とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

172 / 322
大覇星祭編 実験動物

大覇星祭編 実験動物

 

 

 

???

 

 

 

もう、何年も前の話―――

 

 

 

心理掌握(メンタルアウト)>。

 

その力は、簡単にいえば、人の脳を弄くる。

 

例えば、リンゴが苦手な研究員に、単に五感への情報改竄を『リンゴ→メロン』とその人の好物をその記憶の中から抽出して誤情報に置き換えれば、まんまと騙される。

 

その改竄力は、メンタルガードと呼ばれる対暗示のヘルメットがなければ防げぬほど強力で、根性だとか気合いだとかの精神論とは別次元、人がどんなに抵抗しようとしても脳そのものを支配するために抗えない。

 

どんなに強力な力があっても、それを扱うのは人であり、その人を操る<心理掌握>。

 

将棋やチェスで、ただ女王が前に出ただけで盤上の駒は相手の王も含めて全て味方になる、ゲームの根本を覆す反則染みた力だ。

 

よって、実験を行う際は、必ず開発官(デベロッパー)と研究員はメンタルガードの着用する。

 

そして、その性格は自由奔放、今の女王様気質の片鱗を見せており、友達らしい友達もいなかった。

 

 

この<心理掌握>は人を友達に“する”ことはできるが、“なる”ことはできないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

『あなたにお願いしたい事があるの?』

 

 

ある日、そんな少女に、初めて連れてこられた別フロアで、メンタルガードを頭に装着した研究員の女性はお願いする。

 

 

『『0号(プロトタイプ)』、通称ドリーよ。この娘と―――』

 

 

玩具箱をひっくり返したように、たくさんの人形や遊び道具で散らばった一室。

 

そこで壁に背中を預けながら床に座り、何故か溶液の入ったボトルシップにでも使いそうな大きめの容器ビンを抱く、少女と同じミニ浴衣のような術衣で身を包んだドリーと呼ばれる中学生ほどの女の子がいた。

 

彼女の初対面の反応は一言でいえば無愛想で、こちらに一瞥するとすぐに、フイッと挨拶もなしに顔を逸らす。

 

大人な女性研究員はすぐにドリーを叱ると彼女の腕を引っ張り、無理に立たせようとする。

 

この<才能工房>は<心理掌握>と『エクステリア』の計画が要であり、少女は研究員からすればVIP待遇なのだ。

 

あっ、とドリーは抱いていた容器ビンを落してしまって―――

 

 

『いやああぁ!!! やだぁぁあああっ!!!』

 

 

―――初めて少女が聞いたドリーの声は、叫び声だった。

 

 

この術衣は締め付けている箇所が皆無のゆったりとしたデザインで、結び目が緩いとふとした拍子に解けてしまう、着心地の頼りないものだ。

 

でも、同じ術衣を着こなす少女からすれば、肌蹴てしまうのはそのドリーと言う少女が不注意だからであり、また同年代の女の子の裸を、自分よりも胸の小さいお子様の身体を見たって気にするようなことではない。

 

大袈裟すぎるのだ――――と、そう余裕に構えていられたのも、術衣に隠されたドリーの下腹部を見るまでの話だった。

 

 

 

呼吸が一瞬だけ止まった。

 

 

 

見慣れている研究員が声をかけてくれなければ、もうしばらくは固まったままだろう。

 

みないで、と震えながら身体を隠すドリーに謝罪することも、慰めること、断りを入れることも何の言葉をかけることもない。

 

この施設内の中心は少女だ。

 

よって、少女への説明を研究員は淡々と優先する。

 

 

『ドリーは先天性の病に冒されていて、身体に機器を埋め込まなければ生きていけないのよ』

 

 

垣間見えたドリーの身体にあるのは無数の傷跡。

 

普通の傷跡ではない。

 

何度も何度も切って、何度も何度も縫われたものだ。

 

酷使された肌の色は濁り、いびつに歪んでいた。

 

だが、何よりも歪なのは研究員の言にあった通りに、無理に詰め込まれた異物であった。

 

首から上にも傷はあるが、それでも、その対比がより一層凄惨さを際立たせる。

 

 

『じゃあ、よろしくね』

 

 

説明が終われば、女研究員は少女を残して部屋を去った。

 

無論、ドリーに声をかけることもなく。

 

しばらく、落ち着くまで2人は沈黙し、口を開けたのはドリーが最初だった。

 

 

『ごめんね。きもち……わるかったでしょ』

 

 

別に、と言葉で否定しても、ドリーは否定する。

 

しょうがない、と彼女は言う。

 

もうこの身体中の臓器のほとんどは人工物に入れ替えられ、改造人間のようなものだ。

 

あまりにもいじり過ぎたから、一日に何度も手入れをしないとバランスが崩れ、内臓が反乱を起こして、生命活動も止まる。

 

だから、往診に来ていた専門医に身体を見せるのはしょっちゅうなことで、そのとき偶然に部屋に入ってきた友達にこの身体を見られて……その日以降は疎遠となった。

 

外に出ることを禁じられたドリーに、たくさんの外のお話をしてくれて、いっぱい遊んでくれたたった一人の友達にさえも気味悪がれた。

 

ドリーはこの身体がとても醜悪なものだと自覚した。

 

だから、しょうがない。

 

何でこんな体になったんだろうと嘆いても……

 

もう一度、友達に会いたいと諦められなくても……

 

 

『……、』

 

 

これはこの後に聞いたことだが、研究員たちはドリーから“とあるデータ”を取っており、だが、その友達から逃げられたことのショックが大きく、正常な数値が測れなくなってしまった。

 

そこでドリーにまた心の平穏を取り戻すために、<心理掌握>の力を借りようとしたのだ。

 

だが、今の少女の能力では、その友達の記憶を完全に消すことも書き換えることも難しい。

 

ドリーにとってみればその友達とやらは、かけがえのない存在であり、その記憶、思い出もまたかけがえのないもので、精神の大黒柱。

 

そこを迂闊にいじくり、ただでさえ倒れ掛かっているその大黒柱を抜いてしまえば、ドリーの精神は崩壊して廃人となるだろう。

 

そして。

 

 

この<心理掌握>は人を友達に“する”ことはできるが、“なる”ことはできないのだ。

 

 

だから、少女は能力だけではなく、少女自身で歩み寄らなければならなかった。

 

 

 

 

 

一週間後。

 

 

 

 

 

『きょうもきてくれたんだ! みーちゃん!』

 

 

なってみれば、案外うまくいった。

 

最初の無愛想も、単に人との交流経験の少ないがゆえの人見知りだったのだろう。

 

だから、何で私が、と思いつつも何日か続けて会いに来れば、ドリーはいつも興奮して顔を真っ赤にして喜んだ。

 

玄関でご主人の帰りを待つ仔犬のようの感じだ。

 

3日目までは、自分の身体のことを気にしていたようだが、かつての友達とは違い、最初からそのことを知って少女はドリーの元へと通っているのだ。

 

やがてはすすり泣くこともなくなり、今では自然な笑みを浮かべるまでになるほど心を許している。

 

まあ暇潰しになる、と少女もまた同年代の同性の相手がいなかったのでちょうどよかったし。

 

この人の心を弄ぶ<心理掌握>を疎まずに、メンタルガードなんてつけず、『みーちゃんのノウリョクだいすきだよー』と“勘違い”でも受け入れてくれたし……

 

<才能工房>の研究は少女自身にも有意義だけれど、子供心にはつまらないものだった。

 

かといって、ドリーの相手もあまりにも幼稚過ぎて大人心で溜息をつく。

 

 

『スポーツとかしてみたいなぁ』

 

 

昨日、ドリーはそんなことを少女にのたまった。

 

 

『ヤキューで、カキーンとボールをとばしたり!』

 

 

飛んでくるボールを細い棒で当てることができるのは訓練されたプロだけだ。

 

 

『サッカーで、バコーンってボールをけったり!』

 

 

手を使わず足だけでボールを操るのはきっと念動力系の能力者専用の競技だ。

 

 

『ドッジボールで、シュバッとボールをなげたり!』

 

 

きっと初めてそれを思いついた奴は人にものを投げてはいけません、と習わなかった性格最悪野郎に違いない。

 

おかげで、可憐で儚げな少女は、運痴(カモ)だと集中的に狙われ………何故こんなにも引きこもりのくせしてアグレッシブなんだろうか本当に不思議に思う。

 

きっと経験してないからこその怖いもの知らずなのだろう。

 

 

『それからウミでおよぎたいなぁ』

 

 

外に興味を持つのは別にかまわないが、失敗するのが目に見えている。

 

……それでも笑っている姿も思い浮かんでしまうのだけれど。

 

とにかく、人間は陸上で生活する生き物であり、水中では呼吸できずに溺れてしまう、と甘く見てはならない世間の事情を、このヒヨコ頭な世間知らずにとうとうと教えてあげた。

 

 

『えー、ほんでおよいでいるシャシンとかみるけど……』

 

 

それでも生意気を言う。

 

まったく、だから、あれは特殊な訓練を受けた能力者なのだ。

 

基準で言えば、水に顔をつけられるのがLevel2クラス、水中で鼻から息を吐けるようになるのはLevel3クラス。

 

そして、水中で目を開けられるのはLevel5クラスでもなければできない。

 

と、将来、危険を回避する(水泳をサボる)少女はとある先輩に捕まり、(きび)しい指導によって、見事にLevel5クラスになる。

 

まあ、それが原因で、少女は水泳部系の新入生にまで網を張ろうとしなかったのかもしれない……

 

で、話を戻して。

 

(厳しい)現実を教えられ、落ち込む姿を見て、『外出許可が取れれば海に連れてってあげるわよぉ』と迂闊な発言のせいではしゃぐドリーに洗面器を使った水中での特殊訓練(目を開ける)に付き合わされて昨日は大変な目に遭った。

 

あの調子だと今日も付き合わされるかもしれない。

 

現に扉を開けたら、すでに洗面器が用意してあったし。

 

だが、それは少女にも予想がついていたことであり、対策もとってある。

 

相手の要求を却下するのではなく、そこからレベルを下げた欲求に誘導する。

 

所謂、代償行為と言う奴だ。

 

 

『え! それって、ボール! みーちゃんが、わたしにプレゼントしてくれるの!』

 

 

よしっ、と少女はドリーの好反応に内心でグッと拳を握る。

 

水中は人間である少女には無理かもしれないが、球技ならば陸上で、地に足がつき呼吸もできるもの。

 

それもメロンほどの大きさだが、当たっても痛くない安全安心のソフトなボールだ。

 

何の問題はない。

 

少なくても、陸上で溺死したという最悪の事態は避けられたはず。

 

 

『わー! ありがとうみーちゃん!!』

 

 

球技に興味があったのに、この部屋には人形やボードゲームばかりでそういった外で遊ぶ道具がないのだ。

 

余程欲求が溜まっていたのだろう。

 

ガバッ、と少女に飛び付くドリー。

 

 

『だいじにする! うん……いっしょうのタカラモノにする』

 

 

なんて大げさな。

 

部屋になかっただけで、ドリーが研究員にでも欲しいとねだれば、買ってもらえただろうに。

 

ここまで喜んでもらえるとは安い買い物、本当に安い買い物だったのだけど。

 

ただ、まあ、ボールだけでこんなにも喜ぶなんて、本当に中学生ぇ? って思わず、初めて贈り物した少女は噴き出して笑ってしまう。

 

 

『……うん。わたしもみーちゃんになにかプレゼントできたらなぁ』

 

 

……そんなのは別にいいのに。

 

しかし、ドリーが生意気なのには変わらなかった。

 

 

『ていっ、3ポイントシュート!』

 

 

水泳訓練に使わなくなった洗面器をゴールに見立てて、ゴミ箱の上に置き、そこへ目掛けてボールを放るドリー。

 

カコン、とボールは洗面器に収まり、やたっ、とガッツポーズ。

 

しかし、だ。

 

プレゼントしたとはいえ、室内で物を投げるというのはいかがなものか。

 

ただでさえドリーはゴミをぽいっと投げてゴミ箱に放る癖があるのだ。

 

そんなマナー違反は年頃の女の子には下品極まりなく、はしたない行いであるため改善しなければダメ。

 

この室内ではそれでいいかもしれないけれど、研究所から外に出れば、男達に一挙手一投足を値踏みされるようになり、今の内に品のある生活態度をつけないといけないのである。

 

 

『ねぇねぇ、みーちゃんもやってみてよ』

 

 

だ か ら!

 

そのようば小さな穴にピンポイントで投げてボールを入れるようになるには、それ相応の訓練が必要であって!

 

 

『でも、わたしはじめてだけどできたよ?』

 

 

あーーっ? あーーーっ?

 

 

『もしかしてじしんがないの?』

 

 

~~~っ??

 

できる!

 

できるわよっ!

 

そのていどワンハンドで余裕で楽勝で簡単だモン!

 

 

『ホントにー?』

 

 

いいわよぉ見てなさいッ!

 

この華麗なる3Pシュートを!

 

 

 

バンッ、と高く放り過ぎて天井にボールが当たる。

 

 

 

てんてん、と転がるボールは、当然ゴールの洗面器に掠りもしない、それ以前の問題だった。

 

顔を真っ赤にする少女。

 

ドリーは何と声をかけたらいいか分からない。

 

 

『うん、どんまい、みーちゃん』

 

 

慰めないで!

 

今のは、ちょっと指が引っ掛かっただけで、あと空気抵抗を計算し忘れただけで、あと目にゴミが入ったりとか色々な要因が重なって!

 

 

『にんげんだれにだってできないこともあるよ』

 

 

次っ! 次こそ絶対に入れて見せるんだモン!

 

 

ドリーはがんばれーと呑気に応援しながら、少女が一歩一歩、上達……………してるかはさておき、実際に一球ごとにゴールに一歩一歩近づいていくのを観戦し。

 

最後、少女はあと2、3歩の至近距離で、さらに両手の下手投げでゴールを決めたのであった。

 

 

 

 

 

同時、ドリーは崩れ落ちるように倒れた。

 

 

 

 

 

そろそろの寿命だった。

 

そもそも全てを知っているわけではないので詳しくは教えられない。

 

だが、その機器を埋め込まれたのを見れば分かる通り、ドリーの身体はとっくの昔に限界を超えていた。

 

学園都市の科学力をもってしてもこれ以上の延命は不可能だった。

 

 

 

だから、ドリーとはここでお別れだ。

 

 

 

目の前には、ドリーは熱に魘され、苦しむ姿。

 

すぐに専門のスタッフが駆けつけて処置するも回復せず。

 

ある程度予期していたらしく、研究員達の対応は淡々としていた。

 

そして、ドリー本人もその事実を受け入れていた。

 

少女を除いて、皆が知っていた。

 

そして、ドリーは全てを知っていた。

 

 

『手を、握って』

 

 

ドリーが手を差し出すと、少女はそれを握った。

 

少女は、自身に善人ぶって悲しむ“資格”などないと自覚しているのに。

 

折れてしまいそうなほど細い指で、しっかりと握る。

 

ぼんやりと少女をドリーは見つめる。

 

こんな状況なのに、彼女の心は静かだった。

 

今にも命の灯が消えてしまいそうなドリーよりも、無力感に苛まれ救えぬ命を前に、掌握できない己の心理に苦しむ少女に向けて、ドリーは力なく、濁りのない微笑みを向けていた。

 

静かな呼吸音に交るように、次第に小さくなる声だけど、少女には確かに聞こえた。

 

 

『おなまえ……きかせて』

 

 

ドリーは甘えるような声と微笑みで、少女に囁いた。

 

少女は“罪悪感”に震えた。

 

もう一週間以上も経って、今頃になって、その言葉が出てくるということは、つまり……

 

 

 

   操祈……食蜂操祈よぉ

 

 

 

今にも落ちてはなれそうなその手を握りしめ、懺悔するように(こうべ)を垂れる。

 

“初めて”、ドリーに少女、食蜂操祈は自分の名前を教えた。

 

“みーちゃん”とは、かつての友達のあだ名だ。

 

それがたまたま少女の名前と合ったから使っていた。

 

 

―――君が“友達(みーちゃん)”と置き換わればいい。

 

 

それが研究員の提案だ。

 

水泳から球技に欲求を逸らす代償ではなく、かつての友達の記憶を少女とのものに置換し、友達との思い出を続けたのだ。

 

その程度ならば、今の<心理掌握>でも無理をすることなくできた―――とても許されざる使い方ではないが、実験の為に、そして、自分の為に。

 

狡兎死して走狗亨らる……が、逆もまた真。

 

仕事があれば、御し切れないものでも、その鎖を緩めざるを得ない。

 

ドリーの世話をすれば、研究所内での行動の自由が広がる。

 

だが、その嘘に、ドリーは気付いていたのだろう。

 

脳は電気信号によって体を動かし、感情も記憶も左右されるのであれば、電気を扱うような能力者には当然、暗示がかかり難い。

 

このころの<心理掌握>では、―――であるドリーへ完全には効かなかった。

 

そんなこと少女は夢想だにしなかった。

 

2つの意味で。

 

メンタルガードもなしに能力が通用しなかったことと、

 

騙されている、と気づいてて受け入れたこと。

 

あの時、少女の能力が大好きだと言ったのは、誤解でも勘違いでもなく、ドリーはちゃんと“少女自身”を差していたのだ。

 

 

<心理掌握>では友達にはなれないが、食蜂操祈とは友達になれたのだ。

 

 

『みさきちゃん。ともだちになってくれて、ありがと―――』

 

 

実験動物として今まで生き方を選ぶ自由なんて1つもなかった自分が、満足できる死に方で最期を迎えられた。

 

それは代償でも、置換でもない。

 

本当の友達に看取られて逝くのは、実験動物や道具ではなく、人間として生きてこれたからだ。

 

だから、ドリーは笑顔のまま、瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――ヤレヤレ、今度は食蜂君に不具合発生か。

 

―――随分と塞ぎこんでいるようですな。

 

―――あんな子にも人の情があったのねぇ。

 

―――ドリーがクローン人間であると理解できれば吹っ切れるのでは?

 

 

「人の心に干渉できる天才力が仇となって私には証言力がないしぃ、ドリーについて話しても構わないんじゃないかしら?」

 

 

―――ああ。物証になりそうな物は全て上層部に持っていかれましたし。

 

―――フム、まあ。今の状態が続くようであれば考慮するとしよう。

 

―――『エクステリア』計画は上が押し付けた目的すら定かではない人形遊びとは違う。

 

―――うむ。我々<才能工房(クローンドリー)>の悲願の結晶だからね。

 

 

「あと私の<心理掌握>の増幅・拡張といったところかしらぁ♪」

 

 

―――でも、どうします? このまま<心理掌握>が成長すれば厄介なことになりますよ。

 

―――メンタルガードでは防ぎ切れなくなる日が来るだろうな。

 

―――そうなると計画の真意を隠し通すのは難しいかと。

 

―――天才を人工的に造り出すという彼女に教えた表向きではない本当の計画。

 

 

「それはなぁに?」

 

 

―――天才を造り出すよりもその天才を我々が操作した方が早い。

 

―――『エクステリア』に登録された人間なら<心理掌握>を扱えるようにすれば可能だ。

 

―――能力者でも能力開発を受けていない一般人でも行使できる。

 

―――もちろん、私達も。

 

 

「あらぁ☆ それはバレたら大変ねぇ」

 

 

―――フン。別に大した問題ではない

 

―――『エクステリア』が完成してしまえばあんな小娘は用済みだ。

 

―――機を見て処分すれば良いだけのことだ。

 

―――ではこれで定例報告会議を終了します。お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

ぞろぞろと会議室を出る<才能工房>の研究員と<心理掌握>の開発官達。

 

ただしその全員の瞳に、星型の……―――食蜂操祈に支配された証が。

 

<心理掌握>は味方には“なれない”けれど、味方に“することはできる”。

 

 

「ま、こんなことだろうと思ったけどねぇ」

 

 

『リンゴ→メロン』の認識互換の実験から始めていた。

 

能力開発の際、実際にリモコンを向けられる実験台の下級研究員に、精神干渉だけでなく精神操作の掌握と二重に能力の操作を行っていた。

 

その者にメンタルガードの細工をさせ、精神操作の対策をしているから大丈夫だと安心し切っている研究員たちを支配し、水面下で<才能工房>での勢力を広げていき、『エクステリア』計画の関係者は全員洗脳済み。

 

例えどんな拷問を受けようとも、食蜂への忠誠は揺るぎなく、情報を漏らすくらいならば死を選ぶ。

 

 

 

 

 

それから、常盤台中学へ入学し、木原幻生の<ミサカネットワーク>を、<妹達>への企みを知った。

 

 

 

 

 

カフェテラス

 

 

 

<妹達>に対する隔意というか、距離を置きたいという気持ちがあるのも確か。

 

なにせ―――彼女達は、ドリーに似過ぎていた。

 

ドリー。

 

<心理掌握>食蜂操祈の研究事業<才能工房(クローンドリー)>で関わった実験動物であった少女。

 

最後に、食蜂の名を聞いて、逝った人。

 

別人であろうと商品として同一の規格に調整されたプロトタイプ0号である彼女が遺伝的な関係として、目鼻顔立ちが“彼女達”に似ているのは当然だ。

 

もちろん、その程度の理屈は分かっている。

 

だが、そんな理解は何の慰めにもならない。

 

食蜂に隔意めいたものを生じさせているのは、彼女の容姿ではなく、その瓜二つの容姿が引き金となって呼び起される故人の記憶。

 

彼女のことを思い出せば、胸が哀しみ悼む気持ちと共に懐かしさを、それ以上に苦い後悔で満たされる。

 

苦みと苦しみは同じ字を遣う。

 

甘い甘いエクレアとは真逆の、その刺激だけで顔を顰めたくなり、けれど忘れ難い苦い思い出。

 

 

―――人の行為を無条件で信じ、疑う事をしなかった。

 

 

ホント……

 

あの頃の、力があったのに甘いものしかしらなかった自分には、初めての本当に苦い、苦しい、失敗。

 

しかし、おかげで人を疑えるようになった。

 

 

 

そんな、とある『残骸(じけん)』が落着した後日の話。

 

 

 

「―――さて、操祈さんは、ここからどうしますか?」

 

 

 

昼下がりのカフェテラスで、お嬢様学校の先輩後輩が戯れ。

 

白駒と黒駒が複雑に列ぶ盤上。

 

その勝負は既に決している。

 

黒駒の勝利は揺るぎなく、反対に白駒の活路は何処にもない。

 

この状況に追い込んだ先輩が気づかないはずがない。

 

 

「もう勝負がついちゃってるじゃないですかぁ。詩歌先輩の圧倒的ですよ」

 

 

学園都市の頂点に立てるほど優秀な頭脳を持ち合わせている食蜂だが、上には上がいると悔しいけれど納得せざるを得ない。

 

すると先輩は首を左右に振って諭す。

 

 

「それは解ってます。ゲームは終わりでテストはここからです。この盤上が、例えば<大覇星祭>でルール無用の競技での実戦だと考えてみてください。そこで操祈さんがその代表に選ばれたとするならどう試合に蹴りをつけるのかを」

 

 

「ふぅ~ん、私の頭脳力を測るIQとか心理テストってやつですかぁ」

 

 

この学園都市最上の精神系能力者に心理テストとは味な真似を。

 

元々、軍師が策を練るのに使っていた駒が、将棋やチェスと言ったゲームになった。

 

優れた者同士が駒遊びをすれば、自然と互いの戦略の方向性が掴めるという。

 

テストの意味を悟ると、再び盤上を睨んで次の一手を考え込み始めた。

 

先輩は代表としてどう決着をつけるのか、と言った。

 

つまり、代表として負け戦をどう処理するかという事だ。

 

そう考えれば、まだまだ打つ手はある。

 

最善の一手は何処かと思案していると参考になるよう先輩が前例を上げる。

 

 

「美琴さんは、最後まで諦めず勝負手を打ってきましたね。戦局は覆せなくても、せめて一矢は報いようと」

 

 

何かと引き合いに出されることの多い自分と同じ7人いる頂点の御坂美琴。

 

しかし、今自分が考えた手は彼女とは違う。

 

 

「……じゃあ、私は白旗を振っちゃうゾ☆ これ以上負け試合を続けたって挑戦力が湧かないしぃー、それにぃ、力の無駄遣いですからぁー」

 

 

「ふんふむ。なるほど、盤全体を見据え、いかに被害を抑えるかという視点に落ち着きましたか。確かに早々に降参すれば犠牲は最小限に済みます」

 

 

先輩は腕を組んでウンウンと頷き、面白そうに自分の手を評する。

 

 

「それで先輩、結果はどうなんですかぁ? もちろん私のIQ力は御坂さんよりも上ですよねぇ♪」

 

 

「ふふふ。このテストに答えはありません。操祈さんのが正解で、美琴さんのも正解と言えます。―――ですが、少し残念です。極めて優秀ですが純粋です。最初から限界を決め、負けは負けだと認めてしまってるんですから」

 

 

と、先輩の批評は更に続いた。

 

その言葉から察すると、既に勝敗が決しているこの盤面に勝負を覆す手が存在すると言うのだろうか。

 

念のため、改めて盤上を睨むが、その様な手は見つからない。

 

Level5でも解の出せないものをどう攻略するのか。

 

 

「……ここから勝てる手があるんですかぁ?」

 

 

盤上を睨んでも睨んでも答えは出ない。

 

ここで降参するのは不本意だが、好奇心に負けて答えを尋ねれば、あっさりと応える。

 

 

「私が操祈さんと同じ状況なら、こうしますね」

 

 

ゲーム盤をひっくり返して、白駒のキングにチェックメイトをかけていた黒駒のクイーンで、その道の開いた先に控える黒駒のキングをとってみせた。

 

 

「ええっー、これは卑怯力過ぎるんじゃないですかぁ? こんなの反則ですよぉ」

 

 

「いいえ、これも1つの答えです」

 

 

インチキといっても良い、あまりに乱暴な答え。

 

たまらず非難の声をあげるが、先輩は首を左右に振って認めない。

 

 

「操祈さんの言い分も最もです。美琴さんにも、私が美琴さんになった答えとして、盤上の駒を全て取り除いた時も、同じこと言われましたから。ええ、私もただのゲームなら、こんな真似はしません。けど、私はこう言いました。“実戦で考えて”、と。だから、勝つ為にこういう手段を取っただけのこと。それとも、ルール無用の戦いで負けた言い訳に卑怯とか、汚いとか言えますか?」

 

 

そういわれてしまえば、確かに、と納得してしまう。

 

食蜂の<心理掌握>で相手の駒を操ったという仮定が通るならばこの手は可能だ。

 

先輩が言う通り、反論できず、不平を飲み込んで押し黙るしかない。

 

この固定概念を打ち崩す発想。

 

言ってみれば、食蜂は盤の上しか見てなかった。

 

だが、先輩は盤の外から、食蜂よりも遙か上から見ていた。

 

そして、負けを勝ちにひっくり返し、どれだけ汚いと言われようとも成功へ導こうとする意思。

 

 

「やっぱり、先輩の腹黒力は敵に回したくないわねぇ。褒め言葉ですけどー♪」

 

 

「ふふふ、そうですね。もし敵対する陣営にこのような思考をする者がいたのなら、出来うる限りの争いは避けたほうがいいでしょう。盤上なら、操祈さんに敵う者はそういません。ですが、盤外の相手とはやり合うのを避けるのが賢明です」

 

 

この常識という枠外から思考するやり方は学園都市の<木原>一族にも通ずるもの。

 

おそらく、今思えば、これは『木原幻生とはやり合うな』という忠告だったのだろう。

 

けれど、それを無視した。

 

例えば、遠からず起きる大火事を知っていたとしよう。

 

しかし、ただ待ってるだけでは何時、何処で、誰が起こすのかが解らない。

 

でも、知ってる以上は警戒するしかない。

 

だけど、そうしたところで結局は事が起こってから動くのだから後手に回るしかない。

 

 

では、先手に回るにはどうしたら良いか?

 

 

答えは簡単。

 

いっその事、こちらで火を着けてやれば良い。

 

最初から何時、何処で、誰がを設定した方が優位性も生まれる。

 

大火事をただの火事にも出来る―――だけど、その火付けどころには大量の爆薬が隠されていたという話。

 

試合前に、盤外から密かに仕込まれていた。

 

 

 

 

 

第9学区

 

 

 

―――まるで、王手をかけられた駒のようだ。

 

 

 

あの巨獣の『猿』には、駒にした警備員達は敵わない。

 

人間ではないので、精神操作も通用しない。

 

敗因は、ただ一つ。

 

盤外の思考を侮り過ぎていた。

 

『猿』は雄叫びとともに、食蜂操祈へと襲い掛かる。

 

死がそこにあった。

 

 

「グオオオオオオッ!!」

 

 

だが、その瞬間はこない。

 

代わりに大きな地響きが轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

まるで斜面をかけ落ちる急流。

 

上後方から何かが来る、と気付いた時にはすでに間合いに飛び込んでいた。

 

野生の勘が働いたのか、食蜂を掴み取るのを中断し、『猿』の両腕が防御の構えを取ろうとした。

 

しかし、無駄。

 

 

一瞬の交錯。

 

 

その紫電を纏った蹴撃は、『猿』の腕の肉を潰し、骨を砕き、それでもまだ威力は衰えず、300kgを超える巨体は5m以上先の壁まで弾き飛ばした。

 

思わずつぶっていた目を開けると食蜂の眼前に、サイズの大きいワイシャツを腰で結んで着こなした背中が割り込んでいた。

 

『ギャッ!』と衝撃に喘ぐ『猿』に、その人影は柳髪の尾を引きながら追撃。

 

 

「―――加減の必要がなさそうですね」

 

 

『猿』の頭を右手でその顔が変形するほど鷲掴みにし、屋根裏部屋の壁が陥没するほど思い切り叩きつけた。

 

手を離し、戒めが解かれれば、重力に従いズルズルと倒れ、『猿』は白目を剥き、口から泡を吹いている。

 

ああ、なんと恐ろしい。

 

そして、なんてタイミングなんだろうか。

 

 

「これでこの前の貸しは返しましたよ」

 

 

「詩歌、先輩」

 

 

今の熾烈な一撃とは裏腹に、上条詩歌の微笑みはどこまでも甘く涼しい。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「名由他さん達からの報告で、ここで木原幻生がこのフォーラムに来客する、と。その誤情報が操祈さんを嵌める罠だと。―――そして、木原幻生本人から、その狙いは『エクステリア』だと」

 

 

警策看取が落したタブレットからの通信記録。

 

 

『さて、警策君を追いかけている余裕はあるのかね? 君の後輩が出てきたようだけど、止めなくてもいいのかな? クイーン・エースが孤立しちゃうよ』

 

 

チェスで、クイーンは全ての駒の中でも最高の機動力を誇るエースだが、それ故に、一気に端に進めれば、突きあたりは当然、相手の陣地で捕まってしまう。

 

木原幻生から後輩という単語で思い浮かぶのは、御坂美琴と食蜂美琴だが『御坂美琴とは違って命の保証はしない』と警策は鬼塚陽菜との戦闘で言った。

 

少なくても、美琴は大丈夫だ。

 

第9学区の件が罠であるということは裏付けを取ってある。

 

これは、木原幻生が警策看取を回収するために、上条詩歌の追跡を中断させるために、敢えて教えたのだろう。

 

この件は、御坂美琴の<ミサカネットワーク>だけでなく、食蜂操祈の『エクステリア』も狙われている。

 

そのタブレットに記録された映像を見て、木原幻生の背後に映る『建物』を見て―――

 

 

「どうして、どうして幻生が“エクステリア”を……いえ、そもそもどうやってあの場所が……?」

 

 

未だ驚きに目を見開き、ただただ茫然とする女王。

 

最悪だ。

 

自分がいない間に、あそこを、<才能工房>を乗っ取られたら―――

 

 

「……」

 

 

詩歌は溜息をつき、引き寄せると、食蜂の襟首を掴んで持ち上げ、その頬へ張り手を無言で放った。

 

 

「……えっ!?」

 

 

頬を叩いたパチーンッと言う音が周囲に響く。

 

食蜂は赤く腫れてきた右頬を右手で押さえ、何が起きたかが解らず目を丸くさせてシパシパと瞬かせる。

 

 

「少しは目が醒めましたか? 食蜂操祈……」

 

 

フルネームで呼ぶ。

 

 

「こんなときにボケっとしている時間はありません。ええ、時間がありませんから、手っ取り早くいきます」

 

 

木原幻生の頭の中を覗こうかと取り出していた食蜂の携帯機器の赤外線部を、詩歌は“自分の胸”に当てて―――

 

 

 

―――ピッ、と。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――この際だから、言いましょう。

 

―――Level5でしょうが、あなたなどまだまだ井の中の蛙です。

 

―――あらゆる物事において、1の実戦は100の修練に勝る。

 

―――あなたが仕掛けた相手は、あなたよりずっと年上で色々な経験をしています。

 

―――その半分もいかないあなたが届かなくて当然でしょう。

 

―――つまらない事に目を曇らせている余裕はありません。

 

―――もっと大海を知りなさい。

 

―――それとも、操祈さんは狭い井の中で満足なんですか?

 

 

文字通り、胸襟を開かす。

 

“心理”で諭しながら掴んだ襟首の持ち方を変え、膝裏にもう片方の腕を差し入れ、詩歌は食蜂の体をひょいっと持ち上げる。

 

 

―――私たちは運が良い。

 

―――こうして、生きてるのですから。

 

―――けど、これは戦いです。

 

―――今、こうしている次の瞬間も生きてるとは限りません。

 

―――だから、後悔だけはしない。

 

―――後に悔やむと書くだけあって、先には出来ないんですから。

 

 

なんて密度の濃い説教だ。

 

そして、なんて度胸だ。

 

とんとん、と軽々と抱えながら、下らずに階段を登っていく。

 

そんな中で食蜂に見えてくるあの男との通話、会話、対話。

 

 

『親切なご忠告ありがとうございます、お爺さん。ですが、クイーン・エースよりも木原幻生(キング)が出てくる方が無茶だと思いますね。それに独り立ちもできないような後輩には育てているつもりはありませんが』

 

 

『それだと僕に取られちゃうよ? 結局、助けに行くんだろう?』

 

 

『問題児の尻拭いをするのは先輩の役得ですし。自慢の後輩の活躍で、盤外のあなたをこの盤上に引きずり込んだ。彼女達には盤上を覆すほどの力がありますが、さて、取られるのはどちらの方でしょうか? 生憎、私の後輩は長幼の序は守れない性質で、敬老精神には期待しない方がいいですが』

 

 

『じゃあ、こちらは遠慮なくやらせてもらおう。もとより、実験動物(がくせい)に遠慮なんかしないけどねぇ』

 

 

『あの2人には打ち方は違えど、不思議な事に、どちらも捨て駒を使う戦法は好まないですからね。私もですが』

 

 

『科学の発展に犠牲はつきものだろう?』

 

 

『私はたった一人でも不幸な疫病神(犠牲)は出させませんが』

 

 

きっぱりとした物言い。

 

虚偽も逡巡も、欠片とてない。

 

食蜂操祈は、密かに、柔らかなため息をついた。

 

この先輩は、この兄妹は変わらない。

 

悲劇も狂気も馬鹿馬鹿しさも何度となくその目にしてきたのに、まるで変わらない。

 

いつもその時その時を精一杯に生きて、のほほんとお茶するだけで幸せな笑みを見せる。

 

けど、物事の大事な局面では、たくまずして自分だけの一手を打つ。

 

最善手か悪手かは分からないが、ただ間違いなくあの兄妹にしかできない一手。

 

それを、人を率いる者の資質といっても良いだろう。

 

自分は御坂美琴とは反りが合わないだろうが、部分的、局所的にでも、互いの気心は通じてしまう。

 

まるで2人が、憧れ、あるいは気にしつつも素直になれないでいるヒーローの話題を共有しているように。

 

思わず、苦笑してしまう。

 

 

「ええ、本当に。私はまだ子供ですねぇ」

 

 

困った風に、苦笑を深める。

 

あるいは、苦笑の中に淡く別の感情が混じったのか。

 

と、その呟きを拾ったのか、繋げっぱなしだった心理に変化が……

 

 

―――私だってまだ子供です。不出来な妹です。

 

―――昔から父さんと母さんのやり取りを見て育ったせいか。

 

―――さんへの“ちょっと激しいスキンシップ”が堪えようと努力しているんですけど。

 

―――条件反射レベルで止められませんし、人のことを言えませんね。

 

―――それに同情ができるというか。

 

―――さんらのじゃれつきにも強く言えません。まったく……

 

―――それでも、――さんはその気になれば回避できるのに逃げないんですよ。

 

―――これだから、私は―――

 

 

「―――これ以上、覗く必要はありませんね、操祈さん」

 

 

携帯機器の電源を切られた。

 

顔を上げれば、詩歌がこちらに笑っていた。

 

平静を装っているようだが、その耳は真っ赤だ。

 

陽気のせいか、それともお怒りのせいか。

 

はたまた……

 

 

「最後のは、忘れなさい」

 

 

「あらぁ? 詩歌先輩がお兄ちゃんには、とっ~ても、なのはしりませんよぉ♪」

 

 

「やはり長幼の序くらいはみっちりと教え込んでおくべきでしたか」

 

 

「いえいえ、詩歌先輩のことはちゃんと尊敬してますよぉー―――その甘えんぼなところも含めて♡」

 

 

「ふふふ、操祈さん、あとで憶えておきなさい。―――いや、あとまで憶えていられるかは分かりませんが」

 

 

最後の段を登り切り―――屋上に出る、すでに開けられたドアが見えてくる。

 

そういえば。

 

見るのに夢中で気付かなかったが、“何故か詩歌は上を目指していた”。

 

普通、ビルを出るならまず出入り口のある一階まで下りるのだが……

 

 

「屋根裏部屋から外に出るのは屋上の方が早いですから」

 

 

扉の外。

 

高層ビルの屋上は、風がなければ干からびてしまいそうなほど暑い。

 

陽光の強い照り返しに目を眩ませながら、素直に吹き荒ぶ強風には感謝しただろう……ただし、一部のフェンスが破られていなければ。

 

 

「詩歌先輩、今日は風力が強いですねー」

 

 

「ええ、これは“乗ったら”気持ち良さそうです」

 

 

後輩は強風で長い金髪がはためくも気にする余裕もなく、もう片方の風に黒髪を遊ばせる先輩は破られたフェンスに一歩一歩近づくたびにかたまっていく後輩の心境など気にしない。

 

 

「乗るなら車にしませんかぁ? ヒッチハイクも簡単ですし、楽ちんですよぉ?」

 

 

「昨日のバス爆破事故による道路状況を知りませんね。残念ですが、下は渋滞です」

 

 

だから、時間もないので“上から”行く。

 

面倒をかけている自覚はあるが、これはかつてのドリー以上の無茶ぶり。

 

ぎゅるりと詩歌の、それを抱えている食蜂の身体を中心に強風の気流が旋回して、

 

 

「飛びますからつかまってなさい。時間がありませんから最短で行きます」

 

 

かつて、水泳訓練をしてくださった時もそうだが、了解を待つような性格ではなかった。

 

次の瞬間、強風は意思を持った烈風に変じ、巻き起こる。

 

 

「きゃ、あ、ああああ―――っ!」

 

 

絶叫もたちまち呑み込まれて、身体も舞い上がる。

 

学園都市の天空(そら)へと吸い込まれるように、2人はビルから飛翔する。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

長い金髪のツインテールの小柄な娘。

 

高価な陶磁人形を思わせる、異様に整った顔立ちの美少女だ。

 

彼女は周囲と同じく体操服に身を包んでいる……けど、何でかランドセルを背負っている。

 

そして、手にはクレープ。

 

トッピングに濃厚な生クリーム、苦みのあるコーヒーゼリー、と……

 

 

「庶民的な屋台だけど、味は中々イケるね。一仕事後のご褒美としては十分かな。絆理お姉ちゃんたちにもあとで紹介しようっと」

 

 

その批評に隣を歩く、帽子を目深に被った少女が、ぐったりと疲れたような表情で息を吐く。

 

 

「おい……色々言いたい事があるが。なんだか見てるこっちの方が気持ち悪くなってきたんだが……」

 

 

そう告げた少女は隠されているが、肌は浅黒く、その顔立ちは金髪の娘が小学生くらいなら、中高生くらいだろう。

 

それに生真面目な顔つきだけど、奇妙に隙のない雰囲気の持ち主だった。

 

呼ばれた金髪の少女はムッとしたように唇を曲げ、目を眇めるようにして彼女へ流し。

 

 

「お姉ちゃん、お菓子を馬鹿にしてるの。人間の脳がエネルギー源として利用するのはブドウ糖だよ。あ、虫歯? ダメだよ、ちゃんと歯磨きしないと」

 

 

「虫歯じゃない。だがな……」

 

 

不満そうに顔をしかめてする反論に、訳が分からないと首を傾げて。

 

 

「もしかして、身体だけじゃなく脳みそも欠損してるの?」

 

 

「それは大丈夫だ。むしろ、私は名由他の味覚の方を疑いたいがな」

 

 

後半は諦めたように小声で独りごちた。

 

生地はカリカリ、中身はトローリ――とネバネバ糸を引くクレープを金髪の少女、木原名由他を口にする。

 

……糸を引く。

 

あの特有の臭いはしないが。

 

このクレープのトッピングは、生クリームコーヒゼリー……+納豆。

 

それをもふもふと頬張る相方に、少女は無愛想に言い放つ。

 

 

「この街が試験的にゲテモノが多いのは分かってるが、実際に目にするとカルチャーショックを受ける」

 

 

「お姉ちゃんって、変な所で常識的だね。<肉体変化(メタモルフォーゼ)>みたいな“変態”スキルなんてもってるのに」

 

 

「別に構わないだろ。というか、変態って、その言い方だと私が普段は変人だと間違われるだろうが。そもそもゲテモノ巡りをするために動いてるわけじゃない」

 

 

名由他がふと表情を消す。

 

作り物のように整った容姿で遠くを見つめ、

 

 

「一体どこから『RFO』の情報が洩れたのか。考えられるとすればあの日……」

 

 

やがて、ぽつりぽつりとそう言った。

 

あの『残骸』事件。

 

たかが外の勢力と手を結んだ学生集団では、<妹達>について知るはずもない。

 

必ず、暗部が接触している。

 

おそらく、木原幻生が。

 

 

「あの先導者の人から話を訊こうと、少年院に行く前に運ばれた病院先を見つけたんだけどすでにもぬけの殻。詩歌お姉ちゃんも心配してたね。あの人、すっごく力場が暴走していて、普通の病院じゃ対処できないらしいし」

 

 

「口封じに殺されたか?」

 

 

帽子の少女が短く鼻を鳴らし、名由他は小さく首を横に振って、

 

 

「それはないね。先導者の人の力は貴重だ。そんな貴重な“サンプル”を<木原>なら簡単に始末しない。きっとどこかに回収してる」

 

 

 

 

 

第2学区

 

 

 

「あの木原幻生もこれで終わりだ」

 

 

<スタディ>のまとめ役である有富春樹の表情は楽しげに。

 

現場中継させている映像を――無駄な奮闘する第3位を、粘着質な視線で、じっと眺めている。

 

 

「第2学区にまとまってくれて助かったよ。木原幻生もそうだが、老害の狙う第3位も、これなら同時攻略も可能だ」

 

 

クツクツと低い冷笑をもらす。

 

木原幻生が、第3位と第5位を狙っているのは分かったが、その目的についてはいまだ不明だ。

 

しかし、Level5を使って何かしようとしているのならば?

 

木原幻生がターゲットだが、先にこちらが第3位を確保するのも手である。

 

能力者達のお手本とも言える第3位と、木原幻生の実験を核を学園都市の優秀な科学者が集いし真のエリート集団<スタディ>が握り潰す。

 

答えが謎でも関係ない。

 

その木原幻生の成果が詰まった箱ごと潰せばよく、それが今、自分達は手中に収めようとしている。

 

 

「<メンバー>の傘下に入り、施設もスタッフも向上し、進化した。あの<超電磁砲>でも僕らの最高傑作――『ジャーニー』と『フェブリ』、そして、『セプト』には敵わない」

 

 

<スタディ>の最高傑作――『人造能力者(ケミカロイド)計画』

 

量産型能力者(レディオノイズ)計画』で、Level5のDNAマップからクローンを作っても、Level5は生まれなかった。

 

それならば、高位能力者の発現した法則を解析し、1からLevel5の能力を宿すように調整されたのが、<人造能力者(ケミカロイド)>。

 

神をも恐れぬ、人間が造り上げた人間。

 

優れた人間を基礎にしたクローンでも、

 

優れた機械を組み合わせたサイボーグでも、

 

優れた動物を掛け合わせたキメラでもない。

 

見た目は、人間の双子の幼女にしかみえない。

 

だが、<学習装置(テスタメント)>の開発者布束砥信の論文を基に、<スタディ>が作成した自然界ではありえない体構成の新しい生物。

 

体内に致命的な『毒素』を生み出してしまう体質で、それを中和する為に緑色の飴玉型の中和剤がなければすぐに死んでしまう個体だが、その能力――<ディフュージョン・ゴースト(Diffusion Ghost)>はLevel5にも匹敵するものだ。

 

人造能力者(ケミカロイド)>の体の一部である毛髪を媒体にして能力者から発せられるAIM拡散力場を物質化する能力。

 

本来は密閉された空間でなくてはAIM拡散力場の固形化を維持できないが、それを克服した現在、AIM拡散力場――学園都市で満たされた能力者の力場がある限り、無限に発生し続ける。

 

 

「そして、『Ⅰ』と『Ⅱ』の力がDNAの二重螺旋の如く組み合わさって生まれた『Ⅸ』は―――」

 

 

溜めて。

 

コンサートホールを借り切った会場ではなく、聴衆も仲間達しかいないが、この言いようのない達成感は何だ?

 

有富の酷薄な唇には笑みが浮かび、眼鏡の位置を直してから―――と、満腔の自信をもって発表しようとした次の瞬間に、

 

 

トン―――

 

 

気を削ぐように、背後から肩に棒状の何かが押し当てられた。

 

 

「はい、糖分補給に甘いもの」

 

 

振り返れば、<メンバー>に来てからの研究所の“スタッフ”である女性研究員の姿が、こちらにマーブルチョコを差し出していた。

 

 

「さーて、僕ちゃん達の今日のラッキーカラーはなにかな?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(連絡しようにも、圏外。ここら一帯に強烈な妨害電波が出てる!)

 

 

まるで、砂糖にたかるアリのように。

 

聳え立つ<才能工房>の研究所に、半透明のゴーストの群れが侵食し始めていた。

 

その一歩手前で侵入を防いでいたのは、学園都市の序列第3位のLevel5、御坂美琴。

 

 

「ったく、キリがないわね」

 

 

このままだと相手の思う壺だ、と美琴は悟った。

 

風船のように一針で破裂するほど脆いが、その数は減らない。

 

いくら潰しても新手が増える。

 

延々と増殖し続ける。

 

最初はそれで構わない。

 

意を決し、いくら多勢に膨れ上がろうとも、こちらはそれに倍する勢いで蹴散らしていけば済むだけの話。

 

『幻想御手事件』の時の<幻想猛獣>も、驚異的な再生能力を保有していたが、その処理機能を上回るほど本気でやれば倒せたのだ。

 

だが、50体を過ぎたあたりで一向に減る気配のない群れに、美琴の胸を焦燥がよぎる。

 

100体を過ぎた後で、数えるだけ無駄だと。

 

その飛沫と散る触手から新たな幽霊(ゴースト)が生まれ出るのを見咎め、なるほど、と美琴は減らない道理を理解する。

 

この現状だと焼いても無尽蔵に再生するのが落ち。

 

どこかに『核』を打つか、一気に欠片も残さず消滅させない限り、これは消滅しない。

 

かといって、その『核』がどこにあるかは美琴には掴めず、それでも攻撃しなければ止まらず、この<妹達>のいる施設に侵入を許すことになる。

 

10032号(あの子)がこの施設にいて、一体たりとも侵入を許してはならない。

 

必要最小限のスタミナで、この境界線を維持するしかない。

 

 

『第3位。無駄な抵抗をやめたまえ』

 

 

競技の審判にも使用されていた、宙に停滞するよう浮かぶ球型機体から少し年上の高校生くらいの青年の声。

 

<スタディ>と彼は名乗った。

 

ソイツを捕まえ、電気信号の受信送信から相手の尻尾、現在位置を掴んでおきたいところだが、幽霊の群れ――<D・ゴースト>が邪魔をする。

 

なので、いちいち取り合っていたのでは、ますます相手を図に乗らせるだけなので無視する事にしている。

 

 

『所詮は才能だけの能力者に<D・ゴースト>は打ち破れまい。大人しく僕達科学者に頭を垂れるんだ。君がしていることは子供が駄々こねているにしか過ぎない』

 

 

「うっさいわね。さっきから偉そうに」

 

 

あのふざけた音声を噤ませたい、ところだが破壊するわけにはいかない。

 

すでに500は超えただろう―――が、

 

 

「アンタみたいなヤツに下げる頭なんてないし、降参する気もないわよ」

 

 

Level5としての力をフルに使い、一体残さず全てを洗い流し、呑み込む黒き大津波の如き猛威。

 

十重二十重に押し寄せる幽霊の壁を、それを上回る砂鉄の檻に呑み込んで、球に密閉し一気に圧縮する――――

 

 

『無駄無駄。この<D・ゴースト>のプログラムは、クラゲをモデルにしていてね。その特性をしってるかい?』

 

 

クラゲには特殊な生態を持つ種がいる。

 

オス・メスの区別のある有性生殖をする『クラゲ』形態と、親から生まれた卵が孵化した幼生の『プリヌラ』はやがて植物のように岩に固着し分裂発芽で増殖する『ポリプ』形態となる。

 

『ポリプ』形態が、『ストロビラ』へと成長し、クラゲの雛形の『エフィラ幼生』へ開花し、タンポポの綿毛のように飛んでいく。

 

そして、老化し『クラゲ』死骸となったものは岩に張り付いて、再び『ポリプ』となる。

 

人間でいえば、老人がまた赤ちゃんをやり直す。

 

老化はするが若返る不死にきわめて近い特性。

 

これは、そのクラゲに近い特性を持つものだ。

 

放っておいても増殖。

 

倒しても、その残骸が触媒となり、AIM拡散力場を受肉し、復活する。

 

Level5の近くにはそれだけの材料がある。

 

 

『つまり、無限。この絶対性はLevel5さえも超える。そして、“そろそろ”だ。なあ、第3位、君は耐性という言葉を知ってるかな?』

 

 

静かに、勝利を確信する声で<スタディ>は告げる。

 

 

『耐性。どんなに強力な薬でも使い続けるうちに効きが悪くなってくる。……殺虫剤を使い続ければ、やがてそれに耐性を持つように昆虫たちの体質も変化するのさ』

 

 

美琴が、ハッとしたように幽霊を閉じ込めた砂鉄球を見た。

 

幾度となく電撃や砂鉄で死と再生を続けてきた、AIM拡散力場で受肉する<D・ゴースト>は、美琴の放つ膨大なAIM拡散力場をその度に浴び続けていたのだ。

 

すでに今の<D・ゴースト>の構成のほとんど、美琴のAIM拡散力場で造られていると言っても良い。

 

<スタディ>は、内側から押し上げてくる圧に耐えかねて罅が入り始める砂鉄球を眺めて、更に言葉を続ける。

 

 

『例えば実験室のショウジョウバエなら10日あまりで世代交代をして、猛烈な速度で進化する。そして、この短時間で幾度となく繰り返し電撃で散らされ増殖し続ける群体は、何世代、何百年年ぶんの進化に相当するほど―――御坂美琴の<超電磁砲>に対して耐性をつけた』

 

 

 

バヂヂヂヂヂィッ!! と。

 

 

 

一ヶ所にまとめられた<D・ゴースト>から凄まじい“電流”が迸り、“砂鉄”の檻が無理矢理に開かされるそれは、<超電磁砲>に対し完全たる耐性を身につけたという何よりの証。

 

そこから出てきた身体は、黄金色で、500、いや、1000以上の群体が一体化したもの。

 

体長が5mをも超える顔のない人型。

 

黄金に光り輝く半透明の肉体は、神話の時代の巨人族の姿を彷彿させる。

 

 

『ここから、『(ジャーニー)』と『(フェブリ)』――<人造能力者(ケミカロイド)>が生み出す<D・ゴースト>の究極体『(セプト)』の最終フェイズさ』

 

 

ジャーニーとフェブリ、その名はJanuary(1月)February(2月)から取っているもので、この<大覇星祭>――September(9月)に生まれた<幻想猛獣(AIMビースト)>の名は『セプト』

 

 

 

ゴオオオオォッ!! と。

 

 

 

轟音と共に、美琴の頭上を大きな流星が通り過ぎた。

 

否、まだ昼過ぎで星など見えるはずがない。

 

それは流星と呼ぶには激しすぎる、巨大な火の玉だ。

 

火炎の塊が、生まれたばかりの『セプト』に直撃した。

 

業火が弾け、周囲の土砂が舞い上がった。

 

燃えた、などとは言えない。

 

この常盤台最強の本気の熱はもはやそんな領域ではない。

 

一気に蒸発するのだ。

 

 

「かかか、お祭り会場はここかね」

 

 

トン、と呵々大笑しながら玉のような汗を滴らせる美琴のそばに降り立った。

 

まるで己が王者だと言わんばかりに威風堂々と佇む少女が、固まらずに『セプト』から離れた少数派――それでも100は超えるそれを凶眼で一薙ぎで灼き、塵もまとめて干上がらせる。

 

無造作に暴れるじゃじゃ馬ポニーの赤髪、そして腕を組む身体全体から爆ぜる炎を噴き出す少女は、まるで火から生まれた赤鬼のようだった。

 

 

「陽菜さん……―――「わかってる」」

 

 

ほんの一言に、彼女の侠気が結集している。

 

どうして? なんて疑問を鬼塚陽菜は美琴に投げかけさせない。

 

詩歌と違って、そういった事情の方は全部は分かっていない。

 

ただ応援に駆け付けた。

 

きっと自分が知らない、気づかない方がいいと察し、言わないのなら何も聞かない。

 

だから、何も言わなくていい。

 

今更ながら、この幼馴染と同じ長年の先輩の、理解と度量には胸を打たれるモノがある。

 

美琴の顔を指差しながら、悪戯小僧のように陽気に笑う。

 

 

「言ったさね? 先輩としてちゃんと後輩の面倒をみるってね」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「外は大変なようだねぇ」

 

 

地下通路を防具に身を包んだ部下を引き連れて、老人は進む。

 

 

「僕はチェスよりも将棋の方が好きでねぇ」

 

 

老人はクツクツと笑う。

 

その物腰に気負ったところはなく、むしろこの状況を嬉々として、自分も何か悪戯をすべきかと考えているように映る。

 

 

「取った駒を好きなタイミングで、好きな場所に置けるなんて、面白いと思わないかい?」

 

 

そう、例えば『案内人』と呼ばれた―――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

『―――ハッ! 残念だが、ここに『(あたま)』はない。『セプト』は力場だけの存在だ。『核』だけは別行動でランダムで行動するようにプログラムを組んである』

 

 

全身を余すところなく灼き尽くした。

 

生物で言う、筋肉組織、表皮、血管、神経、その他あらゆるものを焦がし、蒸発させた。

 

普通の生物であれば、間違いなく死んでいる。

 

どんなに生命力が強かろうと、瀕死状態は免れない。

 

即座の快復など、高位の肉体再生系能力者であったとしても不可能だ。

 

だが―――しかし。

 

 

「……まさか」

 

 

唖然とした陽菜の呟きに応じるように、もぞもぞと黄金の肉塊が蠢き始めた。

 

ぬっ、と2人の超高位能力者は観察する。

 

あの業火を耐え抜いただけでなく、その存在が修復している。

 

修復というよりは、過剰な再生のようだ。

 

焼かれた部分が腫瘍のように盛り上がって―――巨大化する。

 

 

『無限だ。無限の絶対性には誰にも敵わないと言ったはずだ。倒せば倒すほど、より増強して復活する』

 

 

その巨体は天を突き、もはや屍体を積み上げられた小山とも見間違う。

 

見るだけで、びりびりと、肌が感電するようだった。

 

これは怪物というより、怪獣という方が正しい。

 

そして、半透明の肉体に黄金だけでなく、紅蓮も混ざり始めている。

 

全身に濃厚なAIM拡散力場を纏いつつ、ついに動き始めた。

 

また腕は6本に増え、内2つは関節どころか骨もない、触手というよりまるで蛸足で、鞭のようにしなって標的を打ち砕く。

 

 

「ちぃっ……!!」

 

 

美琴と陽菜はそれぞれ逆方向に紙一重で、怪獣の六薙ぎを躱しつつ、距離を取って―――火炎と雷撃が挟み打つ。

 

電光石火の挟撃。

 

鈍重かと思われた怪獣は、しかし、意外な速度で反応した。

 

身体を蠢かし、その内側で紅蓮と黄金の輝きを回転させる。

 

力場の駆動。

 

<D・ゴースト>にとって、力場こそ血であり、筋肉であり、骨であり、内臓であり、あらゆる感覚器官であった

 

AIM拡散力場の耐性が向上された防御力が、その攻撃を耐えきり、僅か傷跡も瞬く間に新たに受肉して埋まり再生する。

 

そして、ぐうん、と倍以上に紅蓮と黄金の腕が伸びる。

 

阿修羅の如き左右6本の腕が縦横無尽に張り巡らされて天を覆い、美琴と陽菜を狙い、鎌首をもたげて振り下ろされる。

 

その速度は、迅雷。

 

その威力は、爆撃。

 

凄まじい力場的質量の炸裂―――それを砂鉄で受けて、熱波で捌く。

 

すんでのところで耐性のついた身体の猛攻を防げた。

 

超高位能力者の防衛能力は、かろうじて怪獣の攻撃を凌駕する。

 

しかし、今回は、一回だけで拳を止めなかった。

 

 

『その程度か、能力者!』

 

 

三度、四度、五度、六度。

 

六つの腕が美琴と陽菜を狙って何度となく乱れ打つ。

 

止まらないばかりか、拳撃はどんどん加速していく。

 

原動機(タービン)を思わせて、怪獣の身体が風車のごとく回転。

 

一撃ごとに速度も重みも―――そこに秘められた力場、棒に綿飴を絡め取るように学園都市に満ちたAIM拡散力場を纏いつかせて密度さえも、天井知らずに跳ね上がっていく。

 

 

 

だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ――――!

 

 

 

すでに拳撃は、ミサイルの乱射に等しい。

 

飛び散る力場の余波だけで、並の能力者は気絶しかねないほど。

 

もしこの力場の色が視れる者がいたならば、弾け飛ぶ力場は、花火のように視えただろう。

 

 

「し、つこい……っ! 一発ぶん殴ってやる!」

 

 

防戦一方の状況に、ついに陽菜が痺れを切らし、前に出る。

 

 

「燃えろ火拳(パンチ)!」

 

 

叫びと共に放たれる、<大覇星祭>の前に、第7位の破天荒な一撃(すごいパンチ)と相殺した、灼熱業火の赤鬼の火拳。

 

さしもの<鬼火>に耐性をつけた怪獣も、その勢いだけで大きく仰け反りひっくり返った。

 

だが、そこに、1本すり抜けた―――

 

 

「う、く―――!!」

 

 

美琴は紙一重で避けられたが、追撃に前に突っ込んでいた陽菜が一撃をもらう。

 

威力こそ殺していたが、それでも怪獣の巨大さと重さはそれだけで武器だ。

 

ごろごろと地面を転がる。

 

 

「陽菜さんっ!」

 

 

「大丈夫だ、後輩!」

 

 

立ち上がった陽菜は唇の血を拭う。

 

間一髪、打撃を喰らう直前に後方へ逃れていたのが幸いした。

 

そうでなくては、上半身が引き千切れてもおかしくないほどの衝撃だった。

 

迂闊だったと陽菜は苦笑しつつ、その再生力に流石に唖然とする。

 

 

『ありがとう。これで『セプト』はさらに強くなれる』

 

 

倒れた衝撃で舞い上がった土煙の中に、盛り上がった影。

 

そこからも煙と異臭、しゅうしゅうという異音があがっておるも、怪獣は依然として健在。

 

耐性ができていては、生半可な攻撃は通用せず、防戦一方に追い込まれている。

 

だが、二人の顔に焦りの色は見られず、この倒れている状況は好機に違いなく。

 

 

「こいつぁ、あのデカブツを少し舐めてたねぇ」

 

 

「ええ。このままじゃジリ貧ですね」

 

 

「しっかし、やり過ぎるっつうことがなさそうな怪獣さね」

 

 

「ええ、一気に片付けても構わないわね」

 

 

「じゃあ、行くよ。カウントダウン」

 

 

「スリー」

 

「ツー」

 

「ワン」

 

 

美琴と陽菜が、同時に動く。

 

圧倒的な破壊力を秘めた超電磁砲が『セプト』を木端微塵に打ち砕いた。

 

さらに極限まで圧縮された獄炎が、躰の破片を灼き尽くす。

 

これは、偶然にも。

 

五行説において、『雷』とは木気に属する。

 

そして、その木気が相生するのが、火気――『火』だ。

 

しかも、常盤台中学で最高の電姫と最強の炎鬼の放つ<超電磁砲>と<鬼火>は学園都市でもトップクラスだ。

 

科学とは異なる法を扱わずとも、その意味を成したのならば、少なからずの効果を発揮する。

 

あまりの衝撃と高温に、大地が抉られ、地面がガラス状に変質する。

 

余波の地響きが周囲全域の建物を揺らして、絶縁体にして不燃体の『セプト』のいた空間ごと一瞬にして蒸発し、上空に離れていた監視機器も滅す。

 

超高位能力者二人による、渾身の一撃。

 

これ以上の攻撃は、科学の頂点である学園都市全体を見ても、そうそうお目にかかれないに違いない―――

 

 

「おいおい……」

 

 

―――だが、絶望は消せない。

 

宙に浮かび上がる、一体の幽霊。

 

姫君(エース)』と『暴君(キング)』が固まる。

 

AIM拡散力場を際限なく吸い上げる『現象』とも言うべき脅威。

 

クラゲの形をしたそれが、一度風船のように膨張した後、爆発するように増殖し―――

 

 

 

「―――混成<玉虫>」

 

 

 

生気に満ちた瑞々しさをもった流麗なシルエットの飛燕。

 

頭上から、天上から、上条から。

 

真上に、一条の光跡を引きながら、大気を裂いて唸りを上げ、吸い込まれるように『セプト』へ着弾。

 

 

「核はありませんが、抑えることはできる」

 

 

個体が霞のようにぶれ初めて、増殖が鎮まった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

映像が途切れた時は鑑賞程度のもので、自分達の目で見れないのが残念なだけだった。

 

だが、『セプト』の活動反応が衰退した瞬間、<スタディ>の有富春樹たちは、異常を悟った。

 

仲間の一人は興奮した真っ赤な顔で、声を嗄らして叫んだ。

 

 

「何が起きてるんだよ! まさか『セプト』がやられたって言うのかい!」

 

「そんな物理的現象じゃ止められないし、『核』は破壊されてないはずよ!」

 

「原因が分からないんじゃ、クソッ! 早く現場の映像復旧を急げ!」

 

「ダメだ繋がらない! 何をやってるんだアイツらは!」

 

 

不測の事態に不満は連鎖し、有富もまた不能――いや、絶望した。

 

だから、この混乱する状況に呑気に菓子食ってるスタッフの女性が明らかに浮いていた。

 

 

「おい! そこのお前! 先生から紹介された優秀なスタッフなんだろ! 働け!」

 

 

パンッ! と有富は女性の手にあったマーブルチョコをはたき落とす。

 

バンッ! と有富はその女性の手に間髪入れずに頭をはたかれる。

 

 

「有富君っ!」

 

 

そして、女性スタッフは倒れた有富の頭を踏みつける。

 

そのヒールの尖った踵を耳に突き入れ鼓膜を破るように―――寸止めで。

 

 

「ぎゃーすかぎゃーすか、うっぜぇなぁ、マジで。しかも、他人に八つ当たりするとは。怒りのあまりに涙すら出そうだ」

 

 

お団子にしてまとめていた髪を振りほどいて、緩やかなウェーブが広がるよう首を振る。

 

 

「お守にもそろそろ飽きてきたトコロだし、よ!」

 

 

余程かったるかったのか、コリを解すように肩を回し―――それから有富の顔面を蹴っ飛ばした。

 

 

「っっっ!」

 

 

暴力を見る事に慣れているはずなのに、仲間が足蹴にされる様子に息をのみ、動揺している様が伝わってきた。

 

たぶん、それほど女性スタッフの豹変ぶりなのだろう。

 

が、所詮は、自分で喧嘩をしたことのないインテリお坊ちゃまたちだ。

 

潜り抜けてきた修羅場の数が違う。

 

一体誰のおかげで夏休みの工作が人様に見せられるほどマシになったと思ってる?

 

 

「どけ、ガキ共。テメェらのお遊戯は終わりだ」

 

 

そして、2体の<人造能力者>の眠る培養機の差し込み口に、『結晶体=ファーストサンプル』を差し込む。

 

 

「ああ、この時を待ってた」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「かかか、力場制御に関しちゃ親友の右に出る者はおらんよ。こうも派手に暴れたのに誰も野次馬が来なかったのはそういうことかい」

 

 

鬼塚陽菜。

 

 

「ついでに怪しい連中も掌握したゾ♪ でも、これだからアマゾーンの野蛮力は。お願いだから、私の隠れ家の近くで暴れないでくれるかしらぁ」

 

 

食蜂操祈。

 

 

「めちゃめちゃにしたのは悪かったし、避難させてくれたのも助かったけど! もっとこう何か他に言うことないの、アンタは!」

 

 

御坂美琴。

 

 

「ご苦労様です。事前に飛ばした<念話能力(テレパス)>で伝えた作戦通りです」

 

 

上条詩歌。

 

『火炎』を操り、『熱量』を支配する『最強の暴君(キング)

 

『精神』を操り、『人間』を掌握する『最上の女王(クイーン)

 

『電子』を操り、『機械』を干渉する『最高の姫君(エース)

 

『幻想』を操り、『力場』を制御する『最優の聖母(ジョーカー)

 

無視する事を許さぬ引力をもつ、常盤台中学でも最たる実力者が集結した。

 

 

「ここの正門ゲートからは一人も通してないわよ」

 

 

この<才能工房>の管理者である、手櫛で髪を整えながら、食蜂は携帯機器を見て、

 

 

「ケド、施設の防犯力の警報は反応してるゾ。さっきの陽動力で侵入を許しちゃったんじゃないかしらぁ?」

 

 

「うん。私の直感的にもやられてると思うねぇ。なんつっても<木原>だからな」

 

 

そして、美琴、食蜂、陽菜の3人が最終的に判断を預ける相手は、彼女達の手綱を握り、最も信頼を勝ち得ている詩歌だ。

 

自然と指揮を執る立場を任され、判断を委ねられる。

 

 

「どちらにしてもここで留まっている余裕もありません。―――操祈さん、美琴さん、一緒に施設内の捜索をお願いします」

 

 

えーっ!? と不満の声が上がるが、詩歌は手をにぎにぎさせて黙らせる。

 

 

「できれば、全員で行動したいところですが、詩歌さんはこの怪獣を抑えなければなりませんので、ここは動けません。陽菜さんは爆弾のようなものです。下手をすれば操祈さんの隠れ家が全焼します」

 

 

「詩歌っち、流石の私も他人家では自重するよ?」

 

 

「ついでに、先の戦闘で怪我したようですし」

 

 

刺すように悪友の身体の患部を射抜けば、反論の口も噤む。

 

この中で、唯一鬼塚陽菜だけは、何となく察しているようだが、<妹達>を巡る事情については把握していない。

 

ただ、木原幻生が後輩たちにちょっかいを出そうとしていると認識している程度だ。

 

 

「大人しく外で見張りです。まだ援軍が来る可能性もありますので」

 

 

「あいよ、了解」

 

 

「操祈さんは、ホームグラウンドですが、単独行動は最も危険で最低でも二人組(ツーマンセル)。戦力的に、美琴さんがいた方がいいでしょう。セキュリティが乗っ取られていても美琴さんがいれば大丈夫でしょうし」

 

 

「はい。ついてくるなといわれても同行させてもらうわよ。私にはあの子を守る義務があるんだから」

 

 

「しょうがないわねぇ。体力的にも万全なのは私と御坂さんだけ……あのジーさん相手じゃ、野蛮力も必要になるだろうしぃ」

 

 

色々と思惑もあるが、結局、美琴も食蜂も同じだ。

 

目的が同じであるのなら、人は手を繋がずとも、同じ道を歩んでいける。

 

 

「……で? こいつはこのまま放置かい? 『核』はどうにかしなくていいの?」

 

 

元のクラゲの形態で維持されている『セプト』を見つめながら陽菜は尋ねた。

 

落ち着きを払った声で、

 

 

「これは木原幻生とは関係ないでしょう。今は、木原幻生を止めることを優先すべきです」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

どうやら表の戦闘も収まったようだ。

 

外部のカメラで、あの謎の群体には最初肝を冷やしたが、第3位らのおかげで守られた。

 

警報装置も鳴ったが、出入り口のカメラには何の人影も映されず、おそらくあの内の一体がセンサーに引っ掛かったりでもしたのだろうか。

 

留守を任された知的傭兵として、カイツ=ノックレーベンは、警戒を怠るわけにはいかず、携帯機器の監視中継映像に目を光らせる。

 

 

「う……、……?」

 

 

この騒ぎに眠り姫が気づかれたようだ。

 

まだ熱に浮かれて半ばの覚醒だが、それでもこちらを認識するだけの意識はある模様。

 

そして、ここが第2学区にある建物だと知れば、部屋にある彼女の為に用意した医療機器を把握し、

 

 

「あなたが……ミサカを看てくださったのです、か? ……と、ミサカは感謝の意を表します」

 

 

「いえ、これは仕事の一環ですかラ」

 

 

カイツは手のひらを見せて断りを入れる。

 

言葉の通り、カイツは雇われで、無償で働いているわけではない。

 

それに、彼女の謝辞を『実験』の関係者であった自分が受けるわけにはいかない。

 

彼女、<妹達>の10032号は礼だけを言うとまた、すぅーと寝息を立てる。

 

これはカイツがしてきた仕事の中でも、久しぶりにまともな人助けだ。

 

今のところ様々なイレギュラーが起きているようだが、10032号のオリジナルである第3位がここに現れたということは、素直に第3位に身柄を引き渡そうかと考える。

 

その際、自分は隠れた方がいいか、と――――その時、誰もいないはずの背後から。

 

 

「勝手にお邪魔させてもらって早速だけど、<妹達>を屋上まで運ぶのを手伝ってくれないかな」

 

 

ピッ―――とスーツから拳銃を取り出すよりも早く、ライト付きのリモコンが向けられた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

シェルターの隔壁は、呆気なく開いた。

 

カメラを見上げ、指示されたタブレットへ食蜂が手をあてただけで、網膜と指紋、DNAデータなどを確認したらしく、まるで閉ざされた城が君臨する主を恭しく出迎えるように、重々しい音を立てて解放されたのである。

 

遊撃、および退路は先輩たちに守られ、美琴と食蜂は建物の内部へと踏み込んでいた。

 

薄ぼんやりと照らされたコンクリートの通路は妙に息苦しく、威圧的で、造り上げたもの達の精神性を現わすようでもあった。

 

かつての『実験』で研究所襲撃してきた経験が生かされ、美琴も外部セキュリティのいくつかの機能に干渉して建物の構造を把握したが、人員の居場所までは特定できない。

 

食蜂の案内でまずは中央部へと2人は向かう。

 

 

「……そういえば、あの子はどうしたの?」

 

 

沈黙を嫌い、2人っきりになった緊張の糸を緩ませるように、食蜂が問いを投げる。

 

 

「近江さんなら、安全な所に避難させたわよ。巻き込まれないようにね」

 

 

黒子ら後輩たちに手を出したのと同じ返しに、そう、と食蜂は短く一言で終わらす。

 

美琴がここに来ていた時点で察している。

 

そして、また沈黙が訪れる。

 

けれども、先程までのとは違い、幾分淡く和らいだものになった。

 

改めて、美琴は周囲を窺う。

 

だいぶ奥まで進んだが、今のところ誰にも遭遇しておらず、無人兵器も進駐していない。

 

人がいても、食蜂操祈に操作されるだけで、精神を掌握できない機械も御坂美琴がいるならオモチャだ。

 

このLevel5を警戒して、無駄な戦力は投入しなかったのだろうか?

 

それとも警報センサーは誤報、あの怪獣の襲撃に撤退したのか?

 

 

「ねぇ、ここで働いていたスタッフは?」

 

 

「さぁ? 『エクステリア』の整備に必要だから殺されてはいないんじゃなぁい?」

 

 

「『エクステリア』?」

 

 

「私の能力を増幅・拡張するブースター、……みたいなもの。表向きはね」

 

 

表向き? と訊き返せば、食蜂は淡々と答える。

 

 

「ここ、<才能工房>の本来の目的は私の能力を誰でも使えるようにすることだったんだゾ☆」

 

 

「は? 能力を増幅させるだけでなく、他人に能力を譲渡するって?」

 

 

食蜂は己が抱える闇の一端を明かす。

 

登録した人間なら誰でも<心理掌握>を行使できるようにする―――それが『エクステリア』

 

最初は、人工的に天才や偉人を生み出すことを目指した研究機関だった。

 

人造能力者(ケミカロイド)>に近い考え方だ。

 

が、食蜂操祈の才能を知ってからは変わった。

 

人間であるなら誰であろうと統べる<心理掌握>の力を用いて、現存する天才偉人らを洗脳した方が手っ取り早いと。

 

 

「ま、潰した上に乗っ取っちゃったけどぉ♡ 私の天才力は人格高潔な人物しか制御できない。俗物が手にしたら無闇に振り回して危険だものねぇ?」

 

 

それが、<才能工房>、都市伝説にある『能力を発生する機械』の噂のタネ。

 

だけど、その正体は、“機械じゃない”。

 

そして、中枢部に辿り着いた時、その答えが明かされる。

 

 

「……誰にも、詩歌さんにも知られたくなかったのに、よりにもよってアナタに見られるなんてねぇ」

 

 

水族館の水槽のような透明な円柱。

 

そこには、“脳”が保存液に浸されて浮いていた。

 

その円柱でなければ収まりきれないほど大きい、ふたつの、脳が。

 

学園都市最上の精神系能力者<心理掌握>の大脳皮質の一部を切り取って培養・肥大化させた巨大脳。

 

それが<外装代脳(エクステリア)>。

 

さしもの美琴も息をとめた。

 

食蜂は見慣れた“自分”の分身たる<外装代脳>を検分する。

 

 

「目立った外傷はなし。持ち出せるとは思ってなかったけど、荒事の形跡もまったくなかったのは、それはそれで怪しいのよねぇ?」

 

 

「木原幻生は<外装代脳>を使って何かしようって企んでいるわけなんでしょ?」

 

 

「でも、コレを使うには数日かけて『登録』する必要があるのよねぇ……」

 

 

たとえ制圧しても短時間では意味がない。

 

ならば、ここに保護した<妹達>が狙いだろうか?

 

けれど、10032号には<心理掌握>には解除できないよう何重にもプロテクトを施してある。

 

やはり、<心理掌握>を行使する<外装代脳>は必要だ。

 

この防御には、致命的な綻び一つ見せない完璧なはず。

 

だが、あの木原幻生がこの程度をも予期していないはずがない。

 

とにかく知的傭兵に見張らせた10032号(あの子)の安否を……と次の行動に移ろうとしたときだった。

 

 

「―――っ」

 

 

食蜂のバックから携帯の着信音。

 

それもこの音色は知的傭兵カイツ=ノックレーベンのもの。

 

強烈な妨害電波で遮られていた通信だが、ここは嵐の目のように回復したのかもしれない。

 

食蜂は耳元にあてて、すぐさま通話モードに切り替える。

 

すると、聞こえてきたのは、その電話の所有者――――ではなかった。

 

 

『やあ、屋上まで運ぶのに君の手駒をちょうだいさせてもらったよ』

 

 

 

―――頭の中で、ガチリ、とアダプタが接続された音がした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

屋上には、10032号と、ここまで10032号を運んだカイツ、と彼の手足を借りた木原幻生。

 

 

「『登録』を煩雑にすることで乗っ取りを防ぐ? 甘いねぇー。『登録』などしなくても<外装代脳>を僕と同じ脳波に調律してしまえば能力は僕のものなんだよ。―――そう、<幻想御手(レベルアッパー)>でね」

 

 

まるで悪戯を打ち明けるように、幻生は稚気に溢れる口振りで通話口に向けてそう言った。

 

『幻想御手事件』を起こした木山春生にネットワーク構築の脳波調律の方法を示唆したのは他ならぬ木原幻生。

 

<妹達>にどれだけプロテクトをかけてあろうと、同じ力を使えるのなら、その突破も容易い。

 

幻生はからかうように続ける。

 

 

「じゃあ、<ミサカネットワーク>に特性のウィルスを注入しようか」

 

 

10032号、御坂妹へリモコンを向ける。

 

 

 

まるで、天の怒りにでも触れたように雷雲が出現した。

 

 

 

天変地異の前触れか?

 

<ミサカネットワーク>でリンクされた世界中に散らばった10017人もの<妹達>の力が、黒い雷電と変化してこの屋上に収束する。

 

それは暗幕を隔てて隠れた巨大な何かが、ぐっと身近に身を乗り出してくる気配。

 

人を超越した高次元の存在―――あるいは『現象』が、その力の一端を、この世界に権限させる。

 

目を眩む、巨大な雷電。

 

暗雲よりもなお漆黒で、魂さえも委縮させる禍々しき、力場。

 

木原幻生は、素晴らしい、と感想を漏らす。

 

でも、膨大な力も何の方向性も与えなければただの災害に過ぎない。

 

さて、この力の一番面白い使い道は何だろうか?

 

木原幻生の実験計画は着々と次のステップへと進む。

 

 

「その子に、何をしたァッ!!!」

 

 

 

誘導通りに鋼鉄のドアを破り、屋上に現れたのは電話でわざわざ現在地を告げて誘導した御坂美琴。

 

学園都市Level5序列第3位。

 

第一候補(メインプラン)』の影に隠れた統括理事長(アレイスター)のお気に入り。

 

その眠れる力を覚醒させる起爆剤に使うのはどうだろう?

 

御坂美琴の身体を器にしてね。

 

 

 

御坂妹が倒れるのを見て、激昂する美琴を避雷針に見立てたかのように、黒い雷電が落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

稲妻の如き激痛が、脳天を貫き、爪先まで駆けていく。

 

比喩ではなく雷に打たれた、その言葉にならない衝撃に襲われ、美琴の視界は揺らぎ、霞み、一気に遠ざかり始めた。

 

貧血のような―――それも一瞬で全身の血を抜かれたようなゾッとする感触に見舞われて、目眩と吐き気、悪寒と恐怖が、美琴の電気信号を介す神経をぐちゃぐちゃにする。

 

周りの世界がひずみ、歪んだ世界から心が押し出される。

 

魂までもが目の前の世界を離れて、どこか違う真っ暗闇に放りだされる。

 

それは、美琴の精神で把握できる範疇から、大きくはみ出した事象。

 

 

そして―――

 

 

理性が倒壊し、今まで抑え込まれた肉体の奥底の渇望が、爆発する。

 

足りない。足りない。足りない。

 

Levelが。力が。何もかもが。

 

自分は縛られている。

 

人の枠という『殻』の中に閉じ込められている。

 

それが今、罅割れる。

 

 

 

―――バキンッ―――

 

 

 

と、何かが破壊される音が、御坂美琴の内側で、大音響で轟いた。

 

おそろしく不気味な音。

 

身の毛がよだつ不吉な響き。

 

足場が崩され、取り返しのつかない場所へと堕ち始める―――御坂美琴という存在そのものが破壊される音だった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

細く青白い肢体。

 

雷で象らせた羽衣のような二つの帯。

 

儚くも怖気を誘う少女は綺麗。

 

広大な海にたゆたう女神の絵画を見ている気分になる。

 

だが。

 

その額から伸びる―――まるで角のような二本の触角は、魔天のものに違いない。

 

その通りに、見開いた眼は、どす黒く染まっているではないか。

 

明らかに異常。

 

女の子の存在感も、どす黒い眼の挙動も、常識で説明する事ができなかった。

 

 

―――あれ? 私……何してたんだっけ?

 

―――何だか、意識が朦朧として……てゆーか、私って誰?

 

 

そして、魔天の少女は夢の中にいるような顔で、己に起きていることが全く理解できていないままに、御坂美琴自身の思考事態すら他人事のように、視線を虚空に彷徨わせている。

 

 

>ネーネー、何でこの街の本質を分かってるのに平気でいられるのかなっ?

 

 

―――学園都市? 本質? なにそれ?

 

 

>クローンを人と扱わないのを見たんでしょ?

 

>いや、人間でも実験動物としか見ないのを知ってるんでしょ?

 

>科学の名の下に人を喰いものにするこの街の本当の顔だってさ、気づいてるんでしょ?

 

 

周囲に意識を向けて、この世界とは異なる外れた、この街の闇を視る。

 

ひょっとして幽体離脱でもしてしまったのか。

 

そうおぼろげに考えたが、この世界から“ズレ”ていく感じは、別次元の世界に迷い込んだかのよう。

 

その答えにも確信は持てないが、美琴の意識ではそれ以上の認識ができない。

 

だから、簡単に他人の意図に委ねてしまう。

 

 

―――ああ、思い出した。

 

―――例えどんな理由があろうとあんな事をしでかす奴らを許さない。

 

―――もう二度とあんな思いをする人を出さないようにしなくちゃ。

 

―――でも、どうやって?

 

 

>アレアレ。この街の中心にして司令塔のビル。

 

>アレが存在する限り、何度でも誰かが泣いたり傷ついたりする悲劇は繰り返されるよ。

 

>だからさ――――壊しちゃお、『窓のないビル(アレ)

 

 

―――うん……

 

 

そして、宙をさまよう視線を、誘導のままに、学園都市統括理事長の居住区『窓のないビル』へと向けられる。

 

 

 

―――そのとき、御坂美琴の視界を遮るように『神上』は現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

それはまるでタイミングを見計らったかのように直前だった。

 

 

 

突如、クラゲの形に収まった浮遊体が、鳥の形に変ず。

 

 

―――えっ?

 

 

翼長1mを超える大きな両翼を開く。

 

途端、流れ込む情報量に、どくん、とパスが繋がった詩歌の心臓が飛び跳ねた。

 

一気に動悸が速まり、視界がぐにゃりと歪む。

 

息が詰まる。

 

悪寒が走る。

 

手足が痺れ、見当識が喪失する。

 

そして、力場が大きく乱れた。

 

 

―――これは、まさか!?

 

 

ここまで並々と水を注いだ器を思い切り振り回したように、力場が跳ね上がり、その余波が辺りに放出される。

 

まずい―――と反射的に意識するが、危機感に上手く反応できない。

 

盤上にいきなり盤外の第三者から王手をかけられたような感覚。

 

 

 

<木原>はひとりだけじゃなかった。

 

 

 

背後で陽菜が何かを叫んだが、その声は聞き取れなかったほどに、周囲の反応がひどく遠く感じられた。

 

身体が意識から無理矢理引き剥がされていくかのよう。

 

耐えがたい嘔吐感がこみ上げるように、自身もまた暴走――上条詩歌のその奥が目覚めようとするのを抑えるので精一杯だった。

 

 

ひゅんっ、と『セプト』は制御を振り切って舞い上がり―――滑るように急降下した。

 

詩歌の頭上に。

 

 

「しい―――」

 

 

速くも、鋭くもなかった。

 

『セプト』に怪獣の時のような、急激な感じは全くなかった。

 

なのに、抵抗も反応もできなかった。

 

異なる世界を飛ぶようにして、『セプト』コード『PHENIX』は詩歌の上に舞い降りた。

 

詩歌の真上で翼を広げ一瞬の滞空。

 

そして、その姿がばらりと崩れる。

 

まるで砂の城が崩れたように、幾枚もの羽根に姿を転じた。

 

詩歌に覆い被さるように、半透明の羽根が乱舞する。

 

まるで幻を見ているよう。

 

何一つ行動できないまま、その光景を見守ることしかできない。

 

 

 

上条詩歌が大きく目を見開き、体を弓なりに仰け反らせた。

 

 

 

何か半透明なものが、背中の左右からゆっくり、ゆっくりと伸び始めて―――翼が生まれる。

 

バサリ、と翻り、鮮やかな光に包まれて虹のように色が加わる。

 

淡く美しい輝きは、まるで極光を凝縮し塗り固めたようだ。

 

大きく翼を羽ばたかせるたびに、星屑の如く光の粉を撒いた。

 

星雲の如き煌めく竜巻に乗り、上条詩歌は『天上』まで舞い上がった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

力が、集う。

 

まるで星が壊れる直前だ。

 

自らの超重力によって、恒星が砕ける過程を想起させる。

 

極限まで圧縮され超新星爆発へと至る、オワリのハジマリ。

 

 

『チョチョちょっとっ!! あのイレギュラーは一体何なの!?』

 

 

『実験動物』が発する力の余波を、木原幻生は高台から曙光を眺めでもしているような透徹した眼差しで見つめている。

 

自らも巻き込まれて死をもたらしかねない力を前に、凪いだ湖面のような平常心で、力みなく構えている。

 

むしろ、余裕に、笑みさえも浮かべている。

 

死なないと確信しているのではなく、死んでも構わない、死さえも嘲笑える狂気。

 

 

「やれやれ、最近の若者は適応力がないねぇー。素直に感動したらどうだい」

 

 

『そんな余裕はないわよっ! このままで本当に大丈―――』

 

 

故に、その光景を、もうひとつの存在も木原幻生は当然把握していた。

 

―――と警策看取との回線に割り込んだ。

 

 

『―――よぉ、お爺様。まだまだ現役でお盛んのようだなぁ』

 

 

女性の声。

 

この回線に割り込んでこれる者は限られており、その声にも聞き覚えのある。

 

『ほっ』と幻生が愉しげに声をもらす。

 

 

「そうか。工作にしては中々手が込んでると思ったら、君の仕業か。―――テレスティーナ」

 

 

木原幻生と木原=テレスティーナ=ライフライン。

 

この2人の関係は、祖父と孫娘。

 

そして、科学者と実験動物。

 

幻生が最初の暴走能力の法則解析用誘爆実験で『能力体結晶』を投与したのがテレスティーナだ。

 

久々の家族の会話だが、そこには互いに銃口を向けて笑い合っている狂気のイメージが浮かぶ。

 

 

『直接手を貸すと面倒だからな、色々と回りくどいやり方をやらせてもらった』

 

 

<MAR>経由で、テレスティーナの手足の代わりになれる人材として<スタディ>を確保した。

 

それから<メンバー>に所属する『外様の<木原>』を介して、準備を進めてきた。

 

複数の超高位能力者らのAIM拡散力場から生まれた<D・ゴースト>が、欠片でも触れただけでその力を投影する少女に集う。

 

しかも、<ファーストサンプル>と呼ばれる<能力体結晶>により暴走した状態で。

 

あの、<乱雑解放(ポルターガイスト)>の時の覚醒時の状況を再現する。

 

 

『これが私が選んだ実験動物だ、クソジジイ』

 

 

「いいねぇ。歓迎しよう、テレスティーナ。実験(木原)を始めよう」

 

 

弱肉強食。

 

これから食らい合うというのに、2人の<木原>は嗤う。

 

それが、<木原>として正しいのだから。

 

彼らがここまで科学の禁忌を犯させるのは知恵でも技術でもなく―――思想だ。

 

<木原>とは実験動物の安否を気にせず只管に結果だけを追い求めて、必要とあらば家族さえも殺す。

 

 

 

虚無と無限と絶叫と静寂と爆発と停滞と始原と終末と宇宙と極小と螺旋と直線と激痛と快楽と幻想と現実と――――その全てが内包された概念そのものが、今ここに収斂される。

 

 

 

神上と天上の意思が激突する<木原>の実験が始まる。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

壊れた人形のように手足を投げ出して、ぽて、と地面に落ちる。

 

急速に暗雲が覆い始める中で、ピクピクと痙攣する幼女。

 

 

「え―――」

 

 

佐天は両腕で抱きあげた―――その瞬間。

 

 

ザザザザッ、と。

 

 

まるで激しいノイズが混じった映像のように、幼女の姿がビリビリと乱れた。

 

輪郭が歪んでぶれ、その裏側が透けて見える。

 

砂嵐にも似た渇いた雑音が聞こえてきて、その腕の感触もどんどん、何か希薄になっていく。

 

 

「―――」

 

 

その腕の中の光景に、佐天の思考が再び停止した。

 

息をするのも忘れ、全身が凝結した。

 

だから、何も考えていなかった

 

 

『―――その子の……形を崩さないで……』

 

 

佐天涙子は都市伝説に余程縁があるのか。

 

それは陽炎の中に住まう、正体不明の存在。

 

頭の中で響く、おどおどとした声に従って、佐天はほとんど直感的に動く。

 

 

「そうだ! あたしの力なら―――」

 

 

この崩れていく身体を留めようと“空間ごと固めることに専念した”。

 

佐天の力<空風飛弾>は、ちょっとばかり空間を固化することができる。

 

密閉した空間でなければ形を維持できない力場物質化を、密閉した空間で包み込む。

 

 

 

それが、この『楔』を固定する一つの歯止めとなる。

 

 

 

つづく


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。