とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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水の都編 お引っ越し

水の都編 お引っ越し

 

 

 

キオッジア

 

 

 

大通りから入る小道。

 

運河がすぐそばにある石畳の道路の向こうにこの街の歴史を感じさせる古風な5階建ての煉瓦造りのアパート。

 

 

―――スタイルには少し自信がある。

 

―――対馬さんほどスリムな体型ではないけれど、同年代の女の子と比べて成長している方だと思う。

 

 

二重瞼のくっきりとしたショートカットの少女が、その近くで待っていた。

 

 

―――最初は、あの子がジェラート専門店のウィンドウに張り付いているのを見て、もしや、とちょっと期待してみたら、『彼ら』が学園都市からこの街に旅行に来ている。

 

 

キョロキョロと周囲を確認してから、そっと自分の胸を下から掬い上げるように持ちあげ、その重さを実感する。

 

 

―――『五和は隠れ巨乳だったのよな!?』と教皇代理に肩もみマッサージの時、騒がれた事があったけど。

 

―――これは、武器になるのかもしれない。

 

―――でも、『彼女』を前にすると、どんなに意識すまいと考えても、自身が揺らいでしまう。

 

 

脳裏に『彼』に寄り添う『彼女』の姿が浮かぶ。

 

 

―――『彼女』に会うまで、あそこまで心が奪われるような美しい微笑みは見た事がなかった。

 

―――腕も脚も、理想的なバランスで、すんなりと長くて細い。

 

―――ウェストは折れそうに細く締まっているのに、胸と腰回りは既に自分以上に女らしい曲線を描いている。

 

―――左右対称と言ってもいいほど身体に偏りはなく、体軸も全くぶれず、姿勢はいつも真っ直ぐで、その瞳はいつも遠くを見ている。

 

 

『彼女』の姿が自分の中の至高の存在である女教皇と重なる。

 

それは、自分の中で格が違うと認めてしまう事だった。

 

 

―――その所為か、あの時、『彼女』が自分達と同じ人間と思えなかった。

 

―――女の自分でも見惚れてしまう。

 

―――もしかすると、その名の通り、『神上』と呼べる存在なのかもしれない。

 

―――だから、思う。

 

―――『彼女』を妹に持つ男の子は、他の女の子が色褪せて見えるのではないのか、と。

 

―――でも、『彼女』が『彼』の妹であって良かった、とさえも思った。

 

 

(はっ! 一体何を私は……)

 

 

と、そこで慌ててその弱気な考えを振り払うように頭を振る。

 

 

―――ずっと想い続けた。

 

―――女教皇や『彼女』のような憧れではなく。

 

―――あの時、天草式十字凄教の理想的な姿を見せてくれたあの背中を見て以来、ずっと……『彼』を1人の男として慕い続けてきた。

 

―――本当に、血の繋がりがあるのかと疑ってしまうくらい、平凡で、どこにでもいるような男の子。

 

―――けれども、その中身は、誰よりも勇敢で真っ直ぐ、不思議と引き付けられてしまう魅力を持っていて、……惹かれてしまう。

 

―――たぶん、『彼』に惹かれている女の子は自分以外にもいるだろうし、『彼女』がいる。

 

―――でも、負けたくない。

 

―――だって、これが自分の初めての…………

 

 

 

 

 

 

 

人混みの中に呑み込まれようと、その存在に気付かないと言う事は決してなかった。

 

 

「か、上条さん! こっちです!」

 

 

通りの向こうで、颯爽と陽光を浴びて輝く黒髪を靡かせながら、スーツケースを引き摺る少女が立ち止まり、少し驚いたようにこちらと視線を交わす。

 

そして、人混みからにっこりと微笑みながらこちらに駆け寄ってくる。

 

 

「お久しぶりです! えっ、と……天草式の方ですよね?」

 

 

「はい! 五和と申します」

 

 

「ふふふ、そんな固くならないでくださいよ。私は、上条詩歌です」

 

 

可愛らしく小首を傾げて、唇には淑女の微笑み、しかし、少しだけ、気のせいかもしれないほど一瞬だけ、五和の顔を真剣な深く見透かすような瞳で覗き、――――そして、ふっと和らげ、

 

 

「是非、詩歌と呼んでください。名字では当麻さんと区別がつきにくいので」

 

 

フレンドリーに、挨拶をすると、すっと手を差し伸べる。

 

五和は、少し、親しげな態度に戸惑いを覚えたものの、すぐに詩歌と握手を交わし、

 

 

 

「よろしくね。詩歌、ちゃん……」

 

 

 

最初が肝心、お姉さんらしさをアピールしようと、思い切って『ちゃん』づけで呼んでみたのだが……

 

 

「……、」

 

 

驚いたように両目を大きく開けてフリーズ。

 

これは……もしかすると……判断ミス……自爆しちゃた……?

 

 

「あははは! 失礼しましたあああぁぁっ!!」

 

 

何故かおしぼりを渡して、五和はそのままオルソラのアパートへと走り去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、と……どうしたんでしょうか?」

 

 

真面目だなぁ、と思った彼女がいきなり『ちゃん』付けで呼ぶなんて砕けた態度が意外で、不意打ちのように呼ばれたので、1本取られたように驚いたのだ。

 

決して、五和は不興をかったのではない。

 

むしろ、新鮮味を感じて、『ああ、意外に親しみやすい人なんだなぁ』と好感を覚えたのだが、もうすでにこの場にいない五和が知る由もない。

 

そして、その後、『何で出迎えに行ったのに荷物を運んであげなかったのーッ!!』と激しく五和は後悔する事になり、以降、詩歌に対する呼び名は『さん』付けになってしまうのだった。

 

 

「う~ん……」

 

 

何故、逃げてしまったのだろうか、と。

 

もしかしたら、あの時の事で怖がらせてしまったのかな、と。

 

詩歌はその場で佇みながら首を捻ったが、

 

 

「でも、良い人でしたね。うん、親切にもおしぼりを渡してくれましたし、仲良くなれそうな気がします」

 

 

と深く考えず、渡されたおしぼりで手を拭きながら、アパートへと歩を進めた。

 

 

 

 

 

オルソラの部屋

 

 

 

元ローマ正教で、法の書事件をきっかけにイギリス清教に鞍替えしたオルソラ=アクィナスのお部屋のあるアパートに、到着。

 

 

「し、失礼しましたーッ!!」

 

 

階段を昇っている途中で、慌てて戻ってきた五和と合流。

 

荷物持ちなんて……、と断ろうとしたのだが、やや強引にスーツケースを持ってかれ、そのまま4階の古めかしい木のドアの前へ。

 

すると、カギを差し込む前にドアが勝手に開いた。

 

開けたのは東洋系の、五和と同じ天草式の少年。

 

彼と目を合ったので、軽く会釈して笑みを向けたら、先程の五和と同様に部屋の奥へと走り去ってしまった。

 

 

(あれ? 詩歌さんって、すごく怖がられてる?)

 

 

カミやん病保有者スキル――『天然ボケ(どんかん)』。

 

ずーん、と何だか見当違いの方向に落ち込んでいると、

 

 

「あっ! しいかだしいかしいかーっ!」

 

 

部屋の奥から聞き慣れた声と共に少女が飛んできた。

 

その正体はインデックス。

 

業務用サイズの容器に入ったアイスクリームを抱えながら、無邪気に駆け寄ってくる。

 

 

「しいか、こっちのジェラートってとっても美味しいんだよっ!!」

 

 

溶けかかったアイスを豪快に業務用スプーンで掬うと、そのまま小さなお口を大きく開けて頬張ると、ぴかーっとご満悦の笑みを浮かべる。

 

詩歌はそれを微笑ましく目を細めながら、アイスクリームで汚れた口元をハンカチで拭いながら、一緒にリビングへ向かう。

 

オルソラの借りている部屋は、当麻や詩歌のようにワンルームではなく、家族も住めるような複数の部屋がまとまっていて、学生寮の部屋と比べると広い。

 

 

「ふふふ、それは良かったですね、インデックスさん。それで、当麻さんとオルソラさんは?」

 

 

「オルソラ様は多分、向こうの台所で作業してると思います」

 

 

「とうまは向こうで天草式の人達とお引越しの手伝いをしてるよ。あ、ちゃんと私もこうやって冷蔵庫の中身を片付けるお手伝いをしてるんだよ」

 

 

インデックスは業務用のスプーンでアイスを掘り返しながら、廊下の方へ視線を向ける。

 

そこには先程の天草式の少年も含めた東洋系の3人の少年少女が梱包作業しながら、こちらをチラチラと様子を窺っており、そこから一歩離れた所で、当麻もせっせと一生懸命梱包作業をしていた。

 

キオッジアでオルソラと思わぬ再開を果たし、その後、昼食を御馳走してもらう代わりにオルソラのお引越しのお手伝いをする事になった、と当麻から連絡があったのだ|(迷子になった事は兄の尊厳的な問題で伏せられております)。

 

 

「ん? お―――詩歌、随分早かったな」

 

 

「挨拶だけですぐに終わりましたし、皆を待たせる訳にはいきませんから」

 

 

当麻は作業を中断すると詩歌のいるリビングへ。

 

そこで、引っ越し作業で汚れた手元を気にすると、詩歌の隣にいた五和がおずおずと、

 

 

「使います?」

 

 

と、白いおしぼりを差し出してきた。

 

 

「どーも。あ、それとわざわざ妹の出迎えありがとな」

 

 

「い、いえ、そんな」

 

 

当麻が頭を下げて礼をすると、五和は、先程の失態を反省したのか、なるべく落ち着いて見えるように、そそくさと入れ替わるように部屋の外へ出ていく。

 

親切だなぁ、と上条兄妹は思った。

 

ただ、出て行った向こうで、

 

 

 

『五和、お出迎え作戦アンドおしぼり作戦の感触はどうでしたか!』

 

『馬鹿、結果を求めるのはまだ早い。ここは焦らずじっくりとだな』

 

『これは少々遠回り過ぎませんか』

 

『そ、それと、彼女の好みのタイプとかは聞いてくれたか?』

 

『あ、忘れてました! すみません!』

 

 

 

何かひそひそと話し合いをしているのが気になるが……

 

 

 

閑話休題

 

 

 

天草式十字凄教。

 

『時代時代に合わせて溶け込んでいく事』に特化した魔術組織で、その隠密性は<禁書目録>クラスでなければ見抜けないと言うほど。

 

オルソラ=アクィナスと同様、法の書事件を経て、イギリス清教に入信し、今日は、オルソラのキオッジアから<必要悪の教会>女子寮までのお引越しの手伝いに来た筈なのだが……

 

 

 

『しかし……彼らが教皇代理が一目を置いている御仁方……。しかし、実力はいかほどのものか……』

 

『そこに疑問を抱くのは、あなたがオルソラ様救出作戦に参加してなかったから……』

 

『そうです。あの時の妹御の神々しい姿は、女教皇様を彷彿とさせられました。ああ、今でも鮮明に思い浮かべそうです』

 

『それからこれは近頃になって教皇代理が得た情報だが、御仁の方は、学園都市で、<七天七刀>を手にした女教皇様を言葉で説き伏せたとか』

 

『その他にも、夏の終わりに、妹御は女教皇様と裸の付き合いをして義姉妹の契りを結ばれたらしいですが、となるとあの御仁は将来、我らの教皇様に……』

 

『なに! 五和、これはうかうかしてられませんよ!』

 

『まさか、女教皇様が……だったら、わ、私も今日中に……頑張ります!』

 

 

 

仲間を呼んだのか4人だけでなく、しかも老若男女を問わずに天草式の方達が廊下に集まって、こそこそ話から秘密会議にまで発展している。

 

こちらに音を漏らさぬよう細心の注意を払っているようだが、時々、チラチラと当麻と詩歌を窺うのだけは止められないようで、非常に気になる。

 

しかし、色々と誇張されているようだが、一応、好意的なのでスルーしていると、

 

 

「まーまーよく来て下さいました」

 

 

真っ黒な修道服に身を包み、豊満な体つきのラインを際立たせているお色気シスターさん。

 

ここの家主であるオルソラ=アクィナスが銀食器をたくさん載せたトレイを両手で持って台所から出てきた。

 

詩歌がこちらに来る時間を逆算して調理を始めたらしく、ちょうどいいタイミングである。

 

メインはアサリをふんだんに使ったパスタで、それに、蟹の入った冷たいスープに、ポレンタ――乾燥して挽き割りにしたトウモロコシを煮込み、とろみを出したもの、とそれに付けるイカスミのソース。

 

そして、天草式の方達は現在、鍛錬中で決まった食料を決まった食事作法で採らなければならないので昼食は必要ないらしい。

 

なので、食卓を囲むのは、当麻、詩歌、インデックス、オルソラである。

 

 

「お久しぶりです、オルソラさん。何だか、2人がお世話になっているようで」

 

 

「いえいえ、こちらもお世話になってるのでございますよ」

 

 

本来なら色々と訊いておきたい事があったのだが、インデックスがそろそろ限界そうなので、オルソラと挨拶を交わすと、皆で揃って『いただきます』と声を出した。

 

 

「うまっ!? 何これ、パスタってこんなに上手くなるモンなのか!?」

 

 

「とても美味しいです。丁寧に素材の味を生かし、奇をてらわずに真っ直ぐに……それでいて、お金をあまり掛けていないあたり、私と方向性が似通っています」

 

 

「うん、確かにしいかの作る料理に近いものがあるかも。とうまが時々、作っているご飯の500倍ぐらい美味しいかも!」

 

 

「いつも手伝いのしねぇテメェには言われる筋合いはねぇけど、でも本当に詩歌に近いかもな、レストランじゃ食えないお袋の味ってヤツか? ま、美味いからどうでもいいか!」

 

 

微妙に悪意を投げ合っているヤツが、その中で詩歌は献立の数々を一度眺め、1つ1つうんうんと頷きながら味わい、

 

 

「この料理って、有り合わせの物ですよね」

 

 

「ええ、有り合わせの物で手早く作っただけでございますよ」

 

 

「そうですか……これは、常盤台の食堂では学べない味です。色々とお話を聞かせてもらってもいいですか?」

 

 

「はい。聞くところによるとあなた様も料理が大変お上手のようですし、私もお話してみたいのでございますよ」

 

 

真剣に味を盗み取ろうとしている詩歌に、オルソラは苦笑しつつも頷く。

 

すでに熟練した主婦レベルに完成された詩歌だが、それに満足することなく、貪欲な向上心が弱まると言うのはない。

 

 

「おいおい……旅行から帰ったら我が家の食卓がレベルアップしてそうだぞ」

 

 

「……当麻、私、早く学園都市に戻りたいかも」

 

 

こうして、料理会談に入った2人を見て、当麻とインデックスはツアーの目玉であった水の都の世界遺産など忘れているかのように目的が変わってしまっている。

 

料理に話を咲かせている2人も、流石に一端中断して、フォローに回らなきゃいけない状況だ。

 

 

「2人とも、一応、この旅行のツアーの目的はヴェネツィアです。あそこの風景は、見なければ、人生を損していると言っても良いくらいの価値がありますよ」

 

 

「見るならヴェネツィア、住むならキオッジアでございますけれど、あの風景は妹様の言う通り、苦労してでも見る価値があります。何しろあそこは『水の都』、『アドリア海の女王』、『アドリア海の花嫁』……と、まぁ、様々な言葉で絶賛されるくらい綺麗な街でございますから」

 

 

『水の都』、『アドリア海の女王』、『アドリア海の花嫁』と呼ばれるようにヴェネツィアは海と関わりに深い街で、その昔はアドリア海を支配していた海洋軍事国家だった。

 

その軍事力は強大で、塩や外来品で莫大な富も得ており、当時は、ローマ正教でさえも支配できず、全盛期にはパドヴァ、メストレ、ヴィツェンチアなどの他国も制圧していた。

その歴史の流れをゴンドラで運河を流れと共に巡る。

 

 

「…………というわけで、明日、ヴェネツィアに行ってみませんか? 私もチラッと覗いた程度で、今度は皆とじっくりと観光してみたいです」

 

 

「へー、なんか面白そうだな。そんじゃ、今日は荷物整理を手伝って、明日1日、ヴェネツィアの方を観光してみるか」

 

 

「うーん……私は早く学園都市に帰って、詩歌の勉強の成果を食べてみたいかも」

 

 

「お前、旅行1日目でもうホームシックになってんのかよ!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

と言う訳で、今日はオルソラ=アクィナスのお引っ越しである。

 

荷物整理だけで良いと言われたが、ここで会ったのも何かの縁、それに逸れて迷子になった2人の面倒を見てもらったと言う事から|(結局、その後口止めしておいたもののバレた)、本格的に手伝う事になった。

 

オルソラが最終的な取捨選択を行う現場監督で、力仕事が必要な棚やベットなどは当麻が、割れ物など丁寧な作業が必要なのは詩歌が、細々とした分類が必要そうな小物類はインデックスとなった。

 

各自、オルソラの判断を仰ぎながら、

 

 

「うおおおぉぉぉっ!!」

 

 

膂力だけなら詩歌に負けない当麻は重たい机や椅子を軽々と持ち上げ、4階から下に停めてある幌の付いたトラックの荷台にドンドン乗せていき、ベットや食器棚など自分の体よりも大きめの物は天草式の方|(ほとんどが五和だった)と協力して運んでいく。

 

幼い頃から妹を守る為にと鍛錬を重ねた成果か、同年代の天草式の誰よりも多くの物を運び、止まることなく動き続けた|(妹に迷子だった事がバレて、終始やけっぱちだったが)。

 

ただ、その際、『これほどのまでに鍛錬を積んでいるとは、流石、女教皇様を娶る御仁だ』とか、『五和! そこだ! そこで転ぶんで相手の胸に飛び込むんだ!』など何を言っているか理解できなかったがとにかく外野がうるさかった。

 

 

「ふんふんふふ~ん♪」

 

 

エリートメイドの称号を持つ詩歌は、大きい物から小さい物まで、丸い物から細長い物まで、10秒に1個と言う驚異的なスピードで紐と新聞紙で梱包……ではない。

 

指先が器用で繊細な仕事が得意で、実は凝り性な詩歌は結び目をリボンにしてみたりと店のラッピングと遜色がほど綺麗の包装していく。

 

ただ、部屋の前に垣根ができた。

 

露骨にとまではいかないが、詩歌から少し離れた所でゆっくりに、そして、さりげなく休憩するフリを装いながらどうしてもその早業と絶える事のない微笑みに目が離せないという有様である。

 

自分に注がれる視線に慣れている詩歌は当然、盗み見る視線に気づいてはいるが、好意的なものであるため時々手を振って応じたりした――――が、時々、愚兄がやって来て、拳をボキボキと威圧する事も……

 

 

「うん、これはそこ。それはこっちなんだよ」

 

 

完全記憶能力を持つインデックスは、普通ならどこにあったか忘れてしまいそうになるほどごちゃごちゃしそうな小物をどれひとつ間違える事なく整理していった。

 

まさに必殺仕分け人。

 

 

「うん。やっぱり、このサイズで安売りのお得用だなんて……。んまーっ!!」

 

 

ただ、冷蔵庫の掃除も手伝う事もしばしば。

 

そんなこんなで数時間作業を続けた結果、ほとんどの荷物をトラックに乗せ、後は隅々の掃除をすれば終わりとなった頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

「うあー。とうま、何だか修道服のあちこちが汚れてきたかも」

 

 

埃と格闘していたインデックスがそんな事を言った。

 

それを聞いた当麻は呆れたように、

 

 

「あのな。引っ越しの作業をしてんだから少しぐらいは汚れるのは当然だろうが。なあ、詩歌」

 

 

当麻から同意を求める声。

 

しかし、詩歌はかぶりを振って、

 

 

「確かに、当麻さんの言う事も一理はあるんですけど……ちょっと……」

 

 

と、当麻からすす、と距離を取る。

 

あれ? 当麻さん、変な事言ったか? と内心で若干ショックを受けていると、オルソラが何か気付いたようにポン、と手を打ち、

 

 

「あなた達は飛行機に何時間も乗ってこちらに来たのでございましょう? まだホテルに行っていないのなら気になるのも当然でございますよ。引っ越しももう一段落つきましたし、何ならシャワーはいかがでしょうか」

 

 

そうか、と当麻は納得する。

 

昼食後、ずっと働き続けた事だし、汗を掻いているだろう。

 

男よりも女の方が体臭を気にするって言うし、汗を流したいんだろうなぁ。

 

そんな事をぼーっと考えていると、ふと廊下から『行け! 五和!』、『女は度胸!』と騒がしい―――とその時、

 

 

どんっ! と1人の女の子が部屋の中に転がり込んできた。

 

 

見覚えがあると言うか、今日、一番当麻の事を手伝ってくれた天草式の女の子だ。

 

確か……

 

 

「五和だっけ? どうしたんだ?」

 

 

「あ、あの私もご一緒してもよろしいでしょうか……」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

オルソラ=アクィナスの部屋には何と浴室が2つある。

 

何でも聖バルテラは浴室を改造して洗礼場を築いた伝承に基づいて、1つは生活用、もう1つは宗教用に用意したそうだ。

 

ただ、今は引っ越しのため洗礼場としての機能を解除してある為、両方とも普通のお風呂としてご利用できる。

 

と言う訳で、

 

 

『うわぁ……大きいです』

 

 

『? どうしたんです、五和さん』

 

 

詩歌と五和、

 

 

『う~ん。気持ちいいんだよ……』

 

 

『ふんふんふふ~ん♪』

 

 

インデックスとオルソラ、と2組に分かれて只今シャワータイムである。

 

 

「……、」

 

 

で、その部屋の前の廊下で、当麻が行ったり来たりとうろついていた。

 

実は、ここのシャワールーム、鍵がついていない。

 

不用心だと思うが、1人暮らしだったんだし、鍵を付ける必要性をあまり感じなかったのだろう。

 

そんな訳で、当麻が見張りを頼まれた……わけではない。

 

 

『当麻さんは良くハプニングを起こす癖がありますので、しばらく、ここには近づかないでください』

 

 

と、むしろ逆に危険人物扱いされている。

 

しかし、だ。

 

引っ越し中の天草式の男共の反応。

 

正直、お前ら仕事してんのか? というくらい妹に夢中だった野郎もチラホラいた。

 

まあ、常識的に考えて、一般的な常識と考えて、普通は女の子のシャワータイムを覗こうとするヤツはいないだろう。

 

だが、万が一、億が一の可能性で、そんな大馬鹿野郎がいるかもしれない。

 

そう。

 

天草式は隠密性に特化した集団だ。

 

彼女達に気付かれないように覗こうとする不逞の輩もいるのかもしれない。

 

それで、もし一瞬でも彼女達の、妹の裸体を彼らが拝んでしまったのなら…………

 

 

(―――ぶ・ち・こ・ろ・す!!!)

 

 

と言う訳で、どうしようもなく心配性な愚兄は自主的に見張りをしている訳である。

 

ただ、詩歌に釘を刺された手前、要らぬ誤解は避けようと彼女達が出たらすぐにこの場を離れられるように耳に集中して中の様子を窺っている。

 

 

『ふふふ、五和さん♪ 洗いっこしましょう!』

 

 

『わわわ!? ちょっと待ってください!? あふぅ……』

 

 

時々、悩ましい声が聞こえなくもないが、あくまで彼女達の心の平穏を守るために当麻はここにいるのだ。

 

と、その時―――

 

 

―――がさっ。

 

 

廊下の向こうで音が。

 

今、ここら一帯は立ち入り禁止となっている|(特に当麻が)。

 

だとするなら、やはり、狼がいたのか……|(今の当麻に自分が狼だという自覚もなく、残念な事に廊下に鏡はありません)。

 

 

(よし。今すぐここで何をしようとしていたか、とっちめてやる! ……っと、落ち着け……もしかしたら、アレは囮かもしれねぇ。だとするなら、ここを離れるのはまずい)

 

 

本人は冷静でいるようだが、間違いなくパニックに陥っている模様。

 

さらに、そこへ。

 

 

―――ゴソゴソ。

 

 

天井で物音が。

 

ま さ か!!

 

ヤツら上から覗こうと言うのか!!

 

きっと、ここに自分がいる事を知って、思い切って天井裏に!!

 

なんて大胆なヤツらだ。

 

 

当麻はどこか天井を突ける長い棒を探そうと辺りを探った―――その時、

 

 

 

『キャアアアアァァアァッッ!!!』

 

 

 

悲鳴。

 

誰のものかは分からないが確かに部屋の中から聞こえた。

 

 

「くそっ!! 舐めやがって覗き魔野郎!!」

 

 

当麻はドアを勢いよく開け放った………ら、目の前は湯気で覆われていた。

 

おそらく、両側の浴室から充満した湯気がこの真ん中の更衣室に流れてきたのだろう。

 

 

「あら?」

 

 

キョトンと声を上げたのはオルソラだ。

 

覗き魔が現れたとは思えないほど落ち着いており、ちょうど着替え中だったのか下着姿のままでその黒い修道服を抱えている。

 

 

「え、えええええっ!!?」

 

 

その隣にいたのは天草式の女の子、五和。

 

彼女もまた下着姿で、悲鳴を上げている。

 

のだが、何故か、自分の方を見て驚いているような気がする。

 

 

「と、とうま!?」

 

 

そして、そのまた隣には誰かに抱きついているインデックスの姿が。

 

バスタオルを身体に巻き付けて、ブルブルと怯えている。

 

たぶん、彼女が悲鳴を上げたのだろう。

 

 

「くっ、許さねぇ! 覗き魔はどこだ! 出てきやがれ!!」

 

 

その時、当麻の足元から黒い影が―――

 

 

 

 

 

―――チューチュー。

 

 

 

 

 

ね、ずみ?

 

ねずみだ。

 

ねずみが慌てて当麻の股下を潜り抜け、廊下へ逃げて行った。

 

そういえば、このアパート。

 

築20年だって、オルソラが言ってたな。

 

古い建物には小動物が隠れ潜むって聞いた事がある。

 

……これは、もしかして、さっきのは全部……

 

 

「ほ……何だ、ねずみだったのか。驚かすんじゃねぇよ、ったく。しっかし、この可能性にもっと早く気付けよ上条当麻! そしたらこんなトラブルには―――」

 

 

思わず泣きごとを言いながら、人の家の床にちょっと拳を叩きつける……が、

 

 

「……当麻、さん」

 

 

湯気が晴れる。

 

そこでようやく、インデックスが抱きしめているのが詩歌だと気付く。

 

ただ、肝心なところはインデックスの体が隠してはいるが、彼女は特に何も身つけておらず、とりあえずお湯に濡れた髪を束ねようと両手を後ろに回し、髪を束ねるリボンを口で小さく咥えた姿勢まま、当麻を見ていた。

 

感情の色を一切なくした瞳で……

 

そして、感情を押し殺した声で一言。

 

 

「早く出て行って下さい」

 

 

「はいいぃぃぃっ!!!」

 

 

慌てて、廊下に転がり込む。

 

一刻も早く、少しでも遠くに、ここから逃げたいところだが、おそろしいかわいい魔王から逃げる事は出来ない。

 

だから、今すべきことは少しでも減刑されるように謝罪の言葉を考えるべきだ。

 

それから、3分もしない内に着替え終わり、とりあえず詩歌だけが廊下に出てきた。

 

よし。

 

まずは渾身の謝罪の言葉を―――

 

 

「土下座」

 

 

「すみませんでしたっ!!」

 

 

―――言いたかった所だが、出てきて開口一番のその一言で、顔面を床に擦りつけるように、いや、もういっそ埋め込むように当麻は土下座をする。

 

 

「で、『覗き魔はどこだ』、でしたか。ふむ、きっとインデックスさんの悲鳴を勘違いしちゃったようですね。たぶん、おわかりのようですが、着替え中に部屋の通気口からねずみが出てきたんですよ」

 

 

お……これは、何だか理解してくれてるような……

 

もしかしたら酌量の余地があるかも。

 

 

「それで皆さんにその事を話したら、インデックスさんが有罪で、オルソラさんと五和さんは無罪にしてもいいと……フフフ、でも」

 

 

ぞわり、と魂を震わせる凍えさせる絶対零度の声音。

 

その圧倒的恐怖に声が出なくなる。

 

 

「ねぇ、当麻さん。私、ここから離れていてください、とお願いしましたよねぇ」

 

 

当麻は悟った。

 

この後の展開を。

 

 

「不幸だ」

 

 

その後、当麻はバスタブの中で、犬神家状態で逆さまに突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

気がつけば、焼け野原にいた。

 

元は平穏でのどかな村だったが、一夜にして廃村と化した。

 

何か特別な理由がある訳でもなく、ただ不幸だったから、滅んでしまった。

 

 

……………………。

 

 

あの日は何でもないいつも通りの日常。

 

明日もきっと変わらずに幸せだろうと思って眠り。

 

けれども、何だか寝付けなくて、深夜の村を歩き、誰もいない暗い世界が自分だけのもののような気がして楽しかった。

 

皆は眠っていて、ただ鳥や虫が鳴いていて、誰も知らない秘密の世界には、自分だけしかいなかった。

 

が、

 

 

その世界は。

 

いきなり現れた暗闇に―――喰らい尽され壊されてしまった。

 

 

闇。

 

夜よりもなお深い闇。

 

天から降ったのか、地から湧いたか、いまいち覚えていない。

 

闇の中に人間のような、得体のしれない存在がいたのは覚えている。

 

化物だ。

 

その闇の化物はウジャウジャと大量に、蛇のように周囲の人家を這い回ると、次々と人々を呑み込んでいく。

 

そして、その建物は、村は、炎に包まれた。

 

炎に照らされ、ようやくその光景を見る事ができた。

 

その視界には、全てを闇に蝕む化物に喰われようとしている人間の姿が克明に映っていた。

 

叫び、危ないと思い、家族に助けてもらおうと自分の家に逃げ帰って―――

 

 

『え……父さん、母さん』

 

 

―――そこで、闇に喰われて死んでいく家族達を見た。

 

 

叫び、怯え、地面に這いつくばって、朝になるのを待った。

 

殺される。

 

自分も殺される。

 

そう思い、ただ蹲って震えていた。

 

何時間か、何十時間か、覚えてないので分からないが、ふと顔を上げると朝になっていて―――闇もどこかに消えていた。

 

滅んでしまった村を、独りぼっちでどれだけ彷徨った事だろう。

 

どれだけ呼んでも誰も答えず。

 

誰の死体すらもなく。

 

建物のほとんどは崩れ落ちていた。

 

この村で原形を留めているのは自分だけ。

 

温かい家族も、仲が良かった友人も、当たり前の人生も、全て失った深い深い絶望の果てで、自分が1人だけ生き残ってしまったのを知った。

 

泣こうと思った。

 

この悪夢のような不幸に泣こうと思った―――その時、だった。

 

 

『よし。どうやら上手く掃除をしておいてくれたようだな。お前ら拠点の確保を急げ』

 

 

突然、この村の出入り口から大勢の武装した人間がやってきた。

 

彼らは、傭兵だった。

 

もうすぐこの近くで始まる戦争の拠点にするのにこの村の住民は邪魔だった。

 

そして、彼らは唯一生き残った自分の姿を見つけると、そのギラついた銃口をこちらに向けた。

 

 

ああ、これで終わりか。

 

 

涙が零れる。

 

理不尽な暴力の裏には、理不尽な理由があった。

 

誰も助けてはくれない。

 

このどうしようもない状況が、絶対に逃げられない状況が、自分を殺す。

 

でも、これで会える。

 

お母さんに、お父さんに、皆に、また会える。

 

ただ、自分は銃口から死が吐き出されるのを待った。

 

そこに、忽然と、銃口を遮るように1人の大男が現れた。

 

その大きな背中は今も覚えている。

 

その大男はゆっくりと村を、唯一の生き残りである自分の姿を見る。

 

 

『間に合わなかった、か……』

 

 

巻き込んでしまってすまない、と悔いるようにその大男は呟いた。

 

でも、生き残っている人間がいて、心底、喜んでいるようにも見えた。

 

それが、あまりにも嬉しそうだったから、どこか救われた気がした。

 

 

『だが、もう大丈夫だ。脅える時間は終わった』

 

 

そして、ようやく傭兵達の姿を視界に捉える。

 

いきなり空から降ってきた大男に、しばし呆然と見つめていた傭兵達は、ようやく罵声と共に銃口を向けた。

 

そこからは、圧倒的だった。

 

傭兵達の暴力を、大男はそれ以上の暴力で叩き伏せる―――<傭兵の流儀(ハンドイズダーティ)>。

 

それは、まるで暴力の竜巻。

 

その凄惨な光景を目の当たりにして、傭兵達は脅えるが、その時の自分は違っていた。

 

涙が止まる。

 

死の衝動など消し飛ばすような感動。

 

自分もこれほど強ければ、もしかしたら、これからも生きられるかもしれない。

 

家族がいないこの世界でも、生きられるかもしれない。

 

ほんの数秒で場は静まり、自分はその大男に歩み寄り、言った。

 

 

『私を、あなたの弟子にして下さい』

 

 

 

 

 

 

 

あれから数年。

 

 

『私は、誰かに学んで強くなった訳じゃない。だから、誰にも教えられるようなものではないのである』

 

 

あの悪夢によって身寄りを失くした私は、あの方にお願いして、教会に預けられるのではなく養子として無理矢理引き取ってもらい、各地を転々と旅をしながらあの方から様々な事を教わった。

 

ただ戦闘の事だけは教えてくれなかった。

 

精々、武器の扱い方や護身術程度の魔術。

 

でも、それは仕方のない事だ。

 

私はあの方のようにはなれない。

 

それは女だからではない。

 

ただ、人としての根本が違うのだ。

 

誰にも真似できない規格外の力。

 

だから、私はそれ以外の部分で補う事にした。

 

力がないから技を鍛え。

 

全長5mを超す、鋼の棍棒(メイス)など破壊力のある武器は扱えないから、私でも難なく扱える武器を複数用意し、高速換装の術式で状況に応じて武器を使い分ける事で破壊力を補う。

 

そして、私はローマ正教13騎士団の一員となった。

 

現在、その騎士としての使命を果たす為に、キオッジアにやってきた。

 

あまり気ののらない仕事だ。

 

しかし、戦場では少しの油断が命取りとなる。

 

だから、心に蓋をするように仮面をつける。

 

そうすることで、ナタリア=オルウェルはローマ正教13騎士団『トリスタン』となるのだ。

 

 

 

つづく


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