とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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学園テロ編 回りだした運命の輪

学園テロ編 回りだした運命の輪

 

 

 

駐車場

 

 

 

<大天使>の何十本もの翼が1つ1つ消えていく。

 

10m級でも、100m級でも、消える速度は等しく、カウントダウンのように均等な感覚を空けてその形を失っていく。

 

 

「どうやらインデックスさんが上手くやったようですね。これで良し、と」

 

 

片手で携帯を操作し、今頃心配しているであろう愚兄にメールを送る。

 

<天罰術式>が解け、

 

<風斬氷華>も治まり、

 

<聖騎士王>は消えた。

 

この鱗粉に守られ、一般人に怪我人はいない。

 

未だ眠り続ける者もおり、街には深い傷跡が残されているが、戦いは、終わった。

 

 

(でも、……)

 

 

最善を尽くしたが、最高の結果に終わったとは言い難い。

 

そもそもこの戦いは起こしてはならないものだった。

 

あの9月1日のシェリー=クロムウェルの時でさえも危ない橋だったが、あれは事件で済ませられた。

 

だが、今回は、秘密裏には済ませられない歴史的にも大規模なもの。

 

最終防衛ラインを発動させるまで学園都市の都市機能をほぼ完全に停止まで追い込み、あわや、壊滅になるところまで追い込まれたのだ。

 

魔術の存在は知れ渡り、今までギリギリの所で保たれていたバランスが崩れた。

 

『交渉』でどうにかなるようなレベルではないし、両者とも『話し合い』で済ませようなどとは考えないだろう。

 

つまり、これから始まるのは―――『科学』と『魔術』の戦争。

 

最悪、『世界』の全てが崩壊する危険性すら考えられる。

 

そして、近い未来の事だけでなく、現在の問題も山積みだ。

 

『幻想化』し、多角的に、多面的に1つの意識の下で街で起きた事はおぼろげに知覚していた。

 

上条当麻も、インデックスも、御坂美琴も、そして、打ち止めと風斬氷華も無事だ。

 

しかし、

 

 

(このままだと―――)

 

 

刹那、ブレーカーが落ちたように身体は完全に硬直し、五感は脳と切り離され――視界が暗転。

 

 

「詩歌君!?」

 

 

そんな声が遠く響き、詩歌の意識はプッツリと切れた。

 

 

 

 

 

爆心地

 

 

 

ゴン!! と。

 

突然、目の前の瓦礫の山が砕け、視界が灰色の粉塵で覆われる。

 

 

「!?」

 

 

携帯を閉じ、ホッと安堵し気が緩んでいた当麻は目を庇うように手を当てて後退するも、薄目で確認する。

 

粉塵の先にあったのは、地面に半分ほど突き刺さった巨大な風力発電のプロペラ。

 

そして、

 

 

(!! ……ヴェントは!?)

 

 

すぐ近くで気を失っていたヴェントの姿が消えていた。

 

<聖騎士王>という人造兵器は消滅したが彼女の<天罰術式>は、学園都市からすれば最終防衛ラインを発動させた脅威で、今すぐにでも処刑すべき対象、ローマ正教からすれば、最終兵器のような戦力の持ち主で、そう易々と手放せない戦争の道具。

 

一介の高校生に過ぎない上条当麻には庇いきれないほどの世界レベルに重い問題だ。

 

しかし、事情を知る当麻にとっては、『疫病神』としてではなく、きちんと『姉』として罪を償ってほしい……そう願う。

 

そして、視線をずらした先に、

 

 

「誰だ!」

 

 

少し離れた所にぐったりと気を失っているヴェントを片手で抱えている男が1人。

 

青色のゴルフウェアを連想させる服装で、その体躯の良い身体から発せられる静かで揺るぎない威圧感は過去に対峙した人の中でも群を抜く。

 

それでもヴェントを攫おうとする相手に当麻は攻撃的に叫ぶ。

 

 

「失礼」

 

 

男はさらりと、流暢な日本語で、

 

 

「この子に用があったものでな。手荒な真似を避けるために目を眩ませてもらったが、気に障ったかね」

 

 

「誰だっつってんだよ!」

 

 

「『後方のアックア』。ヴェントと同じく、<神の右席>の1人である」

 

 

秘匿する気はないとでも言うように出てきた組織名に、当麻は警戒をさらに強める。

 

<神の右席>がどのような組織構造をしているかは知らないが、ローマ正教の最終兵器とあるだけ、もしこの男が疲弊し切った今の学園都市で暴れてしまえば、もう終わりだ。

 

 

「心配しなくても良い」

 

 

そんな当麻の心配を案ずる事ではない、とでも言いたげにアックアは小さく笑う。

 

 

「兵の無駄死には避けるべきだ。今日の所はこれで引き返す。流石に貴様の後ろに控えている『堕天使』と戦うのは無謀であろう。それに、これでも私は『騎士王』の暴走を止めた貴様の妹には少なからずの恩を感じている。あれは我々にとっても予想外の事態であった」

 

 

だから、ここは手を引く。

 

次の戦の準備が整うまでは。

 

例え魔術を潰す『界の圧迫』が消え去ろうと<天使>に匹敵する<風斬氷華>が処罰対象である事に変わりない。

 

ふざけるな、と当麻は一層厳しく睨みつけるが、アックアはまるで動じない。

 

しかし、何にせよ、今、ここで退いてくれるなら当麻としても事をこれ以上荒立てたくないので賛成だ。

 

ただし、

 

 

「ヴェントを離せ」

 

 

アックアの威圧に怯まず、愚兄は吼える。

 

 

「そいつの科学への敵対心はただの勘違いだ。そいつも本当の事に気付いている。いつまで経っても<神の右席>で『疫病神』扱いされてたら、その感情から抜け出せない!」

 

 

「ヴェントの闇が、そう簡単に打ち消せるものか」

 

 

アックアは告げる

 

<神の右席>は、世界を動かす為に存在し、単なる不幸な姉に、同情心で手を差し伸べる事などしない。

 

そして、ヴェントは、個人の復讐のために<神の右席>と言う強大な力とローマ正教と言う巨大な組織を使った。

 

それは、『疫病神』が今まで払ってきた犠牲の上で成り立ったものだ。

 

最後にヴェントも言っていた通りに、そう簡単に後戻りできないほど遠くに行ってしまったのだ。

 

きっと愚兄には想像もつかない苦難があるのだろう。

 

 

「……だったら、何だよ」

 

 

なに? とアックアは眉を潜める。

 

 

「ヴェントは、<神の右席>だろうが、ローマ正教だろうが、その前に1人の姉だ。どんなに闇に埋もれようが、命懸けで姉を救った弟の想いこそが世界よりも大切なモンなんだよ」

 

 

今思えば、ヴェントには迷いがあった。

 

確信したのは、最後、<聖騎士王>の『不死』と言う最後の守護を司る『鞘』を取り出した時だ。

 

ファミレスの時、<聖騎士王>と同時でかかれば、当麻は殺されていた。

 

それに、<聖騎士王>を足止めにし、<天罰>の通じない兄の方ではなく、妹の方を狙っていれば、その本領を発揮できたであろう。

 

愚兄への執着もあるのだろうが、それ以上に弟を連想させる妹を相手にしたくなかった『姉』としての自分がほんの少しの欠片でも残されていた。

 

そう、一度当麻が『死んで』、初めて喧嘩した時、詩歌が見せたあの迷いのように。

 

だから、まだやり直せると当麻は信じたい。

 

しかし。

 

ふん、と息をつくと、アックアは厳しい現実を突きつける。

 

 

「理想論だな。そもそもここでヴェントを離せば、科学サイドに捕縛され処刑されるであろう」

 

 

「ッ!!」

 

 

アックアの言葉に、当麻は何も言えない。

 

でも、そんな諦めきれない愚兄の様子に、アックアは笑みを深くする。

 

まるで七夕の短冊に記された願い事を読んでいる大人のように。

 

 

「これをくれてやる」

 

 

アックアは当麻へ指先で何か――ヴェントの舌に付けられていた鎖と十字架のアクセサリを弾く。

 

 

「どの道、貴様の右手で破壊されたただのガラクタだが、ヴェントはもう<天罰>を使えん。制圧された人間もすぐに回復するだろう」

 

 

『疫病神』としての力は<幻想殺し>に殺された。

 

学園都市も解放され、平穏もじきに戻る。

 

だから、それで満足しておけ、と。

 

 

「待てよ!! そんなので納得できるか!!」

 

 

当麻は拳を握るも、アックアはそれを敵とすら認識せず背を向け、

 

 

 

「1つだけ、貴様に教えてやる」

 

 

 

忠告する。

 

 

 

「私は<聖人>だ。無闇に喧嘩を売ると寿命を縮めるぞ」

 

 

 

あの海で、不完全ながらも<天使>と互角の戦いを繰り広げ、その背中が遠いと、己とは“違う”と思い知らされた超越者――<聖人>。

 

その時と同じように、アックアの姿はこの場から消えていた。

 

上条当麻の物差しでは測れない桁違いの速さで……

 

戦いは終わっても問題は解決せず、ドミノ倒しのようにより大きな戦いへの引き金となる。

 

 

(……止めるんだ)

 

 

ローマ正教と学園都市。

 

賢妹が予期した最悪の幻想を。

 

 

(必ず止めるんだ、この流れを……)

 

 

当麻は空を見上げる。

 

一度晴れたはず空は再び暗雲に覆われ、その先がまた見えない。

 

でも、確かに、そこにあった星を望むように。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

あの黒い怪物の前に、己は意識を失った。

 

されど、

 

 

―――生きている。

 

 

この感覚を意識し、単純な真実として成立する。

 

時間が流れると共に、情報を獲得し、整理していく。

 

そして、気付く。

 

腰から下の感覚がないことに。

 

 

「済まないね、テレスティーナ君。<失敗作り>を優先したため、君を回収するために少々強引な手段を取らせてもらった。まあ、逃げるのは簡単だったがね」

 

 

自分は意識を失ったのは黒い怪物に斬られたからではなく、横から割り込んできた『獣』に『駆動鎧』ごと噛み千切られたからだ。

 

 

「アレに<失敗作り>が何らかの影響を与えたようだが、君が負けるのを予測するのは簡単だった。それは直に対峙した君自身も如実に体験した事だろう? だから、『プラン』の影響が出る<失敗作り>は確実に回収しておきたかった」

 

 

見れば、隣で『失敗作』は静かに眠りについていた。

 

だが、それよりもその低く滑らかな声の正体を知り、彼女は動揺する。

 

 

「何故……テメェが生きてやがる……“真っ二つ”にしてやったはずだ」

 

 

「簡単だ。『野生』を司る私の専攻は生物工学。わざわざ私の元に<木原>が訪ねて来たのだ。おもてなしとして、私に擬態させた“身代わり”を用意しておくくらい<木原>として当然の事だろう?」

 

 

死体を確かめたつもりだったが、そうだった。

 

この男は“死を偽装して”、一族の一員となったのだ。

 

血族でなかろうと、紛れもない<木原>。

 

そして、救助ではなく、回収、と。

 

一族を裏切り、無断行動した自分に待ち構えているのはやはり……

 

 

「さて、一族の条約を破った裏切り者がどうなるかなど、簡単に想像がつく事だろう?」

 

 

その穏やかな声音で告げられたただ1つの単語に、テレスティーナは毒づく。

 

 

 

「ハッ、『裏切り者』ねぇ。テメェだけには言われたくねー言葉だな。木原百太郎(きはらももたろう)、いや―――鬼塚百太郎!!」

 

 

 

<鬼塚>であった<木原>。

 

鬼殺しの鬼は、フッ、と皮肉的な笑みを浮かべ、一言。

 

 

 

「何を今さら」

 

 

 

 

 

学園都市 外

 

 

 

アックアはヴェントを脇に抱えて学園都市の外へ出た。

 

ヴェントの『霊装』が破壊されたことにより、仮死状態となっていた人々は後遺症なしで蘇るだろう。

 

しかし、このある意味において理想的な大規模制圧が使えなくなったと言う事は、これ以降の争いでは、確実に大量の血が流れるだろう。

 

それもおそらくは、何の力のないただの民衆から。

 

 

「嫌な世の中だ」

 

 

本当に鬱屈そうな声で、そう愚痴ると突如電子音が鳴り響く。

 

携帯電話の画面には、見慣れた番号が表示されていた。

 

 

「テッラか」

 

 

『ええそうですよ。『左方のテッラ』です。そちらはうまく終わりましたか、アックア』

 

 

応えたのは、金属を擦るような耳触りの悪い声。

 

 

「ああ、だがヴェントがやられ、『騎士王』は完全に回収不可能だ。残滓すら残されてない。今、ヴェントを回収して学園都市外周部の別働隊を下げた所である。我々の被害が7割を超えた為、上条兄妹への追撃、及び学園都市の攻略は一時中断とする。事前に貴様から提示された状況対処法一覧にある通りだ。……にしても、上条詩歌については情報があったとはいえ、あの不完全な『天使』の出現は予想外だったな」

 

 

『ご苦労様です』

 

 

「叱責は無しか?」

 

 

『あなたや……まして、あのヴェントに対して悪意を向けてどうするのです』

 

 

「未練もなさそうだな」

 

 

「元々、<天罰>はヴェントの性質<神の火(ウリエル)>があってのものですしねー。そもそも我々は各々に調整されたもの以外は一切使えない、一般的な魔術師からはかけ離れた存在ですからねー。『霊装』を<神の薬(ラファエル)>の私が持っても役に立たないんですよねー。あと<聖騎士王>も元は<光を掲げる者(ルシフェル)>の作品ですが、十三騎士団の管轄ですし、<神の右席>たる我々の懐は何も痛まないんですよねー。ぶっちゃけ、回収して封印するのも面倒でしたし厄介払いができて清々してますねー」

 

 

厄介払いができた、という点は同意しても良いが、それ以外は自分に価値が無いからどうでもいい、と<神の右席>の全く自分本位の考えにアックアは少々辟易する。

 

 

「それで、連絡のつかない他の別働部隊はどうなった?」

 

 

『全滅ですねー。十三騎士団の方も『ガウェイン』が時間的に“合わない”と言う事から、外れてましたから仕方が無かったですねー』

 

 

<神の右席>程とはないとはいえ、力はあり、人数は相当なものだったはず。

 

しかし、学園都市側から局地迎撃展開してた者達は、嘘吐きの義兄により足止めされ、結局科学サイドに回収されてしまった。

 

 

『物理的な面はもちろん、精神的な傷が半端ではないようで、辛うじて生きていますが、アレなら新しい人材を補充した方が簡単ですねー』

 

 

代えならいくらでもいる、と20億の信徒を抱えるローマ正教独特の考えだ。

 

 

「ならば、残骸は私が拾っておこう」

 

 

『お優しい事です』

 

 

だが、今も敗残者(ヴェント)を回収しているのだ。

 

己の力量から考えれば、残骸の数が多少増えても許容できるし、生きている可能性があるなら救っておくに越したことはない。

 

 

「それで次はどう出る?」

 

 

『巷では面白い情報が飛び交っていましてねー。あの『堕天使』とか、そして何より<幻想投影>は実に我々<神の右席>向けの素材じゃないですか? 『右方のフィアンマ』も大変ご執心のようですよ。是非、俺のモノにしたい、と』

 

 

だから、準備と仕分けが済むまで撤退。

 

今からアックアが引き返して、標的の首を切り捨てるのは容易だし、小細工が無い方がアックアとしては楽だ。

 

それに、無駄に民間人の犠牲を出す事もない。

 

けれど。

 

学園都市は博物館のように色々と興味がかき立てられるものが数多くあり、今、潰すよりも、倒すべき敵と残しておくものを決めておいた方が<神の右席>とすれば有益である。

 

 

「戦場での略奪行為には賛同しかねるぞ」

 

 

『ははぁ。元騎士らしい発想ですねー。貴族様の口はお上品だ。出てくる言葉が違います』

 

 

「私は騎士ではなく、傭兵崩れのゴロツキである。……あの子とは違ってな」

 

 

『戦場でのモラルを重視するゴロツキねー。ま、ともあれヴェントを連れてさっさと引き返してくださいねー。こいつは『右方のフィアンマ』からの指示でもあります』

 

 

「了解した」

 

 

そう言って電話を切ると、アックアは一度だけ学園都市を振り返る。

 

潰すのは容易だが、仕分けも重要だ、とのテッラの意見。

 

それは非人道的な考えだが、一理あるのかもしれない……が、

 

 

『ヴェントを離せ』

 

 

アックアとの力量差を分かっていながらも啖呵を切り、またヴェントを救おうとした愚兄。

 

『神上』たる片鱗をみせ、<神の右席>でも制御不能だった<聖騎士王>を浄化した賢妹。

 

フィアンマとテッラがどれほど本気だかは知らないが、あの兄妹を仕“分ける”のは、どれほどのリスクがあるのだろうか。

 

敵の事情にさえ胸を痛めた少年、またアドリア海の時も敵の目を覚まさせた少女、あの標的と素材の顔を思い出し、アックアは口の中で呟く。

 

 

「果たして……学園都市は、貴様が思っているほど貧弱な存在なのかね」

 

 

 

 

 

別荘

 

 

 

「まっ、待っててね。今お医者さんを呼んでくるから!! あの子はもう大丈夫だから、あなたも倒れちゃダメだよ!!」

 

 

そう言うと修道女はこの<猟犬部隊>の『別荘』である廃棄オフィスから飛び出して行った。

 

一方通行はそれをぼんやりと見送る。

 

汚れた事務机の上にぐったりと横たわる打ち止めの胸は一定のリズムで上下し、状態は落ち着いているのが辛うじて分かる。

 

一応、あの『天使のような何か』や『亡者の群れのような何か』がどんなもので、どうなっているかは関知していないが、外の騒動は収まっているのは雰囲気で察する。

 

だが、電極のバッテリーが切れ、ここの防衛に力を使い果たした彼は、体も頭ももうまともに動かせない。

 

一方通行の意識は途切れそうになる―――とその時、

 

 

 

『一方通行、お話がありますが、よろしいですか』

 

 

 

様々な陰謀が渦巻く、二度とは這い上がれないほど深い闇への招待状が彼の元へとやってきた。

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

カエル顔の医者は少々本気で嫌気がさしたように、一息つく。

 

『病院車』を吹き飛ばした<焔鬼>の被害の後始末は患者の付き添いで来た少年達に任せ、暴走を起こした鬼塚陽菜の治療に取りかかり、

 

念のため<妹達>の協力の下、病院内に敵兵の待ち伏せまたは爆弾などの置き土産の確認を済ますなど、医者としては情けない限りだが、一般人や患者の働きによりようやく己の職場であり、戦場へと戻ってくる事が出来た。

 

避難させた患者や、舞い込んでくる怪我人の対応に追われながらもとりあえずは一段落である。

 

後はこの診療室で眠る兄に似て無茶ばかりする教え子へお説教をしなければ―――と。

 

 

(さて……)

 

 

彼の机に置かれた電話機。

 

受話器を取り、外線のボタンを押してから、一定のリズムで数回シャープを叩く。

 

それから、特殊な電話番号を次々と打ち込む。

 

普通の呼び出し音は無く、けれどワンコールもなく即座に繋がる。

 

 

「おはよう、“アレイスター”。散々好き勝手暴れてくれた気分はどうかな?」

 

 

学園都市統括理事長、科学サイドの頂点に立つ人物、アレイスターに。

 

 

『とてもとても。ようやく第二段階へシフトできた、と言う所だ。この程度で好き勝手などと呼ぶのはまだ早い』

 

 

これは電話回線なのかと疑うくらいに驚くほどクリアな音程で返答が来たが、カエル顔の医者は慣れたもので、さして取り乱すものでもない。

 

そう彼は世界の闇を知る先輩である。

 

 

「まだ早い、か。君は一体いつまで一方通行や打ち止めを使い回すつもりなんだい?」

 

 

『さあな』

 

 

『プラン』の最後まで持ってくれるかは懸念事項だが、今回の件で、『ベクトル制御装置』に、AIM拡散力場の数値設定を入力する作業は終了した。

 

これで<一方通行>、<最終信号>、<風斬氷華>の三位一体とするルートに兆しが見えてきた。

 

しかし、

 

 

『私はその先へ行かなければならない。もう片方の完成を急がねばな』

 

 

絶対能力(Level6)の、先にあるもの……か」

 

 

『そうでなければ、わざわざ外部から<幻想殺し>と<幻想投影>を招き寄せた意味が無い』

 

 

今回も、あの兄妹はこの事件の中心へと巻き込まれていた。

 

そう言う星の下に生まれてきたのか、例え、この男の『プラン』が無かろうと変わらないだろう。

 

しかし、それでも1つ言っておかなければならない事がある。

 

 

「アレイスター。僕の患者と教え子をオモチャにするのは止めてもらいたいんだ」

 

 

『ふ……聞かなかったらどうする。いや、何ができると言うんだ。もうその存在が知られた以上、例え私を止めようとも意味が無い。現に向こうは<幻想投影>に興味を持ち始めているようだ。これは早急に手を打たねばなるまい』

 

 

僅かの沈黙の後、統括理事長は語る。

 

もう誰にも止める事は出来ないのだ、と。

 

所詮、医者に過ぎない彼にできる事はたかが知れているし、ここまで力を付けてきたこの男を止める事は出来ないのも重々承知している。

 

でも、

 

 

「僕は、あの子達の先生なんだ」

 

 

一方通行に打ち止め。

 

地獄から何度も帰って来た彼は、その地獄が如何に深く、戻る事が困難である事を良く知っている。

 

今回の事件の被害者でもあり、真っ黒に染め上げられてしまった少年は、ようやく手に入れた小さな光を守るため、よりその地獄の深淵へと“自ら”潜っていくだろう。

 

そして、上条詩歌。

 

彼女の力が無ければ、事態は最悪となっていただろうが、あの『幻想化』は不味い。

 

今回は帰って来れたのだろうが、アレは使わせてはならない。

 

彼が相手にできるのは『人間』までだ。

 

 

「アレイスター、君が何であれ、ここを曲げる事は出来ない。アレイスター、分かるだろう? 僕の覚悟がどんなものか」

 

 

カエル顔の医者は、受話器を握る手に力を込め、低く、静かな声で、告げる。

 

 

 

「かつて僕に命を救われた、君ならば」

 

 

 

昔、まだ魔術師であった男は、国家宗教の魔術討伐組織に追われ、あるイギリスの片田舎で瀕死の重傷を負って倒れていた。

 

底へ偶然通り掛かったある1人の医者が、その命の綱を繋ぎ止め、また国家の追手から匿う為に盾となり、生命維持装置という籠――加護を与えた。

 

そして、日本と言う場所を紹介し、学園都市という仕組みを構築するのに協力した。

 

 

『後悔しているか』

 

 

「本気で尋ねているのかい?」

 

 

『遠隔操作で生命維持装置を止めるなら今しかないぞ』

 

 

「僕を馬鹿にするならいい加減にして欲しい」

 

 

『そうか』

 

 

アレイスターは小さく笑う。

 

今までの長い人生で、十字教の中でも厳格と謳われた一派、世界最高と称された魔術結社、国家から家族まで、彼は様々なものを敵に回してきた。

 

それでもまだ、ここに来て敵に回すものがいたとは……

 

 

『だが、私の意思は変わらない。貴方はその理由を知っている筈だ。だから、私は止まれない。もうその段階は過ぎている』

 

 

きっぱり、と決別する

 

命の恩人でもあり、最初から敵ではなかったが故に、哀しい。

 

けれど、もう進むしかなく、もしその障害となるのであるならば、

 

 

 

『お別れだ。優しい優しい私の敵』

 

 

 

アレイスターは最後にそう言い残し、通話を切った。

 

もうこれで唯一繋がっていた細い線は消失し、ツー、と単調な電子音が鳴り続ける。

 

そのままたっぷり10秒も固まった後、カエル顔の医者はゆっくりと、受話器を置く。

 

照明のない真っ暗な診察室で、<冥土帰し>はもう一度小さく息を吐く。

 

 

(忘れていないかい、アレイスター)

 

 

窓の外へ目をやり、その先にあるであろうこの学園都市の統括理事長の住まいである『窓のないビル』を見通す。

 

医者の背中は小さくちっぽけで、貫録もない。

 

しかし、その信念は頑固として揺るぎないものだ。

 

 

(君だって、僕の患者の1人だって言う事を)

 

 

『患者を救うに必要なものは何でも揃える』、<冥土帰し>。

 

彼は彼の教え子と同じように、友を地獄から救おうとし、結局はその手を離してしまい敵対することになるのかもしれない。

 

だけれども、一度手を離したからと言って、この師弟は諦めるとは限らない。

 

 

 

 

 

 

 

この日。

 

学園都市は、ローマ正教には『魔術』と認証される科学的超能力開発機関があり、そこから攻撃を受けたと世界各国のニュースで報道し、

 

ローマ正教は、学園都市は人工的に<天使>を作りだそうという冒涜的な研究が行われているとローマ教皇の口から非難の声が上がる。

 

互いは互いの主張を一切認めず、己の主張のみを相手に叩きつけ、そこに譲歩や妥協の色は一切ない。

 

まるで争いが激化するのを望むかのように。

 

 

 

今日、動きだしてしまったこの運命の歯車は止められない。

 

学園都市とローマ正教の正面対立は、やがて世界で3度目となる大きな戦争は引き起こす

きっかけとなる。

 

 

 

そして。

 

この日から。

 

<幻想投影>と言う存在の噂が広まる。

 

 

 

つづく


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