とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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大覇星祭編 使徒十字捜査線

大覇星祭編 使徒十字捜査線

 

 

 

道中

 

 

 

午後2時20分。

 

昼食後、上条刀夜、上条詩菜、御坂美鈴の父兄組と解散、当麻は詩歌、インデックス、美琴共と駅前通りを散策していた。

 

 

「……ってか、前々から思ってたんだけど、何でこの子ってアンタか詩歌さんといつも一緒にいる訳?」

 

 

訝しそうに当麻、詩歌、インデックスを交互に眺める美琴の視線に、当麻はギクリとする。

 

当麻は記憶喪失で、インデックスとの出会いは詩歌から教えてもらったもの。

 

なおかつ、彼女には記憶喪失だというのは隠している。

 

なので当麻は、咄嗟に『どうとでも取れる曖昧な答え』を言うか、『強引に話題を変えてしまう』か、または、『詩歌に任せる』としか―――

 

 

「じゃあ短髪は何でいつもとうまとしいかと一緒にいるの?」

 

 

と、誰よりも先にインデックスが質問を質問で返してしまった。

 

なっ、と美琴は僅かに鼻白み、

 

 

「いつも一緒って、詩歌さんは同じトコ通ってんだからそうに決まってるけど、そこの愚兄と四六時中行動共にしてる筈がないじゃない! ば、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないわ。私はそこまで暇じゃないのよ」

 

 

「……わー、愚兄と馬鹿のダブルアタックですよ俺?」

 

 

当麻はぐったりしながら言ったが、2人の少女はまるで気に留めていない。

 

これは早々に胃薬を用意すべきなのか?

 

インデックスは『うーん』と少し考える仕草を見せた後、

 

 

「それを言うなら、別に私だっていつでもとうまやしいかと一緒って訳じゃないかも」

 

 

「はぁ? そうなの???」

 

 

「うん。しいかはいつも頑張っているし、とうまは何かあるとすぐに私を置いてどっかに行っちゃうから。それも何やら人生に置いてとても重要な基点に差し掛かるたびに、いつもいつもいつも2人とも先走って勝手に解決してくる似た者兄妹だから。……てっきり短髪も絡んでいるのかと思ったけど、違ったの?」

 

 

「し、知らないわよそんなの」

 

 

美琴絡みの件もいくつかあるのだが、それにしてもインデックスの言うように『いつもいつもいつも』ではない。

 

となると、それは一体何の事を指しているんだろう、と2人は同時に考え、全く同じタイミングで上条兄妹、特に当麻の方へ、グルン! と振り返り、

 

 

「……しいかもそうだけど、とうまはいっつも事後承諾で病院送りにされてるよね? ねえ裏では一体何が起こっているの?」

 

 

「……詩歌さん……それにアンタも、毎回毎回そんな事してた訳? 言われてみれば、あの子達とか黒子にも迷わず手を差し伸べていたわよね……」

 

 

いきなり意気投合したかと思うと、ジロリと睨む。

 

ううっ!? と当麻は怯んで思わず後ろに下がった。

 

彼女達の言っている事はある意味においてとても正確に真実を突いていたのだが、今この学園都市で置きつつある事を考えると、簡単に答えてしまう訳にはいかないのだ。

 

なので、

 

 

「や、やだなぁ皆さん! あれですよ、アナタタチが見てきたのは当麻さんや詩歌さんの1年の中でも特に愉快な部分だけなんですってば! 別に年中あんな感じじゃないですよ。ほら、人間って年に2回か3回ぐらいは無意味に格好つけたくなる時があるじゃないですカッ!!」

 

 

咄嗟に叫んでみたが、返ってくるのは『……ホントに2回なのかしら?』 『3回で収まるとは思えないかも』と言う冷たい声のみ。

 

 

(詩歌さん、ヘルプ!!)

 

 

当麻は半分涙目で詩歌に………

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

おかしい。

 

これが<使徒十字>による支配が目的だとするなら、街をうろつくのは明らかに不自然。

 

息を潜めて、じっとしている方がずっとリスクは少ない。

 

現に、不幸に当麻さんと遭遇してしまい、トラブルを起こしてしまっている。

 

彼女達はこの『計画』を必ず成就させるつもりの筈だ。

 

その為に、<刺突杭剣>なんて偽情報(デマ)を流して<聖人>を封じるなど、少しでも障害となるものを減らしてきた。

 

しかも、ここは科学側の総本山、学園都市。

 

魔術側の人間にとってみれば、ここは敵地――間違いなく危険地帯。

 

絶対失敗が許されないはずなのに、わざわざ危険な真似をする。

 

……推測できる理由は、2つ。

 

1つは、<使徒十字>の発動条件のため。

 

もう1つは――――――

 

 

(皆さんには悪いですけど、操祈さんに頼んで、午後の競技はキャンセルさせてもらいましたし、とりあえず……)

 

 

一緒に歩く2人の少女を見る。

 

<禁書目録>――インデックス。

 

<超電磁砲>――御坂美琴。

 

彼女達が協力してくれれば、戦力として頼もしいが、あまり巻き込みたくない。

 

 

(……全く、こういうトコ、当麻さんの事、言えないなぁ……)

 

 

仕方がない。

 

余計な心配をさせないよう、勘付かれる前に、全てを片付けよう。

 

その時、携帯に着信が入り、

 

 

「大お姉様にお姉様!」

 

 

4人の目の前の虚空から、何者かが現れた。

 

スポーツ競技用に車輪を調整された車いすに乗っている包帯だらけの少女、白井黒子だ。

 

彼女は怪我人で見学者だからか、半袖のブラウスにベージュ色のサマーセーター、灰色のプリーツスカートと、常盤台の夏服を着ている。

 

 

「お二人のお見事な活躍っぷり。この黒子、感動しましたわ。それで、手足は怪我してても能力は使えますので、わたくしも少しでも良いから何かお姉様方のお力になれればと馳せ参じた次第でございますの」

 

 

それから入院続きで不足したお姉様エナジ―の補給のために。

 

 

(お姉様の慎ましいお胸に、大お姉様の豊満なお胸に……)

 

 

「ぐへへ……お姉様~、大お姉様~」

 

 

「アンタ、絶対抱きつく事が目的でしょ」

 

 

ジリジリと詰めてくる黒子に対し、ぞぞっ、と背後に寒いものを感じながら、美琴は彼女から距離を取る。

 

と、そこへ、、

 

 

「まあ、黒子さん。ちょうど良かったです」

 

 

ぎゅっ、と黒子は何者かに抱き締められた。

 

いや、何者かではない。

 

この香り、この声、そして、この包容力。

 

間違いない。

 

 

(大お姉様大お姉様大お姉様大お姉様大お姉様―――っ!! ああ、こんなにも喜んでもらえるなんて、この白井黒子。ここで命が果てようとも絶対に後悔はしませんわ)

 

 

自らが敬愛する大お姉様――上条詩歌。

 

ああ、まさに理想郷。

 

大お姉様のちょっぴり過剰な愛情表現に、不足しかけたお姉様エナジーが一気に貯蓄ゲージから溢れ出るほど満たされ、その零れ出たものが鼻から少しだけ飛び出しそうになるが、そこは彼女の体操服を汚さないよう堪える。

 

そこで、すっ、と詩歌は黒子から離れると、くるりと当麻、美琴、インデックスへ振り返り、

 

 

「すみません。少し用事ができましたので失礼しますね」

 

 

はっ? と亜然する3人。

 

今、黒子が乱入してきたので一端中止されているが、事件体質について色々と話していた最中だし、当麻も折角の頼りになる味方がいなくなるのは避けたい。

 

 

「ちょ、待て。詩歌―――」

 

 

「すみません。ここは1人で切り抜けてください」

 

 

そこで、悪戯好きな小悪魔っぽい笑みを浮かべ、唇に指先を押し当ててから、トン、と当麻の額を突き、

 

 

「でも、もしうまくいったら、さっきの“アレ”。今度は、当麻さんの好きな所にしてもいいですよ」

 

 

と、蠱惑的なウィンクと共に<空間移動>、虚空へと消え去った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

さっきの“アレ”……

 

思い浮かぶのは1つしかない。

 

 

 

―――ゴクリ、と喉が鳴る。

 

 

 

自然な動作で額に手を当てる。

 

そして、少し頬を赤く染めていた去り際の彼女の事を思い出し、かあ、と当麻も顔が赤くなる。

 

 

だが、己の中の自分が、それは理性的にも、心情的にも、そして、この状況的にも、今、ここでやるべきではなかった、と告げている。

 

 

「ねぇ……さっきのアレって、何なの……?」

 

 

ぞくり、といつも能天気に無邪気に笑っているインデックスから表情が消え、カチカチと歯が鳴る。

 

 

「アンタ、まさか自分の妹にまで手を出してんじゃないわよねぇ?」

 

 

ぞくぞく、と沸々と湧き上がる感情に小刻みに身体を震わせる美琴の前髪から肩へ、青白い火花がバチンバチンと飛び散っていく。

 

どうやら、2人とも、詩歌の残した爆弾発言のおかげで先程の追及はすでにお忘れのようです。

 

が、

 

 

(誤魔化して欲しいって思ったけど、さっきよりも状況が悪化してんじゃねーか!?)

 

 

問い掛けているが2人とも既にヤル気満々だ。

 

もう、弁明の余地はない。

 

 

「はは、あはは、当麻さんもちょっと急用が……」

 

 

ヤバい、逃げなくては……が、

 

 

―――ドスドス!

 

 

と、逃亡ルートを遮るように金属矢が出現。

 

 

「お姉様の敵はわたくしの敵。そして、“馬”は殺す」

 

 

さらに、ギラギラと殺意を瞳に滾らせ、黒子は太股のベルトから金属矢を引き抜く。

 

インデックスはジリジリとにじり寄り、美琴は右手で思い切りグーを握り締める。

 

3人の士気は最高潮で、当麻の死期もある意味最高潮。

 

唯一彼女達を治められる頼みの綱はもうこの場にいない。

 

最後に当麻は、負け惜しみのように、

 

 

「待て! さっき詩歌が言ってた“アレ”はちょっとした家族のコミュニケーションで日頃の感謝をこめたお礼であってそんな如何わしい気持ちは一切なくほら外国じゃそれが常識だっつうのもあるだろ? だから決してあなた様方が想像しているようなエロ方向へ話が進む事はありませんので駄目ですか駄目ですねごめんなさい!!」

 

 

言い訳するつもりが自己完結してしまった瞬間、それを遺言とするべく3人の少女が襲いかかって来た。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ステイル=マグヌス。

 

イギリス清教、<必要悪の教会>へ<使徒十字>の調査を依頼。

 

その依頼を受けたのが、

 

 

『一応、英国図書館の記録を調べておくけどよ。そもそも<使徒十字>ってのはローマ正教が今の今までかたくなに公開を拒んできた霊装なんでしょう。表に公開・記録される情報にしても、正しいものとは限んねぇんじゃねぇのかなぁ?』

 

 

9月1日にテロを起こし、今は宗教審議中の暗号解読のスペシャリスト――シェリー=クロムウェルと、

 

 

『何分<使徒十字>と言えば、同じローマ正教徒だった私でさえ、実際に拝見した事はございません。それだけ、とっておきの隠し玉なのでございましょうね。弱点を探すとなると、これは苦労しそうでございますよ』

 

 

<法の書>騒動を起こし、ローマ正教全体が危機を抱くほどの情報解析能力を持つイギリス清教へ改宗した修道女――オルソラ=アクィナスの凸凹コンビ。

 

現在、彼女達は<使徒十字>の使用条件を探ろうと大英博物館から分離独立した英国図書館に眠る膨大な記録に当たっている。

 

結果、世界最大宗派の秘蔵の霊装となれば、その情報の秘匿性は高く、依頼を達成するまで時間がかかるとの事。

 

 

 

土御門元春。

 

オリアナ達の目的が、学園都市の中で、<刺突杭剣>を取り引きではなく、<使徒十字>の発動と判明。

 

こちらの追撃を避ける為に、どこか一点、ホテルの一室などでじっと身を潜めている可能性を考慮し、学園都市のセキュリティから、オリアナ達の動向を少々特殊な手順で調査。

 

結果、第5学区にある地下鉄の『西部山駅』出入り口から出てくるオリアナを発見。

 

 

 

上条詩歌。

 

土御門元春の情報を元に第5学区を詮索。

 

通常の詩歌の感知範囲は捉えるだけなら数百mは超える。

 

視覚ではなく、異能で感じているのだ。

 

目には見えないけれど、この星を連綿と流れている無形のエネルギー。

 

生命力(マナ)や魔力やAIM拡散力場や龍脈や霊脈など、そのようなものを詩歌は無意識の内に察知している。

 

そこへ、さらに<調色板>の<玉虫>による感知範囲拡大により、第5学区全域を網羅。

 

もし、これで投影さえできれば、かなり広範囲で警察犬が匂いで犯人の位置を探索するように、そのオリジナルを特定する――共鳴も使える。

 

結果、オリアナだけでなく、黒騎士の位置の把握も成功。

 

 

以後、上記の3人は情報交換及び作戦立案のため第5学区内の無人ビルへ集合。

 

 

 

 

 

 

 

上条当麻。

 

『とうまーーーっ!! 今日と言う今日は修正してあげるんだよ!!』と10万3000冊の魔導書の管理者の『かみくだく』、

 

『こんの……くたばれ変態シスコン野郎ォおおおおおおおッ!!』と学園都市Level5序列第3位の『かみなりパンチ』、

 

さらに、腹黒空間移動能力者による金属矢の強襲も襲い掛かられるなど、持ち前の不幸を連鎖的に発揮。

 

最終的に逃亡先で遭遇した完全幼女の成人教師による説教に落ち着く。

 

そして、説教に耐えること数分、3人から連絡。

 

たまたま近くを通りかかったクラスメイト――姫神秋沙に担任の足止めをお願いし、その場から逃亡。

 

 

 

 

 

???

 

 

 

リトヴィア=ロレンツェッティ。

 

ローマ正教の宣教師にして、<使徒十字>による学園都市制圧を企てる者の1人。

 

彼女がまとうのは祖母から受け継いだ古臭く擦り切れ、色褪せた修道服。

 

元は美人だったのだろうが、今は髪も肌も傷み輝きを失っている。

 

でも、その目の輝きだけは失っておらず、むしろ過去に比べてその光はより強くなっている。

 

今年の2月の第2金曜日。

 

彼女は1人の父親に出会った。

 

彼の息子には、彼の娘、つまりは妹がおり、今は親元を離れて学園都市に在住しているらしい。

 

そうなった理由が、過去に起きた『疫病神』事件で、彼は、『疫病神』と呼ばれる息子に何かしてやろうと開運のお守りを探し求めていた。

 

馬鹿馬鹿しくも、情けなくも、ただ子供達のために、困難に立ち向かう彼にリトヴィアは感動した。

 

学園都市は主の威光を汚す野蛮な街かと思っていたが、まさかあんな子供思いの父親がいようとは。

 

そのおかげで、彼女はこの『計画』をもっと穏便かつ平和的に、そして、『誰もが幸せになる世界』にできるように変更した。

 

最小限の犠牲は止むを得ないかもしれないが、上手くいけばきっと誰もが救われる。

 

聳え立つ壁が高いほど、リトヴィアの瞳は輝きを増す。

 

そして、壁を乗り越えるだけの『計画』を組み立て、霊装<使徒十字>を用意し、念入りに現地の視察まで行ってきた。

 

今までは、オリアナと黒騎士に追撃者達の相手をさせていたが……

 

 

(さて)

 

 

彼女は、ようやくその重い腰をあげた。

 

<大覇星祭>により周囲の喧騒が慌ただしくなる中、リトヴィアはゆっくりと歩く。

 

まるで、そこだけ時間や空間が切り抜かれているような違和感がある。

 

リトヴィアは今まで籠っていた建物の外へと出る。

 

炎天下の日差しが降り注ぐ。

 

彼女は僅かに目を細めて、

 

 

(オリアナ達も頑張っていますので。私もそろそろ動かなければ)

 

 

心の中で呟くリトヴィアの耳に、遠くから<大覇星祭>のアナウンスが届いてきた。

 

空を見上げると、はるか向こうに飛行船が浮かんでいるのが見えた。

 

そのお腹にくっついている<大覇星祭>には天気予報が流れていて、ここしばらくは雲1つないお天気が続くという放送が流れている。

 

確かにいい天気だ、とリトヴィアは降り注ぐ日差しの中から視線を外す。

 

街はどこまでも平和で。

 

リトヴィア=ロレンツェッティはその隙間を通るように、人混みの中へと消えていく。

 

 

 

 

 

第5学区 道中

 

 

 

「さてさて」

 

 

第5学区の街中でオリアナは軽い調子で呟いた。

 

道を歩く人々の目が集中しているのが分かる。

 

<大覇星祭>開催中の外国からの観客も多く、金髪碧眼そのものは、それほど珍しくもない。

 

注目を浴びているのは、彼女の整った肉体と、それを強調させている衣服だろう。

 

この国も、ここ10年で随分と衣服のデザインが開放的になったと言われているが、それでも美人の生足を隠しもしない縦裂きロングスカートと言うのは、かなり珍しい部類に入る。

 

水着でもない街中の衣装にパレオが必要なのだという時点で普通ではない。

 

が、オリアナはそれほど気にしてはいなかった。

 

追跡される者として不自然なほどに。

 

 

(時間の方は……まだ少しかかりそうなのよねぇ。ま、そっちはリトヴィアちゃんにお任せておくとして。この間に、お姉さんはどう動くべきかしら。また、お姉さんをエサにして釣りでもしようかしら。ふむふむ)

 

 

周囲の視線を引き摺り回すようにオリアナは街を歩く。

 

余裕を見せながら、もう1人の仲間がいるポイントに――――と、その時、

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 

???

 

 

 

「―――場ヲ区切ル事。紙ノ吹雪ヲ用イ現世ノ穢レヲ祓エ清メ通シ場ヲ制定」

 

 

ぱあっと世界に、白が散る。

 

それは真っ白い紙だった。

 

おおよそ1cm四方に刻まれた、大量の紙吹雪だった。

 

 

「―――界ヲ結ブ事。四方ヲ固メ四封ヲ配シ至宝ヲ得ン」

 

 

紙が撒き散らされた一帯の空気が凍てつき、浄化されていく。

 

 

「―――折リ紙ヲ重ネ降リ神トシ式ノ寄ル辺ト為ス」

 

 

4つのフィルムケース、北に亀、西に虎、南に鳥、東に龍、と部屋の四方へ放り投げる。

 

 

「―――四獣ニ命ヲ。北ノ黒式、西ノ白式、南ノ赤式、東ノ青式」

 

 

吐息と共に。

 

すう、と黒、白、赤、青の折紙が輝く。

 

 

「―――式打ツ場ヲ進呈。凶ツ式ヲ招キ喚ビ場ニ安置」

 

 

至極丁寧に、しかし内側に凛然とした気を込めて、その呪は、鋭い刃の如くに空気を断ち切っていく。

 

一言一言紡ぐと共に、四方の輝きは増していく。

 

 

「―――丑ノ刻ニテ凶巫女、其ニ使役スル類ノ式を」

 

 

そこでやっと視線を下に向ける。

 

 

「―――人形ニ代ワリテ此ノ界ヲ」

 

 

足元の地面には精緻に描かれた地図があった。

 

 

「―――釘ニ代ワリテ式神ヲ打チ」

 

 

<理派四陣>。

 

魔術の痕跡から、その対象の半径3kmを克明に描き出す術式。

 

 

「―――鎚ニ代ワリテ我ノ拳ヲ打タン」

 

 

それで、もう一度狙いを確かめた後、弓を引くように腕を引き絞る。

 

そして、最後の呪を紡ぐ。

 

対象の周囲一帯を跡形もなく吹き飛ばす超遠距離砲撃術式――<赤の式>。

 

その赤の砲弾が、天へと解き放たれた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

彗星のように真っ赤な光が垂直に落下。

 

ビルの屋上に噴煙が上がる。

 

周囲の人間は、この<大覇星祭>の喧騒で気付いていない。

 

だが、確か、あそこは護衛の黒騎士がいる場所。

 

そこを超遠距離砲撃術式で狙われた。

 

 

(あンっ―――)

 

 

ピクン、とオリアナの肩が震えた。

 

この感覚には覚えがある。

 

追手の使う探索術式だ。

 

あれは、オリアナの単語帳のカード―――より正確には、彼女がその場限りの思いつきで書き記す、俳句にも似た世界最小の不安定な魔導書の<原典>だ―――を使って、オリアナの居場所を逆探知する。

 

基本的に魔導書の<原典>は人の魔力に頼らず、その場の地脈や龍脈から漏れる、僅かな力を汲み取って自動魔法陣として発動する。

 

しかし、オリアナの場合は術式の発動と停止を、『不安定な<原典>の発動と自己破壊』によって切り替えられるよう設定してある。

 

そこにはオリアナ自身の魔力が必要で、ページの方には『オリアナの命令を感知する機能』が備わっているため、その行き先を追う形で逆探知が可能となる、と言う訳だ。

 

となると、

 

 

(お姉さんのページ……あちらでは何て呼ばれているのかしらね。まぁ、とにかくページとお姉さんが魔力で繋がっているなら、ページに細工を施された時点で、お姉さんも異変に気付いちゃうのよねぇ。……と、そんな事より)

 

 

まずい。

 

オリアナは足を速める。

 

世の中には、距離の壁を無視した魔術も存在する。

 

特に暗殺方面では、世界の果てまで逃げられても避けられない攻撃、と言うのは非常に重宝された。

 

赤の砲弾が、先程、護衛を吹き飛ばした。

 

おそらく、あの不死身の狂犬の事だから無事なのだろうけど、しばらくは行動不能。

 

そして、今、自分の位置は補足されている。

 

 

(これは違うわよね)

 

 

バスごと火ダルマにされかけた時、彼ら追跡者はオリアナと距離を放される事を極端に恐れていた。

 

もしも、彼らの術式が距離を無視して全世界を探知範囲にできるなら、黒騎士からの攻撃に警戒しながら、ゆっくりでも追って来る筈だ。

 

だから、この探索術式と超遠距離砲撃術式は別物。

 

 

(だとすると、有効な策は地下か建物内へと隠れながら遠くへ歩いていく事……相手の術式にどれだけの時間が必要かは分からないけど、今すぐ動いた方が良いわね……でも、参っちゃったわねぇ。具体的に、お姉さんはここからどちらの方向に向かって、どれぐらい離れれば良いのかしら?)

 

 

いつ狙われるかも分からない緊迫とした中、オリアナはさらに先へ先へと進んでいく。

 

今まで人の波へ紛れていたのが、人の波を追い越していくように。

 

 

(さてさて、ここはどう動こうかなぁ)

 

 

彼女は青い空を見上げ、警戒しながら、頭の中で考える。

 

黒騎士の助けにはいかない。

 

アレに助けは不要だし、今、ここで助けに行けば、それこそ二次災害に陥る可能性が高い。

 

だとするなら……

 

 

 

 

 

第5学区 道中

 

 

 

上条当麻は街を走っていた。

 

細い路地を通り抜け、フェンスの壁を乗り越え、人の波を掻き分ける。

 

そこかしこの競技場では既に様々な試合が始まっており、そのアナウンスがあちこちのスピーカーや大画面から響いてくる。

 

当麻の学校も、そろそろ『全校男子・騎馬戦予選A組』が始まるが、残念な事にそちらに時間を割いている予定はない。

 

今は、ただ全速力で指定された場所へ急ぐ。

 

 

(いたっ!)

 

 

地下街に繋がる階段を駆け下ると、そこにオリアナ=トムソンを見つける。

 

だが、

 

 

(消えたっ!?)

 

 

オリアナが単語帳を1ページ噛み千切った瞬間、その姿が周りの景色に溶け込むように薄く、最後にこちらに、クスッと笑みを向けると透明になった。

 

 

 

 

第5学区 廃墟ビル

 

 

 

追跡者に現在地を特定される。

 

相手には超遠距離砲撃術式が備わっているし、厄介な犬まで追ってきた。

 

助けは期待できない。

 

でも、この探索術式はどの程度が範囲なのかは分からない。

 

そう、逆探知から逃れようと、ただ闇雲に進んでも、どれだけ離れれば良いのか分からないようでは危険だ。

 

なら、選択肢は1つ。

 

 

探索術式の術者を潰す事。

 

 

逆探知された術式をさらに逆探知する事で、その術者の位置を特定する。

 

『計画』に支障が出ないよう『気配断ち』の術式の使用は避けたかったが仕方がない。

 

この術式効果の制限時間は、10分間。

 

その間に相手術者の潜む建物に接近。

 

さらに、相手の戦力分散を狙い、この場に結界を設置。

 

誰もここへは近寄らず、それに違和感を抱かせず、内部の様子は外部へ伝わらせず、さらに魔力の流れと魔術敵細工を隠す事で、第6感的偶発要素すらも鈍らせる。

 

これでたとえプロの魔術師であろうと、そうそう簡単にここへは助けに来れない。

 

万全な状態に整えた後、オリアナは一気に術者のいる位置へと建物の壁ごと突き破った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「初めまして、上条詩歌と言います」

 

 

紅蓮の魔術師でもない。

 

最も危険だと思っている金髪サングラスの冷徹なプロでもない。

 

もちろん、自分を追い駆けていたツンツン頭の素人でもない。

 

そこにいたのは、14,5の年下の女の子だった。

 

こんな状況下であっても、ひどく安らかな微笑みをたたえていた。

 

整った眉目は、同性であるオルソラでさえも見惚れ、出来うる事なら、この天上の職人が丹精を凝らした一品は壊れないよう大事に箱の中へ保管しておきたいとさえ思ったくらいだ。

 

そう、間違ってもこんな戦場に置くべきではない。

 

 

「……これは、どういうことなのかしら?」

 

 

ぐしゃり、と地面に描かれた<理派四陣>の地図を足で踏み潰す。

 

 

「オリアナ=トムソン。あの迎撃術式を組めたあなたなら、この探索術式との繋がりから、ここを逆探知できるという事は分かっていました。ですから、それを利用して、ちょっとした『釣り』をしてみたんです」

 

 

全く恐れを感じさせない凛とした声。

 

そして、儚く壊れやすそうに見えるのに、この得体の知れない気圧は、今まで相手にしてきた3人よりも危険であると警告を鳴らす。

 

 

「まあ、あなた達と同じですよ。当麻さんにはいざという為の保険の意味でもありましたが、『陽動役』をやってもらいました。これが貴女をこの人気のない場所まで誘い込む為の『餌』だと気付かせないように。結果、こちらの予想通りの展開となってます」

 

 

あれが、全部、罠だった、と……

 

私がここへ来る事は、全て、彼女に読まれていたというのか。

 

 

「ありゃりゃ……それは一本取られたわねぇ。でもね、お嬢ちゃん。お姉さんは、別にあの3人を相手取っても負けない自信があるわ。だから、あなたが仕組んだ『針』ごと食い千切ちゃっても構わないわよん♪」

 

 

だが、問題はない。

 

今までは『計画』のために安全策しかとらなかったが、こちらの手足を1,2本犠牲にする覚悟があれば、あの3人は殺せる。

 

が、

 

 

「残念ですが、『餌』に付けられた『針』は私1人です。それに土御門さんに頼んでもらって、ここら一帯には<警備員>はいません」

 

 

「え……!?」

 

 

オリアナはその予想外の言葉に初めて余裕が崩れ、思わず声を漏らす。

 

 

「色々と人手不足、というのもありますが、女性の相手は、同じ女性がした方が良いでしょう?」

 

 

その言葉は嘘ではなかった。

 

気配を探るも、この建物に彼女以外の人間は自分しかいない。

 

 

「へぇ……面白そうね。でも、お姉さん、年下の女の子を叩くのは趣味じゃないんだけどなぁ」

 

 

「ご安心を。あなたに叩かせることなく終わらせますから」

 

 

その余裕とも言える発言に、オリアナの目に真剣味が宿る。

 

そして、口の端を歪めて笑った。

 

 

「言うじゃない、お嬢ちゃん。後で後悔しても知らないわよ」

 

 

「それは、こちらの台詞です。あなたこそ後悔しないよう全力で来た方が良いですよ」

 

 

と、オリアナ=トムソンと上条詩歌は、瞬時に激突した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

オリアナは悠然と、しかし、隙がなく構える。

 

当麻からの話で、大凡の彼女の実力と戦闘パターンには見当がついていた。

 

力任せの一撃必殺を狙うようなタイプではなく、適度に両者のバランスを保ち、こちらが仕掛けてくる事を予測し、設置した罠へ誘導するように強烈なカウンターを放つ。

 

巧みな小技で翻弄しながら確実に当てられる状況へ追い込み、大技で勝負を決める。

 

これは、詩歌も割と当麻との組手の際に使っている戦術でもあり、ああいった猪突猛進のタイプとは相性が良い(まあ、それでもあの突進力を受け流すのは中々度胸がいるが)。

 

そして、今、対峙している際の構え、重心、呼吸法、視線、そして、発するオーラから想像(イメージ)との誤差を修正。

 

 

「行き、ます!」

 

 

詩歌は眼鏡――<異能察知>を装着すると地面を蹴り、一気に接近。

 

そのまま、近接戦での間合いへ移行。

 

 

「んふ。お姉さんを満足させてちょうだいね」

 

 

オリアナは冷静に見る。

 

重心が少し前に。

 

前に出た右足に体重がかかっている。

 

左足からの前蹴りの流れ。

 

筋肉の動き、体捌き、呼吸のタイミングから察するに相当な切れ味を誇ると予測。

 

だが、何の問題はない。

 

今まで、何度も繰り返してきた作業だ。

 

オリアナはその長い足で、その右の軸足を内側から外側から払い、バランスを――――

 

 

(え――――)

 

 

すっ、と足が通り抜ける。

 

躱された!?

 

ありえない。

 

絶対に避けられないタイミングで放ったというのに。

 

重心を乗せている右の軸足が――――

 

 

「残念。軸足は左です」

 

 

強烈な蹴りがオリアナの脇腹に抉り込む。

 

カウンターを喰らわせるつもりが逆にカウンターを喰らわされた。

 

肉体的にもそうだが、精神的にもオリアナを揺さぶる。

 

 

(なっ!? この娘、動きが読めない)

 

 

頭の中に、雑音が響く。

 

彼女の手足の全てが、不規則に動く。

 

 

「ええ、満足させてあげます。皆を傷つけた分は、ね」

 

 

相手との動きを合わせる事が得意なら、その逆、動きを合わせない事もまた得意であった。

 

詩歌は、師匠――寮監からありとあらゆる格闘技を教わっており、これはその内の1つの琉球空手の身体操法。

 

一般の人なら普段は使わない脇腹のインナーマッスル――『ガマク』。

 

そこに力を入れる、ようは腰に力を入れる事で上半身と下半身は平行な正位置に不動のままで、体の重心を自在に操る。

 

そうする事で、時空と空間をねじ曲げ、オリアナに間違った流れを読ませた。

 

 

「……っく、やるわね。お嬢ちゃん。年下で、私と互角だなんて初めてよ」

 

 

この少女は、あの冷徹なプロよりも危険だ。

 

嵐のような両手両足の目まぐるしい攻撃は、華奢な体に似合わず、一発で身体の芯を大きく揺さぶるほど強烈。

 

オリアナは、ここまでトリッキーな動きをする相手は初めてだった。

 

いつもは自分が相手の動きを支配するというのに、逆に、こちらが手の平の上で遊ばれているような感覚。

 

だが、ここまでだ。

 

逆に恐るべき速度で詩歌の懐まで一気に突っ込み、オリアナは単語帳の1ページを噛み取る……が、

 

 

「あらあら」

 

 

ボッ!! と彼女の足元で炸裂する空を渦巻く風の弾丸。

 

しかし、それが発動される前に詩歌は柔らかな体を生かして後背へ反り、地に右手をつき、しなやかに後転倒立。

 

さらに、その際、左手で風の弾丸にそっと触れる。

 

術式構造を投影し、魔力回路に干渉。

 

<速記原典>は、発動すればオリアナ自身とは切り離されているため、そこから彼女自身に干渉する事まではできないが、発動すれば自動操作なため制御権が奪いやすく単発なら干渉は容易。

 

 

「本当に互角だなんて思っているんですか?」

 

 

ほんの少しだけ向きを変えた。

 

逆側、オリアナの方へ風の弾丸は発射される。

 

 

「がっ……!?」

 

 

オリアナの身体がくの字に曲がる。

 

鳩尾を中心として真上に浮き、肺の空気を一気に外へ押し出す。

 

 

「言ったでしょう? 後悔しても知りませんよ、って」

 

 

両手を地につき、屈伸。

 

そして、倒立から肘、体幹を屈折した反動を生かし、飛燕の如く空中へ飛翔。

 

その勢いのままオリアナへ蹴りを叩きこんだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

ほんの一瞬だけ、意識が途絶えた。

 

地面に頭を強く叩きつけたせいか、視界が明滅し、上手く立ち上がる事ができない。

 

だが、彼女が倒れた自分に襲い掛かってくるという事はなかった。

 

 

「……1つ、聞きたい事があります」

 

 

静かだけれど、自然に耳に入ってくる声。

 

 

「どうして、<使徒十字>で学園都市を支配しようだなんて考えたんですか?」

 

 

それに、オリアナは警戒は解かず、ゆっくりと、

 

 

「……イギリス清教から何を吹き込まれたかは知らないけど、<使徒十字>は別に悪さをするものじゃないのよ。あらゆる宗教が望むのは人の世の幸せ。その宗教にとって『都合の良いように』全て組み替える<使徒十字>は、魔術と科学の壁を取り去り、世界中の人々を幸せにするかもしれないわよ? むしろ、こっちが何で邪魔をするのか聞いてみたいくらいだわ」

 

 

表面上は余裕の笑みをたたえながら、呼吸を整える。

 

この少女と戦闘するにしても、逃走するにしても今はただ話を引き伸ばして、体力の回復に努めるための時間を稼ぐ。

 

 

「世界平和、ですか。良いですね。私もいつか、科学と魔術の懸け橋となる事が夢ですから。―――でも、この<大覇星祭>が滅茶苦茶になるのは困るんです」

 

 

ふっ、と少女は苦笑して、

 

 

「この<大覇星祭>は、今日と言う日を一生の記念に残せるよう、この街にいる大勢の人達が準備してきたものです。そして、今、『外』から今日と言う日に一生の記念を残すために、わざわざここへやってきています。ふふっ、父さんなんて、無茶して無理矢理休日を作ったんですよ。…だから、この<大覇星祭>が潰れるのは困るんです。世界平和と比べれば小さなものですが、それが今、私がここにいる理由の1つです」

 

 

言葉の端々から、彼女がただ平穏を望んでいるのが見える。

 

きっと、馬鹿馬鹿しくも、このお祭りで、大切な人達と一緒に騒ぎたかったのだろう。

 

 

「ええ、本当に小さな意見ね。その程度の感情論じゃ、少しも揺らがないわよ。お姉さんは、それぐらいで傷つくような小さい覚悟を決めて、ここにいる訳ではないのよ」

 

 

「……そうですか」

 

 

詩歌は、少しだけ悲しそうに瞑目すると、

 

 

「では、その言葉。皆が<大覇星祭>を楽しめるよう運営委員に志願し、あなたの迎撃術式の犠牲になってしまった吹寄先輩にも言えますか?」

 

 

オリアナ=トムソンは、ほんの僅かに沈黙した。

 

そして、その余裕の笑みを浮かべていた仮面にほんの少し罅が入った。

 

 

「世界の誰もを幸せにする。それは、本当に素晴らしいものだと思います。けれど、そのために誰かの犠牲が必要だというなら、たとえどんなに素晴らしくても許さない」

 

 

少女の顔から笑みが消え、初めて怒りの色が浮かぶ。

 

今まで、沸々と身体の奥底に溜めこんでいた憤怒が垣間見える。

 

 

「お姉さんだって、傷つけたくて、傷つけているんじゃないわ。お姉さんは、それが嫌だから戦っているのよ」

 

 

それに対し、オリアナはどこか吹っ切れたように、余分なものを全て削り落したような顔で、

 

 

「お姉さんは、お姉さんの望む景色を見せてくれるのなら誰でも良いのよ。ローマ正教だろうが、何だろうが。誰に従うかなんて、重要じゃない。政治家を選ぶのと同じ。お姉さん達を幸せにしてくれるなら、別にどんな嫌いな人間でも総理大臣になったって構わない」

 

 

告げる。

 

オリアナ=トムソンは個人的な目的を果たすためなら、誰の元にも従ってやるのだと。

 

彼女は、主義主張信仰思想善悪好悪無数が無数にあるこの世界をどうにかしたかった。

 

 

「ねぇお嬢ちゃん。この世にはね。想像もできない展開なんて色々あるの。おばあさんに譲ってあげた2階建てバスの座席の下にテロ用の呪符が仕掛けられたいたとか、迷子を保護して教会に預けたと思ったら実はその子はイギリス清教から逃げていた魔術師で、髪を掴まれて処刑(ロンドン)塔へ引きずられていったって、後になって教えられたりとか、ね。一体何が『幸福』に繋がっているのか。お姉さんには判断がつかないわ」

 

 

言葉を放つと共に、瞳に力が宿る。

 

今まで、こんなあやふやな世界のために犠牲になってしまった者たちの無念を晴らす為に。

 

このあやふやな世界で何をすればいいのかも分からないこの迷いを晴らす答えを得る為に。

 

 

「だからお姉さんは求めるのよ。お姉さんの上に立つ誰かに。顔も名前も分からない。惑星のどこかで支配している何者かに――――」

 

 

 

――――誰でも良いから、この世界に散らばる主義主張を上手に支配し(たばね)てくださいって。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

オリアナ=トムソン。

 

家族は代々十字教徒で、幼い頃から週に一度は教会へ足を運んでいた。

 

そこで神の教えを広めていた年老いた優しそうな神父さんから、ある1つの事を教えられた。

 

 

人のためになる事をしなさい、と。

 

 

オリアナは、その言葉についていつも悩んでいた。

 

 

道に落ちた空き缶を拾ったり、

 

 

道が分からず迷っている人に道案内したり、

 

 

どうしても運んで欲しい物があると頼まれた物品を命に代えてでも目的地へ運んだり、

 

 

と、今まで色んな人に親切を働いてきた。

 

だけど。

 

それが、本当に、人のためになる行動だったのかは分からない。

 

 

もしも、道に落ちた空き缶を拾う事で、清掃ボランティアで生計を立てるホームレスの仕事を奪っていたとするなら。

 

 

もしも、案内した人が、家に着くなり豹変し、家庭内暴力を働くような人だとしたら。

 

 

もしも、届けて欲しいと頼まれた物品の正体が、箱を開けた瞬間に人を呪い殺すような霊装だとしたら。

 

 

『不幸』にも、自分の親切心の全てを裏切られた彼女が、もう2度と裏切られないようにする為に。

 

そしてその裏切りが、彼女の横に立つ人々を傷つけないようにする為に。

 

でも、その目的はあまりに大き過ぎて、彼女1人では叶えられそうにないから。

 

だからこそ、彼女はより強く、高く、優れた人間に全てを託そうとした。

 

絶対の基準点。

 

『不幸』なすれ違いが生み出す悲劇をもう2度と起こさない為に。

 

 

「今まで散り散りとなった思いの形を上手くまとめる為。これが、お姉さんが、<使徒十字>で学園都市を支配する理由」

 

 

だから、邪魔をするな、とオリアナは言外に語っていた。

 

そして、その目は、これ以上、犠牲を出させないで、と訴えていた。

 

自分の『目的』は正しく、それによって多くの人々が救われるのだから、止める為の理由なんてどこにもない。

 

無言のまま言い放ち、彼女はようやく立ち上がる。

 

だが、

 

 

「それがあなたの『目的』ですか」

 

 

そのオリアナの前に壁のように詩歌が立ち塞がる。

 

 

「私も、怖い。<偽善使い>なんて言葉で着飾って、今まで自分が誰かの不幸を見たくないからという自己満足のために、皆を幸せにしたいと行動してきましたが、それが、本当に彼らの幸せになったのかは分かりません」

 

 

三沢塾、詩歌はアウレオルス=イザードを妄醜から解き放つ為に真実を語ったが、それは今までの彼の生き様を踏み躙るものだった。

 

絶対進化実験、詩歌は一方通行の暴走を止める為に戦ったが、それは、彼をさらなる地獄へ突き落すものだった。

 

そして、上条当麻には、彼を幸せにしようとして、不幸にさせてしまった事は何度もある。

 

それ以外にも、裏目に出たことはたくさんある。

 

だが、

 

 

「それでも、学園都市という枠組みを壊しても良い理由にはなりません。誰かのために、誰かを犠牲にしても良い理屈は、絶対に間違っている」

 

 

誰にだって、譲れない『正義』の1つや2つを持っている。

 

そして、その価値観や主義主張の違いがトラブルを起こすのは当たり前の事だ。

 

だからこそ、他者の『正義』に必要以上に干渉すべきではない。

 

たとえ誰かに己の『正義』を押し付けても、それが『大義』となるわけではない。

 

他者と向き合って、彼らの『正義』を良く理解した先に本当の『大義』がある。

 

 

「そして、本当に怖いというなら、最後まで付き合うべきです。どんな裏目が出ても、最後は皆が笑顔で迎えられるよう努力すれば良い。一度、失敗した程度で諦めて良い筈がない」

 

 

何度だって失敗した。

 

でも、その度に立ち上がってきた。

 

その度に、上条詩歌は強くなってきた。

 

 

「だから、<使徒十字>による支配も、あなたの弱音も――――」

 

 

その強さが力強い光となって、その目を輝かす。

 

 

「――――そんな幻想、今ここで全部まとめてぶち殺すッ!!」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「そろそろ、呼吸が整いましたよね」

 

 

第2回戦。

 

オリアナは、今度こそ全力で、詩歌にぶつかる為に最初から単語帳を準備する。

 

 

「ええ……待っていてくれて、ありがとう」

 

 

オリアナの瞳に、真剣味が浮かぶ。

 

そして、魔術師としての本性を晒すように。

 

 

「私の名は『礎を担いし者(B a s i s l 04)』。……宣言したからには、手加減は一切しないわよ」

 

 

「はい。私も手加減は一切しません」

 

 

そう言って、詩歌は小型の球体を取り出す。

 

<調色板>。

 

上条詩歌が持つ唯一の武器。

 

詩歌はそれを頭に装着し、

 

 

「混成、<麹塵(きくじん)>―――」

 

 

詩歌の周囲に風が絞り込まれる。

 

幾層にもわたって展開する鋭い気流が収斂していくのを、オリアナは直感した。

 

どれひとつとして目に見えないのに、化け狐のようないくつもの長い尾のようなイメージが、彼女の脳裏には浮かび上がっていた。

 

<麹塵>――大気操作特化型。

 

効果範囲が半径10m前後だが、空間を支配し、高速飛行戦闘をも可能にさせる。

 

さらに、

 

 

「―――<九尾>パターン」

 

 

大気中最も含有率の高い成分――窒素を抽出し強烈に圧縮。

 

極限まで押し固められた窒素は、単一成分ゆえにある種の安定した強固な形状にとどめられ、気流よりも水流に近い粘性流体と化し、詩歌の周囲をくるくると旋回する。

 

<速記原典>の<明色の切断斧>の208の真空刃のような骨まで断つ切れ味はないが、より硬い風の戦鎚であり、堅い盾であり、宙を舞わせるブースターでもある。

 

詩歌はその“制御力”と“特化”を生かし、単純な力ではLevel4相当だが、よりミクロな領域で、より高度な技術で、Level5に匹敵する高みへ登り詰める。

 

 

「行くわよ」

 

 

今度はオリアナ=トムソンから攻める。

 

単語帳のページを噛み千切る。

 

瞬間、彼女の手の平にサッカーボール大の氷の球体が現れた。

 

同時に、詩歌はその氷球体の凄まじい威力、災厄の前兆を感じ取る。

 

 

「―――迂闊に動けば、死ぬわよ」

 

 

忠告が届くや否や、ふわりと放たれた氷球体は、中心から外側へ勢い良く爆発、数十本の鋭利な刃と変じ、上条詩歌の周囲一帯を殲滅する。

 

魔術によって、研ぎ澄まされた刃の霰。

 

それを前にして、詩歌は一歩前に出た。

 

 

「なっ!?」

 

 

一閃。

 

二閃。

 

三閃。

 

 

あたかも美姫の帯の如く、その無数の尻尾の軌跡は芸術的なまでに美しかった。

 

 

「はっ!!」

 

 

舞に翻り、空に溶け込む帯が、襲い掛かる災厄の雹を残らず迎撃したあげく、延々と伸縮し、オリアナの体を薙ぎ払った。

 

 

「ひ……ぁが……ッ!!」

 

 

強い。

 

間違いなく彼女は強い。

 

嗚呼、これが何度も諦めず立ち上がってきた者の力か……

 

呼吸もできず、バランス感覚が揺らぎ、足腰から力が抜けている。

 

でも、

 

 

(負け、られない……!)

 

 

誰も価値観の齟齬が生み出す悲劇になんて巻き込まれないように、基準点を作る。

 

その願いを叶えようとする意志の力が、カッ!! とオリアナの両目を見開かせる。

 

頭に血液が向かい、その反動で、心臓が1つ、大きく脈を打つ。

 

 

(勝つのよ!!)

 

 

単語帳のページを口で咥え、噛み千切った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

吹き飛ばされた衝撃を利用して、オリアナは後ろへ倒れるように距離を取る。

 

虚空から何本もの荒縄が現れ、彼女の手に巻き付き、互いが互いに絡め合ったロープを振るう。

 

しかし、上条詩歌は、微笑する。

 

いつもとは違う性質の笑み。

 

不敵で、獰猛で、目の離せなくなるような表情。

 

人と言うよりも、美しい獣に似た微笑のまま、少女は駆ける。

 

 

「遅いわよ」

 

 

風が起こる。

 

縄と縄が作る無数の網目の中に、シャボン玉を作るように空気が流れる。

 

ただし作られたのは石鹸水の泡ではなく、1本1本が岩をも吹き飛ばす爆炎の刃だ。

 

数にして20本近い刃が、詩歌目がけて襲い掛かってきた。

 

もはや点ではなく面で襲いかかる制圧射撃。

 

散弾銃のように、扇状に広がる逃げ場のない攻撃。

 

無手のまま突貫してきた少女の、周辺が纏めて爆発する。

 

無数の柱が薙ぎ倒され、天井の蛍光灯の何本かが吹き飛び、壁に貼り付けられたポスターごと建材がめくれ上がり、耕かされたように大理石調の床が崩し、その凄まじい威力を示した。

 

だが、その中で、そのど真ん中を突っ切りながら、ひどく当たり前に、烈風を巻き起こし身体を巻き上がらせ、踊り子のように身を翻し、

 

 

「ふふふ、障害物競争ですか?」

 

 

ギヂィィィン、と金属を擦り合わせるような音共に、詩歌の数cmの所で全て防がれる。

 

 

型無し、不可視、の自動防御。

 

それを盾にし、足場にし、鍛えあげた跳躍力や走力で、壁を蹴り、縦横無尽に疾駆し、躱していく。

 

 

「……混成、<暗緑>」

 

 

さらに、<暗緑>。

 

肉体特化能力によって、疾風の速度で、迅雷のように加速し、<麹塵>によって変幻自在に舞い、オリアナに迫る。

 

空中で身体をねじくらせながら、人間を超越した軽技の極地ににこりと微笑む。

 

まるで本当に体重を減じたかのように少女は爆風に舞い上がる砂塵の中からこちらの間合いへと滑り込む。

 

戦慄するオリアナはそれでも正しく動いた。

 

<速記原典>を構える。

 

が、

 

 

「そっちじゃありませんよ」

 

 

消えた!?

 

これも<麹塵>によるもの。

 

空気を圧縮して形状を整えて、巨大なレンズを形成。

 

光の屈折率をいじって、詩歌の周囲の空間を歪ませた。

 

 

「その幻想を――――」

 

 

幻像に囚われた隙に、間合いを0に詰め、

 

 

 

 

「――――ぶち殺すッ!!」

 

 

 

 

時間感覚を歪ませるほどに、鮮やかな動き。

 

飛び込む勢いで、強化された剛力から放たれた拳は、緩やかに見え―――なのに、防ぐ事は叶わなかった。

 

 

「かっ――――!?!?」

 

 

胸郭を打撃する破壊力は、手榴弾の爆発にも匹敵した。

 

文字通り、オリアナの身体が吹き飛ぶ。

 

水面に石を投げつけて遊ぶ、水切りのようだ。

 

何度となく叩きつけられた身体は、先程の爆発でひび割れていたアスファルトを砕き、一部屋向こうの壁でようやっと停止した。

 

濛々と粉塵が立ち込めたのは、少し遅れての事だった。

 

 

 

 

 

ビル工事現場

 

 

 

吹き飛ばされた。

 

狙いが甘かったのか、赤の砲弾は己の数m手前の位置の落ちたが、その衝撃によって、建物の屋上からこの工事現場まで吹き飛ばされた。

 

生きている。

 

だが、落下の衝撃でしばらく動けそうにない。

 

でも、しばらく休めば、この身体に巣食う魔導書が――――と、その時、

 

 

「―――世界を構築する五大元素の一つ(M T W O T F F T)偉大なる始まりの炎よ(O I I G O I I O F)

 

 

声が聞こえた。

 

 

「―――それは生命を育む恵みの光にして(I I B O L A)邪悪を罰する裁きの光なり(I I A O E)それは穏やかな幸福を満たすと同時(I I M H A)冷たき闇を滅する凍える不幸なり( I I B O D)その名は炎、その名は剣(I I N F I I M S)

 

 

ただの声じゃない。

 

 

「―――顕現せよ、我が身を喰らいて力を為せ(I C R M B G P)――――」

 

 

世界の法則さえねじ曲げる、神秘の呪。

 

この場に貼られたルーンのカードに焔色の魔力が通る。

 

 

「――――<魔女狩りの王(イノケンティウス)>ッ!!」

 

 

その呪に応えるように、ごお! と火炎が巻き上がる。

 

 

「流石、というべきかな。ここまで計算して吹き飛ばすなんてね」

 

 

空気が、沸騰した。

 

噴き上がった炎の、とてつもない熱量のゆえに。

 

刹那に干上がった空気中の水分が、絶叫の如き水蒸気爆発を起こす。

 

爆風波は、黒騎士の身体を吹き飛ばし、容赦なく壁に貼り付けにする。

 

紅蓮の業火は人の形をしていて、黒騎士だけを正確に捕捉し、燃え盛る体で呑み込んだ。

 

 

「……『パルツィバル』」

 

 

「      ッ!!」

 

 

その名に、黒騎士は獣のように人にはできないような唸り声で吠え猛る。

 

圧倒的な火炎の渦の中にいるというのに、そのドス黒く濁った目の中の憎悪が翳る事はない。

 

ただ憎しみを滾らせる双眸のみが光を放つ鬼神の相。

 

己の全てを見失い、生ける亡者の顔だった。

 

紅蓮の魔術師――ステイル=マグヌスはその様子に目を細める。

 

もう、これは……壊れている。

 

絶対に、助からない。

 

彼女には生きて捕らえるようお願いされたが、

 

 

「―――『Fortis,931』……」

 

 

魔法名――殺し名を唱える。

 

ステイル=マグヌスは、決して主役にはなれない。

 

神裂火織のような選ばれし<聖人>ではない。

 

土御門元春のような、1つの道を完全に極めた陰陽博士ではない。

 

上条詩歌のような、怪物じみた真の天才ではない。

 

切り札を奪われたら何もできないただの脇役に過ぎない。

 

それでも、最強を名乗り続ける理由があった。

 

 

「貴様はもう死んでいる」

 

 

喜びでもなく、哀れみでもなく、その顔にあるのは、ただ怒り。

 

1人の少女、彼女のような笑顔を守る為に、血を吐くような痛みと共に掴み取った力。

 

ただ只管にそれだけを磨き続けてきた力は、それを穢す亡者を焼き殺すだけの力がある。

 

 

「   ッ!!     ッ!!!」

 

 

黒騎士は工事現場に落ちていた鉄棒を拾い上げ、驚くべき速度で突きを繰り出すが、触れる前に炎に灼き尽くされる。

 

 

「―――だから、今、ここで死に場所を与えてやる」

 

 

 

つづく


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