とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

263 / 322
天塔奇蹟編 相克する巨塔

天塔奇蹟編 相克する巨塔

 

 

 

エンデュミオン 地上

 

 

 

「いよいよ、明日の完成披露式典を控え、<エンデュミオン>に続々と招待客が集まっています」

 

 

『奇蹟』を象徴とする宇宙エレベーター<エンデュミオン>を中継するキャスターの頭上には空を彩る花火が上がって―――それを打ち消すほどに眩いばかりの閃光が混じる。

 

 

「―――えっ!? あれってまさか、避難命令!?」

 

 

治安維持部隊に配られる撃てば始末書ものの、そして、この学園都市に住まうものなら誰でも知っている緊急信号弾。

 

そして、突然の事態に呆然とするキャスターの前に―――現れた車椅子の少女。

 

 

「失礼。<風紀委員(ジャッジメント)>ですの」

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 

小さくあくびを洩らし、空を見る。

 

天井が見えない。

 

天上にまで続いているのだから。

 

距離感を喪失するような、どこまで続いているかも分からない巨大さだった。

 

人類初の宇宙エレベーター<エンデュミオン>。

 

しかし、その頂上にあるものは、悪意に染まる、狂気だ。

 

奇蹟を嘲笑し、秩序を愚弄し、永久を敵視する。

 

万物が不変であることを完全否定するその頂。

 

目に入るだけでその構築する人の成果が素晴らしいものであるのが分かるけれど、人類初の栄誉など屑のように捨て、何もかもが破滅の為の、小道具に過ぎない。

 

宇宙エレベーターを造ろうとした意図を知らずに、造り上げた者達はどんな想いでこの巨頭を天にまで届かせたのだろうか。

 

『Level0』の愚兄が、先の見えずとも1つ1つ積み重ねてその場所へ昇り詰めようとするのと、あの歌姫が前の暗い闇でも1歩1歩進んで夢を叶えようとする、そして、今叶うのと、きっと同じもの。

 

ああ、だから、愚兄と似ているからこそ、自分は彼女の歌をこんなにも気に入っているのだろう。

 

鳴護アリサを、あの心地よい音を運んでくれる彼女を、何も救われない終着に置いてはいけない。

 

 

「眠そうですね、詩歌さん」

 

 

「ええ、少しだけ。徹夜続きでしたから……手痛い1発をもらったので少し覚めていますけどね」

 

 

居場所は予め予想はついており、既に調べ上げてある。

 

鳴護アリサの現在状況は不明。

 

まだライブが始まる前で途中で割り込むかの形になるだろう。

 

ただし、それはこのエレベーターが使えたらの話であり、『オーピッド・ポータル』に調べ上げてくれた初春飾利が言うには、頂上との回線回路は通信さえも遮断されており、上から下へは可能であるようなのだが、下から上には働かない状況。

 

そして、『統括理事会』から破壊テロという(てい)で、情報が流れており、

 

 

『テロの犯行声明文は出てませんがタレこみがありまして、現在<警備員>が偶然な事故か意図的な事件かを調査している段階ですが、『オーピッド・ポータル』は通話にも出ず、本社にレディリー=タングルロード社長は確認できていません。式典の中継回線の調整の為ネットワークも遮断されていて、白井さんが避難信号を出したとはいえもう上には何万人もの観客がいますので迂闊に手は………』

 

 

もし彼らを人質にされれば、大問題だし、宇宙エレベーターに搭載されているアンチデブリミサイルなどを利用されれば、直接空から乗り込む事など飛んで火にいる蠅の如くとんでもない愚行であり、唯一の安全路であるエレベーターも地上からは封鎖されている。

 

そして、今ここには<警備員>以外の『お客さん』が押し寄せている。

 

近い内にここは戦場になるだろう。

 

だが、彼女らは『鴉』よりも早くすでにこの場所におり、そして、上を目指そうとしている。

 

 

「<エンデュミオン>にテロ……電気回線も切られてます。上は太陽光で自立で電力が賄えるようですから、完全に孤立しても問題ないってことですかね」

 

 

「ええ、こっちもひなたぼっこしたい気分ですが、悠長にお昼寝している余裕もありません。美琴さん、申し訳ありませんが、下でのサポートをお願いします。ここから先は誰であろうと上にあげないでください」

 

 

学園都市最高の発電系能力によるハックでここまでの道を開き、内部情報を読み取ってくれたのは御坂美琴。

 

<超電磁砲>も、<風紀委員>第177支部にいた佐天涙子から知らされた昨夜の誘拐された鳴護アリサを助けるため、捜していて、やがて病院へ負傷した当麻を運んだ詩歌と合流。

 

詳細な内容は伏せているが、<エンデュミオン>のテロ活動に鳴護アリサが利用されようとしていると説明し解決協力をお願い受諾で、今に至る。

 

宇宙に行けば、地上で何も対処できないが、この妹分の幼馴染が待機してくれるなら大変心強い。

 

例え“自分がいなく”ても、大丈夫。

 

安心して、後ろを任せられる。

 

詩歌は白い手紙封筒を美琴へ渡す。

 

 

「はい、これは『RFO』にある情報管理の暗号解除のマニュアルです、美琴さん。預けておきますので、もしもの時は開いてください。電子世界上に晒しておくとマズい情報もありますから、手紙の形ですが」

 

 

詩歌の声はいつもどおりに柔らかでよく通る。

 

寮で挨拶をするのと同じように。

 

だけど、返事するどころか息すら詰まらせる。

 

その内容に、幼いころからあれやこれやと言い丸められてきた美琴だが、頷けない。

 

 

「もしもの時はって? もしも詩歌さんが帰ってこなかった時ってこと?」

 

 

これは上条詩歌の勝手な甘さが招いた失敗だ。

 

無知な幸福を望んで、秘密にしたまま何でもかんでもやろうとしたことが皆を不幸にしているのだ。

 

だから、もう二度とそんなことはないように、この血は繋がらない大切な妹にも今まで隠してきたものを、まだあの少年に会わせるのは早いと思うが、その知る権利を保障して、知る機会を与える。

 

……これが最後なのかもしれないのだから。

 

 

「……場所は人類未開の宇宙です。万が一の仮定も考慮しておいた方がいいでしょう」

 

 

詩歌は本気だろう。

 

自分を含め、知らずに足下で踏まれる影の如く利他的に多くの人間に働く奴隷のように『一人でも、自分がいなくてもやっていけるように』尽くしてきた聖母の、上条詩歌の配慮。

 

先の見える姉の、見えない優しさ。

 

手渡された手紙を、美琴は関節が白くなるほど強く握り、

 

 

 

「じゃあ、焼いちゃいますね」

 

 

 

バチッと燃やした。

 

黒焦げに散る紙屑を、詩歌は驚いたように見つめて、

 

 

「美琴さん……私には美琴さんにさえ隠している秘密が山ほどあります。『残骸』に『実験』……中には美琴さんに受け入れ難いものも。けど、もう、教えなかったせいで不幸になるのは避けたいんです」

 

 

「分かってます。これが私達の為なんだって事は! 秘密にしてたのも私達の事を考えてだって事も……!」

 

 

しかし、美琴は逆に怒るように、非難するように、詩歌を叱咤するように言い返した。

 

 

「何でそんなに弱気になってるんですか。私は隠し事があったって詩歌さんを信じます。だから、絶対に帰ってくるって信じてます。“万が一”にももしもなんて、そんな仮定しないで……」

 

 

乱雑解放(ポルターガイスト)>の時もそうだった。

 

『実験』の時もそうだった。

 

『残骸』の時もそうだった。

 

あの時からこの街でずっと面倒を見てきてくれた守ってくれた自分を大事にしてくれる親代わりな姉にずっと言いたかった。

 

この兄妹揃ってどこまでも自分への好意に鈍感な、どこかピントがずれてる彼女に、どれほど頭を悩ませられるのかを。

 

親より先に子が先立つのが不孝なら、

 

姉の前で妹が無理するのが不孝なら、

 

その逆も、

 

先立たれて、無理をされるのがのがどれほど不幸なのかも先達者には考えてほしい。

 

詩歌は俯き訴える美琴の旋毛部分に手を当てて、1つ年下の幼馴染の、隠す素顔を感じようとする。

 

 

「どっちにしても、もう読まずに焼いちゃいましたから……だから、絶対、無事に帰ってきてください……!」

 

 

妹からの訴えに、詩歌は反省する。

 

こんな遺言じみた真似をするなど、やはり自棄になっていたのか。

 

やれやれ……

 

自分には、まだまだ全てを捨てて全てを懸けるのは早過ぎる。

 

こんな甘えたがりの可愛い妹分や、今頃馬鹿なことしているだろう愚兄や皆を置いていくなど、心配過ぎておちおち眠れやしない。

 

不眠不休の身体に鞭を打ち、全力以上に応えるしかない。

 

 

「そういえば、美琴さんはお留守番が苦手でしたっけ。実家にいた時も旅掛さんが帰ってこないって泣き付かれたこともありますし。あー、あの時は可愛かったです。今ももちろん可愛いですが、涙ぐむ美琴さんをあやす機会は年に1、2度しか機会がありませんからねー」

 

 

「い、いつの話をしてるんですか! それにもう詩歌さんの前じゃ泣きませんから、絶対に!」

 

 

うりうり~と顔をあげて反論しようとする美琴の頭頂部を撫で擦りながら、詩歌は洩らした苦笑をかみ殺す。

 

それから、何の根拠がなかろうと、より不敵に、より余裕に、より気楽に笑みの調子を変えて、からかうように頭を小突くと、

 

 

「ふふふ、残念。じゃあ、お土産は月の石とかでいいですか?」

 

 

「弱気になるなとは言いましたけど、そこまで調子に乗らないで! もう、なんだっていいからさっさと用事を済ませてきてください!」

 

 

構い過ぎて毛を尖らせる猫のようにビリビリ拗ねて唇を尖らせて抗議する美琴から逃げるように、言い残してすぐに詩歌は飛んだ。

 

一方通行(アクセラレーター)>――幼馴染に内緒の友から強奪し(借り)た全てのベクトルを操る(ちから)が燃え尽きる、<幻想投影>が使用できる30分間で、その頂上へ辿り着けるように加速し、更に加速していく。

 

まだライブが始まる前で、途中で割り込むかの形になるだろう。

 

ただし、それはこのエレベーターを使った場合であり、この重力、気圧、酸素、熱量全ての向きを掌握する力ならば、それをさらに上回り、ライブ前にはたどり着ける。

 

あっという間に姿が見えなくなった姉気分を見上げてから、美琴は、はぁ~と溜息をついて、

 

 

「そういうわけだから、アンタらも大人しくお留守番に付き合ってくれない」

 

 

振り向き、大量の機動兵器と共に侵攻する<黒鴉部隊>へ紫電を放つ。

 

 

 

 

 

エンデュミオン ???

 

 

 

何故、コイツは……

 

 

 

<黒鴉部隊>庇護対象者――鳴護アリサ。

 

警護に余計な感情移入しないために情報は不要であり、『オーピッド・ポータル』のオーディションに合格したLevel0、それ以上の情報は知らない

 

しかし、何故、“それ”を持っている。

 

3年前に失くしたはずの―――がくれた、あの事件で最初で最後の搭乗記念品だった、あの場所にいた証でもある『オリオン座のブレスレット』を。

 

横たえる鳴護アリサの手元に置かれた青いブレスレットの欠片に、シャットアウラは自身の持つ『帽子』と共に最後の形見でもある同じ欠片を合わせ―――吸い寄せられるようにピッタリと接合した。

 

その瞬間に湧き上がり、膨れ上がっていく疑問。

 

自分は知らない。

 

あの『事故』の生き残りの生還者で公表されたものの全てを調べた。

 

自分と同じ年頃の子供に限れば、さらに少数で、印象に残っていたはずだ。

 

だから、もし自分と同じく生き残った子供の搭乗者名簿に『鳴護アリサ』という名前があればすぐに気付けた。

 

シャットアウラには知らないことだが、その名前は事件後に施設で付けてもらったものであり―――存在そのものを隠蔽されていた。

 

 

『やっぱり、あなたたちは引き合ってしまうのね』

 

 

その意味を、その真相を、このレディリー=タングルロードを語る。

 

 

『あの日、『オリオン号』に乗っていたのは88人。事故直後に確認された生存者は88人。誰もがこれを奇蹟と言ったわ。―――でも本当は、1人だけ死亡者がいた』

 

 

それが墜落寸前まで一縷の希望にかけ機体を制御に尽力を尽くしたスペース・プレーン『オリオン号』の正パイロット――ディダロス=“セクウェンツィア”。

 

 

『そう……あなたの父親』

 

 

シャットアウラ=セクウェンツィアの実の父親。

 

本当なら命を賭して乗客全員を救った英雄として、名を挙げるはずだったのに、その存在を消されてしまったもの。

 

88人しかいないはずの機体に、『89人目』が現れた『奇蹟』のせいで……

 

 

『その1人の死亡者を出したのに88人が助かった事実――どこからともなく『奇蹟』を演出した立役者である『89人目』こそが、この娘―――鳴護アリサよ』

 

 

いや、あれは『奇蹟』、<88の奇蹟>などという言葉なんかで片付けて良いものじゃない!

 

父さんが―――と、そこで何故、乗客名簿や事故原因の調査を含めて隠蔽されたはずのこの事実を、『“事故後”に『オーピッド・ポータル』に買収した』彼女が知っているのだ?

 

 

『本当に予定外だったわ。あの事故はね。“誰も助かるはずがなかったんだから”』

 

 

………………………………え?

 

 

『上手くいくと思って宇宙(そら)に88もの生贄を捧げようとしたんだけど、あなたの父親以外、全員生還しちゃうなんて……―――まあ、思わぬ『副産物』が産まれたのだから、失敗ではなく、成功というべきなのでしょうけど』

 

 

ああ……父さんが、犠牲になった……事故は、本当は、事件で……原因不明だったの、も……事実が、隠されたのも………全部……こいつの……都合のいい……『奇蹟』のために―――

 

 

―――お前のせいで! 父さんが!

 

 

無表情無感情、サイボーグのような彼女が激情を露わにする。

 

双眸が急所を捉え、携帯したナイフでシャットアウラはレディリーを突き刺した。

 

内からの出血に口から溢れだした血を吐き散らし、容赦なく、絶殺の意思を籠めて、拳銃で滅多撃ちにする。

 

尊敬した父を殺し、名前も、名誉も、あらゆる全てをも殺したのは、許し難い復讐の対象。

 

その躰に何度弾丸を撃ち込んでも飽き足らない。

 

だが、天井から舞い降りた2つの影がその蛮行を阻止した。

 

 

なっ、お前らはあの時の……!?

 

 

共に麗人の美男美女2人組。

 

初の鳴護アリサのイベント会場の襲撃者。

 

そして、レディリーの操る忠実な側近。

 

男は魔術技術で、女は科学技術で生み出された魂なき自動人形。

 

ナイフを腕で弾き、特殊スーツで強化されたはずの動きも抑え込む。

 

そして、血塗れのまま立ち上がる―――

 

 

『気が済んだ? これでナイフで刺されたのは16回目だったかしら』

 

 

刺し貫いたはずなのに、

 

撃ち抜いたはずなのに、

 

確実に殺したはずなのに、レディリーは、甦った……?

 

シャットアウラは目を疑った。

 

服の乱れを手で払い直しながら、何事もなかったかのようにその場で立ちあがる。

 

少しもよろけることもなく姿勢は正常で、欠片も後遺症もダメージもない様子は、あまりに非常識。

 

いくらなんでも生物の限界はある。

 

間違いなく、最初のナイフで深々と胸を貫いた感触は致命傷だった。

 

その体を汚す血が証拠だ。

 

なのに、平然と身なりを整える彼女の姿は、ほとんど悪夢だった。

 

 

『化物、だなんて、言われたくないわよ』

 

 

驚愕するシャットアウラに、レディリーは薄笑いを返す。

 

それは、無知に対する侮蔑か。

 

 

『私もたいがいだけど、あなた達だって相当なものよ。揃った時の因果律の共振は桁外れ。もしかしたら、『副産物』が増えるかもしれないし、保険になるかもしれないわね。本当の『奇蹟』というのを宇宙に連れてって見せてあげる』

 

 

許さない。

 

今もなおこの自分に『奇蹟』を見せるなどと戯言をほざくのなら、何者だろうと何を企んでいようと絶対に潰す。

 

その全てを、『奇蹟』に関わるのなら、貴様も、その根源たる『89人目』も殺す。

 

絶対にだ!!

 

 

『ふふっ、期待してるわ。じゃあ、本番までおやすみなさい』

 

 

酷薄な笑みを最後に、眠らされると同時、シャットアウラの身体に、何かが吸収され、全身の血に巡り始める。

 

 

―――力が欲しい。

 

 

その全てを、破壊する力。

 

『奇蹟』など欲する愚かな人間に裁き。

 

この『秩序』を乱す象徴たる<バベル>に天罰を降せ。

 

神はその願いを聞き届け、天は彼女を執行者と選んだ。

 

その願いを叶えんと、引き寄せる。

 

欠片が埋まり、パラメーターの書き換えが行われて―――

 

 

 

 

 

 

 

身体の奥から弾ける強烈な痛みに、意識を無理やり覚醒させた。

 

 

「う……」

 

 

焼鏝(やきごて)でも突き入れたかのような痛みは、次第に和らぎ始めていた。

 

生きている、のだろうか。

 

痛みがあるということは恐らく生きている。

 

だがしかし。

 

ここは、レディリーに嵌められた場所ではない。

 

冷たく硬い金属質の感触に、体が浮く感覚―――そう、ここは宇宙エレベーター<エンデュミオン>の部屋の一室。

 

AIMジャマーが張り巡らされており、今は牢屋のように自分を封じ込めておく場所で、門番として女の側近――あの自動人形の一体が見張りについている。

 

何故自分をここに連れてきたのかまでは分からないが、こちらは好都合だ。

 

何故なら、今の自分は<希土拡張>を使わずともこの牢を突破できると確信している。

 

 

「これは……」

 

 

熱を感じる。

 

その源は、3年の長い時を経て、欠片が集った『オリオン座のブレスレット』

 

その竜宮城の乙姫にも見立てられるオリオン星座の紋様からは、どこかおぞましさを感じさせられる―――だが、同時にひどく懐かしくもある。

 

全てが重なり、全てが1つにまとまった。

 

それを強く握り締めるだけで、その意志に応えるようにその全てが己の中で解放される。

 

神の怒りの雷さながら、罪深い巨塔を貫くように、祭壇を木端微塵に砕き世界を串刺しにするように、現れたのはあまりにも固い純白の空白。

 

彼女は今、3年前の奇蹟から今日までの軌跡が集う極点たる輝石に右手に縫い止められていた。

 

 

「どけ。私の復讐を邪魔するものは全部破壊する」

 

 

女性型自動人形は動くが―――遅い。

 

今のシャットアウラには馬鹿馬鹿しいほど遅過ぎて、止まったも同然。

 

シャットアウラは短く息を吸い、

 

 

「はっ!」

 

 

圧倒したはずの科学の自動人形を一撃で吹っ飛ばし、分厚いドアを突き破った。

 

 

 

 

 

エンデュミオン 宇宙

 

 

 

地球を背景に、無重力の空間に漂う中、鳴護アリサは膝を抱えて身体を丸める。

 

栓が開いたように、聴こえなかったものが聴こえて、この会場に集う、ライブを楽しみにする者達一人一人の声さえも、神経に染みる。

 

奇蹟に振り回され、奇蹟へ望みを託し、奇蹟を滅ぼそうとする幻想が、アリサの中に静かに降り積もっている。

 

 

『私の為に歌ってくれないかしら、あなたの奇蹟の歌を』

 

 

レディリー=タングルロード――道端で歌っていた名も無き自分に、この世界中で注目される大舞台を用意してくれた人間。

 

しかし、彼女が求めていたのは、鳴護アリサの歌ではなく、奇蹟。

 

自分はこの<エンデュミオン>を動かすための奇蹟という名の電池なのだと。

 

重力のしがらみから解放されたはずなのに、足下の梯子が外されて、奈落の底に堕ちてゆくような錯覚を覚える。

 

笑っていいのか泣いていいか、感情そのものが吹っ飛んだみたいで、アリサはどんな顔をしていいか分からない。

 

砂色に乾いた時間の中、彼女はひとりだった。

 

 

『断れば、この<エンデュミオン>にいる招待客全員が死ぬことになるわね』

 

 

冷たい笑みで、レディリーはそう脅迫を残し、アリサが頷くのを確認すると控室の展示室から出ていった。

 

今日、鳴護アリサは路上ではなく人類初の宇宙ライブという大きなステージで、たくさんの人にその歌を届かせる。

 

それは、鳴護アリサの夢。

 

あの日、彼らに語った夢。

 

だけれども……聴こえていた。

 

この建物全体に軋み始める破滅の音を。

 

自分を助けようと愚かな失態を犯し、爆発に巻き込まれた少年を。

 

夢の中で、無意識に聴こえる。

 

自分の胸に優しく手を置いた少女も。

 

優しく穏やかなその立ち振る舞いも、凛としていて温かな眼差しも変わりないけれど、ただ、その声が、いつもの彼女と少し違うような気がした。

 

 

「当麻君。あたし、夢を叶えるって、もっといいことだって思っていた」

 

 

嘆きと、怒りと、罪悪感と、自己憐憫と、自分の愚かさを棚に上げるなと責める冷静さが入り乱れて、頭が麻痺していた。

 

その時、彼女のジーンズのポケットで、何かが細かく震えていた。

 

疲れ切ったアリサはそれを引き出した。

 

彼女の携帯電話だった。

 

ものを考えることも辛くて、それを開いて通話ボタンを押した。

 

彼女以外のひとの声を聞きたかった。

 

この宇宙(そら)で、ひとりでいたくなかった。

 

 

『アリサさん。ようやくかかりました』

 

 

詩歌の声だった。

 

アリサは短く悲鳴を上げた。

 

 

『どうやら下から上への通信は遮断されているようですが、ここまでくれば通じるようです』

 

 

「え、え……? もしかして、<エンデュミオン>にいるの?」

 

 

『いえ、まだ道半ばです。エレベーターが使えないので自力で昇ってるんですが、いや~、本当に絶景ですねぇ。あとで写メを美琴さんに送ろうかと思うんですがどう思います?』

 

 

「うん、何だかよくわからないけど御坂さんが怒りそうだから止めておいた方がいいんじゃないかな。―――って、それよりもエレベーターも使わないで上ってるの!?」

 

 

『はい。言ったでしょう? 助けてと呼べば、どこからでも駆けつけるって』

 

 

頼もしく、兄妹揃って何故か信じてしまえる言霊。

 

だけれど、彼女は嘘はつかなかったが隠していることが多い。

 

 

『そして、私にはアリサさんに謝らなければならないことがあります』

 

 

「それって……」

 

 

声音の調子が代わり、アリサの首が緊張した。

 

 

『気づいてるかと思いますが、私は最初から鳴護アリサさんの力に気づいていました。その歌が発動のキーになることも。そして、あなたには知る権利があった。知りたいと願った。ですが、私は、あなたが、皆が、幸せであることの方が、あなたが真実を知ることよりも大事だった』

 

 

『だから、聴きたくなければ通話を切っていい』、と告げるも、アリサは待った。

 

 

『秘密と隠し、重荷を預かり、それで良いと思っていた。けれど、あなたの力を利用しようとする者がいることは予感していました。でも、それは私も同じだった。あの時、あの場であなたの力でしか全てを救えなかった。レディリー=タングルロードと同じくその『奇蹟』に頼ってしまった。それでも私は黙っていた。本当ならそこで話すべきだったのに知らない方が良いと……けどそれは、あなたを守られるだけのお姫様だと侮っていたことに他ならなかった』

 

 

淡々と詩歌が詩歌自身の自己分析を語っていく。

 

 

『……公園で当麻さんへ歌う理由を話した時、とうに知る勇気があったのだと思い知った。最初から話しておくべきだったと、あなたは証言してくれた。それでも、私は知らぬ間に全てを解決しようとした。何も話さなくても良いように。利用されるくらいなら、利用してしまうくらいなら、その力を封じてしまえば良い。ただし、その術のためには数日の眠りにつかなければならず、それは今日行われるあなたの夢の大舞台を潰すことになる。ですが、それも今のように歯車に利用されるのなら、それも好都合だと。封じてしまえば歯車にならず、眠っている間に、この<エンデュミオン>に刻まれた呪縛を破壊する。目覚めた時に『オーピッド・ポータル』も潰れ、『ARISA』も失墜するかもしれません。それでも、今度こそ本当の大舞台を用意すれば、きっと復活して―――私が恨まれるだけで事は済んだ』

 

 

つまりは。

 

上条詩歌のシナリオは、

 

 

『鳴護アリサを攫い、原因不明の昏睡に落し、それから鳴護アリサの事務所である『オーピッド・ポータル』を潰し、<エンデュミオン>という夢の大舞台を台無しにし―――“犯行理由”は適当に嫉妬にでもすれば、アリサさん、インデックスさん、……当麻さんにも真相を知られずに、重荷を背負わさずに解決できた』

 

 

そして、最後に付け足すようにさらりと詩歌は言った。

 

 

『唯一の自己弁明を言うならば、この夢を押し潰しかねない重荷を負わせることはできなかった。それほどにあなたの力は強大なもの。そう、私は、例えストリートライブでもあなたが歌わなくなることが、皆が本物の歌を聴けなくなることが怖かった』

 

 

両目から涙が出た。

 

この砂色に乾いた時間に、優しい慈雨を降らすように。

 

これほど深い愛情に、これまで出会ったことがなかった。

 

いや、そもそもこの世に存在する事さえ知らなかった。

 

詩歌は秘密の中には、常人には底知れぬほどの愛情が詰まっていた。

 

彼女のシナリオ通りいっていたのならば、自分は、そして周りも、彼女を恨んでいたのかもしれない。

 

少なからずの疑念を抱いていた自分を、きっとそうなるように誘導させて恨ませていただろう。

 

 

「ダメだよ! 詩歌さんが全部背負ったって、そんなの笑えないよ!」

 

 

『……やはり、間違っていました。真相を隠されたまま、幸せを掴んでも、心に曇りがあるままでその幸福感は本物ではなかった。本当に、ごめんなさい』

 

 

「ううん、こっちもごめんね。本当にごめん。あたしのために……」

 

 

泣きっぱなしの瞼の裏から染み出るものの温度が、じわりと熱くなった。

 

 

――――アリサさんの歌は幻想(まやかし)のない間違いなく本物です。心を震わせられたものも、その歌に心が籠められていたからです。

 

 

彼女達は、自分の歌を聴いてくれた。

 

本物だと信じてくれた。

 

自分はひとりじゃない。

 

 

『では、あと少しだけ待っていてください。鳴護アリサさん、あなたはこの<エンデュミオン>の中心です。けど、問題となる核は違います。私がそれを解きます』

 

 

「私も戦う」

 

 

『え……』

 

 

「言ったよね。私の歌は、願いの結晶で、信じればきっと裏切らないって」

 

 

鳴護アリサの夢でも、レディリー=タングルロードの為でもなく、この歌を純粋に楽しみにしてくれている皆の為に、この力に祈る。

 

誰が何を考え、どう利用しようとしても、この歌は鳴護アリサのものだ。

 

 

 

「だから、歌うよ。何が企んでいようと、それを上回る奇蹟の歌を」

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか」

 

 

詩歌は、止まる。

 

鳴護アリサは強い、そう信じられる。

 

<エンデュミオン>は彼女に秘めた膨大な生命力を源にして、発動する極大魔法陣。

 

 

「一度は勝手をしようとした、私を信じてくれますか」

 

 

『うん。信じるよ』

 

 

ふっと笑い、ビキビキビキ!! とこめかみの辺りの血管が不自然に脈動する。

 

塔内とはいえ、ゴールである宇宙ステーション直前の標高で冷えた空間、なのに、イヤな汗が噴き出すのが止まらない。

 

風水――地脈や龍脈の星の生命力の流れは、山や川の位置に影響され、人工的な構造物にも干渉される。

 

とりわけこの天を突く『宇宙エレベーター』は風水に多大な変化をもたらしている。

 

それを人の手で元に戻すことなど不可能だが、魔術には禁断の―――学園都市第1位の『あらゆる流れ(ベクトル)を操作する』<一方通行(アクセラレーター)>ならその一部の『回路(レール)』を組み替えることはできる。

 

編み込んでまとめられた縄に、一筋ほつれさせてそれを編み込むように。

 

所詮は、前段階の準備作業。

 

レディリーも馬鹿ではないのだから、この地球そのものも術式の一部に取り込んだ儀式回路をチェックしているだろうし、断線しているような異変を見つければすぐに修正される。

 

これを扱うには、この仕組みに気づいてくれる賢者がいなければ、全くの徒労になる。

 

だが、ここで残り少ない時間と生命をロスしてでも、鳴護アリサに懸ける価値はある。

 

通話しながら、別画面同時進行で携帯機器を操作し、ここ数日に『鳴護アリサの歌』を基に造り上げたプログラムにさらに<エンデュミオン>仕様に手を加える。

 

 

 

「アリサさんにしかできない打開策があります」

 

 

 

不調を覚らせることのないいつもの声音で、詩歌は告げる。

 

この本物の歌を悪用する狂気を吹き飛ばすにはどうすればいいのかを。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

左手に輝くブレスレットの輝きに、透き通ったガラスのような黄金が描く、精緻で荘厳で極限の立体陣―――その相似した宇宙に広がる極大化したものが廻る。

 

混乱(バラル)の塔、神の門(バブ・イル)で廻る。

 

生と死。

 

有限と無限。

 

切っては切れない縁で結ばれた表裏の二面性。

 

全てが交差するこの空間では、地上とは異なった法則が支配する。

 

人々の熱狂と血は、神々に捧げる供物となり、一体となった時、その息吹は<エンデュミオン>――月の女神に不老不死の眠りにつかされたものの永久の呪いを打ち破る。

 

宇宙に展開された魔法陣を、人をひとつにする奇蹟の歌が招待客をひとつにして生まれる生命力を糧に起動する。

 

惑星規模の破滅へと流転する。

 

それを彼女はただ見る。

 

まるで風景でも眺めるような無関心さと、昆虫のような無機質さで。

 

 

「まさか、ここまで来るとは思わなかったわ」

 

 

「ええ。私もここに来るとは思ってませんでした」

 

 

ドタッ、と魔術で造られた男型自動人形がレディリーの前の転がる。

 

すでに目の明かりは消えており、自身とのパスも切断されている。

 

この術式構造を読み解き、強制停止するその手腕は間違いなく、鳴護アリサを<聖人>――『奇蹟の歌姫』と覚醒してくれた張本人。

 

 

「感謝してるのよ。あの子を目覚めさせてくれたことは」

 

 

「本当ならそのまま眠らせるつもりでしたんですけどね」

 

 

「ええ、それは本当に危うかったわ」

 

 

ゆっくりと振り返れば、あの日、<禁書目録>と共にいた少女、上条詩歌。

 

そして、あの人同じように両者は、その眼を覗きこむ。

 

 

「色々と調べさせてもらいました。ギリシャ神話の英雄『アキレウス』を不死身の体にしたと言われる、人間には禁忌とされる神々の果実――<アンブロジア>。そのせいであなたは生命が外に出ることなく永久に体内で流転し続ける不老不死に囚われた」

 

 

「うふふっ、学生なのに博識なのね。それにとっても聡明。その年代で、これまで1000年生きてきた中で、あなたはどの人間よりも賢い」

 

 

「そして、何度も自殺した。この永久の眠りについた<エンデュミオン>と名付けた宇宙エレベーターに破滅の儀式を組み込んだのも、生き疲れた不死の軛から解き放たれるため」

 

 

「ええ、満点の解答よ」

 

 

まだこの容姿の通りに幼かった頃、助けた一人の十字軍遠征で負傷した兵士に手渡された食物を、禁断の果実<アンブロジア>と知らずに食してしまってから、ずっとこの身体で生き続けてきた。

 

生き続けるしかなかった。

 

十字軍遠征の戦争時には、傷がすぐに治れて動ける不死の身体は重宝されたのだろうが、それに感謝したのは本当に短い間だけだった。

 

ありとあらゆる手段を講じて、死のうとした。

 

だが、魔術の知識を用いた数々の兵器でも死ねない。

 

永遠に終わりへと進む事ができない。

 

切っても、焼いても、撃っても、射っても、叩いても、潰しても、刺しても、噛んでも、吊っても、埋めても、割っても、裂いても、沈めても、溶けても、凍っても、干しても、毒を飲んでも………

 

思いつく限りの方法を試しても死ぬことができない。

 

レディリー=タングルロードが生き続けるほど高まる死への渇望は、やがて全てを巻き込んでも滅亡を望む執念と変わる。

 

そうでもしなければ、極めて長寿の彼女は、時の風化に人格の一貫性を維持する事など叶わない。

 

 

「私は、あなたが嫌いです」

 

 

「あら意外ね。わたし、あなたは誰も嫌わない娘だと決めつけていたんだけど」

 

 

「ですが、放ってはおけない」

 

 

レディリーは見た目に合わない老婆のような仕草で肩を揺らして笑う。

 

封印は失敗したが、鳴護アリサの完全には成功しており、今、上条詩歌が放置できないのはレディリーの方かもしれない。

 

誰もを巻き込んでも死にたがりの自殺志願者は、誰も死なせない賢妹にとって相容れない敵であり、見捨ててはおけない、一番に哀れだと。

 

 

「共感なんて無意味。不老不死として永遠に生きるとは、永遠に狂い続けること。怒り、哀しさ、後悔、絶望、人間を壊してしまうものなんていくらでもあるのに、永遠の寿命なんて持ったら、ずっと正気でいられる可能性はゼロよ」

 

 

1000年も生き続け、幾度も死のうとし、発狂したレディリーは、ずっと笑顔だ。

 

 

「正気なんて、短い時間で死んでゆくものにだけ与えられた祝福。おかしくなる理由なんていくらでもあるのに、一度狂えば、命ある限り狂いっぱなし。これが呪いでなくて何になるの?」

 

 

死は優しい。

 

死は慈悲深い。

 

死こそは幸いなり。

 

儚い命、永遠の死、身体中の細胞がそれを願って打ち震えている。

 

 

「さあ一緒にいきましょう? 生き続けたって、この世は地獄よ」

 

 

不老不死の誘いに、賢妹は―――ははは、と力なく笑ってしまった。

 

 

「何か?」

 

 

賢妹の笑いに不老不死は笑みを消す。

 

上条詩歌は、我慢しきれない、とばかりに大きな声で笑い出した。

 

 

「そうですか、この世界は地獄、憤怒、悲嘆、後悔、絶望、世界には不幸が溢れている。―――だけど、そんなこととっくの昔に知れている。そんな当たり前のことを語って何の価値もありはしない。それに<エンデュミオン>を発動させても、あなたの呪いは絶対に解けない。そこの展開図を見れば、やり方が間違ってると分かる。零点です」

 

 

不老不死の声はない。

 

レディリーはここまで言われても、賢妹の本意が掴めない。

 

ただ、その笑いをかみ殺すさまを見つめる。

 

 

「不老不死。始点と終点が繋がった閉じられた輪(メビウスリング)という体内に閉じ込められた生命力は、中から決して外へ出ない。どのような物理的衝撃を以てしても破壊できない閉じた時間は、解呪不可能な檻。確かに、急所をナイフで刺されても死にはしないでしょうし、老いません。けれど、絶対に殺されないものなんて存在しない」

 

 

彼女の言葉に意識が引き寄せられる。

 

 

「ギリシャ神話の死と再生、豊穣の女神『デーメーテール』も乳母として、養い子『デーモポーン』を(じぶん)と同じ不死の存在にしようと<アンブロジア>の軟膏を塗ったそうですが、不死になるには『完全な存在』にならなければならなかった。だから、燃える火の中に『デーモポーン』を炬火のように埋めた。火や煙には、人物、動物、果樹、農作物から負の気を取り除く厄払いの効果があったとされ、この火による浄化で人の子を神にしようとした。だが、その行為を見た人間が騒ぎたてたことで、儀式は失敗し、『デーモポーン』は焼け死んでしまった。―――そう、不老不死とは『純粋』でなければならない」

 

 

禁忌の壁を容易く乗り越える常識外の天才。

 

彼女がそこに見るだけで学習し、触れればその始点()終点()さえも解読する。

 

投影すれば神様にだってなれる存在。

 

その異彩は、神々の神秘でさえも理解する。

 

つまり、何があっても終われない、レディリー=タングルロードの不老不死さえも。

 

 

「物理現象にもある通り、例として純粋な水を電子レンジで温めれば、少し容器を揺らしただけで沸騰する。そんな奇蹟的なバランスで『不老不死』が成り立っているのなら、均一に温められた液体の突沸を防ぐのと同じように、ほんのひとつまみの砂粒だけを入れれば、『純粋』は『不純』――“ただの水”へ変化し、純水の特別な変化もなくなる、それと同じように『不老不死』も消えてしまう」

 

 

この北半球を壊滅させる惑星規模の魔術でも、不老不死を解く式には当てはまらない。

 

<エンデュミオン>、と永久の眠りの呪いにつかされた人の名に願掛け用と同じ事で、手段方法が間違えている。

 

 

「生まれてきたなら、そこに絶対に死もついてくる。『不老不死』も存在するなら消滅もする。あなたは所詮、私からすれば“触るまでもなく見れば分かってしまう常識内”―――“非常識に対して常識外に不幸な力”、不死の神だろうと殺せ、閉じられた輪(メビウスリング)さえ切ってしまえる存在をあなたは知らない」

 

 

ただ人を殺すだけの異能など世界にごまんと存在する。

 

生物を殺すだけのことならば、文明が生み出した様々な兵器で十分過ぎる。

 

だが、上条詩歌が最も知る、そして最も知らないあの右手が、非常識にとってさえ異質なのは、カタチのない概念――人が生み出したあらゆる幻想を殺してしまうからだ。

 

 

「レディリー=タングルロード。ケイローンが不死を捨てられた通り、不老不死は解ける。あなたは、まだ戻れる。だから、この<エンデュミオン>に展開された魔法陣を解いてください」

 

 

「私を殺してくれるというの?」

 

 

「いえ、その<アンブロジア>の不老不死を解くだけです」

 

 

できるかもしれない、と考えさせられる。

 

『奇蹟』を覚醒させ<聖人>さえも封じ込めようとした上条詩歌。

 

それに彼女にはありとあらゆる魔道の叡智を記録する<禁書目録>もいる。

 

 

「とても興味深い話だったわ」

 

 

彼女たちならば『不老不死』を――――レディリーは笑う。

 

 

 

「でも、私は二度と他人の純粋な好意は受け取らないようにしてるの」

 

 

 

薄く薄く薄く、酷薄に嗤う。

 

戦時中にレディリーの先を想った兵士の好意で『不老不死』の<神の果実(アンブロジア)>を渡されてから、この地獄は始まった。

 

だから、信じない。

 

魔力が扱えないのに、無理に自動人形を側においていたのはそれが理由。

 

そして、大人しく話を聴いて時間を潰している間に、つい先ほど、その一体から送られる視覚情報で“予定通り”に彼女が来るのを見て、舞台上に立つ女優のようにわざとらしく大きな声で、

 

 

 

「“ありがとう!” “あなたのおかげで私の奇蹟は完成するわ!”」

 

 

 

カツン―――と。

 

不意に音が聞こえてきた。

 

何かが近づいてくる気配。

 

硬い床を歩く際の、軽い、乾いた音がホールに響く。

 

そして、カチャリ、と拳銃を―――その瞬間に、詩歌は動いていた。

 

誰も死なせられない賢妹は、例え『不老不死』だろうと見過ごせずに、ほとんど無意識に彼女と盾になるように間に入る。

 

 

―――その愚行が決定打となる。

 

 

「じゃあ、“その娘の相手は任せたわよ、上条詩歌”」

 

 

レディリー=タングルロード自身に直接的な戦闘力はなく、ここで強引にでも迫れば、阻止できたかもしれない。

 

だが、もう遅い。

 

二虎競食の謀は成就した。

 

逃げるレディリーに、詩歌は動けない。

 

この只ならぬ怨念じみた重圧から。

 

 

「―――そうか、だから、お前は鳴護アリサについていたんだな」

 

 

鴉の濡羽色の戦闘衣に、艶のある黒髪と、無機質に点る純黒の眼差し。

 

少女は、その手に一丁の拳銃を持っていた。

 

宇宙の闇の中、照準を合わせた銃口の引き金が引かれる。

 

無感情だったその表情を歪ませるその姿は、幽鬼にも似た復讐者。

 

 

 

この上ない静謐と憎悪を引き連れて、シャットアウラ=セクウェンツィアが現れた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

同時刻。

 

 

 

(―――この気は……)

 

 

感じる。

 

近づけば近づくほど、己と同質の気配と共鳴していく。

 

すでに単独でそのすぐ近くにいるであろうあの少女は、自分以上の才覚の持ち主だろうが、それは“万全な状態”であるならばだ。

 

<聖人>の覚醒式は魔術師パンタグルエルが用いた『シジル』の応用で、その気になれば誰にでもできる。

 

だが。

 

<聖人>の封印式、魔術世界では核兵器とも称される力を封印する、どの組織勢力もほしがるであろうその技術は、誰にでもできない。

 

『日本からイギリスへ来た彼ら』の秘策の修練を見れば、それが全員の動きが一致した組織単位の力が必要だ。

 

唯一、その脅威がさらされる可能性のある<聖人>としてその説明を受けた奇蹟治療の全容は、あまりにも術者の負担代償が大きい。

 

『神の子』の生死を見定めるため、『ロンギヌス』は『神の子』の右脇腹の4番目と5番目の肋骨を槍で貫いた。

 

これはこときれた肉体から血は流れ出ないことから考えられた戦場での敵兵の死を確認する兵士の習慣……だが、『神の子』の肉体からは刺した瞬間に、血が――<天使の力(テレズマ)>が溢れ出て、奇蹟を起こした。

 

『アダムの肋骨からイブを作った』と聖書にもある通り、造血組織の含まれる肋骨とは、人の生命源でもあり、『神の子』――<聖人>にとっては<天使の力>を貯蓄する重要な核部位。

 

だから、その核部位――右脇腹の4番、5番の肋骨を取り除き、体内の<天使の力>を抜くと―――同時、<聖人>が復活せぬように栓を塞ぐように、そして、負担がかからぬように刹那の間を空けることなく新たな普通の人間としての肋骨を再生する。

 

即興で無から有は造れず、生命の拒絶反応も防ぐため、また『異能が打ち消されても』対応できるよう、生命力だけでなく『何にでも適応できる万能な上条詩歌自身の肋骨』を材料に、貫き掴んだ掌から体内の構成情報を鳴護アリサに合わせながら『普通の人としての蓋』を造る<不可逆性封印型梔子>は、文字通り『骨身を削る』。

 

ある意味、中断されて正解だったのかもしれない。

 

だが、それが半ばで中断されたとはいえ、それまでに消費した今の彼女には4番の肋骨の一部がない。

 

肉体再生(オートリバース)>という能力で、いずれは再生するのだろうが、罅が入ったり折ったのではなく、抜いた状態という何もないところから、一日二日で直るようなものではない。

 

レディリー=タングルロード自身に戦闘力はなく、上手くいけば交渉で済むと出立前に上条詩歌は言っていたが……

 

 

(止められなかった私が言えることではありませんが、このままでは非常に危険です。正直、不安でたまりません。もし今感じているものが、私が考えているものであるなら、詩歌は負ける)

 

 

だが彼女は、深い闇を覗きこんだ瞳で、誰にともなく呟く。

 

 

(あなたは天才ではない。私よりも多くの魔術師を倒しているわけでもない。天運もなく、身体能力だって常識の範囲を超えない。その右手すら無敵ではない。――――それでも、あなたは彼女にとって、本当に信じられる、最強の存在なのでしょう)

 

 

だから、そこまでは送り届ける。

 

例え、どんなにぞんざいな扱いを受けようと。

 

 

 

『ねーちん、出番だぜい!』

 

 

 

通信からこの無茶ぶりをしてきた同僚の腹立たしいくらいに陽気な声が聞こえれば、天井が開き、迫る宇宙エレベーターに搭載されたデブリ迎撃ミサイル群が見える。

 

賢妹が言う通り、直接乗り込むのは愚の骨頂。

 

この次期主力輸送機関で敗れた2番手の新型シャトルシステム――『バリスティック・スライダー』が、<エンデュミオン>に一矢報いようと飛び立ったのは良いが、残念なことに武装兵器はなく、あっても平々凡々な高校生に機械音痴の修道女の2人には猫に小判な無用な長物だろう。

 

しかしご安心を。

 

『人生と書いて妹と読むシスコン軍師』が『同士』に用意したもしもの際の隠し玉は、どこぞのSFアニメの機動戦士よろしく、この格納庫に待機していた『ガンダ○』ならぬ『カンザキ』。

 

『聖人ボディ』は宇宙服なしでも常人なら即死間違いなしの圧力・外気温に真空窒息な宇宙空間での活動も可能で、生身で大気圏突入にも全然平気。

 

<聖人>としての序列は低く、特殊な力はないが戦闘に特化しており、この程度の障害は一刀に切り開く。

 

 

「……あとで憶えておきなさい、土御門!!」

 

 

機動撫子神裂火織18歳、宇宙へ。

 

 

 

 

 

エンデュミオン 宇宙

 

 

 

「これは、マズい……っ!?」

 

 

シャットアウラの全身から噴き出した凄まじい生命力に、詩歌の顔から血の気が引いた。

 

2度に亘り交戦したシャットアウラ=セクウェンツィアについての戦力分析。

 

多脚型機動兵器はないが、Level4<希土拡張>の高位能力者としての力、<黒鴉部隊>で培われた戦闘技術。

 

実際には見ていないが、そのスーツ――駆動鎧の身体機能強化技術の応用、<発条包帯>を改良したと思われ、そのカーボンファイバー製のナイフの構えからして詳細は不明だが心得がある妙手の域。

 

近接格闘戦に秀でていると思われる。

 

離れても、そのホルスターに拳銃が一丁、それにスーツの左右両手首上下に計4つのアンカーワイヤー射出装置を救助の際に確認している。

 

一番に警戒が必要なのは能力による中距離爆破。

 

希土拡張(アースパレット)>、媒体としたレアアースに体内エネルギーを封入・解放するLevel4、単体で戦略級の大能力者。

 

その腰元のポーチに爆破用のレアアースペレットが収納携帯しており、爆発の規模と指向性も操作可能で応用が利く。

 

その発動方法には能力者シャットアウラとの接触手順が必要であり、ただし、先のアンカーワイヤーはその導火線にも活用可能。

 

性格は至極真面目、兄、上条当麻曰く鉄壁(サイボーグ)の委員長、だが、秩序に病的とも言えるこだわりを持ち、奇蹟という特定のキーワードに我を見失うほど逆上しやすい。

 

脳に障害を持ち、音楽がノイズにしか聞こえず、集中阻害には有効手段。

 

総合的に優秀だが、精神面には隙があり、そこから攻めるのが定石。

 

しかし、ここにきて、その脅威度を修正。

 

漆黒の戦闘スーツの薄地では抑えきれぬ輝きは間違いない。

 

上条詩歌と互角の戦いを繰り広げた極東の女教皇神裂火織を上回る第9位の<聖人>の資質を開花している。

 

……これは昨夜の鳴護アリサの<聖人>封印式失敗により、『本体』であったシャットアウラもまた共振より、鳴護アリサに完成に用いたレアアースペレットの欠片からのパス逆流から<聖人>として覚醒――いや、暴走状態にある。

 

これは完全にこちらの落ち度だ。

 

Level4の<聖人>なんて、学園都市の頂点の超能力者(Level5)よりも戦闘力は超えているかもしれないが―――結局のところやってみなければわからない。

 

この<エンデュミオン>に<聖人>が2人いる状況は、放置もできず、レディリーによって敵と見做されている今、戦うしかない。

 

強敵から昇華した計り知れない難敵を相手にしなければならない。

 

そう、<聖人>の力をまだ把握していない内に。

 

 

「レディリーは絶対に許さない。あいつの計画も奇蹟も全部潰す。だから、お前も殺す!」

 

 

「……本当に、私はそんなに誤解されやすいんでしょうか。……ショックです。ショックですがやるしかない」

 

 

すでに<一方通行>は効果切れで、<調色板>に切り替える。

 

だが、それを装着するより早く、羅刹の如く剥きだした歯を食い縛り目を見開きシャットアウラは発砲。

 

これ以上なく、詩歌の指先目線の動きまで確認できるほどの集中力で、姿を捉えている。

 

なのに、彼女に当たらない。

 

全弾受け止めた、詩歌が操作権を奪い取った魔術の男型自動人形が盾になったことで。

 

 

「その人形が庇うとは、やはり、貴様はレディリーの手先だったんだな!」

 

 

「誤解です、と言っても通用しないんでしょうね、ホント。兄の日頃の苦労に今なら共感できますよ!」

 

 

シャットアウラは拳銃を右腰のホルスターに戻すと、腰のポーチに収納された黒のカーボンナイフを取り出す。

 

影を練りかためた漆黒で、光を全く照り返さない黒短刀。

 

その速度の倍加した一閃は、立ち塞がった自動人形を真っ二つに。

 

返す太刀での死の斬撃を、髪先を切られながら危うく躱す。

 

 

「よく動くな」

 

 

「一発でも貰ったら終わりですから」

 

 

次々と襲う死神の鎌の如き連撃を躱す、その歩法は回避後の体勢まで計算されており、帰化科学的な合理性をたもちながら結んでゆく。

 

たった一歩でも踏み違えれば、この重力の弱い空間で身体均衡(バランス)を失って動きを止めれば、自動人形と同じく真っ二つにされる、超高速の死の舞踏。

 

まだこの速度を扱えきれず攻撃が単調なシャットアウラの短刀を、横殴りの衝撃で軌道を逸らして、返す。

 

絶対に当たると思われた詩歌の足刀の一撃をシャットアウラは紙一重で回避し―――たが、低重力を計算していなかったせいか身体が宙に浮き、体勢が崩れてしまう。

 

それを見逃さず、踏み込み、シャットアウラの顔面めがけて、右腕を突き出す。

 

反射的に傾けた首の横を、傾けた以上の距離で、詩歌の右手がはしり抜ける。

 

最初から外れる軌道で放たれた右手の突きがシャットアウラの耳元を通り過ぎた―――瞬間、

 

 

「―――混成<虫襖>」

 

 

音響手榴弾に匹敵する破裂音が、詩歌の右手から放たれた。

 

大音響による鼓膜の破裂と三半規管にダメージ、そして、脳に聴覚系の障害を持つシャットアウラにとっては唯一の<聖人>としての優れた五感が仇となる弱点。

 

シャットアウラは床に崩れて、がっくりと膝をつき、カーボンナイフを手から落とす。

 

 

「これであなたは今しばらくは立ち上がることすらできません。大人しく話を―――「なめるなァァ!!!」」

 

 

シャットアウラの全身に紋様の如き血脈が浮き上がる。

 

聴覚が麻痺されようが肉体を精神が凌駕しており、またも爆発する生命力。

 

崩れ落ちた体勢から、一瞬にして、詩歌の背後へ回る。

 

 

「後ろ―――」

 

 

「無駄だ!!」

 

 

常人にとっての1秒と、<聖人>にとっての1秒は、選べる選択肢の幅がまるで違う。

 

上条詩歌が相手の動きを先読みする事で反応速度を高めているが、シャットアウラは相手が動いた後から反応しても十分に間に合う。

 

最初に躱されたのは、あくまで自分と詩歌の動作速度を見誤ったが故の間合いの読み違いでしかない。

 

詩歌は、たちどころにまたも驚愕を味わされる。

 

シャットアウラの鉄拳が、賢妹の脇腹に――ちょうど“骨がない”場所へクリーンヒットし、その身体が藁屑のように宙を舞う。

 

あの動き回らずにいられない俊敏な詩歌がスイッチを切られたように空中でうずくまる。

 

その蒼白な顔から悲鳴すら上げられず、左手で右脇腹を押さえる。

 

口の端を拭った右の掌は、赤い。

 

 

 

「奇蹟なんて絶対に起きん! どんな力を持っていようが私の全能力が貴様を撃つ!!」

 

 

 

激痛と苦悶の最中、さらなる追撃。

 

逃げられぬようアンカーワイヤーがその足首を捉え、引き寄せて―――拳打を撃ち込む。

 

ホール全体が、一瞬、震えた。

 

それほどの衝撃か、その華奢な少女の身体に叩きこまれた。

 

手加減なしの一撃に、視界がかすみ、意識が飛びかける。

 

続けて、左の拳を撃ち込む。

 

がはっ、と鮮血がシャットアウラの頬に付着する。

 

間髪を入れずに、シャットアウラは右腕を振りかぶる。

 

右。

 

左。

 

力任せに骨肉を叩く音が、<エンデュミオン>のホールに響き渡る。

 

そして、ついに解放された時、賢妹は後ろに倒れ、壊れたオモチャのように床を転がっていく。

 

5m、10m。

 

力ない抜け殻の体がこのホールのむこうまで飛ばされてようやく止まった。

 

彼女はピクリとも動かない。

 

血色を完全に失った肌は、痛がる様子も、呼吸をしている様子もない。

 

息をしていないということは、死んでいるということだ。

 

固めた拳の先に死の手応えを感じ取りながら、シャットアウラはゆっくりと吐気して残心する。

 

一髪千鈞を引く激闘も、決する時は瞬時の刹那だ。

 

虚しいが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 

シャットアウラの注意が逸れた。

 

まさかその隙を狙い澄ました奇襲があろうとは思いもよらず、次なる驚愕を味わうのが自分の番だとは知らず。

 

背を向けた直後、その背中を貫く電光一閃。

 

 

「ぐっ、甦ってくるとは、貴様も化物か!」

 

 

「違います。あなたが誤解しているだけです」

 

 

ふらつきながらも立ち上がる詩歌。

 

聴覚だけでなく、三半規管が麻痺していることは、それが司る平衡感覚も危ういということ。

 

今のシャットアウラの視界は狭かったり広かったり歪んでいるかもしれない。

 

気力で動いたところで依然平衡感覚はイカレたれたままで、悪酔いしたようにとてもじゃないが動ける状態ではなく、しかもこの低重力空間ではいかに強力でも打点の感触はズレて、攻撃力は下がっている。

 

そして、力なく漂わせているだけでも、舞う木の葉のように、拳圧が強ければ強いほど勝手に身体は揺らぎ、初撃を除き、クリーンヒットはなかった。

 

シャットアウラが丹念に組み込まれた精密機械のように鍛え抜かれたその技量は、一度歯車が狂えば正常には働かない。

 

まして初めての宇宙の低重力空間に補正(アジャスト)するなど至難。

 

ただ、完全にダメージがないわけではない。

 

<暗緑>の物理硬化と肉体再生に全集中を割り振っていようと滅多打ちされたのは事実であり、右脇腹はまだ完全に回復していない。

 

それでも、詩歌は敢然とシャットアウラに躍りかかった。

 

シャットアウラは冷静に迎え撃―――

 

 

(……何っ!? 動きが、重い……―――こ、これは……まさか……!)

 

 

駆動鎧にも採用される戦闘補助機動。

 

その動きをアシストするはずの特殊スーツが着用者の動きに逆らうように収縮する。

 

そう、先程の電光が、装着した者の僅かな筋肉の動きから自動で電気信号の指令を出すプログラムを混乱させた。

 

そして、今度は詩歌の拳打が、その右脇腹を弾き、まるで楽器の代わりに肋骨を叩く。

 

医者が患者に聴診器を当てて打診をしているように、体内で浸透した音が響き、それが音波特化の能力で増幅され、複雑に掻き乱されて―――転倒する。

 

内臓がねじれていくような違和感とともに、痺れに似た脇痛が生まれ、脂汗が額に浮かぶ。

 

反射的に、機能が無事だったアンカーワイヤーを後方に放ち、それに引っ張らせて退避する。

 

詩歌は、追わない。

 

今ので、右腕を振るい、右脇腹の筋を無理に引っ張ったせいで、詩歌も体内で激痛を暴れさせている。

 

 

「もう一度、いいます……これ以上は無駄です、シャットアウラ。どんなに猛ろうと暴走した力は、動きを阻害するしかない」

 

 

「だから何だ! 何がどうなろうと私は奇蹟の全てを破壊する! 奇蹟など必要ない! 私の父親は、奇蹟に全てを奪い取られた!!!」

 

 

咆えた後、シャットアウラは呼吸を整えながら自身の損耗を確認。

 

感覚、神経、内臓、スーツの駆動補助共に乱され、まだ把握するには時間がかかる。

 

攻撃の打点も掴めず、短刀も落し、この状態で拳銃は当たらない。

 

だが、そんなのは関係ない。

 

まだ整え終わっていないのに、復讐者は咆え猛る。

 

 

「だから、潰す! 奇蹟は私の手で必ず潰す!!」

 

 

ポーチに手を入れ、掴んだのはレアアースペレット。

 

シャットアウラの<希土拡張(アースパレット)>。

 

手榴弾のピンを抜くように、封入させたエネルギーを解放させ、距離感関係なしにホール全体を蹂躙する爆発を起こす。

 

 

「―――混成<菖蒲>」

 

 

詩歌の周囲と、開始から着々と展開していたホール全体に張り巡らされた空の障壁が、爆撃を防ぎ、<エンデュミオン>を守る。

 

詰んだ。

 

これであとは――――と、詩歌はまたも見誤っていた。

 

シャットアウラ、ではなく、上条詩歌自身の状態を。

 

最後に抑え込もうとした寸前に、詩歌の体から力が抜けた。

 

その時になって、不眠不休で身体の一部が欠損したことをアドレナリンで紛らわせていた己の状態を把握した詩歌はさみしげな笑みを浮かべた。

 

時間がもう少し、あれば―――

 

ほんの少しだけ、自分に時間が残されていたなれば―――

 

だが、戦いに“もしも”はない。

 

これが上条詩歌の限界だった。

 

ピキッと<菖蒲>の障壁にひびが入る。

 

 

「本当……今回は、最後の最後で、失敗ばっかり……」

 

 

一滴の涙が、詩歌の頬を伝った。

 

だが、それでも詩歌は前に出るしかなかった。

 

こんな時に後ろに下がる姿は、残念ながら見せてもらった事がない。

 

 

―――動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け!

 

 

シャットアウラを封じ込めることならば、出来ると思ってた。

 

だが自分自身で思っていた以上に―――詩歌の体と頭は、力がつき果てようとしていた。

 

こんな場合じゃないのに、一気に眠気が押し寄せてくる。

 

最後に寝たのはいつだっけ? と今更そんな疑問が浮かぶ。

 

詩歌の眼前で、混乱が解け始めているシャットアウラがこちらへ右腕を向け、アンカーワイヤーが飛ばされる。

 

集中力を失い、障子紙のような防御力の空壁では容易く突き破られ、アンカーワイヤーは詩歌の体を何重にも縛りつけていく。

 

 

「これで終わりだ!!!」

 

 

新たに掴み取ったレアアースペレットに異変。

 

亀裂が生じ、極限まで高まる内圧を調節するように、そこから凄まじい蒸気を噴き上げた。

 

先程のとは比べ物にならない圧に、無言で目を見張る詩歌。

 

魔術を知らなくても扱えずとも、<希土拡張>は希土類にエネルギーを封入解放させる己の生命力を扱う力であり、<聖人>の莫大な体内エネルギーとは相性が良い。

 

その気になれば、『核兵器』に例えられる<聖人>の力を“証明”できるかもしれない。

 

今すぐここから逃げるべき。

 

だが、逃げればこの爆撃を誰が受け止める?

 

こんな時にふと浮かぶのは、やはり―――の背中だった。

 

そこに己の甘えと、それを糧に再び燃え上がらせる決死の集中力。

 

 

「無駄だと分かっていても、逃げるわけにはいかない」

 

 

詩歌はレアアースペレットに立ち向かうようにして、起立し

 

 

「―――千入混成<菖蒲>」

 

 

ホール全体に張り巡らされた障壁を厚く、そして、空間を狭めて円筒形に。

 

爆発の衝撃のベクトルを最小限の被害に抑えるべく。真正面に更に厚く、強固にした盾を前に構えた己と相対するように誘導する。

 

 

 

 

 

――――――――――――そして、閃光。

 

 

 

 

 

全てが光に溶けるその刹那に見たそれは、爆撃というよりは、厄災に近い。

 

膨大な生命力を圧縮し、破壊に変換したそれは、詩歌が展開した防壁の(くう)を揺るがす。

 

暴風と高熱を残骸として巻き散らしながらも、食い止めている。

 

より高度に組み上げた<菖蒲>――完全なる『空気の盾』を作り出し、あらゆる衝撃を隔絶する力は詩歌を守護し、<エンデュミオン>を破壊しようとする爆撃に対抗する――――!

 

だが、爆撃は抑え込もうとする防壁さえも圧倒する。

 

詩歌の苦痛に歪む顔は、想像を絶する頭痛に耐えてのもの。

 

空壁を少しずつ食い破りながら、詩歌の体を宇宙空間と隔てる凄まじく厚いガラスへ押しつける。

 

 

「……がっ!」

 

 

肉体強化の<暗緑>を切っている詩歌の肉体は、生身の体である。

 

激突の余波の衝撃でさえ、全身の骨がイヤな音を立てる。

 

 

「潰れろォォ!!!」

 

 

詩歌の意識が急速に遠のいていき―――暴走した<天使の力>の爆裂が圧倒した。

 

神は都合良く人を救いなどしない。

 

そして裁きの槌に如き轟音を立て、<エンデュミオン>の一部を薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

世界がねじれるような爆発的な雑音。

 

そして肺を搾るような嘆き。

 

 

《本当、今回は、最後の最後で、失敗ばっかり》

 

 

肺や気管の中、鼻腔や口腔の中、耳の穴の中、上条当麻の体内のあらゆる気体が一斉に妹の悲鳴を伝えた。

 

全身の血が、おそらくその瞬間の詩歌と同じであろう体温に、血圧が引きずられて暴れ出す。

 

 

「とうま!?」

 

 

猛烈な頭痛と不整脈に、気が遠くなりしゃがみこむ。

 

これは幻想。

 

ただの錯覚。

 

愚兄の恐怖。

 

なのに、砕けた荒波に引き込まれかけたように、その情報を悪夢だと理解したはずの頭が、数秒遅れでそれを言語化する。

 

 

《もう、眠い。辛い。熱い。痛い。苦しい。休みたい。でも、謝るまでは、頑張んないと―――――――――――お兄ちゃんに、ごめんなさい、って》

 

 

視界から光は断線し、息も止まった。

 

圧倒的な爆発の、余波を伝達されて、当麻は総身を震わせた。

 

この数秒間で、十年ほども年を取ったようだ。

 

別人のもののように、身体が動かない。

 

たぶん外からはっきり分かるくらいひどい状態なのだろう。

 

インデックスが、心配そうに愚兄の顔を覗き込んでいた。

 

 

「大丈夫、とうま?」

 

 

「ああ。違う。……絶対に、そんなことが……」

 

 

瞬間、<エンデュミオン>全体を震わす大きな揺れ。

 

まるでこの近くで大爆発が起きたような、断末魔が聴こえたような。

 

両手で顔を覆いたいがそれよりも、爆発に体を崩すインデックスの体を抱き寄せる。

 

まるで水でもかぶったみたいに、冷たい汗がびっしりと浮かんでいた。

 

 

「詩歌」

 

 

それでも、自然に口は動く。

 

 

「……それでもお前は、俺を呼んでくれたんだな」

 

 

まだ、間に合う。

 

上条当麻は、都合良く現実が運ぶとは期待していない。

 

それでも、願いを念じる。

 

人間が試される時、最も厳しい瞬間は、戦場の狂騒にはあらわれない。

 

本当の地獄は、修羅場へどう飛び込むかと、そこで深手を負った後、どう立ち上がるかだ。

 

その時に、己の中の一が支えとなってくれる。

 

Level0の自分が、たった一つにかけたもの。

 

信じよう。

 

まだ足は前に進んだ。

 

人間ひとりにできる事なんて、小さいものだと分かっている。

 

それでも、止まらなかった。

 

その一が折れたかと確認するまでは、この修羅場から逃げるわけにはいかない。

 

愚兄の足を動かしたのは、当麻自身にも理解できない妄念だ。

 

 

「……二手に別れよう」

 

 

今度こそ間違えるわけにはいかない。

 

ここで己の不安で全部を台無しにするわけにはいかない。

 

どこにいるかも分からない妹を捜すよりは、アリサの場所を、そして、この<エンデュミオン>の核を突き止める。

 

それが最善だと、自分で言い聞かせる。

 

 

「お前は魔術の起動を止めてくれ。俺はアリサの所へ行く……詩歌もきっとそこに来るはずだ」

 

 

「うん! 絶対にアリサを助けようね! 約束したんだよ。あの歌ができたら、2人で歌おうって」

 

 

「ああ、アリサを救って、詩歌にぶん殴ってもらう」

 

 

だから、ここで止まる訳にはいかない。

 

当麻とインデックスは二手に別れて動き出す。

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。