない、と信じたい。信じたいです。信じさせてくれ。

 

メールが主流な現代社会で、(記憶を失くして)初めてのレターは青少年にとってインパクトが大きかったんだが、あまり期待しない方がいいのかなぁ……

 

 

『どうせとうまはとうまなんだから心配したってどうしようもないかも』

 

 

なあ、当麻さんは兄だって認めてくれたんじゃなかったのか?

 

 

『だからなんだよ……手紙だって、しいかが言わなかったら、どうせ―――』

 

 

と、秘密にしていたのだが、どういうわけか乙女心に基づくジゴク発生はなかった。

 

 

『ああ、インデックスさん。RFOでクローバーを採取するついでに、カブの様子を見てもらいますか?』

 

 

漬物の糠床ならちゃんと当麻さんがチェックしてるぞ。

 

キムチ壺の方も、良い感じだ。

 

 

『違うんだよ、とうま。しいか、アレでいいんだね?』

 

 

インデックスは自分が家を出て登校するのと入れ替わるように詩歌との会話ポジションに着いた。

 

とりあえず、向こうはこれから寝る所なんだから長電話は止めておけよ。

 

夜更かしはお肌の天敵だからな。

 

 

 

そうして、時は午前短縮授業の放課後。

 

秋から冬に差し掛かる今日この頃。

 

 

 

<一端覧祭>の準備期間だからか、学校帰りの生徒達でごった返していた。

 

待ち合わせには女の子よりも早く行くべし、となるだけ急いで向かったが、学生達で溢れかえっている市街の一角に、彼女がいた。

 

待ち構えるは、高校一年生が付き合うには不釣り合いな『先輩』だった。

 

当麻と同じ高校の制服を着込み、肩甲骨にかかる程度の黒髪で、前をカチューシャで上にあげた美人。

 

背が高くて、巨乳。

 

女子生徒の冬服の生地は結構厚手で長袖な、対男の視線に高い防御力があるにも関わらず、その盛り上がった胸は驚異的に自己主張しており、制服を持ち上げて連鎖的におへそまで出ている。

 

コートを羽織っているが、心配になってしまうほどの対寒波の防御力だ。

 

そして、漂う風格も未成年だがすでに酒の些細な味の違いを舌で判別できたり、ロマンスグレーな老執事やメイドを雇っていそう―――とそんなイメージを第一印象に与えてくる。

 

雲川芹亜。

 

上条当麻の通う高校の……在籍してるのが何年何組かは知らないが、『美人な先輩』。

 

 

「はっはー、きっと当麻さんの見間違いでございますね。さぁて、待ち合わせの場所に忙ねーと」

 

 

当麻はくるりと回れ右。

 

君子は危うきに近寄らない。

 

時々話しかけてくることがあり、全く知らない間柄ではないが、底知れない、また、当麻と、当麻を通じて詩歌をからかわれることもしばしば。

 

あの賢妹も、『先輩は魔女です』というほど。

 

記憶に新しいので言えば、貸してくれたCDを視聴した際に、『空鍋』というおたまと鍋底が擦れる金属音は、実際に山姥が庖丁を研いでいたらこんなものではないだろうか、と不眠症促進。

 

とにかく、悪戯好きな彼女に手紙の件がばれれば良いネタが入ったとばかりにからかわれるだろうし、一緒にいる所を知人の誰かに見られれば、『また上条が』と余計な不興を買う。

 

だが、残念なことに―――深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。

 

 

「上条? 私を無視してどこに行くつもりだ」

 

 

人混みが間に入り、まだ視線も合わせてないはずだがあっさりと特定されていた。

 

 

「あー、こんにちは雲川先輩。……こんな人混みの中で、よく気付けたっすね先輩」

 

 

「別におかしくないけど。上条とは比較的顔を合わせている。有象無象の中から顔くらい見分けられて当然だけど」

 

 

「いや、そりゃまあそうかもしんないんすけど……」

 

 

「にしても、騒がれないとはな。妹が有名になったけど、相変わらず君はこれといって目立たず普通でいるのは不思議だけど。ああ、馬鹿にしているわけではない。むしろ君のそういった資質を愛おしく思ってる。無論、君の妹が可愛くない訳ではない、大好きだけど。……それにこちらとしてはあまりライバルは増やさない方が好都合だけど」

 

 

「は、はあ……」

 

 

「だから、無視されて先輩はちょっぴり傷ついたぞ後輩」

 

 

うーん、その顔すら見てなかったような気がするのは気のせいか……?

 

多少の付き合いがあるとはいえ、学校の付き合いでしかない、休み時間や放課後にちょくちょくからかうしかしてない先輩が人の合間にほんのちらっと視界に掠めただけで誰かを見逃さないとか、恐ろしい視野だなこの人。

 

まさに気配だけで察知する女豹の如き肉食獣―――

 

 

「……何か失礼なことを思っていそうだけど」

 

 

「いえいえ、そんな滅相もありませんですはい」

 

 

「まあ、君という面白い獲物は、そう簡単には逃がさないけどなぁ」

 

 

……女の勘というのは、実はとんでもない裏技じゃないかと今日はよくよく学習される。

 

ともあれ、名指しで呼ばれて逃げ出したのでは後日どんな目に遭わされるのか知れたものではない。

 

ここは正直に出て行って、なるべく穏便に手早く用事を済ませてお帰りいただくのが吉と判断した。

 

 

「こほん。……えっとですね。ちらっ。実は今日、待ち合わせをしてまして」

 

 

ワザとらしく咳払いや腕時計を見たり余裕がないですよアピールをしながら、ゆっくりと先輩のもとに歩を進める愚兄。

 

こういったタイプに下手な嘘をつけば、すぐにバレて、そこからさらに畳み掛けてくる。

 

だから、嘘はダメだ。

 

人をか喰ったような性格なんだろうが、何だかんだで話を聞いてくれ、こちらに都合があれば引いてくれる先輩だ。

 

多少からかわれるかもだが、それでも、ここは誤魔化しをせずに正直に……

 

 

「おや? まだ分からないのか君は」

 

 

足を組み替え、腕を組み、不動の構えで、美人の先輩が呆れている。

 

もうこの鈍感は処置なしです、とも言いたげだ。

 

 

「そういや先輩。学校が終わってから急いでここに来たんすけど」

 

 

「それはそれは殊勝な心掛けでうれしいけど後輩」

 

 

「その当麻さんよりも早いって、先輩、ここで何やってた、っつか学校大丈夫だったんすか?」

 

 

「なに心配はいらない。私には情報という何よりの武器があるからな。まず、私の元には色々な筋から様々な情報が入ってくるけど、例えば学校の職員の元に、ちょっとした秘密を知ってると告げ暴露しないと約束すれば、あら不思議、欠席した授業も出席したことになるけど」

 

 

「いやー、不思議不思議。出席単位の危うい当麻さんには羨ましいですねー………って」

 

 

「それ以外にも、経営の危うい企業を幾つも買い取っては合併して立て直しては一時的に高値になった所でお金持ちさんに紹介すれば口座には多額のお小遣いが残ってるでしょうし……あとは妹の恋話を使えば、帰ってた時にはメイドさんが飯の用意して待っているけど。うむ、高収入に家事も完璧で美人だ。上条、これ以上の高物件は中々ないと思うけど」

 

 

(腹)黒魔術に、錬金術(カブ)召喚獣(いもうと)

 

なるほど、この人は魔女だ。

 

うん、ここはあまり突っ込まない方がいいな。

 

 

「で、目的は待ち合わせのためだけど。自慢できることではないんだけど、私にはドラマで見るような恋愛経験というものがなくてな。どうすれば良いか解らず。とりあえず一時間くらい前にここにいた。客観的には無駄な時間かもしれないが個人的には中々に楽しめた」

 

 

「先輩をそんなに待たせる馬鹿がいたとは驚きですねー」

 

 

「ここまで言って気付かないとはな。我が妹鞠亜じゃないけど、プライドが折れそうだ」

 

 

何となく嫌な予感がした。

 

いやいやいや、まさか、そんなわけが。

 

ここまで脈無しのなのが不満だとばかりに、その恵まれたボディのBWHの中で幼稚園児でも分かる最も突出した部位、つまりはBを大きく反らせる。

 

 

「いい加減に気付きたまえ。手紙の主は、私だ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

繁華街にある大きなビル。

 

入り口の案内板から、上の階には大きな本屋と100円均一の雑貨屋、それにゲームセンターやミニシアターなどがあり、地下にはレストラン街。

 

イベント中ということもあって、中は結構な混雑ぶりで、ここは学生の街ということもあって特に若者が多い。

 

エレベーターを降りて地下に向かえば、すぐに目的の店は見つかった。

 

 

「ここだよ! ってミサカはミサカはお店の看板を指差してみたり!」

 

 

“白い風船のようなモノ”を魔法のステッキに巻きつけた10歳前後の少女の茶髪のアンテナがピンと反応。

 

『キラー・ボンバー』

 

店の看板には、そう書いてあった。

 

 

「……何の店だ?」

 

 

「甘い物屋さん!」

 

 

よく見ると、看板の横には小さく『総合甘味亭』とあり、商品のディスプレイもしてあった。

 

 

「前にね、詩歌お姉様に紹介されて、来てみたかったの。何でも、京都の山奥で天狗と修行してきた職人さんが作ってるんだって、ってミサカはミサカは早く行こうよと腕を引っ張ってみる」

 

 

「ちゃんと食えるもンが出ンだろうなァ……」

 

 

だが今更帰る気もなく、一方通行は覚悟を決める。

 

このきゃいきゃいはしゃぐ打ち止めをRFOと呼ばれる特殊な学校から引き取りに来てからの帰り道。

 

迎えに来てみれば、『トリックオアトリート、ってミサカはミサカはお菓子か悪戯かを要求してみたり!』と仮装して準備万端なちびっ子共に出迎えられた。

 

 

「らすとおーだー、ここではろうぇいがあるのー?」

 

 

「おー、そうだぞージャーニー。ここで我々は美味い物が食べ放題なのだ、ってミサカはミサカはドンと構えてるけど、支払いはあなたに任せてる」

 

 

「あくせられーたーが、ご馳走してくれるんだー」

 

 

「そうだけどー、ここはミサカの策略があってこそなんだぞー、ってミサカはミサカはフェブリのポイントを稼ぐ」

 

 

金糸に見間違うほど流麗な金髪に打ち止めと同年代くらい幼い、まるでお伽噺に妖精として出てきそうな、緑色の飴玉を頬張っている少女2人は、打ち止めがRFOで作った友達(彼女曰く舎弟)だ。

 

もしここにアイツがいれば……

 

 

『ふふふ~♪ お菓子をあげたいですが、悪戯もされたいですねぇ♪ はぁ、あー君が羨ましいです』

 

 

双子らしく、どちらも見分けがつかないが、小さな白い羽に頭上に輪をつけた天使をモチーフにした白いゴスロリ衣装がジャーニーで、色違いの黒でわっかの代わりに矢印型の尻尾がついてる悪魔がフェブリ。

 

そして、魔法のステッキをブンブン振り回して魔女っ娘に変装しているのは打ち止め。

 

―――共通点として、この3人は誰も学園都市のIDすら存在せず、親がいない先天的に非自然な存在。

 

 

「ふふーん、これでミサカはミサカは金髪娘よりもお姉さんだ」

 

 

あの生意気な金髪娘(フレメア)に対抗して、お姉さん度を高めているわけだが、それに一方通行は付き合わされているというわけだ。

 

いつもなら面倒くさいので無視するのだが……

 

 

『小さい子のコスプレは可愛いですねぇ♪ 特に打ち止めちゃん、ジャーニーちゃん、フェブリちゃんは5つ星です☆ ちゃんと写真も撮ってくださいね!』

 

 

とりあえず、店の入り口に向かおうとした一方通行は、そこに怪しい張り紙を見つけた。

 

 

『本日から31日までハロウェインデイ! 仮装してくれたお客様に限り、全品五割引の大サービス!』

 

 

華やかな字で、そう書かれていた。

 

ガラス窓越しに店内を覗いてみると、お化け屋敷でもないのに店員と店の半数以上はオオカミやらフランケンシュタインやら妖怪に変装している。

 

 

『あー君も似合ってますよ』

 

 

ああ、だから、自分も包帯を巻かれて、こんなミイラ男にされた訳だ。

 

店の周囲はガラス張りで、雰囲気作りに見せものになることを承諾する代わりに、割引される。

 

別に金銭面で困っているわけではないが、この中では仮装してない者はかえって浮くだろう。

 

ここに来るまでの街中は、もちろん仮装している方が浮くだろうが。

 

ついでに、この包帯は顔を隠してくれる。

 

 

「ねーねー早く行こー」

 

 

打ち止めは、包帯の端を引っ張る。

 

そして、そのまま手は離れない。

 

保護者が逃げないよう、ギュッと身体を捕まえていた。

 

双子もこちらの顔を見上げている。

 

そして、白い風船のような――が揺れる。

 

仕方ないので渋々と店内へと入る。

 

 

「いぇーい! 5名様でトリックオアトリート!」

 

 

挨拶でもないのに店員に合言葉を元気よく叫ぶ打ち止め。

 

この手を振り払わない自分はやはり軟弱になったのだと、一方通行は改めて思った。

 

どこか頭が麻痺するような穏やかな時間。

 

一方通行は、苦笑いすらできず、呆れてしまう。

 

あれほど絶対(Level6)を渇望していた心が、たったそれだけのことで癒されてしまいそうな気がしたからだ。

 

それとも自分が求めていたのは、実のところこの程度のものだったのか?

 

千も万も殺してやる、という意気込みで始めたが、分かりやすいものを手に入れると―――そこで一方通行は思考を中断する。

 

まあいい。

 

たまには、こういう日もあるだろう。

 

 

 

が、

 

 

 

「甘ェな」

 

 

店内に漂う甘ったるい香り。

 

まるで空気に透明な綿飴でも混じっているんじゃないかと思えるようなそれに胸焼けを覚えながら、一方通行は苦笑できない代わりに糖分ゼロの苦くて濃い目の、二杯目のコーヒーを飲んだ。

 

4人は外側の席に座り、一方通行の前では打ち止めが大きな栗の載ったモンブランを、左ではジャーニーが純白のレアチーズケーキを、右ではフェブリが特性カスタードプリンを食べていた。

 

打ち止めは4皿目で、ジャーニーとフェブリがそれぞれ2皿目だ。

 

一方通行もブラックなチョコケーキというものを食べ、思ったよりも口に合ったが、一つでもう満足していた。

 

他の席を見ても、総じて女性の方がたくさん食べているようだ。

 

アイツも言っていたが、甘いものは別腹なのだろうか。

 

一方通行には理解できないが、甘い物には女を惹きつける魔力のようなものがあるかもしれない。

 

 

「甘ーい。甘くて美味しーい」

 

 

パクパクと子供らしくご満悦の打ち止め。

 

双子の方も口周りが汚れていることに気づかないほど夢中だ。

 

別にRFOの食事がマズいというわけではないだろうが、こういう場所で食べるのはまた特別なのだろう。

 

チッ、と適当にティッシュを彼女達の前に放る。

 

 

「ねぇねぇ、この特大トロピカルアイスパフェ、みんなで食べよ、ってミサカはミサカは提案してみる」

 

 

モンブランを食べ終わった打ち止めは、フォークを口に銜えたまま、打ち止めはメニューを開いて、パフェの写真を見せる。

 

 

「こういうの一遍食べてみたかったの。4人ならいけるサイズだよね。あ、でも、てっぺんにあるサクランボはミサカのものーって、ミサカはミサカは」

 

 

「ジャーニーもサクランボほしー」

 

 

「何!? ここにきて下剋上か!?」

 

 

「フェブリも。フェブリもー!」

 

 

「何何!? こうなったらサクランボはジャンケンだー! ネットワーク全体の力を借りてあらゆる手をシュミレートして、正々堂々勝利すれば文句ないだろー! あ、もしかしてあなたもサクランボ大戦に参加する?」

 

 

「……いらねェよ」

 

 

それに食べるのに付き合うとは言っていない。

 

店員を呼び、『金は出すから、サクランボを3つ載せろ』とさくっと注文すれば、それくらいのサービスは無料だそうだ。

 

つくづく慣れない真似をしてしまった。

 

こういう荒事とは無関係な店にはアイツじゃなくても、黄泉川とか芳川の大人、もしくは第3位か、双子を預かる際にギョロ目で睨まれた布束とかいう学生に連れてってもらえと言ったのだが、一方通行だから、こうして付き合ってほしいのだと打ち止めは言う。

 

アイツも、<第0位>になっておきながら、自分に悪魔としての働きを要求しない。

 

 

『ヘぇ……喧嘩しないよう気を配るなんて、あー君も小さい子には優しいんですね』

 

 

「テメェと一緒にすンじゃねェ。これ以上余計な騒ぎを起こされるのが面倒なだけだ」

 

 

コーヒーを飲み、会話を打ち切る。

 

それでも、“声”は聞こえる。

 

 

『もう少しだけ、肩の力を抜いたらいかがですか? もちろん、それが必要だというのは私も分かります。ですが……それでもやっぱり、あなたはいつも苦しそうです』

 

 

そんな台詞を、自分が苦しそうに言う。

 

そして、一方通行は弱り切り、誤魔化すようにコーヒーをもう一度飲もうとしたが、中は空っぽだった。

 

第1位はいつも煙たがれ、恐怖の目で見られ、研究者からは実験動物のひとつとして扱われる。

 

そういう世の中で守るべきものを守るために、人の感情に無関心になり、己の利益だけを考えて、だから、こういうまっすぐな感情にはひどく弱い。

 

悪魔のように振る舞うしかできないと思い込んでいる自分も、コイツやアイツらのようにきちんと誰かと向きあえるのだと教えられる。

 

だが、と一方通行は思う。

 

その言葉に従うのは、なにかに負けるような気がしてならなかった。

 

狼が犬に堕してしまうような気がしたのだ。

 

それに、今の彼女にだけは言われたくない。

 

今、目の前には平穏があるだろうが、世界では戦争が始まろうとしている。

 

ここで力を、爪と牙を研ぐのを忘れるのは甘いのだ。

 

しかし、それでも、彼女はここで待っていろという。

 

それはつまり、『学生代表』となってまとめたのも戦争に勝つためではない。

 

して、もう―――

 

だとするなら、彼女がやろうとすることは大体予想がつく。

 

一方通行は苦々しく――を見返すものの、――は奥の仄かな灯――心の底から相手をいたわるような目に見える――一方通行を見つめている。

 

そこには純真さから来る澄んだ色しかない。

 

勘弁してくれ、と一方通行は対応に窮した揚句、杖で宙に浮かぶ――を小突いた。

 

それをひらりと躱して、そのまま離れていく――に、ぶっきらぼうに言った。

 

 

「大きなお世話だ」

 

 

 

 

 

 

 

最後に、今日までの打ち止めに、ついでに『アフターサービスです』とチョーカーの様子を訊くとふわふわと飛んでいった。

 

別に気にかけるのは不思議ではない。

 

アイツは面倒見がいいとも言うが、お節介な性質だ。

 

あの教育医養施設では、カエル顔の医者さえも専門外という“極めて特殊”なもの達を預かっており、他にも<能力体結晶>の被験者や『ジャーニー』と『フェブリ』――双子の<人造能力者(ケミカロイド)>、<失敗作り(ウィルス)>の『暴走兵器』も診ている。

 

この<最終信号>の異常も診断し、解毒の薬まで調合してあるし、第3位と協力して予防線も張っている。

 

すでに『治療』だけではなく、よりアグレッシブに『利用』する段階にまで進んでいる。

 

こちらもできる範囲では、助力しているが、到底釣り合っているとは思えない。

 

その彼女が、わざわざ『アフターサービス』と断って一方通行のチョーカーの調子まで気にした理由を思い、一方通行は眉根を寄せる。

 

 

「まさか……」

 

 

続く言葉を、白き少年は呑み込んだ。

 

口に出せば現実になってしまうかもしれない、そんな予感が一方通行を黙らせた。

 

だから、サクランボを分けてから特大なパフェの山を切り崩す少女らに悟られぬよう、一方通行はぎゅっと唇を噛む。

 

 

「ねぇ、あなたも食べて、ってミサカはミサカは予想以上の多さにギブアップ気味で至急応援を求む」

 

 

甘いのはもう結構だ、と一方通行は思った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

放課後、誰かに呼び出されたら、普通どんな想像をするだろうか?

 

自分を呼びだしたのが友達なら、何か秘密にしておきたい会話をしたいだけなのかもしれない。

 

相手が男で、しかも友達でもないのなら、何か危険な、暴力的な香りがするかもしれない。

 

では、その相手が女の子だったらどうだろうか?

 

そこから危険を感じ取る男は、まずいないと考えられる。

 

大半の男は、むしろ甘い期待を抱きつつ、いそいそと指定の場所に向かってしまうのではあるまいか。

 

その点、今回の上条当麻がどうたったかというと、こうして詩歌に背中を押された形で素直に来たわけだが、特にそうしたことを考えていたわけではない。

 

下駄箱ではなく郵便受けに入れられていた手紙には、ただ指定の場所と時間、そして。

 

 

『会ってくれませんか』

 

 

という短い文が書き添えてあったのみ。

 

読み易い綺麗な文字だったので、女が書いたのかもな、くらいは思ったがそれだけだ。

 

文章を書いたのが女でも、待っているのが女とは限らないこともありうる。

 

愚兄的に、科学と魔術の関係ない日常(アルファ)か、裏の非日常(ベータ)か、周囲を巻き込むか(デルタ)人命や世界が関わる(シグマ)かと不幸のランク付けがある訳だが、土御門ならお隣さんだし手紙なんて回りくどい真似がせず強制的に厄介事に放りこむだろうし、パターンアルファだな、と予想していた。

 

いや、だったらいいなぁ、と希望していた。

 

第一位(最強)を倒した無能力者(最弱)』と夏休みに一時的に賞金首になった時に、同じように手紙で呼び出されて来てみれば集団で学生や不良達が待ち構えてモンスターハウスかよわおっ! となった経験もある。

 

なので、放課後になるまで悶々と負の方向へと思考が煮詰まり、最近、いつのまにか裏路地界隈の人間から大将と呼ばれたり『怒髪天(アンタッチャブル)』なんてビビられているし、調子に乗ってるあいつをぶっ潰すべ、と罠の可能性を勘繰っていた。

 

これを無視すれば、住居はすでに突き止められているわけで今度は部屋に直接殴り込みをかけられるかもしれないし、一度会ってなるべく穏便に済ませるのが最善だと。

 

もしくは、『妹さんを紹介してください』というパターンオメガもあったが、そっちの場合はこの拳が真っ赤に染まっていただろう。

 

で、最初の甘酸っぱい希望も、時が経つにつれ腐敗したのか酸っぱい汗臭い野郎共の絶望になっていたのだ。

 

 

「へ―――」

 

 

思わず固まった。

 

正直言って、詩歌があれやこれやと助言してくれたわけだが、まさか女の子(ストレート)が来るとは思ってなかったのだ。

 

それも美人の先輩という剛速球だ。

 

もっとも、この兄妹共々からかい対象にしている先輩のことだから、顔面スレスレの危険球(ビーンボール)なのかもしれないが。

 

 

「………」

 

 

しばらく、空間に静寂の妖精が飛び交う。

 

 

(これはまた、新たな悪戯か……? 高度な心理戦が展開されているのか!?)

 

 

みたいな少年の顔に現れたそこに至るまでの思考を読み取ったのか、やれやれ、と先輩の顔に呆れの色の上に憐れみも追加される。

 

 

「さて、この私を待たせた“鈍感馬鹿”はこの後どうなるか訊かせてほしいんだけどお?」

 

 

カレーという食べ物は多くの肉野菜香辛料その他諸々が混ざり合っている混沌だからこそ、刺激的である。

 

この余裕の表情もそうだ。

 

表面上では何が入ってるかは見て取れない色々と含んだニヤニヤとした笑みはまさにスパイシー。

 

迂闊に口に含むのは避けたい。

 

 

(ダメだ、このままだとまた眠れない地獄に。しかし、この難攻不落の先輩城をどうやって攻略すれば良いのやら。詩歌のアドバイスくれたのに、心の準備不足でお兄ちゃんは大ピンチだ……!)

 

 

取れる策はただ一つ!

 

頭脳戦や口では敵わないと悟ってる当麻は黙したまま頭を下げていき、伝説の土下座ポーズから―――

 

 

「―――すみませんでしたーっ!!」

 

 

ダッとの如く。

 

嘆願は無理だと判断した当麻は顔を地面に向けた状態のまま、陸上のスプリント選手のスタートダッシュのように頭から飛び込み姿勢で全力疾走!

 

とりあえずこのままだと言葉で丸めこまれるので一時避難してから対策を立てよう。

 

口先では敵わないが、賢妹とは違って、運動能力はさほどなかったので逃げようと思えば逃げ切れる―――はず、なのだが……

 

 

「言っただろ。簡単に逃がすつもりはないとな」

 

 

あれれー!? と逃げたつもりなのに飛び込んだ先には先輩が。

 

方向と距離感覚の異変。

 

トップスピードからの急Uターン! だが、ブレーキをかけたところを狙い澄まし、あっさりと制服の襟首を片手で掴み、ぐいっと自らの胸元に引き寄せて捕まえてしまう。

 

そして、そのまま後ろから旋毛を覗き込みつつそっと首に両手を回す。

 

 

「……あ、あのー、離してくださいませんか先輩」

 

 

「ダメだ。そうすると君は逃げるだろう?」

 

 

「い、いや、そのー……ボディタッチとかファールじゃありません」

 

 

「これは、“当てている”のだけど? 分かってる癖にいちいち言わせるなよ後輩」

 

 

後ろから抱き締められ、背中に押し当てられた温かく柔らかな感触が上下に滑り、控えめにつけられた香水の香りが動きに合わせてふわっと漂う。

 

と、その当てた、というよりくっつけている胸から伝わる鼓動(ビート)を感じ、

 

 

「しかし、思ったよりもパニックにならずに冷静だけど。……やはり、こういうことには慣れているのか」

 

 

「やめてくださいっ! そんな女遊びのチャラ男と一緒にしないでくださいっ!」

 

 

「ああ、しまった。そういえば、第五位に同じ事をされたんだったなあ」

 

 

「何で知っての!? どんだけ俺の個人情報が出回ってんだよ!」

 

 

「あの小娘のニ煎じをしてしまうとはどうやら私もまだまだ緊張しているらしいな。ふむ、花も恥じらう乙女というやつだけど」

 

 

「乙女はこんな風に後輩をからかわない! まったくいつか痛い目に遭いますよー!」

 

 

「ふふ、それは楽しみだなぁ」

 

 

そう悪戯っぽく笑った芹亜だが、まだまだ当麻の頭を離そうとしない。

 

 

「だいたい、当麻さんは女の子にモテたことは一度もありませんですはい」

 

 

「そんなのあてにならん。主観と客観がズレることは多々あるけど、君ら兄妹はそれが特に顕著だからなぁ。だが、青少年。硬派が美徳だと思ってるのか? 馬鹿なやつめ。仏門にも入ってないお前ほどの年頃は須らく性欲が服を着て歩いているようなものだ。強がることでもないし、恥じることではない、生物として当たり前のことだ。むしろ、我慢して溜め込む方が身体に悪い。だから、エロいと認めるんだ。さあ、俺はエロいんだぞー、とリビドーを爆発させるんだ。なんなら、この年上のお姉さんが存分に甘えさせてやってもいいけど」

 

 

ピクッと愚兄の心の中で何かが動かされた。

 

 

「上条―――お前はもっと年上の女性に甘える幸せを知るべきだ」

 

 

考えてみれば、精神的に余裕のある年上のお姉さんというのは、周りに少ないタイプなのだろう。

 

立場的にも、先輩と後輩で互いの精神的上下関係も強固に出来ているため、逆らえ難い。

 

おまけに、美人である。

 

と、右耳で上条悪魔(トウマ)が囁く。

 

 

『止めておけ。ここが駅前だって事を忘れたのか?』

 

 

まあ、そうだな。

 

何が悲しくて人通りの多い駅前で、今でさえ視線を一身に浴びているというのに、変態宣言などすれば、<風紀委員>か<警備員>が飛んでくるだろう。

 

そんな自爆行為をするほど非モテを嘆いていないし、何も好き好んで自殺もしたくない。

 

こんなんで捕まったらきっと身元受取人でくるだろう小萌先生も、それから話を聞かされる両親も泣くだろう。

 

そして、最終的に賢妹の耳にも入る。

 

この伝言ゲームが『集団監視の中で女性に破廉恥な真似をしようとした』なったらなんて、考えるだけで恐ろしい。

 

きっと三沢塾以上の吸血鬼が大量発生するに違いない。

 

いや、その前に、想像以上に怖い本物が英国から飛んでくるだろう。

 

 

『まったく、幻想(言葉)の飾りに囚われて、そう簡単に惑わされてどうするんですか。“前兆(サイン)”から目を逸らさない。幸せを知るのは構いませんが、不幸を見忘れるのは怒りますよ』

 

 

左耳に上条天使(テンシィヵ)の吐息がこぼれる。

 

 

「断固お断りですッ!!」

 

 

「やれやれ、中々頑固だな。私よりもお前の方がよっぽど難攻不落だ。それともそこまで意地っ張りになるとは何か問題があるのかな? 例えば男性機能的に」

 

 

「不幸は自他ともに認められてっけど、不能じゃねぇからな! 女の子に対する興味もちゃんとあるっ! 問題があるのは先輩のほうだろ! 今の心境はメスに食われるオスカマキリだぞ!」

 

 

「ほほう、この私の魅力を問題視するとはいい度胸だ。ふむ、ここはご期待通りにこのまま、食・べ・て・しまおうかな?」

 

 

「ノー! カマキリノーっ! お願いだからもう勘弁してくださいっ!」

 

 

黒き肉食雌蟷螂は酷薄な微笑を浮かべて、最後に名残惜しそうにワシワシとツンツン頭を撫でると腕を離す。

 

 

「まあいいだろう。今日の目的はこれではないのだし。場所を変えようか。騒いだおかげで、ここでは落ち着いて話も出来んしなあ」

 

 

「誰のせいですか誰の!」

 

 

「はて誰だろうな? どうでもいいけど、そこらの喫茶店でお茶にしよう」

 

 

「あ、それならちょうどいまハロウェインの―――」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……パンプキンゲコ太にウィッチピョン子ストラップ……」

 

 

御坂美琴は色とりどりの屋台や露店が立ち並び、仮装した人達でごった返す道路を前に、気合を入れるように密かに小さく拳を握る。

 

一ゲコラーである彼女の狙いはこのイベントに行われるスタンプラリーでもらえるハロウェイン先行限定のゲコ太グッズである。

 

そのために帰りのHRを体調不良と抜け出し、<風紀委員>の後輩ルームメイト白井黒子の監視を潜り抜けてここまでやってきた。

 

この行動はあの幼馴染もお見通しだったようで、久々の通信でいくつかの問診のあとに、授業までサボるのだけはやめなさい、と呆れられた。

 

おかげでスタンプカードの半分は埋められた。

 

 

(けど、まだ半分ってことなのよね。先着順で数に限りがあるんだし、いっその事、何も買わずにスタンプだけ押させてもらうってのはどうかしら。ううん、それはやっぱり悪いわよね。スタンプ台がレジカウンターに置いてあって、皆、店員さんに押してもらってるわけだし、それって何か買うのがマナーってことよね)

 

 

けど……

 

多額の奨学金をもらっている超能力者として、お金がないわけではない。

 

スタンプをもらうために、なんならそこのハロウェイングッズを大人買いしても良い。

 

しかし、たったひとりで欲しいと思ってないのに大量の物を買い歩くのは、何となく気が引けるのだ。

 

これは、過去にガチャガチャでお目当てのカエルのバッチを手に入れるまで只管ガチャガチャしたのと同じ。

 

やってる間は童心に帰って楽しいなー、だが、終わったあとでの、私って何やってんのかしら感は結構な精神的ダメージで、しばらく落ち込む。

 

それに最近スーパーのセールにも付き合ってて節約に目覚めたのか、やっぱりアイツは無駄遣いとかそういうは将来的に……

 

 

(っ、何でそこであの馬鹿のことを考えなきゃいけないのよ。だー、だいたい、ゲコ太は無駄じゃないし、私が何を買おうと勝手じゃない。まあ、あまり不必要なものを買い込むのは流石にちょっと直そうかと思ってるけど、あの馬鹿を気にしてるからじゃない。そうよ! RFOにいる子達にハロウェイングッズをプレゼントってことにすればいける!)

 

 

で、同年代のカップルが多い。

 

気のせいか、路上の空気は薄いピンク色に染まっているようにも見える。

 

一人身な美琴にとっては、自然と肩身が狭くなり、何となく居心地の悪い。

 

今までこういうのは気にしなかったんだけど、いつかはと憧れたり。

 

その時、身近な異性といえばただ一人で、というわけで隣に連想されるのは……

 

 

(な、何考えちゃってんのよ、私!)

 

 

ぱたぱたと火照った頬を覚ますように手を振る美琴。

 

ほらほら、おかげであの馬鹿の姿まで見えて……

 

 

「……っ、て、あそこにいるツンツンはもしかして……」

 

 

不意に、人混みの向こうから、何者かの人影がふらっと出てきた。

 

特徴的な、美琴には特に目に止まってしまう。

 

よく顔を突き合わせて喧嘩をしたり、愚痴ったりと腐れ縁で………

 

 

 

その時、ふらり、と目の前を何かが横切った。

 

 

 

「にょわっ!?」

 

 

突然、バチン!! と美琴の前髪の辺りから静電気のようなものが散った。

 

軽い能力の暴走だ。

 

これは学園都市特有の感覚かもしれないが、自分の能力を自分で制御できないのは未熟者と恥ずかしいのだ。

 

周囲に愛想笑いを浮かべて頭を下げて一先ず撤退、とその時にはすでに美琴の視界からその男の子の姿は消えていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

陽が傾くまで様々な所を冷やかして、休憩にとやってきたこの公園も淡い朱の色に満たされている。

 

秋の夕暮れとあっては、小学生の子供達もとうに帰宅の時間らしく、2人以外の人影は見つからない。

 

遊び相手を失ったブランコやシーソーも等質の紅に浸されて、うつらうつらと船をこいでいるようだ。

 

 

「ほう、上条が考えたと言う割には中々のプランだったな。褒美に何か奢ってやろう」

 

 

「いやいいですって、俺の方が遅れてきたんですし、こっちが奢りますよ。何か買ってくるんで先輩はここで休んでてください」

 

 

と、先輩を公園のベンチに座らせて席を外す愚兄の太っ腹発言の裏には、臨時収入――なんとカレンダーの裏に隠しお小遣いがあったのだ。

 

どうやらこっそり部屋の中に家主や居候には内緒に宝を隠してあったらしい。

 

賢妹のこんなこともあろうかとがスゴい。

 

ついでに、今日はやたらと運がいい。

 

このハロウェインフェア中のカフェでも、入店するや否やウェイトレスが転んでコップの水を浴びせ――られそうになったが、突如強風が吹いて、愚兄に向かって回転しつつ飛来するコップを巻き込み、そして勢いを殺すように、溢れる液体を丸めこむようにコップは回転しながら、そのまま近くのテーブルに少しだけ中身をこぼして着地した。

 

案内されたテーブルでは座った椅子が壊れてひっくり返って尻もちをつきそうになった所で、横の客の買い物袋の中から転がってきたカボチャのクッションが受け止めてくれた。

 

料理の方も今度こそはと慎重になった先程転んだ店員さんが運んできてくれたので顔面パイ投げにはならない。

 

ここに来る途中でも、財布の入ったカバンをすられたが、すぐに盗人はこけたり、<スキルアウト>にからまれそうになったが、すぐ後ろに巡回中の<警備員>がいた。

 

その他、細かいことまで数え上げれば切りがないけど、女性の前で恥をかくような事態は一切合切未然に防がれていた。

 

当麻は生まれつき運が悪い。

 

自分がいかにツイてないかは、骨身に染みてわかってる。

 

が、今日はそれがない。

 

ここまでくると今年一年分の幸運を使い切ってしまったのかと不安になるレベルだ。

 

けど、今悩んでいるわけにはいかない。

 

 

「ほい、これ」

 

 

すたすたと先輩の元へと戻ってきた当麻が、両手に持った紙袋に包んだ黄金色のパイの片方を、差し出してくる。

 

 

「うん? さっきのカフェで、結構お腹がいっぱいなんだけど……」

 

 

「まあまあ、それでも一口だけ食べてみてくださいな」

 

 

「じゃあ……一口だけいただこうか」

 

 

パイを受け取って、その表面をまじまじと芹亜は見つめた。

 

 

「この中身はなんだ?」

 

 

「当ててみてください」

 

 

「ほう、この私を試そうとは、上条の癖に、生意気だけど」

 

 

クンクンと鼻を近づけて匂いを嗅いでから、芹亜はパクリとパイに齧り付いた。

 

すぐ、その瞳に小さな驚きが宿った。

 

 

「……美味しい。サツマイモか。けど、サツマイモだけではないな。この異なるかすかな甘みは……」

 

 

「カボチャですけど」

 

 

ぺろり、と指を舐め、自分の分を食べ終えた当麻は言う。

 

 

「ここの近くのパン屋で販売されてる秋限定の店主オリジナルの裏メニューのミックスパイ」

 

 

「……もう少し考える時間が欲しかったけど」

 

 

「いつものささやかな復讐でせう先輩」

 

 

「ふ、お礼の間違いではないのか」

 

 

少し表情を和らげ、芹亜が残りも食べ終わったのを見てから、当麻は鞄の中からホットのミニペットの紅茶を差し出す。

 

すると、受け取りつつ先輩が訊いてきた。

 

 

「それで、上条、これは可愛い妹からの差し金か?」

 

 

可愛い、という部分に多少からかいの成分を感じるのは、当麻の気のせいではあるまい。

 

今回のことで、ハロウェインイベントもそうだが、この知るぞと知るスイーツも、よくよく先輩に可愛がられていた賢妹の助言だ。

 

 

「そうっすね。当麻さんが考えたことにしろって詩歌は言ってたけど、ネタバレしてて続けるのはお兄ちゃんの本意ではありません。第一、俺はそこまで気が利きませんし」

 

 

「君の長所は、自分に正直で、バカだという自覚があるところだな」

 

 

いつもながら、普通は言いにくいことをハッキリ言う先輩だった。

 

それは悪意からのものではなく、彼女はただひたすらに率直なのだ。

 

苦笑する当麻は言う。

 

 

「とりあえず、失敗してなくて良かったですはい」

 

 

「安心しろ。私はバカの相手は最初からしない」

 

 

「じゃあ何で、先輩は俺の相手をしてんすか?」

 

 

芹亜は、当麻を軽く睨んだ。

 

 

「上条、そういうことは訊くな。私は、これでも女だけど」

 

 

全然意味が分からなかった。

 

女であることが、どうして関係あるのだろう。

 

 

「……まあいいか。先輩の変に暗い顔が明るくなりましたし」

 

 

「ぅん……」

 

 

かあ、と紅茶を傾けていた芹亜の顔が熱くなる。

 

まさか、見透かされていたのか。

 

 

「詩歌から、聞いてんすよ」

 

 

「なに?」

 

 

思わず訊き返してしまう。

 

こちらは海千山千の歴戦の上層部が相手だって、自分の考えを読ませるつもりはないのだが……

 

 

「先輩は、自分が上手に表情を隠せていると思い込んでいるって。もちろん、たまにしかボロは出ねーけど……」

 

 

ただ、当麻はポリポリと頬をかきながら言う。

 

 

 

「出る時は、すごくはっきりと出る」

 

 

 

「……」

 

 

「俺に何か言いたいことがあるんですか?」

 

 

鋭い男だ。

 

いや、単に得手不得手の問題なのだろう。

 

得手不得手は、才能ではなく、結局は、経験の問題であり、隠しごとをする賢妹へ真意を探るため、何度も細かな仕草からでもそういう綻びを見つけようとしてきたのだろう。

 

少しでもその兆候を気付いたら飛び出せるようにと。

 

詩歌のような妹をもつと、そういう部分の察知性能が高くなるかもしれない。

 

 

「……分からないな」

 

 

芹亜が、かぶりを振る。

 

本当だった。

 

今の雲川芹亜には、分からない。

 

ブレインでも、理解し切れない。

 

“彼女”が目指しているものが、かつてのような穏やかな時間だとしても、そのためにどのような考えを馳せているのか、どのような地平を視ているのか、それらは遠く芹亜の思考の外にあった。

 

……それでも。

 

言わなければならないことが、ある。

 

 

「……すまない」

 

 

と、芹亜は当麻に頭を下げたのだ。

 

 

「え? え、ちょっと先輩!?」

 

 

「君には、謝らなければならない。理由は言いたくないし、出来れば訊かないでほしいんだけど。どうかこの自己満足に付き合ってくれ」

 

 

私は井の中の蛙だ。

 

外の世界など届きはしないし、見えもしない。

 

話が聞こえるだけ。

 

それも秘密のこそこそ話を除いてな。

 

だから、空の彼方へと飛んでいった鳥の姿は、もうどれほどの高みにいるのか把握できない。

 

 

「できるとすれば精々、井の底の汚い澱みを、その翼に触れないよう沈めておくだけだ」

 

 

それでも、自分を弁護する理由になりはすまい。

 

あの鳥が外の世界へと飛び立てば、自分の予想を超えてしまうことなど予想がついていた。

 

 

「………」

 

 

しばらく、愚兄は口を開かなかった。

 

何を話しているのかは分からなくても、賢妹に関することだとは悟っているだろう。

 

彼にとって大切なものだと知っているのに危険な場所へと送りこんでしまい、そこがこちらの予想を外れてさらに危険な状況に陥ろうとしているのを見ているしかない―――この体たらくにがっかりしない人間などいるだろうか。

 

幻滅、か。

 

そうしていると、すっと当麻の視線が逸れた。

 

今にも落ちなんとする夕陽の朱色に、その眼差しも染まるかのよう。

 

そして、同じく朱色の唇から、

 

 

「……珍しいな」

 

 

思わず、といった調子でこぼれた言葉。

 

珍しい?

 

ああ、こうして自分が誰かに謝るのがありえないとでも思っているのか。

 

だが、そのブレインの予想は外れる。

 

 

「あの優しい妹がそんなに苦労をかけるほど人を頼るなんて、珍しい」

 

 

この甘くない世界は彼女には生きづらくもあるのだろう。

 

不幸というのは、傷ついた当事者だけでなく、その者を大切に思う者も痛ましく。

 

世界が敵にまわり、それをどうしようもできなかった無力感という致命傷。

 

それが癒えない古傷となっているのだから、ちょっとしたことで再発しやすく、人に頼ることに勇気がいり、まず自己を犠牲にするのが癖になる。

 

不幸というのは、傷つく当事者だけでなく、その者を大切に思う者も痛ましい。

 

臆病で愚昧(やさしい)―――だから、愚兄は記憶を失っても妹離れできない。

 

 

「もともと、俺の妹は本当にどうしようもない時じゃないと、誰かに頼らない。そんなことは分かってる。―――だけど、それがずっと苦労をかけっぱなしって言うのは、“詩歌の能力では処理できてない”くらいに追い付いてないことだろ?」

 

 

もうこの流れ――世界大戦は止められない。

 

 

「………」

 

 

今度は、雲川芹亜が黙り込む番だった。

 

どうしてだろう

 

この少年は、突然に本質をつく。

 

自分がブレインであることなど欠片もしらないはずなのに、そんなことは関係ないとでも言うかのように、物事の芯へと触れる。

 

雲川芹亜の、芯へと触れる。

 

びっくりして言葉を失くしてしまった先輩へ、愚兄は視線を戻し、

 

 

「具体的には、先輩が何をしてるのかなんて知りませんし、それが秘密だってんなら問いもしません」

 

 

夕暮れの中、静かに兄の言葉だけが続く。

 

 

「だから、俺が言えるのはこれだけです」

 

 

す、と愚兄が席を立ち、姿勢を正した。

 

まっすぐに。

 

ひたむきに。

 

 

「ありがとうございます、先輩」

 

 

と、頭を下げたのだ。

 

 

「この馬鹿な兄に代わって、大事な妹の面倒を見てくれて、ありがとうございます」

 

 

愚直過ぎるくらいの、言葉。

 

それはきっと、どれだけ成長しようと、どんなに絶望的な環境だろうと、この少年の基準点としての本質は変わらないのだという、その証明。

 

 

「だから、皆が笑えるように今度は俺が出る番だ。バカでもこればっかりは譲れない。辛そうでも見殺しにされたって構わない。こんな馬鹿な兄を止めないでくれるのが、一番の情けです」

 

 

それきりで。

 

しん、と言葉が絶えた。

 

静寂の中で、どちらもそれ以上の声を発しようとはしなかった。

 

 

「……………ぁ」

 

 

吐息が、こぼれた。

 

言葉にならない言葉とも、思えた。

 

だけど、

 

 

「………………これ以上、どうするつもりだ」

 

 

先輩は、かたくなに首を横に振った。

 

寒さではなく、ぶるぶるとその指が震えても、“その事実”を認めようとしなかった。

 

 

「失礼する。急用ができた」

 

 

踵を、返す。

 

足早に、冬服の女子制服が立ち去っていく。

 

地面の落ち葉を踏み抜く足音が鳴っても、愚兄はそれを追いかけようとはしなかった。

 

ただ罰悪そうに頬をかくだけ。

 

 

誰かの為に男が血を流していても見殺しにするのが情けだとするのならば、

 

誰かの為に女が見られたくない涙を流しているのを見ないのもまた情けだ。

 

 

 

つづく


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