とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 基準点

大覇星祭編 基準点

 

 

 

第5学区 廃墟ビル

 

 

 

目が、覚めた。

 

あの一撃を喰らう寸前、あの少女は一瞬だけ手を抜いた。

 

<魔法名>は殺し名だ。

 

それを聞いておいて、手加減するなど、つくづく甘い。

 

そもそも戦闘の最中、こちらは全力で殺しにかかったのに、彼女から一切、殺意とかそういったものは感じ取れなかった。

 

最も危険な相手だったが、愚かなほど優しい子。

 

もし、これで再び、こちらが牙を剥いてきたら彼女はどうするつもりなのだ。

 

この確かな基準点がない世界、助けた相手が、必ずしも感謝するとは限らないのに。

 

言っておくが、今度はただでやられない自信がある。

 

赤の筆記体で『Fire Symbol』と書かれた単語帳のページを痺れる体を無理に動かして噛み千切る。

 

その効果は、火属性――再生と回復の象徴を利用し、自然治癒力を高めるもの。

 

これでどうにか歩くだけの体力は大丈夫であろう。

 

が、

 

 

「ま、お姉さんの負け、ね」

 

 

どこか毒気が抜かれたようにすっきりした顔で、オリアナ=トムソンは笑みを浮かべる。

 

全く、あそこまで真っ直ぐなのは、羨ましいとさえも思う。

 

きっと彼女には彼女自身の何者にも左右されない基準点を持っているのだろう。

 

そして、未だに痛む胸元を摩りながら、少女が飛び出していった方角を見やり。

 

どこか楽しそうに、ほんのりと微笑み、

 

 

「さぁて、お姉さんはこれからどうしよっかなー?」

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

姫神秋沙は再びあの境目へとやって来た。

 

無断でいなくなった彼女のクラスメイト――上条当麻の捜索のために。

 

姫神は次の競技には参加する予定がなく、そこを彼女達の担任の小萌先生に捜して来てくれないか、と頼まれたのだ。

 

まあ、その直前に『ちゃんと上条ちゃんをナイトパレードに誘うのですよー、姫神ちゃん』と言っていたので、気を利かせたのかもしれないが……

 

 

「本当に。小萌先生は」

 

 

そんなお節介な担任の顔を思い浮かべ、笑みを作り、そして、彼の顔を思い浮かべて、ほんのり頬を染める。

 

まさか、自分が、こんな気持ちを抱くなんて……

 

あそこで籠の鳥として扱われていた時では、きっと想像もつかなかっただろう。

 

あの頃の自分は、きっと生涯をあの籠の中で過ごす事になるだろうと思っていたから。

 

 

「え――!?」

 

 

それは一瞬だった。

 

角を曲がった、一瞬。

 

 

「    ッ!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「く……」

 

 

ある匂いを、少女の鋭敏な鼻は嗅ぎ取った。

 

感じた瞬間、自然と緊張感がより一層高まる。

 

喉が、えずく。

 

石でも呑み込んだように、胃の底が重くなる。

 

 

……ああ。

 

 

聞いてはならない音が木霊している。

 

 

ぴちゃりぴちゃり。

 

ぴちゃりぴちゃり。

 

ぴちゃりぴちゃり、と音がしている。

 

粘っこい水が、執拗にアスファルトを叩く音。

 

鼓膜にべっとりとへばりつくような、そのまま神経まで染み込んでしまいそうな音。

 

 

「あ……ああ……」

 

 

その音に混じって、苦しげな吐息が聞こえた。

 

そして、彼女の感覚が訴える方角へ顔を向ける。

 

その闇の先にあったのは、

 

 

血。

 

 

狭い路地だった。

 

背の高いビルと細い道の組み合わせのためか、真昼なのに太陽の光が全く当たらない。

 

じめじめした道路は黒っぽい色をしていて、空気も全体的に流れが滞っているような匂いがする。

 

そんな路地裏が、

 

より一層暗い赤色によって、染め上げられている。

 

 

「……ッ!!」

 

 

体温が―――下がる。

 

頸動脈から、大量のドライアイスをぶちまけられたような感覚。

 

こめかみから首元まで、どっと噴き出る汗の冷たさ。

 

 

「      ッ!!」

 

 

地を這うが如き怨嗟の声。

 

亡者の唸り。

 

顔は直視するのも憚れるくらいに醜悪に歪んでおり、その肌は漆黒に染まり、それよりも黒い霞に覆われていた。

 

そして、その理性を失った獣は、新たな獲物を見つけて狂気の雄叫びをあげる。

 

だが、上条詩歌は、もっと重大な事に目を奪われていた。

 

掠れた声が、口をつく。

 

 

「姫神、先輩……!!」

 

 

そう、獣の足元で、兄のクラスメイト――姫神秋沙が倒れていた。

 

血で染められた地面に黒い髪を浸し、顔から手足まで真っ青に色が抜けてしまっている。

 

姫神は、動かない。

 

気のせいのような、浅い呼吸音が聞こえるだけだ。

 

 

「   ッ!!」

 

 

そして、

 

その獣の両手が、

 

真っ赤な血で濡れていた。

 

 

「があああぁぁあぁああッ!!!」

 

 

肉体強化特化――<暗緑>。<電磁鉄拳>パターン。

 

ただ『殴る』という動作を、より効率的に強化する。

 

その色に染められた右拳は鋼鉄よりも硬く。

 

その右腕に秘められた力が紫電となって迸る。

 

通常の<暗緑>以上に強力な電磁力によって強化された一撃は、すなわち学園都市序列第3位の超電磁砲の威力を加算され、立ち塞がる全てを粉砕する。

 

オリアナの時のように直前の手加減は一切なし。

 

そして、電磁の砲弾と化した少女の拳が襲い掛かる獣の右手、右腕、右肩を文字通り撃ち抜き、遙か先まで吹き飛ばし、曲がり角の壁に叩きつけた。

 

 

「姫神先輩!」

 

 

急いで姫神の血塗れの体を、返り血で真っ赤に染まるのにも構わず、抱きしめる。

 

そして、己の生命力を代償に発動させる治癒特化の<梔子>を――――

 

 

「   ッ!!」

 

 

しかし、獣が再び咆哮を轟かせる。

 

吹き飛ばされた右肩の断片から黒い虫が湧き出て、弾けた肉が瞬く間に再生する。

 

灰が灰に、塵が塵へと戻っていくのと同様に、神が定めた本来あるべき姿へと回帰していくかのように。

 

 

(ま、ずい―――)

 

 

<梔子>は、他の色と比べると多大な集中力を要する為、出来れば他の色との併用は避けたい。

 

しかし、今、ここで姫神秋沙の体を動かすのは危険だ。

 

それに、今の騒ぎを聞き付け野次馬達も多く集まって来ている。

 

もしここで逃げるを選択すれば、あの理性を失った獣がどんな惨劇を起こすのか想像し難くはない。

 

だからと言って、この超電磁砲以上の破壊力に耐え抜いたこの不死の怪物を一瞬で倒す事は不可能だし、これほど大怪我を負った姫神の体を一瞬で治癒する事も不可能だ。

 

この絶体絶命の危機レベルが、詩歌の心臓を突く。

 

さらに、

 

 

―――ヨメ。

 

―――ワタシヲヨメ。

 

―――ヨメヨメヨメ。

 

 

感じる。

 

ほとんど物理的なまでの執着が、少女の体を押し潰そうとしている。

 

さらに、

 

 

―――ミツケタ。

 

―――ヤット、ミツケタ。

 

 

それとはまた別の執着。

 

だが、それもまた自分に向けられている。

 

何故? と考える余裕はない。

 

もうすぐそこまで迫っている。

 

 

「混成、<菖蒲>……<拘束>パターン」

 

 

如何なる衝撃も無にする事で法王級の防御力を誇る空圧の結界。

 

それを手に、足に、胴に、首にリング状に固定させることで、その動きを縫い止め、狂い猛る不死身の獣の動きを封じ込める。

 

そして、さらに、

 

 

「混成、<梔子>」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

どうして……

 

どうして。こんな風に。なっちゃうんだろう。

 

体が脈を打ち。口から肺へ空気が出入りしている。

 

まだ。私は。生きている。

 

痛覚は。もう完全に。麻痺していて。何も感じない。

 

けれど。大量の血液が。体中から。零れ出ている。

 

 

「混成、<梔子>」

 

 

その時。優しい光に。包まれた。

 

彼女のような。温かな光が。体に浸透していく。

 

それが。ゆっくりと。私に。失った力を。与えてくれる。

 

無惨に。引き裂かれた傷口も。癒してくれる。

 

でも。

 

そんな。体の変化よりも。もっと目が離せない。

 

そして。見たくなかった光景が。広がっていた。

 

 

「大丈夫、です。すぐに、治してみせます」

 

 

己の失敗を悔やんでいる彼女の顔。

 

徐々に弱々しくなっていく彼女の顔。

 

そして。今にも泣きそうな彼女の顔

 

 

「    ッ!!!」

 

 

獣が吠えた。

 

力任せに、腕を振り回す。

 

腕が膨れ上がる。

 

黒い肌に欠陥が浮き、その二の腕が数倍にも膨張する。

 

 

ごおっ!

 

 

黒い霞が、獣の体から溢れだす。

 

なのに。

 

獣はそこから一歩も動けなかった。

 

けど。

 

 

「くっ……」

 

 

彼女から。苦悶の声が。漏れる。

 

血塗れで倒れている自分よりも。顔色が。真っ青だ。

 

少しずつ。痛々しそうな。表情に。歪んでいく。

 

彼女が。何をどうしているのかは。分からないけど。今。自分のために。必死になっている事だけは分かる。

 

そして。限界が。近付いている事も……

 

 

「私は、こんな運命(シナリオ)は認めない。絶対に、認めない!!」

 

 

どうして。と思う。

 

この世界は。どうして。都合良くできていないんだろう。

 

 

(私の事は良いから。早く逃げて)

 

 

でも。

 

この唇は。ちっとも開いてくれない。

 

この舌は。ちっとも動いてくれない。

 

この喉は。ちっとも声を出してくれない。

 

どれだけ力を振り絞っても。何も伝える事ができない。

 

 

「必ず助けます! 私の幻想を、投影して見せます!」

 

 

無理だ。

 

未だに。この現状を良く分かっていなけど。これだけは。分かる。

 

 

このままいけば2人とも――――死ぬ。

 

 

彼女は。彼の大事な人だ。

 

失っちゃいけない。

 

だから。そうなる前に――――

 

 

「ふふふ、こんなのはとっとと終わらせて」

 

 

その時。少女は。強がりでも。虚勢でもない。

 

本当に力強い笑みを浮かべ、

 

 

 

 

「皆で、ナイトパレードを見に行きましょう」

 

 

 

 

思わず。笑ってしまった。

 

本当にずるいくらいに。彼女は彼と似ていた。

 

 

「だから……お願い…死なないで……っ!」

 

 

自分たちを取り巻く世界はどこまでも冷酷だけど。この少女はどこまでも真っ直ぐだった。

 

 

「……うん」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

完全な暗闇に、包まれていた。

 

噛み締めた奥歯が軋む感触と、全身を貫く苦痛。

 

そんな残された感覚すらも呑み込もうとする虚無感が心に染み渡っていく。

 

眠気にも似た喪失感に満たされ、ゆっくりと瞼が閉じられていく。

 

だが唐突に、声が聞こえた。

 

 

『大丈夫、です。すぐに、治してみせます』

 

 

閉じようとしていた瞼が見開く。

 

暗闇で閉ざされた世界に、突如、浮かび上がった別の世界。

 

そこで、あの時の少女が、血塗れの少女を抱きながら、あの時と同じような顔をしていた。

 

 

『    ッ!!』

 

 

そのすぐ近くに、獣がいた。

 

鋭い犬歯を剥きだしにして、ギラギラと飢えた眼差しを彼女に向けている。

 

だけど、そこから一歩も動かない。

 

そして、己の体も動かない事にようやく気づいた。

 

 

(……ああ、そうだ――――)

 

 

体内で、アレが蠢き回る。

 

 

(――――この化物は、私だった)

 

 

己の中の狂気に囚われ、不死身の化物となってしまった。

 

アレの力は無尽蔵だ。

 

今はまだ、私と言う楔があるから制限されているが、その力はどこまでも高まっていく。

 

そして、我が肉体、精神、魂の全てを喰い尽すと共に消える。

 

そういう運命だ。

 

死ぬなんて、生易しいものではない。

 

苦しみ抜き、殺される度に耐え難い苦痛と共に甦らせられた挙げ句、その黒い感情によって、再び死ぬまで戦う事を強いられる。

 

そうして、やがて、喰われて、溶かされて、その存在の何もかも分解される。

 

その先に救いはない。

 

 

―――ミツケタ。

 

―――ヤット、ミツケタ。

 

 

怒りも、哀しみも、そして、―――も、ないまぜになった声が聞こえる。

 

ずっとずっと思い続けて、何の為に思っていたかも忘れてしまい、いつしか真っ黒に染まってしまった、そういう恨みだった。

 

恨み。

 

怨念。

 

恨みのための恨み。

 

怨念のための怨念。

 

その中で、1つ、それを疑問視する声があった。

 

 

そもそも何故、自分は死にたくなかったのだろう?

 

どうして、こんな事になっても生きているのだろう?

 

 

ローマ正教の礎となる為?

 

違う。

 

ただ、戦場で死にたかっただけ?

 

違う。

 

この街に、彼女に、復讐するため?

 

……………いや、違う。

 

 

 

 

 

『だから……お願い…死なないで……っ!』

 

 

 

 

 

ああ、そうだった……

 

こんな自分にも――――てくれた彼女を――――たくなかったから。

 

そして、いつか彼女に――――

 

それが、獣に、黒騎士になる前の、あの時の、『パルツィバル』だった男の願い。

 

そう、彼はあの時、彼女に、生涯で初めての―――――

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――キィィィンッッッ!!!

 

 

空間が断裂する音が響く。

 

本来、<菖蒲>は絶対防壁の結界。

 

しかし、<梔子>との併用により、その強度は格段に落ちていた。

 

 

(まだ……危ない)

 

 

そして、<梔子>もまた、その効力の半分も発揮できていない。

 

このまま、獣が<拘束>を破るギリギリまで治癒を続けるか。

 

それとも、治癒のスピードを遅めてでも、<菖蒲>の方へ意識を集中させ、その結界を増強させるか。

 

どちらにしても、その後、この獣と、この状況下で、対峙するだけの力は残っているだろうか。

 

唯一の救いとすれば、ここが人通りの少ない場所で、騒ぎを聞きつけ駆けつけた人達も、この獣が発する異様な重圧に固まって、余計な事をしてくれてない事くらいか……

 

その時、獣が動いた。

 

 

「―――っ!?」

 

 

<菖蒲>が、破られた訳ではない。

 

だが、その暴走により、その獣の体の方が先に崩れ落ちたのだ。

 

そして、結界の外で肉片が集結し、元の形へと復元する。

 

 

「混成――――」

 

 

すぐさま、詩歌は再び<菖蒲>を展開しようとする。

 

しかし、獣を捕まえるには、遅かった。

 

 

「    ッ!!」

 

 

聞こえただけで圧倒される暴威。

 

黒い疾風と化して、獣が少女の眼前へ飛び込む。

 

狂喜した顔が、真っ白な牙を剥いた。

 

鉄であろうと引き裂く牙。

 

凄まじい速度。

 

 

―――ワタシヲヨメェッ!

 

 

喜悦の声と共に、牙が空を切り裂く。

 

少女の華奢な体など、食い破るのに1秒といるまい。

 

実際、固まっていた観客達は、絶命する上条詩歌の姿を幻視した。

 

 

 

 

「んふ。そんな強引に迫っちゃ駄目よ。女の子にはもっと優しく、丁寧にエスコートしなきゃ」

 

 

 

 

ドッ! と詩歌の背後から目に見えない巨大なハンマーが獣の顔面目掛けて襲い掛かる。

 

その思いがけぬ不意打ちに思わず、獣の体が仰け反る。

 

一瞬の隙。

 

その好機に、驚くよりも早く、詩歌の思考が加速する。

 

 

「混成、<菖蒲>―――<拘束>―――」

 

 

結界による拘束が獣の動きを封じる。

 

それをさらに、

 

 

「―――千入(ちしお)

 

 

濃く染める――強化する。

 

 

「―――<金縛り>パターン!」

 

 

獣の体に固定化される<菖蒲>の輪が、倍加する。

 

その輪、1つさえも膨れ上がり、指先の動きすらも許されない。

 

 

「      ッ!!」

 

 

<梔子>の治癒速度は下がったものの、獣の暴走をその空間に縫い止めた。

 

 

「あら。やるわね、お嬢ちゃん」

 

 

「オリアナ、トムソン? どうして、ここに……」

 

 

後ろを振り向く。

 

そこには壁に片手を付け、少し動きが危うげな、丈の短いキャミソールに簾のようなスカートの上にパレオを巻いた扇情的な踊り子――オリアナ=トムソンがいた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「お嬢ちゃんと同じよ、っと、その前にお邪魔な観客達にはご退場を願おうかしら」

 

 

そして、彼女は苦しげに単語帳の1ページを噛み取った。

 

<速記原典>。

 

そのページの効果は、人払い。

 

周囲で固まっていた人達が、何事もなかったようにその場から離れていく。

 

 

「言ったでしょう? お姉さんも本当は犠牲を出したくないって。それに彼は、一応、お姉さんと同じ同士なの」

 

 

そう告げるとオリアナは、右手に単語帳を構える。

 

その視線の先は詩歌ではなく、獣――黒騎士。

 

 

「大丈夫、なんですか? 骨、折ってないとは思いますけど、罅くらいは入れたつもりですよ」

 

 

「んま、失礼ね。その子が取り込んだ魔導書ほどじゃないけど、ちゃんと、治癒術式は掛けてあるわよ」

 

 

しかし、今の彼女は、その体に貼り付けた<速記原典>の効果がなければ、歩く事すら困難。

 

だが、それでも彼女はここへ来た。

 

諦めるな、と。

 

例え、自分が正しいと信じてやった事で裏切られ、誰かが不幸になっていたとしても、今度はその不幸を取り除く為にまた助けて、それでも駄目なら、また違う方法を考えて救えばいい、と。

 

そんな子供の甘い絵空事を語る少女の基準点をもう少し見てみたいから。

 

 

「ありがとう、ございます、オリアナ=トムソンさん」

 

 

「うふ。オリアナお姉さんって呼んでも良いわよ、お嬢ちゃん」

 

 

「ふふふ。じゃあ、私もお嬢ちゃんじゃなくて、詩歌、と呼んでください。オリアナお姉さん」

 

 

「よろしくね、詩歌ちゃん」

 

 

先程まで死闘を繰り広げていたとは思えないほど、親しげに軽い挨拶を交わすと、詩歌とオリアナの2人は未だに暴れ狂う黒騎士へ視線を向ける。

 

 

「それで、その女の子の怪我を治したらどうするの? 格好付けといてなんだけど、お姉さん。あまり、激しい運動はご遠慮願いたいわ。さっき、可愛い女の子に結構きついのもらっちゃったから」

 

 

「それはすみませんね。まあ、私も逃げ足の速いお姉さんとやり合ったおかげで、ぶっちゃけ限界が近いんですけどね」

 

 

そもそもが戦闘に特化した訳でもないのに、今のオリアナは、詩歌から受けた一撃のせいで、ご自慢のカウンター戦術は使えず、<速記原典>による援護が限界だ。

 

そして、詩歌も、姫神の治癒はもうすぐ安全圏に入るが、<梔子>と<菖蒲>の同時展開の負荷が大きく、不死身の化物と相手している余裕はない。

 

 

「オリアナお姉さん。アレを鎮める方法、もしくは、攻略法みたいのを知ってませんか?」

 

 

「残念だけど、お姉さんも良く知らないのよ、詩歌ちゃん。リトヴィアが言うには、魔導書の<原典>をその身に取り込んで、今の力を手に入れたらしいけど」

 

 

「ほぉ、魔導書を体内に、ですか……」

 

 

険しい瞳で、黒騎士を見る。

 

この黒い霞が、夏休みに出会ったあの男と同様のものならば、彼を止める事は不可能だ。

 

しかし、その力が魔導書の<原典>によるものだというのなら、

 

 

「オリアナお姉さん。30秒、時間を稼いでもらえませんか?」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「姫神先輩。そこの角を曲がって真っ直ぐ500mほど離れた所に、救急車を呼んであります」

 

 

「え……どういう事?」

 

 

目を離せば、消えてしまいそうな表情。

 

傷口が塞がったものの、まだ、感覚がおぼろげで、ふわふわと、地に足が着いていない。

 

その様子に、無理をさせて、申し訳なさそうに彼女は眉を垂れ下げながら、言う。

 

 

「完全に、回復した訳じゃないんです。だから、先生に念の為に診てもらってください」

 

 

「……詩歌、さんは。どうするの?」

 

 

その言葉に、ますます眉をハの字に垂れ下げる。

 

姫神に、戦う力などない。

 

今すぐここを離れるのが正しい選択。

 

足手まといの自分がこの場に留まれば、留まるほど彼女の危険度が高まる。

 

だけど――――

 

 

「すみません」

 

 

とん、と額を突かれる。

 

 

「混成、<琥珀>」

 

 

すぅ、と心地よい香りが周囲に飛び散った鮮血の匂いを掻き消す。

 

その匂いを嗅いだ瞬間、姫神の身体と意識が乖離する。

 

そして、ゆっくりとした口調で、

 

 

「姫神秋沙さん。そこの角を曲がり、真っ直ぐ500mほど移動してください」

 

 

その言葉に、姫神は全く抵抗する事すらできず、

 

 

(待って!)

 

 

意識ははっきりしているのに、その命令に逆らう事ができない。

 

 

(お願いだから、あなたも一緒に!)

 

 

まるで別の生き物のように足が、身体が言う事を聞いてくれない。

 

 

(どうして。どうして。私なんかのために……)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「あら、催眠まで使えるなんて、凄いわねぇ……でも、ちょっと強引過ぎじゃないかしら?」

 

 

「仕方ありません。先程も言いましたが、私もそれほど余裕があるという訳じゃありません。後5分が、限界でしょう」

 

 

姫神がこの場を去った事を確認すると、未だに暴れ狂う黒騎士と距離を取って対峙する。

 

 

「今から、<原典>の魔術回路を切り替え、自爆させます。その為に拘束を解く事になりますが……」

 

 

「そこはお姉さんに任せてちょうだい。きっちり時間は稼いであげるわよ。でも、出来るの? 魔導書を即席で解析し、制御するなんて、お姉さんでも無理よ。しかも、彼を助けようだなんて……言っておくけど、彼、今日、ここで、戦って死ぬ事を望んでいたわ」

 

 

「でも、やらないといけません。私は、誰も泣かせるつもりはないです」

 

 

目を見据え、対象を見据える。

 

黒い霞の向こう、そこで穢されていく彼の“色”を。

 

 

「そして、今、彼も苦しんでいます。私は、人を幸せにするならどんな事でもやってみせますが、死に場所だけはどんなにお願いされようとも用意する事はできません」

 

 

そして、詩歌の指先から真っ白なスズメほどの大きさ鳥が1羽。

 

その指先が狙いを付けた場所へ大きく羽ばたく。

 

 

「混成、<玉虫>」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――刹那、獣を封印していた楔が解かれた。

 

 

 

「       ッ!!」

 

 

咆哮。

 

解放された喜び。

 

束縛された恨み。

 

そして、少女への妄醜。

 

それらが全てないまぜになった感情が凄まじい重圧となる。

 

 

「そこ!」

 

 

その大口を開ける瞬間を狙い、1羽の鳥がその体内へ潜り込み、一本の糸となる。

 

しかし、

 

 

「っがあ……!」

 

 

重力が何倍にも増したかのような漆黒の魔力。

 

それが、半透明の糸から詩歌へ伝染。

 

詩歌は、その恨みに穢れた“色”を投影していく。

 

 

「     ッ!!!」

 

 

しかし、黒騎士は赤く澱んだ目を輝かせながら、猛然とした勢いで迫りくる。

 

と、

 

 

「残念。まずはお姉さんがお相手するわよ」

 

 

オリアナが、詩歌と黒騎士を一直線につなぐルートに立ち塞がる。

 

理性を失った獣は、かつての仲間を障害と見なし、一気に蹴散らそうと腕を大きく振りかぶる。

 

それに対し、オリアナは<速記原典>――単語帳を束ねていた金属リングを取り外し、数十枚ものページを一度に解放し、目の前にばら撒く。

 

 

「我が身に宿る全ての才能に告げる―――」

 

 

舞い散る紙吹雪。

 

その上に彼女の呪に呼応するように純白の輝きと共に浮かび上がる『All_of_Symbol』と書かれた漆黒の筆記体。

 

その紙吹雪1枚1枚の中から、真っ白で細長い蔓が現れ、縦横無尽に達人が振るう鞭のように鋭く空を裂きながら舞い踊る。

 

それが次々と、無限の如く光の中から湧き出て、黒騎士に巻き付いていく。

 

 

「―――その全霊を解放し目の前の敵を束縛しろ!!」

 

 

光の蔓は黒騎士を埋め尽くすように何重にも絡みつき、縛ると、大地に根を張り、やがて、淡い燐光を放つ大樹と化す。

 

そして、轟!! と周囲の空間をぐにゃり、と捻り込みながら形を変えていく。

 

この白い閃光の正体は強大な重力。

 

この問答無用に、内側を抑えつけていく吸引力で獣――黒騎士の行動を封じる。

 

たとえ、腕が欠けても、足がもげても、その空間から脱出する事はできない。

 

だが、

 

 

「         ッ!!!」

 

 

ドッ! と禍々しく歪な黒い霞が、呪い共に、怨嗟と共に、オリアナが組み上げた大樹を侵食し始めた。

 

 

 

 

 

道中

 

 

 

<追跡封じ>――オリアナ=トムソン。

 

<速記原典>の特性ゆえに完全なる魔導師にはなれなかったが、魔導書を書き上げられる魔術師だ。

 

 

「これは、どういう事―――」

 

 

そのオリアナが、これ以上にないほど両目を見開く。

 

目の前の、黒騎士が取り込んだ強力な毒に。

 

これは、いくらなんでも危険過ぎる。

 

魔導書<原典>の毒は、間違えば、術者の命さえ奪うほど危険。

 

しかし、コレはその毒を敢えて武器にしている。

 

出来そこないとはいえ、同じ魔導書の<速記原典>を侵食していく。

 

そのドス黒く穢れた漆黒の毒で、<速記原典>の全てで組み上げた大樹が染め上げ、腐らせていく。

 

 

「     ッ!!」

 

 

黒騎士の体から噴き出る黒い瘴気が完全に<速記原典>を覆い尽くした。

 

周囲の光景が、まるで塗り潰されたように全く別のものへと変わっていく。

 

他者をその黒い瘴気によって侵略する力。

 

ステイル=マグヌスとの戦いで目覚めたソレは、オリアナを嘲笑うかのように蹂躙する。

 

 

「くっ!?」

 

 

ドッ、と。

 

腐りかけ、漆黒の毒に犯された大樹が黒い鮮血のようなもの、一気に噴き出した。

 

これは、今までその大樹が発する吸引力によって一点に固められた空気が爆発したのだ

 

浴びた者にその<原典>の毒を喰らわせる呪怨の魔風となって。

 

 

「かっ、アアアァアアッ!!」

 

 

全ての単語帳を使い切り、その呪いの風を真正面から受け止めたオリアナは、その毒に意識が呑まれる。

 

たとえ、魔導師として魔導書に耐性のあるオリアナでも、その毒に精神が穢されるのは避けられない――――

 

 

「ありがとうございます。オリアナお姉さん」

 

 

その時、薄れゆく意識の中で、彼女の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

呪いの風は、その直前にいたオリアナを避けるように割れていく。

 

 

―――ヨメ。

 

 

彼女は、読む。

 

その全てを。

 

 

―――ワタシヲヨメ。

 

 

欲する。

 

己の読み手を欲する声。

 

その声に惹かれて、彼女の中のナニカが引き摺り出される。

 

 

―――ヤットミツケタ。

 

 

そして、その奥に埋もれていた声を聞く。

 

自分へ、上条詩歌個人に向けて、真っ黒に染まった感情がぶつけられる。

 

それでも、上条詩歌は手を伸ばす。

 

敵を倒す為ではなく。

 

皆が笑顔で終われるハッピーエンドの為に。

 

誰かを助けられる力が、自分の内にあるなら。

 

今使わずに、いつ使う!

 

 

「   」

 

 

上条詩歌の背中に、透明な翼が生まれる。

 

未だに完全には使えず、不安定な力。

 

顕現して一瞬で砕け散った。

 

しかし、その一瞬で詩歌と黒騎士を繋ぐ糸から虹色の炎が灯されていき、黒騎士の体を包まれた。

 

黒騎士の身体の中で断末魔のような呻き声が聞こえる。

 

本来、維持に使う筈だった動力が、逆に破滅へと導くこの虹色の炎へと変換される。

 

そして、膨れ上がった炎は、周囲の黒い霞を干上がらせ、彼の体内に巣食っていた魔導書もまとめて焼き尽くしていく。

 

 

「    ッ!!!」

 

 

だが、この魔導書は生きている。

 

意思を持ち、死に逝く前に己の知を後世へ残そうとする。

 

再生機能を失い、その文字が虫食いにされてもなお残る執念を掻き集め、黒騎士の体を動かす。

 

狙いは、目の前で崩れ落ちた少女。

 

その少女の新たに宿主にして、復活する。

 

 

「どうやら、ここまでのようです」

 

 

黒騎士が、その生きた魔導書が発散する、自分に向けられた妄醜から目を背けず、見据える。

 

そして、

 

 

 

「詩歌!」

 

 

 

人払いされ、彼女達以外に誰もいなかったこの空間に、応える影が現れた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

精巧な日本人形が歩いているようだった。

 

表情に感情の色はなく、ただ彼女に示された場所へ進む。

 

しかし、人形ではない証に、その瞳から一滴の涙が頬を伝っていた。

 

 

誰か。助けて。

 

願う。

 

姫神秋沙は願う。

 

 

しかし、無情な事に、意識と乖離した身体は命令を聞かず、声すら発する事を許さず、ただ目の前から己の体操服を染め上げる血を見て、険相な顔つきへと変えて、駆け寄ってくる救急隊員の元へ歩み寄っていく。

 

彼には、その涙でさえも、ただ苦痛で零れ落ちたものだとしか分からない。

 

このまま救急車に乗ってしまえば、もうどうする事も、彼女に助けを呼ぶ事さえもできない。

 

 

「こんな怪我で良く頑張った。大丈夫だ。すぐに病院へ行くからな」

 

 

やだ、と姫神は言いたかった。

 

けど、言えない。

 

口が思い通りに動いてくれない。

 

そんな、どうしようもない無力感に絶望した瞬間。

 

 

「姫神ッ!!」

 

 

横から声がした。

 

朦朧とした意識でも聞き間違える事のない声。

 

その主が、遠くから、今、助けを求める姫神の元へ走って来た

 

そして、その右手で、姫神の体に触れた。

 

 

―――パキン、と乾いた音共に、彼女に掛けられた呪縛が解かれた。

 

 

糸が切れた操り人形のように、姫神の体が崩れ落ちる。

 

その体を、彼が咄嗟に抱き止めて、支える。

 

姫神は、この機会を逃すまいと、残された力で必死に指を今まで辿って来た道を指し、声帯を震わす。

 

 

「上条、君……詩歌、さんが……」

 

 

それ以上、声は出なかった。

 

腕も力なく、垂れ下がる。

 

 

「ありがとな、姫神」

 

 

だが、それでも彼には全てが伝わった。

 

そして、姫神の体を救急隊員に預けると、去り際に、

 

 

 

「ナイトパレードが始まる前に、詩歌を連れてお前の病室へ帰る。だから必ず待っててくれ」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「ごめん、ね。当麻さん、危険な役目を、押し付けちゃって」

 

 

知っていたわけではない。

 

このタイミングでやって来てくれると、確信していたわけではない。

 

詩歌は魔導書を制御するのに残り僅かな全ての意識を集中させており、接近する当麻を感知したのはついさっきのことだ。

 

だけど、何故だか関係ないと思えた。

 

理屈も予感も抜きに、ただ最初から知っていたかのように、動く事ができた。

 

 

「謝るな。詩歌はよく頑張ったよ。俺の誇りだ。だから、たまには俺に妹の尻拭いをさせてくれよ」

 

 

「うん……お兄ちゃん。彼を、助けてあげて」

 

 

その言葉に、一瞬息を呑む。

 

上条当麻は知っていた。

 

その男が、何をきっかけにして歯車を狂わせたのか。

 

 

「ああ、後は任せろ」

 

 

しかし、当麻はその願いを聞き入れた。

 

前と同じだ。

 

もし、これが妹が失敗した結果だというなら、兄である自分がその失敗を失くしてやればいい。

 

彼女の甘さに、当麻は救われている。

 

当麻は何度も詩歌に腕を引っ張ってもらってきた。

 

だから、たとえその高みから落ちてきても、下で受け止める。

 

そう、何度でも。

 

全てを出し尽くした詩歌は、その想いを彼に託すとそのまま眠りについた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

―――コワイ。

 

 

黒騎士が、いや、その体内で蠢く魔導書が恐れた。

 

 

―――コロサレル。

 

 

物であろうと、力であろうと、そして、人であろうと全てを侵食し、漆黒の色へと染めるその魔導書が自我を持って初めて、恐れを抱く。

 

その男の右手から発する脅威。

 

それに触れてしまえば残り僅かな力でさえも喰われてしまう。

 

男が一歩進むごとに、思わず数歩後退する。

 

 

―――イヤダ。

 

 

逃げる。

 

 

―――シヌノハ―――

 

 

必死に逃げる。

 

が、

 

 

 

―――私から、死に場所を奪うな!!

 

 

 

 

 

ビル工事現場

 

 

 

いきなり逃げたかと思うと、ここへ着た途端に足を止めた。

 

そう、残り僅かな理性が甦った場所へ。

 

 

「……少年よ」

 

 

黒騎士、だ。

 

上条詩歌に<原典>の力を大きく削がれたからこそ、自我を取り戻した。

 

劇的に衰えたからこそ、ようやく扱える。

 

 

「……っ!」

 

 

気圧される。

 

対峙した瞬間、黒騎士の身体から発する黒い圧力は数倍にも増していた。

 

こちらの骨髄まで染み込んでくる、魔性の霊気。

 

腐った泥水でも飲み込んだかの如く、悪寒と吐き気がぐるぐると内臓を循環する。

 

地面を踏む足元も定まらず、ずぶずぶと呑み込まれていくかのよう……

 

まるで、異世界だ。

 

向かい合うだけで、世界が豹変する。

 

そして、足元に転がっていた鉄棒を拾い上げる。

 

 

「死にたくなければ、殺す気で来い」

 

 

鉄棒へ向けて、黒い霞が殺到する。

 

まとわりつき、圧縮され、黒騎士の身長を超える巨大な長槍と化した。

 

陽の光すらも取り込んでしまうブラックホールのようなそれは、ただならぬ異常性が秘められているのが嫌というほど感じられる。

 

一触即発。

 

練磨された力は、いつ殺意へと変換されるのか。

 

その変換は、如何なる結果を起こすのか。

 

 

「はっ! そんなのお断りだ」

 

 

だが、それでも当麻は吼える。

 

 

「貴様も私から死に場所を奪おうというのか……」

 

 

「ふざけるな! 死に場所を奪うとか舐めた口利いてんじゃねぇぞ!」

 

 

「そうか。――――なら死ね」

 

 

「なっ―――!!」

 

 

想像通りに―――いや、想像以上に、黒槍をごくごく単純に振りかぶり、黒騎士は上条当麻の頭上へ振り落す!

 

 

―――ドゴン!!

 

 

大気を震わす轟音。

 

地上から巻き戻しした稲妻のように大量の土砂が突き上がる。

 

最早地震とも紛う衝撃が大地を震わし、周囲の建築物の壁を砕き、巨大なクレーターを作り上げていた。

 

出鱈目過ぎる一撃はアスファルトもコンクリートも微塵に粉砕し、濛々と立ち込める粉塵へと変換させる。

 

説明不要で簡潔な暴力だが、その単純さは彗星が落下したというような他を圧倒する域に達していた。

 

 

「っ……!」

 

 

クレーターから、数m離れた地面。

 

当麻が生きてられたのは、受け止めようとはせず、すんでで後ろへ飛んだからだ。

 

破壊の余波に巻き込まれたが、それでも体は無事だった。

 

しかし、ヤバい。

 

予想以上だ。

 

今のヤツは、文字通り命を削っている。

 

決死の覚悟でこの戦場に出ている。

 

当麻の身体は、まだ動けるが疲労の極地へと近づきつつある。

 

 

(―――負け、るか……)

 

 

身体はまだ先程の一撃から回復し切ってない。

 

こんな状況で、再び槍が振り下ろされればどうなるか。

 

そんなの考えたくもない。

 

だが、

 

 

(……負けて……たまるか………)

 

 

拳を、握った。

 

血が滲むほどに、歯を食いしばる。

 

当麻の中で、対抗できるだけの熱を、根こそぎに集めていく。

 

視線をあげ、けして離さぬように爪を掌に立てる。

 

 

「次は、当てる。覚悟を決めろ」

 

 

睨み合う中、黒騎士は黒槍を大上段へ構える。

 

準備動作。

 

多分猛獣と出会った獲物が、もう逃げられないと悟ったなら、同じような状態になるだろう。

 

一刻も早く楽になりたいと首を差し出すに違いない。

 

 

「それとも、まだ殺さないなんて甘ったれた事を言うのかッ! 貴様もまた、私から死に場所を奪うのか!」

 

 

その死の誘惑に――――上条当麻は全力で抗う。

 

 

「おい、本気でふざけんじゃねーぞ。詩歌があの時、どんな気持ちでテメェらと向かい合ってたのか知ってんのか!」

 

 

「くっ……」

 

 

当麻の言葉に、その槍の矛先が鈍る。

 

その迷いを当麻は見逃さない。

 

 

「教えといてやるよ。詩歌って、いつも笑っているけど、本当は泣き虫なんだよ」

 

 

身勝手な幻想なのかもしれないが、それでも当麻はその涙の重さを誰よりも知っている。

 

 

「決して安っぽい涙なんかじゃねー。けどな、俺の妹は馬鹿みたいに優しい奴でな、たとえ、そいつがどんなに大馬鹿野郎でも、流しちまうんだ」

 

 

黒騎士は、また一歩後ずさる。

 

 

「テメェだって、分かってんだろ。だから、こんなトコまで逃げてきたんじゃねーのか? 詩歌を泣かせたくないから」

 

 

「―――黙れっ!!」

 

 

来る。

 

きっと速くて目で捉える事はできないだろう。

 

だが、速くて、重い――その程度の攻撃は上条当麻は何度も経験してきている。

 

 

「テメェの幻想は――――」

 

 

上条当麻は手を交差し、黒槍を受け止めた。

 

 

「なっ!?」

 

 

衝撃が全身を――――貫かなかった!?

 

当麻は奥歯を噛み締めながら手の甲に黒槍を滑らせ黒騎士の懐に潜り込む。

 

ビル風に煽られるや否や、黒騎士の振り落した巨大な黒槍が、突然ぼろぼろと外殻だけ剥離させ、あっという間に元の鉄棒へと戻っていく。

 

当麻は己を守ったお守りを見る。

 

交差した所にちょうど収まるように<梅花空木>があった。

 

絶対に破壊不能の硬度をもつソレで、彗星の如き一撃を受け止め、<幻想殺し>が黒槍を粉砕した。

 

しかし、もし少しでもズレれば、当麻の身体は骨1つも残さなかったであろう。

 

それでも、当麻は受け止めたのだ

 

 

「――――この右手でぶち殺すッ!!」

 

 

吼える。

 

風が吹き、地が震える。

 

熱風と紛うその闘志は、黒騎士の顔面を叩く。

 

動けない。

 

今の咆哮に射竦められ、その身体が動かなくなったのだ。

 

そう、先程当麻が感じたもの以上に強大な重圧に、黒騎士は、屈したのだ。

 

直後。

 

 

―――パキンッ!!

 

 

当麻の一撃が、黒騎士の顔面に直撃した。

 

その身体は壮絶な勢いに乗って、真後ろへ吹っ飛び、黒い霞は跡形もなく霧散していった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

地面に仰向けになり、神に祈るかのように夕日の色に染まる空を仰いでいる彫像があった。

 

少し前まではただ暴れ狂う獣であった―――しかし、今はほんの一部に人間らしい色があった。

 

そして、その瞳から一滴の光が残されていた。

 

 

「どうやら、決着がついたようだね」

 

 

その時、この場所で怪我の治療を行っていたステイル=マグヌスが現れた。

 

紅蓮の魔術師が、無造作に彫像へ近寄り、見下ろす。

 

ピキ―――というひび割れる音が、彫像の口元から響いた。

 

そして、その黒騎士のなれの果てが浮かべたのは、静かで穏やかな微笑だった。

 

全ての苦しみから解放され、今まさに逝こうとしている者の顔。

 

 

「―――最強を名乗る者よ。彼女がここに来る前に私を殺せ」

 

 

「なっ―――」

 

 

まだ声を発せられるとは、意外だった。

 

その外見に似つかない、世間話をするような軽い声。

 

だが、その内容に上条当麻は両目を見開く。

 

 

「もう、私の身体は、限界……なのだ。だから、これ以上、我が心が穢される前に……」

 

 

また、ひびが割れる音が響き、彫像は笑みを深める。

 

 

「……わかった」

 

 

それに対して、紅蓮の魔術師の表情は分からない。

 

ただ、彼に対して一言告げるのみ。

 

 

「待てよ、ステイル! まだ、助かるかもしんねーだろ! じゃねーと、詩歌が―――」

 

 

焦燥が当麻を急かす。

 

当麻の脳裏に浮かぶのは、あの時、三沢塾で血溜まりの中、今にも壊れそうな表情をしていた詩歌の顔。

 

このままでは、彼が死に、また彼女のしてきた努力が無駄になってしまう。

 

しかし、

 

 

「どけ。そいつには時間がない――――」

 

 

止めに入った当麻を突き飛ばし、残酷な現実を口にする。

 

 

「――――これ以上、こいつに身勝手な幻想(りそう)を押し付けるな。神父(ぼく)がこいつの魂を送ってやる。素人は黙って見ていろ」

 

 

「……、」

 

 

ステイルの言葉には、妙な気迫が感じられた。

 

そう、怒りだ。

 

あの皮肉と嘲笑に満ちた普段の顔からは想像もできない。

 

触れれば弾かれるような静電気じみた何かを身に纏う背中は、語る。

 

これを邪魔するものは許さない、と。

 

 

「もういい、少年。私はもう十分生きた」

 

 

その前に、声がした。

 

口の端から血の泡を溢れ出し、瞳から急速に生気が失われていく。

 

それでも、残った気力を振り絞り、彼は言葉を続ける。

 

 

「……最後に、頼みが、ある……」

 

 

虚ろな眼差しで当麻を見つめ、彼は願う。

 

 

「彼女には、私が、死んだとは、言わないで、欲しい。こんな、愚か者の、ために、彼女を、穢さないで、やってくれ……」

 

 

当麻はどう答えていいのか分からなかった。

 

妹のためを思うなら生きてくれ、と言いたかった。

 

しかし、当麻は、頷いた。

 

それを見ながら彼は本当に満足した笑みを浮かべながら、もう一言言い残す。

 

 

「それから、助けてくれて、ありがとう、と……」

 

 

それが、彼が、ずっと伝えたかった言葉だった。

 

 

「……わかった」

 

 

当麻の言葉に頷く。

 

そして、目を閉じた。

 

その目は、2度と開かなかった。

 

まるでそれを待っていたかのごとく、ステイルは呪を紡ぎ始める。

 

 

原初の炎(T O F F)その意味は光(T M I L)優しき温もりを守り(P D A G GW A T)厳しき裁きを与える剣を(S T D A S J T M)!」

 

 

全てを灰燼と化す剣が騎士、『パルツィバル』の身体を火葬する。

 

 

「   」

 

 

ステイルは、ただ一言、何か言った。

 

それが外国語だったため、当麻には意味が分からない。

 

魔術師としてではなく、神父としてのステイル=マグヌスの言葉。

 

そこにどれだけの意味があったのだろうか、燃え盛る炎の中で騎士はコクリと頷き、

 

 

「  。   」

 

 

何かを、言った。

 

ステイルは、小さく頷いた。

 

そこにどれほどの意味があったか、当麻にはやはり分からない。

 

ただ、騎士の顔は安らかだった。

 

まるで伝える事は全て伝え、残すべき未練を全て断ち切ったと言わんばかりの、満ち足りた表情がそこにあった。

 

 

「……、」

 

 

ステイル=マグヌスは神父として、最後に胸の前で十字を切った。

 

イギリス清教もローマ正教も関係ない、1人の人間を送る為の儀式。

 

 

 

つづく


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