とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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暗部抗争編 道具

暗部抗争編 道具

 

 

 

隠れ家

 

 

 

「フレ、メア……どうして、ここに……?」

 

 

「武器を降ろして。大体、どうしてお姉ちゃんがこんな所にいるの? 全寮制の学校にいってるんじゃなかったの?」

 

 

それは久しぶりの姉妹の邂逅であり、初めての妹から姉への叫弾。

 

フレンダと同じ<アイテム>の絹旗最愛でさえ、フレンダの妹であるフレメアの事は知らなかった。

 

どうして闇に堕ちたのか訊かない……それが暗部の暗黙の了解。

 

ただ、『自信満々な能力者を罠に嵌める』ことに超快楽を見出し、高位能力者を相手にするためにたった1人で施設丸ごと超細部にまで超細工を仕組んだトラップハウスを作り上げるその執念じみた超気概から、何となく、昔に『無能力者狩り』などといった事件の超被害者だったのかもしれない……とこれは、あくまで絹旗の想像なのだが。

 

フレメアを世話してきた駒場利徳であっても、フレメアの姉であるフレンダと会うのは初めてだ。

 

『無能力狩り』に襲われていた時に助けたのがフレメアとの出会いで、それ以前の事は知らない。

 

Level0には<置き去り(チャイルドエラー)>も多く、そういった子に過去を訊くのはマナー違反だからだ。

 

ただ、ちょっと値が張りそうな装飾が綺麗な洋服を着こなし、フレメアの口座に月々決まった日に奨学金以外の将来の積立貯金が振り込まれている事も聞いたことがあるので、誰か保護者、おそらくそのファッションから年の近い女性の保護者がいるとは予想をつけていた。

 

 

「……、」

 

 

そして、今。

 

こうして目の前にふわふわの金髪、青い目、色白な肌―――まさしく人形のような容姿の、一目で血が繋がっている分かるほどそっくりな2人が揃っている。

 

更に絹旗から見れば、いつもさっきのように落とし穴を見逃しているなど『お仕置きじゃ済まないミスを犯す』お調子者が、麦野に対して愛想笑いで誤魔化すような真似をせず、ここまで真剣にうろたえ、後ずさるのも初めてだ。

 

間違いない。

 

この2人は姉妹だ。

 

だが、だからといって、戦いを止めるわけにはいかない。

 

 

「半蔵。……フレメアを頼む」

 

 

「うわ!? 半蔵のお兄ちゃん、いきなりなにするんだにゃあ! まだ、お姉ちゃんと話が」

 

 

駒場から指示を出されるまでもなく、半蔵がフレメアの身体を抱える。

 

 

「ふ、フレメア……!」

 

 

「はぁ……ここぞという時に限って超使えませんね。フレンダは超後ろに下がってください」

 

 

戦意喪失し、戦いどころではなくなったフレンダを絹旗は後ろに下がらせる。

 

今のところ、子供の自分に対し所々手を抜くような甘っちょろい<スキルアウト>が人質に使われる可能性は低いと見ているが、それでも何があるか分からない。

 

あまり学園都市の暗部に興味がなく、面倒事を避け、楽しく暮らせればいいと口にしている技術はとにかくプロ根性の無いフレンダが、足を引っ張る可能性は大だ。

 

もしかすると裏切るかもしれない。

 

この邂逅が姉妹の中にどう影響を及ぼすのか分からないが、今は決着をつける。

 

自動防御(オートガード)の絹旗最愛と自動回復(オートリカバリー)の駒場利徳。

 

 

「「―――」」

 

 

美少女と野獣が決着をつけようと接近し―――

 

 

 

ゴォォオオオオオオオオッ!!!!

 

 

 

―――建物全体が揺れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

既に振動が止まっていることすら意識できずに、麦野沈利はただそれに視線を注ぎ続けた。

 

階段は放射線状にひび割れ、破壊はワンフロア下のはずの麦野の足元を通り、背後の壁面にまで及んでいる。

 

おそらく、数秒前の突発的な大地震のような揺れは、この常識外の怪物が震源だったのだろう。

 

地面の下からではなく、この巨体が天空から堕ちてきた衝撃波。

 

そこまで考えた時、緩やかに動き始める。

 

その異形とも言える半人半獣に装着されたリードが、

 

 

「私は……<鏖殺悪鬼(デーモン)>……獲物の……全てを……喰らう……」

 

 

階段の上から、呟くように訥々と、少女は言葉を絞る。

 

4本のアームが代わりに警戒するようにぎちぎちと蠢き、そのアームの中にあるレンズが麦野の姿を映す。

 

その動作を確かめるようにアームが開いたり閉じたりするが、それがまるで麦野を嘲笑って―――その触腕を持った怪物の胴体めがけて、電子線が放たれた。

 

 

「調子に乗ってじろじろ、見てんじゃねぇぞ!」

 

 

麦野沈利の<原子崩し>による破壊光線。

 

彼女もまたLevel5序列第4位の怪物。

 

その破壊に特化した一撃は、その(はらわた)を跡形もなく消し飛ばす。

 

だが、このいびつな少女と野獣の半人半獣は、その常識を覆す、常識外の怪物。

 

『獣』が咆哮し、『人』がミた。

 

見た、観た、視た。

 

 

「がっ―――」

 

 

瞬間、麦野の思考が真っ白に燃やされ、演算式の崩れた電子線はその体表に届くことなく、肉を焼く事もなく霧散した、燃え尽きた。

 

失敗、した。

 

失敗させられた。

 

滝壺理后の<能力追跡(AIMストーカー)>の『逆流』の時の比ではない、<失敗作り(ウィルス)>のAIM拡散力場の汚染が『劫罰』により変質した『焼却』。

 

 

「……燃え、ちゃ…た……ごめんなさい」

 

 

『0930事件』で、『最悪の人造兵器』を失敗させて(燃やして)失敗した(壊された)『最悪の暴走兵器』。

 

それが植え付けられた、足りない部分は機械で補填された先代の悪鬼のDNAから復元された原初の<獣王>の肉体の力は強大だ。

 

あるいは、完全に復元させればこの程度ではないのかもしれない。

 

唇を噛み、麦野が力を込めて睨む。

 

 

「舐め、るな……」

 

 

このまま麦野は反撃する―――つもりだった。

 

半分が人外といってよい<鏖殺悪鬼>の肉体の脚力の前に、Level5の頭脳を持つ麦野が『焼却』される中で演算を組み立てるのは、

 

 

―――間に合わない。

 

 

「……ごめん、なさい……」

 

 

麦野の身体を『獣』の巨大な手が引っ掴んだ。

 

最弱だった少女の性能と野生の王者の性能に差があり過ぎる。

 

『人』は型崩れしないように柔らかく摘まんでいるつもりなのだろうが、実際に『獣』の手はその骨格を矯正するどころか、圧縮するほどに強い。

 

ミシリ、と。

 

ミシリミシリミシリミシリミシリ……

 

内臓圧迫に麦野の口がパクパクと金魚のように喘ぐ。

 

 

「私、こうしないと……いけないから」

 

 

そして、またワンフロア下にぶん投げた。

 

 

「あなたを……燃やして……殺して……食べなきゃ……」

 

 

コルセットから『獣』の強靭な筋骨と神経に根を張るアーム。

 

それら一つ一つはLevel5序列第3位<超電磁砲(レールガン)>を分析・解明し、その性能を超える一撃を純粋な工学技術により再現した超科学兵器。

 

その4本のアームが回転し、一斉に電磁力を増幅、金属弾を挟んで装填。

 

一撃一撃でも十分な破壊力のラインを対象に一点に重ね、集中点で飛躍的に威力を増大させるように自動計算。

 

4発の超電磁砲の米字砲火(ダブルクロスファイヤ)が、普通の防御では防御不能の常識外の破壊力と、絶対に避け得ない光速で空を貫く。

 

狙いは麦野沈利。

 

 

「―――ガキが舐めんじゃねぇ!」

 

 

鋼鉄の光線が衝突し、その凄まじいエネルギーが激しい光となって散った。

 

そして、瞼を開けているだけで目が痛くなるような閃光の後、その空間は蒸発した。

 

 

 

―――下に空いた大穴を残して……

 

 

 

 

 

 

 

「……逃げ、られ…た……」

 

 

『人』――鳥兜紫、改め、紫苑の能力は飛び道具ではない。

 

その場所から離れたとしても、どんなに『ただ見たモノだけに』制限補強された彼女の視界に収まっている限り逃げることは不可能なのだ。

 

 

―――あの人―――!

 

 

内心で舌を巻く。

 

何という判断対応だろう。

 

紫苑の力が、己のプライドを優先する以上に強力だと実感して、視界から逃れるように、下に落ちた。

 

下手したら死ぬかもしれないのに、自分から受け身も取れない態勢で何フロア分かも分からない高さから地面に落下した。

 

がしゃん、という何かにぶつかって勢いよく叩きつけられた音がする。

 

 

「なんて―――出鱈目な…人……」

 

 

呟くその口角は――――端が吊り上がっている。

 

『獣』という戦える身体を得て、最新兵器という獰猛な爪牙を得て、そして、それに相対するに相応しい『獲物』を得て、その血に眠る本能がざわめく。

 

遠くに行こうと、もうこの『焼却』でそのAIM拡散力場に火を点けた。

 

紫苑は実感する。

 

 

 

「でも、私の方が―――強い」

 

 

 

弱肉強食。

 

強いものが弱いものの肉を食らう。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

光、熱、轟音、圧力―――途轍もない規模のエネルギーをピンポイントで炸裂させる極圧縮大爆発。

 

そのおかげで助かった。

 

建物全体を壊滅させるようなことにはならなかった。

 

 

まだ、生きている。

 

 

そうと認識した瞬間、全感覚が甦る。

 

どこまで落ちたか知らないが、地下は一面の闇だった。

 

どこかで打ったのか額から血が垂れており、おかげで視界は悪く、立てても歩きにくい。

 

なので、左手で顔を拭おうと―――と、空を切った。

 

 

「―――よくも、やってくれたなァあああッ!」

 

 

麦野沈利の左腕が肘から先がなかった。

 

これはあの半獣半人の攻撃のせいではない

 

緊急避難の際、逃げることに必死で、細かい照準を無視して<原子崩し>を使ったからだ。

 

焼け切られたかのような傷口で、幸いにして出血こそないが、体の一部を失くした。

 

その事実に、麦野の視界が真っ赤になる。

 

 

「いいぜ!! ぶち殺してやる!! その気味悪い4本足も、その不細工な腕も全部かき消してやる! どこの化けモンかしらねェが、Level5を、第4位の<原子崩し>を舐めさせねェェぞ!!」

 

 

急速に何かが焼き欠けていく感覚。

 

だが、Level5。

 

この程度の種火で全部一瞬に燃やし尽くせない。

 

むしろ余分に削り取ってくれて、思考がシャープになっていく。

 

麦野の神経が研ぎ澄まされる。

 

ああ、一体自分はいつからこんなに甘くなったのだろうか。

 

今までノーミスで歩んできた人生に、初めてあの少女に泥をつけられて、少しは許容範囲が広くなっていたようだ。

 

所詮は、換えの利く使い捨ての人員だというのに、滝壺の反逆を一度は見逃したりするなど、昔の自分からすれば考えられない。

 

一度の失敗を経験した麦野は、自分の完全性を保つために、一度だけ相手の失敗を認められるようになった。

 

手っ取り早く粛清すればいいのに、チャンスを与えようとするなど無駄なこと。

 

けど、人生なんてそんなものだ。

 

そんな失敗に失敗を重ねていくことに、何かの意味を見出せようが、関係なしに人間は失敗してしまう生物だ。

 

その失敗を無駄と蔑むか、慈悲と称賛するかは、定めるのは自分だが、決めるのは外側の人間だ。

 

だったら、正解も不正解もなく、この世の全ては所詮無意味で、だから成功と失敗を隔てる壁なんてない。

 

だから、初めての失敗も、<アイテム>という―――居心地の悪くはない『居場所』を確認させられて………自然と“失敗する事に成功した”なんて。

 

 

 

―――だが、失敗など一度で十分だ。

 

 

 

麦野沈利は人間でもあり、Level5という怪物―――半人半獣だ。

 

どうにか息を整えている間に、あの怪物も地面に大穴を開けて落ちてくる。

 

馬鹿なヤツだ。

 

ここで待ち構えているというのに、わざわざ無防備に身を宙に投げ出すなど、ただ獲物に食らい尽くすことしか考えていない獣だ。

 

あの姑息なまでに策を巡らし最終的には自分をも嵌めたあの、自分が戦ってきた中で誰よりも強かった『学生代表』とは戦う者としての能力が劣っている。

 

ニタリ、と麦野は嗤う。

 

既に、その周囲には闇夜に輝く蛍火のような光球が浮かんでいる。

 

 

「肉片一つも残さねェ!」

 

 

狂った獣の皮を被った洗練された戦士。

 

懐から取り出したカードの束を空にばら撒く。

 

拡散支援半導体(シリコンバーン)>―――<原子崩し>の電子線を面制圧に拡散させる。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

大気が破裂した。

 

<鏖殺悪鬼>――紫苑は冷たい戦慄に慄いた。

 

<失敗作り>に『焼却』され反撃はないと思っていたのに、まさに針山地獄のように暗闇の中から飛び出す何万という電子線。

 

『獣』の巨体が邪魔で、下が良く見えない。

 

自律思考する腰のコルセット――『ハーネス』が反応し、その電磁波を纏う4本のアームを広げて盾にする。

 

電子線は、同質の電磁波フィールドに弾き逸らされ、後ろに流されていく。

 

だが、量が量だ。

 

光の糸を織ったような、千変する暴力の塊。

 

『ハーネス』が防いでも、その『眼』には捉えきれぬほど圧倒的な電子線が容赦なく『獣』の肉に着弾し―――だが、妨害され分割し威力の削られたそれでは硬い肉質に阻められ、その中まで届く事はない。

 

蒸発させるはずだった<原子崩し>の電子網から、生還し、

 

 

 

―――更に下に堕ちて、闇に呑み込まれた。

 

 

 

「馬っ鹿だなァ! 今のは単に目晦ましだ化物!!」

 

 

着地点を計算し、<原子崩し>により分厚い床を溶解させて穴を開けていた。

 

 

「この建物なんて、私からすりゃ金魚すくいのあれだ。名前は忘れたが、とにかくこんなもんは<原子崩し>の前じゃ障子紙も同然なのよ」

 

 

学園都市序列第4位。

 

その本領が発揮できるのは遠距離からの滅多撃ち。

 

 

「乳クセェ獣如きが私を見下すんじゃねェ!!」

 

 

最凶の女帝は見下しながら、自由落下するデカい的に狙いをつけて、迷わず己の中にある引き金を引く。

 

<鏖殺悪鬼>が、重力に引かれて堕ちながら見上げる。

 

先程の『撃つ側』と『撃たれる側』が逆転。

 

 

 

ゴッ!! と核爆発を思わせる白すぎるほど白い閃光が、大穴を埋め尽くすほど極太な奔流となって放たれる。

 

 

 

強烈な破壊力を持った破滅の光はのたくりながら、いなしても間のない狭い空間を貫いて、深く、深く大地を穿つ。

 

地下の壁面すら、強まっていく振動に悲鳴を上げ、なだれうつように降伏応力を突破していった床に罅が入る。

 

全身の血を撹拌するような地響き。

 

麦野の周囲の塵や瓦礫が、その膨大な力の余波が上昇気流となり地上へ吹き飛ばされていた。

 

完全に室内の空気が一掃された時、もうもうと白煙が巨大な貫通痕から上がっていた。

 

深さが全く分からない竪穴は、その先は見えないがあの災厄をデカい図体で逃れられるはずがない。

 

 

「―――ッ! ぐっ、がああァァッ!!」

 

 

麦野が残った右手で顔面を抑えて、膝をつく。

 

あの『焼却』は元は暴走能力者のものと同期させる汚染。

 

消える直前に一際に輝く蝋燭の火のように、爆発的に力が増したが、ドーピングのような効果が切れたら―――燃え尽きたら、一気に苦痛が襲い掛かり、その力が毟取られる。

 

激昂による興奮が麻酔作用の役目を果たしていたようだが、麦野の精神はすでに限界だった。

 

だが、これで終わったはずだ。

 

 

(……ちっ、私の時は誰も助けにこねぇのかよ)

 

 

第3位や滝壺の顔が思い浮かんで、そんな自分の無意識に内心で舌打ちする

 

まあいい、しばし、ここで休む………………

 

 

 

ガシャ、と悪夢から這い出たような歪な触腕が麦野の頭を鷲掴みにした。

 

 

 

驚愕に目を見開く麦野の身体を、壁に叩きつける。

 

強固な壁が崩れ、その激突にぐちゅり、と右の眼球が潰れた。

 

乱暴な子供に振り回される人形のように扱われながらも、麦野は口を抑えられ悲鳴を上げることさえできない。

 

 

「……ごめん、なさい……」

 

 

太い前足に、幻想から飛び出したような角のある巨獣。

 

自然に存在する動物ではなく巻物の鬼が現実化したようなそれの延髄あたりから、少女の上半身が生えている。

 

そのアームの根っこの地盤が持ち上がり、出てきた上半身は地獄へ墜落したはずの<鏖殺悪鬼>。

 

『人』が幼き少女の頭脳であろうと、『獣』は生存本能が隅々まで沁み込んだ肉体。

 

あの一瞬、2本のアームを犠牲にして時間を稼ぎ、もう2本のアームで態勢を立て直し、己の手で逃げ道のなかった竪穴に横穴を開けて転がり込んだのだ。

 

 

「……今度は、念入りに……燃やします」

 

 

そして、怒りに歪む麦野の鮮血で染まる瞳よりもなおアカい『眼』がその切れ端のような麦野の残りの精神を『焼却』する。

 

 

「―――! ――!? ――――………」

 

 

脳が蕩けるような灼熱に、走馬灯のように一息に流れ込んでくる『失敗』。

 

その世界からも切り離された孤独に、泪がこぼれた。

 

痛くて悲しくて、とても淋しくて、ただ泣くことしかできない。

 

やがて、呼吸さえ止め、痛覚が急速に消えていく。

 

まるで魂が肉体から乖離していくように、あまりの刺激に何も感じられなくなる。

 

 

 

「ターゲットのAIM拡散力場を確認。直ちに『逆流』を開始」

 

 

 

その時、紫苑の『眼』の視界に、新たな人物が入ってきた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「―――今度は、私がむぎのの手を引く」

 

 

麦野沈利は強い。

 

<アイテム>が『上』から頻繁に依頼を受けられるのは、リーダーである彼女がそのLevel5に恥じぬ有能な人間だからだ。

 

だが、別に最強でも、無敵でもない。

 

負ける相手には負ける。

 

いかに『0930事件』で<原子崩し>の精密度が上がっていても制御困難な超能力者(Level5)と、相手を暴走させて自滅させる負能力者(-Level5)とは分が悪い。

 

 

『タッキーが、カギでやがります』

 

 

と、愉快な木魚達磨の<木霊>ことティンクルは言う。

 

この身体が、<乱雑解放(ポルターガイスト)>という能力暴走を抑えるための万能薬なのはそのためで、<能力追跡(AIMストーカー)>をサポートさせる保険。

 

 

「あなたは―――何者……」

 

 

滝壺が何をしているのか解らない。

 

理解できるのは、その機械質な眼光は、自分には危険。

 

繰り返し、念じる。

 

燃えて、燃えて、燃えて、燃えて、燃えて、燃えて、燃えて。

 

繰り返す凝視に、だけど、滝壺はその眼光をより鋭くするだけ。

 

 

「むぎのを、離して」

 

 

その眼光が回路を断ち切ったように麦野の頭を掴んでいたアームが、風前の灯だった麦野を解放した。

 

滝壺は、暴走させた方が良い結果を出せる滅多にいない能力者。

 

彼女にとってみれば、<体晶>を摂取して自ら暴走させて能力を使うのが常識であり、紫苑が『焼却』すればするほど、その『逆流』の干渉力は増していく。

 

ウィルスに対抗するワクチン。

 

初めての天敵の出現に、『人』の紫苑は喉を震わす。

 

 

「私を―――食べる、の?」

 

 

滝壺は、答えない。

 

 

「どうして……私は、道具だから、ただ命令されたから、燃やしてきただけなのに」

 

 

道具に意志はない。

 

使う人次第で、善にも悪にも染まる。

 

 

「嘘。今のあなた、笑っているよ。とても愉しそうに」

 

 

だが、滝壺の視線は、情量酌量の余地は感じられないほど人としての温かさが欠片もない。

 

そんな、と紫苑は言い淀み、その滝壺のまなこに映った自分の顔を見た。

 

 

 

―――それは、例えようもなく、歪んでいた。

 

 

 

「――――」

 

 

感情など、とっくの昔に忘れてしまっていたと思ってたのに、私は確かに笑っている。

 

所詮、紫苑は、道具ではなく、意志のある『人』だったのだろう。

 

私は、私でも分からないくらいに―――燃やすことに悦びを感じていたのだろうか。

 

暴走させろ(燃やせ)』が一番楽な命令だと思っていてのは、道具のように命令に従っていたのは、人を失敗させることに快楽していた―――?

 

 

「結局、あなたは楽しんでるよ。認めたくなくても、あなたはずっと前から自分では何も考えられない子供じゃないし、道具でもない。自分の意志で動いていた」

 

 

何も反抗しなかったのは、そこに満足していたから。

 

拘束されていたのも、自由がいらなかったから。

 

 

「―――違う―――私は、こんなの」

 

 

知らない、と紫苑は叫んだ。

 

その感情に触発されて、『ハーネス』の残る2本の触腕が滝壺理后に迫る。

 

どんなに『逆流』しようが、この自律思考の兵器には、滝壺は反応できない。

 

 

 

だが、それは隣にいたもう一人に払われた。

 

 

 

 

 

 

 

まずは麦野をどうにか説得するために捜していたが、事態は不測。

 

激しい戦闘音に駆け付けてみれば、そこには血を流す麦野の姿で―――それを見た瞬間に、思考など投げ捨てて体が勝手に動いた。

 

で、だ。

 

 

「しゃっきーん!」

 

 

『ハーネス』を弾いたのは、それは何千年もの霊木から削り取られたかのような神秘的な空気を発散する木刀。

 

長大にして重厚、そして堅実。

 

人間が扱う事を全く考慮していない全長2mの、本当にどこのRPGかと思う機能美と様式美のバランスが狂った武器。

 

されど重みは羽根のよう。

 

周囲の光を反射し、刀身の半分辺りの位置に、木魚達磨についていたキラキラ輝くおめめが点灯している。

 

 

「ティンクルブレード!」

 

 

やめてお願いだから叫ばないで! と浜面は思うが、木刀は高らかに嬉しげに叫んだ。

 

浜面が反応できず、木刀に引っ張られて立ち止まると―――<鏖殺悪鬼>を警戒するように身をよじった。

 

あれ? こういうのどこかで見たことがあるな?

 

もはやお蔵入りしている昔話のようなヒロイック・サーガ。

 

お姫様を守るため、喋る刀を握り締めて悪い鬼と戦う小さき少年――一寸法師。

 

いや確かに今の状況はそれに当てはまるかもしれませんけど、もう浜面仕上はそう言う夢見がちな少年時代はすでに過ぎ去った訳でね。

 

中二病的な会話は控えてもらえるとうれしいんですが。

 

浜面の意見など完全に無視して、木刀は誇らしげに朗々と吠えている。

 

 

『パンがなければケーキを食べればいいんでやがります』

 

 

と、浜面が頷いた後、このシリアスブレイカーは言った。

 

つまりはガソリンが切れたら、他から調達――魂食いすればいい。

 

ただそこには拒絶反応やらなんやらあるそうなので、命懸けの供給になるかもしれない、と。

 

それでも、浜面は二つ返事で、予備バッテリーになることを了承した。

 

また<アイテム>が元に戻れるのなら、こんな自分の生命など安いものだ。

 

けど、

 

 

「あるいは、ティンクルソード! またはティンクルサーベル! そして、ティンクルブレイカーというのが一番のお薦めでやがりますよ!」

 

 

「確かティンクルブレイカーだと英文法的に破壊(ブレイク)されんのは、お前になるんじゃなかったっけ?」

 

 

いや阿呆な会話に応じている場合じゃない。

 

もっとシリアスに真面目にやれよ。

 

こういう時くらい空気を読めよ。

 

今はちょっとした絶体絶命なんだぞ。

 

滝壺の『逆流』という脅威を物理的に阻止しようと、『獣』は怒涛の勢いで突っ込んでくる。

 

容赦なく、遠慮なく、合間にいる浜面ごと押し潰すつもりだ。

 

 

「フヒヒ! これがティンクルちゃんの真の姿!」

 

 

浜面は特に何もしていない。

 

ただ少し何となくだるいな、と思うだけ。

 

ただ笑う木刀に思いっきり引っ張られて―――

 

 

「今こそ下剋上の時! よくもさっきは苛めてくれやがりましたくせにぶっ倒れてますねむぎのん! これでこの子を倒せば、ティンクルちゃんが一番! ティンクルちゃんとおまけにハマーの力の助太刀に、先の行いを死ぬほど悔いやがれです!」

 

 

嘘のように。

 

 

 

「必殺☆ ティンクルスラッシャーぁぁ――――っッッ!!」

 

 

 

繰り返すが、浜面は何もしていない。

 

『いや、ティンクルスラッシャーだとやっぱり英文法的に切断(スラッシュ)されるのはお前の方になるんだけどね?』と現実感のない目の前の光景を眺めながら現実逃避気味で呟いただけだった。

 

それほどまでに、打って打って打ちまくる。

 

痛快に爽快に豪快に。

 

『ご主人様』の動作を投影(トレース)した疾風の如く荒れ狂ったティンクルの木刀は、迫りくる『獣』の猛攻をばったばったと切り結んで、見事な殺陣を演じる。

 

 

「こ、の……」

 

 

そして、最後の一太刀が巨獣の身体を後方へ飛ばした。

 

とにかく色々とボケの多い木刀だが、結果だけを見ればその性能は確かだ。

 

何せ鋼鉄の盾でも防げない、弾丸でも怯まない<鏖殺悪鬼>の攻撃を見事に防いでのけたのだから。

 

 

「痛っ……」

 

 

無理な姿勢で強制的に木刀を振った(または振り回された)ので、肩の関節が痛い(ついでに、心もイタい)。

 

けど、それだけ。

 

本当に生命とやらを吸い込まれているのかと気になるくらいだし、特に怪我はない。

 

もしかしなくても命の危機だった浜面は五体満足で常識外の怪物の前に立っている。

 

呆然と。

 

命をかけて信じてみたが、まさかここまでとは思わなかった。

 

己の手の内で呵々大笑する木魚達磨が変形(トランスフォーム)した不思議な木刀をぼんやり眺めつつ、

 

 

「フヒヒ! フヒヒヒ! 醜い鬼を退治して見せようティンクルちゃん! どうですハマー! ティンクルちゃんはこれでもまだまだ本気じゃねぇでやがりますよ! フヒヒ! ……ふ、ひひ」

 

 

中の空気が抜けたように、上機嫌に騒いでいたティンクルはそこで元気をなくし、しなびた大根みたいに浜面の手の中でぐんにゃりとなった。

 

かろうじて木刀の形は維持しているものの、一気にしなしなのぷーで頼りなくなった!

 

 

「おいどうした!? まさかもうギブアップなのか!? まだこっちは全然余裕があるぞ」

 

 

「しゃ、喋り過ぎて喉がカラカラに……」

 

 

「やっぱりこいつ調子に乗るとロクなことがねーな! つか、木刀(お前)に喉はねーだろ!」

 

 

だが、言い争いなどしている暇はない。

 

今度は浜面に狙いをつけた半獣の爪が迫ってきた―――その瞬間。

 

かつっ、と後ろから足音が聞こえた。

 

 

―――滝壺か? それとも、麦野……?

 

 

刹那の思考を否定したのは、呆れた声だった。

 

 

 

「超調子にのってるのは浜面の方です」

 

 

 

この、最年少のくせにやけに大人びた口調は―――<アイテム>の、絹旗最愛。

 

小さな体が浜面の脇から飛び出すと、その『獣』の手を<窒素装甲>で受け止めた。

 

だが、それと同時並行で動いていた2本のアームが、2人を回り込んで、滝壺に―――その前に、大男の両腕が突き出された。

 

 

「滝壺っ! へ―――」

 

 

思わず浜面が振り向いて、そして、絶句。

 

同時に口をポカンと開けたのを見て、滝壺をその腕を潰して――だが、すぐに復元した――守った大男は無表情のまま苦笑し、

 

 

「気を抜くな、浜面……お前が、一番危ない」

 

 

平淡な口調で語るその姿が、前と変わらない。

 

その恵まれた大柄な巨体に、愛想を一切削ぎ落したような強面の人相。

 

その無骨な姿は、他の誰でもない―――

 

浜面が、見間違えるわけがない、忘れ難い人物。

 

<スキルアウト>の『三巨頭』の最後の一人で、Level5と真っ向から戦った伝説の人物。

 

かつて、浜面のリーダーだった―――駒場利徳、そのひとだった。

 

 

「は……?」

 

 

浜面が、魂ごと抜けそうな吐息を漏らした。

 

 

「だ んな……?」

 

 

「おい、余所見を…している場合じゃ、ないぞ。―――伏せろ」

 

 

と、今度は半獣半人の頭目掛けて飛来し、散華し―――花火のように宙を彩った、爆弾。

 

咄嗟に『人』の紫苑を護るため、『獣』は前足で庇い、後逸する。

 

 

「結局、こういう相手は頭が弱点って訳よ」

 

 

その自信過剰な声は、フレンダ。

 

 

「麦野がやられるなんて超緊急事態ですから、この状況も止むを得ませんが―――フレンダ、妹さんの事は良かったんですか」

 

 

「良いって訳よ。アイツらに預けたし……結局、私は守るよりも攻める方がお似合いって訳よ。絹旗も私がいないと大変でしょ?」

 

 

「別にいなくても構いません。あなたみたいな使えない人間は<アイテム>にいても、足手まといになるだけですから」

 

 

言いながらも、絹旗の口元は僅かに笑っていた。

 

フレンダもまた強気な笑みで、

 

 

「だったら、その発言を撤回したくなるほど私が超使える人材だって絹旗に見せてあげる」

 

 

<窒素装甲>の絹旗を壁役(スクリーン)にし、フレンダは次々とありったけの爆弾と――花火玉を投擲し、<鏖殺悪鬼>を過激に攻め立てる。

 

室内が光と音で溢れて、爆発が<鏖殺悪鬼>を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

うう……痛い……痛いよ……

 

もう、止めて……

 

もう、来ないで……

 

どうして? 私が悪いの?

 

でも、一体何が悪いというの?

 

だって―――私がこうなったのは、周りがそう望んだからなのに……

 

燃やすことが、喰らうことが、失敗させることが、存在意義だった。

 

けど。

 

視線を投げつけても、誰も自分の事は見てもくれない、目を合わせてくれない。

 

 

「……もう、いい……」

 

 

『獣』に全思考を預ける。

 

『人』の力はあの女に『逆流』させられているが、こちらは純粋な力。

 

力を溜めに溜め、限界まで引き絞った筋肉を解放し、相手との距離をゼロにする力技。

 

 

「超速っ――――!」

 

 

爆炎を突き抜け、真横から旋風が吹き抜ける。

 

絹旗は反射的に両腕を盾にした。

 

装甲があっても、やられる。

 

絶対の自信をもった防御が打ち破られるのを直感した。

 

そして、真横から太い上腕が殴りつけてきた―――

 

 

 

―――体が弾け飛ぶ。

 

 

 

<窒素装甲>がぶち破られた。

 

自動防御ではなく、己の意志で全力で防御に回った装甲は、風船のように潰れた。

 

窒素の鎧を通して伝わってきた衝撃(ダメージ)は両腕から全身に駆け上がり、脳天から足の指まで浸透した。

 

 

「――――、あ」

 

 

飛んでいる。

 

全身全霊、全集中を籠めて対抗した防御が一方的に粉砕された。

 

 

(―――超、相手にならない)

 

 

まるで相手にならない。

 

絹旗最愛では、あの野生を解放した怪物の足止めにさえなりえなかった。

 

体が宙に浮いている。

 

いや、飛んでいる。

 

まるで砲丸投げ。

 

半獣の一撃で弾かれ、突きあたりの壁に埋まった。

 

 

「うそ……やだ、うそでしょ絹旗……?」

 

 

近接戦では無敵だった仲間が、一蹴された事に、愕然とするフレンダ。

 

それは失態だ。

 

『ハーネス』の一本が半獣の尾のように振るわれ、思考を停止させたフレンダを、その壁に割り込んだ駒場ごと同じように吹っ飛ばす。

 

 

「あ―――は……!!」

 

 

壁に衝突。

 

背中をハンマーで叩かれたような衝撃。

 

心臓が一瞬停止し、亀裂が入ったが如き絶痛を訴える。

 

半人の『眼』は閉じられ、心も閉じ……半獣に、目も鼻も口もない。

 

全身の血管が膨張し、赤黒い肌から全身から殺気を放たれる。

 

……アレが。

 

理性の枷を外して、壊すだけの用途しかない常識外の怪物だ。

 

 

「―――ハマー、タッキー、動くな」

 

 

狂獣の触覚には恐怖の動揺を探知し、咆哮さえ上げる事もなく、上げる口もなく、その恐怖を現実にする。

 

だるまさんが転んだのように、もし動けば感知され―――だが、コレを前にして動くのは不可能だ。

 

 

「―――え。どうして、『逆流』してるのに……!」

 

 

連鎖しているかのようにショックは伝播する。

 

次は滝壺の口が声を漏らし、巨獣はそれが誰であるかも判ろうとせず、反射的に腕を薙ぎ払おうと―――

 

 

「滝壺ォォォオーーーー!」

 

 

動いた。

 

滝壺をやらせるわけにはいかない。

 

半獣より浜面の方が二倍以上に近い。

 

絶対に間に合う。

 

かつてない集中。

 

体は軽く、時間は止まって感じられる。

 

 

(―――間に合う。だが、)

 

 

間にあった所でどうしろと?

 

<窒素装甲>でも歯が立たなかった。

 

だが―――防いだ。

 

木刀は当然のように、巨獣の前足を受け止めた。

 

 

「くぅ、重いでやがります―――ッ!!」

 

 

亀裂が入る。

 

<木霊>が変形した木刀に亀裂が入る。

 

 

「おおおおおおおおお!」

 

 

弾かれる。

 

今までここまで強い衝撃を伝わらせなかったが、第二撃を防いだ木刀は更に亀裂が入り、浜面の身体も、ゴミのように地面を転げ滑って行く。

 

 

「はまづら!」

 

 

だが、まだ意識はある。

 

悠長に倒れている場合じゃない。

 

体、体はまだ動く

 

外傷は欠片による擦り傷だけ、出血なんて滲む程度。

 

ただこの重圧にあてられているだけで、苦しい。

 

ぜいぜいと喘ぐ舌、木刀の動きについていくだけで精一杯で、体の中には一息の酸素もなく満足な呼吸が欲しい。

 

しかし、浜面は咆えた。

 

 

「おい! 俺の命全部やっから、もっと全力で本気を出せ―――!」

 

 

浜面仕上は無能だ。

 

この手に余るような奇跡を成し得ようとするのなら、相応の代償が必要だ。

 

自分を守って誰かを守ることはできない。

 

この状況で巨獣を倒すには。

 

誰かが、その生贄にならないとしたら。

 

 

「我慢する。死にそうになってもなんとか我慢すっから、こっちの心配なんかするな」

 

 

この生命をかけて、全部が救えるなら安いものだ。

 

 

 

「ハマーの生命(マナ)は二重の意味でマズいんで、最初から手をつけてねえでやがります」

 

 

 

え――――思わず、浜面は木刀を落としそうになった。

 

 

「『ご主人様』と『ご主人様』以外に生命(マナ)をもらわないって約束したです。ティンクルちゃんは良い子ですから『ご主人様』には忠木ですよ。へへへ。だから、お小遣いはいっぱいもらってるでやがります。……実はまだへそくりが残ってんです」

 

 

だが、それなら何故、この亀裂が直らない。

 

本当は、ギリギリなんだろう。

 

さっきのだって本当は、力が足りなくなったからではないのか。

 

結局、この場で最も何も懸けていないのは自分なのか。

 

浜面は自分の未熟さ、無力さを思い知らされ、腹が立った。

 

屈辱だ。

 

全てを捨てる決意をしたのに、それさえさせてもらえないなんて。

 

確かに自分は非力で、無能で、だが、それでも己の力量を重々に承知しつつ、なおもできる事があればそこに全てを尽くす。

 

『命を捨てる』と覚悟を問うたのに、これでは裏切りではないか。

 

 

「バカ野郎! こんな時に嘘つくなよ! お前のが満足に動けなかったら全部台無しじゃねーか! 危ないのは俺だけじゃねえんだぞ! 全開になるまで喰えよ! 『ご主人様』の言葉じゃなくて、俺の言葉を聞けよ」

 

 

「でも、ねぇ……」

 

 

さも言いにくそうに珍しくも口を濁してから、木刀は嘆息する。

 

 

「まぁ正味な処、超高性能なティンクルちゃんは大喰らいの魂食い(ソウルイーター)なんでして、全開になるのにハマーを巻き込めば、そのときは、マジで命すら危険でやがります」

 

 

それで、いいんだ。

 

ただ振り回されているだけなんて、嫌だ。

 

初めて守りたいものができたんだ。

 

この胸には、譲れないものがあるんだ。

 

 

「ティンクルちゃんは、友達を苦しめるなんてできねーですよ」

 

 

思いもよらない<木霊>の言葉に、浜面は面食らってしばし言葉を失った。

 

 

「え……?」

 

 

「これは『ご主人様』の約束とは別です。ホント、ハマーは自分の命を安く見過ぎです。もっと大事にしやがれ」

 

 

今になって何を言い出すのか、浜面には相手の真意が見えないが、その声音は何故か苦々しく冷ややかで、いつもの晴れやかなものとは程遠い。

 

 

「今ある全ての生命を使えば、一回は全力が出せます。フヒヒ、もう動いたり喋ったりもしなくなりますが、所詮、ティンクルちゃんは道具(アイテム)ですからそれが正しいんです」

 

 

「……、」

 

 

「最初から……道具(アイテム)の命なんて安い使い捨てでやがります。同情なんて、すんな、でやがります。人間に使われてなんぼのモンです。道具(アイテム)は使われてこそ幸せ物です」

 

 

「おい……」

 

 

例えそれが真実だとしても。

 

浜面は聞くのが、たまらなく嫌だった。

 

電子炉で顔も見えない寝袋を入れる時に赤いボタンを押す指が震えるのと、同じように、それ以上に―――体が震える。

 

生命が尽きれば、本当にただの道具(アイテム)になる。

 

たった一日だけの思い出しかないのに、この胸にこらえようのない重圧がかかる。

 

やめろよ。

 

お前がそんなこというなよ。

 

俺の命が安くないって言ったお前が、自分を安いだなんて、言わないでくれ。

 

だが、声に出しかかった叫弾の言葉は、喉元で萎んで消える。

 

 

 

「……では、もう一度、ティンクルちゃんは訊きます」

 

 

 

浜面―――

 

 

 

「―――この命、捨てる覚悟、できましたか」

 

 

 

「……ああ、お前の命を使ってやる。残さず、全部、無駄にしねぇ」

 

 

浜面は言う。

 

捨てるのではなく、使う。

 

命を使う。

 

それは何よりの、そこにちゃんと命があったんだという証明。

 

お前はちっぽけで安いもんじゃないという叫び。

 

絶対に無駄死になど言わせない。

 

 

「……ティンクルちゃんが停止したら『ご主人様』にシグナルが放たれます。あと、残った体は皆に食わせてやってください。最後まで愛と優しさで出来た万能薬なティンクルちゃんでやがります」

 

 

それが、最後の遺言だ。

 

<木霊>が止めに来た最悪の結果は―――<原子崩し>の暴走爆発。

 

強大で本人さえ制御困難なものに、そこへさらに火に油を注ぐよりも危険な、破滅的な『焼却』で火をつけられれば、ここら一帯の全てが無と帰す爆発が起きる。

 

 

「なあ、ティンクルちゃん。また、会うことはできねぇのか」

 

 

「ハマー。どんなモノにも命は一つです。『ご主人様』でも完全に失った命を戻すのは無理です」

 

 

だから、これがお別れだ。

 

自分の命の価値を認めてくれた相手に、『こんな俺のために』、だなんて装飾は付けない。

 

言うべき事はシンプルでいい。

 

 

「生まれてきてくれてありがとよ」

 

 

それを最後に、残された全ての生命も注ぎ込んで、完全に道具(アイテム)になった

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その一歩ずつの重みが、小規模なクレーターを作り出し、世界を思うままに蹂躙していく。

 

動いたものから、殺していく。

 

何であれ、何ものであれ。

 

あまりもの、圧倒的な暴力で。

 

天災とも紛うばかりの―――いいや、かつては天災そのものとされた、絶対的な破壊者である『鬼』。

 

それが息を潜めてじっとしている滝壺の元に近づく。

 

 

「―――こっちだ化物!」

 

 

それより速く、浜面の木刀による突きに『獣』の爪が反応。

 

亀裂がさらに大きくなり―――今度こそ完全に割れた。

 

 

 

―――<幻想宝剣(レーヴァンティン・マーカー)>によるホーミング―――

 

 

―――<幻想宿木(ミストルティン・マーカー)>によるアジャスト―――

 

 

―――<幻想法杖(ガンバンディン・マーカー)>によるドレイン―――

 

 

 

宙を舞った破片が一斉に伸長し―――<鏖殺悪鬼(デーモン)>の前足に、後足に、胴に、触腕に、首に、蛇のように自ら意志を持つ木片が絡みつき、拘束した。

 

 

「……な、に……これ、動かな、い……けど―――」

 

 

体の動きを封じられ、血からが抜き取られていくような消耗。

 

だが、蚊に血を吸われても気づかないのと同じように、本来の性能を発揮できない物にこの肉体は抑えられない。

 

暴れれば暴れようとするほど拘束に亀裂が入り、腕一本が外に出た。

 

そこに、復元した一本の木刀を掲げる男が駆け込む。

 

 

 

「お。ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 

木刀を振り上げ、浜面は怯まず<鏖殺悪鬼>の懐へと飛び込んでいく。

 

半獣の爪と木刀の先が激突する。

 

僅かでも逡巡すれば、それが隙となっただろう。

 

僅かでも隙があれば、それが死を呼んだだろう。

 

しかし、浜面仕上は絶対の覚悟で臨んでいる。

 

これは重い。

 

使い古された言葉だが、命は重い。

 

撃ち倒すべき敵を正面から見据え、己の全身全霊を乗せて踏み込み、最初で最後の最大級の一撃を叩きつけた。

 

 

 

ゴン!! と凄まじい音が炸裂。

 

 

 

未だに態勢が整わず、満足に力を発揮できない『獣』の爪が砕かれ、手に食い込み、腕を潰した。

 

だが、負けた。

 

与えられたチャンスを全部注ぎ込んでなお負けた。

 

相手には『ハーネス』の2本のアームもあり、そして、腕一つ潰そうが、腕は二本あり、まだ一本残っているのに、木刀が折れた。

 

もう一本の腕が拘束を破り、巨獣の第二撃が迫る。

 

旋風を伴って振り下ろされる。

 

 

―――無能力者(おれ)の命は安くない。

 

 

体を捻る。

 

全能力を回避に費やす。

 

気付いたのは早かった。

 

躱せる。

 

<鏖殺悪鬼>の爪はギリギリのところでこめかみを掠めていくだけだった。

 

 

―――それでも即死。

 

 

前足の先端、わずか数mmが掠っただけで死ぬ。

 

建物を天井からぶち破ったその一撃だ。

 

この空っぽな頭など、爪先が掠っただけで豆腐のように吹き飛んでしまう。

 

半獣の爪が迫る。

 

自分の頭が吹き飛ばされる瞬間に視界が凍る。

 

 

―――だが。

 

 

脅威的なスピードで繰り出された剛爪は、より驚異的なスピードの光爪に阻められた。

 

 

「―――え?」

 

 

死の一撃は標的(浜面)まで落されない。

 

 

「おい。<アイテム>で一番無視しちゃいけねぇ奴を放っておいたらダメだろ」

 

 

腹から突き出た『左手』をみて―――賭けに勝った、と浜面は笑みを零す。

 

 

 

「はーまづらァ! マズいモン食わせんじゃないわよ。おかげで起きちゃったじゃねェか」

 

 

 

ガリッ、と“口内に飛び込んできた木片”を噛み砕く麦野沈利。

 

本来なら存在しないはずの左腕の先に飛び出す、眩い閃光のアーム。

 

高エネルギーの高圧縮で、まるで誘蛾灯の虫を焼く高圧電流のような音まで聞こえている。

 

 

「……どうして…起きてる、の…完全に燃やした、はずなのに……」

 

 

自分が倒されて、そして、目の前で自分のもの(アイテム)まで殺されることに怒った。

 

地べたに這い蹲らせた女帝の怒りと恨みが、瞬時に、己の中で新たな演算式を構築させた。

 

 

「だが、今回だけは特別に許してやる。<アイテム>を虚仮にした借りを万倍に返してやれっからなァ!!」

 

 

荒れ狂う<原子崩し>をループさせることで己の腕の形に収束した力の塊。

 

それが背後から、超電磁砲を備えたロボットアームの中枢『ハーネス』のコルセットごと半獣の身体をぶち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

「―――」

 

 

(はらわた)を焼き尽くされる絶痛と『眼』を封じられた『逆流』。

 

武器であり、<鏖殺悪鬼>の制御盤だった『ハーネス』の破壊。

 

そして、死への恐怖。

 

道具(アイテム)から解放させ、紫苑を、それから、『鬼』を自由にさせた。

 

 

「く、そ……何でだよ……あと少しで、あと10秒で全部綺麗にできた、つうの――――」

 

 

唐突に、光のアームが消えた。

 

かくん……と、背後の女帝の気配が崩れ落ちるのを感じた。

 

精神も、肉体も、解放された。

 

獣の肉体は再生力だけでなく、生命力に富んでいて、内臓がなくなろうが核である紫苑さえ破壊されなければ動ける

 

ここにいる全員を皆殺しにできることもできる。

 

 

「……怖、い…助けて―――」

 

 

けれど、半獣半人は一目散に逃げていった。

 

 

 

つづく


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