とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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学園テロ編 闇からの逃走

学園テロ編 闇からの逃走

 

 

 

道中

 

 

 

―――喰ラウ―――

 

 

<聖騎士王>は街中を、ガシャガシャと重たげに身体を揺すって歩いていた。

 

光を拒むような黒ずんだ銀色の全身鎧に、精緻な文字が刻まれた王者の剣。

 

その解放されつつある圧倒的ポテンシャルを映してか、周囲の空間が僅かに歪んでいるように見え、龍の顎をイメージにして拵えた兜の奥には、瞳は無く、代わりに、黄金色の光が瞬いている。

 

それはその大剣の露と消え、斬撃の餌食となった数知れぬ敗者の怨念か、それとも『騎士王』の基盤となりし生贄の魂魄か。

 

金色の輝きは儚げに揺らめく。

 

 

―――喰ラウ―――

 

 

ただ、一見完全なように見える鎧騎士には足りないものがあった。

 

大剣を納めるべき『鞘』がない。

 

完全性の中にある唯一の不完全性。

 

コレが、その『鞘』を失くして、生まれた不完全は、やがて、完全なる騎士を『最悪の人造兵器』へと導く事になる。

 

『鞘』に秘められた『不死』という守護を失くし、崩されたバランスを戻そうと完全なるポテンシャルを『鞘』とは対極の『劫罰』を秘めた『剣』に全て注ぎ込む。

 

そこから生まれたのは、不死でも、王威などでもなく―――終焉。

 

 

―――喰ラウ―――

 

 

黒く世界を塗り潰しながら歩く。

 

欠けてしまった『不死』という完全を満たす力を求めて。

 

そんな<聖騎士王>の彷徨を、誰も邪魔することができない。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

まさに、疾風。

 

たった1人の少女に場を掻き乱され、仕切り直されてしまった。

 

だが、そんなことなど吹き飛ばすような事が起きたのだ。

 

木原数多は、その一連の出来事に両目を大きく開ける。

 

 

(あの小娘は一体何者だ? 最初の暴風といい、まさか、今のはベクトル操作の『反射』!? いや、あれはあのクソガキにしかできねェ芸当だ。だが、そうじゃねェと説明がつかねェ)

 

 

怒りに熱された思考が冷え、木原数多から一切の表情が消える。

 

小さくなっていく黒のワンボックスカーを眺めながら、右手を差し出す。

 

 

「だったら、再確認ってなぁ! アレだアレぇ、アレェ持って来い!!」

 

 

ムチャクチャ過ぎる注文の出し方だが、部下は従順に応じた。

 

残るワンボックスの中から迅速な動きで携行型対戦車ミサイルを数多へ受け渡す。

 

それでも、さっさとしろ間抜けと怒鳴って部下を殴り飛ばすと、プロのオペレーターがキーボードを叩くような正確さと素早さで、一気に砲を組み立て安全装置を解除していく。

 

その動きには一切の迷いがない。

 

むしろ、うろたえるのは部下の方だ。

 

 

「う、運転手は!?」

 

 

今、あの黒いワンボックスカーを運転しているのは<猟犬部隊>の一員。

 

だが、木原数多には違う。

 

 

「関係あるかよヤッハーッ!」

 

 

この人権さえ存在しないハイエナの集まりの主人であり、ルールは、木原数多。

 

主人の命に逆らうハイエナは不良品。

 

とっとと返品して、腐るほどいるクズと代用するのみ。

 

 

「脱走兵は即刻死刑! さようなら子犬ちゃん、あなたの事ァ2秒ぐらい忘れませんってなぁ!!」

 

 

ガコッ! と数多は全長1m、太さ30cmほどの砲を肩に担いで側面のスコープに目を通す。

 

照準を合わせる。

 

追尾ミサイルの引き金に指をかける。

 

数十m進んだワンボックスは通り角を曲がろうとしている所だった。

 

数多は笑った。

 

間に合う。

 

たとえ自動車が曲がりきっても、ミサイルは車を追って斜めに進み、角のビルの壁にぶつかれば、コンクリート片の嵐を喰らってワンボックスはひっくり返る筈だ。

 

一方通行は死なないだろうが、とりあえず確実に足をなくす。

 

後は傷を負ったその他3名ともども、一方通行をじっくり料理すればいい。

 

 

(甘々だぜェ、一方通行! 車なンか使っちまったら、もう繊細な風の操作は使えねェってのをアピールしてるモンじゃねェかよォ!! あの小娘の存在が不気味だが、これで正体が分かんだろォ!!)

 

 

「あばよクソ野郎! 冥土の土産にミサイルくれたやらぁ!!」

 

 

ハイな笑みを浮かべて、引き金を絞ろうとした―――その時、

 

 

 

「勝手に私のターゲットに手を出そうとしてんじゃないわよ」

 

 

 

黄色い狂信者がその視界を遮った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれから10分ほど走った。

 

車で10分も走ればそこそこの距離は稼げただろう。

 

可能性は低いが、<猟犬部隊>が衛星でも使ってこちらの逃走ルートを追跡されない限りは、しばらくは大丈夫だ。

 

 

「(……ま、まだ走るのかよ。はは、冗談じゃねぇ。このままじゃ本当に死んじま―――)」

 

 

「(……黙れ。俺が停まれっつーまで停まる訳ねェだろ)」

 

 

3列の最後部座席にいる同乗者の2人には気付かれないよう、2列目の後部座席から小声で囁き、最後に背もたれを貫通している鋼鉄の凶器を、指先で軽く動かして運転手を脅すと、一方通行は運転席のシートを隠すように、自分の身体の位置を調整する。

 

運転手は脂汗をだらだら流すが、こくこくと頷き、一方通行に従う。

 

その際呻き声を漏らし、彼女達が眉を潜めたが、シスターの方は何の音かまでは気付いていないようだ。

 

しかし、もう1人の方はいつも通り………

 

 

「しいか大丈夫!? あの人達に何かされなかった!?」

 

 

「ふふふ、順序は逆ですが、私の寮では『地震・雷・火事・寮監』という格言がありまして、それと比べれば、鉄砲だってへっちゃらです。ほら、傷なんて無いでしょう?」

 

 

「うん。でも、何だか調子が悪そうに見えるんだよ……」

 

 

「それはちょっと濡れて身体が冷えているからでしょう。急いでここへ来ましたし。うん、こうなればインデックスさんの人肌で温めてもらうしかありません!」

 

 

「わわっ!? しいか―――うぶっ」

 

 

と、細い腕を伸ばしてシスターをぎゅうっと抱きついて、いつも通りに“見せかけ”ながら、少女の注意を“こちらから逸らす”。

 

<猟犬部隊>と<木原>を1人で相手取り、そのドス黒さを肌で感じた彼女が、この状況がどれほど危機的状況である事を理解しているはずだ。

 

そうでなければ、何よりも対話を優先している彼女が問答無用で奇襲を仕掛けてくるはずがない。

 

だけど……

 

 

「んー、至福の感触。詩歌さんはご満悦ですよー」

 

 

「あぅー、何だか誤魔化されているような気がするけど、ポカポカして気持ちよくて眠くなってきたかも……」

 

 

シスターは最初の方はじたばたしていたが、そのゴットフィンガーで撫でられると数秒もしない内に、とろーんと無抵抗に。

 

そして、アイツはうっとりとした様子でシスターの柔らかさを存分に堪能。

 

で、三毛猫は『姉さん!? そのままだと窒息してしまいます!?』と2人の合間でサンドイッチになっている。

 

とてもじゃないが、先程、木原数多の鳩尾を容赦なく傘で突いた時と同人物には思えないほど、いつも通り。

 

心の余裕というのは、戦場では重要で、なければ上手く機転を利かせながら事を有利に運べない。

 

やはり、それほど、日常と非日常を行き交いに慣れているのだろうが……

 

かくいう一方通行も周囲を警戒し、チョーカー型の電極は既に通常モードに変えてある。

 

これは単に節約のためで通常モードだけでも電力を消費するのに、能力を使用するときは莫大に電力を消費する。

 

能力使用時間は残り7分といったところだろう。

 

今は『反射』も使っていない。

 

いざという時に余力は残しておいた方が良い。

 

しかし、だ。

 

 

(……アイツの抱きつき癖は自制がねェのか。っつか、シスターの方はこの状況でウトウトしてンじゃねェよ。どんだけお気楽なンだァ。ピクニックじゃねェンだぞ)

 

 

騒がれて、パニックになるのも問題だが、いくらなんでもなごみ過ぎだ。

 

すぐ前で、こちらは運転手に死をチラつかせながらシリアスになっているのに、あまりに場違いなほんわか雰囲気。

 

今はまだ来ていないが、その内、あの場を目撃してしまった彼女達には、あのハイエナどもが牙を研ぎながら居場所を嗅ぎつけて迫るに違いない。

 

特に、ボスを倒したアイツには、私怨も含まれているだろうから逃がしはしないだろう。

 

 

「チッ……!」

 

 

舌打ちすると、一方通行から無言の重圧に気付いたのか、軽く外の様子を窺い、言った。

 

 

「にしても……静かすぎますね」

 

 

外から見たら、後部ドアもない、いかにも盗難車ですとアピールしている不審ワンボックスが街を走っているのだが、<警備員>にぶつかる事はない、

 

その気配すら感じない。

 

 

(まさか、この静けさも木原のクソ野郎が手間暇かけた演出の1つってェワケじゃねェだろォな……)

 

 

と、警戒する一方通行だが、

 

 

「やはり、今日の学園都市はおかしい。何か妙な気配が“複数”しますし、<警備員>があちこちで気を失って倒れています」

 

 

「なに?」

 

 

一方通行は眉を顰めた。

 

詩歌は窓の外を眺めながら続ける。

 

そう、それは教員用住宅を出て、あの場に乱入するまでの間の事だ。

 

<一方通行>に『共鳴』し、その方角へ進んでいた所、突然、詩歌の前で<警備員>が倒れたのだ。

 

 

「診ました所、体内の酸素が脳や内臓の機能に必要最低限のラインまで極端に減じていました。これは、おそらく人工的な仮死の誘発です」

 

 

人間に限らずほとんどの動物には、生命活動に必要なものが不足すると、それに合わせて体機能レベルを低下させる防衛本能があり、省エネでエネルギーを節約するのだ。

 

例を上げるなら、過酷な冬という環境下で、熊などの動物が巣穴に籠り、暖かな春まで眠りに付き続ける冬眠がある。

 

 

「しかし、意識を回復させることはできません。体内の酸素量を調節しようと試みましたが、それでもすぐに引き下げられました。……一応、命に別条はないので、あとは病院に任せる事にしましたが」

 

 

「ハッ、設備もねェのに良くそんなのが分かンだな」

 

 

彼女があのカエル顔の医者に手解きを受け、彼の作った簡易医療セットを常に携帯している事は知っているが、それはあくまで応急処置に過ぎず、しかも触診程度で本格的な分析などできるはずがない……

 

けれど、逆に、彼女の方が半ば呆れたような顔で、

 

 

「あのですね。これ全部、あー君のベクトル操作ですよ。夏休みに打ち止めさんのウィルス除去のために、皮膚上の電気信号から逆算して、その構造を解析し尽くしたのをお忘れですか?」

 

 

<一方通行>はあらゆるベクトルを解析し、意のままに操作できる力。

 

その力があれば、研究機関の設備など必要なく、患者の正確な情報を把握する事など造作もない。

 

一方通行は芋虫を噛み締めたように、チッと悪態をつく。

 

己の力なのに『反射』や風のベクトルによる暴力しか考えていない、救う事のできる可能性がまず思いつかなかった。

 

固定的な観念のせいで生じた近視眼的なものの見方、すなわち、一方通行の愚かさを、彼女との思慮の差を思い知らされた。

 

 

「本当に万能です。これさえあれば、病院いらずの医者になれますよ」

 

 

「フン、……おもしれェ冗談だな」

 

 

とりあえず、その分析の疑念は無いのは分かった。

 

もしその話が本当だと言うなら、<猟犬部隊>以外のナニカがいる可能性がある。

 

考え込もうとした時、世界観が合致しない真っ白なシスターが、

 

 

「うん。しいかの言う通り、街中に魔力の流れを感じるんだけど、それだけで何かまでは分からないかも。しいかは、他に気付いた事はない?」

 

 

「いえ、私も同じです。何かされたという意図は感じるのですが、仕組みも治療法もさっぱり」

 

 

2人はしばし考え込むが、情報が少なく、そして、時間が足りない。

 

ただ、それでも分かるのは、

 

 

(……『マリョク』とっつう単語には聞き覚えはねェが、どォやら木原以外にもナニカいるらしいな。ンで、ソイツのせいで<警備員>が使い物にならなくなってやがンのか)

 

 

この非常事態に学園都市の防衛網であり、治安を維持する<警備員>は動かない。

 

おそらく、<風紀委員>も同じような状況下の可能性がある。

 

おかげで<猟犬部隊>は、表舞台でほとんど自由に動く事が可能だろう。

 

さらに、

 

 

「そして、問題なのはそれだけではありません。AIM拡散力場にも乱れが見えます。もしこの乱れが広がれば、もしかすると能力者の暴走が学園都市は壊滅するかもしれません」

 

 

現状況は幾つもの事件が複雑怪奇に混ざり合い、解決の糸口が見えないほど予測不能の混沌(カオス)である。

 

そして、このままだと学園都市は滅ぶ。

 

……最悪だ。

 

 

「それで、あー君のAIM拡散力場の乱れを察知して慌ててきたんですが、インデックスさんはどうしてあの場にいたんですか?」

 

 

思考の箸休めに話題を変えて、軽く気になっている事を詩歌は聞く。

 

 

「ん? 借りてた物を返しに来たんだよ」

 

 

インデックスは修道服の袖の中にごそごそと手を突っ込んで、

 

 

「ほらこの最新鋭日用品! こんな大事な物を預けっ放しにしちゃ駄目なんだよ! 困っていたでしょ、でもこれでもう大丈夫なんだから!!」

 

 

「馬鹿じゃねェのかオマエは!? こンな使い捨てでなおかつグシャグシャに丸まったポケットティッシュなンざ返してもらっても迷惑だ!!」

 

 

え、そうなの? とインデックスはビニール袋に包まれたポケットティッシュを、小さな手で真っ直ぐ伸ばし直し始め、保護者の方を見れば、言い過ぎです、と若干非難するようにこちらを見ている。

 

これはどうやらもう受け取るしか選択肢はないらしい、と一方通行はうんざりした顔でシスターからティッシュを奪い取り、適当な仕草でズボンのポケットにねじ込むと、その隣へ視線を向け、

 

 

「帰りが遅いから私はあー君と打ち止めさんを迎えに。それに、雨が降りそうでしたからね。と、話を戻して、あら、2人とも知り合いだったんですか?」

 

 

「うん! とうまを捜してたらお腹が空いちゃって、ハンバーガーをご馳走してもらったんだよ。それで、私と同じように迷子を捜してたからお礼に―――って、あー君?」

 

 

と、そこで言葉を止めて首を傾げると、

 

 

「しいかしいか、この人があー君なの?」

 

 

「ええ、一方通行(アクセラレーター)だからあー君ですけど」

 

 

と、再度首を捻って、記憶を捻りだすと、

 

 

「でも、この人、あー君じゃないって言ってたけど?」

 

 

「それは、あー君がシャイな性格をしているからです。昔、私の名前を呼ぶだけであたふたした事がありましたし、きっとあだ名で呼ばれるのは恥ずかしい―――」

 

 

「余計な事実改変してンじゃねェ!!」

 

 

チッ、と一方通行は吐き捨てた。

 

昔から彼女は、さんざんこちらを振り回す厄介極まりない相手で、手に負えない。

 

おかげで、こちらの主張を無視して、シスターはうんうん、と納得したように頷いてしまい、また1人、妙な誤解を植え付ける事に、と。

 

 

「そういえば、ねぇ、あー―――」

 

 

「もしふざけた呼び名をほざくンなら、まァた暴れるかもなァ」

 

 

「―――、ーあなたが捜していた迷子の打ち止めって子、どうしたの?」

 

 

「……またはぐれちまってなァ」

 

 

少し間を開けてから、一方通行は答える。

 

 

「俺はこれからあのガキを捜さなくちゃならねェ。手のかかる事に、アイツは自分の足で家まで戻って来れねェ見てェだしな。だから、ここでお別れだ」

 

 

「私も捜すよ?」

 

 

インデックスは即座に返答した。

 

 

「だって、あなたが困ってるの分かるもん。しいかもそのつもりなんだし、それにとうまもここに居たらおんなじ事を言ってると思うし」

 

 

その言葉に、詩歌はやれやれと言った感じに肩を竦め、『インデックスさん、それで当麻さんは?』、『あ! 迷子になっちゃたのかも、とうまが』、『むむ、どっちも世話が焼けますね』………会話をする2人からつまらなさそうに視線を外すと、ふン、と鼻を鳴らし、 一方通行は運転手の男に声をかける。

 

 

「この辺りで停めろ」

 

 

文字通り命を握っている一方通行の指示を受けて、運転手は路肩に車を停めた。

 

 

「協力しろ」

 

 

一方通行は最後部座席へ振り返り、

 

 

「うん。何をしたら良い?」

 

 

「この近くにデカい病院がある。徒歩5分から10分って所だな。そこに行って、いかにもカエルに良く似た顔の医者を見つけて来い。医者に会ったら……」

 

 

一方通行はそこで言葉を切り、自分の首筋をトントンと叩いて、

 

 

「<ミサカネットワーク>接続用電極のバッテリーを用意しろと伝えろ。それで通じる。バッテリーってなァ大事なモンだ。ソイツがねェと人捜しができねェ。だからバッテリーを受け取ったら、オマエはダッシュで此処に戻ってこい。分かったな」

 

 

「分かった。『<ミサカネットワーク>接続用電極のバッテリー』だね」

 

 

完璧に復唱された。

 

もちろん、一方通行の言っている意味を理解はしてないだろうが、意外に頭の回転は早いかもな、と一方通行が適当に考えていると、インデックスは三毛猫を抱えると雨の道路へ躊躇なく出て行き、そして、

 

 

「あ、それから、インデックスさん」

 

 

「あァ?」

 

 

保護者である彼女は付いていかず車内に残ったまま、軽く手を上げて、見送る。

 

それを咎めるように一方通行は睨むが、気にした様子もなく、

 

 

「先程の意識不明の<警備員>が病院に送られているでしょうから、先生に急患で運び込まれた患者の容体について聞いて来てください。何か分かるかもしれません」

 

 

「うん。私も何かないか急いで見てみるけど、戻ってくるまで、ちゃんと待っててね?」

 

 

「はい、あー君は私が“見張って”おきます」

 

 

その言葉を聞いて安心したのか、インデックスはそのままパシャパシャと水溜りを踏みながら走って行った。

 

その小さな背中が、闇の奥へと消えていく。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

上条当麻と打ち止めは逃げていた。

 

雨足の強くなった夜空の下、傘を差さずに、服がびしょ濡れになろうが構わず、真っ暗になった道路を駆ける。

 

 

『この人達に襲われたの、ってミサカはミサカは本当の事を言ってみる』

 

 

そう打ち止めが告げた現場には、激しい戦闘があったことを物語る黒いワンボックスカーの残骸と複数の人間が倒れていた。

 

コンクリートさえも紙のように貫通するサブマシンガンとヘルメットや伸縮性の高いマスクで顔面を覆う黒づくめの男達。

 

軍事関係に知識が明るくない当麻だが、このどう考えても明らかに一般人ではない匂い。

 

<警備員>よりも高性能の、<警備員>とは違う非正規の部隊。

 

しかし、当の襲撃者達も現場では倒れており、打ち止めの言う『あの人』の姿はなかった|(ただし、『あの人』が暴れたとするならもっと悲惨になっており、これをやった犯人ではないらしい)。

 

 

 

だが、それよりも恐ろしかったのは、これだけ悲惨な現場なのに誰も通報しようとしない、騒ぎの起きない、徹底的な静寂に包まれた街。

 

 

 

この学園都市の機能が壊滅した現象が人為的なものなのかも、意図のないものなのかも分からない、どうしたら良いのかという答えも見つからない未知の恐怖。

 

しかし、考えている暇はなかった。

 

すぐさま、奇妙な黒いワンボックスカーから<酸性浄化(アシッドスプレー)>――特殊な弱酸をばら撒き、指紋や血痕のDNA情報を抹消する火炎放射器のような形状をした装備――を持ち、現場の証拠隠滅の為に現れた路上に転がる黒づくめの男達と同じ装いの工作員部隊が現れ――――

 

 

 

   ちゃぷ

 

 

 

――――気付かれた。

 

 

黒づくめの連中に気を取られ過ぎて、足元の水溜りを踏んでしまった。

 

その降り注ぐ雨の水溜りを打つ音とは異質な音が、彼らの意識をこちらへと引き寄せてしまった。

 

わざわざそれ専用の器具まで用意して証拠を隠滅するような連中だ。

 

すぐさま口封じにこちらへ銃口を向けてくるだろう、と。

 

 

 

けれど、今、当麻達が逃げているのは彼らではなかった。

 

 

 

殺人など微塵も窺えない動きでこちらへサブマシンガンを構える男達に、すぐさま打ち止めの小さな体を抱えるように持ち上げて、すぐさま逃走ルートへ視線を走らせる上条当麻の緊迫した空気の中、

 

 

「……as喰dラウw」

 

 

いきなりそれは来た。

 

当麻の視線の先、黒づくめの男達の真後ろ、2人に狙いを定めている彼らの背後から、全く無造作に、大剣の斬撃が横一文字に走った。

 

黒づくめの男達は全くそれに気付かず、腹に斜線を引くように両断された。

 

上半身も、下半身も、両断された所から勢いよく別方向に飛んで、ザバン、と地面に転がり落ちた。

 

それはただ歩いてきただけ、その途中で邪魔になった黒づくめの男達を叩き斬っただけ、そんな、あまりにも簡単で呆気ない仕草。

 

 

「……なん、だ。あれは……」

 

 

この世界との違和感を放つ、異形の鎧騎士。

 

手にあるのは、複雑な文様の描かれた、抜き身の大剣。

 

そして、兜の奥の光がこちらを見た時、

 

 

「aw対象dwa発見dwq」

 

 

夜闇より濃い黒い霞が噴出し、王に仕えし歴戦の騎士団を模る。

 

 

 

 

 

 

 

判断は一瞬だった。

 

当麻は全速力で飛び出し、路地裏へと駆け込む。

 

上条当麻と打ち止めは、怪物から逃げていたのだ。

 

 

「打ち止め、大丈夫か!」

 

 

当麻が尋ねると、腕の中の小さな少女は無言で何度か頷いた。

 

ガチャリガチャリという重々しい金属音が響き、こちらに迫り来る気配を感じる。

 

幸いにして、移動速度は遅いが、それでも着実に距離を詰めてくる。

 

当麻は舌打ちをすると、打ち止めの身体を抱え直し、路地裏の奥へと走り出す。

 

足を止めては駄目だ。

 

アレはこちらを狙っている。

 

シェリー=クロムウェルの<ゴーレム=エリス>に狙いを付けられたのと同じだ。

 

だから、少しでもこの意識不明の人間がいる街からあの怪物を引き離す。

 

しかし、

 

 

「行き止まり!」

 

 

曲がり角の先の10m先には道がなく、あるのは閉められた建物の裏口。

 

焦って逃走ルートを読み間違えてしまったのだ。

 

まずい、このままだと追い付かれてしまう!

 

 

「打ち止め、<妹達>を束ねてるって事は、お前も電気の力って操れるのか?」

 

 

「うん、Level3程度のものしか使えないけど、ってミサカはミサカは答えてみたり」

 

 

「じゃあ電子ロックは外せるか。このままだとアレと真っ向から鉢合わせしちまう」

 

 

分かった、という返事があった。

 

当麻は行き止まりの建物の裏口のドアに立ち止まり、打ち止めを傍らに下ろす。

 

 

「んっ」

 

 

打ち止めはワイシャツの胸ポケットから携帯電話を取り出すと、電源を切った。

 

どうも電気系の能力を使う時、集中の邪魔になるようだ。

 

彼女はその小さな手のひらを、ドアの横に取り付けられたカードのスリットに向けて、目を閉じる。

 

ガチャリガチャリ、という足音が聞こえ、喉元に切先を突きつけられたような重圧を感じる。

 

遠いのか近いのか、距離感はつかめず、ただ乾いた喉に唾を飲み込む。

 

いつ追い付かれるか分からない状況で、じっと何かを待ち続けるのは想像以上にプレッシャーを与えてくる。

 

 

(まだか……?)

 

 

当麻は暗闇の中で、重なるような足音だけに耳を傾けながら、待つ。

 

 

(くそ、まだなのか)

 

 

打ち止めに変化はない。

 

まさか<幻想殺し>のせいで変な影響が出てるんじゃないだろうな、と当麻が心配になってきた所で、

 

 

 

―――ガシャン。

 

 

 

黒銀の円卓騎士(ロイヤルナイツ)が現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「さて、行くんですか?」

 

 

「……止めねェのか?」

 

 

「はい、私は待っていると約束した訳じゃないです」

 

 

「なら、とっとと降りろ」

 

 

「却下です。あなたの見張りをすると約束しましたので」

 

 

「オイ、保護者。あのシスターを放任してても良いのか?」

 

 

「ええ、心配だから、先生の元へ送ったのでしょう? わざわざ嘘をついてまで」

 

 

「クソったれが」

 

 

思わず吐き捨てて、彼は座席の背もたれに身体を預けた。

 

病院に替えはない。

 

電極自体が試作品で、バッテリーもそれに対応して量産化されていない特殊な物になっている。

 

もし量産されているなら、一方通行は最初から大量のバッテリーをポケットにでも突っ込んでいる。

 

簡単な嘘だ。

 

どこへ行っても危険なのは変わりないが、あのカエル顔の医者の所はここにいるよりはマシな筈だ。

 

何せこれから始まるのは、木原数多や<猟犬部隊>との、打ち止めの争奪戦だ。

 

ただでさえハンデを背負っているのに、さらにインデックスというお荷物を抱えたまま戦うなど馬鹿げている。

 

だから邪魔者は、邪魔にならない場所へと移した。

 

そして、彼女はそれを全て承知している。

 

 

「……、こっちまで構っていられる余裕はあンのか? 連絡がついていねーンだろ。テメェはテメェでやる事があンじゃねェのか?」

 

 

後ろで携帯を弄っていたのを、何度も連絡を取ろうとして通じなかったのも、分かっている。

 

 

「まあ、連絡も付きませんし、この状況下で馬鹿で無鉄砲な私のお兄ちゃんを放置するのは、不安で不安でしょうがないですね。でも、頼りがないのは元気な証拠と言います」

 

 

それに、

 

 

 

「私のお兄ちゃんが心配ですけど、誰よりも信頼しています。どんな不幸にも負けないってね」

 

 

 

そう言って、アイツはクスクスと笑った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(どうするッ?)

 

 

袋の小路に追い込まれた。

 

しかも相手は複数。

 

 

(こうなったら仕方ねぇ。ここでやってやるしか……)

 

 

上条当麻は軽く息を吐くと、右手に腕時計――<梅花空木>を巻き、拳を構えた。

 

銃器とは相性は悪いが、魔術だの能力だのという、トリッキーでイレギュラーな相手ならこの右手に宿る<幻想殺し>は天敵だ。

 

できれば、狭い路地裏じゃなく、河原のような人気のない広い場所の方が良かったが、相手が行動を起こす前に蹴りを付ければ問題はない。

 

それにこれを放置してしまえばどれほどの人間が犠牲になるのか想像し難くはない。

 

決死の覚悟で徹底抗戦あるのみ……!

 

 

『置いてかないで……お兄ちゃん』

 

 

不意に、妹の言葉が過る。

 

それはおそらく、理性の仕業。

 

いつでも自分を想ってくれる彼女の声は、上条当麻の意識に自然と冷水を浴びせる。

 

当麻は拳を握ったまま深呼吸。

 

鼻から息を吸い、口からゆっくりと吐きだす。

 

静かに焦りが消え、冴える思考。

 

 

……落ち着け、上条当麻。

 

今この場でとれる最善の行動は生き残る事。

 

 

愚兄の双眸が捉えた。

 

黒き霞に包まれた円卓騎士の姿を。

 

今ならはっきりと“感じる”。

 

あの騎士団は親玉と比べれば、弱い。

 

そして、それを動かしているのは、全て異能――『前兆』。

 

動作が生み出す『前兆』の流れを、全て捉える。

 

気付けば体は感覚と共に動き、鎧騎士達の『前兆』の隙を突くべく、足を踏み出していた。

 

 

(感じろ)

 

 

1体の騎士が調子を変えて、素早く踏み込むのに合わせて身体を移動させる。

 

『前兆』の流れが動作のどこに生まれるかを感じる。

 

冴えた視界、それ以上、皮膚の感覚、それ以上、自分が動く全ての動作と相手の動作、全てに呼応して、『前兆』の流れを感じる。

 

 

(感じろ。五感を尽くして感じるんだ!)

 

 

『前兆』がすぐ前に。

 

そして、今まさに剣を振りかぶっているような一瞬の遅滞の後、剣風が雨粒を弾く。

 

その風鳴りが、当麻の頬の5cm手前で、スッと通り過ぎる。

 

当麻は半身に捻りながら沈み、その勢いで付けた回転を低い蹴りに転換、足を払う。

 

ぐらつかせると、跳ねるようにその鎧を右手の手刀で撫で切った。

 

黒い霞を裂いて、幻想を殺す。

 

黒銀の騎士はそれだけで霧散する。

 

それでも騎士達の腕前はかなりのもので、すぐさま右手の死角である当麻の左脇腹を狙って猛烈な突進をかけてきた。

 

黒い霞が、刀身を纏っているその一撃を、当麻は足さばきと体の回転だけで流した。

 

すれちがいざまに騎士の頭を左手で押さえつけ、右手の裏拳をぶち当てる。

 

 

(まだだ!)

 

 

騎士達の足の運びは軽く、動きは鋭い。

 

しかし、今の当麻にはその全てが強力な異能に操られた『前兆』が予知でき、殺意の群舞の中、いつしか踊っていた。

 

 

(ここだ!)

 

 

より前へ、愚直に前へ。

 

黒い霞を突っ切り、接近。

 

通常なら拳よりも剣の方が間合いの広さで有利だが、腕すら満足に振れない状況なら、その有利性は逆転する。

 

零距離の交錯で、5本の長剣と右拳がそれぞれ半径で弧を描いた。

 

その軌跡を、当麻は脳裏に鮮やかな絵画のようにイメージできた。

 

 

パキンッ―――

 

 

右拳が空中に引いた流麗な線の後を、霧散した黒い霞が追いかけた。

 

しかし、騎士達はまだまだいる。

 

<幻想殺し>は矛であり盾であったが、多勢に無勢。

 

それでも、只管に繰り返す。

 

騎士の剣を捌き、突進を避け、ピエロの綱渡りのように、妹の、上条詩歌の動きを投影し続ける。

 

上条当麻は、幾度も上条詩歌に敗北し、共闘し、その姿を見てきた。

 

所詮は贋物だが、何を学ぶにしてもまず模倣から始まる。

 

 

『―――当麻さん、前へ!』

 

 

脳内に映る詩歌の幻想に導かれるように動作を重ねていく。

 

 

「おおおおおおぉぉっ!!」

 

 

振り落とされた剣の刃が、当麻の右拳を包む最硬のお守り<梅花空木>から肘へと滑っていく。

 

完全に受け流し―――その滑りに合わせて、当麻は右手を突き出した。

 

ありったけの力を込める。

 

ぐるん、と足裏から何かが回った。

 

膝を巡り、太股を介して、腰が回転する。

 

腰の捻れに突き上げられて、右拳が螺旋を描く。

 

 

「―――その幻想をぶち殺すッ!!」

 

 

速く、強く、精確に。

 

最短の時間、最大の威力、最高の精度。

 

とん、とその会心の一撃は乾いていて、小さな音だった。

 

 

しかし、その右拳の先、『前兆』の中心を、<幻想殺し>が―――覇気が―――突き通る―――!

 

 

その貫通した衝撃に、騎士団の中央から大きく割れ、そして、

 

 

「きた! ってミサカはミサカは目を開けてみたり!」

 

 

「よしっ、良くやった打ち止め!」

 

 

ピーッ、という高い音階の電子音が鳴った。

 

当麻はすぐに地面を蹴って、戻る。

 

今ここですべきことはこいつらを倒す事ではなく、逃げる事。

 

当麻は解錠された鉄の扉を開け、そのまま打ち止めを抱えて建物内へと踏み込み、その扉を閉ざした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ええ、殺されても良いくらいに信頼してます」

 

 

それは絶対の絆に裏付けされたもので、一方通行には推し量ることはできない。

 

そして、彼女の方は自分の事を全部お見通しのように、じっとこの赤い瞳を見ている。

 

 

「そして、今ここで打ち止めさんを見捨てる方が、怒られますし、不幸にさせてしまいます。大体、問題はそれだけじゃありません。あー君だけには任せられません」

 

 

「クソガキの面倒は俺が見る。これは俺の戦いだ。テメェはさっさと失せろ」

 

 

「さっき私が助けに来なければ危なかったでしょう。それに先程も言いましたが、今はAIM拡散力場が乱されて能力使用が厳しい。状況が分かっていないのはそちらのほうですよ。今は、打ち止めさんを助ける事を優先に考えるべきです」

 

 

今まで付き合いから、彼女の有能さは知っている。

 

複数で行動するのは群れの本能であり、当たり前の発想だ。

 

つまりは、ここは協力し合うのが正しい最善策だ。

 

 

 

だが、善悪を問わず、片っぱしから人を救いあげようとする意思は素晴らしいものなのだろうが、それが諸刃である事も知っている。

 

 

 

先程も容赦なく全力で竜巻で薙ぎ払っていれば<猟犬部隊>を初撃で殺せたはずだろうに……

 

鳩尾を狙って気絶ではなく、頭を狙って仕留めに掛かれば木原数多を殺せたはずだろうに……

 

先程の一方通行とは逆だ。

 

どんな力があろうと人を殺すという発想が、まず思い浮かばない。

 

彼女はそれを弱点だと知っているだろうし、それがどれほど甘い考えかも分かっているのに、変えない。

 

これが、上条詩歌という人間の愚かしさだ。

 

しかし、一方通行には、そんな彼女の、当然のように闇夜を照らすような優しさが眩かった。

 

 

 

だがらこそ―――

 

 

 

「……別にテメェが来なくても手はある」

 

 

そして、能力が使えなくても、この車には、掌に収まるほど小さな拳銃、百科事典のケースに隠れてしまいそうなサブマシンガン、モップのように長い室内制圧用のショットガン、粘土のような爆薬と信管、無線機やら顔を覆うマスクやら、<猟犬部隊>の装備品が一様に揃っている。

 

これを上手く使えば、ハイエナ如き軽く屠れる事は可能だ。

 

そのまま一方通行は視線を逸らさないまま睨むと―――彼女はフッと数瞬瞑目し、そして、ゆっくりと両眼を見開いてから、蕾が綻びるような微笑を浮かべた。

 

 

「ええ、そうなんでしょう」

 

 

けど、

 

 

 

「私も打ち止めさんは心配です。そして、あー君がそう思っているのと同じように―――あー君。私はもう、あなたの手を汚させたくない」

 

 

 

その優しい瞳、どんな光も『反射』しない温かな黒色を直視した時、一方通行の虹彩の色が僅かに揺らいだ。

 

 

「……だから、こォいう馬鹿は手に負えねェンだ」

 

 

真摯なまなざしから視線を逸らし、一方通行は思いのまま小声で愚痴ると、

 

 

「車ァ出せ」

 

 

「ま……まだ解放してくれねぇのかよ―――あがっ!?」

 

 

「死ぬか生きるか、お前が選べよ」

 

 

後部座席に突き刺さった鋼鉄の凶器を軽く揺すると、自動車は静かに発進した。

 

 

 

つづく


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