とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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水の都編 溺れる者に救いの手を

水の都編 溺れる者に救いの手を

 

 

 

 

 

 

『船が沈みます! ルチアさん、アンジェレネさん! 今すぐ穴を開けてください! ――――ッ!? 当麻さん!?』

 

 

 

何かが来る。

 

そう感じた時には、皆の、詩歌の目の前に立っていた。

 

氷の壁を食い破る衝撃波を、その右手で防げたところまでは良かったが、その余波が撒き散らす残骸にまでは対処できなかった。

 

でも、せめて妹だけは守ろうと、この身を盾にした。

 

幸い、痛いのには慣れているし、この身体は頑丈だ。

 

だが、『泣き面に蜂』というのがあるように、この上条当麻の不幸は、不運と重なって起こるものなのか。

 

運悪く頭に残骸が当たり、ほんの少しだけ意識が堕ちて、そして、落ちた。

 

5階建ての建物の高さから、真っ逆さまに落ちた。

 

物凄い勢いで着水で激しく全身を打ち、海水が喉を焼き、身体に力が入らない。

 

水の中で、手足をゆらりと漂わせながら落ちてゆく。

 

急激に血の気が失せていく感触、感覚。

 

闇のカーテンに遮られているように海面までもが黒一色に包まれた暗い夜の海の中だというのに、端から徐々に視界が真っ白に染まっていく。

 

 

(し、いかと、お、ルソラ、は……?)

 

 

意識の端に引っ掛かるように、人の名前が浮かぶ。

 

氷の船は、もう残骸もない

 

おそらく、詩歌の制御が外れ、融点の変動した氷は元の海水へ戻り、新しい船を別の場所で生み出しているのだろう。

 

 

(ル、ちアに、アン、ジェレネ。アイツらは……)

 

 

とにかく海面を目指すべきなのだろうが、心が動作まで追い付かない。

 

極限に達した眠気に屈するように、目的から行動、そして、結果までの思考が繋がらない。

 

ぼごん、と口の中から外へ白い泡が漏れると共に、入り込んだ海水の冷たさが、この身を取り巻いていく。

 

 

(ま、ずい……。このままだと、俺は―――)

 

 

完全に真っ白になったその時、

 

 

 

――――お兄ちゃん……っ――――

 

 

 

その時、温かな感触が当麻の唇に押し当てられた。

 

当麻の体から急速に抜け出していた酸素が、そこから押し込められるように侵入してくる。

 

酸素が気道を通り、肺に達して、血流に乗って、当麻の全身に運ばれていった。

 

ああ、この感触……覚えてる。

 

 

 

――――お兄ちゃんは、私が助ける……――――

 

 

 

再度、酸素が注入されると同時に、薄れつつあった意識が、一気に再起動を開始する。

 

そして視界がクリアになったその時、思い浮かべた通りに妹が、上条詩歌がそこにいた。

 

そのうす桃色の唇の薄い肌越しに、熱が伝わる。

 

鼓動の強さが、そこに彼女がいる事を当麻の胸に刻みつける。

 

 

―――だが、彼女は、つい先ほどまでその身に宿る生命力を………

 

 

(馬鹿……無茶しすぎだ……)

 

 

急速に意識が冷めた。

 

でも、抵抗する前に首に力一杯しがみつかれた。

 

そのまま離れぬように絡んだ腕を引き寄せ、当麻の体内へ酸素を送り続ける。

 

そして、この時だけでも、と。

 

 

―――ずっと抑えていた気持ちを………

 

 

手から力が抜けていく。

 

 

 

――――早く、上に――――

 

 

 

どんな不幸にも打ち克てると、幸せな終わりを信じていると、彼女は微笑む。

 

微笑みながら、そのまま遠ざかってゆく。

 

 

(ふざ、けるな……)

 

 

その手を掴む。

 

海面まで遠い。

 

崖下まで頭上の出口を眺めているような錯覚すら感じる。

 

1人を抱えながら辿り着くのは無理だ。

 

『カルネアデスの舟板』。

一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。

 

1人の男が命からがら、一片の板切れにすがりつくが、するとそこへもう1人、同じ板につかまろうとする者が現れた。

 

しかし、2人がつかまれば板そのものが沈んでしまう。

 

それと同じだ。

 

違うのは、突き飛ばしたのではなく、引き揚げようとした。

 

きっと、そのために、1人でも泳げるようにあんな馬鹿な真似をしたのだろう。

 

 

(このまま、終わらせてたまるか……!!)

 

 

だが、当麻は2人で辿り着く。

 

理屈もへったくりもない、ただ、やる、とそう決めた。

 

愚かだから、先の事まで考えられない。

 

愚かだから、2つの内1つを選べない。

 

でも、大切な事なら分かる。

 

彼女を死なせたくない。

 

そして、もう2度と置いてかないと約束した。

 

絶対に逃がさないとその心に誓った。

 

だがら、諦めない。

 

たとえ2人揃って死ぬ事になろうと、迷わず2人とも助かる道を選ぶ。

 

 

(……、あれは)

 

 

当麻の視界の先、正面に広がっていた暗い海の色が、不意に割れた。

 

シャチでも、サメでもない。

 

何故なら遠く遠くからやってくる“それ”は、ざっと30m近い全長を誇っている。

 

 

(まさか、―――)

 

 

当麻が思う前に。

 

グパァ、と。

 

細長い構造物の前面が、4つに分かれて花のように開いた。

 

まるで、浮かぶ兄妹を飲み込む巨大な口のように。

 

 

 

 

 

アドリア海の女王

 

 

 

アニェーゼ=サンクティスは1辺が20m四方の四角錐の部屋にいた。

 

ここは護衛艦隊とは一際異彩を放つ<女王艦隊>の旗艦、<アドリア海の女王>の一室。

 

他の護衛艦隊の違いとして、この空間を魔術的に収めているのか、それともトリックアートの一種なのか、この部屋の頂点が、ざっと100m以上あるように見える。

 

さらに、白っぽい電球色に輝く四角錐の部屋は、全て正三角形の氷のパネルで組まれている。

 

実際にはそこが正方形の四角錐を正三角形だけで埋めるのはできないはずで、どこかにそれ以外の妥協点となるパネルがあるはずなのだが……どこを見てもそんなものは発見できない。

 

論理的に存在できない机上の空論のような図形を実現させたこの部屋は、主への信仰無き者を拒絶する神聖な儀式場。

 

その中心には、直径7mほどの透明な氷の球体、まるでシャボン玉のようなオブジュ――アニェーゼが本来いるべき『牢獄』があった。

 

しかし、アニェーゼはそこにはおらず、目の前にいる男を眉を顰めながら睨んでいた。

 

 

「<聖バルバラの神砲>……? 一体、何に向けて撃っているんですか」

 

 

その男は、ややあってから答える。

 

 

「分からないのか、シスター・アニェーゼ」

 

 

重たく引きずりそうな法衣を身に纏い、数十の十字架を取り付けた4本のネックレスを首から提げている。

 

メノラー――これは、セフィロトの樹の別表現、7本の蝋燭によって他と得られた四界の象徴を表している。

 

彼は、ローマ正教の司教(ビショップ)、ビアージオ=ブゾーニ。

 

 

『ビショップ・ビアージオ。暴走した37番艦を沈めました。これ以上の砲撃は無意味です。今すぐ止めてください』

 

 

「よくやった、『トリスタン』。だが、人目の処理は私の管轄ではない。よその部署に回しておけ」

 

 

『はっ! では、そのまま生存者の捜索に当たります』

 

 

十字架を介した通信術式へ送られた部下からの報告が終わると、アニェーゼの方へ顔を向けて笑い、

 

 

「使えぬ部下は放っておけばいいものを……。私も色々な部署を回ったが、こちらと気の合う有能な部下というのはなかなかいないものだな」

 

 

「部下と気が合わなくても、合わせるのが上官の務めだと思いますけど」

 

 

ふん、と、ビアージオは傲岸不遜な態度でアニェーゼを見下す。

 

 

「それでも有能であるのに変わりない。シスター・アニェーゼ、そうやって部下と気を合わせるばかりで、選定に手間をかけなかったから貴様の人生は負けたのだ」

 

 

でしょうね、とアニェーゼは適当に流した。

 

その態度に忌々しげに舌を打って、

 

 

「……本来、ネズミが見つかるまで37番艦は本艦に近づけるなと言ったのに。挙げ句、『接続橋』まで繋いでしまうとはな。ネズミがよその艦に移っていたらどうするつもりだったのか。君の身に何があったら取り返しがつかないだろう」

 

 

その言葉に、アニェーゼは自分の体を抱くように両腕を回した。

 

おそらく、この男は、すでに修道服の機能が破壊されている事を見抜いている。

 

アニェーゼの修道服は特別製で、その大きく肌を晒すデザインには十字教の刑罰の文化・術式が織り込まれている。

 

さらし刑――生き恥を利用したこの刑罰は、自殺・他殺を問わずにあらゆる死に対する防止策を付加されている。

 

思いやりから命を守るのではなく、より一層苦痛を伸ばす為にしを防ぐ。

 

莫大な『負荷』がかかるため、長時間の使用はその心身を使い物にならなくしてしまうが。

 

 

「しかし皮肉なものですね」

 

 

「言うなよ、シスター・アニェーゼ」

 

 

ビアージオはくつくつと笑う。

 

 

「ローマ正教が古くからアドリア海を守ってきた大規模術式の適性を、まさか背信者の君だけが持っているとはな」

 

 

<アドリア海の女王>のカギとなる<刻限のロザリオ>。

 

この中で詳しい仕組みや効果を知るものは、司教であるビアージオしか知らないが、悪趣味な事に、その発動には、適正者であるアニェーゼの精神が犠牲になる必要がある事だけは教えられていた。

 

 

「人間は、その頭を使って体内で魔力を練る。しかし<刻限のロザリオ>は普通の人間が作る魔力ではうまく機能しない。そこでシスター・アニェーゼ、君の出番という訳だ。その才能を存分に発揮すると良い」

 

 

アニェーゼの素質とは、その頭の『壊れ方』の方向性が<刻限のロザリオ>に向いているという事。

 

つまり、『普通とは違う魔力』を精製するために、人間を『普通とは違う頭』に改造する。

 

そう、廃人になることが前提なのだ。

 

忌々しいが、今さら何を訴えても遅い。

 

 

「それよりも、暴走した37番艦を沈めました、というのは?」

 

 

「言葉以上の意味が欲しいか?」

 

 

「……、職制者という、貴方の部下もいたはずですが」

 

 

「人間の使い方はこちらで決めるものだ。違うのか? まあ、『トリスタン』も貴様のように戯言を進言してきたが、この計画が成功した功績について話せば、すぐに納得してくれた。余程、上層部に気に入れられたくて必死なんだなぁ。くつくつ、部下が踊り狂う様を見るのは上司の楽しみの1つだ」

 

 

アニェーゼは僅かに黙る。

 

何故、彼女は何も抵抗しなかったのか、と。

 

それから、撃沈前に彼らが船から出られた可能性を考えてみたが、

 

 

 

「しかし……旗艦からの魔力供給を断ったというのにあそこまで動き続けるとはな。シスター・アニェーゼ、よもや貴様が何か手を貸したのか?」

 

 

と、そこでビアージオは考え事をするように顎に手を据える。

 

あれは彼にも予想外だった。

 

<女王艦隊>は、<アドリア海の女王>の付属品とも言える。

 

だというのに、旗艦からの命令に逆らい、さらには燃料まで断たれたというのに、この海域を強引に突破した。

 

おそらく、『トリスタン』がいなければ、そのまま<女王艦隊>1隻を奪われて逃げられていた。

 

 

「……私が、どうにかできる代物じゃないでしょう。あんなの私1人じゃ動かす事も出来ませんよ」

 

 

興味がないように素気なく言い放つ。

 

だが、一瞬の戸惑いが見え、何か隠し事をしているのは明らかだ

 

しかし、

 

 

「ふん、まあいい。あとで部下の死体を見せながら、もう1度訊いてやろう。アドリア海にばら撒かれた破片を拾い集めるのも骨が折れるだろうがな」

 

 

ギリッ、とアニェーゼは奥歯を噛んだ。

 

その僅かな音に、ビアージオは満足そうな笑みを浮かべる。

 

と、その時、

 

 

『ビショップ・ビアージオ! 緊急です!!』

 

 

先程とは違う部下からの通信。

 

 

「何だ?」

 

 

ビアージオが促すと彼は切羽詰まった声で、

 

 

『37番艦撃沈跡の下部に巨大構造物の反応あり! 船の残骸を回収している模様。『トリスタン』が単独で応戦しているようですが、流石に海中では……』

 

 

チッ、とビアージオは吐き捨てる。

 

 

「潜水術式……以前のシスター・ルチア達と同じ、また海の底からか。<女王艦隊>の制海機能を組み直す必要があるな。大体、巨大構造物だと。そんなものを個人で用意できるとは思えないが……となると、やはりキオッジアには『集団』がいたか。だから早めに潰しておけと言ったのだ。多少の犠牲は構うなと指示を出したのに、あそこで撤退しおって……」

 

 

ビアージオはアニェーゼの顔を見る。

 

その顔に先程のような笑みはなく、その瞳はイラついた色が帯びていた。

 

この自身の予想通りにいかない事態に、今度は彼がギリッ、と奥歯を噛み締め、

 

 

「……訂正だ。ドイツもコイツも使い物にならない連中ばっかりだ」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

抵抗はなかった。

 

その右手は、止められる事なく、血で濡らす事なく突き進んだ。

 

それは、彼女という存在が、もう人という規格では収まりつかない事を証明していた。

 

 

『あ、―――あ』

 

 

目前の自分を見つめている。

 

彼女の瞳には、どう映っているのだろう。

 

いつも遠くを見通すその透明な眼差しで。

 

その胸を貫いた自分の姿は。

 

 

『―――、―――――』

 

 

命の温かさがあった。

 

たとえ記憶を失っても忘れようのない、いつも傍にいてくれた彼女の体温をこの右腕で感じた。

 

それが、彼女が残してくれた幸せな幻想だった。

 

けれど。

 

この神様さえも殺す右手で、

 

彼女を守ると誓ったはずのこの右手で、

 

 

――――パキン――――

 

 

その幻想を殺した。

 

 

『ぁあ―――おにい、ちゃ―――』

 

 

置いていく。

 

幻想と共に、殺す。

 

その思い出を、忘れていく。

 

 

いつも前へと導いてくれたその言葉を。

 

いつも自分を癒していたその温もりを。

 

いつも勇気づけてくれたその微笑みを。

 

そして、誰よりも自分を愛し、誰よりも自分が愛した彼女を。

 

 

そう、全て、殺す――――――――事など許されない。

 

 

自分は、この『オモイ』を忘れてはならない。

 

死ぬまでずっと背負い続ける。

 

代わりなどないその温もりを探し続ける。

 

そして……もう、自分は『  』にはならない。

 

これ以上の『  』など、ないのだから。

 

これで、最後だ。

 

もう2度とその言葉を口にしない。

 

考えすらもしない。

 

だから、許して欲しい。

 

誰よりもこの愚かな兄の幸せを望んだ彼女に、その言葉を手向けに選んだ事を。

 

 

『……『不幸』、だ……』

 

 

腕にかかる重みが消える。

 

彼女は最期まで笑みを浮かべ、自分をぼんやりと見つめながら、泡となって消えた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

「………うま………と…ま………」

 

 

木でできた床の上で、上条当麻は目が覚めた。

 

また、悪夢を見た。

 

内容は覚えていない。

 

けれど、今、全身がびっしょりと濡れているのが海水のせいかそれとも冷汗のせいかも分からないほど最悪だった。

 

 

「あ、目を覚ました!」

 

 

「インデックス、か……?」

 

 

真っ白な修道服を着た銀髪碧眼の少女、インデックスが見下ろしていた。

 

彼女の両サイドには、キオッジアの街で置いていった四角い旅行鞄とスーツケースが2つある。

 

首だけ動かして周囲を窺う。

 

長さ30m、高さと幅が8m前後の縦長で薄暗い空間。

 

壁や天井は四角くなく、トンネルのように曲線を描いている。

 

黒っぽい、年代物の木を組んでいるだけだが、木製ジェットコースターの柱みたいにしっかりと計算して作られている。

 

 

「とうま、大丈夫? 何だかとっても魘されてたようだけど……」

 

 

インデックスが不安そうにこちらの顔を覗いてくる。

 

 

「何でもねぇよ。ちっと変な夢を見ちまっただけだ」

 

 

当麻はこれ以上心配させないように、ゆっくりと床から起き上がる。

 

その様子を見てホッとしたようだが、すぐにムッとした表情に変わってしまった。

 

そして、その傍らに、

 

 

「た、建宮、斎字か?」

 

 

「おう、お久しぶりよな。天草式十字凄教の教皇代理さんだ。今は手前にイギリス清教所属ってつけどよ」

 

 

元々黒い髪をさらに真っ黒に染め直して、クワガタみたいに光沢のある尖った形に整えた髪形。

 

大き過ぎてぶかぶかのシャツにジーンズ。

 

長身だが、服のサイズに反して極端に体は細く、引き締まっている。

 

首には小型扇風機が4つほど紐を通した首飾りが提げてあり、足の靴紐は何故か1m以上もある。

 

彼は、建宮斎字。

 

天草式十字凄教の教皇代理で、アニェーゼ=サンクティスやオルソラ=アクィナスと同じく<法の書>事件を通じて知り合った人間だ。

 

 

「となると……天草式、か」

 

 

確か、オルソラの引越しの手伝いにキオッジアに来ていて、あの時、天草式の五和もあの場にいた。

 

たぶん、インデックスが五和と共に天草式の連中に応援を呼んでくれたのだろう、と。

 

そこで、ようやく感覚が戻ってきたのか、右手で何かを掴んで――――

 

 

「で、そろそろ妹さんの手を離しちゃくれねーか?」

 

 

右手の先を見る。

 

そこには当麻と同様、床に寝かされている詩歌の姿が。

 

そして、当麻は彼女の左手首を右手で力強く握っていた。

 

 

「心配なのは分かってんだ。何せ気ぃ失ってんのに、こちらが強引に外そうとしても、その手を放そうとしなかったんだからな。けどな、大した怪我を負ってないとはいえ、あの巨大戦艦を1人で動かしてたって聞いてたから、一応、容態を診ときてーんだ。そのためには、お前さんの右手が邪魔でな」

 

 

「あ、ああ。悪ぃ―――って、詩歌は大丈夫なのか!」

 

 

当麻は急いで手を放し、建宮に詰め寄る。

 

 

すると、横で詩歌の容態を診ていたインデックスがその様子に呆れながらも、

 

 

「しいかは、大丈夫だよ。最初、<女王艦隊>を1人で動かしたって聞いた時は驚いたけど、全く空になったようには見えないんだよ。本当、しいかの生命力って、底が知れないかも! それよりも回復力が凄いんだよ! 今も、ただちょっと疲れて寝ているだけで、起きたらいつも通りに戻っているかも」

 

 

そういえば、あれだけのハードスケジュールをこなしているのに、普段、詩歌が疲れている様子なんて滅多に見た事がない。

 

ただ、単に効率の良く動いているのかと思っていたが、その身に秘められた生命力が底無しで、不死鳥のような回復力もお持ちのようだ。

 

 

「女教皇様と同じようなものなのよな。あの方も山を呑み込む悪竜と対峙した際も1日休んだだけでピンピンしてたのよ」

 

 

そうか、と当麻は安堵する。

 

所々、怪我しているが、擦り傷程度のもので、顔色もさっきと比べると血色が良くなっている。

 

少し余裕が出てきて、額の汗を拭おうとしたが、手も服もポケットの中も海水でベタベタしていた。

 

彼が閉口すると、ふと横からにゅっと白いおしぼりが差し出されてきた。

 

見ると、二重瞼の少女、五和がすぐ近くにいた。

 

 

「どうぞ」

 

 

「あ、どうも」

 

 

当麻におしぼりを渡すと詩歌へ視線を向けて、

 

 

「では、詩歌さんの回復魔術を行いますので……」

 

 

五和がそういうと、小道具を取り出す。

 

天草式はどこにでもあるような日用品を用いて、魔術を発動させる。

 

失礼します、と断りを入れられたので当麻が退いて場所を空けると、詩歌の横に五和が腰を下ろし、手際よく的確に回復術式を組み上げた。

 

詩歌の体から、薄く淡い光の玉がふわりと舞う。

 

蛍のような緑色の光。

 

それらの光は傷の隙間を埋めるように潜り込み、詩歌の身体に浸透していく。

 

そして、その光が血肉の代わりとなるように数秒もしない内に、上条詩歌の傷を癒した。

 

 

「ありがとな、五和!!」

 

 

「わっわっ」

 

 

ガシッ、と五和の両手を握って、感謝の言葉を告げる。

 

が、刺激が強すぎたのか顔を真っ赤にし慌てて手を振り解くと奥へと立ち去っていった。

 

 

『五和、折角のチャンスを』

 

『ここで一気に距離を縮めれば良かったのに』

 

『くそっ、こうなるんだったら、俺が詩歌様のお怪我を直すんだった』

 

『テメェ回復魔術苦手じゃねぇか! だから、ここは紳士である俺が』

 

『何が紳士だ! この下心満載なくせに!』

 

『まあまあ、ここは五和を介してお友達から初めて徐々に』

 

 

と、そこで何やら物音が聞こえる。

 

改めて周囲を見回すと、薄暗い空間の奥に数十人もの人の気配や視線を感じ、昼間に見た顔もちらほらと。

 

どうも、この木製のトンネルみたいな場所には天草の本体が揃っているらしい。

 

とりあえず、何となくだか治療を買って出てくれた五和にもう一度感謝し、騒いでいる野郎共にガンを飛ばして―――ふと、

 

 

「そうだ……ッ! オルソラ達は!?」

 

 

「おっかない騎士さんが抵抗してきたようだけど、一応、全員拾っておいたのよ。身元が分かっているのはオルソラ、ルチア、アンジェレネ、だったか。あとは拘束されてる男とかローマ正教の修道女とか、色々だな。今、そっちの方は別で話を聞いてるトコなのよ」

 

 

具体的にあの船に何人の人達が乗っていたのかが難点だが、とりあえず、もう一度胸を撫で下ろす。

 

そして、ようやく起きてからずっと気になっていた事を口にする。

 

 

「ここって天草式の秘密基地みたいなモンなのか? っつか、あの状況でどうやって海の中に落ちた俺達を拾ったんだ?」

 

 

はっはっは、と建宮は笑い、

 

 

「確かにちょっと想像し辛いかもしれんなぁ。最初に言っておくけどな、こりゃ建物じゃねぇ。乗り物だ」

 

 

「あ?」

 

 

当麻が疑問の声を返す前に、ぐぐっと慣性の力がかかった。

 

やや後方に背中が引っ張られる。

 

このトンネルみたいな施設そのものが動いているのだ。

 

その事実に気付いた当麻は、思わずギョッと身を強張らせて、

 

 

「ってこれ、まさか―――ッ!?」

 

 

「潜水艦、と言いたいトコだが、そこまで高性能じゃねぇ。せいぜい潜伏機能の付いた木船ってのに近いのよ」

 

 

つまり、と建宮は口ずさむように答えた。

 

 

「上下艦ってヤツよ」

 

 

瞬間、ドパァ!! と勢い良く水の膜を破りながら、天草式十字凄教が『紙は木で作られ、木は船をも作る』とその繋がりを利用した、全長30m、全幅8mほどの巨大ラクビーボール状の『携帯上下艦』は海面へと浮かび上がった。

 

 

 

 

 

アドリア海の女王

 

 

 

「ビショップ・ビアージオ!!」

 

 

十字架からの通信ではない。

 

この完璧な四角錐の部屋の開け放たれた入り口から聞こえてきた。

 

 

「何だね、騎士(ナイト)『トリスタン』」

 

 

直接駆け込んできた部下に、厳めしい表情を浮かべながら、されど余裕を持ってビアージオは応対する。

 

『トリスタン』は仮面の奥で目を細めながらも、ツカツカと歩み寄る。

 

 

「37番艦に乗船していた職制者と修道女が捕らえられました。今すぐヤツらの追撃命令を下さい」

 

 

突如、現れた上下艦によって、回収しようとしていた人員が攫われた。

 

その事を与えられた通信術式によって、詳細に報告し、その上で、上下艦の追撃を提案したのだが、返ってきたのは撤退命令だった。

 

納得のできない彼女は司教であり司令塔である、ビアージオ=ブゾーニへ無礼を承知で詰め寄った。

 

だが、

 

 

「放っておけ。あいつらはもう必要ない。もう計画の大部分の準備は終わっている。貴様は黙ってこの旗艦の護衛でもしていろ」

 

 

「しかし……ッ!」

 

 

部下を、仲間を見捨てる。

 

自身の恩人であり目標と掲げているあの方は、あの『騎士団』から追放される事になろうと政治の道具に利用された彼女と、その従者として随伴していた自分を助け出してくれた。

 

食い下がる部下を前にビアージオはふん、と鼻を鳴らす。

 

 

「37番艦を沈めたのは誰だ? 貴様だろう、騎士『トリスタン』」

 

 

「あれは、貴方の命令で……ッ」

 

 

「そうだ、私の命令だ。だが、実際に部下達を切り捨てたのは貴様だ、騎士『トリスタン』」

 

 

くっ、と歯噛みしながら呻く。

 

そして、もう話にはならないとばかりに振り返り、その場を立ち去ろうと、

 

 

「余計な真似は許さん。大人しく旗艦の護衛をしているんだ、騎士『トリスタン』」

 

 

勝手に立ち去ろうとする部下に、ビアージオは制止をかける。

 

それでも、なお『トリスタン』は立ち止まらず、入り口の前まで、

 

 

「待て、私の命令に逆らうのか」

 

 

その言葉に、足が止まる。

 

その様子に、ビアージオは口角を吊り上げ、

 

 

「これは<神の右席>が計画したローマ正教の歴史に残る大義。そして、この全権を任されているのは、司教であるこの私、ビアージオ=ブゾーニだ。私の言葉はアイツらの言葉だと思え、騎士『トリスタン』」

 

 

<神の右席>。

 

上層部でも限られたものしか知らないこのローマ正教の最暗部で、そこには……

 

 

「そうだ、それでいい。大人しく私の命令を聞き、持ち場を離れるな」

 

 

……正直、迷いがある。

 

本当に、この計画をあの方が認めたのだろうか。

 

未だに騎士を目指し続ける自分に愛想が尽きてしまったのだろう。

 

ここへ来てから、あの方とはほとんど顔を合わせた事がない。

 

もしかすると、変わって、しまったのだろうか……

 

だが、たとえどんなに変わろうとも私は―――

 

 

「わかり、ました、ビショップ・ビアージオ」

 

 

いつの間にかズレていた仮面を直す。

 

そうする事で乱れた波長を整え、心を残酷なまでに凍てつかせる。

 

 

「しかし、もしその言葉が偽りだと分かったら――――」

 

 

仮面の奥の、鋭い眼光がビアージオを射抜く。

 

そして、唯一、換装術式ではなく腰に備えつけた、量産品ではない彼女本来の得物。

 

ローマ正教13騎士団『ランスロット』を一騎打ちの下で仕留めた武器を引き抜く。

 

 

「ぐッ!?」

 

 

それはビアージオが何か行動を起こす前に、一瞬で――――身動きを封じた。

 

 

「――――貴方を殺します」

 

 

そうして、警告した後、得物を仕舞い、ビアージオに背を向けて『トリスタン』はこの部屋を立ち去った。

 

 

 

 

 

ソット・マリーナ

 

 

 

天上には電球色に輝く夜空の月。

 

その月に照らされながら、天草式の上下艦は海上へと浮かぶ。

 

無事、当麻達を救出した後、とりあえず陸地に上陸する事になった。

 

けれど、この巨大な上下艦で接岸するのは色々とまずい。

 

流石に天草式もそこまで常識知らずではなく、ある程度まで近づくと建宮がポケットから取り出した紙束を海に向かって投げる。

 

この上下艦と同様、『紙は木から作られ、木は船を作る』、その紙束が20隻近い小型の木のボートに変化した。

 

そこでタイミング良く詩歌も目覚め、インデックスが診断した通り、寝て起きたら元気になっていた。

 

そうして、当麻達はそれぞれ人員を分けてボートに乗ると、最後に乗った建宮が上下艦を元の紙切れに戻す。

 

和紙は回収せずに、海水に溶けて消えてしまった。

 

手漕ぎボートは、すぐ近くにあった灯りの下へ向かった。

 

島かな、と思ったが、よく確認するときちんとした陸地で、海に向かって鋭角に突き出した場所だ。

 

 

「ま、キオッジアに逆戻りってヤツよ。っつっても、オルソラ嬢の住んでた中心部とは、海を隔てた隣の地区だけどな」

 

 

ソット・マリーナ。

 

キオッジアに近い海水浴場だ。

 

岸まで着くと、天草式の面々は再び手漕ぎボートの紙切れに戻していた。

 

さらに、今度は紙束をばら撒いて木の椅子やテーブルを作り出す。

 

木で作れるものは何でも作れるらしい。

 

その光景に興味が引かれたのか、詩歌も近くにいた天草式の少年らから紙を借り、簡単にやり方を教えてもらった後、木製のスプーンやフォーク、食器皿やグラスなどの小物を嬉々として作っていく。

 

相変わらず、呆れるほどの見込みの早い妹だ。

 

ただ………

 

 

 

『あの、これ、本当に貰ってもいいのでしょうか?』

 

 

『大丈夫です! 紙は消耗品ですし、予備ならたくさんあります!』

 

 

『そうなんですか? でも、この紙にお名前が書かれているのですけど』

 

 

『あっ、それ、僕のお名前です。僕って、自分の持ち物にはつい名前を書いてしまうんですよ。あ、でも全然構いませんよ! さっきも言いましたけど予備ならたくさんありますから!』

 

 

『こっちもどうぞ! これボート用です! 俺の名前と連絡先が書かれてますけど、全然構いませんから! 全っ然!』

 

 

『ふふふ、皆さん、ありがとうございます』

 

 

『あの、それで、聞きたい事があるんですが。質問しても良いですか?』

 

 

『ええもちろん。私にお答えできる事でしたら、何でも』

 

 

 

……いや、しかし何だ。

 

折り目正しく、声のトーンもやたら落ち着いていて、それでいて一語一語がハキハキと聞き取れて、夏の高原に吹く一陣の風のように涼やかで、でも、どこまで言っても陽性の雰囲気をまとっていて――――まさしく、お嬢様。

 

名前は伏せておくがビリビリやメラメラを見ていて不安になった事もあったけど、流石、お嬢様養成所の名門校、常盤台の教育を受けているだけある。

 

でも、こうして自然に野郎共が集まっているのを見ていると、また別の不安が………

 

 

「とうま、ちょっと目が怖いんだよ」

 

 

隣にいたインデックスがこっちを見て震えている。

 

何故だろうか?

 

うん、ちょっと笑ってみようか。

 

 

「はっはっはー、何を言っているんだー、インデックス。当麻さんはいつも通りですよー」

 

 

「……とうま、怖い」

 

 

あれ?

 

おかしい。

 

安心させようとニッコリ……と笑ったはずなのに、ちょっと声が平坦だったかもしれないが明るくしたつもりなのに、インデックスは前よりも怖がっている。

 

まあいい。

 

それよりも今、さりげなく連絡先を渡した奴らにちっとゲンコツじゃなくてゲンゴロしとかねぇと……

 

いやいや、落ち着けよ、上条当麻。

 

まだ、こっちの連絡先を渡していねぇようだからギリギリセーフだ。

 

 

 

『では、質問させてもらいますね』

 

 

『はい、どうぞ』

 

 

『じゃあまずは好きな食べ物は?』

 

 

『そうですね、好き嫌いはありませんけど……強いて言うなら家庭料理が好きです。あと、洋食よりも和食の方が好みです』

 

 

『そうなんですか。いやー、僕も和食が好きなんですよ』

 

 

『私も和食大好きです。気が合いますね、詩歌さん』

 

 

 

それからも、好きな芸能人や好きな読み物、趣味などごくごく和やかな雰囲気で――――

 

 

――――ビシッ。

 

 

手に持ったコップに罅が入る。

 

あれ?

 

左手で持っているのにな。

 

うん、これって天草式のヤツらのだしな、気を付けよう。

 

 

 

『じゃ、じゃあ今度は俺から。詩歌さんの好きな男性のタイプは』

 

 

 

――――バキンッ!

 

 

木のコップが完全に割れた。

 

だが、当麻は気にせず、ズカズカと天草式の男衆と詩歌の間に割って入り、

 

 

「テメェらに良い事を教えといてやる。詩歌とお付き合いできる最低条件は、俺よりも強い奴だ」

 

 

結局、ドクターストップならぬブラザーストップがかかり、お近づきタイムは終了。

 

天草式の男衆は蜘蛛の子を散らすように逃亡。

 

こうして、上条当麻は、天草式から高く聳え立つ絶壁として、より畏怖される事となった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

夕飯が机の上に並べられる。

 

すると、背の高いルチアが少し落ち着きのない様子で周囲を見回し、

 

 

「ご一緒したいのは山々ですが、私達はこれからシスター・アニェーゼの所へもう一度戻らないといけないので」

 

 

「今すぐ行っても無駄なのよ」

 

 

建宮はあっさりと切り捨てる。

 

 

「我らがさんざんかき回した後なのよな。連中だって警戒態勢を解いちゃいねえのよ。まずは時間を置かなくちゃならねえし、あそこを守護している騎士さんは生半可な作戦じゃ突破できねえ」

 

 

と、腹が減っては戦は出来ぬとの事で、詳しい話をしながら暗い海をバックに遅めの夕食の準備が始まった。

 

流石に紙束をばら撒いて料理が出てくる事はなく、こちらは金属製のキャンプ用の調理道具を取り出すと、天草式の少年少女達は手早く作り始めた。

 

天草式の手順に則っているのか当麻から見ていても手順に無駄があるように見える。

 

 

「それで………をすれば………」

 

 

「うん。たぶん………を加えれば、いけるかも」

 

 

詩歌もその事に気付いているのか、彼らを手伝おうとすることなく隣でインデックスと共に先程、天草式から貰った紙に何か細工をしている。

 

と、そんな中、同じように料理を作る人達を眺めていたアンジェレネが、

 

 

「私はコーヒーとか紅茶よりも、チョコラータ・コン・パンナが良いです」

 

 

とりあえず、隣で難しそうなお話に加わるよりはこちら方が組易いと考え、アンジェレネの話に乗っかる事にする。

 

 

「何それ?」

 

 

「あ、知らないんですか? チョコレートドリンクの上に生クリームがたっぷり乗った飲み物なんですよ。基本はエスプレッソを使うんですけど、私はチョコの方がアギュッ!?」

 

 

得意げに激甘ドリンクの説明を始めたアンジェレネの頭を、隣にいるルチアが上から押さえつけた。

 

 

「シスター・アンジェレネ……。貴女は先程から少し警戒心が薄すぎますよ。彼らとは一時的に協力しているだけです。それと甘い物への執着も断てとさんざん注意したはずですが」

 

 

ルチアの怒り方に、むしろ当麻が戸惑った。

 

 

「そこまで言わなくても。大体シスターさんってみんなそんな感じ(欲望丸出し)じゃねぇの?」

 

 

「何を基準にそんな台詞を言っているのですか!? 修行中のシスター・アンジェレネを十字教徒全ての見本にしないでください!!」

 

 

信じられないものでも見るような顔で叫ばれたが、それに対してインデックスが気まずそうに眼を逸らした。

 

ちなみに横ではオルソラが、まな板の上からもらってきたのか薄い生ハムを『あら、美味でございますよ』とか何とか言いながらモクモク食べている。

 

 

「まあ、人其々という奴ですよ。神様だって、そこまで度量が小さいとは思いません。ま、私は可愛ければ大抵の事は許せますが」

 

 

高速で手を動かしながら、詩歌が会話に加わる。

 

最後の所はとにかく、今まで会ってきた色々と“特徴的な”面々を思い返せば、納得はできる。

 

 

「っと、ここまでのようです」

 

 

詩歌は作業を中断させて、机の上を片付ける。

 

どうやら話をしている内に料理ができたようだ。

 

建宮に勧められる形で、当麻達はテーブルに着く。

 

すると突然、にゅっと目の前に白いおしぼりが差し出された。

 

そこにいたのは、五和だ。

 

彼女はもう片方の手でほっぺたを押さえ、どこか顔を赤くして目を泳がせていた。

 

 

「あ、あの、どどどどうぞっ!」

 

 

何だろう。

 

まるで、ラブレターを――――

 

 

「あ、さっきは悪かっ――――」

 

 

「いっ、いえいえ!」

 

 

さっきの事を謝る前に慌てて立ち去ってしまった。

 

と、また向こうで、

 

 

 

『まだおしぼり作戦なのか五和!?』

 

『次のステップです! どさくさに紛れて手ぐらい握っちまいしょうよ!』

 

『ええいまどろっこしい!』

 

『いやこうなかなか進展しないのが五和の魅力なのでは?』

 

『ゆくゆくは女教皇様ともぶつかるのでしょうが、こればっかりは我々一同、五和を応援します!!』

 

『そして、2人が結ばれれば、きっと妹さんへのガードも緩むはず………』

 

 

 

などと声に身を潜めながら密談を始めた。

 

一体何を話しているのだろうか?

 

そもそも当麻にしかおしぼりを渡してこないものもちょっと気になる。

 

と、そこで隣で座っている詩歌から、『はぁ~~~~』と頭痛がするのか眉間の皺に指を当てながら、深く長い溜息を吐いてきた。

 

 

「いきなり、何だよ、詩歌」

 

 

「本当、当麻さんは色々と悩みの種を持って来てくれますね」

 

 

流し目を送り、もう一度、軽く息を吐く。

 

ボソボソと『首輪でも付けましょうか?』と聞こえてきて何だか怖い、というか、心の奥底に封印した夢が現実に!?

 

 

「当麻さん、何色が好きですか?」

 

 

「はっはっはー、何をいきなりそんな事を聞くんだい、マイシスター」

 

 

「もうそろそろ寒くなりそうですから、マフラー“みたいの”を作ろうかと思いまして」

 

 

「その『マフラー“みたいの”』って、“みたい”って、なんだよ!? マフラーじゃねーのかよ!?」

 

 

「ふふふ、ちゃんと誰のものか分かるようタグも付けますよ?」

 

 

「待て! 待ってくれ! 待って下さい、マイシスター! ちょっとお尋ねしたいんですけど、マジで首輪か!?」

 

 

ヤバい、段々詩歌の頭の中で現実味帯びてきている!?

 

一秒でも早くこの物騒な話題から変えなければ!

 

詩歌は慌てふためく当麻を見ながら、クスクスと笑い、

 

 

「マフラーですよ。ちゃんとした手編みのマフラーです。それとも、首輪の方が良かったですか?」

 

 

「いえ、全然。お兄ちゃんは普通のマフラーが良いです。断然、マフラーを所望します」

 

 

「それとも、私が首輪を付けましょうか?」

 

 

 

両手を上げ、頭の上に置いて、ぴこぴこっ、と可愛らしく動かし、

 

 

「わんわん!」

 

 

その時、一瞬、ほんの一瞬、コンマ0.1秒の間、当麻はツッコむのを忘れた。

 

 

(い、いや、いやいや駄目だろ野郎共が言い寄ってくるし姉弟(ゆめ)とは逆で兄妹だからありだろうってちょっと考えちまったけど妹に首輪をつけるなんて駄目に決まってるだろほらほら首輪をした妹が犬耳と尻尾付けてわんわんしたらどうなるかとか土御門のような妄想はゲンゴロゲンゴロ!!)

 

 

そして、その一瞬が命取りだった。

 

 

「むっ、……何だかまたしいかで変な妄想してる」

 

 

ハンター(インデックス)が、恐怖を煽るかのように、静かに音もなくゆっくりと唇が動かし、ギラリと凶暴な光を秘めた犬歯が剥き出しにする。

 

ゴゴゴガガ!! という殺気が彼女を中心に渦巻く。

 

詩歌の『わんわん!』攻撃でストップしていた天草式の男衆は、ささーっと慌てて距離を取る。

 

 

「とうまはいつもいつも! しいかは妹なんだよ!」

 

 

「ちょ……インデックス! 落ち着け! 当麻さんはいつも紳士っつーか、邪な事なんて考えていません事よ! 大体そんな事したら余計に男共が寄り付きそうっだって――――あ」

 

 

しまった、とすぐに両手で口を塞ぐがもう時はすでに遅し。

 

食事の前に腹を空かせたハンターが、サバンナで百獣の王が獲物に襲い掛かるように愚兄の背に飛び付いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「まずは、アニューゼって人が囚われているっていう、あの艦隊からだね」

 

 

色々とドタバタがあったが夕食兼情報整理兼作戦会議が始まる。

 

 

「多分<アドリア海の女王>を守る<女王艦隊>だと思うけど、間違っていないかな?」

 

 

こちらは何も言ってないのにその正体を見抜いた。

 

ルチアとアンジェレネがギョッと驚くが、これが頭の中にある10万3000冊の魔道書を収めたとされる<禁書目録>。

 

詩歌のように能力ではなく、その知識によって大抵の魔術なら見ただけでその術式構造を言い当てるだろう。

 

 

「本当、護衛艦とはいえ、あれが100隻もあるのですから、片付けるのが面倒です」

 

 

詩歌が呆れるように言う。

 

軍艦100隻なんて、あれだけの戦力を見れば、誰だって呆れよう。

 

そして、それを『面倒』と一言で片づけるのもまた凄いのだが。

 

 

「は、はい。具体的には、私達も<アドリア海の女王>がどんなものかは分からないんですけど……。『こちらには理解できないぐらい凄い施設だったんだって』、思います」

 

 

「私達は<法の書>の一件で貴方達に敗北した後で、その叱責を受けて前線から外されました。ローマ正教が受けた負債を返すという名目で、あの<女王艦隊>で働かされていたのです。……と言っても、与えられるのは端的な命令ばかりで、具体的に自分が何に貢献しているのかも掴めない状況でしたが」

 

 

ルチアが続けて言う。

 

そして、さりげなくアンジェレネの取り皿に野菜ばかりを入れて差し出すと、小さな修道女は泣きそうな顔でルチアを見返した。

 

当然、背の高いシスターは気にも留めない。

 

2人の上下関係が良く分かるやり取りだ。

 

 

「働かせていたって、何をされていたのですか?」

 

 

一方、こちらは肉、魚と野菜をバランスよく、そして、別々の皿に盛り付けて差し出している。

 

これはいつもの光景だ。

 

何でもこれはインデックスの早食いを抑える為の工夫なのだそうだ。

 

皿を取り分ける事で、敢えて箸の移動を増やさせたりと食事の手間を取らせて一食の咀嚼時間を増やして、食事の満足度を高める。

 

『可愛いからだけじゃないんですよ』とインデックスに内緒でこっそり教えてもらった時は、色々と考えてんだなぁ、と当麻はしみじみと思った。

 

まあ、好き嫌いを失くす事も大事なのだが。

 

そんな詩歌に甲斐甲斐しく世話されるインデックスをアンジェレネはどこか羨ましそうに見ながら、

 

 

「わ、私達は海水から風を抜く作業を割り当てられていましたけど……」

 

 

「は? 風って???」

 

 

「おそらく、魔術的な意味の風でしょう」

 

 

「あ、はい、そうです。」

 

 

……、マジュツ的なイミでのカゼ? と上条は目を点にした。

 

どういう意味なのかサッパリ分からない。

 

というか、詩歌は良く分かったな、と視線を送ると、

 

 

「魔術は必要な四大要素、火、水、土、風が基本です。当麻さんに分かるよう科学側の言葉に置き換えて説明すると、四大要素というのは魔術という分子を構成する元素。二酸化炭素CO2を例にし、炭素元素Cが土、酸素元素Oが風と考えると、魔術的な意味で風を抜くというのは、CO2からOだけを取り出すという事です。ただ、希ガスを除く元素が単独では不安定であるように、取り除かれた風もまた不安定になりますが……―――理解できましたか?」

 

 

なるほど、と当麻はうんうんと頷く。

 

この場には、色々と魔術に詳しい専門家たちが揃ってはいるが、今の当麻は日本語だけしかできないのに、英語で行う講義に参加している学生のようなものだ。

 

なので、英語を日本語に分かりやすく通訳するように、魔術を科学で通訳してくれるのはありがたい。

 

というか、なければ話についていけない。

 

当麻が理解したのを確認すると、詩歌は話を先へ進める。

 

 

「私が調べてみた所、護衛艦の<女王艦隊>は通常の海水を使っているようですから、おそらくそれ以外の術式、つまり、海水から抜いた風という要素は<アドリア海の女王>に使われるものだと推測できます」

 

 

「確か、<アドリア海の女王>って、ヴェネツィアの事なんだろ?」

 

 

上条は首をひねりつつ、細いタコの足がたくさん入ったサラダを取り皿に載せる。

 

そんな当麻にインデックスが言う。

 

 

「うん。<アドリア海の女王>っていうのは、ヴェネツィアの別名だね」

 

 

「それじゃあ、前に詩歌が言ってたけど、<アドリア海の女王>ってのは、昔、ローマ正教と仲が悪かったヴェネツィアに対抗するために用意した特殊な巨大戦艦って訳か?」

 

 

当麻はフォークの手を止めて、静かに問う。

 

インデックスは『うん』と答えた。

 

 

「<アドリア海の女王>は対都市国家の大規模術式。<女王艦隊>はヴェネツィア海軍用の防衛網として用意されたんだよ」

 

 

国家を丸々1つ叩き潰せる為の大規模術式。

 

その事実に、ルチアとアンジェレネは顔を青褪める。

 

自分達が今までどこで何をしていたのか、それを改めて確認させられたからだろう。

 

 

「それで、インデックスさん。<アドリア海の女王>はヴェネツィアだけにしか利用できないのでしょうか?」

 

 

詩歌の問いに、インデックスは難しい顔で首を横に振る。

 

 

「ううん。<アドリア海の女王>はヴェネツィアに対してしか発動できないの。理由は簡単、誰かに奪われた時に、自分達に向けられる事をローマ正教が恐れたからなんだけど……」

 

 

「じゃ、じゃあ、彼らは本気でヴェネツィアを破壊するつもりで!?」

 

 

アンジェレネがますます顔を青くしたが、今度はオルソラが眉を顰める。

 

 

「ですけど、ローマ正教とヴェネツィアがいがみ合っていたのは、もう何百年も前の話でございますよ? 今ではむしろ世界的観光地として、ローマ正教が得る恩恵も少なくはないはず。ここにきて急に壊す理由が想像もつかないのでございますが」

 

 

それは、アンジェレネに指摘された事と同じだった。

 

昔ならとにかく、今のヴェネツィアを潰す必要性はほとんどない。

 

 

「……ヴェネツィアを攻撃する事に、何かそれだけの意味があるかも」

 

 

インデックスでさえもその理由が思いつかなかった。

 

 

「……インデックスさん、<アドリア海の女王>について、もう少し詳しく教えてくれませんか?」

 

 

<禁書目録>、インデックスは言う。

 

大規模術式<アドリア海の女王>はソドムとゴモラに振るわれる天罰をモチーフにしたもので、破壊以上の価値は存在しないもの。

 

まず第一段階として、ヴェネツィアを背徳の都に対応させ火の矢の術式を撃ち込み、街の中心から外周まで完全に焼き払らう。

 

さらに第二段階で、ヴェネツィアを離れていた人や物品まで狙い、旅行に出掛けていた人、美術館に寄贈されていた芸術品、ヴェネツィアを土台として広まった文化、そういったものを全て奪う。

 

つまり、この星から完全に『ヴェネツィア』を完全に抹消させる。

 

一口では想像もつかないスケールの大きさに、この場にいた全員がゾッとした。

 

ただ、1人を除いて、

 

 

「……それで、<アドリア海の女王>の発動に<刻限のロザリオ>というのは必要なんですか?」

 

 

詩歌の雰囲気が変わる。

 

春の穏やかな陽気から、冬の凍つく冷気へ。

 

身に纏う空気がピシリと引き締まり、その瞳には冷たい光が宿る。

 

思考のギアを一段上げたのだ。

 

当麻はこの妹の変化をあまり好まないが、どちらも彼女の本質である事は分かっていた。

 

インデックスもまたスイッチが入っているのか、その変化を気にせず平然と答える。

 

 

「ううん、<アドリア海の女王>にそんな追加術式は必要ないよ。さっきも言った通り、<アドリア海の女王>はヴェネツィア専用の術式なの。それってつまり、暴走が起きたら、すぐに発動できなきゃ駄目なんだよ。適性のあった人間を選んでくるとか、準備にえらく手間がかかるとか、そんなモタモタしていたらヴェネツィアの侵攻は止められないんだから」

 

 

「つまり、<アドリア海の女王>は単品で発動可能、ということですか。となると、<刻限のロザリオ>という術式がますます気になりますね。インデックスさん、どんなものかわかりますか?」

 

 

「うーん……。術式の正式というより、ローマ正教内部だけに伝わる計画名みたいなものだと思う」

 

 

「ふむ。では、『霊装』を改造するというのはできますか?」

 

 

「うん、できるよ。『霊装』はそれぞれ個人に合った形に組み立てる―――あ、ってことは、まさか!?」

 

 

「はい、<アドリア海の女王>の“照準制限の解除”です」

 

 

「うん、<刻限のロザリオ>はその為に必要な術式なのかも?」

 

 

2人の途切れる事のない推理を側で聞きながら、当麻達の背筋に怖気が走る。

 

 

「……、まさか、学園都市なのか?」

 

 

そして、もう黙っている事ができなかった。

 

当麻の言葉にインデックスと詩歌は首を縦に振る。

 

 

「<大覇星祭>期間中、<使徒十字>っつう、ローマ正教最大クラスの『霊装』で学園都市を攻撃して、失敗したから、今度は<アドリア海の女王>をぶっ放すっつうのかっ?」

 

 

当麻が隣の詩歌を見ると、彼女は顎に指を当て、思案するように少し下を向いていた。

 

 

「……まだ、これは憶測の域に過ぎません。ただ、もし学園都市を<アドリア海の女王>で攻撃されたなら、科学側のモノは、『全て価値を失います』」

 

 

<使徒十字>の時は、学園都市を取り込む事が目的だった。

 

だが、もし予想が当たったとするならば、今回のは破壊。

 

自分達と相対する科学を、この星から全て消す。

 

 

「そして、普通にローマ正教徒として生活している一般人であろうと、少しでも科学の恩恵を受けている身であるのなら、対象となり得るかもしれません」

 

 

ソドムとゴモラ。

 

背徳の都を罰する命令を受けた天使だが、街の中には敬虔な一家がいた。

 

なので破壊の前に一家に対してだけ逃げるようにと伝えた。

 

その折、天使は1つの規則を付け加えた。

 

しかし破壊の当日、一家の妻だけはその規則を破ったため、街と一緒に破壊された。

 

科学と魔術は相容れないかもしれないが、普通に暮らしている人にはそうではない。

 

聖母マリア様の『処女懐胎』を信じている科学者だっているし、電子機器を用いて信仰を広めようとした修道女もいる。

 

実際、詩歌の身近にも真浄アリサというローマ正教の神父を父に持ち神の教えを信じている学生がいる。

 

そう、完全に魔術のみを信仰している者など、表の世界ではほんのごく一部なのだ。

 

 

「でも、あんな事を言いましたけど、私は世界を救うなどと、そんな大それた事の為ではなく、1人の素直になれない女の子を幸せにしたい為にここにいる。私達が戦うのは結局の所、そんなちっぽけな理由(もの)です。―――そうでしょう? 当麻さん」

 

 

その言葉を聞いた当麻は小さく笑う。

 

 

「確かにアニェーゼ=サンクティスは完全な善人って訳じゃねぇ。でも、アイツは自分の仲間達を逃がす為に自分が助かるチャンスをわざわざ棒に振った。そんなヤツの想いが誰かの都合で利用されたまま破壊される。廃人って言う、本当に救いようのない不幸で幕を下ろされてな」

 

 

自分達は、正義の味方でもないし、神様でもない。

 

だからこそ、立ち上がる理由は世界の為なんかじゃなくてもいい。

 

そう、たった1人の少女の為でもいい。

 

 

と、その時だった。

 

 

「なぁ、結局の所どうすんのよ」

 

 

今まで沈黙していた天草式十字凄教・教皇代理、建宮斎字が口を開いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「世界の危機だってのは良く分かったのよな」

 

 

いつの間に、その背後には、彼だけでなく天草式の少年少女達もいた

 

 

「でもよ、お前ら、どうやって彼女を救うつもりなのよ。言っておくが、イギリス清教にはもう応援を呼んである。ただ、ロンドンからここまでは距離がある。しかもあれは、そこらの魔術結社の施設じゃない。れっきとしたローマ正教正規のヤツよ。下手にイギリス清教が全力を挙げて潰しにかかれば、それが世界に亀裂を入れる問題に発展しかねんのよ。ここはただでさえローマ正教のお膝元―――他宗派の大規模部隊を召集・展開するだけで難癖つけられる」

 

 

いつ、<アドリア海の女王>が発動するかも分からないのに、ここで<必要悪の教会>からの援軍を待つ事などできない。

 

そう、今動けるのはここにいる人間だけ、当麻達を助けた事ですら相当の綱渡りだった。

 

そして、不利な条件はそれだけではない。

 

建宮はテーブルの上の皿をどかして、塩の入った木の器やソースの入った器などを用いて現状の説明をする。

 

今、<女王艦隊>はここから北に20km。

 

艦隊は確実にサーチ術式を使っており、距離にして大体5kmほどで射程距離に入る。

 

それに対して、こちらの船は木でできており、<バルバラの神砲>を1発でも受けたら終わり。

 

加えて、艦隊は100近くあり、一斉に砲弾を撃ってきたら文字通り雨、避けようがない。

 

 

「―――さて問題、どうやって避けながら突っ込むのよな?」

 

 

建宮が投げ掛けたのは、『かもしれない』世界の脅威よりも、より現実的な問題だった。

 

 

「あの、先程のように海の中に潜ってこっそり進むというのはどうでございましょうか?」

 

 

オルソラがおずおずと告げたが、

 

 

「……そ、その、私達が脱獄した時も、海底コースターを作って逃げたんです。でも、だからこそ」

 

 

アンジェレネの言葉に、ルチアが止めを刺す。

 

 

「3度目を見逃すほど、<女王艦隊>の指揮官は間抜けではないでしょう。艦隊の指揮者、ビオージオ=ブゾーニ。 階級は司教ですが、狡猾さにおいては枢機卿を超えると呼ばれる男です。そろそろ、対潜水艦用に制海装備を整え直していると思います」

 

 

ビショップ・ビアージオは単体での戦闘力よりも、複数を動かす事に特化した司教。

 

さらに、完璧なラインを築けるという事は、単に護衛だけに守られているだけの人間ではなく、その肌で敵の動きを覚えてきた実力者。

 

その男が、ローマ正教13騎士団の麒麟児『トリスタン』を従えているのだ。

 

穴などない――――が、

 

 

 

「それでも、私は行きます」

 

 

 

ぴく、と建宮は片眉を動かす。

 

 

 

「ですが、勘違いしないでください。私は『神裂火織』ではありません」

 

 

 

なっ! 建宮だけでなく、天草式全体が言葉を失う。

 

詩歌は気付いていた。

 

彼らが自分の背後に何を見ていたのかを。

 

その幻想を殺すように詩歌は言葉を続ける。

 

 

「私は……自分だけの力で戦ったことなんてほとんどありません」

 

 

建宮達は、何も言わなかった。

 

怒鳴る事も、茶化す事も、かと言って慰めもせずに、沈黙によって次の言葉を促した。

 

 

「いつだって、誰かに助けられてきました」

 

 

幻想御手事件、三沢塾事件、絶対進化事件、御使堕し事件、最終信号事件、法の書事件……など、この中に彼女がたった1人で解決できたものはない。

 

だが、

 

 

「でも、私はそれを弱いとは思わない。誰かに助けを求めることを恥だとは思わない。自分の力だけでは足りないようなら誰の手だって借りる。だって、私は、私1人でできる程度の結果では満足できない欲張りなんです。私は、いつだって私1人が生み出す以上の、想像ができないような最高のハッピーエンドを望んでいます」

 

 

だからこそ、ここまでこれた。

 

建宮斎字は、思い出す。

 

<法の書>の際、彼女はたった1人でも事を収められるだけの力を持っていたのにも拘らず、自分達に助けを求めた。

 

全ては、皆が笑顔で終われるようにと。

 

たとえ傷ついたとしても、皆が、そして、自分が満足して終われるようにと。

 

彼女は、誰よりも強い微笑みを見せつけながら、言った。

 

 

 

「皆さん、手を貸してください。私があなた達を守り、道を切り開きます。だから、私に最高のハッピーエンドを見せてください」

 

 

 

その言葉に、一番最初に反応したのは、やはり、この男。

 

 

「ったく、ここで1人でやるなんつったらキレた所だ。ああ、見せてやるよ。たとえ、どんな障害があろうとこの右手でぶち壊して、強欲な妹が満足できるモンを見せてやる」

 

 

最も彼女を支え、また、支えられた愚兄。

 

 

「わ、私もシスター・アニェーゼを助けに行きます!」

 

 

アンジェレネも小さく笑って続ける。

 

 

「私は、今まで、シスター・アニェーゼに助けてもらってきました。人生で一度とか二度とか、そんな大きな事件があったわけじゃなくて、いつもいつも助けてもらっていたから。 だからこそ、何も返せないままシスター・アニェーゼとお別れなんて絶対に嫌です。返すとしたら、今しかないんです」

 

 

ルチアは瞑目しながら静かに告げる。

 

 

「シスター・アンジェレネと意見は一緒です。私も彼女を見捨てる事なんて私にはできません。何故、私が彼女の下についていたと思っているのですか。シスター・アニェーゼは、礼拝で私に寒気を感じさせた程の信仰心を持つ、唯一の修道女です。教会が持つべき宝とは、金品でも財宝でもなく、彼女のような者を指すのです。私は、私が認めた者が、このような末路を迎えるなど、良しとは思いたくはありません。……何があっても」

 

 

それが、ルチアとアンジュレネがそれまで信じてきたローマ正教からの命に背いてまでも、ただ1人の少女を救う為に行動した理由だ。

 

 

「とうまとしいかが行くなら私も行くよ。2人とも目を離したら、凄く危険な事に巻き込まれそうだからね」

 

 

「あなた方が行くなら、私も行くでございます。何かを壊せば、それで皆が幸せになるなどと認めたくはございません。何より、私もアニェーゼさんを助けたいのでございますよ」

 

 

インデックスとオルソラも立ち上がる。

 

彼女達は、上条兄妹のそういった側面を見てきた。

 

実際に、その目で、その背中を見てきたのだから。

 

それだけでもう十分なのだ。

 

 

「なぁ、建宮。アンタらはどうすんだ」

 

 

天草式の代表である教皇代理の建宮斎字の目を当麻は見る。

 

その当麻の横には詩歌が、インデックスが、オルソラが、ルチアが、アンジェレネが肩を並べている。

 

彼らの目にはどう映っていたのだろうか。

 

 

あの女教皇と同様に1人で何でもできると思っていた彼女が、助けを求める。

 

天草式十字凄教の胸の奥に炎が灯る。

 

 

「ったく、力を貸してくれって頼まれてんのに我らが行かない、何て言えないのよな」

 

 

建宮の言葉に他の天草式のメンバーも頷く。

 

 

「おい、全員、必ず生きてここへ戻って来るぞ。ここで死にたくないとか、ここで死んでも主義を貫くとか、そういう風に考えてるヤツは素直に降りろ。一切の妥協は無しだ。我らが戦場に向かうからには全員で帰る。絶対に、この姫様にあんな思いをさせんじゃねーぞ。分かったか?」

 

 

異論は1つもない。

 

その沈黙の肯定こそが、皆の共通の意思だった。

 

自分達の理想は、あの方と肩を並べる事。

 

あの悲劇をもう二度と起こさない事。

 

そして、自分達の掲げるのはただ1つ。

 

今はいない女教皇様の教えだ。

 

それを確かめるように、建宮は、まるで馬鹿な教え子に質問をする教師のように、静かに尋ねる。

 

 

「我らが女教皇様から得た教えは?」

 

 

天草式十字凄教は意を揃えて大声で答えた。

 

 

 

「救われぬ者に救いの手を!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

天草式と当麻達を乗せた上下艦が<女王艦隊に向けてゆっくりと北上していく。

 

水面に浮かぶ上下艦の甲板で、天草式とインデックスとオルソラ、ルチアとアンジェレネ達は慌ただしく其々の武器の調整をしている。

 

そして、

 

 

「では、先に行ってます」

 

 

眼鏡を付け、首にヘッドホンを掛け、腰にウエストポーチを巻き、暖色のローブを着た万全の状態で、詩歌は上下艦の船首にいる。

 

その妹の出立を当麻は見守る。

 

 

「……なあ、もう2度とあんな真似はしないで―――「無理です」」

 

 

当麻が言い終わる前に、ピシャリと遮る。

 

でも、言わなくても分かった。

 

詩歌はどこか悲しげに瞳を潤ませ、

 

 

「私は、お兄ちゃんを見捨てる事は出来ない。これは、理屈なんかじゃない。……わかるでしょう?」

 

 

わかる。

 

何よりその(トラウマ)を付けたのは自分なのだから。

 

自分は一度『死んで』いる。

 

約束を破って彼女の目の前で『死んだ』。

 

憶えていないけれど、辛い目に合わせたのは間違いない。

 

あんな馬鹿な事をしてしまったせいで、妹は……

 

 

「だから、あまり心配させないでよね、お兄ちゃん」

 

 

「ああ……詩歌もな」

 

 

「うん。でも、ちょっとだけ勇気を貰うね」

 

 

それしか言えない当麻に、倒れ込むように詩歌は抱き付く。

 

柔らかい感触と、ほんのりと甘い香り。

 

やはり、落ち着く。

 

そして、失いたくない。

 

勇気をあげるつもりが、何だか逆に貰っているような気がする。

 

と、当麻に抱き付いたまま詩歌は顔を上げ、こっそり誰にも聞こえないように、

 

 

「(それにしても、私の初めてが寝ている間だとは思いませんでした)」

 

 

ぶっ、と思わず吹き出してしまう。

 

 

「な、な、なン、なぁぁ―――!?」

 

 

『起きてたのかよ』とか『あれは人工呼吸だ』とか当麻が何か言おうとするのだが呂律は回らず、その間に詩歌は酔ったように頬を染めながら離れ、ほつれた髪をかきあげてヘッドホン――<調色板>を付け、―――宙を浮いていた。

 

そして、

 

 

「じゃ、行ってきます」

 

 

上条詩歌は皆よりも一足先に出陣した。

 

 

 

つづく


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