とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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水の都編 刻限のロザリオ

水の都編 刻限のロザリオ

 

 

 

アドリア海の女王

 

 

 

『………<アドリア海の女王>の調整は終わりデス。肝心の起動も、イザという時のアレも問題なかったデスネ。あとは、<刻限のロザリオ>が追加されればイイ感じになりマス。にしても、今度は戻って<聖騎士王(アーサー)>を起こさなくちゃいけないなんて、ホント、骨董品だけじゃなく、老人も労わって欲しいデス』

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐだ」

 

 

ビアージオ=ブゾーニは船底から頭上を見上げる。

 

 

「ようやくこの仕事も終わりだな。全く、たかだか街を1つ潰すのにここまで手間がかかるとはな。<アドリア海の女王>……最後に実用としてだけではなく、骨董的な視点からも1度ゆっくりと眺めて回りたかったものだが」

 

 

<アドリア海の女王>による完全なる抹消、それがビショップ・ビアージオに課せられた司令。

 

これを成功させれば、彼はさらに上の位となる。

 

だが、そのためには……

 

 

「……ふむ。まだ静まらないのか」

 

 

声に応じるように、旗艦<アドリア海の女王>全体が低く震動した。

 

1度でなく何度も、この分厚い氷の壁に阻まれた、旗艦最深部まで轟音が容赦なく響いてくる。

 

これは砲撃で敵を仕留められず、次々と船を渡られて……おそらく、もう旗艦まで辿り着いているだろう。

 

問題はこちらにある。

 

<女王艦隊>を束ねる男の職制者達は、元アニェーゼ部隊のシスター達と違って戦闘には不向きだ。

 

これは質の悪さではなく、単に種類の問題だ。

 

最前線で武器を持って戦う軍師などいないだろうし、数もそれほど必要ない。

 

しかし、その頭で戦う彼らが、この事態に右往左往している様では使い物にならない。

 

それに、手足となって働くシスター達が船上での戦いに慣れていない。

 

彼女達はあくまで労働者として船に乗せられただけで、艦での訓練を受けてなどいないのだから、当然と言えばその通りなのだが……

 

 

(だから、職制者の他にも船上専門の部隊を配備しろと申告したのだ。あの小生意気な小娘だけでは足りんと。……それを)

 

 

上の連中は<女王艦隊>の性能だけを見て、『念のために調整士に確認させるが、追加の兵士は必要ないだろう。この大艦隊なら安泰だ』と判断してしまった。

 

裏方の調整士は自身の仕事が終わればとっとと帰り、ビアージオが粘りに粘って申告をして、お情けのように送られてきたのは騎士1人。

 

確かに、能力は有能な人材ではあったが、自分が欲しかったのは、それよりも死んでこいと言えば死ねるような忠実な兵隊だ。

 

戦いの形式によって万全なポジションが常に変わる事を考慮すれば、こんな事も分かるだろうに。

 

しかも虎の子として送られた騎士とはもう連絡がつかない。

 

 

(………上も下も役立たずばかり、か。グズ共が)

 

 

ビアージオは、ジロリと眼球だけを横に向けて、

 

 

「なかなかに刺激的だな。君を取り囲む環境というのは、こうも生温いのか」

 

 

「……、」

 

 

尋ねられたのは、同じ部屋の中にいる1人の少女。

 

部屋の中央には直径7mの完全な氷の球体があり、中はシャボン玉のように空洞だ。

 

<アドリア海の女王>の発動のカギとなる<刻限のロザリオ>発動時には、この中は氷で満たされ、共に凍結された適性のある修道女を球体ごと魔術的に“砕く”。

 

その贄となる少女、アニェーゼ=サンクティスは現在、球体の外側から、丸みを帯びた壁面に縋りつくように身を預けていた。

 

切り裂かれたように露出の多い修道服を着せられているのにも拘らず羞恥の色は一切浮かべず、今はただ『何故戦いが起きているのか』、『一体誰が何の為にここまでやってきたのか』といった思考に囚われていた。

 

 

「その顔だ」

 

 

ビアージオは続けて言った。

 

胸元に下がる4本のネックレス、そこにある数十もの十字架が、ジャラジャラと音を立てる。

 

 

「たまらんな。この期に及んでまだ図々しく誰かに期待している表情。自分が陽の当たる場所に立っているなどと語る心。そうでなくてはいけない。たかが罪人の分際で、悟ったような顔をされるのが一番気に食わん。動物は這いずれば良い。自分を取り繕うのは人間の特権だ」

 

 

ニヤニヤと、薄っぺらな言葉と共に放たれる悪意。

 

アニェーゼはジロリとビアージオの顔を見る。

 

 

「……私が、何に縋るですって」

 

 

「言わずとも分かっている。だから改めて尋ねたりはせんよ。ふん、“ヤツ”にこの場を押し付けられた時は落胆したものだが、こういう場面を見るならそれも抑えてみせよう」

 

 

アニェーゼは嫌悪感から顔を背けた。

 

ビアージオはそれにますます満足気に口角を吊り上げ、

 

 

「君の希望はここで打ち砕く。部品に感情は必要ない」

 

 

 

 

 

女王艦隊 アドリア海の女王附近

 

 

 

作戦通り、旗艦に潜入したとの連絡が入ると、松明に魔力を供給するのを止めた。

 

フッと蝋燭の火を消すように明るさが一気に減った夜の海。

 

不意に視界が暗くなり、シスター達の間に一瞬、動揺が生まれる。

 

そして、甲板を一陣の突風ように通り抜けるような影があった―――力を使わず、己の身体を低くして駆ける、上条詩歌の姿だ。

 

 

「―――え」

 

 

速い。

 

気付けばもう間合いを詰められていた。

 

 

「当麻さん達が無事に<アドリア海の女王>に辿り着いたようです。私も急ぎませんと。でも、<調色板>はなるべく節約をしたいので――――お借りしますね」

 

 

だん! と。

 

そこでさらに一歩強く踏み込み、加速して―――シスターが持つ、剣をごく自然に、まるで手渡されたかのように奪い去った。

 

そして、魔力を込め輝きだした剣で真横にいるシスターが振り上げた金属製の鈍器ともなり得る十字架を藁を切るかのように簡単に両断。

 

十数人を同時に相手にしているのに、平然とした顔でそれを圧倒する。

 

 

「はあっ!」

 

 

まるで後ろに目が付いているかのように背後から突き出された槍を躱すと柄を両断し、

 

 

「鬼塚流武術『鬼灯』!」

 

 

分厚い斧の側面を叩き、その重い剣圧が生み出す衝撃に手が痺れ、そのシスターは重い斧を落としてしまう。

 

 

―――ピキッ!

 

 

(そろそろ、限界ですか……)

 

 

まだ、続く。

 

シスターたちは、まるで意識が繋がっているかのように一斉に襲い掛かった。

 

弱っているとはいえ、手に持っているのは凶器。

 

全ての一撃が、当たり所が悪ければ致命傷になり得る。

 

冷静に距離を取り、詩歌は納刀するように剣に手を添え、凍てつくような鋭い目付きを周囲へ走らせる。

 

 

「―――<偽唯閃>!」

 

 

静から―――動へ。

 

剣を横へ薙ぐ。

 

が、シスター達の目には―――映らなかった。

 

そして、彼女達の前方の甲板に、円形の刃跡が遅れて刻まれ、飛沫を上げるように氷の塵が炸裂する。

 

それにシスター達は怯み、勢いを殺され、中には尻餅をつく者さえもいる。

 

だが、あまりに荒い扱いに剣の耐久力は限界を超え、ポキッと根元から折れる。

 

 

「鬼塚流武術『鬼瓦』―――」

 

 

しかし、それでも詩歌は、シスターの1人に詰め寄って――――

 

 

 

 

 

 

 

――――パン!

 

 

「――――ではなく、猫騙し」

 

 

目の前で柏手を打って、驚かせ、横を通り抜けながら、シスターが持つ杖を奪取。

 

そのまま振り返らずに魔力を込めた杖を振るい、粉塵を巻き起こし、その中を駆け抜けながら、最後は杖を振るってシスター達が持つ武器を破壊していき、その衝突に杖が折れれば、落ちている羽ペンがついた鏃のような武器を拾って投擲し光の嵐を巻き起こす。

 

<幻想投影>という触れただけで瞬時に『霊装』の性能を理解できる詩歌ならではの奪取戦闘術。

 

単独では何の効力も発揮できない<幻想投影>だが、相手がどんな力であろうと自分の手足のように自在に扱えるから、たとえ無手でも、たった1つの例外を除いて、相手の武器を自身の力へと変える事ができる。

 

今、武器を手に取ったシスター達は十数人いるが、<禁色の楔>と心身の疲労により動きが鈍く、他人の力を利用する詩歌からすれば武器を取り上げる事も容易で、迂闊に攻撃すれば味方に当たるという行動の制限もあり、次々と、次々々と、次々々々と、相手の武器を奪っては、それを使って攪乱し、隙をついてはぶつけて双方の武器を破壊してを繰り返していく。

 

最後は頃合いを見て、奪い取った巨大な槌を氷の床に食い込むように振り落とし、それを支点にして棒高跳びのように宙へ。

 

 

「では、失礼しました」

 

 

目の前から標的を見失い、足元の揺れで体勢を崩したシスター達の包囲網を飛び越え、ワンテンポ遅れて硬直が解けた彼女達を背にその場を離脱していく。

 

疲労の色が濃いシスター達は、武器を破壊されれば、さほど脅威ではなく、そのまま何もできずに詩歌を見逃してしまった。

 

 

 

 

 

アドリア海の女王

 

 

 

多くの護衛艦に守られ、全ての元凶である旗艦、<アドリア海の女王>。

 

ただでさえ100m級の船が並ぶ<女王艦隊>の中で、その2倍はあるこの巨大な船に、建宮率いる天草式の連中が<女王艦隊>を撹乱し、敵の主戦力を引き付けている中、何とか当麻、インデックス、オルソラ達は無事に到着する事ができた。

 

この<アドリア海の女王>は大きさだけでなくそれ以外も一線を画するようで、氷の壁は他よりさらにまるで月明かりを浴びた白金のように光り輝き、装飾も機能性を追求した他の船と比べると、宮殿のように煌びやかで豪華である。

 

手すりやドアノブにまで芸術家の意思を感じるし、船の縁には等間隔に天使や聖母の像が設置させられている。

 

船首側まで回る気はないが、おそらく先端には美術史に名を残すような船首像が取り付けられているだろう。

 

だが、当麻は、全く意に介した事なく、この歴史的価値がありそうな船の扉をその右手、<幻想殺し>を叩き付けた。

 

 

バン!! と。

 

 

ドアだけではなく、周囲の壁まで一気に吹き飛ばされた。

 

殴った点を中心に一辺が3mくらいの正方形に切り取られる。

 

 

「随分派手にいったな」

 

 

「護衛艦と違って、壁や床全体に魔術的な意味があるのでしょうから」

 

 

オルソラの推測通り、当麻の右手は、ドアの錠前だけでなく、他の仕組みまでまとめて破壊した。

 

砕けた出入り口の先にあるのは煌びやかな外観と同じく、豪華客船のような内装の通路だったのだろう。

 

が、その奥の空間もやはり3mにわたって綺麗に切断・消滅していた。

 

どうやら二次元の平面ではなく、三次元の立体として抉り取られたようだ。

 

天使の像や壁掛けのランプなどが中途半端に取り残されている。

 

 

「ブロック構造だね」

 

 

<禁書目録>、インデックスがこれらの情報を基にして見識を述べる。

 

 

「必要最低限な部分だけを切り取り、ダメージを出来るだけ抑えるように作られているの。だから、とうまの右手を使っても一度じゃ全部壊れないんだよ」

 

 

護衛艦の時は船体に触れてもこんな風にはならなかったが、となるとやはり、この旗艦全体が絶えず形を変える事によって艦隊全体を操作している魔術的艦隊なのだろうか。

 

と、考える余裕はなかった。

 

 

ズァッ!! と。

 

氷の甲板の下から上が山のように盛り上がり、1体、2体ではなく、20、30もの全長3mもの西洋の鎧の形をしたのが生まれる。

 

そして、それらは一気に当麻達を取り囲む。

 

 

「中へ!」

 

 

オルソラが叫んだ。

 

 

「それらは船を守るための存在でございましょう。ならば自身の攻撃で内部を破壊する事には躊躇うはずです!!」

 

 

瞬間、当麻はインデックスの手を掴んで走りだした。

 

と同時に、無数の西洋鎧が同じ材質の剣や斧を手に、動く。

 

 

轟!! と。

 

旋風が唸り、空気を切断するほどの斬撃が襲い掛かる。

 

 

紙一重、いや、間一髪。

 

インデックスの靡く髪を掠め、当麻の顔のすぐ横を突き、身を屈めて走るオルソラの頭上を通るように抜ける。

 

当麻達は急いで、次の攻撃が来る前に立方体に破壊された入口から船内へと転がるように駆け込む。

 

 

「これで……」

 

 

船内までは追ってこないとオルソラが仮の安住の地を見つけてホッと息を吐こうとした―――が、大量の氷の鎧は止まることなく入口に殺到してきた。

 

 

「くそっ!!」

 

 

当麻は逸早く氷の床から起き上がると、へたり込んだままのインデックスとオルソラを両手で引き揚げて、そのまま振り回すように船内の奥へ下がる。

 

 

ゴキッ!! という鈍い音が響く。

 

 

全長3mの巨体が3mの入り口に一斉に飛び込んできたのだ、突っかかるのは当然だ。

 

それでも身動きが取れなくなり壁となった鎧の背に剣を突き刺し、力技で強引に粉砕。

 

完全に砕かれた氷像を踏み締め、さらに粉々にし、新たな鎧達が通路に踏み込む。

 

ついさっきまで当麻達のいた場所を爆風が薙ぐように巨大な鎧の塊が突き進む。

 

 

「まだ、追ってくる……ッ!?」

 

 

インデックスは叫んだが、当麻には何となく氷の鎧の優先順位が予想できた。

 

 

(……何が何でも、この右手を潰したいって訳か)

 

 

<幻想殺し>は異能であるなら神でさえも殺す。

 

あのAIM拡散力場の集合体である風斬氷華は、本能的にこの右手を恐れていた。

 

だというなら、<アドリア海の女王>の魔力を介して動くこの氷の鎧もまた上条当麻を危険視しているのではないだろうか。

 

事実、この右手で、入り口と壁を同時に破壊している。

 

 

(となると……ッ!)

 

 

当麻は通路の交差点に差し掛かった所で、己の右手を握り締め、

 

 

「インデックス、オルソラ! お前達は先に行け!!」

 

 

2人の少女を横の通路へ突き飛ばし、当麻はさらに奥へと進む。

 

 

「とうま!」

 

 

氷の鎧達のほとんどは予想通りに当麻に釣られて行くが、インデックス達にも向かおうとしているのもいた。

 

 

「おおお!!」

 

 

そこで当麻は右手でなぞってさらに壁を破壊する。

 

すると、危険のランク付けが上がったのか、全ての氷の鎧達は急に矛先を一点集中に変えて当麻の方に殺到してきた。

 

 

 

 

 

女王艦隊 アドリア海の女王附近

 

 

 

「あ、詩歌さん! ご無事でしたか!」

 

 

次の船へと乗り移った時、そこでは五和率いる天草式が<女王戦艦>を制圧していた。

 

詩歌はそれに笑みを浮かべながら駆け寄る。

 

 

「はい! 皆さんも、ご無事で何よりです。それで、当麻さんとインデックスさんはもう?」

 

 

「はい、オルソラ嬢と一緒に旗艦に向かいました」

 

 

「そうですか。なら、私も旗艦へ向かいます。今は主戦力を上手く抑えられていますが、<女王艦隊>が復活すれば、その火力を以てして戦局が傾くかもしれません。それに、もとより私達には電撃戦でしか勝ち目がありません。ここは一気に勝負を決めます」

 

 

<アドリア海の女王>は、<女王艦隊>の旗艦であり、統括制御する機能が備わっており、その為、そこだけは簡単に復元する事ができず、砲弾が撃ち込まれる訳にはいかない。

 

その重要な拠点を当麻の右手で破壊するか、詩歌が乗っ取れば、形勢は逆転する。

 

 

「では、私達が道をお作りします。主力はこちらにお任せを」

 

 

五和はそう言うと紙束を取り出し、放り投げ、橋を作る。

 

詩歌を先頭にして橋を渡り、その後ろ左右に海軍用船上槍を携えた五和ともう1人、ドレスソードを片手に持った天草式の浦上が続いていく。

 

詩歌の道を作りながら彼女達は何枚かの紙を海に投げる。

 

これは気絶したシスター達を海に沈めさせない為の物だ。

 

紙は海に浸かると木のビート版になって、気絶したシスターを助ける。

 

そして、乗り移った先で、襲い掛かってくるシスター達を、五和と浦上が協力して壁となり、その際、擦れ違い様に五和から紙束を受け取って、互いの健闘を祈るように視線を交わした後、その隙間を縫うように詩歌は旗艦、<アドリア海の女王>へと柳髪を靡かせながら走る速度を徐々に上げていく。

 

 

 

 

 

アドリア海の女王

 

 

 

上条当麻は、これといった武術を習っている訳ではないし、師がいるわけでもない。

 

だが、夜の街で<スキルアウト>との喧嘩に揉まれ、妹に回数を忘れるほど叩き潰されたからこそ、その実力を正確に把握している。

 

そして、できる事とできない事も、十分なくらいに思い知らされている。

 

剣を振るったり、杖から光線を出したり、流れを利用したり………なんてものは自分にはできない。

 

できるのは、この拳を使った力任せの徒手空拳―――と、幻想を殺す事。

 

 

 

だから、インデックスとオルソラを守りながら相手にする事はできないが、ただ触れるだけで倒せる相手に勝つ事ならできる。

 

守る事はできないが、壊す事なら自分にもできる。

 

 

 

(よし、次はここだ……)

 

 

狭い通路に誘い込み、反転。

 

複数の鎧が先程と同じように通路を掘削し、突っかかり、

 

その内の1体が飛び出した。

 

巨大な体は、天井を掠めつつも、真っ向から剣を叩き落した。

 

 

「おおおぉ―――ッ!!」

 

 

それよりも速く右拳が唸る。

 

タイミングをずらして、左から槍が、右から槌が繰り出されるが、その右拳はその間を縫い、前方の氷の鎧に触れた。

 

 

―――パキン!!

 

 

剣を叩き落とそうとした鎧がガチンと歯車が外れたように止まる。

 

そして、槍も、槌も空を切り、当麻の身体は踊り、右手を振るう。

 

そのたびに、槍を持った鎧も、槌を持った鎧も、その奥からきた新たな鎧も動きを止めていく。

 

ただ、触れただけ。

 

だが、この右手は神様であろうと殺す事ができる<幻想殺し>。

 

触れば、魔力によって動く氷の鎧は、その魔力を打ち消され、ただの木偶の坊と化す。

 

単なる氷の塊と化した障害物(よろい)をまた新たな鎧達が砕きながら飛び出してきた。

 

少しも乱れのない連携。

 

たかが人間1人の身体など一撃で解体し尽くす……はずだった。

 

しかし、この塊の残骸が散らばる狭い通路ではそれを十全に発揮する事は出来ない。

 

その乱れが生み出した隙に、当麻の身体は、その破壊の嵐に押されるようにその軌跡の外に出ていて、背を向けて走り出した。

 

このように、当麻はこの狭い船内という状況を生かして、逃げながら氷の鎧達の相手をしていた。

 

が、

 

 

「行き止まり!?」

 

 

通路の角を曲がった先の奥には壁があり、行き止まりになっていた。

 

後ろにはまだ数体の鎧が背を丸めながら追いかけてきている。

 

いくらその身に宿る魔力を打ち消す事ができる右手を持っていようと、砕かれた氷の残骸までは打ち消す事ができない。

 

このまま狭い通路で相手し続ければ、いずれ生き埋めとなる。

 

 

「うおお!!」

 

 

のんびりと考えている暇はない。

 

咄嗟に横へ飛んで、当麻は右手を氷の壁に突き出した。

 

氷の壁は立方体の形に砕け散る。

 

この船は他の護衛艦とは違い、その壁に魔力が流れている。

 

当麻が急いでその船室の中へ飛び込むと、複数の鎧達は急に止まる事も曲がる事もできず、行き止まりの壁に激突。

 

凄まじい勢いと重さをつけて壁に向かった鎧達は、その物理的な衝撃で身体をバラバラに飛び散らせる。

 

煙に似た氷の粒が大量に舞う。

 

とりあえずの危機は去ったかもしれない。

 

でも、ここは敵の本拠地。

 

まだ他にも何か厳重な自律防衛システムがあるかもしれない、と。

 

当麻は氷の鎧を確認せず、まずは部屋を見回して、地形を把握し―――動きを止める。

 

そこはまるで劇場の2階席のような場所。

 

左右へ数十m単位で半透明の輝く座席が長く続いているのに対し、奥行きは数m程度。

 

意匠を凝らした手すりの近くまで行くと、階下が覗ける。

 

まるで華美なオペラハウスだが、遥か下にあったのは舞台や観覧席ではなく、扇状に並んだ多くの椅子と机だった。

 

テレビで見る議会に近い。

 

議会は、塾考が求められる討論を行う場だが、即断を必要とする命令が飛び交う戦場には不釣り合いなものだ。

 

魔術サイドには何らかの意味があるのかもしれないが、<禁書目録>でもない、魔術の素人である当麻には何も読み取ることはできない。

 

そして、戦場は塾考する場所ではない。

 

 

 

ゴン!! という鋭い轟音と共に、天井が崩れ落ちてきた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ッ!!」

 

 

上条は咄嗟に後ろへ下がる。

 

が、それだけでは降り注ぐ氷の建材からは逃げられない。

 

インパクトを一点を中心にして周囲の建材まで巻き込まれ、広範囲の天井が逆ピラミッドのような形の巨大な鈍器に変わる。

 

 

「くそ!!」

 

 

反射的に右手を真上へと伸ばす。

 

彼を押し潰そうとしていた天井が、立方体に大きく抉れる。

 

そこを潜り抜けるように、当麻の体だけを逸れて天井が床へ激突した。

 

衝撃波が耳を打ち、細かい破片が背中を叩く。

 

砂煙の代わりに霜のような微細な氷の粒が舞う中、視界を確保と状況を確認するため当麻はそこから後ろへ2歩、3歩と下がっていく。

 

と、先程まで当麻が立っていた場所に大槌を叩きつけるように、1人の男が佇んでいる。

 

豪奢な法衣に身を包んだ、40代の白人だった。

 

豪奢な衣服と言っても、インデックスのような清潔感は一切なく、ひたすらべったりとこびりつく成金趣味の塊だった。

 

首には4本のネックレスが年輪のように重なっていて、其々に数十の十字架が取り付けられている。

 

本来十字架は高潔なイメージを連想させるものだが、磨かれた金銀で出来ているそれは、肉の脂が染み付いたようにヌラヌラと光を照り返しており、まるでその男の執着心がこびりついているように見える。

 

男は神経質そうな仕草で、首元に下がった十字架の1つを指でなぞる。

 

視線は当麻に向いているのだが、絶えず黒目が細かく動いていた。

 

 

「……、その右手」

 

 

放たれたのは、意外にも日本語だ。

 

 

「ハッ、羨ましいか?」

 

 

当麻が適当に吐き捨てると、男は顔の表面に皴を生んだ。

 

音もなく表現されたのは、うっすらとした嫌悪と苛立ちだ。

 

 

「承服できないな。主の恵みを拒絶するその性質もさる事ながら、それを武器として振り回すというのが何よりも。一度でも御言葉を耳にしたのなら、即座に腕を引き千切ってでも恵みを得ようと努力するのが筋だというのに」

 

 

ゾッとする言葉だった。

 

内容だけでなく、その言葉に乗せられた感情には引き潰した黄色い脂肪のような感情の濃度から、その男が本気である事が、分かる。

 

 

「所詮は異教の猿に、人の言葉は通じないか。折角そちらの言葉に合わせたのに、返ってきた台詞がその程度の品性とはな。ならばこのビアージオ=ブゾーニが主の敵に引導を渡そう。猿が人のふりをするのは、見るに耐えないんでね」

 

 

「テメェがビアージオ、か。なら、アニェーゼの居場所も知ってんだな」

 

 

「知っているのと教えるのとは全く別物だがね」

 

 

ビアージオと名乗った男の両腕が左右へ交差する。

 

 

キン、と小さな金属音が聞こえた。

 

 

それぞれの掌には、首にあった十字架が1つずつ握られていて、ヒュン、とそれらを当麻の腹の前へ軽く放り投げられる。

 

 

「―――十字架は悪性の拒絶を示す」

 

 

ゴッ!! と2つの十字架が膨張した。

 

 

膨張速度は砲弾に等しい。

 

一瞬で長さ3m、太さ40cmにまで巨大化した十字架が襲い掛かる。

 

まるで金属で構成された、鉄骨の爆風だ。

 

 

「おおァ!!」

 

 

当麻は右手で壁と化した十字架を殴り飛ばしたが、もう片方の十字架の先端が、岩石のように彼の身を叩いて真後ろへ吹き飛ばした。

 

 

ドン!! という鈍い激突音が響く。

 

 

一気に床へ叩きつけられ、そのまま2、3mは滑った。

 

咄嗟に床へ手をつこうとしたら、その右手の動きに氷の床が反応した。

 

バカン!! と床は立方体に抉られ、当麻は下階の通路へ落下する。

 

全てが氷で作られた船体に、クッションとなる物はない。

 

当麻は痛む全身に対して歯を食い縛り、今度は慎重に左手で床をついて起き上がる。

 

と、 頭上の大穴から、ビアージオの声が飛んできた。

 

 

「聖マルガリタは悪竜に飲み込まれた時も、十字架を巨大化させる事でその腹を内側から破ったそうだ。教会の屋根に立つ十字架もまた、外敵を廃し内部に安全地帯を作る為の役割を持つ。―――このようにな」

 

 

天上の穴から、手榴弾でも投げ込むように、2、3の十字架が落ちてきて、途中で、ゴバッ!! 一気に膨張する。

 

これでは十字架というより、4方向に飛び掛かるレーザー兵器だ。

 

当麻はすぐに回避しようと動くが、あまりにも軌道が乱雑過ぎて読み切れない。

 

何とか鼻先を掠めながらも直撃は避けたが、直線的な通路をランダムに分断され、徐々に逃げ場を失っていく。

 

 

(まず……ッ。身動きが封じられる前に、早く通路を―――ッ!!)

 

 

咄嗟に右手を振るって通路の壁に大穴を空けようとした当麻へ、さらに頭上から声が響く。

 

 

「一方で、十字架はその重きにおいて人の驕りを直す性質を持つ。光の乙女たる聖ルキアは1000人の男と2頭の牛に縄で引かれても一歩も動かず、怪力で知られた若き聖クリストファルスは背負った<神の子>の重さに屈服しかけた。―――それもまた、このように」

 

 

キュガッ!! と、天井が弾けた。

 

 

「―――十字架はその重きをもって驕りを正す」

 

 

敗れた天井から降り注いだのは、僅か数cmの小さな十字架。

 

されど、その重さは尋常ではなく、故に重力加速度もまた数千倍に増している。

 

当麻は通路を塞ぐ巨大な十字架を体当たりするように右手を押し付け、砕け散るのも確認せずに前方へ転がり込む。

 

 

ズドン!! と。

 

 

巨重の十字架は外れ、そのまま床を突き抜けた。

 

当麻はすぐに起き上がり、手近な壁を破壊して、狭い通路から船室へと避難する。

 

そして、とにかくランダムに動いて、少しでもビアージオの狙いから逃れようとしたのだが、

 

 

「あまり壊してくれるなよ。直すのにも手間がかかるんだ」

 

 

天井を砕いて、無数の十字架が当麻の頭上へ降り注ぐ。

 

まさに、絨毯爆撃。

 

その小ささに反して絶大な重さをもつ十字架は、船室を粉々に砕いていく。

 

当麻は飛ぶというより、壁に背中を押し付ける形で何とかそれを回避する。

 

そして、開いた大穴から、目の前にビアージオが飛び降りてきた。

 

ドン!! と着地の拍子に、砕かれた床から霜のような氷の粒が舞い上がる。

 

 

「壊すなっつっておきながら、テメェが派手にやる分には構わねぇって感じだな」

 

 

「壊すべき物と壊すべきでない物の区別はついているつもりなのでね。君のそれはあまりにも乱雑だ。そうだな、知識のない素人に骨董品の整理をさせているのと同じか。真面目にやっているのは分かるが、まずは学べ」

 

 

ビアージオの余裕の表情に、僅かに苛立ちの色が滲む。

 

この<アドリア海の女王>が機能性を無視してまでも、装飾にこだわったのは、この豪華な氷の装飾が護衛艦の制御を司るからだ。

 

 

(……となると、こうして、壁を破壊するだけでも艦隊制御にダメージを与えてんのか)

 

 

「ふん。このボロ船の回復速度が他に劣っているってのはマジだったみてぇだな。折角親玉の所まで潜って来れたと思ったのに、他より貧弱ってのはガッカリだよ」

 

 

「本来<アドリア海の女王>のポテンシャルは他の護衛艦の優に200倍を超す。しかし、艦の回復に力を割いては向こうの完成度に影響が出るのでな」

 

 

「向こうだと?」

 

 

「<刻限のロザリオ>だ。この期に及んで知らないとは言わせない」

 

 

「……、」

 

 

<刻限のロザリオ>。

 

インデックスの話では、対ヴェネツィア専用の鎮圧術式<アドリア海の女王>には、<刻限のロザリオ>という追加術式は必要ない。

 

だが、しかし、

 

 

 

『はい、<アドリア海の女王>の“照準制限の解除”です』

 

 

 

もし、<アドリア海の女王>のヴェネツィアのみという照準制限が解除されたらどうなるだろうか。

 

 

「やはり、気付いていたな」

 

 

当麻の目を見て、ビアージオは笑う。

 

 

「そうだ。<刻限のロザリオ>を使って、<アドリア海の女王>の照準制限を解く。そして、学園都市に放ち、貴様ら科学という世界を完全に破壊する」

 

 

危惧されていた最悪。

 

 

「長かった。いや、実際に<刻限のロザリオ>を組んだのは私ではなく、ヤツなんだがな。全く、辛かったぞ? <アドリア海の女王>という素晴らしい兵器が目の前にありながら、それを上手く活用するためにここまで手間がかかるとはな! おかげで今の今まで、それこそ何百年も放置されたままだったのだ!!」

 

 

司教は愉快気に少しずつ笑みの色を濃くしていく。

 

 

「だが、これでこの兵器の真価を発揮する事ができる。そう、貴様ら、科学という忌々しくも世界の半分を包み込んでいるサイド全体を一夜にして駆逐する事ができるのだよ!!」

 

 

ビアージオ=ブゾーニは、ローマ正教の中でも最右翼。

 

実際に人を死んだとしても、彼はローマ正教のためならば嬉々として、それを実行する。

 

 

「テメェ……学園都市を壊せば、皆が幸せになれるとでも思ってんのかよ……!」

 

 

「思わんよ。害なす者は魔術サイドの中にもいる。イギリス清教、ロシア成教、その枠から外れれば仏教や北欧神話なども加わるが。“しかし続ければ良い”」

 

 

そして、この男にとって、ローマ正教の『敵』とは、科学だけに非ず。

 

 

「邪魔者は全て消せば良い! そうすれば、いずれ不純物は取り除かれ、世界はローマ正教だけになる!!」

 

 

純粋な、ローマ正教だけが席巻する世界。

 

そのためにビアージオは、この計画を成就させる。

 

照準制限解除だけではなく、<アドリア海の女王>を連発して発動できるように準備してある。

 

一夜にして、科学だけなく、他の三大宗派であるイギリス清教もロシア成教も滅ぼす事ができるのだ。

 

 

「……そんなクソつまんねぇ事の為に、アニェーゼを使い潰すっつうのかよ!!」

 

 

「ああ、きっとシスター・アニェーゼも喜ばしい事だろう。何せ、彼女は歴史上、最も多くの敵を葬った名誉を得る事ができるのだからな!」

 

 

その発言に、当麻は右拳を固めて、一気にビアージオの懐に飛び込もうとする。

 

が、

 

その前にビアージオは首元の十字架を7つ外し、それを餞別のように宙へ放り投げ、

 

 

 

「―――その悪性は我が十字架が拒絶する」

 

 

 

ゴッ!! と7つの十字架が其々爆発的に膨張する。

 

クロス方向に咲き乱れる金属製の爆炎。

 

ドスゴスビスドスッ!! と床や天井へ次々と太い鉄骨のような十字架の先端が突き刺さっていき―――当麻の動きを止めた。

 

咄嗟に右手を盾にしたものの、縦横無尽に炸裂する攻撃には対応しきれなかった。

 

 

「……ッ! ぐああッ!!」

 

 

十字架の先端が僅かに当麻の肩を掠める。

 

ゴスン!! と。

 

それだけで関節が外れそうな痛み。

 

それでも、当麻は歯を食い縛り、前へと―――しかし、その前に、

 

 

「さて、十字架には様々な意味があるが、その多くは<神の子>が処刑された後に付与されたものだ」

 

 

十字架は特に、贖罪・自己犠牲・愛などの象徴として用いられるが、それらは全て<神の子>の処刑後に広まったもの。

 

 

「十字架自体はそれ以前からあったが、そう言った前時代における役割のほとんどは十字教により抹消された。悪しき異教の文化があるからだ」

 

 

ビアージオは無知な異教の猿である当麻に講義しながら、胸元にある無数の十字架から好みの物を選ぶと、神経質に指先をなぞり、

 

 

「そう言った中、ただ1つだけ前時代から残った意味がある。十字教にとって最も重要であり、<神の子>が直接関わった、教史の中では最古の使用方法だ。それはな―――」

 

 

当麻が両者の間を塞ぐ巨大な十字架を破壊し、ビアージオの懐に飛び込む一歩手前で、豪奢な服を着た司教は、1つの十字架を頭上に掲げ、

 

 

 

「―――処刑の道具という意味だよ」

 

 

 

ビアージオの、低い厳かさに欠ける、嘲りの声。

 

<神の子>は死ぬ前に磔刑にされた―――十字架という罪人を磔にする処刑道具によって。

 

 

 

「―――シモンは<神の子>の十字架を背負う」

 

 

ガクン、と。

 

その言葉を聞いた瞬間、当麻の視界が大きく回った。

 

 

「……、あ?」

 

 

右肩の辺りに衝撃を受ける。

 

痛みが走り、残像のように尾を引きながら士会全体が大きく崩れた。

 

倒された。

 

何の攻撃をされたのか理解できないが、今こうして頬を硬い床に擦りつけて横倒しになっているのは紛れもない事実。

 

すぐに立ち上がろうにも、身体が重い。

 

そして、当麻の意識の外で、小さな金属音が聞こえる。

 

その正体は、空中でぶつかり合う無数の十字架。

 

 

 

「―――十字架は悪性の―――」

 

 

 

低い声が呪を紡ぐ―――が、その前に、

 

 

「この右手を甘く見るんじゃねぇよ!!」

 

 

ドン! と。

 

当麻の右手が床を叩いた。

 

 

「―――なっ!? 貴様!!」

 

 

瞬間、2人の足場を支えていた床が消えた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

インデックスとオルソラの2人は旗艦<アドリア海の女王>の通路を走っていた。

 

100隻の<女王艦隊>に敵の排除を任せ、旗艦まで敵が入ってくる事を想定してなかったのか、船内は不気味なほど静まり返っている。

 

それに、寝返りを防止するためにもシスター達にここへの乗船許可は封じられており、ほぼ無人に等しかった。

 

しかし、インデックスにはアニェーゼの居場所が分かっていた。

 

彼女は見てこの船の構造を知ることで、<刻限のロザリオ>がこの<アドリア海の女王>の機能に介入する最適な場所を割り出したのだ。

 

2人は周囲へ注意を払いながら、巨大な鉄塔にでも巻き付いているような螺旋階段を下り、最下層まで辿り着いた。

 

 

「これは……」

 

 

オルソラは呟く。

 

ホールのような広大な空間が広がる場所。

 

その正面にオルソラの背丈の2倍はある両開きの扉があった。

 

厚さはおそらく、人間1人分よりも大きいのではないだろうか。

 

ホールの出入り口はインデックス達が来た階段だけではなく、このホールに集中するように無数の通路に接続されていた。

 

通常の造船技術に則れば、このデザインを見理に通しただけで、船体全体の柱や梁などが歪んでしまう。

 

それを強引に実行しているという事は、

 

 

「船の中に一室を用意したというより……」

 

 

「この部屋の周囲を飾って船の形を作ったみたいに見えるね」

 

 

インデックスは正面の大扉に近づき、注意深く観察する。

 

そして、掌が扉に触れそうになったが、その前にバッと手を引っ込めた。

 

 

「目の前の扉……防御術式が仕込まれているね。おそらくは聖ブラシウスの伝承に則っているよ。池を渡った聖人を追い駆けた異教の兵隊が、水の上を歩けなくて沈んで行っちゃうヤツ」

 

 

「となると……入室許可のない方がドアに触れると氷の中に引きずり込まれる、という事なのでございましょうか?」

 

 

重要な拠点であるはずなのに、ここに来るまでインデックス達は誰にも会っていない。

 

その徹底ぶりを見ると、このドアを開けられるのはアニェーゼとビアージオくらいのものだろうか。

 

 

「うん、正攻法ならね」

 

 

「と、言う事になるのでございましょうね」

 

 

インデックスは10万3000冊の魔導書の管理者で、オルソラは魔導書や術式解析のエキスパートだ。

 

2人が協力すれば――――と、その時だった。

 

 

ドガガガガ!! と。

 

 

2人が下りてきたのとは別の階段から床を削り取るような震動音が聞こえる。

 

そして、まるで、雪原の急斜面をスキーで滑降するかのように氷の鎧がインデックス達の目の前に現れた。

 

修道女達がいないからと言って、無警戒である訳ではない。

 

彼女達がいなくても、この船には厳重な防衛システムがあるのだ。

 

 

「ッ!」

 

 

オルソラは<蓮の杖>を構え、発動の為の呪を紡ぐ。

 

戦闘は得意ではないが、インデックスは武器を持っていないし、魔術も使えない。

 

だが、遅い。

 

いや丁寧過ぎたのだ。

 

意味だけ通せば良いのに、まるで彫刻の顔でも仕上げるような集中力で術式を構成している。

 

だから、間に合わずに………

 

 

 

「あら、インデックスさんにオルソラさん」

 

 

 

穏やかな声が頭上に降り注ぐ。

 

呪を中断し、顔を上げるとその氷の鎧の肩に少女が腰掛けていた。

 

 

「あ、しいか!!」

 

 

 

 

 

アドリア海の女王 最深部

 

 

 

<強制詠唱>。

 

インデックスの対魔術師戦法の1つで、少しでも人の意思が介在されている魔術なら、その術者の思考を読み取って、命令系統に割り込む事ができる。

 

どれほど高度な魔術であろうとそれを操るのは人間だからだ。

 

だが、先程の氷の鎧のように術者の、人の意思が全く介在されていない完全自律だと通じない。

 

一方、上条詩歌の干渉は逆に、人の意思が介在されていない方が操りやすい。

 

道具に人の意思が介在していると、命令系統が複数になって、複雑になるからだ。

 

『船頭多くして、船山に登る』である。

 

と、言う訳で、自律した氷の鎧も乗り物のように手綱を握ったり、自動で作動する罠型の魔術もこのように触れただけで………

 

 

 

 

 

 

 

音を聞けば、大体の事が分かる。

 

両親が殺され、スラム街に1人で暮らしていた時、少女は周囲の音に敏感になっていた。

 

無条件で自分を守ってくれる者達が消え、神様は身近な存在ではない事を知った、まだ最初の頃、彼女にとって、安住の地というのがない外の世界で飛び交う音は全部、危険を知らしてくれる警報だった。

 

けれど、それだと幼い精神の気が休まる時がないので、少しずつだが、本能的に危険な音とそうでないのとを聞き分けられるようになり、ローマ正教に拾われた後も戦闘を重ねる事でその感覚を磨いていった。

 

だから、音を聞けば大体の事が分かる。

 

アニェーゼ=サンクティスは氷の球体に寄り添う形で、外の音を聞いていた。

 

 

「……、」

 

 

砲撃の音、剣を切り結ぶ音、松明が燃える音、人と人の怒号―――そしてつい先ほど聞こえた、この部屋の扉のすぐ向こうでの激突音。

 

全ては、自分を中心にして起こっている。

 

アニェーゼを奪うか、アニェーゼを守るか、それだけのために戦いは続いていた。

 

何だこれは、と思う。

 

これではまるで、皆が自分を心配しているみたいだ。

 

そんなはずがある訳ないのに、そう言う風に誤解を抱いてしまう。

 

ここが自分の最高点だと思っていた。

 

ここの外に向かっても、またあの頃のように下がっていくだけだと思っていた。

 

けれど。

 

まだ誰かに縋っても良いのだろうか。

 

まだ希望を抱いても良いのだろうか。

 

もう助からない、とあの男に堕とされた心が、少しずつ、少しずつ上がって来て――――途中で首を振った。

 

が、

 

 

 

がちゃん、という音が聞こえた。

 

 

 

それはこの不自然なまでに完璧な四角錐のような閉ざされた部屋の両開きの氷の扉が開かれる音だった。

 

最初は、ビショップ・ビアージオかと思った。

 

この部屋に入って来れる人間は自分を除けば、あの男くらいなものだ。

 

だけど、違った。

 

予想を裏切るように、そして、希望を叶えるように。

 

 

「……間に合った……。アニェーゼさんが無事で、良かった……」

 

 

護衛艦の中で再会した、差し伸べた手を振り払った、あの少女がいた。

 

彼女の後ろには、金刺繍の真っ白い修道服を着た修道女と……漆黒の修道服を着て、かつての自分の武器である<蓮の杖>をもった元同僚のオルソラ=アクィナスがいた。

 

ここまで来るのは並大抵な事ではなかったはずだ。

 

特に、ごく自然に扉を開け放った少女は、何度も戦闘している。

 

それでも、彼女達は疲れの表情を少しも見せず、あまつさえ球体に寄り添っているアニェーゼの顔を見て、その表情を輝かせた。

 

 

「……あの時、アニェーゼさんを置いていった事を後悔しました。手遅れにならないかと怖かった。でも………」

 

 

その声は、後悔と苦渋を知る者にしか出せない重みがあり、

 

 

 

「今なら言えます。アニェーゼさん、あなたを助けに来ました」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「どうして……来ちまったんですか……?」

 

 

幼い頃、両親と共に毎日祈りを捧げ、

 

拾われた頃、仲間達と共に誓いを立てた、

 

教会の、温かな陽光を浴びて輝く聖母を象徴するステンドガラス。

 

そして、今、彼女を前にしてアニェーゼ=サンクティスは懺悔する。

 

 

「おかしい、でしょう? 私が、あなた達に<法の書>の一件で、何をしたのか知っているでしょう!? 私はあなた達の敵だったんですよ! 普通は見捨てるでしょうが!!」

 

 

彼女だけではない、その後ろに控えているインデックスも、そして、何よりオルソラ=アクィナスまでもホッとした表情を浮かべている。

 

自分はあれだけの事をしたのに。

 

 

「今がどんな状況か、全部分かってんでしょう!? なのに、何でこんな……!?」

 

 

詩歌は苦笑しながら答えた。

 

 

「何で、って言われましても。あの時、私達が逃げるのに手を貸してくれた借りもありますし、ルチアさんやアンジェレネさんからあなたを助けて欲しいってお願いされました。そして、私自身がアニェーゼさんみたいな子を見捨てる事ができないんですよ」

 

 

「私も同じでございます。所詮、私はまだ修行中の身で、誰かの人生を左右するほどの博識と良識を兼ね備えている自信などございません。ですが、ルチアさんとアンジェレネさんは危険であるにも拘わらず、それでも貴女様を助けたい、と、仲間達に刃を向けられようと、また、皆で笑い合いたいとおっしゃっていたのでございますよ。そんな彼女達の思いを叶えたいと思うだけでも私には充分なのでございます」

 

 

「私も同じかな。私の頭の中の魔導書は、元々、あなたのような人を助ける為にあるようなもんなんだしね」

 

 

結局、根本的な所は3人共同じで、自分を助けたいのだ。

 

けれど、そんな理想で、そんな理由で、そんな理屈で、自分を助けようなどと理解できない。

 

一体どれほど彼女達は自分の基準から外れているのか。

 

それとも、自分の基準がズレているとでもいうのか。

 

このままだと助けてくれるなんて勘違いしてしまう。

 

 

「―――、」

 

 

でも、アニェーゼは唇を震わせながらも、今度こそその手に―――

 

 

 

「困るな、シスター・アニェーゼ。己の役割から簡単に逃げるなよ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

バギン!! という破壊音が響く。

 

音は、この巨大な四角錐の部屋の出入り口たる両開きの扉から。

 

何者かが太い鉄骨のようなものに吹き飛ばされながら部屋の中に飛び込んできた。

 

一直線に、その身体は部屋の壁まで突き飛ばされ、見えざる重力の手に引かれて、落ちる。

 

 

「当麻さん!?」

 

 

すぐさま、その者の名前を叫びながら駆け寄り、その身体を触診する。

 

全身打撲。

 

その身体はボロボロで、目を閉じて失神している。

 

けれど、胸元に頭を添えると、鼓動がして、吐息も感じる。

 

生きている、生きているのだ………

 

 

「とうま!!」

 

 

続いて、インデックスが駆け寄る。

 

オルソラも一瞬戸惑ったものの、すぐにアニェーゼの盾になるような位置で杖を構える。

 

そして、詩歌も新たに入ってきた人物と対峙する。

 

 

「ふん。しぶとく何度も立て付いてきやがって。私は面倒臭いのは大嫌いなんだ」

 

 

豪奢な法衣に包まれた40代の男。

 

首には4本のネックレスがあり、ジャラジャラとたくさんの十字架が下げられ、顔には左右非対称の歪んだ笑みが張り付いている。

 

ビアージオ=ブゾーニ。

 

仕切り直しされ、この最下層まで落ちてきた。

 

そして、この船の防衛術式である氷の鎧に何度襲われようが、何度十字架の雨を降らそうが、立ち向かってきた上条当麻―――を最後の最後で、その為に重要な部分ごと破壊してしまったが仕留めた。

 

その手にはその証として、上条当麻の血が付着している。

 

両目をぎらつかせながら、床に転がった少年を見下ろす。

 

 

「が、後は魔女だけだな」

 

 

ぐるり、と睥睨し、看破する。

 

今この場で自分に立ち向かえる人間は1人だけだと。

 

そして、その者以外はまるで警戒するに値しないとでもいうように無視して、語りかける。

 

 

「にしても、あれだけ偉そうな口を叩いておきながら『トリスタン』のヤツはしくじったようだな。まあいい。手傷は負わせないまでも少なからずの消耗はさせたのだろう」

 

 

だが、その判断は間違っていない。

 

武器を持ってはいるがオルソラは、机の上で戦う人種であり、インデックスも知恵はあるが魔力を生成できず、どちらかと言えばそっちの部類だ。

 

 

「私も伊達に司教を努めていない。こちらは十字架が持つ複数の意味を解放する事で様々な力が振るえるのだ。たとえ、100の護衛艦を相手にしようが、私を殺す気なら大聖堂を爆破できなければ話にならない。イギリス清教には<歩く教会>があるが、あんな物がなくとも私は1人で聖域に匹敵するのだからな!!」

 

 

ビアージオは笑い、十字架を指でなぞりながら、唯一の脅威、上条詩歌に対して正対する。

 

 

「主に災いを呼ぶ魔女よ。異教の猿と同様に、このビアージオ=ブゾーニが貴様にも引導を渡してやろう」

 

 

まるで、物怖じしていない。

 

この1人で大混乱を起こした<聖人>級の脅威を前にして、退く気がない。

 

むしろ、抵抗を望むかのように。

 

彼の流儀は散りゆく者には礼儀を尽くして――――潰す事。

 

今まで幾度となく実戦の空気を肌に感じてきたこの歴戦の司教にとって、この程度の抵抗は許容範囲なのだ。

 

それに、敵を屠ったばかりで昂揚しており、そして、冷静に、これを好機だと考えている。

 

あれだけの奇跡を行使し、『トリスタン』との戦闘を行ったのだ。

 

普通なら生命力が尽きてもおかしくない。

 

だから、きっと彼女は弱っている、とビアージオは読んだ……が、

 

 

 

「ふふ、ふふふふ」

 

 

 

詩歌は、笑っていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ふふふ、ふはは! はははは! あはははは! あっははははははは!」

 

 

どうしようもない愚か者を嘲るかのように、大いに笑う。

 

からから、と。

 

ビショップ・ビアージオの口上に対し、腹を押さえても抑え切れぬほど馬鹿馬鹿しく、犬歯を剥き出しにするほど、獰猛に、貪欲に、埒外に、好戦に、抱腹絶倒、呵々大笑に、首に掛けていたヘッドホンを付けて―――

 

 

「何が、おかしい……」

 

 

その態度に、ビアージオのこめかみが不自然にうねる。

 

 

「この司教たる私を舐めてんじゃねぇぞ魔女がァああッ!!」

 

 

胸元にある無数の十字架を1つ毟り取り、頭上に掲げ、

 

 

「ひさまずけぇぇっ!!」

 

 

司教の口が真横に裂けた。

 

 

「―――シモンは<神の子>の十字架を背負うッ!!」

 

 

爆撃のようなビアージオの叫び声。

 

詩歌の身体に莫大な負荷がかかる。

 

<神の子>と十字架の処刑前の伝承に、『<神の子>は処刑場の丘まで、自分を磔にするための重たい木の十字架を背負って歩かされた。だが、その時、<神の子>には十字架を背負えるだけの体力が残されておらず、その代わりにシモンという男が十字架を背負って、処刑場の丘まで運んだ』というのがある。

 

これを基にした術式の効果は『装備品の重量を肩代わりさせる』。

 

その効果範囲は、このアドリア海一帯にも及び、200を超えるシスター達、50もの天草式など、それら全ての装備品の重量を一か所に纏めて攻撃力に変換する。

 

普通、それほどの重量を喰らえば人間など潰されてしまいそうだが、あくまで押し付けられているのは『重量』だけで、『速度』は存在しない。

 

だから、じわじわと………

 

 

「なるほど……」

 

 

なっ、とビアージオは驚く。

 

一瞬、倒れたものの少女は何事もなかったように立ち上がる。

 

 

「<神の子>が処刑される前の十字架の伝承を基にした術式ですか。装備品の重量を肩代わりさせて、押し潰そうなどと……。まあ、仕組みが分かれば対処の仕様がいくつもあります。これはその内の1つ。私の後輩の泡浮さんの<流体反発(フロートダイヤル)>です」

 

 

流体とは、液体と気体の総称で、この<流体反発>は、流体中に存在する物体の表面に働く流体の圧力の合力として、重力と相対する浮力を、その能力者の周囲一帯の範囲内で増減させる力。

 

詩歌はこれでこの十字架の重さを相殺させた。

 

彼女が通う学園都市5本の指の名門、常盤台中学校は、総力を結集すれば、生身でホワイトハウスを制圧できる。

 

そして、詩歌は彼女達の能力開発に協力したおかげで、その能力の全てを経験しており、記憶しており、多彩な『色』を収めた<調色板>さえあれば、再現もできる。

 

つまり、性能(パワー)で真似できないのもいるが、応用では引けを取らず、その気になれば、単身でホワイトハウスでさえも制圧できる。

 

 

「くっ……。この魔女め! 調子に乗ってんじゃねぞッ!!」

 

 

奥歯を食い縛り、ビアージオは首元の十字架に呪力を込める。

 

 

「―――十字架は悪性の拒絶を示す」

 

 

口の中で呟くと同時に、鎖から外された3つの十字架を軽い調子で詩歌の元へ投げ飛ばし、

 

 

ゴッ!! と。

 

 

その小さなアクセサリーが爆発的に膨張した。

 

が、

 

 

――――<生成>。

 

 

一瞬、部屋の中が光に包まれ、鉄杭の攻撃は呆気なく消滅した。

 

ただ、熱によって。

 

その虚空すらも断絶する熱によって、触れる前に蒸発。

 

少女の手が突き出された前には、少女自身と同じサイズの輪が生まれていた。

 

そして、それは、白く滑らかな手に、収まるようなサイズへ縮小し、たちまち螺旋に渦巻き、二次元の輪から三次元の球となり、白く、より白く、何ものにも穢されていない処女雪のような純白へ。

 

より、その秘めたエネルギーを高めていき、圧縮していく。

 

それは見ただけで武器を手放すほど恐ろしく、それでも、見惚れるほど美しかった。

 

 

「これは私が制御できる中でも最強の『色』」

 

 

静かに、口にする。

 

<生成>。

 

上条詩歌の<多重能力>という超越した技巧の粋を極めた到達点の1つ。

 

太陽を作りだすというまさに神の奇跡。

 

 

「そして、最も扱いが難しい『色』。たかが聖域で、この『太陽』を受け止められると思っているのなら、死を覚悟した方が良いです」

 

 

ひたりと、氷柱に身体を串刺しにされたような感覚。

 

この『色』は全てを呑み込み、全てを滅ぼす。

 

しかし、その制御は難しい。

 

今も詩歌が完全に手中に収めていなければ、水分どころか、空気中の成分を全て蹂躙し、沸騰させ、あらゆるものを燃やし尽くしている。

 

この炎とは似て非なる、魂さえも灼き尽くす太陽光(フレア)によって……

 

 

(……太陽、だと……)

 

 

額から冷めたい汗が喉を辿り、呻く。

 

理解、出来ない。

 

ではなく、理解すらも拒絶するほど、その本能的な脅威に、思考さえもちぎれとぶ。

 

そして、気付く。

 

今までのあれは手加減していたのだと。

 

もし本気を出せばローマ正教全体を揺らがしかねないほどの――――

 

 

 

「―――な~んて、冗談です」

 

 

 

と、あっさりと太陽を霧散させて両手を万歳の形に上げた。

 

そして、思わぬリアクションに両目を見開くビアージオを前に、詩歌は道を譲るように横へずれて、

 

 

「全く、当麻さんと一緒に私に引導を渡すなど、チャンチャラおかしい事を言わないでください。―――舐めているのはどちらですか? 私のお兄ちゃんが、貴方のような小物に負けるはずがないでしょう? ねぇ、当麻さん」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……そうだな」

 

 

応える。

 

無茶ぶりに応えて、発破に応えて、その期待に応える。

 

誰の手を借りず、その男は立ち上がる。

 

まだ、全身が痛む。

 

けれども、

 

 

「ああ、俺が負ける訳ねぇよ。だから、詩歌は手を出すな。アニェーゼ達の事を頼む」

 

 

断言する。

 

はい、と詩歌は納得し、当麻が応えた事からその声に微かな安堵が含まれていた。

 

オルソラも、インデックスも、ただ見守る。

 

この立ち向かう少年の背中と、それ見送る少女の視線をただ、信じて。

 

 

「もう一度言う。この右手を舐めるな。聖域だか何だか知らねーが、そんな薄っぺらいもんで<幻想殺し(この右手)>を防げると思ってんじゃねーぞ」

 

 

拳を握り、己に活を入れる。

 

一度、倒されたが、まだ屈していない。

 

 

「お前ら何故歯向かう? 学園都市を守るためか? それともこのシスター・アニェーゼ単品がそれほど有意義な報酬か!? あんな修道女1人、どうせ死ぬに決まっている! 20億人もの人間を抱え、世界113ヶ国に広がる巨大組織を相手に立ち回れるものか……。すでに、あの女を! 迎え入れてくれる場所などどこにもないのだ!! それが何で分かんねぇんだよ異教のクソ猿どもが!!」

 

 

「……、分かって、たまるか」

 

 

歯を、食い縛る。

 

アニェーゼはルチアとアンジェレネを助ける為に、わざわざ自分が助けるチャンスを棒に振った。

 

インデックスとオルソラも、本当は嫌いなはずなのに彼女の為に戦ってくれている。

 

天草式にも協力してもらった。

 

そして、妹が『最高の終わり方』を見せてくれると信じてくれている。

 

20億人だの、113ヶ国だの、巨大組織だの、そんな枝葉は心底どうだって良い。

 

今、ここで自分がやる事はただ1つ。

 

アニェーゼ=サンクティスを救い、

 

 

「居場所なんて、どこにもあります。それに、もしないというなら作れば良いんです」

 

 

そして、彼女達を笑い合える世界へ戻す事。

 

それだけ分かっていれば良い。

 

 

「ああ……20億人の信徒だろうが、113ヶ国だろうが、知った事か。テメェらがアニェーゼ達を狙うってんなら、何度でも歯向かってやる」

 

 

間違っていない。

 

 

(何で、でしょうね……)

 

 

アニェーゼはそう言ってもらえているような気がした。

 

シスター・ルチアやシスター・アンジェレネ、それに他のシスター達の面倒をみたいと望む事が。

 

まだ、皆と一緒に生きたいと願う事が。

 

そして、何故か、神様じゃないのに、彼らは自分の希望を叶えてくれると信じられた。

 

 

「キ、サマ。異教の猿が―――ッ!!」

 

 

ビアージオは当麻から後ずさりながら離れる。

 

 

――一度目の奇襲は躱され。

 

――二度目の強襲は仕切り直され。

 

――三度目の防衛システムの助けを借りて、ようやく止めをさせた、と思ったのだ。

 

 

だが、この少年は砲弾並の威力を持つ十字架の突進を喰らい、部屋の壁を壊すほどの勢いで吹き飛ばしたのに、まだ立ち上がる。

 

奇跡を悉く消し、罠を触れただけで破壊していったその右手も脅威だが、

 

今、気になったのは、その身体の頑丈さ。

 

命を奪うつもりで放ったのに、立ち上がってくるなど冗談ではない。

 

けれど、思考をさらに奔らせる余裕はない。

 

これで状況は最悪になったのだ。

 

この不死身のような少年と、―――

 

 

「おい、よそ見してんじゃねぇぞ!!」

 

 

大地を蹴り、一直線に突進を仕掛ける。

 

 

「―――十字架は悪性の拒絶を示す!!」

 

 

ビアージオは半ば反射的に、手の中にあった十字架を爆発膨張。

 

一瞬で棺桶よりも巨大になった金属塊が当麻の進行方向を妨げる。

 

でも、止まらない。

 

それが異能の力である以上、<幻想殺し>の前ではただの大きいだけの風船と同じ。

 

触れただけで無害な砂塵と化す―――けれど、僅かだが時間をロスした。

 

 

「―――十字架は、その重さをもって驕りを正す!!」

 

 

胸元から掴めるだけ十字架を取り出し、頭上に放たれた無数の十字架は、重力を味方に付けて、真下へ、当麻へ襲いかかる。

 

 

「おおおっ!!」

 

 

でも、

 

 

ダン!! と。

 

 

当麻は迷う事なく、臆する事無く、頭上も見ずに右手を盾にせず、さらに前へ進む。

 

加速度的に速度を上げていく愚兄の突進。

 

その迫力に、圧される。

 

それでも、ビアージオは、胸元の十字架を弾き、重量攻撃を仕掛ける。

 

 

「何度も同じ手を喰うか!!」

 

 

当麻に生半可な攻撃は効かない。

 

即座に右手を掲げて一撃で重量攻撃を弾き飛ばす。

 

しかし、その時、その厄介な右手は高々と上げられ、ほんの一瞬だけ腹部のガードが開いた。

 

 

「馬鹿め! 真っ直ぐ過ぎるんだよ、異教のサルが!!」

 

 

それを見逃さない。

 

当麻がこちらの攻撃を読んでいたように。こちらもまた読んでいた。

 

その右手でが十字架を打ち消す事も知っていたし、絨毯爆撃の中真っ直ぐ進む事は分かっていた。

 

砲弾のような一撃をもろに受けても立ち上がってきた。

 

だから、これだ。

 

その愚直な突進を利用した交通事故のようなカウンター。

 

今度こそ、止めを刺す。

 

そして、それでショックを受けている間に、あの少女を殺す。

 

先程、掴めるだけ掴み取った中で1つだけ十字架を放り投げなかった。

 

そう、この時の為に。

 

この一瞬、相手は自分の手に十字架がないものだと思い込み、攻撃モーションに入るはずだ。

 

その瞬間を―――

 

 

「―――十字架は悪性の拒絶を示す!!」

 

 

隠し持った十字架が、当麻の眼前で爆発膨張する。

 

 

ボッ!! と。

 

 

最悪のタイミングで放たれたカウンター。

 

鉄骨サイズになった十字架の――――

 

 

「分かってんだよ! 俺が真っ直ぐ過ぎるっつうのはな……ッ!!」

 

 

――――先端に、外から内への物理的衝撃を殺す<梅花空木>を巻いた左拳を置き、

 

 

ズン!! と。

 

一歩下がり、その後ろ足をつっかえ棒にするように左手から腕、肩、腰を一直線に。

 

 

(あれは、夏休みに教えた退歩の――――!!)

 

 

カウンターなんて何度も受けてきた。

 

夏休みの最後の組手の時だって、あの突進を返された。

 

そして、真っ直ぐ過ぎると忠告された。

 

 

そこで、当麻が教えてもらったのは、敢えて前に出て受ける度胸と、後ろに下がって返す体術だった。

 

 

全身をうねるように複雑に動かす返し技ではなく、後ろへ下がって………

 

 

「ッ!!」

 

 

真っ直ぐ十字架の先端を受け止めた。

 

衝突の衝撃を<梅花空木>が拡散する。

 

それでも膨張して当麻の身体ごと押してこようとする勢いを、棒のように一直線の身体に伝わせながら、固定された足元から地面へ。

 

そして、若干跡を残しながらずり下がったものの、踏み止まった。

 

結果、前へ伸長できなかった十字架はそのまま、

 

 

ゴッ!! と。

 

 

ビアージオの腹を、逆側に伸びてくる十字架が強打する。

 

 

「ぐ、ぶあァ!?」

 

 

肉体が、精神が揺らぐ。

 

口の中に逆流した胃液が充満する。

 

受け止められたという衝撃に思考が麻痺する。

 

そして、当麻は一気に懐に飛び込んで――――

 

 

「お――――」

 

 

武術を習っておらず、きちんとした師もいないただの我流。

 

されど、修練を重ね、実戦で磨かれた攻撃は、余念が無く、的確に確実に精確に相手の中心点を狙っていた。

 

 

「――――おおおおおァァああああああッ!!」

 

 

ゴギン!! と。

 

 

咆哮と共に当麻の拳がビアージオの顔面に突き刺さった。

 

 

 

つづく


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