とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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幻想編 目覚めた臥竜

幻想編 目覚めた臥竜

 

 

 

道中

 

 

 

『とうま、しいかが―――』

 

 

どうにかインデックスだけを逃がして、詩歌はさらわれてしまった。

 

あのルーンの魔術師や極東の女教皇から逃げ延びたインデックスも、流石に科学が相手では太刀打ちできるはずが無く、当麻が見つけた時にはすでにボロボロでその一言を告げた後、気絶してしまった。

 

不幸慣れした当麻は素早く病院に連絡し、救急車を一台要請。

 

そして、上条当麻はその場を離れ―――

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で何の用だ、土御門。話があるなら早くしてくれ」

 

 

現れたのは、金髪にサングラスが特徴的なクラスメイト―――土御門元春。

 

当麻の口から出たその言葉は、自分でも驚くほど刺々しかった。

 

何となく、分かっている……分かっていたのだろう。

 

そんな言葉を受けた土御門は、本当に申し訳なさそうにコクリと頷く。

 

 

「お前の妹は、学園都市暗部の一組織の者の手によって誘拐された」

 

 

「……」

 

 

「その首謀者は、木原幻生。SYSTEMの提唱者で、過去にLevel6を作り出そうとして、……人体実験を行った事もある」

 

 

「犯人は分かってんだな。詩歌はそいつに捕まってんだな。で、そいつはどこにいるんだ」

 

 

「落ち着け、上条当麻。場所も分かっている。だが、奴は神出鬼没でこの街の暗部の中の暗部。お前は手を出すな。この機会を絶対に逃す訳にはいかないんだ。素人に余計に現場をかき乱されたくない」

 

 

<木原>は実験動物に対して、加減はしない。

 

最悪の事態はおそらくもう目の前に迫っている。

 

それでも、気休めにしかならない希望的観測だが、土御門は言う。

 

 

「<幻想投影>は奴らには未解明だ。脳や身体を壊してまで機能維持できるほど単純なものではないと慎重になるはずだ。取り返しの失敗を擦るくらいなら……多少、時間を賭けてでも唯一無二の素体は失わない方がマシだと考えるはずだ。それに<冥土帰し>がいる。あの男なら“命があれば大丈夫だ”」

 

 

上条詩歌を餌にして、木原幻生を釣りあげる。

 

俄かには信じられないような発言に上条当麻は―――

 

 

「カミやん。頼む……」

 

 

「……土御門。お前が一体何を望んでるかしらねーし、何のために動いてるか否定する権利は俺にはねーよ」

 

 

けどな、

 

 

「土御門、分かるだろ? 俺はさ、ただ詩歌と過ごせれば良かったんだよ。魔術でも科学でも、どんな世界でも、どれほど不幸でも構わない」

 

 

その表情はいつもと変わらない。

 

犬歯を剥き出しにすることも、表情筋を歪ませることもない。

 

いつもの調子で語りかけ、むしろ穏やかに微笑んでさえもいる。

 

だがそれは、何の感情を抱いていないというわけではない。

 

土御門元春には、分かる。

 

絶対に失敗が許されない場面こそ、無駄な感情は削り、無意味な余裕に魅せて、無害を演出し、敵を欺くべきだと。

 

それが困難であれば困難であるほど、己を殺し、ただ一つの目的に全てを賭す―――それが、成功への何よりの近道。

 

 

「だから、土御門。教えてくれる気が無いのなら―――お前をぶっ殺してでも、情報を奪う」

 

 

今、上条当麻は笑ってる。

 

怒ることも、悲しむこともしない。

 

だからこそ、危険なのだ。

 

これは最終警告。

 

上条当麻は、感情を抑え込んで、親友を“敵”として見る顔を作れる自分自身を心底軽蔑しながらも、上条詩歌を助けるために邪魔ならば土御門元春を殺す覚悟を決めている。

 

こちらがまだ感情面に折り合いをつけないのに対し、もうすでに向こうは戦う準備を終えており、返答次第では、殺すことも辞さない。

 

2人とも相手を殺したくないのに、向こうは必要なら躊躇わずこちらを殺す。

 

この状態で、殺し合いをすれば、確実に自分に分が悪い。

 

土御門は自分が覚悟を決めるためにも、問い掛ける。

 

 

「状況を分かっているのか? 学園都市を、世界を敵に回すかもしれないんだぞ。死ぬ気か、上条当麻」

 

 

「その前に、詩歌に会う」

 

 

「仮に会えたとしても、上条詩歌はお前が危険な目に遭うのを望んじゃいない、拒絶されるかもしれないぞ」

 

 

「関係ない。俺は、詩歌に会って、直接言わなくちゃ……面と面で向かって、言いたいことがある。それから、詩歌がどうしたいかを訊く」

 

 

「それで、助けを求めたら?」

 

 

「助ける」

 

 

「なんとまあ……妹一人のために、本気で世界を敵に回すつもりか」

 

 

「土御門」

 

 

分かるだろ? とは言わない。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

『………彼がお気に入りの子だと言うから調べてみたが、何と素晴らしい資質の持ち主じゃないか』

 

 

ん……

 

混濁していた意識がゆっくりと覚醒してくる。

 

ズキリと身体が痛んだ。

 

……そう、自分は気絶させられたのだ。

 

どれくらい気を失っていたかは分からない。

 

当然、ここがどこかも分からない。

 

狭いカプセルのようなベットに閉じ込められ、身体を拘束されているようだ。

 

解放されてれば、高級なマッサージチェアのような感じ。

 

透明なキャノピーに覆われていて、その向こうにはコンソールパネルが並んでいる。

 

何かの制御室だろうか?

 

いや、ここは学園都市。

 

どこかの研究施設に違いない。

 

 

『おや、失礼。起きていたんだね。もう少し眠っていても良かったんだがね。そのベットは君の知り合いのお医者さん、<冥土帰し>のよりも快適なはずだよ』

 

 

外部の音はマイクで拾っているのか、その声はカプセル越しではなく、耳元から聞こえてきた。

 

心臓を鷲掴みにされるような恐怖が走っていたが、それを無理やりに押さえ込んで状況把握に努める。

 

恐怖に支配されるな、冷静に、現状を見極める。

 

 

―――そして、記憶がその相手の姿から名を検索する。

 

 

「木原、幻生……?」

 

 

先の幻想御手事件のきっかけを作った首謀者。

 

 

『強引な招待で大変申し訳なく思っているよ。実は上条君に我々の実験に協力をお願いしたくてね』

 

 

「……お断りします。私を帰してください」

 

 

『ハハハ、随分とすげないねぇ。こちらの初対面の印象とはだいぶ違うなぁ』

 

 

人を拉致して、拘束して、実験の協力を強制しているのに、この男はどうしてこんな顔で笑えるのだろう……

 

誘拐した実行犯というより、ここで笑顔を浮かべられる方がおぞましい。

 

初めてだ……

 

心の底から信用ができないと思った人は、この人が初めてだ。

 

 

『まぁ、いい。悪いけどね、君がこのカプセルに寝ている時点で準備は終わってるんだ』

 

 

「………」

 

 

『物分かりが良いみたいで助かるよ。そのまま大人しくしていてもらいたいものだね。ああ、安心してくれたまえ。君は貴重なサンプルだ。手荒に扱う気はない。大丈夫。すぐに楽になるよ』

 

 

老人は白衣の研究員っぽい助手に命じて、何かを操作させた。

 

すると―――

 

 

「ッ!?」

 

 

『これでぐっすりと眠れる。あとはこれを子守唄にして聴いてれば次に目を覚ました時には、君はもうLevel6になっているはずだよ……』

 

 

老人の声が遠くなり、急激に瞼が重くなる。

 

催眠ガス!?

 

マズい。

 

ぐっすりと眠ってしまったら、何もできない。

 

Level6……? その言葉は疑問を抱かせ、不安を煽る。

 

そして、耳に小さく唸るような音が聞こえてきた。

 

聴覚検査で聞いた事のあるような、どこかで蚊が飛んでいるような、そんな音……

 

この音を聴いてはいけないと直感が告げる……しかし、両手は拘束されていて耳を塞ぐ事も出来ず、また身体はこの眠りの誘惑に抗えず、重い泥のような眠気に意識が引きずられていく。

 

 

(お兄ちゃん……っ!)

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

初対面での鏡を見たような直感。

 

 

―――この男は自分と同じだ。

 

 

上条当麻は、土御門元春と同等か、それ以上。

 

己のように闇を知らぬのに、闇を恐れて対策を建てる異常性。

 

それ故に交渉役に抜擢された土御門だが、それ故に交渉不可だと土御門は誰よりも理解できる。

 

 

「……だったら、ここで力づくでも大人しくしてもらうしかないな」

 

 

銃など所詮はストレートにしか飛ばない。

 

ワンパンKOのハードパンチャーだって、当らなきゃどうってことはない。

 

だが、拳は、ストレートはもちろん、フックやアッパー、ジャブによる牽制も打てる。

 

その人の技量でいくらでも軌道は生み出せる。

 

震える手が軽く拳を握ってジャブを上条当麻の眼前に突き出す。

 

まるで殺気のないその初撃は、当然のように容易く躱される。

 

踏み込んだ足、親指の付け根の当たりを軸にして腰を大きくひねり不発に終わったジャブが薙ぎのフリッカーに変わる。

 

単発で終わってしまうような一撃必殺など必要ない。

 

何度も、執拗に、相手が嫌がる事を繰り返す。

 

地味に何度も繰り返して、相手が苛立ちで冷静さを失くし、強引な手段になってでも決着を求めてくる瞬間や、弱って諦めが顔を覗かせた瞬間に止めを刺す。

 

距離という弱点もあるが、弾切れはなく、どこにでも携帯もできる、極めれば銃をもった相手でも倒せる。

 

ひたすらに攻める単純思考しかできない輩にはこれで十分―――だけれど、

 

 

(……やはり、喧嘩の時のようにはいかないか)

 

 

日常で、何度かやり合った事もあるが、上条当麻の身体性能はずば抜けており、また頭の方も場馴れしている。

 

あのステイル=マグヌスを素手と体術で真っ向から撃破したと聞いている。

 

そして、今、分かった。

 

その命をかけた戦闘であっても、この男は全てを見せていなかった。

 

 

殺してはダメ。

 

 

自分が嫌なのもそうだが、誰かが傷つくのを悲しむ、他人の痛みを我が事のように感じてしまう妹に当麻は気遣っていた。

 

それは実際の戦闘では、大きな縛りだった。

 

 

だが―――その縛りを守る、手加減などと遊びをしている余裕は既にない。

 

 

ガンッ!

 

 

こちらの意図が分かっているが故に、わざと作った“攻め込みやすい隙”に攻撃を誘われれば、そこに吸い込まれるように手を伸ばしてしまう。

 

読まれてる、と土御門が確信した時には、拳を拳で弾かれるという実力を明確に示すやり方で防がれた。

 

 

「……なるほど、普段は、手加減してたわけか……カミやん、昨日のは撤回だ。騙すのがうまいにゃー」

 

 

「お前に言われたくねーよ、土御門」

 

 

ガガガガッ! と拳を拳で打ち合いながら、素早く視線を巡らせ、踏み込んだ足を半歩引き寄せると同時に軸足をスイッチ。

 

だが、相手の脇腹に蹴りを入れようとした瞬間を見逃さなかったのだろう、上条当麻は体勢を入れ替えると同時に背を見せる。

 

しまった―――と思った時には遅く、動きを止めてしまった瞬間にすでに、当麻の脚がこちらの脇腹に深々と突き刺さった。

 

 

「……ゴハッ!?」

 

 

ゴキィッ!!!

 

 

崩されたところで食らった鞭のようにしなる強烈な蹴りの威力に、圧迫された内臓が悲鳴を上げ、口と言わず鼻からも胃液が噴出する。

 

 

(反則だろ! この馬鹿力は! 下手すりゃこれで人を殺せるぞ! ―――)

 

 

今の一撃で肋骨が折れて肺に食い込み、喉がヒュウと鳴る。

 

肺をやられれば呼吸ができなくなる。

 

呼吸ができなくなれば、いずれ筋肉が動かせなくなる。

 

気合とか、根性の問題ではない。

 

ガソリンが無ければエンジンが止まるように、呼吸が止まれば身体も動かなくなるのは自明の理。

 

グラリと揺れる足元。

 

だが、ここで身を折って膝を地面に着けば、一気にやられる。

 

ザワリと全身が泡立ち、過剰にアドレナリンが噴き出す。

 

逆流した胃液が鼻と喉を焼き、溢れ出た涙と汗で視界が霞む中、土御門は、一瞬、こちらを蹴って心配した―――怯んだ当麻の甘さが生んだ隙を見逃さない。

 

崩れ落ちそうになる体勢を利用して、倒れこみながら―――

 

 

ガンッ!

 

 

「……うっ!」

 

 

土御門は必殺と呼べるほどの威力はなくても、それを、急所を突く『死突殺断』という独自の体術で補っている。

 

例えば、このように足を踏み潰す。

 

逃げるにはもちろん、攻撃する際に構える時も足はプロの命だ。

 

また足元というのは、背後よりも対処しづらい死角。

 

足をやられた相手は必ず動揺し、隙が生まれる。

 

 

「―――集気三叉(俺に力を貸しておけ)!」

 

 

震脚からの発動。

 

確実に戦闘になると、予め、この場四方に折り紙を設置した八卦の陣からオーバードライブ。

 

これは上条当麻への攻撃ではない。

 

あれに<幻想殺し>がある限り、こちらが命を削らなければ発動できない魔術戦を繰り広げるのは間違いだ。

 

絶対に自滅する。

 

これは、言わば、ドーピングのようなもので、自身の<肉体再生(オートリバース)>を活性化させ、一時的にでもこの瞬間に身体を痺れから回復させる荒技だ。

 

 

「う……ぉ……お……おぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 

身体を強い力で引き千切られるような痛みと、頭を巨大な万力で挟まれたような気が狂いそうになるほどの痛み。

 

心臓が張り裂けそうな勢いで鼓動し、送り出された血液が、全身の細胞を活性化させる。

 

背を仰け反らせ、理科の実験で電気を流されたカエルの死骸のようにビクンと跳ねた土御門は、上条当麻を吹き飛ばした。

 

 

「……ぶっ……!」

 

 

こちらが攻撃を意識する間もなく食らったのは、ただの右フック。

 

だが、その攻撃は足の踏み込みもなく、筋肉の膨張や肩口に見られる予備動作もなく、一瞬にして当麻の横っ面に食い込んでいた。

 

当麻には何が起こったのかも分からない。

 

目の前に景色がぐにゃりと歪み、足の指が自然に丸まって地面の踏ん張りが利かなくなり、頭蓋骨がミシリと軋む音を聞いて、初めて殴られたのだと理解し―――全身の毛孔が開き、体中の毛が逆立つ。

 

ゆろめく視界の中に映る、その身体からは湯気のようなものが立ち上り、気を張っていなければ気絶してしまうほどの迫力。

 

そして、さっきのお返しだ、とばかりに、蹴りが飛んできた。

 

ガードする間もなく鳩尾に深々と食い込んだ蹴りに、当麻は肺の中の空気を全て吐き出し、もんどりを打つようにして地面の上を転がった。

 

 

「……ぐっ……」

 

 

呼吸がうまくできない。

 

眼球筋が震えて、物が良く見えず、中々立ち上がれない。

 

ヤバい……動け……すぐに動け……このままだとすぐにやられる。

 

それが分かっていても、身体がまるで動かない。

 

 

「それが貴様の限界だ。上条当麻」

 

 

そして、そう告げられると同時、上条当麻に銃口が向けられた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『お前は、天才じゃない』

 

 

上条当麻は異能に関するものを除いて、どこにでもいるようなLevel0の学生だ。

 

天才でも、賢者でもない、ただの学生、奇蹟からは見放された人間だ。

 

どんなに『能力開発』を受けようと能力は身に付かないし、どんなに知識を得てもこの右手が台無しにしてしまうので魔術も使えない。

 

特別なことは何もできない無能な人間。

 

それは、己とは対照的な何でもできる全能な少女と比較されてきたので、よく知っている。

 

これを聞けば、彼女は気にするかもしれない、また知っているかもしれないが、共に学校生活を過ごした小学校で『あんなに出来の良い妹と比べて、この兄は……』、『もっと真面目にやったらどうなんだ』などと学生教員子供大人問わず陰口を叩かれたものだ。

 

おそらく、それも妹がいつまでもLevel3に甘んじている要因の1つだろう。

 

妹は6年生になるまで(幼馴染な妹分にとあるお願いされるまで)、周りが上がるのを我が事のように祝っていたが、自分自身のLevelには無頓着だった。

 

だが、当麻はそれを聞かされても、彼らに怒る気にはなれず、むしろ同感してさえいる。

 

だって逆に考えれば、凡庸な兄を持つにも関わらず、彼女が周囲に認められるほど非凡な人間だという証明だ。

 

 

嬉しくないはずがない。

 

 

愚兄な自分とは似ずに、成長していく天才な賢妹を誇らしく思っていたし、己への誹謗中傷が彼女への評価に変わるのなら、不幸がご多幸になったと喜んでもいいくらいだ。

 

だけど、だからといって、だからこそ、上条当麻は凡庸な我が才を省みても、いつもこう誓う。

 

 

普通でも、特別な人間から逃げず、己の才能を逃げ道にしない。

 

 

上条当麻は、真の天才が『己の才能に何の苦悩を抱かないはずがなく、だからこそ、努力する人間である』ことをよくよく知っており、特別な才能に何の悩みも持たずに満足している輩は、天才ではない。

 

何でもできる天才だって悩みはある。

 

妹は、それを悩まない日はないってぐらい、毎日悩んでいる。

 

努力をしない人間は結局、一番大切な経験という部分が足りず、それが無ければいくら先天的な才能があろうと、本当の天才にはなれない。

 

 

上条当麻は、上条詩歌の努力を知っている。

 

 

だから、こんなところで諦めていいはずが無い。

 

 

「……お前、怖くないのか!」

 

 

「さっき言ったろうが! 詩歌の為なら、どんな不幸だって、受けてやるってな!」

 

 

その執念が、最後のチャンスを生む。

 

武器とは冷たくあるべきだ。

 

だが、今、土御門元春が手に持つ拳銃は、熱を宿ってしまった。

 

先の上条当麻と同様の躊躇い―――迷い。

 

それが銃を強く握らせ、心の底からゾッとさせる金属の冷たさを、血の通った人間の体温で温めてしまった。

 

人殺しの道具には無用な感情を持ってしまった。

 

一度でも熱を――迷いを抱いてしまえば、銃は撃てない。

 

少しでも相手の立場となって同情してしまえば、途端に動きが鈍くなる。

 

だから、考えないように、無心で、もしくは開き直るしかない。

 

 

 

けれど、この男は、あまりにも土御門元春に似過ぎた。

 

 

 

土御門元春にここまで葛藤し、悩んだ相手を殺した経験はない。

 

感情を殺して、闇の中で機械のように動いてきた。

 

機械は、悩むなど愚かな真似はしない。

 

けど、矛盾が発生してしまえば止まってしまう。

 

矛盾を抱えながらも前に進む事ができるのが人間だ。

 

致命傷になると無駄を極力省いてきたそれが今、致命傷となる。

 

 

「―――!」

 

 

ツケが、回ってきた。

 

魔術と能力の拒絶反応だ。

 

全身の血管が破裂する。

 

血で滑る銃把を握り直し、手にした自動小銃の銃口を相手に向けようとした次の瞬間―――

 

 

「……行くぞ……」

 

 

恐ろしく丁寧で、几帳面に。

 

銃口が向けられる前に動いていた。

 

常識的に、守るより、攻める方が圧倒的に早い。

 

何故なら攻める側と違って、防御にはまず手順として相手の攻めを認識しなければならないからだ。

 

いくら身体能力を強化しようとその決定的な差は埋められず、そこへ攻撃が想定外ならば、さらに認識から思考という手順も加わる。

 

踏み足の膝を折り、急所の正中線を隠すように半身で肩から相手の懐に入り込む。

 

 

「……ッッ!?」

 

 

上条当麻には近接戦闘しかないから、足の速さは、小学校のころから飽きるほど鍛えた。

 

 

ドンッ!!

 

 

半身で滑り込んで強引に身体を開かせておきながらの頭突き。

 

拳打を警戒していた土御門は、このまるで子供の喧嘩のような体当たりをもろに食らってしまう。

 

喧嘩の仕方は、中学に入る前から身についていた。

 

何せこの能力者だらけの異能の街で1年365日事件に巻き込まれなかった日を数える方が少ないし、無論その中には暴力沙汰でしか解決できないものもあるのだから仕方ない。

 

 

「グッ……がはっ……!」

 

 

不良などといったチンピラは、馬鹿だかずる賢い。

 

だが、ずる賢いだけでは大切なものを守れない。

 

だから、上条当麻は馬鹿なりに勉強して、練習して、備えた。

 

おかげで、普通の馬鹿には出来ないような小器用な真似もできるようになった。

 

 

「何っ……!?」

 

 

「銃を撃った事はねーけど、扱い方は知ってんだよ。こういうこともあろうかとな!」

 

 

怯んだ土御門の手にある拳銃を掴み取り、分解して弾を抜く。

 

ネットで調べて仕組みを理解し、モデルガンを買ってまで練習した。

 

学校の勉強よりも予習は欠かさなかった。

 

昔、ナイフをもった大人に襲われた事があるのだから、拳銃に撃たれる事も不思議ではない。

 

事実、何度か銀行強盗犯に遭遇して突き付けられた事もあるし、実際、武装分解解除は学校で習う勉強よりも役に立った。

 

 

 

この死線を繰り広げてきた経験値も上条当麻の土御門の『死突殺断』の体術に勝るとも劣らない立派な武器だ。

 

 

 

狙いを定められる前に動いて、引き金を引かれる前に接近戦に持ち込む。

 

それが対拳銃戦のセオリーであるが、それを実際に行動できる者は何人いるだろうか。

 

当たる、当たらないの問題ではない。

 

拳銃の銃口はただそれだけで威圧兵器で、怯えないはずがない、怯えていない訳ではない。

 

怯えているからこそ、そして、それ以上に失いたくないものを失う事を恐れているからこそ、的確に対応する。

 

拳銃相手に一歩も引かない姿勢は明らかに常軌を逸しており、異常に見える。

 

でも、上条当麻はあくまで普通なのだ。

 

そして、上条当麻は『不幸』をとてもよく知っており、その『不幸』から守りたい女の子がいる。

 

同類の土御門元春のように、陰陽道など使えるはずもなく、自然と怪我が治っていく便利な身体もない。

 

何もかもできないからこそ、余計なものに目もくれず、当たり前のことで、特別なものに張り合おうと“出来ることを集中的に極めようとした”。

 

特別な彼女に、普通に守れるように。

 

それ故に、上条当麻にしか見えない地平がある。

 

 

「まだだ―――!」

 

 

拳銃がない―――だが、拳がある。

 

野生動物のような牙はないが、人間には牙の如く磨き抜かれた技がある。

 

もはや本能と言えるほどに身体にしみ込んだ体術は、野生動物が敵に牙を剥くように、無意識に身体を動かす。

 

勢いよく上条当麻に飛びかかり、合気術の要領で手首を掴んで無理やりに引き寄せ、そのまま尖らせた肘鉄をこめかみに押し当てる。

 

あとはこのまま地面に押し込んで地面に相手の頭を叩きつければ、防御受け身不可能、相手の体重に己の体重を加算し、一気に頭蓋骨を叩き割る―――つもりだった。

 

 

「……ふぅぅぅぅ……!」

 

 

これは……技術などの問題ではない。

 

強化された土御門元春の突進を、単純に、自力で、脚力で踏ん張ったのだ。

 

穿いている制服のズボンを引き裂かんばかりに膨張した足の筋肉で、加速度の付いた男子2人分の体重を支えきったというのだから馬鹿馬鹿しい。

 

だが、これは現実だ。

 

彼は師がいない我流で己を磨いていったが、手本が無かったと言えば、それは誤りで、身近に上条詩歌というお手本には絶好の天才がいたし、栄養等の身体造りなどと言ったサポートも万全だった。

 

これは土御門元春の孤独で蠱毒の中で鍛えられ、一人で培われた力ではない。

 

無能な愚兄の十年の巨大な研鑽が、今頃になって現れる。

 

 

「ぐふっ―――」

 

 

拘束を外してすぐに、まず狙ったのは人体の急所でもあり、魔術の呪を紡ぐ喉笛。

 

喉に深々と食い込んだ掌底は、同時に顎を霞めるように打ち抜いた。

 

その衝撃で大きく脳を揺らされた土御門は、床が抜けたようにがくりと崩れ落ちる。

 

路面に顔を押し付け、自分の身体が崩れ落ちた事は理解できているが、それ以上のことを考える事は出来ない。

 

 

「悪いな、土御門。今の俺は加減ができない」

 

 

言葉だけが頭の芯に深く突き刺さったまま、起き上がる事も出来ない。

 

どんどん狭まる小さな穴から覗き見るように、最後は意識を維持する事を諦めた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

――――!

 

 

父でもなく、母でもない、ましてや神が遣わした天使でもない。

 

これは『神の子』のように人型のあるようなものではなく、鏡にすら映らない空気のように透明で無形な、神でさえも気づかぬ存在しない幻想。

 

 

 

だけど、それを掴んだ手があった。

 

 

 

その感覚は、己に死を与え、そこから生を知り―――教えてくれた。

 

死生ではなく、詩歌。

 

天上から地へ堕とし、そこに名を以って縛り付けた。

 

けれども、消えるはずだった己に存在意義も理由もなく、命を懸けるものなどなく、だから《私》は、その殺した力に興味が湧いて、心奥の中でナニカを想いながら夢見ることにした。

 

そして、幼年期の少女は《私》を裡に抱えながら、歳月と共に成長する。

 

彼女は、《私》とは違い、人間の親を持ち、人間の血が流れる、人間の形があり、そして、自我がある。

 

《私》は少女の中で眠りながら少年を夢想し、少女の成長を日ごと数えた。

 

駆け抜けるような日々だった。

 

幼年期の彼女は、諌めるべき欠点など存在せず、優れた資質と天性の魅力を持っていた。

 

彼女を知る人間は誰もがその将来に期待し、立派な人物になると信じて疑わなかった。

 

……でも、少女が望んでいたのは平穏でありふれた毎日で、戦う事など望んでいなかった。

 

神にも何でもなれる少女は、《私》を理解せずとも、その視点はあまりに広く、遠く、神ですら理解できないようなものを見据えていたのかもしれない。

 

少年の隣で、その右手を握り、いつまでも特別でもない普通の人であることを望んだ。

 

万人を救う神様ではなく、ただ兄を敬愛する妹であることを願った。

 

 

……なんと不幸な、また自己満足な願望なのだろう。

 

 

神は、そんな望みを許さず、彼女の兄でもあり、最親の少年をこの世全ての悪の要因でもある『疫病神』と蔑まれ、平穏だと信じて疑わなかった世界を理由なく大切なものが虐げられる地獄へ変えた。

 

それをきっかけに少女は変わる。

 

最初、無力でただ真剣に神に祈り、迫害する人を憎んだ彼女はやがて、人を救う神などいないと悟り、だからこそ、人を愛し、共に前へと進み、輝かしい世界を目指した。

 

たった一人のために全を望み、皆が幸福に笑い合うことを願い、滅私奉公の利他的なものへと変わった。

 

少女はそれを己の為に良しとしていたが、結果的に己が損するものばかりで採算の合わない徒労であり、より一層、周囲の人間から期待を背負うことになる。

 

それが、ただ傍観する神でもなく、他力本願な人でもなく、偽善で人を救おうとする『願望機』へと駆り立てた。

 

だが、それでも彼女が帰る場所は変わりなかった。

 

 

 

 

 

 

 

それは不思議な光景だった。

 

地下フロアの二階分をぶち抜いたと思われるこの研究室の内装もさることながら、それを見えない何かが押しつぶし、また塗りつぶしているかのような不可思議な壊れ方……

 

その様子からは、巨人が現れて踏み潰していった跡のようにも見える。

 

上条詩歌はそんな痕跡の上空にいて、胎児のように身を丸めて目を閉じている。

 

 

「こ、これは……」

 

 

老人は呻く。

 

近づこうとしても、透明のナニカに阻まれて、それ以上この研究室の中に進めない。

 

この状態は予測値を大幅に超えている!

 

それは一方でこの素体を選んだ己の勘が正しかった事の証明であるが、もう一方、理性ではなく本能が―――恐怖を沸々と湧きあがらせる。

 

 

―――全23学区支配領域展開。

 

―――学園都市中枢『窓のないビル』、掌握まで、残り1800秒。

 

 

『科学を支配しても、まだ魔術がある。世界全てを、手に入れないと………救えない―――』

 

 

しかし、それは不可能。

 

しかし、それは不合理。

 

しかし、それは不可逆。

 

 

『……っ……それは、まだ人間だから……! ……になれれば……! たとえ、身体が泡となろうとも―――この想いだけは絶対に、捨てない! 神様がいる限り、お兄ちゃんが救われないのなら、私が神様になる』

 

 

「素晴らしい! これが神だ! 私が求めたLevel6! これで――――ッ!?」

 

 

もう、賢しき老人は見ていない。

 

彼はただきっかけを与えただけ。

 

地へ縛り付けた拘束を外してしまった。

 

それでもう役目は終わっていた。

 

 

『少しずつ技術を学習して、次に性能を投影して、虚数学区を支配して―――楽園を作れるまで力をつければ、きっと―――それまで、消えない。誰にも邪魔させない。神様にだって―――』

 

 

世界が、歪む。

 

この華奢な姿で、ブラックホールのように力を取り込んでいる。

 

無限に吸収し、無限に広がる、無限の具象。

 

それを有限な形で、抑え込んでいる。

 

内部にも外部にも歪みができてしまうのは当然で、それは激痛どころの話ではないだろう。

 

骨格、筋肉、神経、全ての隙間に灼赤した金属片を入れているような。

 

それでもこの身体は、泡のような幻想にならず、人間の形に保たれている。

 

絶する地獄に耐えうる原動力―――それは彼女の未練なのかもしれない。

 

 

 

つづく


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