とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正教闘争編 光の処刑

正教闘争編 光の処刑

 

 

 

フランス アビニョン

 

 

 

暴動による攪乱により、仲間からはぐれ、必死に逃げる魔術師集団をとうとう袋の小路まで追い込んだ。

 

 

「―――総員、剣を聖別しなさい」

 

 

ローマ十三騎士団を指揮する『ガウェイン』イポグリジア=ジェネラーリが指示を出す。

 

騎士達は、籠手で守られた指先を、剣に彫られた楔形の紋に押し当て、一気に走らせる。

 

魔術の最も簡単な儀式は『触れる』ことであり、刃鉄にその者の生命力を通せば、<神僕騎士>の御業は、直接、剣刃を魔刃に変える。

 

そう、これこそが魔法剣。

 

キィンと澄んだ反響を立てて、騎士剣がことごとく、陽にも負けない煌々と白い虹を放ち始める。

 

 

「えらい派手じゃねぇのよ。だが、こっちも負けてねぇのよな」

 

 

暴動が壁だとするのならこれは比べ物にならない高く険しい山脈だ

 

花火のように青白さの光を放つ20本の剣にあぶられ、天草式十字凄教教皇代理、建宮斎字は獰猛に笑う。

 

返す白騎士の声は、この瞬間に殺し合いが始まってもおかしくない今、祈りの章句を唱えるかのように、おだやかだ。

 

 

「今日は、逃がしませんよ」

 

 

『教皇庁宮殿』を空きにするのはいけないので、ここに連れているのは天草式10名の倍、それもこの副団長が直々に指揮する選抜部隊だ。

 

隠密に特化した者と戦士として、量も質も格も違う。

 

例え逆に倍の数がいようと敵うはずがない。

 

確実に始末する。

 

だが、

 

 

「ああ、こっちも逃げる気はねぇよ」

 

 

言った途端、周囲の建物の窓、玄関が次々と開いた。

 

そこから現れたのは天草式の人間だ。

 

 

(念のために上条当麻に付けていたから『槍を持つ者(五和)』がいないのは手痛いが、“今”なら十分いける)

 

 

『釣り野伏せ』という戦法。

 

相手より少数の部隊で、『釣り』――逃亡を装いながら後退し、敵が本陣から追撃するとそこへ伏兵を襲わせる――『野伏せ』。

 

そして、背を向けていたはずの囮部隊が反転し、逆襲に転じる事で包囲網が完成する。

 

 

「ほう、なんと……これはこれは見事な」

 

 

思わず、感嘆する。

 

これは敵に警戒されないように自然な退却に見せかけなければならず、その為に最も困難な軍事行動である『統制のとれた撤退』を行う事が必須。

 

高い練度・士気を持つ兵と、戦術能力に優れ冷静に状況分析ができ、かつ兵と高い信頼関係にある指揮官が不可欠となる。

 

また、実際には伏兵に適した地形で敵と交戦するとは限らず、任意の地点から逸れる場合もあり、参加する他の部隊にも非常に高い戦況把握能力が要求される。

 

華麗な戦法ではあるが、十回に一度できるかできないかの高難易度。

 

それを彼らは慣れない土地で、しかも敵に見つかったと悟られるや否や逃亡中に周囲と連絡を取り合いながら、即興でやってのけたのだ。

 

これはかの戦国の軍神が騎馬を駆けながら騎馬隊を組むかのような臨機応変。

 

純粋な戦闘力では騎士団に敵わない天草式だが、敵地でも相手以上に周囲に調和するように溶け込める環境適応力、そして、女教皇様が出奔して以来、鍛え上げた偽装と連携は遙かに勝る。

 

数の差は逆転。

 

囮となった者も合わせて、1人、欠けている者がいるが総勢49名、98の眼球が騎士団を捉えている。

 

老若男女、誰も彼もがどこにでもいそうな服装をしているのに、その手には剣や斧や弓や鞭、騎士達が見た事もない、東洋特有の鎖鎌や十手鉄製の笛のような武器まで揃っている。

 

倍以上の人数で、かつその得物は決戦用に強化されている万全の態勢で質も格も負けてはおらず、この狭い路地、隠れる場所の多い土地では、如何に陣を敷いているとはいえ西洋騎士より天草式の方が有利。

 

そして、機もまた―――好なり。

 

 

「いくぞ!」

 

 

浦和など伏兵部隊は最低でも二対一で十三騎士部隊を相手に取り、囮部隊であった建宮は、牛深、諫早、野母崎、対馬、香焼と共に大将首を狙う。

 

 

「―――ッ!」

 

 

フランベルジュによる袈裟懸けの一太刀。

 

キリキリと、弦楽器を鳴らすような緊張した音が鳴った。

 

十字に交差した二本の剣が、長い口付けをするように互いに押し付け合った。

 

そう、“<量産陽剣>と打ち合った”のだ。

 

 

「はっ、太陽の騎士さんよぉ。お前さんが戦うにはまだ早かったんじゃねぇか」

 

 

名残惜しむような余韻の一瞬後、建宮とジェネラーリは同時に返し刃を叩きつけ、“また衝突した”。

 

 

「……なるほど。調べてきましたか。これは少々侮っていましたね」

 

 

<必要悪の教会>、オルソラ=アクィナスとシェリー=クロムウェルらの情報によると、実質的に組織のまとめ役のローマ正教十三騎士団の副団長で設立当時からいる最古参、『ガウェイン』ジェラーリは、曰く『<聖人>をモデルにした人造人間(ホムンクルス)』。

 

その力<聖者の数字>は並の<聖人>にも勝ると言うが不完全で、太陽の出ている間――正確には午前9時から正午までの3時間と、午後3時から日没までの3時間――しか、その本領を発揮できない。

 

つまり、現時刻、午後2時過ぎにおいて、日輪の加護もその刀身に太陽を宿した<量産陽剣>の効果も半減している。

 

対して、建宮はそんな制限はなく、前とは違い装備も完璧に補強している。

 

分厚い甲冑ごと敵を叩き潰す為に極限まで大型化した、全長180cmを超す化物サイズの大剣フランベルジュ。

 

フランス語で『炎』と例えられ、刀身の揺らめきが炎のように見えるフランベルジュは、火や熱への耐性が高く、今の<量産陽剣>ならば十分に受け止められ、その日輪の鎧に守られた体にダメージを与えられる。

 

 

「それ以外にも工夫を重ねているようですね……」

 

 

「飽きさせねーように、これから我ら天草式の真髄をたっぷりと味合わせてやるのよな」

 

 

前回の戦闘とは違い、天草式は出し惜しみはせず、様々な高い効果を持つ『霊装』や術式を準備してある。

 

しかし、ジェラーリが一番驚いているのはそこではない。

 

 

(速いッ! そして、強いッ! 制限があるとはいえ、今の私は<聖人>の三分の二程度の力はあると言うのに……?)

 

 

本気を出せないとはいえ<人造聖人>。

 

その速度は圧倒的で、生身の人間などに追い付けるものではない。

 

本来ならば、数の差などものともせずに一瞬で勝負をつけていたはずだ。

 

だが、その豪剣に押し切られたのはジェラーリ。

 

しかも建宮だけでなく、他の天草式も匹敵する速度と威力で武器を叩きつけてくる。

 

何故、と疑問に感じるジェラーリは、直後にその正体を看破する。

 

計7名の天草式の部隊の連携には一定の規則性がある。

 

単に効率液な戦闘を行う為の布陣とはまた違う、一種の独特の規則性。

 

建宮を中心にしたと思えば他へ中心へ移り、中心を探せば全体へ散って中心そのものがなくなり、そして中心そのものを意識から外した途端に再び建宮へ中心点が戻る。

 

1つの部隊の中に『中心』が幻影のように見え隠れするような、奇妙な感覚。

 

時に目立ち、

 

時に雲隠れ、

 

砂時計の針のように、各々の動きが1つの大きな意味を表す。

 

そう、彼らは互いに互いの動体視力や運動神経を増強し合っている。

 

さらに、

 

 

「随分、小手先が器用なようで……どうやら、<聖人>にも慣れているようですね」

 

 

世界に20人といない稀有な存在を、普通なら一生の内に直に見られる者も限られているが、かつて天草式十字凄教には<聖人>がトップとして君臨していた。

 

その動きをずっと後ろで支え、見てきた。

 

その経験が加味され、天草式は<聖人>の速度・腕力・知性に“目が慣れている”。

 

 

「ほう、長いこと生きてきましたがここまでの連携は素晴らしい。かの東洋の<聖人>に弱者故に見捨てられたのかと思いましたが、私は評価します。ここで死なすには惜しいくらいに」

 

 

「はっ、戯言を抜かすな! 所詮はアンタも武器も偽物。女教皇様には及ばない! その剣一本で、我ら天草式の六つの連撃は防ぎ切れんぞ!!」

 

 

フランベルジュを受け流し、頭上から振り落とされる戦斧を躱し、その先に迫る鋭い刀の一振りを弾き、続けて迫る西洋剣を籠手で逸らし、その逆から短剣が懐へ潜り込むのを剣の腹で受け止め、その隙を狙うレイピアの一刺しに後退して距離を取り、またフランベルジュが横薙ぎで襲い掛かる。

 

まさに車輪の陣のごとく、こちらが反撃する隙も与えない苛烈さに1本の大剣で防ぎ切る技量は歴戦のものとして高度なものであるが、やがては打倒されるだろう。

 

だが、もしも全員が<聖人>と同じ速度で動けるなら、天草式は<聖人>1人よりも重宝されている。

 

これは無理筋の誤魔化し。

 

この背中に触れる事をキーに据え、集団特有の仲間の為の連携とした体内機能回復及び簡易的な増強をする肉体強化術式。

 

戦いながら絶えず陣形を変化させ、移動・交差する度に仲間の背中に手をやり、仲間同士で高め合い、<聖人>にギリギリついていく事ができるが、もし相手の攻撃が捌き切れず、陣形そのものが乱れてしまえば、その効果は途絶えてしまう。

 

1人の失敗で、全員の力が半減してしまう。

 

 

 

「ふぅ……ならば何故これが『量産』であるという意味を教えてあげましょう」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「対地脈用の探査に引っ掛かったのはあなた達ですか。やっと私の出番ですし、少しは楽しませていただけるとありがたいのですが。何せ、私達は人間が使うような普通な魔術は扱えず、<C文書>の行使は他の術者に任せてて暇でしたんですよー」

 

 

それは、緑色の礼服を着た男だった。

 

頭の先から足の裏まで全て緑色の随分ゆったりと余裕があるサイズ。

 

白人にしては小柄で当麻よりも少し背が低く、けれどその歳は倍はあるだろう。

 

身体は痩せて、顔の頬はこけているが、全身から妙な活力を発散。

 

それが、まるでラフレシアや人食い植物のような得体の知れない不気味さで寒気を覚える。

 

そして、彼は『前方のヴェント』と同じ<神の右席>の左方。

 

当麻は油断することなくその右拳を構えたまま、襲撃者へと尋ねる。

 

 

「……ローマ正教か」

 

 

「ええ、間違ってはいませんが、どうせなら<神の右席>と呼んで欲しいですねー」

 

 

その返答と共に、その白い粉末が、それを纏わせた腕から男の手の中に集合し、形を成す。

 

それはギロチン。

 

70cm四方の正方形の下端を強引に斜めに裂いた板状の刃。

 

本来ならロープを通す紐通しの部分に男は指を入れ、楽しそうに笑いながら―――左から右へ真一文字に振るった。

 

 

ドッ!! という轟音が炸裂。

 

 

だが、その腕の動きと連動し、『白いギロチン』は形を崩しながら伸長し、一気にこの部屋を、建物を両断するほどの白い津波へと変じた時、当麻は苦笑した。

 

 

「テメェ、ローマ正教だっつうなら、この右手の事くらい知ってんだろ」

 

 

―――そして、右手で叩き落した瞬間、爆散。

 

 

アビニョンの旧市街の街並みは狭く、白い津波はコンクリートの壁を容易く纏めて抉り取り、路上駐車している自動車さえ吹き飛ばし、この部屋を斜めに傾がせ、テッラから左側に瓦礫の山を作り上げたが、そこから右へは行けなかった。

 

確かに威力は高く、喰らえば一溜まりもないだろうが、この<幻想殺し>は異能であるなら一切の区別なく根本から崩壊させる。

 

 

「五和!!」

 

 

当麻は叫び、五和の返事を待たずにテッラとの間合いを詰める。

 

相手がどんな魔術を使っていようが、この右手を盾にすれば、防げるだろうし、その間に五和が海軍用船上槍で倒せば良い。

 

一方テッラは、不健康そうな目を細めつつ、その右手に注目し、

 

 

「ええ、知っていますよ、<幻想殺し>。『前方のヴェント』を追い詰めたと聞いてますよー。……でも、私が欲しいのはそちらではありませんので」

 

 

ニヤリ、と笑いながらテッラはギロチンの暴威を解放する。

 

後ろから前へ。

 

白いギロチンをネジのように尖らせ、一直線に襲い掛からせる。

 

だが、当麻はそれを右手で弾き飛ばすと、前へ。

 

テッラはそれに怯む事なく、まるで子供が木の枝を振るうように雑に、次々と白いギロチンを形を変えて放つが、それを前兆の感知で察知し、止まることなく右手を振るい続け、殺していく。

 

異能の天敵、<幻想殺し>。

 

百年の名画を手で紙くず同然に引き千切ってしまうかのような冒涜的なまでに暴力的な力。

 

そして、その両者の拮抗に躊躇う事なく飛び込んだのは、幾度か共に戦い、その呼吸を把握し、連携を取っている五和。

 

 

「いざ―――覚悟ッ!」

 

 

四方八方飛び散る白い粉末の霧の、さらにその下を潜る五和の様は、まさに低空を滑空する燕さながらの勢いで、獲物に狙いを付けて急浮上。

 

上体を起こしながら槍による刺突を繰り出そうとした時には、その間を阻む障壁は皆無。

 

一気に蹴りを付けようと、半身で一歩踏み込んで、それこそ雷のような速度で長槍のストロークをその右肩へ放つ。

 

 

 

 

 

「優先する。―――刃を下位に、人肌を上位に」

 

 

 

 

 

だが、貫けなかった。

 

ギィン!! と金属の震える音が木霊し、五和の槍は弾かれたのだ。

 

 

「えっ!?」

 

 

五和は驚愕する。

 

その槍に返った衝撃は分厚い鉄塊に付き立てたようで、手首が痺れる。

 

 

「優先する。―――外壁を下位に、人体を上位に」

 

 

たった一言呟いただけ。

 

テッラはまるで見えない入り口を潜るように背後の壁の中を通り抜け、槍の届かない向こうへと消えてしまった。

 

さらに。

 

 

「優先する。―――外壁を下位に刃の動きを上位に」

 

 

ゴッ!! と壁を突き抜け、白いギロチンが五和の動体目掛けて横薙ぎに飛来。

 

半歩遅れて、五和の槍が辛うじて動く。

 

ギロチンの軌道へやりを挟み、受け止める構えだ。

 

今、この補強に補強をした海軍用船上槍は、樹脂を1500回ほど重ねてコーティングしてあり、その表現された意味は樹木の年輪――隠された効果は『植物の持つ繁殖力』――で限界を迎えるその時まで時間の経過と共にその耐久力は向上していき、限りなく硬化している。

 

しかし。

 

 

「ッ!!」

 

 

ガッキィィ!! と。

 

岩と岩をぶつけたような轟音と共に槍がゴムでできたおもちゃのようにたわんだ。

 

硬化されていたからこそ、限界を超えた衝撃でも折れなかったが、逃がし切れなかった勢いが踏ん張り切れなかった五和の足を地から離し、槍を離してしまった。

 

自ら破壊した外壁の裂け目から現れたテッラは、容赦なく宙に浮いて無防備になった五和目掛けて再度無造作にギロチンが振るわれる。

 

これは避ける事はできない。

 

だから。

 

 

「おおおおァッ!!」

 

 

五和の身体を受け止めながら、当麻は右手をテッラへ突き出す。

 

2人の眼前で、巨大な刃は爆発し、周囲に白い粉末が飛び散り、煙幕となる。

 

 

「大丈夫か、五和」

 

 

「は、はい! 助かりました! あ―――来ます!」

 

 

安堵している余裕はない。

 

煙の向こうで、また声が聞こえる。

 

 

「優先する。―――外壁を下位に、刃の動きを上位に」

 

 

白い煙幕が凝集し、横合いの壁まで伸びるギロチンと化す。

 

そのまま棚を薙ぎ払い、外壁を粉々にし、メロンほどの大きさの岩塊が数十も当麻達の所へ飛んでくる。

 

 

「ッ!!」

 

 

当麻は抱きとめたまま五和の身体ごと後方へとバックステップを踏み、緊急回避。

 

数秒後には、立っていた場所は当麻達から瓦礫の山と入れ替わり―――また白いギロチンに吹き飛ばされる。

 

当麻はそれに反応した―――が、床に落ちた瓦礫に足を取られ、バランスを崩してしまう。

 

 

「あっ―――」

 

 

地面を転がり、五和の髪の毛が数本千切れる。

 

だが、咄嗟に五和の身体を飛ばしたが、巨大な刃は当麻の胴体に突き刺さった。

 

 

(しま……ッ!?)

 

 

親指以上の厚さの刃が皮膚を押して、体に食い込む感触―――そして、爆発的な激痛。

 

身体はくの字に折り曲がってギロチンに運ばれ、そのまま奥の壁と挟みつけるように押さえつける。

 

ズン!! という鈍い音が走り、その後に、ブチブチとイヤな音が身体の中から聞こえた。

 

 

(……ッ!?)

 

 

言語という概念が脳から吹っ飛ぶ。

 

上半身と下半身を押し切るように腹と背中の両側から圧迫が襲い掛かり、肺から空気が絞り出される。

 

 

「ご、は……ッ!?」

 

 

しかしそれだけだ。

 

博物館のコンクリートの瓦礫を軽々引き裂いたと言うのに……

 

だが、そんな事を考えてる余裕もなく、震える右手でギロチンを叩く。

 

粉末状に爆散し、当麻の身体は解放され、数cmほど埋まった壁に寄りかかり、直撃を受けた腹をさすりながら乱れた呼吸を整える。

 

そして、すぐに槍を拾って駆け寄った五和がその身体を支える。

 

 

(生きて、る……?)

 

 

まだ腹には鈍い痛みが残っているが、五体満足だ。

 

このジャケットのおかげなのかもしれないが、あれほどの攻撃の威力で当麻の身体がただで済むはずがない。

 

もしかすると今のは刃は違う種類……いや、直前で瓦礫を破壊したと言う事は同じだ。

 

何かが威力を増幅しているのか。

 

あの刃物には何らかのトリックがあるのか。

 

一番怪しいのは、あれしかない。

 

余裕なのかこちらへの追撃を行わず、一度破壊されたギロチンの調子を確かめているテッラを、当麻は睨みつける。

 

 

「『優先する』……」

 

 

当麻の身体を庇うように前に出ている五和がポツリ、と。

 

そして、周囲に飛び散っている粉末の正体に気付く。

 

 

「……小麦粉?」

 

 

少し考え、それから五和の顔がギョッとこわばり、絶句する

 

 

「まさか、その武器……『神の肉』に対応しているんじゃ……」

 

 

「へぇ。東洋人でも分かりますか」

 

 

核心を突かれたと言うのに、テッラは逆に褒め称えようとばかりの挑発で返す。

 

 

「ミサでは葡萄酒は『神の血』、パンは『神の肉』として扱われます。そしてミサのモデルとなったイベントは、言うまでもなく『十字架を使った『神の子』の処刑』ですよねー?」

 

 

その言葉で悟った五和が唇を噛み締めるのとは対照的に、テッラは楽しげに、自慢げに笑みに色を深くしていく。

 

『『神の子』は十字架に架けられた』

 

かつて、<アドリア海の女王>を指揮したローマ正教の司教、ビショップ=ビアージオは『十字架は処刑道具』と言った。

 

だが、冷静に考えればただの人間が『神の子』を殺せるはずがないのだ。

 

その身に常人を遥かに凌駕する莫大な<天使の力>を秘めた<聖人>は、『神の子』と似た身体的特徴を持つが故に<天使>と渡り合えるほどの力を得ているのだ。

 

つまり、<聖人>の元となる『神の子』とは<聖人>以上の力を持ち合わせている。

 

しかし、神話は時として『優先順位』を変更してしまう。

 

例えば、『神の子』が世界人類の『原罪』を背負う為に、本来の順位を無視して、圧倒的な格下である『ただの人間』にあっさりと殺されてしまったように。

 

そう。

 

 

 

その『神の子』の神話を完成させる為の秘義――優先順位の変更。

 

それこそが<神の薬>、『左方のテッラ』が扱う唯一の術式<光の処刑>。

 

 

 

つまり。

 

『槍』より『テッラの体』が優先されたから、彼の体は槍を弾き返し、

 

『外壁』より『テッラの体』が優先されたから、壁は空気のように障害なく、

 

『外壁』より『小麦粉で作った刃』が優先されたから、あれだけの破壊力が生まれた。

 

『順番』を制御できるテッラの前に強弱は関係ない。

 

学園都市の機能を奪った『前方のヴェント』の<天罰術式>と同じように、常人の計り知れない理論や法則を扱う魔術師よりも特異で特殊で特別な力が、『左方のヴェント』の<光の処刑>。

 

 

「しかし、さて、私は種を明かしましたけど、逆にこちらはがっかりしてるんですよー。<幻想殺し>の話は以前から耳にしていましたから、多少は期待していたんですけどねー」

 

 

テッラはこれまでの攻防は小手調べではなく、<幻想殺し>の検分だったかのように、ゆっくりと考察しながら、材質不明の白いギロチン片手にぶらさげ、嘆息する。

 

 

「こうして見る限り、それほどでもないようで」

 

 

実際に目の当たりして、正直、がっかりだ。

 

これなら見ない方が良かった程、過剰評価していたみたいだ。

 

『前方のヴェント』に勝てたようだが、あれは<天罰術式>との相性に、学園都市に発生した<堕天使>や『界の圧迫』でヴェントの内側から締め上げられていたからこその結果だ。

 

仮に万全だとしたら、<神の右席>、ヴェントの方に軍配が上がっていたはずだ。

 

だから、このヴェントと肩を並べる『左方のテッラ』が負けるはずがない。

 

今はその右手でどうにか対抗しているようだが、自分の<神の右席>として、ただ小麦粉を媒体としたギロチンを振るうのは所詮は副産物で、その本領は優先順位の変更だ。

 

これはいくら仕組みを理解できたところで打開の策が見つかるはずがない。

 

だからこそ、テッラは余裕の表情で、<光の処刑>について講釈したのだ。

 

 

「ですから、こんな『調整』の参考にもならない作業はとっとと終わらせて、『後方のアックア』の<幻想投影>捕獲の方に向かいませんとねー。ええ、ゴロツキのアックアじゃ壊してしまうか不安ですので」

 

 

「なっ、アビニョンにいるのはあなた1人じゃないんですか!?」

 

 

「昨日まではそうでしたよー。アックアは悪い子なので遅刻ですー」

 

 

最悪だ。

 

あのヴェントと肩を並べる相手がもう1人。

 

しかもそれが今1人でいる詩歌と対峙しているなんて……

 

 

(何たる失態! これでは彼女が……)

 

 

情報が遅れてしまったことに、五和は歯噛みする。

 

 

「ははっ、ちょうどアビニョンですし。かつてのローマ教皇と同じように、今度はローマ正教に『捕囚』させてもらいましょー」

 

 

フランスにその一生を捕らえられたローマ教皇のように、学園都市から上条詩歌を奪う。

 

瞬間、五和は鋼糸を用いた<七教七刃>を仕掛けようと―――それより早く、テッラは嗤いながら、右手を頭上へ伸ばし。

 

連動して、手にした禍々しいギロチンがネジのように尖り、天井へ突き刺さる。

 

 

 

「優先する。―――天井を下位に、小麦粉を上位に」

 

 

 

テッラの手が蛍光灯の紐を引くように動いた瞬間、

 

 

ぐいっと。

 

 

吊り天井のように、突然フロアの天井が落ちてきた。

 

天井を支える柱は、不自然なほど滑らかに、まるで床が湖のように沈んでいき、2人を押し潰した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「本当、がっかりですよねー。<幻想殺し>と言うからには多少苦戦するかと思っていたんですが」

 

 

あっさりと終わってしまったが、とにかく、これで決着だ。

 

小麦粉のギロチンには対応できたが、この天井にまで<幻想殺し>は通用しない。

 

 

「さて、アックアはちゃんと壊さないで<幻想投影>を手に入れてくれたでしょうかー?」

 

 

無から有は作れない。

 

神でさえも投影できる彼女は、その身にアカシックレコード――全ての根源を秘めている。

 

あれは、元々何でもできたのだ。

 

それが一体全体どういう訳か妙な制限が付いているが、その気になれば世界すら変えられる力を、『神の子』、いやそれ以上の力がその身体にある。

 

そう、上条詩歌は、『  』と繋がっている。

 

それが『神の子』を人の手で処刑する』と言う力関係の矛盾について研究し、その成果で<光の処刑>という独自の術式を構築した『左方のテッラ』の考えだ。

 

だから、“壊されてはたまらないのだ”。

 

人間として殺されても構わないが、あの素材として“壊してはいけない”。

 

だから、あのゴロツキに任せるのは不安で、早く自分の手で捕まえ、安全に保管しなければ。

 

そして、その素材をこの『順番』を操作する<光の処刑>で―――と、背を向けたその時、

 

 

 

がきん、と

 

 

 

床と完全にくっついたはずの天井の一部が、上に盛り上がるように折れ曲がっていた。

 

一瞬、遅れて―――地響きと衝撃波が地上を揺らし、その足元が陥没した。

 

やがて卵から雛が殻を割って孵るように、ひび割れた。

 

 

 

「どうやらテメェに付き合っている暇はねーようだな」

 

 

 

それらは全て、愚兄が突き出した右拳によるものだった。

 

『左方のテッラ』は思い知る。

 

有を無にする力がどのようなものなのかを。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「五和、大丈夫か」

 

 

五和の耳に届いたのは優しく、温かみのある声。

 

見れば、横たえた自分のすぐ近くに彼が屈んで、様子を見ている。

 

 

「はい、ちょっと瓦礫に頭を打っただけで。それより……」

 

 

あの一瞬、押し潰されそうになった時、愚兄がその腕時計を巻いた右手を真上に突き上げ、暗闇に埋まりかけた世界を打ち砕いた。

 

だが、異能を殺す手が、最硬のお守りがあろうと、彼に天井を支えるだけの力はなかったはずだ。

 

その右手、<幻想殺し>はあらゆる魔術を砕いてしまう以上、天草式にあるような<聖人>に追い付く身体強化術式なんてものは扱えないはずだ。

 

でも、彼の真っ直ぐな立ち姿はまるで深く根を張る一本の大樹のように全く揺るぎない。

 

気付く。

 

彼のジャケットが全て前が閉められて、空気が押し出されて密着―――体と一体化するように締められていた。

 

常人には比類なき剛力。

 

それをもたらすのが、この<着用電算>だ。

 

張り巡らされた神経回路と人工筋肉がその身体の筋肉、さらには心臓にまで合った効率的な配置され、指一本動かせない人でも指一つで重量挙げができるほどに、尋常ではない身体能力を発現させる。

 

そして、それをさらに実戦用にまで昇華した強力なエンジンに耐え得る土台のラインを当麻の体は満たしている。

 

 

「そっか。なら、少し後ろで見ててくれ。アイツの力には何か妙なつっかかりを感じるんだ。それを五和が推理してくれねーか」

 

 

「は、はい」

 

 

愚兄は五和の肩に手を置くと、ゆっくりと立ち上がり―――隠れて拾い上げた瓦礫をテッラへ投げた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

轟! という凄まじい音共にテッラの真横に風が突き抜けた。

 

 

「ちっ、外したか」

 

 

当麻は再び周囲の瓦礫に左手を突っ込み、掴めるだけの破片を掴んだ。

 

もし、あれが頭に当たっていたらどうなっていただろう。

 

そんな、もし、の幻想がテッラの背中に冷たい汗を伝わせる。

 

上条当麻は拳の届く範囲程度の接近戦しかないはずだが、今ならば“石つぶて”であっても十分に遠距離攻撃に入る。

 

日頃投擲術においては妹から身を以てその威力を体感している愚兄ならその恐ろしさは本能的に分かっているだろうが、知識として知っているかどうか。

 

投石術というのは古くから合戦でもよく使われていた攻撃方法で、そのローコストと使いやすさから、戦国には弓矢、鉄砲に次ぐ威力を発揮したと言われている立派な戦法だ。

 

野球選手の投球が鳩を殺してしまうように、熟練者が投げた石つぶては、下手な弓よりも威力がある。

 

そして。

 

当麻は掴んだ瓦礫をそのままアンダースローの体勢で一気に投げた。

 

 

「優先する! ―――石材を下位に、人肌を上位に!」

 

 

放たれた石つぶては大口径のショットガンさながらの破壊の嵐を撒き散らす。

 

でも、テッラの体に激突しても表情は少しも変わらない―――いや、焦りが浮かんでいる。

 

とはいえ、どのような攻防にも対応できる<光の処刑>がある限り、いくら隙を突いたとしても、かすり傷を負わせただけで僥倖であり、それが相手を倒すのは虫が良すぎるというものだ。

 

 

「たかが石ころで……! この異教のクソ猿がッ!」

 

 

事実、テッラの余裕は怒りの罵倒へと転じ、そして―――

 

 

「優先する。―――人肉を下位に、小麦粉を上位に」

 

 

殺意に満ちた一喝が、小麦粉に必殺の一撃を指令する。

 

唸り飛んで迫る白いギロチンに対し、当麻は右手を使わない。

 

 

「もう一度言うけどよ、お前と遊んでいる余裕はねぇ」

 

 

臥した竜が目覚めた眼光の鋭さ。

 

当麻が狩りのように一気に前へ駆ける。

 

その処刑の刃を躱した見切りは、ほんの紙一重。

 

だが、それでも当たっていないものは当たっていない。

 

小麦粉によるギロチン攻撃は、ただ一度攻撃を目にしただけでも、その特性を見抜くのは苦も無く、その前兆を感知するのは容易い。

 

広範囲を払う高速射出と見えて、結構単調だ。

 

テッラの振るう腕と連動しているため、突き進む線の角度が決まっており、ただ真っ直ぐしか飛べないため、かつて、『前方のヴェント』の暴風の無差別攻撃から店員と客達を守った当麻ならその軌道を容易に読む事ができる。

 

 

「調子に乗るな!」

 

 

しかし、テッラの攻撃はギロチンだけではない。

 

 

「優先する。―――大気を下位に、小麦粉を上位に」

 

 

ドァ!! という轟音と共にばらまいた小麦粉が爆発的膨張。

 

 

幅3m程の巨大な団扇と拡散したギロチンが、膨大な空気を巻き込んで豪風と化す。

 

 

「ッ!」

 

 

当麻はほぼ反射的に、弾けるように真横へ跳んだ。

 

そこへ硬さや鋭さを持たないはずの『ただの空気』が床や壁を無茶苦茶に破壊しながら通り過ぎた。

 

けれど、愚兄の体になお余波が圧力をかける―――も、それに耐えきる補強された身体バランス。

 

 

「優先する。―――床を下位に、小麦粉を上位に」

 

 

分厚いコンクリートの床が吹き飛び、その巨塊が、当麻の体を押し潰さんばかりに覆い被さった。

 

当麻は全身のバネを使い、<梅花空木>で守られ、渾身の力を込めた拳で横に振り払う。

 

その破壊力に塊は砕かれ、細かい破片となる。

 

そして、その1つを返す刀で掴み、そのまま体を流して、

 

 

「なんせ、テメェの後にもう1人いるんだからな」

 

 

上条詩歌が最強の守護者だと信頼し、上条当麻もまたそうありたいと目指す。

 

それが、愚兄。

 

ぐるん、と一回転し遠心力を加えてから、取った破片を投擲。

 

 

「ッ!?」

 

 

ヒュッ―――と、今度はテッラのこけた頬に一筋の赤い線を、掠り傷を負わせた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(やっぱり)

 

 

当麻は、一端テッラから離れて、体勢を立て直す。

 

テッラ自身に元から強大な力が備わっていれば、『優先順位』が入れ替わるまでもなく、最初からトップに君臨している。

 

今の戦闘の反応からして、おそらく身体能力は低い。

 

魔術師としては1流なのだろうが、戦士としたら3流だ。

 

安全地帯に隠れていきがっている奴が、この足で戦場に立つ者より強いはずがない。

 

 

「分かりました。あなたが得意とする優先術式<光の処刑>の弱点。今のあなたの動きには、不自然な所が見受けられます」

 

 

冷静に後ろから第三者として観察していた五和が立ち、ゆっくりと槍の穂先をテッラへ突きつけ、戦闘参加の意を示す。

 

天草式十字凄教は呪文や魔法陣を用いず、生活用品や習慣の中に残る魔術的記号を組み合わせて術式を形成する。

 

隠蔽する、偽装するを得意とするが故に、隠された記号探しが得意である。

 

あの小麦粉による変形攻撃を喰らって、人間が五体満足である筈がない。

 

テッラに自分達を生かすような義理はなく、敗者を見逃すような性格ではない。

 

となれば話は簡単で、テッラは敢えて殺さなかったのではなく、どうやっても殺せない。

 

そして、今。

 

 

「先程防げたはずの石材で、掠り傷を負わされた。あなたの『優先』は融通が利きません。小麦粉の刃物そのものの威力だけでは人間一人も殺せず、その威力を『優先』の術式で増幅させているだけ。そして、『優先』は一度に複数の対象に向かって扱えない。1つの『優先』からまた別の『優先』に切り替えるには一々一つ一つ再設定していく必要があるのではないでしょうか」

 

 

瞬間、当麻は床を蹴った。

 

 

「五和! ありったけの攻撃で援護してくれ!」

 

 

轟! とまた投げられた瓦礫。

 

幸い、テッラがここで暴れてくれたおかげで弾数に困る事はない。

 

さらに、

 

 

「―――<七教七刀>!!」

 

 

ゴバッ! と鋼糸がテッラの周囲七方向から弾丸よりも速く、迫る。

 

 

「くっ―――優先する!」

 

 

『石材』より『人体』を優先し、瓦礫を弾き、

 

『鋼糸』より『人体』を優先し、鋼糸を防ぐ。

 

数秒の時間差はあるとはいえ、ほぼ同時の十字砲火の連撃はテッラに焦りを覚えさせ、攻撃に転ずる暇を与えない。

 

 

「―――優先する!!」

 

 

今度飛んできたのは、カメラに、スリッパ……当麻の足元に落ちていた使うはずの対地脈用の儀式道具に、絵画や欠けた壺といった展示物を投げ放つ。

 

手投げでありながら、喰らえば気絶は免れないほどの威力。

 

それでいて致命傷になるほどでもなく、狙いはあくまで多種多様な物品で『優先』の手間を掛けさせ、反撃させないためだけのもの。

 

 

「くっそさっきから野蛮な! こいつがまだ未調整なのを良いことに!」

 

 

使役者の四肢を動かすように思い通りに形を変える小麦粉の変形刃物の特性は、むしろ防御面にこそ優れる。

 

何度でも修復し、必殺ほどではないが、増幅させなくともそれ自体にそれなりの威力はある。

 

飛来物を捉え、対象物を見極めてから、設定をする……その融通の利かない工程で『優先』が追い付かなく、戦士ではないが故に攻撃を恐れ、小麦粉を板状に変形させ、壁のように厚みを増し、防御を優先してしまう。

 

そして、そのできた死角、その僅かな隙間を狙う。

 

 

「はあっ!」

 

 

まさに針の穴を通すかのような精確刺突の五和の海軍用船上槍。

 

ドッ!! という空気を引き裂く音が響く。

 

 

「優先する。―――刃を下位に、人肌を上位に」

 

 

だが、ギリギリで間に合った。

 

刃はテッラの体を貫かず―――

 

 

「なっ―――」

 

 

五和に気を取られたその瞬間。

 

聳え立つ小麦粉の巨壁を粉砕、まるで見えざる巨人の手が大地ごとをそれを薙ぎ払ったかのように一直線に道が開く。

 

<幻想殺し>。

 

それは点よりも面でこそ効力を発揮し、どんなに高密度にまとまっていようと触れただけで殺す。

 

出鱈目な投擲攻撃に、小麦粉の変形を全力で防御に回してしまったからこそ、全ての小麦粉を爆散してしまう、より深刻な事態を招いてしまった。

 

いくら修復で来ようが、そこまでに僅かなタイムラグが生じてしまう。

 

だが、間合いは―――射程圏内には僅かに遠い。

 

それでも、その右腕を限界まで伸ばした拳は触れるか触れないかの所まで届き、

 

 

「おおおおっ!!」

 

 

その愚直な拳は絶対に誰にも操れず、幻想であるなら平等に打ち砕き、『優先』はない。

 

ゴンッ! と触れただけだがその勢いはテッラの体を吹っ飛ばした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「はは。なるほど。確かに<幻想殺し>は我々とは相性が悪い。何でもかんでも無効化してくれて、全く自分達の努力を否定されているような気分ですよ」

 

 

当麻と五和の連携で打倒され、床に転がったテッラは、忌々しげに当麻を睨みつけながら、震える唇をゆっくりと動かす。

 

五和は一応、この暴動で傷つく人を減らす為にも、向こうで瓦礫の山をどかして、再度対地脈用の術式を展開している。

 

彼女は最初は危険だと渋ったが、この距離なら何をしようと瞬時に間合いを詰めて、<幻想殺し>を突きつけられるのでテッラの相手は当麻1人で十分だと説得した。

 

愚兄はそれを受け止めながら、

 

 

「テメェが暴動を起こす理由は何だ! 俺達どころかアビニョンの人達も巻き込みやがって! そうまでして実行する価値はあんのかよ!?」

 

 

調子を取り戻しつつあるテッラは口元を緩めて、

 

 

「十字教徒全ての最終目的―――『神聖の国』ですよ」

 

 

「なに?」

 

 

「おやまぁ、十字教文化圏の人間なら、信号の色よりポピュラーな情報なんですけどねー。まぁ、宗教色の薄い極東の島国出身らしいですし、仕方ありませんか」

 

 

軽い退屈や失望を言葉に込めながら、吐き出すように語る。

 

『神聖の国』とは、最後の審判の後に神がその手で築いてくれる王国。

 

深い信仰によって研鑽を積んだ者のみが滞在を許され、そこには永遠の救いが存在する。

 

十字教は、その素晴らしい理想郷を目指す信徒をそこへ導くためにある。

 

しかし、ふとテッラは思った。

 

この『神聖の国』でも人は争いを起こしてしまうのではないかと。

 

例え、神が完璧な国を築き上げ、そこに正しく信仰する世界中の人々を呼び集めた所で、人々という『集団』は神の期待、永遠の救いに相応しいパーツと成りえるのか疑問に思う。

 

現に、ローマ正教内だけでも無数の派閥に分かれており、仮に『神聖の国』に導く神が『敬虔なローマ正教のみを選ぶ』と言う検索条件で救いを与えたとするなら、この争いの本になるローマ正教の派閥問題まで受け継がれてしまう。

 

これでは内部で人間が醜く分裂してしまい、王国が完璧なはずなのに、『永遠の救い』があるとは言えなくなる。

 

 

「救いが欲しいのですよ。そして救いを与えたい。神のプランが完璧であっても、我々人間が神の期待以下ならば全てがご破算だ! だから私は知りたいのですよ!! 現状の人間は『神聖の国』で争いをしてしまわないのか。そしてもしもしてしまうのならば、審判の日までに皆をどのような方向に導き直せばいいのかをねぇ!!」

 

 

その為の<神の右席>だ。

 

ただ弟への贖罪の為に温かい世界を作ろうとした『前方のヴェント』とは違い、おそらくローマ正教のためだけを想っている『左方のテッラ』こそが本当の<神の右席>として正しい姿なのかもしれない。

 

テッラはローマ正教を信じる人達を本気で救おうとしているのだ。

 

だが……

 

 

「……救いって、その程度なのかよ」

 

 

思わず、当麻は奥歯を噛み締める。

 

自分達を動かす為に自ら銃弾を受けた親船最中の顔が浮かぶ。

 

共に戦ってくれる土御門や五和、天草式の事を考える。

 

そして、敵味方関係なくその幸せを望む賢妹を想う。

 

 

「ローマ正教が悪いって訳じゃねぇ。オルソラとかアニェーゼを育てたローマ正教って教えがここまでズレてるとは思わない。だが、テメェはそれ以前の問題だ。救いって言葉の意味が全く分かってねぇんだよ、テメェは!」

 

 

アビニョンだけでなく、この世界中の暴動を指揮するテッラ。

 

 

「テメェらの神様だって、こんな争いを生む為に教えを広めていったって訳ねぇだろうが! ふざけやがって。勝手に救いの定義を決めつけて1人で満足するって言うなら―――」

 

 

 

―――そのふざけた幻想を今すぐぶち殺す。

 

 

 

そして、当麻は完全に決着を付ける為に、

 

 

「はっ、所詮は自分自身の右手のことも分かってない異教のサルに教えを説いても無意味でしたねー。道具に頼るとなるとまだまだ未完成のようですが、本来の性能が回復していれば、“<幻想投影>を殺してしまう”危険性があるのに、<幻想殺し>の側に置いているんですから」

 

 

何だと? と当麻の足が止まる。

 

<幻想殺し>―――その本来の性能は、まさか、“<幻想投影>を、妹の詩歌を殺してしまえる”ものなのか。

 

どんな災いからも守り抜くと誓ったはずなのに。

 

思わず自分の右手に感じた事もない、その胸に空洞ができてしまうような恐れを抱いてしまう。

 

 

「ぁ―――」

 

 

そんな当麻の表情を見て、テッラはうっすらとした笑みを浮かべた。

 

 

「おや。もしかして、知らない? あなたが“最も殺している”ものなのに?」

 

 

それはますます煽りたてる。

 

口から思わず不安を吐露してしまい程に。

 

 

「俺が、詩歌を……」

 

 

傷つき、怯えきったような子供のように、今にも倒れてしまいそうなほど真っ青な顔。

 

そこにいるのは<神の右席>を倒した勇者などとは程遠い、ただの無知で迷子な愚者でしかなかった。

 

 

「くくっ、そんな訳がありませんよねー? だって、あなた、お兄さんなんでしょ? 普通なら知っていなければならない。どれほどまでに罪深いことをしているのかを。だとすると……んン? もしかして“知っていたはずの事を覚えていないとか”?」

 

 

「……何なんだよ、<幻想殺し>ってのは?」

 

 

五和はまだ術式に掛かりきりで、聞こえていない場所にいるとはいえ、それはテッラの疑問を肯定する言葉だった。

 

だが、そうまでして尋ねたいほど、知らなければ近づけないと考えてしまうほど、今の当麻は一種の強迫観念に襲われていた。

 

それがますますテッラを増長させ、

 

 

「くっくっ、そこで私に確認を取るという事は、どうやら本当に記憶を失っているらしいですねー。おやおや、これは楽しみな研究材料を1つ見つけてしまいましたかねぇ!!」

 

 

「……ッ!!」

 

 

その言葉は記憶喪失になった当麻にとって、心の奥を抉り取る一言だ。

 

どんな攻撃にも揺るがなかったのに、ぐらぐらとした足取りの当麻を見て、一層テッラは酷薄な笑みで、

 

 

「そうかそうかそうですか! 確かそういう報告を受けた覚えはなかったんですが……もしかしてー、隠していたとか? 何の為に? あちらで頑張っていらっしゃる魔術師にはちゃんと話したんですか? どうして記憶を失ったのか、そこから調査をしてみるのも面白いかもしれませんねー?」

 

 

(ちくしょうッ!!)

 

 

当麻は自分が記憶を失った事を、詩歌以外の誰にも明かさないと決めていた。

 

記憶を失ってしまった日に初めて出会った白い修道女のために。

 

そして、忘れてしまったと告げてしまった時の妹と同じ悲嘆を繰り返さないために。

 

それが彼なりのルールだった。

 

守らなくてはならないものなのだ。

 

そのルールがこんな形で破られた事実に、頭がおかしくなる。

 

 

「頼む……教えてくれ」

 

 

だが、当麻は怒りを噛み千切ろうと歯を食い縛りつつ堪える。

 

ルールよりも、プライドよりも、自分自身よりも、世界中の誰よりも大事なものの為に。

 

その絆を決して殺さない為に。

 

 

「ハハッ、これは愉快だ! 良いでしょう! 教えてあげます。その<幻想殺し>が、何故あなたの『右手』に備わっているのかを考えてみる事です。そこには大きな意味が隠されている。あらゆる魔術を問答無用で打ち消してしまうというその効力にも、意味があるんですがねー……―――おっと、ここまでのようです」

 

 

その時。

 

稲妻のように光り輝きながら空から大剣が地面を刺し貫く。

 

それも1つではなく。

 

風を切る唸りと共に、無数の輝く刃が降り注ぐ。

 

 

「え、これは<量産陽剣>!?」

 

 

事態に気付き、すぐさま槍を引き抜いた五和が空中から忽然と現れた絢爛な宝物のような武具の正体に気付き、真上を見上げようと―――だがそれより早く、

 

 

 

「優先する。―――太陽を下位に、人体を上位に」

 

 

 

―――そして、閃光。

 

全ての大剣が爆発し、全てが光に溶けた。

 

 

 

つづく


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