とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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天塔奇蹟編 希望と絶望の不協和音

天塔奇蹟編 希望と絶望の不協和音

 

 

 

???

 

 

 

「なあ、詩歌。答えろよ。本当はアリサの力のこと知ってたんじゃねーのか?」

 

 

陽が落ちて、すっかり暗い街。

 

 

「ならなんで、俺に言わないんだ。聞いたよな。本当にアリサの歌に力があるのかって」

 

 

愚兄は促したが、それでも彼女は口を割らない。

 

辛抱強く愚兄は待つ。

 

路上で向かい合う2人を奇異の視線で眺める通行人もいたが、愚兄が睨みつけるとすぐにいなくなった。

 

空は曇天。

 

静かな暗さ。

 

今日のニュースを読み上げる音声が、何処からか聞こえていた。

 

少女はようやく顔をあげると、こう言った。

 

 

 

 

 

「それは当麻さんが……………Level0だから」

 

 

 

 

 

それを聞いて、その答えに愚兄は俯く。

 

 

「……そうかよ。わかった。詩歌が本当は俺のことを頼りにしてねーのが」

 

 

「ちがっ……」

 

 

「違わないだろ。Level0って、無能(そういう)意味じゃねーのか」

 

 

「私は決してそんなことは考えていません、考えません」

 

 

「なら教えろよ。詩歌が知ってることを」

 

 

「……言えません。教えても仕方がないです。そういう類のものではないんです。当麻さんが知っても、無駄で無意味です。ちゃんと時期が来れば話しますから、今は私を信じてください」

 

 

「だったら、まず俺を信じろよ!!」

 

 

じれたくなった愚兄は声を荒げたが、それでも彼女は口を割らない。

 

もとよりこの少女に恫喝など通用するわけもない。

 

だが、

 

 

「知ってんのに教えないって、教えても意味がないって、本当に馬鹿にしてんだな。ふざけんな。俺も、アリサのことも全部Level0だからって、そんな理由で片付けんじゃねぇ!」

 

 

だが、今日は我慢できなかった、許せなかった。

 

 

「アリサはな、3年前から記憶がなくて、それでも歌を歌えばなくした『何か』を取り戻せるかもしれないって頑張ってんだぞ! 『過去』がない奴は皆不安なんだ! なのに、何で黙ってんだよ!!」

 

 

彼女は知ってるのに、アリサに何も教えない。

 

それが。

 

もしかすると、上条当麻の『過去』も知ってるのに教えてないことがあるんじゃないかって。

 

 

「……どうあっても無理だからです」

 

 

「無理、だと?」

 

 

「無理です。これ以上は言えません」

 

 

「ふざけんな! 意味不明なまま納得できるはずがねーだろ! アリサの気持ちが分かんねーのか!」

 

 

「私だって……全部を知りません。ですが、想像はできます。アリサさんは、『過去』を思い出すなど不可能で、思い出さない方が良いんです」

 

 

無駄、無意味、無理―――その言葉が最も似合わないであろう彼女からの真剣な面持ちで繰り返される宣告。

 

それが、ますます腹立たしくて。

 

彼女には、『過去』を忘れた不安を分かってほしかったのに。

 

 

「もういい。俺はお前のお兄ちゃんにはなれないのがよくわかった」

 

 

「えっ……」

 

 

とんとん、と頭を指で叩きながら、

 

 

「ああ、仕方ねーよ。Level0だし、一番大事なここが足りてねーんだから」

 

 

その瞬間、その瞳に深い哀しみが広がり、その場で崩れ落ちた。

 

あんなに、強くて、凛として、完璧であったのに、小さく肩を震わせる。

 

弱々しくて、まるで別人のように儚くて。

 

世界中の不幸を一人で背負っているかのように、悲しげ。

 

それでも抱え込む彼女と対峙するのが、我慢できず背を向けて、

 

 

「……一人で勝手にやってろ」

 

 

冷たい声で愚兄は告げる。

 

そのまま去っていく愚兄を、少女はその場に縫いつけられたように、ただ、見つめる。

 

 

 

 

 

RFO

 

 

 

ジェット旅客機の操縦席を思わせる半球状の個室には、傍目には意味不明な数字の羅列、データの解析結果、テストプログラムの構造などを映す無数のモニタが有機的に設置され、キーボードやトラックボールなどの入力デバイスが、パイプオルガンの鍵盤のように何層にも積み重なって並んでいる。

 

まるで機械に埋もれてしまっているかのような圧迫感のある部屋だが、木山春生が覗く限り、そこに座する少女はあまり窮屈さを覚えていないようだ。

 

 

「………ん。これならいけそうですね」

 

 

本来、このヘッドフォン専用の調整器具だった電子盤の携帯簡易型の調子を確かめると、詩歌は僅かばかりに望みが見えたとその眼差しは満足の色を示す。

 

 

「ありがとうございます。木山先生、注文通りです」

 

 

「それほど難しい注文でもないさ。一昨日突然、お願いされたが、一体、それを何に使うつもりかな、詩歌君」

 

 

顔立ちは整っているが、アイライナーどころか口紅すら使わない艶とは無縁な研究者気質な女性。

 

この教育機関に務めて日も浅く、木山春生は能力者が無自覚に周囲に放出しているAIM拡散力場を専攻する元大脳生理学の研究チームを率いた若き学者であったのだからそれも当然であろうか。

 

だけど、その目元にあった隈は薄まってきている。

 

 

「来年の<学究会>にでも参加するつもりかね。君がここでやってきたことは発表すれば良い線いくと思うが。同年代で『開発』の分野においては右に出るものがいないだろう」

 

 

「あはは……それは木山先生と布束先輩の協力があってこそのものですし、私個人で発表していいものじゃないですよ」

 

 

そうか、と木山は一仕事後のコーヒを啜る。

 

この子は学内の成績を除き、公式に優等な成果を上げている証がない。

 

あの『派閥』とかいうのにも所属していないし、時々頼られた他生徒の論文を手伝ったりしているがそれに名を連ねることもなく、能力開発の協力もその生徒の成果であり、全て非公式で<書庫>には登録されない。

 

結局は『誰かの為』、言い換えれば『誰かの代わり』にしか働いていない。

 

本人は否定するだろうが、天才なんて幻想が剥がれれば、上条詩歌は名誉を欲せず、その不幸を担う『奴隷』だ。

 

これが幼いころからの人格形成によるものなら一体どこの人間を参考にしているかは知らないが、普通じゃ考えられないし、耐えられないのに彼女は“この程度の異常は普通”と“普通に満足”している。

 

 

 

「じゃあ、そろそろ待ち合わせなので」

 

 

 

 

 

街中

 

 

 

「それじゃあ、今日からアリサはカナミンになるの?」

 

 

「んー、どうだろ? テレビ出演はまだかな」

 

 

今日は『オーピッド・ポータル』との契約と宣伝。

 

小萌先生からの補習で当麻は身動きが取れないが、詩歌とインデックスが付き添いに、そして応援に、

 

 

「やっほ、お待たせ」

 

 

一緒に学生寮を出て、アリサとインデックスが待ち合わせながらお喋りしていると向こうから誰かが呼びかけてきた。

 

混雑した街中でも良く響く、透明感のある声だ。

 

その声につられて、そちらに振り向くと視界に映るのは手を振りながら歩み寄る女の子。

 

快活な雰囲気の娘は、とある一件でアリサと知り合いになった常盤台中学の電撃姫――御坂美琴。

 

そして、その周りに、

 

 

「こんにちは~」

 

 

やや間延びした声で挨拶する車椅子を押す頭に乗せた花畑のような花飾りが特徴的な女の子に、その車椅子に座し、静かに品のある一礼をする美琴と同じく常盤台中学の制服を着る両サイドで栗色の髪を束ねたツインテールの女の子。

 

 

「こっ…こんにちはっ!」

 

 

そして何やらとてもカチコチしている車椅子を押す娘と同じ制服の黒い長髪の女の子。

 

何でそんなに緊張しているんだろう? と首を傾げるアリサだが、その疑問は美琴の言葉ですぐに氷解。

 

 

「ごめんごめん。あなたに会うって話したら皆どうしても会いたいって言うから。特にこの娘、佐天さんが『ARISA』の大ファンなの」

 

 

初春飾利、白井黒子、そして、佐天涙子。

 

特に美琴の紹介に佐天はびっくりしたように首を振る。

 

この中でも噂話や流行に敏感な佐天だが、やはり一ファンとしてまだ生まれたばかりのスターとはいえ、ストリートのタマゴのころから応援していた将来の大スターとなるアーティストとのご対面には緊張するのだろう。

 

 

「お待たせしました、アリサさん、皆さん」

 

 

そして、最後に楽器ケースを背負った少女――頼りになるマネージャーの詩歌が合流。

 

ちょっと大所帯かもしれないけど、初めてのデビューにこの応援団はとても心強い。

 

 

 

 

 

とある高校

 

 

 

今頃アリサはちゃんとやってかなーとか、インデックスは迷惑かけてねーかなーとか、まあ詩歌がいれば大丈夫かーなどと思うこのごろ。

 

 

「………だからな、カミやん! このアリサちゃんを支援するのは、このゴスロリ美少女社長なんや!」

 

 

口角泡飛ばして熱弁を振るうのは、『カミやんだけに独り占めさせん!』と補習を受けている青髪ピアス。

 

これはただ単に勉強熱心ではなく、怒られたいがために夏休みの宿題を全部やって敢えて忘れるという前科持ちの変態紳士は、この合法ロリ先生の授業が楽しみなだけだ。

 

小萌先生が補習用の教材を取りに行っているまでの間に、この男はよう語る。

 

 

「なあ、昨日はアリサについて語って今日はそのゴスロリ社長って、お前は見境なしのナンパ野郎なのか」

 

 

「ふっ……僕は浮気なんかせえへん。全員に本気や。まあ、たった1つに操を立てようとするその純粋さが悪いとは言わへんけど」

 

 

その範囲がたったひとつの死球を除き、ボール球だろうと全打可能な奴だとは思っていたが、どうやら狙い球に絞るようなタイプではなく、敬遠球だろうと来た球を打ちにいって三球三振するような積極的なタイプでもあったらしい。

 

ただし、その打率が良いとは言わないが。

 

 

「3年前のオリオン号事件のせいで倒産状態になった『オーピッド・ポータル』を買収して、宇宙エレベーターに奇蹟的に復活させ、そして、未来のスーパースターアリサちゃんをスカウトしたその手腕! 宣伝用のホログラフとかロボットとかも知れないって噂されてるけど、まあそれはそれでありやけど。僕もゴスロリ美少女社長レディリーちゃんに雇われたいわー」

 

 

「……いや、待て。テレビで見たことあったけどあの俺の妹の好みドストライクな10歳くらいの小学生にしか見えないお飾り社長が、3年前から社長やってんのか!?」

 

 

いくらなんでもウソだろ。

 

実年齢は上かもしれないが、あのお人形のような子が3年前から社長やってるなんて。

 

 

「はーい、これから補修始めますですよー」

 

 

いや、あり得る。

 

ガラッと複数の教材をおっととと運びながら入ってきた見た目小学低学年の熟練教師を見て、世の中にありえないものはないんだな、と当麻は考え直す。

 

 

 

 

 

会場 裏

 

 

 

―――わっ!? と美琴達が驚く。

 

 

そのびっくりの原因は、会場準備に追われる裏方の資材置き場に置かれた人形―――ではなく、座っていた少女。

 

 

「はじめまして、アリサ」

 

 

音もなく立ち上がり、こちらへ微笑を浮かべたその少女は、この人の手に塗れた俗世にはあまりに不似合いで世界にまぎれた異物のよう。

 

どこか生物としての匂いが希薄な、透き通る白い肌に色素の薄い金髪碧眼。

 

顔の輪郭も体つきもとにかく小柄で、そのマントに小帽子の飾りに黒と白のチェックなゴスロリチックな服装も相俟って、まるでアンティークドール。

 

最後尾に歩いていた詩歌が気づくまでは本当に人形だと勘違いしていた程、人間離れした容貌。

 

その一方、威厳のあるカリスマに謎めいたミステリのある雰囲気を持ち、その瞳はどこかその容姿とは似合わない退廃的な輝きが宿ってるようで……

 

レディリー=タングルロード。

 

破綻しかけた会社を持ち直させた天才的な経営手腕を持ち、宇宙工学にも博識だと言われる<エンデュミオン>を建設した『オーピッド・ポータル』の社長。

 

で、『ARISA』、鳴護アリサの雇い主。

 

その意図せず人形のフリをしていたドッキリに驚いている間に、レディリーは待ち人のアリサに用件の顔合わせの軽い社交辞令の挨拶をすませる。

 

 

「あなたの歌、好きよ。こんなに気に入ったのはジェニー=リンド以来かしら」

 

 

「かの有名な『スウェーデンのナイチンゲール』をお気に入りとは、随分とジョークがお好きのようですね、レディリー=タングルロード社長」

 

 

レディリーに反応したのは、アリサではなく、後ろに控えていた詩歌。

 

 

「あら、何か変なこと言ったかしら?」

 

 

「お言葉ですが、ヨハンナ=マリア=リンド。一世を風靡したスウェーデンの有名なオペラ歌手ですが、残念なことに彼女が活躍したのは音を記録する蓄音器すら発明されてなかった19世紀。現代では聴くことは不可能な幻の歌声ですよ」

 

 

まるで答案に書かれた間違った解答を指摘するように軽い調子で言ってから、微笑みながら、

 

 

「ですが、訂正は必要ありません。私もアリサさんのもそんな人々を魔法のように魅了する歌声だと信じていますから」

 

 

レディリーは呼吸を止めて、詩歌、それからインデックス、と初めてアリサ以外の人物を視界に映しながら、息と言葉を同時に漏らす。

 

 

「……へぇ」

 

 

心底感嘆するような口調。

 

それは、自分と同種の匂いを、または相容れない平行線の異種の匂い嗅ぎ取った反応か。

 

 

「あなたは?」

 

 

「アリサさんのファンの上条詩歌です。今日はよろしくお願いします」

 

 

「ふぅん。挨拶返しに売り込んでくるとは中々有能ね。マネージャーとして我が社で正式に雇ってあげましょうか」

 

 

「またまた御冗談を」

 

 

「いいえ、本気よ」

 

 

「学校が基本労働禁止なので」

 

 

「そう、残念ね」

 

 

微笑と会話を交わす2人。

 

アリサは一瞬緊張したが、彼女達はそれ以上は何も言わなかった。

 

 

「がんばってね」

 

 

と、去り際に最後にアリサに告げるとレディリーは立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

「「「えーーー~~~っ!? 今のが」」」

 

 

あの噂のゴスロリ美少女社長とのだった、とややテンポが遅れて騒ぐ佐天、初春、アリサら。

 

それを黒子がやれやれといった調子で眺め、そして、美琴は、

 

 

「どうしたんですか、詩歌さん。いつもなら、もっと、こうはしゃぐかと思ったんですが」

 

 

「私は小さくて可愛い子は好きなんですけどね。それでも限度というものがあります。私もまだ小娘ですが、あんな達観した笑みは10代の人間が作っていいものじゃない。流石は凄腕の社長ですね」

 

 

そして、気に入らない、とまでは言わない。

 

『上条詩歌』として、あのレディリー=タングルロードは決定的に致命的に破滅的に合わない。

 

社長として、挨拶と激励、これから看板になるアイドルのタマゴを視察しにきたのは、道理に適っている。

 

適っているのだが、詩歌には“視察”というより“観察”、というように見えて、あくまでまだ直感だが、奇妙で、どこか寒々しい―――策略の臭いがした。

 

 

「それでインデックスさんはどう思いましたか?」

 

 

「うん。今の子がアリサをカナミンにしてくれる人なの?」

 

 

「カナミンって、ねぇ、アンタ。確かにあのゴスロリ社長は非現実的(オカルト)なキャラだったけど女の子をお姫様にしてくれる魔法使いじゃないわよ」

 

 

「ええ。彼女、レディリー=タングルロードさんが『オーピッド・ポータル』の敏腕社長で、アリサさんをトップスターにしてくれる人です」

 

 

「トップスター、ってまだなったわけじゃ……」

 

 

「いやいやアリサさんなら絶対になれますって! あの『オーピッド・ポータル』を復興して今や宇宙エレベーターを建設したゴスロリ美少女社長に応援されるってことはきっとアリサさんの資質があるってことだとあたしは思います!」

 

 

「はんっ。ただのお飾りじゃありませんの? 『ゴスロリ美少女社長』なんて盛り過ぎて胡散臭いですし」

 

 

「『包帯ツインテール車椅子』ほどじゃないですよ~?」

 

 

「初春ぅ~?」

 

 

インデックスは少し頭の中で反芻するように思考を深めてから、

 

 

「短髪の言う通り、魔法使いじゃないかも。最初は私もあまりに何も感じなかったからお人形さんかと思ったけど」

 

 

それに詩歌も同意。

 

『魔道図書館』としてインデックスは全く魔力を練ることができないが、魔力を感知することはできる。

 

むしろ、インデックスは常人より敏感。

 

濃い味付けに慣れた人の舌は微細な味付けの変化に気づけないのと同じように、インデックスは魔力を練る力が一切ないからこそ、薄味の微細な変化にも気づける。

 

だけど、レディリーは不自然なくらいに味がなかった。

 

詩歌も、無風と言っていいほど体外に発散される生命(マナ)の流れを感じなかった

 

それはつまり直接対峙すれば脅威ではないことなのだが、不気味さを覚える。

 

そして、何より……

 

 

「それにしても詩歌さん、あの美少女社長、結構冗談が好きなんですね」

 

 

「ええ、涙子さん。本当に冗談なのか分からないくらいお上手でした」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……まさか、彼女―――がいたとはね。けど、何も分からないでしょう。だって、まだないんだから」

 

 

『オリオン号事件』と共に地に落ちるはずだった『オーピッド・ポータル』の命脈を保ったのは、乗客乗員“88人”が助かった<88の奇蹟>のイメージ。

 

そう、『奇蹟』こそ『地獄』から救ってくれる唯一の力。

 

<エンデュミオン>―――人類最新の技術により甦った、人類最古の幻の建造物『バベルの塔』だと良く例えられるけど、重要な部品(ピース)が足りない。

 

紀元前6世紀、新バビロニア王国第二代国王ネブガドネザル2世が目指した階段状神殿(ジッグラト)

 

螺旋状に巨大な塔を建て、その頂に神様が降臨できる『神の門(バブ・イル)』を作ろうとしたのだが、神様からすれば人の身で天に近づこうとすることは酷く愚かで傲慢な振る舞いであり、塔を壊し―――そして、人間が二度と一つにまとまらないように、“言語を乱した”。

 

人類で他種族との意識の共通を害する断絶の壁である最大の違いは髪の色や肌の色ではなく、『言語』。

 

神様は、天にも届く巨大建造物さえも建ててしまうという『奇蹟』を起こしてしまう人間の“意思疎通”を恐れたのだ。

 

そうして『秩序』が最もよく保たれていた統一言語がなくなり、人類の間に不協和音が生まれ、塔の建設――『奇蹟』を起こすことをやめた。

 

神の門(バブ・イル)』は旧約聖書で記述者がヘブライ語で『混乱(バラル)』ともかけられ、シュメールの階段状神殿(ジグラッド)は『バベルの塔』として有名になった。

 

つまり、重要な部品は、神々が恐れた人々の意思を1つに統一させる『言語』。

 

 

「<88の奇蹟>で誰もが『助かりたい』と意思を1つにしたように、大勢の人々を1つにする『言語』――人に共通する統一の音色の代用品(コピー)――それこそが『奇蹟』を最大の売り物にする我が社が求める人に幸運を呼ぶ『奇蹟の歌声』」

 

 

産まれたばかりの雛に鳴くことはできても、鳴き方は理解できていない。

 

残念なことに。

 

資質があっても、

 

己を理解してなければ不安定。

 

歌声があっても、

 

聴く者達がいなければ無意味。

 

非凡であっても、

 

実行性が伴わなければ未完成。

 

であるならば、

 

 

「我が社が総力を挙げてサポートしてあげる」

 

 

この黄金の林檎をより美味しく、そして自分好みに味付けをするのは自分の仕事だ。

 

 

 

「フフフ……私の希望と夢を叶えてくれる『奇蹟の歌姫』としてね」

 

 

 

 

 

ショッピングモール 会場

 

 

 

その少女が紡ぎ出す歌声は、聴く者の心に沁み渡り、その心を丸裸にする。

 

イベントを観に来た者だけでなく、買い物に来た者達も誰もが足を止める会場、足音で消さないよう一音一音を聴き逃すまいとするかのように。

 

誰もがとても満足そうにその音色に聞き入っている。

 

そして―――

 

舞台中央で、その歌声を披露するのは今をときめく歌姫。

 

その背後で、まるで長年組んできたかのように滑らかな動きで、指先が鍵盤を叩き、華やかな音の奔流が溢れだす少女。

 

鳴護アリサという大輪を引き立たせる月見草のようにその歌声を伸びやかに煌びやかにするよう伴奏を弾く。

 

 

(―――すごい。演奏技術もそうだけどこんなにも私と合わせられるなんて)

 

 

事の始まりは、愛用していた楽器機材、キーボードを壊されてしまった一昨日の襲撃。

 

当然、オーディションには受かったけどデビューはまだ、Levelに比例して奨学金の支給額が変わるこの学園都市でLevel0のアリサに新しい物を買える余裕はない。

 

だけど、これからプロのアーティストとなる者として手は抜けない。

 

そういうわけで今回の初めてのデビューミニライブでは、生ではなく、あらかじめ録音してある伴奏で、歌と振り付けで盛り上げようかと昨日は部屋でインデックスちゃんと練習したけど、

 

 

『そういえば、しいかもピアノって弾けるんだよね』

 

 

『あ、じゃあ、詩歌さんが引きましょうか?』

 

 

そう、提案され乗ってみた。

 

演奏技術については伝聞で知っていたし、本人から自身の曲についても歌うのは無理だけど伴奏ならできる。

 

だから、もしディレクターの人にOKもらえたらやってみようか、って話になり、

 

 

『それじゃあ、この可愛い応援団も追加しちゃわない』

 

 

と、インデックスちゃんに御坂さん、佐天さん、初春さんまでも(白井さんは車椅子の為見学でカメラ役だけど)キャンペーンガール要員として巻き込まれた。

 

これも今イベントは慣れるためのものである意味お遊びできる余裕があってこそだろう。

 

おかげで初めてのプロとしての仕事だったけど、伴奏を任せ、歌に集中できるだけでなく、皆が側にいてくれて、さほど緊張することなく、いつものように、いつもよりも楽しく綺麗に歌が歌えている。

 

 

(本当……今日限りというのが残念なくらいに、歌うのが楽しい!)

 

 

人にだけでなく、世界にも響かせるように。

 

 

 

 

 

 

 

音の洪水で静まり返る店内。

 

 

「―――っと、青髪ピアスの馬鹿話に付き合ってたら遅くなっちまったか」

 

 

補習後すぐにこの今日宣伝のミニライブが行われるショッピングモールへと直行した上条当麻。

 

 

(まあ、インデックスが少し心配だが、やる時はやる奴だし、詩歌もいる。それにアリサと知り合いだっつう御坂(ビリビリ)も呼んでるみたいだし、何も心配はいらないだろうけど……)

 

 

プロポーションイベントのステージ中央でその歌声をいつも以上に響かせる主役のアリサ。

 

マジシャンを思わせる大きめのシルクハットの帽子飾りに腰から広がる美しいテールと胸元のリボンがアクセントの燕尾服のコスチューム。

 

グローブで腕を、タイツで脚を隠し、肩だけワンポイントでチラリと見せて、ミニスカートに鮮やかな赤を配す、とても女の子らしさを強調している。

 

踊りつつも時々観客やカメラマン達に笑顔で手を振り、もう片方の手でマイクを握り締めて動きながらすごく楽しく歌う。

 

それをサポートしているのが、舞台の隅で電子キーボードを弾く妹。

 

歌声を消すほど大きくもなく、雑音に溶けるほど小さくもない。

 

今日まで只管にダウンロードしたアリサの曲のリズムを体に刻み込んだ成果で、その天まで届くような透き通る声に柔らかく調和するように伴奏に徹し、だけどきちんと静かな微笑は絶やさない。

 

……何故か御坂やインデックス達も舞台に上がっているが、まあ楽しそうだ。

 

そして、観客達全員はアリサに夢中―――のはずだが、ただ一人だけ。

 

誰もが足を止めてその音色に呑み込まれている中だからこそより目立つ、彼女だけが顔を険しく歪めて、会場を後にする黒装束。

 

 

(あいつは前の……!)

 

 

そう、あの夜であった特殊部隊の少女。

 

 

 

 

 

会場 地下

 

 

 

人の気配のない地下駐車場。

 

誰もが表のイベントに気を取られ、裏の戦いには気づかない。

 

 

「鳴護アリサは我々<黒鴉部隊>の庇護下にある」

 

 

少女は、細身だが身長190cmを超える巨躯の男――マントに覆面をつけた襲撃者を睨んで警告する。

 

男は、まるで聞いていなかったようにそんな彼女を無感情に眺め、少女は重心を低くした。

 

 

「この警告を無視するのなら―――全力で排除する!!」

 

 

爆発したような勢いで猛然と加速し、少女は疾走った。

 

少女自身の秀でた近接戦技術だけの話でなく、この黒衣のライダースーツは駆動鎧の身体補助機能強化技術を応用した特殊スーツ。

 

極限まで金力を増幅された彼女の踏み込みで、路面が揺れ、大気が軋む。

 

それに更に捻り込みを加えた裏拳。

 

特殊強化スーツによってアシストされたその裏拳の威力は、大人を軽々と吹っ飛ばせるレベルだ。

 

しかし、男はその巨体から想像もつかない敏捷性で躱した。

 

そして、続く二撃目を跳んで―――軽々と3m近い天井に“踏み込ん”で、反撃。

 

攻撃を終えた直後の少女の体へと、その長い脚からの強烈な飛び蹴りがくる。

 

少女は、回避不能の攻撃を強化スーツのアシストを得て腕を十字にクロスガードで受け止め―――飛ばされる。

 

敢えて飛ばされて、距離を稼いだ。

 

あの男を相手に、いかに特殊戦闘スーツで強化してようとも格闘では分が悪い。

 

単純なスピードでは負けないが、少しも感情が―――動きが読めないのだ。

 

中距離からの一撃離脱で仕留めるべきだと判断したのだ。

 

 

カンカンカン―――

 

 

ばら撒いたのは、<希土拡張>よりエネルギーを封入した携帯用のレアアースペレット。

 

それらにこの<希土拡張>専用特殊スーツの手首に計4つ仕込まれている射出装置からアンカーワイヤーを発射―――レアアースペレットと接続―――<希土拡張>起動解放。

 

少女の両目が無機質に発光した途端、レアアースペレットが一斉に爆発。

 

その瞬間、少女の動きが僅かに止まる。

 

人間であるならあの爆発に巻き込まれてただでは済むまい、と油断したのだ。

 

その一瞬の隙を仮面の男は見逃さなかった。

 

爆発の煙幕の中から飛び出すと同時に襲撃。

 

 

「!!」

 

 

今度はガードが間に合わず。

 

爆発による煙で視界が塞がれ、察知が遅れたのだ。

 

少女の身体は勢い良く地下の支柱にぶつかり、男はさらに追撃を仕掛ける。

 

 

「しまっ―――」

 

 

表情が凍りつく。

 

この近距離で爆発を起こせば自分も巻き込まれるだろうし、後ろは壁で後退もできない。

 

ガードしても衝撃が殺せなければ所詮は少女の脆弱な肉体が耐えられるはずがない。

 

少女を待っているのは確実な死だ。

 

優れた兵隊であるがゆえに、その結末を少女は一瞬で理解した。

 

そして、死を覚悟するほどの時間はなかった―――

 

 

「おおおおおおおォ!」

 

 

思いがけないほど近くで聞こえてきた、とある愚兄の声に気取られて。

 

 

 

 

 

 

 

上条当麻は雄叫びをあげながら、単純に握り締めた拳で、少女に襲いかかろうとした仮面の男を殴りつけていた。

 

特に何か深い考えがあったわけではない。

 

ただ少女に迫る命の危機を力づくでも止めたかったのだ。

 

結果は、予想以上のものだった。

 

右拳を咄嗟にガードしたはずの仮面の男の左腕が消えて、激突をもろに受けた勢いで吹き飛んだ。

 

上条当麻が右手を叩きつけただけで、左腕が消滅したのだ。

 

 

「え……?」

 

 

助けられた少女は呆然と目を見張って、そのでたらめな現象を眺めていた。

 

 

「その体……お前、まさか……」

 

 

しかし、愚兄は何かを得心がいった様子で右手を見てから、次に仮面の男を捉え、

 

 

「貴様、何故……」

 

 

「とりあえず、お前はアリサを守る奴で良いんだよな」

 

 

「ああ、<黒鴉部隊>は鳴護アリサの保護が目的だ」

 

 

「なら、そいつはアリサの敵か!」

 

 

確認を取ると愚兄は加速する。

 

特殊強化スーツのアシストを得た少女でさえ翻弄した仮面の男。

 

だが、緩急と体重移動、そして、フェイント。

 

攻撃を躱す相手との戦い方を、上条当麻は良く知っている。

 

右手を警戒し飛び退いて距離を取ろうとするも、ピッタリとその後を追い、逃がさない。

 

そして、さらに仮面の男の逃亡ルート先にレアアースペレット。

 

 

「今だ!」

 

 

アンカーワイヤーと接続し<希土拡張>を解放爆発。

 

爆撃波に男は足を止め、体勢を崩し、そして、さらに、

 

 

「―――これで終わりだっ!」

 

 

止めの追い打ちに、当麻が仮面の男の顔面を殴りつけた。

 

能力も魔術も何もない、異能を殺すだけの右手を、己の体を振り絞って叩きこむ力任せの強引な一発。

 

それ故に、それは如何なる異能でも防御し切れない攻撃だった。

 

屈強な男の身体が、吹き飛んだ。

 

何度かバウンドして、ついに膝をつく。

 

ゆっくりと上げたその顔にはすでに仮面はなく、西洋人形のような端正な顔立ちを露わにする。

 

 

「お前を操っている人間は誰だ、何処にいる。そして、どんな目的でアリサを狙う!」

 

 

詰問する当麻。

 

触れればどんな異能も打ち消す<幻想殺し(イマジンブレイカー)>で左腕が砕け散ったということは、この男は人間ではない可能性が高い。

 

操り人形である男は何もしゃべらず無言のまま何かを取り出し―――その時、少女の耳に付けた通信用機械から<黒鴉部隊>の部下の1人『クロウ7』から緊急連絡。

 

 

『クロウリーダー! Dブロック基部に爆弾を複数個発見!』

 

 

「何!? すぐに退避しろ! 他のユニットは急ぎ鳴護アリサの誘導に向かえ!」

 

 

だが、男が取り出したのはその起爆スイッチで、無表情のままもう指を、

 

 

「させるか!」

 

 

狙いに気付いた当麻が飛びかかり、精一杯右手を伸ばし、その中指がその右腕に触れた。

 

起爆スイッチを押す直前に右腕が消え去り、起爆スイッチは地面に落ちる。

 

当麻はそのままの勢いで肩からぶつかって押し倒した男の体にのしかかり、反撃に膝蹴りをもらうも、一瞬でも動きを封じて、

 

 

「早くそれを確保しろ!」

 

 

その一瞬に少女は駆けた。

 

しなやかな黒い鴉のように、彼女は音もなく宙を舞い―――その前に横から現れた仮面の麗人が壁となって立ち塞がる。

 

それに気付いた時には、拳が眼前にまで迫っていた。

 

 

「もう一人いたのか―――」

 

 

相手は敵機誘導と爆弾設置の2人組だった。

 

少女を殴り飛ばすと、仮面の女は地面に落ちた起爆スイッチを拾い、何のためらいもなく押した。

 

 

「くそっ―――」

 

 

悲鳴を上げるよりも早く。

 

地下全体の天井を揺らす激しい衝撃と鼓膜を麻痺させる轟音が、少女達を襲った。

 

 

 

 

 

会場

 

 

 

「爆発!?」

 

 

まず最初の轟音に起きた異変は停電だった。

 

そして、次に聴こえたより強大な轟音は、地面を弾ませ、会場を揺るがした。

 

地震が多い学園都市でも、はっきりと異常と分かる揺れだった。

 

設備の整った展示場とはいえ、多くの観客を受け入れられるようただ広い空間は警備がひどく難しい場所だ。

 

大気のうねりが、回廊の広大な空間で複雑な反響を作り、出所の分からない吠え声を作った。

 

それに触発され無秩序な叫び声と怒鳴り声が混沌と絡み合い、悲鳴と共に怒号ともつかぬ唸りとなって、さらに人々の神経を削る。

 

ただまだそのカオスも、アリサ達のいるステージまでは普及していない。

 

しかし、このままでは間違いなく多数の負傷者が発生するパニックへと発展する。

 

 

(ダメ。美琴さんでもこの事態を収拾できない。となれば、彼女しか―――)

 

 

「アリサさん」

 

 

その時、アリサの手を握る感触。

 

舞台の隅にいた詩歌が、アリサの元へ駆けより、その手を取る―――その力を投影する。

 

 

「共鳴……いえ、共振。もしかして近くに……とにかくこれなら」

 

 

「詩歌、さん。何を……」

 

 

「このままだと本物のパニックになります。怪我人も大勢出ることになります。だから、貴女の力を起こして、皆を救います」

 

 

詩歌の言葉に、アリサの目が大きく見開かれた。

 

意味が分からなかった、のではない。

 

自分はただのLevel0の筈で、それは前に彼女もそう言っていた。

 

なのに、

 

 

「すみません―――」

 

 

やがて、震動は窓ガラスを慄かせ、鉄骨を揺らす。

 

揺れでバランスを崩した人々も今にも降ってきそうな瓦礫に慌てて逃げ惑う。

 

 

 

その時、人の言語では表せない神の索引から導き出された緑光が会場を徹り抜けた。

 

それは幻聴。

 

空気ではなく、人の無意識に伝播する音。

 

人ではなく、世界そのものを振るわせる波動。

 

一瞬、人を超えたものがそこに現出したかのように、意識が引き込まれた。

 

本当に美しい音には、人を畏怖させる力がある。

 

そして、人の意思を共通させる聖歌には、世界を畏怖させる力がある。

 

拍節が世界の鼓動を規定し、聖歌はうねりつつ正確な高さと音色を守って、一段また一段、天へ至る階段を高く伸ばしていく。

 

 

神の門(バブ・イル)』の秩序を乱し(バラル)、起こすのは――――そう、奇蹟だ。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ……今のは?」

 

「危なかった。けど、何が……」

 

「よかった。少しでもズレてたら……」

 

「ええ、ホント、奇蹟ね」

 

「おお、そうだ。これは奇蹟だ!」

 

 

負傷者は、一人もいない。

 

急に揺れが止まり、割れそうだった窓ガラスも、降りそうだった鉄骨も、すべて止まった。

 

 

「美琴さん。天井の鉄骨を、建物を支えられますか」

 

 

「はい、できます。この程度なら」

 

 

「では、黒子さん、初春さんは<風紀委員>としてすぐに会場の皆さんを避難させて」

 

 

「「はい、了解ですの(しました)」」

 

 

揺れが止まったとはいえ不安定なショッピングモールの天井の骨組を見上げ、磁力操作により鉄骨を支える美琴。

 

<風紀委員>の腕章をつけ、ステージの壇上から大きく観客達に呼び掛ける黒子と初春、それから佐天も友人2人に付き合う。

 

誰も、何が起きたか気づいていない。

 

自分以外誰が何をしたかのか。

 

彼女は自分と繋いだ手を既に離して立ち上がっており、

 

 

「……インデックスさんは、アリサさんについていてあげてください。私はこの原因を探りに行きます」

 

 

「うん。わかったんだよ、しいか」

 

 

待って詩歌さん――――と声を出す前に、彼女は申し訳なさそうに目を細めて小鹿のように震えるこちらを見て、それから伸ばした手を取ることなく、その場を立ち去った。

 

 

 

その時、巨大な運命の歯車が、まさに動き始めた音を、アリサは聞いた。

 

 

 

 

 

会場 地下

 

 

 

……やはり近くに―――

 

……あなたが―――

 

……欠片―――

 

……いえ、これはまさか―――

 

 

建物全体を揺るがした爆発は当然地下にも被害をもたらした。

 

が、

 

時折不気味な軋みを発しているも積み重なった大量の鉄骨と鋼板が奇蹟的なバランスで、地下全体の崩壊を止めていた。

 

 

「うっ……」

 

 

いつの間にか、衝撃が完全に止んでいた。

 

一瞬、気を失っていたのかもしれない。

 

額に感じる温度に、黒衣の少女がきつく閉じた瞼を、おそるおそる開いていくと、眼前に掌をかざした少女。

 

ただでさえ面積の少ない服だが、更にお腹回りが破けており大変になっているも、本人は対して気にした様子でもなく、やがて、その顔があの夜見たものと一致する。

 

 

「起きたようですね」

 

 

「貴様は、あの時……あいつと―――」

 

 

そこでハッと。

 

あの爆破の瞬間、自分を庇ったあの少年の姿を捜し、少女のすぐ隣で静かに眠り続けているのを見つけた。

 

天井は抜け、瓦礫が飛び散る中で、少女のコスチュームを破いて頭に巻かれた血留めの布切れは赤く染まり、受けた瓦礫は血痕が滲ませて地面に転がっている。

 

けれど、怪我を負っているというのに、その寝顔はむしろ無邪気ですらある。

 

 

「ふふふ、もう本当に仕方のない。当麻さんは体だけは頑丈なんですから」

 

 

そんな愚兄、上条当麻の寝顔を眺めて、少女、上条詩歌が苦笑混じりに息を吐く。

 

緊張感のないその寝姿を見てこれでは一瞬でも心配したこちらが馬鹿みたいだ。

 

 

「アリサさん、鳴護アリサは無事です。会場にいた観客全員も。おそらく、あなたの仲間達も」

 

 

同時に通信機からも連絡が入り、鳴護アリサ及び観客も死傷者ゼロ、<黒鴉部隊>も、あの起動スイッチの取っ組み合いが功を奏し、離れるだけの時間を稼げたようで『クロウ7』らも無事。

 

 

「……そのようだ。鳴護アリサも、観客も、私の……<黒鴉部隊>も全員無事だ」

 

 

「あなた方<黒鴉部隊>は、鳴護アリサを保護するよう動いているようですが、雇い主は『オーピッド・ポータル』でしょうか」

 

 

「そうだが……我々はあくまで学園都市の秩序を維持すべく活動に従事している」

 

 

「でしたら、未然に防止するよう会場に予め下見等はしていなかったんですか」

 

 

「いや、した。したんだ……しかし」

 

 

責める調子はなく、あくまで純粋な疑問を投げかけたのだが、少女は苦渋の面を見せる。

 

厳重な警戒網は敷いていた―――だが、爆破は起きた。

 

鳴護アリサがこの会場でイベントを開催すると決まっていたのは一昨日で、学園都市の能力とは異なる力を持つ襲撃者達を警戒し、念には念を入れ前日にはショッピングモールの建物全体を隈なく調べ上げたし、『オーピッド・ポータル』からの会場設立の為の機材搬入を除き、出入りの人々にも危険物を持ち込んでいないか目も光らせた。

 

<黒鴉部隊>が手を抜くとは思えない

 

しかし、この当日に爆弾が建物に仕掛けられてしまった。

 

一体犯人はどうやって、ここに忍び込んで……そして、何の目的で……

 

 

「でもまあ、良かったじゃねぇか」

 

 

2人の会話に割り込んだのは、気を失っていた上条当麻。

 

寝ながらも、彼女達の会話は聞こえていたのか、とりあえずは一見落着といった調子で、

 

 

「皆助かったんだ。ホント、これが『奇蹟』って奴かもな」

 

 

「!!」

 

 

瞬間、少女は寝起きの愚兄の襟首を掴んだ。

 

詩歌が止めるより早く、思い切り引き寄せ、正面から見据える。

 

睨みつける。

 

 

「私の前で、その言葉を口にするな!」

 

 

驚く2人に、少女はますます咆え猛る。

 

 

「結果的に偶然、全員助かっただけだ! それを怠惰で愚かな人間が、己の歪な欲望に都合のいい『神の見えざる手』などという解釈で、量子力学的な確率の偏差を捻じ曲げる!」

 

 

「失言だったのでしょうが離してください。あなたの目は怪我人の首を絞める手が誰のものからさえ見えないんですか」

 

 

詩歌が割って入り、腕を握り、指で筋を制し、少女の手を当麻の首から離す。

 

忠告で少女の頭が冷やしたのを見て詩歌は手をゆっくりと離し、愚兄はゲホゲホと咳き込みながらも『悪い、助かった』とお礼と謝罪してから、

 

 

「なあ、鉄壁の委員長さん。鳴護アリサの歌、ちゃんと聞いたことがあるのか?」

 

 

思い出せば、この少女はアリサの歌に足を止めることすらせず全く曲を聞いていなかった。

 

 

「いっぺん聞いてみろよ。あいつはLevel0だけどさ、夢諦めないその姿はこっちも頑張ろうって励みになるしさ、やっぱり奇蹟があるって信じられるかもしれないぜ」

 

 

特別なものが何もないLevel0のアリサの歌には力がある。

 

だけれど、愚兄はやはり愚かで………――――その発言を後に悔やむことになる。

 

 

「……私の脳は3年前のある事故で音楽を認識する機能を失った」

 

 

音の高低とリズムを処理する機能のみが欠損し、歌の音色が醜悪な雑音(ノイズ)にしか聴こえない。

 

人々が綺麗だという音楽が、自分にだけは頭を掻き乱す苦痛しか与えられない。

 

まるで世界が敵に回ったかのような状況は、不幸だ。

 

 

「……すまない。そんなこと全然気づかなくて……あんたの」

 

 

「―――シャットアウラだ。シャットアウラ=セクウェンツィア。謝罪の必要はない。何故なら私は今の自分に満足しているからな」

 

 

「本当に、シャットアウラさんは機能喪失を治さなくても良いんですか?」

 

 

「ああ」

 

 

―――脳が軋むような、最後の思い出。

 

 

その時、誰もが死に恐怖した。

 

天上の不幸は人に抗えるものではなく、愚か者達は何もせずにただ打ち震える。

 

ただただ絶望しかない。

 

地獄へと堕ち続ける彼らは、やがて1つのものに縋る。

 

それは、奇蹟。

 

最悪な絶望にも負けない、希望で、まやかし。

 

何を捨てても良いから、助けてください神様、とそんな祈りで何も救えない。

 

最も認められるべきは、ただ一つの信念を突き通したものの………はずだった。

 

奇蹟は所詮、稀にしか起きない。

 

天と地と人の全てが噛み合い、それでも神のサイコロに全てを託さなければならないからこその現象。

 

だけど、不幸なことに、願いは叶ってしまった。

 

誰もがその救いに熱狂した。

 

救われるはずのない絶望に助かった事実を奇蹟だと謳った。

 

その愚かなまでの救済に―――真実は塗り潰された。

 

だから、決して認めない。

 

 

「おかげで歌にも“奇蹟”などという言葉にも、惑わされずに済むのだから」

 

 

シャットアウラは迷いもなく断言する。

 

人に最も必要なのは、絶望の中でも混乱を抑える秩序。

 

希望などというまやかしを見せる奇蹟ではない。

 

 

 

「―――え、インデックスさん。アリサさんがいなくなった!?」

 

 

 

 

 

公園

 

 

 

『―――第7学区ショッピングモールでの爆発事故のニュースです。ショッピングモール地下の施設で何らかの爆発があり、<警備員>・<風紀委員>の協力のもと原因の調査が進められています。事故当時、歌手『ARISA』さんのライブイベントが行われており、多くの観客が会場にいましたが死傷者は一人もなく………』

 

 

 

アリサは、助けてと、こころから願った。

 

みんなを死なせたくないと欲張った。

 

そして、そのためにどんな結果になっても構わないと、開き直った。

 

<幻想投影>には、触れた相手の力を理解し、自身に投影する力だという。

 

彼女には、アリサの中に眠る力が何なのか分かっていた。

 

だから、そうした。

 

 

 

奇蹟でしょ! アレは絶対……

 

奇蹟? 本当に……

 

そうよ! まさに奇跡よ! 私見たんだから……

 

歌で奇跡起こせるなんて『ARISA』スゲー! ……

 

 

 

大画面にも『ARISA』

 

飛行船にも『ARISA』

 

広告塔にも『ARISA』

 

あの時、自分は何が起きたか分かってない。

 

微動すらしなかったのに、全員が紙一重で難を逃れた。

 

何百万に一つの偶然が微笑んだのではなく、例えそうだとしても関係なく。

 

鳴護アリサは望んだ世界に放りだされた。

 

アリサは生き残り、皆も怪我しなくて済んだ。

 

代わりに……まるで世界が変わったかのように『奇蹟』の2文字が自分につき回る。

 

やっぱり、自分には力があったんじゃないのか。

 

一度は胸の奥にしまい込んだ不安が、また頭をもたげる。

 

頭蓋骨の裏側に、もう認めるしかないと、冷え切った理解が訪れる。

 

けど、どうしてもこの重責は『奇蹟』の言葉の分だけ重くなり、やがては小鹿のように震える体は、自身を支えられなくなる。

 

 

「アリサ、大丈夫か?」

 

 

「……当麻君」

 

 

そんな私を彼が見つけてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

2人がやってきたのは、全てが始まったあの公園。

 

 

「何か変だよね。……本当に奇蹟があるなら、そもそもあんな事故は起こらないんじゃないかって」

 

 

「そういやそうか」

 

 

もし知っているのなら上条詩歌に全てを教えてほしかった。

 

だけど、自分の気持ちを話したかったのは上条当麻だった。

 

アリサにとって、当麻は、頼りになる人だが、同時に、Level0として共感が持てる相手、『奇蹟』など関係なく純粋に鳴護アリサを見てくれる支えであった。

 

 

「今まではラッキーだって思うようにしてたけど、もう分からなくなっちゃった。昔におっきな事故があったらしくて」

 

 

「らしい?」

 

 

「うん。私、3年前より記憶がないの」

 

 

『鳴護アリサ』という名前も施設の人が付けてくれたもの。

 

記憶も、名前も、能力もなく、本当の自分だと言えるようなものがなかった。

 

ただ1つを除いて。

 

 

「だけど、歌を歌うと心が温かくなって、何かが湧き上がってきて……歌があればいつか取り戻せそうな気がするの。あたしが失くした『何か』を……」

 

 

アリサの思いは、上条当麻にとってもなじみ深いものだった。

 

愚兄は、真実が分からないから、せめてその不安から救ってやりたかった。

 

慰めにもならない気がするけれど。

 

自分もない、などと本当のことは誰にも言えないことだけれど。

 

それでも、自分と同じ彼女に、彼女自身の答えを見つける時間を与えることならできる。

 

真実は分からない。

 

だけれど、偽善を承知で、共感ならできる。

 

誰も1人ではないなどと。

 

 

「……ああ、俺も何となくわかるよ。『過去』がなくて不安になる思いは……」

 

 

自然に優しくなる。

 

同意に共感が混じるその上条当麻の声音の変化を本心から来るものだとアリサは敏感に察知した、きちんと届いた。

 

しかし、彼女は自分の真価を、『何か』を知っていて、黙っている。

 

この兄にも教えていない。

 

それが不安になる。

 

 

「でも、詩歌さんがその『何か』を知っていて、教えてくれなかったのって。もしかして求めちゃいけないものなのかな」

 

 

「それは違う。アリサにとってそれは信じてるもんなんだ。だったら、きっと大丈夫だ。誰が何と言おうと、俺は取り戻すべきだと思うぜ」

 

 

でも、彼の言葉はその不安を消し飛ばすように強く、アリサの胸にも浸透して後押ししてくれた。

 

それが嬉しくて、手放したくないと体の芯が熱くなった。

 

出会ったときから、彼のそばは温かくて心地よい。

 

抱きつきたいような甘さが、豊かな胸の奥で暴れて、夜の親密さにも押されて、気づけば、最初の時と同じく、けど意図的に彼の胸に飛び込む様に抱き締めていた。

 

彼も受け止めてくれた。

 

 

「当麻君、ありがとう。あたし……あたし、頑張るから、見ててくれる?」

 

 

「ああ、応援するよ」

 

 

アリサは、当麻のツンツンに跳ねた髪や苦労が染みついた穏やかな瞳を見た。

 

上条詩歌は教えてくれない。

 

けれど、上条当麻は聞いてくれた。

 

愚兄はアリサを見てくれる。

 

アリサの顔も体も熱く、心臓が爆発しそうになったけれど。

 

せめて冷めるまでは、鎮まるまでは、この不安がなくなるまでは、愚兄に力を貰おうとしばらくこのまま甘えることにした。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

『しいか、アリサは見つかったの!?』

 

 

「はい。……“当麻さんが見つけてくれました”」

 

 

『よかったぁ~。また何かあったんじゃないかって心配してたんだよ』

 

 

「ええ、私も。それで、2人は……ちょっと遅れそうですけど心配はいりませんので、インデックスさんはそのまま部屋でお留守番しててください」

 

 

『うん。……ねぇ、さっきからしいかの声、何だか元気がないよ。どうかしたの?』

 

 

「……きっと、今日のことで疲れたんでしょう。ふふ、心配させちゃいましたね。今日はもう帰ってゆっくりする事にします。夕飯が作りに行けなくてごめんね」

 

 

『それがいいよ。しいかってば、いっつも働きものだから、たまに休まないと心配かも』

 

 

「ありがとう。……………インデックスさん、アリサさん、良い人ですね」

 

 

『うん。アリサは友達なんだよ!』

 

 

 

 

 

 

 

上条詩歌は、冷たい風に吹かれていた。

 

もうすぐ秋の夜の予想以上の寒さに、彼女はひとり凍えていた。

 

2人も同じく、詩歌よりも半袖にさらに薄着だった。

 

だが、上から詩歌が覗く彼らはあたたかそうだった。

 

抱き締めあって、幸せそうだった。

 

彼女の兄が、力強く受け止めていた。

 

鳴護アリサも、元気そうだった。

 

だから、詩歌には遠く、割って入ろうとは思えなかった。

 

知らなければ、気づかなければ……見なければ、混ざれたかもしれないのに。

 

もう夜の9時を回っていた。

 

詩歌はすぐそば公園全体が見える付近の建物の屋根に座っていた。

 

こんな夜にひとり屋根にいたのは、アリサを捜していたからで、先程までは2人の周囲を警戒するため。

 

この一時が邪魔されぬように。

 

肌寒い夜風に靡いてほどけそうなリボンを指でもてあそんだ。

 

忍び足で夜歩く猫のほか、賢妹に気付く者はなかった。

 

 

「分かってる。アリサさんは、とてもいい人です。歌が好きで、夢に一生懸命で素敵で、その夢を諦められるくらいに優しくて………私にはできないこともできる」

 

 

詩歌は盗み見を途中でやめていた。

 

聴こえなくても、ある程度口を読めば、何を話してるか把握できる。

 

そして、目を見れば何を想っているかも掴める。

 

けれど、暗い所で凍えながら盗み見するのも性に合わなかった。

 

その公園には2人以外の人影は見当たらず、そして既に2人はいなくなったのだから心配する必要はない。

 

それでも賢妹は、屋根から動こうとはしなかった。

 

詩歌は、チチ、と指で散歩中の猫を指で呼んだ。

 

よく見れば、その子は寮の裏庭でも見る猫で、向こうも詩歌だと気づくとすぐに寄ってきてくれた。

 

 

「ごめんね。今は何も持ってないけど、ちょっとだけ、少しだけ、こうさせて」

 

 

猫はペロッとその指を舐めると大人しく詩歌の膝元に丸くなる。

 

 

「ふふ、ふ……ダメだ。文句ばかり出てきちゃう」

 

 

襲い掛かる全てを捨ててでも割って入りたい衝動を深く呑み込む。

 

『奇蹟』に手を出したから、バベルの塔を崩壊させたように天罰が下ったのだろうか。

 

だったら、今すぐにでも真相を打ち明ければ、少しは言い訳になるかもしれない。

 

それは、きっとアリサの望みでもあるだろう。

 

けれど、『設計図』の全容を見てしまった彼女は、そうできなかった。

 

 

「私、嫌な子です。とてもとても、嫌な子、です。……でも、2人の前では、良い子で、いたいから……内緒にしてね」

 

 

覚悟は決めていた。

 

愚兄は、場当たり的に目の前のものを助けようとし、救ってきた彼女らのヒーローになってる。

 

その最初が何より自分なのだから、彼女達の気持はよくわかるし、想像できる。

 

けれど、実際に見ると、寂しくて怖くて逃げ出したくなって……兄妹であることが訳も分からないくらい悲しかった。

 

 

「本当に……羨ましいな」

 

 

誰にも聞こえないから、苦く酸っぱい気持ちを言葉にしてみる。

 

薄寒い夜の底で詩歌は震える。

 

そして、いよいよ去ろうとした時、呼び出しがかかってきた。

 

不幸にも。

 

 

 

『詩歌、今すぐ直接会って話がしたい』

 

 

 

今、最も会いたくない人物から。

 

 

 

 

 

ライブ

 

 

 

天井近くのスピーカーから流れ出す軽快な音楽。

 

会場を縦横無尽に舐め尽すスポットライト。

 

光と音のイリュージョン。

 

そして、宣伝はなく本番の初コンサートライブを覆い尽くす、数多の観客。

 

爆発にも似た怒号が、あらゆる音をかき消した。

 

それは歓声。

 

地平の果てから聞こえてくるような、歓喜の声。

 

観客全員が発するその声は、幾重にも重なり、応援のサイリウムは大津波(ビックウェーブ)のように寄せては弾き。

 

その歓声に応えるようにして。

 

全ての音が止まり、全ての光が一点に集中する。

 

ステージ上。

 

光を反射して輝く、金と紫の軍服調のライブ衣装。

 

露出度高めでアリサ本来の可愛らしさと相反するが、それが魔法のようなギャップとなりアダルトな魅力を引き立てる意匠。

 

踊って歌うダンサブルなステージパフォーマンスと楽曲とが相まって、ライブはより一層盛り立てる。

 

そこに先日の事件の憂いはない。

 

『ARISA』

 

『オーピッド・ポータル』が総力を挙げてお見せする『奇蹟の歌姫』

 

 

 

 

 

 

 

「わーー! アリサー!」

 

 

ステージ上のアリサへブンブンとサイリウムを振りながら声援を送るインデックス。

 

当麻もアリサの一動作一動作見逃さずにライブに集中し、共に声援を送る。

 

だけれど、完全にライブにのめり込む事ができない。

 

引っ掛かりを感じて、むず痒さを覚える。

 

そうだ、詩歌が来ていない。

 

今朝部屋に来なかったので、あの後から、一度も会っていない。

 

 

『残念だねー。しいか、昨日はなんだかとっても疲れてたようだから。でも、ライブならきっとまた見れるし、あんまり無理させちゃ駄目だよ』

 

 

そうなのだろう。

 

だけど、それが原因ではないと思う。

 

 

『ねぇ、何かあったの? 陽菜さんが言ってたけど、詩歌さん、最近、ほとんど寝てないらしいわ。それで昨日は寮にも帰らなかったって言ってたし。アンタのトコに行ってない?』

 

 

同じくライブに誘われた美琴からさっきそう言われた。

 

詩歌が誘われた人の好意を無にするような奴ではない。

 

少し体調が悪くても、可能な限り来る。

 

なのに、ここにいない。

 

……あんな別れ方で会い辛いのかも知れないが、それは兄妹間の話で、アリサとは関係ない、はず。

 

せめて連絡の一つは寄こすべきだ、と……

 

 

(ああ。そうだよな……所詮、俺はLevel0だし……)

 

 

今は忘れよう。

 

ここしばらく解せなかった緊張を抜いて、このライブを楽しもう。

 

そうすれば、きっとこんなマイナスな感情なんて吹っ飛んで、次会った時に仲直りできるはず。

 

このライブが終わったら、捜しに行こう。

 

そう、その時の愚兄は、思った。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

「いよいよ明日は宇宙だね、アリサ!」

 

 

「うん。インデックスちゃん達が助けてくれたおかげだよ」

 

 

アンコールを数度こなし、初ライブは、何事もなく、大盛況のまま終了。

 

インデックスとアリサはお祝いと景気づけにファミレスでプチパーティしよう、と道の前にライブでは見なかった上条詩歌が待っていた。

 

 

「お疲れ様です」

 

 

会場からの熱気の淀みなどものともせず、涼しげに微笑を浮かべる。

 

 

「あ、しいか! 具合悪いって聞いてたけど大丈夫なの?」

 

 

「ええ、もちろん。でも、ライブに来れなくて申し訳ないです」

 

 

「ううん。また明日もやるから、体調が大丈夫なら」

 

 

インデックスが詩歌を前にほっとした表情を見せる。

 

 

「それでとうまは? 何かしいかを捜しに行くってライブが終わったらすぐに出て行っちゃったけど」

 

 

「さあ? すれ違っちゃったんでしょうか」

 

 

と、そよ風のように自然に、修道女の前から流れた。

 

そして、気づいた。

 

詩歌の背後にあの襲撃者―――神裂火織がいた。

 

 

 

「ライブおつかれさまです。少しだけお休みなさい」

 

 

 

すっと目の前に掌をかざされて―――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

鳴護アリサが攫われたと連絡を受けたのは、暗雲の空に地平線へと緋色が沈む宵闇のころだった。

 

監視によると、誘拐したのは、この前の謎の力を使う襲撃者達。

 

それと、

 

 

「―――火織さん。アリサさんをお願いします。私は最後のピースを」

 

 

「はい、援護します、詩歌」

 

 

フードを被った新しい少女。

 

余程の実力者なのか、誘拐犯の2人は何と生身のままで、この<黒鴉部隊>との高速戦闘を繰り広げている。

 

今は、長身の方の女性に鳴護アリサを任せて、少女が一人で相手をする。

 

預けたと同時に張り巡らされた線。

 

照明の明かりに反射するそれは、金属の鋼糸。

 

それに触れた指先から紫電が走り、鋼糸という伝導体を通じて、<黒鴉部隊>のもとへ舞い込む。

 

ハッとして、ブレーキをかける。

 

道路上に、光り輝く網が見えた。

 

 

「……っっ!」

 

 

轟音が、道路を揺るがし、視界が金色に染まる。

 

その強烈な閃光は太陽の明るさと同じで、自然界の最上位に位置する光。

 

視線誘導の各種モニタを一気に吹き散らす輝き。

 

雷撃を導く導火線となった鋼糸の暴威網は、カラスを網で捕えるかのように光学迷彩で姿を隠していた機動兵器を捉えた。

 

 

 

『クロウ4より、クロウリーダー! 電気系統をやられた!? 機体動きません』

 

『クロウ6より、クロウリーダー! ワイヤーにより機動部を切断。一時撤退します』

 

『クロウ7より…………』

 

 

学園都市の最新鋭の機動兵器を前に一歩も引かず、次々と隠密性と走破性に優れた補助子機部隊を脱落させていく。

 

 

「ちっ、なんて奴らだ!? だが―――」

 

 

吹き荒れる突風と煙幕の中から、無傷の多脚型本機が飛び出す。

 

戦闘において、最も重要なことは、敵の不意打ちをいかに防ぐかということ。

 

己の中の秩序を維持し、混乱せず、すべき仕事を全うする。

 

時には能力の分からない相手から、時には何かが起こりうるか分からない状況から、確実に任務を全うする事。

 

それを支えるのは積み重ねてきた経験値と信念。

 

シャットアウラの体が勝手に動いたのは、そのおかげだ。

 

鋼糸が張り巡らされたのを以前対峙した際に入手した戦闘パターンから先読みし、咄嗟に加速し暴威網から脱出したのだ。

 

コンマ数秒でも行動が遅れていれば、大ダメージを受けていたに違いない。

 

しかし、今のは目晦ましの目的もあったのか鳴護アリサを担いでいた女性の姿は消えていて、いるのは新参者のフードの少女。

 

やられた。

 

だが、それは保護対象を無闇に巻き込まなくても良いという状況であり、射出機より<希土拡張>を封入させたレアアースペレットを残った相手へ大量放出。

 

そして、接続用のアンカーワイヤーを打ち出―――

 

 

「―――混成<虫襖>」

 

 

音波特化能力の波動照射。

 

激しい高低音差に乱雑するリズム。

 

脳機能が欠損し音楽を理解できないシャットアウラには効果的。

 

 

「!?」

 

 

一瞬、シャットアウラの意識が乱れ、思わず機動操作が誤る。

 

その隙に、シャットアウラ=セクウェンツィアの<希土拡張>が封入されたレアアースペレットを少女は回収し―――<空間移動>でその姿を消した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「―――四大要素の火より右方の<神の如き者(ミカエル)>を司る」

 

「―――四大要素の水より後方の<神の力(ガブリエル)>を司る」

 

「―――四大要素の土より左方の<神の薬(ラファエル)>を司る」

 

「―――四大要素の風より前方の<神の火(ウリエル)>を司る」

 

 

3人の魔女と1人の魔術師、4人のラインが通る十字架の中央に昏睡させた鳴護アリサが胸元に手を組ませた姿勢で仰臥させている。

 

四大天使の十字架のさらに周囲を覆う、側に控える『神の子』に似た者がぎりぎりまで提供した血で描いた魔法陣。

 

目には見えず、しかし清らかな何かが結界内にさらなる線を引いている。

 

これから始める大がかりな儀式魔術(リチュアル・マジック)用に、複雑な選択的結界を張り巡らさているのだ。

 

『パス』を結ぶ条件上、依然、護衛機動隊の<黒鴉部隊>からそう離れた位置ではないが、さらにその四方上に<菖蒲>空間そのものに干渉した防護障壁を展開している。

 

そして音すら遮断された結界内にはオルゴールのように先程取得した<希土拡張>が封入されたレアアースペレットが組み込まれ、そのエネルギーを動力に変えて自動操作で音を流す複数の電子盤。

 

眠る歌姫の頭に満たすのは、無数の旋律が追唱によって効果を相乗させる多重追複曲(カノン)

 

複数の維持が重荷かもしれないが、手術台の患者を診るように少女は鳴護アリサへ集中する。

 

準備は整った。

 

後は実行するだけ。

 

刃先に見立てた指をアリサの胸に向けた。

 

その半眼の奥に、強い意思を隠し、雑念を消す刺激に唇を歯で噛む。

 

そして、指先が、胸に触れる。

 

 

「この幻想を現実に―――」

 

 

呟きは呪文でもなく、誰彼へではなく、ただ、自己に宛てられた暗示。

 

上条詩歌は、鳴護アリサの『核』を直視する。

 

そして、賢妹は力を籠めた。

 

 

「―――投影する」

 

 

滑らかに指から手が彼女の肉体につき通り、

 

 

 

「―――何やってんだ詩歌!!!」

 

 

 

結界破壊、儀式破壊、その右手は詩歌の顔面を捉えた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『―――っ! こればバリアか!』

 

 

携帯のナビに従い動いていた上条当麻がふと騒ぎに駆け付けてみるとそこに、あの時見た黒い多脚型機動兵器――鳴護アリサの護衛だという<黒鴉部隊>が戦闘していた。

 

そのペレットからの絨毯爆撃を繰り返し、相手の防衛網を破ろうと試みるが、突破できない。

 

余程の強敵、そして、焦りようからしてアリサが攫われているのが分かった。

 

そして、その相手の正体は、

 

 

「ステイルに神裂。それに詩歌?」

 

 

フードを被り顔を隠しているようだが当麻には一目で分かる。

 

しかし、詩歌はなぜかアリサを襲った<必要悪の教会>と一緒にいて、アリサの胸に手を―――

 

 

「やめろおおおおぉぉ!!!」

 

 

叫んだ。

 

だが、声は届いていないのか誰も全く気付いていない。

 

ステイル、それがお前のやり方なのか!

 

神裂、アリサを助けないのか!

 

そして。

 

詩歌、何でそいつらと! 何でアリサを―――

 

 

「!!」

 

 

そこから先は、覚えていない。

 

ただひたすらに、がむしゃらに、無我夢中で。

 

アリサを殺そうとしている詩歌を止めることしか頭になかった。

 

……それ以外、何も考えていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

月の神は、間違えて『オリオン』を撃ち抜いた。

 

 

ガンッ――――とフードが外れ、正体が露わになった詩歌の体が地面と水平に吹っ飛んだ。

 

 

当たった……?

 

全力で本気で真剣に止めようと思っていた、考えていた、動いた―――けど、止めたことに一番驚いていたのは間違いなく上条当麻だった。

 

頭が真っ白になるくらい、心臓の鼓動が止まるくらい、血液が凍りつくほど冷め切ったくらい、驚いていた。

 

爆発的に沸騰した頭が一気に絶対零度になり思考が固まってしまうほどに、一瞬で醒めた。

 

嘘だ。

 

拳が彼女に当たるなんて、ありえない。

 

だって、あの瞬間、確かに詩歌は………

 

ハッと下を見る。

 

鳴護アリサの体に、貫かれた痕は、ない。

 

 

「どうなってんだ……」

 

 

しかし、これが幻想ではなく現実で。

 

自分がどれほどの失態を犯したのか、否が応にも理解させられる。

 

 

「げほっ……がはっ……」

 

 

メアリエ、マリーベート、ジェーン、そして、致死量近く血を出し生命が低下している神裂も唇を押さえ、激しく咳き込む。

 

 

「がはっ、ごほおっ……ぐごおおおおっ……」

 

 

ステイルも膝を落し、四つん這いになって、漆黒の法衣を波打たせて巨大な肩を上下させる。

 

そして―――

 

 

照明の淡い光をもって照らし出された詩歌の顔は、幽霊のように青褪めていた。

 

 

儀式失敗の反動―――『返しの風』とも言われる現象。

 

善悪関係なしに打ち消す恐るべき力をもって、術式構造を破壊して、それとパスを繋いでいた術者に逆流した。

 

主の中心となっていた賢妹は特にその影響が強い。

 

 

「嘘、だろ……」

 

 

止めようと思った。

 

だけど、こうなるなんて望んでいなかった。

 

そして、もしかすると、まさか、これは………

 

 

 

愚兄が思考停止した直後、多脚型機動兵器――シャットアウラが動き出す。

 

 

 

『シャットアウラ。その娘を私の所へ連れて来なさい』

 

 

騒ぎが大き過ぎた。

 

<警備員>も動き出した。

 

だから、早く鳴護アリサを回収し撤収する。

 

誰もが身動きが取れない中で、シャットアウラは機体を操作しアリサの前で停止。

 

マニュピレータ―でその体を持ち上げ、カラスの嘴に似た先端下部が開き、その中へ。

 

 

「!!」

 

 

瞬間、何かが彼女の躯に取り込まれ、血液神経の流通回路を通じて全身に流れ込み―――気づく。

 

庇護対象の首から下げた小袋に入っている欠けた青いブレスレットは……

 

 

「まさか……そんな……!」

 

 

「待ってくれ! シャットアウラ!」

 

 

当麻が止めに入る。

 

このままではダメだと。

 

事情がまだ把握し切れていないと理性が訴えているが、当麻は無視した。

 

今はそれどころじゃない。

 

このままアリサが連れていかれたら、最初で最後のチャンスを潰して取り返しのつかない事態を招いてしまった、と。

 

 

「黙れ! 何も考えない怠惰な愚か者が、私の邪魔をするな!」

 

 

<黒鴉部隊>の多脚型機動兵器が光の尾を引きながら夜空へ<希土拡張>のレアアースペットを打ち上げて―――解放。

 

 

「混成――――」

 

 

次の瞬間、当麻の身体が天上からの爆発に呑み込まれ

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

「何て真似をしてくれたんだ、貴様は!!」

 

 

ベット上の上条当麻に、ステイル=マグヌスはいつになく険しく、視線で焼き殺さんばかりの形相で叱責する。

 

 

「その右手が見事に邪魔してくれたせいで、計画は失敗した。『鳴護アリサは殺さなければなくなった』」

 

 

「何、だって……」

 

 

「<聖人>、もしくはそれと近似の力を持ってる鳴護アリサをあのロリっ子社長は利用して地球半分壊滅させようとしてんだぜい」

 

 

同じく当麻の横に侍ていた科学と魔術の多角スパイである土御門元春が、頭に血が上ってるステイルから引き継いで説明を続ける。

 

<必要悪の教会>に新たなる指令が下った。

 

<聖人>を組み込んで超大規模魔術の儀式を完成を阻止せよ―――『オービット・ポータル』が造り上げた宇宙エレベーター<エンデュミオン>という現代の<バベル>は北半球を全滅させる術式の儀式場で、

 

『オーピッド・ポータル』の社長、レディリー=タングルロードは本来魔術サイドの人間でギリシャ占星術を得意とする魔術師だった。

 

 

「アリサはな、夢を叶えようと一生懸命努力してる奴で、なのにそんな女の子がどうして地球半分ぶっ壊そうとしている悪者扱いされなきゃならないんだよ!」

 

 

「そうだな。納得がいかないよにゃー。だから、詩歌ちゃんは鳴護アリサの力を封印しようとしたんだけど……問題はそれだけじゃなかった。―――それを知りたいか、カミやん?」

 

 

当麻はすぐに答えられなかった。

 

心の底に居座る不安が、それを邪魔する。

 

 

「詩歌ちゃんは、この問題を鳴護アリサ本人にでさえ知らせたくなかった。もちろん、カミやんにもインデックスにも。出来ることなら、詩歌ちゃんだって気づきたくなかっただろう。だから、誰にも秘密にしたまま無事平穏ってできるようにこちらにコンタクトをとって秘密裏に解決しようとした」

 

 

無知な方が幸せなこともある。

 

世の中には知るべきではないこともある。

 

詩歌は言った。

 

この件は知るべきではないと。

 

それは正しい。

 

ただの素人でしかない自分は、大人しくしている方が正解なのだ。

 

……けど、それでいいのか?

 

心の中で誰かが反論する。

 

知りたいという欲求ではなく、妹にだけ重荷を背負わせたままでいいのかという。

 

このまま自分の無能さが情けないままでいいのか。

 

それが一体どれほど不幸だとしても。

 

 

「……放っておけるわけ、ないじゃねーか」

 

 

「これは一応、硬く口止めされてるが」

 

 

「かまわねぇよ。全部俺の責任でいい。このまま何も知らないままじゃ納得できない。だから、知りたいんだ。アリサの力が何で、詩歌が何に悩んでたのか。その問題を教えてくれ」

 

 

当麻の意思が固いと見たのか、土御門は承諾した。

 

 

「鳴護アリサは<聖人>としての精神と記憶が欠けていた。それに気付いた詩歌ちゃんが調べたところによると、曰く彼女は分裂性双子。因果律を狂わせるほど強大な現象で、とある少女から別れた半身だった」

 

 

これは施設や事故記録からの裏付けも取ってある。

 

鳴護アリサは<88の奇蹟>と言われる『スペース・プレーン』の『オリオン号』の事故の生還者の一人―――ではなく、そこで生まれた存在だと。

 

3年前からの記憶がないのも、3年前に生まれたのだから当然なことだった。

 

 

「どういうことだ? だって、アリサは俺の右手に触れられたんだぞ。だから、アイツは幻想じゃない。歌が好きで、歌で皆を喜ばせることが好きな、それだけの普通の女の子だぞ」

 

 

「だから、分身じゃなくて、双子。元々その少女に資質があったのかどうかまでは分からんが、その少女から分裂して人間として生まれた。カミやんの右手は生命力までは打ち消せない。それほどまでに因果律がすごかったんだぜい。だが、因果律は性質上、世界に修正されちまう。互いに引き合い、やがては本来の姿に統合され、元に戻る」

 

 

「元に戻るって、つまり……」

 

 

当麻は呻くようにそう言ったが、土御門は話を続けた。

 

 

「おそらく、記憶がないことから察するに分裂体である『鳴護アリサ』は消える、いや、変化する、という方が正しいな。どちらにせよ、元に戻れば、今みたいに歌が好きではない。『鳴護アリサ』と違って、3年以上の過去や思い出があるんだからな、歌で皆を喜ばせる子でなくなる可能性が高い。まあ、双子みたいなもんだし、改めて歌が好きになる可能性がないとは言わないが」

 

 

「何だよ、それ……」

 

 

当惑するしかない当麻に、土御門も苦笑しながら言う。

 

 

「理解しがたいだろ? 俺もな、初めて推論を聞き、初めてデータを見た時はそうだった。それをほとんど不眠不休で解析してのけ、解決策を導き出した詩歌ちゃんは真に天才だ」

 

 

そして、それを知った詩歌は、鳴護アリサが鳴護アリサでいるために、引き寄せ合う鍵と鍵穴を、<幻想投影>という万能鍵で埋める。

 

鳴護アリサに欠けた部分を修正するのではなく、代用品で補い完成―――つまりは第9位とも言われる<聖人>として覚醒させる。

 

『シジル』の技法を応用した<神の如き者>、<神の力>、<神の薬>、<神の火>の十字架儀式場と代用品として『神の子』の同類に、本体の力の一部で契約を結ぶ。

 

その儀式を以て、鳴護アリサの性能資質(パラメータ)を、鳴護アリサのままに完全体とする。

 

そして、<聖人>と覚醒させた後、その<聖人>としての力を封印すれば、鳴護アリサは本当に普通の女の子として夢を追えるようになる。

 

 

『この幻想を現実に投影する』

 

 

あの刺した手は、『奇蹟治療』と呼ばれる傷口一つ付けずに患者の体内を治療する心霊術式。

 

投影し、その力の核の位置を把握し、同調干渉し、と早い話が箱を壊さずに中身に触れ、調整する技術。

 

その証拠に、血は出なかったし、鳴護アリサの胸に傷跡はなかった。

 

当麻は目を閉じたまま、額に手を当て、搾り出すように。

 

 

「じゃあ、つまり……俺は……俺が右手で何もかも台無しに……」

 

 

ステイルは冷めた表情で愚兄を見ていたが軽く息を吐くだけで、土御門が気楽な調子で肩に手を置いた。

 

 

「ま、カミやんが早とちりしちまって、中途半端に最悪のタイミングで封印がおじゃん。<聖人>として覚醒させちまったし、<エンデュミオン>の儀式準備を手伝っちまったもんだぜい。――――つまり、全部、詩歌ちゃんが悪い」

 

 

「違う!」

 

 

瞬間、上条当麻はベットから飛び出し、土御門をアロハシャツの襟首を掴んで捻り上げる。

 

しかし、土御門は一向に調子を崩さず、続ける。

 

 

「いーや、違わないんだにゃー。いつもの不幸(アクシデント)対策に万全な詩歌ちゃんなら、『儀式を邪魔する最大の要因である上条当麻』を見過ごすはずがない。なのに、何の対策を建てようともしなかった」

 

 

「それは、俺がLevel0……無能だから、何にも教えられなかった」

 

 

愚兄の無能さが、足を引っ張った。

 

賢妹は必死に、例え彼女に恨まれようともアリサの為に動いていたのに、自分は何も教えてくれない、頼ってくれないことに腹を立てて不貞腐れただけで何も自分で考えようとはしなかった。

 

何が信じろだ。

 

こんな愚兄、信じられるはずがない。

 

 

「カミやんは、また勘違いしてるにゃー」

 

 

力なく手を離し、膝をつく当麻の頭上から土御門の言葉が降る。

 

 

「Level0だからって理由は、無能だからじゃなくて、『カミやんが鳴護アリサの歌に同じLevel0として共感し励まされたからだぜい』」

 

 

これも口止めされてたんだけど土御門さんのお口は滑りやすいんですたい、と言い訳の前置きをしてから、

 

 

「<聖人>なんつう特別な力があるって教えちまったら、いくらその歌が本物でも下手な先入観が入っちまうからな。一度気づいちまった詩歌ちゃんはもう遅いが、鳴護アリサの歌が本物だと信じてるインデックスやカミやんには知らないままでいてほしいって、これ完全に私情ですたい」

 

 

『2人には幻想(ゆめ)投影(みて)いてほしいんです』

 

 

だから、詩歌は、秘密にし続けるアリサに無知な当麻やインデックスと気づいてしまった詩歌の表情を見比べて気づかれないために、純粋ではなく不純になってしまったからライブへは行けなかった。

 

知らない方が良いのならそのままでいい。

 

当然反対意見も出たが、秘密のままに誰にも教えずに隠して解決すれば問題はないと押し切った。

 

結果、失敗。

 

欲張った賢妹の甘さが、台無しにしたんだと。

 

 

「………!」

 

 

分かっていた。

 

詩歌が、自分のことを悪く言ったりしないなど、そんなこと分かっていた。

 

詩歌が、自分に誰よりも優しくて甘いのも、ちゃんと分かっていた。

 

それでも、あの時、胸に広がる暗い感情は止まらなかった。

 

自分はまだ『前の自分』を超えていない、と上条当麻を信じていないからだ。

 

なのに……この右手で殴ってしまった。

 

 

「っ―――」

 

 

ひどく、口の中が苦い。

 

視界が暗くなる。

 

膝ががくがくと震えだす。

 

夏休みに100度手合わせ、1つも決定打が与えられなかった。

 

詩歌は実戦的な修行を経て、反応速度と状況判断が並外れている。

 

拳の軌道を瞬きひとつせずに見極められるその動体視力。

 

だが、受けた。

 

危険脅威がすぐ眼前に迫っていたのに、目を閉じなかった。

 

真に凄まじいのは体の生理的反応を捻じ伏せる精神力。

 

視覚情報から生じる肉体の反射反応は簡単に抑えられるものではなく、だが、体の筋肉はおろか瞼すら動かさない。

 

上条詩歌の身体制御は肉体を精神が凌駕していると言っても良いほどに尋常ではない領域にある。

 

なのに、喰らった。

 

そう、避けられなかったのではなく、躱さなかった。

 

こっちが必死の形相で殴りかかろうとしていたのに、詩歌はあの瞬間、こちらを見て笑っていた。

 

それほどに上条詩歌は上条当麻を信頼していたのだ。

 

 

……ああ、やっぱり俺が、悪い。

 

 

肩が震えるのを必死でこらえた。

 

本当にかっこ悪いと、実感した。

 

過去――記憶なんかにこだわって、今を、最も大切な1つを見ていなかった。

 

だから、これ以上、惨めにならない。

 

愚兄に信じられなくても、愚兄が愚兄を信じられなくても、愚兄を信じてくれた。

 

 

「だから、詩歌ちゃんは責任をとって宇宙に行ったにゃー」

 

 

全く、かっこ良い妹だ。

 

科学と魔術のどちらに任せても、鳴護アリサは救えない。

 

だったら、上条詩歌は何としてでも宇宙に行くだろう。

 

だったら、上条当麻はどうするのか?

 

 

―――そんなのは決まっている。

 

 

「土御門、ステイル」

 

 

「何だ」

 

 

「俺を本気でぶん殴ってくれ」

 

 

突拍子もない要求に2人は少し驚いて動きを止めたが、やがてはその顔を見て納得したように、

 

 

「加減はできないよ。そろそろ君の馬鹿さ加減に我慢できなくなってたんだ」

 

 

「正直、兄失格野郎をぶん殴ってやりたいとずっとうずうずしてたんだにゃー」

 

 

 

 

 

 

 

「何かすごい音したけど、病院は安静にしなきゃ―――とうま!?」

 

 

上条当麻に少し話がある、と退席していたインデックスがいつもの病院のいつもの病室から騒がしい音が聞こえて、入ってみると、そこには病院着をベットの上に脱ぎ捨て、TシャツにYシャツの制服へ着替える当麻の姿。

 

その顔面には何故か病院に運ばれる前にはなかった痣が2つ。

 

 

「ダメだ。やっぱ、お前らに殴られたって全っ然ダメだ」

 

 

少しは贖罪のつもりで、顔面を殴ってもらったが、痛くない。

 

あの時、信じ切れなかった、裏切ってしまった詩歌と比べれば、こんなの撫でているようなものだ。

 

やはり、賢妹自身に殴ってもらわないと、満足できない。

 

 

―――だが、目は覚めた。

 

 

「インデックス。科学と魔術、どっちに任せてもアリサは殺される」

 

 

「殺される……!? それって、どういうことなのとうま!」

 

 

「丁寧に説明している時間はない。移動しながらだ」

 

 

宇宙がどれだけ遠いか、賢妹の背中がどれほど遠いかは分からないがどちらにしても至極困難であることに変わりないが、やる。

 

鳴護アリサを助ける、そして、上条詩歌に謝る。

 

もう間違えようのないくらいに、この上なくシンプル。

 

馬鹿がここに極まったかとステイルは呆れ、いつもの調子に戻ったと土御門は笑う。

 

 

 

「そうなると思って、ちゃんと準備してあるぜい」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ねぇねぇ、何だか詩歌お姉様が大変みたいだけど、あなたは何もしなくていいの、ってミサカはミサカは暗に恩返ししなよとわざと大きな声で呟いてみたり」

 

 

「あ゛~……っせェな。独り言ってレベルじゃねェし、アイツに借りてるもンはねェよ……むしろ貸してやってンのはこっちの方だろォが。こっちが寝てるっつうのに叩き起こして投影されて……なにが『宇宙に行くから力を借ります』だ。勝手に何処へでも行きやがれ」

 

 

「あれあれ、もしかして一緒に宇宙に行けなかったことスネてるの、ってミサカもミサカも宇宙に行きたいからあなたの力貸してーとお願いしてみたり」

 

 

「全然違ェし、却下だ……地球滅亡だが何だかしらねーが、アイツは地球の面倒よりガキの面倒を見てンのが一番お似合いだろォが」

 

 

 

つづく


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