とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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離縁塞神編 都会へ帰ろう

離縁塞神編 都会へ帰ろう

 

 

 

とある田舎

 

 

 

「危なかったな! あの女、本気で殺しにきやがった! 普通じゃねぇ!!」

 

 

あらゆる自然が死に絶えているわけでもない。

 

学園都市では見られないような、様々なテクノロジーによって支えられている田舎の風景のまま。

 

だから、この草木の放つ濃密な緑の匂いに混じる危機感は本物なんだろう。

 

この茜の空に染められる世界が、血塗れのように見えてしまう。

 

遮蔽物の多い所に、体を隠したり盾にできたりするもののある場にと、そう考えて山の方へ逃げ込んだが、ここでは殺人現場でも容易に処理できる。

 

しかし、他の人を巻き込むよりは全然マシだと当麻は思う。

 

ただ自分に付き合ってくれている陣内忍には悪いことをしている

 

 

「にしても、アンタの右手。スゲェもんだな。妖怪を一発で殺せるなんてな」

 

 

けど、そんな当麻の心情を察したのか先頭で道を開いていく、彼は明るくそう言う。

 

それに少し救われた気になるが、しかし、何故、あの女は自分を狙ってきたのだと思う。

 

上条当麻が異世界人だからか?

 

いや、そうではない。

 

あの女は、上条当麻の事を『疫病神』だといった。

 

この世界には妖怪がいて、彼らは基本的に放置のはずだが、『疫病神』は即刻駆除すべき危険な害獣なんだろうか。

 

自分は、何もしていないのに。

 

 

「っ……」

 

 

高鳴る心臓を握り潰すように上下する左胸を押さえる。

 

当麻の、“あの時の”記憶は既にないはずなのに、その体に刻まれた古傷のように疼く。

 

痛みはないのに、亀裂が走る。

 

頭ではなく、心臓が訴えて、どこまでも深い悲しみの孤独に泣き叫びたくなる―――

 

 

 

『……もう、どこで迷子になってるんですか! 犬のおまわりさんじゃないですけど、ワンワン! とにかく、この―――を辿っていけば……必ず……会えます! ワン!』

 

 

 

―――疼きは、すぐに収まった。

 

頭を振りながらもう一度胸に手を当てると、激しい動機はまだ収まっていないが、これは逃亡中からくるもので、徐々にスピードも落ちていく。

 

胸を抉るような漠然とした不安が、それよりも大切で忘れてはいけない誰かの声に小さくなり、

 

 

(……ったく、こんな時でも……当麻さんは子猫ちゃんかよ)

 

 

それに、ちょっとだけ笑みがこぼれた。

 

こんなところで立ち止まるなんて、――の――として諦めの悪い所が取り柄だと言うのに。

 

俺の居場所(おウチ)はここじゃない。

 

早く帰らないと、とその気持ちがますます強くなり、心臓から脳へと逆流するように這い上がる。

 

現状を打破しなければ、と思考が冷静さを取り戻す。

 

だが、あの襲撃者は強い。

 

きっと自分のような人間など、簡単に殺せるような……―――

 

 

「よし! ここを抜ければ、交番に」

 

 

「なあ、陣内。―――」

 

 

そして、制限時間が終わった。

 

 

 

「どうして、ああいったオカルトのプロが『触れただけでマズい』と思ってんのに、“ただの人間”であるテメェが俺の力が『右手にある』モンだって知ってんだ」

 

 

 

 

 

サナトリウム

 

 

 

「何が起こっている―――!?」

 

 

目の前が、闇が具現化したような炎で炙られる。

 

待合室はおろか、建物全体に黒炎は広がっている。

 

とにかく逃げないとマズい。

 

消火装置が作動し、スプリンクラーから勢いよく水が引き出されるも、消火器を吹きかけても、黒炎は消えないし、ちっとも弱まらない。

 

玄関口と直接繋がっている待合室がすでに黒炎に呑まれている以上、今は上に逃げるしかない……!

 

 

「スタッフも、患者も全員がパニックになってる。やっぱり、職業倫理よりも生存本能。お金よりも自分の命が大事だからね」

 

 

「なあ惑歌、のんびりしてっとこ悪いけど。今からこの屋上に救助隊だけでなく、軍隊でも、私兵でもありったけの金を積んで、できるだけ多くのヘリを呼べねぇか?」

 

 

「駄目駄目。どういう訳か携帯の電波が通じないし、救助ヘリも呼べないよ。本当に誰かの陰謀論だったりしてね」

 

 

何!?

 

慌てて自分のスマホを―――って今は座敷童に取られてないんだった!

 

クソ、こんな時に!

 

そして、惑歌の手にある携帯を見れば、立っているアンテナは0。

 

信号音はおろか、電波が通じない旨を伝えるメッセージもない。

 

今日は『インテリビレッジ納骨村』は一日中晴れで、当然、電波障害を起こしうる雷も落ちてない。

 

これは事故じゃない。

 

『インテリビレッジ風化村』の時と同じ、事件。

 

そして、俺の勘からして、これには妖怪――<パッケージ>が関わってる。

 

しかし何にも推理できねぇ。

 

今日は何事もなく平穏な日だったはず。

 

全滅村のような異空間でもないはずだ。

 

変わったことと言えば、この『サナトリウム』に運ばれた田舎とは違う空気をまとっていた『ツンツン頭の高校生』。

 

けど、彼は既にここにはおらず、何者かさえも分からない。

 

ダメだ。

 

事件の現場はここじゃない。

 

自分達はただ巻き込まれているに過ぎない。

 

階段へ。

 

何でも良い。

 

ここにいるのは危険で、今は生き伸びることを優先するんだ。

 

黒い炎が村全体に広がってるなら、ウチの妖怪たちも何らかのアクションを起こしてるはず。

 

それに期待するしかねぇ。

 

 

「急ぐぞ。これには全滅村ん時と同じようにタイムリミットがある。早く脱出しねーとゲームオーバーだ」

 

 

「うん、“忍クン”の言う通りだね」

 

 

そうして、クラスメイトの小手蜜惑歌と共に、クラス委員の金髪少年、陣内忍は屋上を目指す。

 

 

 

 

 

とある田舎

 

 

 

「うふふ、流石は元<百鬼夜行>の『五本指』の<病魔の使役者>。中々強力な『厄』を使うけど、私との相性は最悪ね」

 

 

少女がその手を突き出すと、彼女の背後から縄が飛び出し、男の動きを止める。

 

彼が放っている薄闇の『病魔』が密閉される。

 

 

―――術が、使えない……?

 

 

異常に驚く<病魔の使役者>の顔を見て、少女は嗜虐的に、蠱惑的にますます笑みを深める。

 

このかつては燃える自分達を捕まえていた神聖な縄――『災い縛りの縄』で囚われた途端、術も、体も、厄も、その動力を奪われた。

 

蜘蛛の巣に捕らわれた、脆い蝶のように。

 

 

「ちょっとは期待してたんだけど、アナタじゃ、私の『疫病神』にはなれない。相応しくない」

 

 

少女が動く。

 

<病魔の使役者>が薄闇をまとうのなら、少女は、濃闇に溶けて獲物へとにじり寄る。

 

近づく過程さえ認識させず、亡霊のように。

 

立ち止まり、動けない<病魔の使役者>の真横に、その少女の着る神主の袴が翻る。

 

気配すらない少女の接近にも、歴戦の強者は反応できなかった。

 

見ていたのに―――少女が近寄ってくると見ていたのに、少女が自分の真横に立っていると知覚出来ない。

 

寒気が走り、ようやく『敵』が本能ではなく、より優れた理性で人間を殺す正真正銘の怪物なのだと理解する

 

 

「私と同じ『神』の名を冠するには、私と同じくらいにもっと不幸でないと」

 

 

少女が左手を上げる。

 

その手には己の『病魔』を斬り伏せた『災い断ちの剣』。

 

 

「く……この、まま……っ!」

 

 

殴りつけてくるような背中の悪寒が、逆に彼の体を封印状態から解放させた。

 

自爆覚悟で己の体内の『病魔』を爆発させ、口から墨のような煙を吹きつけ、少女の視界を閉ざす。

 

 

「小癪な―――」

 

 

<病魔の使役者>はその隙をついて、関節を外して、縛縄から脱出し、弾かれたように近くの川に飛び込ん―――

 

 

「ぐ―――」

 

 

背後から感じる圧倒的な絶望感。

 

それは皮膚に刺し込んで脳髄へと至り、脊髄を滑り落ちてこの全身に浸透した。

 

この感覚はそう。

 

確実に殺される。

 

剣が一閃し、背中が薄闇ごと切り裂かれた。

 

だが、『病魔』の目晦ましのおかげで、距離感覚がずれていた。

 

致命傷には浅く、だが、重症には違いない。

 

彼は一切の感情を破り捨てて、全身に巡っている絶望感という麻酔も、背中に走る痛みも全て無視して、唯一の逃げ道である川に飛び込んだ。

 

 

「うふふ、逃げても無駄。私はきっと私に相応しい最悪の<致命誘発体>『疫病神』を手に入れる。その時、世界の全ては終わる」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「まさか、お前が……」

 

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)>は、ありとあらゆる異能を打ち消せる力だが、その効果範囲は、右手でしかない。

 

そのことは話す必要がなかったから、誰にも話していない。

 

陣内忍に話したのは、上条当麻が『インテリビレッジ』とは違う世界、最先端科学の『学園都市』から来たと言うだけ。

 

式神<死出の竜姫>に絞め落された時、当麻は両手で触っており、そして、あの襲撃者も上条当麻を妖怪『疫病神』と勘違いして、殴るのを中止するほど上条当麻に触れることに警戒していた。

 

だというのに……

 

 

「あー、……意外と鋭いのね。けど、残念。ちょっと気づくのが遅かった。もうあなたはこの世界に適応し始め、あと少しで<パッケージ>は完成した」

 

 

周りを見た瞬間、当麻は我が目を疑った。

 

森が黒く、黒く、一瞬にして、黒い世界に塗り潰されたように燃えていた。

 

自分達の周囲だけはその被害にあっていないが、安全と呼べるものじゃない。

 

 

吐き気がする。

 

 

右手が異常事態を前にして震える。

 

叫びたくても、舌も喉も、カラカラに渇いている。

 

この渇きは、黒炎が怖いからじゃない。

 

この震えは、先程の不安とも、怯えとも違う、その真逆の力で、強く鼓動を刻んでいる。

 

そう、怒りによって。

 

 

「テメェが、俺をこの世界に連れてきたのか」

 

 

だが、相手は全く悪びれることなく、

 

 

「ええ。最悪の<致命誘発体>『疫病神』が欲しかったの」

 

 

金髪の少年の顔を破り捨てると、そこにあったのは黒髪の少女。

 

声も変わる。

 

甘く蠱惑的なトーンに。

 

なじるように、こびるように。

 

無邪気で邪悪な、少女の声。

 

 

「この欲しいものなら何でも手に入れられる『炎の宝珠』と『塞の神』としての『縁切り』を使って、私は私が使役する相応しい『疫病神』をこの世界に連れてきた」

 

 

とある村の風習で、『塞の神』の役割を一身に背負わされ、不幸と共にその肌に村人全員の名を刻まれ、火で焼かれ続けた結果、本当に神クラスの妖怪になってしまった普通の人間。

 

自分の名を捨て、性別すら元あった形も忘れ、その代わりに手に入れたのは『塞の神』としての力。

 

<病魔の使役者>さえ圧倒した『災い縛りの縄』、『災い断ちの剣』。

 

欲しいものを思いのままに出せる『炎の宝珠』。

 

 

「神という文字を背負う『塞の神』としての力は確かに規格外。だけど、殺人向きじゃない。仕方ないわよね。属性からして、我が身を犠牲にしてでも村人を守る守護神なんだから。けど―――それなら、殺人向きの妖怪を統べればいい」

 

 

そして、元<病魔の使役者>の物だが新たな所有者の手に渡り、時間がたったことで世界の認識が変わったこの愚兄の携帯――『疫病神の帳簿』。

 

当麻のポケットに収めていたはずの黒い携帯電話が、その『炎の宝珠』を使って、『塞の神』の手元に引き寄せられていた。

 

 

「幸い、伝承として『塞の神』は『対最悪の<致命誘発体>『疫病神』』としての力があった。そう、この<パッケージ>に取り込んだ携帯電話――『疫病神の帳簿』を預かることができ、唯一、不幸の呪いを解除できる。ここに名前が登録されている時点で、裏業界の人間も、そして、仮初として使わせてもらった『陣内忍』も、『塞の神(わたし)』の手で焼却(消却)しない限り、『疫病神』の<パッケージ>が発動し、彼らに救いはない」

 

 

人を殺す力がなくても、“人を救う力を悪用する”。

 

『その存在だけで、また、『帳簿』に人の名前を書くだけで不幸になる』最悪の妖怪『疫病神』の抑止力となることで『塞の神』は本領を発揮する。

 

妖怪が妖怪を統べて、<パッケージ>に組み込む。

 

まるで人間のように、妖怪という『夢のアイテム』を扱う。

 

 

「あと少しでこの世界の修正力が働き、あなたは本当の『疫病神』になる。そうすれば、この『帳簿』に名前を登録するだけで不幸になる。うふふ、私の名前を登録しようとしても、そもそもの名前なんて忘れてしまったし『陣内忍』じゃあない」

 

 

「だったら、この右手でその幻想を、」

 

 

「―――そして、妖怪を殺す力があろうと、あなたに私を殺す事は出来ない。私がいなければ、あなたは元の世界に帰る事は出来ないんだから」

 

 

殺せない。

 

妖怪であれ、神であれ、殺せる力を持っているのに、それを振るう事は出来ない。

 

 

「何で俺が……」

 

 

「何故自分が選ばれたのか―――無駄な質問ね、けど答えてあげる。『疫病神』は誰でもなれるものじゃない。まずはこの世界とは異物であるのよ。むこうでは人間であっても、ここじゃああなたは妖怪。けど、まだ何の妖怪かと決まっていない空白な存在をこの世界に修正される。そこで素材と経歴が重要なアセンブル、その右手もそうだけど、何もしなくてもただそこにいるだけで人間を不幸にするなんて最高よ。例え、今がそうじゃなくても三つ子の魂は百まで。あなたは『疫病神』にぴったりなの。―――そして、素体だけでなく、調理にも拘った」

 

 

『塞の神』の少女は、黒い携帯電話を操作し、

 

 

「この<百鬼夜行>とも繋がっている裏稼業の人間の携帯を使って、あなたの顔写真付きで、『コイツが『疫病神』だ』と一斉送信させてもらったわ。裏の世界の情報網は早くてね。封鎖しようにも、あの<死出の竜姫>が出張ってきた時点で、もうネズミ算式に全世界から指名手配されているはずよ、―――『疫病神』として」

 

 

人間から妖怪に。

 

かつて学生たちの嘘をフィードバックさせたせいで一人の少女が『人面痩』の塊となってしまった。

 

この世界の意思としてだけでなく、妖怪を生み出す伝承を語る人間の意思としても、上条当麻は『疫病神』として変性される。

 

 

「大人しく、私に従いなさい。私はこの世界を壊したいだけ。壊したら、元の世界に返してあげても良い。それまでは、この世界で、あなたを神にしてあげる。どんな妖怪さえ殺せる力を持った、史上最悪の<致命誘発体>『疫病神』には誰もかなわない。―――この『塞の神』である私を除いて」

 

 

既に変性していっている今、<病魔の使役者>に登録されている<死出の竜姫>もその不幸から逃れらず、こちらを止めようにも何もできない。

 

少女は当麻の体を『塞の神』の『疫病神』を封じる『災い縛りの縄』で縛り上げられ、その左手に、

 

先程の遭遇で『炎の宝珠』を使い盗んだ、雇われエージェント<死出の竜姫>菱神舞の衛星携帯電話――<病魔の使役者>の携帯電話にさえ載っていなかった<百鬼夜行>の現党首も登録されている『帳簿』を当麻に握らせる。

 

 

「さあ、この『帳簿』もあなたのものだと認めなさい」

 

 

これが『疫病神の帳簿』に成り変われば、<パッケージ>が発動。

 

人と妖怪の一大組織<百鬼夜行>を『疫病神の帳簿』で手中に収めてしまえば、如何に機動隊を瞬殺するほどの妖怪の力を持っていようとも、その『五本指』だろうと、『あらゆる不幸で放っておくだけでも自滅する』。

 

そう、完成すれば『疫病神』からの特性からは逃れられない―――この『塞の神』が助けなければ。

 

例え別の人間が『疫病神の帳簿』から名前を消そうも意味がない。

 

『『塞の神』がその携帯から名前を焼却(消却)する』という<パッケージ>の解除法を行わない限り、救いの道はない。

 

 

「神は賽を振らないけど、『疫病神』を下僕にした『塞の神』、どんな相手だろうと必ず1の目を突きつける<賽を決める神>こそ、誰も逆らえない絶対君主」

 

 

だから諦めろ、と『塞の神』が囁く。

 

 

 

 

 

 

 

だが、それはできない。

 

この強い鼓動が、ここで立ち止まるなと、ここで諦めるなと。

 

上条当麻に、――の愚兄に、諦めという二文字など登録されていない。

 

例え、何もできなくても、

 

自分ではこの世界から元の世界へと帰れないと分かっていても、

 

まだ血の通った手足が動く以上は、決して……――――

 

 

 

『―――『疫病神』、ですって? どうやら、貴女は私達兄妹をだいぶ侮っているようです』

 

 

 

――――できない。

 

決死の覚悟なんて大したものではなく、ただ諦めることができない悪足掻き。

 

 

「この世界を壊そうとか、俺を『疫病神』にするとか―――」

 

 

バキリ、と握らされた衛星携帯電話―――1の目しかない神のサイコロを握りつぶし、

 

 

「―――その自分勝手な幻想を、この右手でぶち殺す!」

 

 

上条当麻が動いた。

 

<幻想殺し>の力が宿った右手で『災い縛りの縄』の拘束を引き千切る。

 

『疫病神』でさえ封じる力を、神の力の一部を殺したのだ。

 

 

「―――便利かと思いましたが、やはりその右手の力は強過ぎるか」

 

 

『塞の神』が焦るように後ろに下がる。

 

再び『災い縛りの縄』で拘束しようにも上条当麻の右手はその悉くを食い尽くし、圧倒する。

 

『塞の神』は内心で舌打ちする

 

相性の問題だ。

 

先程の襲撃者<死出の竜姫>よりも、基本性能が超人的でもなく、異能に頼り切りな相手なら、上条当麻を止められない。

 

幻想であるなら、まさか神でさえも殺すとは、何という絶対性。

 

『災い縛りの縄』を完膚なきまでに塵と消された『塞の神』は上条当麻を仕留めるべく走りだす。

 

 

「『疫病神』の付属品にしては危険過ぎる。二度と逆らえないように四肢をここで断ち切った方がいいわね」

 

 

「―――だったら、こっちはその剣をぶっ殺す」

 

 

右手の届かない左側から袈裟がけで迫り来る、『災い断ちの剣』に、当麻は左手首を差し出す。

 

いつもその左手に巻いている、その腕時計は――からの最高で最硬のお守り。

 

<病魔の使役者>であろうと斬り伏せた『塞の神』の『災い断ちの剣』が、水面を跳ね飛ぶ小石のように腕時計に弾かれて、宙を泳ぎ―――その剣の横腹を右手で叩き割る。

 

 

「―――!?」

 

 

対『疫病神』に属性が強化されているはずの『神の武器』をこうもあっさりと破壊する神浄の拳。

 

その右手は、『疫病神』以上に、世界にあってはならない。

 

上条当麻をここに連れてくるだけでも、神の力を限界以上に引き出さなければならなかったし―――何故、あそこまでのトラウマを抱えているのに、まだ完全な『疫病神』にならないのだ。

 

『自分と同じくらい不幸な同類』とこの『炎の宝珠』に願って連れてきたものなのに、何故こうまで………思い通りにいかない。

 

 

「この世界はあなたとは関係ない! だったらこんな救うべきのない世界なんて! 壊れちゃっても良いじゃない!」

 

 

例えば、不幸な事故で亡くなったとニュースが流れて同情しても、それは意味のない感傷だ。

 

テレビの向こうには関われないのだから。

 

自分の世界を捨ててまで、自分に関わりのない世界を救おうなど、自分の世界を馬鹿にしている。

 

口にするまでもない世の摂理。

 

関係のない人間、反対をしない人間は、それだけであらゆる不幸を肯定している。

 

その不平等、不条理、不義理は覆しようもない。

 

 

「それでも“ある”のなら価値がある! アンタにとってアンタの世界が最悪でも、最低でも、アンタが生まれたんなら、アンタを産んだんなら、ずっと積み上げてきた世界はアンタにも意味があるんだ! 不幸でも、何者かの不幸で成り立っている世界の幸福を台無しにしてどうすんだよ!」

 

 

でも、ここにいる。

 

遠いとも、高いとも、違うのではなく、今自分は彼女と同じ立場にいる。

 

結局、人間は自分しか救えないとしても。

 

他人の為に他人を救おうなんてきれいごとでは誰も救えないとしても。

 

けれど、少しでも関わったのなら、少しでも手が届くのなら、少しでも救えるのなら。

 

この問答無用の誰もが笑って終われるハッピーエンドを望む<偽善使い(フォックスワード)>は自分の為にその拳を振るえる。

 

 

「どんなに不幸だろうとアンタの力で何かできんなら、きっと誰かを救える。そして、誰を救える奴は、きっと同じように誰かに救われる。だから、アンタにも幸福になれる幻想が、アンタが生きているこの世界にないはずがねぇ! それを――――殺せとアンタは言うのか!」

 

 

上条当麻は世界が敵にまわろうと味方になってくれる『誰か』が、世界中を不幸にしようと自分の手で幸せにできる『誰か』がいると信じているからこそ、完全に『疫病神』にはならない、なることができない。

 

『塞の神』にされた少女は高い声で喚き、黒い携帯電話――『疫病神の帳簿』を突きつける。

 

 

「だったら、あなたは死ねるんですか! 『塞の神(わたし)』を殺したら、この『疫病神』の<パッケージ>は解除できないし、あなたは元の世界に帰れない! 『疫病神』のあなたは誰からも蔑まれ、この世界で死ぬしかないんですよ!」

 

 

上条当麻は、とうとう『塞の神』の少女の前まで踏み込んで、

 

 

 

「―――だったら、俺の幻想を、この世界に投影する!!」

 

 

 

『塞の神』の望んだものを引き寄せる『炎の宝珠』をその左手で掴み取った。

 

 

 

『良し! ようやく開通しました!! ワンワン!!』

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「っ―――! そんな、『塞の神』の『縁切り』で貴女は確かに分かれさせたはずなのに……! 並行世界の狭間は、二神のイザナミであっても超えられる壁ではない! 人間の貴女がそれを突破してきたとでも!?」

 

 

当麻でも何故そうしたのかは分からず、ただ無意識に叫んで―――それに“知っている”声が返ってきた。

 

壁越しに聞こえるかのように空間に響く声は苦楽を共にしたもので忘れるはずがない。

 

『塞の神』の少女は金切り声を上げて叫ぶ。

 

だが、この声は、神さえ超える神上のものだ。

 

 

『もちろん。というか、神であろうととうせんぼする世界の理という門番は<幻想殺し>で壊されてます。詩歌さんも通行料代わりの拳を叩きつけて、押し通らせてもらいました! 何しろ、私の兄が、妖怪に誑かされるかの瀬戸際でしたから』――――「はい、到着! おまたせしました」

 

 

当麻もまた妙な違和感を感じ取り、上を見上げ、瞳を凝らす。

 

遥か上空から何かが降ってくる……

 

理由は分からないが、そんな風に感じた。

 

やがてゴマ粒みたいな何かが愚兄の視界に入り、それが徐々に大きくなっていた。

 

 

「……人間? お、女の子?」

 

 

鳥の羽毛がひらひらと舞い降りるように、それは降ってきた。

 

自然と愚兄の身体は動き、手を出すと、女の子はゆっくりとお姫様だっこの形で、腕の上にふわりと舞い降りた。

 

そして、それは徐々にリアルな体重となって、愚兄の両腕にずっしりと響いていった。

 

 

「やっと見つけましたよ、お兄ちゃん!」

 

 

腕の中の女の子は、当麻の顔を確認すると、嬉しそうにそう叫んだ。

 

 

「……お、お兄ちゃん?」

 

 

いつか、どこかで聞いた声。

 

どこかであった顔―――

 

この娘は俺の事を知っているのか……

 

っつーか、それ以前に空から女の子が降ってくるなんて、この世界には天空に浮かぶ城でもあんのか!?

 

そんな疑問が脳内でぐるぐると回転し始めたのだが―――ひどく懐かしい彼女の姿。

 

腕の中の少女は、目を白黒させている当麻をジロリと見て、

 

 

「ん? 当麻さんが呼び出したから、ここに来れたのに恍けているなんて。早く思い出してくれないと拗ねますよ、泣いちゃいますよ。諦めが悪いのが、私が誇りに思える長所なんですよ」

 

 

そして、

 

 

「し、しい……か……?」

 

 

呆然と、その名を呼ぶ。

 

詩歌―――上条詩歌……!!

 

その名詞は、忘れてはいけないはずの、自分の根幹を構成する上で重要な単語。

 

縁を切られようと完全には忘れることのできなかった上条当麻の賢妹。

 

その単語が発生されたのを起点に、彼女との記憶が怒涛のように押し戻り、一気に再構築される。

 

数瞬の時を経て、上条当麻は再び上条当麻になった。

 

 

「うん、復活したようですね」

 

 

「ああ、にしても、どうして詩歌が……詳しい事は分かんねーけど、多分ここってパラレルワールドって奴なんだろ。神様だって、難しいって思うんだが」

 

 

抱き抱えていた詩歌を降ろしながら当麻は訊く。

 

 

「まぁ、確かに。並行世界への運航なんて、どっかの魔導元帥クラスでもないと大変ですが、来れちゃいました。そんな不可能を可能にしてしまうくらい、詩歌さんが当麻さんを想う力が強かったってことですね」

 

 

そんな照れくさい事を臆面もなく言うので、逆にこっちが恥ずかしい。

 

 

「ふふふ、兄妹の縁切り―――つまり、当麻さんと“私に”作用した、この『塞の神』とのパスを辿る事ができたんです。それに、当麻さんがあの時、右手で世界の一部を破壊してくれたので、入り易かったですし。空間移動系能力の一一次元以上に複雑怪奇な『異界旅行』の演算が初めてなんで、ちょっと時間がかかっちゃいましたけど」

 

 

『縁切り』は個人では意味がない。

 

上条当麻と、上条詩歌にも作用したのだ。

 

例え神の力であろうと、触れれば理解し、己の力として投影するのが上条詩歌の<幻想投影(イマジントレース)>。

 

そして、上条詩歌の形無しの空な思考の柔軟性は、本人でさえ知らぬ利用法、可能性を新たに生み出す。

 

 

「本当に、急にいなくなったんだから、もう心配したんですよ、わたし」

 

 

しばらく抱擁が続く。

 

伝わる彼女の体温を感じながら、当麻は言葉にならない色々な事を考え、やがて、最初に伝えるべき筈だった言葉をその耳元に届ける。

 

 

「心配させてごめんな。そして、ありがとな、詩歌」

 

 

「本当ですよ、全く―――って、そんな悠長にしてる暇はないんだった!」

 

 

少しだけ名残惜しそうに、詩歌の方から一歩離れて、次に『塞の神』を見て、

 

 

 

「よくも、私のお兄ちゃんをさらってくれましたね……」

 

 

 

 

 

そして、何かが起きた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(うわー……すごいというかひどい。いや、むごい。神様だろうと容赦ないな俺の妹は)

 

 

フルボッコにされた『塞の神』の少女を見て、若干引き気味の当麻さん。

 

今、目の前で起きたことを具体的に明言しないが、自分がいつもやられているお仕置きが、あれでも手加減されていたんだなぁ、と思い知らされた。

 

そうして、事情は『壁』の向こう声が聞こえていてある程度把握していたらしく『塞の神』を投影した上条詩歌はこの『疫病神の帳簿』に載せられた名前を全て『焼却』して、

 

 

「私はこの人をあなたの幻想で幸せにします。ええ、あなたの幻想で人が救える、その幻想を持つあなたは救われることを証明してみせる」

 

 

兄妹の前に、敗れ去った『塞の神』に言う。

 

 

「……」

 

 

彼女は無言のまま何も答えないが、それでも詩歌と視線を通わせ、『やれるものならやってみろ』と目で語る。

 

そして、詩歌はそれに微笑みで応えると右手を当麻に差し出す。

 

握れ、ということだろう。

 

 

「とっととこの世界から脱出しますよ。皆の待っている元の世界へ」

 

 

そうだな。

 

今の自分はこの世界の異分子で、救出される身分だった。

 

当麻は差し出された詩歌の手を取る。

 

それは、間違いなく握り慣れた妹の手だった。

 

 

「でも、どうやってここから脱出するんだ?」

 

 

「当麻さんが最初にこの世界に降り立った場所です。きっとそこにまだ、世界の亀裂が残っているはずです。あとは私に任せてください。あ、この投影した力を失うのはマズいので、これからは右手でのお触りは禁止の方向で」

 

 

詩歌は頼もしい微笑みを浮かべると、当麻の左手を取って走りだした。

 

兄妹は走った。

 

手を取り合って、並行世界から脱出するために。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

事件が解決したせいか、少し周りの景色を見ていこうかと、自然と2人のペースが落ち着く。

 

最新テクノロジーで森林が整備されていることもあって、学園都市にはない不思議と空気が濃い味がする。

 

帰宅時間の夕方特有の、少し寄り道したくなる空気。

 

この村全体で世界の命運を左右した激闘など知らぬげに、妖怪慣れした田舎の農家の人たちは自分の畑の世話に精を出している。

 

 

「どうしたんですか?」

 

 

「ん……いや、何でもねーんだけど」

 

 

少し考えて、当麻は、ああそうかと相槌を打った。

 

 

「選挙とか戦争とか忘れて、二人で歩くのは、結構久しぶりだな」

 

 

「ふふふ、そうですね」

 

 

詩歌もゆっくりと頷いた。

 

今、学園都市の選挙が終わり、次は外の世界へと戦争を止めるために遠くを考えている。

 

ここがそれとは何の関係ない、学園都市とは真逆の田舎風景『インテリビレッジ』だからこそ、少しの間でも忘れられたのだろう。

 

本当に。

 

起きたら忘れてしまいそうな。

 

夢を見るような。

 

ゆっくりとした時間。

 

手を重ね合わせつつ、さしたる話をすることもなく、兄妹は歩く。

 

これまでの二人の時間を、ゆっくりと馴染ませるように。

 

 

「偶にはこうしたいな」

 

 

「そうですね」

 

 

短い言葉だけ、少し交わす。

 

それだけで、互いに満足してしまう。

 

ひとりじゃなくふたりなのだと、多分それだけを確認したかったんだろう。

 

夕焼け小焼けの田舎の風景は、二人のペースで流れていく。

 

二人の影を連れていく。

 

本当に何もない、何もないがある光景。

 

兄妹は田舎では目立つ異邦者で、特に詩歌の容姿は人目を惹くので、時々通行人や農家に振り返られたりするが、それらの顔の多くはふわりと温かな微笑を宿される。

 

ぎゅっと当麻の左腕に詩歌が抱きつく。

 

陽光を吸った黒い長髪はとても温かく、良い香りがする。

 

多分、その熱と香りと、手の平に握った感触だけで、どこまでも歩いていけるだろう。

 

ほんの少し眩しい夕日に、右手を上げる。

 

そのとき、とある二人とすれ違った。

 

 

「―――結局、ありゃ、何の妖怪の仕業だったんだ?」

 

 

金髪のヤンキー――確か、『サナトリウム』でクラス委員だと言われた少年が口を開き、面倒だけど迎えに来た真っ赤な浴衣が似合うグラマラスな黒髪美人がことりと首を傾げて、

 

 

「さあ? 結構長い時間生きてるけど、あんなのは初めてよ。ま、別に解決したようなんだし良いんじゃない」

 

 

「けどな、お前が俺のスマホを借りっぱなしのせいでこっちは大変だったんだぞ!」

 

 

「別に電波が通じなかったんだから、あってもなくても同じようなものじゃない。いざという時、助けを呼ぶことも大事だけど、自分でも動かないとダメよ」

 

 

「結果、窓から香港映画ばりに飛び降りる羽目になったんだがな」

 

 

風貌に似合わず苦労を抱えてそうな少年と、遊び人気質なお姉さんの組み合わせ。

 

相性が悪いようで、そうでもないらしい。

 

とっくにすれ違ってしまい表情は見えないが、不思議と声はよく聞こえた。

 

 

「駄菓子屋に寄りたい気分ね」

 

 

「駄目だ。もうすぐ母さんが夕飯を作ってる時間だ」

 

 

そのまま適当にお喋りしながら、二人の声は遠くなっていく。

 

一度だけ振り返ってみたが、その時にはもう見えなくなってしまっていた。

 

けれど、何となく、唇がほころんでしまう。

 

 

「どうしたんですか? 当麻さん」

 

 

「いや、なんでもねーよ。俺達も早く家に帰ろうか」

 

 

多分、余計な感慨だ。

 

彼らがどんな人間か当麻は知らない。

 

どんな悩みを抱えていて、どんな不幸に遭ったかも分からない。

 

ひょっとすると、自分以上に波乱万丈な人生を歩んでいるのかもしれない。

 

だけど。

 

この世界で、彼らの物語の主役は、きっと彼らなのだろう。

 

いや、あの二人だけじゃなく、クラス委員に見舞われていた女子学生も、あの襲撃者の女も、これまで出会った誰も彼も、自分の為に自分だけの物語を生きていくのだろう。

 

誰でも、いつでも、どこででも、物語は続いている。

 

続いていく。

 

きっと。

 

 

 

誰も彼も、自分が笑えるハッピーエンドを目指している、そんな風に思った。

 

 

 

 

 

 

 

そして、二人は、当麻が最初に見た田舎へ辿り着いた。

 

 

「このあたりだと思うんですけど―――」

 

 

詩歌がキョロキョロとあたりを見回す。

 

 

「ありました!」

 

 

詩歌が道の真ん中を指差す。

 

しかし、詩歌の指示した向こうには、この『インテリビレッジ』ののどかな風景が広がっているだけだ。

 

 

「何があるんだ?」

 

 

「亀裂です。見えません?」

 

 

詩歌が目を丸くして言う。

 

けど、目を凝らしても、やっぱり自分の目には何も映らない。

 

 

「ああ、多分、『塞の神』か、その力を投影している詩歌さんにしか見えないんでしょう。でも、大丈夫です。修復され狭まってますが、ぎりぎり一人分は通れそうです。当麻さん、亀裂に触れさせないように右手を胸の前に。私が後ろからナビします。指示通りに動いてください。そこを潜れば、あとは『塞の神』の力で当麻さんを向こうに送ります。狭間には距離と時間の概念がありませんからあっという間です」

 

 

「おう、分かった」

 

 

詩歌が後ろに回り、その背中を押そうとする。

 

その亀裂とやらがどこにあるか分からないが、彼女に指示に従えば、間違いない。

 

後ろにいるのは、正真正銘の妹だ。

 

そこがどんな未知の空間だろうと何の疑いの余地はない。

 

 

 

なのに、当麻の足は止まった。

 

 

 

「ん? どうしたんですか? もしかして、怖いんですか?」

 

 

躊躇した。

 

もちろん、怖いけど、そうじゃない。

 

そこに亀裂が本当にあるのか疑っているわけでもない。

 

ただ、疑問が引っ掛かった。

 

一体、詩歌は『塞の神』の力をどう使って、自分を元の世界へと送るのか。

 

たとえ、本人でも妖怪は力を発動させるためには、設定を守らなければならない。

 

それは絶対。

 

なら、どうやって、『塞の神』の条件をクリアさせるつもりなのか。

 

 

「なあ、詩歌。どうやって」

 

 

「質問はあとあと。とにかく急いでください。ちゃんと向こうに行ったら教えてあげます」

 

 

そして。

 

 

ポン、と背中を押された。

 

 

その瞬間―――無音の空間に切り替わった。

 

 

ここがどこなのか分からないが、切り替わる瞬間に当麻の目にも確かに見えた。

 

 

この世界を抜け出すための亀裂の姿が。

 

 

愚兄と賢妹の―――境界線が。

 

 

 

 

 

世界の狭間

 

 

 

『ふう、これで条件はクリアしました。お馬鹿な兄の面倒は大変です。けど、それでもどうにかするのが、妹の私の役目』

 

 

振り返り、そこに見えたは田舎の風景ではなく、妹の姿でもなく、大きな石の壁―――亀裂を塞ぐ神様の象徴。

 

その向こうから、落ち着いた声が―――あの時と同じように壁越しから届くように―――聞こえて。

 

まさかまるで―――また、別れてしまう、のか。

 

 

『もう終わったので、答えましょう。『塞の神』の特性は、『縁切り』です。あの世とこの世を遮ったように、二人の縁を切る。―――“だから、私と当麻さんを入れ替えればいい”』

 

 

「なっ……それって」

 

 

『当麻さんが向こうに行った時点で、『塞の神』は発動します。当麻さんには<幻想殺し>があるから、こうして神様の力を借りてやっと向こうに送り返せるかってところです。騙して悪かったですが、滅多にない妹からのわがままってことで、許してください』

 

 

そんな―――詩歌と、別れないといけないのか。

 

ここまで助けに来てくれた、記憶を失くした自分を、自分以上に信じてくれた。

 

感謝してもしたりない、自分の半身のような妹を、こんな、ことで―――?

 

 

「でも、帰ってこれるんだよな! 詩歌は自分一人でこっちの世界にこれたんだ! だったら」

 

 

『あまり、希望的観測は述べたくないので言いますが、例え狭間を渡る事ができても並行世界は鏡合わせに無限にあります。そこから『塞の神』とのパスを辿って、当麻さんのいる世界を見つけましたけど。何も目印の無い状態からお目当てのものを見つけるのは、生涯かけても無理なのかもしれません』

 

 

告げられた希望のない現実的な観測。

 

上条詩歌の言う事を上条当麻は信じている。

 

だけど、これは――――信じたくない。

 

 

『上条当麻。アンタの言う通り。どんな理由があろうと弟が犠牲になるのは間違ってんだ』

 

 

ああ……

 

自分と同じ『疫病神』、ヴェントの言葉が甦る。

 

それに対して自分は、何といった?

 

兄姉(じぶん)達よりも、妹弟達(あいつら)の想いを優先してやれ、って……

 

 

「くそっ―――」

 

 

形振り構わず、後戻りになろうと愚兄はこの右手をその石壁に叩きつけようとし―――けど、その前に、その行動を読み切った賢妹の言葉が押し留める。

 

 

『だからと言って、この壁を壊してはダメです。もしこの亀裂が大きくなって並行世界同士が混ざり合うのは、危険……両方とも壊れてしまうかもしれません。それにどうやら<幻想殺し>の許容越えするほどの出力が必要なために、この『塞の神』を無理にブーストしたおかげで、一時的にこの世界で言う『妖怪』として身体が変性されていってます』

 

 

淡水の魚が、海水では住めないように。

 

地底の闇を食したイザナミが、地上の光を恐れたように。

 

人間から幻想上の生き物に適応してしまった彼女は、その右手に触れられない。

 

 

 

『―――だから、もし右手でその壁に触れれば、壁と接続した上条詩歌は死んでしまいます』

 

 

 

そう、言われたら―――出来るはずがない。

 

 

 

それが、本当なのか分からない。

 

けど、上条当麻は、上条詩歌を信じている。

 

何より、万が一にも妹を守ると誓った右手で妹を殺させるわけにはいかない。

 

詰み、だ。

 

 

『まあ、並行世界なんて滅多に出来ない体験で面白そうですし、元の世界に帰れる方法も見つかりますよ』

 

 

向こうから聞こえてくる声は明るい。

 

―――でも、本当に笑っているか、妹の顔を、当麻には確かめられない。

 

 

『私の<幻想投影>が保持できるには制限時間がありますから、強制的に」

 

 

「認めるか!! こんな結末なんて絶対に認められねぇ!! それならそっちで一緒に」

 

 

暮らそう、なんて後ろ向きな言葉は言わせない。

 

 

『ダメです。当麻さんを『疫病神』にさせられる世界にいさせるわけにはいきません。それに当麻さんがいなかったら、向こうできっと多くの人が哀しみます』

 

 

「それはお前もそうだろ! 詩歌、お前が、お前がいないなんて、皆が、俺が、どれほど……俺にお前以上に大事なものはいない!」

 

 

『……………そんなに言うなら、探してみるといいんじゃないですか? 異界旅行は衝撃が強過ぎて大抵その記憶を失ってしまいます。それでも、諦めないで、お兄ちゃんが本当に大事だと思える相手を求めて。そうすれば――――』

 

 

その言葉を最後に、上条当麻は光の彼方へと飛ばされた。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

―――地面に転んだ。

 

 

 

石に足を引っ掛けて。

 

大根おろしで大根を擦るように、盛大に顔面から着地のヘッドスライディング。

 

ただ、“それだけ”のことなのに、ぽっかりと胸に穴があいてしまったような。

 

何か遠い世界に自分は何か、大切なものを置いてきてしまった、気がする。

 

 

「不幸、だ……」

 

 

ただ石に足を引っ掛けて、転んだだけなのに。

 

こういった不幸は日常茶飯事のはずなのに。

 

 

 

上条当麻は、泣いていた。

 

 

 

この程度の痛さで涙を流すようなら、自分の眼はもう枯れ果てている、のに。

 

ただ、転んだだけなのに、視界がぼやける。

 

何か身を削るよりも、直前の記憶が削ぎ落とされて、思い出せない。

 

後悔が……悔やみきれない、後悔が代わりにその穴を埋めるように。

 

 

 

『諦めが悪いのが、お兄ちゃんの長所でしょ』

 

 

 

「ああ―――!」

 

 

当麻は、立ち上がる。

 

走る。

 

どんなに可能性が薄くても、何にも覚えてなくても、心が止まるなと叫んでいる。

 

まだ、覚えてない後悔を、泡沫の夢とし、忘れてしまう前に。

 

 

 

 

 

常盤台中学の学生寮

 

 

 

 

 

『今日は平日のはずだが、どうして君がここに。もう授業が始まるころだろう。他校の寮の管理人とはいえ大人として―――ん? ――なら、朝早くに寮に出たが』

 

 

 

 

 

常盤台中学

 

 

 

 

 

『アンタねぇ! いくら――さんと家族だからって、こんな所まで! <学舎の園>にどうやって入ってきたのよ! ―――は? ――さんは、まだ学校に来てないわよ』

 

 

 

 

 

RFO

 

 

 

 

 

『おや? 君一人でここに来るとは珍しい―――え? 今日――君はここには来ていないが』

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

 

 

『おやおや、血相を変えて病院に飛び込んでくるなんて、また怪我でもしたのかい? ―――うん? ――君? ここにはいないと思うよ?』

 

 

 

 

 

とある高校

 

 

 

 

 

『上条君? どうしたの? そんなに血相変えて』

 

 

『アンタねぇ、連絡もなしに学校をサボって、どこほっつき歩いてたのよ。―――はぁ? ――さんは今日、こっちには来てないけど。学校が違うでしょ』

 

 

『あ、上条ちゃん! 学校サボってどこに―――って、ああ!! もういっちゃいました……』

 

 

 

 

 

とある学生寮

 

 

 

その後も、公園、繁華街、路地裏………いそうな場所を探してみたけど見つからない。

 

この行為に、意味はあるのか。

 

この行為に、意義はあるのか。

 

この行為に、意図はあるのか。

 

上条当麻にも分からない。

 

もう、記憶も、何も、ないのだから。

 

だが。

 

自分には、意思がある。

 

自分には、意気がある。

 

自分には、意地がある。

 

上条当麻は、諦めるわけにはいかない。

 

そして、最後は………

 

 

「あ、とうま、おかえりー」

 

 

上条当麻の部屋。

 

出迎えてくれたのは、妹の――ではなく、居候の修道女、インデックス。

 

 

「あ、ああ……ただ、いま」

 

 

彼女の靴はなく、玄関から見えるリビングにも、誰もいない。

 

留守番中に暇潰ししていたと思われる雑誌やDVDが散らばっており、もし、――が来ているなら、真っ先にそれは片付けられているはずのもの。

 

訊かなくても、ここにはいない、と分かってしまった。

 

 

「くそ……」

 

 

諦めない。

 

 

「くそ……っ!」

 

 

諦めたくない。

 

 

「くそおおおおぉぉっ!!」

 

 

でも、どこを探していいのかも分からず、当麻はここで、ついに、膝をついてしまう。

 

行き場を失くした感情をのせた右手を地面に叩きつけ、

 

 

 

「不幸―――「一体、何事ですか? 近所迷惑ですよ、当麻さん」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっっ!?!?!?」

 

 

 

 

 

「あのー……流石に、一日に二度も悲鳴を上げられるのはショックですよ」

 

 

どういうわけかは知らないけど、この世界にいないと思った少女が、そこにいた。

 

いつものように買い物袋を持って、微笑みを絶やさない。

 

『むむぅ。そんなに『俺の妹がヤンデレ過ぎて眠れるはずがない』が怖かったなんて。べ、別に詩歌さんはそんな一方的なヤンデレは認めてませんよ。ええ、習得しているのはツンデレまでです。けど、……()は盲目で……()の病と言いますし、もしかすると、ひょっとして、極微量にヤンでるかもしれませんが、私達兄妹の絆の前に、ニート軍師の策略なんて、きっと時間が経てば……直ってくれるはずです、よね?』

 

うーん、と妙に勘違いして、あまり構い過ぎだとやはりマズいかと今日は帰ろうかと悩み始める詩歌に、ようやく思考再起動した当麻が、引き留めて、

 

 

「ど、どうして!? 学校にもいなかったし」

 

 

「それは、留学関連で親船最中さんと相談したり、『学生代表』として色々と仕事してましたから。午後には学校にいましたけど。そういえば、美琴さんが騒いでましたが、どうしたんです? 詩歌さんに何か用ですか?」

 

 

と、逆に訊かれれば、何だっけ? と首を傾げてしまう。

 

向こうも『そこで首を傾げられても困りますよ』と呆れたように同じく何も覚えていない様子で首を傾げる。

 

もうすぐ詩歌が学園都市を離れて行ってしまうから、ありえない幻想でも見てしまったのだろうか?

 

いや、今はそんなことよりも、

 

 

「すまん! 思いっきり抱かせてくれ!」

 

 

「はいどうぞ――― って、ええぇっ!?!?!?」

 

 

そして、愚兄は賢妹の肩を引き寄せると腰に腕を回すと、宣言通りに力強く抱き締めた。

 

 

 

 

 

その後、外の様子がおかしいと気になったインデックスと、何だかんだで心配になって様子を見に来た御坂美琴と鉢合わせになり、往来で、わふ~ッ! と蒸気を上げて顔を赤くして恥ずかしがる(けど、柳髪の尻尾を振るほど嬉しくもある)上条詩歌に絶賛ハグ中の上条当麻は2人にビリガミの刑に処された。

 

 

 

 

 

上条家

 

 

 

『やだ。おにいちゃんをひとりになんてできない! しいかはおにいちゃんと一緒にいる! おにいちゃんが辛そうな時、ずっと詩歌が側にいてあげる!』

 

 

 

幼き日、父に向って吠えた言葉。

 

その幻想は、『縁切り』したはずの兄妹を離れさせなかった。

 

そして、『塞の神』の兄妹和合の伝承。

 

本当に大事だと想える相手を探すために学園都市中を走り回り、なかなか見つからなくても諦めず―――そんな愚兄の不屈が『塞の神』に届き、彼は家に帰った時、また出会えることができたのだ。

 

 

 

そう、『塞の神』は『不幸な縁切り』だけじゃなくて、『幸福な縁結び』の力もある。

 

 

 

つづく


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